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よく利用する大型スーパーで買い物を済ませて出たところで、ジュースの自動販売機がお金が入った状態であるのに気づいた。周りには誰もいなくて、しかも900円も入っていた。そのまま立ち去ろうかな、と思ったけれど、やっぱりおつり返却レバーを押して取り出した。お店の人に渡しに行ったら、「保安部で預からせていただきます」と言っていた。以前だったら自分のポケットに入れてしまっていたかもしれないなあ。この行為って、どういう意味になるのかなあ。取り敢えず、どぎまぎしながらも自分のものにしてしまおう、なんていう気にはならなかったから、すごく良かった。ちょっとした目先のことで得したとか損したとか考えながら生きていると、とっても疲れるんだなあ、ということがわかってきて、ますます生きやすくなってきた。自分が持っているものを無くならないように、減らないように、って抱え込んでいると、どんどん知らないうちにこぼれていってしまうのかもしれない。それとも抱えている手をいったん離さないと、次に欲しいものをつかめないのかもしれない。でも手を離すって、不安だね。本当に大切なものだけを大事にしていくこと。どれが大事なのか見極めること。いつもいつもその瞬間瞬間決断していった結果が未来になる。決断する判断基準が最終目標。それがちゃんと定まっていなければ、判断なんてできないし、間違った方向に進んでいってしまう。私は正しい方向に進んでいるかな?いつもいつも自分に問いかけよう。
2004年03月23日
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週末本当に充実していて、普段よりもかなり睡眠時間が短かった。それでも活動できるのだから、普段いかにもったいないことをしているのか、ということがわかる。それで会社に戻ってくると、スローなテンポに戻ってしまう。急ぎの仕事とかはあるのだけれど、自分の知識が増えたり、大きく納得したり、わくわくしたりするということがあまりないし。でもでも会社だって、そういうふうにできるはず。私に何ができるかな。------------------------バレンタインデーのお返し、いりませんよ、とは言っていたのだけれど、何人かからいただいてしまった。遅くなってもちゃんと下さって、かえって申し訳無かった。ちゃんとメッセージを伝えなかったのがいけなかった。それでももちろんありがたく戴いて、あとは周りの人にハッピーのお裾分け。おいしいお菓子があるって、すごく良いなあ。だってたくさんの笑顔を創れるんだもの。ありがとうの言葉もいっぱい生まれるしね。お返しのお菓子をいただいて、それを食べられるということよりも、それを皆にあげられる、ということがとっても嬉しかった。幸せを増やすお手伝いができて嬉しかった。どうもありがとうございます。
2004年03月22日
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前日のセミナー打ち上げが終わった後に実家に帰る。お正月以来に家族が揃って朝食を食べることができた。みんなでお茶を飲んだりしていてのんびりしている時に、ガチンコセミナーで取ったメモを見つつ、家族相手にセミナーの内容を説明する。15分位ではあったけれど、なかなか伝えるのは難しい。メモも十分ではなかったみたい。母と妹はわかってくれたことも多かったけれど、父は全然聞く耳持たないと言う感じ。しばらく議論していたけれど、平行線のままだった。父が部屋を出て行った後、母は言った。「お父さんもわかっているけど、伝わってなかったよね」それならそうと通訳してくれればいいのに。同じようなことを考えていても、人によって表現の仕方が違ったり、話し合っていてもなかなか近寄れなかったりするということらしい。私の話し方も下手だったと思う。せっかく良い内容でも、相手に伝わらなかったら何にもならない。やっぱりこれは訓練が必要だなあ。それにしても、メモを取りながらちゃんと一番前の席で聴いていたセミナーの内容がこんなにも残っていないとは。これも工夫が必要だわ。次の日で50%位に落ちてしまった感じ。もったいない!!
2004年03月21日
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楽しみにしていた相澤さんのガチンコセミナー。一番前の席をゲット!彼の初めてのセミナーのはずなのに、うまかったなあ。内容もすごく良かった。私がしたいと思っていることに大きなヒントをもらえた。お客さんに終わってからセミナー代を決めてもらうのも、良いアイデア。でもこれは誰でもできることじゃないと思うけど。これから彼がもっともっとビックになりそうで、とっても楽しみ。セミナーはもちろん良かったけれど、その後の打ち上げも楽しかった。相澤さん、どうもありがとう。次回も期待してます。
2004年03月20日
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私はとても浮き沈みが激しい。良いときは天にも上る気持ちで何もなくてもにこにこしてしまうし、そうでない時はなぜかわからず涙が出てきて何もする気になってしまう。自分の気持ちをコントロールできない。偉そうなことを言ってしまった過去の自分が急に重くなる。その時は本気で高いところを見上げて本当にやる気がわいていたのに。私がやりたいと思っていることは変わってはいないけれど、いざ壁にぶつかってみると、なかなか乗り越えられない。まだまだ小さい低い壁なのだろうけれど。どこから始めたら良いのかもわからなくなってしまう。かっこつける自分がいるからいけないのかもしれない。目が開けて周りを見渡すにつれ、自分の知識のなさ、経験のなさ、根性のなさが見えてくる。がんばっている人のすごさが見えてくる。それを見て元気付けられたり、それによって落ちこんだりする。私には何ができるのだろう。私がしたいことは、どうしたらうまくいくのだろう。私が何もできないのに1人でじたばたしているだけのような気もしてくる。会社の人に私の考えを話してみる。賛成してくれて、一緒に考える。でもアイデアは出て来ない。まだまだ勉強不足だ。皆自分の仕事がたくさんあるし、仕事をしていく上で今のところ支障はないのだから、今はまじめに話してくれているけれど、この場が終わったらそれまでかもしれない。ちょっと進んだ気がしたけれど、きっと足りていないんだ。だって言葉だけでは変わらないのだから。行動しなければ。わかっているんだけどなぁ。でもきっとそれってわかってないんだ。ちょっとくらい動いたところで、成功するはずはない。わかっているのに、見返りを求めてできなかったことに落ちこんでいる。見返りじゃなくて、自分ができたことに満足できていたら良いのに。それってやっぱりわかっていないんだなあ。周りにいる人が大きく見えすぎてますます動けなくなってしまったら、とりあえずじたばたしてみた方がいいのかな。助けを求めてくれないと、助けたくても助けられないものね。もしかしたら助けを求める勇気もいるのかもしれない。恥とか外聞とかを忘れられたらきっと強くなる。ちょっとは成長しようよ、って私が私に言い聞かす。最初からうまくはいかないんだよって。頭でわかっていても心がついていけない。楽しいこと、良いことを見ても心が沈んだままでいる。この状況が今の私だし、こんな重い自分を誰かにぶつけたくもない。今日の私は朝から冴えない顔をしていた。でも誰かしらに会うと笑顔になれて、明るく振舞えた。それでも1人だけ気づいてくれた。ちょっと落ちてるって事。気づいてもらえた事と一人にしか気づかれなかった事、両方嬉しい。私を想ってくれる人がいるということとちょっとだけでも成長できている自分がいるということ。今を抜け出られたらきっともう一回り成長できているはず。そう思えるのもここに私の気持ちを書き綴ることができるから。ありがとうございます。明日は曇りのない笑顔でいられますように。
2004年03月18日
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ある方からとてもすてきな文をシェアしていただきました。こちらから↓-------------------------「熊太郎」という人からメールを貰いました。とてもいい「息子の作文」ですので、シェアーしますね。心が温まります。たくさんの人に読んでもらってください。* * * *先日、久しぶりに友人と食事をしました。実は彼女、いまご主人とのパートナーシップに終止符を打つ準備段階にいます。数年前まで、心底惚れた人と生涯の伴侶になれた自分は、なんて幸せな女んだ、と彼女は思っていた。でもそれは、自分の“錯覚”だった、と気づいた時の動揺、絶句…そんな彼女の内面の苦しみを、ここ数年知っていた私たち。昨年秋頃から、ご主人とのスタンスを冷静に見つめながら前向きに、自分を奮い立たせ、新しい人生を生きる決意をしてせっせと行動し始めた彼女。一月が彼女の誕生日だったことと、そんな彼女にエールを送りたくて五年生になる彼女の息子とともに、さる吉君の店(千菜)で食事をしたのです。居合わせたお客様とも打ち解けた会話が交わされなごやかな空気が漂っていた時、ふと「あたしのお守り見せようか…」と彼女が出したのは息子が学校で書いた、作文。「あたしが一番つらかった時、この子、こんな作文書いとると。 これ読んだらもう、ありがたいやら、申し訳ないやら… あぁ、頑張ろうって思わされてね。だからつらくなったら、それ見て自分を勇気づけよぉと」そう言って、私にその作文を見せてくれました。------------------------------------ぼくのゆめぼくは世界中に友だちができたらいいなと思います。ぼくは、ひとりっこです。家では、遊び相手がいなくてさびしいので、外では、友だちがいっぱいいたらいいなと思います。みんながけんかをしないで笑顔で楽しく遊ぶためには戦争をやめさせなければいけません。ぼくは、大きくなったら、戦争のことをよく勉強して国連につとめたいです。そして戦争をやめさせます。戦争をやめてくれなくてもあきらめません。ぼくと同じ考えを持つなかまをふやしてがんばります。もし戦争がおさまったら、またおこらないように用心したいと思います。次の目標は、自然を大切にすることです。ゴルフ場やスキー場は、森をはかいするので、作るのをやめさせます。自動車をソーラーカーにしたり工場のけむりをあんまり出さないように、工夫したりします。どうして自然を大切にしたいかというと、森が空気をきれいにしてくれるからです。きれいな空気の中で、友だちの笑顔をたくさんみたいのです。自然が豊かで戦争がない世界になるとすごくいいです。夢がかなったら、ぼくは、有名になるかもしれません。でも、ぼくは、有名になったからといって、いばりません。ずっと子どもたちを守っていきたいと思います。そして友だちをたくさんもってなかよく楽しくすごしていきたいです。************************途中から、熊太郎、もう泣けて、泣けて…。涙をポロポロ流しながら読みました。彼女の心が波を立て、壊れそうになっていた頃そんな両親の様子を感じた彼が心を傷めながら、それでも自分の将来に向けて前向きな夢としてそれを思い描いていたか、と思うと…。私の様子を見た常連さんが「私にも見せて…」といい、同じように涙を流し、その隣の方も、またその隣の方も…という始末。ある方が言われました。「本当に、地球も人も、滅びるか生き残るか、とても大事な時なのよ。 だから私たちよりずっと賢くて、素晴らしい魂をもった子どもたちが どんどん生まれてきている。 私たち大人のつとめは、彼らに時代をつなぐために 自分にできることを精一杯すること…○○君、ありがとう」五年生の彼は、最近ではめずらしいほど子どもらしい、素直な少年です。365日、ソフトボールの練習に夢中になって夜9時にはコトンと寝てしまうような…。そんな少年が、大人たちを泣かせてしまう。でもその涙は、哀しいとか、苦しいとかではなくまさに清々しい、感動の涙。そんな涙を流させてもらって、大人たちが心を洗われる。いわば浄化の涙だったわけです。「熊ちゃん、なんで泣きよると?」ときょとんとした目でのぞきこむ彼に「○○の作文が上手やったけん、熊ちゃんうれしかったって」と少年のママが答えます。「ふ~ん、大人って本当は泣き虫なの?」という彼の素朴なひと言に、店の中は大笑い。泣き笑いの、素敵な宵のお話でした。 以上-------------------------ここまで↑これこそが一番今大切なことなのではないかな。こんなに素直にまっすぐに「ぼくのゆめ」として語れる男の子がいるということ。正しいことを言っている、と思って、実際今私ができることは何なのだろう。私の途方も無い夢、声に出してみた方が良いのかな。
2004年03月13日
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自分で気づかなかったところに誰かがぽつんと針を刺すちくん、としたけど、あれ?気のせいかな、ってそんなわけないよね、ってそうだとしても、たいしたことない、って自分に言い聞かせるでもその針がどんどんと奥に入り込んで心の真ん中にある涙の袋に命中溢れ出す涙の粒と自分の気持ち気づかなかった私の気持ちあー、そうだったんだあちょっと納得でもまだちょっと痛むまだまだ涙が止まらないだから自分でなでなでする良い子ね、って泣かないで、って体は大きくなったけど心に小さい女の子が住んでいるたまにはちゃんと話を聞かないとねちゃんと見つめてあげないとね明日からまたちゃんと笑えるかな?笑顔をプレゼントできるかな?私の宝物なくならない宝物それで十分また進んでいけるありがとう
2004年03月10日
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小さい頃から、なりたいものがなかった。幼稚園の頃なら、お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか、もう少し大きくなると、看護婦さんとか、スチュワーデスとか。私にはそういう具体的な職業は思い浮かばなかった。受験勉強に意味を見出せなかった。学校の授業を面白いと思ったのは、小学校の4年生の1年間だけ。それは担任の先生のおかげだった。本を読むことは小さいときから好きだったから、国語は特別に勉強しなくても良かった。ずっと好きな本を読める生活がしたい、って漠然と思っていた。なりたいものがなくて、自分が好きなものはなんだろう、って思ったら、やっぱり本を読むことだった。仕事というのは、誰かの役に立つことだって思っていたから、本を読むことは仕事にならない、って思った。そして堂堂巡り。大人になって、なりたいものがなくても仕事に就けることがわかった。特にこれといってできなくても、雇ってもらえる。本当に笑ってしまうくらい何も知らないで就職した。もちろん最初は苦労した。だって基本的なことさえ何も知らなかったから。だんだんと慣れてきて余裕がでてきてわかった。私の上司がどれだけ忍耐強かったかってことが。その上司もいなくなり、仕事も減り、要領もわかってきた。そしてこのまま同じ仕事を続けていくことに疑問を感じ始めた。毎日憂鬱な顔をしていたのだけれど、これじゃいけない、と思っていた。そんな時、そこから抜け出たくて、たまたま目に付いた勉強会に出てみることにした。いろんな人がいた。当たり前なのだけれど。それさえも忘れそうだった。いつの間にか会社と家の往復が自分の世界になっていた。つまらなかった。それを突破する道が見えなかった。そこから出てみたら、世界は楽しく、広く、手招きしていた。学校や会社では、合う人も合わない人も顔を合わせないといけない。楽しくない毎日を過ごすのは当たり前と思っている中に居た。でも、忙しくっても、お金がかかっても、どうしても行きたくなってしまう、すごく会いたくなってしまう場所があるってことを知った。会うたびに新しいことを教えてくれる人達がいるっていうことを知った。それを知るたびに、もっと学びたいと思った。自分の知らないことの多さにめまいがしそうだった。世界が広がったことで、会社でいやなことがあったとしても、それは自分の中の小さな部分でしかなくなった。考え方が違えば、同じ事が起きても、受けとめやすくなることを学んだ。私は今までよりももっとツイている、ハッピーな人になれたと思う。だから悲しい顔、つらい顔をした人が周りにいたら、少しでも和らげるお手伝いをしたくなった。ちょっとした一言、1粒のアメやチョコレートがつかの間でも笑顔に変わることを知った。もっともっと私にできることはないかな?やっぱり身近なところから始めたい。会社にこんなに長い時間いるのだから、もっと良い時間を過ごしたい。周りにいる人にももっとわくわくする時間を過ごしてもらいたい。仕事はつらい、我慢するだけのものではなく、自分の力、能力を発揮できて、成長する場、希望を持てる場にしていきたい。そう思うようになった。そして今この日記を書いている。もっともっと勉強して、本を読んで、いろんな人に出会っていこう。どんどん仲間を増やしていこう。だって1人じゃできないから。よし、知恵をしぼらなくちゃ。私がなりたかったもの、わかった。できるだけたくさんの人にハッピーな気持ちになってもらうお手伝いをする人。やっとわかった。ごきげんとほほえみをプレゼントする人になりたい。私を元気に、そしてたくさんのヒントをくださった皆さん、感謝感謝です。出会えて本当に嬉しい。この日記を書いていて、忘れていた夢を思い出しました。何年か前に思いついただけで、あまりにも無謀なのですぐにあきらめてしまったもの。ちょっとじっくり検討してみます。
2004年03月02日
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今朝NHKのニュースを見ていたら、ショックなことがあった。大阪でオオサンショウウオが生息する河を工事するので、オオサンショウウオを捕獲し、水槽に入れていた。オオサンショウウオの体長や体重を測ったり、傷がないか調べたりするという。オオサンショウウオは河にある穴に住むが、工事でコンクリートで固められてしまうので、棲家ががなくなってしまう。だからコンクリートで横穴が作ってあった。「オオサンショウウオが住んでくれるかわからない」と言っていた。オオサンショウウオを河に戻した後も追跡調査をして、これからも全国で同じような工事をする際に参考にするという。それを見て、すごく悲しくなってしまった。オオサンショウウオが住める河ならば、とてもきれいなはず。本当にその工事は必要だったのかな?オオサンショウウオはそんなコンクリートの河になんて、住みたくはないと思う。その工事がいかにもオオサンショウウオに気を使っているから、良いことをしている、といっているような気がして、とっても憂鬱になってしまった。最近また環境を大切にしないといけない、ということが目につく。やっぱりそうなんだよね。難しいけど。今日スーパーの洗剤売り場で粉石けんに目がいった。やっぱりそこから始めないといけないよね。合成洗剤は、1度体に入ると排出されずに内臓にたまってしまうとか。せっけん買うぞ!!
2004年03月01日
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