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芭蕉翁句碑
明治11年
碑文
名月や 鶴脛高き 遠干潟(めいげつや つるはぎたかき とおひがた)芭蕉は、平泉を見た後、Uターンしたが、奥の細道の本文に、「南部道遥かにみやりて死………」と書いている。 南部道は、盛岡地方へ通ずる街道で、この下りから、日田へさらに旅を続けたかった思いが伝わる。 また、細 道の紀行が終わった翌年の元禄三年に書いた「幻住庵記」に、「猶うとう啼そとの浜辺よりに、えぞが千しまをみやらむまでど、 しきりにおもひ立侍るを………」とも書いている。外が浜から北海道を見たかったのだが、同行の曾良が病弱な師の身体を思い、引き止めたのだ。









































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