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四條公祭とは景行天皇より膳大伴部(かしわでのおおともべ)の姓を賜った料理の祖神様である磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と、料理技法である四條流(しじょうりゅう)の庖丁式を確立した四條中納言藤原政朝公(ふじわらのまさともこう)に、日々あらゆる命をいただく食の営みに感謝をすると共に、これからの料理技法向上を祈願する神事です。





天保13年(1842)創建。現社殿は明治19年(1886)に建立。万物の命を生む水を司る当水神の御社は、始め弁財天堂と呼ばれ、後に淡島神社となれば、広大無辺の神慮に北前船の商人等の帰依信仰篤く、航海安全を乞い願い住吉神社も合祀されました。
年普くうちに龍神合一に至り、何時しか八大龍神宮と呼ばれ一層の尊貴を受けるようになりました。その御神徳は祈雨を仰ぎ一切の災禍を水に流すという灼然なるものであります。
現在は昭和53年(1978)に整備され開苑した神苑の”廣田苑”に鎮座している。大小二つの滝はそれぞれ、雄瀧は“龍神の瀧”、雌瀧は“護神の瀧”の名を神社より授かり神魂を宿しています。また、神池に湧く地下水の幽闇な黒さは人々の悩み苦しみを呑み込んだ形象であり、古くから “ヒロタの龍神様に行けば悩みを吸い取られるで”と云われ、名鏡止水の祓濯を成すものであります。近年では大東亜戦争の空襲の折、神池に飛び込んだ者は皆助かったそうです。


昭和8年(1933)9月13日創建。御祭神の乃木希典命は陸軍大将の重責を務め、晩年には第十代学習院院長を任ぜられ、自身の生涯を皇国日本の為に捧げた偉大な将軍でした。 その最期は明治45(1912)年7月30日に明治天皇が崩御せられ、大正元年9月13日に御大葬が行われた夜に、
【辞世の句】
うつし世を 神さりましし 大君の 御あと慕ひて 我はゆくなり
神あかり あかりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる
を残し、乃木将軍と静子夫人は殉死を以て御聖恩に報い身罷られました。
御事蹟はもとより文武両道、質素と謹厳を兼備する崇高な人格に、後世御遺徳を偲び、国民普く敬仰し、神霊として祀る乃木神社が全国に創建されました。
当地で創建に至った経緯は定かではないが、もと官修墓地を境内に有し青森市初の招魂祭を斎行するなど、度々の戦禍で国難に殉じた戦没者を懇ろに慰霊し奉る当神社に、生前御参拝せられたと伝えられています。然るにそうした行跡に敬慕し、国に赤誠を尽くした神慮を畏み一入広く道徳の亀鑑とする為に鎮座に至ったのではないかと拝察するものであります。
尚、現社殿は昭和34年(1959)に鰊漁で一大財を得た外ヶ浜広瀬村(現蓬田村広瀬)の田中吉兵衛氏の邸宅にあった社殿が寄進されたものです。

諸神一層尊ぶ三貴神の天照大御神を太陽の象徴とし、月読命を月の象徴とし、須佐之男命を海の象徴とする通り、古来より闇夜を開き普く照らす月は神聖な存在であり、人々はその光明を仰望し拝していました。
月待信仰に由来する二十三夜大神も月を御神体と崇奉し、下弦の月光を御神光として愛で慈しみ精進潔斎の忌籠りを成すことで心身浄化の精華を発揮するものであります。 近年までは二十三夜講が組織され、月と縁由深い女性が多数参集して月を礼拝し、月読命の御神影を写す掛軸に降神を賜り、夜通し飲食を共にすることで神人合一の境に浸り信仰を深めていました。
依って今尚安産や子授けの御神徳は霊験あらたかで、報賽の感恩深く額づく者も絶えないでいます。
現在の場所には正保~文政年間(1645~1829)頃に建立した石塔が列なり、猿田彦神や庚申塚諸々とも習合して鎮座しています。
尚、二十三夜は下弦の月に相当するが、理由は如何なるものか不明だが当二十三夜石塔に記されているのは上弦の月となっています。







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