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2025年05月26日
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八戸市の北方、小田の町に勇壮な山門を持つ八幡宮が鎮座しています。もとは毘沙門天を祀る神社であり、後に正式に寺院となります。しかし明治の神仏分離に際して仏教色が配され、現在の形に落ち着きました。
この近くは髙館とも呼ばれ、平泉から逃れた源義経一行が居住したことに因むからだと言われていますが、この八幡宮ももれなく源義経北行伝説の舞台となっております。


小田八幡宮


小田の十字路に鳥居が建っています。背後には山門も建っており、なにやらお寺の様な雰囲気も感じられます・・・。このブログを読んできた皆さんなら、これが神仏混淆の痕跡だということが真っ先に頭に浮かぶのではないでしょうか。
この”もともと毘沙門天を祀っていた”という特徴と、”もともと寺院だった”という特徴を併せ持つ神社が津軽にもあるかと思います。そう、 乳井神社 ​です。今回紹介する小田八幡宮は雰囲気的に乳井神社にそっくりなんです。



門の説明書きがありました。




八戸市指定文化財(昭和48年1月24日指定)
小田八幡宮表門

 小田八幡宮縁起には、遠く平安の天喜年間(1053~1058年)にお宮が建立されたと記されています。
 当社には、毘沙門天像も祀られており、小田毘沙門堂・小田仁王門と呼ばれていた時代もあった。一説には、根城の北方鎮護の社であったとも言われています。


 文献資料(小田仁王門造營之記)によれば、弘化2年(1845年)から嘉永7年(1854年)までの9年間を費やして造られたことが記されています。
平成3年3月 八戸市教育委員会



小田八幡宮の元山門は、この様に元の場所に現存していますが、乳井神社の場合はそうもいきません。神仏分離の際に、仁王像は​ 浄仙寺 ​へと移されましたが、山門は撤去されてしまいます。これほどまでに対応が違うのは何故なんでしょうか?

次に源義経北行伝説に関する説明書きを見てみましょう。




「伝説」源義経北行コース  小田八幡宮

 源義経は、兄の頼朝に追われ、文治5年(1189年)岩手県平泉の高館において31才の若さで自害したといわれ、悲劇の名将として世に伝えられております。

 当地方に伝えられている伝説によれば、北へ逃れた義経は、 八戸に上陸し近くの高館に住んだといわれています。
 その時この宮に義経が持参した毘沙門天の像を、八幡の神に合せ奉ったともいわれ、また家来と共に奉納した大般若経の写経と経箱が現在も奉られています。
八戸観光協会



毘沙門天像は現存しています。拝殿ではなく、境内の少々離れたところに置かれた毘沙門天堂に納められているようです。
一説には胎内仏として八幡大神の像が収められていたとも言われます。神仏分離に際して両者は隔てられ、一方は神社の御神体として、一方は御堂の本尊として祀られたとされます。

八戸市のサイト ​から毘沙門天像の姿を拝むことができます。






小田村の地名起源

 「類家稲荷大明神縁起」によれば、義経が鞍馬から持参した毘沙門天の像を祀った小田八幡宮の前通りに、義経自らが小さな田を段々に開いていったことから「小田」と命名されたという。
 義経が住んでいた場所はこの地に程近い高舘山の西方にあったと言われている。


八戸の高館に居住したとされる義経ですが、ここ小田の地では田んぼを拓いたようです。北行伝説内でも八戸への滞在は数年とかなり長いです。このように沢山の伝説が造られる背景には、どのような事情があったんでしょうか、気になります。

今回は御由緒も先に見てしまいましょう。
小田八幡宮

祭神 :八幡大神(応神天皇)

由緒
 創立年は久遠にして不詳であるが、遠く天喜年間(1053~1058年)に源頼義朝臣鎮守府将軍が当地方の平定の際、八幡の社を建立して鎮守となし、その後、源義経の北行伝説に基ずく北方行の際、当地に仮住いし当社に毘沙門天像を合祀し、その背中に八幡尊像(三寸六分木像)を納め、安置祀ると記されている。

 また、仏教隆盛に伴い天和年間(1682年)以降は天台宗「福田山 徳城寺」と呼ばれ、 神仏混淆の霊地として尊崇を集めて来た。現在その時代の証として、八戸市文化財指定の毘沙門天像が別棟に奉安されているが、明治の神仏分離の布告により、毘沙門天像の体中に納め祀られていた八幡尊像を分離奉安し、旧古に復して八幡宮と改称、八戸北方の鎮守として現在に至っている。

初めは源頼義により建立された八幡宮。次は義経によって奉納された毘沙門天像と仏教の隆盛によって寺院となり、明治に再び神社となる・・・。かなりの変遷を繰り返した神社ですね。


手水舎です。かなりきれいに整えられています。



池に架かる橋を渡ると拝殿はもう目の前です。今回は先に境内の他の社殿から見ていきましょう。



拝殿左手、こちらは神楽殿でしょうか。



神楽殿の隣には祠が2つ。
左は祭神不明ですが、右は源義経を祭神とする義経堂と呼ばれる祠です。



更にその隣には井戸が置かれています。もしかして閼伽井なんでしょうか?



井戸の近くには龍神が祀られていました。



龍神の横には地蔵尊の様な石像が祀られています。



この石像について、説明書きを見てみましょう。




「伊東仙右衛門宣義氏」





地域への貢献者が祀られる例は明治期に多く見られるムーブメントですが、ここもそうみたいです。ちなみに説明書き内の”矢留の清水”は同じく八戸市内にあり、弁慶にまつわる伝説が残されています。小田八幡宮からは南に3kmくらい下ったところにありますよ。

拝殿右手も見ていきましょう。
こちらの他の祠よりも一回り大きい社殿では、蒼前大神・大国主神(大黒天)の2柱の神格を祀っています。これらの神格は共に豊穣に関係する神格でもあるようで、当地での稲作の重要性と人々の篤い信仰の両方が伺えます。



そしてなにやら境内の山の方に進む細道が伸びています。誘われるように進んでみます。



しだれ桜の下に赤い橋が架かっていました。どうやらこの先には、先ほどの説明書きで出てきた毘沙門天堂が置かれているようです。



毘沙門天堂の前に子安様の祠が置かれていました。



立て札には子安社とあります。祭神は木花開耶姫命のようです。堂内には子供を抱える袰を被った女神の石像が置かれていました。子安観音にも見えますね。



子安社の奥に毘沙門堂があります。中は見ていませんが、おそらく元々本堂に置かれていた毘沙門天像が収められているものと思います。



拝殿です。派手ではありませんが、所々の木彫や太い注連縄などから地域の崇敬の篤さが伝わって来ます。調べてはいないんですが、おそらく寺院時代の本堂をそのまま流用したものなのではないでしょうか?今では後ろに本殿も付けられて、すっかり神社の社殿となっています。



近くで眺めてみます。木材の色が所々異なるため、幾たびかの補修を受けているのではないでしょうか?またもや推測ですが・・・。



斜めから。
背後には今でも山が広がり、往時の姿を連想させます。街なかに在りながら、境内には落ち着いた空気が漂い、心穏やかにお参りすることも可能です。お参り後は近くのお店で腹を満たすも良し、風呂に浸かるも良しと、いろいろと楽しめそうです。様々な由緒を持つ八戸の古社は、今でも変わらずここに建っているのです。



今回貰った御朱印です。



以上です。




2026.3.27
見納め詣出


八戸と言えば櫛引八幡宮というのは間違いではありません。南部氏入部に伴って創建された古社であれば、知名度も抜群だからです。
而してこちらの小田八幡宮を捨て置けません。何と知っても、この八幡宮も創建は11世紀を唱える古社であり、源頼義公の創建伝説を持つからです。胎内に八幡神像を収めた特別な毘沙門天像が伝わっており、古社の風格も十分、境内も山門(現在は随神門)と鳥居が両立する神仏混淆色の強い不思議な雰囲気で満たされております。



随神門をくぐると、山門両脇に池が広がり、鯉が悠々と尾ひれをはためかせていました。



背後に山を背負って建つのは小田八幡宮。神社と寺を行ったり来たりの不思議な歴史をもつ神社です。南部では珍しく天台宗寺院だったみたいですよ。



境内末社。大国主神と蒼前大神が祀られます。



義経北行伝説の舞台らしく、境内には義経公を祀る祠があります。



小雨が降ってはいましたが、やはり参拝してよかった・・・。面白い歴史を持つ八幡宮、行かない手はありません。



今回貰った御朱印です。



以上です。





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最終更新日  2026年04月01日 20時28分35秒
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