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2025年09月06日
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カテゴリ: 御朱印:福島県
会津地方の北方、ラーメンで有名な喜多方の街があります。すぐ南には立木観音で有名な会津坂下の町もあり、会津三十三観音巡礼においても起点としやすいところです。
喜多方の街を少々走れば、途端に田んぼが広がり、なんとも親近感の湧く景色が見られます。田んぼの端には集落があり、その奥の方に今回紹介する神社が鎮座しています。


新宮熊野神社


どっしりとした年季の入った明神鳥居が境内の入口です。扁額や注連縄も立派です。



鳥居の左手には”春待ち欅”という古木が立っており、参拝者を見守ります。



欅の脇には小さな堂が置かれています。もうすでに何を祀っているのか忘れてしまいました・・・扁額があるので特定はできるでしょうが。



堂宇には兎が彫刻されています。



こっちにも!



参道脇の社務所に御朱印帳を預けておき参拝します。こちらは手水舎、現役です。



手水舎からすぐに長床と呼ばれる大拝殿が見えてきました。銀杏の大木があるので、正面からの撮影は難しいでしょう。




阿形!



吽形!
スタンダードな外観です。



そんでこちらが長床手前の大銀杏です。紅葉の時期にはライトアップもあるそうな、是非とも見てみたいですねぇ!



銀杏の近くには歌碑が建ててあり、17名の会員たちによって詠まれた句が刻まれています。



熊野神社には神社ながら鐘楼堂が建てられています。というのも鳥居の形状から察せられる通り、以前は神仏混淆の形式で祀られていたようなので、不思議なことではありません。



説明書きです。




福島県指定重要文化財  銅鐘

 高さ128.9cm、口径79.0cmの鋳銅製の梵鐘で、熊野神社境内の鐘楼に吊られている。
 鐘身の中央に当たる池の間は、4つの区画に分かれている。第一・二区には銘文が陰刻され、第三・四区画には蓮華や蓮の葉である荷葉などを陽鋳した線画で描き、蓮の池が表現されている。第二区には銅鐘を寄進した人物や、鋳造した人物と共に、貞和5年(1349年)の銘が刻まれており、福島県内では最も古い紀年銘を持つ銅鐘である。
県指定年月日:平成4年3月24日
喜多方市教育委員会



鐘楼堂から長床を眺めてみます。かなり横長の御堂ですよねぇ。屋根は茅葺、いくつもの柱が特徴的です。ここで神楽なんか踊っちゃったら相当に幻想的なんじゃないでしょうか。新宮熊野神社の拝殿として使用されており、国指定重要文化財に指定されています。








熊野神社

 平安中期の永承6年(1051年)奥州平定を命じられた鎮守府将軍源頼義とその子義家は、紀州熊野三所に武運を祈願し、前九年の役(1051~1062年)に勝利したのを機に天喜3年(1055年)河沼郡熊野堂村(現河東町)に熊野三社を勧請したが、後三年の役(1083~1087年)の兵乱が始まった応徳2年(1085年)八幡太郎義家によって熊野堂村からこの地に移された。当初は本村に新宮、岩沢村に本宮、宇津野村に那智殿が別個に祀られたが、後にこの地に三社が合祀された。
 「新宮雑葉記」によれば、盛時には300余の末社霊堂に多くの宗徒、百余人の神職を置き、国家の安全を祈願し、奥州の熊野と称され崇高されたという。
 文治5年(1189年)佐原義連によって寺社領悉く没収されたが、建久3年(1192年)源頼朝より社供二百町を賜り、かつ文殊菩薩の形像を安置せられた。また当地の地頭新宮氏によって以前の栄耀をみるに至ったが、打ち続く戦乱と慶長16年(1611年)の大地震で多くの建物は倒壊した。同19年再建されたが昔の面影は失われ、ただ拝殿(長床)の遺構のみが往時の壮大さを伝えている。
 当社には国指定重要文化財2点、県指定重要文化財7点があり歴史の古さを物語っている。




特に祭神は記載されていませんが、熊野三山の神格(本宮:家都美御子神(建速須佐之男命)、新宮(速玉大社):熊野速玉男神(伊邪那岐大神)、那智宮:熊野牟須美神(伊邪那美大神))を祀っているものと思われます。

次に長床の説明書きです。




国指定重要文化財(建造物)
熊野神社長床

指定年月日:昭和38年7月1日

 長床は熊野神社の拝殿で、九間×四間、茅葺寄棟造りの建物です。
 直径一尺五寸(45.4cm)の円柱44本が5列に並び、各柱の間は十尺(303cm)の等間隔で全部吹抜けです。外廻り一間通りが化粧屋根裏の底の間として区切るように並べてあり、中央桁行七間、梁間二間のところは天井を張った身舎(もや)となっています。
 各柱の上には、平三斗の組物がのり、中備には間斗束を用いています。

 そこで昭和46年から49年にかけて解体修理が行われた時、調査の結果旧規を知る箇所が数多く判明したので、できる限り当初の姿に復元しました。
 中央の系統をひく平安時代末の遺構として、東北地方では他に類をみないものとなりました。

喜多方市教育委員会



東北最古級の古社殿だったようですね。やはりというか、東北の中でも現在の岩手県南部・秋田県南部・宮城県・山形県・福島県などは中央に近いこともあってか、このような古建築が多く残っている様に思います。白水阿弥陀堂・​ 高蔵寺阿弥陀堂 ​も相当に年季が入っていましたが、こちらもなかなかです。

そんで長床の後ろには、数段高い所に本殿となる3つの社が置かれています。右:本宮十二社権現殿、中央:新宮証誠殿、左:那智山飛竜権現殿となっており、いづれも古めかしい造りをしていました。



斜めから。本殿の各社殿は垣根で囲われており、これも中央に多い造りなんではないでしょうか。何にせよ、この様に三社の本殿が一列に並んで鎮座しているのは、なかなかに壮観な姿です。



本殿参拝後は段々に社務所へと戻りますが、まだまだ見所はあります。
長床の右手に寺院が置かれています。この寺院は普光山 大同寺、位置的にも新宮熊野神社と関連する寺院であることは明白です。



扁額はこんな感じ。



ご由緒です。
普光山 大同寺

曹洞宗 霊樹山耕雲寺末寺
本尊:如意輪観音

 大同寺は現在、拝殿(前殿・長床)の北側(向って右側)、那智(結御前)が鎮座していたという駿河山の麓にあるが、もとは石神の南にあったという。現在、熊野神社の鳥居のある場所に昔は大門があり、大門が壊れた跡に左右に石を建て石神と呼んだと伝える( 新編会津風土記 巻6.7)から、この寺は現在の鳥居の南側にあったのであろうか。

 同書によると大同寺は普光山と号し越後国(新潟県)村上の耕雲寺の末寺で曹洞宗となっているが、もとは律宗で大同年間(806~810年)の開基と伝えている。この寺はもと寺内村(耶麻郡山都町)にあったが、新宮氏が新宮村に移し、新宮次郎盛俊が先祖の位牌をこの寺に安置し、曹洞宗の僧侶瑚海を請して住まわせてから曹洞宗の寺院となった。戦国末期の天正17年(1589年)の兵火によって堂宇が廃壊したが、新宮氏の旧臣たちが再興したという。本尊は如意輪観音である。
 新宮次郎盛俊が曹洞宗の僧侶瑚海を請したのは寛正年間(1460~1465年)だと伝えるが、新宮氏は応永27年(1420年)7月、蘆名氏によって城を攻め落とされており、新宮次郎盛俊が瑚海を招いたのは寛正年間であるというのは疑わしい。

​寺号の通り大同年間に創建された古刹のようです。曹洞宗でありながら本尊は如意輪観音と珍しいですが、それはもともと律宗だったからなんでしょうか、不明です。
さらに大同寺については他の情報も載っていました。
・・・。北(向って右側)の丘には那智(結御前・西ノ御前)が勧請され、その麓には補陀洛寺が建っていたというが、現在は大同寺が建っている。
 また大同寺は那智の前殿の千手観音堂があった所でもある。この山を駿河山と呼ぶようになったのは、文亀(1501~1504年)のころ熊野神社の守護職 西海技駿河守がこの山の麓に居館を構えて住んでいたからである。この山には若一王子をはじめ五所ノ王子を移したといい、その塚や社の跡がある。五所ノ王子とは、若一王子・禅師ノ宮・聖宮・児宮・ 子守宮をいう。・・・。

元は那智宮と関わりの深い補陀洛寺が建っていたんですね。大同寺との関係は不明ですが、他にも千手観音堂も有ったなんて伝わっており、古くから仏教関連の建物であったことは間違いないでしょう。かなり歴史の長い霊場であることが分かります。

大同寺の隣には宝物殿があります。こちらもキレイな宝形造で、よく境内に馴染んでいます。



堂内には当然熊野神社の宝物が多数展示されていました。半分以上が仏教関連のものであり、改めて熊野神社がどれだけ神仏混淆の要素が強い信仰なのかを実感できました。
こちらは大黒天と不動尊・2体の童子です。かなり生き生きとした像容ですよねぇ



こちらには舞楽面や権現頭。



その内右上には2種の記録が展示されていました。
右は”新宮雑葉記”という記紀で、原本は元禄15年~宝永7年(1702年~1705年)に北方(喜多方)の小荒井村(旧市街地)で医師をしていた渡辺直昌によって記されました。
新宮熊野神社の縁起や由来、当時の新宮村の様子の他にも、江戸時代以前からの新宮熊野神社の有様や祭礼、神事などが記されており、貴重な資料となっています。
ただし、宝物殿に納められている本書(宝庫本)は、江戸時代後期の新宮村の医師、中条度泰により筆写されたものだそうです。

左は”玉山講義 付録”という書物。詳細は分かりませんが、寛文7年(1667年)に、会津藩主(会津松平家祖)保科正之公により奉納されたという古文書です。



これらの他に懸仏なども。特に下の2つは中世に奉納された可能性がある相当な年代物です。



鰐口なども収められています。こちらは県重要文化財に指定されており、紀年銘はなんと康応2年(1390年)!なんということでしょう・・・!室町時代の初め頃まで当地を治めていた地頭、新宮氏の一族とされる沙弥正宗によって奉納されたと伝えられています。



そして牛王宝印の版木も展示されていました。この牛王宝印は実際に社務所で購入することが出来るので、気になる方は忘れずにお求めください。



こんなのもあります。力士像、なんとも言えないかわいさです。
木造 相撲力士像

平安時代後期~中世

 相撲の取り組み前に相対する恰好の力士像で、赤力士と白力士2躯1対となっており、ともに岩座上に立ちます。
 江戸時代に補修されていますが、本体はカツラ材の一木造りで、造像は中世にさかのぼると見られます。体躯や肉付きの表現から平安時代後期の作である可能性も指摘されています。
 県内でも類例の無い珍しい力士像で、当社ではかつて奉納相撲が行われていたことを示しています。



大般若経もありましたよ。
大般若経

福島県指定重要文化財

 大般若経は六百巻からなるお経で、当新宮熊野神社のものは、南北朝時代の建武3年(1336年)の奥書を持つ巻が現存している大変に古いものです。新宮雑葉記には、さらに古い鎌倉時代の建暦3年(1213年)奥書を持つものもあったと記されています。
 また、室町時代の応永23年から35年(1416~1428年)までの間に補修したことを記すものも7巻あり、このお経を入れる経櫃は室町時代の文亀4年(1504年)に寄進されたことが墨書されています。これらの資料から当地の大般若経転読会も鎌倉時代から続けられていると考えられます。



三十六歌仙の絵巻なんかも。



ここからは仏像コーナー。
こちらは七福神の内、中央:弁財天、右:大黒天、左:毘沙門天が厨子内にて祀られています。



かなり大きな仏像も。
こちらは如意輪観音座像、平安時代に造られたとされる古仏です。全体的に補修が入っており、頭部以外は江戸時代に補われたものです。それでも鍍金や宝冠が残っており、かなりの荘厳さ。
文殊菩薩といえば、先ほどの大同寺の本尊も如意輪観音でしたが・・・コチラは?



こちらは説明書きを取り忘れたので、詳細は分からないんですが、おそらく聖観音座像だと思われます。作風なども先ほどの如意輪観音と似ており、同一の作者の作品と思われます。



そして参拝時は貸出中だった文殊菩薩座像。平安時代の作とされており、ほとんどの部分が補修などもなく造像当時のままだそう。国重要文化財に指定されています。



そして最奥に薬師如来。こちらはかつて存在した薬師堂に収められていたそうです。他の像と同じく平安時代の作とされていますが、なんと当地で作られたものだそう。これだけの金がおしげもなく使われているということは、平安の昔には既に、当地での仏教の影響力は相当に強かったんではないでしょうか。



陸奥は福島喜多方の新宮熊野神社は、古い信仰の形をあらわす古社でした。東北唯一ともいえる長床、是非ご覧ください。

今回貰った御朱印です。



牛王宝印



以上です。





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最終更新日  2026年03月08日 22時49分36秒
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