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普光山 大同寺
曹洞宗 霊樹山耕雲寺末寺
本尊:如意輪観音
大同寺は現在、拝殿(前殿・長床)の北側(向って右側)、那智(結御前)が鎮座していたという駿河山の麓にあるが、もとは石神の南にあったという。現在、熊野神社の鳥居のある場所に昔は大門があり、大門が壊れた跡に左右に石を建て石神と呼んだと伝える( 新編会津風土記 巻6.7)から、この寺は現在の鳥居の南側にあったのであろうか。
同書によると大同寺は普光山と号し越後国(新潟県)村上の耕雲寺の末寺で曹洞宗となっているが、もとは律宗で大同年間(806~810年)の開基と伝えている。この寺はもと寺内村(耶麻郡山都町)にあったが、新宮氏が新宮村に移し、新宮次郎盛俊が先祖の位牌をこの寺に安置し、曹洞宗の僧侶瑚海を請して住まわせてから曹洞宗の寺院となった。戦国末期の天正17年(1589年)の兵火によって堂宇が廃壊したが、新宮氏の旧臣たちが再興したという。本尊は如意輪観音である。
新宮次郎盛俊が曹洞宗の僧侶瑚海を請したのは寛正年間(1460~1465年)だと伝えるが、新宮氏は応永27年(1420年)7月、蘆名氏によって城を攻め落とされており、新宮次郎盛俊が瑚海を招いたのは寛正年間であるというのは疑わしい。
・・・。北(向って右側)の丘には那智(結御前・西ノ御前)が勧請され、その麓には補陀洛寺が建っていたというが、現在は大同寺が建っている。
また大同寺は那智の前殿の千手観音堂があった所でもある。この山を駿河山と呼ぶようになったのは、文亀(1501~1504年)のころ熊野神社の守護職 西海技駿河守がこの山の麓に居館を構えて住んでいたからである。この山には若一王子をはじめ五所ノ王子を移したといい、その塚や社の跡がある。五所ノ王子とは、若一王子・禅師ノ宮・聖宮・児宮・ 子守宮をいう。・・・。







木造 相撲力士像
平安時代後期~中世
相撲の取り組み前に相対する恰好の力士像で、赤力士と白力士2躯1対となっており、ともに岩座上に立ちます。
江戸時代に補修されていますが、本体はカツラ材の一木造りで、造像は中世にさかのぼると見られます。体躯や肉付きの表現から平安時代後期の作である可能性も指摘されています。
県内でも類例の無い珍しい力士像で、当社ではかつて奉納相撲が行われていたことを示しています。

大般若経
福島県指定重要文化財
大般若経は六百巻からなるお経で、当新宮熊野神社のものは、南北朝時代の建武3年(1336年)の奥書を持つ巻が現存している大変に古いものです。新宮雑葉記には、さらに古い鎌倉時代の建暦3年(1213年)奥書を持つものもあったと記されています。
また、室町時代の応永23年から35年(1416~1428年)までの間に補修したことを記すものも7巻あり、このお経を入れる経櫃は室町時代の文亀4年(1504年)に寄進されたことが墨書されています。これらの資料から当地の大般若経転読会も鎌倉時代から続けられていると考えられます。









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