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2025年12月12日
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カテゴリ: 御朱印:滋賀県
関ヶ原の狭路を抜けて滋賀県に入ると、もう日は暮れ神社も門を閉じていました。どうしてもここに参拝したくて、道の駅で車中泊し、翌朝出直しました。
神社に近づいてくるにつれ、だんだんと門前街の雰囲気が漂い始め、境内の真ん前ともなると沢山の店っこが立ち並ぶ参道が伸びておりました。
絵馬通りと掲げられた門をくぐり、いま境内へと進みます。



2025.11.23
多賀大社


多賀大社の境内は広く、参拝のし甲斐があります。まずはマップにて概観してみましょう。社殿を中心として、境内の端々に社やら何やらが置かれていますね。



とりあえず鳥居をくぐる所から始めましょう。白っぽい明神鳥居が優雅に建っておりました。



なんかもう・・・鳥居の先からして雅な雰囲気が漂っていました。明らかに東北や関東の神社とは異なる、上方の雰囲気とでも言いましょうか、そんな美しさがありました。



参道中央に架かる石橋は、今は渡ることは出来ません。例祭の時に神輿が渡るくらいです。
”そり橋”とも呼ばれるこの神橋は寛永15年(1638年)に徳川幕府の助成のもと、境内の諸堂と共に建立されました。今では町指定文化財となっています。




こちらは右側で、
  • 右:秋葉神社 祭神:火産霊賀具都知神 例祭日:8月16日
  • 左:愛宕神社 祭神:火産霊神、伊邪那美神 例祭日:9月25日
    となっています。



    左側は天満宮。祭神は菅原道真公です。
    沢山の絵馬が懸かっており、崇敬はよほどのものと思われます。



    随神門をくぐると、広い境内の奥に美しい社殿が鎮座していました。近代的な外観ではなく、創建当時の姿をそのまま保っているかの様な古雅な佇まいは、控えめに言って最高です



    手水舎もなんだかすごいですね(語彙消失)。



    水盤は花で溢れ、まるで庭園の様です。



    参道を進みます。
    神馬舎の手前には大きなしゃもじの石像が!こちらは”御多賀じゃくし”と呼ばれている安産祈願のためのしゃもじで、元正天皇(715~724年)の病気平癒のために炊いた強飯にシデの木のしゃもじを添えたところ、見事に平癒したことに因んだ呼び名だそうです。おたまじゃくしの語源とも言われていますね。
    崇敬の篤さを示す様に、後ろには絵馬の様にしゃもじが幾つも懸かっています。



    神馬舎もこの通り・・・。







    立派な舞殿もありました。背景にはいぶし銀な松が映えています。
    この舞殿の周辺には幾つもの末社が置かれています。それぞれ見てみましょう。



    まずすぐ近くに置かれているのがさざれ石。もう見慣れてしまいました。大きな神社に置かれていることが多い気がします。



    石の柵で囲われた所がありますねぇ。この中には白石という岩が置かれているんです。とりあえず説明書きを見てみましょうか。


    寿命石と祈願の白石

     今から800余年前、俊乗房重源上人は後白河上皇から、南都東大寺再建の大勧進を仰せ

     つけられた。上人はまず大神宮に三度参詣、さらに寿命守護を祈るため当大社に参籠し、満願の暁に『莚』の字の虫喰いのある柏葉を授かり20年の延命を感得、ついに大業をとげたと云われている。

    ・・・。



    800年前と言うと鎌倉時代ころでしょうか?東大寺再建の勧進僧が延命を授かった石と言う事で、延命祈願の参拝者が後を断たないようです。



    白石の後ろには3社の末社が鎮座しています。右から・・・
    • 子安神社:木花咲耶姫 祭日:12月1日
    • 年神神社:大年神 祭日:6月30日
    • 竈神社:火産霊神 祭日:6月30日
      となっています。
      何となくですが、祭神の構成も東北とはずいぶん異なっている気がします。東北で圧倒的に多いのは稲荷や八幡などの有名な神格であり、火産霊神などは希ではないでしょうか。こうした祭神の構成からも地域性を感じられて面白いですねぇ!



      更にその奥には5社!右から・・・
      • 三宮神社:角杙神、活杙神、大冨辺神、面足神、惶根神 祭日:10月15日
      • 聖神社:少彦名神 祭日:10月15日
      • 熊野神社:櫛美気野神(素戔嗚神) 祭日:10月15日
      • 天神神社:天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神 祭日:10月15日
      • 熊野新宮:速玉之男神(伊弉諾大神) 祭日:10月15日
        となっています。



        5社の隣には、本殿横までつづく長い赤鳥居が建っています。これはもう稲荷でしょう!



        立派な祠がありましたよ!名前は金咲稲荷神社。祭神は宇迦之御魂神で、祭日は11月8日です。多賀大社の末社ながら、この神社の講が全国にあるみたいですよ。つまり崇敬者が多いと言う事です。この鳥居の数にも納得ですね。



        金咲稲荷神社からは多賀大社の本殿が良く見えます。当然の様に檜皮葺きであり、どっから眺めても美しいの一言に尽きます。拝殿から大きく伸びた瑞垣によって本殿が囲われているという、上方の標準的な造りの社殿です。



        一時多賀大社から離れて、駐車場に近い境内左手のエリアも見てみましょう。こちらには神仏混淆時代の遺物も幾つかあるんです。
        こちらは文庫と呼ばれる社殿で、明治期の近代史が好きな方ならば垂涎ものの社殿ですよ!とりあえず説明書きを見てみましょうか。


        文庫

         彦根藩は「桜田門外の変」の後、勤皇の旗印を明らかにした。この轉向に大きな役割を果たした人物は少なくないが、中でも、当大社 大祢宜 車戸宗功は長州藩士 伊藤俊介(後の博文)ら勤皇方と彦根藩老の仲介に奔走して偉功があった。
         この文庫は、当時車戸家の邸内にあり、長州や土佐の志士らと密議を行ったという、維新の前夜の秘史を物語る遺構である。



        この小さな蔵の中でいきり立った勤皇方の志士たちがどのような密談を交わしたのか・・・歴史が動く前夜にどんな話し合いが行われていたのか・・・ここまで妄想が膨らむスポットが他にあるでしょうか、いや無い。



        文庫の横には大きな釜が2つ。いったいこれは何に使われたものなんでしょうか。
        境内の説明書きを見てみると、この大釜は徳川幕府主導の寛永11年(1634年)・元禄11年(1698年)の大造営に際してこしらえられたものだそうです。具体的には御湯神事という祭事に用いられるものなんだとか。御湯神事とは、御田植祭にて使用される神社所有の田 神田を清めるための祭事なんだとか。
        御湯神事・・・石切劔箭神社の動画を見たんですが、これ、修験の火渡りの時に行われるものと、非常に近しいですよねぇ!なんというか修験って本当に神仏入り乱れて祀っていたんだなぁというのが実感できました。どちらが先かは分かりませんが、確実に両者には繋がりがあると思いました。こうした修験の祭事と神社の神事とを見比べてみるのも面白いかもしれません。



        文庫の裏には立派な鐘楼。神仏習合時代の遺物で間違いないでしょう。この中に吊られていた梵鐘が県指定文化財になっているみたいです。説明書きを見てみましょう。

        県指定文化財  多賀大社の「つり鐘」

         この大鐘は、室町時代後期、天文24年(1555年)に鋳造されたものである。天文5年から永禄6年にかけ室町幕府・佐々木六角氏・浅井氏らの奉賛のもとに社殿の大々的な修造を行ったので 「このつり鐘の鋳造も、その修造事業の一つである。
         鐘身156.2cm、竜頭からの高さ209.2cm、口径127cmで法量の上からいえば全国五指に入る堂々とした大鐘である。銘文は、池の間に陰刻され、まづ第一区の銘文は、次の通りである。

        大日本国近江刕多賀大社鳧鐘
        天文廿四年九月廿日奉鐘之畢
        本願上人祐尊謹誌

         鼻鏡とは鐘の異称、この事を企てた祐尊は明応3年(1494年)開基の不動院初代で、日野権大納言内光の末子といわれ、二代目祐賢とともに前述の社殿修造にあたった。
         銘文第二区以外は「つり鐘」造成にあたって浄財を寄進した檀那や造成に尽力をした123人の人名が羅列してある。
        昭和59年10月22日 多賀町教育委員会



        北近江の雄 浅井長政ゆかりの梵鐘でした。



        更に駐車場の奥へと進みます。倉庫の影に1社の末社が鎮座しています。こちらは夷神社、祭神は事代主神で、祭日は11月20日です。
        因みにこの末社の周辺は、神仏混淆時代には神宮寺が複数建っていたんだとか。下にその説明書きを載せますねぇ。

        般若院跡


         「花の生涯」の村山多賀女は、この坊で若き日を送り、ここで直弼公を知り、長野主膳と出会ったと云う。





        本当に外れまで来ました。ここから眺める境内は、本当に森の様です。境内の端には水路が張り巡らしてあり、外界と境内とを仕切るような考えがあったんではないでしょうか。
        この近くに多賀大社の境内社でありながら、延喜式内社になっている神社が有るんです。



        この様に別個に鳥居も置かれています。奥には手水舎も。確実に多賀大社とは異なる神社と言うかんじですよね。



        鳥居の先には2社の神社が鎮座しています。両者は同じ瑞垣によって囲われているので、パッと見は1つの神社に見えなくもないです。



        まずは左の大きな方から。こちらが延喜式内社になります。
        日向神社という神社で、祭神は瓊瓊杵尊、祭日は4月24・12月1日で、古くより当地の氏神として崇敬されていたそうです。



        その隣には神明両宮。伊勢神宮の内宮・外宮の天照皇大神・豊受大神が祭神となっています。祭日は12月1日です。こちらは特に式内社というわけではありません。



        では、お待たせしました。多賀大社の社殿を見ていきましょう。凍てつく夜を乗り越えて、フラフラと神門をくぐると、バッと広い境内が広がっており、その奥にこんな美しい社殿が鎮座していたら・・・初見の時の衝撃は相当のものでした。
        当然東北ではこのような造りの神社はまずまず拝めません。関東でもどうかというレベルです。滋賀県ともなると、もう都は目と鼻の先、このような上方風の大社がわんさか鎮座していて、なんだか感覚が狂いそうでした。



        社殿は荘厳で装飾華美ではあるんですが、背後の樹叢のせいでしょうか、全然不自然に感じません。見事に自然と調和しているというか、古くからの信仰を体現しているような、そんな雰囲気があって非常に好みですよ、これは



        御由緒も見ましょうよ!
        多賀大社

        祭神:伊弉諾大神・伊弉冉大神

         古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。
         日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
         生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
         春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉なども見事で、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、年間約170万人の参拝者を迎えています。
        ​​ 多賀大社 / お多賀さんとは ​ より引用

        ・・・公式サイトでは、特に詳しい由緒などは紹介していないみたいです。ネットの情報にも限界があって、面白い由緒は見つけられませんでした。ここまでの大社であれば、相当長い歴史があるはずなんですが・・・何か調べる手段は無いでしょうか。
        祭神が伊弉諾大神・伊弉冉大神ということで、伊勢神宮の親神の社として認識されていた様です。wikiなどでは、当初祭神は上の2柱ではなく、当地の有力者 犬上氏の氏神だったなどの記述もあり、いろいろと謎の多い神社です。というか、上方に近くなればなるほど、元の祭神が分かっていない神社というのが増えてくるように思います。今では日本神話の何かしらの神格に比定されているとしても、実態はよく分からないのです。当社もそんな神社の1つかと感じました。

        斜めから。
        社殿が陽光を受けて美しく輝いていました。ここまで古雅な雰囲気を放つ神社は本当に稀で、社務所で御朱印を待っている間も、終始目を奪われてしまいまして・・・。
        式内社ということは千年以上の歴史を持つことは確かでしょう。長きに渡り修繕を繰り返され、今日まで続いているのかと思うと感慨深い・・・。いつまでも見ていたくなる、そんな古社です。



        今回貰った御朱印です。



        公式サイトへのリンクです。
        ・多賀大社

        以上です。

        ​​​​​​​​​​​​​​

        調子に乗って撮った写真ギャラリー

        陽光浴びる神門






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        最終更新日  2026年07月05日 09時13分37秒
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