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2026年05月19日
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カテゴリ: 景勝地:東京都
まだ八戸に配属だった頃、本社研修にかこつけて、自由時間に江戸三十三観音霊場の札所巡りをしました。東京メトロの浅草駅で降りて 浅草寺 ​を参拝し、合羽橋本通り商店街方面へと進みました。 二番札所の清水寺 を拝む頃には額にはじんわりと汗が浮かび、コンクリートジャングルの何たるかを知ることになります。
やっとこさ上野に到着した頃にはもう汗びっしょりで、すぐにでもひとっ風呂浴びたい気分でしたが、そんな欲望をグッと抑えて寛永寺へと向かいました。今では修理が終わっているんですが、参拝時にはまだ根本中堂が修繕中という事で、また東京に行く際は写真撮りしたいところです。
寛永寺と元塔頭の浄名院を参拝し終えて、よし次は​ 根津神社 ​!という事で勇み足でアスファルトをズンズン踏みしめながら歩いていると、幾つもの寺院が立ち並ぶ寺町へと迷い込んでしまいました。後に地名を調べてみると丁度谷中という地域みたいです。この地域の目玉はなんと言っても日蓮宗本山の瑞輪寺でしょう。奥まった所にあって格式高い寺院の雰囲気がムンムン立ち上っていました。

2024.8.19
慈雲山 瑞輪寺


谷中の寺院群の内、瑞輪寺周辺は古くからの寺院配置が良く残されていると思います。この山門へと伸びる道も、周辺の路地より道幅が広くとられていて、脇には浄延院・体仙院・正行院・久成院・本妙院の塔頭5ヶ院が立ち並んでいるのです。青森で似たところと言うと、やはり弘前の新寺町でしょうか。ここも”本寺と周辺の塔頭”という配置が良く残されております。



山門に懸かる寺号額はまさに逸品というべきものです。




参道を進むと左手に鎮守の稲荷社が置かれていました。これは客人稲荷大明神と呼ばれており、日蓮宗寺院に良く鎮座している稲荷社と同じものです。



境内の説明書きを見てみましょう。

【客人稲荷大明神縁起】

 当山に安置の客人稲荷様は、お釈迦様が衆生を救済する為に菩薩様の姿となり現れた、法華経の御守護神であり、商売繁盛・千客万来、我々に救いの手を示して下さる神様です。
 その御姿は女神であり、左肩に稲束を持ち、右手に鎌を持ち、宝珠をたずさえた白狐に乗っています。客人稲荷様が持つ鎌・稲束は共に五穀豊饒をあらわし、更には鎌で悪の因縁を摘み、退散させる意味を持ちます。白狐は、客人稲荷様が清浄な存在であること、そして神通力(神秘的な力)を備えることを象徴するものであり、白狐のたずさえる宝珠は、開運招福を意味します。
 平成24年(2012年)、当山五十七世井上日修貫首の代に、これまで本堂東側にあった堂宇を当地へ移転新築される。
慈雲山 瑞輪寺



この白狐に乗った女神はおそらく荼枳尼天ではないかと思われます。日蓮宗寺院だけでなく曹洞宗寺院にも良く祀ってありますよ。

稲荷社の隣には日蓮上人の像。強い決意の表れか、太い眉に力がこもっているかの様。



本堂です。
屋根の頂部には日蓮宗宗紋と共に三葉葵が捺されていますね。徳川家康公が開基となっているためでしょうか。



ご由緒です。
慈雲山 瑞輪寺

日蓮宗本山・由緒寺院
開山:慈雲院日新上人
開基:徳川初代家康、大久保治右衛門、安藤右京之進
本尊:十界曼荼羅

 当山の開山は慈雲院日新上人と申しまして、開基大檀越は徳川家康公でございます。日新上人は徳川家康公が幼少の頃、学問教育の師範でありました。日新上人は、天正6年(1578年)に身延山に入山し十七世の法灯を継承され、天正9年(1581年)10月に日蓮大聖人第300遠忌を修し、翌年には甲州を領して身延山に詣でた家康公と道話する日々を重ねられました。そこで、将来に弘通所の地を寄せていただくことを約束したのであります。
 そして家康公は天下統一の後、天正19年(1591年)に学問教育に預かった謝儀をあらわし、先年の約束をはたして、日本橋馬喰町に身延山 久遠寺の布教所として、寺の敷地約200m四方を与え、大久保治右衛門の外護により瑞輪寺が創建されました。
 しかし、慶長元年(1595年)に類焼、同6年(1601年)に神田に移転しましたが、また類焼し慶安2年(1649年)現在の地 谷中に安藤右京之進の外護により再建築致しました。また、安政3年(1856年)台風のため大半が破壊、明治元年(1868年)上野戦争により悉く烏有に帰したのであります。
 その後、歴代上人のご丹精により復興再建され、現在に至っております。なお、塔頭は15坊が存在しましたが現在は浄延院・体仙院・正行院・久成院・本妙院の5院でございます。
 当山は日新上人の院号を取り慈雲山と称しております。江戸開府400年を記念して、平成16年(2004年)、当山第五十六世日総上人代に、本堂・山門・鐘楼堂・参道・諸堂を大修復、位牌堂が新築されました。

なんかもう類焼しっぱなしですね。火事と喧嘩は江戸の花とはよく言ったもので、東京の寺院はこうした由緒を持っているものが多いんではないでしょうか。何気に塔頭が5ヶ院も残っているのは珍しいですよね。

今回は見つけられなかったんですが、瑞輪寺には家康公所縁の人物の墓があります。”どうする家康”にも登場した大久保忠世の叔父にあたる大久保忠行(主水)の墓です。


大久保主水墓(都旧跡)

 名は忠行、または藤五郎と称す。三河国の武士で、徳川家康に仕え300石を給されていた。一向一揆のときに足を負傷してから戦列に加われず、餅菓子を作る特技を生かし、以降、家康に菓子を献じたという。
 天正18年(1590年)家康は江戸に入り町づくりを始める。用水事業を命ぜられた忠行は、武蔵野最大の湧水地である井の頭池・善福寺池を源に、それぞれの池から流れる河流を利用して、江戸城ならびに市中の引水に成功した。これを神田上水といい、江戸の水道の始まりであり、また我が国水道のさきがけであった。この功により、家康から「主水」の名を賜り、水は濁らざるを尊しとして「モント」と読むべしと言ったという。以来、子孫は代々主水と称し、幕府用達の菜子司を務めた。元和3年(1617年)没。
 なお、墓への通路脇にある八角形の井戸「大久保主水忠記の井戸」は、天保6年(1835年)十代目忠記が、忠行の業績を顕彰したものである。平成23年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
平成27年3月 台東区教育委員会



武士からまんじゅう屋へと転身した珍しい経歴の人物ですが、武功以外の手柄を幾つも立てて家康公からの信任を勝ち取っていました。
この様に粘り強く長所を生かして勝負していきたいところ。

本堂の左端には大きな瓦が置いてあります。この大瓦は以前仏殿の屋根を飾っていたもので、高さ3m近くあるかなり巨大なものなんです。





仏殿納牌堂 獅子口瓦

 この獅子口瓦は、仏殿納牌堂の大棟東側に備えられていた鬼瓦で、昭和6年(1931年)日蓮大聖人第650還忌の報恩事業として仏殿納牌堂が新たに建立されてより、日蓮大聖人御降誕800年の慶讃事業として、平成24年(2012年)に屋根瓦を銅版に葺き替えるまでの約80年間、仏殿納牌堂の屋根を平穏ならしめてきた鬼瓦である。
 展示の獅子口瓦とは、京都の寺本甚平衛製瓦にて作成され、大棟両端鬼瓦のところに備えられる駒形箱型の瓦をいい、「経の巻」を頂部に配し、2本の「綾筋」の下に「井桁に橘」紋の意匠が施されている。足下瓦から獅子口最頂部までの高さは2.8m、足下瓦左右の幅は2.2mに及び、これが地上より約21mの高さに備え付けられていた。もって身延山三堂の一の威容に相応しいものだったといえよう。
維時:平成25年1月吉日 慈雲山 瑞輪寺


長い事御堂の邪鬼払いとして重宝されていた様ですね。かなりどっしりとした大きな鬼瓦でした。

斜めから。
閑静な住宅街の奥、塔頭寺院と共に威風堂々と建っています。東京の日蓮宗寺院というと、やはり池上本門寺が真っ先に浮かぶかと思いますが、今回紹介した瑞輪寺も規模はかなり大きく、堂宇も見ごたえが有りました。午前中だったかには御朱題も受け付けているみたいなので、時間を調整して参拝してみてはいかがでしょう。



公式サイトへのリンクです。
・本山 慈雲山 瑞輪寺

以上です。

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最終更新日  2026年05月19日 21時03分18秒
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