PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
カテゴリ
コメント新着






天苗山 秀麗齋
曹洞宗 霊樹山耕雲寺末寺
開山:義貞和尚
開基:坂上田村麿
中興開山:耕雲寺四世湖海仲珊大和尚
本尊:利勝観音(聖観音)
・・・。
寺の由来は、延暦17年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり、戦勝と天下泰平を祈願するため信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まるとされている。大同2年(807年)には比叡山伝教大師の法子 義貞を開祖として天台宗に属し、大阪四天王寺の末寺となった。
12世紀、平泉の藤原氏隆盛の頃にはその庇護を受け最も栄えたが、栄枯盛衰の言葉通り、藤原氏滅亡後は天台宗自体が次第に衰退していった。室町期の文明年間(1469~1487年)には越後国村上の耕雲寺四世湖海仲珊大和尚を勧請開山とし、天台宗から曹洞宗に改宗、その後仙台伊達初代政宗公の時代に寺号の秀麓寺を秀麓齋と改め今日に至っている。
本堂に安置されている御本尊 聖観世音菩薩は50㎝程の座像で、運慶の作と伝えられている。別名 「利勝観音」と称し、坂上田村麻呂の蝦夷平定の際に戦勝を祈願し、そのご加護により大任を果たし得たという故事に因むものである。天台宗の本尊はほとんどが観音であったのに対して禅宗は釈迦を本尊としていた。つまり、観音を本尊とする禅寺の多くは、もとは天台宗の寺であったといえる。
近世では、伊達十三代尚宗公が御本尊 利勝観音に深く帰依し寺の保護にあたった。今でも本堂には尚宗、稙宗、輝宗三公、そして伊達家の家老 高舘城主 福田駿河守の位牌が安置されている。
また、本堂内陣の左右の欄間にたくさん並べられている10㎝程の地蔵菩薩像、いわゆる千体仏は、後の藩主 伊達政宗がこの寺と尚宗との御縁に因んで奉納したもの。このような千体仏は京阪の寺院にはよく見られるが、東北地方では非常に珍しい。当時隆盛を極めた伊達家ゆかりの寺ならではのお宝か。現在の本堂もまた政宗の時代に改築されたものと伝えられている。
・・・。







二十二番札所:楽峯山 勝大寺 観音堂 鈴… 2026年07月19日
一番札所:那智山 紹楽寺 観音堂(高舘観… 2026年07月04日
二十九番札所:海岸山 普門寺 観音堂 陸… 2026年06月03日