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楽峯山 勝大寺
真言宗智山派
中興開山:祐弁阿闍梨
本尊:不動明王
二十二番勝大寺は、東北自動車道若柳金成インターチェンジから北西約3㎞の丘陵地に位置している。栗原市金成の中心部からもわずか1㎞余りだが、ちょうど裏山にあたるため閑静なたたずまいを今にとどめている。
道路の傍らに勝大寺と書かれた標柱と石の門があり、その奥に本堂が見える。正面六間(10.8m)、奥行五間(9m)、二尺(60㎝)の濡れ縁をめぐらした本堂は、それほど古くは見えないが、骨組みや柱などに目を凝らすと幾度となく補修や増築を重ねた跡がみられ、相当古い建物のようである。
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しかし南北朝の時代に入ると天台宗は徐々に衰退、永和元年(1375年)、祐弁阿闍梨が入山し真言宗として再興し、山号寺号を現在の楽峯山 勝大寺と改めた。
現在の住職村上龍勝師五十一世は、阿闍梨が入山してからの世代数である。御本尊である十一面観世音菩薩は、元禄10年(1697年)まで1度も御開帳されず秘仏とされていたが、元禄以後は33年に1度御開帳が行われる慣わしとなった。
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小迫観音堂
開山:慈覚大師(円仁)
開基:坂上田村麿
本尊:小迫観音(十一面観音)
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観音堂は、別名 小迫観音とも呼ばれ、本堂の左側、墓地の間を通り抜けて緩やかな坂道を300mほど上ったところにある。
坂上田村麻呂によって建立された奥州七観音の1つで、他の六観音同様、山の上に立ち、眺望の素晴らしさに定評がある。境内には樹齢800年あるいは1,000年はあろうかという老杉もみられ、昼なお薄暗い静寂の森だ。四間(7.2m)四面、五尺五寸(135㎝)の濡れ縁をめぐらし、江戸中期に建立されたもの。その荘重な構えと境内の静寂に修験山伏祈祷道場であった昔を偲ぶことができる。
観音堂の裏、83段ほどの石段の上に白山神社が祀られており、展望も一段といい。
勝大寺の開創は、延暦23年(804年)にさかのぼる。坂上田村麻呂が奥州平定のいくさの折、古くからこの地に鎮座する白山神社 龍蔵大権現に戦勝を祈願し、いくさが終わり無事帰洛する際にも再び神社に詣でた。勝利の報告をするとともに戦没者の霊を敵味方なく弔うため神社の前に一宇を建立し、侍婢 鈴鹿御前の護持仏である二寸八分(8.4㎝)、閻浮檀金の十一面観世音菩薩を安置。大同2年(807年)に改めて慈覚大師を開山に請い、天台宗 畜峯山 法華寺と号した。その後、山内に26坊の衆徒を擁するまでに栄えたという。
文治5年(1189年)の奥州合戦の際には、源頼朝が鎌倉に帰る途中立ち寄って報賽し、野祭りを開催した。それが現在まで受け継がれている「小迫延年」である。 また頼朝はこの由緒ある寺が断絶せぬよう衆徒各坊に妻帯を許した。



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