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一日の必要経費262円って、ボロ安ですよね・・・。日本に帰ったら必ず購入すると決めていたものが一つだけあります。新しいノートパソコン。しかも持ち運びに便利なかなりコンパクトで軽いやつ。帰国最初の一週間、東京での挨拶めぐりの合間を使って、秋葉原やらの電気屋さんに入ってリサーチ。まず電気屋さんで実際に目で見てみて、実際に買うのはkakaku.comで最安値の商品を通販で購入の目論見を持って。まあ、今となっては誰もがとってる方法ですよね。いろいろ見た結果、FMV(富士通)LooxT70Kが、「自分を買って!」と一番アピールしているのを察知。kakaku.comでの最安値は17万5千円。神戸と大阪の大手電気屋さんの同機種の価格は24万円弱。同じものなのに7万円の差。こりゃあ電気屋さん、もうからんはずです。。。キューバに置いてきたキムの旧MyPCのメビウス君は、7年前に購入した時、東京の電気屋さんで確か36万円した。Pentium2で、メモリが56M、HDが3ギガという性能のメビウス君。それでも当時は最新機種だった。そして7年後の今。今回、Loox君を購入してみて、もうパソコンというものが、完全にコモディティ化(日常必需品化)しているのを実感しました。メモリは5倍、HDはなんと26倍超(Loox君は80ギガ)、そして、DVDもついていて全重量は1.5キロ、そして、そして、値段は7年前のメビウス君の半分以下!まあ、こんなことで驚いているところが、いかにも浦島太郎なのかもしれませんね・・・笑しかし、いくら性能の良いPCを買っても、ネットに繋がらなかったら、はっきり言って、持っている意味がない。今、居候させてもらっている実家は、父親がいまだに電話回線でがんばっているので、キムのようなネットヘビーユーザーには全く不向き。「う~ん、どないしよう・・・」と、考えたあげく、Loox君を持って、無線LANが通っている三宮の某カフェへ。MyPCを使っての初めての無線LAN。「ほんまにLoox君持っていくだけで繋がるんかな・・・」と、半信半疑でやってみたら、一瞬で高速ネットに接続。ということで、今、そこから書き込んでるんですけど、これってちょっと革命的とちゃいますか?何が革命的って、ここのカフェ、三宮のど真ん中(神戸の一等地)にあって、朝の9時から夜の9時まで開いている。そして、一番安いメニューは262円のアイスコーヒー。無線LANへの接続はもちろん無料。っていうことは、一日262円払って、この一等地にマイオフィスを持ったのと同じことになる。マイオフィスのためのブロードバンド契約(経費)もいらなければ、オフィススペースの賃貸料もいらず、電気代ももちろんタダで、入場するのに262円だけ払ったら、年中無休で毎日12時間使用できる。誰かと会う必要があれば、このカフェに来てもらえばいい。はっきり言って、今のオフィスワークって、ネットに繋がったPCと電話があったらほとんど事足りるでしょ。無線LAN対応のノートPCと携帯だけあったら、このカフェで十分仕事できますよね。一日262円の経費で、これだけのことが、これだけの場所でできてしまうって、かなりすごい!そない思いません?あれ?やっぱり俺って浦島太郎なんやろか?・・・苦笑
Apr 30, 2005
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「そんなに次から次へと新しい車買う必要ないやろ?」って思うんですけど、100%マイナスってことでもないのかもしれません。2年ぶりに日本に戻って、まず何に一番驚いたかというと、目にする車のほとんどが、みんなピッカピッカの新車みたいに綺麗だということ。もちろん走っている車が全部新車なわけないけど、みんな綺麗にしてるよね。ベネズエラとかキューバとか、あとコスタリカもそうやったかな、みんなボロンボロンの車とかを、修繕しながら使っている。まあ、これが経済格差っていうものかもしれんけど、前から、「なんでそんなに新しい車買わなあかんわけ?」と思っていた。でも同時に、こんなに狭い日本の都会にこれだけの量の車やトラックやらが、ガンガン走っているのに(特に東京ね)、それにしては空気が綺麗やなっていうこと。もしベネズエラでこれだけの交通量があったら、多分みんな外に出られへんと思う。なぜなら、排ガス規制がないから(か、あるにもかかわらずちゃんと規制が機能していない?)ようさんの車が、めちゃくちゃ煙を出して走ってる(キューバも同じ)。なんで、ちょっと交通量が多いところやと、もろに排気ガスが気になるくらいに空気が汚れてる。空港からの道で眺めた東京の街は、たしかにスモッグに覆われてどんよりとしていたけど、中に入ってしまうとそうでもない。まだ、日本に戻ってきて、「うわっ、この排ガスたまらんわ・・・」と思ったことが一度もないということは、やっぱり平均的に日本の車の排ガス規制がちゃんと機能してるのと、みんな新しい車に乗ってるってことなんかなと思うんやけど・・・。ほんまのところはどないなんでしょうね・・・。これ余談ですけど、日本人ってほんまに車にお金かけてるなっていうのが見て取れるけど、その反面、日本の住宅環境ってほんまに貧困。みんな狭い家(+コスト高)に住んでる。なんぼ土地がないって言うても、もうちょっとなんとかなるやろって思うんですけど・・・。誰か日本に不動産革命おこしてくれへんかな?日本人の家が今の2倍の広さになって、それでもって値段が2分の1くらいになるっていうような。この住環境のまずさは、世界から見るとかなりのビジネスチャンスやと思うけどな・・・。
Apr 28, 2005
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ヒトビジネスで自信をつかんだ彼は、めちゃくちゃ光ってました。昨日はまたまた2年ぶりに、野村時代の先輩のDさんと再会しました。歳は同じでも1年先に野村に入ったDさん。ご縁があってキムはDさんと同じO支店に配属された。Dさんは当時ダメダメ支店だったO支店で、入社当初から全国の同期ダントツトップセールスという凄腕営業マン。そんなダメダメ支店に新人のキムが配属になったのは、Dさんが1年間がんばって結果を出したから。彼のがんばりのお陰で彼とのご縁ができ、そのご縁は今でもしっかりと続いている。「いや~~~、キムタカが帰ってきて、ほんまにうれしいわ~~~、なんか自分の兄弟が帰ってきたみたいやわ~~~」いや、いや、Dさん、そう言ってもらって、一番うれしいのはキムタカの方なんですよ。まああれですね、多分、自分らは前世でほんまに兄弟してたんとちゃいますかね・・・笑高校は体育科、大学は神学部、元野村の金融マンという、かなり異色なバックグラウンドをもった「祈るビジネスマン」のDさん。今は、Pグループという人材派遣大手が出資して作った新しい会社の立ち上げの中核メンバー兼稼ぎ頭として、相変わらずその凄腕ぶりを発揮している。2年ぶりに再会したDさんの風貌からは、一種の「悟りのオーラ」が出ていた。立ち上げ間もない会社のほとんどすべてを自分でしているというDさん。きっときっと、めちゃくちゃ多忙に違いない。しかしそんな素振りは微塵も見せずに、夜の19時から朝の4時まで付き合ってくれた。長時間に及んだ二人の会話のテーマは、やっぱり「ヒト」。彼がこの2年間で「ヒト」を通じて得たもの、そしてこれから「ヒト」はどうなって、この世はどうなるのか、そして自分はそこでどう生きていくのか・・・、そんな彼の洞察とビジョンを余すことなく語ってくれた。「う~ん、こんな貴重な話、タダで聞いてしまっていいのか?」Dさんと話をしている最中、何度もそう思った。いやいや、タダじゃないね。「帰国祝い」と言って飯までおごってもらったから、彼はお金を払ってまで自分にあんな貴重な話をしてくれたことになる・・・ほんまに「有り難い」ことです。「『究極のナマモノ』を扱う『ヒトビジネス』は、めちゃくちゃおもろいよ」というDさん。Dさんの天職が見つかって、ほんまにほんまによかったですね。Dさんはこれからこの「ヒトビジネス」の世界で、日本を背負って行くヒト(日本一)になりはりますね。これ、昨日Dさんと話して得た、キムタカの直観です。キムタカの直観、こう見えても結構当たるんですよ・・・笑また会ってくださいね。
Apr 27, 2005
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やっぱり故郷は故郷ですね。1週間の東京滞在を終えて、昨日、2年ぶりに神戸に戻りました。今、ざっと市の中心街を見てまわってきたんですけど、やっぱり神戸は神戸。東京とは違い、2年前とそんなに変わったという印象は受けない。まあ、新旧交代が少ないだけ、いわゆる景気は東京ほど良くないんでしょうね。でも住む場所としては、自分にはこれくらいのスローな環境の方がいいかなと思ったりもします。でもやっぱり何か事業をやるんだったら、競争の激しい東京でやった方が速く力がつくんでしょうけどね。まあどっちにしてもそんなに生易しい話ではないことは確か。これからどう動くか、しばらく見極めのために時間を費やすことにします。そんな話とは別に、2年ぶりに故郷に戻ってきて、何よりも嬉しかったのは、両親が健康で楽しそうに生活している姿。ほんの数年前、家族崩壊の危機に面して、みんなでどん底にいた時のことを思い出すと、今の本当に幸せそうな彼等の姿には、いくら感謝しても仕切れないくらい。それくらい本当にありがたい。「ほんまに今が、今までの人生で一番幸せやわ・・・」昨日、父が語ったこの言葉に、ありがたい気持ちで涙が出そうになった。まだまだ半人前の小僧な自分。速く一人前になって親孝行をして、もっと彼等を幸せにしてあげたい。今、そういう気持ちで一杯。この気持ちをこれからの原動力にして行きたい。
Apr 26, 2005
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デジタルっていうんは、アナログを表現するための道具でしかないと思ってます。昨日はヒデちゃんのスクールを去った後、アメリカ留学時代の仲間たちと久々に会うために、青山に向かった。その仲間とは12年前の1993年の夏に、一緒にアメリカに渡り、同じ語学学校で正規留学の準備を1ヶ月半に渡って、バージニア州のとある大学で行った仲間たちだ。わずか1ヶ月ちょっと同じ場所で勉強して、その後、それぞれバラバラの場所に留学した俺たち。でも、その後もその多くがお互いに連絡をとりながら、社会人になってもちょくちょく集まって、自分はまだ一回も参加できてないのだけれど、同窓会なんかも何度かしている仲間たち。今回はできればいつも連絡をとりあっている仲間全員に会いたかったのだけれど、子供がいたり、仕事でどうしてもはずせなかったり、アメリカに留学してたり、海外に住んでいたりで、結局会えたのは4人。でもその4人のうち3人が、なんと12年前に語学学校を出てバラバラにちらばって以来、初めて再会する面々。自分がベネズエラにいたのは2年間。まあこれは大して長くない。でも12年って、結構長いよね・・・。12年も会ってなかったら、もうちょっとなんか違和感あるかなと思ったけど、それがぜんぜん無い。みんな昔のまんま。まるで12年前にタイムスリップしたような、そんな感覚を覚えた。独立してネットマーケティングのコンサルをやっているK。自分より若いけど、もう二児の父。彼と彼の子供の話をしていると、ほんまに楽しそうで、そんなに楽しいんやったら、自分もとっとと結婚して子供をつくるかっていう気になってくる・・・笑ちょうど1年前にアメリカ人の旦那さんと結婚したYちゃん。そのアメリカ人の旦那さんは、台湾と中国に長いこといたらしくて、中国語がめちゃくちゃ達者とか(もちろん日本語も)。う~ん、北京語と日本語を自由に操る白人アメリカ人。いっぺん会って話しをしてみたいね。漢字とか、Yちゃんよりぜんぜん知ってるらしい。興味津々やね。宝飾関係の専門学校で先生をしているJちゃん。相変わらず酒が好きだと聴いて安心した・・・笑彼女とも12年ぶりだけど、彼女が一番変わってないかな。あの喋り方とか笑顔とか、昔のまんま。あの独特な魅力に、さらに磨きがかかっていた。某大手テレビ局で番組の広報をしているMちゃん。旬のテレビ局ネタ。やっぱり中で働いている彼女の生の話はめちゃくちゃおもしろい。「ふ~ん、テレビ局ってそんなんなんや・・・」と感心のしっぱなし。「フリーの時間はできるだけ他の業界の人たちと付き合いたい」っていうMちゃん。テレビ局の人たちの価値観って、結構せまいらしい。そんなところで働きながら、そういう心がけを持って、いろんな人と付き合おうとしている彼女のその姿勢にも感心、感心。ええよね、そういう姿勢。しかし、みんなそれぞれの場所、それぞれの生き方をしながら、とても輝いていて、渡米後の最初の1ヶ月を一緒に苦労して勉強した仲間として、ほんまに嬉しかった。やっぱりアメリカで苦労して得たそれぞれの経験が、みんな生かされているんよね。あの経験があるから、今の輝きがある。今を輝いている彼ら、彼女らとのご縁は、自分にとってめちゃくちゃ大切。これからも大事にしていきたい。ところで、他のみんなを待っている間、Kと二人でビールを飲んでいて、彼がぽつっと言った言葉がを聴いて、自分の耳がビクビク!と反応した。「自分はもう長いあいだ、どっぷりとデジタルの世界に漬かってるんだけどさ、だからこそ自分の子供たちにはアナログを経験させてやりたいんだよね・・・結局、デジタルが行き着くところはアナログだと思うんだよ・・・」う~ん、ついこの間も誰かさんと、同じような話をしていたな・・・。表面的にはデジタルが超高速で進化して、全てをデジタルで飲み込んでしまいそうな様相を見せている今の世の中。でもだからといってそのデジタルの表面的な進化だけを見ていると道を踏み誤る。デジタルっていうものがどうしてそれだけ進化しているのか、その裏になにがあるのか、そして結局はどこに行き着くのか・・・その辺を見ないとね。先進国だろうと後進国だろうと、国の発展も個人の成長も、結局はアナログの世界にあるんだしね。しかしやっぱり人と会うって、めちゃくちゃ勉強になります。さあ、明日は誰と会おうかな。
Apr 24, 2005
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この世の中、ほんまに魅力的な人であふれてますね。先日2年ぶりの再会をしたヒデちゃんが、「おっちゃん、うちのスクールのみんなになんか話をしてくれない?」と言うので、迷わず「ええよ」と返事をした。奴に頼まれたら断れない。奴はそういう男なのだ。最近は連日の飲酒で特に記憶が弱くなっているので、昨日話をしたばかりなのに、もう何を話したのかほとんど覚えてない(やばいね・・・苦笑)とにかく何も考えずにヒデちゃんとその仲間たちのスクールに出向き、みんなの前に立った時点で自分の中に湧き上がってきた言葉をそのまま伝えた。ベネズエラで得たものはたくさんあるが、そのたくさんの中のひとつがこれだ(人前で即席である程度話ができるようになったこと)。まあ内容はともかくとして、突然人前で話せと言われても臆することなく、それなりに形になった話が今ならできる。まあ、いつも内容のない話を、ボキャ貧な言葉でしているので、まだまだこれからなんだけれども、とりあえず人前で話しができるようになったことは自分としては進歩だと思っている。でもこれは自分に話しをする才能があるからとか、特に何か勉強をしたから、そうなったわけでもなんでもない(当たり前だけどね・・・)。進歩したのは、ただ単に実地を積んだから。ベネズエラにいた2年間、日本語、スペイン語、両方の言語で突然話をするように振られたことが何度もあった。その時は「またかよ・・・勘弁してくれよ・・・なんで俺なの?」という思いが一瞬よぎるのだけれども、指名されてしまったら諦めてやるしか仕方ない。まあ、そんなことの繰り返しで、話をすることが億劫でなくなった。今から考えてみれば、自分を突然指名してくれた方々様様だ。まあとにかく、そんなこんなで、ヒデちゃんのスクールで話をさせてもらったわけだけれど、やっぱりいつものとおり、一番勉強になったのは自分。話をさせてもらったこと自体も勉強になったけれども、もっと勉強になったのは、その後のヒデちゃんの話とそれに続く生徒さんたちのディスカッション。目的意識をしっかりもって、さらなる高みへと上がるためにスクールに参加している生徒さんたちの意見交換のレベルの高さには驚かされた。「自分なんか、ぜんぜんかなわへんな・・・」スクールを後にした時の自分の正直な気持ち。でも、「かなわへん」ところにポテンシャルがある。「かなわへん」かったら、かなうまで努力するしかないよね。そう、日々精進するしかないっていう簡単な話。
Apr 24, 2005
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人の優しさって、本当に心にしみますね・・・。昨日も懐かしい面々との再会が続きました。まずはキムの古巣(の一つ)で、ベネズエラに行く前に働いていたWIPジャパン。キムがベネズエラに行っている間に東京オフィスを新しくして、本格的に東京への進出を開始したWIP。在籍中、本当にお世話になったFさん、Uさんの両社長は、2年の時間がたっても相変わらず、やさしく、あかるい笑顔で自分を迎え入れてくださいました。キムが在籍したときには大阪で活躍していたスタッフの面々も、今は東京にいて相変わらず元気で直向きに仕事に向かっていました。完全に自分のわがままでこの会社を辞めたキム。しかも在籍中はたいした成果を出すこともできず、はっきり言って「多大な迷惑」しか残さなかった。にも関わらず、いつもみんなが明るく、やさしい笑顔で迎えてくれる。このWIPという会社の一番の魅力は、やっぱりこのスタッフのみんなの、「無限の優しさと温かみ」なんですよね。「この会社は会社の顔をした人間学を修めるための学校」自分はこのWIPという会社をいつもこう見ていた。どうやらそのユニークな企業方針、風土は健全なようだ。組織からは抜けてしまったけど、WIPのみんなが目指すものも、自分が目指すものも全く同じ。同じ理想に向かって走り続けている限り、自分はこのWIPという会社の一員なのだと思っている。この夜に再会する約束をしていたのは、メコンウォッチというNGOのスタッフをしているAちゃん。彼女の同僚で、このNGOの理事も務めているというMさんと一緒に会いにきてくれた。メコンウォッチというNGOの名前は以前から何度となく聞いていたけれど、実際どういう活動をしているのか一度聞いてみたかった。自分の理解が間違っていなければ、このNGOの基幹業務は、メコン川流域で展開される政府やその他開発援助機関の開発事業を監視すること。日本を含む海外からの開発事業が、メコン川流域の国々の人々の生活や自然環境に悪影響を及ぼしていないかということをチェックして、悪影響が出そうな開発プロジェクトの修正や、実際に出てしまった悪影響を、地元のNGOなどと協力して問題解決するということをやっている組織がメコンウォッチ。(という理解なんやけど、Aちゃん、間違ってたらコメントして修正してね・・・)「なかなかうまくいかないこと、納得のいかないことが多くて大変だ・・・」と語ってくれた二人に、「じゃあ、今、全能の神様が目の前に現れて、自分達の仕事を助けるために、何か一つだけ願いをかなえてあげるって言ったら、なんてお願いする?」と聞いてみた。返ってきた答えが意外だった。「海外援助を止めること」日本政府がメコン流域で展開している開発援助は、本当にそこに住む人たちの幸せを考えて行われていないというのが彼女たちの意見。日本は開発援助を単なる「外交手段」と「日本企業の儲け」のために行っているので、どうしても「援助金額重視」になっているのだそうだ。しかも、今は、中国が同じ地域に開発の手を伸ばしていて、自然環境なんか無視して、どんどんメコンの上流にダムやらなんやらを建設中とか。それを見て、日本政府は中国に負けまいと、なおさら「金額重視」の開発プロジェクトを増やしているというのだ。こんな旧来からの「ひも付き援助」とか、「金額重視の援助」なんて、日本政府はとっくの昔に卒業していると思っていたのだが、甘かった。さらに二人はとても興味深い(でもとても残念な)話しをしてくれた。このメコン流域の国々で活動する日本のNGOのほとんどは、この「本当は人々のためにならない援助」のための援助金を、「もっと増やせ!」と日本政府に要求しているというのだ。そして、まあこれは想像できることだけど、やはり日本政府に資金補助を受けたNGOは、政府がやるプロジェクトに厳しいことを言うことができず、馴れ合いになっているとか。まあいくらNGOだとかNPOだとか言っても、結局お金の問題ってシビアーなんで、そんなNGOの気持ちも分からなくもないけど、やっぱりNGOっていうのが政府と馴れ合ったらその存在意義がなくなるよね・・・。やっぱり政府やら大企業をかなり辛口に、厳しく監視して、必要なときはとことん喧嘩するくらいの気概(とんがり)があるのが、NGOの存在意義だと思うな。いろんな苦労があるなか、そのとんがりを持ち続けて活動し続けるAちゃん、Mさん。大変やと思うけど、がんばれ!またお話し聞かせてね。
Apr 23, 2005
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たまには「ボキボキ」やってもらうもんですね。生まれて初めてカイロプラクティックなるものを経験した。カイロプラクティックどころか、今までマッサージやら整体やら、その手のものは、まったく経験したことがなかったので、言ってみれば「代替医療」初体験となる。キムの「施術」を担当してくれたのは、野村時代の同期で、飯田橋でサロンを経営している「いんちょー」こと、ヒデちゃん。2年前、日本を離れる直前にも、いきなりサロンに顔を出した。なので、ヒデちゃん、そしてサロンスタッフのみなさんと再会するのはちょうど2年ぶり。ヒデちゃんとその仲間たちの事業は「絶好調!」だと聞いていた。スタッフセラピストのTさんそれにAさんと2年ぶりに再会して納得。お二人とも2年前とは比べ物にならないほどの「自信」を、全身からかもしだしていた。「2年という短い時間は、これまでにも人を変えうるもんなのか・・・」彼らを目の前にしながら思った。いや、正確には「時間」が彼らを変えたのではなく、「彼ら自身」が彼らを変えたのだ。さて、楽しみにしていた「いんちょー」の施術。「じゃあ、マジでやるぜ?」という「いんちょー」の声に、思わず「マジでやってええけど、たのむから殺さんといてや」と念を押した。「施術」前に彼が「今、どこか悪いところあるの?」と聞くので、「いや、頭と顔以外は、特に悪いところないけどな・・・」と冗談半分(本気半分)で答えた。しかし、実際に彼に「施術」してもらうと、体のいろんなところが歪んでいることがわかり、その歪みから出る症状を「いんちょー」が指摘するのを聞いて、「そういえば、確かに、そういう症状があるなあ・・・」ということがたくさん出てきた。そのひとつひとつの歪みの原因と、ほうっておいたら歳をとってからどういうことになるか、どうすれば歪みがとれるかということを、「いんちょー」は丁寧に説明してくれた。彼の施術料金は業界水準と比べると、「めちゃくちゃ高い」らしいが、こうやって体の歪みとそこから起こりうる将来の大病の予防ができるということを考えれば、安いもんだなと思った。それに何よりも「施術」の後、無意識のうちにずーっと抱えていた、背中やら肩の凝りが全部とれて、とてもとても楽になった。「いんちょー」が「今晩はきっとぐっすり眠れるよ」と繰り返した言葉のとおり、昨晩は久しぶりにぐーっすりと眠ることができた。まあしかし、やっぱり一番よかったのは、2年前にヒデちゃんと会って話しができたことかな。彼の他に比類のないエネルギーとその真剣な生き様に触れることは、いくらお金を積んでもあまりある。この点、2年前のヒデちゃんも、今の「いんちょー」も、全然変わってなかったので、安心しました。
Apr 22, 2005
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また自分を見つめなおす良い機会が巡ってきました。ベネズエラでの活動報告や健康診断からなる3日間の「帰国後研修」なるものが昨日で終了しました。つまり今日から正式に「ぷー太郎」になった訳です。肩書きを持つがために「やらなければならないこと」が完全に無くなった。今日から毎日が日曜日。今度の長期ボランティア活動終了を含めると、31歳にして既に4回の転職を繰り返している自分。今から振り返ってみれば、この「ぷー太郎」であった時間は、自分にとってとても貴重な時間でした。それぞれの「ぷー太郎」時代が、自分のこれまでの人生の節目、節目になっている。肩書きが無くなること。そして、24時間が自由時間になること。これがいやでも、「自分とはいったい何者なのか」という、考え出すと切りが無い命題についての思索へと自分を導く。そして、その時、その時の「とりあえず」の答えを出し、また一皮脱皮して次の一歩へと踏み出す。この「脱皮の時間」はいつもいつも新鮮で、次に自分は何を選び、どう踏み出すのかというなんとも言えないワクワク感がある。ということで、そろそろこのブログも脱皮の時機が来たようですね。近日中にどう継続するのか、それとも完全に閉じるのか、決めたいと思います。
Apr 21, 2005
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今さっき到着しました。今、品川のネットカフェからメールしています。4月5日にカラカス(ベネズエラ)を出て、キューバに10日間滞在した後、一昨日ハバナ(キューバ)からトロント(カナダ)に移動し、一泊した後の13時間のフライトで、数時間前に成田に着きました。もう20年以上も米国の経済封鎖を受けているキューバ。物が全くないと言えば嘘ですし、ベネズエラでの生活で慣れている自分には、キューバでの10日間の滞在に、まったく違和感がなかった。しかし出会ったキューバ人はみんな、ベネズエラ人に比べても極めて質素で、ある物、古い物を修理して、大事に使うという生活をしていました。そんなキューバでの10日間を経てカナダのトロント。いわゆる「先進国」という場所に2年ぶりに足を踏み入れて、正直、疑問に思いました・・・「なんでこんなに物が必要なのか?」「なんでこれまでに資源を消費して、過剰とも見える整備をする必要があるのか?」「ここで売られているものは本当に必要なものなのか?」「なんでこんなに全てが使い捨てなのか?」「なんで1個4500ドルの時計が必要なのか?」どうりで先進国という国の物価(生活コスト)は高いはずです。社会自体が、異常な資源大量(無駄)消費構造になっている。そしてその大量消費の原動力はもちろん、「広告」「コマーシャル」です。こんなこと前から分かっていたはずですが、今回、キューバ経由でカナダ、日本に入り、この先進国と言われる国々の異常さがはっきりと見て取れました。キューバには商品広告もなければ、コマーシャルもない。故に街中がとても個性的に見えた。どこに行っても、そこにしかない独特の味があった。反面、広告だらけのトロントの街には、なんら個性も味もなかった。とかなんとか言いながら、1,2週間もすれば、自分もまたこの消費の病気に犯されて、元の先進国資本主義人に戻ってしまうのでしょうが・・・(一応、ささやかな抵抗は試みてみるつもりですけどね・・・笑)取り急ぎ、帰国のご報告まで。
Apr 17, 2005
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とうとう明日に迫りました。29日にCDB(シウダボリバル)のみんなにお別れのFiesta(パーティー)をしてもらって、30日に後ろ髪を引かれながら、CDBを発ち、それからもう6日。首都カラカスでお世話になったたくさんの人たちへ、お別れのご挨拶周り。こうやってまとめてご挨拶周りをしてみると、自分がこの2年間、ベネズエラでどれだけ多くの人に支えられて生きてきたかということが、身に沁みて分かりました。いくらお礼を言っても、自分の感謝の気持ちを伝えきることができない。ほんとうに、ほんとうに、ただただ「ありがとうございま」と言うしかない。感謝表現が下手糞な自分には、この言葉しかないのが、なんともつらい。。。他のボランティアの仲間たちは、もうカラカスを去って行きました。キューバ行きの飛行機が一日おきにしかない自分は一日遅れでベネズエラの地を離れます。なんとも複雑な心境です。また人生の新しいページへと踏み出すその興奮と不安が入り混じった感情と、この慣れ親しんだベネズエラにこのまま留まりたいという気持ちが、ごちゃごちゃに混ざって、自分でもなんともいえない心境にいます。しかし踏み出すしかない。立ち止まることは許されないですからね。明日(5日)の正午にはキューバへ向けて発ち、15時にはもうハバナの地に降りている予定です。さてこれから日本にたどり着くまで、どんなドラマが待ち受けているのか、本当に楽しみです。おそらくキューバからは日記に書き込むことはできないと思います。お土産話は東京に着いてから(17日以降)のお楽しみということで。「この道を行けば どうなるものか危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わずにゆけよ ゆけばわかる」ありがとうございます。
Apr 4, 2005
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