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出会いがあれば別れもある。これが宇宙法則。もう後2回ほど寝ると、この2年間暮らしてきた我が愛しのシウダ・ボリバルともしばしのお別れ。2年前に到着した時はもちろん「愛しの」なんて呼べる余裕はなかった。とてもじゃないけど奇麗だとは思わなかった町並み。とてもじゃないけど上品とは言い難い人々。半端じゃない暑さ。黄色い水のシャワー。蚊の大軍。正直言って、なんで俺はわざわざ好き好んでこんな所に来てもたんや・・・と思った。でも、そんな町も2年もたてば都。町を歩けば必ず誰かが「エッパー、エルマーノ!」(よお!兄弟!?)と声をかけてくる。同僚のみんなとも本当に自分の家族のように親しい関係になった。時間がたてばたつほど、その「なんでこんな・・・」と最初思った場所に同化して行く自分がいた。でもそのプロセスは2年という時間制限つき。はじめから分かっているものの、いざ目の前に直面してみるとやはりなんとも切なく、悲しいものがある。本当はとても涙もろい自分。昔は別れの度に必死で涙をこらえていた。でもいつのまにか、別れは必然と納得してしまった。出会いがあれば必ず別れがある。そしてそれはとても普通のことで自然なことなのだと。はっきり言って、つまらない悟りを得てしまった。でもそのおかげで別れの辛さが和らいだ。やっぱり明日も泣かなへんのやろな・・・。
Mar 29, 2005
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「多くの地球人はまだまだ眠っているよ・・・」ベネズエラで仕事をする日も実質的には残り明日一日だけ。というのも、今週はセマナサンタの週なので、正式には木曜日から、早いところだともう先週末から来週末までお休みなんです。そして連休をあけるともう日本に帰る支度をしてここのみんなにお別れをして首都に上がらなければならない。遂にキムのベネズエラ滞在も秒読み段階に入ってきました。有難いことにキムとの別れを惜しむ友人やら職場の同僚やらが毎日、毎晩のようにパーティーやらランチやらに誘ってくれるので、最近今までになく大忙しです。(まっ、楽しいからええんやけどね・・・笑)ということで、今週から、キューバとカナダを経由して日本に戻って落ち着くまでは、日記の書き込みもかなり不規則になると思います。毎日オリボーの更新を楽しみにチェックしてくださっているみなさんには申し訳ないですけど、ご勘弁くださいね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、年末年始の旅行記の最後のネタ、「アルフォンソとの出会い」の続きです。ドシャ降りの雨の中、ガソリン輸送のトラックに乗って命がけでカンタ・ラナに着いたわれわれを待ち受けていたのは、小さな売店とポサーダ(民宿)を経営しながらいかにも細々と静かに暮らしているといった雰囲気の、ごく「フツ~」の中年のおっちゃんでした。その見た目はごく「フツ~」のおっちゃんがアルフォンソ。われわれがカンタ・ラナまで彼に会いに来たそのいきさつを簡単に説明すると、「話をしましょう」と快く彼の家(兼ポサーダ)に招き入れてくれました。しかし話をし始めてすぐに、やっぱりこのおっちゃんは「ごくフツ~」じゃないことが分かりました。まず彼がわれわれに伝えてきたことは、彼がViajero Espiritual(直訳:スピリチュアルな旅行家)で、よくアジア方面にも旅行するということ。もちろんバックパッカーをしてアジアのスピリチュアルな場所をよく訪れるという意味じゃないですよ。そういう物理的な旅じゃなくて、異次元世界を通じての旅です。なので、彼は自分の魂のルーツとしてアジアとの結びつきが強いと言っていました。もちろん彼は物理的にはどっから見てもアジア人には見えない。ベネズエラに普通に居る、スペイン系(ヨーロッパ系)の男性の姿形をしている。そして、次に彼が伝えてきたことは日本の昭和天皇が、よく彼のところに訪ねて来ていたということ。どうです?やっぱり言うことが「フツ~」じゃないでしょ?(笑)もちろん昭和天皇がこの彼の住むこのド、ド、ド田舎のカンタ・ラナに物理的に遊びに来ていたという意味じゃないですよ。昭和天皇が異次元を通じて彼のところに訪ねて来ていたということです。そして彼いわく、昭和天皇は本当の天皇としての力(エネルギー)を持った最後の天皇だったのだそうです。それもポジティブなエネルギーではなく強烈にネガティブなエネルギーを持った。ネガティブと言っても、もちろん「悪い」という意味ではないとアルフォンソは付け加えました。陰陽の関係と同じで、善悪ではなく+・-のネガティブという意味。その-エネルギーのなす業を彼がどう定義したかは忘れてしまいましたが、なんせ、昭和天皇はその強烈なネガティブエネルギーを持った最後の本当の意味での天皇だったと彼は言っていました。まあ全部は語りませんが、こんな感じで彼との話が始まり彼の言うことを集中して聞いているといつの間にかどこから現れたのか、彼の奥さんと娘さんだという二人の女性が彼のそばに立ってこちらを眺めていました。彼の奥さんはドイツ人。20年も前に、現代的な生活とは違った生活を求めてベネズエラからブラジルへと渡ろうとしているとき、たまたま国境の手前で西側へと寄り道をしてアルフォンソが住む今の場所に辿りつき、以降ずっと彼と一緒に暮らしているのだそうです。まあこんな感じで、ちょっと「フツ~」ではない話をひととおり終えると、アルフォンソはわれわれを彼のポサーダのすぐ裏にあるという滝へと案内してくれました。さっき降った瞬間豪雨で増水しものすごい勢いで流れ落ちる流水。その絶え間のない轟音の中、今度は、アルフォンソと二人きりで話をしました。彼は開口一番、「自分は今、神と話をしている」と言いました。今まで何度となく聞いたことのあるこの言葉。でも彼の発したこの言葉からはこれまで同じセリフを聞いたときに感じた「宗教臭さ」がなかった。直感的に、彼が、宗教が定める「神」ではなくもっと別の「神なる存在」のことを言っていることが伝わってきました。「全て、われわれの本性は神なる存在です・・・」「この肉体としての身体は単なる『乗り物』でしかない・・・」「われわれはミクロコスモであり、この無限の大宇宙と全く同じ構造をわれわれは持って存在している・・・」「いまこの大宇宙(マクロコスモ)と小宇宙(ミクロコスモ)としての地球には、ものすごいスピードでトランスフォーメーション(波動の急上昇)が起こっている・・・」「しかし、まだまだ多くの地球人は眠ったままです・・・」「自分は眠れる地球人の覚醒のために、今ここに存在していて、時には異次元を通じて世界中を旅し、必要な場合には他人の身体に入ってまで、覚醒を促す仕事をする・・・」「すべての人にはそれぞれ、この大宇宙によって定められたファンクション(役目・役割・機能)があり、そのファンクションを生きることが、人が人として命を受ける理由です・・・」滝の轟音をBGMに彼はその他さまざまなメッセージを語ってくれました。彼との対談が終わった時、どうしてこんな地球の果てのような場所にあんな危険な経験をしてまで行きたいという衝動に駆られたのかその理由が分かりました。多分、このアルフォンソというちょっと「フツ~」じゃないおじさんのメッセージを受け取るためだったのです。オマケでちょっと面白い話をもう一つ。アルフォンソファミリーは、家に3匹の犬を飼っているのですが、その3匹の犬の名前を聞くと、こんな答えが返ってきたのです・・・「これが『センリ』で、こっちのが『アスカ』、あちらが『シングウ』と言うんだよ・・・」それを聞いて、「それって全部日本の地名だけど、知ってて命名したんですか?」と尋ねると、「ええ、そうなの?知らなかった・・」とびっくりしてました。3匹の犬の名前が全部「関西の地名」っていうのも、なかなかオツですね・・・(笑)しかし、さすがに関西の地名を名前に持った犬です。すぐにこの関西人であるキムに懐いていました・・・関係ないか・・・(笑)でも、どういうわけか、彼らをナデナデしていると、とても懐かしい思いがしたのは気のせいでしょうか・・・。場所、人、そして犬までもが、とても心地良い波動を持った、このカンタラナ。また近いうちに訪ねて行きたいと思っています。(おわり)*写真:アルフォンソの家の裏にある滝
Mar 22, 2005
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「後で考えてみたら、それは全部自分のことだったんだ・・・」さて、では、なんで昨日書いたみたいな危険なヒッチまでして、そんなサバンナの奥の奥にこっそりと住む、アルフォンソという人物に会いに行ったか。その理由はひとつ。例の「UFOおじさん」が、このアルフォンソについておもしろい話をしてくれたからなんです。「UFOおじさん」と聞いて、誰のことかすぐに分かる人は、もうかなりの「オリボー」オタクですね・・・笑書いた本人すら、「UFOおじさん」について何を書いたか、はっきり覚えていない。今、過去の日記(「UFOおじさん」3篇)をチェックしてやっと思いだしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前にも書いたように、このグランサバナで「UFOおじさん」として知られる、ロベルト。この広大なグランサバナにおける、膨大な数のUFO&宇宙人目撃事例をひとつの地図にまとめた人です。その地図を作るために調査している時、このアルフォンソというおじさんが、様々な地球外生命体とかなり密にコンタクトを取っているという情報を得て、彼が住む、そのサバンナの最奥の場所、カンタ・ラナを訪ねたのでした。その時の二人の会話の一部を、彼のツアーに参加している時に、ロベルトが教えてくれたんです。その内容はこんな感じでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ロベルト)「『なぜ、地球外生命体は、この地球にやって来ているのか?』って、アルフォンソに聞いたんだよ。そしたら彼はこう答えたんだ・・・」(アルフォンソ)「どうして君はそんなことを知りたがるんだい?みんなそうやって、地球の外のこと、調べても調べても到底解明できないような未知の世界のことを知ることには熱心だけれども、この地球上の自分の身近に起こることには、全然注意を払わない。もう4年も前から同じマンションに住んでいるにも関らず、隣近所に誰が住んでいるかも知らない。もう1年ちかくも自分の兄弟に電話一本すらしたことがない。コミュニケーションが足らないことが原因で夫婦の仲がおかしくなって、遂には離婚にまでなる・・・。そんな身近なことにすら自分の注意と愛情を払えない人が、地球外生命体が地球に来訪している理由なんて知ったところで、どうなると言うんだい・・・」(ロベルト)「自分はなるほどと思ったんだよ。確かにわれわれは、地球外生命体のことを知ろうと必死だが、肝心な自分たちの身の周りのことは、ついつい疎かにしがちだ・・・。まあこんな感じで、はっきりとした答えを彼から得ることなしに、彼との面会は終わったんだよ。それで、帰り道の車の中でね、彼との会話を思い出していてね、「はっ!」としたんだ。さっき彼が言った、マンションの近所との関係、兄弟との関係、夫婦関係の話、それは全部自分のことだって気がついたんだ。でも、自分はそんなこと一言も彼に言っていないし、もちろん彼とはその日が初めてで、それまでは面識がなかった。それなのに、なんで彼は自分のそんなプライベートなことを知っているんだ?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今でもたまに街でアルフォンソを見かけると、「まだUFOがいるとか、いないとかの調査をしてるのかい?」って、笑われると言うロベルト。「どうやら、彼はそんなレベルをはるかに超越しているようだから、もしパウヒに行くんだったら、彼のところまで足を伸ばしてみるといいよ。とても面白い人だから・・・」この一言を聞いて、パウヒに行ったらアルフォンソというおじさんに会いに行くと即決定。それで、昨日書いたとおりの道程を辿って、やっとのことで2005年の第2日目に、当人に会うことにあいなったのでした。(つづく)
Mar 18, 2005
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久しぶりに死ぬかと思いました。また昔話です。はっきり言って、この前の冬休みの旅行の話、書き出すと切りがない。それほどネタが多い。あまりにも印象深過ぎる旅行。まあ一生忘れることができない旅行。でも、もう4月になろうと言うのに、いつまでも昔のことをダラダラ書いているのも性に合わない。しかもあと2週間ちょっとでベネズエラを去って、またまた濃~いそうな国、キューバに飛ぶので、そこでも色々あって旅行記を書きたくなるに違いない。なので、あとひとつだけネタを紹介してやめますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アルフォンソというおじさんの話です。例のなーんにもないサバンナのど真ん中に存在する、エリベルばあちゃんが住む「光の農園」”ランチョ・ルス”より、さらに人里離れた奥の奥に、”カンタ・ラナ”という場所が存在します。でもこの場所、集落でもなんでもない。唯単に彼と彼の家族が小さな売店と民宿を営んでいる、ほんと~の、ほんと~に、な~んもない場所なんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、なんでそんなガイドブックにも、一行も、一言も紹介されていないような場所に、わざわざ死ぬような思いをして行ったのか。ああ、「死ぬような」と言うのはですね、下の写真を見てほしいんですけど、この写真に載ってる、ガソリンをドラム缶にパンパンに詰めたトラックをヒッチして、彼のところまで行ったからなんです。ずっと読んでくれてる方は覚えていてくれてるかもしれませんけど、サンタ・エレナからパウヒを通って、ずーっと西に伸びている未舗装のこの一本道。通常、トヨタのランクル(四駆)じゃないと通れないような、土の溝だらけのボッコンボッコンの道なんです。途中、崩壊している橋やら、川やらを四駆でもゆーっくり、ゆーっくり通っていかないと進めないような、自分が知る限り、史上最悪の道なんですね。で、われわれは無謀にも、そんな場所で、このガソリンでパンパンのトラックをヒッチして、この運転席じゃなくて、この運転席の上、頭の部分に腰をかけて、アルフォンソのいるカンタ・ラナまで行ったんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多分乗っていたのは1時間もなかったんじゃないかな。でも、はっきり言って何時間も乗っていたように感じました。なぜかと言うと、唯でさえ最悪の道なのに、その上、このトラックに乗ってすぐに、どしゃぶりの雨になって、すぐにその最悪の道がドロンドロンの川に変身したんです。そしてそんな中、このトラックの運ちゃんはなーんにもないかのように、ドンドンと進んで行く。運転席だと、あんまりトラックの傾きは感じないのかもしれませんが、この頭の部分に土砂降りの雨の中、腰かけているわれわれには、もう今すぐにでも、このガソリン詰めのトラックがおもいっきり横転するんじゃないかと思えるような、そんな45度以上にも感じられるような、傾きの連続。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、ほんまに死ぬかと思いました。あれがマジで横転してたら多分命はなかったでしょうね。とにかく、そんな怖い思いまでして、アルフォンソというおじさんに会いに行った訳です。まあ、その理由はまた次回。(つづく)
Mar 17, 2005
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そう言えばベネズエラでアトピーの人やら花粉症の人なんて、聞いたことないな・・・。今日はちょっと忙しいので日記をお休みしようと思ってました。でも今ご縁があってめぐり合った「変なお百姓さん」のウェブサイトに、藤田紘一郎という先生のおもしろい話が載っていたので、これを紹介しておきます。昔に比べてゴキブリやねずみが増えたのは、空気中の細菌や微生物のバランスが大きく崩れているからだということは知っていましたが、まさかお腹の中の寄生虫が、アトピーや花粉症の増加に影響しているとは知りませんでした。この身体というミクロコスモ(小宇宙)、やっぱり奥が深いですね。この宇宙の全ての全ての生命に、その存在意義があるということも再確認です。どんな極悪菌にも、病原菌にも、どんな極悪人と呼ばれる人にも、存在意義があるんです。そのすべてのすべてが、この宇宙のバランスを取るために必要なんです。さあ、今日からもっと不潔にしよっと。ん?そういう話やないって?・・・・(笑)ではまた明日。
Mar 16, 2005
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かなりいい線行ってるってことですね。昨日の日記は、チャベス大統領の外交について書きましたけど、ちょうど今、ファイナンシャル・タイムズに、こんな記事が載っていました(英語が読める方は読んでみてください)。記事のタイトルは 《Bush orders policy to ‘contain’ Chávez》「ブッシュがチャベスを「阻止せよ」と命令する」この Contain という言葉を聞いて、すぐにベトナム戦争を思い出しました。アメリカで外交史を勉強した時に、この Contain という言葉が、やたらと出てきた。この Contain という言葉には、「有害なものがこれ以上広がらないように抑制する」とか「封じ込める」という意味があります。ベトナム戦争の時は、この言葉の意味は「共産主義を抑制する、阻止する」という意味で使われていた。知ってる人も多いと思いますが、ベトナムでの戦力増強の大義名分が、この共産主義の《Contain》だったのです。その戦略の無残な結果は、ご存知の通りです。さて、さっきのフィナンシャルタイムズの記事の内容。簡単に関西弁でまとめると、米国国務省の言い分はこんな感じです。「もうベネズエラのチャベスは我慢ならん。めちゃくちゃあからさまに石油で儲けた銭を使って、ボリビアやらペルーやら、南米の政治的に不安定な国を余計混乱させようとしとる。まるでハイエナみたいなやっちゃな。こんな弱い者いじめする輩をほっとけるわけないがな。もうこれまでのやり方やったら話にならんから、今からはちょっとマジで封じ込めにかからなあかんと思ってます・・・」さて、これを米国政府の本音から読むとどうなるか。「このチャベスとかいう軍人あがりの大統領。どうせ長続きせえへん、ありきたりの左翼独裁者かと思てたら、ベネズエラ国内の支持率はめちゃくちゃ高いし、南米だけやのうて、世界中を飛び回って石油やら天然ガスやらの輸出やら技術協力の提携やら結びまくって、どんどん仲間を増やしてるやんけ。ラテンアメリカの国の絆を強めて、EUみたいな共同体を造るとか言うてるしな。EUだけでも相当うっとおしいことになってるのに、加えて中南米まで団結されたら、わしらようやっていかんがな。しかも内(米国)に輸出してる石油もいつでもストップしたるって脅してきよる。こいつは早いことなんとかせんとかなりやばいことになるかもしれんな・・・」この記事では、「南米の不安定」を煽っているから、チャベスを抑えないといけないという論調ですが、実際はそんなケツの穴の小さい話ではないのです。米国が Contain 「封じ込める」と言う理由は、実は逆に自分たちが「封じ込められる」という、米国の恐怖心の裏返し。まあ構図としては、嫌われ者が、人気者に嫉妬して、その人気者を力ずくで叩き潰すといった感じです。しかし果たして、人気者を力ずくで叩き潰したところで、その嫌われ者が支持を得て、人気者になることができるか?こんなこと、小学生でも、いや、幼稚園児でも分かることですよね。答えは「No」です。さて、そんな米国が、これから「チャベス抑制」に向けてどんな戦略をぶつけてくるのか、注目したいと思います。でも、どうせまたあからさまに無謀な戦略なんだろうな・・・。しかし、どうしたらこの米国の「恐怖心」を取り除いてあげることができるんでしょうね・・・。そんなに怖がないといけないことなんか、なーんもないのに・・・。
Mar 15, 2005
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今世界で注目されているホットなVIPが二人もやってきました。昨日、3月12日(土曜日)はベネズエラの「国旗の日」でした。前の晩、ちょっと遅くまで友達と飲んでいたので、ついつい起きるのが遅くなってしまった。でも、最近首都滞在の連続でご無沙汰していた週末の「キープウォーキング」を再開しようと、ジョギングシューズを履いて外へ。さすがに「国旗の日」だけあって、ベネズエラの黄・青・赤3色ストライプの鮮やかな国旗が、いたるところに揚げられている。日本の日の丸と比べると、かなり派手なベネズエラの3色国旗。朝早くからお日様がガンガンに照るこの熱帯の国には、どういうわけかその派手さが良く似合う。歩き始めてすぐに、国旗が普段よりも多いこと以外に、ちょっといつもと町の雰囲気が違うなと感じました。やたらと交通量が多い。土日の午前中は、普段よりも交通量が少ないはずなのに、やたらと車が走っている。なんでやろうと思いつつ、空港へと続くタチラという高級住宅街のメインストリートへ入って行ってその理由が分かりました。眼前には自動小銃を持った国家警備軍の軍人さんが一定間隔を置いてずらりと立っている。「ああ、そう言えば、今週末にチャベス大統領がシウダボリバルに来るって言ってたな・・・」キムが住むシウダ・ボリバルは、一応ベネズエラで一番大きな州(だったと思う)のボリバル州の州都。でも、人口はせいぜい2、30万人で、大して重要な産業もない、小さな町。では、なぜそんな田舎町にわざわざ大統領が来るのか?それは、国旗の日だった昨日12日に、シウダ・ボリバルの郊外に14年間も使用されず放置されていたトラクター生産工場が正式にオープンし、そのオープニングセレモニーにチャベス大統領が出席することになっていたのです。それも、もう一人の世界のVIPと一緒に。そのもう一人のVIPとは、イラクの次にアメリカの軍事侵略のターゲットになっているイランのハタミ大統領。実は、この14年間無使用放置されていたベネズエラ初の国産トラクター生産工場、イランの技術協力を得て改装オープンすることになったのです。なので、この工場をオペレートする新会社の名前も「ベネ・イラントラクター」(そのまんまやね・・・)と言います。いつもより交通量が多いと感じたのは、警備目的で、空港周辺道路が全部封鎖されていて、ほかの通りへと車が全部集中していたから。と言っても、こちらはただのウォーキングエクササイズ中のチーノ、じゃなかった、ハポネス。いくら大統領が来るって言っても、いつもの自分のウォーキングルートを変えるのもしゃくだし、歩道は封鎖されてないみたいだったので、軍人さんたちが並んで警備している中を通って行きました。しかし予想どおり、2回ほど軍人さんに止められました。1回目は、自分の行き先が空港の横の公園であることを伝え、簡単なボディーチェックを受けてパス。しかし2回目はあっさりと、迂回するように命令され、仕方がなくルート変更。とは言うものの、行き先である公園は、空港敷地のすぐ横にあるので、滑走路と金網フェンス一つをはさんでいるだけの道をどうしても通らないと、公園には着けない。また別の軍人さんに聞くと、公園は今日も開いているということだったので、その公園に行きたいんだと言って、その道を通らせてもらいました。その時ちょうど目の前の滑走路に、シウダボリバルへの運行がないはずの航空会社の飛行機(最新のボーイング)が、爆音を立てて着陸して来ました。続けて、小型のプライベート機が着陸。どうやら前のボーイングにはハタミ大統領の一行が。後の小型機にはチャベス大統領が乗っていたようです。2時間ほどして家に戻ってテレビをつけると、先ほど空港に到着した2人のVIPは、すでに郊外のトラクター工場に着いていました。テープカットの後、記者会見。生まれて始めて、イスラム国の大統領のスピーチをライブで聞いた。確かイランは米国政府が決めた「悪の枢軸国」に含まれていたことを思い出しました。しかし立場が替われば、悪が善になる。チャベス大統領はハタミ大統領のことを、「エルマーノ(兄弟)、ハタミ」と呼んでいました。国内政治の安定を確実にし、最近は特に外交に力が入っているように見える反米のリーダー、チャベス大統領。彼の外交先を見ていると、米国発のニュースでは見えない、将来の世界の動きが垣間見られます。そんなチャベス大統領の3月に入ってからの外交先は、ウルグアイ、インド、カタール、フランスでした。米ドルと軍事力で世界を牛耳ろうとするアメリカ。そんなアメリカの孤立化を狙って、着実に絆を強めるその他の国々。最終的にその勝敗がどちらにあがるか、その結果はもう見えているように思えます。いくらアメリカと言えども、全世界を敵にまわして勝てるはずがない・・・。「世界の嫌われ者」の運命は衰退、崩壊です。現在のアメリカのその無謀な政策を見ていると、そのあまりもの無謀さに、可哀想になってくる。衰退、崩壊した後のアメリカという「20世紀の大国」を、救ってあげるのが、「和」の国でしょう。最後に「エルマーノ、ハタミ」が昨日語った言葉を・・・“El presidente de Estados Unidos, en su obsesión de ser el dueño del mundo, ha dicho que es un enviado de Dios para salvar al mundo. Dios nos tiene que salvar de él para salvar al mundo”「全世界を自分の所有物にすることに取りつかれている米国の大統領は、『自分は世界を救う神の使者だ』と言ったことがある。(しかし)世界を救うためには、神は我々を彼(米国大統領)の手から救わなければならない」
Mar 14, 2005
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「この手紙は俺に宛てられた手紙だって、直感的に思ったんだよ」エル・パウヒというほとんど人のこないベネズエラの東南の果て、ブラジルとの国境近くの集落。その小さな小さな集落すらからも約1時間も離れた、なーんにもないけど豊かな場所、光の農園、ランチョ・ルス。そのランチョ・ルスでエリベルばあちゃんのお手伝いさんとして、多くの時間を彼女と過ごす謎のおっちゃん、フレディ。ここに来る前はベネズエラの反対側、西の果ての州に住んでいて軍人として働いていたという彼。なんでそんな彼が、今、こんな場所にいるのか。興味津々で、どうやってここにたどり着いたのか、彼に聞いてみました。もう20年近く昔と言ってたでしょうか。その時、エリベルばあちゃんが勉強をしていた、とある神秘学のグループがあったのだそうです。神秘学といっても、いわゆる占いとか魔術とかではなく、エリベルばあちゃん曰く、「この宇宙の構造や、宇宙の真理を学ぶための学問」このランチョ・ルスを、子供たちが自然に囲まれ、平和に、安心して暮らせるようなコミュニティにしたいという願いを持っていた、そして今も持ち続けているエリベルばあちゃん。自分の住むランチョ・ルスを、その神秘学グループの中で紹介するために、当時フレディが住んでいた、ベネズエラの西の果ての州にあったグループ支部みたいなところに一通の手紙を出したのだそうです。そして、そのエリベルばあちゃんが東南の果てで書いた手紙がそこに着き、そのグループに属する2人の若者が、図書館でその手紙について、小声で話をしていたのだそうです。その時、その図書館の、その2人の若者(もちろんフレディとは赤の他人)の、すぐ近くで本を読んでいたフレディの耳に、その二人の会話が入ってきた瞬間のこと、フレディは、「その手紙は俺に宛てられた手紙だ!」と、直感的に思って、その手紙をその二人の若者に読ませてもらい、そのまますぐに荷物をまとめて、国の反対端にあるという見知らぬ地、ランチョ・ルスのエリベルばあちゃんを探し求めてここにたどり着き、そのままここに定住することになったのだとか。なーんか知らないけど、この経緯を語ってくれた時のフレディが、自分にはめちゃくちゃ格好良く見えた。その自分の直感を信じて、即決、即行する、決断力と行動力が、きっとその理由でしょうね。歴史に「もし」は通用しませんが、もし、あの時、エリベルばあちゃんが手紙を書かなかったら?もしあの時、フレディがその図書館で本を読んでいなかったら?もしあの時、図書館で本を読んでいたフレディが、その若者の近くに座っていなかったら?きっと、われわれとフレディの出会いもなかった。きっと、フレディが我々を、人生で最高の元日(初日の出)を迎えた、あの場所に連れて行ってくれることもなかった。。。「人生って、ほんと~におもしろいなあ・・・」って、彼の話を聞いて、心底そう思ったんです。これやから、人生やめられまへん・・・笑
Mar 11, 2005
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「お前は馬鹿だ」と言われたことが、ようやくとてもありがたいと思うようになりました。今朝、毎度のように朝一番から勤務先のディレクターの愚痴を一通り聞いて自分のオフィスに戻ると、どういう関係があるのか知らないが、もう何年も前に、とある人物に言われた言葉を思い出しました。その言葉とは、「君は所詮馬鹿なんだから、体力で頑張りなさい」という言葉。この言葉を発した人物とは、自分が大学を卒業して最初に働いた野村証券という会社の取締役。日本の就職活動のことなどなーんも知らず、まだ頭の中身は半分以上アメリカボケした状態、ルックスは海兵隊カットという格好で、何の準備もせずにノコノコと生まれて初めて就職説明会なるものに出かけて行った自分。何か知らないけど、そのまま何度もとっかえひっかえ出てきた社員さんと面接している内に、東京の本社で面接を受けさせられ、その面接が終わってすぐに、偶然エレベータで一緒になった取締役さんに言われた言葉が、この「君は所詮馬鹿なんだから、体力で頑張りなさい」という言葉だった。確かに自分はとてもじゃないが頭が良いとは言えない。それは自分でも分かっているから、まあ良しとしよう。それにしても、なんなんだその言い方は!大企業の取締役になったら、人に面と向かって「君は馬鹿なんだから」なんて平気で言ってもいいっていうのか!!社会で偉くなるっていうことは、そういうことなのか!!!「頑張りなさい」ということは、まあ最終面接は合格したということなんだろうけど、はっきり言って、めちゃくちゃ腹が立った。「こんなことを平気で言うような取締役がいる会社なんて、どうせ碌でもない会社に違いないから合格しても入ってやるもんか!」と思ったくらいに。と言いながら、結局その会社に入って、いろいろと勉強させてもらったんですけどね・・・(笑)とにかく、今朝、自分のオフィスに入ってこの言葉を思いだしたんです。で、どういう訳か、昔はめちゃくちゃ腹が立ったこの言葉が、とてもありがたい言葉に思えてきた。「そうだ、俺は所詮馬鹿なんだ・・・なんて良い言葉なんだ・・・人は皆、自分が偉いとか、スゴイ奴だとか思った瞬間に駄目になる・・・人間なんて、この大自然や大宇宙の知恵に比べれば、所詮みんな馬鹿じゃないか・・・俺たちはみんな馬鹿だ・・・だからもっと自然や、宇宙の偉大な知恵に学ばないと・・・」なにがなんだか知らないけれど、こんな思いが沸沸と沸いてきたのでした。「所詮馬鹿なんだから・・・」と言った、あの取締役さん。恐らくアメリカ帰りで鼻高々な自分を見て、その鼻をへし折るために、あんな言葉をかけてくれたんでしょう。もしかしたら、そうじゃないかもしれないけど、そういうことにしときましょう。面と向かって「お前は馬鹿だ」と言ってくれた、あの取締役さん。本当にどうもありがとう。
Mar 10, 2005
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またもや、もう2ヶ月以上も昔(大昔ですね・・・)の話をします。このブログをずっと読んでくださっている方には「エリベルばあちゃん」とは誰のことかお分かりですよね。そうです。光の農園「ランチョ・ルス」に住む、70歳を超えたあのおばあちゃんのことです。彼女のところで年末年始を迎えることになり、荷物をもって移り込んだその日、フレディという、一人のおっちゃんがランチョ・ルスにやってきました。歳はだいたい40歳くらい。ヒゲをはやして、髪の毛は肩にかかるかかからないかといったくらいの白髪まじりのロンゲ。いかにも自由人といった匂いのするというのが彼の第一印象でした。話を聞くと、おばあちゃんとは何の血縁関係もないけれど、しょっちゅうランチョ・ルスに来て、川に水を汲みに行ったりして、力仕事ができないおばあちゃんのお手伝いをしているのだとか。フレディはわれわれがランチョ・ルスを離れる1月3日まで、ずっとランチョ・ルスにいて、先に話したレヴィスの家や、ランチョ・ルスのもう一軒のご近所(ご近所って言っても、めちゃくちゃ離れているので、ランチョ・ルスからはぜんぜん見えませんけどね・・・)レヴィスのようにパーマカルチャや福岡先生の自然農法を取り入れて住んでいる、イヴァンの家に連れていってくれたりしました。そして、多分ここには書くことはないと思いますけど、キムのこれまでの人生で一番最高で格別だった元日(初日の出)を迎えたとある場所へは、フレディなしでは、決して辿りつくことはできなかった。とにかく、このフレディという人物が、この2004年と2005年の狭間にあって、エリベルばあちゃん同様、偶然にもこの時機にこの場所を訪れた我々にとって、とても重要な役目を果たしてくれた、そんな人物なんです。そんなフレディ。エリベルばあちゃんとはなんの血縁関係もなく、もともとは今住むパウヒからは果てしもなく遠く離れた、ベネズエラの西の果ての州に軍人として住んでいた。「果てしもなく」というのはどれくらい果てしもないかというと、恐らく長距離バスにずーっと乗りっぱなしでまるまる2日間くらいかかる、それくらい遠いところに住んでいた。なんでそんな彼が、この広大なサバンナど真ん中にあるランチョ・ルスにエリベルばあちゃんと多くの時間をともにして住んでいるのか単純に気になったので、例によって、彼にどうやってここにたどり着いたのか、聞いてみました。その問いへの彼の答えが、またドラマ性があっておもしろく、彼のその決断と行動が自分にはとてもカッコイイと思えたのです。。。(つづく)
Mar 9, 2005
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日本文化って、ほんとうにすべてが心と心の鍛練に結びついているんですね。今朝8時に首都カラカスからバスでCDB(シウダ・ボリバル)へ戻ってきました。そうです。先週に引き続き、今週末もバスで平均11時間かかる首都へ行って戻ってきました。目的は、2週間続いた毎年恒例のカラカスでの「日本文化週間」 の最後の週末に開かれた、Feria Japonesa(日本模擬店)の協力隊紹介ブースでのお手伝い。この文化週間についての紹介は大使館のHPに譲ることにします。大使館のHPにあるように、2週間の間、合気道やら剣道やら、空手やらの武術から、お茶、お花、などの芸術、美術、音楽やらのデモンストレーションやら展示会やらを毎日のようにやるんです。キムも先先週と先週末のほんの一部しか見てないんですが、はっきり言ってすごいです。こんなにも日本の文化や芸術に興味を持っている人が、このベネズエラにいるのかと驚いてしまいます。それくらいいっぱい人が来ます。ベネズエラという異国にいて、日本というものに興味を持っている人がいるということを目の当たりにすると、もうそれぞれのイベント会場を埋め尽くす人々を見るだけで、めちゃくちゃ感動します。「ああ、日本人に生まれてよかったなあ・・・」としみじみ思います。その反面、ベネズエラ人の中に、日本の伝統文化や武術、芸術を一生懸命稽古して、高いレベルに達している人たちや、まだ始めて間もないものの、先生に一生懸命ついて学んでいる若者の姿を見ると、姿形は彼らよりよっぽど日本人だけれども、日本古来の芸術、美術、伝統に関する技や精神を、ちっとも身につけていない自分が、とても恥ずかしくなります。「日本に生まれておきながら、俺はいったい今まで何やってたんだ・・・」と、いまさらながらに強く悔やまれる。われわれ協力隊のボランティアが出展したブースで、無料のお習字サービスをやった時にも、そんな「恥」を強烈に感じました。今、適当に名前をつけたその「お習字サービス」とは何か?それは、われわれの出展ブースへの気をひくために始めた、「あなたの名前を日本語で書いてあげます」というサービス。日本人のわれわれにしてみたら、有名な書道家が書いた書ならまだしも、書道なんか小学校でしかやったことのないような、われわれド素人が書いたところで、なーんの価値もないですよね。しかし、ベネズエラ人は違うんです。たぶん、書道なんてしてるところを、たとえテレビで見たことはあっても、実際に生で見たことがある人なんてほとんどいない。しかも、その書道でもって自分の名前を日本語で書いてくれるとなると、それはそれは、もうめちゃくちゃ珍しいことなんですよね。しばらくすると、われわれのブースの前には、日本の習字で、自分の名前やら家族の名前を日本語で書いてもらいたいという人の、長蛇の列ができてしまいました。その列の様子を、写真でお見せすることができないのが残念ですが、それはそれは長い列で、中にはこのために2時間も並んで待ったという、とてもじゃないけど、「あんたほんまにベネズエラ人?」と言いたくなるような、しんぼう強い人も。お習字なんて、小学校(中学校?)出てからやったことのないこの火精人。しかも、「きたない字」コンプレックスが強烈なこの火精人。何枚も何枚も慣れない筆でカタカナの名前を書くのに疲れ、「字を書くのを替わってくれ~」と言う仲間の声に、「俺の字はめちゃくちゃきたないから嫌だ」と、最初はしかとしていたのですが、終には断りきれなくなり、行列のベネズエラ人が「じーっ」と自分を見つめる中で、長年ご無沙汰していた習字をするはめに・・・。予想どおり、自分が書いた字は、お世辞にもきれいとは言えない、それはそれはひどい字。にも関わらず、名前を書いてもらったベネズエラ人は、みんな大喜び。みんな日本語を知らないので、はっきり言ってどんな風に書こうが、それが汚いのか奇麗なのかなんて、わからないわけです。まあ、そのおかげで助かったんですけどね・・・(苦笑)それにしても超久しぶりに習字をしてみてわかったこと。それは、自分の書く字が自分の心の動きと直結しているということ。これは多分、久しぶりに習字をしたから、余計にそう感じたんでしょうけどね。まあ、自分の字は、それはそれは見事なまでに、すべて汚いんですけど、その中でも、自分が見て、ああ、この字のこの部分はちょっとましだなっていうのがあるんですよね。で、そういう部分を書いた時の自分の心を観察してみると、やっぱりなんか静まっているんです。別の言葉で言えば、集中している。そして、字を書くことに集中できている時はとても清々しい気分になって、気持ちがいい。心を静めて目の前のことにこんな集中したのって本当に久しぶりだなって思って、気持ちがよかったんですね。(まあ、それだけ普段、集中してないってことですね・・・苦笑)えらいもんですよね。やっぱり日本のこういう伝統文化というか、伝統的なお稽古ごとって、全部精神の鍛練、特に物事に動じずに、心を静め、集中することの練習になってるんだなって実感したんです。この2年間、再度外国に住んでみて、今度日本に戻ったら、こういうことを習ってみたいなっていうことが、いろいろ出てきたんですけど、今回、こうやって習字をしてみて、字を書いて心を静めるということもその中の一つに加わりました。日本にいたら決して習字なんてしたいとは思わないでしょうけどね。これがたまに外国に住んでみることのいいところでしょうね。日本の価値、日本の文化、日本の心、日本人であること・・・そういうことを外から眺めることによって、その価値の偉大さを感じることができる。しかし、何度も繰り返すようですけど、このベネズエラで、これだけ日本に興味がある人がいるとは思いませんでした。このことは、自分が近い将来やろうと思っているプロジェクトへの「Go!サイン」をもらったような、そんな思いがしました。えっ?そのプロジェクトはどんなプロジェクトかって?それは、まだ当分秘密です。。。
Mar 8, 2005
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「将来もっと多くの人がここに移り住んできて、ここにエコ・コミュニティができるのよ・・・」もうずいぶんと時間が経ってしまいました。1月に終わった旅行の話を3月になっても、まだやっている自分にかなり違和感を感じます。でも、どうしてもまだ語り尽くせてないので、もうちょっと書かせてくださいね。前回の旅行記で書いた、レヴィスのことです。2004年最後の日(12月31日)のことです。たまにエリベルばあちゃんの「光の農園」”ランチョ・ルス”に手伝いに来ているフレディ(彼についてはまた後日書きます)に連れられて、例のごとくなーんにもないサバンナの中を1時間弱歩いて、小さな小川を2つほど渡って、やっと見えてきたレヴィスの家。周りは一面サバンナ。見渡す限りの緑と乾いた土。遠くに前述のクナバイナへ続く土の一本道が見える。そんな場所に彼女はパウロというイタリア人と二人きりで住んでいました。もちろん電気もない。水道もない。ガスもない。電話もない。なーんにもない。でも、そこには生活に必要なすべてがありました。ミミズや馬の糞から作った有機肥料を肥やしにして、野菜、芋、果物等々、二人の大人が生活するには十分な食べ物がすべて、家の周りになっている。水は近くの川から引いてきていて、ふんだん過ぎるほどにある。もちろん周りにはだーれも住んでいないので、その水は湧き水の純度を保った、超新鮮な水。そして、庭の斜面を少し下ると、そこには大きな池が。その池の中には300匹のカチャモト(カチャマとモロコトという2種類の、ボリバル州で養殖が盛んな淡水魚の混合種)を養殖しているとか。よく見ると水のパイプが斜面から下ってきていて、その出口にはタービンがついている。このタービンを使った水力発電で2人が暮らすのに必要な電力は十分に足りるのだとか。さらに池の横には、扇型にフェンスで区切られた畑が。その畑にはレタスを始めとする野菜、そのほかにバナナなどの果物がわんさかなっていました。砂質が多いこの土地で、なんでこんなに野菜やら果物がなるのかと思いきや、そのフェンスの中の土だけが黒い。そこには大きなブラジル産の鶏が放し飼いされていました。扇型の土地を3つにフェンスで区切っていたのは、この鶏たちをローテーションさせるため。今まで本でしか見たことなかった、この鶏の放し飼いローテションを、まさかこんなサバンナの何もない場所で見るとは夢にも思っていませんでした。さらにその畑の横には、小さなヤギの小屋が。そのヤギの糞はミミズの餌や肥料に。もちろんヤギは毎日乳を提供してくれます。もうこれだけで、2人が暮らして行くのに十分過ぎるほどの食料がある。この小さいけれどもとても豊かな、レヴィスとパウロのパーマカルチャー農園を見せてもらって、改めて食料自給、エネルギー自給の生活への憧れが強くなりました。以前は、今住んでいる場所よりももっと何もない丘の上で、一人静かに6年間住んでいたというレヴィス。別れ際に彼女が静かに語ってくれました。「ここには今はまだ誰も住んでいないけれど、将来はきっともっと多くの人が移り住んで、ここにエコ・コミュニティができて行くのよ・・・」まるでもう確定した将来の現実を見ているような表情でそう語るレヴィスの表情がとても印象的でした。日本に、そして世界に、食料自給とエネルギー自給をベースにした21世紀の新しい生き方を模索して、普及させることをライフワークの一つと決めているキム。そのモデルとなりうるレヴィスとパウロの自家パーマカルチャー農園との出会いは、何もないサバンナの中で、ピッカピカに光るお宝を見つけたような、そんな気持ちにさせてくれたのでした。
Mar 4, 2005
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よくぞここまでもってくれました。昨晩のことです。カラカス滞在中からどうも調子の悪かった我が愛しのメビウス君に再起動してもらおうと、一度電源を切って、再度電源を入れようとしました。と、その時!スカツ!っと、スイッチを入れる指に力が入らない感触が。。。ガーン!!!!!横にスライドするタイプのスイッチを携えた愛しのメビウス君のスイッチが、外からではまったく入らない状態になってしまいました。でもスイッチが入らないものは、入らないんだから、もうしょうがない。今更悔やんでみてもどうしようもないので、まあ駄目だろうと思いながらも、明日になればなんとか修繕できるかもしれないと、昨晩はそのまま寝ました。しかしそんなあまちゃんな予想は見事に外れ、ここシウダボリバルでも一番ましと言われるPCの修理屋に持っていってもどうにもならない。自分でこじ開けて修理しようと試みても、中をいじれるまでちゃんと分解することすらできない・・・。まあ、はっきり言ってもうどうしようもない。お陀仏様です。しかし、我が愛しのメビウス君。よくぞここまでもってくれました。今数えてみたら合計7年間のお付き合い。しかも、この雑なヘビーユーザーのキムとの7年間ものお付き合いは、さぞかし大変だったことでしょう。最近は特に、急に画面が飛んだり、メーラーが立ち上がらなかったりと、いくらメンテをしても、その末期の症状がいろいろ出ていました。ここまで働いてくれたら、もうキムも満足です。長い間ありがとうメビウス君。ゆっくり休んでください。さて、メビウス君とお別れすることを決心したら、早速頭のスイッチを切り替え。メビウス君の死によって起こる問題の解決に、頭を全速で回転させました。まずは仕事用のデータと仕事用のパソコンをどうするか。勤務先には当然PCはありますが、すべてスペイン語使用。しかも昼間はほかのスタッフが使っているので自分は使えない。しかしとりあえず、これらのPCを日本語でも使用できるように、昼休みにGlobal IMEをダウンロード&インストール。(実は今も勤務先のPCから打っています)IEブラウザ&MSオフィスで日本語閲覧と日本語タイプができることを確認。仕事やメールのデータなどは、こんなこともあろうかとちゃーんと外付けハードのバックアップを取っていました。でも勤務先のPCにはUBSポートがないので、外付けハードの接続ができない・・・。そこで、困った時のIさん頼み。Iさんの奥さんがノートPCを持っていること。そして近々海外に旅行されると聞いていたことを思い出して、早速電話。お役目を終えたメビウス君よりも、はるかに強力なダイナブックを、お借りすることに成功。なんとか、これで今月いっぱいの仕事には差し支えがない状態になりました。でもやっぱり一番痛いのが、前回バックアップ以降にいただいたメールや連絡先のデータを、もう永遠にリカバーできない可能性があること。「日本に帰って来たら、是非会いましょう」と、最新の連絡先をくださった人も複数いたのに・・・。ということで、掲示板にもこれから書いときますけど、最近2、3ヶ月の間に、キムに最新の連絡先を教えてくださった方々、もしこのブログを読んだら、お手数ですが、再度、メールを送ってもらえませんでしょうか?メールはブラウザーから普通に見ることができますので、問題ないです。よろしくお願いします。メビウス君の死という、ちょっと悲しい出来事もありましたが、そこは人生塞翁が馬。実は同時にうれしいこともあったのです。それは2500ドルかかると見積もりをもらっていた、キューバ&カナダ経由、日本帰国の片道航空券が900ドルも下がって、1600ドルに!!!!!これでお土産に使えるお金が増えた?????キューバでの酒代となって消えてしまわないように、くれぐれも気をつけます・・・(苦笑)ああそれから、まあこういう状態なので、残念ですが、当分は写真抜きの日記になります。あしからず・・・。
Mar 2, 2005
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外見も大事だけど、やっぱり外見だけで判断してちゃね、ダメですね。。。昨日の午後、首都カラカスから帰ってきました。いっつもそうですけど、カラカス滞在中は色々あって朝から晩(時には早朝まで)、なかなか忙しい。今回も初日(木曜日)の午前中からベネズエラ政府のNo.2、副大統領のJose Vicente Rangelとの会見という、なかなかエキサイティングな予定が組まれていました。この副大統領Jose Vicente Rangelという人物。前から何度となくテレビで見ていましたが、はっきり言って全然ポジティブなイメージはなかった。外見もなんかいつも「ムスッ」としていて、いかにも難しいオヤジといった印象。テレビやラジオで流れるスピーチを聞いても、どうしてもチャベス大統領と比べてしまって、イマイチ。(まあ、チャベスの演説も嫌いな人はめちゃくちゃ嫌いみたいですが・・・)とにかく、外見的なイメージが良くなく、チェベスの陰に隠れてなんか存在感もイマイチだった。しかし、実際に会って話しをしてみると、その外見とは裏腹に、とても気さくで親しみやすく、しかも優しいドンといった印象の人物でした。やっぱりメディアから取れるイメージだけで判断するのは良くないなと、今回改めて思ったのです。そして例えどんな人物であろうと、一度直接会ってしまうと、やっぱりなんか親しみが湧く。この世で直接出会うと言うことは、もうそれだけで、ものすごい確率のご縁な訳ですから、まあ当たり前なんですけどね。一度でも直接会うということは、それだけの過去世からの因縁があり、今世で初めて会うなんてことはないようですしね。この副大統領と会った日の翌日、ベネズエラの外務省で働く知人に、そのことを伝えると「君がベネズエラにいる間に、是非チェベス大統領にも会ってほしかったんだけど・・・」と言っていました。チェベス大統領と会ったことがある彼は、このチャベスという人物と会ったことがある人が皆口にする、その強烈なカリスマは、一度直接会ってその身で感じてみる価値が十分にあると言っていました。「6月にチェベス大統領が日本に行く予定があるから、その時に是非会わせます・・・」という訳で、一度会っただけでその人をトリコにしてしまうというチャベス大統領とのご対面は、6月までお預けとなったのでした・・・。【副大統領府の会議室待合に飾ってある、チャベス大統領とホセ・ヴィセンテ副大統領のツーショット写真】【ホセ・ヴィセンテ副大統領と火精人キムのツーショット写真】「君はArtista(アーティスト)なんだね・・・」と言われたので、「副大統領もArtistaでしょ・・・」と言ったら、副大統領、笑ってました・・・(笑)
Mar 1, 2005
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