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今はこちらに移動しています:キムさんの”わこころ”日記http://blog.livedoor.jp/tarea/
May 27, 2005
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こちらでまた歩き出しました。http://blogs.yahoo.co.jp/kaseijin_kimありがとうございます。
May 13, 2005
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出雲へ行って、見えてきました。いつ帰ってくるやら分からん旅、とりあえず岡山経由で出雲まで行くとだけ決めて出た旅から昨日戻ってきました。もうめちゃめちゃ長いこと旅してたような気がするんですけど、終わってみたらたったの一週間。たったの一週間なんですけど、めちゃくちゃ濃い一週間でした。今振り返ってみても何をどう書いたらええのやら分からない・・・。それくらい濃い、一週間でした。書き出すとめちゃくちゃ長くなるので、今回はとりあえず神戸に戻ったということだけ書いときます・・・。お土産話を楽しみにしてた方、ごめんなさい。まあ、この旅で得たもの、またぼちぼちと書いて行きます。でも、別のブログで。。。へっ?笑そうなんです。今回の旅で、やっと次への一歩を踏み出す精神的な準備ができたので、この辺でこのオリボーからも卒業しようと思います。なので、このオリボープラザへの書き込みも、(たぶん)これが最後です。次はいずこへ?近日中に新しいブログを立ち上げます。。。(たぶん・・・笑)でも最後に、出雲で出会ったI君が、今のキムが考えていることをうまくまとめてくれてるんで、彼のブログのリンクを貼って、お土産話第一弾としますね。オリボープラザにいつも来てくださったみなさん。∞の∞のありがとうございます。また新しいブログでお会いしましょうね。新しいブログについては、後日ここの掲示板ででもご紹介します。∞の∞のありがとうございます。
May 9, 2005
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生まれて初めて、神話の国へ行ってきます。ものごとは動くときには本当に一瞬に動くもの。明日に予定していた出雲への旅が、今朝のKさんとの一つのメールのやりとりがきっかけで急に今日に変わりました。ということで、今日から今週いっぱいは神話の国とその周辺国へ出向いてきます。帰国前から「行くことになるんやろうな・・・」と思っていた出雲。直接の目的は、多くの仲間たちが関わっているという情報をもらっていた、女神サミットのお手伝い。もちろん2年ぶりに彼らと再会し、また彼らを通じて新しい出会いをするというねらいでもあります。なぜか知らないけれど、自分が「次の一歩」を踏み出す前に、出雲に行って彼らと会わなければならないという、沸々とした衝動がある。まあ、こうやって出向いて行くことが、すでに「次の一歩」を踏み出していることになるのかもしれないですけど・・・。いつも進路決定はそんな感じなんで・・・笑ということで、今週は書き込みがないとは思いますが、みなさん、絶品の連休、一週間を!!!
May 1, 2005
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一日の必要経費262円って、ボロ安ですよね・・・。日本に帰ったら必ず購入すると決めていたものが一つだけあります。新しいノートパソコン。しかも持ち運びに便利なかなりコンパクトで軽いやつ。帰国最初の一週間、東京での挨拶めぐりの合間を使って、秋葉原やらの電気屋さんに入ってリサーチ。まず電気屋さんで実際に目で見てみて、実際に買うのはkakaku.comで最安値の商品を通販で購入の目論見を持って。まあ、今となっては誰もがとってる方法ですよね。いろいろ見た結果、FMV(富士通)LooxT70Kが、「自分を買って!」と一番アピールしているのを察知。kakaku.comでの最安値は17万5千円。神戸と大阪の大手電気屋さんの同機種の価格は24万円弱。同じものなのに7万円の差。こりゃあ電気屋さん、もうからんはずです。。。キューバに置いてきたキムの旧MyPCのメビウス君は、7年前に購入した時、東京の電気屋さんで確か36万円した。Pentium2で、メモリが56M、HDが3ギガという性能のメビウス君。それでも当時は最新機種だった。そして7年後の今。今回、Loox君を購入してみて、もうパソコンというものが、完全にコモディティ化(日常必需品化)しているのを実感しました。メモリは5倍、HDはなんと26倍超(Loox君は80ギガ)、そして、DVDもついていて全重量は1.5キロ、そして、そして、値段は7年前のメビウス君の半分以下!まあ、こんなことで驚いているところが、いかにも浦島太郎なのかもしれませんね・・・笑しかし、いくら性能の良いPCを買っても、ネットに繋がらなかったら、はっきり言って、持っている意味がない。今、居候させてもらっている実家は、父親がいまだに電話回線でがんばっているので、キムのようなネットヘビーユーザーには全く不向き。「う~ん、どないしよう・・・」と、考えたあげく、Loox君を持って、無線LANが通っている三宮の某カフェへ。MyPCを使っての初めての無線LAN。「ほんまにLoox君持っていくだけで繋がるんかな・・・」と、半信半疑でやってみたら、一瞬で高速ネットに接続。ということで、今、そこから書き込んでるんですけど、これってちょっと革命的とちゃいますか?何が革命的って、ここのカフェ、三宮のど真ん中(神戸の一等地)にあって、朝の9時から夜の9時まで開いている。そして、一番安いメニューは262円のアイスコーヒー。無線LANへの接続はもちろん無料。っていうことは、一日262円払って、この一等地にマイオフィスを持ったのと同じことになる。マイオフィスのためのブロードバンド契約(経費)もいらなければ、オフィススペースの賃貸料もいらず、電気代ももちろんタダで、入場するのに262円だけ払ったら、年中無休で毎日12時間使用できる。誰かと会う必要があれば、このカフェに来てもらえばいい。はっきり言って、今のオフィスワークって、ネットに繋がったPCと電話があったらほとんど事足りるでしょ。無線LAN対応のノートPCと携帯だけあったら、このカフェで十分仕事できますよね。一日262円の経費で、これだけのことが、これだけの場所でできてしまうって、かなりすごい!そない思いません?あれ?やっぱり俺って浦島太郎なんやろか?・・・苦笑
Apr 30, 2005
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「そんなに次から次へと新しい車買う必要ないやろ?」って思うんですけど、100%マイナスってことでもないのかもしれません。2年ぶりに日本に戻って、まず何に一番驚いたかというと、目にする車のほとんどが、みんなピッカピッカの新車みたいに綺麗だということ。もちろん走っている車が全部新車なわけないけど、みんな綺麗にしてるよね。ベネズエラとかキューバとか、あとコスタリカもそうやったかな、みんなボロンボロンの車とかを、修繕しながら使っている。まあ、これが経済格差っていうものかもしれんけど、前から、「なんでそんなに新しい車買わなあかんわけ?」と思っていた。でも同時に、こんなに狭い日本の都会にこれだけの量の車やトラックやらが、ガンガン走っているのに(特に東京ね)、それにしては空気が綺麗やなっていうこと。もしベネズエラでこれだけの交通量があったら、多分みんな外に出られへんと思う。なぜなら、排ガス規制がないから(か、あるにもかかわらずちゃんと規制が機能していない?)ようさんの車が、めちゃくちゃ煙を出して走ってる(キューバも同じ)。なんで、ちょっと交通量が多いところやと、もろに排気ガスが気になるくらいに空気が汚れてる。空港からの道で眺めた東京の街は、たしかにスモッグに覆われてどんよりとしていたけど、中に入ってしまうとそうでもない。まだ、日本に戻ってきて、「うわっ、この排ガスたまらんわ・・・」と思ったことが一度もないということは、やっぱり平均的に日本の車の排ガス規制がちゃんと機能してるのと、みんな新しい車に乗ってるってことなんかなと思うんやけど・・・。ほんまのところはどないなんでしょうね・・・。これ余談ですけど、日本人ってほんまに車にお金かけてるなっていうのが見て取れるけど、その反面、日本の住宅環境ってほんまに貧困。みんな狭い家(+コスト高)に住んでる。なんぼ土地がないって言うても、もうちょっとなんとかなるやろって思うんですけど・・・。誰か日本に不動産革命おこしてくれへんかな?日本人の家が今の2倍の広さになって、それでもって値段が2分の1くらいになるっていうような。この住環境のまずさは、世界から見るとかなりのビジネスチャンスやと思うけどな・・・。
Apr 28, 2005
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ヒトビジネスで自信をつかんだ彼は、めちゃくちゃ光ってました。昨日はまたまた2年ぶりに、野村時代の先輩のDさんと再会しました。歳は同じでも1年先に野村に入ったDさん。ご縁があってキムはDさんと同じO支店に配属された。Dさんは当時ダメダメ支店だったO支店で、入社当初から全国の同期ダントツトップセールスという凄腕営業マン。そんなダメダメ支店に新人のキムが配属になったのは、Dさんが1年間がんばって結果を出したから。彼のがんばりのお陰で彼とのご縁ができ、そのご縁は今でもしっかりと続いている。「いや~~~、キムタカが帰ってきて、ほんまにうれしいわ~~~、なんか自分の兄弟が帰ってきたみたいやわ~~~」いや、いや、Dさん、そう言ってもらって、一番うれしいのはキムタカの方なんですよ。まああれですね、多分、自分らは前世でほんまに兄弟してたんとちゃいますかね・・・笑高校は体育科、大学は神学部、元野村の金融マンという、かなり異色なバックグラウンドをもった「祈るビジネスマン」のDさん。今は、Pグループという人材派遣大手が出資して作った新しい会社の立ち上げの中核メンバー兼稼ぎ頭として、相変わらずその凄腕ぶりを発揮している。2年ぶりに再会したDさんの風貌からは、一種の「悟りのオーラ」が出ていた。立ち上げ間もない会社のほとんどすべてを自分でしているというDさん。きっときっと、めちゃくちゃ多忙に違いない。しかしそんな素振りは微塵も見せずに、夜の19時から朝の4時まで付き合ってくれた。長時間に及んだ二人の会話のテーマは、やっぱり「ヒト」。彼がこの2年間で「ヒト」を通じて得たもの、そしてこれから「ヒト」はどうなって、この世はどうなるのか、そして自分はそこでどう生きていくのか・・・、そんな彼の洞察とビジョンを余すことなく語ってくれた。「う~ん、こんな貴重な話、タダで聞いてしまっていいのか?」Dさんと話をしている最中、何度もそう思った。いやいや、タダじゃないね。「帰国祝い」と言って飯までおごってもらったから、彼はお金を払ってまで自分にあんな貴重な話をしてくれたことになる・・・ほんまに「有り難い」ことです。「『究極のナマモノ』を扱う『ヒトビジネス』は、めちゃくちゃおもろいよ」というDさん。Dさんの天職が見つかって、ほんまにほんまによかったですね。Dさんはこれからこの「ヒトビジネス」の世界で、日本を背負って行くヒト(日本一)になりはりますね。これ、昨日Dさんと話して得た、キムタカの直観です。キムタカの直観、こう見えても結構当たるんですよ・・・笑また会ってくださいね。
Apr 27, 2005
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やっぱり故郷は故郷ですね。1週間の東京滞在を終えて、昨日、2年ぶりに神戸に戻りました。今、ざっと市の中心街を見てまわってきたんですけど、やっぱり神戸は神戸。東京とは違い、2年前とそんなに変わったという印象は受けない。まあ、新旧交代が少ないだけ、いわゆる景気は東京ほど良くないんでしょうね。でも住む場所としては、自分にはこれくらいのスローな環境の方がいいかなと思ったりもします。でもやっぱり何か事業をやるんだったら、競争の激しい東京でやった方が速く力がつくんでしょうけどね。まあどっちにしてもそんなに生易しい話ではないことは確か。これからどう動くか、しばらく見極めのために時間を費やすことにします。そんな話とは別に、2年ぶりに故郷に戻ってきて、何よりも嬉しかったのは、両親が健康で楽しそうに生活している姿。ほんの数年前、家族崩壊の危機に面して、みんなでどん底にいた時のことを思い出すと、今の本当に幸せそうな彼等の姿には、いくら感謝しても仕切れないくらい。それくらい本当にありがたい。「ほんまに今が、今までの人生で一番幸せやわ・・・」昨日、父が語ったこの言葉に、ありがたい気持ちで涙が出そうになった。まだまだ半人前の小僧な自分。速く一人前になって親孝行をして、もっと彼等を幸せにしてあげたい。今、そういう気持ちで一杯。この気持ちをこれからの原動力にして行きたい。
Apr 26, 2005
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デジタルっていうんは、アナログを表現するための道具でしかないと思ってます。昨日はヒデちゃんのスクールを去った後、アメリカ留学時代の仲間たちと久々に会うために、青山に向かった。その仲間とは12年前の1993年の夏に、一緒にアメリカに渡り、同じ語学学校で正規留学の準備を1ヶ月半に渡って、バージニア州のとある大学で行った仲間たちだ。わずか1ヶ月ちょっと同じ場所で勉強して、その後、それぞれバラバラの場所に留学した俺たち。でも、その後もその多くがお互いに連絡をとりながら、社会人になってもちょくちょく集まって、自分はまだ一回も参加できてないのだけれど、同窓会なんかも何度かしている仲間たち。今回はできればいつも連絡をとりあっている仲間全員に会いたかったのだけれど、子供がいたり、仕事でどうしてもはずせなかったり、アメリカに留学してたり、海外に住んでいたりで、結局会えたのは4人。でもその4人のうち3人が、なんと12年前に語学学校を出てバラバラにちらばって以来、初めて再会する面々。自分がベネズエラにいたのは2年間。まあこれは大して長くない。でも12年って、結構長いよね・・・。12年も会ってなかったら、もうちょっとなんか違和感あるかなと思ったけど、それがぜんぜん無い。みんな昔のまんま。まるで12年前にタイムスリップしたような、そんな感覚を覚えた。独立してネットマーケティングのコンサルをやっているK。自分より若いけど、もう二児の父。彼と彼の子供の話をしていると、ほんまに楽しそうで、そんなに楽しいんやったら、自分もとっとと結婚して子供をつくるかっていう気になってくる・・・笑ちょうど1年前にアメリカ人の旦那さんと結婚したYちゃん。そのアメリカ人の旦那さんは、台湾と中国に長いこといたらしくて、中国語がめちゃくちゃ達者とか(もちろん日本語も)。う~ん、北京語と日本語を自由に操る白人アメリカ人。いっぺん会って話しをしてみたいね。漢字とか、Yちゃんよりぜんぜん知ってるらしい。興味津々やね。宝飾関係の専門学校で先生をしているJちゃん。相変わらず酒が好きだと聴いて安心した・・・笑彼女とも12年ぶりだけど、彼女が一番変わってないかな。あの喋り方とか笑顔とか、昔のまんま。あの独特な魅力に、さらに磨きがかかっていた。某大手テレビ局で番組の広報をしているMちゃん。旬のテレビ局ネタ。やっぱり中で働いている彼女の生の話はめちゃくちゃおもしろい。「ふ~ん、テレビ局ってそんなんなんや・・・」と感心のしっぱなし。「フリーの時間はできるだけ他の業界の人たちと付き合いたい」っていうMちゃん。テレビ局の人たちの価値観って、結構せまいらしい。そんなところで働きながら、そういう心がけを持って、いろんな人と付き合おうとしている彼女のその姿勢にも感心、感心。ええよね、そういう姿勢。しかし、みんなそれぞれの場所、それぞれの生き方をしながら、とても輝いていて、渡米後の最初の1ヶ月を一緒に苦労して勉強した仲間として、ほんまに嬉しかった。やっぱりアメリカで苦労して得たそれぞれの経験が、みんな生かされているんよね。あの経験があるから、今の輝きがある。今を輝いている彼ら、彼女らとのご縁は、自分にとってめちゃくちゃ大切。これからも大事にしていきたい。ところで、他のみんなを待っている間、Kと二人でビールを飲んでいて、彼がぽつっと言った言葉がを聴いて、自分の耳がビクビク!と反応した。「自分はもう長いあいだ、どっぷりとデジタルの世界に漬かってるんだけどさ、だからこそ自分の子供たちにはアナログを経験させてやりたいんだよね・・・結局、デジタルが行き着くところはアナログだと思うんだよ・・・」う~ん、ついこの間も誰かさんと、同じような話をしていたな・・・。表面的にはデジタルが超高速で進化して、全てをデジタルで飲み込んでしまいそうな様相を見せている今の世の中。でもだからといってそのデジタルの表面的な進化だけを見ていると道を踏み誤る。デジタルっていうものがどうしてそれだけ進化しているのか、その裏になにがあるのか、そして結局はどこに行き着くのか・・・その辺を見ないとね。先進国だろうと後進国だろうと、国の発展も個人の成長も、結局はアナログの世界にあるんだしね。しかしやっぱり人と会うって、めちゃくちゃ勉強になります。さあ、明日は誰と会おうかな。
Apr 24, 2005
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この世の中、ほんまに魅力的な人であふれてますね。先日2年ぶりの再会をしたヒデちゃんが、「おっちゃん、うちのスクールのみんなになんか話をしてくれない?」と言うので、迷わず「ええよ」と返事をした。奴に頼まれたら断れない。奴はそういう男なのだ。最近は連日の飲酒で特に記憶が弱くなっているので、昨日話をしたばかりなのに、もう何を話したのかほとんど覚えてない(やばいね・・・苦笑)とにかく何も考えずにヒデちゃんとその仲間たちのスクールに出向き、みんなの前に立った時点で自分の中に湧き上がってきた言葉をそのまま伝えた。ベネズエラで得たものはたくさんあるが、そのたくさんの中のひとつがこれだ(人前で即席である程度話ができるようになったこと)。まあ内容はともかくとして、突然人前で話せと言われても臆することなく、それなりに形になった話が今ならできる。まあ、いつも内容のない話を、ボキャ貧な言葉でしているので、まだまだこれからなんだけれども、とりあえず人前で話しができるようになったことは自分としては進歩だと思っている。でもこれは自分に話しをする才能があるからとか、特に何か勉強をしたから、そうなったわけでもなんでもない(当たり前だけどね・・・)。進歩したのは、ただ単に実地を積んだから。ベネズエラにいた2年間、日本語、スペイン語、両方の言語で突然話をするように振られたことが何度もあった。その時は「またかよ・・・勘弁してくれよ・・・なんで俺なの?」という思いが一瞬よぎるのだけれども、指名されてしまったら諦めてやるしか仕方ない。まあ、そんなことの繰り返しで、話をすることが億劫でなくなった。今から考えてみれば、自分を突然指名してくれた方々様様だ。まあとにかく、そんなこんなで、ヒデちゃんのスクールで話をさせてもらったわけだけれど、やっぱりいつものとおり、一番勉強になったのは自分。話をさせてもらったこと自体も勉強になったけれども、もっと勉強になったのは、その後のヒデちゃんの話とそれに続く生徒さんたちのディスカッション。目的意識をしっかりもって、さらなる高みへと上がるためにスクールに参加している生徒さんたちの意見交換のレベルの高さには驚かされた。「自分なんか、ぜんぜんかなわへんな・・・」スクールを後にした時の自分の正直な気持ち。でも、「かなわへん」ところにポテンシャルがある。「かなわへん」かったら、かなうまで努力するしかないよね。そう、日々精進するしかないっていう簡単な話。
Apr 24, 2005
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人の優しさって、本当に心にしみますね・・・。昨日も懐かしい面々との再会が続きました。まずはキムの古巣(の一つ)で、ベネズエラに行く前に働いていたWIPジャパン。キムがベネズエラに行っている間に東京オフィスを新しくして、本格的に東京への進出を開始したWIP。在籍中、本当にお世話になったFさん、Uさんの両社長は、2年の時間がたっても相変わらず、やさしく、あかるい笑顔で自分を迎え入れてくださいました。キムが在籍したときには大阪で活躍していたスタッフの面々も、今は東京にいて相変わらず元気で直向きに仕事に向かっていました。完全に自分のわがままでこの会社を辞めたキム。しかも在籍中はたいした成果を出すこともできず、はっきり言って「多大な迷惑」しか残さなかった。にも関わらず、いつもみんなが明るく、やさしい笑顔で迎えてくれる。このWIPという会社の一番の魅力は、やっぱりこのスタッフのみんなの、「無限の優しさと温かみ」なんですよね。「この会社は会社の顔をした人間学を修めるための学校」自分はこのWIPという会社をいつもこう見ていた。どうやらそのユニークな企業方針、風土は健全なようだ。組織からは抜けてしまったけど、WIPのみんなが目指すものも、自分が目指すものも全く同じ。同じ理想に向かって走り続けている限り、自分はこのWIPという会社の一員なのだと思っている。この夜に再会する約束をしていたのは、メコンウォッチというNGOのスタッフをしているAちゃん。彼女の同僚で、このNGOの理事も務めているというMさんと一緒に会いにきてくれた。メコンウォッチというNGOの名前は以前から何度となく聞いていたけれど、実際どういう活動をしているのか一度聞いてみたかった。自分の理解が間違っていなければ、このNGOの基幹業務は、メコン川流域で展開される政府やその他開発援助機関の開発事業を監視すること。日本を含む海外からの開発事業が、メコン川流域の国々の人々の生活や自然環境に悪影響を及ぼしていないかということをチェックして、悪影響が出そうな開発プロジェクトの修正や、実際に出てしまった悪影響を、地元のNGOなどと協力して問題解決するということをやっている組織がメコンウォッチ。(という理解なんやけど、Aちゃん、間違ってたらコメントして修正してね・・・)「なかなかうまくいかないこと、納得のいかないことが多くて大変だ・・・」と語ってくれた二人に、「じゃあ、今、全能の神様が目の前に現れて、自分達の仕事を助けるために、何か一つだけ願いをかなえてあげるって言ったら、なんてお願いする?」と聞いてみた。返ってきた答えが意外だった。「海外援助を止めること」日本政府がメコン流域で展開している開発援助は、本当にそこに住む人たちの幸せを考えて行われていないというのが彼女たちの意見。日本は開発援助を単なる「外交手段」と「日本企業の儲け」のために行っているので、どうしても「援助金額重視」になっているのだそうだ。しかも、今は、中国が同じ地域に開発の手を伸ばしていて、自然環境なんか無視して、どんどんメコンの上流にダムやらなんやらを建設中とか。それを見て、日本政府は中国に負けまいと、なおさら「金額重視」の開発プロジェクトを増やしているというのだ。こんな旧来からの「ひも付き援助」とか、「金額重視の援助」なんて、日本政府はとっくの昔に卒業していると思っていたのだが、甘かった。さらに二人はとても興味深い(でもとても残念な)話しをしてくれた。このメコン流域の国々で活動する日本のNGOのほとんどは、この「本当は人々のためにならない援助」のための援助金を、「もっと増やせ!」と日本政府に要求しているというのだ。そして、まあこれは想像できることだけど、やはり日本政府に資金補助を受けたNGOは、政府がやるプロジェクトに厳しいことを言うことができず、馴れ合いになっているとか。まあいくらNGOだとかNPOだとか言っても、結局お金の問題ってシビアーなんで、そんなNGOの気持ちも分からなくもないけど、やっぱりNGOっていうのが政府と馴れ合ったらその存在意義がなくなるよね・・・。やっぱり政府やら大企業をかなり辛口に、厳しく監視して、必要なときはとことん喧嘩するくらいの気概(とんがり)があるのが、NGOの存在意義だと思うな。いろんな苦労があるなか、そのとんがりを持ち続けて活動し続けるAちゃん、Mさん。大変やと思うけど、がんばれ!またお話し聞かせてね。
Apr 23, 2005
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たまには「ボキボキ」やってもらうもんですね。生まれて初めてカイロプラクティックなるものを経験した。カイロプラクティックどころか、今までマッサージやら整体やら、その手のものは、まったく経験したことがなかったので、言ってみれば「代替医療」初体験となる。キムの「施術」を担当してくれたのは、野村時代の同期で、飯田橋でサロンを経営している「いんちょー」こと、ヒデちゃん。2年前、日本を離れる直前にも、いきなりサロンに顔を出した。なので、ヒデちゃん、そしてサロンスタッフのみなさんと再会するのはちょうど2年ぶり。ヒデちゃんとその仲間たちの事業は「絶好調!」だと聞いていた。スタッフセラピストのTさんそれにAさんと2年ぶりに再会して納得。お二人とも2年前とは比べ物にならないほどの「自信」を、全身からかもしだしていた。「2年という短い時間は、これまでにも人を変えうるもんなのか・・・」彼らを目の前にしながら思った。いや、正確には「時間」が彼らを変えたのではなく、「彼ら自身」が彼らを変えたのだ。さて、楽しみにしていた「いんちょー」の施術。「じゃあ、マジでやるぜ?」という「いんちょー」の声に、思わず「マジでやってええけど、たのむから殺さんといてや」と念を押した。「施術」前に彼が「今、どこか悪いところあるの?」と聞くので、「いや、頭と顔以外は、特に悪いところないけどな・・・」と冗談半分(本気半分)で答えた。しかし、実際に彼に「施術」してもらうと、体のいろんなところが歪んでいることがわかり、その歪みから出る症状を「いんちょー」が指摘するのを聞いて、「そういえば、確かに、そういう症状があるなあ・・・」ということがたくさん出てきた。そのひとつひとつの歪みの原因と、ほうっておいたら歳をとってからどういうことになるか、どうすれば歪みがとれるかということを、「いんちょー」は丁寧に説明してくれた。彼の施術料金は業界水準と比べると、「めちゃくちゃ高い」らしいが、こうやって体の歪みとそこから起こりうる将来の大病の予防ができるということを考えれば、安いもんだなと思った。それに何よりも「施術」の後、無意識のうちにずーっと抱えていた、背中やら肩の凝りが全部とれて、とてもとても楽になった。「いんちょー」が「今晩はきっとぐっすり眠れるよ」と繰り返した言葉のとおり、昨晩は久しぶりにぐーっすりと眠ることができた。まあしかし、やっぱり一番よかったのは、2年前にヒデちゃんと会って話しができたことかな。彼の他に比類のないエネルギーとその真剣な生き様に触れることは、いくらお金を積んでもあまりある。この点、2年前のヒデちゃんも、今の「いんちょー」も、全然変わってなかったので、安心しました。
Apr 22, 2005
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また自分を見つめなおす良い機会が巡ってきました。ベネズエラでの活動報告や健康診断からなる3日間の「帰国後研修」なるものが昨日で終了しました。つまり今日から正式に「ぷー太郎」になった訳です。肩書きを持つがために「やらなければならないこと」が完全に無くなった。今日から毎日が日曜日。今度の長期ボランティア活動終了を含めると、31歳にして既に4回の転職を繰り返している自分。今から振り返ってみれば、この「ぷー太郎」であった時間は、自分にとってとても貴重な時間でした。それぞれの「ぷー太郎」時代が、自分のこれまでの人生の節目、節目になっている。肩書きが無くなること。そして、24時間が自由時間になること。これがいやでも、「自分とはいったい何者なのか」という、考え出すと切りが無い命題についての思索へと自分を導く。そして、その時、その時の「とりあえず」の答えを出し、また一皮脱皮して次の一歩へと踏み出す。この「脱皮の時間」はいつもいつも新鮮で、次に自分は何を選び、どう踏み出すのかというなんとも言えないワクワク感がある。ということで、そろそろこのブログも脱皮の時機が来たようですね。近日中にどう継続するのか、それとも完全に閉じるのか、決めたいと思います。
Apr 21, 2005
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今さっき到着しました。今、品川のネットカフェからメールしています。4月5日にカラカス(ベネズエラ)を出て、キューバに10日間滞在した後、一昨日ハバナ(キューバ)からトロント(カナダ)に移動し、一泊した後の13時間のフライトで、数時間前に成田に着きました。もう20年以上も米国の経済封鎖を受けているキューバ。物が全くないと言えば嘘ですし、ベネズエラでの生活で慣れている自分には、キューバでの10日間の滞在に、まったく違和感がなかった。しかし出会ったキューバ人はみんな、ベネズエラ人に比べても極めて質素で、ある物、古い物を修理して、大事に使うという生活をしていました。そんなキューバでの10日間を経てカナダのトロント。いわゆる「先進国」という場所に2年ぶりに足を踏み入れて、正直、疑問に思いました・・・「なんでこんなに物が必要なのか?」「なんでこれまでに資源を消費して、過剰とも見える整備をする必要があるのか?」「ここで売られているものは本当に必要なものなのか?」「なんでこんなに全てが使い捨てなのか?」「なんで1個4500ドルの時計が必要なのか?」どうりで先進国という国の物価(生活コスト)は高いはずです。社会自体が、異常な資源大量(無駄)消費構造になっている。そしてその大量消費の原動力はもちろん、「広告」「コマーシャル」です。こんなこと前から分かっていたはずですが、今回、キューバ経由でカナダ、日本に入り、この先進国と言われる国々の異常さがはっきりと見て取れました。キューバには商品広告もなければ、コマーシャルもない。故に街中がとても個性的に見えた。どこに行っても、そこにしかない独特の味があった。反面、広告だらけのトロントの街には、なんら個性も味もなかった。とかなんとか言いながら、1,2週間もすれば、自分もまたこの消費の病気に犯されて、元の先進国資本主義人に戻ってしまうのでしょうが・・・(一応、ささやかな抵抗は試みてみるつもりですけどね・・・笑)取り急ぎ、帰国のご報告まで。
Apr 17, 2005
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とうとう明日に迫りました。29日にCDB(シウダボリバル)のみんなにお別れのFiesta(パーティー)をしてもらって、30日に後ろ髪を引かれながら、CDBを発ち、それからもう6日。首都カラカスでお世話になったたくさんの人たちへ、お別れのご挨拶周り。こうやってまとめてご挨拶周りをしてみると、自分がこの2年間、ベネズエラでどれだけ多くの人に支えられて生きてきたかということが、身に沁みて分かりました。いくらお礼を言っても、自分の感謝の気持ちを伝えきることができない。ほんとうに、ほんとうに、ただただ「ありがとうございま」と言うしかない。感謝表現が下手糞な自分には、この言葉しかないのが、なんともつらい。。。他のボランティアの仲間たちは、もうカラカスを去って行きました。キューバ行きの飛行機が一日おきにしかない自分は一日遅れでベネズエラの地を離れます。なんとも複雑な心境です。また人生の新しいページへと踏み出すその興奮と不安が入り混じった感情と、この慣れ親しんだベネズエラにこのまま留まりたいという気持ちが、ごちゃごちゃに混ざって、自分でもなんともいえない心境にいます。しかし踏み出すしかない。立ち止まることは許されないですからね。明日(5日)の正午にはキューバへ向けて発ち、15時にはもうハバナの地に降りている予定です。さてこれから日本にたどり着くまで、どんなドラマが待ち受けているのか、本当に楽しみです。おそらくキューバからは日記に書き込むことはできないと思います。お土産話は東京に着いてから(17日以降)のお楽しみということで。「この道を行けば どうなるものか危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わずにゆけよ ゆけばわかる」ありがとうございます。
Apr 4, 2005
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出会いがあれば別れもある。これが宇宙法則。もう後2回ほど寝ると、この2年間暮らしてきた我が愛しのシウダ・ボリバルともしばしのお別れ。2年前に到着した時はもちろん「愛しの」なんて呼べる余裕はなかった。とてもじゃないけど奇麗だとは思わなかった町並み。とてもじゃないけど上品とは言い難い人々。半端じゃない暑さ。黄色い水のシャワー。蚊の大軍。正直言って、なんで俺はわざわざ好き好んでこんな所に来てもたんや・・・と思った。でも、そんな町も2年もたてば都。町を歩けば必ず誰かが「エッパー、エルマーノ!」(よお!兄弟!?)と声をかけてくる。同僚のみんなとも本当に自分の家族のように親しい関係になった。時間がたてばたつほど、その「なんでこんな・・・」と最初思った場所に同化して行く自分がいた。でもそのプロセスは2年という時間制限つき。はじめから分かっているものの、いざ目の前に直面してみるとやはりなんとも切なく、悲しいものがある。本当はとても涙もろい自分。昔は別れの度に必死で涙をこらえていた。でもいつのまにか、別れは必然と納得してしまった。出会いがあれば必ず別れがある。そしてそれはとても普通のことで自然なことなのだと。はっきり言って、つまらない悟りを得てしまった。でもそのおかげで別れの辛さが和らいだ。やっぱり明日も泣かなへんのやろな・・・。
Mar 29, 2005
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「多くの地球人はまだまだ眠っているよ・・・」ベネズエラで仕事をする日も実質的には残り明日一日だけ。というのも、今週はセマナサンタの週なので、正式には木曜日から、早いところだともう先週末から来週末までお休みなんです。そして連休をあけるともう日本に帰る支度をしてここのみんなにお別れをして首都に上がらなければならない。遂にキムのベネズエラ滞在も秒読み段階に入ってきました。有難いことにキムとの別れを惜しむ友人やら職場の同僚やらが毎日、毎晩のようにパーティーやらランチやらに誘ってくれるので、最近今までになく大忙しです。(まっ、楽しいからええんやけどね・・・笑)ということで、今週から、キューバとカナダを経由して日本に戻って落ち着くまでは、日記の書き込みもかなり不規則になると思います。毎日オリボーの更新を楽しみにチェックしてくださっているみなさんには申し訳ないですけど、ご勘弁くださいね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、年末年始の旅行記の最後のネタ、「アルフォンソとの出会い」の続きです。ドシャ降りの雨の中、ガソリン輸送のトラックに乗って命がけでカンタ・ラナに着いたわれわれを待ち受けていたのは、小さな売店とポサーダ(民宿)を経営しながらいかにも細々と静かに暮らしているといった雰囲気の、ごく「フツ~」の中年のおっちゃんでした。その見た目はごく「フツ~」のおっちゃんがアルフォンソ。われわれがカンタ・ラナまで彼に会いに来たそのいきさつを簡単に説明すると、「話をしましょう」と快く彼の家(兼ポサーダ)に招き入れてくれました。しかし話をし始めてすぐに、やっぱりこのおっちゃんは「ごくフツ~」じゃないことが分かりました。まず彼がわれわれに伝えてきたことは、彼がViajero Espiritual(直訳:スピリチュアルな旅行家)で、よくアジア方面にも旅行するということ。もちろんバックパッカーをしてアジアのスピリチュアルな場所をよく訪れるという意味じゃないですよ。そういう物理的な旅じゃなくて、異次元世界を通じての旅です。なので、彼は自分の魂のルーツとしてアジアとの結びつきが強いと言っていました。もちろん彼は物理的にはどっから見てもアジア人には見えない。ベネズエラに普通に居る、スペイン系(ヨーロッパ系)の男性の姿形をしている。そして、次に彼が伝えてきたことは日本の昭和天皇が、よく彼のところに訪ねて来ていたということ。どうです?やっぱり言うことが「フツ~」じゃないでしょ?(笑)もちろん昭和天皇がこの彼の住むこのド、ド、ド田舎のカンタ・ラナに物理的に遊びに来ていたという意味じゃないですよ。昭和天皇が異次元を通じて彼のところに訪ねて来ていたということです。そして彼いわく、昭和天皇は本当の天皇としての力(エネルギー)を持った最後の天皇だったのだそうです。それもポジティブなエネルギーではなく強烈にネガティブなエネルギーを持った。ネガティブと言っても、もちろん「悪い」という意味ではないとアルフォンソは付け加えました。陰陽の関係と同じで、善悪ではなく+・-のネガティブという意味。その-エネルギーのなす業を彼がどう定義したかは忘れてしまいましたが、なんせ、昭和天皇はその強烈なネガティブエネルギーを持った最後の本当の意味での天皇だったと彼は言っていました。まあ全部は語りませんが、こんな感じで彼との話が始まり彼の言うことを集中して聞いているといつの間にかどこから現れたのか、彼の奥さんと娘さんだという二人の女性が彼のそばに立ってこちらを眺めていました。彼の奥さんはドイツ人。20年も前に、現代的な生活とは違った生活を求めてベネズエラからブラジルへと渡ろうとしているとき、たまたま国境の手前で西側へと寄り道をしてアルフォンソが住む今の場所に辿りつき、以降ずっと彼と一緒に暮らしているのだそうです。まあこんな感じで、ちょっと「フツ~」ではない話をひととおり終えると、アルフォンソはわれわれを彼のポサーダのすぐ裏にあるという滝へと案内してくれました。さっき降った瞬間豪雨で増水しものすごい勢いで流れ落ちる流水。その絶え間のない轟音の中、今度は、アルフォンソと二人きりで話をしました。彼は開口一番、「自分は今、神と話をしている」と言いました。今まで何度となく聞いたことのあるこの言葉。でも彼の発したこの言葉からはこれまで同じセリフを聞いたときに感じた「宗教臭さ」がなかった。直感的に、彼が、宗教が定める「神」ではなくもっと別の「神なる存在」のことを言っていることが伝わってきました。「全て、われわれの本性は神なる存在です・・・」「この肉体としての身体は単なる『乗り物』でしかない・・・」「われわれはミクロコスモであり、この無限の大宇宙と全く同じ構造をわれわれは持って存在している・・・」「いまこの大宇宙(マクロコスモ)と小宇宙(ミクロコスモ)としての地球には、ものすごいスピードでトランスフォーメーション(波動の急上昇)が起こっている・・・」「しかし、まだまだ多くの地球人は眠ったままです・・・」「自分は眠れる地球人の覚醒のために、今ここに存在していて、時には異次元を通じて世界中を旅し、必要な場合には他人の身体に入ってまで、覚醒を促す仕事をする・・・」「すべての人にはそれぞれ、この大宇宙によって定められたファンクション(役目・役割・機能)があり、そのファンクションを生きることが、人が人として命を受ける理由です・・・」滝の轟音をBGMに彼はその他さまざまなメッセージを語ってくれました。彼との対談が終わった時、どうしてこんな地球の果てのような場所にあんな危険な経験をしてまで行きたいという衝動に駆られたのかその理由が分かりました。多分、このアルフォンソというちょっと「フツ~」じゃないおじさんのメッセージを受け取るためだったのです。オマケでちょっと面白い話をもう一つ。アルフォンソファミリーは、家に3匹の犬を飼っているのですが、その3匹の犬の名前を聞くと、こんな答えが返ってきたのです・・・「これが『センリ』で、こっちのが『アスカ』、あちらが『シングウ』と言うんだよ・・・」それを聞いて、「それって全部日本の地名だけど、知ってて命名したんですか?」と尋ねると、「ええ、そうなの?知らなかった・・」とびっくりしてました。3匹の犬の名前が全部「関西の地名」っていうのも、なかなかオツですね・・・(笑)しかし、さすがに関西の地名を名前に持った犬です。すぐにこの関西人であるキムに懐いていました・・・関係ないか・・・(笑)でも、どういうわけか、彼らをナデナデしていると、とても懐かしい思いがしたのは気のせいでしょうか・・・。場所、人、そして犬までもが、とても心地良い波動を持った、このカンタラナ。また近いうちに訪ねて行きたいと思っています。(おわり)*写真:アルフォンソの家の裏にある滝
Mar 22, 2005
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「後で考えてみたら、それは全部自分のことだったんだ・・・」さて、では、なんで昨日書いたみたいな危険なヒッチまでして、そんなサバンナの奥の奥にこっそりと住む、アルフォンソという人物に会いに行ったか。その理由はひとつ。例の「UFOおじさん」が、このアルフォンソについておもしろい話をしてくれたからなんです。「UFOおじさん」と聞いて、誰のことかすぐに分かる人は、もうかなりの「オリボー」オタクですね・・・笑書いた本人すら、「UFOおじさん」について何を書いたか、はっきり覚えていない。今、過去の日記(「UFOおじさん」3篇)をチェックしてやっと思いだしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前にも書いたように、このグランサバナで「UFOおじさん」として知られる、ロベルト。この広大なグランサバナにおける、膨大な数のUFO&宇宙人目撃事例をひとつの地図にまとめた人です。その地図を作るために調査している時、このアルフォンソというおじさんが、様々な地球外生命体とかなり密にコンタクトを取っているという情報を得て、彼が住む、そのサバンナの最奥の場所、カンタ・ラナを訪ねたのでした。その時の二人の会話の一部を、彼のツアーに参加している時に、ロベルトが教えてくれたんです。その内容はこんな感じでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ロベルト)「『なぜ、地球外生命体は、この地球にやって来ているのか?』って、アルフォンソに聞いたんだよ。そしたら彼はこう答えたんだ・・・」(アルフォンソ)「どうして君はそんなことを知りたがるんだい?みんなそうやって、地球の外のこと、調べても調べても到底解明できないような未知の世界のことを知ることには熱心だけれども、この地球上の自分の身近に起こることには、全然注意を払わない。もう4年も前から同じマンションに住んでいるにも関らず、隣近所に誰が住んでいるかも知らない。もう1年ちかくも自分の兄弟に電話一本すらしたことがない。コミュニケーションが足らないことが原因で夫婦の仲がおかしくなって、遂には離婚にまでなる・・・。そんな身近なことにすら自分の注意と愛情を払えない人が、地球外生命体が地球に来訪している理由なんて知ったところで、どうなると言うんだい・・・」(ロベルト)「自分はなるほどと思ったんだよ。確かにわれわれは、地球外生命体のことを知ろうと必死だが、肝心な自分たちの身の周りのことは、ついつい疎かにしがちだ・・・。まあこんな感じで、はっきりとした答えを彼から得ることなしに、彼との面会は終わったんだよ。それで、帰り道の車の中でね、彼との会話を思い出していてね、「はっ!」としたんだ。さっき彼が言った、マンションの近所との関係、兄弟との関係、夫婦関係の話、それは全部自分のことだって気がついたんだ。でも、自分はそんなこと一言も彼に言っていないし、もちろん彼とはその日が初めてで、それまでは面識がなかった。それなのに、なんで彼は自分のそんなプライベートなことを知っているんだ?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今でもたまに街でアルフォンソを見かけると、「まだUFOがいるとか、いないとかの調査をしてるのかい?」って、笑われると言うロベルト。「どうやら、彼はそんなレベルをはるかに超越しているようだから、もしパウヒに行くんだったら、彼のところまで足を伸ばしてみるといいよ。とても面白い人だから・・・」この一言を聞いて、パウヒに行ったらアルフォンソというおじさんに会いに行くと即決定。それで、昨日書いたとおりの道程を辿って、やっとのことで2005年の第2日目に、当人に会うことにあいなったのでした。(つづく)
Mar 18, 2005
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久しぶりに死ぬかと思いました。また昔話です。はっきり言って、この前の冬休みの旅行の話、書き出すと切りがない。それほどネタが多い。あまりにも印象深過ぎる旅行。まあ一生忘れることができない旅行。でも、もう4月になろうと言うのに、いつまでも昔のことをダラダラ書いているのも性に合わない。しかもあと2週間ちょっとでベネズエラを去って、またまた濃~いそうな国、キューバに飛ぶので、そこでも色々あって旅行記を書きたくなるに違いない。なので、あとひとつだけネタを紹介してやめますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アルフォンソというおじさんの話です。例のなーんにもないサバンナのど真ん中に存在する、エリベルばあちゃんが住む「光の農園」”ランチョ・ルス”より、さらに人里離れた奥の奥に、”カンタ・ラナ”という場所が存在します。でもこの場所、集落でもなんでもない。唯単に彼と彼の家族が小さな売店と民宿を営んでいる、ほんと~の、ほんと~に、な~んもない場所なんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、なんでそんなガイドブックにも、一行も、一言も紹介されていないような場所に、わざわざ死ぬような思いをして行ったのか。ああ、「死ぬような」と言うのはですね、下の写真を見てほしいんですけど、この写真に載ってる、ガソリンをドラム缶にパンパンに詰めたトラックをヒッチして、彼のところまで行ったからなんです。ずっと読んでくれてる方は覚えていてくれてるかもしれませんけど、サンタ・エレナからパウヒを通って、ずーっと西に伸びている未舗装のこの一本道。通常、トヨタのランクル(四駆)じゃないと通れないような、土の溝だらけのボッコンボッコンの道なんです。途中、崩壊している橋やら、川やらを四駆でもゆーっくり、ゆーっくり通っていかないと進めないような、自分が知る限り、史上最悪の道なんですね。で、われわれは無謀にも、そんな場所で、このガソリンでパンパンのトラックをヒッチして、この運転席じゃなくて、この運転席の上、頭の部分に腰をかけて、アルフォンソのいるカンタ・ラナまで行ったんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多分乗っていたのは1時間もなかったんじゃないかな。でも、はっきり言って何時間も乗っていたように感じました。なぜかと言うと、唯でさえ最悪の道なのに、その上、このトラックに乗ってすぐに、どしゃぶりの雨になって、すぐにその最悪の道がドロンドロンの川に変身したんです。そしてそんな中、このトラックの運ちゃんはなーんにもないかのように、ドンドンと進んで行く。運転席だと、あんまりトラックの傾きは感じないのかもしれませんが、この頭の部分に土砂降りの雨の中、腰かけているわれわれには、もう今すぐにでも、このガソリン詰めのトラックがおもいっきり横転するんじゃないかと思えるような、そんな45度以上にも感じられるような、傾きの連続。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、ほんまに死ぬかと思いました。あれがマジで横転してたら多分命はなかったでしょうね。とにかく、そんな怖い思いまでして、アルフォンソというおじさんに会いに行った訳です。まあ、その理由はまた次回。(つづく)
Mar 17, 2005
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そう言えばベネズエラでアトピーの人やら花粉症の人なんて、聞いたことないな・・・。今日はちょっと忙しいので日記をお休みしようと思ってました。でも今ご縁があってめぐり合った「変なお百姓さん」のウェブサイトに、藤田紘一郎という先生のおもしろい話が載っていたので、これを紹介しておきます。昔に比べてゴキブリやねずみが増えたのは、空気中の細菌や微生物のバランスが大きく崩れているからだということは知っていましたが、まさかお腹の中の寄生虫が、アトピーや花粉症の増加に影響しているとは知りませんでした。この身体というミクロコスモ(小宇宙)、やっぱり奥が深いですね。この宇宙の全ての全ての生命に、その存在意義があるということも再確認です。どんな極悪菌にも、病原菌にも、どんな極悪人と呼ばれる人にも、存在意義があるんです。そのすべてのすべてが、この宇宙のバランスを取るために必要なんです。さあ、今日からもっと不潔にしよっと。ん?そういう話やないって?・・・・(笑)ではまた明日。
Mar 16, 2005
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かなりいい線行ってるってことですね。昨日の日記は、チャベス大統領の外交について書きましたけど、ちょうど今、ファイナンシャル・タイムズに、こんな記事が載っていました(英語が読める方は読んでみてください)。記事のタイトルは 《Bush orders policy to ‘contain’ Chávez》「ブッシュがチャベスを「阻止せよ」と命令する」この Contain という言葉を聞いて、すぐにベトナム戦争を思い出しました。アメリカで外交史を勉強した時に、この Contain という言葉が、やたらと出てきた。この Contain という言葉には、「有害なものがこれ以上広がらないように抑制する」とか「封じ込める」という意味があります。ベトナム戦争の時は、この言葉の意味は「共産主義を抑制する、阻止する」という意味で使われていた。知ってる人も多いと思いますが、ベトナムでの戦力増強の大義名分が、この共産主義の《Contain》だったのです。その戦略の無残な結果は、ご存知の通りです。さて、さっきのフィナンシャルタイムズの記事の内容。簡単に関西弁でまとめると、米国国務省の言い分はこんな感じです。「もうベネズエラのチャベスは我慢ならん。めちゃくちゃあからさまに石油で儲けた銭を使って、ボリビアやらペルーやら、南米の政治的に不安定な国を余計混乱させようとしとる。まるでハイエナみたいなやっちゃな。こんな弱い者いじめする輩をほっとけるわけないがな。もうこれまでのやり方やったら話にならんから、今からはちょっとマジで封じ込めにかからなあかんと思ってます・・・」さて、これを米国政府の本音から読むとどうなるか。「このチャベスとかいう軍人あがりの大統領。どうせ長続きせえへん、ありきたりの左翼独裁者かと思てたら、ベネズエラ国内の支持率はめちゃくちゃ高いし、南米だけやのうて、世界中を飛び回って石油やら天然ガスやらの輸出やら技術協力の提携やら結びまくって、どんどん仲間を増やしてるやんけ。ラテンアメリカの国の絆を強めて、EUみたいな共同体を造るとか言うてるしな。EUだけでも相当うっとおしいことになってるのに、加えて中南米まで団結されたら、わしらようやっていかんがな。しかも内(米国)に輸出してる石油もいつでもストップしたるって脅してきよる。こいつは早いことなんとかせんとかなりやばいことになるかもしれんな・・・」この記事では、「南米の不安定」を煽っているから、チャベスを抑えないといけないという論調ですが、実際はそんなケツの穴の小さい話ではないのです。米国が Contain 「封じ込める」と言う理由は、実は逆に自分たちが「封じ込められる」という、米国の恐怖心の裏返し。まあ構図としては、嫌われ者が、人気者に嫉妬して、その人気者を力ずくで叩き潰すといった感じです。しかし果たして、人気者を力ずくで叩き潰したところで、その嫌われ者が支持を得て、人気者になることができるか?こんなこと、小学生でも、いや、幼稚園児でも分かることですよね。答えは「No」です。さて、そんな米国が、これから「チャベス抑制」に向けてどんな戦略をぶつけてくるのか、注目したいと思います。でも、どうせまたあからさまに無謀な戦略なんだろうな・・・。しかし、どうしたらこの米国の「恐怖心」を取り除いてあげることができるんでしょうね・・・。そんなに怖がないといけないことなんか、なーんもないのに・・・。
Mar 15, 2005
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今世界で注目されているホットなVIPが二人もやってきました。昨日、3月12日(土曜日)はベネズエラの「国旗の日」でした。前の晩、ちょっと遅くまで友達と飲んでいたので、ついつい起きるのが遅くなってしまった。でも、最近首都滞在の連続でご無沙汰していた週末の「キープウォーキング」を再開しようと、ジョギングシューズを履いて外へ。さすがに「国旗の日」だけあって、ベネズエラの黄・青・赤3色ストライプの鮮やかな国旗が、いたるところに揚げられている。日本の日の丸と比べると、かなり派手なベネズエラの3色国旗。朝早くからお日様がガンガンに照るこの熱帯の国には、どういうわけかその派手さが良く似合う。歩き始めてすぐに、国旗が普段よりも多いこと以外に、ちょっといつもと町の雰囲気が違うなと感じました。やたらと交通量が多い。土日の午前中は、普段よりも交通量が少ないはずなのに、やたらと車が走っている。なんでやろうと思いつつ、空港へと続くタチラという高級住宅街のメインストリートへ入って行ってその理由が分かりました。眼前には自動小銃を持った国家警備軍の軍人さんが一定間隔を置いてずらりと立っている。「ああ、そう言えば、今週末にチャベス大統領がシウダボリバルに来るって言ってたな・・・」キムが住むシウダ・ボリバルは、一応ベネズエラで一番大きな州(だったと思う)のボリバル州の州都。でも、人口はせいぜい2、30万人で、大して重要な産業もない、小さな町。では、なぜそんな田舎町にわざわざ大統領が来るのか?それは、国旗の日だった昨日12日に、シウダ・ボリバルの郊外に14年間も使用されず放置されていたトラクター生産工場が正式にオープンし、そのオープニングセレモニーにチャベス大統領が出席することになっていたのです。それも、もう一人の世界のVIPと一緒に。そのもう一人のVIPとは、イラクの次にアメリカの軍事侵略のターゲットになっているイランのハタミ大統領。実は、この14年間無使用放置されていたベネズエラ初の国産トラクター生産工場、イランの技術協力を得て改装オープンすることになったのです。なので、この工場をオペレートする新会社の名前も「ベネ・イラントラクター」(そのまんまやね・・・)と言います。いつもより交通量が多いと感じたのは、警備目的で、空港周辺道路が全部封鎖されていて、ほかの通りへと車が全部集中していたから。と言っても、こちらはただのウォーキングエクササイズ中のチーノ、じゃなかった、ハポネス。いくら大統領が来るって言っても、いつもの自分のウォーキングルートを変えるのもしゃくだし、歩道は封鎖されてないみたいだったので、軍人さんたちが並んで警備している中を通って行きました。しかし予想どおり、2回ほど軍人さんに止められました。1回目は、自分の行き先が空港の横の公園であることを伝え、簡単なボディーチェックを受けてパス。しかし2回目はあっさりと、迂回するように命令され、仕方がなくルート変更。とは言うものの、行き先である公園は、空港敷地のすぐ横にあるので、滑走路と金網フェンス一つをはさんでいるだけの道をどうしても通らないと、公園には着けない。また別の軍人さんに聞くと、公園は今日も開いているということだったので、その公園に行きたいんだと言って、その道を通らせてもらいました。その時ちょうど目の前の滑走路に、シウダボリバルへの運行がないはずの航空会社の飛行機(最新のボーイング)が、爆音を立てて着陸して来ました。続けて、小型のプライベート機が着陸。どうやら前のボーイングにはハタミ大統領の一行が。後の小型機にはチャベス大統領が乗っていたようです。2時間ほどして家に戻ってテレビをつけると、先ほど空港に到着した2人のVIPは、すでに郊外のトラクター工場に着いていました。テープカットの後、記者会見。生まれて始めて、イスラム国の大統領のスピーチをライブで聞いた。確かイランは米国政府が決めた「悪の枢軸国」に含まれていたことを思い出しました。しかし立場が替われば、悪が善になる。チャベス大統領はハタミ大統領のことを、「エルマーノ(兄弟)、ハタミ」と呼んでいました。国内政治の安定を確実にし、最近は特に外交に力が入っているように見える反米のリーダー、チャベス大統領。彼の外交先を見ていると、米国発のニュースでは見えない、将来の世界の動きが垣間見られます。そんなチャベス大統領の3月に入ってからの外交先は、ウルグアイ、インド、カタール、フランスでした。米ドルと軍事力で世界を牛耳ろうとするアメリカ。そんなアメリカの孤立化を狙って、着実に絆を強めるその他の国々。最終的にその勝敗がどちらにあがるか、その結果はもう見えているように思えます。いくらアメリカと言えども、全世界を敵にまわして勝てるはずがない・・・。「世界の嫌われ者」の運命は衰退、崩壊です。現在のアメリカのその無謀な政策を見ていると、そのあまりもの無謀さに、可哀想になってくる。衰退、崩壊した後のアメリカという「20世紀の大国」を、救ってあげるのが、「和」の国でしょう。最後に「エルマーノ、ハタミ」が昨日語った言葉を・・・“El presidente de Estados Unidos, en su obsesión de ser el dueño del mundo, ha dicho que es un enviado de Dios para salvar al mundo. Dios nos tiene que salvar de él para salvar al mundo”「全世界を自分の所有物にすることに取りつかれている米国の大統領は、『自分は世界を救う神の使者だ』と言ったことがある。(しかし)世界を救うためには、神は我々を彼(米国大統領)の手から救わなければならない」
Mar 14, 2005
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「この手紙は俺に宛てられた手紙だって、直感的に思ったんだよ」エル・パウヒというほとんど人のこないベネズエラの東南の果て、ブラジルとの国境近くの集落。その小さな小さな集落すらからも約1時間も離れた、なーんにもないけど豊かな場所、光の農園、ランチョ・ルス。そのランチョ・ルスでエリベルばあちゃんのお手伝いさんとして、多くの時間を彼女と過ごす謎のおっちゃん、フレディ。ここに来る前はベネズエラの反対側、西の果ての州に住んでいて軍人として働いていたという彼。なんでそんな彼が、今、こんな場所にいるのか。興味津々で、どうやってここにたどり着いたのか、彼に聞いてみました。もう20年近く昔と言ってたでしょうか。その時、エリベルばあちゃんが勉強をしていた、とある神秘学のグループがあったのだそうです。神秘学といっても、いわゆる占いとか魔術とかではなく、エリベルばあちゃん曰く、「この宇宙の構造や、宇宙の真理を学ぶための学問」このランチョ・ルスを、子供たちが自然に囲まれ、平和に、安心して暮らせるようなコミュニティにしたいという願いを持っていた、そして今も持ち続けているエリベルばあちゃん。自分の住むランチョ・ルスを、その神秘学グループの中で紹介するために、当時フレディが住んでいた、ベネズエラの西の果ての州にあったグループ支部みたいなところに一通の手紙を出したのだそうです。そして、そのエリベルばあちゃんが東南の果てで書いた手紙がそこに着き、そのグループに属する2人の若者が、図書館でその手紙について、小声で話をしていたのだそうです。その時、その図書館の、その2人の若者(もちろんフレディとは赤の他人)の、すぐ近くで本を読んでいたフレディの耳に、その二人の会話が入ってきた瞬間のこと、フレディは、「その手紙は俺に宛てられた手紙だ!」と、直感的に思って、その手紙をその二人の若者に読ませてもらい、そのまますぐに荷物をまとめて、国の反対端にあるという見知らぬ地、ランチョ・ルスのエリベルばあちゃんを探し求めてここにたどり着き、そのままここに定住することになったのだとか。なーんか知らないけど、この経緯を語ってくれた時のフレディが、自分にはめちゃくちゃ格好良く見えた。その自分の直感を信じて、即決、即行する、決断力と行動力が、きっとその理由でしょうね。歴史に「もし」は通用しませんが、もし、あの時、エリベルばあちゃんが手紙を書かなかったら?もしあの時、フレディがその図書館で本を読んでいなかったら?もしあの時、図書館で本を読んでいたフレディが、その若者の近くに座っていなかったら?きっと、われわれとフレディの出会いもなかった。きっと、フレディが我々を、人生で最高の元日(初日の出)を迎えた、あの場所に連れて行ってくれることもなかった。。。「人生って、ほんと~におもしろいなあ・・・」って、彼の話を聞いて、心底そう思ったんです。これやから、人生やめられまへん・・・笑
Mar 11, 2005
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「お前は馬鹿だ」と言われたことが、ようやくとてもありがたいと思うようになりました。今朝、毎度のように朝一番から勤務先のディレクターの愚痴を一通り聞いて自分のオフィスに戻ると、どういう関係があるのか知らないが、もう何年も前に、とある人物に言われた言葉を思い出しました。その言葉とは、「君は所詮馬鹿なんだから、体力で頑張りなさい」という言葉。この言葉を発した人物とは、自分が大学を卒業して最初に働いた野村証券という会社の取締役。日本の就職活動のことなどなーんも知らず、まだ頭の中身は半分以上アメリカボケした状態、ルックスは海兵隊カットという格好で、何の準備もせずにノコノコと生まれて初めて就職説明会なるものに出かけて行った自分。何か知らないけど、そのまま何度もとっかえひっかえ出てきた社員さんと面接している内に、東京の本社で面接を受けさせられ、その面接が終わってすぐに、偶然エレベータで一緒になった取締役さんに言われた言葉が、この「君は所詮馬鹿なんだから、体力で頑張りなさい」という言葉だった。確かに自分はとてもじゃないが頭が良いとは言えない。それは自分でも分かっているから、まあ良しとしよう。それにしても、なんなんだその言い方は!大企業の取締役になったら、人に面と向かって「君は馬鹿なんだから」なんて平気で言ってもいいっていうのか!!社会で偉くなるっていうことは、そういうことなのか!!!「頑張りなさい」ということは、まあ最終面接は合格したということなんだろうけど、はっきり言って、めちゃくちゃ腹が立った。「こんなことを平気で言うような取締役がいる会社なんて、どうせ碌でもない会社に違いないから合格しても入ってやるもんか!」と思ったくらいに。と言いながら、結局その会社に入って、いろいろと勉強させてもらったんですけどね・・・(笑)とにかく、今朝、自分のオフィスに入ってこの言葉を思いだしたんです。で、どういう訳か、昔はめちゃくちゃ腹が立ったこの言葉が、とてもありがたい言葉に思えてきた。「そうだ、俺は所詮馬鹿なんだ・・・なんて良い言葉なんだ・・・人は皆、自分が偉いとか、スゴイ奴だとか思った瞬間に駄目になる・・・人間なんて、この大自然や大宇宙の知恵に比べれば、所詮みんな馬鹿じゃないか・・・俺たちはみんな馬鹿だ・・・だからもっと自然や、宇宙の偉大な知恵に学ばないと・・・」なにがなんだか知らないけれど、こんな思いが沸沸と沸いてきたのでした。「所詮馬鹿なんだから・・・」と言った、あの取締役さん。恐らくアメリカ帰りで鼻高々な自分を見て、その鼻をへし折るために、あんな言葉をかけてくれたんでしょう。もしかしたら、そうじゃないかもしれないけど、そういうことにしときましょう。面と向かって「お前は馬鹿だ」と言ってくれた、あの取締役さん。本当にどうもありがとう。
Mar 10, 2005
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またもや、もう2ヶ月以上も昔(大昔ですね・・・)の話をします。このブログをずっと読んでくださっている方には「エリベルばあちゃん」とは誰のことかお分かりですよね。そうです。光の農園「ランチョ・ルス」に住む、70歳を超えたあのおばあちゃんのことです。彼女のところで年末年始を迎えることになり、荷物をもって移り込んだその日、フレディという、一人のおっちゃんがランチョ・ルスにやってきました。歳はだいたい40歳くらい。ヒゲをはやして、髪の毛は肩にかかるかかからないかといったくらいの白髪まじりのロンゲ。いかにも自由人といった匂いのするというのが彼の第一印象でした。話を聞くと、おばあちゃんとは何の血縁関係もないけれど、しょっちゅうランチョ・ルスに来て、川に水を汲みに行ったりして、力仕事ができないおばあちゃんのお手伝いをしているのだとか。フレディはわれわれがランチョ・ルスを離れる1月3日まで、ずっとランチョ・ルスにいて、先に話したレヴィスの家や、ランチョ・ルスのもう一軒のご近所(ご近所って言っても、めちゃくちゃ離れているので、ランチョ・ルスからはぜんぜん見えませんけどね・・・)レヴィスのようにパーマカルチャや福岡先生の自然農法を取り入れて住んでいる、イヴァンの家に連れていってくれたりしました。そして、多分ここには書くことはないと思いますけど、キムのこれまでの人生で一番最高で格別だった元日(初日の出)を迎えたとある場所へは、フレディなしでは、決して辿りつくことはできなかった。とにかく、このフレディという人物が、この2004年と2005年の狭間にあって、エリベルばあちゃん同様、偶然にもこの時機にこの場所を訪れた我々にとって、とても重要な役目を果たしてくれた、そんな人物なんです。そんなフレディ。エリベルばあちゃんとはなんの血縁関係もなく、もともとは今住むパウヒからは果てしもなく遠く離れた、ベネズエラの西の果ての州に軍人として住んでいた。「果てしもなく」というのはどれくらい果てしもないかというと、恐らく長距離バスにずーっと乗りっぱなしでまるまる2日間くらいかかる、それくらい遠いところに住んでいた。なんでそんな彼が、この広大なサバンナど真ん中にあるランチョ・ルスにエリベルばあちゃんと多くの時間をともにして住んでいるのか単純に気になったので、例によって、彼にどうやってここにたどり着いたのか、聞いてみました。その問いへの彼の答えが、またドラマ性があっておもしろく、彼のその決断と行動が自分にはとてもカッコイイと思えたのです。。。(つづく)
Mar 9, 2005
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日本文化って、ほんとうにすべてが心と心の鍛練に結びついているんですね。今朝8時に首都カラカスからバスでCDB(シウダ・ボリバル)へ戻ってきました。そうです。先週に引き続き、今週末もバスで平均11時間かかる首都へ行って戻ってきました。目的は、2週間続いた毎年恒例のカラカスでの「日本文化週間」 の最後の週末に開かれた、Feria Japonesa(日本模擬店)の協力隊紹介ブースでのお手伝い。この文化週間についての紹介は大使館のHPに譲ることにします。大使館のHPにあるように、2週間の間、合気道やら剣道やら、空手やらの武術から、お茶、お花、などの芸術、美術、音楽やらのデモンストレーションやら展示会やらを毎日のようにやるんです。キムも先先週と先週末のほんの一部しか見てないんですが、はっきり言ってすごいです。こんなにも日本の文化や芸術に興味を持っている人が、このベネズエラにいるのかと驚いてしまいます。それくらいいっぱい人が来ます。ベネズエラという異国にいて、日本というものに興味を持っている人がいるということを目の当たりにすると、もうそれぞれのイベント会場を埋め尽くす人々を見るだけで、めちゃくちゃ感動します。「ああ、日本人に生まれてよかったなあ・・・」としみじみ思います。その反面、ベネズエラ人の中に、日本の伝統文化や武術、芸術を一生懸命稽古して、高いレベルに達している人たちや、まだ始めて間もないものの、先生に一生懸命ついて学んでいる若者の姿を見ると、姿形は彼らよりよっぽど日本人だけれども、日本古来の芸術、美術、伝統に関する技や精神を、ちっとも身につけていない自分が、とても恥ずかしくなります。「日本に生まれておきながら、俺はいったい今まで何やってたんだ・・・」と、いまさらながらに強く悔やまれる。われわれ協力隊のボランティアが出展したブースで、無料のお習字サービスをやった時にも、そんな「恥」を強烈に感じました。今、適当に名前をつけたその「お習字サービス」とは何か?それは、われわれの出展ブースへの気をひくために始めた、「あなたの名前を日本語で書いてあげます」というサービス。日本人のわれわれにしてみたら、有名な書道家が書いた書ならまだしも、書道なんか小学校でしかやったことのないような、われわれド素人が書いたところで、なーんの価値もないですよね。しかし、ベネズエラ人は違うんです。たぶん、書道なんてしてるところを、たとえテレビで見たことはあっても、実際に生で見たことがある人なんてほとんどいない。しかも、その書道でもって自分の名前を日本語で書いてくれるとなると、それはそれは、もうめちゃくちゃ珍しいことなんですよね。しばらくすると、われわれのブースの前には、日本の習字で、自分の名前やら家族の名前を日本語で書いてもらいたいという人の、長蛇の列ができてしまいました。その列の様子を、写真でお見せすることができないのが残念ですが、それはそれは長い列で、中にはこのために2時間も並んで待ったという、とてもじゃないけど、「あんたほんまにベネズエラ人?」と言いたくなるような、しんぼう強い人も。お習字なんて、小学校(中学校?)出てからやったことのないこの火精人。しかも、「きたない字」コンプレックスが強烈なこの火精人。何枚も何枚も慣れない筆でカタカナの名前を書くのに疲れ、「字を書くのを替わってくれ~」と言う仲間の声に、「俺の字はめちゃくちゃきたないから嫌だ」と、最初はしかとしていたのですが、終には断りきれなくなり、行列のベネズエラ人が「じーっ」と自分を見つめる中で、長年ご無沙汰していた習字をするはめに・・・。予想どおり、自分が書いた字は、お世辞にもきれいとは言えない、それはそれはひどい字。にも関わらず、名前を書いてもらったベネズエラ人は、みんな大喜び。みんな日本語を知らないので、はっきり言ってどんな風に書こうが、それが汚いのか奇麗なのかなんて、わからないわけです。まあ、そのおかげで助かったんですけどね・・・(苦笑)それにしても超久しぶりに習字をしてみてわかったこと。それは、自分の書く字が自分の心の動きと直結しているということ。これは多分、久しぶりに習字をしたから、余計にそう感じたんでしょうけどね。まあ、自分の字は、それはそれは見事なまでに、すべて汚いんですけど、その中でも、自分が見て、ああ、この字のこの部分はちょっとましだなっていうのがあるんですよね。で、そういう部分を書いた時の自分の心を観察してみると、やっぱりなんか静まっているんです。別の言葉で言えば、集中している。そして、字を書くことに集中できている時はとても清々しい気分になって、気持ちがいい。心を静めて目の前のことにこんな集中したのって本当に久しぶりだなって思って、気持ちがよかったんですね。(まあ、それだけ普段、集中してないってことですね・・・苦笑)えらいもんですよね。やっぱり日本のこういう伝統文化というか、伝統的なお稽古ごとって、全部精神の鍛練、特に物事に動じずに、心を静め、集中することの練習になってるんだなって実感したんです。この2年間、再度外国に住んでみて、今度日本に戻ったら、こういうことを習ってみたいなっていうことが、いろいろ出てきたんですけど、今回、こうやって習字をしてみて、字を書いて心を静めるということもその中の一つに加わりました。日本にいたら決して習字なんてしたいとは思わないでしょうけどね。これがたまに外国に住んでみることのいいところでしょうね。日本の価値、日本の文化、日本の心、日本人であること・・・そういうことを外から眺めることによって、その価値の偉大さを感じることができる。しかし、何度も繰り返すようですけど、このベネズエラで、これだけ日本に興味がある人がいるとは思いませんでした。このことは、自分が近い将来やろうと思っているプロジェクトへの「Go!サイン」をもらったような、そんな思いがしました。えっ?そのプロジェクトはどんなプロジェクトかって?それは、まだ当分秘密です。。。
Mar 8, 2005
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「将来もっと多くの人がここに移り住んできて、ここにエコ・コミュニティができるのよ・・・」もうずいぶんと時間が経ってしまいました。1月に終わった旅行の話を3月になっても、まだやっている自分にかなり違和感を感じます。でも、どうしてもまだ語り尽くせてないので、もうちょっと書かせてくださいね。前回の旅行記で書いた、レヴィスのことです。2004年最後の日(12月31日)のことです。たまにエリベルばあちゃんの「光の農園」”ランチョ・ルス”に手伝いに来ているフレディ(彼についてはまた後日書きます)に連れられて、例のごとくなーんにもないサバンナの中を1時間弱歩いて、小さな小川を2つほど渡って、やっと見えてきたレヴィスの家。周りは一面サバンナ。見渡す限りの緑と乾いた土。遠くに前述のクナバイナへ続く土の一本道が見える。そんな場所に彼女はパウロというイタリア人と二人きりで住んでいました。もちろん電気もない。水道もない。ガスもない。電話もない。なーんにもない。でも、そこには生活に必要なすべてがありました。ミミズや馬の糞から作った有機肥料を肥やしにして、野菜、芋、果物等々、二人の大人が生活するには十分な食べ物がすべて、家の周りになっている。水は近くの川から引いてきていて、ふんだん過ぎるほどにある。もちろん周りにはだーれも住んでいないので、その水は湧き水の純度を保った、超新鮮な水。そして、庭の斜面を少し下ると、そこには大きな池が。その池の中には300匹のカチャモト(カチャマとモロコトという2種類の、ボリバル州で養殖が盛んな淡水魚の混合種)を養殖しているとか。よく見ると水のパイプが斜面から下ってきていて、その出口にはタービンがついている。このタービンを使った水力発電で2人が暮らすのに必要な電力は十分に足りるのだとか。さらに池の横には、扇型にフェンスで区切られた畑が。その畑にはレタスを始めとする野菜、そのほかにバナナなどの果物がわんさかなっていました。砂質が多いこの土地で、なんでこんなに野菜やら果物がなるのかと思いきや、そのフェンスの中の土だけが黒い。そこには大きなブラジル産の鶏が放し飼いされていました。扇型の土地を3つにフェンスで区切っていたのは、この鶏たちをローテーションさせるため。今まで本でしか見たことなかった、この鶏の放し飼いローテションを、まさかこんなサバンナの何もない場所で見るとは夢にも思っていませんでした。さらにその畑の横には、小さなヤギの小屋が。そのヤギの糞はミミズの餌や肥料に。もちろんヤギは毎日乳を提供してくれます。もうこれだけで、2人が暮らして行くのに十分過ぎるほどの食料がある。この小さいけれどもとても豊かな、レヴィスとパウロのパーマカルチャー農園を見せてもらって、改めて食料自給、エネルギー自給の生活への憧れが強くなりました。以前は、今住んでいる場所よりももっと何もない丘の上で、一人静かに6年間住んでいたというレヴィス。別れ際に彼女が静かに語ってくれました。「ここには今はまだ誰も住んでいないけれど、将来はきっともっと多くの人が移り住んで、ここにエコ・コミュニティができて行くのよ・・・」まるでもう確定した将来の現実を見ているような表情でそう語るレヴィスの表情がとても印象的でした。日本に、そして世界に、食料自給とエネルギー自給をベースにした21世紀の新しい生き方を模索して、普及させることをライフワークの一つと決めているキム。そのモデルとなりうるレヴィスとパウロの自家パーマカルチャー農園との出会いは、何もないサバンナの中で、ピッカピカに光るお宝を見つけたような、そんな気持ちにさせてくれたのでした。
Mar 4, 2005
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よくぞここまでもってくれました。昨晩のことです。カラカス滞在中からどうも調子の悪かった我が愛しのメビウス君に再起動してもらおうと、一度電源を切って、再度電源を入れようとしました。と、その時!スカツ!っと、スイッチを入れる指に力が入らない感触が。。。ガーン!!!!!横にスライドするタイプのスイッチを携えた愛しのメビウス君のスイッチが、外からではまったく入らない状態になってしまいました。でもスイッチが入らないものは、入らないんだから、もうしょうがない。今更悔やんでみてもどうしようもないので、まあ駄目だろうと思いながらも、明日になればなんとか修繕できるかもしれないと、昨晩はそのまま寝ました。しかしそんなあまちゃんな予想は見事に外れ、ここシウダボリバルでも一番ましと言われるPCの修理屋に持っていってもどうにもならない。自分でこじ開けて修理しようと試みても、中をいじれるまでちゃんと分解することすらできない・・・。まあ、はっきり言ってもうどうしようもない。お陀仏様です。しかし、我が愛しのメビウス君。よくぞここまでもってくれました。今数えてみたら合計7年間のお付き合い。しかも、この雑なヘビーユーザーのキムとの7年間ものお付き合いは、さぞかし大変だったことでしょう。最近は特に、急に画面が飛んだり、メーラーが立ち上がらなかったりと、いくらメンテをしても、その末期の症状がいろいろ出ていました。ここまで働いてくれたら、もうキムも満足です。長い間ありがとうメビウス君。ゆっくり休んでください。さて、メビウス君とお別れすることを決心したら、早速頭のスイッチを切り替え。メビウス君の死によって起こる問題の解決に、頭を全速で回転させました。まずは仕事用のデータと仕事用のパソコンをどうするか。勤務先には当然PCはありますが、すべてスペイン語使用。しかも昼間はほかのスタッフが使っているので自分は使えない。しかしとりあえず、これらのPCを日本語でも使用できるように、昼休みにGlobal IMEをダウンロード&インストール。(実は今も勤務先のPCから打っています)IEブラウザ&MSオフィスで日本語閲覧と日本語タイプができることを確認。仕事やメールのデータなどは、こんなこともあろうかとちゃーんと外付けハードのバックアップを取っていました。でも勤務先のPCにはUBSポートがないので、外付けハードの接続ができない・・・。そこで、困った時のIさん頼み。Iさんの奥さんがノートPCを持っていること。そして近々海外に旅行されると聞いていたことを思い出して、早速電話。お役目を終えたメビウス君よりも、はるかに強力なダイナブックを、お借りすることに成功。なんとか、これで今月いっぱいの仕事には差し支えがない状態になりました。でもやっぱり一番痛いのが、前回バックアップ以降にいただいたメールや連絡先のデータを、もう永遠にリカバーできない可能性があること。「日本に帰って来たら、是非会いましょう」と、最新の連絡先をくださった人も複数いたのに・・・。ということで、掲示板にもこれから書いときますけど、最近2、3ヶ月の間に、キムに最新の連絡先を教えてくださった方々、もしこのブログを読んだら、お手数ですが、再度、メールを送ってもらえませんでしょうか?メールはブラウザーから普通に見ることができますので、問題ないです。よろしくお願いします。メビウス君の死という、ちょっと悲しい出来事もありましたが、そこは人生塞翁が馬。実は同時にうれしいこともあったのです。それは2500ドルかかると見積もりをもらっていた、キューバ&カナダ経由、日本帰国の片道航空券が900ドルも下がって、1600ドルに!!!!!これでお土産に使えるお金が増えた?????キューバでの酒代となって消えてしまわないように、くれぐれも気をつけます・・・(苦笑)ああそれから、まあこういう状態なので、残念ですが、当分は写真抜きの日記になります。あしからず・・・。
Mar 2, 2005
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外見も大事だけど、やっぱり外見だけで判断してちゃね、ダメですね。。。昨日の午後、首都カラカスから帰ってきました。いっつもそうですけど、カラカス滞在中は色々あって朝から晩(時には早朝まで)、なかなか忙しい。今回も初日(木曜日)の午前中からベネズエラ政府のNo.2、副大統領のJose Vicente Rangelとの会見という、なかなかエキサイティングな予定が組まれていました。この副大統領Jose Vicente Rangelという人物。前から何度となくテレビで見ていましたが、はっきり言って全然ポジティブなイメージはなかった。外見もなんかいつも「ムスッ」としていて、いかにも難しいオヤジといった印象。テレビやラジオで流れるスピーチを聞いても、どうしてもチャベス大統領と比べてしまって、イマイチ。(まあ、チャベスの演説も嫌いな人はめちゃくちゃ嫌いみたいですが・・・)とにかく、外見的なイメージが良くなく、チェベスの陰に隠れてなんか存在感もイマイチだった。しかし、実際に会って話しをしてみると、その外見とは裏腹に、とても気さくで親しみやすく、しかも優しいドンといった印象の人物でした。やっぱりメディアから取れるイメージだけで判断するのは良くないなと、今回改めて思ったのです。そして例えどんな人物であろうと、一度直接会ってしまうと、やっぱりなんか親しみが湧く。この世で直接出会うと言うことは、もうそれだけで、ものすごい確率のご縁な訳ですから、まあ当たり前なんですけどね。一度でも直接会うということは、それだけの過去世からの因縁があり、今世で初めて会うなんてことはないようですしね。この副大統領と会った日の翌日、ベネズエラの外務省で働く知人に、そのことを伝えると「君がベネズエラにいる間に、是非チェベス大統領にも会ってほしかったんだけど・・・」と言っていました。チェベス大統領と会ったことがある彼は、このチャベスという人物と会ったことがある人が皆口にする、その強烈なカリスマは、一度直接会ってその身で感じてみる価値が十分にあると言っていました。「6月にチェベス大統領が日本に行く予定があるから、その時に是非会わせます・・・」という訳で、一度会っただけでその人をトリコにしてしまうというチャベス大統領とのご対面は、6月までお預けとなったのでした・・・。【副大統領府の会議室待合に飾ってある、チャベス大統領とホセ・ヴィセンテ副大統領のツーショット写真】【ホセ・ヴィセンテ副大統領と火精人キムのツーショット写真】「君はArtista(アーティスト)なんだね・・・」と言われたので、「副大統領もArtistaでしょ・・・」と言ったら、副大統領、笑ってました・・・(笑)
Mar 1, 2005
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「南米の多くの人は貧乏だけども、その心はとても豊かです」その日の夜、仕事を終えて約束どおりチャリンコ世界一周野郎のNakanishi Daisukeさんと夕食を一緒にするために、また171の救急コミュニケーションセンターに戻りました。そして、ここCDB(シウダ・ボリバル)にある中華レストランを除くレストランで、一番日本人の口に合うと勝手にキムが思っている、”ダ・ジーノ”というイタ飯レストランへ。45分後には、また別の新聞社がインタビューにやって来ることになっていたので、あまりゆっくり話しをしている暇もなく、飯を掛け込み、また171のセンターへ。予定どおり(?)だいぶ約束の時間を遅れて、新聞記者氏到着。夕食中もあんまり落ち着いてNakanishiさんの話を聞けなかったので、そのままキムもインタビューに同行させてもらうことにしました。20時半にインタビュースタート。終わったのは23時近く。Nakanishiさんは次の日(金曜日)には、もう次の目的地へ向かうことになっていました。そして、そのEl Progresoというローカル新聞の記者は、土曜日発行の週末版に彼の記事を載せることを約束して帰って行きました。土曜日にEl Progresoを買ってチェックしてみると、見開き2ページにデカデカと彼の記事が載っていました。残念ながら約2時間半に渡ったそのインタビューの内容は、日本語でここに載せるわけにはいきませんが、同記事のウェブ版がありますので、それをリンクしておきますね。でも、申しわけないんですが、当然のことながらスペイン語です・・・(苦笑)ということで、このサイトを見てくれているほとんどの人には解読不可能かと思いますが、彼の写真(↓)と合わせて、雰囲気だけでも味わってみてください。ああそれから、ここに載っている写真のどこかに、密かにキムも写っています。どこに写っているか分かったらスゴイです。。。(笑)最後に、Nakanishiさんと新聞記者氏のインタビューを横で聞いていて、キムの心に一番響いた言葉を・・・”Los latinoamericanos y en especial los sudamericanos son gente en su mayoria pobre, pero de un corazon muy grande".「南米の多くの人は貧乏だけども、その心はとても豊かです・・・」この言葉を聞いて、唯単に素通りして来た場所もたくさんある中、なぜ彼が、この南米を世界中の他のどの場所よりもより時間をかけて周っているのかが分かりました。キムもこの南米のベネズエラという国に住んでもう2年近くになりますけど、このNakanishiさんの意見に激しく同感しました。Nakanishiさん、今ごろまた別の街で、インタビューしてんのかな・・・。Nakanishiさん、無事に120カ国訪問を達成できることを祈ってますよ~~~!(終)
Feb 23, 2005
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まずコミュニケーションセンターをおさえる。すばらしい手ですね。そして、次の日(金曜日)のお昼頃、突然キムのオフィスの電話が鳴ったのでした。「自転車で世界を周っている兵庫県出身の若者が明日シウダ・ボリバルに行く・・・」と前日にIさんから電話があったことなど、もうすっかり忘れていました。相手は171の救急コミュニケーションセンター。171とはここの人が緊急事態(救急、消防、警察)が起こったときにかける番号。まあ日本の110番や119番と一緒ですね。なんでそんなところから自分宛に電話があるのか理解するのに数分かかりました。チャリンコで世界を周っている日本人がキムの電話番号を持ってやって来ていると言うのです。そこまで聞いてやっと昨晩あったIさんの電話のことを思い出しました。ちょうどお昼ご飯の時間。でも、とりあえず昼飯のことは忘れてタクシーに乗って大急ぎで救急コミュニケーションセンターへ。中へ入ってみると、いました。いかにも「世界を自転車で周っています」といった格好と風貌をした、こんがりと日焼けしたアジア人が。彼の名前はNakanishi Daisuke。出身は兵庫県の川西市。34歳で、もう6年以上も自転車で世界中をグルグルと周っているのだそうです。キムよりも大柄。でも、なんかとても物静かで、ちょっと恥ずかしがり屋という第一印象。確かリアカーマンの永瀬さんの第一印象もそうでした。とても物静か。やっぱり黙々と世界中をリアカー引っ張って歩いたり、チャリンコ乗り続けたりすると、自然とこういう物静かな性格と雰囲気になるんでしょうか。わざわざ救急センターに行ったということは、何か助けが必要なのかなと思いきや、どうもそうではないらしい。もう長いこと南米を旅していることもあって、スペイン語も結構話す。全然助けが必要なんて雰囲気じゃない。どうやらキムのところに連絡をしてもらったのは、ただ単純にキムに会いたかったからのようでした。そう理解して一安心。しかし、世界中を自転車で6年以上も旅して周っているという東洋人が、いきなり自分たちの職場に現われたとあって、救急センターの職員はみんな興奮気味。Nakanishiさんの周りを囲んで彼に色々質問したり、無線で色んなところに連絡を取っている。しかもキムが着いたときには、もう既に地元の新聞社一社とのインタビューのアポが入っていました。リアカーマンの永瀬さんの時は、自分達が近くの新聞社まで連れて行ってインタビューをしてもらったことを懐かしく思い出しました。どうやらこのNakanishiさん、これまでの経験から、こういう救急センターに辿り着くことが彼のような旅行者にとっては一番便利だと分かっているようでした。確かに、まず安全。警察官、救急隊員等が24時間駐在しているんですから、他にこんな安全な場所はない。次に、寝るスペースがある。24時間働いている人がいるということは、24時間開いているどころか、運がよければ空いているベッドがあって、タダで快適に寝ることができる。もちろん、部屋にはクーラーが入っている。そして、新聞社をはじめ、メディア関係者とのコネクションは、日ごろから事件や事故のネタをしょっちゅう提供している仲だからバッチリ。すぐに取材のアポを取ってもらって、運が良ければ寄付なんかも取り付けることができるかもしれない。しかも当然のことながら、周辺の国家警備軍、警察、救急、消防などと全て無線で繋がっている。なので、自分がこれから通る場所の関係者に、前もって連絡をとってもらえ、下手に怪しまれずにスムーズに旅が続けられる・・・等々。Nakanishiさんが上記のうち、どこまでのことを考えて、こういうセンターに身を寄せたのか分からない。でも、これはなかなか良い手だと、一人で勝手に感心してました。自分も万が一、世界を自力で旅することになったら、この手を使わせてもらおう・・・(笑)(まあ、絶対にあり得ないけどね・・・そんなしんどいこと、ようやりません・・・)彼の状態と、救急センター職員たちのとても親切な応対を見て、これは自分がいなくても大丈夫だと判断。彼と晩御飯を一緒に食べることを約束し、自分はとりあえず職場へと戻ったのでした。(つづく)
Feb 22, 2005
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関西人には冒険家が多いんですかね・・・?木曜日の夜に、いつも大変お世話になっているシウダボリバル在住の日系人実業家Iさんからキムの携帯に電話があった。「木村さん、今ね、あんたと同郷の日本人が私のオフィスに訪ねて来てます。彼は自転車で世界中を周っているんだそうです。兵庫県の出身だというから木村さんと同じだよね。あんたと言い、この方と言い、兵庫県出身の人は、本当に素晴らしい人が多いねぇ♪」キムが密かに「誉め殺しのIさん」と呼んでいる、いつものIさん節。その同郷の冒険家は、電話があった隣町のプエルトオルダスを次の日に発って、翌日の午後にキムのいるシウダボリバルに入る予定だとか。エンジェルフォールをはじめとする、ベネズエラの観光名所へのアクセスポイントとなっているからだろうか。ここシウダボリバルに来て、世界中を周っているという日本人にはもう何人も会った。でもその彼のように他の交通手段を使わず、自力で旅している人はこれで二人目。一人目は、これまた大阪出身の関西人、リアカーマンの永瀬さん。自作のリアカーを引っ張ってひたすら歩いて旅行する永瀬さんとは、まだキムがシウダボリバルに来て、数ヶ月目に偶然出会って、一緒に食事をした。確か、2003年の6月か7月のことだったと思う。永瀬さんは、ベネズエラのプエルト・ラ・クルスを南米大陸の北端と定めて、そこから同大陸の南端と定めた、アルゼンチンのウシュアイアまでを、リアカーを引っ張って10ヶ月以内で歩く計画を持たれていた。そして見事に10ヶ月も費やすことなく、その計画を達成された人だ。アルゼンチンのウシュアイアから、ステキな絵葉書をもらった時は、自分のことのように嬉しかったのを覚えている。そして、とてもまめな永瀬さん、今年もわざわざリアカーマンスタンプのついた年賀状を送ってくださった。永瀬さん、ありがとう♪今ごろは、奥さんと2人のお子さんがいる大阪で、楽しく暮らしていらっしゃるんことでしょう。Iさんもおっしゃってたけど、永瀬さん本人も偉いけど、子供を2人抱えて、そんな冒険を許してしまう奥さんはもっと偉い。かなりの太っ腹母ちゃんじゃないとできないこと。永瀬さんの奥さんめちゃくちゃ偉い!キムも全く同感です。でも永瀬さん言ってたな、「歩き終わったときは、もう二度とこんな旅はやりたくないって思うんですけど、またしばらくすると、体がムズムズして来るんです・・・」アフリカ、モンゴル、オーストラリア、南米・・・、世界中をリアカー引っ張って歩き回った永瀬さん、今度はどこにお出かけなんでしょうね・・・(笑)(つづく)
Feb 20, 2005
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「自分の魂が、私をここに呼んだのよ」たまたまクナバイナのキャンプ場に自分が作ったアクセサリーを売りに来ていた謎の女性レヴィス。我々が、これから歩いてパウヒに戻ると知って、近道があるからと一緒に途中まで歩いてくれた。道といっても草がぼうぼうと生えていて、とても「道」なんて呼べたものじゃない。彼女がいなかったら、すぐに迷子になってしまうところだ。キャンプ場を一歩出ればまた元通り。本当に何もないサバンナのど真ん中。それでも来る時はまだ、ぼっこんぼっこんの未舗装一本道が続いていたが、今度はそんな道もない。周りは丘と草と低木しかない。見渡す限り、緑色と土色。そんな中をレヴィスはどんどんと歩を進めて行く。話を聞けば、火精人探検団(仮名)のメンバー、K君が住んでいるメリダ州のアスリータに以前住んでいたのだとか。キムも行ったことのある、アスリータ。ここ、パウヒに来て、元々アスリータに住んでいたという人に出会ったのは二人目だ。この広い、広いベネズエラの西の端にあるアスリータと、東、しかもブラジルが近い南の端にあるこの極度に人口の少ないパウヒと言う場所が、どうしてこのように繋がっているのか、Levisがアスリータに住んでいたと知って、余計に不思議に思えてきた。「なんなんだ、この繋がりは・・・」そしてそういう我々も、今回の1ヶ月の旅の行き先を、最初からアスリータとパウヒに絞って計画していた。自分達にも、どうしてこういうことになったのか、はっきり言って、さっぱり分からない。世界広しと言えども、このベネズエラという日本人にはとてもマイナーな国で、なおかつ、ベネズエラ人ですらほとんど知らないような(例え知っていても興味を惹かないような)この二つの何もない西の端と東南の端にある集落、アスリータとパウヒという場所に絞って旅をしたという日本人は、未だかつていないに違いない。このレヴィスという謎の女性の家を、後日訪ねることになるのだが、その時に、ここパウヒに来てから、ほとんど全ての人に聞いているように、彼女にも尋ねてみた。「あなたはどうやってこんな辺鄙な場所を探し当てて、どうしてここに住み着くことになったの?」そうするとレヴィスはこちらの目を見つめ、ニッコリと優しい微笑みを浮かべながら言った、「自分の魂が、私をここに呼んだのよ」(つづく)
Feb 17, 2005
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「靴が買えない貧乏を悔しがるより、みんなにバカにされながらでも、学校に行き続けた自分を誇りに思う」勤務先のNGOの給料日は15日と30日。給料日には決まっていつもFinca(農場)で働いているドン・サルバドールが、キムの働いている事務局にやってくる。給料の小切手を受け取って、それをダウンタウンの銀行で現金化するためだ。そして彼がこっちに出てくる時は決まって彼と一緒に食事をする。オフィスで仕事の話をしだすと話が尽きず、いつも「じゃあ続きは飯でも食いながら・・・」といつもの中華屋へ出掛けるのだ。どういう流れで始まったかは忘れたが、今日はとある同僚のことが話題になった。その同僚はいつも過去に起こったネガティブな出来事を事細かに覚えていて、誰がどういうことを言っただとか、こんなことをしただとか、昔の出来事(しかもネガティブな出来事)に拘り続ける性格なのだ。そして、その昔の出来事を理由に、不信感や怒りや不安といったネガティブな感情を、ずーっと長いこと溜め込むタイプなのだ。自分が、「あの人はあんな風にネガティブな感情に執着していて、よく毎日生きていけるなって、いつも思うんだよ・・・自分だったらとてもじゃないけど、あんな風には生きていけない・・・」と言うと、ドン・サルバドールは大きく頷いて、「あんな風にいつまでもネガティブな感情に執着していたら、そりゃ色んな病気になるのは当たり前だよ・・・そりゃ、自分にだって毎日色んな出来事が起こって、怒ったり、落ち込んだり、悲しんだりすることもあるけど、自分はそういうネガティブな感情を溜め込んだりして、自分の幸せを台無しにしたりしない・・・生きていれば、誰にだったやっかいなことは起こるのは当然だし、悩みや問題を一つも抱えていない人間なんていない。でも大事なことは、そんな悩みや問題に自分の幸せを蝕ませないこと。とにかく嫌なことはとっとと忘れてしまうことだね・・・」今年75歳。未だに現役で、毎日ギンギンの太陽の下でバリバリ働いているドン・サルバドールの言葉には、さすがに重みがある。そして彼はこう続けた。「今でも、思い出すよ。自分がまだエルサルバドルにいて小学校に行っていた時のことを・・・。自分の家族は、もうそれは言葉で表現できないくらい貧乏でね、学校に行く靴が買えないから裸足で学校に行ってたんだよ。片道1キロくらいのアスファルトの道でね。朝早いうちはまだよかったが、帰りはね、もう道が太陽の熱を一杯吸い込んでいてね、それはそれは足の裏が地獄を歩くように熱かった。そしてね、学校に行くとね、先生にこう言われたもんだよ・・・『あれどうした?お前のところの靴屋は店じまいしたのか?』ってね。そして、クラスのみんなに大笑いされた。でもね、自分はその時の情けなさ、悔しさ、悲しさに自分が蝕まれることを決して許さなかった。逆にね、先生やクラスメイトにバカにされ続けても、一度も学校を休むことなく、裸足で学校に行き続けた自分のその勇気を誇りに思っている。あの勇気だけは、いつまでも忘れることはないさ・・・」そういうドン・サルバドールの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。まったく同じ事を経験して、上がる人もいれば、落ちる人もいる。全ては自分の受け取り方で変わる。またまた良い勉強をさせてもらった、ドンとの昼飯だった。
Feb 16, 2005
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日本ではほとんど報道されていないでしょうね。今、ベネズエラとお隣の国のコロンビアという国の外交が"Crisis"(危機)にあると騒がれていること。事の発端は、ベネズエラ国内で、コロンビアの左翼ゲリラ幹部がコロンビアの秘密警察に逮捕されたことにあります。その逮捕劇があったことを、ベネズエラ政府は前もって知らされていなかった。要するに、コロンビア政府が勝手にベネズエラ国内で捜査を行って、ベネズエラ国内でそのコロンビアゲリラの幹部をしょっぴいたということです(ベネズエラの警察もどうやら勝手に関与していたらしいですが・・・「勝手に」というのは、賄賂目当てに政府上層部に知らせることなく勝手に動いていた、という意味です)。言うまでもなく、これは完全な国家主権の侵害。ベネズエラが対コロンビアとの商取引の凍結を言い出したり、電力の提供の凍結を言い出したり、天然ガスパイプライン建設の凍結を言い出したり、要するに、主権の侵害に対する「制裁」を言い出すのは、世界の常識から見ると「当たり前」なわけです。かたや我が祖国に目を向けてみると、他国(米国)の基地が日本の領土にわんさかと居座っている。そして、彼らが日本で自由で安全な活動ができるようにと、毎年日本国民の税金から、大金をはたいて彼らをサポートしている。これはすべて日本の安全のためだという。米国さんは日本が払う金銭的犠牲の代わりに、日本の安全を守ってくれて、日本に万が一のことがあれば、軍事的行動に出てくれるのだと言う。にも関わらず、もうずーっと昔から明らかになっていた北朝鮮という国の日本の主権侵害である、「拉致問題」に関しては、なんら制裁はなし。今になってやっと、日本政府が経済的な制裁を加えるとかいう議論をしだす次第。ここベネズエラに来て、いったい何人のベネズエラ人に質問されたことか。「どうして日本人は、アメリカの軍隊が日本に基地を置き、そこから自由に海外へ攻撃できることを長年許しているのか?」彼らにしてみれば、他国である米国の軍隊が、日本という日本固有の領土に居座っていて、自由に行動できることが、不思議で仕方が無いのだ。この質問を受けるたびに、自分は本当に情けない気持ちになりながら、苦し紛れにこう答えてきた、「日本とアメリカは戦後、安全保障条約という約束を結んだので、国際法上アメリカ軍は日本に駐留することができるんです」そうすると大抵こういう反応が返ってくる、「でも日本人はアメリカ軍が日本に居座りつづけることを望んでいるのか?」そして自分の意見としてこう答える、「おそらく過半数以上の日本人は、アメリカ軍が日本に居座り続けることを望んでいないと思う・・・」そして最後にこういう反応が、「じゃあ、どうしてそんな条約なんてとっとと破棄して、米軍を日本から追い払わないんだ?」アメリカの国益を剥き出しにして、アフガニスタンやイラクへの侵略に絡んで、日本に駐在する米軍が日本から中東へ攻撃に出ていったのは、いまや誰でも知っている事実。これは国際法上、明らかに日本も侵略国家になったということ。しかし、どうして安保条約を破棄して、米軍に出て行ってもらうことができないのか。この単純なベネズエラ人からの疑問に、ずっと答えることができなかった自分。今週の増田さんの時事直言を読んで少し救われた。「少し」という訳は、この疑問に答えることができるようになったからと言って、日本が米国の植民地でなくなるわけではないから。。。そういう自分は、我が祖国を長年植民地化しているアメリカで大学教育を受けた多くの日本人の一人。自分の脳みそも、本当に長い間「植民地化」されていたと、ベネズエラに来てやっと気付くことができた。ベネズエラに来て、本当によかったと思える理由の一つは、この気づきにある。そして気付いてからどうするのか。これがこれからの自分の課題の一つ。
Feb 12, 2005
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すべては一瞬のタイミングで決まるんですね。ド近眼の自分にはとうていはっきり見えなかったくらい、とーおく、とーおくに見えた人影。かなり近づいて見えてきたのは、鶏の卵をケースごとぶら下げて、杖を持って歩いている二人のおばちゃんでした。「クナバイナに行きたいんだけれど、どこにあるか知ってますか?」と聞くと、もうとっくに過ぎていると言うじゃあーりませんか。実はこの地点に来るまでに、「クナバイナキャンピング場」と書いてある小さな看板を通りすぎていたのです。しかし、「クナバイナは村か町であり、集落が見えるはず」と思い込んで進んでいた、我々。そんな看板など見向きもせずに、さっさと通りすぎていたのでした。首都カラカスに近いバレンシアから来ているというその二人のおばちゃん。我々が目指している場所の近くに滞在しているというので、一緒に歩いて行くことに決定。と、その決断をした瞬間に、遠くからどうやらジープらしい音が。。。例によって、トヨタのランドクルーザーでした。車も人も滅多に通らないこの道で、あたかも我々のクナバイナ行きを助けるように現われたランドクルーザー。運転手の若いニイチャンは、快く目的地の入り口付近まで乗っけてくれることに同意してくれました。この車で先ほど通り過ぎた看板の場所まで戻り、そこからさらに30分も歩いたでしょうか。目的地のキャンピング場に着くと、見たことのある顔のベネズエラ人がズラリ。そうです。このキャンピング場には、2日前にサンタエレナのジープ乗り場で偶々出会った、ヒーリンググループが滞在していたのです。彼らとジープ乗り場で過ごした時間は、ほんの数分のこと。交わした言葉もほんの少し。ただどういう訳か、この人たち。キムにはずーっと昔から知っている人たちのように、とても親しみを感じたのです。彼らもまさか自分たちとこんなところで、本当に再会できるとは思ってもみなかったのでしょう。我々の顔を見て、とても喜んでくれました。しかしなんとフレンドリーな人たちなんだ・・・。まるで旧友と再会するかのように、みんなとしっかりと抱き合い、再会を喜んだのでした。この明らかにスピリチュアルな人たちだと分かるグループ。どんなグループなのかと言うと、霊界に存在する、いろいろなマスター達からの指導を受け、様々な手法のヒーリングを施しているグループなのです。ヒーリングを目的とした組織として、ちゃんとNPO/NGO登録をしている、このグループ。リーダー役のおっちゃんの話では、今、この地球の霊的進化の時代に必要とされているヒーリングの手法が、様々な霊界のマスターを通じてどんどんとこの地上に降ろされていて、彼らはその手法を広く衆生に広める役割を担っているのだとか。そのマスターの中には、昔、地球人として東洋で活躍したマスター達も含まれると言うので、どうやら彼らはベネズエラによくある、キリスト教を基盤とするグループではないようです。彼らの拠点はどこかと聞くと、予想どおり「マラカイ」という答えが。この「マラカイ」という場所。首都カラカスからもそんなに遠くはない場所なのですが、以前からヨガの道場の拠点があるとか、様々な宗教団体、スピリチュアルグループのの拠点があると聞いていて、かなり気になっていた場所なのでした。そして、彼らとそんな話をしているうちに、この近辺に住むという一人の女性がリュックサックに色々な宝石で出来たアクセサリーや、ここでとれるハーブのお茶の葉や花を入れてやって来ました。その女性の名前はLevis(レビス)。この時点ではまだ、彼女と我々の「ご縁」がどういうものなのかもつゆ知らず、彼女の言わば「訪問販売」を、興味深く眺めていたのでした。(つづく)≪次回予告:エリベルばあちゃんとの再会≫
Feb 11, 2005
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死んでは生まれ、生まれては死ぬ。生と死は同義語だと思っています。今、キムが住むボリバル州の日本人会会長さんでいらっしゃったIさんが、外出先で突然亡くなられたという知らせを受けました。身内の死、友人の死、知人の死、可愛がっていた動物の死・・・すべての死は、こうやっていつも忘れた頃に突然やってくる。ここシウダボリバルに約2年前にやってきて、すぐお知り合いになったIさん。シウダボリバルのお隣のプエルトオルダス(ここから車で1時間半)にお住まいだったこともあり、それほど頻繁にお会いすることはなかった。もう半年以上もすっかりご無沙汰していた先週の土曜日、突然Iさんから電話がありました。「木村君、お好み焼きを作るのが、すごく上手いって風の噂で聞いたんだけど、今度の日本人会の懇親会で、みんなのためにお好み焼き焼いてくれない?もうすぐしたら日本に帰るって言うから、最後に扱き使わせてもらおうと思って、ハッ!ハッ!ハッ!・・・」といつになく元気な声のIさん。もちろん自分でお手伝いできることなら、なんでもお手伝いさせていただきますよ。いくらでも扱き使ってやってくださいとお伝えしました。「じゃあ、今、焼肉にするかお好み焼きにするか検討中だから、また決定したら電話するから。もしお好み焼きになった場合は、よろしく頼みます。前日からこっちに来て、家に泊まってもらって、一緒に買出しに行って、準備してもらうから・・・」と言われて電話を切られました。そして先ほど突然亡くなられたという電話。Iさん、焼肉にするかお好み焼きにするか、どちらにするのか教えてくださることなく、昇天されてしまいました。死の瞬間まで彼と一緒にいたという、今しがた連絡をくれた友人によると、今日の彼は、いつになくご機嫌だったのだそうです。「Iさん・・・今日はすごく楽しそうにしてたんだよ・・・はしゃいで踊ったりしてね・・・」突然の出来事にショックで言葉につまる彼女に、掛けてあげられる言葉をなかなか見つけることができませんでした。「死っていうのは、いつもそうやってやって来るんだよ・・・Iさんはもう亡くなられたんだから、今は彼のご冥福をお祈りすることしか、俺達にはできないよね・・・」彼女は昨日プエルトオルダスからシウダボリバルに来て、久しぶりにここに住む彼女の友人を一緒に訪ねたばかりでした。その友人には新たに女の赤ちゃんが生まれていました。キムと同じ誕生日の10月1日に生まれたというその赤ちゃんを抱っこして楽しそうにあやしていた彼女と、今連絡をくれたその悲しみと動揺に溢れた彼女は、まるで別人のようでした。「今は彼のご冥福をお祈りすることしかできない・・・」電話を切った後、さっき無意識に自分の口から出てきたこの言葉を思い出し、Iさんのためにお祈りの言葉を静かにお奉げしました。Iさん、お役目本当にご苦労さまでした。今度の日本人会の懇親会は「Iさん、ご苦労さまの会」に変更ですね。もちろんキムはIさんに特上の関西風お好み焼きをご馳走しますよ。くれぐれも「やっぱり焼肉の方がよかった」なんて言わないでくださいね。Iさん、ありがとうございます。
Feb 9, 2005
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辿り着くべき所に辿り着くために、いつもちゃーんとサポートが用意されてるんですね。エリベル婆ちゃんと一旦お別れしてから約2時間。ぼっこんぼっこんの土の道を、ひたすら歩き続けました。でも、どこまで行っても集落のようなものはない。周りには誰もいない。車も通らない。尋ねようがない。「いったいどこにあんだ、クナバイナ?」と途方にくれていると、はるか道の向こうに、小さく小さく、誰か歩いてこちらに向かっているように見える。「あれ人だよね?」「こっちに向かってるっぽい?」「いや、もしかして、俺達は砂漠の蜃気楼ならぬ、サバンナの蜃気楼、幻を見てるのかもよ・・・(苦笑)」幻か、現実か、遠くに見える動く物体をなんとか見極めようと、ひたすら眺め続ける火精人探検団(仮名)の3人。しばらくして3人の意見が一致。「どうやらあれは歩いている人らしい」「どうやらこちらに向かっているらしい」「これ以上、無闇やたらに歩き進むより、彼らにクナバイナがどこにあるか聞いた方が賢明のようだ」ということで、彼らがこちらに辿り着くまで、しばしの休憩、その場に座り込んだ3人でした。そして時間が経つごとに、徐々に大きく見えてきた2人の歩行者。歩いて移動している人など、めったに見かけないこのサバンナのど真ん中で、どうして彼らは歩いているのか。(そもそもこの辺、人なんてほとんどいないし・・・)一体彼らは何者なのか?(つづく)≪次回予告:クナバイナへの導き≫
Feb 7, 2005
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遂にナンバしちゃいました。ナンパじゃないですよ。ナンバです。やっぱりキムは眼があんまりよくないんですかね・・・。ナンバとナンパが同じに見える・・・(;^_^Aキムが今やって帰ってきたのはナンバ、ベ国でも一度やってみたいけど、なかなか根性がでなくてできないのがナンパ。最初のは濁りの「バ」、後のは破裂音の「パ」です。まあ、ここまで言えば、どんなに眼が良くない人でも分かりますよね・・・。先週から始めた週末エクササイズ。近くの公園まで往復ウォーキング80分。その公園で今日は予定どおり25分間ジョギングしました。毎回5分ずつ長くする作戦。お陰様でなんとか3日坊主は免れました・・・(^o^)//"""えっ?その「ナンバ」っていうのと、この週末エクササイズにどういう関係があるのかって?それが「大あり」なんですよ。なんせ、キムは今、80分間もナンバしてきたんですからねぇ。。。訳分からないですよね。普通は。もし今の時点で訳分かっていたら、あなたはかなりの○○○オタクです。実は縁あって、数日前にとあるHPに辿り着いたんです。そのHPは昌原容成さんとおっしゃる大阪の翻訳者さんが運営されている「日本精神の復権」を目指す、すばらしい内容のHP。ひととおりコンテンツに目を通して特にキムの関心を惹いたのが、この「ナンバ歩き」という歩き方。では「ナンバ歩き」とはどういう歩き方か。簡単に言えば、手と足を一緒に同じ方向に出す歩き方。つまり、右足を出すときは右手を前に出し、左足を出すときは左手を出す。昌原さん曰く、明治以前の日本人は、みんなこの「ナンバ歩き」をしていたそうな・・・。「ほんまかいな・・・」と思ってしまうくらい、今の自分達にとってみれば、あまりにも不自然な歩き方。しかし、なんかおもしろそう。ということで、昌原さんの「ナンバ歩きの勧め」を読んで、さっそく今日のウォーキングに「ナンバ歩き」を採用してみました。「視力回復に効果的・・・」と書いてあったので、「80分もナンバ歩きすれば、俺の近視もちょっとはましになるかも!」とちょっと期待して行ったのですが・・・さてその結果は!?ん?やっぱり、まだ「ナンバ」と「ナンパ」が同じに見えるぞ・・・(苦笑)
Feb 5, 2005
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何もない場所。そういう場所にこそ、本当の豊かさと、真の幸せがあるんだなと、そう思わせてくれたのです。首都カラカスの都会っ子Yちゃんの声に反応して、木の扉をゆっくりと開けたのは、ひと目見て年配だと分かる、小さなお婆ちゃんでした。Yちゃんと、2人のチーノ、じゃなかった(;^_^A、ハポネス(日本人)を見て、一瞬ためらったような表情をしたそのお婆ちゃん、でも次の瞬間、すぐに「ニコッ」と表情を緩め、我々を優しく見つめてくれました。早速Yちゃんが事情を説明すると、「中に入って休んで行きなさい・・・」と、何者かも分からない我々3人を、早速家の中に招いてくれました。そのおばあちゃんの名前はエリベル。家の中は彼女一人で住むには十分過ぎるほどのスペースがありました。話を聞くと、彼女はここに基本的に一人で住んでいるとのこと。80歳近いお婆ちゃんが、一番近い村からも遠く離れた何もない、ご近所さんもいない、こんなサバンナのど真ん中にたった一人で住むなんて、日本ではちょっと考えられないな・・・と少しショックを受けて彼女の話を聞いていると、彼女はポツンと言いました。「ここには何もないし、めったに人も来ないけど、私は鳥や動物たちや花や木・・・この自然に囲まれて静かに生きていて、この今の生活が一番幸せなのよ・・・」確かに、水道もなく、電気もなく、もちろん電話線なんかもなく、周囲は見渡す限りのサバンナと丘。皆が口をとじれば、そこに聞こえる音は、鳥の鳴き声と、部屋の中を吹き抜けるそよ風の音だけ。彼女はもう何十年も前に都会からこの場所に移り住んで、長年街に出ることもなく暮らしているのです。彼女の話を聞きながら、正面の庭に目を向けると、大きな真っ黒い犬が、舌を出して「ハアハア」言いながら、こちらをじっと眺めていました。ああ、あの犬か・・・さっき、まだ俺達が遠くを歩いていたときから、俺達を察知して吠えていたのは・・・予想どおり、かなりガタイの良い犬でした。エリベル婆ちゃんにその犬の名前を聞くと、「キングコングって言うんだよ」と教えてくれました。すっかりエリベル婆ちゃんの話に聞き入ってしまって、気が付けば彼女と出会って、もう1時間半もたっていました。「いけない、いけない・・・今日中にクナバイナという、どこにあるかも知らない場所に辿り着いて、そこからまた歩いてパウヒまで戻らないといけないんですよ・・・」と言うと、「そりゃあ、もうそろそろ行かないといけないね・・・」とお婆ちゃん。そしてこう続けました、「この家は、あなた達の家なんだから、いつ遊びに来て泊まっていってもいいんだよ・・・」と。もうその時点で、すっかりこのエリベル婆ちゃんと、キングコングと、この「光の農園」”ランチョ・ルス”が気に入ってしまった火精人。すかさずお婆ちゃんに、「エリベル婆ちゃん、それ本気で言ってるの?自分たちは今ちょうどキッチン付きの宿を探してるんだよ・・・。じゃあ、明日からここに泊まってもいい?」と言うと、「もちろんいいに決まってるじゃないの、ここはあなた達の家なんだから・・・」とお婆ちゃん。ということで、いとも簡単に別の宿泊場所が決定!(^o^)//"""明日お婆ちゃんと再会することを約束して、”ランチョ・ルス”を後にしたのでした。別れ際、お婆ちゃんが、その少ししわがれた優しい声で我々3人に向かって言いました。"Que Dios les proteja."「神があなた達をお守りくださいますように」今まで何度となく耳にしてきた、ありきれたこのセリフ。でもエリベル婆ちゃんの口からこの言葉を聞くと、本当の本当に神様が自分たちのことを守ってくださるという確信を感じました。神なる存在が自分達を見守ってくれている。エリベル婆ちゃんの信仰の力が、その言葉となって、波動となって伝わり、なんとも言えない感動があったことを今でもしっかりと覚えています。今、思い出しても「じーん」とする。 この深い愛情と信仰の持ち主であるお婆ちゃんに、こんなサバンナのど真ん中で出会った運命の不思議を感じたのでした。≪次回予告:パーマカルチャリスト天国≫
Feb 3, 2005
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う~、足が痛い・・・筋肉痛ですぅ・・・(>_
Jan 30, 2005
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歩くっていいですね。休みだというのに珍しく早起きして1時間半ほど運動して今戻ってきました。早起きって言ってもたかだか6時半に起きただけですけどね・・・(;^_^A いつもだと土日はもっと遅くまでダラダラとやってるので、最近の自分にしては、これでも早起きなんです。行き先は空港の横にある公園。キムの住むセントロからタチラという通りを抜けて行きます。この公園まで歩いたのは実は初めてのこと。大体30分くらいで歩けるかなと思っていたら、やっぱり早歩きしてちょうど30分くらいでした。公園に入るともう既にウォーキングしたり、ジョギングしたり、運動はそっちのけで話に花を咲かせたりしているオバちゃん、おっちゃんたちがいました。一人、なんか忍者風の格好をして、これ見よがしにヌンチャクを振り回しているニイチャンがいましたが、なんなんだ彼は・・・(笑)公園の中はジョギングやウォーキングができる一周1600Mくらいの簡単なコースがあります。最初はそこを30分くらいジョギングしてから帰るつもりだったのですが、30分なんてとてもじゃない・・・。もう長いこと走ってないので当たり前なんでしょうけど、始めて5分で、もうかなりしんどくなった。中学、高校の時は15キロや20キロ、毎日平気で走っていたのに、なんとも情けない・・・(;;)とりあえず明日も続けたいので、今日は15分だけにしておきました。毎回5分ずつ増やして行けば、5週間目(毎週土日走ると仮定)には1時間走ることになる。これを目標にします。やっぱり大事なのは継続ですからね。15分走って、公園内の高台にあるベンチに仰向けになってちょっと腹筋したり、ストレッチしたりして、また30分のウォーキングで帰宅。公園にいる間に、隣の空港から合計3台ほどのセスナが飛んで行きました。きっとエンジェルフォールに向かう観光客を乗せて、カナイマに向かったに違いない。1時間半外に出て歩いただけで、普段から何度も車で通っている場所なのに、いつもは見えないことが沢山見えました。そして色んなことを考えた。それに何よりも朝一番に汗を流して戻ってきた今、とても清々しい気分で、何も特別なことはないのに、なんだかウキウキ、ワクワクします。歩くってやっぱりいいですね。土日だけなんてけち臭いこと言わずに、毎日もっと早起きして歩こうかな・・・・。
Jan 29, 2005
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旅行記は中休みです。(ベネズエラにいると、すぐに休みたくなる・・・(;^_^A)今日のお昼、いつもの中華屋で、最近、特別オファーのあった「ニガウリ」の入った焼きソバを注文して待っている間、暇つぶしに持ってきたパーマカルチャー関連の本を久しぶりにペラペラめくっていると、とあるページに2枚の紙切れがはさんであるのを見つけました。2枚とも同じ内容の紙切れ。題名がついていました。「なぜ砂糖を使わないの?」一番下には東京にあるとあるマクロビオテックレストランの名前が。「ああ、あそこに一人で食べに行った時も、この本を持って行ったんだった・・・」と思い出しながら、そこに書いてあった短い文を読み直してみました。そして今日、たまたまこの紙切れと再会したのも何かのご縁。この日記で訪問者の皆さんと共有しようと思ったのです。紙切れ一枚ですが、ここに書くと、ちょっと長く感じるかもしれません。。。--------------------------------------------なぜ砂糖を使わないの?体が正常に機能するためには糖分は必要です。でもなぜ砂糖は避けたほうがよいのでしょうか?・糖分には、体にやさしい糖とトラブルを起しやすい糖の2種類があります。体にやさしい糖とは多糖類と呼ばれるもので、米飴、メープルシロップ、未精製甜菜糖など。一方、トラブルを起しやすい糖は単糖類、2糖類と呼ばれ、サトウキビから作られる精製された上白糖やグラニュー糖などです。では単糖類はなぜ避けたほうがよいのでしょうか?・単糖類は、消化吸収する際ダイレクトに体の中に入るため、血糖値が急激にあがります。この極端な状態を正常に戻そうとインシュリンというホルモンが分泌されますが、インシュリンも大量に分泌され続ければ、正常には機能しなくなり、体のバランスは崩れやすくなります。その結果として情緒不安定、肥満、糖尿病、アトピーなどの症状があらわれやすくなるのです。また精製された上白糖は、体内にあるカルシウムやミネラル類を奪いながら消化されるため、歯や骨が弱くなり骨粗鬆症の要因にもなります。一方、なぜ多糖類はよいのでしょうか?・多糖類は、ゆっくり時間をかけて消化吸収されるため体に負担がかかりません。また、精製していないため糖類の消化吸収に必要なビタミン、ミネラル類を豊富に含みます。しっとりときめ細かく弾力のある肌、強くつややかで抜けにくい髪、満腹感持続、便秘や下痢の改善など女性にはうれしい効果がたくさん期待できます。--------------------------------------------と、やっぱりここまで書いて、長いなと思ったのと・・・(;^_^A、この紙切れ、「女性をターゲットにした」ちょっとしたマクロビの宣伝文だったということに気がつきました。。。で、ここから砂糖に関して、ベネズエラ人と絡めながら自分の所感をちょっと書こうと思っていたんですが、予想どおり長くなったので、また今度にしときます・・・。
Jan 28, 2005
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「UFOおじさん」のロベルトとのツアーが終わり、火精人キム探検団(仮名)は次の目的地El Pauji(エル・パウヒ)へ。このEl Paujiと言う場所。ベネズエラの南の果て、ブラジル国境間近の町で、グランサバナへアクセスする拠点となる町、サンタエレナからたったの100Kmしか離れていない。まあ大した距離でもないし余裕の移動だなと思っていたら、この道の悪いこと悪いこと。悪いとは聞いていたが、ほんまにめちゃくちゃ悪い。4輪駆動車じゃないといけない(ここを走るタクシーは10台中9台がトヨタのジープ)という訳が、2時間半ほど揺られまくりながら移動してよーく分かりました。さて、このEl Paujiと言う場所。昔、ベネズエラのヒッピー達がかなり移住した場所らしい。でも、今は、なんかちょっとすたびれて中途半端な観光地。ダイアモンドと金を取るところが見れるということ以外、表面的にはあんまり観光地としての魅力がない。しかも到着してみると、当初宿泊予定だった、パーマカルチャーをやっているという宿提供者のオヤジさんのところは空きがなく、村の中心にある、何の変哲もない普通の宿屋に泊まることに。この宿屋、レストランがついているので自分達で料理させてくれない。かたやパーマカルチャーのオヤジさんのところは自炊が条件と聞いていたので、サンタエレナで1週間分の食材をたらふく用意してきた自分たち。これは早急に他の宿泊先を探すべしと思いながらも、まずはなーんかありそうな気がするEl Paujiのもっと奥(西)へ、今度は歩いて探検に行くことに。探検といってもずーっと舗装されていないボッコンボッコンの土道を歩くだけ。サンタエレナで偶然(必然?)出会って意気投合した心霊治療のグループが年越しと年明けを過ごすといっていた、クナバイナというキャンプ場を目指して、ただただひたすら西に進んだのです。そのキャンプ場がどこにあるのか、その詳細はなにも知らず。しかも、周囲は360度見渡す限りの大草原、サバナ、360度地平線。人どころか猫一匹もいない。車は1時間に一回通ればもうけもの(ヒッチハイクできるから)といった場所。はっきり言って同行者に見られて恥ずかしくなかったら素っ裸になって歩いても全然平気と言っていいくらいの、それはそれはなーんもない場所なのです。予定では3時間ほど歩いたら、どこにあるのかはっきり知らないクナバイナ(キャンプ場のある場所)に着く予定。ちょうどその真ん中の1時間半歩いたところでキムと同行者で協力隊仲間のK君は足を止めました。もう一人の同行者、これまた偶然か必然か、サンタエレナで知り合ったベネズエラ人女性の旅行者、カラカス出身の都会っ子のYちゃん。なにを考えたのか、「El Paujiに一緒に行きたい」とサンタエレナから我々に付いてきちゃいました。遅れをとって歩いていたYちゃんが、途中休憩している自分達に追いつくなり一言、「水が飲みたい」そう言えば、これも偶然か必然か、片道3時間、草原と空と土の一本道しかなく、カラッカラに乾いているこのなーんもない場所を歩くと分かっていながら、給水のためのボトルすら持ってこなかった無謀な我々。今から考えれば、ほんとに無謀というかバカというか。。。(;^_^A「確かに、喉渇いたね・・・」と、周りを見渡すと、なーんもないはずの大草原の中に、一軒の家らしい建物と風車のようなものが、かなり道から外れたところに見えるじゃあーりませんか!「あそこまで行って、水飲ませてもらう?」「でも、もし誰も住んでなかったら、あそこまで歩いていったのが無駄骨になるな・・・」とか、なんとか言いながら、とりあえずダメ元で行ってみることに。。。ちょっと探してみると、どうやらその家に繋がっているらしい小道が横に見える。でも、ほんとうにその道が家に繋がっているかどうかは、草やら低木が生い茂っていてよくわからない。しかし兎に角、半信半疑でその小道を進み行く3人。その向こうに何が待ち構えているのか、まったく知りもせずに・・・・。(つづく)≪次回予告:「光の農場」ランチョ・ルスとの出会い≫≪お詫び:昨日の予告はハズレました。ごめんなさい・・・(;^_^A≫≪コメント:予告はあくまで予定ですので、あまりあてにしないでくださいね。よろしくお願いします≫
Jan 26, 2005
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グランサバナに無数に存在するテーブルマウンテンの数々。その多くが地球外生命体が彼らの乗り物(俗にUFOと呼ばれている飛行物体)の出入り口として使っていること。テーブルマウンテンの中に入ると、そこには彼らの基地が存在し、その奥には地底都市が広がっていること。彼らがテーブルマウンテンの中に入るときはそこに何もないかのようにスーッと通り抜けて行けること。何かの理由があって、地球人にそれを見せる必要がある時は、テーブルマウンテンの一部が自動ドアのように開いて、そこから彼らが出入りをすること。グランサバナの中には異次元空間への入り口が存在すること。今地球上には、地球の進化をサポートするべく存在する、「エルマノマジョール」たちの兄弟(仲間?)が14400人存在すること。彼らは地球が問題なく高次元へと進化できるように、ずーっと我々のことを見守っていること。見守っているが、原則として我々(地球人)の生活には介入することはないこと(我々が自ら気づき、自力で進化できるように導いてくれている)。しかし例外として、宇宙の法則に大きく反するようなことを地球人が犯しそうな場合は、そのことを知らせるべく、間接的に地球人の生活に介入することがあること。(例:スペースシャトルの爆発事故等)などなど、ここには書ききれないほどの多くの話をしてくれた「UFOおじさん」ことロベルトさん。ツアーの最後に、我々が次にグランサバナでも観光地としてはマイナーなEl Pauji方面へ行くことを知って、とある人物を紹介してくれました。そのとある人物は我々が次に目指しているEl Paujiのまだずーっと奥(西)にひっそりと住んでいるとのこと。その人物はロベルトさんが持っている情報とは比較にならないほど高次の情報を地球外生命体から直接得ていると教えてくれました。しかし、この時はまだ、その人物とまさか2005年の第2日目に出会うことになるとは、想像だにしていなかったのでした。≪次回予告:カエルが鳴く売店のおやじは異次元を旅する旅行家だった≫
Jan 25, 2005
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今さらながら、かなりいてるみたいです。それはそれは、グランサバナでの色んなタイプの目撃情報を話してくれた「UFOおじさん」のロベルト。中には、昔から「地球外生命体もちろん存在派」のこのキムでさえ「ええ~、ほんまかいな~~~」って思ってしまうような、とんでも情報も少しありました。しかし、彼の作成した「グランサバナ不思議現象地図」に載っている情報はその信頼性を高めるために、一つの発生現象につき関係性のない二人以上の目撃証言がなければ掲載されないというこだわり様。それに彼がこのような地図を作った目的が、売名でもお金儲けでもないことは、彼の身なり、人柄、彼のオフィスや車などなどを見れば誰でもわかること。ということで、彼の言う、不思議現象目撃情報は全て、彼の地道な聞き込み調査の結果、彼が信頼できると判断したものであることは確かなようです。そんな彼が話してくれたグランサバナの不思議現象目撃情報の中に頻繁に出てきたのが「エルマノマジョール」と呼ばれる地球外生命体のグループ。「エルマノマジョール」とは、直訳すると「お兄さん」(年長の兄弟)。たくさんあるグランサバナの先住民たちの「エルマノマジョール」との遭遇証言の中には、よく「ドイツ人」として出てくるのだそうです。どうして先住民たちは、この「エルマノマジョール」を「ドイツ人」と表現するのか。それは、この「エルマノマジョール」のほとんどが、金髪、青い目の白人だからなのだそうです。「UFOおじさん」のロベルト曰く、このグランサバナに昔から往来している地球外生命体には大きく分けて2グループあり、一つがこの「エルマノマジョール」、そしてもう一つが「グリス」(グレイ)と称されるグループ。この2つのグループ、同じ地球外生命体でも大きな違いがあるのだそうです。それは「エルマノマジョール」は、科学の進化と精神の進化の両方で、我々地球人よりもはるかに進んでいるのに対し、「グリス」の方は科学の進化だけが地球人より進んでいて、心の進化は進んでいないグループだということ。なので、「エルマノマジョール」は、地球と地球人の進化を見守っていて、地球上の生命体を決して傷つけたり、我々に害を与えたりはしないのだそうです。よくテレビでやっている、人を誘拐して何かを体の中に埋めたとか、家畜をレーザー光線で切り裂くだとかの行為の全ては、心の進化が科学の進化に伴っていない「グレイ」たちの仕業なのだそうです。と、こんな話を聞いて、その「グレイ」さんたちは、我々地球人とそっくりだなと思ったのです。なぜなら、この地球では、なんでもかんでも、先端の科学技術は、人を殺す技術(武器、軍事技術)へと加工される。そして、同じ地球人同士で殺しあってるんですからね。。。「グレイ」さんたちが、この地球で今までどんなことをやってきているのか知らないけれど、まあ、少なくとも、同じ地球の仲間を殺し続けている我々地球人に、面と向かって彼らを批判する資格はないな・・・、そんなことを思ったのでした。もうそろそろやめません?同じ地球人同士で殺しあうなんて、そんな馬鹿げたこと。。。
Jan 23, 2005
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まるでSF映画を観てるような、そんな感じでした。CDB(シウダボリバル)から夜行バスで約10時間。ブラジルが目と鼻の先のサンタエレナに着いてその翌日には、予約を入れていた「UFOおじさん」として有名なロベルトの2泊3日グランサバナツアーに参加しました。去年に引続き、2年連続でクリスマスをグランサバナで過ごすことになるとは、これも何かのご縁でしょうね。ところで、どうしてこのロベルトを「UFOおじさん」と呼ぶのか。それは彼が、とあることがきっかけで、このグランサバナで目撃された不思議現象、特にUFOや地球外生命体とのコンタクト情報をまとめ始めて、遂にはその情報を一つの地図にまとめてしまったほど、その筋のことに詳しいからです。その彼の地図。彼のお店で普通に売っているのですが、それはそれは詳細にどこでどういう現象が目撃されたかが記載されている。ここにお見せできないのが残念ですが。。。ご存じない方がほとんどでしょうが、このグランサバナという場所、めちゃくちゃ広い。まあ、めちゃくちゃ広いって言ってもどれくらい広いのか書かないとわからないと思いますけど。書いてもわからないか・・・(;^_^A (どれくらい広いのか知りたい方は、「グランサバナ」で検索してみてくださいね。きっとなんかわかると思います)で、その広い広いグランサバナの地図が、いろんな目撃情報の記号(彼は、現象の種類によって記号を使って、地図に記載しています)でぎっしりになるくらいですから、それはそれは、この場所はベネズエラの中でも、そういう現象が顕著に見られる場所であることは誰にでも感じとれます。とは言うものの、別に彼がUFOのことに詳しいから、今回のツアーを彼にお願いしたというわけでもなく、偶々、協力隊仲間の紹介で彼のことを知ってしまったので、なんとなく彼にツアーをお願いした。しかもこのツアー、特にUFOにフォーカスを当てたツアーでもなんでもないんです。どこにでもあるグランサバナ観光ツアー。でも、やっぱり、彼が「UFOおじさん」であることは知っているので、やっぱりどうしてもそういう話になってしまいますよね・・・。それで、自然とツアー中はほとんどUFOや地球外生命体の話をしていました。今まで、どういうUFOが目撃されたのか、どういう地球外生命体がここにやってくるのか、どうしてここにやって来るのか・・・etc.etc.なんせ、それはそれはたくさんの話を聞いたので、全部はご紹介できませんが、そのほんの一部を、掻い摘んでお話していきましょうね。≪次回予告:お兄ちゃんはグレーじゃないのよ≫
Jan 21, 2005
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やっとわかりました。どうしてベネズエラに来る必要があったのかが。今朝(ベネ時間1月16日早朝5時半)、火精人の活動拠点であるCDB(シウダボリバル)に戻ってきました。約1ヶ月つづいた「ベネズエラ三昧の旅」は、西部のメリダ州から3台の長距離バスを乗り継いで、計24時間(バス泊2夜)でもってフィナーレとなりました。2夜連続のバス泊と、アンデス山脈に位置するメリダ(1600メートル超)、超低標高(80メートル)で常にサウナ状態のCDBの気温差も手伝って、さすがの火精人も少々おつかれ。お昼ご飯を食べてから、今さっきまで、3時間ほど死んだようにお昼寝をしていました。そして今、寝起きのぼーっとした頭もあって、こうやって約1ヶ月つづいた旅のことを思い起すと、なんだか長い長い夢を、ずっと見ていて、やっと目が覚めたような、そんな感覚に襲われています。それにしても、今回の旅行も、本当に楽しい楽しい、そして中身の濃い旅行でした。まずはこの国の自然に改めて惚れこんだ。そして、その大自然よりも更に感動させられたのが、旅先で出会った人たちでした。こんなところにこんな人が住んでいるなんて。またこのベネズエラという国を見る目が変わりました。そして彼らとの出会いを通じて、自分がどうしてこのベネズエラという国に来る必要があったのか、その謎がようやく解けた。そんな気持ちにさせられた出会いの連続が、今回の旅でした。そんな楽しい出会いの連続だった、今回の旅。もうちょっと具体的な話を、明日から少しずつ、お話していきたいと思います。≪次回予告:UFOおじさんのグランサバナツアー≫
Jan 17, 2005
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日本人未踏の地(!?)へ行ってきます。さて、昨日の続き。2年連続となるグランサバナでのクリスマス。(去年のクリスマスプレゼントはエンジェルフォールの遊覧飛行!)「UFOおやじ」がコーディネートする2泊3日のツアーに参加した後は、グランサバナの拠点の町サンタエレナから更にジープで西に2,3時間行ったところにあるエル・パウヒという村に行って来ます。村といっても、どうやらいくつかの家族が住むだけの、小さな集落って感じみたいです。ここで宿を営んでいるMarieliさん。宿の予約を入れるのに、何度かメールと電話で話たんですけど、彼女曰く、「未だ日本人はパウヒに一度も来たことが無い!!!」まあ多分、彼女の宿には来たことがない、つまり彼女はここで日本人に会ったことがないっていうことで、まさか「日本人未踏の地」ってことはないでしょうけどね。。。(;^_^Aでも確かに、観光地としては超マイナーな場所であることは確かなようです。ガイドブックなんかを見ても、ちょこっとしか記述がない。鉱物(ダイアモンド&金)が取れる場所みたいな感じで。じゃあ、なんでそんな超マイナーな場所に行って、約1週間も滞在して、大事な大事な2005年という新年までをそこで迎えるのか?その理由はというと、昨日の日記でリンクを貼った「不死鳥の城」があるアスリータと同様、どうもこのエル・パウヒがある場所一帯も、かなりのエネルギースポットらしいのです。元々70年代にちょっとヒッピーをかじったことがあるらしいベネズエラ人の友人曰く、70年代にベネズエラのヒッピー達が向かった代表的な場所が2つあるとのこと。1つが、地球の第8チャクラと言われていて、「不死鳥の城」があるラ・アスリータ周辺。そして、もう一つが、今回2005年を迎えることになるエル・パウヒ。いずれの場所も近年は、主にヨーロッパからの外国人やベネズエラ人アーティスト達が移り住んで、ひっそりと宿やらアトリエやらをやっている、観光スポット。でも両方とも、超マイナー。なんと、今度の休暇中には、そんな2つのエネルギースポットに「両方行っちゃえ!!!」ってことになっています。ということで、エル・パウヒに1週間滞在し、2005年を迎えたあとは、またバスで12,3時間北上してCdボリバルへ。そしてそのままCdボリバルから更に10時間ほどバスで首都カラカス。首都カラカスから飛行機とバスで地球の第8チャクラ(ラ・アスリータ周辺)へと移動します。そして2回目となるアスリータ訪問中は、そこに住むアーティストさんやら、おもしろい宿をやっている人たちと交流する予定です。もちろん、以前メルマガに書いた、ここの水源地があると言う100ヘクタール=100万円の土地についても調査をする予定ですよ~~~。まあ一言で言うと、本当に今回の休暇は縦横無尽にベネズエラ三昧!とまあ、ざっとこんな感じで、1ヶ月ほど旅に出て来ますので、来月の1月中旬までは、ほとんど日記を更新することがないと思いますので悪しからず。また戻ってきたら、盛りだくさんの土産話を、させていただきますので、好ご期待です!!!ではでは、ちょっと早いですけど、みなさん良いお年を!!!
Dec 17, 2004
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また写真一杯撮ってきますね。うちの職場は今日が仕事納め。明日は職場のクリスマスパーティーがあって、そこから1ヶ月の年末年始休暇のスタート!もちろん火精人は今年も旅に出ます。もちろん去年よりもハードです。もちろん去年よりも一杯たくさん写真撮ります。予告どおり、ざっと簡単にどういう旅を予定しているのか、ご紹介しますね。まず今週末は、上司の甥っ子の結婚式に招待されているので、ベネズエラに来て初めて、こちらの結婚式に出席してきます。場所は、Cdボリバルからバスで7,8時間のカルーパノという町。カリブ海に面する小さな町らしいですが、とてもいい所だと聞いているので楽しみです。それよりもまたカリブ海を見ることができるのが嬉しい!こちらの結婚式、大抵夜に始まって、そこから朝まで飲みまくり踊りまくりが相場らしいので、その日は朝までそんな感じ。でも二日酔いだろうが、眠たかろうが、とにかく翌朝またCdボリバルに戻って、今度はボリバル州の西へ、バスで10時間ほど移動、アマゾナス州に入ります。オリノコ川を一匹のヘビに例えると、このアマゾナス州はその尾っぽの部分が通っていて、川釣りやらジャングルやらいろんな先住民部族が住んでいることで有名。まあそんなワイルドな場所に3泊ほどします。もちろん釣りもする予定。そしてまたまた10時間ほどかけてバスでCdボリバルに戻り、またその日の内に、今度はCdボリバルから南へまたバスで10時間ほど下る。そこはベネズエラの観光地としては超有名なグランサバナ(ギアナ高地)。去年の年末に行ったエンジェルフォールも一応このグランサバナの一部に入ってるみたいです。なんと言ってもこの場所、めちゃくちゃ広い。で、そのめちゃくちゃ広大で、テーブルマウンテンやら、ジャングルやら、川やら、滝やら、先住民やらが一杯の場所を、2泊3日のツアーに参加したグルグルとジープで周ります。出発点はブラジルともすぐ近くのサンタエレナという町。で、このサンタエレナという町、先日、何があるのかなと思ってちょっとガイドブックを読んでいたら、なんとあのサイババさん関連の寺院が2軒もあるんですって・・・。なんでこんなところにサイババの寺院があるんや・・・(笑)。まあそれだけ聞いても、ちょっとおもろそうな人がいそうな町という感じがするので、今から楽しみ!ああ、それから参加するグランサバナのツアーのコーディネーターでもあるロベルトという旅行代理店のおっちゃんのことを火精人は「UFOおやじ」と呼んでいます。なんで「UFOおやじ」かって?なぜかというと、このロベルトさん。この広大なグランサバナでこれまで目撃されたUFOの数々の情報を一つの地図にまでして販売しているというUFOオタクみたいなんです(笑)。というか実際、この場所はそれだけ多くのUFO目撃報告があって、その筋の人たちには有名な場所みたいです。今年の4月にメリダのアスリータに行って、偶然UFOが写真に写ってしまった(と信じている)この火精人にとって、またまたUFOを写真に収めるチャンスが巡ってくるかもしれませんね~~~。ああ、最後まで書くと、とんでもなく長くなりそうだ・・・。じゃあ、とりあえずここまで。続きはまた明日ということで。(つづく)
Dec 16, 2004
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