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介護に就労しようとする人が激減しています。確かに3Kの代表「きつい」「汚い」「給料が安い」ではあります。我が息子の一人も介護士です。大学生時代ボランティアで行った老人ホームでの体験から方向転換、卒業後専門学校に入り直して介護福祉士に。最初に就職したのは病院から介護施設まである総合福祉グループでしたが、約束と違って病院勤務になりました。病院での介護士の仕事は看護師のお手伝い、介護とは違っています。その上、その病院はちょっとルーズ。厚化粧の案内係がいる反面、病棟は下の匂いが充満しています。衛生面も心配。約束通り介護施設に配置転換を要求しても、その病院の介護要員は辞める一方で人数激減していた事もあって聞く振りだけ。それでその病院は退社、別の介護施設に勤務する事になりました。新しい介護施設だったので沢山の新人が入ったのですが、それらの人達は殆ど辞めてしまったとか。長続きしないのです。派遣の介護士さんを入れて凌いでいますが、その労働環境は大変なもの。今時の若者には勤まるはずが無いと思えます。まず、何時休日になるか殆ど分からない事、早出遅出夜勤のどれになるか分からない日が続く事。ただ、変則な分次の出勤まで十二時間以上の休憩は頂いています。当り前ですが。息子が言います「オバアさんはワガママ」と。勤め始めて直ぐにストレス性のジンマシンに罹った程。肉体的にも精神的にも可成りハードな仕事ですから給料位は高くないと仕事を続ける人が居なくなってしまいます。つまりエサで釣ってやらないと。全国的に介護士不足が言われ続けています。介護専門学校に入ろうとする人も急に激減してきました。使い捨てにされるという現実が見えてきたからでしょう。我々、団塊の世代が厄介になろうかという時にお世話頂く人が皆無となってしまえば、それこそ「姥捨て山」タイプの施設が大流行になるのかも。私達の世代は皆言います「尊厳死を認めさせよう」と。あまり長生きはしたくないのです。老醜をさらす前に死にたいと思うのは普通だと思うのですが。
2008年09月29日
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「遊にゃん」のトートバッグは既に発表しました。今回はワンちゃんのトートバッグです。HPで公開するのはまだ先の事になりますが先行して公開します。表と裏。手描きは同じですが「遊にゃん」のトートバッグより一回り小さめ、生地も「遊にゃん」の物より少しだけ薄めです。小さい分薄めの方が使いやすく思います。
2008年09月26日
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商売つまり商(あきない)は「飽きない」を基本の意味にしていると言われています。こじつけではあるのでしょうが、それなりの意味があって納得できるものです。この「商」という文字が何から始まったかという事はご存知の方も居られるでしょうが、中国の地名というか国名であったのです。発掘されるまで、幻の王国と言われた「夏」はその先祖が北方民族で、「夏」とは背が高いとか良く伸びるという意味が転じて草木が伸びる「なつ」となったと言われています。初代の名君禹王から治水に功のあった「契」が黄河の南の地を冊封されたのが「商丘」であります。現在もその地名は残って河南省商丘市となっています。北方の遊牧民族であったのですが定住して農耕を発達させ青銅の技術もあって通貨を使う事もやっていました。発達させた農耕は余剰を生んでそれを近隣まで売り歩いたのが「商」の始まり。昔の中国は自分達の生活圏を出る事はとても危険であったので誰もそんな事をする者がいなかったのです。「契」から十四代目の「湯」が主君の「夏」を攻め滅ぼしました。例によって、滅ぼされた主君は後から書かれた歴史書によって暴君とされているのは中国歴史の定番。勝ったもの勝ち。「湯」は古里の商丘から国名を「商」としました。「商」は何度も遷都を繰返し「殷いん」に落着いて「殷」と称されていますが国名は「商」です。商の象形文字としての意味は女陰そのものを表して豊穣を意味しています。殷も妊娠した女性をあらわした象形文字でそれも豊かな生産を意味しています。商の都が発掘された時、王墓には凄まじい数の殉死者の遺骨も発見され、人柱として生け贄にされた奴隷の骨も発見されている。この「商」の民が遠くの村々まで行商をしていた事はインド洋でとれる貝を貨幣としていた事でも証明されています。貝という字がお金に関する文字となっているのはご存知の通り。本来その国の民は大きな城塀に囲まれて生活するのが古来よりの常識。遊牧の民であったからこそ、危険を顧みず行商の旅に出かけたのもその血のなせる技であったのでしょう。西遊記に見られる様に旅は魑魅魍魎との遭遇が避けられないものでありました。それ故にこの商いという新しい職業は重宝されたのです。殷は周によって滅ばされますが、周王はその特技をいかして殷の民にその商売という仕事を続けさせました。他の民には出来ない芸当だったのです。悪鬼に妖怪はたまた強盗の出る荒野へ出稼ぎに行くのですから、彼らもそれなりに気合いが入っています。客でない人間は殺してその生首を先頭に立ててぶら下げ行列したと言われています。これが道の語源。中国の歴史のうち漢民族が支配した国は前漢や明など極少ないのですが、この「商」の伝統だけは受け継いで世界の中で一番の商売人と言われています。日本人は他国に移民するとまず生産事業に取りかかりますが、中国人は餃子などの食べ物を売る商売から始めます。中国は支那と言われる程沢山の国が跋扈した歴史を持ちます。当然、商売でも熾烈な闘いが有り、良心に従って商売をしていては餓死せざるを得ないのが風土となった様です。日本でも決して中国に負けていません。立派に毒入りのお米をばらまいてくれました。そうせざるを得ない様に仕向けたのも我らがお役人様。立派な官僚様を頂いて日本国民は幸せです。
2008年09月23日
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工房では手ぬぐいを販売しています。同時に別注の依頼もあってユーザー様の意向に添った手ぬぐいも染めています。手ぬぐいだけではなくランチョンマットや最近ではトートバッグも。こちらも作る楽しみを頂いているので、今の所殆ど原価で。室町など業界が正常に戻って、本業の着物の染が本来の姿に戻れば趣味の世界である手ぬぐいなどから手を引かざるを得ないのかも知れませんが。呉服業界への消費者の不信と押し寄せる不況の波はそれを許してはくれそうにありません。ま、楽しめるだけ良いのではないかと思う日々です。今回、手ぬぐいの別注を頂いたのは横浜のS様。パソコン教室で作られた図柄を元に手ぬぐいを。同時に芥子の柄のトートバッグ、芥子の柄のショールマフラー。これは公開は出来ませんので悪しからず。同時に注文頂いたのが庭の青柿とその枝にとまっている小鳥をモチーフにした手ぬぐいです。残念ながらこれも非公開でご免なさい。そのご注文が十一枚でしたが、ロットは十二枚。工房の店頭販売用に一枚作るつもりであったのですが急遽試作品を作る事になりました。それがこれ。葛飾北斎の描いた美人画です。木版刷りの浮世絵ではありません。絹本着色という説明書きになると思います。資料としてあった北斎の美人画を下絵に全てを精密に描き直しました。二体の美人図ですが元々二枚で一組、秋と春を表現しているそうです。一体の美人画を描き直すのに丸々三日余り費やしています。これとは違った柄で、外国人向けのタペストリーを正絹素材に作りましたが高すぎて売れなかったとか。さあて、この手ぬぐい吉や否や。
2008年09月18日
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工房ではハンカチを絞りで染めています。一時あまり売れなかったのですが、このところぼちぼち売れてきています。テレビで紹介された事が影響しているのかも。絞りで染めるている綿の生地はシーチングとかキャラコと呼ばれている平織の薄めですが目の詰まった生地です。今絞っているのは薄くて柔らかく、透け感のある格子の地紋が入っています。何に使うかとというと、肌触りの良さがハンカチではあるのですがスカーフとしても使えるというもの。今絞っている最中です。糸を入れて締めている所。この後浸け染めで染上げ、耳を縫製して出来上がりです。約五十センチ四方の仕上がりでネッカチーフとして首に巻く事が出来ます。
2008年09月16日
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八月二十二日にインクジェットの振袖に付いてお話ししました。その後、我が工房の地染めを一手に引き受けてもらっているぼかしの名人工房、そこで一翼を担っている息子さんが京都の染屋さんの合同展示会を見学してきました。そこで見たもの、とても人間業では出来ないぼかしの傑作でした。どうして染めたのだろうと疑問に思って知り合いの染屋さんに聞いた所、それはインクジェットで染めた振袖でした。このブログを訪問して頂いているお客様はスペクタクル映画やSF映画を見られる事はありますか?例えば「ロードオブザリング」に出てくる風景はすべてCG、つまりコンピューターグラフィックス。素晴しく陰影と奥行きと迫力に満ちた画面が続きます。その光景がそのまま振袖に写されるとしたら、これを認めざるを得ないのではないでしょうか。CGで描き出すのは相当の時間と技術が要ります。ただ出来上がった物は好きなだけ複写できるのが価値観をを貶めてしまいますが。現在、最新のインクジェットはドット感もなく発色に難点はあるものの、見事な仕上がりはその価値を認めざるを得ない状況になってきたのではないでしょうか。我が工房は可成りの長い間振袖が主力でありました。彩色を待つ反物が山積みされていました。しかし現在はその面影は全くありません。着物不況もさる事ながら、中国製とインクジェットに席巻された振袖業界は手描き友禅の振袖を殆ど必要としなくなってしまいました。他の友人との差異を嫌悪する今時の若い娘の風潮もあって人とは違う物を着たがらない子供達には手描き友禅は不要の物となったのです。インクジェットは手描きに出来ない世界を創出しました。それを認めるのも時代の流れなのかも知れません。手描きはその味を見せる為の技を工夫、練り上げ、創出しなくてはなりません。
2008年09月13日
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今日は朝からさわやかな風が舞い込んできました。秋を思わせる風につられてちょっとお出かけする事に。さて、出かけるとなると予定もしていなかったので近場で済ませようとグーグルの地図を開けました。すると近くでありながら行く事の無かった所にお寺が点在しているのを見つけました。亀岡です。亀岡は国道九号線や京都縦貫道で通過する事が多く、トロッコ列車や保津川下り以外の観光は殆ど無名です。その九号線の保津川を挟んだ向い側に「府道亀岡園部線」がありその道沿いにお寺が沢山あったのです。平日でもありお寺への訪問は諦めていたのですが新規開拓の思いもあってその道を訪れました。お寺の看板は結構あるのですが見つけたのは「七福神めぐり」の看板。その出発点にあったのが「和らぎの道」看板の写真は大きすぎてブログに掲載しても文字は見えません。そのルートを辿ると「現代彫刻の道」「神応寺」「竹林の道」「養仙寺」「伝統工芸の道」「愛宕神社」「野外ステージ」「地域文化伝承の道」「現代モニュメントの道」「桜の道」「のんびり道」「花見の広場」「桜の道」「桜のプロムナード」「さくら公園」などと繋がって行きます。散歩すればまともに陽を受けます。やはりとても暑そうなので歩くのは中止に。お分かりの通り、桜の季節には名所となる事必定。楽しみが出来ました。田舎のあまり太くない道を北上すると思いも掛けないお社が目に入りました。出雲大神宮です。社殿が造営されたのはなんと千三百年前とされています。出雲大社とはご縁がある様には書かれていませんが、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)とその奥様三穂津姫命(みほつひめのみこと)は同じであったと記憶しています。こちらは拝殿。本殿。境内には神木が。「おがたまのき」亀岡市指定の銘木です。これだけではないのですね。帰りに境内の案内図を見てびっくり、もっと大きい境内だったのでした。左下の池は何故か干上がっていましたが、社務所も巫女さんもいてそれなりににぎやか。田舎の神社にしておくのは勿体ないかと。
2008年09月09日
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今日は「職人を囲む会」に「筒描き美術品」のコレクターである眼科医のお話を聞いて来ました。このお話は本家のブログで紹介するかも知れません。その「職人を囲む会」は昼食を頂いてお開きとなるのです。今日は工房のお休みなので、この催しに参加させて頂いたのですが、急ぎの頼まれ仕事が残っていたのでそれにケリを付けなければなりませんでした。昼食の後はその仕事が終わる午後九時半まで一滴の水も飲まずにかかりっきりでした。御陰様で明日も工房の休日にも拘らずその作品を取りに来てもらいます。もったいぶって何かと思われるでしょうが、それは「打掛の図案」呉服屋さんがプロデュースするものではなく、ファッションブランドが作る打掛。試作の図案と試作品がサンプルとして工房に来ていたのですが、正にファッションブランド。着物屋さんの作る打掛ではありません。未発表なのでお見せ出来ませんが、想像して下さい。生地は黒地のビロード、柄は薔薇に唐草風の枝葉。薔薇は一センチ巾くらいのテープを薔薇の形に縫い付けて行きます。これはミシンで。枝葉の部分は四ミリ位の筒型のビーズを線状に縫い付けていきます。これは手縫いで。引きずって歩く打掛になるのですから大きな物です。何となく眼に浮かびませんか?洋服で、打掛ですから九十センチ巾の生地を使うそうで、着物の様に解羽縫いすると一反の生地戻るという事はありません。全て一センチ巾の縫い込みを見て裁断してしまいます。袖の丸みなども全て図案に描き込むのです。描く図案はCGで。大きさは巾が全てを並べて九十センチ、長さは身頃部分だけで四メーター五〇くらいで、それに袖が三メーター余り、八メーター近くになります。それに両衽と掛襟無しの主衿部分を横に並べ、一枚の図案にします。そのまま、広幅の服地の型紙に絵を描いた様な物になりました。パソコンで作ったファイルは解像度は最低でもCD三分の一程の大きなものに。悪戦苦闘、丸々三日間ほどの大仕事になってしまいました。これだけ大きな図案は印刷のプロショップでないと印刷出来ません。製作はやはり中国だそうです。ビーズを縫い付けるだけで最低一週間はかかりそうです。工賃を考えると仕方が無いのかも。日本でそういう職人さんを見つけるのが、最早出来そうにないとも聞きました。熟練職人が溢れていた日本に戻らねば。
2008年09月07日
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前に試作品を見て頂きました。実は、肩に手を通せる様に紐の部分を長くした試作品も出来上がったのですが、何故か気に入りませんでした。先ず、生地を厚手の綿布から厚手を越えた帆布と言える生地を使用する事に。これでかなりしっかり頑丈な袋になりました。そしてA4のファイルがスッと入る大きさに。使いやすさもベストに。やっと気に入ったものが出来ました。染工房 遊のホームページ、クラフトのページに掲載してネットでも買って頂ける様にします。これから準備するので掲載されるのはまだ先です。その前にちょっと見て頂きます。これです。この猫ちゃんシリーズ「遊キャッツ」「遊にゃん」など名前を考えています。価格は二千百円を予定。次にワンちゃんシリーズを作り始めました。デザインも終了。ねこチャンシリーズに負けない可愛い柄に。今の所、このトートバッグより一回り小さめ、犬の散歩に最適なバッグにしようかと考えています。ご期待下さい。
2008年09月02日
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