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私のメッセージは、B父ちゃんにしか伝わらなかった(Bさんにも伝わってないかも!?!)一昨日のカラオケメッセージ・・・携帯の人用に、☆までつけた。昨日のメッセージ2スター☆の後に一人でついてこいよ と、意味不明なことも言ってみた。が、それもメッセージやっぱし、直接言わなきゃわかんないのかね人って・・・と思いながら、気を取り直して、もう一発カラオケ☆まじょっこメグはー魔女っ子メーグはーあなたーの心にしのっびこむーシャランラー♪☆さーみーしさにー負けたー、いいえー世間に負けたー♪☆かもねかーもね恋かもねピタリあっちゃうかもね♪☆となりの席ではフケた男がーさんざん絡んで人生語るー♪☆おひさしぶーりーねーあなたに会うなんてー♪☆もしもあなーたとー会えずにいーたらー私はなーにをーしてたでしょうかー♪☆っつっぱることが男のーたった一つの勲章だってこの胸に信じて生きてきたー♪☆たかが恋なんてー忘れればいいー泣きたいだけ泣いたらー♪☆けんかをやめてー二人を止めてーわたしーの為ーに争わないでーもうこれ以上♪☆どーんどーんどんがらがった、どーんどーんどんがらがった、国松さまのお通りだーい♪☆どーうにも こーにもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ♪☆うれしくったってー悲しくったってー、コォートの中では、平気、やねん♪☆やー連ソーランそーらんそーらんそ-らんそ-らん(はいはい)♪☆らーらーらららーらららーらーららー今日も明日もあなたにぃ会いたいー♪☆うみはよー海わよーでっかい海はよー♪☆ちきちきましーんちきちきましーん猛れぇすーぅすーぅすぅすぅすー♪☆にんにきにきにきにんにきにきにきににーんが三蔵っ♪☆まぶしい季節がーきんいろに街をそめて♪☆たったたらりらーピーヒャラピーヒャラたったたららー♪☆新しい季節はなぜかせつない日々で河原の道を自転車で走る君を追いかけた♪☆しかし何故にこんなにも眼が乾く気がするのかしらね♪☆いーまでは指輪もーまーわるほどー痩せてやつれたお前のうわさー♪☆命かけてとー誓った日からー素敵な思い出残してきたのに♪☆がっかりしてめそめそしてどーしたんだい♪☆やいやいやい元気がないぜーやいやいやいねじれちまって♪☆っつかもうぜドラゴンボール世界でいっとースリルな秘密ー探そうぜドラゴンボール♪☆てぃんぐさぬ花や ちみさちにすみてぃ うやぬゆしぐとぅや ちむにすみり♪☆きれいでしょヒラヒラといい女でしょー見かけより尽くすタイプね♪☆たーだ一つ木枯らしにこごえる日には♪☆みーかんーの花がー咲いているー想い出の道ー丘のー道ー♪☆ためー息のーでるよーな あなーたの口づけーに♪☆いーつまでもーたえるーことなくーとーもだちでーいよおー♪☆だけどーこころなんてーお天気でかわるのさー長いまつげが卑猥ねあなた♪☆ようこそここえーうわさのロックンロール今夜もきめる濡れ手に粟の素敵なお仕事♪あーめんどくさっあーつかれたっあたしってなんて親切なんだろう。。。これでメッセージは読み取れただらうか?あぁそうあって欲しい・・・ ・・・ ・・・(…中田ヒデ風)というわけで、まだ正式に病院には行ってないので、ちゃんといるのかいないのか、無事なのか無事じゃないのか、その辺は分かってないけど、来年の初夏辺りに、また家族増えるみたいな感じです。病院に行ったあかつきには、無事でも無事でなくても、今度は回りくどいことしないで(疲れるし)きちんと報告します。超高速エスパーB父ちゃんが、その能力をパチスロにまわせることを願いながら、病院に向かいたいと思います。ま、その前に、延び延びに延ばされてる「病院への予約の電話」を今日こそ旦那にしてもらわんと、子供も私も可哀想。子供は大丈夫なのかな?という心配は、何回経験しても、同じ母心。病院に行って確かめても心配は心配なんだけどさ。私も歳が歳だし、この経験はもうこれが最後だと思うので、もし、ちゃんと宝物が子宮にいてくれたら、2人の子供達と共に、最後の妊婦ライフを楽しむぞっ!と、思ってます。昨日、失敗したノノ子の断乳それは夜中の1時過ぎだったんですが、「もういいや、次が出てくるまで乳あげる勢いでいっちゃおう・・・」って、計画を変更することにしました。それでどうなるかは分かりませんが、あたし的にゃ、育児なんてものにはセオリーなんて糞食らえ!ノノ子飲みたいんだからいい、もう。人一人、十人十色、違って当たり前なんだから、その子、その人にあった方法が一番いい。うんうん。ゆうべ1時間もうろうろ歩きながらそう思ったんです。おっぱい抜きで寝かせようと思って。けど、まぁ色々言い訳がましいこと並べてますが、寝室以外の部屋をずっと抱っこしてうろつくのも、つわりと眠気で辛かったし、楽なほうへ行っちゃえ!ってなげやりなのも否めない。(実際は断乳したほうが楽なんだけど。乳首もホルモンの関係でチクチク痛いし)そして諦めてすぐ、ノノ子におっぱいあげたら、ノノ子は、5分ぐらい夢中で、ほんともう夢中!で すすって、ピタッとパスッと乳首を離したと思ったら、爆睡しました。その様子を見て、「1時間歩くより5分のおっぱい。あぁ 乳のチカラ偉大成り」 と、改めて思った次第でございました。来てくれたであろう命よ、きみの姉ちゃんはきみが産まれるまでずっと乳を飲んでいたんだよーなんて笑い種にしようではないか。ノノ子乳飲みやめなくていいぞ!
2006年08月31日
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いやー昨日は一人カラオケに興じたなー。日記を読んだ人は「これがなんやねん!」だったと思うけど。が、しかし、それが私の☆メ ッセージ♪スターの私の後を一人で追ってこいよ。ふふふそれにしてもB父ちゃんするどい・・・
2006年08月30日
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☆まじょっこメグはー魔女っ子メーグはーあなたーの心にしのっびこむーシャランラー♪☆さーみーしさにー負けたー、いいえー世間に負けたー♪☆かもねかーもね恋かもねピタリあっちゃうかもね♪☆となりの席ではフケた男がーさんざん絡んで人生語るー♪☆おひさしぶーりーねーあなたに会うなんてー♪☆もしもあなーたとー会えずにいーたらー私はなーにをーしてたでしょうかー♪☆っつっぱることが男のーたった一つの勲章だってこの胸に信じて生きてきたー♪☆たかが恋なんてー忘れればいいー泣きたいだけ泣いたらー♪☆けんかをやめてー二人を止めてーわたしーの為ーに争わないでーもうこれ以上♪☆どーんどーんどんがらがった、どーんどーんどんがらがった、国松さまのお通りだーい♪☆どーうにも こーにもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ♪☆うれしくったってー悲しくったってー、コォートの中では、平気、やねん♪☆やー連ソーランそーらんそーらんそ-らんそ-らん(はいはい)♪☆らーらーらららーらららーらーららー今日も明日もあなたにぃ会いたいー♪☆うみはよー海わよーでっかい海はよー♪☆ちきちきましーんちきちきましーん猛れぇすーぅすーぅすぅすぅすー♪☆にんにきにきにきにんにきにきにきににーんが三蔵っ♪☆まぶしい季節がーきんいろに街をそめて♪☆たったたらりらーピーヒャラピーヒャラたったたららー♪☆新しい季節はなぜかせつない日々で河原の道を自転車で走る君を追いかけた♪☆しかし何故にこんなにも眼が乾く気がするのかしらね♪☆いーまでは指輪もーまーわるほどー痩せてやつれたお前のうわさー♪☆命かけてとー誓った日からー素敵な思い出残してきたのに♪☆がっかりしてめそめそしてどーしたんだい♪☆やいやいやい元気がないぜーやいやいやいねじれちまって♪☆っつかもうぜドラゴンボール世界でいっとースリルな秘密ー探そうぜドラゴンボール♪☆てぃんぐさぬ花や ちみさちにすみてぃ うやぬゆしぐとぅや ちむにすみり♪☆きれいでしょヒラヒラといい女でしょー見かけより尽くすタイプね♪☆たーだ一つ木枯らしにこごえる日には♪☆みーかんーの花がー咲いているー想い出の道ー丘のー道ー♪☆ためー息のーでるよーな あなーたの口づけーに♪☆いーつまでもーたえるーことなくーとーもだちでーいよおー♪☆だけどーこころなんてーお天気でかわるのさー長いまつげが卑猥ねあなた♪☆ようこそここえーうわさのロックンロール今夜もきめる濡れ手に粟の素敵なお仕事♪
2006年08月29日
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いいなぁ小笠原みっちゃん、シチリアのほうへ行くのかよ・・・同じヨーロッパでも海があって気候も温暖で羨ましいよ・・・あたしもそっちに行きてーよ。アントラーズの選手、小笠原みっちゃん こと、小笠原満男が、イタリアはメッシーナっちゅうとこに短期移籍するというので、朝から上記のことを思ったのであーる。私も移籍したい。小笠原の籍に。って冗談冗談。私も短期でもいいから移籍したい。小笠原の籍に。いやいやマジで冗談ですから。うちはまだまだラブラブですから~。なんだかんだ言っても まだ愛は健在ですから。ラブラブ度はまたこの次に書いてやるぜ!って言えるほどラブラブですから。なんか虚しくなってきたこう書くと、ラブラブ度が高いことが嘘に聞こえるじゃないか。いやいやそんなことないです。うちは、ラブラブです。子供達と。いやいや旦那とも。嘘じゃないですってば。嘘じゃないです ってば。でも、ラブラブな話はまた後日。あー腹減ったな。今日の昼ご飯はなんにしよう
2006年08月28日
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高校野球の決勝戦すごかったみたいですね~。私もスイカとか食いながら見たかったですよ。高校野球といえば、ツタのからまる甲子園。小学生の時に、たった一度だけ行ったことあるなぁ。近所の兄ちゃん二人がバッテリーをくんでた高校が、甲子園出場をきめて、にわか応援団があれよあれよと出来上がり、盛り上がってる人々の中には、勿論、うちの親父も加わっていたので、私も参加することになった。確か、マイクロバスを借り切って行った記憶がある。茨城から高速に乗って甲子園まで、道中は長かったと思うが、その記憶はあまりない。まだその頃は、例のおしっこむったくなる病気はでてなかったので、苦にならなかったから覚えてないのだろう。おしっこ病は、親父が死んでからなので、かれこれ10年ほど前からである。閉所恐怖症もその時にでたのだが、ようく思い出してみると、あれは、私が10歳前後だったと思う。一つ下の弟に、こたつに閉じ込められたとこにさかのぼる。コタツで遊んでた私達兄弟、なんでコタツにもぐったかは覚えてないが、先にコタツから出た弟が、私が右手のほうから出ようとすると、右側に回ってきてコタツ布団を押さえ、左から出ようと思っても、左に回ってきた弟が、また布団を押さえ、足のほうから出ようと思っても、またやられ・・・こたつはムンムンと暑く、灼熱地獄の中にいるような感じになって、這いつくばった格好で、右や左に動いてるから体力も消耗していき、息も絶え絶え。どうやっても出させてもらえないので、もう気が狂いそうになって、半泣きしながら、「だしてよーだしてよー」・・・・・・と言ったんだが、それでもしばらく出してもらえなかった。やーーーーっと出してもらえた時は、意識もうろう、気絶寸前。どうやら、あれが原因だろうと思う。おしっこ病は、父ちゃんを火葬場で焼いてきた帰り道のマイクロバスの中で、もよおしたのがきっかけだ。と、思う。喪主として火葬場でも、親戚や父ちゃんの友達とか近所の人とか、とにかく酒とかジュースとか振る舞って、その上自分も、しこたま飲んだような飲まされたような気がする。葬式や結婚式で、もてなす側になった者なら分かると思うが、お酌をしに行った時には、たいてい相手が所望した飲み物をついであげるのが一般的だと思う。葬式の場合だと、日本酒・ビール・ジュース類・お茶などなどで、かしこまった時間(坊主がやってきて拝む前など)以外は、相手に飲み物を勧めたら、自分も勧め返されるのは当たり前。やんわり断れればいいのだが、そうもいかない時がある。そして常に回りに気を配らなければいけない。客をかまってばかりもいられない。組内でお手伝いをしてくれる人からも、鍋はどこだ?の、あれはどこだ?の、なになにが足りないだの。今でこそ、葬儀は葬儀屋にまかせる家庭も多くなってるが、約11年前の私が24歳だった頃は、まだ自宅で葬式を執り行う家庭は多かった。なので、家にはでっかい炊飯器とか、お猪口とか湯呑みとか、皿とか、色々たくさんある。話がそれたが、平成7年の30日、暮れも暮れに父ちゃんは死んだので、火葬場も年末で閉まってしまい、年が明けて火葬場が始まるまで、確か正月四日か五日まで、親父の亡骸は自宅待機(?笑)であった。これが意味することは、火葬場が仕事始めをするまで、ずっと、お通夜みたいだということ。正月を挟んだので、さすがに親戚や父ちゃんの友達以外の人は遠慮して来なかったけど、それでも、親戚や父ちゃんの友達は来るのである。よって、火葬場に行った時には、私はもうすでに疲れていた。マイクロバスの中で尿意を感じた時には、我慢するチカラがほとんど残っていなかった。結果的には、うちの手前の信号が赤信号だというのを見たときに、出口付近で立って家はまだかまだかと待っている私は、運転手さんに、「ここでおろしてくださーーーーい」と言い、ドアを開けてもらって家に向かって突進して、無事、トイレに辿り着けた。その時は、バスとか乗り物に乗ると、尿意をもようしてどうしようもなくなる状態になるとは、もちろん思っていなかった。これが決定的に分かったのは、その冬が終わり、次の冬が来た時に、友達の一人から誘われたスキーでだった。ワゴンタイプの車で福島のほうに行ったのだが、その帰り道。高速道路は渋滞。しかも常磐道って休憩所が異常に少ない。(と、私は思う)次第に尿意が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高速道路の途中で道路工事してる現場があってよかった。路肩で野ションは、いくら私でもできない。しかも、スキーに行ったメンバーの友達の友達は、その日が初対面だったから。以来、バス、マイクロバスまたは、そのような車に乗って、高速道路に乗ると、もう駄目。一般道を走ってる場合だったら「ちょっと止めて」とすぐに止めてもらえるからまだマシ。いったいぜんたい何でこんなことになったのか。こんな私に誰がしたのだ。帰国した時に、友達からは、前よりひどくなってない? と言われた。そう言われれば、前は動悸はしなかったが、最近このような状態になると、息苦しくなって大変だ。ひどくなってるかも。今年、旦那の会社のクリスマスの行事で、東ドイツに行くような話しが出ている。私は勿論 「行かねー」 と、旦那に速攻で言ったのだった。飛行機か電車(トイレ付)でなら考えても良い。
2006年08月22日
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どうやら、隣に住むポーランド人とベトナム人の夫婦が引っ越すらしい。ベランダの所に、「4・1/2部屋のアパート売出し中」の看板が見える。一目瞭然だが、持ち主は、もう人に貸すのではなく売り払いたいのだなということが分かる。うちの部屋のオーナーも、ここを売りたがっていたけど、ここじゃぁなー。買いたいとは思わないよ。んな訳で、うちも引越したいと常々思っているのだけれど、なかなか良い物件に出会わないのと、見つかっても、契約上すぐに引越しができなかったりするので、すでに何件か見送っている。旦那がちゃんと調べたところ、今年もここまで来たら、うちは来年の3月~4月にならないと引越しが出来ないらしい。なので、引っ越したいなら12月終わりぐらいまでに物件を探さないといけない。だから最近私は、ドイツ語はまだ分からないけど、ネットで色々物件を見ている。できたら、もっとスイスっぽい山の上のほうに住んでみたい。旦那の叔父さん一家が住んでるような、冬の雪が降った日は、村全体がすっぽり綿にくるまれたようになる、サンタでも住んでそうな小さな村。そんなとこに住んでみたい(車の運転はしたくないけど)。けれど、旦那の仕事場から近いってことが最優先になるので、やっぱりこの辺りになるかな。この村にもだいぶ慣れたし。モコも今週から、隣の村の、といっても旦那の仕事場がある村なのだが、そこのdie Spielgruppe(直訳すると、遊びのグループ。保育園とはまたちょっと違う) から、来てみない?というお誘いの手紙が来たので、早速、連れて行くことにしたし。そうなると、この辺にまだ暫く住んだほうがよさそうだが、なかなか物件に乏しくなるのも事実。今と同じぐらいの家賃で、子供が遊べる庭があるのが私の最低理想の条件。あと、湯船があることか。出来たら一軒家だが、家賃の相場をみると、それは夢の夢になる。しかし、古い農家住宅だと、夢ぐらいになるかな。その代わり、家が古いと暖房がストーブだけになる。それはそれで、ハウルの城みたいでいい。だけど、薪の調達をどうするか考えなくてはならない。思えば、私が子供の頃は、薪を燃やして風呂を焚いていた。すごく小さかった頃は、いわゆる五右衛門風呂だった。うちは爺さんが、建築会社というか、大工さんの会社(って言ったほうが私にはしっくりくる)をやってたので、いらない木や木屑がたくさんあった。そういう木っ端を、薪にして使っていた。実に無駄がなく地球に優しかったなと思う。この辺の農家住宅に住む人、誰か3月までに引越さないかなぁ。
2006年08月21日
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昨日のつづきの電車での話がっかりだよっ電車の中を見渡しても、かっこよくて素敵なお姉さん・お兄さんが いなかったから、だよっみんな目の前にお年寄りとか立ってても寝たふり携帯でメール新聞・雑誌・本読み年寄りとは目が合わないように、ひたすら下を向くなど等・・・して、目の前の現実から目をそらしている。はて?ここからちょっと離れた所にいるオバサンに、でかい声で「座りますか?」と声をかけようかかけまいか、もし、おばさんが座ったとしたら、抱っこしてるのの子はどうしようか?旦那に抱っこしてもらってもいいんだけど、疲れたモコもグダグダで半分寝そべる形で旦那に寄りかかってるしなぁ。でも、旦那に立っててもらえばいいか。私より若いし大丈夫だろう。そんなことを、乳幼児を連れてる私に考えさすなーーーーーー!そんな訳で、旦那に説明して、席を譲ってくれと言おうとした時、電車がある駅で止まった。そこで、乗客数人が降りた。オバサンは空いた席に座ろうと、私達のいる所とは逆の方向に移動した。私はノノコを抱っこしながらも、おばさんが座れたかどうか気になって、身をちょっと乗り出して見ていた。そしたら、なんと!おばさんは、椅子取り合戦に負けてしまったのである。椅子を取ったのは40代ぐらいのスーツを着たサラリーマン。なんたること・・・・・自分より20歳は年上であろう女の人を気遣えよーーーーサラリーマン!ぐちゃぐちゃ考えてないで、おばさんにひとこと声をかければ良かったと、私に後悔させんなよサラリーマン。きみの子供達もいつかきみに同じことするぞ。それと、日頃、勉強勉強、勉強しないと良い学校に入れないよ!良い学校に入らないと良い会社に入れないよ!などと言ってるお父さんやお母さん、きみらもだ。自分達が年取った時に、自分の息子や娘、自分の孫達と同じくらいの年齢の人たちに、優しくされたいとか、席を譲ってもらいたいとか、けっして思うんじゃないよっ!優しくされないと嘆くより先に、卓上のことばかり、口先だけで育て、マナーは教えるが、実践で道徳など教えてなかった自分が悪いと思え。一緒に日本に帰国した友達のMちゃんが、チューリッヒの飛行場で、「あのさ~日本の友達に言われたんだけど、日本に帰ってきたら、日本人のほとんどの人が冷たいと思ってたほうがいいよ」って言ってたんだけど、自分の産まれた国に帰るのに、覚悟しないといけないなんて。祖国が戦時中でもないのに。むしろ平和ボケしてるのに。でも、なるほどである。いつから日本はこんなになっちゃったんだろう?戦後の高度成長期に青春をすごした世代がこんな目にあってるということは、その世代にも原因があると思わざるを得ない。そしたら、どっから修復したらいいもんなんだろう?同じ日本人として、これがアジアでも突出した先進国の国民の姿かよって、がっかりしたくないんだよね。これじゃ近隣の諸外国のこと何も言えないよ。国を担う職についてる大臣のみなさん、そろそろ国全体をちゃんと見渡して、本当に何をしたら国が国民が潤うのかを、しっかり考えたほうがいいと思うよ。
2006年08月18日
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うちの日本の実家の近くから、東京は秋葉原まで直通の「つくばTX」という電車ができていた。快速に乗ると、つくば~秋葉原間45分 たったの45分で都内へ行けるなんて。あー素晴らしい。なんて素晴らしいんだ。と思ったのも束の間、一つ問題がありました。それはですね、乗ってから気がついたんですけど、電車の窓が開かないんですよ。え?なんでこんな事が問題なのかって?そうです、窓が開かないってだけじゃ、問題じゃないんです。窓が開かない+快速電車には、どうも、トイレがついてる車両がないってことが、私には大問題 なんです。それでも、ようく意味が分からない人は、イタリアに行った時の話これを読んでみて頂戴。このイタリアに行った時の話は、ちょっと面白いように受け取る人もいるかと思いますが、私、本人にしてみれば、けっこう深刻な問題なんですよ。突然ですが、みなさんは、ダヴィンチコード読みましたか?私は、日本で文庫本・上中下を買って一気に読みました。読み始めて間もなく、主人公ラングドンは「閉所恐怖症」と書いてありました。ラングドン・・・微妙に違うけど、お前もか・・・。なった人、なってる人にしか、なかなか理解できないと思いますが、本人はとても深刻な問題なんです。私の場合、密室に閉じ込められて嫌な気分になり、尚且つ、ここでおしっこしたくなったらどうしよう・・・という不安要素が加わって、どうしようもなくなるんです。電車の話にまた戻しますが、つくばから電車に乗る直前に、トイレがないことなど気がつかなけりゃ良かったんですが、気がついちゃったもんは、しようがない。しょうがないなら、しょうがないと、諦めればいい。が、しかし、それが出来れば、なんの問題もない。問題があるから問題。頭では大丈夫だと、大丈夫なんだと言い聞かせてみるものの、心はそれをかたくなに拒否し、どうにか他に興味の対象を見つけようと、思えば思うほど、おしっこがもれそうな感じがしてきて、しまいにゃ心臓バクバク動悸が激しくなってくるのです。秋葉原に着くまでの45分で、何回深呼吸をしたでしょうか、分かりません。願うは早く着いてくれとばかり。図太く海外で生きてるつもりの私ですが、本当に、これには参ってます。日本滞在中、弟の定期健診に付き合ったんですが、その病院で私も受診してもらおうかなと本気で思ったほどです。だけど今回は、その時間がありませんでした。今度日本に帰ったら精神科で診てもらおうと思っています。スイスでもいいんだけど、英語やドイツ語でこれをちゃんと説明できる自信はありません。でも、もし何かの機会があれば、うちのホームドクターにちょっと話をしようかなとも思ってないでもないですけど。出来ることなら、子供達が大きくなる前に、改善したいと思うので。そうそう、電車から本の話題にまた戻りますが、ダヴィンチコードも読み終えて、もっと本を読んでおきたいなと思って本棚を見ると、弟が買った「空中ブランコ」が目に付いたので、読んでみました。この本の主人公は精神科の医者なんですが、こんな医者がいたらいいなと。読んでるさなか、うちの旦那さんが日本に来てしまい、自分の時間がなくなって本は最後まで読めずじまいになりましたが。私と同じような問題、悩みを抱えているのにも係わらず、どうも精神科などに行くのには抵抗がある という人は、この空中ブランコ って本を、まずは読んでみたらいかがでしょうか。あ、そういや、また電車の話に飛びますが、意識をおしっこから遠ざけるために、のの子を抱っこしながら、どんな乗客が乗ってるのかなぁと、乗客ウォッチングをしてみたんですけど。やっぱり日本ってがっかりだよ(やっくのHPのURLありがとうNishikoりちゃん)この後の話は、精神のこととは関係ありそでなさそな話・・・・・・・・あのの子がペコちゃんの棒つき飴を持ちながら、植木鉢を入れてある箱に頭から突っ込んで、身動きとれなくなってるので、また後日♪
2006年08月17日
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日本に里帰りしてたのは、ついこの間のこと、里帰り其の一の話の最後で、うちのおかんの飼っている猫達のお陰で、恐怖の体験をしたと、締めくくったところ、業界はもとより、角界、サッカー関係者、いちご農園の経営者、野鳥保護の会、などなど各方面の人たちから、続きはどうしたーーーーー!と、言われる前に、続きを書こうかなと。思っただけだーーーーーい!恐怖の体験、その前に、ちょっとこちらをご覧あれかーわいらしい猫ちゃん達ですねぇ、でも、どれが親猫なんだか良く分からないですね~。6匹に乳を吸われて、うらやましいような、うらやましくないような。この猫ちゃん達、夜中にネズミをとっちゃ~家の中に持ち込んで、遊んではギダギダに、もぐらを捕まえてきちゃ~血祭りにあげていました。トカゲなんかはまだいいほうです。「うちは持ち込み禁止だよっ!」と、何度言いたかったか。この気持ち分かりますか?うちの母ちゃんと私は、今日は何がいるのかな?何の内臓があるかな?と、ドキドキしながら毎日を過ごしたざんす。そして、朝の5時~6時ぐらいに起きちゃう人達→うちの子供達より早く発見しないと、血だまりの中をノノコさんあたりが、ヘラヘラ笑いながら歩くことになりますので、早期発見は病気に限らず!と悟りながら、床に落ちてるブツを取り除き、雑巾がけをしなくてはならぬ日々を送りました。これは、猫を飼ってる家の人の宿命ですね。そう、これが、私には恐怖体験だったんだよ・・・・・え、終わり?いやいやこれだけじゃ納得いかないでしょ?いってないでしょ?そうそう忘れてましたが、この猫ちゃん達、私達がスイスからやってくるまでは、猫の母さんは、子猫を隠して育て、そろそろお披露目してもいっかなぁーって母さん猫はふと思い立ち、私達が来る1週間ぐらい前に、1階の床の間に引っ越してきたんだとさ。そしてスイスからやってきた私と子供らは、床の間とは続きの部屋の畳の部屋を寝床にしたんです。田舎の暮らしが一日、二日経ち、どんどん私達は蚊にくわれていきました。庭は母の育てている花や木、雑草などで、やぶ蚊はもとより、蚋(ぶゆ)も多く、血がうまいのかなんなのか、私とモコばっかりが集中してくわれました。でも、三日四日と経ったある日、蚊にしちゃーいつまでも痒いんだよなー と、思って、布団を何気に見ると、どうやら蚊とは違う吸血動物(虫?)みたいなのがいるじゃあないですか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは蚊じゃない 蚊なもんか と気づき、おかんに言って、床の間と寝床と居間に取りあえず、バルサンをたくことにしました。このバルサン、たいてる間は人も動物も約3時間は、バルサンルームに入らないほうがいいのです。入っちゃ駄目なんです。居間もバルサン置いちゃったので、私達はどこに避難しようかなと。外は雨だし、夕方だし。で、弟に使わせてる私の部屋に行こうと、そこならテレビもあるし、私もスイスに持って行きたい私の洋服とか選別できるし。しかし、洋服の選別を始める前に、モコとノノ子が飽きだしては、何も出来なくなる。私はまづ、私の持ってる、おもちゃなどを探し出すことにしました。あるわあるわ、くだらないのが。で、もっとあるはずだと思って、部屋の隣の階段の踊り場にも行ったり(ここは、階段の手摺が、作り付けの本棚になっていて、私の集めた絵本なんかも置いてある)それでは飽き足らず、「2階の納戸にも絶対になんかあった」と思いたち、納戸に行きました。階段下の納戸は、通路を挟んで左右にあり、それぞれ引き戸で開け閉めできるようになってんです。外に向かって左側の納戸は、引き出物なんかでもらった使わない皿とかコップとか鍋とか、とにかくそういうものを、しまえるように、5~6段ぐらいの棚になってんです。通路には、父ちゃんが注文したのに取り付けなかったカーテンのレールを隠す木製の長い箱とかが置かれていて、相変わらず邪魔だなーと。そして右側は、階段の下なので、棚も何もない納戸。確か、右の納戸に、私が小学生の時のランドセルも入ってるし、その他のおもちゃも入ってたハズだと思い、そこを確かめようと行った訳ですが、左右の納戸の手前に、誰かが出した、皿が入ってる箱を見てしまったので、仕方ない片付けとくかと、まづ左の納戸に近づいていって、戸を開けたんです。私はその時、膝丈の半ズボンを履いていました。そして、納戸に近づいてる最中に、なんだか素足の足元に異変を感じてたんです。なんだかチカチカするなぁ、なんか劇物・劇薬みたいなのがあるのかなぁ、でも変な匂いはしてないし~???と思いながらも、右の納戸に箱をしまいました。そして左の納戸を確かめようと思った時、なんでこんなに変な感じがするんだらう?と、足元を確かめようと、下を見たら、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多分これぐらい、もっとかな?の数のゴマ嫌、黒ゴマ じゃないよノミだよの大群が、私の足首あたりから下にびっちりついていたのでした。ぅぎゃあと叫んで手で足元を振り払って鳥肌をたてながら1階に走り浴室に飛び込んでその場で急いで着てる物を全て脱いでシャワーを浴びるまで、10秒かからなかったような、世界記録を樹立したような気がします。この後、一週間以上、痒さに苦しめられ、十日以上、自分の足の甲の赤い点々を見る度、真っ黒な足を思い出しては、ゾクゾクと背筋を凍らせたのでした。シャワーの後すぐに、うちの母ちゃんに、猫達は床の間に引っ越す前に、どこにいた?って聞いたら、納戸のところって答えが・・・以来、納戸周辺には近づけなくなりました。今、思い出してもチキン肌。。。
2006年08月16日
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一昨日の夜 子供達を寝かしつけている時のことであった。横になっても、なかなか寝ないモコが突然ムクッと起き上がって、私達の足元のほうを見て「こっち だいじょうぶ」 と、言った。何が大丈夫なんだか?表情が固まってるうえに、キョロキョロ辺りを見回してるので、「怖いの?」 と、聞いたら、「こわくない」 と言うので、「じゃ、みんなでねんとしよ」 って言ったら、その後は、すんなり寝てくれました。次の日、なーんで昨夜あんなこと突然言ったんだっぺ?はて?と、思いながらも、いつものようにネット繋いで、「もうかれこれ7年?いや8年?ぐらい前からの仲の実際に会ったこたないが私のネット友達で奈良在住現在恋人募集中だと思われる26歳になったんだっけ?きみは?じじぃ君」 の日記を読んでいて、不意に、あ、分かった! と思った。何が分かったって、モコがなんで 「こっち だいじょうぶ」 なんて言ったかが分かったのだ。じじぃ君は日記で、お盆なので休みだから自分の車で奈良を飛び出して、中部地方あたりをさまよってると書いていた。そう、私はすっかり忘れていたのだが、日本はお盆だったのだ。だから多分、一昨日のお盆が始まった日に、うちの死んだお父ちゃんか、もしくは交通事故で死んだ私とは一つ違いだった弟か、もしくは私が産まれる1年前に亡くなった私と顔が一番似ている婆ちゃん、もしくはこれらの人々とその他の仏様が全員で、「ちっとスイスさ行ったヤユんちにでも様子見に行ってみんべかねぇ~」ぐらいに、やってきていたんだ、きっと。その感じをモコが掴んだんだけど、先祖や身内だから怖くはなかったんだ。そう思ったら、色んなこと思い出した。それはほとんど弟のことなんだけど。実は、うちの死んだ弟も、遊びに行った友達の家で、天井の隅で、ずっーと喋ってる小さな人を見つけたり(しまいにゃ喋りかけられたと言ってた)、観音様に通じる石の階段の上がり口にある、石灯篭に、紐で縛り付けられた着物を着た女の子と男の子に呼びかけられて、二人が「助けて」というのを断ったら「お前にとりついてやるー」とか言われたり、うちの近所にある墓に、深夜、当時の彼女と肝試しで行ったら、墓に入る直前に、自分の生首をヨーヨーのようにして「あたしのヨーヨーどこやった?」と言いながら歩いてる白い着物を着た女の人に遭遇してしまい、これはさすがにヤバイと思い、そんなのは見えない彼女に手短に状況を説明して逃げるぞと言ったら、彼女は全然信用せず、女のいるあたりの空を手ではたくような真似をするので、弟は慌てて彼女の手をとって、急いでその場から逃げ、近くに置いておいた原チャリのところまで行った。そしたら、カゴに入れておいた彼女のバッグが無くなってて、通った道を戻って、墓の近くまで探したが見つからず、その時は諦めてうちに帰ってきた。その翌日、この話を彼女と弟から聞いていると、突然電話のベルが鳴った。弟が電話に出ると、その内容は、「墓の隣に住む者ですけど、墓掃除をしに行ったら、墓にバッグが落ちてたので拾ったから取りに来て下さい」というものだったのだ。弟と彼女は、墓の中まで行ってない。「だからゆったべー」と、私と彼女に言った弟の言葉が忘れられない。また、弟が子供の頃の話だが、弟は小学校1年の時に、「おいぬさま」に田んぼのあぜ道で会っている。おいぬさま・・・私が大人になってから、この「おいぬさま」はこれだったんじゃないかと思ったのは、一時噂になった人面犬。弟が見た「おいぬさま」は、体は犬みたいで、頭は禿げ上がっていて、顔は人間のオジサンのようだったと言っていた。弟は学校帰り、いつものようにあぜ道で遊びながら歩いていた。そこに犬がいた。普通の犬だと思って呼んだら、見るからに、ただの犬の様子ではない犬が振り向いて、ニタリと笑ったそうだ。ちなみに「おいぬさま」の目は、真っ白だったとも言ってた。そのまま一目散に家までかけ戻ってきて、この話を母と当時小学校3年だった私にした。そのほかだと、死んだ人達があの夜に向かって歩いて行く通り道をしょっちゅう見かけていたようだったし、他人(たとえば私)の頭から体を通って爪先から外にぬけ、また頭に入っていく「気」のようなものも見えると言いながら、「ほらほら」と言って私には見えん私の気の流れを手で手繰り寄せてみて、ついでに、「どっか病気のある人は、この気がそこで止まってるみてーなんだよな。ほんで、俺の気は、なんだかしんねーけど、上に、天のほうに行ってんだ。・・・姉ちゃん多分、俺は長生きしねーよ」 と、言ったりして、まっさかーと思ってたら、本当に19歳で逝ってしまった。また、弟が家出中、夜、私が寝ているところへ、軍服を着て肩に銃をかついだ弟にそっくりな人が部屋の窓から、もう一つ影を伴って入ってきて、「姉ちゃんバイクの鍵かして」というので、「はて鍵?今日はどこ隠したんだっけ?」 と考えながらも、あれ?私の部屋は3階なのに、どうやって上がって来たんだっぺ?と、思ってるうちに、何時の間にか、私はまた眠ってしまったのだが、後日、弟が家出を終えて帰って来たときに、そういえば、と、この話をしたところ、「あ、俺、家出中、おねえにバイクでも借りに行くかどうか悩んでたんだ。だから、おねえもそんなの見たんじゃねー。んで、おねえが見た人、俺も見たことあるよ、多分俺の守護霊のうちの一人それ。俺が見たのは、俺が自転車に乗ってる時で、俺が自転車から降りたのに、地面見たら、俺の影だけはまだ自転車に乗ってて、あれ?と思って見たら、おねえが見たような軍服を着た人がまだ自転車に乗ってたよ。ついでに、俺には3人守護霊がいて、そのうちの一人は女神様みたいな人なんだー」 というようなことを、別になんでもないように言ってたよ奴ぁ。まだまだ弟の話はあるが、全部を書くのは大変なので、気が向いた時にまたいつか書くことにする。そうそう、こんな話は大槻教授のような人は 「ちくらっぽ」(嘘っぱち) だろと思うだろうが、私にはこんな話を作れるような、稲川淳二さんのような能力はない。もしかしたら、モコがここまではいかなくても、こんなような不思議体験をするかもしれないなーと、一昨日のことで思ったので、ちょっとだけ弟のことを書いた。これは以前にも書いたけど、モコの耳のふちの所には、小さなピアスの穴のような穴がある。うちの死んだ弟には、モコのと同じような穴が、両耳にあった。 この穴、分かるかな? これで分かるかな?血は巡っているのだな・・・・・・
2006年08月15日
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のの珍子、昨日の夜に熱は下がり、あとは鼻水ズルズルのみとなりました。心もち「マンメ マンメ」と呼ぶ回数も少なくなった ような気がした だけです。今もマンメと言いながら邪魔しにやって参りました。最近は、ようく聞いてみると、パッピのことも「パッペ」と発音してるようで、うちの旦那は「パッペ」と呼ばれたら「ののべ」と答えてる模様です。ぱっぺとー呼べぇば、ののべっと答える♪ののべ、もしかしたら、茨城の血が濃いのかもしれません。茨城県民は必ず語尾に「ぺ」だの「べ」だの、「ちけ」だの付けますから。そのうち、私のように、「これが、カトツン っぺ! け?」と、弟に向かって聞いたように、ののべも茨城訛りを駆使するようになるかもしんねーな。って読んでる人は、なんのこっちゃ?ですね。私、自分の頭の中だけで処理しちゃう事が多いんです、失敬失敬。かとつんぺとは、私達が日本に行く直前ぐらいに、ニュースで、小泉キョンキョンと亀梨くんという人が付き合ってるとかなんとかという記事を見かけたのが始まりで、はて亀さんとはどんな人だべ?と検索をかけても、ジャニーズはHPなどで、所属タレントの写真掲載を禁止してるとかで、似顔絵でしか顔が見られず、本人がどんな感じの人だかさっぱり、分からずじまいだったので、日本で初めてdocomoのCMを見た時に、「これがカトツン っぺ け?」と丁度近くにいた弟に聞いたんですよ。そしたら、弟は、「カトツンじゃなくカトゥーン。それにっぺってなんだよ」 って言ってきたので、 「知ってるよ カトゥーンだって。でも、KAT-TUN で、どうやってカトゥーンって読めんのよ!あたしにゃ、どうやっても、カトツンにしか読めねー!ほんでもって、カトツンってきたら、カトちゃん っぺ だろが。」と言ったら、弟も呆れてましたよ。低俗な会話ですもんね。いつもこうです。こんなです。あ、カトちゃんぺっのぺは茨城とは関係ねーじゃねーかと思った人、そこは無視するように。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、ののべ、熱はさがっても安心はできない、治りかけが肝心だべ。だから今日も食べ物と水分を一緒にとれる、お粥を食わせようと思います。旦那に「こんなの持ってって何すんの?別にいいけどさ・・・」って、半分白い目で見られながらも手荷物に梅干とともに押し込んで持ってきた、すり鉢 と すりこ木もうすでに役に立ってるじゃないかよ天晴れニッポンの文化(?)な訳で、昨日はネギと卵に、すり鉢ですったゴマをたーっぷり入れたお粥を作りました。今日はどんな粥にしようかな。それにしても、話は色んなとこに飛びますが、テロ未遂で成田もヒースローもアメリカも大変混雑してるらしいですね。これが先週だったら、私たちも巻き込まれて大変だったでしょう。機内の手荷物に飲み物も化粧品のクリームやジェル類も持ち込み禁止だなんて。子供を連れて飛行機に乗る人なんか、ほんと大変じゃないですか?うちも離陸直前に、ののべには私の乳首をくわかせ、モコには持ち込んだ麦茶を飲ませて、耳鳴り防止に役立たせましたよ。それが飲み物持込も駄目なんじゃ、飛ぶ前に客室乗務員とっ捕まえて水でもなんでも貰って、母乳を飲んでない乳飲み子には、ミルクも作ってもらうしかないじゃないか(水で事が足りそうなら、まだいいが)あれ・・・ん・・・?シュークリームのクリームはいいんだろか?テロリストがシュークリームの皮を二重にして、中身のクリームとクリームで、化学反応を起こさせるような工夫をしたら・・・またくだらない事を考え始めちゃったよあたしゃテロリストじゃないんだから。とにかく、テロリストの皆さん、もう一般人を巻き込むのは辞めてくれ。狙うならGW茂みちゃんとか、大物なんだか小物なんだか分からない人を狙ってよ。じゃないと、茨城県民総出でツバひっかけてやっからぁ!ぺっぺっぺっあのさ、全然関係ないことまた書き出すけど いい?桜塚やっくん って、けっこう男前だよね・・・
2006年08月11日
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鼻水垂れてるな~。熱でないといいな~。と思っていたら、案の定、ノノ珍子 熱だした。昨夜は2時にぜぇぜぇ言って、時折「マンメェ」と私のことを呼ぶ、苦しそうなノノ珍子。そのまま居間に連れて行き、おっぱい飲ませながら熱を測ったら37度9分座薬を入れるほどでもないので、おっぱいと水を交互に飲ませて様子をみた。朝も熱は下がってなかったが、本人ぐったりはしてないので、水分補給だけは怠らないように注意して、今日も様子をみている。なので、昨日から始めてみたモコのオムツはずし作戦は、見事失敗したでやんす。ま、いっか
2006年08月10日
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はじまりは・・・日本人妻友達Mと、その息子二人と、私ともこのので飛行機に乗って帰ったんですが、大人二人に子供四人なら、なんとかなるだろうとどうにかなるだろうと大丈夫だろうと高をくくっていた大人二人。子供一人につき、大人一名、いや二名いたほうが いい って、しょっぱなから悟った。JALの客室乗務員のおねいさんも、子供がやっと寝そうって時にオモチャとか持ってきてくれたりで、もこは結局3時間寝たか寝ないかで、睡眠終了。のの子もおっぱいに張りついたままだったので、もこが何かを要求してきても、ちょっと待ってというのがやっと。Mのとこも、息子達はどっちももう乳離れしてるとはいえ、うちとさほど変わりない状態で、とうとうお兄ちゃんのほうが具合が悪くなり、座薬とか入れる羽目に。そして事件はおこった。なんとかかんとか時間を潰して、ようやく日本だー着くぞー!着陸体制に入って、飛行機の車輪が地面に着いたーーーーーーーーごぉおおおおおおおおおおと同時に、Mの息子その一が、吐いた。子供連れって、飛行機に乗るのも降りるのも、他のお客より優先されたりするんだけど、Mちゃんは子供の服と自分のズボンを履き替えなければいけなくなり、飛行機から降りたのは、私たちが一番最後も最後になってしまった。客室乗務員の皆さんがほぼ全員集まってくるまで時間がかかった。うちらが降りないと、彼らも降りられないからね。でも、それはそれで良かったの。なぜなら、私たち親子連れを見かねたスッチー数名が私たちの手荷物を持って行って一緒に歩いてくれたばかりか、私たちの入国審査をスッチーとクルーの皆さん専用の所に案内してくれたので、先にどんどん下りていった人たちより先に入国審査を終えて通過することが出来たのだ。荷物受け取りの所へは、一番乗りぐらいに着いた。スッチーさん達よ ありがとう。JALの場合、親が一人きりで小さい子供連れて飛行機に乗る時は、乗務員が一人ついてくれて色々手伝ってくれるファミリーサービスを受けられるのは知っていたが、今回は大丈夫だろうと浅はかな考えをした私達は間違っていた。同じように片親だけで子供と飛行機に乗る予定のある人は、最初からファミリーサービスを頼んだほうがいいぞ。
2006年08月08日
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6月半ばから一昨日の8月5日まで、日本へ約7週間の里帰りをしていた私たちですが、さて、いったい毎日何をしてたんでしょう か。日本に着いてしばらくは、時差ぼけで、もことのの子は夜中の2時ごろに起きるし、起きるだけならまだしも、もこは「パッピのところに行く」だの「おうちに帰る」だの、愚図りながら、できないことを言い出す始末。そして、子供達は、ばあちゃんである うちの母ちゃんにも人見知りをしていたので、ずっと私にべったり張り付いて大変だった。まぁいきなり環境が変わった上に、パッピもいないとなったらグズっても仕方ないなと諦めたけど、うちのお母ちゃんの猫達・親猫1匹に子猫6匹がいなかったら、もっと愚図って大変だったかもしれないと思う。その代わり、猫のお陰で恐怖の体験もしたんだけどね。あれは思い出したら今でも身震いするわ。あぁ
2006年08月07日
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仮病使ってあと一ヶ月ぐらい日本滞在延ばしたかったっぺよ…というわけで、ただいまシュヴィーツ。昨日の夕方家に着いて、スイス時間の夜中の1時から子供達は活動開始。買ってきたドラえもんのビデオを4回ぐらい見せて、その間、わたしゃうたた寝。風邪ひいたようで、のどが痛い。もことのの子は日本にいる間にすごく日本語を覚えた。もこはちょっとだけど文章で話ができるようになった。ある時は、なんか探しながら「どこにいっちゃったんだっぺ?」って茨城弁も使ってたべよ。のの子は「マンミー」というか、「マンメー」に近い発音だけど、私を呼ぶようになり、「ちょうだい」とも言えるようになった。うちの母ちゃんが買い物から帰って来た時に、誰よりも早く「おかえりー」と言った時も、びっくりした。子供って親が思ってる以上に言葉を理解してるんだなーって実感した。もこも日本からスイスに電話したとき、父ちゃんとかお義母さんと話す時には、しっかりスイスジャーマン話して、意識しなくても日本語とスイスジャーマンを使い分けしてるんだなと、子供のやわらかい頭・・・羨ましいなあぁまだ時差ぼけで苦しんでるので、このへんで
2006年08月06日
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