おじん0523のヒロ散歩

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2021.09.01
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カテゴリ: ヒロ散歩
車の車検で寒川のオートバックスへ。


8月21日(土) 19:30
突然大きな音がし外を見ると、自宅近くの某会社で打ち上げられた花火が


例年、周辺住民への感謝を込めて夏祭りを実施しているが、新型コロナの影響で2年連続の中止
となった。このため、代替として企画した「75発の花火打ち上げ」


8月24日(火) 11:09
オートバックス・寒川店
所在地:神奈川県高座郡寒川町小谷1丁目1-38


オートバックスからのその帰路代車で移動。
県道44号線(伊勢原藤沢線)を走り相模川に架かる神川橋へ


ダイソー平塚田村店の駐車場に車を止め、
県道44号線(伊勢原藤沢線)を西に歩き、前方に旧田村十字路交差点


旧田村十字路交差点の角にある、「十王堂跡」
サルスベリが満開に


十王堂跡碑の前を、県道44号線(伊勢原藤沢線)の大山街道


田村十王堂
江戸時代にはかつてこの田村十字路に十王堂が建てられていた。
伝承によると、天文六年(1573)小田原の北条氏が河越の上杉氏を攻撃する際相模川で合戦があり、
多くの戦死者を出した。

                          田村自治会
                          平塚市観光協会


旧田村十字路交差点は、東西に大山街道、南北に八王子道が走る交差点。
この交差点の一角にある、大山道標。
左側の道標にはちょっと読みにくいが、正面の文字は「右大山みち」





旧田村十字路交差点を右折(北方向)しすぐにある、(有)井筒屋菓子店
所在地:神奈川県平塚市田村6丁目4-14
屋根は茅葺なのか鉄板で覆いいかにも古い佇まいである


ネットで井筒屋の所在を知り、甘党の私?は目的地にしていた和菓子屋である。
営業時間: 9:30 ~ 19:00
定 休 日 : 毎週月曜日


店舗の壁面に「田村渡し最中」


店内に入り撮影の許可を得て撮影
カウンターはコロナ対策で飛散防止のカーテンで覆われていた


大福、茶まんじゅう、だんご、どら焼き等いろんな和菓子がある。
だんご(2本) 180円、たむら渡し最中 150円 を各一個購入、帰宅して食する


井筒屋
当店は古くより大山街道と八王子道の交差点にあり、代々暖簾を受け継いで来た老舗です。
大正、昭和初期、先代(菊治)は手焼せんべいで名を売り、和菓子は繊細な生き物をモットーに、
現代(一三)は県指定銘菓(渡し最中)を考案して、地域で愛されるお店として営業しています。


一才の祝に「誕生餅・御赤飯」も受けている


店内の壁面には古い絵が飾られていたが


井筒屋から八王子道を北上、街道沿いに「居酒屋 なんでもかんでも」
大山街道はこの先を左折する


緊急事態宣言が発令されているので営業しているのか?


平塚市のおすいマンホール蓋。
デザインは日本三大七夕である湘南ひらつか七夕まつり、右に「たなばた」。左の「田村」は
設置場所の地名。中央に、平塚市の市章の中に下水の「下」の字を入れたもの。
下部に「おすい」の文字、カラー版はどこに設置されているのか

「居酒屋 なんでもかんでも」前から引き返し、前方に旧田村十字路交差点


井筒屋の手前に、ラーメンの「花水ラオシャン田村」


旧田村十字路交差点の西側から、寒川方面
左角に、十王堂跡碑


交差点の志柄喜酒店前から向かい側の「十王堂跡碑」


ズームアップ


11:30
十王堂跡からダイソー平塚田村店の駐車場へ戻り、帰路に。
伊勢原藤沢線(県道44号線)の神川橋東側交差点を右折、藤沢平塚線(県道47号線)を南下。
高架は、首都圏中央連絡自動車道


藤沢平塚線(県道47号線)を南下


藤沢平塚線(県道47号線)を南下し道路脇に車を止める


藤沢平塚線(県道47号線)、左側は、目久尻川


道路脇に、一之宮不動堂
入り口横には「一之宮河原集会所」の看板


一之宮不動堂の扁額「一之宮不動堂」


内陣を見る


大山街道と一之宮不動堂
江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達
しましたが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地とな
った鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース 〜 東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み、大曲、
中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる 〜 この道でした。
この不動堂の、堂内には不動明王が安置されています。堂の外には、江戸の人が奉納した力石や
不動をかたどった道標があり、当時の街道の隆盛を今日に伝えています。
                      寒川町教育委員会


黒の実線
大山街道(田村通り大山道)


河原不動尊
本尊は、不動明王坐像と二体の眷属(けんぞく)(お供の仏像)からなる不動三尊像です。
不動明王坐像は江戸時代初期の作とみられ、宝暦3年(1753)に江戸芝口(東京港区)の初音屋平吉
が修理した。との「胎内納入名札」に記されています。この坐像と眷属一体の制咜迦(せいたか)
童子像は、共に寄木作りの非常に上手な技巧による佳作と評されています。
お堂の前にある力石や道標も江戸の人達が、二百三十年頃前に奉納したものです。このようにこ
の不動尊は、江戸とのつながりが深く、江戸時代には観光ルートとしても著名であった。目の前
の大山道を、多くの道者達が往来し、大山参詣が栄えた様子を物語る史跡といえましょう。
「新編相模国風土記稿」にこの不動尊について、「村民持ち大山道にあり」と記され、村人達が
安寧を願い、寄り合い所として長い年月にわたり大事に守り続けて来たことがうかがえます。ま
た同稿には「田村(相模川対岸の現平塚市田村)にあり(旧一之宮村の)現在地に移された」と
も記されていますが、詳細は定かではありません。
      平成十九年十二月
         (一之宮河原地区住民による)   不動尊維持管理会


お堂の前にある力石や道標も江戸の人達が、二百三十年頃前に奉納したもの


一之宮不動堂から藤沢平塚線(県道47号線)を歩き、目久尻川に架かる河原橋


河原橋から目久尻川の下流
高架は、首都圏中央連絡自動車道


近くを走る首都圏中央連絡自動車道「寒川南 出口1km」


11:43
神奈中のバス停「八角広場前」
前方は藤沢平塚線(県道47号線)の工業団地入口交差点


八角広場(西寒川駅跡)
所在地:神奈川県高座郡寒川町一之宮6丁目2-25


八角広場の片隅に、
「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の石碑    寒川町長書


裏面には、
ここ旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。
そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年 敷地704,000㎡)の跡地
である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後、工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。いま、
大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安穏を祈る。
               建立  相廠会及び協力企業
                   昭和63年春


この公園は、旧国鉄西寒川駅の相模海軍工廠跡に作られ、一部レールが残されている。
旧国鉄西寒川駅は、昭和59年(1984)3月31日に廃止された。

一之宮緑道
一之宮緑道は、緑のネットワークの一環として旧国鉄相模支線跡地を利用して、昭和60年度よ
り整備を行ったものです。延長は約900mあり、広場及び3つのタイプの園路から構成されてい
ます。みなさんでご利用ください。
左側の赤矢印が現在地


昭和55年(1980)10月の時刻表によると、寒川ー西寒川の列車の本数は、朝1往復、夕3往復の
1日4往復のみで、通勤に特化した利用だったと


八角公園の隅に
鎌倉・江ノ嶋・大山、「新版往来雙六」からの絵も飾られている


鎌倉・江ノ嶋・大山、「新版往来雙六」
    一の宮  田村へ 十八丁  三十五
              神奈川県立博物館蔵


八角広場から、一之宮緑道(旧相模線支線跡)を北方向へ進む


藤沢平塚線(県道47号線)の押ボタン式交差点


押ボタン式交差点から、一之宮公園方向。
民家の間に、一之宮緑道(旧相模線支線跡)


振り返り、八角広場方向


この交差点を右に行くと八角広場で、左に行くと丸太広場と。
一之宮公園を通称丸太広場とも言うようです


11:50
八角広場(西寒川駅跡)へ戻り、帰路につく


首都圏中央連絡自動車道下を走る、県道44号線(伊勢原藤沢線)を帰るが渋滞。
上は、茅ヶ崎JCT辺りで、茅ヶ崎中央IC



                                        END





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最終更新日  2023.03.13 17:11:23
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