おじん0523のヒロ散歩

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2023.06.11
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カテゴリ: ヒロ散歩
富士芝桜まつり会場を約1時間半堪能し、国道139号を南下し目的地の伊東市へ向かう。

4月24日(月) 9:25
国道139号沿いに真黒な朝霧高原が目に入り一時停車して撮影。


雄大な富士をバックに記念写真。


野焼きを終えた朝霧高原。


9:35
道の駅 朝霧公園
所在地:静岡県富士宮市根原字宝山492-14
当道の駅は富士山を背景に富士宮市北部国道139号沿いに平成12年3月27日に開駅した。近くに
は白糸の滝、田貫湖、狩宿の下馬ザクラ、富士山本宮浅間大社等の観光名所がある。



いつも見慣れている神奈川県側からはの富士は宝永山があり違う光景に。


近くには牧場がありサイロをイメージした建物に時計塔、時間は9時35分。


地元の野菜を販売していた。


あさぎり高原キャベツ 170円。


道の駅の裏から富士が綺麗に見えていた。

富士の頂上をズームアップ。
この時期になると積雪量が少なくなっている。


右側に「あさぎりフードパーク」があり、牛乳・お茶・お菓子工房やレストランのある建物が
いくつもあるが営業時間に注意。


入口の看板には「富士山 味のさんぽ道 あさぎりフードパーク」。


駐車場に戻り、富士の稜線をだすため露出を絞って撮影。
「富士山本宮浅間大社」 へ急遽行くことに。


10:20
富士山本宮浅間大社 (ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
所在地:静岡県富士宮市宮町1-1
道の駅朝霧公園からカーナビの案内で国道139号を南下、富士山本宮浅間大社の駐車場へ到着。
浅間大社の御由緒は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと



大社前の駐車場へ愛車を止めたが駐車料金は200円で後払いであった。
駐車場の間に建つ二之鳥居。


富士が見えていたのでズームアップするが空は曇り空。


浅間大社前の県道76号線(神田通り)から東側を見る。
現役時代にゴルフで富士宮カントリーへ行く時、この浅間大社前交差点を左折していたので、
その時富士山本宮浅間大社の存在を知っていたので今回急遽立ち寄った。


県道76号線(神田通り)沿いに建つ大きな朱色の「大灯籠」(右)。


左側にも朱色の「大灯籠」。


バス専用駐車場脇に土産物店がある。


境内案内図。


二之鳥居、社号標石、参道の奥に三之鳥居が建つ。
本宮の境内の広さは約17,000坪、徳川家康公寄進の神殿、楼門を中心とした御神域は御神徳の
偉大さを物語っています。
また、富士山8合目以上は奥宮境内地であり、約120万坪の広さに達します。古来富士山は富士
山本宮浅間大社の御神体として崇められる神聖地であって数々の霊場行場があります。
因みに、富士山登頂は平成16年(2004)7月24日(木)に行っている。


二之鳥居の扁額「富士山本宮」。


二之鳥居の右側に大きな社号標石、更に右側には富士。


ズームアップ。


社号標石には「冨士山本宮淺間大社」、右側には木製の「富士山大金剛杖」。


富士山大金剛杖


石碑には「富士山大金剛杖」。
金剛杖を持っている方は、富士登山道中の各山小屋で杖に「焼印」を押してもら
うことができます(有料)。五合目から六合目、七合目、八合目と登っていくた
びに新たな焼印をつけると自分の頑張った証が焼きつけられているようで杖の相
棒感がどんどん増していきます。気がつけば、富士登山の思い出とともに、一生
もののお土産になっていますと。


周辺案内図。


高低差日本一のまち富士宮
富士宮市は、海抜35mから富士山の山頂剣が峰の3776mまでの日本一の標高差を誇るまち。
と言うことは富士山の山頂は富士宮市であるのだ。


家康の浅間大社の造営
1604 (慶長9 )年、家康は関ヶ原の戦いでの勝利を記念して、天正10年から仮殿のまま
であった社殿の造営を行いました。建物は2年後に完成、正遷宮 が行われました。
浅間大社の本殿はそれまで一階建て構造でしたが、この時、現在のようにニ重の楼閣造
(浅間造)になったと言われています。
​   造営などのために移動させた神様を、新しい建物に移すこと
富士山はだれのもの? ~ 家康と富士山 ~
現在、富士山八合目以上は浅間大社の所有となっています。そうなったことには家康が
深く関わると伝わります。
江戸時代の1609 (慶長14)年、浅間大社は家康から山頂部の「散銭」(賽銭)を、修理費
用として寄進されたとされ、これを足掛かりにした浅間大社は、境内地として山頂部の
支配・管理権を強めました。
これに対し、他の登山口もそれぞれの由緒から、富士山における権利を主張しました。
その結果訴訟となり、1779 (安永8)年、幕府の判決文に基づき、浅間大社にハ合目以
上の支配が認められました。
その後近代になって一旦は国有地となりますが、1974 (昭和49)年の最高裁判決によ
り、浅間大社に返還されました。
                      富士宮市教育委員会


二之鳥居の下から土産物店を振り返る。
一階屋根に「 ここずらよ 」と書かれて看板。
店内では「富士宮やきそば」、「虹鱒甘露煮」、「富士のやぶきた茶」、「あさぎり牛乳」や
「地酒」などの地元特産品が販売されている。地方発送も承りますと。


参道入口の左右にも大きな白色の石灯籠。


参道脇の旗には「家康公の遺産 FUJINOMIYA」と。
2023年大河ドラマ「どうする家康」の放送をきっかけに、富士宮の新たな魅力を全国
に発信するため、オリジナルロゴマークを活用したのぼり旗を作ったのだ と。


石畳の参道の先に「三之鳥居」。


三之鳥居の前に狛犬。


右側の狛犬阿形像。
台座には大正7年(1918)5月吉日建立。


左側の狛犬吽形像。


三之鳥居を潜ると右側に 「流鏑馬像」


台座の「流鏑馬練行之図」。


武将の名はなかった。


逆光のため後方から撮影するが馬上は?。


流鏑馬祭縁起
社伝によれば建久四(1193)年五月源頼朝が富士の裾野で鎌倉武士を率いて巻狩を行ったとき、
当浅間大社に参拝し、流鏑馬を奉納したのに起因すると言われる古儀である。
当大社所蔵の天正五年(1577)の富士大宮御神事帳や、慶安三年(1650)の富士本宮年中祭礼之
次第にも、五月五日の条に五月会流鏑馬 と記載されている。又その当時の古文書、朱印状等
によれば武田勝頼より流鏑馬料、豊臣秀吉及び徳川家光よりは御朱印地の寄進があり神事祭礼
として国家安寧のため誠を尽して斎行するように下知されていたことを知ることができる。
現在は五月四・五・六日の三日間にわたり行なわれ、四日が前日祭、五日が本祭、六日が後日
祭になっている。五日の本祭はこの祭の中心で、拝殿で祭典を行い、ついで練行と称して神馬
を中心に宮司以下神職、弓武者、槍武者、鎧武者、射手代官、射手、氏子代表、稚児等が市内
を練り歩いた後、桜の馬場に参入して、鎌倉武士を髣髴させる絢爛豪華な神事流鏑馬式が古例
によって盛大に行われる。
当日は端午の節句でもあり近郷近在から二十万余の参拝者で境内は終日殷賑を極めることは
昔も今も変ることがない。
                    平成七年五月五日


鏡池に架かる「輪橋」。
鏡池は楼門前の池で一名眼鏡池とも云われます。中央の輪橋は大正四年御即位記念として石造
りに改められた。


一名眼鏡池とも云われている右側の鏡池。


左側の鏡池。


10:30
輪橋を渡ると正面に「楼門」。
本宮社殿は慶長九年(1604)徳川家康が奉賽のために造営したもので、本殿・拝殿・舞殿・楼門
等壮観を極めたものでしたが、寛永安政等の大地震で破壊したものもあり、当時の建物で現存
するのは本殿・幣殿・拝殿・楼門のみですと。


楼門 前のこの道は西鳥居から東鳥居までの「 桜の馬場 」で今年も5/4~6に「 流鏑馬 」が行わ
れる。
奥には朱色の「 東鳥居 」が見える。
馬場にはご神木の桜が植えられており、これらを含めて境内には500本以上の桜が植えられ、
春には桜の名所としても賑わいますと。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.06.11 03:00:06
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