おじん0523のヒロ散歩

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2023.06.30
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カテゴリ: ヒロ散歩
老舗”ういろう”の見学を終え向かい側の「ちん里う」へ。

5月3日(水) 12:40
欄干橋 ちん里う
ういろうの向かい海側に建つ老舗で、この後箱根口交差点を渡り訪れる。
小田原駅前には「ちん里う本店」があり、三宅裕司が”ふるさと探訪”で訪れた明治4年創業の
老舗である。現在は5代目の女将で旦那さんはドイツ人とか。
おみやげには「ほととぎす巻」をと!。


箱根口交差点の箱根側にある、箱根口ガレージ 報徳広場。


欄干橋 ちん里う
所在地:神奈川県小田原市本町4丁目2-37
明治4年(1871)創業の老舗で梅干し、佃煮、梅酒等を販売している。

なども展示してあるほか、150年前に漬けた梅干しも並んでいる。


店先の看板「黄梅菴 (おうばいあん)」。


前回、お土産で佃煮を購入し美味しかったので、今回も立寄り購入した。
店内の説明文がわからず店主の奥様と話をし資料を頂いた。


立札には「三年漬梅」
此の梅干は、皮が絹肌の様に柔らかくきれいで、種子が小さく肉が豊かなおいしい小田原梅を、
盛夏の炎天に三日三晩土用干しをした后、適当な湿度と低温の暗い蔵の中に三年間漬け込んだ
ものでございます。
       小田原 ちん里う


梅干製造図
梅長寿之心得   人生は六十才から

一、八十歳でお迎えの来た時は梅干の種をしゃぶっている所だと云へ
一、九十歳でお迎えの来た時は種の中の天神さんを喰う所だと云へ
一、百歳でお迎えの来た時は頃合を見て自分から種の中に入る所だと云え


梅干の唄
二月・三月花ざかり 

五月・六月実が成れば
   枝からふるい落とされ 近所の町へ持ち出され 何升何合量り売り
   もとより酸っぱいこの私 塩に漬かってからくなり シソに染まって赤くなり
七月・八月暑いころ
   三日三晩の土用干し 思えば辛いことばかり それでも世のため人の為
   しわは寄っても若い気で 小さい君等の仲間入り 運動会にもついてゆく
   ましていくさのその時に なくてはならない このわたし
九月・十月秋の日々
   山はもみじやかえでが色づいて 里の庭々秋の声 ふたたび仲間は おにぎりやシソに
   巻かれて旅に出る わたしはさびしく樽の中
十一・十二のこの月に
   山には雪がちらちらと 里には木枯らし吹き荒れて 庭でペッタンペッタン餅をつき
   樽の中ではブルブルと 私はふるえて年を越し
正月元旦年明けて
   書き初め 羽根つき コマまわし 家では家族が笑顔で雑煮たべ 梅の蕾がふくらんで
   花の香りを待ちながら 私は樽の中より おめでとう 


飾り棚には、明治元年頃からの梅干が瓶の中に。


店内の一画に 「梅万資料館」
明治4年(1871)創業の梅干店の一角にあり、明治初期から現在までの梅干を漬けたままの状態
で展示している。また、梅干の漬け方も教えてくれ、6~7月には梅1kg (2000円~) を使い、
梅干造り、梅ジュース造りの体験が可能 (4~5名、要予約) であると。


12:50
ちん里うで今回もお土産の佃煮を購入。
パレード開始時間も近くなり撮影ポイントを探しに国道1号(旧東海道)を東へ進む。


小西薬局
所在地:神奈川県小田原市本町4丁目2-48
旧東海道(国道1号)を歩いていると、趣のある建物がいくつか点在している。
その中でも、「済生堂薬局小西本店」は創業が寛永十年(1633)の歴史ある薬局である。
今も薬局として営業中。さらに昭和時代には文化遺産に登録され、現在は「街かど博物館」と
いう名のミニ博物館となっている。


軒先の屋根付き看板は江戸時代のものであると。
また、関東大震災では倒壊したが火災にならなかったので建材を再利用して復元したと。


店内に入ると壁面に懐かしい会社の看板等があり歴史を感じた。
左側に受付窓口、右側がミニ博物館になっている。
高齢の店主さんから「ご自由にどうぞ。写真も大丈夫ですから」と声をかけられ撮影。

有名人のサイン色紙も多く飾られていた。

店先ではポーターバック、お庚申さんの五猿等が販売されていた。

右側がミニ博物館になっている。

創業 1633年

暖簾には「創業寛永十年 薬 小西薬局本店」と。


百味箪笥 (ひゃくみだんす)
漢方医が薬品を入れておく箪笥。小さな引き出しがたくさんついている。薬味箪笥とも言う。


薬剤をすりつぶす乳鉢や秤など、薬関係の貴重な骨董品が展示されている。

懐かしい会社名も。山之内製薬、科研薬化工、中外製薬、エーザイ株式会社、大木製薬。


引き出しには、いろんな薬草の名が書かれていた。
高齢の店主さんから今でも使用していると説明を受ける。


引き出しの中には「すぎな」が収納されていた。
名 称:すぎな茶   原産国:日本
内容量:500g     賞味期限:2011.06


古い写真も掲示されていた。
右側:関東大震災前の小西薬局で、鉄道が開通したときの写真。
左側:関東大震災後の小西薬局で、建物が全壊している。


店舗の奥には蔵があり現在は展示室になっており見学させていただく。


ここの室内(旧蔵)にもいろんなものが展示されていた。
一枚板には「薬 小さな憩いの場」と。


古い陶器、手作りの人形であったか。


古い家具類。秤類も置かれていた。


奥には中庭もあった。


江戸時代からの木の看板。


江戸時代の看板で字が刻まれていたが。


明治時代の看板「内務省免許薬舗小西」。


説明書きがなかったが、古い屏風。


写真は「小西薬局 明治20年 ~ 30年」。
軒先の屋根付き看板は現在のものと同じようだ。


「済生堂」と書かれた古い額縁。


店先に立つ旗には「小田原 街かど博物館」と。


店先に「中宿町」と刻まれた地名石碑が立っていた。


地名石碑には、
この町には上 (かみ) の問屋場 (人足や馬による輸送の取継ぎ所) が置かれ、高梨町の
下 (しも) の問屋場と十日交代で勤めていた。町内には御用商人の小西家があり、江戸
時代末期には脇本陣一、旅籠 (はたご) が十一軒ほどあった。


13:15
御幸の浜交差点
パレードはこのお堀端通りを海側へ向かってくる。
お堀端通りへの進入は既に通行止めになっていた。12:30から15:40まで。


パレードコース沿いには既に陣取り。パレードはこの先を左折しかまぼこ通りへ進む。


himono stand hayase
所在地:神奈川県小田原市本町3丁目12-21
御幸の浜交差点角に建つドライ シーフード販売店である。


小田原の創業109年早瀬のひものの飲食店舗である。その場で炭火で焼いた小田原干物が食べ
られる。さばバーガーやコーヒもあると。


人気の店で書き込みでは皆さんgood!
ここでもいつか食べてみたいものだ。


片岡本陣跡
小田原宿には4軒の本陣があり、片岡本陣もその一つです。伊予(愛媛県)松山の松平家などの
大名家が定宿としていました。幕末の当主片岡永左エ門は明治時代には小田原町の要職を歴任
し、当時の貴重な記録を数多く残しています。
               平成29年3月  小田原市教育委員会


13:20
明治天皇本町行在所跡 (旧片岡本陣跡)
所在地:神奈川県小田原市本町3丁目12-3
明治天皇本町行在所跡は、明治天皇が宿泊した片岡本陣のあった場所で、この事蹟を記念し、
本陣跡の土地の一部59.5㎡を整備した上、石碑が建てられた。

開発された住宅街の中に建立されている。


正碑は自然石の台石の上に高さ2mの砲弾形自然石が設置されています。
碑文は平沼騏一郎の筆跡で「明治天皇聖蹟」と刻まれています。

小田原市指定史跡 (昭和三二年三月三○日指定)

明治天皇本町行在所跡は、明治天皇が宿泊した片岡本陣のあった場所です。
正碑は自然石の台石の上に高さ2mの砲弾形自然石が設置されています。副碑には由来が刻ま
れています。
明治天皇がこの場所に宿泊したのは、明治11年北陸・東海御巡幸の際、11月7日のことでした。
明治天皇聖跡小田原町保存会は、この土地を買収して、昭和14年2月に整備工事を着手、昭和
14年10月に碑文の除幕を行い、昭和15年10月に落成しました。
なお、万延元年(1860)に片岡家に生まれた片岡永左衛門は、明治時代に小田原町の助役を務め、
『明治小田原町誌』を執筆するなど、小田原の近代史研究に大きな功績のあった人物です。
                      小田原市教育委員会



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.07.13 11:24:17
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