おじん0523のヒロ散歩

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2023.11.12
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カテゴリ: ヒロ散歩


引き続き天気が良く最高の二十曲峠からの紅葉を楽しむ。

11月3日(金) 10:15
昨年に完成した  ”二十曲峠展望テラス「SORAnoIRO」”


忍野村も富士山が世界遺産になりいろんな設備を整備しているようだ。


展望テラスの後方に ”山の神” の鳥居。
鳥居の右側に案内板。


二十曲峠
木製の説明板があったが字が薄れて判読できなかった。


鳥居から石段を二十数段上ると正面に石碑。
奉鎮祭大山祗命神〇 」と。
右奥にもちいさな石碑。


石碑の右側にあるのは ”水神様の石碑” であろうか。
お茶のボトルとお酒のワンカップが供えられていた。


二十曲峠から、林道を歩いて登るハイキングコースとしても人気となっている。


山の神前の高台から富士を望む。


富士をズームアップ。
11月になっても夏日が続いているので積雪が減っていると。


下の展望テラスエリアにはトイレ施設がある。


展望テラスへ下り立つ。





二十曲峠にあるハイキングコースの案内板。
「 ← 杓子山・立ノ塚峠、石割山 → 」
”杓子山”
は、山梨県の富士吉田市、都留市、忍野村の境界に位置する山。標高1597.6m。
道志山塊に属し、山梨百名山、都留市二十一秀峰の一つに選定されている。山中湖の北、忍野
村の北面の山。杓子山を林道から眺めると、大きなガレが目につく。シャク=地崩れで、これ
が名前の由来だと言われている。また、富士吉田市を代表するビュースポットである と。





展望テラスの敷地内には緑のネットが張られたハンモックがある。


左側の部分に緑のネットが2つあった。


展望テラス
椅子も設置されていてゆっくり自然の中で過ごせる。土日は混み合うので平日がオススメだと。


緑のネットが張られたハンモック。写真はネットから。
訪れた時は男性が横たわっていたがハンモックとは思わなかった (説明板があったか?)。


テラスの椅子に座り撮影。


遠くに南アルプスを望む。


空に雲が無かったので松の間から富士を望む。


ズームアップするが構図としては。


10:30
約35分の滞在で二十曲峠から下山することに。


鹿留林道を二十曲峠へ上るとき道路脇に ”宝篋印塔” を見ていたので空き地に駐車。


広場がありかつてお寺でもあったのか。入口に車を駐車。


右側は二十曲峠への鹿留林道で、大型車は入れない。


宝篋印塔をズームアップ。
何も説明板がなく詳細は不詳である。


10:45
古屋(ふるや)地区
所在地:山梨県南都留郡忍野村内野 977辺り
二十曲峠へ上るときこの四阿を見ていたので立ち寄る。狭いながらも数台分の駐車場があった
ので車を停め散策することに。ここは小公園と呼ばれている。


古屋(ふるや)地区
この辺りは忍野村内野字古屋と呼ばれるが、古屋敷ともいわれる内野部落で最も早く住居があ
ったところで、その後、分家ー新宅ーなどの多くが上村・中村・下村(当地から富士山方向の盆
地)へ出てから後の呼び名である。
元禄9年(1696)以前の内野部落はこの附近のみである。山ぞいの、南面傾斜地で古代から住み
よい土地である。
 ※ 元禄・・・西暦1688年から1703年までの期間。江戸時代。   
                                  (忍野村誌抜粋)

古屋地区の景観特性

古屋地区は上述のように内野地区で最も歴史が古く、昔ながらの街なみを残している。
この地区固有の風土や伝統と結びついた歴史資源や文化資源、また地区住民が創造する自然石
による石垣や里山に抱かれた緑豊かな風景が美しい集落景観を形成している。
平成18年には、村道古屋線沿線住民により「古屋地区まちづくり住民協定」が締結され、生活
環境の整備と美しいまちづくりが推進されている。


MAPの左側 (東側)
小公園へ車を駐車。左方向が二十曲峠方向。


山の神・十三夜塔


山の神


山の神
山の神は、山を守り山を司る祭神とされ、忍野村では山の神として大山祇の神が祀られている
ことが多い。山の神は、それぞれの部落に近い山に住し、春は里に帰って田の神となり、収穫
期が終わると共に山に帰って行くといわれている。
田辺家では屋敷神様として大山祇の神を祀っている。

十三夜塔

講を組織した人々が集まって、月を信仰の対象として精進・勤行し、飲食を共にしながら月の
出を待つ、月待ち行事をした。その際供養のしるしとして建てた石碑のひとつである。


村道を東へ進むと南側に石塔。


MAPにのっていなかった石塔2基。


続いて道路脇の一段高いところに ”天野家の先祖の墓”


天野家の先祖の墓
戦前までは、屋敷墓すなわち屋敷の一隅に墓を設けたり、隣組などで墓を設ける習わしが多く、
天野家先祖の墓として守られている。


天野家の先祖の墓から東へ進むと直ぐに ”三浦家先祖の墓 ”。


三浦家の先祖の墓
戦前までは、屋敷墓すなわち屋敷の一隅に墓を設けたり、隣組などで墓を設ける習わしが多く、
三浦家先祖の墓として守られている。


村道から一段高い場所に墓地がある。


三浦家の先祖の墓の東側に隣接して ”堀内家の先祖の墓” がある。
両家の先祖の墓の東側から振り返る。


堀内家の先祖の墓
戦前までは、屋敷墓すなわち屋敷の一隅に墓を設けたり、隣組などで墓を設ける習わしが多く、
堀内家先祖の墓として守られている。


忍野村内野字古屋からの富士。


村道の北側には ”自然石による石垣” が続く。
東方向へ向かってのんびり歩きながら散策した。石垣の先に道祖神が建っていた。
前方には「 民宿旅館 桜荘 」の看板。
所在地:山梨県南都留郡忍野村内野1801
富士山が裾を大きく広げたロケーションの良い場所にあり、築150年の古民家である。
サークル合宿に最適で、バーベキュー完備であると。


歩いてきた村道の西方向を振り返る


道祖神
外から侵入する疫神や悪霊を道路・村境など、人間が防ぐのに都合のよい地点で侵入しないよ
うに遮り防ぐために祀られた。この遮るための神という意味で別名 賽(サエ)の神とも呼ばれる。


道祖神から東へ数十メートル進むと ”堀内家の先祖の墓”
向かい側の ”民宿旅館 桜荘” 前に”自民党 衆議院議員 堀内詔子”のポスター。
山梨県は堀内姓が多いのか、元野球選手の堀内投手(巨人)も山梨県甲府商業出身だ。


堀内家の先祖の墓
ここがMAPで紹介されている最後であるので、駐車場へ戻ることに。


堀内家の先祖の墓
戦前までは、屋敷墓すなわち屋敷の一隅に墓を設けたり、隣組などで墓を設ける習わしが多く、
堀内家先祖の墓として守られている。
                                 堀内 源之助
                                                                                               堀内  一男


引返し、道祖神の横に鉄塔が建っていた。


鉄塔の途中に半鐘 (丸内) が吊るされていた。


三浦家の先祖の墓


三浦家の先祖の墓に建っていた墓石。


車を停めた小公園の左前にある ”井戸櫓”


井戸櫓


田辺家の手掘り井戸
この井戸の水は、毎年1月に内野浅間神社で行われる筒粥神事に使われている。筒粥とは年間
の作物の豊凶を主として占う神事で、よしの筒をすだれ状に編んだものを粥にいれて煮込み、
個々の筒の中の粥の量で豊凶を占う。


11:00
井戸櫓をズームアップ。



                                    ー 続く ー





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最終更新日  2023.11.12 03:00:07
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