おじん0523のヒロ散歩

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2026.06.19
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藤沢市葛原地区の散策を続ける。

​​​6月1日(月) 13:40
万年山乗福寺へ戻り、山門前から小径を東へ進みバス道へ。
途中、林の中の辻に石塔があったので道路脇へ駐車、来た西方向を振り返る。


馬頭観音塔・題目塔
所在地:神奈川県藤沢市葛原318
この辻は今は人通りも少なく寂しいところですが、かつては東は中村集落、北は宮下集落、
南には皇大神宮、西は乗福寺につながる主要な辻だったと。


ここには二基の馬頭観音塔とともに「畜牛観世音」と書かれた大正四年の碑と、「南無妙



墓石には「南無妙法蓮華経 日蓮 鬼子母神 十羅刹女」、台座に「葛原講中」。
手前の倒れた碑に「馬頭観世音  □□三年十月二日 漆原廣𠮷」と。


板碑には「南無妙法蓮華経 馬頭観世音菩薩」と刻まれていた。
碑の周りは壊れたのか、手前の倒れた碑に、
「畜牛観世音 大正四年十月九日 行年八歳 施主 漆原廣𠮷」と。


右側の裏面には、「明治十一年二月十七日 漆原忠左ヱ門」と。


再度正面から、草むらの中に大きな石塔が2基並び、その足元には崩れた石塔と思われる
石片がいくつか散乱していた。このまま修復されないのか、将来に向けて史跡として残す
のであれば説明板を設置してほしいものだが。


辻の一角に「 捨てるな。見てるぞ 👁👁 」の看板。





この辻は変則十字路で、題目塔を後にし左側の道を進んでバス道へ。
この辺りは鉄板で囲っている工場が多いので景観を損なっている。


庚申塔(道標)
所在地:神奈川県藤沢市葛原1138-1
乗福寺からバス道へ出ると道路脇に庚申塔があった。右側にポツンとあったので見逃しやすい。


林の中にある乗福寺入口をズームアップ。



側面に「嘉永六癸丑年八月吉日 宮下講中・ほしのや / ふじさハ 道」、嘉永六年は1853年。


庚申塔
所在地:神奈川県藤沢市葛原
バス道から路地に入って辻に立つ庚申塔で、Googleマップに記載されている。


草むらの中にあり風化が激しい庚申塔 (笠付き青面金剛)。


側面には「庚申供養塔」と刻まれていた。


左側面には「宝暦五乙亥天十一月吉□」と。宝暦五年は1755年。

葛原公民館
所在地:神奈川県藤沢市葛原1385
目的地の「皇子大神」へ到着、駐車場が見あたらなかったので駐車させていただき参拝。


葛原(くずはら)
葛原の地名は、桓武天皇の第三皇子の葛原(かつらはら)親王にちなむものといわれており、
葛原親王が相模国に下向し、この地にいたので高座郡の名が起こり、さらに葛原といった
ともいわれている。
また、江戸時代に葛原村の領主であった長田氏は葛原親王の子孫を称し、葛原親王を鎮守
として崇めていたので葛原という村名となったともいわれている。
                                    藤沢市
高座郡とは、”高”い位の人が”座”った(居た)という意味だと。

入口に「葛原公民館」と。


道路脇に、
文化財ハイキングコース案内板
御所見北部の歴史と地名
明治時代六つの村が合併し、菖蒲沢にあった御所見塚にちなんで御所見村と名づけられま
した。江戸時代の御所見の中心は、南北に中原街道、東西に大山道が通る用田の辻で、大
山詣の人々や商人のための宿や店があり、道標を兼ねた不動明王像が今も残っています。
その地では農業が主で、養蚕も営まれたため台地は一面桑畑でした。明治終り頃から宮原
に植木農家が現れ、戦後盛んになって今の景観を作りあげました。
用田は寒川神社(寒川町)のご用田の意味とされ、菖蒲沢は菖蒲の生えていた土地を開拓し
たことからついた地名のようです。葛原の名は桓武天皇の第三皇子、葛原親王に由来する
といわれ、皇子大神はこの親王を祀っています。
また用田中条には中将姫伝説が残ります。御所見では昔ながらの様子がいたる所でうかが
え、遠い時代へと思いを誘われます。
                                                                                   藤沢市教育委員会


皇子大神の鳥居


まず門前にある「 瀧不動尊 」へ参拝することに。
瀧不動尊の境内に「藤沢市消防団 第三十一分団」があった。


左側に「藤沢市立 葛原公園」と。
瀧不動尊の境内に遊具が設置されている。


瀧不動尊
所在地:神奈川県藤沢市葛原1919
元は皇子大神の別当であった明滝山長盛寺の跡地に建つ「瀧出現不動尊」であると。


参道の左側に立つ社号標石「瀧山現不動尊」。
碑には「縣名勝史蹟四十五佳選當選記念 横濱貿易新報社」と。 


右側にも標石が立ち「厩戸皇子」。
側面には「明治十四年巳十月吉日」と刻まれていた。


参道には燈籠が立ち並び手前に新しい燈籠が奉納されていた。 


新しい燈籠の横に石碑があり、
「燈籠奉納
   平成十五年三月二十八年
   氏子並瀧不動本開帳崇敬者一同」と。


古い燈籠の後方には鐘楼堂が建っていた。


境内の古木に寄生するサルノコシカケであったか。


ズームアップ。


参道の左側に十三重塔が立っていた。


拝 殿


拝殿の扁額「瀧出□□不動尊」であったか。
梁が邪魔をして確認できなかった。


拝殿の左側に祠が建っていた。


拝殿前から参道を振り返る。
燈籠が立ち並び一部は上部がなかった。


祠の中に赤頭巾前掛けをした地蔵が立っていた。
説明板がなかったので詳細は不明だが「地蔵堂」であろうか。


滝不動尊の縁起を後世に残すために石碑が設けられていた。


滝不動尊縁起
弘法大師が巡歴の地と云うこの辺りは 往時森林深く 谷合の湧水も豊富で滝
のお山と称された 寛永元年(1624)鎌倉は手広村青蓮寺の祐栄師を開山に請願
し 明滝山長盛寺を創建 開基は長田権三郎勝重に依る
慶安二年(1649)名主小泉与右衛門に明王菩薩の「滝のお山に道あてよ」と七夜
続きの夢のお告げあれば 村中集め滝の辺りを掘り探すに 古銭の詰まった銅製
の釜現れ中から七寸五分(ニ三糎)の不動明王像が出現 畏れた村人は皇子大権
現(皇子大神)に奉安したとある 時に地頭長田喜左衛門重昌は病臥にあり 名主
与右衛門三十三日間の明王えの祈願に霊験を得て快癒 承応四年(1655)不動堂
を報賽建立 長田家の祈願所とした
明治十二年(1879)寺は無住と化したが 不動尊信仰は人々によって受継がれた
地区の開発 人口の増加 道路整備等に伴い 由緒あるお滝の池は 平成二年
(1990)改修した 大正十二年(1923)震災後の堂宇は老朽が進み 再建余儀なく
地区内外の寄進者に拠る浄財は多額を極め 落慶法要を期に 不動尊の由来を
後世に伝えるものである
             平成六年五月吉日


老木の間に石塔群があった。


馬頭観世音と刻まれた碑が3基と、
右から2番目に「妙法□□観世音 大正八年十一月 施主林小兵エ」と。


瀧不動尊境内の南側に広場があり下りると空の池があった。
かつて豊富な湧水があった場所であろうか。


池の周りに石塔群があった。


点在していた五輪塔を集めたのであろうが説明板はなかった。


石燈籠の座に「奉納 不動尊&現滝霊跡 平成参年・・・」とあった。


広場から皇子大神前の小径へ上がる。


14:20


                                     ー 続く ー





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最終更新日  2026.06.19 03:00:04
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