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もっとも響いたこの一言。 「小樽運河がなくなるのみではなく」「(運河がなくなったら)小樽の姿がかわってしまう」 「小樽 よみがえる新日本風土記」NHKBS4K220206。 番組の柱に、最後の日本。 ●運河をめぐる攻防 ・街を二分した運河埋め立て論争と、そこで戦った画家の物語 ●群来 よみがえる海 街の繁栄の礎となったニシン。半世紀以上姿を消していたがここ数年帰ってきた。 (番組案内)に申す。 「2015年3月6日 放送 年間700万人が訪れる北の観光都市・小樽。旅人を魅了する運河やノスタルジックな町並みは明治・大正時代に建てられたもの。運河からは道内でとれたニシンや石炭が昼も夜もなく運び出され、小樽は「北日本一の港町」として繁栄を極めた。 しかし戦後、ニシンは姿を消し、炭鉱は山を閉じた。小樽は「斜陽の街」と呼ばれ、運河もドブ川と化した。街を二分する「運河埋め立て論争」を経て、街はよみがえる。かつての商家や倉庫では、若者たちが雑貨屋やビアホールを始め、浮き球として発展したガラス技術は、「ガラス工芸」へと進化した。 役割や姿を変えても街が最も賑わった頃の“誇り”や“技術”は、今も街に深く息づいていている。繁栄の記憶をもとに今を生きる街・小樽の営みを描く。 http://www.nhk.or.jp/fudoki/150306broadcast1.html <オムニバス項目(抜粋)> ●古くて新しい街 かつての穀物倉庫はビアホールに。商家はおしゃれな雑貨屋に。過去と現在が交じり合う独特の街並み ●お寿司狂騒曲 小樽の寿司屋に訪れる半数以上は外国人。100人のタイ人を迎える女寿司職人の奮闘 ●輝く街 乙女心をくすぐるガラス工芸。その原点は漁業で使われる浮き玉にあった ●あの人が愛した小樽 昭和の大スター・石原裕次郎を育てた老舗料亭と小樽の賑わい ●運河をめぐる攻防 街を二分した運河埋め立て論争と、そこで戦った画家の物語 ●群来 よみがえる海 街の繁栄の礎となったニシン。半世紀以上姿を消していたがここ数年帰ってきた
2022年02月07日
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日の出の太陽、その光彩が天空に伸びて輝く。そうしたことに二度、気がつきまして。 日の出の太陽 光彩放ちて220126 一度は2017年1月1日、2度目は2022年1月26日。 地域に「光、灯香里のあたる時も来る」の前兆として、お届けすることに。 「ねばならぬ」の義務論は、自身を空しくいたします。 「誰かがやるべき、私のしごとでないわ」の他人をかえる論は、徒労ばかり。 「(こんな私が)させて頂く」と、付加価値創造のエネルギーをひきだすことが、疲れない方法。 実らず、評価が高まらなくとも、「個人の力でできることは限られている」「チームの力があまりに、非力」。そう言い聞かせることにしませんかー。 日増しに強まる閉塞感と惜しまれることの多い日々。 厳しい環境に身をおくも、せめてコロナ緊迫感のおさまるまで、体を持たせるヒト工夫。お願いいたします。 他者に申しあげるほど、自身にまったく余裕はなく、さらに50枚ほどの原稿におわれていますが。 それでも今日の午前。ホッとする情報がもたらされました。どうぞ、ご健闘をネー。日の出の太陽、その光彩が天空に伸びて輝く。そうしたことに二度、気がつきまして。日の出の太陽 光彩放ちて220126
2022年02月02日
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「江戸時代」「異域との境界」「幕藩体制下の蝦夷地寺院」 史跡国泰寺跡220206.1.「江戸時代のたたずまい」ーその伝統を伝える 1)天保・文政惣修復の遺構(斉藤報恩会蔵「(安政6年)国泰寺図」 2)造塔・造像、国指定重要文化財国泰寺記録、霊園の無縫塔 3)十町四方の風除林2.「異域との境界」ー「メナシ=東方文化圏と遠隔地航路の接点に位置する史跡」 4)千島アイヌ民族生活圏と本州隔地間交易の中継地 5)蘭・露・仏・豪船の来航記録 6)アッケシ・江戸直航路の起終点3.幕府直轄政策下の遠隔地寺院 7)幕藩体制の境界に位置する蝦夷地寺院 8)蝦夷地本州化を体現、入稼ぎ者に本州文化9)メナシ=東方社会で国家安泰の営為※「北海道文化資源データベース」 ■「国泰寺跡」=概要・見所 臨済宗国泰寺(現・南禅寺)は、江戸時代後期にロシアの南下や場所請負人制度の弊害などにより、北方警備に危機感をもった箱館奉行の陳情により1804(文化元)年に建立を決定した「蝦夷三官寺」の一つです。 現在、残っている建物は、大半がそののち改修されたものですが、境内には江戸時代のたたずまいが残されています。 現在、周辺のアイカップを含む、約13万が蝦夷地で特殊な歴史を物語る重要な寺であるとして、国指定史跡に指定されています。また、この寺には、初代住職から約60年間書き継がれた寺務日誌の「日鑑記」が残されています。「江戸時代」「異域との境界」「幕藩体制下の蝦夷地寺院」 史跡国泰寺跡220206.1.「江戸時代のたたずまい」ーその伝統を伝える 1)天保・文政惣修復の遺構(斉藤報恩会蔵「(安政6年)国泰寺図」 2)造塔・造像、国指定重要文化財国泰寺記録、霊園の無縫塔 3)十町四方の風除林2.「異域との境界」ー「メナシ=東方文化圏と遠隔地航路の接点に位置する史跡」 4)千島アイヌ民族生活圏と本州隔地間交易の中継地 5)蘭・露・仏・豪船の来航記録 6)アッケシ・江戸直航路の起終点3.幕府直轄政策下の遠隔地寺院 7)幕藩体制の境界に位置する蝦夷地寺院 8)蝦夷地本州化を体現、入稼ぎ者に本州文化9)メナシ=東方社会で国家安泰の営為※「北海道文化資源データベース」 ■「国泰寺跡」=概要・見所 臨済宗国泰寺(現・南禅寺)は、江戸時代後期にロシアの南下や場所請負人制度の弊害などにより、北方警備に危機感をもった箱館奉行の陳情により1804(文化元)年に建立を決定した「蝦夷三官寺」の一つです。 現在、残っている建物は、大半がそののち改修されたものですが、境内には江戸時代のたたずまいが残されています。 現在、周辺のアイカップを含む、約13万が蝦夷地で特殊な歴史を物語る重要な寺であるとして、国指定史跡に指定されています。また、この寺には、初代住職から約60年間書き継がれた寺務日誌の「日鑑記」が残されています。
2022年02月01日
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