オランダ ネーデルラントより

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パティターニ

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2006年03月11日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
純文学と数学との、「調和のとれた結婚」を感じる一冊。
博士の愛した数式

評価はホシ5つ
★★★★★
純文学、文学、フィクションに全く興味のない筆者のような人間、
または数学にも縁もゆかりもない人、
または、過去にあったけど今はほとんど使わなくなった人にも
おすすめだ。
純文学が好きな人には、涙が止まらないという。

「純文学」と「数学」

ケンブリッジ大学卒の「数学者」
現実的な世界では、なかなかつながるはずのない二人が
全く違う糸をからめながら
「友愛数」で結びついている。

著者小川洋子は、なかなかうまい作家だなと感心する。
文庫本だと著者がインスピレーションが湧いたという
藤原正彦氏の解説が載っている。
あまりにも面白く、苦笑してしまうので引用。

「純文学は売れないものと決まっているが、
数学者が主人公ではなおさら売れまい。
そんな小説を書く者が世界のどこにもいないのが証拠だ。


「それに数学者といえば、なぜか『純粋』とか『奇人』が通り相場だ。もし『純粋』を主題にしたいのなら、私よりもっと立派な数学者に会った方がよい。『奇人』を主題にしたいのなら、余りにも健全な常識と円満な人柄をもった私はまったく参考になりそうもない。」

これは、藤原氏のソーキャズムとユーモアであって
「純文学」と「数学」という異色の組み合わせと
「純文学、エンターテイメントなどというつまらぬジャンル」を
「豪快に粉砕している」と評価している。


筆者が思い出す江夏豊は、「阪神タイガース」の江夏ではなく
ハラのでっぱり、中年太りの、しかしふてぶてしく
バッターをにらみつける「広島カープ」の江夏である。
特に1979年、近鉄バファローズとの日本シリーズは、
今でもプロ野球史屈指の名場として名高い。
みんなとりつかれたように、
テレビやラジオをつけて、息をひそめて、
これぞ、プロ野球の醍醐味だと、今になって感じるけど
そのときが、最もピークで
それ以降は、あまりプロ野球をみなくなってしまった。

この小説では、最後に江夏と数学に関して
「あっ」と驚く仕掛けも残されている。

江夏豊(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

文庫本には、2006年1月から映画がロードショーされるという。
観たい、観たい、観たい!

でも、現実にこの「家政婦」みたいな人が身近にいたら
64歳のじいさんに、プラトニック的な関係よりも
「もっといい人いるよ」とおせっかいな中年になってしまうだろう。
日本の女性だと、30歳、40歳でも学生時代と
かわらず若い人も多いし
なにが悲しくって、こんなジジイと・・・!
とついつい、「純文学」が理解できない筆者には
即物的に考えてしまう。
確かに、オランダやヨーロッパに住んでいる日本の男性は
60歳でダンディーで、50歳くらいにしかみえないけど
それでも、20歳代の女性が、60歳代の男性に・・・・
おせっかいをいってしまいそうだ。
この本がヒットして、イマドキの若い女性が
「純文学」に影響されて
キチンとした男女関係における
セックスがとても悪いことのように曲解されるのでないかと
また、妙な心配をしてしまう。

アネキがわざわざ、日本から「読め」といって
送ってきたんだけど
こっちは、「純文学」なんて高校のときの
夏休みの読書感想文の宿題以降、全く読んでいない。

大学時代のノートをみると、数式と計算だらけなんだよね。
(昔は頭よかったんだ・・・)
今使うのは、どう考えても「算数」かな。

数学者じゃないけど、この「博士」にはなんとなく
親しみを感じる。
相棒に指摘されて、なるべく控えているのが
「ポストイット」のメモ。
机から台所から、ポケットから
とにかくいろんなことをメモして、貼る悪いクセがあって
「美しくないから、止めて(怒)!」
と怒られた。
オフクロとアネキにも、この筆者の奇癖はひどくいやがられている。
さっきも、相棒が髪を切ったのに、全く気がつかなくって
ブツブツいわれたし。

仕事でも、料理でもコンピューターでも
ブログでも、一端集中して考えて始めると
相棒と長男が、声をかけても
電話が鳴っても
全く気がつかない!!
というか、中断されるのがイやなタイプ。
友人も、自分と似たようなタイプが多かったから
特に気にならなかったけど

「思考回路が、どっか切れてんじゃないの?」
と相棒によくいわれる。
相棒ときたら、長男と話しながら、
しかし、筆者にも指示をだし
しかし、パズルをやり
そのうえ、電話がなったらとって
話をしつつ、トイレにいって用をたすことができる!!
こんな起用な人間って世の中いるんだ!

男性は、一回につき、一つのことしかできず、
女性は、一回につき、様々なことを同時に
こなすことができる人が多いそうだ。

この本のおかげで、博士のおかげで
この手の不器用な人間の認知度は高くなっているかも。

「ぼくの記憶が80分しかもたない」
自分もこういポストイットをかいて、
袖にとめておこうか。

【アマゾンから引用】
Amazon.co.jp
1990年の芥川賞受賞以来、1作ごとに確実に、その独自の世界観を築き上げてきた小川洋子。事故で記憶力を失った老数学者と、彼の世話をすることとなった母子とのふれあいを描いた本書は、そのひとつの到達点ともいえる作品である。現実との接点があいまいで、幻想的な登場人物を配す作風はそのままであるが、これまで著者の作品に潜んでいた漠然とした恐怖や不安の影は、本書には、いっさい見当たらない。あるのは、ただまっすぐなまでの、人生に対する悦びである。
家政婦として働く「私」は、ある春の日、年老いた元大学教師の家に派遣される。彼は優秀な数学者であったが、17年前に交通事故に遭い、それ以来、80分しか記憶を維持することができなくなったという。数字にしか興味を示さない彼とのコミュニケーションは、困難をきわめるものだった。しかし「私」の10歳になる息子との出会いをきっかけに、そのぎこちない関係に変化が訪れる。彼は、息子を笑顔で抱きしめると「ルート」と名づけ、「私」たちもいつしか彼を「博士」と呼ぶようになる。

80分間に限定された記憶、ページのあちこちに織りこまれた数式、そして江夏豊と野球カード。物語を構成するのは、ともすれば、その奇抜さばかりに目を奪われがちな要素が多い。しかし、著者の巧みな筆力は、そこから、他者へのいたわりや愛情の尊さ、すばらしさを見事に歌いあげる。博士とルートが抱き合うラストシーンにあふれるのは、人間の存在そのものにそそがれる、まばゆいばかりの祝福の光だ。3人のかけがえのない交わりは、一方で、あまりにもはかない。それだけに、博士の胸で揺れる野球カードのきらめきが、いつまでも、いつまでも心をとらえて離さない。(中島正敏)

出版社/著者からの内容紹介
記憶が80分しか持続しない天才数学者は、通いの家政婦の「私」と阪神タイガースファンの10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちていることをたった1つの数式で示した…。頻出する高度な数学的事実の引用が、情緒あふれる物語のトーンを静かに引き締め整える。著者最高傑作の呼び声高い1冊。





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最終更新日  2006年03月11日 19時31分21秒


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