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(日語)イルソンジョン(お母様作詞の歌) - キム・ソクジン大教区長20230129천원궁 천승교회チャンネル登録者数 1650一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.30
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23.01.29.09:20より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.27
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文睿進様誕生1961年1月27日 大韓民国・ソウル 靑波堂一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.27
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.26
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WCLC Webinar: The Year to Realize Heavenly Parent's DreamUPF(天宙平和連合)インターナショナル・ホームページからのご案内です。25日、日本時間23時からZoomにて以下ウェブセミナーが配信予定されています。多くの方々が関心を持たれてZoom登録されての参加をお願いします。https://www.upf.org/events/icalrepeat.detail/2023/01/25/712/-/wclc-the-year-to-realize-heavenly-parent-s-dream?filter_reset=1(リンク先の”REGISTRATION”をクリックして、氏名、メールアドレス他必須事項を記入して登録参加できます。)なお、日本語の同時通訳もあります。「通訳」から言語を選択してください。(※残念ながら今回のZoomでは日本語の同時通訳はなかったみたいですね。)Facebook、YouTubeからの参加も出来るみたいですが、私は利用したことがありませんので詳細(言語等)までは分かりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.25
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世界平和家庭連合定着と蕩減解消宣布式一九九六年十一月一日午後一時、ウルグアイのモンテビデオにあるビクトリアプラザホテルにて、世界平和新救国連合の会員を中心とした、ウルグアイ各界の指導者二千五百余名が参加する中で「世界平和家庭連合の定着と蕩減解消宣布式」が行なわれた。 今日の題目は「世界平和家庭連合定着と蕩減解消宣布式」です。皆さん、これがどのような意味か知っている人はいますか? たぶん知らないでしょう。「世界平和家庭連合定着と蕩減」ここまでは分かっても「蕩減解消」というのは知らないはずです。 原理のみ言を聞いたことのある人であれば、「蕩減」という言葉を知っているはずです。歴史は繰り返します。繰り返しながら発展するのです。それは一般的に知られているように、自分勝手に繰り返すのではなく、公式によって繰り返しているのです。この歴史を動かしているのは人ではありません。結局のところ、歴史を動かしている主人は神様なのです。 神様がいるか、いないかということをはっきり知らない人はかわいそうな人なのです。はっきりと知っている人は恵みを受けた人です。神の摂理から見るとき、人類歴史は摂理史観ですが、それは救いの摂理なのです。摂理というのは、宇宙を正確に動かすことを意味しますが、その摂理の中でも救いの摂理なのです。救いの摂理とは、再び救い出すための天の経綸をいいます。人類歴史の始まり、創造から始まって再び帰っていくまで、主流として歴史の経綸を担ってきたのが救いの歴史であり、救いの歴史路程だったのです。 救いとは何でしょうか? 人は一般的に、病院に人院してから退院すると、救いを受けたと言います。つまり、救いの摂理という言葉は、堕落ゆえに生じた言葉なのです。堕落があったゆえに、救いの摂理が必要なのです。病院に行って病気が治れば、救いを受けたと言いますが、それは本然の状態に戻ったのです。 キリスト教思想の主流思想は何かというと、堕落したという思想です。堕落したために、神様と人間との関係が途絶えてしまいました。エデンの園から追い出されたのです。それは何かというと、神様の懐を離れて、サタン世界の病院に入院したのと同じことです。 人間を病院に入れること、堕落した人間を病院に入れることが、神様の創造の目的ではありません。ですから、救いの摂理とは、その人間をいかにしてその病院から引きずり出すか、つまり、サタンに引っぱられていった人間からサタンを除去し、病魔を除去して、いかに堕落していない本然の人間として取り戻すか、ということです。堕落病にかかった人は、まちがいなく地獄に行きます。死の世界へ行くのです。では、この堕落病は、一番初め誰から始まったのでしょうか? エバによって病気が始まり、アダムに伝染し、そのアダムとエバが伝染することによって、人類のすべての子孫に伝来したということを、皆さんは知らなければなりません。 病気にかかるようにしたのがサタンで、病気にかからないようにする立場が神様なので、神様と共に一つになれば天国に行き、病を患って病魔と一つになって人生を終えれば、地獄に行くのです。死の世界へ行くのであり、復活の世界に行くのです。 その病んだ人たちは誰かというと、本来、神様の息子と娘でした。息子と娘が病気になったのです。そのため、それを治すべき人が歴史時代の一時期に専門的な医師として現れ、病魔の根源を完全に解明し、それを完全に治療しなければならないのです。そのようにできる地上の責任者、その病んだ人を救うために来られる方が、メシヤ、救世主なのです。 私たちが病気にならなければ、メシヤは必要でしたか? 必要ありませんでした。地獄や、死亡といったものがなく、退廃思想によって破壊現象が起きない理想的な現象となり、神様と直接に同苦同楽できる永遠な幸福の世界に連結されるはずでした。それがすべて堕落によって失なわれてしまったのです。 堕落することによって、神様はエデンにおいてアダムとエバをそのままにしておかれましたか、追い出しましたか? 追い出しました。エデンの園から追い出されたという事実は、エデンの園の全存在の前に必要な条件を、すべて失ってしまったということを意味します。 ところで、アダムとエバは息子と娘を生みましたか、生みませんでしたか? これは深刻な問題です。追い出されてから息子、娘を生んだのです。今日、信仰をもっている人たちは、そのようなことを考えもせずに、無条件に信じて天国に行こうとしています。それは違います。今の時は、理論的に妥当でない事実は失われてしまいます。あったとしても片づけられてしまうのです。アダムとエバは堕落して、エデンから追い出されてから息子と娘を生んだのですから、今日、その人類始祖に連結している我々人類は、神様に追い出されたエデンの園の圏外で、悪魔の管理の下に結婚して生まれた息子と娘であるということを認めなければなりません。 皆さんは「アダムとエバは堕落したかもしれないが、そのアダムとエバと私に何の関係があるというのか?」と考えるかも知れませんが、関係はなくても、追い出されてから生まれた息子、娘の子孫であるということは、まちがいのない事実です。神様と関係なく、神様の理想やエデンの園と関係がなく、神様から追い出され、神様が願わざる愛を中心として生命が連結し、血筋が受け継がれ、その子孫として生まれた自らであるということを自覚しなければなりません。堕落の実であるということを自覚しなければなりません。 いいですか、神様はエデンの園をアダムとエバのためにつくり、愛を中心として満ち足りた生活ができるようにすべての準備を整えておいたにもかかわらず、アダムとエバはエデンの園で善悪の果を取って食べることによって、神様も嫌い、万物も歓迎し得るものが何一つない立場で罪を犯してしまったのです。それゆえに、神様はアダムとエバを追い出したのです。神様もそうせざるを得ず、エデンの園のすべての万物もそうせざるを得なかったという事実を知らなければなりません。 では神様が、創造理想、愛の理想の園、被造物のすべてを否定し得るようになった、その堕落の動機とは何でしょうか? 深刻な問題です。皆さんはその問題を知るために、どれほど身もだえしたことがありますか? 生命の立場から死亡の地獄に行く息子と娘、追い出された息子と娘を見つめる神様の思いは、いかばかりだったでしょうか? 私たちは病気にかかったことも知らずに、このように生きていますが、それをご存じであられる神様は喜ばれたでしょうか、もがき苦しまれたでしょうか? キリスト教をはじめ多くの信仰者は、今日なぜ宗教が必要かという根本的な問題の解明もできないまま信じている不幸な人たちです。堕落圏を抜け出す術がないのです。では、神様が知っている堕落の内容とは何でしょうか? サタンが堕落させたその内容とは何でしょうか? 堕落させられた結果、今日の私たちはどれほど悲惨になりましたか? 否定のしようがない理論的な解決がなされなくては、二十世紀という先端科学の時代、コンピューターを中心として数理的に宇宙を測定するというこの時代において、盲目的にどんぶり勘定式に信じて、天国に行けるでしょうか? そのようなことはあり得ません。 すべてが地獄に向かって進んでいます。アダムとエバが向かい、アダムとエバの息子と娘が向かい、アダムの一族も向かっています。アダムの子孫、アダムの氏族、アダムの民族、アダムの国家、アダムの世界、アダムの天宙、すべてが地獄に向かっているのです。それで「神はいない!」と言って無神論を主張し、神学においては解放神学を主張し、共産党とキリスト教が一つになって神様を否定し、キリスト教破壊運動をし……民主世界は大騒ぎになってしまったのです。これは一体どうしたことでしょうか? 終わりの日には三大試験官が現れます。神様が試験を出すのです。神様が提示した試験に、どのように合格するかというのです。その次に、サタンが提示する試験があります。「私はこのように堕落したが、どうしてか?」といって試験を出すのです。「神様はなぜ人間の堕落行為を放任したのか? 神様は人間をつくっておきながら、なぜ責任を負わないで堕落させてしまったのか?」という問題を出すのです。 何も知らなければ落第です。神様からも落第、悪魔からも落第、人間自体からも落第なのです。落第したものは廃物です。廃物はごみ箱にポンと捨ててしまわなければなりません。神様は今日の人類に恵みを与えるため、その恵みを与え得る相対的な試験過程を経させるはずです。その試験内容とは何でしょうか? サタンと神様は怨讐関係にあるため、神様の試験内容は、サタンの秘密は何であるのかということです。 その峠を越えてこそ、神様と関係をもつことができるのです。サタンは神様のすべての秘密を知っているので、サタンの試験は神様とは正反対です。一八〇度反対の問題を出すはずです。それを解決してこそ、神様のもとに帰ることができるのです。それを誰も知らないのです。 ここには立派な人たちが大勢集まっていますが、立派な男性、あるいは立派な女性として、神様の試験にパスし、サタンの試験にパスする資格がありますか? これは概念ではありません。実際的なことです。事実なのです。 そのことを誰も知らないので、それを解決してあげるために……、サタンの秘密と神様の秘密を解明し、サタンの道を避けて神様の道に至れる方法を教えてあげるために、メシヤが来なければならないのです。これは神様も否定することができず、悪魔も否定することができません。人類歴史も否定することができないのです。そのような堂々とした事情ゆえに、神様の前に「息子、娘」と主張できる覇権が生じるということを知らなければなりません。 この国やこの世界には、自分たちの問題を解決できる根本的な対策はありません。神様を知らず、悪なるサタンを知らず、神様が何であるか、悪が何であるかを知らずにいます。自分の行くべき道を知らない男性と、自分の行くべき道を知らない女性が出会って、家庭が行くべき道を探せるはずがありません。すべて滅びてしまったのです。神様はご存じです。神様は男性の行くべき道、女性の行くべき道をご存じですから、神様だけについていけばいいのです。また神様は、家庭が行く道、民族が行く道、国が行く道、世界が行く道、霊界に行って天国で永遠に生きる道をすべてご存じです。ゆえに、その道を進めば勝利となり、成功だけがあるべし! アーメン! では、男性の生殖器は自分のものですか、女性のものですか? 宇宙の根本はどこから始まりましたか? 進化論でもなく、創造論でもありません。それを知らなければなりません。進化論よりも先に、創造の概念がある前にオスとメスがあったということを知らなければなりません。では、なぜオスとメスが生じましたか? 愛ゆえです。これが公式なのです。 愛ゆえに男性がいて、愛ゆえに女性がいるのです。男性は男の世界では愛を得ることができません。女性は女性を中心としては愛を得ることができないのです。女性が男性を求めるところ、男性が女性を求めるところで、はじめて愛を得ることができるのです。 どんなに頑固で、変わったおばさんであっても、愛を得るには男性におぶってもらわなければなりません。男性に「助けてください!」と言わなければならないのです。女性の生殖器は誰のものかと言うと、夫のものです。それは女性のものではありません。夫のものなのです。女性のものではないのです。女性のものは夫のものであり、夫のものは妻のものであるということを知らなければなりません。神様に尋ねてごらんなさい。 主人が入れ替わってしまいました。主人が入れ替わったのです。それゆえ、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたという結論は妥当なのです。それを認めなければなりません。女性はなぜ生まれましたか? 男性のために生まれました。女性のためではありません。男性のために生まれました。男性はなぜ生まれましたか? 女性のために生まれたのです。 それで何をしようというのですか? 愛を探し求めようというのです。女性を求めることによって愛が生まれ、男性を求めることによって愛が生まれるのです。それが何かというと結婚です。これは宇宙の何ものにも代えることのできないものなのです。 そのとおりだと思いますか、嘘だと思いますか? 美しい女性たちも、自分の生殖器は自分のものではありません。自分の愛する夫のものです。絶対的に夫のものであると知っている女性こそ、真の女性であり、女性のそれを守ってあげることができる男性こそ、絶対的な男性であり、そのような男性と女性こそ、神様が好まれる男性や女性になるということを知らなければなりません。今までこのことを知りませんでした。それが自分のものであると思っていたのです。 女性の体を一度分析してみましょう。胸は自分のものですか、誰のものですか? 赤ん坊のものです。お尻はどうして大きいのでしょうか? 誰のためにでしょうか? 赤ん坊のためにです。自分のものではありません。さて、女性の顔は非常にきれいで、つるつるしていますが、男性はひげが生えてざらざらしています。そのきれいな顔は自分のためにあるのでしょうか、誰のためにあるのでしょうか? 夫のためにあります。女性のためにあるのではありません! それを知らなければなりません。女性に必要なのは男性の顔です。ひげがざらざらと生えた男性の刺激ある顔と、ソフトな女性の顔が和合して刺激を感じるのです。 では、そこから直行して降りていったところにある生殖器は誰のものですか? 自分のものですか、夫のものですか? このような簡単な真理を知りませんでした。この宇宙のすべての陰陽の理致は、オスとメスです。鉱物世界も主体と対象の関係、最近ではバクテリアの世界までも、オスとメスからなっていると言われているのです。宇宙がペアシステムからなっているのです。愛という概念をもって、主体は対象のために、対象は主体のために、為に生きるために生まれたのです。為に生きるために生まれたのですが、何のためでしょうか? 愛のために。愛を完成させるために生まれたのです。 神様はアダムとエバ、二人の男女をつくって、成熟したら結婚させようと思っていました。その結婚式を中心として関係を結ぶ生殖器が、絶対的な器官であり、絶対的な生命、絶対的な愛、絶対的な血統を植えつけるための本部であった、ということを知らなければなりません。今晩からは生活が変わらなければなりません。一八〇度変わらなければならないのです。 ですから、真理を知ることによって解放されるのです。真理が皆さんを解き放してくれるのです。真理を知ることによって解放されるのです。 話を元に戻しましょう。堕落とは何ですか? 根本問題、根本とは何でしょうか? アダムとエバが生殖器を自分のものとして、勝手な行動をしたことです。成熟すれば神様を中心として、アダムのものはエバのもの、エバのものはアダムのものとなって、永遠なる神様と絶対的な愛の基台をつくるべきであったのに、それを不信して自分のものにしてしまったのです。そのようにして破壊してしまったのです。 自分のものを主張すれば追放されます。宇宙の万物を見ると、鉱物世界も主体と対象、植物世界もオシベとメシベ、動物世界もオスとメス、人間世界もそのようになっているのです。しかし、その根本的な愛の主人は自分ではなく、相対なのです。それにもかかわらず、その相対を否定してしまったので、相対とわかっているその世界に存在することができないのです。ですから追放されるのです。価値のないものなのです。 そのような人は、鉱物世界や植物世界、いかなる万物が見ても、「ペッペッペッ!」と唾を吐きかけられるのです。神様も追い出さざるを得なかったということを知らなければなりません。それが何かというと偽りの愛です。自分のための愛を求めていくことなのです。 自分のために生きる人は地獄に行き、相手のために生きる人は天国に行きます。ここで分かれるのです。この生殖器が地獄と天国の境界線です。それを知らなければなりません。 それが天と地をひっくり返してしまいました。愛の本宮を破壊し、生命の本宮を破壊し、血統の本宮を破壊し、良心の本宮を破壊してしまいました。愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮、良心の本宮を通じて天国に行ける本然の愛の道を破壊してしまいました。天地をひっくり返した凶悪なものとなってしまったのです。何よりも恐ろしいものです。「そうではない」と言えますか? レバレンド・ムーンは賢い人なのです。 口で取って食べ、手で取って食べたのに、なぜ堕落してから下部を隠したのですか? 子供たちは、母親がしまっておいたお菓子をこっそり食べていて見つかると、手や口を隠します。それなのに、どうしてアダムとエバは下部を隠したのかというのです。それは否定のしようがありません。そのようなすべてを知って、霊界のすべてをくまなく調べたところ、間違いがなかったので、このようなことを宣布するのです。 原理講論、原理のみ言を聞きさえすれば、すべてが一挙に頭に入ります。統一されるのです。旧約聖書、新約聖書、成約聖書の秘密が、すべて自分と関係しており、堕落の解消まで誰もが解放的な道を進むことができるのです。 それでは、「世界平和家庭連合定着と蕩減解消」とは何でしょうか? 神様は堕落によって男性も失い、女性も失ってしまいました。アダムとエバの家庭を失ってしまいました。家庭を失ってしまったのです。家庭を連結して、氏族、民族、国家がサタン側になった地上地獄と天上世界、これを解消しなければなりません。神様が創造した世界には、そのようなものはなかったのです。 それで、来られる主は何かと言うと、医者として注射をし、治療するために来られるのです。地上で失ったので、地上で取り戻さなければなりません。アダムとエバの家庭を地上で失ったのに、イエス様が空中に来られて、どのように取り戻せるというのでしょうか? エリヤは雲に乗ってやってくると言われていましたが、雲に乗ってやって来ませんでした。イエス様はそのため捕えられて殺されてしまったのです。 それと同じく、レバレンド・ムーンが雲に乗ってやって来なかったので殺そうとするのです。まったく同じ立場です。それで、政府はありとあらゆる迫害をしてきました。レバレンド・ムーンは嘘つきではありません。命懸けで死を覚悟して祈ってみなさい。先生はこのような問題を解決するために、命懸けで祈祷し、悪魔から奪ってきたのです。サタンから奪ってきたのです。「おい、おまえはこういうことをしただろう?」と言いながら奪ってきたのです。それで神様は拍手をするのです。 神様は家庭を失いました。家庭をなくしたのです。神様はエデンからアダムとエバを追い出すことで、家庭を失ってしまったのです。 救いの摂理は、本然に帰るためのものであるゆえに、復帰摂理であるということを知らなければなりません。病気になる前の状態に帰らなければならないのです。エデンで堕落する前の、神様だけを好み、神様だけを愛する家庭に戻らなければならないというのは、論理に適っています。堕落の病にかかったその人たちを病院に連れていって治療を行うには、治療できるすべての方法を知って注射し、嫌々ながらも実行しなければなりません。それでこそ生き返るのです。 堕落する前に神様が願っていた理想的な家庭の内容と、堕落してから悪魔の家庭になったという事実を完全に解明して批判し、常識的に小学生や老人でも理解できるように教えてあげなければなりません。そうして、自分自身の心と体の闘争がなく、一つになって、蝶のようにひらひらと舞いながら生きなければなりません。 救いの摂理は復帰摂理です。救いの摂理は復帰摂理! 復帰摂理は簡単にはできません。墜ちて下がったその反対を行かなければなりません。どのように墜ちて、世界がこのような終末の世、フリーセックス、家庭の破綻と淪落が起きるようになったのでしょうか? それを細密に研究して、墜ちたのと反対に上がっていかなければならないということを知らなければなりません。 サタンと神様が話し合えば、サタンは原理原則の道を正反対に行き、神様は原理原則どおりに上がっていくのです。上がるときも自分勝手に上がるわけではありません。公式的な路程を通じて上がっていくのです。神様は世界を自分勝手に創造したのではありません。原理原則を中心として創造しました。人間はそのような原理原則から外れて墜ちましたから、上がっていくときは原理原則に従っていかなければならないのです。 復帰摂理は再創造の摂理です。再びつくらなければならないのです。創造したすべてを壊してしまったので、再びつくり直さなければならないのです。皆さんの心と体が争っているのを、どのようにして一つにすることができるでしょうか? そのような男性、そのような女性がいれば、二人分の心と体ですから、四つが争っているということになります。永遠に平和はあり得ません。世界平和の起源は、国家でも世界でもありません。心と体の闘いが起源です。 私たちの心と体の闘いは、歴史以来今に至るまで休戦と停戦をしたためしがありません。そこには幸福はありません。闘う人は地獄に行くのです。そのような男性や女性になってしまったので、絶対夫婦がいないのです。神様の創造理想は、絶対夫婦を立てることです。絶対夫婦は、絶対生殖器を中心として、自分のために生きるのではなく、相対のために生きるところに立てられるのです。相手のために生じたのであって、自分のために生じたのではありません。生殖器を与えたのは……、男性のものは女性のためにあり、女性の生殖器は男性のためにあるのです。相手のためにあるのです。為に生きよと与えられたのであり、為に生きるところに愛が築かれるのです。「私に尽くせ」というところでは、愛が破壊されてしまいます。 絶対的に為に生きるところでなくしては、絶対愛を得ることができません。為に生きるために生まれたので、絶対的に為に生きるところでなければ、絶対愛を得ることができないのです。理論的なことです。為に生きるために生まれたのです。 親は子のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりませんし、家庭は国のために生き、国は世界のために生き、世界は天地のために生き、天地は神様のために生きなければなりません。このように、為に生きてから死んだ人が、あの高い天国に行くのです。分かりましたか? 男性として生まれたのは女性のためです。先生は体験したので話すのです。霊界をすべて調べてみたら、そのようになっていたのです。 では、宇宙の核とは何ですか? 宇宙の核は家庭です。そこが愛、生命、血統、良心の出発基地です。個人が生まれる根本基地も生殖器であり、理想的な世界や国を築けるのも生殖器です。生殖器はすべての出発基地なのです。 夫婦が交わる愛の器官をみるとき……、宇宙が誕生し、生死圏が渦巻き、地獄が生じ、天国が生じるということを考えるとき、どれほど恐ろしい所であるのかを知らなければなりません。今日、自由な環境をつくってエイズが蔓延し、毒蛇が口を開いて「男も女も入ってこい」と待ち構えているのです。一度噛みつかれたなら滅びてしまいます。 今日、皆さんの日記に「私の妻は、私が一生かけて為に生きられるように生まれた唯一の愛の対象であり、神様の娘である! 私は唯一なる神様の息子である!」と記録しなさい。「私はこの絶対性(absolute sex)を中心として、絶対カップルになる。ゆえに、絶対的に為に生きなければならない!」と結論を出して日記に書きなさい。 そのような家庭が基本です。家庭がすべての神様の復帰摂理、再創造摂理の基本的な核であるということを知らなければなりません。核! 基本的核であるということを知らなければなりません。それゆえ、家庭では孝子を必要とするのです。国は忠臣を必要とします。それは誰かというと、家庭を中心として拡大した国の父母です。それを愛国者というのです。 家庭から外れることはできません。根本的な家庭。愛の王宮、愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮、良心の本宮、根本です。その根本がアダムとエバの生殖器です。それが繁殖したのです。すべての家庭は、アダムとエバの家庭が拡大した内容なのです。公式は同じなのです。 人間が行くべき道はどのようになっているかというと、家庭を通じていかなければなりません。それゆえ、孝子と孝女にならなければならず、忠臣と烈女にならなければなりません。その次には聖人です。聖人は世界のために生きる人です。世界を愛して生きようとする人が聖人です。その次には、天と地、天国の王宮、地上の王宮を中心として、その孝子となり、忠臣となり、聖人となって、聖子になれというのです。 したがって、家庭の孝子が忠臣の道を行くのです。家庭と忠臣が一つになり、その国の王と民が一つになって、世界のためにすべてを投人しなければならないのです。犠牲にならなければなりません。どうして世界のために投人しなければならないのでしょうか? 国の数百倍にもなる世界があるのに、世界の数百分の一でしかない一国のために、数百倍もある南米や世界を否定する人は、そこでつまってしまうのです。 イエス様は聖子の道を行くために怨讐を愛しました。天地を抱かなければなりません。イエス様は神様の息子です。それゆえ家庭や国や世界よりも、天をもっと愛さなければなりません。すべての国々は、神様を中心としてすべてを投入しなければなりません。投入した後に相続が可能となるのです。「私が願っていた家庭はおまえの家庭だったのだなあ! 私が願っていた国はおまえの国だったのだなあ! 私が願っていた世界はおまえの世界だったのだなあ! 私が願っていた天地はおまえのものだったのだなあ!」と、神様の願いが成就したそのとき、神様が相続してくださるのです。 家庭の年輪、国家の年輪、聖人の年輪、聖子の年輪をもって、天地が一つにならなければなりません。今までの歴史過程にそれが必要であり、それを立てようとしたにもかかわらず、共産主義、背道主義、神を否定する人本主義者が現れて、それをすべて破綻させてしまったのです。 自分の家よりも国をもっと愛してこそ天国に行くことができるのです。無限なる天国に行くためには、南米よりも世界を愛さなければなりません。世界よりも天地を愛さなければなりません。天地を投入して神様を愛さなければなりません。 皆さんは神様の代身者として来たということを知らなければなりません。王権が伝授されるのです。アダムとエバがそうでなければならなかったのです。家庭においては「真の母」、国においては「国家の母」、世界においては「世界の母」……、皇后の伝統、天国の皇后の伝統、神様の伝統を受け継ぐ道を行かねばならないのです。それが女性たちの行く道です。 家庭の女王は母親です。家庭の女王が母なのです。国の女王は母親です。誰でも国の女王になりたいのです。国の女王になるには、家庭の女王にならなければなりません。その次は、世界の女王になりたいのです。家庭の女王と、国の女王の立場を経ずしては、世界の女王の立場に立つことができません。家庭と国と世界の女王の立場に立ったならば、天国の女王の立場を相続しなければなりません。そのためには、為に生きなければなりません 神様が対するのは一人だけです。王権、神様の永遠の王権は、ただ一人にだけ伝授されるものです。様々な人が伝授できるものではありません。そのためには、その伝統を経て、世界の標準、神様が絶対に必要とする基準にならなければなりません。そのとき王権を受け継ぐのです。相続が行われるのです。 男性は家庭においては神様のような存在です。永遠なる創造の大王の道を築いていく立場にあるため、目的地まで行くには家庭の王にならなければなりません。ですから、家庭の王は父親です。女王は母親です。家庭は、国の父母に仕えていかなければなりません。男性はその王を模範としなければなりません。 そうして、世界の王の立場、天国の王の立場、神の王の立場に上がって、最高の神様の代身として王権を受け継ぐのが人間の欲望なので、人は誰でも最高になりたいのです。それが人間に与えられた特権です。 死んでもその道を行かなければならないのです。私のおじいさん、おばあさんが王と王后になり、お父さんとお母さんが王と王后になり、夫と妻と息子や娘が王族となるのです。そのような王宮の中心存在になりたいという欲望を皆さんはもっているでしょう? このような原則的な家庭は、誰もがその立場に至ることができるのです。 さて、離婚は必要でしょうか? 男性は浮気することができますか? 絶対的に為に生きる永遠の夫婦にならなければなりません。今、それからどれぐらいかけ離れていますか? どれほど汚れていますか? どれほど神様から遠いですか? 神様と接することができないので、接することができるように、レバレンド・ムーンがこの道をすべて整えてきたのです。 真の父母になることは容易なことでしょうか? 蕩減しなければならないのです。家庭の壁、民族の壁、国家の壁、世界の壁……八段階の壁でふさがっていたものを、すべて崩してしまいました。 失われた出発、アルファで失ってしまったので、その失ったものを今回、オメガで取り戻して合わせなければなりません。ですから「世界平和家庭連合定着」です。地上に定着するのです。様々な壁があったのを一気に崩して、八段階が平面になったのです。誰がその道を築いたのですか? 真の父母であるレバレンド・ムーンが、今まで一生をかけて築いてきたのです。 ですから、レバレンド・ムーンと一つになりなさいというのです。神様は創造するとき、絶対信仰で創造しました。絶対愛ゆえに、絶対服従で創造したのです。絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。自分というものはありません。ですから、それが門の入口です、天国と地獄に行く門の入口なのです。 人間はかつて戒めを破りましたが、これからは絶対生殖器をもち、絶対愛をもって、絶対的に為に生き、絶対服従しなければなりません。神様は為に生きる愛の基盤を願っておられましたが、人間が自己中心的に勝手に行動してしまったのです。ですから、宇宙が「ペッ!」と唾を吐きかけたのです。これを再び回復しなければなりません。回復するためには、偽りの父母によってそれを失ってしまったので、真の父母が来て……。 レバレンド・ムーンの公式名、神様が制定した名前が「真の父母」です。このように、八段階で上がっていくべきすべてを、蕩減法によって平面にしたのです。それで、世界的家庭を編成するのです。三百六十万双が祝福を受けるのです。 自分を中心として愛し合って結婚し、過ちを犯したゆえに、公的な天と天地の大道のために新たに祝福を受けることによって、サタンが悲鳴をあげて死ぬのです。一八〇度違います。絶対愛・絶対性・絶対相対を中心として、絶対家庭のために定着する皆さん一人一人にならなければなりません。ですから、真の父母の前で再び祝福を受けなければなりません。その祝福を受けずに霊界に行けば、「強制的にでも、なんとか祝福を受けさせてくれればよかったのに、どうして言ってくれなかったんだ!」と讒訴されるのです。強く命令しなさい。 「蕩減解消」は何によってなされるのでしょうか? 自分の親以上に真の父母に侍って、新たに真の父母によって祝福を受けることによって、はじめて真の父母の勝利圏を子女が相続できるようになるのです。真の父母であるがゆえに、その父母の勝利した内容を息子と娘に相続できる権限は、サタンも神様も否定することができないのです。それが「蕩減解消」です。 「世界平和家庭連合」が定着し、真の父母が完全に勝利したことを……、真の父母に侍り、絶対家庭における孝子となり、忠臣となり、聖人となり、聖子となることができる、そのような愛で一体となった息子、娘となるとき、神様の全権を相続することができるのです。 皆さんはこれを知らなければなりません。旧約時代があり、新約時代があって、成約時代があるのです。旧約時代には完成することはできませんでした。すべてを知りませんでした。どうしてアダムとエバが堕落し、どうしてアダムとエバが追い出され、どうしてノアの洪水審判が行われ、どうしてアブラハムがイサクを殺そうとし、どうしてイサクの妻リベカが夫と長男のエサウをだまして、次男のヤコブに恵みが与えられるように祈り、どうして神様はその妖女のようなりベカを愛したのか……すべてが未知だったのです。 すべて失敗しました。モーセとイスラエル民族のカナン復帰路程は、四十年の失敗の記録です。ユダヤの歴史が失敗したその理由は、イエス様が十字架で亡くなったからです。しかし、なぜそうなったのかという事実を知らずにいるのです。旧約時代の失敗を解消できず、新約時代の失敗を解消することができなかったのです。 旧約を立てたのも家庭を探し求めるためであり、新約を立てたのも家庭を探し求めるためです。イエス様が送られたのは、国家的代表の王となって、その国の家庭を探し出すためでした。再臨主も世界の王権をもって、世界の家庭を探し出すために来られるのです。家庭です、家庭なのです。 旧約時代には、万物をすべて半分に裂かなければなりませんでした。血を流さなければならなかったのです。神様の前に、そのままでは行けません。サタン世界の血が半分混ざっているからです。その血を抜かなければならないのです。三つの祭物のうち、鳩(旧約)と羊(新約)はオスとメスの対でしたが、雌牛〔成約)は対ではありませんでした。それゆえに独身生活が強調されたのです。すべて裂かなければなりません。サタンの血を受け継いだのです。断食をしてでも抜けというのです。 また、犠牲となって奉仕しろというのです。祭物になれというのです。血を流さなければなりません。それが「蕩減解消」されるためのすべてなのです。旧約時代には万物を犠牲にしました。万物を犠牲にして、息子と娘が行くことのできる道を立てようとしたのです。その息子がメシヤなのです。新郎新婦なのです。そのメシヤをこの地に降臨させる準備として、祭物を捧げさせたのです。万物を捧げさせたのです。逆の経路で上がっていくのです。 その次には、息子がこの地に来て血を流しました。神様の息子が十字架で死んだのです。そのとき、イスラエル民族がメシヤと一つになっていたならば、その息子が死ぬことはありませんでした。不信したために息子が血を流すことになったのです。その息子は何をしたかというと、この地上に真の父母が来ることのできる道を築いたのです。 次に、母親が来なければなりません、母親。エバです。雌牛です。雌牛は裂いてはなりません。これは新婦になります。新婦の立場で世界を収拾し、来られる新郎を迎えなければならないのです。そのためには、息子と娘、カインの息子と娘をすべて収拾し、国においてもカインとアベルをすべて収拾し、失われたエデンの園のカインとアベルから、国家的なイエス時代のカイン・アベル(イスラエル民族とユダヤ教)、終わりの日に至っては、共産主義と民主主義というカイン・アベルが闘っているのを、すべて世界的王権を中心として収拾しなければならないのです。 旧約も新約も完成しなければなりません。それから、成約時代が来なければなりません。成約時代は世界的時代であるだけに、世界的圏内でアダム家庭で失った長子圏を復帰しなければなりません。アダムは長子としての役割を果たせませんでした。それから、真の父としての役割も果たせませんでした。真の王にもなれなかったのです。 これを代身して、世界的な版図圏内で世界中の家庭を対象に、アダム家庭と同じ長子権、天国に入れる真の父母権、天国の王権を失ったので、その資格者を再び合わせなければなりません。そうして、そこに合格することによって、真の父母の勝利的全権を受け継いで、子女としての道理に従って入っていくことができるのです。 ですから、男性にしろ女性にしろ、レバレンド・ムーンの後ろにくっついて、死んでも放してはならないのです。このような脅迫がどこにありますか? 脅迫ではありません! 本当の事実というものは、机を叩きながら命令するのです! 嘘でないならば、レバレンド・ムーンがそのように命令できるというのは、妥当な結論です。このような膨大な内容は、偽者には分かりません。本物だから分かるのです。 「世界平和家庭連合定着」を歓迎する人、それから「蕩減解消」して、自由自在に天下のどこにでも行ける解放された人になりたい人は、両手を上げて歓迎しましょう!(拍手) それで、今日は宣布式を行うのです。レバレンド・ムーンが祈祷す暁には、天地にそれが実現するのです。そのような途方もない宣布なのです。皆さんの生涯において、我知らず田舎道を狂ったように歩いていて、王子に出会って王后になる、ということもあり得るのです。ちようどそのようなものです。 ですから、感謝、感謝の心で「先生が祈祷したことは、そのようになる! 我が一族と我が国と南米全体が、世界人類がそのようになる!」という心をもたねばなりません。 祈祷 愛するお父様……、恨多き復帰時代を役事してきた天の無念さをよく知っているこの息子が、ここ南米ウルグアイに来てこのような役事をするようになりました。 あなたがいなければこのようなことは歴史上にあり得ませんでしたが、あなたがおられたがゆえに自分の国と家庭を捨てこの地に参り、このような役事をするようになったことが、あなたの恵みであったということを考えますとき……、最終着点において勝利の標的を定めたあなたのみ旨を知ったがゆえに、今までこの闘いを続けておりますから、お父様……、祝福してくださいませ。 世界平和家庭連合定着ということが、歴史時代の宿願であったということを思うとき、真の家庭の王的夫婦、真の国の王的夫婦、真の世界、真の天宙の王的夫婦の権威をすべて備え、神様の息子と娘としての全権をこの地上に受け継ぐことのできる、このような事実を宣布いたしました。 ここにいるすべての人々の心を鑑定してくださり、この道がいかなる道であるかを心深く考えながら、残されたみ旨の前に時間を競って天の前に祝福を受けて解放者となり、ご父母様の後に従う家庭となること、個人になることを願って恨を抱いてきたエデンのその壁を崩し、イエス時代のすべての壁を崩し、第二次大戦以降の壁を崩し、再びこれを回復して、万民の解放圏を祝福の恩賜として与えることのできる、驚くべきこの日を迎えさせてくださいましたことを感謝申し上げます。 一九九六年、十一月一日午後一時を中心とし、すべてを代身して、このような「世界平和家庭連合定着と蕩減解消」を中心とした、宣布式を挙行いたしますので、お父様……、受け入れてくださいませ。 アダムとエバの失敗をイエス様の家庭を通じて、イエス様の国、イエス様の民族、イエス様の国家を通じて解怨成就できなかったことを、今、真の父母を中心とした統一教会を中心として、アダム家庭の失敗、イエス家庭の失敗、ユダヤ民族の失敗、キリスト教の失敗、すべてを総蕩減して勝利の覇権・権限をもって、万民が共に一つの家族、一つの兄弟の血筋を受け継ぐことのできる直系の子女の因縁をもって、天の眷属となり得る特権を天地に附与することを願いますので、お父様……、祝福してくださいませ。 天で成されたように、地でも成されますように。地上で成された真の父母の願いが、天国のお父様の願いであるということを知っておりますから、この場に万民解怨成就、蕩減解消の日と定めまして、これを宣布いたしますから、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。真のご父母様のみ名を通して祝願いたします。 アーメン、アーメン、アーメン!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.22
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宇宙の根本を求めて日付:一九九六年九月十五日場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場行事:「世界平和家庭連合」百八十五カ国結成韓国大会 尊敬する内外の貴賓、世界平和連合の会員、紳士淑女の皆様。冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に全地球星に拡大しています。新しい世界の現実を無視し、直視できない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に流されてしまいます。今、私たちは新しい世紀の分岐点に立って、私たちの伝統的な考え方を再検討し、新しい機会と価値観を迎えることに、果敢に進んでいくべき時だと信じます。私はきょう皆様に、世界平和の実現と真の家庭の価値についてお伝えできることを光栄なことと存じます。 神様は宇宙と愛の根源 この世の中には、男性と女性の二種類の人が暮らしています。彼らは互いに立場を変えることはできません。皆様も自分が願ってそのように生まれたのですか。あるいは、私たちは願わないのに、そのように生まれたのですか、それとも、願いもしなかったのに、そのように生まれたのですか。私が思いもせず、願いもしなかったのに、そして、原因はもちろん、結果も過程も分からないのに、そのように生まれたのです。 人がいくら偉大だとしても、原因的な存在ではなく、結果的な存在であることを否定できません。したがって、第一原因である存在がいなければなりません。そのお方は誰でしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、どのような名で呼んでもいいですが、その原因的な存在がいなければならないのです。きょう、ここには、我こそはという著名な方々がお集まりになっていますが、「神様がどこにいるのか。見せてくれれば私は信じよう!」とおっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、その原因的な存在を否定してはならないことを、まず警告しておきたいと思います。 きょう、私は「宇宙の根本を求めて」というテーマでお話しいたします。私たちが宇宙の根本を求めていけば神様に帰着しますが、そのお方は男性格と女性格の二つの性稟を所有しておられることを知らなければなりません。それでは、宇宙の出発の原因はどのようになっているのでしょうか。神様に対してはまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象から成り立っています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しべと雌しべ、動物界は雄と雌、そして人間は男性と女性から成り立っていることを見ることができます。 存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界を問わず、次元のより高い陽性と陰性が、より低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展していることを知ることができます。なぜこのような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界は、万物の霊長である人間を完成させる責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が愛という概念のもとに、互いに一体となって存在しており、植物界も同様に、すべて雄しべと雌しべ、すなわち主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続するのです。最近、医学界では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。 主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キスすることによってでしょうか。愛は概念であって、実在ではありません。愛が定着できる実在は何でしょうか。男性が男性に、女性が女性になるようにするものが何であるかを知りませんでした。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きであれば、どのくらい好きですか。今まではそれが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。 変わらない宇宙の鉄則 未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるとすれば、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造されるとき、最も重要視して、精魂を込めてお造りになった箇所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。 それでは、世界平和統一のための家庭連合の目的は何ですか。道徳と宗教など、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎できる人が暮らす世界なのですが、そのような世界では、夫と妻の生殖器の主人は誰でしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。 千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちはそれを自分のものだと考え、またあらゆる女性たちもそれを自分の所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違えているという話です。すべての人たちは、愛は絶対的であり、永遠のものだと考えていますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っていることをはっきりと知るなら、世の中がこのようになっていなかったはずです。 博士や学者は数多くいますが、このこと一つ考え抜いた人はいません。皆様はこれを否定できますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖とさらには宇宙の根本であられる神様に尋ねても、すべて同意するようになっているのです。これが鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理原則として残るので鉄則です。そして、神様のみ前に出ていけば、この鉄則によって正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然のことです。アダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたことに由来しているのです。 アダムやエバは、自分たちの生殖器を自分たちの所有だと錯覚したのです。考えてみてください。善悪を知る木の実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出しますか。根本的な問題を誤って、宇宙のどこからも公認を受けられなくなったために、追放されてしまったのです。鉱物界や植物界や、動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管していることを、アダムとエバが知らなかったというのです。それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。愛のためです。愛を探すために男性と女性として生まれたというのです。 神様と人間は父子の関係 神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一の方であり、永遠不変のお方です。そうだとすれば、愛の主人は誰でしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのお方が正に神様であられます。愛を中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。 神様が必要とする愛は、果たしてどのような愛でしょうか。絶対的な愛を願われます。皆様はどうでしょうか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とするように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。すべて神様に似なければならないのです。 神様御自身が男性格と女性格、陽性と陰性をもっていらっしゃるお方なので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように、結婚を通して縦的な神様の愛が横的に完全統一されるのが神様のみ旨だったのです。 人間の体はこの地を代表した横的なものです。すなわち肉身です。それと反対に良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを求めるのです。したがって、人間は神様の縦的な基準と一つになる点を求めていかなければなりません。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会わなければなりません。そうして、この中心点から出生した人間は、愛と共に幼児の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。この時、肉身は地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟し、ついに心と体が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのようなところであってこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜び、その愛の対象体である夫婦も幸福になるのです。 このように、上下関係である父子の関係、左右関係である夫婦の関係、前後関係である兄弟姉妹の関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形をつくるようになります。このような理由から、父子の関係を東洋では一つの体と表現します。さらには夫婦の関係も一つの体であり、兄弟姉妹も一つの体として考えています。何を中心として、このように言うことができるのでしょうか。真の愛を中心として四方に球形をつくるとき、このすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形をつくらなければならないのです。その点は一つです。一つなので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係なので、一つにならなければなりません。それは真の愛を中心として一つになるのです。 人間と完全一体であられる神様 人間の欲望はどれほど強いでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも上に行くことを願うこともあります。いくら劣った人でも、神様より優れた世界の代表者になろうという欲望はもつことができるのです。 もし、皆様が神様の愛する息子なら、「お父様、いらしてください!」という時、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくら劣っているとしても、本当に愛するなら、妻が呼ぶ時、夫は従うのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたくないと思うのです。神様も独りでいれば寂しいのです。どうすればそれが分かるでしょうか。 皆様。愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆様の血統をつなぐことができる精子と卵子をすべてもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。触ってみたことがあるかというのです。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてのみ知ることができるのです。同じ論理として、神様がいるか、いないかというとき、神様を見たことがないからといって、神様はいないとは言えないのです。 何が重要なのでしょうか。見えるものが貴いですか、見えないものが貴いですか。見えないものがもっと貴いことを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。みなもっているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを維持していれば感じないのです。 皆様。目がまばたきするのを感じながら暮らしていますか。三時問だけ数え続けてみてください。また、呼吸を数えながら暮らしていますか。数えてみれば、途中で忘れてしまいます。右手を挙げて、左側の胸の上に当ててみてください。どういう音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみれば、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは一週間、一カ月ではなく、忙しい時は何カ月間もそれを感じないで暮らしています。考えてみてください。小さいはえが一匹だけ頭の上にとまっても、すぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音がしても、なぜ感じられないのかというのです。一つになっているからです。 壇上からこのような話をすれば、失礼だと思われるかもしれませんが、実感の出る話なので、いくつか例を挙げてみましょう。皆様。毎日、朝起きてトイレに行くでしょう。大便をするとき、マスクを使って大便をしますか。もし、ほかの人がそばで大便をして、そのような臭いを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずなのに、なぜ自分の大便の臭いはそのまま嗅いで座っていて平気なのでしょうか。自分の体と一つになっているので、自分の大便を汚く感じないのです。 皆様。幼い時、鼻をほじくってなめてみたことがありますか。その味が甘かったでしょうか、塩辛かったでしょうか。なぜそれが汚く感じられなかったのでしょうか。それが正に私たちの体の一部分だったからです。皆様。咳をして、痰が出れば、飲み込んでしまったりもするでしょう。ここに参席された皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。なぜ、汚く感じないのでしょうか。みな一つになっているからです。私たちはみな、朝、昼、晩、毎日三食ずつ食べていますが、口から三十センチだけ下りれば、肥料工場があります。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。それを知っても、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられませんか。一つになっているからです。 神様の創造目的 愛、生命、血統、良心があっても一つになっていて、完全にバランスを取れば、感じられないのです。私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、みなもっていますが、独りではそれを感じられません。完全にバランスを取っているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここから見つけることができるのです。男性でも女性でも、独りの時は愛を感じられませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れる時は、相対的に刺激的な愛と血統が雷鳴と稲妻のように衝撃を受けて問題を起こすことを知らなければなりません。ですから、しっかりと目を覚ましていなければならないのです。このような真理を知らずに生きてきました。神様も絶対的に愛の相対が必要だという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。 それでは、神様の愛の相対は誰でしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるでしょうか。夢のような話は最初からしてはいけないというのです。アメーバから始まった生命体が人間に至るまでには、数千の段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。あらゆる動物もみな、同じです。種の区別は厳格です。誰も占領できません。唯物論を信奉する共産主義者たちが猿を先祖と信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が出てくると思いますか。百年、千年やってみても徒労に終わります。これは、生命秩序の尊厳性を考えてみるべき問題です。 そうだとすれば、神様も何を必要とするのでしょうか。どの部分をより必要とするのでしょうか。目でしょうか、手でしょうか。私たちが考える五官ではありません。神様は男性格と女性格の二つの性稟をすべて所有していらっしゃいますが、父としていらっしゃるためには男性格主体として存在されるお方です。 このような基準で見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界の誰が、果たして神様の愛のパートナーになるでしょうか。男性独りでなるのでしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います。神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになるその場を中心として顕現なさり、人間と出会うのです。 なぜその場が神様を中心として一つになる場なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が正にその場だからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性稟である陽性と女性の性稟である陰性が合わさり、大きな陽性の立場で大きな陰性と合わさって一つになるのです。いつそのようになるかということが問題です。 結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのですか。結婚は愛を求めていく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混ざる所です。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人の存在も意味がなく、国もなく、理想世界もありません。これが公式になっています。男性と女性は絶対的に一つにならなければならず、父母と子女たちは絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きてから、死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国です。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような理想的な人がいないので、神様が理想とする天国は空いているのです。今まで死んでいった人類はすべて地獄に落ちています。天国に入れませんでした。 このような観点から、イエス様も人類を救うための救世主として来られましたが、昇天したのち、天国には行けず、楽園に行っておられることを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨することを願われるのです。イエス様も結婚して家庭を築き、その家庭と共に神様に侍って暮らしてから、共に天国に入れるのであって、独りでは天国に入れないので、聖書でも「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ一六・一九)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければなりません。 堕落世界を収拾できる思想 今日、人類は堕落した子孫となって、堕落圏の下に落ちているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入れないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を突破しなければならないのです。ですから、イエス様も「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と言いました。この道を行くためには、全生命を懸けて、突破して上がらなければならないのです。 皆様の家庭は、堕落圏内の家庭です。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されました。アダムとエバが赤ん坊を生んだのちに追い出されましたか、追い出されたのちに赤ん坊を生みましたか。彼らは追い出されたのち、神様と無関係の立場で子女を生んだのです。このようなことも知らずに天国に行くというのですか。とんでもないことです。無知からは理想も生まれず、完成もありません。目を覚ますことを勧告します。 レバレンド・ムーンの話が正しいか、正しくないか祈ってみてください。私がこの道を探し出すためにどれほどの受難の道を歩んできたか、誰も知りません。罪もなく監獄に六回も入るほどの苦難に遭い、探し出してきた道です。ところが、他人の大切な息子、娘たちを連れてきて、このような真理を教え、短時間に方向転換させるので、多くの人が洗脳したと言うのです。無神論者は、神様がいないことを科学的に、理論的体系を立てて証明しようとして、自ら崩壊していきました。同様に、キリスト教徒たちは自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを取り除こうと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端こそが正統です。反対になるのです。サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌うものはサタン側だということを知らなければなりません。 思想的空白期に置かれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド・ムーンの思想を中心として出版された中学校、高校、大学の教材を通して、さらには、刑務所の罪人までもその教材を通して、思想武装をしています。旧ソ連の三千六百余の学校でレバレンド・ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは、「私たちがアメリカに勝らなければならない。レバレンド・ムーンに反対するアメリカに勝らなければならない」と叫んでいます。西洋の腐敗した退廃風潮である同性愛やフリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド・ムーンの思想だけだと彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカより先にレバレンド・ムーンに従っていこうと叫んでいます。 罪悪の根は不倫な性関係 皆様。神様がお好きですか。レバレンド・ムーンがこのようなことを展開しているのを御覧になる神様は喜ぶでしょうか。教皇庁の教えと今度の大会に参席したロバート・シューラー牧師の教えが同じでしょうか。もちろん、統一教会の教えも大きく違います。そうだとすれば、誰の教えが正しいか神様に尋ねてみてください。 イエス様と聖母マリヤに対する皆様の理解が間違ったものだといくら教えてあげても、それ自体が統一教会の利益になることがあるでしょうか。しかし、皆様が間違いなく知らなければならない一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド・ムーンは、生涯を捧げてこの道を歩んできたのです。 皆様。イエス様は結婚しなければなりませんでした。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいたなら、イエス様も彼女と結婚したくなかったでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造され、彼らに生殖器をもつことを共に許されましたが、何のためにそのようにされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないでしょうか。問題は彼らの堕落にありました。堕落ゆえに血統が変わったのです。 ですから、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと神様の夫人格として立つべきエバが堕落することによって、神様御自身の体と理想が本然の状態を失って、怨讐になったのですから、それを御覧になった神様の心情がどれほどつらかったでしょうか。堕落は自らを埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になりました。 今日のアメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、過分な私生活の追求、フリーセックスのようなものを神様が好まれるでしょうか。行き過ぎた個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの言うとおりなら、天と地、世界、国家、社会、家庭、甚だしきに至っては祖父、祖母までもすべて、放り投げてしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジプシーやヒッピーになってさまよい、雨が降り、雪が降れば、行くところがないので、自殺して、一生を終えようという話ではないでしょうか。 しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分な私生活の保障を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいと思うのが、私たちの本心が願うところです。それができない反対の道を行くうちに、良心が燃え尽き、本心との相反を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するのが良いと判断し、自ら命を絶つ現象がだんだんと増えていくのです。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という聖句が的中するのを目撃するわけです。 アダムとエバがエデンの園にどんな種を蒔きましたか。節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。ですから、彼らが下半身を覆ったのです。子供たちも、父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば隠すのが本性の作用ではないですか。もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたことを否定できません。堕落して落ちたアダムとエバを救ってあげるためには、堕落した方向と一八〇度逆の経路を通してこそ、救ってあげられるということは、この上なく理論的です。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来なければならないのです。 再臨のメシヤの使命と真の父母、真の家庭 メシヤは、堕落前、神様が創造したエデンの園の場で、家庭を築くことのできる主人として来られるお方です。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題です。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければなりません。この死亡の世界で、誰が自分を救ってくれるかが問題です。 旧約時代を見てください。その時は、「目には目、歯には歯」(出エジプト記二一・二四)という原則のもとに蕩減してきました。イサクの妻だったリベカは、長子のエサウと夫までもだまし、次子のヤコブに奪い取った祝福を与えた女性ではないですか。そのような女性を神様はなぜ愛したのでしょうか。そのような神様をどうして信じることができるというのですか。今まで、このような疑問を誰も解明できませんでした。レバレンド・ムーンが初めて解いてあげたのです。レバレンド・ムーンだけが神様の秘密をすべて知っているからです。 それでは、天国と地獄はどこで分かれるか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆様の生殖器です。深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。誰が否定できますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に説明されています。疑問に思えば神様に尋ねてみてください。皆様には、夢にも想像できない内容と理論をもって体系化しておいたレバレンド・ムーンの原理の本に反対することはできないのです。 レバレンド・ムーンが天国に行くか、行かないか気になるなら、死んでみてください。死んで霊界に行ってみれば分かります。レバレンド・ムーンがこの道を探すために、死の道を何百回も超えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人がレバレンド・ムーンです。歴史始まって以来、誰もレバレンド・ムーンほど神様を愛した人がいません。ですから、いくら世の中がレバレンド・ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド・ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共に保護してくださいます。 生殖器を、目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば天国の高い所に行くのです。明白な結論です。今、青少年の問題が深刻な問題です。エデンの園でアダムとエバが、青少年期に日陰で淫乱によって堕落し、フリーセックスを蒔いたので、収穫の時期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。 終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引っ張り上げて救うという戦略を、サタンは知っています。サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときに天使長がそうしたように、全人類をフリーセックスに追いやって全世界を裸にし、すべて死んでいく方向に引っ張っていくのです。人類がすべて天使長の後裔としての末路に直面するようになるのです。 エデンの園からサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの子孫が、今日の人類なので、サタンは堂々と神様のみ前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたいとおりにできる権限を主張するのです。神様はサタンが何を願うかを御存じです。サタンはフリー・セックスを通して、ただの一人も神様のみ前に帰れないように、言い換えれば、全人類を完全に堕落させて地上地獄をつくろうとするのです。今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄となっていく世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄になったこの世界と一八〇度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来て、この世の中を救ってくれるのも、正にこのような一八〇度反対の道を教えて、天国に導くことなのです。 それでは、フリーセックスの道と一八〇度異なった正反対の道とはどのような道でしょうか。偽りの父母が現れて作った道がフリーセックスの道なので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は干渉することができません。この地のいかなる主権や軍事力、経済力、政治力でも手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことなので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道はないのです。罪を犯した者がその罪を蕩減しなければなりません。家庭で結婚を誤って、血統が一八〇度ねじれてしまったので、真の父母が来て結婚させ、一八〇度原状に戻すことによって、天国に行く道を開いてあげるようになるのです。 純潔と真の家庭運動を通じた平和世界の実現 神様がアダムとエバに期待したことは何だったでしょうか。絶対愛を期待したのです。絶対「性」が存在するところには絶対純潔の夫婦が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レズビアンという言葉は消えるようになるのです。このような絶対純潔の愛を求める運動を世界的に広げるために、レバレンド・ムーンは一生を捧げて受難の道を克服してきたのであり、今は、勝利の祝歌を響かせながら、世界に号令をかけるときになったので、天に感謝しているのです。 世界平和に向かっていく礎石を置くのも家庭であり、世界平和への道を破壊するのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊されたところがアダム家庭でした。したがって、きょう、このように「世界平和家庭連合」を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と一八〇度異なる方向に行くことができる道が開かれたことを、天に感謝せざるを得ません。この道でなければ自由も幸福も理想もありません。 皆様は今、絶対的な純潔の生殖器、唯一の生殖器、不変の生殖器、永遠の生殖器を中心として、これを基盤として神様を求めるようお願いします。この基盤が真の愛の基盤、真の生命の基盤、真の血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、ここから正に地上天国と天上天国が生じることを理解されなければなりません。 すべての男女が、自分たちの生殖器が実は自分のものではなく、自分の相対が主人だということを認めるようになれば、頭を下げて謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになるでしょう。愛は相対なしには訪れません。愛は相対から訪れるので、ために生きないところには、愛があり得ないのです。絶対的にために生きるところで絶対愛を見いだすことができることを肝に銘じてください。 どこに行かれても、テレビやその他、言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅びません。地獄になったこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は神様であられます。 今、私たち全員が共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛隊になりましょう。今から家にお帰りになられたら、夫婦で自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠の器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、あなたのものであり、あなたが今までよく保管してきたものが自分のものだと宣言し、互いのために生き、永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様がとどまるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が行われるのです。そうして、皆様全員が共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭になるようお願いいたします。ありがとうございました。【関連記事】文鮮明先生御言選集 19960801 - 宇宙の根本を探して Ⅰ(1996年8月1日、米国・ワシントンDC)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.22
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[23.01.22] 天苑宮天苑教会 平和ヌリ23.01.22.09:20より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。映像の6分過ぎからHJグローバルニュース、54分頃からは大陸別の新年の祝賀講演、1:00:00過ぎからみ言葉説教です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.22
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天一国の伝統文化ユンノリ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.20
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▲1996年世界平和家庭連合創設世界大会、真のお母様講演文(鮮鶴歴史編纂苑・博物館)世界指導者会議での御言1996年8月2日ワシントンDC 七月三十日から八月一日まで、「世界平和家庭連合」の創設世界会議がワシントンDCで開催され、翌二日、全世界のNLに、七時間にわたり日本語で語られた。 蕩減原則によって処理しなければならない 昨日の大会は何の大会でしたか。(「世界平和家庭連合創設大会です」)。世界平和? (「家庭連合」)。家庭連合。何が中心になりますか。世界が中心になりますか、平和が中心になりますか、家庭が中心になりますか。(「家庭です」)。家庭! なぜでしょうか。摂理の観点から、それがなぜなのかをはっきり知らなければなりません。家庭完成は、世界を代表して完成する基準になっているのです。歴史、堕落世界の総決算をして、新しい基盤に戻ってくるのです。 アダムの家庭から出発して、逆になった家庭が、氏族、民族、国家、世界というふうに、人類が何千万年、六千年ではなく何千万年の歴史を拡大、繁殖してきたのです。サタン圏に包容された人類全体を、いかに蕩減するか。帰ってくるには、ただで帰ってくることはできません。蕩減復帰路程を費やして、元に戻すのです。 完全にサタン世界になってしまったのです。個人から家庭から世界全体に拡大しました。そこには、霊界までも入っています。神の理想圏の出発期に、完全にゼロになってしまったのだから、地上天国もできなければ、天上天国も帰着することができません。サタン全権世界になってしまったというのです。 これを摂理路程を通していかに蕩減復帰するか。いかに元返すか。そうするには、百八十度、反対の力を投入しなければなりません。投入するとはどういうことかというと、血を流さなければならないということであり、生命を消耗しなければならないということです。 なぜかというと、堕落の血統によって家庭が出発して、血統基盤を中心として、家族から氏族、民族、国家、世界、天宙、そして地獄まで延長してしまったからです。血統でつながった歴史だから、それを元返すには物とか金とかは必要ありません。血を流すような、体を消耗させるようなこと、血の代わりに肉と骨を消耗させて埋めていかなければならないのです。 サタンがずっと主人になっているのですから、その主人であるサタンに対して弁償しなければ、それを認めることができないのです。 血液転倒をなしたものを蕩減するには、血液に相当するもの、その基準に合うような、逆の方向の何ものかを消耗させなければ、取り戻すことはできないのです。罪をつくった場合には、そこに罪をつくったのと反対の、善の基台を生み出さなければなりません。それができなかった場合には、体自身を消耗させて、そこに比例する価値を立たせなければならないのです。刑務所に入って、服役を通して解放しなければならないということです。分かりましたか。これが蕩減復帰です。 だから、旧約時代における蕩減復帰は、目には目、歯には? (「歯」)。人の目を傷つけた場合には、自分の目を取らずには、元に返す道、許される道がありませんでした。人の歯を折ってしまった場合には、逆に自分の歯を折ってしまうようなことをしないと、許される道がないというのです。 では、人を殺したとするならば、どうしますか。蕩減復帰できますか。人を殺したならば、自分も死ぬのです。人を殺した場合には自分の命は死んでしまうのですが、死なない以上は生きた基準において、生きた基準を逆の方向にもっていく方法を考えないと、蕩減復帰、元に返ることはできません。分かりましたか。 これが歴史の蕩減原則になっているのです。因果関係の法則を違反することはできません。その法に従って処理していかなければならないのです。罪をつくった場合には、その罪に合った罰を受けなければならないし、善を行った場合には善の祝福を受けなければならないのです。 サタン世界を完全に否定する それでは、善というものは何でしょうか。神のほうに尽くすこと、神の願われるところにプラスさせるのが善だというわけです。では、悪というのは何でしょうか。サタンの願うところにプラスさせる、そういう行動をした場合には、それは悪です。 いくらサタンがいたとしても、創造原則、絶対なる神の創造理想の原則があるから、その原則を中心として、その基準にプラスさせるような基準に立つ者は、その原則を守った以上の祝福をもらうことができるのです。その原則を破った場合には、破ったそれに比例する被害を弁償しなければなりません。善なる道はそうなっているのです。 これを一般の人間に適用すれば、善なる人の基準とは一体何でしょうか。原理原則と同じように、その国の憲法とか法律を中心として、法律のほうにその目的をプラスするのであれば、その国においては善なる人と言われるし、逆にマイナスにした場合には悪なる人という結論になって、罰せられるのです。それと同じことです。 だからこの善悪の基準は、絶対的神の創造理想と関係ない主権、すなわち人によって法をつくった場合には、創造理想とは関係ありません。だからこう考えた場合には、憲法とか法的規則とかは、それは天の経綸とか神の摂理の権限の法則とは、何のかかわりもないのです。 だから家庭を中心として、神の家庭理想を転覆された、破壊された、その基準を反対に元返すというのは、大変なことなのです。その家庭は、一つではないのです。その元の家庭がそうなったら、それが二個として繁殖されるのです。 木だったら木が、幹と枝を、穂先を中心としてたくさんの枝を抱えた場合には、それを元に戻すのは大変なことです。松の木がポプラの木になることはできません。しかしながら、松の木がポプラの木になるよりも、血統転換した人類を正すほうが、もっと難しいのです。 そうしたらきみたちは、いくら日本人であるとか、選民であるとか、威張っていても、それは創造原則から見ると何の価値もありません。それはみんなサタン圏に属するのです。神の善なる方面にプラスさせる何の価値もありません。分かりましたか。あなたたちの毎日生きている生活は、神の生活、神の願う理想の生活圏とは、何の関係もないのです。日本人を中心に、日本人に必要な条件はあるかもしれませんが、全世界を興し、歴史的なこととか、あるいは神の摂理的観点においては、何一つかかわることもできません。何の価値もないのです。 こう見た場合には、いやあ、大変なことです。そうなったら、歴史を全体的にまとめて責任をもって、それを生かしていくような歴史をもった国はないかというと、ないのです。絶対ないのです。方向が東に行くように決まったのに、回り道して西に行っていくら探しても、永遠にありません。分かりましたか。(「はい! )。 神はここにいるのに、ここに向けて神と一体となるべき理想の世界を残して、反対のほう、サタンを中心とした別個の世界もあるのです。これを完全に否定しなければなりません。だから、家庭からつながる氏族、民族、国家、世界、天宙、地獄に至るまで、サタンを除去しなければなりません。サタンが主人となっている以上は、幸福な神のもとの理想圏に帰る道は永遠にないのです。 神は失われた場所に立つことはできません。なぜかというと、絶対なる神は、なし得た実績も創造も、絶対的な勝利でなければならないし、目的も完成しなければならないというのです。 サタンもそれを知っています。原理圏にあった自分が、こういう横道にそれて、こういうふうに乱したということをよく知っているから、神の前に弁明する一点の条件もありません。だから、神の前に完全に服従しなければならないのです。服従しなければならないのに、今までどういうふうにして引っ張ってきたのでしょうか。服従しないで、どのようにして反対してきたのでしょうか。 サタンの血統を生みつけたが、世界の果てまで行って、歴史上に全体の過ちを正せるような人間が生まれてこなければならないのです。そうなのです。人間先祖がこういうふうに汚してしまったのだから、人間の中で誰かがそれを戻すという内容を知って、戻す権威をもって立って、これを実際に整備するような実績をもたなければ、帰る道はありません。 宗教圏を通してサタンを分別する摂理 それを神はよく知っているから、善悪の紛争の中から神の摂理と宗教というものを立たせて、人間はこうなるべきだということを宗教圏を通して教え、宗教の法律によって生活する基準を立たせているのです。善悪の分割条件として今、活用しているのです。その宗教上の法的位置に立ってプラスさせるものは、誰のものになるのでしょうか。そこから、サタン世界と分別する、分別工作をなさるのです。分かりましたか。 宗教も、東西南北たくさんあります。たくさんの宗教圏を中心として、上層宗教から物欲しさの宗教まで、邪教から正教までつなぐのです。邪教とは何でしょうか。それはサタンも宗教をつくるということです。神が昼の宗教をつくれば、サタンは夜の宗教をつくるのです。神の宗教に似たものをつくります。このように、宗教圏も二重性になっています。 神の宗教圏は人類に善なる影響を及ぼしますから、その影響を妨害するためにサタンは反対の宗教圏を立たせて、宗教同士がぶつかるのです。戦争をしてきたのです。人間の歴史において戦争が終わった場合には、宗教戦争につながっていく恐ろしさがあります。宗教戦争が起こった場合には、超国家的な人種戦争にまで発展するので、人間は滅亡します。今は科学の発展によって核の時代に入ったから、これを使った場合には人類は滅亡します。 こういうような歴史観に立っているから、宗教圏の神の願われる真理をいかにつなぐかということのために宗教があるのです。仏教が一つの体制を整えて自立するようになるには数千年かかりました。ユダヤ教も考えてみなさい。アダムからずっと四千年の歴史を通してメシヤを迎えるような、そういうことをなしてきたのです。数千年の歴史です。仏教も儒教も、みんなそういう背景になっているのです。 そうなると神のほうが、ただ一つの宗教圏を中心としてつながるようになります。そうなると宗教の内容が問題になってきます。どういう内容でもって、神は未来を収拾しようとなさるのでしょうか。もちろん、それは教理です。教理はたくさんあります。仏教は仏教教理、儒教は儒教教理、回教は回教教理、キリスト教はキリスト教教理をもってやるのです。 では、それは何を主流とするのでしょうか。これらをずっと集めて、初段階から高等段階にまでつなげるに当たって、いろいろな内的宗教を連合させる核心要素は何だろうかと、こうなるのです。それは、歴史を通してつながった伝統を続ける以外に道はありません。宗教が失敗した場合には、失敗の基準がいくら低いとしても、もとの主流につないで、宗教全体、歴史を代表した内的な流れの主流に立つような要素でなければなりません。それは政治でも、経済でも、文化でもありません。 万民に通ずるものとは何でしょうか。それは良心です。良心というものがあるのです。いくら堕落したとしても、良心は正しいこと、悪いことを、教えなくてもよく知っているのです。あなたたちの良心もよく知っています。何も法的には知らなくても、人が嫌がることをやった場合には呵責を受けます。 良心というものは平面的になっています。万民平等です。バランスが取れています。東西南北、四方、バランスが取れていて、それを回した場合には、こういうふうに振れないで、九〇度を中心として、四方八方、三八〇度、それは九〇度、平均上で回るような、何かがなければなりません。バランス、平準の基台がなければ、何かを永遠に立たせることはできないのです。 良心基準は万民に平等 だから、平準基準が必要なのです。歴史を代表して、歴史の上では変化があります。高い山があり、谷があり、平原があるのと同じように、それが当たっても、サインカーブは必ず平準を中心として、上下関係の比例を判断するという平準基準が必要です。それが良心なのです。だから、良心は高いことをよく知るし、低いことを知るのです。 二人が会った場合、話しかけただけで、「ああ、この人は自分より高い主人になるなあ。私は低い人だ」というふうに、すぐ分かるのです。説明しなくても分かるようになっているのです。はかりの目盛りみたいにです。それが重いか軽いかを分かるのと同じように、重さに比例したその基準に立つように、平準基準になって、上か下か平均か、それが分かるようになっています。それが良心なのです。 もともと、神もその基準の上に立っておられるし、人間もその基準に立っているし、天使長もその基準に立っているのです。同じです。万民平等です。だから、良心世界には教育の必要はありません。 その国に入った場合に、人間の良心は国家の法律が分かると、「ああ、これはまずいことだ」とか、あるいは「国家の法に基づいて、いいことだ」とすぐ分かるのです。教育は必要ありません。どの国に行っても、良心はすぐ分かります。それは生活環境から、三日くらい過ぎてみれば、はっきり分かるようになるのです。 そういう基準があるから、霊界に行っても、あなたたちの教育とか、解読が早いのです。これは何度かということ、悪いところは強圧して押さえて、上げたり引き上げたり、そういうふうにして合わせることができるのです。 だから霊界では、良心を中心として教育されたらすぐ分かるのです。話も良心がするのです。会った場合には、あいさつも何もしなくてもいいのです。自分の上か下か、すぐ分かるのです。平等の基準を人間はみなもっているのです。西洋人も、東洋人も、良心基準は平等です。水はどこに行っても水平になるのと同じように、人間世界の良心の基準も水平になっています。だから、その上に建物を建てることができるのです。だから、水平にまっすぐ立つ者ほど安全なのです。分かりましたね。 なぜ必要かというと、土台が完全であれば、まっすぐ立ったものは完全です。まっすぐになっているから、いくら重いものでも横にならないのです。支持する、支える力があれば、永遠に存続します。しかし、横になったら大変です。存続どころではありません。押さえる重さに比例して、みんな風化されて偏ってくるのです。倒れてしまうのです。一方、まっすぐになった場合には、風化されていったとしても、中心の骨は一番最後に風化されるので、まっすぐに残って倒れないのです。 だから、人間は平面世界を獲得したいし、立体世界を獲得したいのです。それは自分の人格の基準において、野望とか欲望、善なる欲望の肯定によってなされるのです。だから、肉心というものは、「世界を私のものにしよう」と思うし、良心というものは、「わあ、霊界、天があった場合には、両方を私のものにしよう」と思うのです。両方を統一しようという作用をするのです。 絶対的精神基準を立て肉身の力を抑える 一つの起点を中心として縮小したり拡張したり、そういう運動をなした場合には、一つの起点で大きく広がることもできるし、高く伸びることもできます。比例的になるのです。だから、人間は心身一体になっているのです。精神的基準を強調するものは、肉身基準を縮小しなければならないのです。分かりましたか。精神の力を強烈にさせるには、肉身の力を縮小させなければならないということです。 プラス・マイナスの原則です。だから肉体生活、外的生活をなす者は、これを広げるのだから、中心が下がっていきます。分かりましたか。(「はい! )。 口が好み、肉身が好むことをやった場合には、精神がぺちゃんこになってしまいます。酒とか、踊りとか、たばことか、クラブとかを好きな者は、精神世界はもうめちゃくちゃです。平準以下になってしまいます。それは、比例的にそうなっているのです。分かりましたか。 そうしたら、精神的生活に従うべきや、肉身的生活に従うべきや? どっちですか。(「精神的」)。肉身的! (「精神的! )。本当ですか。(笑い)それを今からやろうとするのですか、それともやってきたのですか。絶対的精神基準を中心として生涯を懸けていく者は、絶対に肉身の虜になりません。そういう絶対的精神基準を中心として生涯を経ていく者は、絶対的に肉身に屈服しません。 どこがサタンの基地になっているのでしょうか。垂直、平面において、自分の人格が二重になったのです。 肉身は良心まで引っ張っていくのです。良心は、固着したその基準を永遠に保つべきであるにもかかわらず、肉身の強烈に引っ張る力によって、中心基準がぺっちゃんこになって崩壊してしまうのです。そうなった場合は、いくらほかのところに行って中心を立てたとしても、戻ってきません。一度紙に書き間違ったその字は、いくら消しても、元の通りにはなりません。 酒を飲んで、酔っぱらって喜ぶ者がいますか。周辺にそれが邪魔になるということを知っていながら、たばこを吸い喜ぶ者は、それはサタンのものです。環境破壊の分子です。それは平面基準と立体基準をめちゃくちゃにさせる悪魔の王者、そう思います。 固定的定着場があるということを知らないのです。そういうことを分かった場合には、絶対的に人間は良心を中心として生涯を懸けて、直行する目的、自分の人格完成の目的、方向に進んでいかなければなりません。進んでいって、また帰ってきたりすることはできません。往復行程ではありません。目的基準まで前進していかなければならないのです。上がったり下がったり、こうなった場合は傷になるのです。 だから良心は毎日、前進を願うのです。毎日、高く垂直の世界に向けて、「前進せよ」と命じるのです。それが習慣性になった場合には、これがしわになって、それ以上に上がることができません。その基準を中心として、顔も性格もみんな違うのです。分かりましたか。 平面基準と垂直基準が九〇度に合うようなその固着、垂直基準はたった一つです。分かりましたか。垂直基準を中心として三六〇度回るようになります。 肉身基準の場合にはどうなるでしょうか。無限分割、無限に定着、精神基準は遠ざかってしまいます。行動すればするほど、そういうものは永遠に自分の本性の精神的人格完成の道を満たすことはできません。それは間違いなく地獄に行く者です。地獄に落とされる者、落ちてつかまる者になります。そうなっているのです。分かりましたか。 完全否定の過程を通過し本然の世界に帰る 宇宙は何のためにつくられたかというと、愛のためにつくられました。「神様は相対が必要だ」と言いましたね。愛をもっていても、それは見ることもできないし、触ることもできません。また、生命をもっていたとしても、血統をもっていたとしても、良心をもっていたとしても、見ることも触ることもできないのです。できないのですが、愛というものは、ピーッといっぺんに相対できます。愛も被害者です。堕落した愛も、堕落した人格も、生命も、血統も、良心も、ピーッと相対できるのです。 何の愛が、そんな作用をさせるのでしょうか。真の愛は、神に直行した、直通した愛です。神と一つになった愛です。神が愛を中心として全創造世界の理想の核心とし、その核心は相対をいつでも総包容し保護していくのと同じように、愛があればすべての被造物は包容され、総合して保護育成されていくというのです。 真の愛がそんな作用をするということを、今までの歴史において分かった者はいません。そんな作用が一体あるのかないのか、考えさえすることができなかったのです。 いくらそういうことを願っても、堕落した人間には作用ができません。真っ暗な夜に光がどこにあるか分からないし、光を願ってもいないのです。同じです。堕落したら、そういう基準になっていないのです。自分の一身を引きちぎるような真の愛がないから、闇は闇につなぐという話です。それで、真の愛が絶対に必要なのです。堕落とは何でしょうか。それは真の愛とは反対の、真っ暗な愛を結束させたということです。真の愛ではなく、サタンの愛です。堕落の愛なのです。 先生が昨日言ったように、地獄も天国も正義も悪義も、善悪すべての最高の基準は何かというと、真の愛なのです。真の愛の決着先端は、男、女のどこですか。先生は昨日、何と言いましたか。(「生殖器です」)。生殖器。生殖器は、悪いものですか。どの宗教においても、悪いものと制定されています。 それで、そういう悪いものから生まれた関係のものは、みんな捨ててしまえというのです。国もそこから関係をもつし、社会もそこから関係、氏族もそこから関係、自分のおじいさんもそこから関係、お父さんもそこから関係をもつのです。そして、自分自身もそこから関係をもつので、自分まで捨ててしまえというのです。 そういう目的があって、神は人間に「出家せよ! と命令しておられるのです。生まれた所を飛び出せ、離れよというのです。そうでしょう。有名な高等宗教は、出家ということを命令するのです。統一教会も出家した者がいますね。 出家。それはなぜかというと、宗教と正しい主張を願う神様がいたとするならば、全体を拒否するような対策を立てなければならないからです。血統が違っているのですから、完全否定しない以上は元の血統に戻ることはできません。落ちていったのだから、そうしなければ逆に上がっていく道は永遠にないのです。 完全否定。絶対否定。否定にも段階があるのです。否定する基準によって、堕落したその基準を凌駕することができるのです。だから、宗教、ことに高等宗教では、本然の世界に帰るためには否定過程を通過しなければならないのです。 だから、国を否定せよ、社会を否定せよというのです。家族、祖父、父母、夫妻、子女が問題ではないのです。問題は一身なり。死ぬ境地に落としてしまえというのです。だからこじき生活です。サタンはそれを願いません。サタンは傲慢です。サタンの性格は十以上傲慢で、下にされたくないのです。だから、サタンから最も反対の位置にあるのが、こじきの生活なのです。だから、断食せよ、謙遜になれというのです。 断食ばかりではありません。犠牲になりなさい。犠牲ではなく、祭物になれ! 血を流せ! 堕落は血統を誤り、それで生命を、血を受け継いだのだから、血を流さなければなりません。そして、血を流しても感謝するような立場に立たないと、サタンの境界線を越えて、堕落前の人格を再創造する機会を得ることは永遠にできないのです。 だから、宗教は犠牲と祭物です。祭物は二つに分けるのです。一つはサタンのものです。サタンをなくして、心が完全に主体になるようにして、上がって安全地帯になって神のほうに帰ることができるのです。 平面的否定、縦的否定、二重否定をなさなければならないということです。こんなに難しい道が、宗教の道を通した復帰の道、救援の道なのです。分かりましたか! (「はい! )。 日本を再創造しなければならない 男はお父さんになるのですか、お母さんになるのですか。旦那さんたち、いい生活をするのですか、悪い生活をするのですか。(「いい生活です」)。みんな奥さんにやってもらってするのが、いい生活なのですか。それとも、奥さんを休ませながら喜ぶのが、立派な旦那さんのいい生活なのですか。どっちですか。日本の男に率直に聞いているのです。正直に正面を向いて答えなさい。 日本の女がいくら先生を誘っても、誘惑されないと決意しました。先生を誘惑しようとする日本の奥さんたち、お嬢さんたちがたくさんいたのです。 そういう日本の国をエバ国家に選抜しなければならないというのです。責任を誰がもつのでしょうか。アダムがもたなければならないのです。立派な日本の男をつくって、立派な奥さんをつくって、立派な旦那さんをつくって、立派な先祖、アダム復帰以上の価値のものをつくらなければならないのです。 そういう立場に立ったら、戦後、英・米・仏の使命を果たせなくて、地獄に落ちてしまったそのエバの代わりに、サタンの足場になったそのものをそのままもっていって、それが相対のエバみたいに扱うような立場に立てなければならないのです。死んでもできない立場であったのですよ。しかし、神を知っているから、日本のために先生はやっているのです。日本の国を再創造しなければなりません。 先生は一人で、いつでも国をつくることができます。家庭も、氏族も、民族編成も、もう問題ありません。エバ国家の家庭、母を中心とした家庭もです。アダム家庭を地上全般にわたって拡大したのが、人類の家族です。そのお父さんである真のお父さんを、エデンの家庭の門前で追放してしまったのがサタンであり、そのサタンが代わりに、女と男を中心として、偽の父の行動をやっているということは大変なことです。それは本当のことなのです。 アダム家庭は人類の長子です。間違いありません。長子であるばかりではなく、長父母です。先祖であり、父母の始まりです。それは「長」をつければ、長子、長男、そして長父母、長王様となります。アダム家庭はアダムが父母です。理想の地上天国の真の王様はアダムです。天上天国の王様も、そこから始まるのです。すべての理想の根底、拡大した出発の基地になる、それを王というのです。基地になるその主人の家が、アダム家庭なのです。 一家を代表するのはもちろん、一族を代表するのももちろん、一国を代表するのももちろん、一世界、天宙すべてはそこから始まったのだから、元の理想の始まった家は宮殿になるのです。それは理想の本郷の家族です。 その家族が転覆され、長子権、長父母権、長王権を完全にサタンに奪われてしまいました。そうなったのだから、これを元返すには下からやるのです。ですから、兄さんの親権、兄さんの王権をおいて、下の弟王権を中心として、弟が兄さんを転覆しなければならないのです。 それは国家基準において蕩減することができるのです。たくさんの家庭になっているから、国家基準の勝利を得ないというと、元に返す道はありません。命令一下、一つになった場合には、家庭なんか国家基準でいっぺんに転覆するのです。 宗教は真の愛を通してのみ本質に通ずる 宗教圏には旦那さんがいないのです。ユダヤ教は新婦教会です。失われたアダムの家庭を中心としたのだから、それは新婦です。カイン・アベルとお母さんを中心として準備されたのです。だから、宗教において篤実な信仰をもつのは、男ではありません。女です。宗教団体でもそうです。マホメット教(イスラム教)も仏教もみんな、宗教は七五パーセントは女性信者です。男は付き添いみたいなものです。仕方なしに女のしっぽにくっついて、放したくないからついていく、泥棒みたいな男です。みなそうです。 暇があった場合には切ってしまって、妻が家庭に子供に忠実にするように、自分に忠実にするようになることを願う夫は、宗教圏の邪魔者です。だから、男は天使長圏なのです。分かりましたか。(「はい! )。 あなたたちはみんな若くして祝福を受けたから、そんなことはなかったでしょう。既成祝福の若い女たちは大変です。心は先生についていきたいのですが、旦那さんはやっかいなものです。本当にそういう心も出ます。そこまでいくのです。世の中で考える女たちが悲惨な境地に立つ、そういう同情して余りあるような女になってしまうのです。分かりましたか。 男を嫌がる、旦那さんを嫌がる女はみんな、貴族に近い女です。この社会で知的水準が高いとか、活動したいとか、金持ちとか、そういう者から、男嫌いの運動が始まるのです。自分の家系を平均に見て、それより劣った場合には無視したり、金から見て無視したり、知識から無視したり、比較鋭敏な女たちです。男たち、問題です。 そうではないですか。誰が先に嫌がるのですか。男が女を先に嫌がるのですか、女が男を先に嫌がるのですか。なぜでしょうか。堕落がそうなったから仕方ないのです。反対に復帰していくには、自分の旦那さんを好きであったら、絶対に復帰できません。自分の家庭を好きであったら、絶対に復帰できないのです。 それで、聖書では「自分の家族が、家が怨讐になる」という話をしました。それは究極の転換点が残っているから、それを切るには、親が反対するし、父母が反対するし、それから兄弟、旦那さん、夫婦共に、一家全体が反対するのです。なぜかというと、真の愛の世界を展開していこうとするならば、真でないサタン的な愛の組織において歓迎するものは一人もいないのです。そういう観点から見ると、世界的にそういう標準に一致した男が、ここに立って話している文先生なのです。 さあ、「宗教は真の愛に通ずる以外に、本質に通ずる道はない」ということは分かりましたね。そうしたら、真の愛が好きですか、嫌いですか。 授ければ授けるほど増えていく真の愛 さあ、真の愛は必要ですね。いったい真の愛とはどんなものでしょうか。 受ける立場が幸福ですか、授ける立場が幸福ですか。(「授ける立場です」)。え? (「授ける立場です」)。百ドルしかないのに百ドル授けて、一ドルもなくなったらどうなるのですか。無くなったら泥棒するのですか。(笑い)それは問題ですよ。 神様が授けて忘れる、投入して忘れる、そういう論法を言ったのですが、授ければなくなります。いっぱい授けて、永遠に授けて忘れる、その補給路は一体どこにあるのか、とこうなるのです。真の愛は、授ければ授けるほど増えていきます。だから、そういう逆説的な論理が生まれてくるのです。 宇宙の力を考えても、構造の世界を保持する力というものは、運動すれば下がっていくのです。運動すれば減っていくようになっているのに、地球は何億年も継続しています。今から何億年続いてもなくなりそうにはないのです。その運動をするのに、どこから補充するのでしょうか。それを支給してくれるところは何でしょうか。それが問題です。 何でも、ものには格というものがあって、副体、そういうものがあります。もとなる格式は、生命の権威をもってやった場合には、千万年たっても、その種の主体格は変化しません。無限の支持の力、宇宙力が、連結されている橋をつなぎ出すことができます。 それはいったい何でしょうか。愛のもとの世界です。だから、真の愛は使えば使うほど大きくなるのです。例を挙げましょう。あなたたち、本当に愛する友達から真心を尽くして、精誠を尽くして土産をもらったとします。そして、それが千ドルの土産だったとします。その友達からそれをもらったときに、身心共に感激した場合、その人に九百ドルの土産を買ってあげたいですか、それとも千ドル以上、千百ドル、二千ドル、数千ドルの土産を買ってあげたいですか。どういうふうにしますか。 千ドル以上を加えて返してやりたいという思いをもつのです。真心という基準は、膨張する作用をなすのです。分かりましたか。真の生活、真の聖人の生活は、膨張する力をもちます。それは立体的に膨張するような、それが真の愛です。 世界と代えることのできない祝福家庭 サタンは堕落のために、こういうふうになすべきその家を、転覆させたのです。それが世界を越えて、天宙を越えて、歴史を越えて、全宇宙は、すべて引っ繰り返ったその家庭につながっています。だから、全体がサタンのものにならざるを得ないというのです。 これをどういうふうに転覆するかというのです。世界から転覆したといっても、家庭が残ったとすれば、サタンの基地はまだ拡大するのです。いくら世界を消化した自信をもったとしても、家庭が完全になったその基準に統一化されないというと、世界にサタンの所有権の道はどこでも残るというわけです。 全世界を否認して、引っ繰り返ったのを元返した場合には、それは世界に通じ、いかにしても変わらないような価値の家庭を探すことによって、その価値の延長圏はサタンの権限とは永遠に関係がないのです。 だから、血統転換というのは恐ろしいことであるけれど、実にうれしいことでもあるのです。血統を植え込んだ上に、他の血統を植え込むことはできません。 サタンの血統と神様の血統に、永遠に分割されます。混血することはできない限界をもっているというのです。絶対的な家庭を、世界を代表してもったとしたら、その価値は全世界をやっても返すことはできません。 だから、そんなことをなした場合には、祝福家庭という尊厳な価値は、全宇宙をやっても、堕落世界のそれと代えることはできないのです。そういう価値の基台の上に立った、神が理想としたその基準の家庭からつながる氏族、民族、国家、世界は、永遠にサタンと関係がないのです。血統というものがあるから、それがはっきりしています。きっちりと結論をつくる、それに疑問を抱く者は一人もいないということになります。分かりましたか。(「はい」)。 それを転覆させたのは、サタンの偽りの父母です。偽りの父母から、偽りの家庭からそうなったのです。ですから、サタンと交わった偽りの父母から始まったものは、神と交わった真の父母から出発した場合には、別個の存在になります。別個の血統になるということは、絶対的に公認することができません。だから、真の父母という名前でもって出てくるのです。真の父母を中心として転覆するのです。通過点を元に返すのです。これを返すことは、全世界が反対します。サタンの世界では、個人から全世界、霊界へ行った霊人、悪魔すべてが反対します。 先生以下、三人の家庭、三十六家庭、それから七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、それから七七七家庭、それから一八〇〇家庭、六〇〇〇から三万から三十六万、三百六十万まで拡大していくのです。 三万双からは世界的な展開になるのです。六〇〇〇双までは闘い続けなければならない内容がありました。世界のどこへ行っても、世界のどこの部落でも、反対する境涯を逃れることができず、いろいろな悲惨な行動をしながら、そういうことを越えてきたのです。それが三万双からは公開、世界に公開です。だから、一週間原理を聞いて、血統転換と所有権転換と心情転換を信じて、新しく血統転換するような者は誰でも祝福してあげるのです。 その日が世界的になるなら、潮水でいえば、これはもう満水です。六時間前に入った水も、それから六時間後に入ったものも平等になるのです。かえって六時間後に入った者は、先に並ぶことできます。平等権があるからです。祝福の平等権があるのです。その平等権は国家的、日本海平等、大西洋平等、太平洋平等、六大州、五大洋平等と、こういうふうに発展していきます。三百六十万(双祝福)は五大洋平等となります。 それから、血統の本源に真の父母の名前がついているのです。それは決意して、どんなことがあっても、真の父母の教えを中心として方向転換し、世界に向けていくのです。 サタンの世界は大変です。サタンの一等国として、個人主義、プライバシーを誇ったアメリカ。それから、フリーセックス、ホモ、レズビアンと神の理想すべてを破壊して、かけらも残らないような悲惨な状況をなし得て、その基準から、神の創造理想である完全なる愛の絶対圏をつくるとは謎みたいだと、神を呪いながら、サタンは大笑いするのです。 「再臨の主が言ったって、そんなことはできっこない。数千万年の歴史を通して、こんなに砕いてめちゃくちゃにしたところを、元の理想の愛の本郷に返していくという馬鹿みたいなことをするなどと、神様は何と愚かで、惨めなものか」と。 サタンの全権をもって行動しているのです。エデンの園において、アダム・エバを自分の両手で抱えることによって全人類、男・女、五十億でも、自分の懐に抱いて、みんなセックスを乱してしまうのです。だから、フリーセックスだというのです。セックスの分別、血統圏を分割できないような、混血、混乱をもたらし、父母が分からなくなるのです。 祝福家庭は一族の代表 世界平和家庭連合で働きかけるのです。いくら家族、親が競って攻撃してきても、倒れません。氏族連合体、国家連合体、思想連合体、共産党、民主主義、みな反対したとしても倒れません。もう共産党もなくなり、みんななくなってしまいました。国も、家族も反対したものはみな、比べてみれば、自分たちは悲惨な立場にあって、文先生は天下で、王者の権限を振るうような頂上まで立っているのを、どうにもできないのです。地下でやってみても及びません。いくら引っ張ったとしても、根っこは取れないのです。 打たれても、これは減らないのです。増えていくわけです。打たれることは悪いことではありません。 打ち砕かれて、釘の頭みたいに平たくなって、頭が見えなくなって、木の中に入って、小さいハンマー、細くなったハンマーで逆に打っても、いくら打っても、その板が取れません。分かりましたか。真の愛の釘は、頭を打てば打つほど、だんだん大きくなっていきます。それはそこまで、先祖の根元を通して、根元の真ん中を通して、根っこになってしまおうとするのです。戦えば戦うほど、打てば打つほど、深い所に、それは生えてくるのです。 祝福家庭は、価値は知らないけれど、何千万年の神の苦労、復帰途上にあった先祖たちの犠牲の血を流したそのものは、計り知ることはできません。そういう犠牲の道を積み重ねて、勝利の壇上に立った者はたった一人です。それが祝福家庭なのです。自分の一族を代表してたった一人なのです。先祖からの代表の、勝利の出発です。 堕落の血統から、勝利の血統として先祖の結実体になるのですが、祝福というのは、堕落先祖を代表して、逆の立場で占領し、正々堂々と天の血統圏に入ったということであり、それは何にも比べることができません。一族の誇りです。一族全体を犠牲にしても、それは得られないものです。だから、その価値を自分ながらに貴く思っていかなければならないのが、祝福家庭の生活の基盤なのです。分かりましたか。(「はい! )。 イエス様だにそれを果たせなくて、霊界に行きました。一九六〇年、聖婚式を行いました。四十四年間を費やしました。韓国はもう国を挙げて、先生に勝とうとしてきました。文先生はそういう闘いのまっただ中に、聖婚式を行ったのです。そういう苦労の道をたどって、祝福の道を行ったのです。 国家的メシヤは家庭を中心としてその国を消化する使命をもつ 日本は、神の国と何の関係もありません。日本人は何の関係もありません。日本の国が反対するのです。だから、あなたたちがそれを喜んだ場合は、あなたたちは反対する者になるのです。統一教会のメンバーとして、そこから脱出しなければなりません。そういう事態を嫌がったら、その瞬間から祝福家庭を中心として分解してしまいます。脱出する条件としてそれは国家基準以上の、メシヤの使命を果たすために、祝福家庭を宣教師として、国家メシヤ担当として送るのです。 先生は一九六五年に百二十か所の聖地を、イエス様の百二十国家の国家選別条件として、決めました。土と岩と石をもってつくりました。それは骨と肉です。土をずうっと植え込むのです。 それで、家庭をよく植え込む、家庭を植え込むから、家庭とその家庭の土を、絶対をもって植え込まなければなりません。植え込んで、その国をアベルのほうに、家庭を中心として消化して、カイン的国家を引きつけるのです。それが国家的メシヤの使命です。 メシヤとは、親をいうのです。子女関係は運命的ではなく、宿命的です。運命というのは、代わりを埋めることができるのですが、宿命というものは代えることができません。死んでも果たさなければならないものなのです。 だから、イエス様の使命は宿命です。親の使命をもってきたのですから、楽園で二千年間待ちに待って、また帰ってきて、生きて果たせなかったことを再び生きた基準で、死んでもなさなければならないのです。再び来てなすのが再臨主なのです。 国家的メシヤ観というものは、そういう宿命的な使命があるのです。どんな難しいことがあっても、自分の子供と奥さんと、それから財産を前にして、帰る道はありません。国家的メシヤは、その国のお父さんです。そうでしょう。お父さんの家です。 イエスは家を得られずに死んだのですが、七か国の中心として家が立つのだから、その七か国の大使が評価したとするならば、その大使が、その国の大統領、閣僚に呼びかけた場合には、それはついてこざるを得ません。そういう力があるという希望をもって、今、派遣しているのです。 それにつれて、日本の女性がみんな援助団としてその国に行った場合には、これは国家的メシヤ団となります。日本の奥さん、女たちが百二十名です。イエスの百二十門徒と同じです。イエス様の実体的基準でもって、百二十国家の大使を全部消化していくのです。 そうした場合、日本から見た場合には、日本の大使の代わりに行ったものが誰かというと、統一教会の日本の代表です。それはアベル的大使です。すでに行っている大使が、カイン的大使です。そのアベルとカインが一つになった場合には、アベル圏として、その国をカインとして消化するのです。 百八十四国家からそういうような影響をその国に及ぼしていくというと、一つの国でもそれは影響する力があるのに、百八十四回消化されるのです。いっぺんに回ってしまうのです。何年かかると思いますか。 今度百八十四国家に選抜されない者は、十二支派の列の代表と、列の圏内に立つことができません。だから、日本からこういうふうに、入籍ができなかった場合には、その自分の入籍圏、アフリカの南端だったら南端の所に大移動しなければならない事態がくるのです。 手をつけないで、世界が統一されていくのです。入籍という問題は、超血統的です。人種差別はしません。文化差別もしません。宗教差別もしません。たった一つ、差別するものがあります。それが偽りの愛です。偽りの愛につながったすべてのものは、前に立つことができないのです。偽りの愛の前に属する者は、偽りの愛の行くところに連れられていかざるを得ないのです。 無蕩減時代に入る 新しい世界のために、自由の世界建設のために、こういう家庭連合をつくったのです。きょうからは新しい無蕩減時代に入るのです。 それから、逆に蕩減させるのです。打たれることがあったら打てというのです。打たれて、何十倍の蕩減をさせていくことができるのです。だから、打たれることは、サタンにとっては無慈悲に撲滅されていくことになるのです。恐れるなというのです。 ヨシュアとカレブが、第二イスラエルに対して何と言いましたか。(「強く、雄々しくあれ」)。強く雄々しく、強い腹をもて、強固な精神で、屈しない精神で、と言ったのです。 今からは蕩減条件を越える時代に入ります。王権が復帰された場合には、直結時代、直接干渉する時代に入ります。気に入らないからといって国を中心としての権限を押しつけることはできません。サタン主管圏は長成完成圏です。神の主権圏は完成出発、完成蘇生圏です。完成蘇生圏に入るのだから、サタンを主管します。堕落前のサタンに命令する神のほうの圏内に入るのだから、サタンに命令する圏内に入るということです。そうなったとき、天的法を適用することができるのです。だから蕩減法において、反対蕩減をなせる時代に入るのです。反対蕩減現象をなすことができるのです。神の方からサタンの方に、蕩減の条件をサタン圏に提唱して、それを果たさせるようにする方向転換された時代に入るのです。 だから家庭連合をつくった場合には、首相とか大統領、その国の最高の家庭を招待しても、こちらのほうが高いのです。国家的メシヤの立場は、国家的真の父母です。メシヤとは完成されたアダムです。真の父母の名をつけているのです。家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤというふうに。天宙的メシヤといえば、神様を中心としていうのです。父母をいうのです。だから、時代が変わってきます。王権時代です。 神の主権を地上に定着させる 「世界平和家庭連合」を創設しました。今からは蕩減の峠を越えます。その主権が建設された場合には、神全権の実力を果たすような世界に変わっていくのです。神の国はまだ成立されていません。いくら家庭をもって、氏族をもって、民族をもったとしても、主権が現出されなければ、主権復帰をしなければならないというのです。主権というものが、天とつなぐ中心的な実体圏に通ずる、その基台です。国というのは、神と関係をもつような内容を結ばなければ成立しません。 だから、いくら家庭があったとしても、いくら民族編成がなったとしても、神が働く定着した中心点をもたなければ、国になりません。国が栄えるには、天の援助を受けないというと、繁栄しないのです。人間がいくら努力しても、天をつながらせないというと発展しません。発展させる神の主権が地上に定着するのが、摂理する最高の希望であるのです。アダムの家庭で長子権を失ったものが、世界家庭圏です。 アダム家庭を中心として堕落したものが、こういうふうに拡大して世界アダム家庭圏を編成したのです。その世界家庭圏を編成したところは、サタンは関係をもつことができません。個人から、家庭から、氏族から、民族、国家から世界、永遠まで平面的に発展するようになるのです。それは天上ではできません。地上で結ばれれば天上に結ばれるし、地上で解かれれば天上でも解かれるのです。 だから、地上でもって、平面的に人間の生活を拡張した世界圏でもって、解放圏をもたなければ、地上の理想の天国は展開されません。 アダム家庭圏の基準から世界家庭圏まで、こういうふうに上がっていくのです。縦的関係を横的に、同じように連ねさせれば、そのところを戻ってこないというと、神の国の編成、神の国の摂理はできません。それをはっきり知らなければなりません。 だから、アダム家庭圏へ行って長子権、それから父母権、それから王権、そして家庭的な基準が、氏族、民族、国家、八段階を通して、世界加盟権です。世界加盟権でもって、長子権の使命を、世界を長子の立場に立たせなければならないのです。だから、万民がカイン圏であって、来られるメシヤがアベル圏です。それが、今までの世界から見た場合には、カインが先に生まれて、メシヤが一番最後に生まれた立場でもって、回れ右するのです。分かりましたか。 家庭圏で使ったのが、長子圏でなくて、世界圏でもって、長子復帰、父母復帰、王権復帰をしないと、神の国に帰りません。だから、天国に入るものは、地上の神の国の主権で生きていた者が入るようになっているのです。だからその後、地上の神の国と、天上の神の国が垂直になっています。地上完成をなさなければ、霊界も完成圏に入ることができません。 神様がなぜ、そのような人間をおつくりになったのでしょうか。神様は霊界に行っても見えません。見えないのです。創造の前も見えなかったのです。だから、神様は人間をつくって、人間のお父さんになり、王様になるのだったら、家庭を率いなければならないし、国を率いなければならないから、子供たちはみんな形をもっているのです。 だから、創造の第一の目的は形をもたなければならないということです。人間の父母として形をもつということが、第一の創造目的だったのです。 第二番目は何でしょうか。二番目は繁殖しなければなりません。神の国をなすには、繁殖しなければなりません。たくさんの子供を生まなければなりません。 神の創造目的は生殖器を通過しなければ無効になる だから、女としては、男がいなければ大変です。女は男のために生まれたということをはっきり知りましたね。その器官を自分のものとして行動したから堕落したのです。堕落はどこからかというと、生殖器の主人が自分だと思って行動したのが堕落です。復帰は、生殖器を自分のものでなく、公的なものとして行動することによって帰っていくことができるのです。その生殖器は自分のためでなく、公式の基準を中心として、神の願う公的な絶対生殖器です。唯一不変、永遠の生殖器です。そういうような女をつくるなら、家庭は永遠に問題はありません。 そういうような絶対男、女が一つになって、絶対愛が連結された場合は、その中で子供が生まれれば、それは絶対的子供です。絶対的愛の結実体です。それは分割することはできません。そういうふうにして生まれた子供は、宗教とか、あるいは誰かの指導を受けて、天国に入るようにはなっていないのです。お父さん、お母さんについて入れば、どこでも行くことができるのです。 そういう理想的な神様の家庭をつくって、神様の国をつくるのです。神の家庭を拡大し、氏族、民族、国家、地上天国を通じて、それをそのまま霊界に移動して天上、永遠の天国をつくるのです。膨大な天国をつくるのです。生み出して無限の世界です。 絶対的愛が必要ですか、不必要ですか。(「必要です」)。どのくらい必要ですか。絶対的に必要です。始めから永遠に必要です。旦那さんになった場合には、始めから永遠に一人の奥さんの旦那さんにならなければなりません。そういう思いをもってきましたか。奥さんになったら、始めから永遠に一人の旦那さんの奥さんにならなければなりません。そういう観念がないのです。 永遠の国に入るのですから、永遠の路程、永遠の家庭路程を通過しなければなりません。永遠の家庭の出発は、ジグザグにしてはいけません。垂直にずっと行かなければなりません。だから、家庭理想圏が国家理想圏を通して、国家理想圏は世界理想圏、世界理想圏は天宙理想圏と直行、一方きりしかないのです。直線です。分かりましたか。 だから、第一の創造の目的は何ですか。フォームが必要であるということです。二番目は、繁殖面積が必要であるということです。神様は縦的な一点を中心として、永遠に存在するのだから、面積がないのです。面積が必要だから仕方なしに、実体圏を中心に三六〇度を中心に回るようになっているのです。 三番目は、一人では寂しいから、愛の相対者としてパートナーとしてつくったのが、アダム・エバです。第一はフォーム、第二は繁殖、第三は愛です。だから、女・男、父母は絶対的に子供を生まなければこの原則に違反するから、天国入国の落第生になります。 女が生まれなかったらどうするのですか。いくら戦争があって人が死んでも、ある一方でたくさんの人が亡くなった場合には、反対のところで、この面積圏では、それを補充するのです。そうして男が死んだ場合には、男が生まれてきます。 いくら金持ちの貴族の娘として養育したとしても、竹の内から男を見た場合、「わーっ」とお母さんの所に行き、「三人のうちであの人がいいな。また、あした通過するから見たい」、そう思い始めるのです。そんなことありますか、ないですか。なければ女ではないです。 何によってそういう作用が、何の動機でそういう作用が始まるのでしょうか。心ではありません。心情でもありません。生殖器です。「統一教会の教祖様が生殖器の専門家になっているんだね」、そう言われても仕方がないのです。これは真理の真理です。それを嫌がる者が落第生です。生殖(器)が実るようになったから、体全体がそれに歩調を合わせるようになっているのです。それがプラスです。それが主体であって、体は客体です。 じっと手を胸に当てて、考えてみなさい。そんな話はあまり聞かない。恐ろしい話で、「本当かな」と考えても、それは本当であるということを否定するならば、永遠に満たされません。 何を通さなければなりませんか。三大目標の神の創造目的を、生殖器を通過しない以上は、永遠に形を続けることができません。生殖器を活動させないというと、創造目的の第一番も第二番も第三番も無効になります。第一も第二も第三も、神の創造目的は生殖器を通過しなければ、完全に無効になります。恐ろしいことです。 だから生殖器は、どのくらい貴いですか。全体より貴いですか、全体より貴くないですか。愛のために人間は死ななければいけないのです。命を越えて、愛を求めていくのです。だから、愛は生殖器によってつながるのです。生殖器はこの全体よりも貴いのです。 生殖器は、神と代えることはできません。生殖器が神だったら、神を再び生み出すことができるというのです。一人ぼっちの神より、兄弟の神様をもつのがもっと理想的だというのです。 生殖器は、それはフォームをつくった神様より貴いというのです。お父さん、お母さんよりも貴い、祖父母すべてを合わせたよりも貴いというのです。絶対的価値をもつところが、そこです。絶対的価値をもたないと、絶対的愛、唯一の愛、不変、永遠の愛をもち出すことができません。これは理論的です。 こんなにはっきり教えた以上は、堕落したら駄目です。堕落したら、ぺちゃんこにしなければなりません。永遠の無価値のどん底に、埋め込まなくてはなりません。 より投入する者は主体になる 女として、一番、それが金の冠よりも貴いのです。世界で何よりも貴いものは、男の生殖器です。男の最高は何かいうと、女のそれを占領する以上の宝物はないのです。 夫婦が寝るときも離さないようになった場合、どのくらい一体になるか、どのくらい仲が良いか、どのくらい理想の夫婦となるでしょうか。 なぜ、男も女も汚いものが出る道と、愛するときの一番幸福な所が同じ所なのでしょうか。それが分からなかったのです。高いものは低いものを相対にするのです。それは理想です。高い者になるには、汚い所を好きにならなければならないのです。 種は、高いところでは成長しません。汚い所で成長するのです。生殖器が近くにあるのは、子供が成長するための薬をまくためにそうなっているのかもしれません。上下の道。平等です。上下を連結して一つにまとまるのが、絶対的愛の環境です。 その近くに肛門があるのです。なぜ、そんなに貴いもののある所に、そういう汚い器官、処理器が集まったのでしょうか。「汚い環境を自分と一体とさせるものが、理想的な真の主体となる」という話を教えてあげます。 これは真理です。立派になるには、その国民の一番の貧民窟を自分の王宮以上に愛さなければなりません。そうする者は、永遠の王様の権威を保つことができるというのです。 もっと為に生きる者は、中心者になるのです。これは真理です。中心者はどこに投入するのですか。国だったら、国の一番悪い所に投入して、また投入して、国まで巻き込んで、投入しようとする人には、宮中がそこに移っていくのです。より投入する者は主体になるのです。分かりましたか。大きい声で一度言ってみなさい。(「より投入する者は主体になる! )。より投入する者は中心者になるというのです。それは歴史の鉄則です。学校で中心者になる者は、学校という教わる所でもって、より勉強に投入した者です。熱心に勉強する者は中心者になるのです。歴史の鉄則です。 不平を言うなというのです。きょう不平を言うことがあった場合には、一年、五年、不平を言うのですか。それをみんなさておいて、投入の専門家になった場合、一年のちには不平を言う環境が、侍る環境に変わっていくのです。主体になるからです。主体、中心者は責任をもたなければならないのです。環境をつくって、相対の責任をもたなければならないのです。中心者で責任を嫌がる者は、滅んでいくのです。国の中心者が国の全体に責任をもたないと、その国は滅んでいきます。独裁者はなくなってしまうのです。王権の歴史上に消えていきます。 若い青少年たちはそれを知らないのです。「なぜ、自分が奉仕するのか。なぜ、為にするのか」ということが分からないのです。簡単な真理です。しかし、この真理は、永遠の歴史を動かすというのです。中心者は責任をもつ。中心者は全体の相対圏を保護する。防備する。中心者は全体を養育して、発展させる。 統一教会の文先生は迫害があった場合、逃げていきません。難しい立場であっても、相対圏を保護します。保護ばかりでなく、養育します。より新しい所に引っ張って成長させて、その相対を保つようなことをするのです。これは、宇宙存在の主体、客体の関係の存在の公式的位置を決定し、維持させる基台です。 生殖器の誤用によって失われた長子権、父母権、王権 家庭でもって堕落し、長子権を失ったのは、何によってですか。生殖器です。父母圏を失ったのも、何によってですか。生殖器です。それから王権を失ったのも、何によってですか。生殖器です。それをはっきり知らなければなりません。本当のことです。その器官がなければ、相対理想不完成です。それがなければ、それは繁殖基台未発見です。その器官がなければ、永遠のフォームが、子孫にはないということになるのです。はっきりしました。 今からそれを保管するのは、どういうふうにするのですか。紙の袋と、絹の袋と、鉄の袋、蘇生、長成、完成の三大袋でカバーして、保っていかなければならないのです。 男が近づいてきたら逃げていくように、女が近づいてきたら逃げていくようにしなさい。防備しなければならないのです。統一教会の女は、体を汚すようなことがあってはなりません。命を捨てることがあっても、それを汚してはいけないのです。 これを守った場合に、天国直行です。そんな決意のもとで守っていく夫婦が一つになった場合には、誰がそれを分解させることができるでしょうか。神様だにできません。もし分解させたとしたら、絶対基台、本体を分解することになるから、神自体が落第する、滅亡するようなことになってしまいます。 宣教師が海外に派遣された場合に、その問題に引っかかった場合にはめちゃくちゃです。自信、ありますか。 完全なる愛の一体圏に、完全なる子女が生まれるのです。それは真理です。先生のつくり言葉ではないのです。天国を願わなくても、そこに直行する子供ができます。そういう子供をもった場合、永遠に同宿、同位、同居、同参しながら生きたいのです。その格好の主体、客体が相対関係です。分かりましたか。 先生が霊界に行くまでに教えてあげないと、誰かに啓示でもって教えて拡大しなければならなくなります。生きた啓示体として、伝授してあげるのです。分かりましたか。 こんなに貴いものをめちゃくちゃに覆してしまったのです。神様は、こういう群れでもって、その器官を誤用する姿を見たくないのです。だから、全部出家しなさい、独身でいいというのです。家族で出家するのではありません。一人きりです。高等の宗教が教えるのは、未来の世界、復帰の世界、理想の世界を求める道です。それは、出家と独身生活をしなければならないということです。宗教は犠牲の道を行くというのです。否定の道、そして、性生活を断絶する道を行くのです。辛抱、辛抱、その辛抱が堆肥となるのです。それを肥料として、新しい生命の種を迎えるというのです。 先祖はできません。女、男はできません。神から続いた真の愛と真の種をもった主人が来られて、そこに初めて肥料の墓場に種をつくった場合には、これは理想的な収穫の実となるのです。再創造の理想郷をたどって、それを神が植え、神が育て、完成して、相対圏をつくった家庭、氏族、民族、地上天国をつくった家庭にするのが神様の救援摂理なのです。それは復帰摂理、再創造の摂理です。取られて、泥棒されてしまったのですから、その場所で再び設置しなければ、元に戻すことはできないのです。復帰は再創造です。フリーセックスで器官をめちゃくちゃにしてきたからです。 神は、何千年までも待って、その器官をめちゃくちゃに使ったことはないのです。アダムと一体となってそれを使って、理想的な家庭出発を考えた神は、今までに歴史上使ったこともないのに、親である神様から生まれる後孫の立場であるにもかかわらず、それを使うというようなことは、無礼なのです。独身生活をしないといけません。たくさんの種を繁殖しなかったのは、復帰の年限が短縮されるためです。 真の父母がまだ結婚していないのに、結婚することはできません。生めないのに、真の父母がいないのに、偽りの者たち、子供たちが、結婚をするということは、神の原理世界において公認されることは永遠にないのです。 血統は種をもった男性を中心としてつながる 女が中心ですか、男が中心ですか。誰が中心だと思いますか。(「男です」)。なぜ、男が中心ですか。垂直だって、女も垂直に立つことができるではないですか。中点に立つというのは、男は子供の種をもっているからです。それを女たちは、はっきりしなければなりません。 数千万年の歴史を通過して、お父様を中心として、男を中心として、血統の子女をつなぐのです。女ではないのです。垂直の、子供たちの血統をつなぐものは、女ではありません。男に限ります。なぜかというと、神様に似ているからです。神様は性相、形状の中和みたいになっていますが、格好としては男の格好なのです。男が神の姿をもって、子供の種をもっているのです。 創造前の神とそっくりです。神の代わりの立場であって、平面世界でその中心性を無視した場合には、平面圏全体が倒れてしまいます。そういうような伝統的基準に立たない国だったら、家庭、氏族、全部が流れていきます。 女の胸は自分のものではないのです。旦那さんが握った場合には、喜んでお母さんみたいにならなければなりません。奥さんは、お母さんの代わりです。本当ですか。それを知らない男、女たちの愛の生活は欠けてしまいます。先生もそうであるかもしれません。神様はどうでしょうか。先生もそうだから、神様も見えなくて、そういうような思いをせざるを得ないという神様になっているのです。同じことです。 尻も子供のものです。第二の自分の後孫のものなのです。胸もそうです。その器官も、子供が生まれる家です。愛さざるを得ないものです。だから、この顔もお母さんとして、子供が好きがる顔です。大きい子供がお父さんです。子供が好きがる顔を好きなのです。 だから、すべて自分のものがないのです。生殖器は誰のものですか。子供のものであり、その子供が生まれる愛を継続させる器官であり、旦那さんの愛を受け入れる器官なのです。 不平を言って、「そんなこと嫌だ」と言った女がいた場合、今晩、悔い改めなければなりません。 そういうことをやることによって、女として、天来、何千年の歴史の伝統を続けてきたのです。死なずして貴い宝物を、自分の抱えた子供を受けもつ女が、旦那さんを無視することができるや! できません。何千代の血をもらうことによって、何千代の先祖の価値を、自分の後孫のものとしてはらみ、伝授してあげるのです。愛の表示、愛の行動なくして伝授してもらう道はありません。真剣な場です。 お父さんが、旦那さんの顔が赤くなった場合には、すぐ準備しなければなりません。その瞬間に、愛したい男から、どんな子供の種が自分に伝授されるか分らないのです。いつ、どこで、それを伝授してもらうのですか。それを見抜く日は、ひらめくのです。歴史全体、先祖の細胞が蘇生してくる場です。そんな希望の生命体が、自分の前に立って、伝授する行動の表現を無視する女は、それは避妊した女になるということです。それは恐ろしいことです。 それ本当ですか、本当ではないですか。死なないで、ここまで生き続けて、奥さんの願いのすべてを満たす、この胸を、顔を、生殖器を通して、満たしてやる、聖なる瞬間を、女としては、それ以上の精誠を尽くして受け入れなければならないのです。 考えてみなさい。先生の考えが合っているか、合わないか。合ったとすれば、それを尊重し、貴重な人間の価値の母体として、天国の展示会の一番の王座に持ち帰って展示する女、男になればいいのです。愛の王様、愛の真の女として、世界第一の王、女王様の愛をなしてきたと。 男がいなかったら、子供をはらむことができますか。子宮をもって、何をするのですか。ヒップが大きくて何をするのですか。胸が大きくて何をするのですか。美人の顔して何をするのですか。理想的な子供を伝授されるのです。 結婚の相対は過去、現在、未来を通して発見した歴史的代表者 こういう観点から見ると統一教会の家庭理想は、いかばかり価値あるものでしょうか。そういうような立場で子供をはらんで、子供を生んだときの顔を見た場合には、どちらか強い愛をもったほうに似ていくのです。二人でやってみなさい。 公式的理想天国工場の基地は何かというと、完成生殖器です。男の生殖器と女の生殖器の凹凸が合う基地です。結婚の場だというのです。結婚は、男の半分、女の半分が完成することです。これは神様がするのだから、立体的、横的、縦的完成をするのです。 こういう観点から見た場合、神様がいくら偉いとしても、男女の生殖器が愛の基台にならなければ、そこに種をまくことができないのです。種をまきに来る神様が臨在して、永遠の生命と人間の地上の生命、つまり、アダムは外的肉身の生命、神様は霊的生命、この二つが授受するのです。同じ愛でもって、同じ血でもって、同じ血統として子女が生まれるのだから、永遠の神の後孫として、天国に直行する者になっていくのです。理論的です。 宇宙の万物、その雄、雌は凹凸になっています。分割されるものでなく、一体化するものです。愛し合うためにそうなっているのです。愛を得るには一つにならないといけません。一つにならなければ、愛を永遠に迎えることはできません。愛によって、生殖器は合うようになっているのです。 愛の主人は神様であり、人間も絶対愛を求めていくのです。その一点を中心として、絶対の神様、愛の縦的一体化、男の生殖器以外にはないのです。これは否定できないのです。愛の公的実体は、神も人間も凹凸、平面的です。だから縦的父母、横的父母、アダムは横的父母、神様は縦的父母です。 結婚するときは、五十億の人類があったとすれば、男はその半分の二十五億の代表であり、女は二十五億の代表として、最高の立場に立つのです。そういう観念で結婚する、そういう教育をしなければなりません。結婚の相対は、過去、現在、未来を通して、たった一度発見した歴史的代表の者なのです。生涯待っても、こういうものは得られないのです。 子供が成長し、愛の完成定着地は結婚の場です。夫婦として完成、定着するのは結婚の場です。父母として完成出発基準が、その中心圏です。結婚する場なのです。その場が全存在の愛の願いの、四つのもとになっているのです。 それが及ばなかった場合は大変です。だから、子供を立派に生んで、立派に兄弟圏を超えて養育して、そういうふうにして夫婦をつくって、立派な子女の願う完成定着基地、兄弟完成、夫婦完成、父母完成定着基地を中心にして、神に伝授して、神に献納した、そういう結婚の場をつくってやらなければ、四大心情圏を探すことはできません。父母ばかりでは駄目です。精誠を平面的に尽くすより以上の精誠を、立体的に神に奉仕するような基準をつくらなければ、つながらないのです。 信仰生活は、奉仕を主張し、自分の犠牲を主張するのです。最後には、祭司とか、祭物を願います。祭物は血を流さなければなりません。手の先が減って血を流し、肌がむけて血を流しても、神の前には孝行の心情で、奉仕の心が万民に届くようになって余りある心をもたなければならないのです。 世界大移動期が来る 世界大移動期が来ます。スターリンが民族大移動を強制的に行いました。それと反対のことが地上に起こってきます。願って行かなければなりません。今、統一教会の国家メシヤに、嫌々ながら行っては駄目です。 何千万年の国家が、メシヤが来られるのを待っていたのに、その願いに対して、その時になって行かないのでは、民族を捨てた王権の悪い王様の立場に立つのです。だから全部行かなければなりません。メシヤは、願って地上に行かなければならないのです。送り出して、強制されて来るものではないのです。 今から言うことは、王権の理想世界に行く内容です。それを教えるのです。 真の家庭は純潔によってつくられます。純潔の基台がなければ、真の愛は永遠に離別するのです。原理がそうなっているのです。それを否定できますか。純潔運動、真の家庭、原理観です。分かりましたか。自分で良心に聞いてみなさい。良心は父母に優り、良心は先生に優り、良心は王様に優るというのです。良心は世界同等になっているのです。垂直になったら、それは何度よじれたか、すぐ分かるのです。 公式的理想天国は、公式的な理想的な生殖器をもたないと、天国そのものが吹っ飛んでしまうのです。子供をはらむとき、その器官を通してはらむのです。そのとき、喜びながらはらませたのですか。子供をはらむのに、泣きながらはらんだのですか。喜びながらです。全身の細胞がみんな爆発するような、細胞が全部運動するような喜びです。 これは先祖の細胞、四百億の細胞をもっているのです。四百億の先祖、血統圏の何千代の先祖、みんな細胞に入っているのです。遺伝性によって、何百代、何千代の細胞がこの体の中に生き残っているのです。それが愛によって総動員されるのです。死んでいないというのです。生きているのです。愛によって再び連携して、後孫の細胞とつないでいるのです。 汚れた愛の血統だった場合には、清められた血統を後孫に残すのがどんな難しいことであっても、親としては努力しなければならないのです。先祖が悪いといえば、権勢によって崩壊させて、自分が植えていかなければならないというのです。 真剣に先生は言っているのです。訓練する女として、徹底した女をつくり出して、世界の女を教育するのです。その女たちを世界に派遣するのです。世界の母になれば、世界がみんなぞろぞろついてきます。それで韓国、大陸を回って、跳躍ではなく飛躍して、天国昇天してしまうのです。 エバは、旦那さんの何を握らなければなりませんか。半島を、韓半島を握らなければならないのです。そうでないと日本は滅びるのです。見てみなさい。先生の話は流れていきません。日本人としては、気持ち悪くても仕方がないのです。春が過ぎて、秋になって、結果を見れば分かります。日本人と韓国人との世界において結果を見れば分かります。 韓民族は、こういうような列強の真ん中に立って、よくも七千年の歴史を民族として残して、唯一の民族になったものです。先祖の伝統を、万民の誇りとして称える民族です。 自分の肉と骨を削って世界に乳を飲ませるのがエバ国の使命 日本人の家庭は韓日人教会と共に僑胞を伝道していくのです。そうすれば、僑胞を中心として、カイン・アベルになるのです。だから、日本は双子をはらまなければならないのです。それを日本が消化しなければ、完成する、解放される日本になれません。それを拡大して、二大主義である共産主義と民主主義を消化しなければ、それは世界的な範囲になりません。 半島を、国を、世界全体を抱擁するお母さんにならなければ、日本国家として母になりません。世界に送らなければならないのです。荷造りして、お嫁に行かせなければならないのです。自分の準備したすべてを売って持っていかなければならないのです。そうでしょう。母は子供にすべてを投入しながら、未来を考えて、未来の国を考えて、親は子供のために犠牲になっていかなければならないのです。 それは伝統的公式になっているから、日本のきみたちを派遣しながら、使命を果たしてこない以上は、同情することはできません。後孫と共に、名目ある、家族が誇れるような基台をつくらなければ、お嫁に行った女としては価値がないのです。 今まででたらめに生きてきた日本の奥さん像と、先生の理想的奥さん像を比べてみたら、天地の差です。日本の奥さん像は地獄に送らなければなりません。先生の奥さん像は、地獄に行っても天国に引っ張り上げなければならない、そういう立場です。 天下の価値を分かった以上、その道を直行していくのが、女として生まれた使命の生涯の道であり、母として、妻として、生涯を懸けていく使命の道であることを分かりました! (「はい! )。 日本の千六百人の女は失敗です。日本自体が使命を果たさないから、四か国から島嶼国家を拡大したのです。十倍以上でもって帰っていくのです。十倍から十二倍。十倍以上しないといけません。だから、一万六千人以上になります。国連に加入している国は百八十五か国、そこまで拡大しながら日本の女を送った場合には、全体が日本の女の肉と骨を削り取って、飲まない者がないように乳を飲ませるのです。日本はそういうような宝をもつように、神は祝福しました。 男は別個のものです。現地において活動して、女を苦労させる。その子供をずっと、血と汗と骨を売ってでも食わせていくのです。三代、四位基台、全体です。親ができなければ、子供たちも血を流しながら、その国の同情の峠を越えていって、万民がその前にひざまずいて痛哭するような民族となることによって、神の国に、国として帰ることができるのです。それはメシヤの使命です。皆さん、先生のために祈祷したりして涙をたくさん流すでしょう。 十字架の上でも楽しんで越える 子供をはらむときには、生殖器を結晶させるには、凹凸を一つにさせなければならないのです。間違いありますか、ないですか。(「ないです」)。真剣に答えてください。でたらめではないのです。神もそれを待っていたのです。歴史の恨みを抱えながら、その一日の瞬間を待っておられた神様を、痛哭しながら迎えなければならないのです。徹底的に腰に刻んで帰って、伝統的な先祖の母とならしめたいのが先生の思い、先生の望みです。分かりましたか。 さあ、そうしてはらんだその子供は、今から天国の直系の道をたどっていくのです。家庭王権、国家王権、世界王権を相続しなければならないのです。天宙王権を相続して、宇宙祝福を相続するには、家庭で相続しても、国家と世界、天宙が残っています。家庭で相続したい思いがしたら、それでおしまいです。家庭第一主義を唱える者は、天国の最後の相続です。宇宙相続は不可能です。不可能になった場合は、それで霊界に行ってとどまってしまうのです。永遠の望みとして、それに向かって前進、前進をしなければなりません。 それは、圧力をかけても強制的にでもなしていかなければならないのです。何万年、引っかかるというのです。それを知った以上には、地上で圧縮して、千年の歴史を、十か月、一か月でもまとめてなしていかなければなりません。そういう道を行くには、十字架の上でも楽しんで越えていきたいという思いをしなければならないのです。それが、蕩減復帰の道です。先生はそういう思いで、四千年の歴史を四十年に縮小してやってきたのです。ただでなされません。 そういう場合には、その子供はどういうふうにして発展していくのでしょうか。その王権の公式行動路程を通過するのですか。数千年の自分というのは、数千年の先祖の血統をつないでもらったと感謝しなければなりません。死なないで、こういう男として生まれているのですから、ここに根をもたなければなりません。 初愛のときにはらんだときの子供は、何をして大きくなるのですか。母の体、母の骨肉を完全に吸い取って成長するのです。精子は分子です。顕微鏡でしか見えないのです。だから、完全にお母さんの体の延長です。自分というものがないのです。 そこから出発して、どこにいって、天宙の神様の、真の親の相続を受けるのでしょうか。家庭で受けたらぺちゃんこです。家庭を越えて、国を越えて、世界を越えて、霊界まで行って創造した主人たる、アルファの親父と同じように、オメガの親父に立って、相対理想の国を治めるような権限をなしてあまりあるような者になって初めて、神の子供らしいと、神が認めるのです。抱擁するのです。 そういうことによって抱擁され、任命されて、認められて、そして相続するのです。相続は地上ではありません。先生もそれに向かって今、精誠を尽くしているのです。そこまでいかなければならないのです。どんなことをしても、そこまでいかなければならないのです。 だから、天から出発して、天に帰って、アルファ、オメガです。勝利の理想的相続というのは、神の前に来て相続するのです。国家、王様、親の前ではないのです。分かりましたか。国の王様ではないのです。世界の王様ではないのです。それを越えて、天宙の王様の前に立って、神の愛の相対実体者として、神が認めて愛された後に、すべての権限を相続するのです。それで、無限解放、全権、絶対解放圏に立つというのです。 死んででもそこを通過しなければならない。何億年かかるか分かりません。だから、地上で結んだものは地上で解かなければならないのです。地上でなせば、天国でなせるのです。地上でもって堕落しているのだから、地上でもって堕落圏を天宙の根底まで通じるようにして、完成圏を通過しなければならないのです。堕落しなかったならば、霊界までそのまま上がって公式的に発展していくのです。分かりましたか。 御旨に乗った場合には、エレベーターのように自動的に上がるようになっているのです。堕落したのだから、みんな故障して、階段もみんな、目もみんな取れてしまっているのです。カインはジャンピングしなければなりません。冒険者にならなければ、それをつなぐ道はないのです。 子供は母の体の分身延長体 子供というのはどういうふうに大きくなるのですか。お母さんの体を一〇〇パーセント吸い込んで伝授してもらって、子供は大きくなるのです。だから、その子供はお母様の体の延長、分身です。腹の中で、お母さんの肉と血と骨と骨髄を吸い込んで大きくなるのです。だから、子供は、お母さんを自分の主体として永遠に一つにならなければならないという考えを、越えることはできないのです。 だから、お母さん、難しくてもお母さん。そうでしょう。それによって大きくなったのですから、夜も昼もお母さんを思うし、故郷のことを思うのです。故郷はお母さんと共に、お母さんの環境そのものです。もとの主体圏を忘れれば、それは三大圏の根拠を無視するものだから、相対圏の三代としても、それは主体がないようなもので、悲しくなるのです。 これはお母さんの体の延長です。お母さんに、孝行娘にならなければならないという公式のレッテルが、全身に張ってあるのを忘れてはならないのです。お母さんが手を切っても、お母さんの体を切るのだから、感謝しなければなりません。そういう思いをもって孝行娘になるという考えをしたことがありますか。お母さんを利用する女、お父さんを利用する女、そうでしょう。生まれてそんなことをやってきたのですね。原理公式に違反するのです。自分を主張するものは何一つありません。 自分はあるのですか。お母さんのもの、お父さんのものの延長です。お母さん、お父さんが公認する以上は、自分を主張する者は三大権限を放棄しなければならないという原則になっているのです。こういう教育をされた場合には、父母の前に従順なる羊のようにならなければなりません。祭物です。間違っても反発はしないのです。従順な姿です。イサクは祭物として、そういうふうにして親が包丁で命をとそうとしても反論しなかったのです。 天来の祝福を相続する、それは烈女の勝利の中核になったというのです。そうでしょう。自分のものはないのです。母の前で、母よりきれいな立派な服を着たら恥ずかしいと感じることを知らない娘、男は罪人です。それは放蕩息子です。自分のもの、何がありますか。一つもありません! 子供のときには母の骨肉、血と骨髄を吸い込んで、パイプでそのまま相続してもらったのですから、自分というものがないのです。誇るものは何一つないのです。誇るのだったら、お母さんと共に誇らなければなりません。 男も同じです。自分のものは何もないのです。見せてください。先生が認めるような、納得させるようなものがありますか。一つもありません。 だから、父母は、国につながらせてやらなければならないのです。国をつながらせるのに、放蕩息子を国に誇るような男、女につくらなければ大変です。その国は破壊されます、滅亡していくのです。神の国まで上がっていかなければ天地理想の相続は不可能なのだから、どんなに難しいことでも先祖、母の血統のはしごを逆に上がっていかなければならないのです。それは、上がる者が自分を誇ったりしたら落ちてしまうのです。母の指示によって、一歩一歩前進していかない者は、みんな落第生になります。分かりましたか。 絶対的に、子供は母の体をみんな吸い込んで、母の分身延長体であるということを確認し、分からなければなりません。自分がないのです。 そういうふうにして生まれた場合には、三年間は母の乳を飲まなければなりません。六か月の三倍、一年半はそういうふうにして、三年間は食べさせながら、養育しなければならないのです。養育するには、どこでするのですか。母の膝の上で、胸に抱擁されるのです。膝の上で育てなければなりません。 そのときは、母は働けません。大きくなった子供を喜んで、一体となって、二つが一つになって、誰の骨肉を吸い取るかというと、父の骨肉を吸い取るのです。同じ法則です。父の生命体が入っているから、父の責任分担が残っているのです。母の分担をなした上には、母と子供が大きくなるには、その平等圏に立つには、父は種とともに、これを大きくしてやらなければなりません。だから、母と子供を養育するためには、自分の汗、血、肉、骨、骨髄を投入しなければならないのです。 子供とお母さんは一列になって、父の血肉を吸い込んで大きくならなければなりません。それで一つになって、平等に立つのです。お母さんとお祖母さんが平等に立った場合には、これが三つが一つになったら、どこに行かなければなりませんか。国の母の懐に帰っていくのです。国の王様の王権は、国の父母の立場に立つのです。分かりましたか。 自分という存在を主張したら落ちる 日本には自分の土地もあるのです。家庭というものは国を中心として、国の土地と国の宮殿の王様と王族の家庭、母と子供と一体となるのです。全体の王族、全体の王様、平面的に立つ家庭は、全体の家庭を養育するように、母の立場で、すべてを自分の骨肉を投入するような王族、家庭にならなければならないのです。そういうふうに一体になった場合には、自分のお父さんと母と子供たちが一つになります。一つになって、王様によって、これは王様の骨肉を吸い取って大きくならなければならないのです。それは第二段階の国家家庭圏です。 国家家庭圏、それが世界家庭圏としてつながるのです。本当は堕落しなかったならば、国家家庭圏で世界を越えて、世界家庭圏になるべきなのに、長成完成基準において堕落したのだから、サタン世界の長成完成基準の国家基準がある、そういう国家が世界的に拡大したから、それをまとめたら、世界基準を中心としてメシヤが来るのです。世界の父母として来られるのです。 そうなったら、国家、王様と一つになった家庭の統一された全部が、国家で吸い取って養育されたのと同じように、国家メシヤの家庭の直系の母と子供たちは、世界すべての家庭をつなげなければなりません。それが一つになって、世界王様の体を吸い取ってくるのです。 外的な土地とかみんなその王様の所有ですね。そうでしょう。金も王様のものです。全体を、王様の骨肉を吸い取って、国家的メシヤ圏が一つになるのです。一つになって、天宙的国家の父さんのところに帰っていって、天宙的な王権を中心として、王様と家族を中心として、同じ公式で一体になるのです。 一体になって、王権の母のところでみんな吸い取るのです。国家の土地とか、そういうような土地自体が第二の母です。吸い取って、それが一つになった場合には、王様の骨肉です。天の神様、実体の骨肉を吸い取って完成体になるのです。公式は同じです。 だから、そこへ行くまでには、自分の家庭もなければ、自分の国もない、そうなるのです。自分の国でとどまろうとした場合には、天に天宙国家王権をつなぐことはできません。 自分に、何も主張するものはありません。国民として全体の国の恵沢を受けて、それが保たれていくのです。だから、国が主張するものは何もありません。自分のものは、何も関係したものはないのです。家庭の上で国、国の上に世界、世界より天宙という関係で拡大をする基準、はしごがあって、そこで最後に、永遠の父母である神様の血肉を完全に吸い取って、それを実体化するのです。だから、それは一つにならなければならないのです。そういう一体化が、神の実体の愛の相対にふさわしい、愛せる子女に間違いないというのです。 神は自分の全体を相続することによって、そこで初めて神の権限を送って、神のものになるのです。だから、家庭を率いて、国の母を治めて、国の王様は国を引っ張って、世界の王様のものになるのです。世界の王権を引っ張って、天宙の王様の家庭と一体となるような道を立てていくまでは、自分という存在を主張したら落ちてしまうのです。自分はないのです。 だから、お父様を中心として血統を受け継いで、こういう落ちたものが、お父様の血統を何代か訪ねてきました。天宙から世界、世界から国家、国家から家庭まで来たのが、そのはしごを中心として、お父様を中心としての王権です。お父さんの橋を逆に戻っていかなければ、帰る道はありません。お母さんの橋はないのです。 天から種として来たものが、種を中心として、お父さんのはしごを戻っていくのです。王権です。お父さんの骨肉を受けないというと、直系の神の王権へ帰る道はありません。王様もお父さんです。世界の王様は、世界のお父さんです。天宙の神もお父様です。それは、お父さん、血統のはしごを降りてきたのだから、帰っていかなければならないのです。 帰る道は女を通して、女と共に子供を抱えて、お父さんによって上がるのです。だから、女は天に向かって、横転しながら呪うこともできなければ、地に向かって呪うこともできないのです。自分の使命を果たせない以上は、子供と一体となって、お父さんと一体となる、そういうことに感謝しながら奉仕することによって、父から喜びの伝授がされるのです。 そういうような立場に立ったのが母だから、母と子供は、お父さんの王権の柱を四段階越えなければ、神の王権に帰ることはできません。男を無視するものは、永遠の堕落に至るのです。 やっと真の父母権を相続する真の子女として子供をはらむような、本然の地に立った女としては、男を絶対としてつないでいかなければ、再び悲惨な歴史に残るのです。こういう公式的理想天国をつくる内容の道を知らなければ帰ることができないから、今先生が教えてあげるのです。 為に生きる公式基準はどこでも公式となる そこまで行くには、女として着飾ることは恥ずかしいことです。親は汚い着物を着て、自分は豊富な着物を喜んでいるなんて、こういう原則を知らないからそんなことが起こるのです。徹底してこのような公式理想の内容を通過しなければなりません。宿命を懸けた使命です。人生の功労を保つような生涯を残していかなければなりません。今から行かなければならない家庭構想の基盤です。 これを行った場合には、独裁者がいないのです。王様が自分自身を考えることはないのです。一千万の家庭で貧乏な家庭があった場合、自分が家があり財産があった場合は、親子と同じように使っていかなければ、国家の基準を治めることができません。国家、王はあらゆる家庭基準の家庭を治めることができなければ、世界中すべての国を治めることはできないのです。神様から世界を超えて、すべての世界権を治める道は永遠にありません。為に生きる公式基準は、どこでも公式になっているのです。 子供は親のために生まれてきます。母と子供は父のために生まれてきます。父と一つとなるために生まれてくるのです。だから、一つになるためには、父が主体だから、補給して、無限に投入して忘れるような立場に立たないと、真の母になり、父になりません。子供に投入して、それをはらんだ場合には、お母さんは喜びながら待つのです。父母と共に腹を捧げながら喜ぶでしょう。生まれた場合には、子と共に二重の愛を抱えて自分の骨肉を投入しながら喜ぶような、母、父にならなければなりません。 だから、独裁者、酒飲みの親父は、あるべきものがないのです。子供をだましておいて、自分は安楽の道を行くような、そういう親は天国にはいないのです。親に反発するような子供はいないのです。だから、従順に永遠に公式に従って、永遠の相続の目標に直行するような家庭は、神がどこでも守られ、受け入れられるのです。 生殖器を合わせる理想の家庭が横的に拡大していくのです。それがもっと大きくなったら王権の基準になるし、もっと大きくなったら世界基準につながるといった、道はどこでもつながるのです。どこでとどまりたいですか。日本の国でとどまりたい? 世界でとどまりたい? 天宙でとどまりたい? (「天宙です」)。 四代、四列の母の血統を受け、四列の父の血統を母と共に受けていかなければ、それ以上の世界に上がるはしごがなくなってしまいます。永遠解放の理想圏に到達するのは、永遠に難しくなります。千万人の列を重ねても、その道を開拓するために霊界へ行って、苦労、苦労することを思えば、地上は瞬間、瞬間です。 先生も華々しい青春時代から壮年、老年になっていくまで、修行してこういうことをやるのです。自分のためにプラスするような思いはしません。だから、日本のすべてを捨てても先生に引かれていきたいのです。先生を慕うような本心が、行く道をふさがないで開くのです。明日を待つなというのです。きょうで結末をつけなさい。きょう新しいものを加えていくところに、神様は離れないで守ってくれるのです。 先生も同じです。きみたちはプラスさせて生涯を終えて、もしも何の功労もなくして死んでいったとしても、その功績はなくなりません。自分の財産として、霊界で保管しておくのです。世の中で、涙を流しながら実際に功労をなして、その後孫によって、立派なものがなった場合には、立派なものを中心として、昔の親子関係、心情圏に比べ、素晴らしい恵沢を後孫に譲ってもらうことができます。親が後孫に残していくのが、親の行くべき道です。国に残していくのが、親の道であるのです。先生はそれを考えているのです。 金があった場合には、自分のために使うことはしません。だから、いつもお母さんに言うのです。「この献金というものは、毒薬よりも恐ろしい。手をつけるな! 祈祷をしながら精誠を込めて、悲惨な血を流すような苦しみの峠を越えて、献金をまとめた場合は、その心情を育んだ涙を汲みながら、母として引っ張り上げる同情の心をもって使うならばかなうのだが、それ以下だったら引っかかる。何十倍の蕩減をしなければならない」と。だから、霊的指導者の子供の血はよくないのです。 霊界の永遠の期間において、そこには食べ物とか自分の着る物とかをつくる工場がないのです。本工場、自動車工場、自転車工場、何工場もありません。自分の愛の感覚でもって、すべてが完成可能な世界です。愛する心情が平面的に一致した場合は、願うものがすぐ現れてくるのです。その相対から願われたら、相対の願いが、即時に発給する世界です。 こういうことを知った場合には、地上に生きていたくないのです。しかし、地上に蕩減復帰の公式があるから、先生もこういうことを続けてやるのです。 統一教会は、日本のメンバーも世界的に派遣して訓練させなければなりません。訓練させた舞台において、子供を生んだそのものを母として慕って、父として慕っていくような、それから、メシヤを慕っていくような、立派なものを生み出させる、こういうことをせざるを得ません。日本ばかりの考えは駄目です。 天国の家庭から、世界の家庭から、国家の家庭から、母の腹中まで入るのです。同じ公式です。胎中で母と一体になって、お父様のはしごをこういうふうにして上がっていくのです。母は横的な畑、種を受ける畑であって、伝統的な子供の伝統の内容を包容する何ものももっていません。女はこの時代によって、これを中心として回るだけ、引き継ぐだけであって、それ以外何もありません。お父様の骨肉を中心として、生命の種をつなぐのです。 だから、子供の主人は女ではありません。離婚しても女は、子供を管理する権限がないのです。だから、お父さんと絶対に一体にならなければ、共に上がる道は永遠にありません。共に一体になってすべての環境を通過することによって、垂直な強いはしごがつくられるのです。 だから、お父さんを尊重する家庭は、愛国家庭、愛国家庭は聖人の家庭、聖人の家庭は聖子の家庭、聖子の家庭は神の家庭につながるのです。同じ原則です。女性たちはこの鉄則を胸に秘めて、今から日本発展の伝統的原料と資料を残さなければなりません。これを教えておきます。今までこんなことを教えていません。 絶対信仰でお父様と一つになる 統一教会は神のめんつを立てなければいけないのです。十六万人の教育、献金を中心としていっぺんにやった場合、みんな救うのです。救ってあまりあるのです。責任を果たすのでなければ、結果を出すことはできません。放棄しなければなりません。 そうなった場合には、日本の国が引っかかってくるのです。摂理の目的に収まらないその国は消えていくのです。日本と共に国を治めなかったら、世界に行って国家メシヤとして、世界に押し出して復帰してこなければならないのです。蕩減復帰だからです。国家をまとめて、一国でやった場合は簡単なのに、世界に散らばって世界を治めてくるのは大変です。解放するのは大変です。 だから、十六万の一万六千人を先頭中心として、血と汗を流すことです。それは先進国家、第二次大戦の六か国につながったものを、韓国を中心として一つになった場合には、エバ、新婦世界が帰ってくることができるのです。新婦世界を延長させて流してしまったエバの国だから、それを世界によって新婦圏を復帰してこなければならないのです。新婦たちをみんな蕩減の祭物として、犠牲の立場でもって、その国から今の大統領と前大統領、カイン・アベル二つを治めて、これを一つにして、母を通して帰ってくるのです。原理の反対の法則を適用して、それを国家で、世界国家を拡大して蕩減していかなければならないのです。 再臨の主は、家庭の王様、国の王様、世界の王様、天宙の王様です。そういう条件を完成させたのですから、再臨主のしっぽを通じて家庭のお父さんのはしごも越えることができれば、国のはしごも越えることができるし、世界のはしごも越えることもできるし、天宙のはしごも越えることができるのです。 だから、神様の命令した絶対信仰の上で、創造した理想のすべてが完成されるのです。真のお父様が絶対信仰で、絶対愛、絶対服従の家庭を完成されて、アダム家庭の崩壊を越えた勝利圏をなし得たというのです。絶対信仰です。先生のしっぽを一度見た場合に、絶対的信仰でもって放しては駄目です。絶対愛の相対、いかなる命令をしたとしても、お父さんの立場で、娘に、子供に命令するのですから、殺すような命令はしません。各自の資格を満たすために命令するのであって、お父さんが求めるものがあるのではないのです。お父さんが投入しないといけないというのです。 その原則から見た場合は、原則に一致しないと真の親になりません。こういう伝統的な教育を、絶対的真の父母を、なぜ必要とするのでしょうか。このはしごを一代で越えることができるためです。これはアダム、一代で権限を相続する基盤をなくしたのだから、総合的な勝利の公式的基盤を完成させた真の父母によって、真の父母と絶対に一体になった場合には、その公式を凌駕するのは問題ありません。 その真の父母と同じように、自分の先祖に対して、同じ伝統的精神を後孫に残した場合には、はしごを上がっていった真の父母によって、自分も後孫も、間違いなく絶対一つになってついて上がることができるのです。高速道路はもうすでにつくられています。ここには独裁者がいません。搾取者がいません。そういう思いをする者はみんな脱落することになるということを知って、そういう立場に立たないように各自が注意すべきです。 そういうふうに間違いなく決意したという者は、手を挙げてみなさい。本当ですか。みんな決意した場合には、先生の教育はみんな終わりました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.18
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2023 聖誕大役事 広報映像 日本語HJ천주천보수련원 HJ天宙天寶修錬苑チャンネル登録者数 842人2023/01/18HJ天宙天寶修錬苑2023天地人真の父母様聖誕および天一国基元節10周年記念 孝情天寶特別大役事一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.18
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2023/01/17家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「摂理を担う者の苦悩と勝利 ~ヤコブ路程の正しい理解~」説教者:柴沼邦彦統一原理の重要な内容の一つが、「人間には責任分担がある」ことです。アダムとエバには、神様の「取って食べてはならない」というみ言を守ることによって、成長期間を完成して本然の人間になる道がありました。統一原理にはこのような責任分担思想があるのです。今日は、ヤコブの歩みを見ながら共に学んでいきたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.17
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(日語)新年天勝教会の祈り - キム・ソクジン大教区長20230115천원궁 천승교회チャンネル登録者数 1630一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.15
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証しアニメーション_秋季孝情天寶特別大役事の恩恵_(TC-087-日本語)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.14
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(日語)第2のレバレンド・ムーン - キム・ソクジン大教区長 20230108천원궁 천승교회チャンネル登録者数 1630一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.14
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[23.01.15] 天苑宮天苑教会 平和ヌリ23.01.15.09:20より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.13
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[家庭連合]2023年飛躍の年!なんでやねん?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.12
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真の父母様がいつも持参した宝物⭐️その宝物は一体何なのか❓
2023.01.11
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5.メシヤと真の父母日付:二〇〇四年一月二十七日場所:韓国、ソウル、新羅ホテル行事:「超宗教超国家平和協議会」創設記念および真の父母様御聖誕祝賀晩餐会世界各国からお越しの高名な指導者、尊敬する国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。この場は、きょうで八十四回目を迎えた私と、韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために設けられた晩餐会場です。しかし、私たち夫婦は、今晩自分たちがお祝いを受けるよりも、ここに席を共にしてくださった霊界の聖賢たちと霊界の祝福家庭、そして「世界平和のための頂上会議」に参加された皆様にこの晩餐をもてなしたいと思います。 偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ人類皆様は、ここ数日間、「世界的危機に対する地球村次元の統治」というテーマのもとで、多くの討論と会議をされたことと思います。皆様の汗と情熱が結集され、日増しに危機へと向かう今日の世界に、新しい希望と夢を植えつける契機になると思います。もう一度、このように私たち夫婦の故郷韓国に来られ、大望の天一国四年を共に開いてくださったことに対して、深甚なる感謝をお捧げします。今晩私は、八十有余年の生涯をかけて、天のみ旨のみを伝えて生きてきた伝統に従い、「メシヤと真の父母」という題目の天のメッセージを伝えることによって、挨拶の言葉に代えさせていただこうと思います。人間は本来、神様の子女として創造され、神様の子女として成長し、神様から祝福結婚を受けた家庭となり、子孫万代、罪のない善の血統の子孫たちを繁殖させなければならない運命をもって生まれました。人類の始祖アダムとエバは、神様を縦的真の父母として侍り、真の父母であられる神様を軸として横的実体の真の父母にならなければなりませんでした。その世界は、メシヤという言葉が存在する必要のない世界になっていたでしょう。その家庭は、創造本然の理想家庭になっていたのであり、その世界は、神様の創造理想が完成した地上天国になっていたでしょう。そのような世界で暮らして肉身の生を終えれば、人間は誰もが自動的に天上天国に入籍し、永遠無窮に自由と平和と幸福の世界で暮らすようになっていたのです。しかし、不幸にも、人間始祖の堕落によって、人類は、抜け出すことのできない絶望の奈落に落ちてしまったのです。霊的五官を通して神様と直接通じながら暮らし、肉的五官を通して万物を自由自在に主管し、それと同時に霊界と肉界を代表した真の主人、真の父母、真の王にならなければならなかったのです。しかし、彼らは、堕落によって霊的五官が完全に麻痺してしまい、目は開いていても見えない、そのような立場に転落してしまいました。肉的五官にのみ頼って生きなければならない片側だけの人間になってしまったのです。父母である神様を見ることも、その声を聞くことも、感じることもできなくなったので、どうして父母の愛を知ることができ、その事情を知ることができるでしょうか。 メシヤは真の愛、真の生命、真の血統の実体本来、神様が占有する真の父母の位置に、サタンが押し入ってきて、偽りの父母の振る舞いをしながら人類を徹底的に拘束し、奴隷にしてしまったのです。したがって、今日私たちがもっている愛、生命、血統はすべて、サタンがアダムとエバに蒔いた偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだものにならざるを得ないのです。このように直系の子女として生まれた人類が、サタンの偽りの血統を受け、僕の僕の位置に転落してしまったという事実を御覧になった神様の苦痛は、どれほど大きかったでしょうか。しかし、原理原則の神様は、御自身の立てられた創造原理と創造理想を自ら破ることはできないので、数千、数万年の復帰摂理を通して、救世主メシヤを待ち続けてこられたのです。宗教によって、それぞれ異なる名前で呼ばれていますが、その名前が弥勒仏であろうと真人であろうと救世主であろうと、人類が必要とし、神様が求めてきた方は、真の父母であられるメシヤお一人だったのです。そうだとすれば、メシヤは誰であり、どのような人でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙まで歩み、信仰と希望と愛の実体として立つことができる主人です。そのような方をメシヤとして侍ることができる時に、はじめて人類歴史上に残っている信仰が結実されるのであり、希望が結実されるのであり、愛も結実されるのです。その結実体には、人類歴史が息づいており、私たちの過去、現在、未来が連結されています。人間はもちろん、天とも連結されています。メシヤは、堕落によって父母を失い、天涯の孤児になってしまった人類のために来られた、実体の真の父母、真の主人、真の師、真の王になる方です。偽りの父母のもとで苦痛を受け、呻吟していた偽りの子女たちを、真の子女として取り戻して立てるために来られた真の愛、真の生命、真の血統の実体であられるのです。 ユダヤ人の不信によって真の父母になれなかったイエス様皆様。二千年前、天はイエス様をメシヤとしてこの地に送られました。父母を失った子女たちを再び抱き、天のみ前に復帰させるために来られた方が、正に真の父母であられるイエス様でした。アダムとエバは、堕落によって真の父母の位置を失ってしまい、真の夫婦にもなることができず、真の子女をもつことができなかったので、神様に三代圏の血統、すなわち孫と孫娘を抱かせてさしあげることができなかったのです。したがって、神様は、再び数千年間準備し、選民として立てたイスラエル民族を通して、救世主でありメシヤであるイエス様を送られたのです。歴史上、初めて一つの国の主権と国土と民を立て、その基盤の上に、全世界をサタンの偽りの血統から復帰させ、真の善の血統へと復帰するための闘いの総司令官として来られた方がイエス様だったのです。しかし、立てられたユダヤ教とイスラエル民族の不信によって、イエス様は、無念にも十字架によってその一生を終えてしまったのです。真の父母となって真の子女をもち、王の王として即位されなければならなかったメシヤが、神様の祝福を通じた真の夫婦の位置まで行けなかったことによって、真の父母になることができなかったことはもちろん、真の子女を繁殖することもできずに、十字架で亡くなってしまったのです。ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」は、正にメシヤが新婦を迎えて真の夫婦になる儀式を意味するのです。その当時、もしイスラエルとユダヤ教がイエス様を敬い侍っていたならば、神様が望まれた創造本然の世界、すなわち平和の天国は、その時に既にイエス様の血族を通してこの地上に成し遂げられていたのです。このように、二番目のアダムとして来られたイエス様の真の父母の摂理は、選ばれた人たちの不信によって途中で挫折し、人類は、再び再臨のメシヤを待たなければならなくなってしまったのです。 真の父母の使命を受けたレバレンドムーン皆様。しかし、天は、真の父母の愛によって、かわいそうな人類に再び恩寵を施してくださいました。二千年間のキリスト教の歴史を通して、イエス様を中心とする霊的復帰摂理を展開してきた基台の上に、再臨のメシヤの顕現を祝福されたのです。再臨されるメシヤは、真の父母の使命を完成しなければならないという途方もない重荷を背負って来られます。その方は、何よりも先にサタン圏に勝利し、その次には、霊界圏までも勝利しなければならない使命をもってこられました。肉身の五官では感知できないサタン界と霊界圏を相手に、生死をかけた闘いに勝利し、最後には、悪魔サタンを屈服させることはもちろん、霊界の数多くの道主と教主までも屈服させなければならないのです。かといって、強制してできるものではありません。神様の人格と真の愛を中心として、宗教と宇宙の根本を明らかにし、彼らを納得させ、自然屈伏させるのです。このような途方もない真の父母の使命を受けてこの世界に現れた人が、正にこの場に立っているレバレンド・ムーンです。「真の父母」という単語は、世の中のいかなる百科事典にもありません。レバレンド・ムーンが作り上げた言葉でもなく、世の中の誰かがつけてくれる名前でもありません。神様が私たち夫婦に下さった天命であり、祝福なのです。真の父母の位置は、救世主、メシヤ、再臨主の総体的な使命を負わなければならない、歴史上空前絶後の責任をもつ位置です。したがって、いまだに堕落圏に属している人類には、真の父母に侍り、天のみ旨を成就するにおいて必要ないくつかの条件があります。第一に、蕩減革命を完成しなければなりません。すべてのものを捨てて真の父母に侍り、従っていかなければならないという意味です。友を捨て、師を捨て、さらに自分の父母までも捨てて、真の父母に従わなければなりません。総生畜献納の基準を立てた時にこそ、天は再び私たちに祝福と恩寵を許してくださるのです。サタン世界とのすベての因縁と関係を、少しの人情ももたずに無慈悲に除去し、完全に零点に戻って天地開闢の新しい出発をしなさいという意味です。第二に、良心革命を完成しなければなりません。すなわち、この世の中のいかなる主権や理念を前にしても、一点一画も加減することなく、神様が賦与してくださった本心の指向性に従い、真の愛、真の生命、真の血統の伝統を守りなさいという意味です。天のみ前でも、万物の前でも、一点の恥ずかしさもない「正午定着」的な生を生きなければならないということです。私たちの生が、一心、一体、一念、一核の境地に到達し、純潔、純血、純愛の「性」を永遠不変の伝統として安着させ、一和統一時代を花咲かせるとき、初めて良心革命は完成するのです。第三に、心情革命を完成しなければなりません。神様が訪ねてこられて、すべてのことを共に相談し、共に暮らしたいと思われる真の愛の世界を完成しなければならないのです。言い換えれば、心情革命は真の愛革命です。「ために存在する」という万古不変の真の愛の実践を意味するのです。私たちが他のために生きることを考えてみてください。真の愛の根源であられる神様が、正に私たちの中にお住まいになり、私たちのために生きられるようになるのです。私たちにとって、これ以上の喜びと栄光がどこにあるでしょうか。心情革命が完成したところでは、家庭破綻、人種間の紛糾、国境紛争、そして宗教的摩擦のようなサタン世界の残滓は、見いだすことができなくなるのです。永遠の平和王国が建てられるというのです。 蕩減、良心、心情革命によって天のみ旨を成就しよう尊敬する貴賓の皆様。私たち夫婦は、平和世界をこの地上に創建しなければならないという天命を完遂するために、去る一九九六年、統一教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として新しい出発をしました。天のみ旨は、真の家庭を根本とする人類平和にあるのであって、ある特定の教会や宗教の定着にあるのではないからです。私たちは、過去数十年間、超宗教超国家的次元で多くの活動をしてきました。そのような土台の上に、二〇〇三年十月三日には、アメリカのニューヨークにおいて「平和国連」を創設し、世界平和の具現に向かって力強く飛躍し始めました。世界の至る所で、レバレンド・ムーンの宣布に従い、教会の十字架を外す運動が燎原の火のように広がっています。数千人の聖職者たちが、中東紛争の震源地エルサレムに雲霞のごとく集まり、超宗教超国家的次元の平和大行進を行っています。二〇〇三年十二月二十二日には、大勢のユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの聖職者が、手に手を取って平和を謳歌し、イエス様を王の王として推戴する戴冠式を執り行いました。二万人以上が結集するエルサレムの独立公園において起きた奇跡です。イエス様の恨が解かれる日であり、真の父母様の勝利が天上天下に宣布される日でした。皆様。私たち夫婦に賦与された真の父母の使命が天命だとすれば、今から私たちと手をつなぎ、この地球村に平和の天国を創建しなければならない皆様の使命もまた天命なのです。今や、天の時が訪れました。燃える希望を心の中に抱いてお帰りになり、皆様各自がメシヤとして、また真の父母として世界平和を具現する働き手となられることをお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.08
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[23.01.08] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2分ごろからHJグローバルニュース、そのあとに「23.01.08 平和ヌリ」と続きます。HJグローバルニュースでは1月3日、天宙・天寶・修練苑で天地人真の父母様をお迎えする中、新年をスタートする「天一国指導者・新年賀礼会」の様子をUPしていました。本説教は1:10:40からテーマ「天の父母様と共にいます」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.08
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宇宙の根本を探して1996年8月1日米国・ワシントンDC ワシントン・シェラトンホテルにおいて開催された「世界平和家庭連合」創設会議の閉会晩餐会において、講演された講演文の全文です。 尊敬するご来賓の皆様、そして紳士淑女の皆様! 冷戦の終息とともに、平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に地球全体に拡大しています。新しい世界的な現実を無視したり、直視することのできない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に押し流されてしまうことでしょう。 今、私たちは新しい世紀への入り口に立ち、伝統的な思考方式を再検討し、新しい機会と価値観を受け入れるために、果敢に進んでいくべき時であると信じます。そのような意味で、私はきょう、生涯をかけて主唱してきた「世界平和の実現と真の家庭の価値」についてお話をすることができますことを大変な光栄に存じます。 この世界には、男性と女性という二性が暮らしています。ところでこの両性は、互いにその立場を変えることはできません。皆様は、自らが願って男性、あるいは女性として生まれたのですか。それとも、願わないのにそのように生まれたのですか。私たちは、自分では考えもせず、願いもせず、そして原因はもちろん、結果や過程も知らないまま、そのように生まれたのです。 人間がいくら偉大な存在であるといっても、それが原因的な存在ではなく、結果的な存在であるということを否定することができません。したがって、第一原因である存在がなければならないのです。すると、その第一原因とはだれでしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、あるいはどのような名前で呼んでも構いませんが、その原因的な存在がなければならないのです。 今宵、ここには世界的に著名なかたがたが集まっておられます。皆様は「神様はどこにいるのか。見せてくれれば、私は信じよう!」とおっしゃるかもしれませんが、少なくとも、その原因的な存在がなければならないことを否定すべきではないということに、前もって注意を喚起するものです。 きょう、私は「宇宙の根本を探して」というテーマでお話ししいたします。私たちが、宇宙の根本を探し求めていけば神様に帰着しますが、そのおかたが、男性格と女性格の二つの性稟を所有しておられるということを理解しなければなりません。宇宙の出発の原因は、どのようになっているのでしょうか。神様に対しては、いまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象からなっています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しべと雌しべから、動物界は雄と雌から、そして人間は男性と女性から成っているということが分かります。 存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界であっても、より次元が高い陽性と陰性が、より次元の低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展しているということを知ることができます。なぜ、このような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界には、万物の霊長である人間を完成させるべき責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が、愛という概念のもとに互いに一体となって存在しています。同様に、植物界もすべて雄しべと雌しべとがあり、主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続しているのです。最近、医学会では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。 主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるためには、何を中心として一つになるのでしょうか、キスすることによってでしょうか。愛は、概念であると同時に実在です。それでは、その愛が定着することのできる実在とは何でしょうか。ここには、各界の指導者のかたがた、フォード元大統領、ブッシュ前大統領等、名士のかたがたが集っていらっしゃいますが、自信があれば答えてみてください。皆様がご存じでないことがあると言うことです。男性が男性になり、女性が女性になるようにしているものが何であるかということを知らなかったというのです。それがまさしく生殖器なのです。それが嫌いな人はいますか。好きであるとすれば、どれくらい好きですか。今までは、それが善くないものであると考えていたとしても、これからは好ましく思わなければなりません。 未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に好ましく思う世界になるなら、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談で言っているのではありません。神様が人間を創造なさる時、最も重要視して、精魂を込めてつくられた所はどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。それとも頭脳でしょうか。これらのものはすべて、死んでなくなってしまうのです。事実、そうなのではないでしょうか。 世界平和のための家庭連合の目的は何でしょうか。道徳と宗教等、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎することのできる人が暮らす世界があるとするなら、それはどのような世界になるでしょうか。男性と女性が生まれる時、彼らの生殖器の主人はだれなのでしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻の生殖器の主人は夫なのです。今日まで、人類は生殖器の主人が互いに取り替えられているということを知りませんでした。簡潔な真理です。これを否定することはできないというのです。千年、万年、歴史がいくら流れたとしても、この真理は変わりません。 すべての男性は、それが自分のものであると考え、またすべての女性も、それが自分たちの所有であると考えているために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違って考えているということです。人はすべて、愛は絶対的であり、永遠なるものであると言いながら、それを夢のようにかなわないものであるとばかり考えています。しかし、その永遠の愛の主人が取り替えられているということをはっきりと知るなら、世の中はこのような状態にはならなかったはずです。博士や学者は数多くいますが、このたった一つのことを考えついた人がいないというのです。 皆様は、このことを否定することができますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖たるおかた、さらには宇宙の根本であられる神様に尋ねたとしても、すべて同意するようになっているのです。これは鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎたとしても原理原則として残るがゆえに鉄則なのです。そしてこの鉄則ゆえに、神様のみ前に立ったときに正しい人と間違った人の判定を受けるようになるということは当然なことなのです。 そのように考えれば、旧約聖書に出てくるアダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたところに由来していることが分かるのです。アダムやエバは、自分たちの生殖器が自分たちの所有であると錯覚したのです。考えてみてください。神様が善悪を知る木の果を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出すでしょうか。神様は、そのようないいかげんな神様ではありません。アダムとエバは、根本的な問題において過ちを犯して、宇宙のどこからも公認を受けることができなくなったので、追放されてしまったのです。鉱物界や、植物界や動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管しているということを、アダムとエバは分からなかったというのです。 それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。それは、愛のためです。愛を探し求めていくために、そのように雌雄として生まれたということです。神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一、永遠不変であられるおかたです。そうであるならば、愛の主人はだれでしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのおかたが、正に神様であられます。愛と中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。神様が必要とする愛とは、果たしてどのような愛でしょうか。それは、絶対的愛を願われるのです。皆様はどうですか。私たちも同じです。神様が絶対的愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とされるように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠なる愛を必要とするのです。皆、神様に似るべきなのです。 神様ご自身が、男性格と女性格、陽性と陰性を持っておられるかたなので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように結婚を通して、縦的な神様の愛が横的に完全統一されるように追求したものが、神様のみ旨であったのです。 人間の体は、この地を代表した横的なものです。それがすなわち、肉身です。それとは反対に、良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを探し求めるのです。したがって人間は、神様の縦的な基準と一つになることのできる点を探し求めていくべきです。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会うべきなのです。そうして、この中心点から生まれた人間は、愛とともに幼児期の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。このとき、肉身を地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟して、最後に体と心が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのような場所であるからこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜ばれ、その愛の対象対である夫婦も幸福になるのです。 このように、上下の関係である父子の関係、東西の関係である夫婦関係、前後の関係である兄弟姉妹関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形を造るようになります。このようなことから、東洋では父子の関係のことを「一つの体」と言います。さらには夫婦関係も一体であり、兄弟姉妹も一体であると考えています。何を中心として、これらすべての関係が四方に球形を造るとき、これらすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形を造るべきなのです。その点は一つです!一つであるので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係にあるので、一つにならなければならないのです。それは真の愛を中心としてです。 尊敬する指導者の皆様! 人間の欲望とは、どれほど高いものを願うことでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも高くなることさえ願うのです。いくらだめな人間であったとしても、神様よりも優れた世界の代表者になろうという欲望は持つことができるのです。もし、皆様が神様の愛する息子であるのなら、「お父様、お越しください!」と言うとき、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくらだめな妻であるとしても、本当に愛しているなら、妻が呼ぶとき、夫はついていくのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたがらなくなるのです。 神様も独りでおられた場合、寂しいでしょうか、寂しくないでしょうか。どうして分かりますか。紳士淑女の皆様、愛を持っていますか。生命を持っていますか。皆様の血統をつなぐことのできる精子と卵子、皆持っていますね? 良心も持っていますか。それならば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たことがありますか。触ってみたことがありますか。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないということを知らなければなりません。ただ、心で感じることによってのみ知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるのか、いないのかというとき、または神様を見たのか、見なかったのかと問うとき、見なかったとは言うことはできないのです。 何が重要なのでしょうか。見えるものですか、見えないものですか。見えないものが、より貴いということを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。皆、持っているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。それは、一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを保っていれば、感じることができないのです。 皆様は、自分の目が瞬きするのを感じながら暮らしていますか。三時間も数え続けてみてください。また、息をするのを数えながら暮らしていますか。右手を左側の胸の上に当ててみてください。どのような音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。皆様は、その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみると、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは1週間、一か月……。忙しいときは、何か月間もそれを感じないで暮らしているのです。考えてみてください! 小さな蠅が一匹頭の上にとまっただけでもすぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音を聞いても、なぜ感じることができないのかというのです。それは、一つになっているからなのです。 格式あるこの檀上から、このような話をすれば失礼だと思われるかもしれませんが、実感のわく話なので、一つの例を挙げてみましょう。皆様も毎日、朝起きてトイレに行かれることでしょう。大便をするとき、マスクをして用を足されますか。笑いごとではなく、まじめな話です! もし、ほかの人がそばで用を足して、そのようなにおいを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずですが、なぜ自分の大便のにおいは、そのまま嗅いで、平気で座っていられるのでしょうか。それは、自分の体と一つになっているので、自分の大便は汚く感じないのです。 皆様、幼いとき、鼻くそをほじくってなめてみたことがありますか。その味は甘かったですか、しょっぱかったですか。しょっぱいですって? その味を知っているところを見ると、皆、経験者ですね! なぜ、その鼻くそを汚く感じなかったのでしょうか。それは、それが正に私たちの体の一部分だったからなのです。世の中のだれも分からなかったことをレバレンド・ムーンが初めて発見したのです。皆様、咳をして痰が出れば、ごくっと飲み込んだりもするでしょう? ここに列席なさった大統領の皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。取り澄ましていないで率直に答えてみてください。なぜ、汚く感じないのでしょうか。それは、皆、一つになっているからなのです。 私たちは皆、朝、昼、晩と、毎日三食ずつ食べていますが、実は、私たちの口から三〇センチほど下りれば、そこには肥料工場があるのです。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。ワァー! そのことを知ったあとでも、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、そのことを感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられないのでしょうか。それは、一つになっているからです。愛、生命、血統、良心があっても、一つになっていて完全にバランスがとれていれば、感じることはできないのです。 私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、すべて持っておられるのですが、独りではそれを感じることはできないのです。完全にバランスがとれているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここに見いだすことができるのです。男性でも女性でも、独りのときは愛を感じることはできませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れるときには、相対的に刺激的な愛と血統が雷と稲妻のように衝撃をもたらして問題を引き起こすということを知らなければなりません。ですから、しっかりと気をつけなければなりません。このような真理を知らずに生きてきたのです。神様も絶対的に愛の相対が必要であるという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。 それならば、神様の愛の相対とはだれなのでしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるとするならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるのでしょうか。そんな夢のような話は、到底聞くに堪えません。アメーバから始まった生命体が人間に至るまでには、数千段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。すべての動物においても皆、同様です。種の区別は厳格です。だれも占領することはできないのです。 唯物論を信奉する共産主義者たちが、猿が先祖であると信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が生まれてくると思いますか。百年、千年続けたとしても徒労に終わります。なぜ、できないのでしょうか。これは、考えてみるべき問題です。 それならば、神様も何を必要とされるのでしょうか。何かの器官をさらに必要とされるのでしょうか。それは、目でしょうか、手でしょうか。必要とされるのは、私たちが考える五官ではありません。神様は、男性格と女性格という二つの性稟を共に所有しておられますが、父として存在されるためには、男性各主体として存在されるかたなのです。 このような基準から見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界のだれが、果たして神様の愛のパートナーになるのでしょうか。男性独りででしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います! 神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになる、その位置を中心として顕現され、人間と出会われるのです。 その位置が、どうして神様を中心として一つになる位置なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が、正にその位置であるからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性格である陽性と女性の性格である陰性が合わさって、大きく陽性的立場で、大きな陰性と合わさって一つになるのです。それが、いつそのようになるかということが問題なのです。 結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。それは、結婚は、愛を探し求めていく道であるからです。愛する道、生命を創造する道であり、男性と女性の生命が一体となる道であり、男性と女性の血統が混ざる所なのです。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人もなく、国もなく、理想世界もありません。このことが公式になっているのです。男性と女性は、絶対的に一つにならなければならず、父母と子供たちは、絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きた後に死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国なのです。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような人類が理想とする人がいないので、神様が理想とされる天国は、空いているのです。今まで亡くなった人類はすべて、地獄に落ちているのです。天国に入れなかったということです。 このような観点から見るとき、イエス様も人類を救うための救世主として来られたのですが、昇天された後、天国には行けず、楽園に行っておられるということを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨されることを願われたのです。イエス様も、結婚して家庭を築き、その家庭とともに神様に侍って暮らしてから、共に天国に入ることができるのであって、独りでは天国に入ることができないのです。ですから、聖書にも「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなた方が地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ一八:18)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければならないのです。 今日、人類は堕落した後孫となって、堕落圏下に陥っているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入ることはできないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を打ち破らなければならないのです。それゆえに、イエス様も「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」(参照マタイ一〇:39)ということを言われたのです。この死の道を行くためには、全生命をかけて、突破して上がらなければならないのです。 皆様の家庭は、堕落圏内の家庭なのです。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されたのです。アダムとエバは、赤ん坊を生んだ後に追い出されたのでしょうか、追い出された後に赤ん坊を生んだのでしょうか。彼らは、追い出された後に、神様とは関係のない立場で子供を生んだのです。このようなことも知らずに、天国に行くことができるのでしょうか。とんでもないことです! 無知には理想はなく、完成もありません。目を覚ましてください! 私はこのように警告いたします。 レバレンド・ムーンの話が正しいのか、間違っているのか祈祷してみてください。私がこの道を探し求めるために、どれほどの受難の道を歩んできたか、だれも知りません。罪なく監獄に六度も入るほどの苦難に遭い、探し求めてきた道です。ところが、他人の大切な子供たちを連れていって、このような真理を教え、短時間で方向転換させるので、皆、洗脳したというのです。無神論者には、神の存在を詳しく、科学的に理論的な基盤をもって証明してあげるので、無神論は崩れていくのです。それとは反対に、キリスト教徒たちは、自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを打ち据えようと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端が正当なのです!反対になるということを知らなければなりません。 サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌われるものはサタン側であるということを知らなければなりません。全世界的にレバレンド・ムーンのことを好きな人が一人でもいましたか。皆様も、レバレンド・ムーンがどのようなことをしているか調べてみたのでここにいらっしゃったのであって、知らないまま、ただ来られたのですか。ワシントン・ポストもレバレンド・ムーンのことが分からないから反対するのであって、皆様のように知れば、それでも反対するでしょうか。反対することはできないのです。ワシントン・ポストが本当のことを知れば、ワシントン・タイムズよりもさらによく待遇することでしょう。 思想的空白期におかれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド・ムーンの思想を中心として出版された中学校、高等学校、大学校の教材を通して、そして、ひいては刑務所の囚人までも、その教材を通して思想武装をしているのです。ロシアの三千六百か所の学校で、レバレンド・ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは叫んでいます。「私たちはアメリカに先立たなければならない! レバレンド・ムーンに反対するアメリカに先立たなければならない!」と。西洋の腐敗した退廃風潮であるホモセクシャル、フリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド・ムーンの思想だけであると彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカよりも先にレバレンド・ムーンに従っていこうと叫んでいるのです。 皆様! 神様のことが好きですか。レバレンド・ムーンがこのようなことがらを展開しているのを見つめられる神様は喜ばれるでしょうか。教皇庁の教えと今回の大会に参席されたロバート・シューラート牧師の教えが同じであることがありえますか。もちろん、大きく違います。そうであるとすれば、だれの教えが正しいのか神様に尋ねてください。イエス様と聖母マリヤに対する皆様の理解が間違ったもとであると、いくら教えてさしあげたところで、それ自体が統一教会にとって利益になるということが何かあるのでしょうか。しかし、皆様が必ずや知るべき一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド・ムーンは、生涯をかけてこの道を歩んできたのです。 皆様、イエス様は結婚をしなければならないのでしょうか。結婚しなければならなかったのです。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいるとするなら、イエス様も彼女と結婚をしたくないでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器をもつことを共に許されたのですが、何のためにそうされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様は彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないのでしょうか。問題は、彼らの堕落にあります。堕落ゆえに血統が代わったのです。それゆえに神様は、彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となって、神様にとっての婦人格にあるべきアダムとエバが堕落することによって、神様ご自身の体と理想を病に至らせ、恩讐になってしまったのですから、それをごらんになっていた神様の心情は、いかばかりのものであったでしょうか。堕落とは、自らを埋葬する墓です。他人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になったのです。 今日のアメリカは、どのような国ですか。極度の個人主義、過分なる私生活の追求、フリーセックス……このようなものを神様が好まれるでしょうか。過度の個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの話のとおりであるならば、天も地も、世界、国家、社会、家庭、ひいてはおじいさん、おばあさんまでも皆、放り出してしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジプシーやヒッピーになって気の向くままにさまようというのです。そして、雨や雪が降れば、行くところがないので、自殺して一生を終えようという話ではないですか。 しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分なる私生活の保証を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいというのが、私たちの本心が願うところです。しかし、そうではあり得ない反対の道を行くうちに、良心に火がつき、本心との相克を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するほうがましであると判断し、自ら命を絶つという現象がだんだん増えていくのです。こうして、「自分のまいたものを刈り取る」(ガラテヤ六:7)という真理が的中するのを目撃するわけです。 アダムとエバがエデンの園にどんな種をまいたのでしょうか。フリーセックスの種をまいたのです。それを否定することができますか。そうであったので、彼らは下半身を覆ったのです。小さな子供たちも、親が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして見つかれば、それを包み隠そうとするのが本性の作用ではないでしょうか。もし、善悪の果を取って食べたならば、その取って食べた手や口を覆うべきはずであるのに、どうして下半身を覆ったのかということです。 レバレンド・ムーンは賢明な人間です。皆様に及ばない人間であるからこのようなことを言っているのではありません。堕落は淫乱によって引き起こされたということを否定することはできません。アダムとエバが堕落して落ちたものを救ってあげるためには、堕落した方向と百八十度反対方向の経路を通さなければ、救ってあげることはできないということは、至極、理論的なことです。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来られなければならないのです。 メシヤは、堕落前の神様が創造されたエデンの園という場所で家庭を築くことのできる主人としてこられるかたです。そのことをはっきりと知らなければなりません! 理論的に合わなければならないのです。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題なのです。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければならなかったのです。この死亡の世界で、だれが自分を救ってくれるのかということが問題です。それゆえに反対を受けたのです。 旧約時代は、「目には目、歯には歯」(出エ二一:24)という原則の下に蕩減してきました。イサクの妻であったリベカを見てください。長子であるエサウと夫までもだまし、次子であるヤコブに祝福を奪って与えた女性ではありませんか。そのような女性を、神様はなぜ愛されたのでしょうか。そのような神様のことを、どうして信じることができるというのでしょうか。今まで、これらの諸問題についてだれも理解することができませんでした。レバレンド・ムーンが初めて解いてさしあげているのです。レバレンド・ムーンだけが、神様の秘密を皆、知っているからです。 それでは、どこから天国と地獄が分かれるのか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。それは、まさしく皆様の生殖器なのです! 深刻なことです。これが天地をひっくり返したのです。このことをだれが否定することができますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本、「堕落論」に説明がなされています。疑問に思うのであれば、神様に尋ねてみてください。皆様としては、夢にも想像することのできない内容と理論をもって体系だてられた、レバレンド・ムーンの原理の本に、だれも反対することはできません。 レバレンド・ムーンが天国に行くのか、そうでないのか気になるのであれば、死んでみればいいのです。死んで霊界に行ってみれば、分かることです。今晩、私の話を聞いて気分を悪くされたのならば、割腹をしてでも霊界に行ってみてください。そうすれば分かることではないでしょうか。レバレンド・ムーンがこの道を探し出すために、死の道を何度も越えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人が、レバレンド・ムーンです。有史以来、ほかのだれも、レバレンド・ムーンほど神様を愛した人はいません。ですから、いくらこの世界がレバレンド・ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド・ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共にあられて保護してくださいます。 生殖器を、目の不自由な盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば、天国に高い所に行くのです。これは明白な結論です。 現在、青少年の問題が深刻です。エデンの園において、アダムとエバが青少年期に物陰で、淫乱によって堕落してフリーセックスの種をまいたので、刈り入れの時期である終わりの日には必ず、世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引き上げ、救われるという戦略を、サタンは知っています。ですから、サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときにそうしたように、全人類をフリーセックスに押しやって、裸になって皆、死んでいく方向に全世界を引っ張っていくのです。人類がすべて、天使長の後裔としての末路をたどるようになるのです。 エデンの園においてサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの後孫が今日の人類なので、サタンは堂々と神様の前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたい放題になし得る権限を主張するというのです。神様は、サタンが何を願うかをご存じなのです。サタンは、フリーセックスを通して、ただの一人も神様の前に帰ることができないように、言い換えれば、全人類を完全にめちゃくちゃにして、地上地獄をつくろうとするのです。 今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄になりつつある世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄となったこの世界と百八十度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来られて、この世界を救ってくださることにおいても、正にこのような百八十度反対の道を教えてくださって、天国に導いてくださるのです。 それでは、フリーセックスの道と百八十度異なった正反対の道とは、どのような道なのでしょうか。偽りの父母が現れてつくった道がフリーセックスの道であるので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は、干渉なさることができません。この地上にいかなる主権や軍事力、経済力、政治力をもってしても、手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことであるので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道がないのです。 罪を犯した者が、その罪を蕩減しなければならないのです。家庭において結婚を間違ってしまって、血統が百八十度曲がってしまったために、真の父母が来られて結婚させ、百八十度反対の原状に戻してくださることによって、天国に行く道を開いてくださるようになるのです。 神様がアダムとエバに期待されたことは、何であったのでしょうか。それは、絶対純潔の愛を期待されたのです。この場にお集まりの世界の指導者の皆様が、このような内容を知って帰られて、皆様がたの国で絶対純潔の愛を取り戻す運動を展開されれば、皆様の家庭と国は、そのまま天国に直行することができるということを、理解してくださるようお願いいたします。絶対純潔の愛が存在する所には、絶対相対が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レスビアンという言葉は消えるようになるのです。 このような運動を世界的に広げるために、レバレンド・ムーンは一生をささげて受難の道を克服してきました。しかし今や、勝利のファンファーレを鳴り響かせ、世界に号令することのできる時が来たので、天のみ前に感謝するものです。 世界平和に向かい得る礎石を築くのも家庭であり、世界平和への道を破壊し得るのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊された所が、アダム家庭でした。したがって、きょう、このように世界平和家庭連合を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と百八十度異なる方向に行くことのできる道を開くようになったことを、天の前に感謝せざるを得ません。この道でなくしては、自由も幸福も理想もありません! 皆様は今、絶対、唯一、不変、永遠の生殖器を中心として、これを基盤にして神様を求めていかれるようお願いいたします。この基盤が愛の基盤、生命の基盤、血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、正にここから地上天国と天上天国が生じるということを理解されるべきです。 すべての男女が、自分に所属した生殖器が、実は、自分のものではなく、その主人は自分の相対であるということを認定するようになれば、私たちは皆、頭を下げ、謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになることでしょう。愛は、相対なしには来ないのです。相対から来るということを知らなければなりません。ですから、ために生きない所には、愛があり得ないのです。絶対的にために生きる所において、絶対愛を見いだすことができるということを肝に銘じられ、皆様も今からお帰りになれば、サタン世界との一戦を覚悟してくださるようにお願いいたします。 どこに行かれても、テレビやその他の言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅ぶことはありません。地獄と化したこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるというのでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ、そのことは不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は、神様であられます。 今、私たちは皆、共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛舞台になりましょう。今から家に帰られたら、夫と妻で共に、自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠なる器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、相手のものであり、相手が今までしっかりと保管してきたものが自分のものであると宣言し、お互いのために永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと、誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様が住まわれるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が成されるのです。 そうして、皆様すべてが、共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭となられますようにお願いいたします。 ありがとうございました。アーメン!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.06
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第六回「七・一節」敬礼式後の御言1996年7月1日アルゼンチン・コリエンテス敬礼式の後、お父様は韓国語で御言を語られました。 血統を救う《一九九一年七月一日のお父様の祈祷を朗読する》(前の部分三十秒ほど聞こえず) そのような蕩減条件を立てて越えていかなければならないのです。九二年に入って、四月十日、女性連合を中心として女性時代を宣布することにより、父と母がエデンにおいて神様を中心として一つになった立場に立つのです。 お母様を立てて蕩減復帰し、再臨のメシヤが来て、お母さんと息子・娘が吸収され、回って天に侍り、世界的にサタン世界を越えていかなければならないのです。そうすることによって、一九九二年を中心として祝福を世界的になすのです。 それで、三万双を中心として世界史的蘇生時代、三十六万双は世界史的長成時代、三百六十万双は世界史的完成時代へと移行するのです。家庭世界化時代へと移行するのです。このすべてのことをこのようにすることによって、血統が転換されるのです。サタン世界の血統を清算し、サタンが血統ゆえに行使したものを取り消すことができるのです。 神の国をこの地上に成して、サタンと神様の前に宣布して、サタンが後退せざるを得ない時代が来ることによって、このようなことが可能だというのです。 ですから、ここで世界化祝福世代を迎え、血統を続けていくのです。伝統を立てるのです。真の愛を中心として、真なる家庭を中心として、真の父母と真の愛と神の血統と連結させなければなりません。これは永遠のものです。血統を、どのように永遠に救うのかというのです。 それで、きょう「神様祝福永遠宣布式」を執り行う内容が何かといえば、血統を救うということなのです。血統をどのようにして分けるかというのです。 世界家庭時代へと移行するので、三万双を祝福したのです。三万双は一つの兄弟です。アダム家庭の息子・娘と同じです。世界環境ですが、アダム家庭で堕落したものを家庭基準ですべて集約させて、天へと移行するのです。アダム家庭が平面的に、一から氏族、民族、国家、世界まで繁殖して五十三億になったのと同じ立場に立った家庭として扱うのです。それゆえ、このすべての人類は神様を中心として、真の父母を中心として、血統が連結されるのです。 それゆえ、三万双は蘇生基準、三十六万双は長成基準、三百六十万双は完成基準です。それをすれば、サタン世界は復帰されてくるのです。それゆえ、皆さんを中心として見れば、自分の家庭を中心とした家庭は一つではなく、アダム家庭から五十三億人類家庭の代表なのです。分かりますか。 皆さんが祝福を受けたということは、血統を転換したということなのです。その血統転換は、自分の家庭の血統だけではないのです。五十三億人類を代表して血統転換をしたのです。それゆえ、この家庭を主体として、三万双、三十六万双、今から三百六十万双をするのです。 それゆえ、全世界が祝福家庭を中心としてすべて行くようになるのです。家庭を中心として三百六十万双をもてば、三百六十万世界家庭がぶら下がっているということなのです。このような中心的家庭、代表的家庭になるのです。 それゆえ、盟誓文二番を中心として、「神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭になり、中心的家庭になり……」、天宙の代表的家庭なのです。過去の時代、霊界に行っている人、現在いる人、未来にいる人の代表的家庭なのです。それは何でしょうか。アダム家庭になるのです。天宙の代表的家庭になり、そのアダム家庭が、また、中心家庭なのです。 皆さんの一つの家庭が、皆さんの家庭だけではないというのです。それ自体が、アダム家庭の中心位置を占めなければならない家庭として、天宙の代表的家庭であり、中心的家庭なのです。ここからすべての長子権、父母権、王権が連結されるのです。家庭的長子権、家庭的父母権、家庭的王権。また、国家的長子権、国家的父母権、国家的王権。世界的長子権、世界的父母権、世界的王権。 今は、世界的長子権時代を越える時です。逆さまになったこのすべての世界を、引っ繰り返しておけばいいのです。 それゆえ、世界的代表長子権なのです。ここには、カイン・アベルがないというのです。世界的基準になる時までは、カイン・アベルが争うのです。分かりますか、何の話か。(「はい」)。世界基準まではカイン・アベルがあって、争うのです。このカイン・アベルの争いが世界版図になったのが、神様がいないという共産圏、神様がいるという民主圏なのです。 これを逆に上がれば、イエス時代の右側の強盗と左側の強盗が出てくるのです。左翼という言葉は、一つは神様に反対する側であり、右翼という言葉は神様の側です。左側の強盗は神様を否定し、右側の強盗は神様を認めたのです。 これは、父母が誤ったために生まれたのです。アダム家庭の父母が堕落することによって生まれました。アベルは右側であり、カインは左側です。 左翼、右翼は、父母がいないので生まれたのです。ですから、これを引っ繰り返して打ち込んでしまわなければなりません。長子権、カインがアベルに仕えなければならず、アベルがお兄さんの立場に行かなければならないのです。これは原理にないのです。 サタンがお兄さんとして先に帰るのではなく、次子を通して帰るのです。個人的にとか、家庭的にとか、世界において、共産世界まで同じです。民主主義は兄弟主義です。これが一つになることにより、天の真の愛を中心として、父子の関係が始まることによって、偽りのサタン世界の父子関係は清算されるのです。サタンはこれを知っているのです。 そのようになることによって、世界が帰っていくのです。このようになり得る環境をつくって、「七・一節」を宣布するのです。 国家的責任を果たせなかった 皆さん、統一教会の祝福家庭は、この「七・一節」を中心として、国家がすべて回るようにしなければなりません。 統班撃破というものを宣布しました。知っているでしょう。統班撃破を完全にしたならば、南北と連結させるのです。そうしたならば、与党、野党を糾合し、先生を中心として完全に天の側へと引っ繰り返して打ち込むのです。それができなかったので、それを再び収拾するために……。今が六年目です。五年目を中心として、五年、六年、七年、この三年路程を中心としてするのです。先輩家庭が国家的責任を果たせなかったので、蕩減するのです。 先生は世界的統一のために動くのですが、統一家の祝福家庭を息子として生んでおいたにもかかわらず、それをなせなかったのです。 神様を中心として見るとき、父母の前に子女であるアダム・エバを失ってしまったのと同じように、真の父母の前に祝福を受けた家庭が子女の立場なのですが、彼らが国の中心にならなければならないのにそれをなせなかったので、世界版図で再度、世界の家庭をすべて先生にもってきてくっ付けなければならないのです。 氏族的メシヤを中心として国家的メシヤの責任を果たしていなければならないはずなのに、それをなせなかったので、世界舞台に出ていき家庭を中心として逆さまに、先生に再びもってきて接ぎ木しなければならないのです。 それゆえ、百八十四か国、国連に加盟したその国家に、アダム国家、エバ国家、カイン・アベル国家、天使長国家が一つになって、七か国が家庭別に出ていき、世界のカイン的家庭を消化しなければならないのです。 では、国家的メシヤの立場に行くことによって、その国に何があるのでしょうか。カイン・アベルがあるのです。前職大統領、今の大統領が、カイン・アベルです。これを結ばなければなりません。サタン的国家代表の前にアベルを中心として、一つにならなければならないのです。 このカイン・アベルを結ぶことによって長子権を復帰して、祝福家庭が出ていき、長子家庭圏を中心として世界全体でサタンを整備して、まっすぐ回るにせよ、反対に回るにせよ、そこに反対がない自由解放圏を整えることのできる時代を経なければならないのです。 これを北側(北米)でなせなかったので、南側(南米)でこれを整備して、すでにウルグアイにおいて新救国連合を創設したのです。 この時代に純潔なアダム家庭を取り戻す 今年の標語は「真のご父母様を誇り愛そう」です。先生が今までしたこと、父母様が今までしたことを、世の中の誰も知りませんでした。そしてまた、知ったとしても駄目です。それで、自分の思うとおりにすべて反対したのです。赤ん坊も、おなかの中にいる赤ん坊たちまでも反対したのです。全体がご父母様を打ちました。罪がなく、打つことのできる内容のないものを打ったので、蕩減条件においてサタンが離れていくのです。それをしっかりとつかむのです。今年に入り、一つの峠を越える転換の期間です。 結論は何かといえば、血統を保護しようというのです。血統を保護することによって、先祖を保護するのです。血統を保護することによって父母を保護し、血統を保護することによって夫婦を保護するのです。 血統を保護することによって、先祖、おじいさん、おばあさんの前に、父母の前に、自分たち夫婦の前に、恥ずかしくない解放された息子・娘、天国に直行することのできる息子・娘になるというのです。 天国に行こうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。天国に行こうとすれば、夫婦の関門を経て、自分の父母のおばあさん・おじいさんまでの四大圏、その圏まで反対に上がっていくことができなければならないのです。それゆえ、純血を守らなければならないのです。血統を相続し、天の前に帰るのです。 それゆえ、宗教を信じずとも、天国へ直行できる息子・娘を生まなければならないのが、祝福家庭だということを知らなければなりません。家庭が重要なのです。分かりますか。そのような意義があるのです。大変なことなのです。 皆さんの家庭で世界が回るのです。天地が皆さんの家庭で一つになり、世界の東西文化の格差、南北の貧富の格差が皆さんの家庭で一つになって、天地を連結し、歴史を連結し、解放を連結し、統一を連結し、その中に自由と幸福と平和と理想があるのです。 地上の天国が、その家庭から始まるのです。それゆえ、血統、純潔を守らなければなりません。それで、私たちは純潔運動をしなければならないのです。真の家庭運動です。 これが、アダム家庭で失われてしまったものを、世界的に拡大したすべてのものを整備するのです。サタン世界は、まさにフリーセックスです。血統がどれほど汚れているでしょうか。この中で純潔を守らなければなりません。そこで真なる家庭、数多くの偽りの家庭の中で、真なる家庭、中心家庭にならなければなりません。数多くの愛の中で、真の愛を守らなくてはならないのです。 これが、アダム・エバ家庭で失われてしまったものを取り戻すことになるのです。この時代に、純潔なアダム家庭を取り戻すのです。 この峠を越えなければなりません。絶対信仰です。絶対信仰がなければなりません。異議はあり得ないのです。そこには、自分自体のコンセプトは存在することができないのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。それゆえ、天国は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従したこの塀を越えていくのです。それを越えなくては、天に入ることはできないのです。 神様への服従とはどういうものかといえば、自分のコンセプトがないのです。自分の愛も、生命も、この身体も、自分のもっている物も、全体所有物も、自分のものがないのです。絶対無の立場に入るのです。絶対服従です。従順ではありません。従順とは相対的概念をもって従うということなのですが、これは相対的概念がないのです。一つ(服従)は完全無、一つ(従順)は完全有です。 自分の心・体をきれいにして、家庭の基台をつくるのです。それはすべて、一つの愛の根にぶら下がっているのです。夫婦の愛にぶら下がっているので、彼らが行くところには自分の物もぶら下がり、神様の愛の本然のもののような立場に立つので、地上天国が出発できるというのです。 それゆえ、その家庭の血統を守りなさいというのです。そうしてこそ、神様の祝福が、永遠に共にあり得るのです。 血統を汚してはいけない 皆さんが今から、真のご父母様から祝福を受けて、清めた血統を再び汚せば、これは第二 の堕落です。ご父母様の体を犯すことなのです。完成したご父母様の体を犯す人は、天国に行くことはできません。今、統一教会で祝福を受け、堕落した人はすべて同じです。 この祝福は、教会祝福、国家祝福、世界祝福があるのです。家庭祝福時代、国家的祝福時代は、ご父母様が責任をもって赦すことができますが、歴史時代に蕩減しなければならない条件が残っているというのです。それは、国家時代を越えて、世界時代を越えていく時までです。民族的に見れば、荒野に出て、再び入ってこなければなりません。罪を犯せば、必ずサタン世界を抜け出て、探して入ってくるのです。 そのような問題がぶら下がっているので、それを皆さんが果たすことができなければ、皆さんの息子・娘にかかるようになるのです。 今後、再び堕落して血統を汚した者は、神様も見るのを嫌がり、真の父母と一族が見たくなくなるようになっているのです。罪の中に、それほどの罪がないというのです。それゆえ、神様祝福、何ですか? (「永遠宣布式」)。永遠宣布という言葉は歴史的なものです。 それで、純潔、真の家庭、これが一つになればすべて終わるというのです。そしてきょう、これが大転換の時期なのですが、統一教会で最も重要な日です。それが再び延長されて復帰されるのが、二〇〇〇年代までです。(録音状態不良により一部整理できず) この純潔な血統を中心として、「神様祝福永遠宣布式」をするのです。それゆえ、皆さんは祝福を受けた純潔な血統を続けていかなければなりません。再堕落してはいけません。再堕落すれば、ご父母様の体を犯すことになるのです。 それゆえ、過去には、堕落したとしても、長成期完成級だったのです。しかし、完成時代に堕落すれば、今後、子孫たちがきれいに清算するのです。堕落はとんでもないことです。分かりますか。(「はい」)。 神様祝福? (「永遠宣布式」)。それが何だといいましたか。(「血統です。」)。血統。 血統を汚してはなりません。真の父母の真の愛を中心として、天国が連結されるのです。それを宣言して、間違いなく私から、私たちの家庭を中心として、私たちの国と世界に拡大しようというのが、きょう「七・一節」の記念の日なのです。分かりますか。(「はい」)。これを知らなければなりません。 国家的メシヤとして派遣 きょう読んだ祈祷は、先生の御言でしょう。(「はい」)。皆さんはすべて忘れてしまいましたが、六年前から収拾するためにそのことをしてきたのです。それが南米摂理です。もはや、条件的にすべて成しました。 それゆえ、きょうを中心として世界の先輩祝福家庭を、世界国家的メシヤとして派遣するのです。イエス様の時代は、一人のメシヤをイスラエルの国に配置しましたが、先生が位置を確立したので、神様の代身として地上に来て、百八十四か国に国家的メシヤを派遣するというのです。百八十国家が国家的メシヤを受け継いで、家庭を収拾するのです。そこに行って、カイン・アベルを通して再創造しなければならないのです。 その国の有名な人の名前をもって、百八十か国の首相に「これこれこのようなことをするため、このような家庭を中心として世界家庭を再編成するので、滅びていくその国の家庭、破綻するその国、滅びるしかない国に、家庭を収拾するモデルとして送るので、首相から、閣僚から、あるいは、国家全体が、州全体が一つになって、その家庭を世話してください」と言うのです。命令的です。 サタン世界はカインが天側を打ち殺したのですが、統一教会はそうでないというのです。長子権を復帰して、長子の立場で家庭的長子としてその国の大統領と閣僚たちを中心として、一つになり得るのです。それが始まることによって、完全にサタン世界は復帰されるのです。そうすることによって、地上天国、平和の世界は来ざるを得ないのです。 ですから、四年だけ休まず投入すれば、世界の家庭はすべて一つになるのです。来年まで祝福をしてあげれば、その三年後が二〇〇〇年です。 その時は、三回目を越えていくのです。その時は、三千六百万が問題ではありません。三億六千万の祝福が可能なのです。その次に、世界の家庭をいっぺんに祝福するのです。それゆえ、今日、血統を清めることのできる世界版図、終末的時期なので、家庭がご父母様と一つになることにより、それが地上天国世界となるのです。分かりますか。 天上天国が今まで空いていたのが、ここで整えて入るのです。それで、天上天国完成です。天上天国完成です。どこからですか。地上天国から天上天国が完成することによって、その上に神様が座を構えることができるので、神様がこの宇宙の主人として、行けない所がなくなるのです。 神様祝福? (「永遠宣布式」)。今まで世界で、数多くの個人と国家が血を流してきたのです。汚い血を流したのではなく、きれいな血を流しながらこの世界をすべて犠牲にしても、神様はきれいな血を願うのです。殉教です。息子・娘を犠牲にして、清めるみ業をしてきたということを知らなければなりません。分かりますか。(「はい」)。神様祝福永遠宣布式。 エバの前にはアダムだけであり、アダムの前にはエバなのです。世界代表家庭、中心的立場で人類を代表した二十五億対一だというのです。世界で一番に選ばれたのです。過去、現在、未来の中で一番に選んだのが、自分の結婚相手だというのです。 だから、その愛というものは、世界代表的愛だというのです。それが一つになる時、思いどおりに血統を通って、上がったり下がったりできるというのです。これが、千代万代を中心として、誰にも頼らず、神様の前に上がったり下がったりすることができるのです。 そのような立場で息子・娘を生むことによって、天国に直行することができるのです。そのような息子・娘を生んでこそ、あの国、堕落しない本然の本宮に連結された天の国の民になるのです。アーメン。 (「アーメン。」)。きれいですか。(「はい。」)。(血統を汚すのが)どれほど恐ろしいですか。 生殖器を蘇生防御線、長成防御線、完成防御線で守らなければならないのです。昔は何があったかといえば、貞操帯がありました。貞操帯は女性だけではありません。男性がするのです、男性が。男性が天使長圏をもって出発しました。男性貞操帯があります。分かりますか。 (「はい。」)。 「神様祝福永遠宣布」とは何でしょうか。(「血統。」)。血統がきれいならば、神様の愛と直結されるのです。(「アーメン」)。神様の愛に接ぎ木されて、永遠の血統を清めるのです。 サタン世界は反対にフリーセックスをするのです。ありとあらゆる血があります。盗賊の血、白丁(畜殺に従事した人)の血、乞食の血、殺人者の血、ありとあらゆるものをすべてもっています。それをはっきりとしなければなりません。 「七・一節」に強調するものはそれ以外にありません。一年の間、自分が純潔な血を、どれほど汚したでしょうか。 韓国語を知らない人は祝祭に参加できない そして、今から通訳が必要ありません。昔は通訳が必要でした。今後、このような祝祭には韓国語を知らない人は参席できません。また、韓国人と結婚するのが最高の希望です。分かりますか。祖国です、祖国。 そうであるならば、祝福家庭には同じ価値を与えるのに、何によって違うのかといえば、言葉によって違うというのです。韓国語が上手でなければならないのであって、堕落した世界の自分の国の言葉のほうがもっとうまければ、引っかかるというのです。純潔な血と、これにかかっているのです。 それゆえ、絶対的に韓国語を学ばなければなりません。そして、皆さん、韓国語を知らなければ今後、韓国の地、ご父母様の地を踏むことができないのです。これはビザが問題ではありません。永遠にその地に入ることができません。日本がその次であり、中国がその次です。そのようになれば、韓国語でそれぞれ異なった文化背景がすべて、瞬く間に清算されるのです。分かりますか、この若者たち。 何を語学に自信がないなどと、そのように言う必要がありません。生死の問題です。あの世に行って先祖が、「おまえ、統一教会に何年通った。 ご父母様に侍って統一教会にいたのに、今まで言葉ができないとは、それはどういうことだ。」と讒訴するのです。分かりますか、何の話か。 血統は心にかかっており、体にかかっているのです。体と心が一つになれなければ、言葉が一つになることができず、考えが一つになることができず、文化が一つになることができないのです。ご父母様の言葉を話すことのできない人たちは、その国の血族になることができないのです。そうでしょう。 天国にどのように行くのでしょうか。アルゼンチンから直接行くことはできません。韓国を通して行くのです。本郷の地を通して行くのです。韓国を中心として、主権、人民、国民の公認を受けなければなりません。ご父母様の後ろに天国があるので、ご父母様を通して入らなければならないのです。ですから、ご父母様の民としてご父母様の地を踏んで、ご父母様の王宮を経て、サインをもらってこそ、天国に入るのです。 日本からも天国に入ることはできません。それゆえ、韓国の風習を学ばなければなりません。その風習を韓国の風習と考えてはいけません。文化を通さなければならないのです。 心情を統一するというのですが、言葉を知らなくて、どのように心情を統一するのですか。世界言語によって消耗されたものが、どれほど多いでしょうか。一つの国の言葉だけ話せばいいのですが、百八十国家、数多くの氏族、数千の氏族に分かれているので、そこで消耗される本がどれほど多く、それを翻訳することがどれほど大変でしょうか。サタンが統一できないようにしておいたのです。 さあ、先生が父母で皆さんが息子・娘なのに、息子・娘として生まれて言葉を分からないのです。自分たちがひそひそ話す言葉は、父母が生む前に学んだものは、すべてサタン側のものです。今からは父母から学んだ言葉を使わなければならないのであって、自分たちが学んだ言葉は父母の前で使ってはなりません。 今後、皆さんの息子・娘たちの願いが何かといえば、韓国のご父母様を中心として、直系の血統とどのようにして結婚するかということです。これがアベルです。その次に、韓国人とどのように結婚するかということです。これはカインです。 ですから、どのように韓国人と結婚し、アベル的な立場に立って、長子権の立場に立った先生の直系の息子・娘と、どのように結婚するかという問題です。それゆえ、カイン的息子やアベル的な直系の息子・娘と結婚するためには、韓国語を知らずには駄目なのです。 良心の呵責をなくすことが生活の基本 あなた、どこの人ですか。どの国の人ですか。アルゼンチンの人ですか。世の中に真の父母がいないのに、世界がどこにあり、英国がどこにありますか。すべて盗賊たちです。父母様がすべて戦い勝ったのであって、和合して勝ちましたか。侵略して思うがまましたのです。侵略をしてはならないのです。それゆえ、皆さんがどの国の人かといえば、英国型統一国人なのです。あとで天の前に行って、「どこから来たのか?」と聞かれれば、「英国人です」と言ってはならないのです。 そして、「ユダヤ教から来ました」、こう言わなければならず、「キリスト教から来ました」、「統一教会から来ました」、こうでなければならないのです。ユダヤ教は蘇生であり、キリスト教は長成であり、統一教会は完成級なのです。「統一教会人として来ました」と言えば、「統一教会の人の中でどこに属していますか?」、「天の国の民として来ました」という概念がなければなりません。 皆さんは、どこから来ましたか。(「統一教会から来ました」)。統一教会? 本当に統一教会の教会員ですか、偽の統一教会員ですか。(「本物の統一教会員です」)。ええ? (「本物の統一教会員です。」)。それは良心が知っています。すべて知っています。良心はだますことができません。 考えてみなさい。神様もアダムが堕落した後、「アダムよ、おまえはどこにいるのか?」とそう言ったでしょう。「アダム、おまえ、罪を犯して逃げたな」、こうではなかったのです。尋ねるのです。悪いか良いかを、神様が先に分かりますか、自分が先に分かりますか。(「自分が先に分かります」)。 なぜ、どうしてでしょうか。息子だからです。息子と父は違います。父がこのようにおれば、息子はこのように立っているのです。父の右側は息子の左側であり、父の左側は息子の右側になるのです。それゆえ、同じですか、違いますか。(「違います」)。 ですから、息子に尋ねなければなりません。「左側に立っているのか、右側に立っているのか?」、あるいは「何をしているのか?」と尋ねなければならないのです。「おまえ、このようにするだろう?」というのは息子ではなく、神様の所有物だというのです。 皆さん、良心は自分のすることを分かりますか、分かりませんか。(「分かります」)。むやみに、罪を犯してはならないというのです。良心が先に分かります。良心は父母より先立っています。良心は神様の創造本然と通じるのです。良心は自分を生んでくれた父母よりも、もっとよく分かります。父母よりもさらによく分かるのです。 先に分かるということでは、良心は父母よりも先立っています。良心は先生よりも先に分かります。それゆえ、良心は師よりも先立っています。良心は神様よりも先に分かります。良心は神様より先立っています。なぜでしょうか。分かっているからなのです。 良心に教えてあげることのできる刺激は、父母よりも師よりも自分が先に分かるのです。そのような偉大な良心です。父母の中の父母であり、先生の中の先生であり、王の中の王の代身の主人として派遣してくれたのが、私にとっての良心なのです。 ですから、良心に絶対服従する者は、父母の命令を完成した立場に入り、良心の命令に絶対服従する者は、師の命令、あるいは、王の命令の立場を越えていくことができるのです。それゆえ、自分を知る代わりに、良心が何かということを知らなければなりません。 自分の良心は、この地上の真なる父母を先に知るのです。知ることにおいては、自分が二番目なのです。 それゆえ、皆さんが祈祷するとき、空想的な祈祷をするなというのです。心に尋ねるのです。「おい。 心。 私が間違ったのか?」と祈祷しなさいというのです。 先生に尋ねる必要はありません。神様に尋ねてはいけません。神様よりも先に分かるのです。祈祷が、何の必要がありますか。顔を見て毎朝、良心の呵責を感じる影が映ったならば、それを自分の一身からなくさなければならないのが生活の基本だということを知らなければなりません。 良心が太陽のようでなければならないのですが、曇っていて呵責を感じることができず、自分勝手にしているのです。 王千人万人、世界の師千人万人、神様千人万人より先に、自分についてよく知り、自分が行く道を知っている主人が誰かといえば、良心だというのです。 私たち統一教会の祝福を受けた家庭が、女性たちでいえば、美男子がいて手を差し出せば、良心は「早く触れ。」というのではなく「駄目だ。」というのです。良心が分かりませんか、分かりますか。(「分かります」)。「駄目だ。」というのです。男性も同じです。 世の中で良心のとおりにしようとすれば、逆にサタン世界に引っ張られていくことが多いのです。そのようなときは条件を立て、「作戦上します」と宣布して、始めるのです。作戦上です。作戦が終われば本然へと帰るのです。作戦上です。分かりますか。作戦上という条件でしたならば、作戦がなくなる時には、これをいくらでも越えていくことができるのです。 良心はすべてを知っている ここに美男、美女が裸になって一つの所にいても、良心の呵責を感じるか、どうなるのかを試験してみなければなりません。アダム・エバの時に、女性が男性を犯してそのことが起こったのです。分かりますか。 それゆえ、復帰するためには反対にしなければならないのです。アダム・エバは裸で生活していました。ですから、そのような立場にいるとき、女性は男性の愛を受けたいという心をもってはならないのです。 あなたたちが忘れてはならないことは、アダム家庭において、お姉さんとか、妹のように感じなければならなかったのです。アダムの妹がエバです。将来は妻になるのです。エバを妹のように考え、妻のように考え、お母さんのように考えるべきなのです。女性は、お姉さんとか妹にならなければなりません。その次は妻のようになり、その次にお母さんのようにならなければならないのです。これが目的です。 兄弟同士、一つになれない人はお嫁にも行けず、お嫁をもらうこともできません。アダム・エバが喧嘩したでしょうか、喧嘩しなかったでしょうか。アダム家庭においてはお兄さんと妹です。妹・弟、お姉さん・お兄さんです。それが一つにならなければなりません。 将来、アダム・エバは夫婦にならなければならないでしょう。振り向いて一つになるならば、一八〇度で一つにならなくてはならないのであって、一五〇度や一〇〇度で一つになってはならないのです。 アダム・エバの体と心が、共に一点で一つにならなければならないのです。皆さんがこのような形態で結婚して、新郎を迎え、妻を迎えて、お互いに抱き、抱擁するようになるとき、自分の良心で「自分が相対に対して情熱的か?」と思うとき、そうでなければ自分で分かるのです。そうでなければ、本物の夫、本物の妻にはなれないのです。 本物の夫、本物の妻になれなければ、本物の母、父になれないというのです。本物の息子・娘になった兄弟が本当に一つになれば本物の夫婦が一つになり、本物の夫婦が一つになれば本物の父母が一つになるというのは理論的なのです。 そして、弟ならば、弟の 某はなぜ生まれたのかというのです。弟は、その兄とかお姉さんの前に被害を負わすために生まれた、利益を与えるために生まれた、どちらでしょうか。何ですか? 利益になるために生まれたのです。 お兄さんとかお姉さんがいたならば、弟や妹は福を受けるのです。利益になるのです。弟、お兄さん、お姉さん、妹、みんなお互いのために生き合うところでのみ、共に利益になるというのです。 では、兄弟が多いのがいいですか、少ないのがいいですか。(「多いほうがいいです」)。なぜでしょうか。兄弟同士、お母さん・お父さんの代わりにお父さんの愛を分けてあげるために、お兄さんや弟が互いに与え合い、ために生きようという環境になることによって、お母さん・お父さんは喜ぶのです。 ここで多くの人たちが兄弟として出会ったのですが、お互いために生きるようになるとき、真の父母と神様が喜ぶのが公式であるということを知らなければならないのです。 兄弟姉妹と、ために生きる夫婦が暮らすところで、「その女房の 某 、夫の某を私が奪う」とこのようにできますか。それは殺すことです。家庭で兄弟を殺すことであり、その国と世界を破綻させることです。どんなに人が多く、どんなに少なくても、良心は正しく、そのようなものを完全により分けることができるというのです。 一人が百人のために犠牲になるといえば、百倍の福が自分にやって来るのです。先生が人類のためにこのように苦労をして、全体代表的になるときには、人類がその苦労した代価を支払うのです。分かりますか。 良心は、神様よりももっと貴いということを知らなければなりません。先生よりももっと貴く、父母よりももっと貴いというのです。第一のオリジナル、一番正しいものを私に派遣したのです。そのような主人だということを知らなければなりません。それが分かれば堕落することができません。 皆さんが霊界に行けば、良心の方向を中心として、行ったり来たりしながら行くのです。このようにしてどこに行くのかといえば、良心的に行けばずっと行きますが、反対に行けばどこへ行くのでしょうか。地獄に行くのです。 皆さんが飛行機に乗っていくとき、航路ならば航路が記録されているので、その航路を中心としてコンピューターに合わせておけば、そのまま行くのです。それと同じです。そのようなコンパスのようなものがあるのです。それが良心です。 コンパスがなければ、すべて地獄に行くのです。すでに、「左に行く」ということを知っているのです。「右に行く」ということをみな知っているのです。それをはっきりと知らなければなりません。 先生に尋ね、ご父母様に尋ねてみる必要はありません。良心が知っています。良心にはすべてのことを観察できるアンテナがあるので、これを合わせるようになれば、いつの間にか体が分かるようになっているのです。 良心をだませば地獄に行くのです。二重人格は、天の国にも行けず、地獄にも行けません。それは神様も滅ぼすことができ、サタンも滅ぼすことができるのです。一番恐ろしいのが人間です。二つの心の存在は、一番難しいです。 ですから、心よりも愛が先なのです。愛も二つの愛をもつ人は、処置が難しいのです。これはすべて、底なし地獄に入れておくのです。神様の世界に現れることさえできません。 一代が誤れば千代が滅びる このように見るとき、きょう、「七・一節」の記念日を中心として血統を保護しなければなりません。血統につながっているのが良心です。これを中心として一代が誤れば、千代が滅びるのです。それを保護すれば、すべてが喜ぶのです。あの霊界に行ったすべての先祖たちも喜び、分かるのです。このようになるとき、天国にも、思いどおり行ったり来たりできるのです。 さあ、女性の皆さん、皆さんの先祖は、よその男性が何かをくれるのを好みますか、好みませんか。ですから、キスし、自分の体を触ることを、自分が愛する人以外には願わないのが原則なのです。 アダム・エバの手をアダムやエバ以外に、誰が触りながら大きくなったでしょうか。皆さんは? アダム・エバ以外には触れることができないのです。だから、皆さんはどれほど汚いですか。抱き締めてキスして、ここもキスして、また、ここもしましたね。ある人はここもして。(笑い)そのようなことをして滅びるのです。フリーセックスへと流れていき、滅びるのです。 服を着れば厚く着るのではなく、一つ一つ脱いでしまい乳房を出しておいて、これだけ覆い、裸になって踊りを踊るのです。それはサタンの戦略です。 私たち統一教会の女性たちは、踊りを踊れといいますか、いいませんか。踊りを踊るならば、妻と夫と裸になって、大声で叫ぶなら叫んで、何をしてもいいのです。 考えてみなさい。女性が踊りを踊るのは、男性を誘惑しようとして踊るので、それがサタンだというのです。舞踏会に行くとき、その人を助けるために行ってキスする人が多いですか、奪い取って踊りを踊る人が多いですか。 踊りにツイストという踊りがあるでしょう。ツイストは蛇踊りです。そのようなことをすれば淫乱に陥るのです。酒を飲んで阿片を吸い、その遊びをするのです。 そのようにして、好きだと思えばフリーセックスをし、薬を飲んで酔って、裸になりセックスをし、騒いで、そのようになるのです。初めて会ってそのようになるのです。阿片であれ、酒であれ、踊りであれ、ツイストであれ、すべてそのようなものです。 ここのスパニッシュは踊りを踊ることが好きですか、好きではありませんか。(「好きです」)。(笑い)三回だけそのようにすれば、「ああ、分からない」というのです。(南米、スパニッシュ系)女性たちは、なぜよく脱ぐのですか。それはサタンだという証拠です。 さあ、ツイスト踊りを踊らなければなりませんか、踊ってはなりませんか。(「踊ってはなりません」)。ツイスト踊りを踊ってもいいです。する時には、自分の夫、自分の妻と踊りなさいというのです。自分の妻、自分の夫とならば、ありとあらゆることをし、踊りを踊っても罪ではありません。自分の夫をほっておいて他の人と踊るので、淫乱行楽だというのです。脱線行為だということを知らなければなりません。 私たち祝福家庭は、踊りを踊るなら踊りなさい。裸になって踊るのが、愛の踊りではないですか。夫婦同士、愛の踊りを踊るのも反対しますか。愛しながら踊りも踊り、歌も歌い、ありとあらゆることをすべてしなさいというのです。 愛を研究する 万物の霊長なので、「うさぎ愛(うさぎたちが愛し合う愛)もし、へび愛をもし、いのしし愛もし、とら愛もする」と言いながら、夫婦同士いくらそのような行動をしても、神様が「この野郎。 何をする。」と言うのではなく、「おや。 愛する版図が世界を占領するのだな。アーメン。」と言うようになっているのです。 更年期というのがあるでしょう。男性でも、女性でも、愛が嫌になる時が来るというのです。それをどのようにしますか。どのようにその更年期を越えることができますか。 地上に動物たちがどれほど多いでしょうか。うさぎもおり、ありとあらゆるものがすべているのです。万物の霊長なので愛することにおいても、大王にならなければならないのです。 更年期というならば、一週間に一回ずつ、「この一週間はうさぎ愛の週だ」と言って愛するのです。(笑い)そのようにして、うさぎが雄・雌愛するのを見て、「彼らのような愛を今週にする。それでこそ、愛する方法を教えてあげることができる王だ」という考えをしなさいというのです。(笑い)それが、どれほど驚くべき素晴らしいことでしょうか。 その次には、とら愛をしよう。 (笑い)そのようにして、「とらが愛する以上の感情を感じながらしよう」と言って、雄・雌になってウォーと言いながら愛するのです。(笑い) 「へび愛をしよう。」と言って、頭をこのようにしながら愛するのです。(笑い)笑うことではありません。いくらでも、愛することができる材料が多いのです。(笑い) この世界で愛するつがいでいるものを、三分の一ほど話したのですが、残りの三分の二の愛まで、はえ、はち、あり愛までもするのです。(笑い)してみなさいというのです。 そのようにすれば、離婚する暇がありますか。夫を見れば、どれほどおもしろいですか。(笑い)そのようなことを体験して、皆さんが一生の間なせるもの(愛する計画)を立てても余り得る、愛のモデルがたくさんあるので、それを学んで教えてあげなさいというのです。ちょうちょ愛もするのです。分かりますか? (「はい」)。 夫婦同士、裸になって踊りを踊るのなら踊り、どのようにでもしなさいというのです。そのように自由天地であるにもかかわらず、新しい人に出会って心を読みながら「どうだろうか?」と言って会う、それ以上の地獄はありません。それ以上の地獄はないというのです。 さあ、皆さんスパニッシュは、何をおいしく食べますか。(スペイン語でさまざまな答えをする)分かりました。それをきのう食べて、「一月ほど食べない」と言いますか、毎日食べればいいと思いますか。好きなものは、毎日食べてもいいのです。「一年間食べたので、もう嫌だ。永遠に食べない」、そう言いますか。おいしいもの、習慣になったものがあれば、手がそちらに行くようになっているのです。 夫と愛し合うことにおいて、ある時はよく、ある時はよくないと言って一緒に暮らさないで、食べ物と同じように捨てることはできません。そのようなものは人ではありません。 争い、離婚を考える余地がありますか。「どういう愛し方をする」と、次のプログラムを研究し、互いが報告し電話をすれば、どれほど楽しいでしょうか。分かりましたか。(「はい」)。 へびのようなものは、七十一時間愛し合うのです。(笑い)「三日間、そのようにくっついていよう」と言い、「土曜日、日曜日、月曜日まで愛し合おう」と言うのです。(笑い)なぜ笑いますか。 そうだといって、それが罪ですか。(「いいえ」)。神様はそれを見て喜ぶというのです。犬のようなものは四十五分です。 だからといって、先生はセックス教主ではありません。(人間は)万物の霊長なので、それが変わらないのです。鳥たちは、一年に一度ずつ変わりますが、(人間は)変化しないのでそれが貴いというのです。 血統を守りなさい。 さあ、きょう「七・一節」に、おかしな話をすべてしましたね。血統を汚す器官が生殖器なので、生殖器を防御することのできる方法を教えてあげました。「血統を守りなさい。」というのがその方法なので、このような話をしたのです。アーメン。 (「アーメン。」)。 そうなれば、夫が妻に対して、妻が夫に対して心配がありません。いつも自由です。夜でも昼でもうれしいのです。 西洋の女性たちは歯も磨かずに、においがするのにキスをすれば、「ぺっぺっぺっ」とする女性たちが多いのです。「においのする夫が、早くそのようにしてくれればうれしい」と言える女性が多いですか、「ああ、嫌だ」と言う女性たちが多いですか。 老いればキスをしない、老いれば老いるほどキスすればうれしい、どちらを願いますか。自分もにおいが出るのです。それを忘れてしまいキスをするのが、幸福な夫婦です。それを嫌だと言いながら、こうしてキスするのは不幸な夫婦です。 女性の中で夫を一番愛する人は、どのような人でしょうか。夫のすべてのものを愛する女性です。「汚い」と思えば、完全な理想的な夫婦にはなれません。(笑い)笑いごとではありません。 そうしてこそ、天上世界に行く時、神様の前に近い所に行くというのです。すべて神様がつくったものではないですか。「これは汚い」「これは好きだ」と言ってはいけないのです。この汚いものを好むということは、だんだん好むものが豊かになるのです。死ぬ前に、「その峠を越えていこう」と言わなければなりません。 昔、先生の弟がいました。とても美男子の弟でしたが、その弟が患った時にお母さんが「うんちの味が甘ければ死に、苦ければ生きる」と言ったのです。そうして、うんちの味を見るのを見ました。それがなぜそうなのかということを、物心がつくときまで気掛かりでした。甘ければいいとか、苦ければいいとか、それは分かりません。そのような習慣(俗信)があるのです。 息子に対してお母さんがそうしたならば、夫婦の愛が母子の愛よりも劣っていいでしょうか、より大きくなければならないでしょうか。私は原理を知ったのち、それを理解しました。お母さんがそのように愛する弟を、私はお母さんが愛するように愛せるだろうか。さあ、愛する妻に対して、そうすることができるでしょうか。 夫が働いていて、足から臭いにおいがするとき、こう(ジェスチャーなさる)することができるかという話です。長靴をはいて行き来し、ここにほこりがたまり、垢がたまり、真っ黒なのを取って、蜜のように食べることができるかという話です。 皆さん、夫とキスをしますか、しませんか。つばはおいしいですか、苦いですか。夫のつばの中にたんの混じったつばがあって、吸って移動してくるとき、それが移動するのが分かれば、「あ。 ぺっ。」……。(笑い) 夫が妻のおっぱいを吸ってあげるのを、女性は喜びますか、嫌がりますか。(「喜びます」)。(笑い)笑ってはいけません。 笑う者たちは、血統の中に何かがあるということです。自然なことなのです。 牧師で、女性たちにそのように尋ねる牧師がどこにいますか。私は牧師ではなく、お父さんなのです。 お母様もそうだし、先生もそうです。どこを行き来しても、心配しないのです。季節が変わっても、愛の法度は変わらないのです。そのような妻とそのような夫は、不幸ですか、幸福ですか。(「幸福です」)。それを知らなければなりません。 ですから、天の国に行く貴族と皇族は、そのような伝統を守り、天の皇族圏となるのです。そして、サタン世界はとても破壊的で、許すことのできないものは一時にすべて除去してしまうのです。 愛は永遠です。分かりましたか。血統を守りましょう。 堕落した一日の失敗が、このように歴史的な被害を被らせたのです。私たちは真の父母に侍る血統を受け継いだのに、それを汚せば、その被害は何代たったとしても、霊界に行っても、永遠に解放されないというのです。そのことを知るようになるとき、それを問題なく越えていく方法を知らなければならないというのです。 祝福を受けた人、手を挙げてみなさい。皆、受けましたね。 さあ、私たち夫婦は、先生がきょうの伝統の記念日に語られた御言を中心として、その峠を越えて、また越えることのできる夫婦になることを、きょうを期して誓うべし。 (「アーメン。」)。永遠祝福。アーメン。 (「アーメン。」)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.05
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二十一世紀における島嶼国家の役割日付:一九九六年六月十六日場所:日本、東京、京王プラザインターコンチネンタルホテル行事:「世界平和島嶼国家連合」創設大会(代読)きょう、この意義深い会議に、世界からお集まりくださった尊敬する貴賓の皆様。私は世界平和の実現のために尽くされた皆様の努力を高く評価し、心から感謝の意を表します。そして、今回の会議が世界平和のための、より一層の知恵と努力を結集し、近づく二十一世紀を輝かしい平和の時代として迎えることができるよう、友誼(ゆうぎ)と理解を深める良い機会となることを祈ります。また、この会議によって、世界平和の実現に対する私たちの責任と使命を互いに分かち合い、揺らぎのない決意を互いに強固なものにできるならば、それ以上の喜びはありません。それでは、私が「島嶼国家連合」という組織を皆様に提唱し創設するに至った経緯と背景を、先に説明することから始めようと思います。人類歴史において文明発展の流れを見ると河川流域から発生した古代文明は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島を含む地中海文明に移動しました。そしてこの文明は、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸を通って、島嶼国家であるイギリスを中心とした大西洋文明として結実しました。さらに文明は、アメリカ大陸を通って西の方に移動し、現在は、イギリスと同じ島嶼国家である日本を含めた太平洋時代を迎えています。このような文明史の推移を、神様の摂理として理解すれば、今日、天運の中心的な立場に置かれている島嶼国家は、正に日本であると考えざるを得ません。日本は神様の摂理を通して、人類歴史の舞台に立ったのです。日本の繁栄は、神様の摂理との関係において説明できるのであり、それ以外の理由だけでは説得力がありません。日本が神様の摂理の中心に立っているとすれば、私たちの関心は、日本のもつ摂理的使命に傾かざるを得ません。なぜならば、神様の摂理の目的は、世界平和の実現にあるからです。世界平和は万民共通の希望なのです。全世界の島嶼国家が、ここに連合して、平和世界に対する日本の使命を自国の使命のように考えることによって、島嶼国家の世界的連合による平和創建のための国家連合を完成すれば、人類社会にとってこれ以上の希望はないでしょう。このような希望に立脚して、私は「世界平和島嶼国家連合」の創設を提唱しました。私がこのように語るのは、今まで日本が受けてきた天運を、全世界の島嶼国家が相続し、世界平和創建のための国家群となることによって、一日も早く世界平和の実現が可能になるように祈らなければならないからです。それでは、島嶼国家の特徴とは何でしょうか。地球は、陸地と海でできています。今日の科学は「海を舞台として最も単純な最初の生命が誕生して広がった」と説明しています。これは、海が生命を身ごもる母の役割を果たしてきたことを物語っています。このような理由から、海を女性の象徴として考えるならば、陸地は当然、男性を象徴するものと考えることができます。したがって、海洋に位置した島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家であると言えます。島嶼国家が女性型の国家であるとすれば、女性の特徴である対象性、依存性などの特徴をもっていると見ることができます。他方で、男性的な大陸国家は、男性の特徴である主体性、創造性などの特徴をもっていると見ることができます。島嶼国家が遂行すべき役割は、人類社会において女性が遂行してきた役割とある程度同じであると言うことができます。女性は、結婚して心から夫を愛し、夫に侍り、また夫の愛を受けることによって美しく輝く存在です。そして子女を生み、子女に愛を注ぎ、素晴らしい家庭を築いていくことによって、喜びを感じるのです。女性の中心的な使命は、このように夫と子女に注がれる限りない愛にその特徴があると言うことができます。特に母は、子女にお乳を与えて養育し、教育する重要な責任を負っています。島嶼国家の役割もまた、このような母の役割と同じ内容をもっていると言えます。神様の人類救援摂理歴史を見ると、そこには必ず神様の摂理を担当する中心民族と中心宗教があります。歴史を導いてきたユダヤ教とキリスト教の核心は、第一に、唯一絶対の神様がおられること、第二に、人間始祖の堕落と罪、そしてその罪からの救いのためにメシヤが必要であると主張すること、第三に、人類の罪悪史には必ず終末があり、その時に「神の国」が到来することを主張することです。そのような救援摂理観によって、旧約時代にはメシヤの降臨を中心として歴史が形成されてきたように、新約のキリスト教時代には、再臨のメシヤを待望し、彼を真の父として迎え、罪を清算し、「神の国」を完成するという希望と信仰を中心として形成されてきました。このような救援摂理の歴史的な背景は、神様の心情と事情に立脚しているのです。したがって、神様の摂理を読み取るためには、時代の兆候を見抜く目が必要です。第二次世界大戦が終わったとき、世界のキリスト教は、神様の救援摂理史において非常に重要な時点を迎えていました。その中心にいたのが、イギリス、アメリカ、フランスでした。第一次、第二次世界大戦において、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家は、連合国の中枢として民主主義の勝利のために戦い、二回とも勝利を収めました。これは正しく神様の摂理だったのです。したがって一九四五年、第二次世界大戦が終わった時を契機として、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家が、自国中心主義に陥らず、世界平和の実現のために力を合わせて神様の真の愛を実践し、そして犠牲と奉仕の精神で人類の平和のために全身全霊を傾けたとすれば、国際連合を中心として、人類の恒久平和が達成されたはずでした。しかし、実際の歴史的事実は、世界平和の実現ではなく、共産主義の拡散とそれに伴う数多くの紛争、キリスト教国家の霊的衰退および道徳的堕落でした。戦後四十年以上もの間、米ソ対立の冷戦時代を経てきた人類は、霊的な荒野をさまよってきたのです。最近、私は、神様の啓示に基づいた世界平和のビジョンを実現するために、世界の人々に神様の理想と摂理を明らかにしてきました。それとともに、世界平和の実現に必要であると考えられる多くの組織と機関を設立し続けてきました。このような平和運動は現在、完成段階に達していると言ってもよいでしょう。それでは、神様の摂理とは何でしょうか。神様の創造摂理はもちろん、平和な世界であることは言うまでもありません。平和な世界は、そこに分裂や争いがあってはいけません。統一と調和と喜びに満ちた社会でなければなりません。それを可能にせしめ、最大最高のものをつくるのは、正に真の愛なのです。真の愛は、統一の要因であり、喜びと幸福の源泉です。ですから、平和の前提は、真の愛であると言えるのです。神様の真の愛は、どこに根を下ろすのでしょうか。真の愛の定着地は家庭です。アダムとエバが完成し、神様を中心とした夫婦として理想家庭を築いたならば、そこに真の愛が定着するのです。真の愛の家庭こそが、真の平和を生み出す基地となるのです。人類がいまだに真の平和を成し遂げられないのは、真の家庭を知らずにいるからです。その答えは聖書に記録されているように、人類が神様とは関係のない立場に落ちてしまったからです。人類の始祖アダムとエバが堕落して以来、この世界には平和が消え失せてしまいました。代わりに分裂と闘争が人類を支配するようになりました。個人においては心身の葛藤、家庭では夫婦の対立、そして社会では人間同士の闘争が絶え間なく起きています。結論的に言うならば、真の愛の喪失という根本的な原因によって、すべての問題が起きていると言うことができます。人間の堕落は、真の愛の喪失を意味します。したがって、アダムとエバが失ってしまった愛を復帰するために、イエス様は真の愛の王として降臨されたのであり、また再臨のメシヤも、真の愛を立てるために来られたというのが、救援摂理から見た論理の帰着です。世界平和のための今までの私の歩みは、いかにすれば人類が真の愛を回復できるか、という一点に集約されます。今日、道徳的に退廃した世界を見るとき、神様の悲しみがどれほど大きいかということを、私はいつも痛哭する心情で見つめてきました。ソドムとゴモラのような姦淫の弊害が世界を襲い、未来を背負うべき若者たちがフリーセックスに陥っていく姿は、神様の最大の悲しみであり、それは正に人類を滅亡へと導く道なのです。しかし、今日、世界で一つの希望と喜びを発見できるとすれば、それは、世界が偽りの愛によって破滅しつつあるこの状況を防ぐための女性たちの活動が、世界的に拡散していることです。これは大きな希望です。既にこの日本から女性たちが世界百六十ヵ国に派遣され、ために生きる精神を実践していることは、限りなく喜ばしいことと言わざるを得ません。危機を救うのは女性です。今、私たちは、女性たちの力を尊重しなければならない時が来ました。国家で言うならば、島嶼国家が正に女性の立場に立っているのです。各国の代表、貴賓の皆様。皆様の国は島嶼国家です。島嶼国家は女性、あるいは母としての特徴を共通して持ち合わせているので、共に連合し、力を結集して、人類に対して母としての使命を成功裏に遂行していくよう互いに協力しなければなりません。私が「島嶼国家連合」を提唱し、創設したのも、このような理由に基づいているのです。人類歴史を見ると女性は、良い意味であれ悪い意味であれ、重要な役割を果たしてきました。聖書によれば、人類の歴史は、アダムとエバの堕落による悲劇的な事件から出発しました。人間堕落の結果に対して、私たちは責任をもってこれを解決していかなければならないのは当然のことです。しかし、エバが最初に堕落して罪悪の歴史を出発させたという聖書の記述を見るとき、人類歴史は、エバの堕落を女性たちが先頭に立って蕩減する時代が来ることを摂理的に要求しています。二十世紀における男女平等の思想的風潮、また女性の真の解放を求める運動などは、女性が世界平和のために立ち上がって世界的に大きく活動する環境が造成されたことを意味しているのです。このような神様の摂理をよく知っている私は、一九九二年四月に、私の妻と共に「世界平和女性連合」を創設しました。この連合の運動は、近い将来に世界万民が参加する「世界平和女性連合」の運動へと発展させ、真の愛を家庭の中で定着させることによって、理想世界、すなわち地上天国を建設するのです。今、女性の時代は、一九九〇年代の世界的な趨勢であり、女性の愛と協調、和解、調和の精神が、世界平和のために歴史的な貢献を果たす時代であると言うことができます。この世界的な女性時代は、そのまま女性の特徴をもつ「島嶼国家連合」にも該当するのです。そのように女性時代と島嶼国家の時代は深く結び付いています。女性が世界平和のために立ち上がる時は、島嶼国家もまた世界平和のために立ち上がる時なのです。すべての島嶼国家が、世界平和の実現という光明な歴史的使命を果たす時は、正しく今なのです。これ以上に誇り得る使命がどこにあるというのでしょうか。それでは、ここでしばらく、女性たちが歩んできた人類の歴史を振り返ってみましょう。神様に向かう強い信仰心によって偉大な証の書を残した立派な女性たちがいます。アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルの三人の女性がいなければ、イスラエルの歴史はなかったと言っても過言ではありません。また、神様の祝福を受けた血統を命懸けで残そうとしたタマルの絶対的な信仰がなければ、旧約聖書に記録されているメシヤの血統は確立しなかったでしょう。タマルと同様に、イエス様の母マリヤもまた、神様の聖なる血統を継ぐ子孫を生むために、絶対的な信仰を天のみ前に示してくれた女性でした。エバの堕落は人類に霊的な死をもたらしたのであり、その結果、人類は偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の中で呻吟するようになったのです。マリヤとタマルの歩んだ道は、エバの堕落を蕩減するための道でした。また、か弱い十六歳のジャンヌダルクが立ち上がったとき、存亡の危機に立たされていたフランスが救われたのです。十六歳の彼女が一国を救えるほどの力を発揮したのです。このような女性たちの歴史的足跡をたどってみると、覚醒した女性たちがどれほど立派な活動をしてきたかを知ることができます。女性のもつ奉仕と献身の美徳によって人類愛に燃える「島嶼国家連合」が誕生するとき、人類の前途には、希望の光が明るく照らされるでしょう。島嶼国家は最終的には大陸を求めなければなりません。それは女性が男性を求めなければならないのと同じ原理です。島嶼国家存立の条件と言ってもよいでしょう。したがって、島嶼国家から始まった世界平和のための諸活動は、大陸国家に良い影響を与えるでしょう。このようにして世界平和実現のための善の影響力が島嶼国家から大陸国家に及ぶとき、世界平和の実現の可能性は、より一層高まるでしょう。目前に近づきつつある二十一世紀は、人類が長い間願ってきた地上天国の輝かしい幕が上がる新世紀となることを私は確信しています。私が世界平和のために創設した「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」と共に、今回創設される「世界平和島嶼国家連合」は、世界平和のために重要な役割を果たすことを確信しています。そして最終的に、これらすベての組織は、「世界平和家庭連合」として結実しなければなりません。なぜならば、平和の最後の砦は家庭であり、家庭の再建以外に世界平和に至る道はないからです。「世界平和家庭連合」の目的は、超民族的、超国家的、超宗教的理念に基づき、青少年たちを立派に教育することによって、理想国家を完成し、五色人種が永生を謳歌する人類一家族世界の歴史的聖業を成就することです。皆様の「島嶼国家連合」と「世界平和家庭連合」の偉大な目的に対して大きな賛辞を送り、立派に世界平和の大業を完遂することを信じて疑いません。神様の真の愛による人類一家族世界の夢が「島嶼国家連合」の創設によって、より一層実現可能なものとなったことに対して、皆様に感謝を申し上げながら、私のメッセジを終わりにしようと思います。皆様と皆様の御家庭に神様の導きと祝福が共にあることを祈ります。御静聴いただきありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2023.01.04
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(日語) 明けましておめでとう -김석진 대교구장 20230101천원궁 천승교회チャンネル登録者数 1630一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.03
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2001/01/01 God's day event News 01「神の日」の映像です。2001/01/01 God's day event News 022001/01/01 God's day event Entertainment True Children's Singing一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.02
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