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「日本食口特別集会」での御言成約九(二〇〇一)年九月二日、韓国・済州国際研修院この日の朝、み言に先立って、昨年十一月十一日にハワイのカウアイ島で語られた「父子協助時代宣言」のみ言が訓読され、その後、約二時間弱、真のお父様がみ言を語られました。 いよいよ皆と別れる日が来ましたね。ハワイのカウアイという島で、日本語では「かわいい」と聞こえるその島で、かわいい言葉を語ったのです。 かわいいエバ、かわいいお母さん、かわいい奥さん、かわいい娘。それが問題です。神様の前に、人類のお母さんという立場を失ってしまいました。それから、どうしましたか? (「……。」)奥さんを失ってしまいました。それから、娘を失ってしまいました。そのようなことをしたのです。 それを捜して元返すのです。捜して元返し、捜して復帰するのが、神様の再創造の摂理であり、復帰摂理、すなわち救援摂理です。その救援摂理の主流として求めたのが、イスラエル民族でした。 旧約時代、それから新約時代、それから何ですか? (「『成約時代』です。」)成約時代。そうして奥さんを訓練し、お母さんを訓練してきたのが、堕落の世界の女たちの苦労の道でした。分かりましたか? (「はい。」) エデンの園において、サタンによって、愛を中心として、お母さんたちまで反対に引っ繰り返ってしまいました。その娘の立場が、エバです。エバが、そのようなことをしたことによって、娘もいなくなり、妻もいなくなり、お母さんもいなくなってしまいました。 それを蕩減してくるための道が、旧約時代でした。それは、神様の娘を再創造して、養育してきた歴史なのです。 新約時代は、妻を求めてきました。ですから、キリスト教は、新婦宗教なのです。新婦宗教なのですが、妻を育ててから、どうしますか? 結婚することによって、母を復帰することになるのです。それが、完成圏の成約時代です。分かりましたか? (「はい。」) ですから、女たるものは、神様の御前に娘となるためには、歴史を超え、堕落世界を超えなければいけないのです。 そうして、娘として超えるとともに、妻としても、天使長世界であるサタン世界を自由自在に主管することができなければなりません。堕落世界は、再び主管しなければなりません。主管するとともに、それを注意してあげて、それを神様の息子、娘につくり変えていかなければならないのです。それは大変なことです。 それを、イエス様を中心として実体的に成そうとしたのにもかかわらず、実体的に成されずに、家庭を持つこともなく、独りぼっちで十字架につけられていったのです。“家庭内独りぼっち”では、神様の願われる娘も、願われる妻も、願われる母も立たせることができません。 神様を中心として家庭を成立させ、その成立させたものを完全圏と完成圏に立たせることによって、娘として完成、妻として完成、母として完成するようになっているのですが、いくら神様が、絶対なる神様であられるとしても、その母の基準を安着させなければ、地上の世界は、サタン権限の主管圏内において統率されるようになっているのです。分かりましたか?(「はい。」) それを、神様の御前に平定させなければなりません。神様の御前に、個人から天宙まで、歴史の初めから歴史の末まで平定するのです。 母の行く道は、愛を中心として、個人的に、家庭的に、世界的に、天宙的に平面になっていかなければなりません。創造理想の神様の愛を中心として、歴史過程を含めて考えて、それは一本きりの世界平面圏です。このように続かなければなりません。 しかし、女の世界は、そうではありません。結婚したという者は、皆、ばらばらです。そのように、家庭というものが皆、崩れてしまうので、もう神様の理想圏のようなものが、完全に崩壊させられた立場から、それを収拾しなければならないのです。 収拾するには、収拾するその原則を分からなければなりませんが、それが分かりません。“神様の娘は、こうでなくてはならない”、“神様の妻は、こうでなければならない”、“神様の家庭と、その家庭における母は、こうでなければならない”という、そのような原理原則を知らないのです。分かりましたか? (「はい。」)知りませんし、また、それを教える者もいないのです。 それは、なぜかというと、堕落というのは、自分で堕落したからであり、それも親の知らない所で堕落したからです。 アダムとエバが堕落したとき、神様とサタンは、それを知っていながらも、それをどうするかというと、サタンは、アダムとエバが自分のほうに転がってくることを願うし、神様は、自分のほうに立ってくれることを願われるのです。 しかし、アダムとエバは、神様が、そのように願っても願われなくても、原理原則を知り、自分が犯した罪なのですから、自分が蕩減復帰しないといけません。分かりましたか? 天使長であるサタンというものは、エバが先に責任分担を完成した後に、エバに絶対服従すればいいのです。娘と奥さんとお母さんが完成すると、そのような天使長が生まれてきた場合は、それを絶対的僕として立てて、それが、絶対的な基準において奉仕するようになれば、それは完成するようになる、というのが、天国に属すべき原則なのです。 ですから、どんなに難しいことがあろうとも、女性は、神様の願う娘として、妻として、母として完成し、母の完成、妻の完成、娘の完璧な完成基準を絶対的に確立しなければなりません。それが、堕落以後、女として生まれてきた者の使命なのです。はっきりしますか? はっきりしましたか? (「はい。」) しかし、女性は、“娘になろう”、“妻になろう”、“母になろう”という思いをたとえ持ったとしても、それを独りで成すことはできません。なぜならば、それは、天使長である怨讐の男によって、神様の娘の立場を破壊し、妻の立場、奥さんの立場を放棄してしまって、皆、なくなってしまったからです。 ですから、女性は、どんなことがあっても、いかなることがあろうとも、それを果たさなければなりません。それが、女性の使命なのです。分かりましたか? (「はい。」) そうして女性たちは、歴史を通して、子供の時代圏、妻の時代圏、母の時代圏を蕩減してきました。ですから、女性の歩む歴史というものは、苦労の道を歩む悲惨な立場を予定された歴史であったのです。はっきりしましたか? (「はい。」) 旧約時代は娘を求め、新約時代は、神様が新郎として妻を求め、成約時代は、母子の確立を成すためにあるのですが、そのように、神様の摂理は内的に苦労してきた歴史であるということを否定することはできません。このように、理論的にはっきり分かるようになります。分かりましたか? (「はい。」)それは本当のことです。 なぜ女性が、悲惨な歴史をずっとつくってきたのでしょうか? そのような悲惨な歴史を逃れようとし、逃げようとしても、逃げる道がないのです。だれか指導してくれる者もありません。そこには、男の立場から援助し、兄さんの立場、あるいは夫の立場、父の立場に立つべき者がいないのです。夫たる者がいなく、神様がいないのです。 それ(堕落世界の男)は、神様の怨讐の立場に立つ姦夫です。「女」という字を三つ書く「姦夫」。知っているでしょう? 愛の怨讐になっているのです。それが天使長です。皆、女性を砕いてしまいました。それを、だれが復帰してあげるのでしょうか? それなのに、兄さんも、堕落させられてしまったのですから、亡くなっているのです。そのように、女が神様の子供を殺してしまいました。神様の息子を殺し、旦那さんを殺し、お父さんも殺してしまったのです。それは本当か、本当でないか? 本当! 言ってみてください。(「本当。」)大きく。(「本当!」) それが本当であるということが分かったのならば、“すべてを超えて、わしはする。自分は、中心者として、神様の正しい女であり、妻であり、母なのだ。”という自覚を持った立場で、「本当。」という答えを、もう一回、言ってみてください。(「本当。」)(笑い) かわいそうな女。先生は、そのようなことを知っているのです。ですから、“女を利用する”などと思ってはいけません。そのようなことを思うと、根本的に大変です。引っ繰り返ってしまいます。 それは、自分の妹の立場です。それを将来、神様の娘として、神様の相対者として、神様とともに母の立場にいかに取り次いであげるかというのが、母子復帰です。それを成しているのです。 先生も、女性によって生まれましたね? そうでしょう? しかし、生まれた、その目的の方向が違います。左から右に、完全に準備して、母をその女として生まれたのです。分かりましたか? (「はい。」) そうして生まれた再臨の主、真のお父さんには、妻を女として、娘を兄妹として、再び生み変えなければならない使命があります。それが、再臨の主、真のお父さんの使命です。大変です。分かりましたか? 女性の皆様。(「はい。」) 今回、はっきりと知って帰らないといけません。分かりましたか? (「はい。」)先生の妹の立場に立つのです。そうして、大きくなって、妹の心情、妻の心情を復帰し、母の心情を復帰し、三心情圏を体恤しなければなりません。 そのようにして、本当の兄さん、旦那さん、お父さんに侍ることのできる、女たるものを満たさなければ、神の国に入る道がないというのが、堕落した者に対する原則になっているのです。先生の言うことが間違っていますか、合っていますか? (「合っています。」)女というのは、名ばかりの存在です。日本が、そうです。 ですから、世界を救う者は、女であって、男ではありません。堕落した世界を蕩減復帰させる責任は、神様がいらっしゃったとしても、神様は教えてくださるだけであって、その先頭に立って、代わりになしてあげるという道は、永遠にないのです。分かりましたか? ですから、そのかわいそうな立場に行って、急変の道を逆さまにたどっていこうというのが、今までの歴史における女性たちの使命でした。 それでは、そのような中で女性は、何を願ってきたのでしょうか? 真の愛です。いつも、真の愛を持つ、親孝行する子供を願ってきたのです。その立場は、ただの女でもなく、ただの娘でもありません。“子供を持つ親”の立場です。神様が愛される、そのような子供がいなければ、女性には、神様の娘に立ち返る道は、永遠にないのです。分かりましたか? 娘の立場に立ったとするならば、次は、自分を奥さんのように愛してくれる男性がいなければなりません。そうして、その男性を絶対的に愛し、子供を大きく育てて、その子供が、蕩減復帰を完成させたお母さんと一つになるようにしなければなりません。そのような時代が、母子協助時代です。分かりましたか? これを、はっきりしないといけません。 つまり、自分の生んだ真の男性を、真の旦那さんとして神につなげてあげるような道を得るために、母子協助というものがあったのです。はっきりしましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) しかし、そのために、女性が歩むべき道、自分が母として歩むべき苦労の道を見た場合には、独りぼっちです。女やもめと同じです。その母は、子供とお父さんの心情を抱え、お父さん以上の立場で、子供に対して、すべてを防備して守っているのです。 神様は、今まで、そのような環境をつくってこられました。そうして神様が、世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤを送られたのが、イスラエル民族だったのです。神様から見た場合に、そのイスラエル民族の子供は、ずっと、女たちによって、最も愛国者になるように育てられました。 家庭において孝子になり、国において忠臣になり、世界において聖人になり、天宙において聖子になるような子供を育てて拡大しようとするのが、イスラエル民族でした。そこにおける問題は、何だったのでしょうか? だれが問題なのかというと、男が問題ではありませんでした。問題は女でした。 ですから、女にとっては、生んだ子供は子供なのですが、それは、自分の兄弟なのです。神様の元に帰る子供がいません。そうでしょう? 信仰生活をするような神様の子供、神様の愛を受けることのできる子供がいなかったのです。 そこで、長子である子供を自分が生むのですが、神様が永遠に愛さざるをえないような子供、長子を生むことによって、自らの娘の立場、母の立場が逆になるのです。つまり、自分の子供に対して、自分の兄さんのように対するのです。 女性は、頼るところのない、たった独りぼっちの立場です。頼るところは、自分の子供以外に頼るところはありません。ですから、それを自分の兄さんの代わりとし、夫がないので、夫の代わりとして対するのです。そうして、神様の愛するその息子が大きくなって、“ああいうような、神様から愛を受けられるその息子が、旦那さんになってくれればいいなあ。”というように願うのです。分かりましたか? 母子一体になって、そのようにして地上にメシヤが来られた場合には、すぐに母を擁護し、女性を擁護するような団体が生まれてくるのですが、それが正に宗教圏なのです。それは、イスラエルのユダヤ教です。分かりましたか? 分かりましたか? (「はい。」) ですから、女性が、“もう兄さんを迎えることができました。”と思っても、そればかりではありません。旦那さんを迎えたことになるのです。旦那さんを迎えたというのですが、それは大変です。子供と結婚することはできないからです。 エデンの園で、アダムとエバは、堕落によって追い出されてしまいましたが、さらに、エバとカイン、つまり長男と母親が、アダムを追い出してしまったのです。その追い出してしまった旦那さんを、歴史を通して初めて、再臨という、メシヤという思想とともに、迎えるようになったのです。 ですから、そのときに追い出されたアダムの再臨として来られるメシヤが、ずっと母と子を、兄さん、夫の代わりに守ってくれるようになるのです。そのような立場において、メシヤを父として迎えたとすれば、お母さんは子供に対して、直ちに、「新しく迎えたこのおかたは、もともとあなたのお父さんだったのです。」と、紹介してあげなければいけません。 そのようにして、母と長男が一つになって、生死を超えて奉仕することによって、サタンにはもう、立つ所がなくなるのです。分かりましたか? 母と長男が、完全に一つになってお父さんに侍るという家庭基準が立ったのですから、サタン圏は必要なくなるのです。 そのようになれば、母として願う何ものもないのです。そうでしょう? そうではないですか? (「はい。」)歴史をきれいに清算して、神様の御前に失った娘の資格、妻の資格、母の資格を、子供を通して再創造されたというような自分の立場にあって、母と長男と次男が一体になっているからです。 しかし、そのように一つになったということで、サタン圏から蹂躙されるようになります。サタンは、長男の立場です。ですから、サタンは、そのような母子に対して反対してくるのです。それはもう、母も妻も娘も、サタンの主管圏内において、奴隷のように扱っていくのです。 それは、サタンの世界にとっての敵国の王様の妃と母と娘を皆、蹂躙して、一所にまとめて、どんなことでもやるという話です。その場合、貞操であるとか、愛の秩序などは皆、無視してしまいます。サタンは、そのようなことをやってきたというのです。 それは、おじいさんの代から親の代、それから自分の家族と、女性を三代にわたって蹂躙してきたのであり、そのように三段階を見れば、七人の娘、七人の女を、見境もなく、逆にしたり、自由自在に手玉に取り、そのような愛の行動をやってきたのです。 その挙げ句に、世界は、愛の秩序を完全に放棄して、親族相姦関係など、フリーセックスどころではない状況にあるのです。分かりましたか? (「はい。」)これは、考えれば恐ろしいことです。そのような鳥肌が立つような恐ろしいことを、サタンは歴史的になしてきたのです。 ですから、女たる者は、「サタン」ということを思った場合には、それを七人の怨讐の固まりとして憎まなければなりません。今まで、サタンとは、そのようなものであったということを知らなかったのです。今は、先生によって、女性たちが、そのことをはっきりと分かるようになりました。それなのに、再び堕落しますか? (「しません。」)しますか? (「しません。」) ですから、皆さんは、三大心情圏をどんなことがあっても復帰しなければなりません。そのような大王を捜さなければなりません。それは、再臨のメシヤです。再臨の主は、神の息子として来られるのです。分かりましたか? (「はい。」) 再臨主は、神様の娘にとっては、兄さんの立場です。それは、双子の関係と同じです。それを分けることはできません。多くの男性と女性にとって異性は、自動的に、絶対的に必要とするのです。それは、自然界を見た場合には、雄と雌があり、両性が抱き合って、子供を増やして繁殖するのを見れば、歴然としたことです。 自然界には春があり、夏があり、秋があり、それから冬があります。その中で種をまく時期があり、収穫時期があります。人間においても、青春期、思春期を中心として、男性は女性を求めて、女性は男性を求めるのです。それは本当ですか? 皆、皆、そうです。 堕落した者においてもそうであるのに、堕落しなかったならば、それはもう、神様の愛の光が届かないうちに、プラスとマイナスが激しくショートして、雷を超え、音を出して大変な様相になるでしょう。 堕落の原因たる女は、悲惨な女です。それは、「女様」ではなく、「女の輩」です。そのことを思うと、苦痛です、苦痛。 ですから、女というものは、もう名目がありません。もう、首を切ってしまっても、何も讒訴することができません。告訴することもできません。ですから、女とは、名ばかりの者であるというのです。“かわいそうな女”ですか、“かわいらしい女”ですか? (「“かわいそうな女”です。」) “かわいそうな女”が、“かわいらしい女”になることは、大変です。頭から胴体まではかわいいのだけれど、その部分が、大変です。そのことを考えておいてください。 この下にある、女のそのものが、大変なのです。女のそのものが、今までの歴史を通して、一番、憎むべきものです。それは、罪を象徴するものとして唱えられてきました。それを好む者は、この社会において、サタン世界においても、人とは認められません。平均以下の者として取り扱われるというのは、事実です。 そのような女が“女様”になるのですが、だれによってですか? だれによって? (「お父様です。」)自分によって? 女は、自分ではできないのです。子供を絶対的に神様のように抱えて泣きずりながら、その子によって成すのです。 しかし、その子は、ただの子供ではありません。それは、旦那さんの代わりです。ですから、その子に対して、“こういうようにきれいに成長して、旦那さんになってくれればいいなあ。”というように思い、子供を、三時代の希望の的と考えて抱き抱えて、涙を流してきたのが、女性の立場なのです。それは、そうだと思いますか、そうではないと思いますか? エバ国家の女性が相手ですから、ここで先生が、はっきりと教えてあげます。エバの国の女性。それは、「母の国の女」と言うようになりましたね? あなたもですか? (「はい。」)本当ですか? (笑い) そのような並々ならぬ道を、絶対、唯一、永遠なる神様の立場に立って、「間違いなく、まさしくそうである。」というように答えることのできる日本の女性がいますか? 日本の女性の中で、先生に向かって、「そうです。」と言うことのできる女性が、一人でもいると思いますか? そうでなければ、そのように言えなかったとしても、そのような女性になるための途上に立っていると思いますか、完成した終着点に立って、完全に完成した女性となったと思いますか? (「途中です。」)いつ、その“途中”が終わるのですか? (笑い) 先生が死んでしまったら、どうするのですか? (「お父様が生きている間に成します。」)先生が死んでしまったら、どうするのですか? 「神様よ。再び、再臨の主を送ってください。兄さん、旦那様、お父様になることのできるかたを送ってください。」と言うのですか? そんなばかげたことができますか? ですから、いかに恐ろしい時代でしょうか? 母の国の使命を持った者たちは、深刻に記憶しなければなりません。天の願いに対して、「もう、すでに分かっています。」と、自動的に答えることができるような、神様も否定することができないような立場に立った、完全に復帰完成されて生まれ変わった者であったならば、自動的に返答します。 それは例えば、母親が、自分の子供の名前が太郎であったならば、「太郎さーん。」と子供を呼んで、その子供が、声が聞こえる所にいたとすれば、即座に「はーい。」と答えることと同じです。それを、自分の名前を呼ばれて、「何で、太郎と言うんだ?」と言うような者は、いません。 子供たる者は、「はーい、ここでーす。」と、すぐに答えるようになっています。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 先生の前に、先生の娘の資格を持っていますか? 奥さんに代わることのできる資格を持っていますか? 祝福を受けた女性たちは、昔、約婚した立場の者たちです。それは、奥さんに代わることのできる約婚した立場、約婚の女です。そうでしょう? ですから、その旦那さんの心情を知らなければなりません。そのかたを、自分の旦那さんに代わるごとくに考え、世界の、何をやっても代えられない自らの夫であると思う、そのように考えたことがあるのですか? 皆さんは、母を売ること、お父さんを売ることができますか? 例えば、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇陛下のためであれば、そのために自分のお父さんを取られるような立場になったら、日本列島、日本国民全体をやってでも、それは代えなければならないのです。それが本当の、筋の通った、真理なる結論であるのです。 ですから、「神様の娘」と言った場合、それは、神様の奥さんになることのできる約婚者であり、未来において、神様とともにあって、宇宙の母になることのできる資格者、ということになります。それは、大変です。 そのように考えると、永遠に侍ろうと思って、永遠に努力しても、それは、不可能なことです。ですから、結論は簡単です。絶対信仰。それは、ありがたいものです。 それは、白くペイントをすることと同じです。色を塗るのですが、白で分かるのでしょうか? それは、神様しか分かりません。そのようにペイントをして、先生が、娘のように、妻のように、母のように扱うべきなのが、日本の母の国です。 その母は、長男を養わなければなりません。世界の万民を、カイン、アベルを養わなければならないのです。闘いの怨讐世界、これを一つにさせる使命が、母の国の使命であるということを分からなければなりません。(「分かりました。」)(「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) そのことをなしうるような道があったとすれば、何が惜しいでしょうか? 手が惜しい? それならば、手を切ってしまいなさい。それくらいの気持ちが必要です。五官の器官が惜しいのであるならば、それを皆、失ってしまって、めちゃくちゃになったとしても、それは、問題ではありません。 たとえ命だけ残るような立場に立ったとしても、そうしてでも成し遂げるのです。子供を得るための生殖器だけ故障せずに残って、夫婦関係を結べば、それで子供を生むことができるのであれば、それ以上の宝物がない、というような決意に立たなければなりません。そのような女性、そのような子供が、日本に何人ぐらいいるでしょうか? そのように見れば、先生が、日本を母の国として設定しておいて、そのような基準を望んでいる、そのときの神様と先生の姿は、りっぱな姿でしょうか、かわいそうな姿でしょうか、それとも悲惨な姿でしょうか? このような女性を得ることができない悲惨な立場に立って、それでも未来を思いつつ、いつか娘を超えて、いつかは奥さんの使命を超えて、お母さんの使命を果たしてくれると信じている先生の立場です。その先生が苦労しないように、先生を解放圏に立たせることによって、神様のほうに展示しなければならない、というのが、エバの立場なのです。 それが、堕落した女たちの使命であるのにもかかわらず、いつ、そのようなことをやるのですか? 何も知らないのです。ただ“奥さんになろう”という思いで、本当に奥さんになることはできません。分かりましたか? なぜならば、それは第二陣です。二番目に立つべき、天使長の妻であり、天使長の娘の立場だからです。 ですから、堕落していないアダムが生まれなくては、神様の娘と、神様の妻と、神様の母の道は、永遠にありません。それを、お母さん、娘によって、再び接ぎ木をしてもらわなければならないのです。分かりましたか? 接ぎ木を行うためには、再臨の主、お父さんが来て歓迎される、その基準になったときに、そのような接ぎ木、祝福が成されて、自分の子供にするのです。 それは、子供から孫の家庭を中心として切って、孫から接ぎ木してもらわなければ、神様の母、神様の妻、神様の娘、大本の基準に返っていく道は、永遠にありません! そのような意味で、この女性たちを四十年間、抱えてきたのです。それを考えてみれば、恐ろしいことです。 ですから、身を火あぶりされて、万歳を叫び、最後に刺されても、何も惜しいことはありません。みんな焼かせてしまって、姿は影も形もなくしてしまい、“娘として、妻として、母としての名を消してしまいたい、そのような名が、自分の上に残るのが恥ずかしい”と思うべきです。 そうして、そのようにして焼かせて、残った灰から、二つに、神の愛によって、つくり返してもらうようなことが、接ぎ木です。それを孫を通して成すのです。分かりましたか? (「そうだと思います。」) 先生が、うそを言っていると思いますか、そうだと思いますか? (「はい。」)間違いないことです。これをはっきり分からなければなりません。そうすれば、霊界の聖人たちが、後孫と一体圏になって、そのメッセージを地上に喧伝するのです。それは、先生が聞くように、と言って送るものではありません。母の国に送るものです。分かりましたか? (「はい。」) 聖人たちのメッセージは、母の国によって復帰が成され、母の国が、本当に娘になり、奥さんになり、お母さんになるために送るものなのです。 彼らのように、霊界の堕落、堕落の苦労を共に経験した体は、その解放圏の自分を求めているのです。それで、地上のエバの国、母の国に、そのようなメッセージを送ったということを思わなければなりません。皆さんは、そのように考えたときがありますか? ありますか、ないですか? (「今、分かるようになりました。」)「今、分かるようになった。」のですか? 「いやあ、そのようになっているのか?」と。 そのような自分の姿を神様の御前にさらし、正面に立つことが恥ずかしいと思わなければなりません。体は真正面を向いていても、顔はこのように背けて、百八十度、ほかの所に向けなければ、恥ずかしさを隠すところはありません。 自分が、そのような者であったということを自覚もせずして、神様の祝福全体を、独り占めにしてしまおうという欲望を持つ者が、天国に入ることはありません。そのような者は、ぺっちゃんこです! 先生は、皆さんたち女性にとって、母の国にとってのだれですか? 兄さんの立場です。過去に約婚しながらも追い出した男性が再び帰ってきた、そのような“昔の約婚の男”だったのです。堕落前の母に、母とお父さんになるべき者が、こんな悲惨な立場に立っており、そのような立場につかせたのは自分であるという自覚を持たなければなりません。 その手、その身、細胞一つだに、神様に対して、それを明らかにして献納し、おささげすることができない立場です。それは、恥ずかしい。皆、隠さなければなりません。このような深刻なことを言ってすみません。分かりましたか? (「はい。」)たくさんのことを聞いても、皆、流してしまうのですが、今度、帰るときはそうではないでしょう? 娘になりたいですか? (「はい。」) 神様の御前に娘になることができなくて堕落した者が、神様の御前における約婚式を行い、妻として、母として立って、そのような蹂躙されたその女性自体が、先生の前に、苦労に次ぐ苦労をして、先生を生み変え、また生み変え、育て、また育てて、そうして、神様に世界的な親孝行をし、忠臣になり、聖人、聖子になることを願ってきたのです。 そのような女性を生みたい、生みたい、生みたいと願い、そうして生んで、立てたのは、真の父母です。そのような背後には、(マイク不良につき音声が途切れる)……血と犠牲を払い、生命が、恨みの声を地上に残してやっていったということを、母の国の女としては、一人も忘れることができない内容です。それは、たとえ一人でも、そのようなことを感じ、感じられないといけないというのです。 男として、自分にとって一番貴い生命は、何ですか? それは、母です。その母の国を神様の娘としてつくりあげなければならないのが、日本の男たちの使命です。天使長の立場であるならば、神様の元に帰って、本然のままの者になりたいというのが、願いです。そうして母を守り、国を守り、兄弟同士でも紛争するような堕落世界の在り方を蹴飛ばしてしまって、絶対的に一つになるような親子を起こさなければなりません。 そうして、自分の家庭には、争いやけんかをするようなことが影も形もない、というような理想的状態にしなければなりません。そうしなければ、神様の長男と神様の娘を、母の国である日本国内で育てることはできないようなことになる、ということは理論的です。分かりましたか? (「はい。」) 先生は、そのような心情で、霊界を見た場合には、何も言わないで、そのような者を求めてきました。そうでしょう? 神様が、エデンの園で、文先生みたいに、このようにはっきりと教えたらよかったのに、教えることのできなかった神様のつらさ。ですから、先生は、教えたらいけないことを教えてあげるのです。分かりましたか? (「はい。」) もう、今は分かるでしょう。(マイク不良につき音声が途切れる)……長子は、母子協助圏は、天使長であり、天使長世界です。霊界も地界も、解放圏の地上天国、天上天国が果たされない圏までは、天使長の血統が残っています。その時代は、母子協助です。 子供を天使長より以上に、未来の旦那さんを天使長より以上に、未来のお父さんを天使長より以上にするのです。ですから、母子協助です。分かりましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) お父様が来られた場合には、「お母さんは、苦労したのですから、お母さんは家にとどまって、もう休んでもよろしい、よろしい。」と言って、お父さんも、そのようなことを願うのです。母の苦労を皆、知った場合には、それは、かわいそうでしょう? 女性たちが、いかに人知れず苦労をしたか? 東西南北、三百六十度、何回もこのように回り、このように回って、立体的に回り、回りながら、さまよった女の道を知る旦那さんとしては、過去の苦労の道を、もっと貴く思って、「休みなさい。」と言うのです。 「休め。」と言っているのですが、子供にまで「休め。」と言ったら大変です。お母さんは休むのだけれど、子供に対しては、お母さんより以上の立場になることを願ってきた、お母さんの立場があるのです。 その子供は、自分を神様の息子として立たせようとしてきたことも、旦那さんとして立てようとしたことも、それから母親自身も、お母様として立つべく、そのような基準を願ってきたということも知っているのです。 ですから、母親が、そのようなことをなそうとしなくても、すでにお父さんがいるので、子供は、世界全体を主管しえて余りあるような立場に立つのです。それで、“母は休めばいい”という、そのような時代圏に超えていくのです。それが、父子……何ですか? (「協助です。」)はっきりします。(「はい。」) 母子協助時代と父子協助時代。どちらを願いますか? 父子協助を願う皆さんは、神様の堕落しなかった本当の娘になり、約婚の娘の立場で結婚の予約をして結婚し、そうして、妻と、母の立場の基準を完成した立場ということになります。 女性の欲望は、神様の妹になり、神様の相対者になり、神様とともに子供を生むというのが、女性の最高の理想です。男も、同様です。神様の主管される、その国の王子、王様となることが、男性の最高の理想です。そのような実体圏に含まれたいというのが、人間の最高の欲望になっているのです。 なぜ、このような内容になっているのでしょうか? 本心は、そのようなことを願うようになっているのです。方位磁針は、そうでしょう? それは、南北を中心として方向を指し示すものですが、いくら東西の方向に寒暖があったとしても、それは、いつも間違いなく南北を指すのです。 人間の良心(本心)は、それと同じようなものですが、欲望の良心として、自分を引きずっていって苦労させるような、そのような欲望は、よく苦労をさせる欲望です。(マイク不良につき音声が途切れる)……人類の希望の的になっておるんですよ。分かりましたか? (「はい。」) 女性に、「あなたの胸を、子供のようにそれを切ってしまいなさい。」と言ったら、切ってしまうでしょうか? 女性のそれは、どうですか? なぜ、そのようなことを聞くのでしょうか? これでもって堕落したというのです。ですから、女性の、その女性たる器官をセメント、コンクリートによって、みんな使えなくしてしまえるのかどうか、というのです。それによって、天宙を破壊してしまっているのです。 ですから、どんなことがあっても、成されないことがないような決意に燃えて、自分も知らないで、何度も死ぬ境地を超えていくような神様の娘でなければ、神様に迎えられることはできません。そのように迎えられる女性になることのできる者は、一人もいません。 文先生は、そのような内容を知ったのですから、再臨の主たる者は、どういうことに……。女より以上の道を行こうとして、獄中を願いながら、ただぐるぐると回ってきた者です。 それは、なぜでしょうか? 母を救うためです。妻を求め、娘を求めて、苦労、苦労の獄中生活をやってきたのです。そのようなことを母の国のためにやったということを真に知る女性は、一人もいないでしょう。分かりましたか? (「はい。」) 先生の苦労、苦労、苦労は、だれのためにやったのでしょうか? みんなのため、わしのため。“我々”ではありません。“私たち”ではありません。“わし”のため。この御旨の道は、“我々”という観念がないのです。わし! 私! 神様は、“私”という観念も、今まで持っていらっしゃいませんでした。神様は、「我」という言葉をお使いになったことがないのです。神様ご自身が完成したら、神様ご自身、個人で“私”という立場に立たれることになります。 ですから、そのような立場に立って、神様の長子圏の代表として、神様の御前に、“天宙復帰は、わしがやる。”と。「我」という者には、「我々の教会」という言葉はないのです。分かりましたか? (「はい。」) 蕩減復帰は、だれがしますか? (「私たちです。」)娘がするのではありません。お母さんがするのではありません。“わし”。各自、各自が成すのです。先生に苦労をさせてきた場合には、君たちは痛哭し、憤死しながら痛哭しても、それは迎えることはできません。そのような恥ずかしい立場であるということを、ずーっと分かっている女性は、日本で何人いますか? 分かりましたか? (「はい。」) なぜ、済州島に来ましたか? このようなとき、このような話を聞かなかったらよかったのに。そのようなことを思っていてはいけません。くるくる回って、方向転換をして、このようにして、ずーっと反対に回れば、また会いました。(笑い)自分の自由ではないですか? このように回って、三百六十度回れば、また会えるのです。 しかし、「文先生に会ってくる。」と言って会える、そんなばかげたことはありません。会うことはできません。日本の国は、(マイク不良につき音声が途切れる)……女が吹っ飛んでしまうと。 先生には、子供がたくさんいます。要するに、霊界が直接、日本の国を吹っ飛ばして、吹っ飛んでしまったとしても、時代が違うのです。母子協助時代が、父子協助時代になるのですから。「お母さん、お父さーん、お母さんがなくてもいいですよ。わしがいくらでも、エバ国は島国、どこへ行っても、女王様でも買ってきますから。」と言うのです。それが嫌であるとしても、お父さんの前に、母を再び迎えられる時代に入ったという、そのような話です。分かりましたか? (「はい。」) 父子協助時代は、お母さんがいなくてもよいのです。お母さん、女は、東西南北、三百六十度、このように回っていなかったのです。このように回ったら、皆、あるのです。文先生のことは、だれでも願うのです。分かりましたか? (「はい。」)文先生のことを願うのは、日本人ばかりではありません。韓国においても、そうです。 ですから、それから今度は、日本においても、三億六千万双の祝福式を日本の国において行うと言って、トップの人たちがこぞって、世界に向けて公文を出して、「日本においては、世界にまたとない、天下を代表した祝福式を行います。」と通知を出していたのならば、もう世界で国を持ったすべての頭たちは、「◯月◯日で三億六千万双の祝福式に参加することができます。」と返事を出していたことでしょう。 もし、そのような公文を出していたとすれば、日本は、どのようになっていたでしょうか? どうなったでしょう? それができないので、日本のために、さらに四十日までも待ちました。しかし、しかたがない。それで、四十日後、その開催地を韓国に切り返して、三億六千万双の祝福を、先生は成しえているのです。日本の国は、そのようなことを夢にも思いません。それでおしまいです、おしまい。 そのような父子協助時代を宣布したのです。分かりましたか? (「はい。」)日本の国は、行ったり、来たり、どこでも行ってしまうのです。そのような起源があるから、日本を放棄することができないのです。 それで、三人の娘の立場として三か国を立たせて、神様のほうに、仮契約をしているのです。日本が失敗した場合には、三つの島国が、その代わりを成します。その一つが何かというと、台湾です。台湾を中心として、フィリピンとカナダです。 台湾は、中国のエバ国家。中国の領土。そうでしょう? フィリピン、それはアメリカの領土。分かりましたか? (「はい。」)それから、カナダはイギリスの領土。それら三人の“女”を立たせてやるのです。お母さんが果たせなかった場合には、三人を制定して、代わりにさせる時代に、もう入っているのです。 ですから、皆さんが献金した、そのような献金。そのようなものは、本当は必要ではないのです。自分の気ままに使った、その使い残り、使い残りの物を神様にささげるというような、そのような悪辣なものは、天下にはありません。先生の世界にはありません。 日本の国とともに、アジアを加えて、神様に献納すべき、そのような日本の国であるにもかかわらず、そのようなことを思いも想像もしないその国が、エバの国になることができるような伝統的精神を持っているのですか? 歴史を通じて飾ることができるような伝統精神が、日本の国にあると思いますか、ないと思いますか? ない? ある? もう、このように、最後にはっきりと教えてあげたのです。切って、太平洋に蹴飛ばしてしまいますか? サッカー、フットボールみたいに、こうやって蹴飛ばして投げてしまいますか? それは、大変です。どう思いますか、皆さんたち? 名門の家の娘として、または奥さんとしての立場がある場合には、無謀な行動をしたなら、どうしますか? 家も顧みない、国も顧みない、そのようなことを教える所であると言って、文先生は、もう世界的な悪魔の王者としてうわさされています。日本から来るいろいろなうわさを聞いているのです。うわさをね。 そのようなことは、もう揮発油をつけて、バーン! と、マッチ一本で消してしまえることなのです。先生が投入した心情というものは、先生は自分で知っているのです。ですから、その種を、どこかでまとめなければならないので、娘の立場に立つ三か国の“島国”を結束させて、日本の代わりに埋めていこうとしているのです。 その三か国が皆、問題です。ハワイだに、使命を果たすことができなかった場合には、世界の統一教会の女性たちを一体化させて、すぐ切り返しをします。先生は、きっぱりした男です。分かりましたか? (「はい。」)真剣になって帰ってください。(「はい。」) 今、世界的な重要な位置は皆、日本人が立っています。韓国の女性ではなく、日本の女性たちが世界に出ているのです。それは、大変です。皆、ありとあらゆることを言うのです。「韓国の先生は、やはり韓国人だ。」と言っているのです。「日本人は、四十年の間ずーっと、帝政時代に韓国に圧力を加えたので、それを蕩減復帰しようとする姿を、堂々と持ち帰っている文先生だ。」と、いろいろなことを言っています。 夢にも思わないことを言っているのです。そのようなことであるとか、このような天下の秘密のことを詳細に語ってあげるのは、初めてです。分かりましたか? (「はい。」) 母子協助、分かりましたか? (「はい。」)父子協助、分かりましたか? (「はい。」)父子協助というのは、お母さんは、いくらでも埋め合わせることができます。先生の話を聞いてみると、みんな落第生ですか、及第生ですか? 君たちの舌で、口で答えてください。落第生? 及第生? (「落第生です。」) 目も落第、鼻も落第、口も落第、骨も落第、すべての細胞も皆、落第です。それを選りだして使う道はありません。種として、植えるような見込みはありません。皆、腐っているのです。しかたなく、先生は、再び次へと抱えて、妻を、お母さんを育ててくるための、この四十年間の苦労の道を歩んできたのです。 これは、四百年間でも、四千年間の苦労をしてでも、そのホームベースとなることもできない難しい国です。日本は、韓国と怨讐国家でしょう? 怨讐でも、怨讐の中の怨讐です。 日本の男性たちも、交差結婚なので、韓国で韓国人と結婚しなければなりません。怨讐みたいなその交差結婚は、妻につばをかける者もありません。神様の本音、本当の願いの、苦労の本音に報いてさしあげる、そのような基準に立って、そのことを成したのです。 文先生は、そのようなことをしなくても、日本人より以上の者を、どこでも集めて使う道は、いくらでもあります。分かりましたか? (「はい。」)女性たち。先生は、思ったとおり、希望を持って、四十年以上、蕩減の道を歩んできました。そのようにして試練を超えてきた先生が口を開けた場合、その先生の口から呪いの言葉が出た場合は、大変です。 先生は、自分をどんどん蹴飛ばすようなことをしても、何の未練もない男です。恐ろしい先生です。きっぱりしています。約束した場合、そのとおりになしていくのです。分かりましたか?(「はい。」) これは、三段階の、これは済州島の地帰島の、もう入り口に立っているのです。地帰島。母子協助! それは必要ですか、必要ではないですか? 苦労したいですか? 女性よ、目覚めよ。先生の妹になりなさい。なるか、ならないか? (「なります。」) ここの奥さんも、妹になりなさい。(マイク不良につき音声が途切れる)……大変です。約婚の娘の立場に立ったということを、忘れてはいけません。それをなげうって、神様にとっての姦夫と一体となってしまったのです。その者を再び求めて、会ったということは、恥ずかしいどころのことではないのです。何とも言いようがありません。 その立場において、威張った姿で堂々と歩くという場合、そのような姿を天がごらんになったときに、どのように思われるかと、そのことを考えないといけません。そのようなことを、先生は皆、知っているのです。お金が問題ではありません。一人が問題、一家族が問題、一族、国家が問題ではありません。 国を目標として立ててこられた神様の、悲惨なその内容を知ったら、国をいっぺんにエバから弁済しなければなりません。しかし、弁済しようとしている女性は、一人もいないではないですか? 皆さんは、教主の何ですか? 妹ですか? (「はい。」)皆さんは、未来の約婚者です。 先生の妹ですか? (「はい。」)前に約婚して、それを皆、放棄した反逆者ですか? それを、昔のように、「うわーっ、会ってくれない。」と言う、そのような不平を言うような女性ですか? それは、女でも何でもありません。サタンでも、「前の、約婚娘であった。」と言う、そのようなことはできないのです。 ですから、女たる者は、先生を慕わざるをえないのです。なぜ、皆、そうなのでしょうか? ここにいるたくさんの女性を見てみてください。皆、八〇パーセントは女性ではないでしょうか? 宗教圏では、七〇パーセント以上は、女性です。ですから、女性の訓練所です。 きょう、最後に、先生の教えるその内容に合格する者は、何人ですか? 三人ぐらい残ったとしても、それでいいのです。皆、消えてしまっても、その三人は、エデンの園、天国に入れるのですが、楽園と地獄とは別の世界で、反対の声も、その怨声も、叫ぶ悲惨な声も聞かれない。そういう悲しい声を聞かないで済む、そのような所をつくるのです。 厄介な昔、因縁があったのです。それを引きずりながら、引っ張っていくのです。それをさっさと切ってしまいなさい、というのです、今。分かりましたか? (「はい。」)なぜならば、神様が、先生に対して、“すまない、すまない”と思われるからです。 “わしが後ろを向いて、待ちに待っていた、それを文先生はやっと捜し出し、それをみんな解除して、解放圏を立てた。わしの権限では、皆さんの中から今になって、先生の前に負債を負うような者を一人も作りたくない。”というのが、神様の考えなのです。分かりましたか? (「はい。」) 神様の願うとおりにやりなさい! (「はい!」)祈ったら、そうなるのです。先生には、生涯をかけて、清々溌剌の青春期を失って、老人になって、墓場を前にして、解放と地上、天上天国解放圏を思いつつやってきた、その歴史があるのです。ですから、神様は大変です。それは、文先生を慰める道がないというのです。分かりましたか? (「はい。」) それは、ずーっと削られて、ちり箱に入れられるのですが、待っておったら、サタンも皆、ちり箱から、捨てたちりを再び溶鉱炉に入れて、それを再創造してあげるのです。そういうことがらを待つのです。待つ、待つ。分かりましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) 男性たちは、母の長男、次男にならなければいけません。分かりましたか? (「はい。」)日本の国において、孝子、忠臣、さらに親孝行どころではない聖人、そして聖子より以上の立場になるので、それは母子協助ではなく、父子協助です。そして、長男と次男が一つになり、争いがないという模範と伝統を母の国から示さなければなりません。それを母の代わりになして、それは伝統を植え込まなければなりません。 ですから、使命は長男にあります。そうでしょう? (「はい。」)今、日本では、二世、若者たちが大変です。それは、米国よりもっと大変なことになるのです。国家の中で、皆、共に殺し合うようなことが、もう始まってくるでしょう。韓国もそうです。米国は、もう遠ざかって、過ぎ去っていったのです。今から、それは後について行きます。 次男が、もっと悪い。三男は、希望がない。サタン世界では、希望はないのです。それは、滅亡です。原理は、そのようになっています。神様の主管圏の世界は、そうならざるをえません。いくらもみ合って、反対に抜けようとしても、もう抜けられる道はありません。抜けられる道があれば、先生は、このような苦労をしません。 日本は怨讐国家でも、その日本人から誘惑されるようなことは、絶対されません。しかし、しかたないからといって、しかたない態度でやったらだめなのです。先生は、それはもう二重三重の精誠を尽くして、日本を立たせていく決意をして、今まで一心不乱にやってきたのです。 先生が、日本人に対してなした待遇は、これ以上ない、言葉で表すことはできないほどのものです。しかし、それに対して、先生に勝る歴史を残し、先生に勝る精誠を尽くして、日本人として先生を迎えることのできた者たちは、一人もいないのです。分かりましたか? (「はい。」)分かりました、分かりませんでした? (「分かりました。」)分からなかったら、分かってしまいなさい。(「分かりました。」) 金をもって、何をするのですか? 子供をよみがえらせることができますか? 娘をよみがえらせることができますか? 奥さん、母を復活させることができますか? 世界を生むためには、母の血と汗と骨髄までを溶かして子供に投入する、そのような母でなければ、親孝行の娘を育てる資格はありません。国に対する忠臣者を育てる資格はありません。 聖人、聖子たちを育てることのできる、母としての使命がないはずなのに、それ以上の祝福権限に立って、思いもよらない、姿も形も取らないようなその者は、愚か者の中でも、さらに愚か者です。ばかは……? (「死ななきゃ治らない。」)死んだら、どうしますか? (「地獄に行きます。」)地獄も行かれません。無抵抗。そのような時代になります。 神様は、再びもう、地獄で嘆くその怨声、そのような声を「再び聞きたくない。」と言われるのです。先生を解放、すぐ処置するのです。(マイク不良につき音声が途切れる)……それを見ながら、退治をする手を、こういうことができなかったのだから。先生は、霊界は、すぐ切り替えする。そのような先生は、恐ろしい男です。分かりましたか? (「はい。」) このようなことも、皆さんが帰る間際にも話をするのです。先生も、七時から七時半になったら帰らないといけません。ですから、何を珍しがって、このようにぐだぐだと語ってあげる必要もありません。夏ですから、指導して、それはもう、皆さんが帰っていくならば、コカコーラ一杯ずつ飲ませて「帰りなさい。」と言えばいいのです。(笑い) 先生が、呼んだのではありません。君たちが、(マイク不良につき音声が途切れる)……もう分からないように、それはもう、来たかったら、来てみてください。先生は、いるかいないか、分からないと思うのです。(笑い)来てみてください。“来るだろうな。”と思っていても、こんなにたくさんの者が来るとは思いませんでした。皆さんの出身の県で、抜けている県がないでしょうね。 さあ、お別れしましょう。別れても、先生は、はっきりと教えました。分かりましたか? (「はい。」)そのまま行きますか、「回れ右」をして、その場に立って、回りますか、回る途端に走って、先生の行く道の前に立ちますか? 道は、それ一本しかないのです。 恐れてはいけません。(笑い)このような内容なので、食口ではないですか? ですから、しかたがある、しかたがない? しかたがないではないですか? (「しかたないことです。」)しかたないことではないですか? ですから、しかたない立場です。また帰って、そのまま、先生は回れ右をしました。百八十度変わってしまいました。先生の前に、先生を蹴飛ばしていかなければいけないのです。指導されないようにするのです。先生の苦難の道を、自分たちが先頭を切って、それは、もう“責任を持つ”という立場で行かなければなりません。先生の前に、先生のいる前に行って立って、「すみません。今からもう一回、赦してください。」と言えるはずがありません。(マイク不良につき音声が途切れる) ……先生は、そのような準備をさっぱりと満たしています。先生がこのように発表した、そのような内容は、もう永遠に歴史に残るのです。ですから、先祖である皆さんたちが、そのとおりにしなかった場合には、その者は、後孫において、皆、引っ掛かってしまうのです。恐ろしいことです。 もし、信じなかったら、やってみてください。霊界に行ってみてください。皆さんが、日本全体が皆、引っ掛かってしまうのです。例えば、母が誤った場合、一家を滅亡させるのです。そうでしょう? 旦那さん(マイク不良につき音声が途切れる)……子供があったら、 舅 家全体、部落全体が……(マイク不良につき音声が途切れる) 母の罪、奥さんの罪、娘の罪、三人のうちのだれか一人がやっても、一家族の恥となり、それはもう、即座につながってしまう。そのような伝統的な歴史を持っています。サタン世界も、そうではないですか? 先生の話は合っていますか? (「合っています。」) ですから、二世として入った男の子たちは、「お父さん、お母さん。何をやっているのですか? 先生は、まさしく真理、蕩減復帰原則を言ったのに、なぜ今、泣いて、そのような態度をもって、今まで先生から聞いたこと、語られたすべてのことを完成せずに、そのような不完成の末端圏に立って、悲惨な姿をなしているのですか? 母ちゃん!」と、攻撃してくるようになるのです。分かりましたか? (「はい。」) 二世を覚醒させなさい。母より以上に。皆さんの娘のほうが、何十倍の十字架の道でも、垂直に行くことができます。そのような決意を固めて、一家で、会議でもって決定しなければなりません。そのような運命、宿命的な日が来ました。分かりましたか? それで、先生は詳細に教えるのです。過去は、母子協助時代でした。今は? (「父子協助時代です。」)間違いないのです。母がいなくても、休めます。ですから、お母様は、今まで、先生を休ませるのです。もう、五年前から、そのようなことをやっています。そうして、「願うことがあったら、やりなさい。」と。 お母様は、どこかの食口たちが、お金がないというので、それでいろいろな物を買ってあげたということが、たくさんあったのです。そのようにして、皆、買ってあげました。それで、買ってあげるお金がないから、自分の着物まで、それも肌着まで皆、脱いであげるのです。かわいそうなお母様。 ですから、母の国の日本が肌着を脱いで、世界のために、もっとそのようにして愛する伝統を持つべきなのです。それは、日本、世界のこともそうであるし、カイン、アベル紛争圏についてもそうです。 国が協助したならば、それは外務省が責任を持って、いかなる宣教師でも、国を挙げて奉仕することができるようにしなければなりません。そういうことを教育すべきなのが、日本政府の使命であるのに、反対の使命をしています。 逆に、混乱する、そのような日が遠くないのです。めちゃくちゃになることでしょう。先生が打ちかけた場合、大変ですよ。そのような場合、日本政府はぺっちゃんこになります。何をやっても詳細に分かるのです。そのような保護を、先生が責任を持って、皆、解除してあげているのです。 そのようなことを先生自身の重荷として背負ってきたのが、文先生の四十年間の歩みです。敗北し、草までも皆、焼かれてしまった日本が、四十年の間に、天下の、それはもう世界の金持ちの国になったということは、その背後にそのような歴史があったということを知らなければなりません。 文先生が母の国と任命したのですから、英国を通して西洋文明圏を伝え、アングロサクソンである英国と米国を中心として、それらを皆、日本に連結したのです。 ですから、今、日本は米国以上でしょう? しかし、今からそれは、米国の資金が皆、いっぺんに取られたときには、日本の国のお金持ちは、空っぽになるのです。それを知っていますか? 知っている? (「はい。」) 先生は、米国で政府を動かすような力があるのです。中共でもロシアでも。恐ろしい男です。いつ、それを使いましたか? 先生の思想は、恐ろしいのです。(マイク不良につき音声が途切れる) 共産主義を壊滅させた場合には、それ以降に復活させる道に責任を持たなければ、それは悪辣の王子、指導者ということになります。聖人の中の聖人は、死んだ後においても責任を執らなければなりません。 歴史は、もう明らかであり、そのようなことも啓蒙してきたのにもかかわらず、文先生が歴史に責任を持って、人類皆に対して責任を果たすべき公的な立場を持っているとすれば、それは、滅亡した後のロシアをどのように処理するかについて、責任を執らなければならないのです。 それについては、ずーっと、最高の……。ロシアの文部長官が、先生がロシアを離れる十五分前に訪問してきました。そして、「大変なことがあったのですから、文先生、会ってください。」と言って、大変でした。ですから、「君、何だ? 文部長官が、なぜ来たのですか?」と聞きました。その人は、最高レベルの責任者なのです。 こちらから「何ですか?」と聞くと、「あなたは、共産主義打倒の一番の魁首であり、そのような運動の世界的先頭としてやってきた人物です。ですから、その思想は、もうKGB(旧ソ連の国家保安委員会)で、私たちが出会ったときよりも昔から、八年前から勉強、研究していたのです。」と言うのです。分かりましたか? どうせ共産主義は、文先生の理論に負けるようになっているのです。どんな主義でも、そうです。それは分かります。しかし、それらが負けた後に、いかに収拾するかが重要です。それは簡単です。「ために生きなさい。」これが答えです。 神様の理想の愛と、その愛の世界。愛をもって奉仕していくのです。愛は、独りでは、自分独自では、愛の世界を得ることはできません。そうでしょう? 神様ご自身においても、そうです。理論的にこうなのです。(マイク不良につき、しばらく音声が途切れる) 文先生は、並々ならぬ男です。日本の歴史において、いくらそれはもう、風に語って、高めて、高く上げていますけれども、日本の女性には、文先生みたいな男は、もう、思い出すことができないのです。分かりましたか? (「はい。」)正しい内容をはっきりと教えてあげたのですから、はっきりした娘と、はっきりした約婚者、はっきりしたお母さんになってもらいたい、というのが、そのような内容を提示した先生が、そのようにして並んで帰って行く皆さんに対して願う気持ちです。 ですから、そのようにして結果を立たせて、再び帰ってくるのですから、もう一回、この済州島で、また新しい希望の言葉を伝えることがあるかもしれません。(拍手)お、お、お、お。拍手は後です。(笑い)見事、なして帰ってきて、拍手で迎える日を願うのであったら、もう一回、会って……。 そのような日本人には、会わなくてもいいのです。米国でも、「文先生。うわー、もう、韓国とかアジアへ行かなくてもいいです。」と言うし、英国でも言うのです。皆、自分たちで手配を済ませて、「何でも、よろしゅうござんす。」と言って、世界どこでも、「別荘を用意いたします。別荘は、国が保護してあげますから。」と言うのです。 北韓でも、そのように文先生と緊密です。北韓では、りっぱな別館を先生にくれると約束しているのです。今、そこに行ってもね、金正日総書記は、言わば、先生の甥の立場になります。ですから、先生が行けば、「おーい、金正日君。じいさんが帰ってきた。じいさんが帰ってきた。」と言って、「あなたのお父さんの言ったとおりに、それを成せばいいではないの。」と言うのです。分かりましたか? (「はい。」) このように話を聞いている間は、気持ちが悪かったのだけれど、「もう一回、会うことができるかもしれない。」ということを言ったのですから、希望の朝になりますね。(拍手)はい。 歴史が、もしも血を見るようなことになった場合には、大変なことになるのです。ですから、歯を食いしばって、先生の前に、生涯、“血を流されるのは見たくない”と思って、頑張らなければなりません。今でも悪辣な怨讐が、たくさん前に並んで反対したとしても、“知らない”といって、聞かなければよいのです。分かりましたか? (「はい。」) “先生が不必要だ”という者、手を挙げてください。“先生が絶対に必要だ”と思えば、座っていないで、うわーっと、いっぺんで立ってください。手を出してください。(「はい。」) (マイク不良につき音声が途切れる)分かりましたか? (「はい。」)日本を抱えて、先生の所ではありません。日本人を覚醒させてください。(マイク不良につき、しばらく音声が途切れているため一部省略) 先生の気持ちは皆、そうです。このような歴史にまたとない秘密の内容を詳細に教えてあげました。それは、天国に行って、先祖たちとともに、聖人たちとともに、その前で教えるべき内容です。 これを、日本の信じられない者たちを前にして、詳細に教えたのです。父子協助と母子協助が何であるかということを、はっきり分かりましたか? 「分かります」、「分かりません」、どっちですか? 「す」、「せん」、どっちですか? (「『す』です。」)もう簡単にします。「すー。」(笑い) それでは、先生の願ったとおりに願うということになりますが、皆さんが、「ここにおいて願ったとおりになしえたのか?」と言われたときに、自分の実績、行動いかんによって、それは左右されることになるので、この場で先生は、命令のように言いたくないのです。 今、伝統と国を授けてあげる時代が来ました。日本のメンバー。りっぱな子供、りっぱな奥さんたち。今朝、はっきり分かりましたね? 済州島という地名は、州はどこでも島でも国になり、島といっても、それは島国ではありません。これは、未知の言葉です。「サイシュウ」ではなくて、「サイシ」ならば、「祭司」になります。それが済州島です。それは、祭司長になるための島。そのように、ぴたっと考えれば、もう何人もの人が、大使をするでしょう。分かりましたか? (「はい。」) 分からなかった者は、手を挙げてください。もう、いないではないですか? 全部分かりましたか? (「はい。」)先生は、もう、頭がぼやーっとして、分からないのに。(笑い)それではもう、生気溌剌として、うわー、一、二、一、二、三、四と、そのようにしてみてください。(笑い)両手と両足、四肢を上げて、万歳をして。一、二、三、四、それでは、一、二、三、四、ばんざーい。(「ばんざーい。」)(拍手)(真のご父母様に敬礼)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.21
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真の父母様宣布文サイトからの新着NEWSで真の「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え) |(1)真のお父様は、真のお母様の生涯路程を常に重視され、お母様と共に摂理を推進された 「真の父母論」で論じられているように、真の父母様は摂理完成のための〝中心軸〟に立っておられる。真のお父様が摂理を進めるにあたって、お母様を立てられ、常に摂理を推進してこられたことを理解しておく必要がある。非原理集団は〝お母様によってお父様の伝統が覆されている〟かのように批判している。しかし、この批判は、お父様が今日まで、いかにお母様を重視して摂理を進めてこられたのかを知らずに批判しているものに過ぎない。 具体例を挙げると、非原理集団は〝お父様が2010年に定められた「天基元年」の年号が、2013年にお母様によって「天一国元年」に改められた。お父様が立てられた伝統をお母様が覆している〟と批判する。しかし、この批判は、お父様の摂理観と一致していない批判である。お父様が進められた摂理は、お母様と共にあったものであり、お父様が定められた「基元節」のもつ意義を理解していれば生じることのない批判であると言わざるを得ない。 お父様は2010年に「天基元年」を宣布された。そして2013年1月13日の「基元節」をDデーと定め、3度目の「聖婚式」を行うと語っておられた。お母様は、このお父様が定められた2013年1月13日の「基元節」を迎えて、「天一国元年」を宣布された。これは、お父様の願いに基づいたものである。 お父様が推進された天の摂理は、常にお母様の勝利圏と共にあった事実を踏まえ、以下の内容に対し理解をさらに深めなければならない。①一度目の「聖婚式」(小羊の婚宴)と「天紀元年」の発表 まず、1960年のお母様との一度目の「聖婚式」を機に、人類の「真の父母」が立ったことを宣言された。お父様はそれを〝小羊の婚宴〟と呼ばれ、お父様はお母様と共に祝福結婚による血統転換をなしながら、人類の救援摂理を推し進められた。お父様だけでなく、お母様がおらずして人類の救援摂理はあり得ないことを知らなければならない。 お父様は1977年2月23日の聖誕日に「天紀元年」を発表された。その日を「地勝日(天地勝利の日)」とされ、次のようにみ言を語られた。 「陰暦の1977年の1月6日は私と妻の誕生日であり、また歴史的新紀元の年(天紀元年)を発表した日として、全員でそれを祝いました。全宇宙も祝ってくれます。……天宙的新紀元が始まるからです。きょう、妻(真のお母様)は34歳を越えます。イエス様は、33歳以上行くことができませんでした。イエス様は、34歳の誕生日を神と共に祝いたかったのです。しかし、十字架のゆえにできませんでした。今年、妻は、34歳を越え、イエス様の33歳を越えていくことになります。ですから、そういう意味でも、きょうは最も記念すべき日なのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』557~558ページ、『御旨と世界』は545ページ)。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのである。このように、お母様が34歳を迎えられた時に、イエス様の越えられなかった33歳を越えたとして、お父様は「天紀元年」を発表されたのである。②聖婚33周年に「成約時代」を宣布 次に、お父様は1993年に「成約時代」を宣布され、そこから「成約時代」を数えていかれた。お父様は1993年の「父母の日」に、次のように語られた。 「きょうは第34回父母の日です。33周年です。33は完成を意味します。それは、きょうの父母の日はイエス様の年齢だということです。イエス様は、33歳の時に家庭をなすはずでしたが、十字架上で亡くなり、その立場をなせませんでした」(『祝福』1993年夏季号、55ページ)。このように、お母様との聖婚33周年を「完成を意味」すると語っておられる。お父様はイースト・ガーデンで〝特別なお祝い〟をされ、お母様に指輪を贈られた。そのお祝いについて次のように語られた。 「この前、イエス様の33回目の誕生日を祝いましたね。……それで先生は、イエス様を解放して、イエス様が家庭を持って43歳(お母様の還暦の2003年)になるまでに、完全な世界的基盤をつくらなければならないので、急いでいるのです」(『ファミリー』1993年9月号35ページ)。このように、お母様の〝還暦〟の年をめざして「完全な世界的基盤をつくらなければならない」と語っておられる。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられる。 そして、1993年から「成約時代」を数えられ、成約時代7年目(1999年)の6月14日、第37回「真の万物の日」に「真の父母様天宙勝利祝賀宣布式」を挙行された。お父様はお母様に〝表彰牌〟を贈られ、お二人が対等な位置にあることを繰り返し明言され、次のように語られた。 「あなた(真のお母様)は……真の父母の使命を完遂されました」(『真の父母經』1440ページ)。「お母様が今からは対等な位置に立つようになりました。男女平等圏時代が訪れたのです」(同1441ページ)。お父様は、お母様が真の父母として「対等な位置」「同等な立場」に立ち、さらに「天国の門を私(真のお父様)よりも先にお母様が開かなければならない」(1999年4月16日、『ファミリー』1999年6月号21ページ)とまで語られた。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのである。③お母様の還暦の時、二度目の「聖婚式」を挙行(略)<続きはこちらから>上記はほんの一例ですが、お父様はお母様の年齢に合わせて重要な「宣布」を成されてきたことを物語っていました。このことから見てもお父様お一人で摂理をされてこられたのではなかったことを推し量ることが出来ます。また、宣布文サイトの記事後半はこれまでの非原理集団の誤った〝お母様批判〟についても書き足していました。是非参考にしてください。以下は自称ルポライターtomy4509の過去記事です。サンクチュアリ教会・亨進牧師がお父様聖和の時にお母様についての証をしていたものです。◆「爆弾「聖和の辞」は無事に炸裂した(拡散された)でしょうか? |」(2020.10.22)文鮮明総裁の聖和式後の9月17日における「基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会」での文亨進氏の映像でもお母様を以下のように証ししていました。<文亨進(문형진)様のみ言>第一に、真のお母様は1960年に第一次蘇生級完成式を通じて本然のアダムとして来られた真のお父様により神の娘として創造され真のお父様の直接主管圏の中でただ、真のお父様のみを見つめられ成長と完成の路程を歩まれました第二に、真のお母様は真のお父様と縦的に一つになる17年路程を通して1977年2月、地勝日を迎え娘の位置から妹の位置に上がられ完全な解放と共に天基元年と基元節の宣布を可能とされました第三に、1977年から始まった14年路程を勝利された真のお母様は1991年7月1日神様祝福永遠宣布式を通じて妹の位置から夫人の位置に上がられ真のお父様の横の位置に立たれるようになりました第四に、1991年から9年路程を勝利された真のお母様は1999年世界80ケ都市巡回講演を終えられ真のお父様から表彰を受けられましたついに神様が公認しサタンが公認し人類が公認する位置に上がられ夫人の位置から母の位置に上がられ真のお父様と対等な位置に立たれ男女平等圏時代を開いて下さいました第五に、1999年から1年路程を勝利された真のお母様は2000年世界40ケ都市巡回講演を勝利され母の位置から祖父母の位置に上がられ真のお父様と同じ位置に上がられ国家単位の入籍を許諾する祝福時代を開いて下さいました第六に、2000年から3年路程を勝利された真のお母様は2003年1月6日祖母の位置から女王の位置に上がられ第二次長生級完成式を天地父母様天一国開門祝福聖婚式と天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の挙行を可能にされましたそれ以降、真のお母様は真のお父様と一体となられ天一国の門を大きく開いて下さり天一国入籍祝福の時代を開いて下さりました最後に、真のお母様は女王の位置から神様の実体の位置に上がられる3年路程を勝利されました2005年、天宙平和連合を創設され世界180か国巡回講演が行われた2006年6月13日に挙行された天正宮入宮戴冠式を神様と真の父母様が一体となって挙行され神様が真の父母様の体を使われ有形で顕現され神様と真の父母様をこれ以上区別できない新しい時代が開かれましたこのように僕の僕の位置から人類の真の母として歩まれた路程は決してご自身の安定と権威を高めるためのものではありませんでした神様の解放と人類の救援と恒久的な平和理想世界具現のため昼夜を問わず神様と真のお父様と一生涯を共に歩んでこられた真のお母様でした特に6000年人類歴史の中で最初の神様の願いである完成した一人の男性と一人の女性として神様の真の愛を相続し人類の真の父母になられ人類を救援され地上での摂理を全て成し遂げられましたしかし神様は真の父母様を侍り地上で喜びの一日を祝う前に天上の摂理のために真のお父様を呼ばれました真のお父様が地上を後にされたことは全人類にとって最も大きな衝撃であり悲しみですが一生涯を共にされた真のお母様は世の中のどんな言葉でも慰労することができない痛みを経験されましたしかし人類の真のお母様は今日、この場に神々しく立たれましたこれは真のお父様と最終的な完全統一一体完成を成され昼の神様として真のお父様と真のお母様ご夫妻の間にはこれ以上隙間のない聖体となられたため真のお母様は一人の方ではありません本日みなさんに紹介する方は神様と真のお父様が貴く見つめられる真の母として三位一体の実体ですしたがって今からは天上の門は地上の真のお母様を通じて開かれており夜の神様と一体となられた真のお父様は地上の実体としておられる真のお母様を通じて生きた役事を引き続きされることでしょう愛する天一国市民のみなさんもう一度席をお立ちになり新天新地の新しい国の希望となり人類の真の母であり真のお父様と最終一体を完成完結完了され真のお父様の実体の役事をされる天地人真の父母様を熱烈な歓迎とともにお迎えしましょう2012年9月17日 基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.21
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True Mother’s in Message in Europe2024/05/19Great Pentecost RevivalWorship Service with True Mother in Europe Live Message May 19, 2024, 5PMMunich, Germany2024.5.19 ドイツ ミュンヘン ペンテコステ礼拝にて。地元の青年メンバーが孝進님の汽笛をバンド演奏しました。信出님がヴォーカルをされてます。2024.5.19 ドイツ ミュンヘン ペンテコステ礼拝にて。礼拝の最後の全体賛美です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.20
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第五回「七・八節」敬礼式後の御言成約九(二〇〇一)年八月二十五日(陰暦七月七日)、韓国・済州国際研修院 真のご父母様は、第五回「七・八節」を韓国の済州島で迎えられました。この日、午前七時からは敬礼式が行われ、真のご父母様の敬礼、真のご子女様の敬礼、各基台ごとの敬礼、「家庭盟誓」の唱和の後、真のご父母様が祝祷をささげられました。その後、引き続き「訓読会」が行われ、「訓読会」の後、真のお父様が登壇されて、集まった教会員たちにみ言を語られました。 祈祷 愛するお父様。きょうは、二〇〇一年八月二十五日です。この日は、「七・八節」を設定してから五回目を迎える記念行事の日です。 七数完成を願う創造理想がふさがれたので、この日を立てるために、真のご父母様を中心として、七十七歳の一九九七年七月七日(陰暦)、七時、七分、七秒を中心とする「七・八節」を終えました。 六数の堕落によって、七数の安息圏に越えることができませんでしたが、真のご父母様の生涯を通して、そのすべての境界線を乗り越えて蕩減復帰し、天とともに七数完成の理念を中心とした、「七・八節」という「天地父母天宙安息圏」定着を宣言することができました。このような時代を迎えるようにしてくださったお父様のご苦労に感謝申し上げます。 歴史時代を経ながら、蕩減の“道なき道”を歩み、幾重にも連なる峠を越えるための受難の歴史を経てまいりました。その中で、数多くの宗教と、数多くの善なる人々の血の痕を連結させた祭壇を集めて、個人を超え、家庭、氏族、民族、国家、世界まで超え、旧約時代は万物が祭物となり、新約時代は子女が祭物となり、成約時代は父母が祭物となる時代となりました。 その過程を経て、サタンの恨みに満ちた怨恨の峠によって包囲された包囲網を貫き、それを乗り越えることができる新しい「七・八節」という七数完成と八数を立てる名節によって、一つの境界線を設定いたしました。 そのことによって、新しい世界と新しい摂理の完成世界に向かって越えていくことができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を、お父様の前に感謝申し上げます。 歴史時代の数多くの宗教や教主たちを通して、善なる良心的な人士たち、自らの国に忠孝の道理を立てるために犠牲になったすべての者たち、また、聖人、聖賢たちの労苦と犠牲の代価を清算し、新しい解放の祝福を中心とする「七・八節」を迎えました。 そうすることによって、天上世界の家庭的王圏、民族、国家的王圏、世界的王圏、三百六十万双を超えて、三千六百万双、三億六千万双まで成し、全人類をあなたの愛の懐に抱くことができる解放的権限として集結させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 祝福を受けた群れを中心として、天上世界の解放を中心として、聖人たちの糾合と、霊界の新しい神様の愛の主権を中心とした主流の行路を開拓することができるようにしてくださった、お父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 それと同伴し、地上のアダム家庭を中心として失ってしまった祝福の恩賜を、地上において取り戻すために、天上世界のカイン的なすべての先祖の祝福圏を糾合し、天上の主流的な一つの方向を設定いたしました。 それと同時に、地上に一つの主流的な方向が定まり、一体圏として個人から天宙史まで、平面的途上において、このことを完結することができるようになりました。そのような時代的恵沢を受けることができ、全天宙的恩賜の時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 今、神様の王権樹立を中心として、準備された一切のものが実を結び、今年の一月十三日を中心として、神様の王権即位式を中心として、天地統一解放の宣布をすることができる時代を迎えるようにしてくださったことを感謝いたします。 今から神様の生命的愛を中心として、全体、全般、全権、全能の行使として、悪なる世界のすべての障害物を越えてはまた越えて、自由的な自己主張の立場で天下を治めることができる主人として、信奉することができる家庭的王として、国家的王として、世界の王として、天地父母に侍ることができるようにならなければなりません。 そのような“侍奉”の環境的条件を整備することができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を心から感謝いたします。 今回、この済州島において、統一家のすべての若者が受ける十四日修練の期間に、共に、この日を迎えたことをより一層感謝するとともに、すべてのみ旨の中で疑わしく思ったことをすべて越えて、人間が解決できなかった困難なことをすべて解決し、勝利の覇権を相続することができる解放的本然の息子、娘の権限を持った家庭的中心を、この地上に立ててくださったことを感謝申し上げます。 この家庭によって、中心氏族、中心民族、中心国家、中心天宙として、神様の心情的直系の系統を備え、神様の天民であると同時に、天の王権を相続することができますように。 そのような血統を受け継ぐことができる祝福を受けた天地の家庭となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 今回の期間を通して、新しく転換される時代を迎え、解放された主人の立場においてのみ、あなたの愛によってつくられ、所有された宇宙、すべての万物を再び相続して、愛の主人となることができ、自然世界の全宇宙の前に不足ない主人となることができ、中心存在として恥ずかしくない行路を備えることができますので、そのような個人と家庭と氏族、民族、国家を、超民族的に形成することができますよう、そして、天の祝福が、全地球星に臨むように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 きょうのこの記念日を、より一層感謝しながら、この日以降に成されるすべてのことを、毎日、毎日、喜んで歓迎しながら、前進的勝利の結果を、お父様のみ前に奉献してさしあげることができますように。そのような“侍義世界”に転換することができるように許諾してくださいますことを懇切にお願いしつつ、きょうの慶祝の日を祝賀する意味で注がれる天の大きな祝福が、万民の前に、天宙の前に滞りなく臨むよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 そして、愛を中心として、絶対個人、絶対家庭、絶対国家、絶対天宙に前進、前進、前進、勝利、勝利、勝利、覇権的世界に前進しなければなりません。真の父母の名によって祝願いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み 言 救援摂理とは、創造理想を完結させるものです。神様が創造理想を完成されるということは、どういうことなのかといえば、皆さん個人を中心として、神様の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を決着させることであり、そこで種となり、その種が家庭になり、家庭の種が氏族の種になり、氏族の種が民族の種になり、民族の種が国家の種になればよいのです。それが結論です。 ですから、神様の創造理想の実現というもの、また、今まで、この地上で救援摂理を通して取り戻すことを願ってきたものは、すでに創造前から神様の計画の中にあったものであるということを、皆さんは知らなければなりません。 それでは、神様ご自身の立場に立ってみるとき、神様ご自身を中心として、神様は、「わたしである。わたしの物である。」と言われるような、このような論理が始まらなければなりません。 神様を中心として見れば、神様は、「わたしたちである。わたしとあなたである。」と言われることのできる三対象圏を必要とされるのです。このような問題を中心として見るとき、それは、何を中心として始まったのかといえば、神様の愛を根拠とし、神様の生命と神様の血統を根拠としているという事実を知らなければなりません。 ところが、堕落とは何でしょうか? このような理想とは、全く関係がありません。神様の愛と神様の生命と神様の血統と関係がないので、そこには、“神様”という観念的意識が定着することのできる何ものもありません。これが問題です。 ですから、救援摂理を通して、蘇生時代である旧約時代には、万物を通して覚醒させ、新約時代は、自分の直系の子女を通して覚醒させ、そして、成約時代は、父母を通して覚醒させるのです。 それでは、その内容とは何でしょうか? 神様が本来、「わたしである。」とおっしゃることができ、「わたしの物である。」とおっしゃることができる状態が、本来の創造理想です。それから、神様だけではありません。神様が、「わたしたちである。わたしたちの物である。」とおっしゃることができる状態でもなければなりません。それは何かというと、創造理想……。 “私”というものは、男性と女性を中心として違いがあります。“私”は、個別的な価値が異なるのです。 例えば、女性として「私」と言うとき、神様が、その“私”を“私”として認定することができる内容を、自分が受け継いだのかどうか、ということです。その“私である”という主張を、どこからしたのでしょうか? それは、簡単なことです。今までは、堕落した世界の韓国国民であり、今まで、その教育を受けた歴史的な伝統や、家庭や、国家的伝統を通して“私”という意識を持ったのです。ですから、創造理想的意識圏に立つことができ、神様ご自身が、「わたしのものである。」とおっしゃることができるものとは、関係がないのです。いつも、そのことを考えなければなりません。 ですから、今、持っている“私”という概念は、本来の創造理想にはないものなので、完全に否定されなければなりません。神様が、「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様の愛と生命と血統を中心として、個人完成圏を中心とした男性と女性が、一つになって家庭完成圏を中心とするようになるとき、その家庭を中心として、神様は、「わたしたち」とおっしゃることができるのです。 それゆえに、神様を中心として見るとき、神様が「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様が父であられ、人間が、その子女であるという父子関係、夫と妻という関係、兄弟という関係から「わたしたち」という関係が成立するのです。 上下関係、左右関係、前後関係、これがすべて東西南北の球形を形成し、その全体を代身する私たちの代表的存在が、“私たち”なのです。それは、個人でも同様です。 それで、皆さん自身が“私”、完全な“私”になっているのかということが問題になるのです。それは、神様が公認されることができる“私”ということなのです。そのようになろうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統と、絶対的な関係ができていなければなりません。それが主流でなければなりません。 “私”とは、神様の愛を受けることができる息子であり、神様の生命と結託した息子であり、神様の愛と生命を通して、永遠に神様の所有圏となる家庭になり、そこから神様の国、神様の世界まで連結させることができる因縁を結んだ“私”なのです。“私”という概念は、そのようになっていなければなりません。 今日の堕落した皆さんが、「私である。私の物である。」と言うのは、すべて偽りです。それは、すべて虚言です。通じません。 ですから、皆さんがいつも備えなければならないことは、“私”であり、神様が求める“私”というものは、神様の愛の中で結実した“私”であり、神様の生命の中で結実した“私”であり、神様の愛と生命が結託して、血筋によって結託した“私”なのです。 そのようになろうとすれば、“私自身”は、どのようにしなければならないのでしょうか? 神様がごらんになるときに、心と体が絶対的に一つになった“私”でなければなりません。「神様が“動機”であられるならば、自分は、過程を経た“結果的存在”であり、それは間違いない。」と言うことができる“私”です。そのような“私”という意識を持つことができなかったのです。 それゆえに、この革命的過程を経ていくうえでは、堕落によって因縁を結んだ天地のすべてのものを完全に否定しなければ、本然の立場に戻っていくことはできないという事実を知らなければなりません。分かりますか? 蕩減復帰です。戻っていこうとすれば、蕩減復帰です。神様が構想された内容を中心として、神様が「わたしである。」と……。神様ご自身の立場から見れば、神様が「わたしである。」と言われるとき、心と体が一つになった立場で、“私”を立てようとされたのです。分かりますか? それでは、今、皆さんが、「私の物である。私である。」と言うとき、皆さんの心と体は、一つになっているのですか? これが問題です。これが大きな問題なのです。哲学的な観点や、あるいは思想的な観点や、現実的状況や、歴史的な伝統から見れば、これは、大きな問題なのです。 “私”の主体性を、どこで立てるのかというとき、“私”は、神様の愛と生命と血統が一つになった“第二の神様”の立場に立つ、そのような立場であり、神様が「わたしたち」とおっしゃることができ、いつでも心と体が一つになった立場に立った息子の立場、娘の立場にいなければなりません。 その息子、娘が、堕落せずに完成して、神様の代を受け継ぎ、「私たち」と言うことができる家庭的基台を中心として、それを越えて孫を愛することができる立場にまで行って、初めて神様の家庭が成立するのです。神様が、その立場に出ていかれることができず、孫をお持ちになることができなかったので、神様の家庭が成立しなかったということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、「私」という言葉は、「神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった愛と生命と血統が連結された絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた“私”である」という、このような意識になっているのかということが問題です。 最も重要なことは何かといえば、蕩減復帰でも何でも、すべて成し遂げて、すべてのものを完成させたというとき、皆さんがこれを完全に相続するためには、神様の位置に立ち戻らなければならない、ということです。 神様が「わたし」とおっしゃるとき、神様の心と体は、分裂していません。永遠の神様は、愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であられるので、神様も、“永遠に不可分の一体的基準に立っている”というコンセプト(概念)を中心として、“私”ということを主張されたということを忘れてはいけません。 それは、いくら難しく、いくら苦痛の立場にいたとしても、否定することはできません。その立場に立って、消化しなければならないのです。それが、神様の立場であられるということです。 神様が、「わたし」とおっしゃるとき、神様は、お父様の立場に立たれた“私”であられるのです。ですから、そのお父様のみ前に、本当の息子、娘の立場に立って、神様が、その者をごらんになったときに、「わたしたち」とおっしゃることができる、そのような息子、娘はだれなのか、ということが問題です。 本来の神様の創造理想の愛と生命と血統の種であり、完全に心と体が一つになった家庭を持つ前に、神様のような“私自身”にならなければなりません。しかし、自分自身を見れば、その今現在の姿が問題です。二つになっています。心と体が闘っているのです。 蕩減復帰の完成と、天国に行って完成すべきこと、そして整備すべき問題すべてが、このことに懸かっているのです。それが何のことか、分かりますか? “私”が、どこにいるのですか? 神様の真の愛を否定し、真の生命と真の血統を否定した、堕落の後裔としての自分自身を主張する“私”は、間違いなく、神側の愛と生命と血統の因縁とは関係がないのです。それ自体が、否定に否定を受けなければならない悲しい自らである、ということを知らなければなりません。 いくら幸福で、“自分は幸せに暮らしている。”と思っていたとしても、その立場は、希望の根本、希望の気運を忘却した立場であるということを、はっきりと知らなければなりません。“私”はどこにいるのか、“私”をどこで捜し出すのか、というのです。 ですから、(今まで)“私”を守ってくれた歴史的な蕩減の峠を越えていかなければなりません。越えていかなければならないのです。その世界に、個人も到達しておらず、家庭も、氏族も、国家も、世界も、どのような主義、思想も越えることができなかったので、“私”とは、何の関係もありません。 そうであるにもかかわらず、そのようなことを中心として“私”を主張するという事実は、自体が矛盾しているという事実を、さらに重ねて否定することになります。それでは、永遠に希望がないということを知らなければなりません。それが問題です。 本然の世界に戻っていって、どうするのですか? 神様が、「わたしである。」とおっしゃることができる、その主体の前に、愛は変わることはできず、生命も変わることができず、血統も変わることができない、そのような一体圏から抜け出すことができないのが、“私”という立場なのです。それは、結実と同じ立場に立った“私”なのです。 ですから、「私である。」と言うときには、心と体が、完全に統一されていなければなりません。それでは、“自分は、そのようになっている”という人は、手を挙げてみてください。最後の、この終わりの日になって、先生がはっきりと教えてあげるのです。先生は、このような問題で、だれよりも苦心した人です。 体はこちらに行こうとするのに、心は、それとは反対の方向に行くのです。心と体が闘う最後の境界線は、どこですか? これは、個人から地獄世界まで連結されているのです。 永遠の恨を抱かれた神様を、囹圄(囚われの身)の立場に立たざるをえないような悲惨な姿にしてしまったのですが、その環境的条件が、“私自身”を中心として結実しているという事実です。それにもかかわらず、神様に対して「お父様」と呼び、その神様から福を受けようとするのですから、これほど矛盾した事実はありません。そのような宗教は、撤廃されます。すべてなくなるのです。 “私”が、どこにいますか? “私”を捜し出しましたか? 神様のみ前に、神様が「わたしである。」とおっしゃることができるようにしようとすれば……。神様の心と体が闘いますか? 闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」)それに反して、皆さんは、このままでは、まるで悪党の息子、娘です。 それは、二つの世界を持っているという事実です。先のとがった両刃の刃物があれば、刃は両面についていますが、それは刃先に行くに従って、一つになっています。そのように、最初の出発は、一つです。そして、一方の刃が、こちら側の面を代表し、もう一方の刃が、また一方の面を代表しているのです。 ですから、刃が両面にあっても、それが一つになっている、その両刃の刃物のように、心と体が一つになれば、二つの世界が願う一つの“私”となることができるのです。 その概念というものは、絶対愛の因縁と絶対生命、絶対血統を受け継いだ、不可分の一体圏に立った“私”なのです。そのような“私”を、どのように形成するのでしょうか? これが問題なのです。 蕩減路程……。蕩減路程は、だれでも最後まで行くことができますが、問題は、最後の自己整備をどのようにするのか、ということです。 このような問題について考えてみるとき、最近の“総生畜献納”についても何についても、これを中心として、ぼろきれのふろしきに入っていって、ごそごそかき回すような者たちは、天国でもどこでも、行くことはできません。 先生は、この復帰路程を蕩減復帰するために、このような思考、このような思想、このような哲学的思想の根拠を中心として、神様が公認なさることができる出発の起源を築いたのです。それでは、その道を行く途上において、本当に先生の味方になることができる人は、だれですか? 母もいなく、父もいなく、だれもいません。何のことか分かりますか? 「私」という言葉を主張することのできる根拠は、どこにあるのですか? 神様が万物を創造された、その場です。そこでは、心と体が一つになって創造されたでしょう? 絶対愛であり、絶対信仰であり、絶対服従であり、そこでは、“自分が利益を得よう”、“自分の利益を得よう”という考えはありません。 真の愛というものは、自分から捜し出すことはできません。真の愛は、必ず相対を得て成立するようになっているのであって、自分ひとりで得られるのではありません。いくら神様であっても、自分一人で真の愛の理想を成し遂げることはできないのです。それは、相対を得ずして“私たち”になることはできない、ということです。分かりますか? ですから、神様には、“私たち”が必要です。目に見えない神様ご自身におかれては、心と体が一つになっておられ、“私”ということを主張することができる立場にあられるのですが、それだけではだめです。心と体が一つになった神様ご自身は、認めることができますが、“私”一人では……。 今、皆さんの心と体は、堕落したために一つになっていませんが、堕落していなければ、本然の“私”になっていたのではないですか? “私”になっていたのです。それは、“私たち”ではありません。男性なら個別的な男性であり、女性なら個別的な女性です。二人が一つにならなければ、「私たち」という言葉は成立しません。 まず、縦的な面に立った“私たち”というものが成立しなければなりません。父母というもの、父子関係、夫婦関係です。父子の関係が成されなければ、“私たち”になりません。 それでは、その男性と女性を、どのように処理するのでしょうか? 神様は、縦的関係において、愛、生命、血統を中心として、“私たち”という概念の関係を結ぶことができますが、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を立てるのでしょうか? 神様を中心として縦的基準は成立するとしても、「私たち」と言うことができるようになるためには、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を持てばよいのか、ということです。縦的基準は、縦的関係において「私たち」と言うことができるのですが、男性と女性の一体圏を、どのように主張するのかということが問題なのです。 それゆえに、男性と女性の個別層を中心として、完全に一つになった“私”を立てて、その“私”が、神様が「わたしたち」とおっしゃることができる位置まで訪ねていくのです。 しかし、垂直的な“私たち”だけでは、家庭はできません。左右関係の“私たち”、さらに、前後関係の息子、娘まで、三代を連結させなければ、“私たち”の家庭は成立しません。家庭が成立しなければ、すべてなくなるのです。そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 家庭がなければ、すべてなくなるのです。ですから、上下関係の父子関係、左右関係の夫婦関係、前後関係の兄弟関係がなければなりません。これが三代です。三対象目的がなくなるときには、すべてなくなってしまうのです。“私”も“私たち”も、何もありません。 そのような家庭を中心として連結された多くの家庭が氏族となるのであり、そのように家庭が氏族として連結され、数多くの家庭が結合したその氏族を中心として民族となるのであり、民族も、数多くの家庭を包んで連結した民族を中心として、国家形態ができるのです。 ですから、“私”、“私たち”……。この“私たち”の中には、全体が包括されるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)子女と父母を否定することはできません。否定すれば、何になるのですか? 真なる父母の愛と生命と血統が、連結されていなければなりません。すべて、そうでしょう? どの息子、娘でも、全員そうなっているでしょう? そうなっていますか、なっていませんか? その父母の愛と父母の生命と父母の血筋が連結されています。自分一人ではありません。 “私”がどこにいますか? 父母が、自分の愛と生命と血統を訪ねていっても、それは、ありません。“私”を育てて、“私たち”を根づかせなければなりません。それは何ですか? 家庭です。“私たち”の家庭です。「私たち」という言葉は、家庭基盤の上に形成されるのだということを知らなければなりません。分かりますか? そのようにしようとすれば、どうすればよいのでしょうか? 父子の関係、孝子、忠臣、聖人の父子の関係、それから、夫と妻においても、その関係は、宿命的関係である父子関係と同じように、男性と女性は、永遠に変わらない宿命的関係です。愛の秩序と生命の因縁と血統の因縁を自由自在に引っ繰り返すということは、永遠にできません。 今日の堕落した世界は、“亡国の種”です。この世の中で、ちやほやされている女性たちは、全員、浮気者たちです。そこのどこに、“私たち”がありますか? 今、文総裁が言う「私たち」という言葉が分かるでしょう? 彼女たちに“私たち”がありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありません! そのような者は、神様が捜し求められた“私たち”とは、一切、関係がないということを知らなければなりません。自分のことを鼻にかけている人たちが、自分の概念や自分の考え方、あるいは環境的要素を中心として、いくら環境的に家庭的垣根を中心とした部落を築いてみたとしても、それは、神側から見た“私たち”とは、何の関係もないのです。“私”とは、何の関係もないということを知らなければなりません。 それゆえに、根本的な清算問題を解決していないので、神様の愛との関係、生命との関係、血統的関係を再検討して、再整備することができる“私”を捜し出すことが、何よりも急務であるというのです。 このように話していては、切りがありません。“私”という概念、それは、主張できません。ここにも、「だれだれは、りっぱだ。」と言われるような人はいますが、そのような人でも、“私”を主張することはできません。「私」と言うときは、まず、父母の前に恥ずかしくないように、心と体が一つになっていなければなりません。 父母が愛するとき、その愛によって、父母の生命と血統が連結されるときには、“私たち”になることができる家庭のために連結されるのであって、“私個人”のために連結されるのではありません。そうですか、そうではないですか? ですから、“私”ということも、“私たち”を立てた立場において、“私”を主張することができるのです。そこで、“私”が必要なのです。それは、なぜでしょうか? “私”は家庭を形成することのできる要素となっており、家庭が“私”の母体になっているので、“私”には、家庭が必要なのです。それが男性であり、それが……、何ですか? (「女性です。」) それが男性という存在であり、女性という存在なのです。それらの存在は、何をするのですか? 神様は、縦的関係であり、男女は二次的です。その横的関係において、愛の関係、神様の代身の愛と代身の生命……。男性と女性は、神様の代身生命体なので、この新しい血統を中心として、第三代を産出するのです。 それは、神様がアダムとエバを創造されたことと同様です。そのように、第三の“私”をつくるための中枢的機関が結婚なのです。結婚が、どれほど恐ろしく、どれほど怖いことでしょうか? そこで天下が蘇生し、天下が滅びるのです。そのように、すべての興亡の基礎になっているのが、家庭です。 ですから、連れ添っている男性と女性に、「あなたの夫が、世界や神様よりもりっぱなことを願うでしょう?」と言えば、「そうです。」と言います。願う基準は、神様よりもりっぱなのです。 神様は、縦的関係によってのみ存在しておられるので、男性と女性のような横的関係は、結ばれていません。男性と女性が成長して、成人になった後に横的関係まで結び、息子、娘、生命と愛と血統が一か所に結ばれるのが結婚するということです。それが、結婚して関係を持つ初愛です。 初愛をすることによって、男性という骨董品と女性という骨董品に、“私たち”の基台が生じ始めるのです。しかし、そのままでは、できません。息子、娘がいなければ、なくなるのです。なくなりますか、なくなりませんか? なくなるのです。 ですから、絶対に必要なのが息子、娘です。そして、男性に絶対必要なのが女性であり、女性に絶対必要なのが男性です。なぜでしょうか? これが、“私たち”の家庭を成立させる絶対的な要因なので、男性の前には女性が絶対に必要であり、女性の前には男性が絶対に必要なのです。 そこで、絶対に必要なものが何ですか? それが何ですか? 女性のそれ、男性のそれが何ですか? (「生殖器です。」)生殖器です。結婚とは何ですか? その主人を訪ねていこうとするものではないですか? そうでしょう? 男性のものは、女性が主人です。男性の生殖器は、女性が主人であり、女性の生殖器は、男性が主人です。入れ替わっているのです。これは、驚くべきことです。この法に背く人はいません。そこに、○×を適用することはできません。○なら○であり、×なら×です。自分たちでどうすることもできません。 これは、公式です。それが嫌だという人は、一代で“私”という価値や、“私たち”という概念、国家概念を持ったとしても、それは、すべて無駄なことです。真夜中のような地獄の暗闇に入っていって、苦しむ群れになるのです。そうかそうでないか、行ってみてください。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) この手というものは、一つにならなければならないのではないですか? 手は、片方だけで働くことができますか? 右利きの人は、右手に力があって、それで何でもすることができますが、それでも、やはり左手が必要です。ですから、神様がいくら絶対であられても何であられても、それと同じことです。二つが助け合って、初めて音が鳴るのです。(手の平をたたき合わせられる)いくら一人で、このようにしても、音が鳴りますか? このようにしてこそ、音が鳴るのです。 ですから、神様による創造も、愛の相対のためにつくられたということです。この論理的事実を否定することはできません。分かりますね? “私”に対する自覚を、どのようにして発見し、どのようにして回復するのですか? これが、人生問題の根本です。哲学が問題ではありません。修養が問題ではありません。 そのようなことについて振り返ってみるとき、自分の心と体が闘っているのです。数千万年の歴史を経てきながら、かつて、この問題に関して革命を起こして、統一することを主張した人は、だれもいませんでした。それは、統一教会の文総裁しかいません。 根本が、どのようになっているのでしょうか? それを知るためには、神様を知らなければなりません。そうして、神様の愛を知らなければなりません。神様の血統を支柱として立っていらっしゃる、主体的なそのおかたは、心と体が統一されており、その男性を中心として、正から分となり、その二つに分かれたものが、再び一つになって結託するのです。それは、種を求めるためです。それが家庭です。家庭がなくなれば、“私”という概念はありえません。分かりますか? (「はい。」) ですから、“私”なのです。統一教会で、「私たちの教会」という言葉を使うのは、やめなさい、というのです。教会が捜し求めていくのは、家庭です。それが、神様のみ旨です。そうでしょう? イエス様が、キリスト教を立てられ、小羊の婚宴をされるというのは、どういうことでしょうか? 新郎として、新婦世界に訪ねて来られるのです。小羊の婚宴、結婚式をするために来られるのです。それが、アダム家庭における“私”なのです。 わたしたちの先祖は、“私”となった自分を捜し出すことができませんでした。“私”となることができる自分を、神様の代身として立てることができなかったのです。女性も同様です。これは、結婚を通して……。 結婚は、不可分なことです。絶対、唯一です。これを否定する男性や女性は、罰が当たります。どこの大学を出たとか、何だかんだと言っている浮気者たちは、全員、ひどい報いを受けるのです。“自分”というものがあってはいけません。自分たちが、そのように主張することは、すべて虚言です。 それゆえに、蕩減復帰……。最後には何かというと、“私”を訪ねていくのです。“私”を完成するのです。自分を完成することができずに、家庭完成しようというのは、夢のような話であり、どろぼうと同じです。自信がありますか? あなたは、模範的な家庭でしょう? 自信がありますか? 先生が言う「私」、つまり、神様が創造のときに理想とされた、心と体を中心として、神様の愛と生命と血統に決着された“私”です。そのような息子、娘に対して、神様が「息子、娘である。」と言われて、永遠に抱かれ、永遠に否定することができないような立場になっているのでしょうか? そのような“私”を設定することができる立場に、自分が立っているのかということが、問題なのです。それは、夢のような話です。 そのことを知れば、ひざがこすれて、骨が見えるほどに伏して祈祷しても足りません。しかし、それほどまでに祈祷したとしても、それを捜し出すことは難しいのです。“私”を捜し出すことは、簡単なことではありません。 これを捜し出そうとすれば、「“私”に勝て。」と言って、サタン世界のサタンというサタンが、総出動するのです。“私”を捜し出そうとすれば、神様を中心として、自分を否定していかなければなりません。サタン世界を否定することができなければ、“私”を捜し出すことはできません。 今、皆さんは、「ここで修練を受けている。」と思っているかもしれませんが、自分がどうであり、こうであるということを主張する“私”、その“私”は、どのような“私”ですか? それは、ありとあらゆる物が、ごちゃごちゃに混ざったような悪臭がして、汚物にも劣る“私”である、ということを知らなければなりません。深刻でしょう? 全員、深刻です。 皆さんを見てみると、「自分は責任者だから。」と言って、先生の考えよりも自分の概念を、どれほど優先させているか分かりません。本然の“私”に返らなければなりません。 自分のための世界ではありません。それは、自分のためのものではありません。本来の神様のものでなければなりません。それを、すべてお返ししてさしあげなければ、“私”を捜し出す道は、ありません。 また、“生畜献納”というのですが、そのとき、国が問題でしょうか? この国。わたしは、これまで得たものがあっても、自分には一銭もありません。世界のために、すべて施しました。 しかし、だれも、それを盗んでいくことはできません。そこには、生命の種が植え込まれているのです。その世界で、必ず芽が出てくるのです。それは、神様が保護されます。神様が、保護されるのです。そのように考えています。 監獄に入っていこうと、どこに行こうと、“自分は滅んだとしても、その場に、自分が願う理想の場を残そう。”と考えれば、神様は、それをすべて成し遂げられてから、初めてほかのことをされるようになっているのです。そのような信念を持っていますか、持っていませんか? いますか、いませんか? (「持っています。」)“持っている”という人は、手を挙げてください。わたしよりも優秀ですね。 小さな日本の国ならば、皆さんは、その日本の国の家庭を代表することができ、世界の国、天の国の王子の家庭を代表することができる“私”ですか? 人をペテンにかけるのは、やめなければいけません。 日本人をアメリカに連れて行けば、アメリカでも問題になり、他の国に行っても、そこから故郷に逃げてくる群れです。そのような群れが、「“私”である。」と言って、手を挙げる自信がありますか? 自信がありますか、ありませんか? (「あります。」)何ですか? (「……。」) それでは、心と体が一つになりましたか? 一つになりましたか? 一つになりましたか? 手を挙げた人、一つになりましたか? (「一つになっていません。」)それなのに、なぜ手を挙げるのですか? ぼろきれの切れ端のように、取るに足らない自分である、ということを知らなければなりません。そのような“自分”が崩れなければならず、溶け出してしまわなければなりません。溶鉱炉に入れて、水のように溶かし、何らかの形態の型を作って、鋳造し直さなければなりません。そのようにして、何百回も鋳造し直さなければなりません。 そのような今までの仮面を、そのままかぶったままで、「ああ、先生。日本から◯◯に行きました。そして、◯◯をしました。」と言っても、そのようなことは、“私”とは関係ありません。そのようなことは、“私”を回復し、“私”を成し遂げるうえでは、何の関係もありません。 関係があるのは、神様の真の愛、真の生命、真の血統であり、どのようにして生死の境を越えて、それと関係を結ぶのかということが、第一原因なのです。分かりますか? (「はい。」) “私”を捜し求めよう。言ってみてください。(「“私”を捜し求めよう。」)心と体が一つになりましたか? 心と体を中心として、世の中の貴いものを中心として、それを神様の前で一瞬のうちに否定することができる、そのような“自分”を取り戻さなければなりません。 お金が貴いですか? この体が貴いですか? だれですか? 訓母様は、体が貴いですか? それは、否定したのです。二つの心があるということを、自分が知っています。 “これは、私の物で、これは、だれだれの物で……。”と、神様が、そのような考えをされましたか? 神様ご自身が……。神様は、“わたしの物であり、息子、娘の物である”という考えは、されなかったのです。“息子、娘の物である。”と考えられたのです。 皆さんは、そのような立場に行っていないではないですか。自分が持っている物は、お父様の物であり、愛を中心として、生命と血統はお父様のものであり、自分の息子、娘のものなのです。どこに合わせてみても、疑うことはできません。 お父様のポケットに入れても、自分のポケットに入れても、息子、娘のポケットに入れても、それが“私のもの”にならなければなりません。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 最近の知恵の回る女性たちは、結婚すれば、貯金通帳も別々に作るではないですか? それは、できた女性ですか、だめな女性ですか? できる女性ですか、できない女性ですか? それは、今でもだめですが、もっとだめになる女性です。 今、統一教会は、その立場を基準として訓練しているのです。それで、今回、わたしが何と言いましたか? 「『日本人』という言葉を使うのは、やめなさい」ということです。「アメリカ人」や「ドイツ人」という言葉を使ってはいけません。 それでは、何と言うのですか? (「『日本の食口』です。」)「日本の食口」です。それから何ですか? 「日本の兄弟」です。「米国の食口」であり、「米国の兄弟」です。それは、天の国に行っても同じです。天の国に行って、天の国にいる人たちも、「天の国の食口」です。神様の息子、娘です。神様を中心として、「食口(家族)」です。神様を中心として、兄弟なのです。 それが一元化されなくては、霊界と一元化されなくては、天国の人になることはできません。それは、確かですか、不確かですか? (「確かです。」)“確かである”という人は、両手を挙げて……。見てください。“分かった”という人は、手を下ろしてください。 “私”というコンセプト(概念)を、どこで見いだすのですか? 国のために、世界のために、神様のために生きてこそ、“私”を取り戻すことができる、というのが、堕落した人間の歩む復帰摂理、救援摂理の道です。それは、やむをえない運命の道になっています。ところが、運命の道は、変えることができます。それは、宿命の道ではありません。 今まで、先生は、“自分”ということを主張したことはありません。先生は、自分は国家メシヤであるとか、再臨主であるとか、真の父母であると、言うことを好みません。それが、どれほど恐ろしいことでしょうか? 自分の家庭も、そうではないですか? “私たちの家庭”がなければ、国はありえず、世界はありえません。“私”という基台の上には、「私たち」という言葉は……。 自分が、神様と対等な立場に立って、自分たちの相対的基準を中心として、“私たちの妻”、“私たちの息子、娘”、“私たちの夫”、“私たちの子女”が生じるのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) そのような意味で、自分自身で自覚して、帰らなければなりませんが、先生の言うことは、蕩減でも何でも、もう学ぶことはありません。皆さんは、知るべきことは、すべて知りました。 皆さんは、神様のみ旨を、すべて知っているでしょう? 個人完成がどのようになり、家庭完成がどのようになり、氏族、民族、国家、世界、天の国に、どのように直行するのですか? ハイウエーを通じて、すぐに入っていくことができる方法を、皆さんは、すべて知っているというのです。すべて教えてあげました。 また、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しながら、先生が築いてあげたハイウエーを行くとき、「あなたは、どのようにして来たのか?」と聞かれれば、「先生が教えてくださったことが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従ではないですか? 私は、“百回死に、千回死ぬ。”と思って来ました。まだ千回死んでいないので、今から万回死んだとしても、それでも行きます。」と、そのように言わなければなりません。 そのようにすれば、無事、通過です。自分の概念があってはなりません。自分の概念があれば、峠を一周回ってきて、天国まで消化し、神様の公認を受けてきてから帰らなければなりません。 ですから、“否定の否定”を通して克服するうえでは、村を克服しなければならず、国を克服しなければならず、世界を克服しなければならず、天国を克服しなければなりません。そのようにしなければ、自分を取り戻すことができる道はありません。分かりますか、李(京諠)総長? (「はい。」) 孔子は、“ああ、文総裁が、天下の美人、李総長と祝福してくれて、ありがたい。”と思っているでしょう? (「はい。」)わたしが、「ふたりをもう一度引き離して、ほかの人と結婚させてあげる。」と言えば、どうするのですか? それでは“私たち”になることができません。自分が自分を主張することができる立場に立つことができず、自分が「私たち」と言うことができる足場……。それが皆さんの家庭です。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、その家庭に十人の食口がいれば、十人の食口が一つになり、男性と女性が神様の心情的圏内で、どのように神様の愛と、神様の生命と、神様の血統に同化することができる核、エッセンス(本質)になるのですか? ですから、十人の食口全員、尊重せざるをえないということです。お互いが、ために生きて尊重し、互いに「あなたたちを完成させることができ、私たちの家庭を完成させることができる」という共同責任を負っているのです。わたしたちの家庭で、幸福を成すために援助することができる立場は、父子の関係、兄弟の関係しかない、という事実を知らなければなりません。分かりますか? このようなことが、非常に堅固でなければなりません。分かりますか? それが、一つのモデルです。モデルとなって、それを公式化し、それが四方に連結されるので、家庭には、おじいさんがいて、父母、若い夫婦、息子、娘がいて、四系列があるのです。四段階があります。 世界を見ても、少年がいて、青年がいて、壮年がいて、老年がいるでしょう? 家庭におじいさんがいて、父母がいるように、世界にも、それと同じ年齢の人たちがいるのです。 ですから、自分の家庭を中心として愛したことを、同じように世界化させることによって、永遠の世界で、“私たち”の国、“私たち”の世界の主人になることができるのです。それは、確かなことですか? (「はい。」) そうすれば、神様まで、間違いなく、「おい、おい。わたしを連れて行きなさい。」とおっしゃるのです。そうして、「わたしは、あなたの家庭に行く。」とおっしゃるというのです。 文総裁は、どのように神様を解放したのですか? そうではないですか? いくら「解放した。」と言っても、それで解放されますか? ここで、一度、祈祷すれば、祈祷した内容が、霊界で、しっかりと成し遂げられて、霊界まで、すべて転がっていくのではないですか? それを信じますか、信じませんか? 「神様王権即位式」をしてさしあげたのですが、以前に、李相軒氏の報告があったではないですか? 王権即位式をしてから、どれほど様相が変わったのか、ということです。分かりますね? (「はい。」)「私」という言葉を、いいかげんに使ってはいけません。何を偉そうにして、「私」と言うのですか? どこに行っても、教授をしている人たちは、一つでも知識を多く知っていれば、そのことによって、のし上がっていこうとします。そのような者たちは、地獄の底に行くのです。天上世界では、それ以上に恥ずかしいことはありません。“私”の起源とは何であるのかということを知らずに、天下がその自分なりのやり方に乗せられるとでも思っているのでしょう? 神様と地上天上天国の理念は、そのような構想圏内や想像圏内の結実と、関係を結ぶことができるものではありません。分かりますね? (「はい。」)ヨーロッパのメンバー、お父様の語る内容が分かりますか? (「はい。」)それならよいです。それを知らなければなりません。それ以上、話すこともありません。 わたしたちの家庭、わたしたちの一族、どれほど多くの人たちが、血を流さなければならないのか、ということです。どれほど多くの統一教会の人たちが血を流し、わたしたちの教会が世界を代表し、わたしたちの家庭を代表しているという意識を持って、意識的な次元を、どれほど累積しなければならないのか、ということです。 それなのに、“利用しよう”という考えを持つことができますか? 利用されるにしても、潔く“利用されよう”と思う人が、忠孝の道理を行き、愛国者の道理、聖人の道理、聖子の道理を行く人です。はっきりと分かりましたか? (「はい。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 今回、この修練をするのも、「統一教会が一番だ。」と言っているのですが、それを本当に一番になることができるようにするためです。どこに行っても、学者世界に行っても、弁論して、押しつぶしてしまわなければなりません。それは、言葉だけではいけません。 わたしは、そのような試験をたくさん受けました。「文総裁が、アメリカで一番だ。」と言われているので、そのことによって、大勢、文総裁をたたきつぶそうとしてやってきました。そして、反対に、先生にさんざんに恥をかかされて、逃げていったのです。 ですから、彼らは、「来なさい。」と言われても、二度と来ることはできないでしょう。そのような者たちは、自分自身が僕になるということは間違いないのです。 ですから、そのような学者の世界にも行かなければなりません。今ではもう、“私”の自覚とは何か、分かりました。“私たち”という覚醒が、どのようなことなのか、分かりました。分かりますね? (「はい。」) そのような主人となる男性と女性が、浮気をすることができますか? 服を着たまま、そのようなことをしたとすれば、その人の服を燃やしてしまわなければなりません。汚れたものを燃やすのです。何かの貴金属や装飾品を持っていれば、それを粉々にしてしまわなければなりません。 自分が“私”を確定して、その確定された“私”が“私たち”の家をつくらなければなりません。分かりますか? そのようにすれば、すべて成すことができます。 そのためには、神様を知らなければならず、神様の愛を知らなければならず、神様の血統が、どれほど貴いのかということを知らなければなりません。それは、天下を与えたとしても、買うことはできません。分かりますね? (「はい。」) きょう、「七・八節」を中心として、先生が今まで……。今まで苦心した問題です。根源的な解決を中心として、苦心した問題です。人生の根本問題が、そこに懸かっているということを知らなければなりません。それは、家庭にあるのです。分かりますね? 理解できますか? (「はい。」) 理想的な家庭というものが、どれほど偉大で、どれほどりっぱでしょうか? 神様は、そのような家があれば訪問しようとされて、千年、万年、どれほど待ち望んでこられたことでしょうか? そのような家が現れなかったために、訪問することができなかった神様は、どれほどかわいそうでしょうか? わたしは、そのような道を行ったのですが、妻や息子、娘が、まだそのような立場になることができていないので、問題が大きいのです。 しかし、今は、先生が手を出す時が来ました。教会と世界を蕩減したので、今からは、家庭を整理して、一族を整理しなければなりません。天の国の定着宣言と……。故郷の地と祖国の光復をしなければならないということを知らなければなりません。 そのためには、何の上に立つのですか? “私”を確定した基盤と、その“私”が明確に知った“私たち”の家庭を拡大させ、連帯的価値を拡大させたその上に氏族を立て、その氏族を拡大し、価値を拡大した上に民族を立て、民族を拡大した、その価値の上に国家を立てなければなりません。 それを成すために、千辛万苦の苦労をして、精誠を尽くしても不足であるという事実を知らなければなりません。太陽を見るにも恥ずかしく、海を見るにも恥ずかしく、万物を見るにも恥ずかしいのです。 それらを教材として、教育を受けて暮らし、悔い改めることができる生活を、急いでしていかなければなりません。“それが、自分に残された余生である。”と思って生きていこうという人たちは、天の国の皇族圏内に入っていくことができる、その見込みだけはある、というのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かったという人は、目を閉じて、両手を挙げてみてください。 きょう、「七・八節」の記念日に……。もう、帰らなければなりません。真のご父母様も必要なく、救世主も必要なく、神様も必要ありません。すべてを知ったので、自ら自覚して、自分の家庭を確定させた基盤を中心として、国を建てるのです。 そうして、その上に世界を載せたとしても崩れず、神様が保護してくださって耐えて残ることができる、そのような“私たち”の家庭が始まらなければなりません。 そのようなところから国が復帰される、ということが分かったのです。分かったでしょう? (「はい。」)さあ、間違いなくそのように生きると決心しますか、しませんか? (「します!」)しますか? (「はい。」)先生一人の声よりも小さいですね。しますか? (「はい!」) それは、宿命的課題です。最も貴い宿題です。今までは、そのような話を皆さんにすれば、皆、逃げていかざるをえませんでした。しかし、今からは、逃げていこうにも逃げていくことができません。 霊界では、聖人たちが、その道理を訪ね求めていくために、一心一念を中心として、その目標に向かい、主流世界に向かって全力で走っているのです。そのことを知れば、愚かな人でもなければ、この道を行かざるをえません。 それでは、先生が行く天国に、間違いなく全員ついて行きますか、ついて行きませんか? (「ついて行きます。」)それならば、そのような自覚からしなさいというのです。 エデンの園では、裸で暮らしていましたか? それとも、時計をして、服を着て、化粧をして暮らしていましたか? (「裸で暮らしていました。」)女性でいえば、ブラジャーをして暮らしていましたか? 服を着て暮らしていましたか? 服を脱いで暮らすとするならば、間違いなく、すべてを脱ぐのです。先生は、決めたのならば、そのように徹する人です。み旨の前にできないことが、どこにありますか? 自分が、解放することができる自分を取り戻すのに、できないことが、どこにあるのでしょうか? ですから、世の中の天地が終わりの日を迎えているので、千辛万苦の苦労をして、霊界まですべて引っ繰り返して体制を整え、このようにすることができる公式路程は間違いないと教えてあげたのに、それから脱線していく者たちは、悲惨です。 さあ、それでは、手を下ろしてください。きょうのこのような「七・八節」に、もう一度、そのような決意を深くして、頭のてっぺんからつま先まで、東西南北四方、終わりのない世界まで連結させることができ、“自我定着”することができる基準と、家庭定着することができる基準を立てなければなりません。それを成すことのできる所は、世界の祖国になる所であり、そのようにして、先祖になることができるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、それでは、これで、きょうのこの「七・八節」の記念も、すべて終わったものと思わなければなりません。分かりますね? (「はい。」)何時ですか? (「十時十五分です。」)それでも、食事をして、ほかの何かをして過ごすよりも早く終わったということですか、どのように終わったということですか? (「早く終わりました。」) 今からは、勉強する時間が残っています。(笑い)そのことに不平を言う者は、話ができないように口を裂いて、舌を半分に切ってしまいなさい。 さあ、そのように理解して、わたしは、もう、皆さんのことを信じざるをえないので、そのように信じてみてあげるのです。自分の家庭を率いて“私”を訪ね、神様のみ前に堂々と出ていって、「私は、先生のみ言どおりになりました。」と言えば、わたしが間違いなく紹介してあげます。分かりますね? (「はい。」)約束します。 あの世においても、孔子、イエス様、聖人たちが、だれかれなく、先生が来ることを願って、首を長くして待っているではないですか? ですから、わたしの紹介を受けようとして、あなたの夫もそうであり、全員が、そうです。ここでも全員が、そうです。 何千年前の人も、そうです。孔子は、二千五百年くらい前の人ですか? 二千五百年以上前の孔子と結婚し、この人はマホメットと……。マホメットは、六世紀後半の人ですね? わたしたちは、そのように暮らすのです。千年前の人も、自分の兄であり、弟であると思うことができるのです。 ですから、どれほど素晴らしいですか? 素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです。」)この者たち。素晴らしい看板、素晴らしい名前を中心としながらも、それらをすべて、まがい物と一緒に道端で売り飛ばそうとでもいうのですか? 露店でたたき売りをされるような愛を尋ね求めていく人は、天の国に入ることはできません。先生は、そのようにいいかげんに生きる人ではありません。 天の命令があれば、責任を果たすときまで、間違いなく保護してあげます。終わった後は、見向きもしません。そして、もう終わったのです。分かりますか? (「はい。」) 皆さんは、金氏なら金氏で、統一教会の祝福をたくさん受けたので、一つになって国を復帰するのです。世界共同目標の課題を付与するというのです。分かるでしょう? (「はい。」) 韓国が負けますか、負けませんか? (「負けません。」)“負けない”という人、手を挙げてみてください。全員、手を挙げるでしょう? “負ける”という人は、一人もいませんね。それで、よいのです。(「全体起立。」)なぜ、起立するのですか? (「万歳三唱いたします。」) 万歳をして、この祭壇の供え物も、神様の代わりに、だれかで分けて食べなければならないでしょう? (「第五回「七・八節」を期して、お父様が下さったみ言を、もう一度決意して、私たちは、この時代の灯台となることを再度、誓って……。」) 灯台になることを誓いましょう! よくぞ、それを言いました。 (「灯台は、いつも波風のあるときにこそ、光り輝きます。混乱の中の灯台となることを決意して、『神様王権即位勝利』の万歳をすべきです。『神様王権樹立勝利』万歳! 勝利された真のご父母様、万歳! 第五回『七・八節』万歳!」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.19
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相対性原理から見たカインとアベル🍇カインとアベルの関係🍓天上でのカイン・アベルの関係🍎霊界からのメッセージ❤️李相軒先生2024/05/18 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.18
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.17
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神様と人類に対する先生の愛🍇Nさん(女性)の証🍓2024/05/17#統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#祈祷一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.17
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4次心体統一霊性修練スケッチビデオ2024/05/13一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.17
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祝福家庭の2世の価値_感動的なみ言葉集_イ・ギソン苑長_2024年4月4週目天心苑特別徹夜精誠一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.16
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「神様の祖国光復」(01.07.13 文鮮明総裁招請講演会 韓国・国会議員会館大会議室) 尊敬する内外貴賓の皆様! 公私多忙にもかかわらず、この意味深い集いに参席してくださった国会議員と著名人の皆様方に深く感謝を申し上げます。 特に国民を代表する民意の殿堂である国会において、神様の摂理的な観点で、貴いみ言葉の時間を持てたことを嬉しく思います。 私は新千年が始まる最初の年である今年1/13、「神様王権即位式」を終えた基台の上に、2/25~4/17の52日間、全米50州、52の都市と米国国会、そして、国連において講演を盛況裏に終えました。その間、主にキリスト教をはじめとする10万を越える宗教指導者たちを対象に、神様のみ旨を中心とした米国と人類、さらに、天上世界と地上世界の行くべき道を提示してきました。 それだけでなく、ウルグアイを訪問して、南米33ヵ国前現職政府首相、及び、指導者たちが集まる中、天宙平和統一連合南米本部を開院し、再教育と組織編成をし、平和世界実現のために、全世界191ヵ国の各界指導者7万余名を教育した後に、平和大使を6大州へ派遣、祖国の南北統一のための国際的基盤を準備して、今回、帰国しました。 最も貴いのは永遠に続く血統 私は16歳の時、復活節の夜明け、イエス様と出会い、神様のみ旨を成すため、神様解放のための天意の道を出発しました。過去の80余生涯をあらゆる誤解と迫害を受けながらも屈せず、真の理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。 特に神様の命に従い、1971年米国に渡った私は、過去30年間、全身全霊を尽くして、米国が神様から選ばれた世界的第2イスラエル圏の使命を果たすように悟らせてきました。 私は過去数年間、数百余回の米国指導者会議(ALC)を通して、政治家や宗教家たちが政党や宗派を越えて、各地域社会と米国、そして、世界のために心を一つにして協力するように、促してきました。 あわせて、今回、米国50州巡回講演を通しては、すべての聖職者たちに教派を越えて、一致団結することを強く諭してきました。実際、米国聖職指導者連合(ACLC)を中心に、連合教会(UFC)運動を通して、14万4千の教会が救世の目的のため、この運動の先頭に立っています。 一方、私が国連ですでに闡明した世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が活発に展開されています。この運動は世界平和超宗教超国家連合が先頭に立ち、NGO(非政府機構)総連合団体であるWANGO(世界NGO連合)を中心に、国連本部から急激に五大洋六大州に拡散されていっています。 皆さん、今や私たちは、聖書歴史では7千年、イエス様以後3千年を開いていく新千年時代を迎えています。この時代は人類歴史を通して、神様が願われ、すべての宗教を通して、人類が念願した平和の時代がこの地に定着する時です。 神様を中心として、心と体が一つになった、完全な個人、そして、真の愛で一つになった、完成した家庭、社会、国家、世界、天宙までを成し遂げ、神様の創造理想が実現される時を期待してきたのです。 それゆえに、この時代は聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することにより、天上と地上に天国が成されねばならない成約時代の完成を意味するのです。 成約というのは本性的次元で、すべてのものが祝福結婚を受ける時代という意味です。神様がつくられたすべての被造万物は人類始祖の堕落により祝福圏に立てませんでした。 しかし、神様は救援摂理の道を通して、キリスト教をはじめとした数多くの宗教を立て、万民を教育することにより、心霊水準を段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。 それから、私たちは皆、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真の個人王から始まり、真の家庭王、氏族王、民族王、国家王、世界王、そして、天宙的王権の基盤を再び探し出し、ついに本然の「神様王権即位式」を挙行した位置まで来たのです。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真の家庭と国を持ち、祝福を受けて、一つの血族、血統が一つになった単一民族を成した基台の上に初めてその式を行えるのです。 皆さん、人間に最も大切な愛、生命、血統の中で、何が一番貴いですか? 多くの人たちは愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命はどんなに貴いといっても、横的で、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を続けて、永遠に相続されるのです。それで血統が最も貴いのです。 堕落しなかった本然の世界では神様を中心として、真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母の血統が連結されなければなりません。父母、子女という言葉は血統が連結されなくては絶対に不可能です。それは神様も分けられません。堕落したサタンも分けることはできません。 そのため、成約時代の真のご父母様の祝福を通した真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるようにするのです。真なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、偽りのオリーブの木の畑でも、真のオリーブの木の血統に、真の愛を中心として、一体、一心、一念となり、生死圏を出入りしなければなりません。 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界生死圏、どのような犠牲があっても、越えていくという、そのような心情を持った人はサタンが関与できません。国家基準以上を越えるようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るために、サタンとは関係を結ぶことはできません。イエス様ももし結婚をしたならば、十字架の道を行かなかったでしょう。殺せません。これは相対理想の直接主管圏に連結され得るからです。 祝福結婚は真の父母だけがなし得る 原理でいえば、責任分担を完成した基準となっているために、直接主管圏内に入っていきます。直接主管圏は神様の血統が連結されていて、サタンが切る道理がありません。この過程で心情一致がなし得る、その位置に行けなかったため、また、そこで堕落したので問題だったのであり、アダム、エバが夫婦となり、真の愛だけをなしたならば、永遠に堕落し得ないのです。サタンが引き裂けません。 しかし、この過程で、実が熟しませんでした。実が熟さなければ、どんなに実を地に植えるといっても、種が生じません。それで、永遠なる生命がないために、死んだ生命のようなものを始末する所が地獄です。神様と関係がないというのです。 父子関係というのは父母の血統が連結されなければなりません。その血統はただで連結できません。一人では血統が連結できません。男と女の血統が合わなければなりません。宇宙の根本理致が、性相と形状の血統が一つとなった、その位置で、それでお互いに好む立場で性相となる心が喜べば、形状となる体も一緒に喜べる位置で、完成するように人間を創造したというのです。 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダム、エバを創造した、その実体的対象家庭を繁殖して、東西四方、世界にぎっしり満たして、天国の民を繁殖できる、数多くの分生産工場を拡張するのです。 それによって、天の民を立てて、霊界にいる神様と地上の実体の父母が地上で暮らしながら、共にそれを生産するのに協力して、霊界で永遠に生きることができる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、一つとなり、地上、天上、理想世界を完成するというのです。 神様の王権即位式を誰がしてくれますか? 最初に誰が即位式を台なしにしましたか。サタンとアダム、エバが台なしにしました。アダム、エバが真の父母となれなかったことにより、サタンが入り、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。堕落により、サタンの血統を残したために、それを全部否定してひっくり返すことは神様もできずに、サタンもできません。サタンが今までつくっておいた、自分の国を自分が壊してしまうことは難しいのです。どこの誰でも、自分が精誠を込めてつくったものを改造するのは嫌がります。サタンも同様です。それを神様がひっくり返すことができません。神様がひっくり返すことができれば、エデンの園でアダム家庭を失わなかったでしょう。 とにかく、理論的にも神様が手出しできないということは間違いないのですから、神様が手出しできないことを手出しできる人物が誰かといえば、堕落前、本性の完成したアダムです。本然の真の愛の家庭を持つことができる、そのような家庭は真のアダムの家庭以外にはありません。 中心が問題です、中心! 復帰も中心がなくては完結され得ますか? 祝福家庭の中心が何ですか? 祝福を誰がしてくれますか? 真の父母がしてくれるのです。結婚式を誰がしてくれますか? 自分の息子、娘に血統を合わせて、お父さん、お母さんに似るようにする、その結婚式を誰がしてくれますか? 堕落しなかったならば、誰がしてくれるでしょうか? 子供を生んでくれた真の父母がしてくれるのです。 今日、結婚式は天使長に引っ張られたために、社会の有名な人、名前のある人が主礼をします。寝かせて梯子を置いておいて、上に上がっていこうと考えるのです。 「死なんとする者は生きん」の真の意味 最近は結婚の秩序がめちゃくちゃになりました。結婚は順序を変えてすることはできません。順次的にしなければなりません。ところが、最近は逆にもして、大騒ぎです。また、復帰という内容と、それが呼吸が合うために、このようにも合わせて、あのようにも合わせて、逆にも通じるというのです。元来は長子、次子、このように生んだ順序通り結婚しなければいけません。 さらに、性的退廃は深刻な水準に至っています。親族相姦関係が現れています。姦淫するというのです。ある国では、お祖父さんが孫娘と暮らし、義祖父が嫁と暮らしています。親族相姦関係が起こったのです。帰るべき人たちが中心を知らないので、お互いに好き勝手にに生きてみるのです。これが地獄化していく世界ではなくて何でしょうか? このようなことを誰が収拾しますか? 神様もエデンの園でアダム、エバが堕落するのを干渉できなかっただけでなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったのに、終末に干渉する道理があるでしょうか? 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統へと結ばれているので、真の父母が来て、これをもう一度、蕩減復帰、すなわちこれを完全に否定して、ひっくり返し、神様のみ旨を成し遂げなければならないのです。したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は蕩減する時まで、死亡世界に生きている者が、死ぬ立場まで行っても死んでから生き得る余力があってこそ、生き返るのです。 死ぬことを悲しみ、逃げたいという人は永遠に復活圏がありません。そのために、聖書には「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあります。ですから、神様も同様で、真の父母も同じなのですが、天国に行くという人はどうですか? 神様も、生きようという人間、一つひとつの生命を生かしてあげるためには、その反対に、死ぬような立場に行く前には生かしてあげるように助けることはできません。 綱を掛けて崖に落ちた人を助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げ、その基準以上になってこそ、人も生き、神様も生き返るのです。 現代人たちは「自由、自由、自由!」というでしょう? どんなに現代の教育制度がいいといっても、皆さんには堕落圏内の自由の観念しかありません。個人主義の観点としては、そのようなことは知ることができません。氏族、民族、国家、世界、天宙の観念がないではないですか? どのようにして、そのようなことを悟らせますか? 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成して、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階まで上がってきました。どのようにして、それを成し遂げますか? 心と体を統一することから始めるのです。 絶対的に心と体が一つとなった立場から家庭、国家、世界、神様まで進んでいくのです。どんなに人々がその位置まで行きたくても、個人主義の観念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置へと連結されるのです。 フリーセックス、ホモ、レズビアン、このようなものは麻薬中毒とエイズ感染の近道になります。麻薬とエイズは人類を全滅させる脅威となっています。アフリカではエイズが深刻な境地に至ったと報告されています。エイズ細菌の潜在期間が8年から12年であるとみる時、ある地域は2代ですべて滅びるとみているのです。国連を中心としてみる時、NGO(非政府機構)も多くの問題点を抱えています。この人々に一番難しいことをしろといえば、それをなす人がいますか? NGO責任者たちは現在の政権や社会悪を中心としてああだこうだ指摘しますが、私のように国連の役割、共産主義と人本主義を消化する問題など、そのようなことを指摘しますか? あまりにも次元が高くて、聞いてからは呆然としています。そのような高い次元の内容を知ってこそ、反対することができるのであって、反対することができません。彼らは「正しいには正しいです」というのです。 青少年の淪落と家庭破綻、麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な血統をどのように残すのかという問題を彼らは知りません。それに対する解決方法は国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知りません。彼らは「これは嘘か、本当か」と言います。 神様王権即位式以後の生活規範 これからは神様王権即位式以後にできる条件をはっきりと教えてあげるつもりです。 今まで問題が何かといえば血統が問題です。血統! それが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今この世の中に数多くの国がありますが、神様の血統と関係あるものは一つもありません。サタンに属しているのです。これからは他に法がありません。神様に従っていき、真のご父母様に従っていくこと以外には中心位置がありません。 今日、この新千年時代にすることが何かといえば、これまで神様も解放されず、真のご父母様も解放されなかったのですが、これからは神様の王権定着のもと、解放された天地父母と子女になったので(死を)恐れるな、というのです。むしろ、天国に早く行きたがる人が若くて行けばどれほどいいですか? 損ですか? 天上天下すべての宇宙が私の手の中に入ってきて主人になるのに、どうして否定しますか? 死んでも生きても心配することがありません。そのようになっていなければなりません。 皆さんは個人完成をどのようにするのか知っていますか? 個人の心と体が一つとなるのを知っているでしょう。堕落する時にサタンの血統を受け継いで、愛の力が良心の力よりもっと強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても体がしようとする通りにしてはいけません。 これから守らなければならない本性の鉄則が何かといえば、一つ目に、死んでも天から伝授された純潔な血統を汚してはならないということです。 二つ目に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはならないということです。男でも女でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり蹂躙してはならないのです。責任者たちは自分の心に合わないといって、むやみに人事措置をしてはいけません。 人権を正常に指導するには真の愛、すなわち、ために生きる愛をもって生きる人が主流です。天地創造がそこから始まりました。その主流思想を乱すことは赦すことができません。罪の中の2番目の罪です。 3番目に公金を盗んではいけません。公金を勝手に使ってはならないのです。以上の三つです。このすべてが堕落したサタンを中心としたアダム個人と家庭から由来したのです。このために監獄に行く人が70%以上になります。監獄に入ってみるとそうです。人権を蹂躙して、血統を汚して、男女問題にかかっています。その次にはお金の問題、権力の問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。 これから、祝福を受けた血統は神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだ者であるからには、今まで堕落世界に染まった習慣的行動によって汚してはなりません。それを守ることができますか? 夫婦であっても、配偶者がいなくても一人でもいいから、完全な血統を汚さないと決心して盟誓する今日とならなければなりません。 天国の憲法1条が何かといえば、血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさいというのです。2番目は人権を蹂躙してはならない。3番目は公金を略取するな!これです。皆さんが天国の王権を維持して王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためにはこれが絶対必要です。 そのため、お兄さんを無視できません。弟が愚かだといって無視できません。この世はすべて無視していますが、親族を無視することはできません。知識があるといって、大学を出た人が、高校だけ出ても無視してしまいます。そうしたら人権蹂躙となります。 公的な環境を破壊させることも、国家財産略取と同様に恐ろしいことです。そのように暮らす人は天運が共にないため、いくらよくなろうとしても駄目です。負債を負う人は天下が皆、嫌います。一門の中で代表的に問題を起こせば、一門から即座に追い出してしまうのです。 それでは、神様の公式、法度に従って生きるには、どのような環境、どのような人たちと共に生きてこそよく暮らすのですか? 簡単です。それも三つです。親子の関係、夫婦の関係、兄弟関係です。兄弟関係は両親の前には子女となります。子女関係は兄弟関係ということです。自分の家庭を中心として、お父さんお母さんがいて、その次に夫婦がいれば息子娘がいます。 したがって、両親の前で、私には兄弟関係と同様に姻戚の八等親、四等親以上が全部連結されて入ります。それで父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば兄弟は自動的に生じるのです。 手本になれなければ間違った暮らしなのです。しかし、お父さん、お母さんの前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば正しく暮らすのです。 そのように善く暮らせばどのようになりますか? 家庭のモデルは国と天国のモデルと通じるのです。そのように生きたおじいさんから、お父さん、お母さん、子女3代が四位基台理想を備えることができる、そのような家庭に賞をあげるのです。 それゆえ、兄弟関係でも子女関係でも、共同の責任下で和解して、影響を与えながら主体的な位置に立つために生きる人になれば、天の国の誰もその人を抜かしていくことができません。 それから、この法を守って暮らせば、間違いなく天国の皇族圏になり、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。 それで、これを今日、3000年を始める標語として定めるのです。一方で純潔血統、人権平準化、そして、国家公的財産保護に先頭に立って、その次に親子間に、夫婦間に、子女間に手本になろうというのです。 村中が全部、「あの人に従っていかなければならない」と言い、「あの人に似たくて、一緒に暮らしたい」と言えば、その人は間違いなく天国の民になり、天国に記憶される人になります。文総裁自身もそのように生きています。 ために生きる生活で永生を準備すべき 今日、神様の王権即位式で宣布した、最も重要な3大鉄則を語りました。それは私たち人間が公人として必ず守らなければならない、家庭に入っても、国に入っても絶対引っ掛からない指針です。 神様の全智全能な権能と真の愛がこの地に直接的に現れる成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究して、神様を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を成し、ために生きる生活を通じて永生を準備することを願います。 今や人々は神様が願われた理想の地上天上天国が到来する時であることを知って、限りある人間の能力とは比較にもならない天運の御手を感知しようと努力しなければなりません。 生きておられる神様の前で、真に温柔謙遜な姿勢で最も貴い天の真の血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が幸せな天国人です。 内外貴賓の皆様! 新千年が始まる21世紀は、分裂と葛藤の過ぎた世紀の遺物が清算されて、和解と統一の地球村大家族の理想が実現する時です。 私は韓民族を選んで平和文化世界を成そうとする神様のみ旨を早くから知ったために、50余年の間、全心全力をかけて、国内外に頭翼思想と神主義を中心とした理念運動を土台として統一の基盤を造成してきました。その間、私が主張してきた神主義は有神論と無神論の相反した価値観の統一はもちろん、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。 韓民族を導いて世界に跳躍して雄飛させる使命を持った国会議員及び内外貴賓の皆様! 私たちは皆共に真の愛の神主義で私たちの価値観を定立して、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族と世界平和のために、南北統一運動を信仰化しましょう。 そして、真心から共に暮らそうとする真の愛、怨讐までも愛する心で、統一運動の先頭に立つ義人と指導者になりましょう。 神様の王権時代を迎えて、私たちすべてが神様を中心として南北統一を成し遂げ、超国家的に神様の心情文化世界を創建するのに、共に監督者となり、神様の故郷と神様の祖国光復を成就しましょう。 神様の祝福が国と皆さんの家庭にいつも共にあられることを願います。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.15
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「本殿聖地超宗教神学大学院大学校建立起工式」の御言成約九(二〇〇一)年七月八日、韓国・天宙清平修錬苑、天聖山中腹 きょうは何の日ですか? 何ですか? 「本聖殿 超宗教神学大学院」 清心学園の起工式です。 きょうは何の日かというと、二〇〇一年七月八日です。このことを考えなければなりません。七月八日です。七数と八数は、摂理路程において最も貴い数です。 神様が創造されるときに、六日目に人間をつくられましたが、七日目の安息圏を超えることができませんでした。安息圏を超えて、八日目に完成した地上と天上の理論が出発できたはずですが、堕落によって七数と八数を失ってしまいました。失ってしまった一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一数まで……。この天地に春夏秋冬の四季と十二か月があるのと同じように、その中心の位置は十三数です。分かりますか? イエス様を中心として十二弟子、モーセを中心として十二長老であり、成約時代においても同様です。エデンにおいても、モーセ時代においても、イエス時代においても、十二数を中心とした中央数である家庭完成の土台を復帰することができませんでした。 今日の統一教会においても、十二支派を中心とした新しい十二数を中心として、過去の旧約時代に成就することができず、新約時代に成就することができなかったすべてのことを総括的に合わせて、全世界の東西南北を中心に、それぞれを三か月として、三×四で十二となります。このように考えるのです。 天宙の運行法度は、すべて十三数を中心として天地が回っているのです。その軸が下りていくときには、個人完成はもちろんであり、家庭完成はもちろんであり、国家完成、世界完成、天宙完成が成され、神様が生活される舞台においても、生涯の路程や永遠な路程においても、支障なく自由で自活的な主人として立つことができるのです。 ですから、すべての宇宙の中心的立場で管理、主管し、自由解放的世界を備えることができなかったので、人類が願う目的、救援摂理が願う目的完成、すべての文化国家の伝統を誇ることができるさまざまな事物の目的を、総体的に完結させなければならない数とは何かというと、十三数なのです。 その十三数を中心として、天理の中心である天の父母に侍ることができ、天の国に侍ることができ、天の地として、神様だけが絶対主人であり、永遠不変であられなければなりません。その基準を失ってしまったのです。どのようにして堕落した人間が、再び神様と関係を結んでこれを完結するのかというのです。 今日の堕落した世界の中でも、国があるときには、その国に家庭があるのです。家庭があれば、氏族、民族、国家、世界、天宙まで連結することができる地が成し遂げられるのですが、神様を中心とする家庭において孝子を育てることができませんでした。 ですから、神様の家庭においては、孝子の候補者を養育しなければならず、神様の国における忠臣をこの地上に育てなければならず、そして、聖人を育て、聖子を育てる歴史的な訓練をしなければなりません。 その訓練場が、今までの救援摂理です。堕落した世界ではありません。神様の救援摂理を通して宗教圏を立て、そのようなことを教育してきたということを、この時間に知らなければなりません。 神様の国を失ってしまい、神様の家庭を失ってしまい、神様が愛することができる基台を失ってしまったということが、すべての宗教は、分からずにいます。 統一教会が現れることによって、初めて真の父母が現れたということは、どういうことでしょうか? エデンの園において、神様の所有圏となって理想的なすべての内容を備えた定着の代表的家庭が立てられたということです。 それは、創造された人類先祖のアダムとエバが堕落せずに成し遂げなければならなかった位置であるということを、皆さんは知らなければなりません。 人類の中で、堕落した世界圏を越えた人は一人もいません。知らないからです。無知と混沌の中でわたしたちの先祖と父母が生まれました。 ですから、神様を完全に知ることができる位置まで、サタン世界との関係を永遠に結ぶことができない位置に至るその中間過程で、混沌過程で結ばれたので、神様の位置にまで至っていない立場から上がっていかなければならないのが、天の家庭の孝子です。分かりますか? 神様を中心とした孝子、神様の家庭の孝子、氏族の孝子、民族の孝子、国家の孝子、世界の孝子、天地の孝子となることができませんでした。 これをすべて、宗教圏において代わりに蕩減して戻っていくのです。その準備のための訓練場が、数多くの道義的分野の教育機関であり、それを代表したのが宗教であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) それでは、神様が願われた神様の家庭を中心とした本然の孝子は、どこに行ったのですか? 神様の国を成し遂げて孝子が生まれ、氏族、民族、国家にまで至るとき、その国を中心としてその孝子の伝統が完全に骨となり、それに連結された多くの孝子がいるのが、神様を中心とした国家です。 そして、全体国家の前で神様に侍り、孝子の代身として国家の前に立ったのが、神様の国の忠臣であるということを知らなければなりません。 それは、堕落していなければ、国で終わるのです。その国は、永遠の世界的な中心である孝子の世界になるのです。そして、その天の国の民を中心とすると同時に、天の国の王宮法を中心とした聖子の立場であり、天地の統一された神様の主管圏内の孝子の位置を代身することができるのが、イエス様であったということを知らなければなりません。 そして、それをすべて成し遂げるために再臨して来られたかたがだれかというと、真の父母です。真の父母は、永遠に二組ではありません。絶対に一組です。分かりますか? (「はい。」)変わらないでしょう? 神様と心身一体となっていて、そこから神様の愛と神様の生命が出発するのです。 神様の愛と神様の生命とアダム、エバが心身一体となり、神様の代身の愛、神様の代身の生命、神様の代身の血統を持つ心身一体となったアダムが主体となって、その相対であるエバと心身一体となるのです。闘うことはありません。一体となった神様の愛と神様の血統が、分割されています。 堕落がなかったら、神様と直結した、腹中で育った男性と女性は、個人として分立して成長し、子女時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王の時代までの八段階の心情的因縁を、アダムを中心とした孝子の家庭に一度に連結していくことができるよう、そのまま成長するのです。 木で言えば、このように大きくなるのに支障がないのと同じように、アダム完成の孝子を願わなくても、自動的に孝子として育ち、それが繁殖して大きくなることによって、氏族、民族を超え、国家形態を中心として、国の父母を中心として、家庭の道理を受け継いでいかなければならないのです。 その伝統的家庭が細胞のようになり、一つの家庭的骨を中心として肉が大きくなったものが、国というものです。その国が世界に拡大して大きくなったものが世界の立場であり、霊界と肉界を代表した、世界の統一的基盤として立つのです。それが孝子となることができる家庭を代表した結実です。 その結実の価値を地上のあらゆるところに拡張することによって、だれであっても、地上と天上が分かれていない地上世界と天上世界での生活を、共にこの地上で享受することができるのです。そして、地上天国の拡大完結とともに天上天国の出発をするのです。しかし、そのすべてを失ってしまいました。 それでは、メシヤや救世主という人々は、何でしょうか? 彼らは何かというと、ある時代においての数多くの宗教、個人時代、家庭時代、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、その八段階の時代別に現れる宗教を通して、教えてくれるのです。中央を中心として東側、南側、北側、西側、このような方向性を一致化させ、最後には再臨の役事を中心として真の父母が、すべてを接ぎ木するのです。 そのことによって、故障していない、堕落していない本然の神様の、本性の心を代表することができる完成した孝子の家庭、完成した国の家庭、完成した世界の家庭、完成した天地の家庭となるのです。 その家庭の父として、父母として、王として提示されるかたはだれかというと、神様であられます。そのおひとかたしかいらっしゃらない、王であられるかたが、わたしたちのお父様であられたということを知らなかったのです。 このような総括的な結論を下し、それが戒律的に分断されているのではなく、個人は家庭と連結し、家庭は氏族、民族、国家に連結され、国家は世界、世界は天と地に連結され、天と地は神様と連結することができる主流的な思想を中心としたその内容を、今まで知らなかったのです。分かりますか? その失ってしまった動機とは何ですか? サタンと闘って失ってしまったのではありません。分かりますか? 知識を評価し、知識で討論をして負けたのではありません。今日のように、知識をもって闘う時代、主権をもって闘う時代、それから、所有権をもって闘う時代ではありません。 そのようなものは、国と世界を支配することができる内容にはならないというのです。神様の真の愛を中心として、生命の種に結託し、生命の種に結託した個人であるアダムとエバが一つになって血統に連結された…。一度言ってみてください。血統で連結された! (「血統で連結された!」) 皆さん、神様の愛、生命、血統と連結されていますか? これが問題です。神様の血統とは何か知っているのかというのです。 「歴史がこれこれこうなので、神様の血統はこうでなければならず、そのことを自分が知っており、自分が持っているものは間違いなく、神様の愛と生命と一体となった永遠不変の血統である。」ということを知っている立場に立っている人が、何人いるのかというのです。大きな問題でしょう? 分かりますか? 血統についてみれば、全員、個人完成において落第です。混乱が起きています。どのように個人完成するのか分からずにいるのです。神様の真の愛を中心として、真の生命を中心として、血統を中心として、混乱した今日、狂人と同じなのが“わたし”なのです。なぜですか? こっちに行くか、あっちに行くか(分からずにいるのです)。 皆さん、結婚する日を一か月後に控えていれば、待ち遠しいですか、待ち遠しくないですか? 何ですか? 待ち遠しいですか、待ち遠しくないですか? 世の中の結婚でも、どうですか? (「待ち遠しいです。」) 神様を中心として、永遠不変の地上、天上天国の権限を相続することができる結婚式の日が、どれほど……。この宇宙を上げても、神様まで上げても取り替えることができない結婚式の日なのです。ですから、どれほど慕い、どれほど思慕し、どれほど狂ったようになったことでしょうか? 皆さん、堕落した世の中でも、愛のために狂った人を何と言うのですか? 郭錠煥氏。(「『恋煩い』と言います。」)恋煩いです! 分かりますか? 恋煩いは、愛するという言葉にもなりますが、天を愛するという言葉にもなるのです。(韓国語で「恋煩い」は「相思病といい、「相」と「上」は発音が同じ) 天を思う愛の心は、恋煩いよりも弱いですか、強いですか? 黄善祚氏? 尋ねているではないですか? (「強いです。」)ですから、その愛の道に、すべての細胞が集まるのです。 このような話は、初めて聞くでしょう? 恋煩いした心は、どこに行くのですか? どこに行くのですか! 男性は男性に行くのですか? おじいさんを訪ねていくのですか? 町内の王を訪ねていくのですか、知事を訪ねていくと思いますか? どこに訪ねていくのですか? わたしも分かりません。ですから、どこに訪ねていくのですか? 関門がどこにあり、定着地はどこですか? 男性という愚か者も、恋煩いにかかった愚か者も皆、真の愛の道を訪ねていくのです。どこに訪ねていくのですか? 男性にとって、最も貴いのはどこですか? (「生殖器です。」)何ですか? (「生殖器です。」)生殖器という言葉は、その名のごとくです。生命を包んでおく食器なので生殖(食)器です。分かりますか? (録音状態不良) 直通することができる門は、どこにあるのですか? 息子、娘の母となり、国を創造することができるのが夫人の生殖器なので、それが正門です。アーメンと言わなければならないでしょう、女性たち。(「アーメン。」)男性は、やめて……。(笑い)これほど貴いと思っていましたか? それでは、一度、女性を分析してみましょう。女性には自分のものがありますか? 女性の胸は膨らんでいます。最初は、はえが一匹くっついていたものが、十歳になるとせみのように大きくなり、かえるのように大きくなり、雌牛のように膨らむのです。見下ろせば、下半身も見え、貴重な所も見えます。それは、何をするためのものですか? そして、おしりが大きくて大変です。歩くときも、このように歩きますか? さっさっと、このように歩くのではなく、こうしてこのように歩くのです。(笑い) おしりが大きい理由は何ですか? 胸が大きい理由は何ですか? 女性のためにそれがあると言うのは、狂った女性たちです。それを売り飛ばし、自分勝手に使う女性は、狂った女性です。 そのような女性たちは、家にいないで皆、逃げていくのです。“まあ、まあ。文総裁は牧師なのに、公式的な記念日に生殖器の話をするとはどういうことか。だから「統一教会は裸で踊る」という話は正しい。”と思うかもしれません。何でもかまいません。 男やもめや寡婦になることを願う人が、どこにいますか? (録音状態不良) きょう、ここに来た女性たちは、先生がどのような話をしても、逃げていきますか? 先生に従いますか? (「従います。」)(録音状態不良) 従うことができる女性たちにして、祝福をしてあげましたか? 私が一緒に暮らすというのではありません。それは、正しいことですか、間違ったことですか? (「正しいことです。」)(録音状態不良) “どのような代価を支払うとしても、やらない”という女性は、手を挙げてみてください。“どのようなことでもする”という女性は、手を挙げてください。それでは、夫を愛する王になりなさい、というのです。分かりますか? そのような女性は、天の国の宮殿において、間違いなく十本指の中に数えられる女性に、なるまいとしてもならざるをえません。ノーメンではありません。アーメン! 「アーメン」です。「ノーメン」は、すべて否定するということです。そのような自信はないでしょう? それでは、ここにいる女性たちで、“そのようになりたい”と思う人は、手を挙げてください。では、文総裁の言うことを聞かなければなりません。道が分からないのですから。 ジグザグで曲がりくねっているので、どれほど危険でしょうか。一人で山中に入っていけば、道を探すのも大変です。天の国に行く道を、サタンがどれほど曲がりくねらせてしまったでしょうか? それは、文総裁でなければ、捜しだすことはできません。文総裁はどうですか? ナイロンのひもを通しておいて、これにつかまっていけば、全員、行くことができるのです。いくら曲がりくねった道であっても、このナイロンのひもを一本だけつかんだ女性ならば、間違いなく神様の王宮の位置まで上がっていくことができますか、できませんか? 分かりません。(「できます。」)あ! “できない”ではないのですか? 暑さで気持ちが乱れていると思ったのですが、聞いていることは、きちんと聞いていますね。分かりますか? ここもオーケーですか? そうでしょう? (「はい。」)私がここ(天聖山の中腹)まで登ってくるときに、皆が汗を流して登っていくのを見て、車で登っていくのを申し訳なく思ったのです。(笑い) 車の席がたくさんあれば、全員乗せてあげればよいのですが……。私は、車で先に行くことを申し訳なく思う人です。車に乗っていくからといって、自慢する人ではありません。 父母は、子女を生んだその日から僕になり、与えて忘れて、与えてまた忘れ、千年、万年愛して、息子を愛するにおいて、恋煩いにかかる以上に、与えて、与えて、すべてなくなるまで与えたいと思うのが、父母の心であるというのです。 神様がそのような心を持っておられるとすれば、わたしたちが恋煩いの息子の立場に立ち、混沌とせずに、王家の正門を通って自分の部屋に訪ねていくことができるはずでした。 しかし、天が喜んでその部屋に入ってくる、神様の保護の下で愛し合う夫婦がいなかったというのです。分かりますか? いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いなかったのです。 声の大きさが、一人で叫んでいる文総裁にも及ばないこの聴衆は、サタンが来て、太鼓をたたきながらここに立って、「文総裁を見てはならない。わたしのものである。」と言うことができるのです。ですから、いたのか、いなかったのか、もう一度言ってみましょう。大きく!(「いませんでした!」) 死んでも生きても、千年万年待っても、億万年待っても、「それしかない。」と言うことができるものが、恋煩いの王の立場に……。わたしたち人間の一夫婦に、神様が宝物の中の宝物として贈ってあげることを許可しようというものであり、人間にとって最高に貴いものが愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮だったのです。分かるでしょう? (「はい。」) それがどこですか? 夫にとって妻の愛、妻の生命、妻の血統は、生殖器しかありません。妻にとって定着することができる理想境は何かといえば、夫のそれしかないのです。 では、理想家庭のおじいさんとおばあさん、息子と娘、理想家庭の孫嫁と孫婿とは、どのような人でしょうか? この器官を千年万年、握っていても、幸福の歌を歌うことができ、神様の前に永遠に感謝することができる、そのような人たちが、神様の家庭において相続を受けることができる家庭となるのです。 その国の忠臣の立場を相続し、その世界の聖人の立場、その天地の聖子の立場の価値を決定し、そして、神様と父子の因縁で一つになるのです。 そのように一つになったものは、永遠にそれを分ける者がいないので、神様の生命は“わたしの生命”であり、神様の愛は“わたしの愛”であり、神様の血統は“わたしのもの”です。神様の愛は、一体的な所有権を決定するのです。 ですから、神様のものが、すべてわたしのものであり、わたしのものは、すべて神様のものであり、神様の愛であり、わたしの愛となるのです。わたしの愛であり、何ですか? (「神様の愛です。」)分かりますか? そして、世界の歴史にない、最高の幸福の基地を中心として点綴するために準備していくと、定着したわたしたちの家庭の上にだれが動機となっているのかというと、神様なのです。 創造主であられる神様がわたしたちの家庭を創造されたのと同じように、さらに祝福して神様と一体理想を中心として、全宇宙をかけて、「おお、よしよし、わたしの愛。」、その次は何ですか? 「おお、よしよし、わたしの愛。」、その次は何ですか。 皆さん。母親と同じように、夫と同じように、おばあさんと同じように、わたしの代わりとしてキスしてくれない人がいないというのです。神様がそこで踊りを踊られ、生活的基準において一体となるためには、キスをしなければならず、愛さなければならず、血統を連結させて代を引き継いでいくための家庭が必要だという事実です。 それを失ってしまったので、はんだ付けして、再びそのような位置を見いだすようにしたのが、統一教会の何家庭ですか? (「祝福家庭です。」)「祝福家庭!」と言ってみてください。(「祝福家庭!」) “祝福家庭はわたしの家庭である”というとき、そこに神様が入っていかれますか、入っていかれませんか? (「入っていかれます。」)このすべての天地を失ってしまい、恨み嘆いておられた神様であられます。 そして、解放的勝利の覇権を持って天地を闊歩され、どこに行っても父母として侍ることができる主人の息子と娘の立場を失ってしまったということを、わたしたちは知らなければなりません。 それを、再び回生させて、神様を中心とした自由天地、自由解放、自由統一世界の神様の国と一致することができる立場で、愛を受けて初めて……。 人間の欲望とは、何でしょうか? おじいさんも王になり、お父さんも王になり、わたしも王になることができるのです。家庭にいるおじいさんは、天の国を代表した過去の王です。現在のわたしたちの父母は、全世界の家庭の王です。 将来、わたしたちは、天の国の王であられるおじいさんの愛を受け、世界の王であられる父母の愛を受けるのです。この二つの世界の二代を経て、孫の代に愛を授けることができ、キスもして、踊りも踊り、同じ祝福の立場に立ててくれるのも、おじいさんとお父さんです。 そこに伝授されるのは、天の国と地上、二つの世界の内容を持つのです。天の国を良心の代表的なエミーレの鐘の最頂上に立てることによって、天の国の父は縦的に無限な力を持った父であり、堕落していない本然の横的な無限の欲望を中心として縦と一つになることによって、空の器に水をいっぱいに満たし、神様の愛のコップと生命のコップで、生命の血統を家庭に分けて飲ませるためのものが祝福であり、結婚生活であったのです。アーメン。 そのようなことを願いますか、願いませんか? (「願います。」)それでは、それを所有することができる根拠地が、どこにあるのですか? 男性の宝の城のようなところです。 最近は、「宝島を訪ねていく。」という言葉があるでしょう? 黄金が問題ではなく、ダイヤモンドの山が問題でもありません。天下を渡しても取り替えることができない、神様の愛の本宮を占領することができる立場が、祝福を受け、妻と息子、娘を愛する立場です。それは、神様とともに愛を分かち合う立場なので、神様の愛と真の父母の愛と、神様の生命と真の父母の生命と、神様の血統と真の父母の血統が、縦的な心の王のお父様、横的な体のお父様……。 堕落することによって、人間の欲心は、この体を中心とするようになりました。そして、だれが世界を占領するのか、ということになるのです。それで、さまざまな独裁者が現れ、あらゆる怪物が現れました。今でもそうです。 神様を縦として九十度の角度に四方を合わせ、三百六十度、家庭から天宙まで、永遠に回ることができる一つの核の基準を中心として、その骨のようなものが、わたしの家庭です。それは孝子から聖子まで、すべて同じです。 神様の愛の骨のようになります。この世の中のすべてのものが一体となって、所有物として決定され、わたしの家庭の基台となり、世界の基台となり、天地、天上天国、地上天上天国の基台となることができる基本的な福を受け、それを成すための出発が、祝福家庭なのです。 その祝福家庭が、千家庭、万家庭になれば、氏族となり、何百万家庭になれば国となり、何千万家庭になれば世界となり、何億万家庭になれば、天の国となるのです。ですから、地上から完成して行かなければなりません。 それゆえに、家庭の公式に一致した、離そうにも離すことができない形であり、世界も同様であり、天地も同様です。それは、おじいさんとおばあさんの年齢の人、お父さんとお母さんの年齢の人がいて、そして兄と弟が一つになった兄弟、そして、夫婦のように、息子、娘を中心として、それらを拡大させたのが、世界です。分かりますか? そこに行こうとすれば、神様を中心として、天の国の家庭において孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子の完成体となり、神様がついに、「わたしの息子であると同時に、すべてのことを成し遂げた。」と言われ、「おまえに、わたしの愛する国と家庭とすべてのものを相続させてあげよう。」と言われるとき、天の国の王子、王女として、この地上に王圏を中心として、千年万年、永遠なる地上天上の解放された人として、サタンがいない主権をこの地に迎えて、平和が定着することができる世界になるのです。アーメン。 さあ、それでは、皆さんの体を中心とした夫婦は、何を生んで、きちんと育てなければならないのですか? また、皆さんの体が何を正しくして成功させていくのですか? 答えは簡単です。孝子、忠臣、聖人、聖子を生んで、正しく育てれば、人間のすべての欲望を成就するのです。 それでは、体を中心として、サタンが占領した世界を訪ねていき、心の世界と体の世界が闘う……。皆さんの心と体が闘うでしょう? 闘わない統一的基準を中心として、神様のものとして所有を決定し、真の愛の家庭的中心基台の下で、国家と世界と天宙をすべて相続することができる動機の内容を完成させたという条件を備えれば、天の国の皇族圏の相続を受けるのは、必然的なことなのです。「アーメン。」と言ってください。(「アーメン。」) そして、皆さんの愛する生殖器は、孝子の家庭を生んで育てなければなりません。それが、人間の最高の欲望です。そして、国の忠臣の家庭を生んで、国にささげなければなりません。分かりますか? 神様にささげた愛は、そのように行くことができる目的過程にあるのですが、その過程が二つになってはいけません。 家庭をすべて築いたら、聖人を生んで育てなければならないのが、生殖器です。夫婦の、家庭の愛です。分かりますか? 家庭で生まれるのでしょう? 聖人も、愛国者も、孝子も、聖子も、すべて家庭で生まれるのです。 そして、皆さんの家庭においては孝子、国において忠臣、世界において聖人、天地において聖子の道理を完成した……。イエス様は、結婚できませんでした。イエス様が結婚しましたか、できませんでしたか? (「できませんでした。」) 結婚できなかったという二千年間の恨を抱いてきて、小羊の婚宴で結婚するのです。人類の先祖として根となることができ、すべて生命の根源となることができる家庭のモデルを持つことができなかったのです。 そのモデルを中心として拡張することによって、全世界が同じ物を持つようになり、台風が吹けば、太平洋の水もそれ以外の水も、同じ相対的基準になるのと同じです。 ですから、イエス様がもし結婚していたなら、今日のローマ教皇庁は必要でしょうか? 長老派、メソジスト、この者たち……。統一教会が必要でしょうか、必要ないでしょうか? (「必要ありません。」) 宗教も、堕落の副産物です。これは、すべて必要ありません。本然の創造理想である理想的家庭の定着、神様の絶対愛を相続した地上の愛の幹を取り戻さなければなりません。 山の渓谷に流れる滴が、間違いなく太平洋まで流れていくことができるというのです。それは、曲がりくねっているでしょう? ここから落ちた滴は、大海に流れていく途中で、すべて濁ってしまい、すべて中間で飛んでいってしまうのです。しかし、それではいけません。 出発したものが大海に着き、軽々とした本然の滴となって、再び帰ってくるのです。水蒸気になって、千年万年、この軌道を守っていくことができ、変わらない愛で授受をする循環法度を通して、統一があり、解放があるのです。平和があり、統一があり、解放があるのです。 今、南北が願うことは何ですか? 平和統一です。統一して何をするのですか? 解放です。解放して何をするのですか? 自由になり、家庭もわたしのものであり、国家もわたしのものであり、世界も、天地も、神様もわたしのものであるという自由奔放な解放圏を取り戻し、人間の良心、心の欲望、体の欲望、それ以上のものまでも完成することができる、定着起点を相続するのです。 これは、自分によって成されるのではなく、神様から、真のご父母様から生じたのです。それゆえに、その民と国を神様が愛し、真のご父母様が永遠に愛するのです。 自分の家庭を犠牲にしたとしても国を助け、国を犠牲にしたとしても世界のために生き、世界を犠牲にしたとしても天地を助け、天地を犠牲にしたとしても神様の自由解放を成し遂げなければならないのが、本然的創造理想の天理が願う伝統的路程であったのです。 この道は、政治の力で、お金の力で、知識の力で成そうとしても、不可能なことです。真の愛です。投入して忘れ、また投入して忘れ、永遠にそれを継続する心です。 ために生きる愛の伝統から、ために生きるわたしの心身統一、家庭統一、氏族、民族、国家、世界統一、神様まで解放するのです。これは、正道であり、天道として相続させて、神様の愛を定着させるためのものです。 これは何ですか? きょうは何ですか? (「本聖殿です。」)本殿聖地です。本殿とは何ですか? 神様が願われ、神様が住まわれる皇宮の家であり、本然の家です。それが聖地です。 すべてのものに打ち勝つのです。「聖」という字は、耳偏に口です。耳と口が王のような人が、「聖」です。よく聞かなければならず、正しく話さなければなりません。そのような人は、神様しか知りません。真の父母、メシヤしか知りません。 それでは、王孫の圏内に入っていきたいですか、入っていきたくないですか? (「入っていきたいです。」)今までのように、自分の目で見て、自分の耳で聞いていたのでは、王になることはできません。王というものは、三段階です。 おじいさんとお父さんと孫を、同じ愛の道として一つ……。おじいさんが頭上に来て、お父さんが腹の上に来て、孫が自分の足にしがみついたとしても、「良い。良い。」と言うことができるのが、王であるというのです。 そのように定着することができる家庭の王子、王女を生んで育てた父母というものは、その王子、王女が間違いなく天の国に入って行って余りあり、その父母も、間違いなく天の国に入って行かざるをえないことは、ないことはありません。何ですか? 二回は反対であり、三回は天国に入って行くというのです。分かりますか? (「はい。」) それを願う人は、立ち上がって両手を挙げてください。(「アーメン。」)居眠りしている人は、落第です。 ですから、神様万歳! 真の父母万歳! 天の王宮と天下の民が尊敬することができる本郷の地ができ、祖国光復の基台ができる、この神聖な起工式に参席した栄光を、神様の前に勝利として表示しなければならないので、万歳三唱が必要なのです。アーメン。(「アーメン!」)(万歳三唱)
2024.05.15
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神は私たちの真なる王であり、真の父母2001年7月3日から12日まで、全国12か都市で開催された神様祖国定着大会で講演されたみ言である。この大会で、世界平和超宗散超国家連合と世界非政府機構連合(WANGO)が共同で家庭、地域社会、国家のために貢献してきた各界の指導者たちを平和大使として委嘱、任命した。 尊敬する内外の貴賓の皆様、公私共に多忙な中にあっても本大会に参加されるために訪ねてこられた皆様に深く感謝申し上げます。 私は、新千年が始まる今年2月25日から4月17日まで、全米の50州巡回講演を成功裏に終えました。きょうはニューヨーク地域の聖職者たちの招きを受けて再び皆様と会うことになりました。これまで主にキリスト教の指導者たちを中心として超宗教指導者たちに、神のみ旨をはじめとして人類とアメリカ、さらには天の国と地上の国が進むべき道を提示してきました。 私は16歳の時、イースターの早朝、イエス様に出会ってから神のみ旨を成就するための天意の道を出発しました。ですから、あらゆる無理解と迫害に遭いながらも、それに屈することなく、この80年余りの生涯にわたって、真なる理想家庭を基盤とする平和世界を具現するために全力を尽くしました。 特別に、神の命令に従って1971年にアメリカに渡ってきた私は、この30年間、全心全力を尽くしてアメリカが神に選ばれた第二イスラエルとしての使命を果たすように覚醒させてきました。きょうは先日の巡回講演でお話しした内容と、去る1月13日に奉献した神様王権即位式で発表された内容を振り返ってみる時間をもちたいと思います。 内外の貴賓の皆様、この世の中には60億の人類が住んでいます。しかし、大きく分けると男性と女性という二種類の人間が住んでいるのです。そのように神は、鉱物界から植物世界と動物世界にいたるまで、すべての存在を陽性と陰性のペアシステム(pair system)でつくられました。 それならば神は、私たちにとってどのようなおかたであり、私たち人間といかなる関係をもっておられるおかたでしょうか。創造主である神は、人間の真の愛と真の生命、そして真の血統の根源であられるので、私たちはそのおかたを父と呼びます。すなわち神と人の本然の関係は、親と子の関係なのです。 皆様、人間にとって愛と生命、そして血統のうち、何が最も貴いでしょうか。大部分の人々は、愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命は、いくら貴いといっても、横的であり、一代で終わってしまいます。 しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるものです。したがって、現代人はアダムから始まるすべての先祖たちの細胞が集まっている集合体と同じです。 ですから、私たちはどのように生きていますか?いつも心と体が戦いながら生きています。国家間の戦いには休戦もあり、終戦もありうるでしょうが、人間の内部で葛藤している心と体の戦いには、休戦も終戦もありません。 人間が神に似ることができず、そのような葛藤状態に陥ったのは、人間始祖が堕落したからです。それゆえに、信仰生活をしない人であっても、人間が堕落した人間始祖の後裔であることを認めざるをえないのです。 ところで、アダムとエバは、堕落した後にエデンの園から追放されましたか、それとも堕落する前に追放されましたか?アダムとエバは、堕落することによって神との間に愛、生命、そして血統の関係を結ぶことができず、エデンの園から追放されたのです。 ですから、アダムとエバは神に祝福された結婚式を挙げることができず、サタンの主管のもとで結婚したのです。すなわち、サタンから血統を受け継いで子孫を繁殖したというのです。それゆえ、イエス様が「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきたものであって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」(ヨハネ福音書8:44)と言って、人間の父がサタン悪魔であることを指摘して、戒められたのです。 堕落によって神とアダムとエバの間の父子の因縁が断たれて、アダムとエバが神を中心とした真の父母、真の夫婦、真の子女の愛を完成することができなかったことにより、神は直系の孫と孫娘を見ることができなくなってしまいました。 アダムとエバは堕落しないで完成し、縦的な真の父母であられる神を中心に横的な真の父母として一心一体となり、心と体が戦うことがあってはなりませんでしたが、サタンと関係を結ぶことによって体が心を引き回す立場になりました。 それでは、堕落というのは、どういう内容だったのでしょうか。聖書ではエデンの園で人間始祖が善悪の果を取って食べたのが堕落の起源であるといいます。しかし、それは聖書の重要な部分がそうであるように、文字どおりの果実ではなく、比喩と象徴で表現したものです。マタイによる福音書15章11節に「□にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」とあります。 人間は本能的に自分の欠点を隠そうとします。子どもたちもクッキーをこっそりと食べてお母さんに見つかれば、手を覆い、□を覆います。それと同じように、アダムとエバが善悪の果を手で取って口で食べたならば、彼らの目が開けたとき、手と□を覆うべきでした。ところが、彼らが下部を覆ったというのは、下部で罪を犯したことを意味しています。 エデンの園に5人の男性たちがいました。全被造世界の男性格主体であられる神をはじめとして、アダムとルーシェル、ガブリエル、ミカエルの3天使長がいたのです。ところが、女性はエバだけでした。そこでアダムとエバが裸で暮らしながら、ペアで仲良くしていた昆虫や動物たちの生態系を見ながら何を感じたでしょうか。 ですから、創世記2章17節で「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われた戒めは、エバの愛の問題について強力に警告されたものです。エバは、神を中心として個性を完成して神が許される祝福結婚を挙げるまでは純潔を守り、神の愛と生命、そして血統を繁殖させなければなりませんでした。 しかし、天使長ルーシェルが僕としての身分を忘れ、過分な欲望により、エバと不倫なる関係を結んで堕落させてしまいました。ですから、ペテロの第二の手紙2章4節には、「神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、暗やみの穴に閉じ込めておかれた」とあり、ユダの手紙1章7節には、「同じように淫行にふけり…」と記されています。そのように天使の犯した罪が、姦淫の罪であると指摘したのです。言い換えれば、善悪の果は、未完成だったエバの貞操、さらには、エバの生殖器を指していたのです。 人間の生殖器は、神が心血を注いで、真の愛の王宮、真の生命の王宮、そして真の血統の王宮として創造されたものです。ところで、善悪の果という言葉はどういう意昧でしょうか。女性が王と関係を結べば王子を生むのであり、マフィアと関係を結べばマフィアの子どもを生みます。まいたとおりに刈り取るのです。ですから、善と悪を分かつ善悪の果だというのです。 そして聖書ではエバを堕落させた天使長を蛇に喩えました。なぜでしょうか。蛇は、舌先が分かれており、一つの口で二つのことを話す二重人格者を象徴するのであり、自分の目的のためには、手段と方法を選ばない存在です。一方、男性の生殖器は、毒蛇の頭と似ており、常に穴を求めて回ります。女性の生殖器は、凹形になっており、あたかも洞穴のようです。 淫乱は、個人はもちろんのこと、家庭、氏族、国家を破綻させます。今日のような長い歴史の終末期である末世に、世界的に起こっている青少年たちの淪落やフリーセックスの波は、エデンの園においてアダムとエバが堕落した結実なのです。 男性と女性がもっている生殖器の本当の主人はだれですか?夫の生殖器は妻のものであり、妻の生殖器は夫のものです。したがって、それを開け閉めする鍵は一つだけです。どのような理由であれ、スペアキー(spare key)があってはなりません。そのキーを過って使用すれば、家庭が滅び、国が滅びるようになります。 人間始祖の堕落によりサタンは孫をもちましたが、神は直系の孫を見ることができませんでした。ですから、メシヤが必要ですが、そのメシヤはアダムとエバが結婚を誤って偽りの父母になったのを復帰するために真の父母として来なければなりません。 野生のオリーブの木は、枝を切って真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。ですから、イエス様はニコデモが訪ねてきたとき、「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ福音書3章3節)と言われたのです。だれであれ偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を断って、真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木されて天の国の民にならなければなりません。ですから、世界平和統一家庭連合が私の教えを中心として国際合同祝福結婚式を通じて真なる家庭理想の実現のために努力してきました。 私は命懸けで祈祷して真理を探求しました。レバレンド・ムーン以上に霊界と神をよく知る人はいないでしょう。天の戦法は打たれて奪ってくることです。サタンは、先に打って損害賠償まで支払うようになっています。また、怨讐までも愛さなければなりません。サタンまでも愛さなければならないのです。私がゴルバチョフや金日成を訪ねていって会ったのも、怨讐までも愛さなけれぱならないという神の真の愛を実践したものです。すべての迫害は、サタンの所有権を相続させてくださる神の戦略です。ですから、個人から天宙まで文総裁に反対しましたが、かえって文総裁は発展しました。 神をはっきりと知らなければなりません。人間始祖の堕落によって悲嘆と嘆息の中におられる神を解放してさしあげるために、あらゆる反対を顧みず、人種と国境を超越して真の父母の名によって「国際合同祝福結婚式」を主導してきました。婚前には絶対純潔、祝福結婚後には絶対貞節を守り、絶対、唯一、不変、永遠の真の家庭の理想を実現するよう私は教育してきたのです。 男性は天に代わり、女性は地に代わります。したがって一度、祝福結婚をすれば、離婚は不可能です。今日50パーセントを超える離婚率によって、天倫と人倫の基本秩序が破壊されつつあります。 内外の貴賓の皆様、神は男性と女性のどちらを好まれるでしょうか。何であれ、後につくられるものであるほど、多くの精誠を尽くすのでより貴いのです。女性は神が心血を注いでつくられたいちぱん最後の作品です。さらに女性は男性よりも尽くしながら生きるので、神は女性のほうに関心があるのです。 神は、どこにとどまりたいと思われるでしょうか。神は、男性と女性が完成して真の愛を中心として一つになるとき、彼らの中に臨まれるのです。ですから、縦的な愛の主人は神ですが、横的な愛の主人はだれでしょうか。夫に対しては妻であり、妻に対しては央であるのです。 ところで、生命の種は夫にあります。女性は、その生命の種を受けて自分の体を犠牲にしながら、栄養素を供給し、愛により育てて子どもを出産するのです。子どもは骨と肉の99パーセントを母親からもらいます。 女性の体の構造を見ると、女性自身のためにできているものは一つもありません。女性の胸とヒップは、女性のものですか?赤ん坊のためのものです。男性にはない子宮も、毎月の生理現象も、すべて赤ん坊のためのものです。そして結婚した女性の生殖器もだれのものですか?夫のものですか、自分のものですか?夫のものです。 ですから、女性は夫のために生き、子どものために生きるようになっています。そのような妻に対して、男性たちは家庭で女王の中の女王のように侍らなければなりません。息子、娘を教育して家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、そして天宙では聖子として育てる責任も夫にあります。 そのように夫と妻は、主体と対象の関係です。愛の関係では男女は平等ですが、秩序と位置付けでは生命の種をもっている男性が主体です。それゆえ、夫を主体として妻と息子、娘が一心一体となって真の家庭を築いて神に奉献しなければなりません。 内外の貴賓の皆様、新千年の幕開けとともに世界は一つの世界を指向しています。ワン・ネイション・アンダー・ゴッド(One Nation under God)を超え、ワン・ユニバース・アンダー・ゴッド(One Universe under God)すなわち、「神のもとの一つの宇宙」になりつつあるのです。私がいち早く説いてきた「地球村大家族」の世界が実現しつつあります。しかし、ここに深刻な障害物があります。それは、人種間の差別と宗派間の対立です。これは、神のみ意ではありません。 例えて言うなら、白人は「北極ぐま人種」(polar bear race)のようです。北極からスカンジナビア半島を経て、イギリスを通って世界へ広がったのです。黄色人種は、アジアで農業に従事して地を愛してみたところ、「ひぐま人種」(brown bear race)のようになりました。黒人は、熱帯地方の「つきのわぐま人種」(black bear race)と同じです。彼らの皮膚の色が黒くなったのは、太陽の光が強い赤道の付近で暮らしているからです。各人種間のカラーには、優劣はありません。ただ環境の影響を受けて、保護色を異にしているだけです。 実際に人種の間には99.96パーセントの同質性があるという事実が知られています。神の観点から見ると、皮膚の色には何ら質的な差異がありません。そして愛の神は、人種の皮膚の色については色盲です。神は、皮膚の色が異なる人種を創造されませんでした。したがって、霊界に白人とか黒人とかいうのはありません。ただ真の愛のカラーのみが存在します。 そして人類が平和世界を指向していくにおいて、宗教間の葛藤が深刻です。神は、教派や宗派をつくられませんでした。宗教自体が堕落の副産物です。すべての教派や宗派の分裂は、サタンが助長したものです。霊界には国家間の垣根、教派間の垣根、そして宗派間の垣根がありません。 ヨハネによる福音書3章16節の「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」というイエス様のみ言は、キリスト教の境界線を飛び越えて救いの世界性、普遍性、そして宇宙性を説いたものです。 今までサタンは、様々な境界線をこしらえ、神は壁を壊してこられました。すでに霊界では、四大聖人たちを中心とした宗派間の垣根も取り壊されました。ですから、イエス様、釈迦牟尼、マホメットと孔子が互いに往来しながら交流しています。 それをよく知っている私は、今回アメリカ50州の巡回講演を通じてすべての聖職者に、教派を超えて一致団結することを強く勧めました。実際にアメリカの聖職者指導者連合(ACLC)を中心とした連合教会(UFC)運動を通じて14万4千の教会がこの運動の先頭に立っています。今後、家庭を中心としたホームチャーチ(home-church;家庭教会)が定着するでしょう。究極的には制度的な教会やお寺、モスクなどはなくなるでしょう。 そして、私が国連で明らかにしたことがあるように、世界平和のために各種の国境線の撤廃運動が活発に展開されています。世界平和超宗教超国家連合が先頭に立って、世界NGOの連合であるWANGO(World Association of Non-Governmental Organizations)を中心として、国連本部から五大洋六大州にその運動を急激に拡散させているのです。 内外の貴賓の皆様!新千年は聖書の歴史で7千年に当たるのであり、イエス様以降の3千年を開いていく時代です。この時代は、旧約と新約の約束が成就し、霊界が完成することで、天上と地上に天国が築かれる成約の時代です。 私は、摂理歴史の蕩減復帰を完結し、今年1月13日に神様王権即位式を挙行しました。その日は、人間始祖の堕落によって囚われの立場にあられた天のご父母様を解放してさしあげた日として、全摂理歴史の中で最高の祝いの日でした。それでは、今からその王権即位式を中心としてお話ししたいと思います。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人々が、国をもって祝福を受け、一つの血族となり、血統が一つとなった単一民族を成した基台の上で、初めてこのような式を行うことができるのです。「神様王権即位式」のために、今まで数多くの宗教圈の中で、ユダヤ教の第一イスラエルからキリスト教の第二イスラエルを経て、第三イスラエル圈である韓国に至るまで、旧約時代、新約時代、成約時代と越えてきました。 「成約」とは、「すべてが祝福を受ける時代」という意味です。神がつくられたすべての被造万物は、人類始祖の堕落により、祝福圏に立つことができませんでした。しかし、神は、救いの摂理の道を通じて、キリスト教を中心とした数多くの宗教を立て、万民を教育することによって段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。しかし、主流思想でない系列の宗教は、その全貌を知ることができません。ですから、ユダヤ教とキリスト教を中心として、神を人類の父として侍りうる道を築いてきたのです。そうして、イエス様が地上に来られることで、初めて「ひとり子」という名前をもつようになりました。 神が失ってしまわれたこの歴史時代に、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神に愛されることのできる血統的内容を中心として、地球星にひとり子が生まれました。神の長男が生まれたのです。しかし、ひとり子は生まれましたが、ひとり娘(独生女)はいなかったのです。神は、4000年間の救いの歴史を通じて、完成したアダムを再び創造なさったのと同じです。神は、アダムに似せてエバをつくられました。アダムの相対になることができるように、アダムをつくられた原則、その青写真を土台としてアダムに似せてエバをつくられたのです。 聖書を見ると、男性のあぱら骨を取って女性をつくったと記されています。それは、どういうことかというと、骨子を取ってつくったということです。ですから、完成したアダムは、この地上で失ってしまったものを取り戻しうるひとり子です。神は、直系の真の愛の血統を通して、アダムは取り戻しましたが、エバは取り戻せなかったのです。エバを取り戻すには、今までの堕落以後の歴史性を、再び家庭から復活させて接ぎ木し、国をつくらなけれぱなりません。それを準備しておいたものが、ヤコブからのイスラエル民族であり、12支派です。 選民思想を中心として、ヤコブの12人の子女が着地して、世の中に勝利の版図を拡大させたのが、イエス様が来られるまでの2000年間のイスラエルの国とユダヤ教です。イスラエルは、外的なカイン型であり、ユダヤ教は内的なアベル型です。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的父母の責任を全うすることにより、カイン、アベルを収拾することのできる母を選択して待たなければなりません。母を選択した基台の上でイエス様を迎えていれば、真なる霊肉を合わせた父母を迎えるようになり、霊肉が合わさったイスラエル国とユダヤ教が、カイン、アベルの立場で真の神の血統と一つになっていたはずです。 ですから、その一つになった祝福家庭を中心として氏族を編成し、民族、国家まで編成したものに対しては、だれも否定することはできません。ローマがいくら世界を支配するとしても、かなわないのです。外的なものは肉と同じで、内的なものは骨と同じであって、肉というのは骨を超えることはできないものです。もし、そのような立場に立つようになっていたら、イスラエルの国を中心として万国統一、神の解放と神の即位式は2000年前にすべて成し遂げることができたはずです。しかし、イエス様が、エバを復帰して家庭を築くことができなかったことにより、イスラエル民族、選民圏国家の基準まで成し遂げることができるように準備したものが、すべて壊れてしまいました。すべて壊れていったのです。 イスラエルが準備した、その基盤がすべて死んだも同然となったので、イスラエルの国はなくなり、7世紀になって中東からイスラム教が出てきました。イスラエル民族は、エジプトから帰ってきて祝福を受けた民族になったにもかかわらず、その中心民族の中からイスラム教が出てきたのです。ムスリムが反対する立場で現れ、怨讐になりました。アプラハムの息子であるイシマエルとイサクは兄弟ですが、お互いに怨讐となって戦う歴史が展開しました。そうして、エルサレムを中心として、十字軍とムスリムが戦いましたが、イスラエルを奪われてしまったのです。 それで、奪われたそのイスラエルを再び取り戻してこなければなりません。しかし、戦いによって奪ってはいけません。イエス様の時代に国家的基準のカインとアベル、右翼と左翼の立場で平和の基準をつくっていたら、カインとアベルの闘争歴史は、霊界でも地上でもすべて解決したはずです。しかし、国家形態の基準を準備したイスラエルが亡国の種となることで、「再臨」という名詞が登場するようになりました。 第二イスラエル圏を中心として、ローマ圏を支配することができ、超えることができる世界版図圏がキリスト教です。イエス様の体を失ってしまったので、第二次世界大戦を通して連合国と枢軸国が戦い、連合軍が勝つことによって、霊界を代表する基準においてキリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。そうして、キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代を迎えて、怨讐世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属することができました。 この基盤を中心として、カトリックとプロテスタントが、聖霊である真の母を中心として一つになった立場に立ってキリスト教文化圏を代表し、来られる真の父である再臨主を迎えていたならば、そのときから統一天下の運勢を受けて、1945年以降3年半ないし7年後である1952年までに統一天下を築き、そのときに神の「王権即位式」が終わっているべきでした。しかし、キリスト教は、統一教会を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、梶棒をもって追い出そうとしています。 なぜそうするのでしょうか。ユダヤ教がキリスト教に対して梶棒をもって、最後まで反対しながら滅びるしかない立場に向かったのと同じです。今、キリスト教が統一教会に反対しながら、全く同じ道を進んでいます。宗教圏はすべて同じです。キリスト教が、神のみ旨をすべて成し遂げてさしあげられず、仏教と儒教、イスラム教なども同様に困難な道を歩んでいます。その結果、家庭から社会、国家、世界など、どこもすべて地獄のようになってしまいました。神の願われた真の愛の理想圏は、地球星では見いだすことができない結果となりました。 アメリカのような大きい国にも、神が訪ねることのできる心と体が一つになった真の息子と娘はありません。神が願われる堕落していない本然の基準において、夫婦の心と体が一つになった真の家庭はないのです。父母と息子、娘が争わない家庭はないのです。個人主義化してしまったこの世は、すべてが分かれるのです。そのような転換の時期に、東洋と西洋で文化背景が異なるので、メシヤの代理的責任をもって、世界人類を東西、四方でそれぞれ収拾してきた宗教形態が、正に仏教や儒教、イスラム教、キリスト教なのです。 では、再臨主はだれかというと、真の父母です。真の父母は、何をもってくるのでしょうか。真の愛と真の血統をもってくるのです。偽りの父母は何かというと、偽りの愛と偽りの血統をつくりあげた存在です。堕落していない本然の世界では、神を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築くには、真の血統がつながらなければなりません。真の父母の子女になるには、真の父母と血統がつながらなければなりません。「父母」と「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統がつながらなくては絶対に成立が不可能です。それは、神も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。そのために、成約時代の真のご父母様を通した祝福による真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗の蕩減復帰を可能にしうるのです。 真正なる神の血統、本然の基準に接ぎ木してそれが野生のオリーブの木の畑であっても、真のオリーブの木の血統において、真の愛を中心として一心、一体、一念となって、生死圏を行き来しなければなりません。個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、いかなる犠牲があっても越えていくというような心情をもった人は、サタンが関与することはできません。国家基準以上越えるようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができません。イエス様も、もし結婚していたのならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結することができるからです。 原理でいえば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神の血統が連結されているので、サタンが断ち切る道理はありません。その過程において、心情一致しうる、その立場になることができずに、堕落したために問題になったのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが奪っていくことはできません。しかし、この過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えようとしても、種は生じません。それで、永遠の生命が存在しないので、死んだ生命のようなものを処置する所が地獄です。それは、神とは関係がないのです。 親子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されえません。男性独りの血が連結されただけではだめなのです。男性と女性の血統が一つにならなければなりません。宇宙の根本の道理は、性相と形状の血統が一つになったその場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる立場で、人間を創造したというのです。アダムの家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天の国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神と地上の実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するにあたり協力するのです。そして、霊界において永遠に暮らすことのできる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するのです。それゆえ、神とサタンまでも和解して、ユダヤ教と来られる主、それから周囲にある宗教と和解させるのです。イエス様が来られて、家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ備われば、そのときにすべて終わります。 しかし、それが終わらなかったので、世界の途上で、第二次大戦以後に世界国家であるアメリカ(アメリカは世界の第二次的なイスラエル圈)が、第三次地上、天上の主権、覇権の主人として来られた真のご父母様に出会い、地上統一、天上統一の基盤を造成したならば、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圈、地上、天上天国の解放に連結されたはずです。それが40年間かけて巡り、今日まで56年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」を行うことができたというのは、夢のような話です。 だれが、神の「王権即位式」をしてくれるでしょうか。最初に、だれが神の「王権即位式」を台なしにしたのですか?サタンとアダムが台なしにしたのです。アダムとエバが真の父母になることができなかったためにサタンが入ってきて、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。堕落によってサタンの血統が残ることになったので、これをすべて否定して、引っ繰り返さなけれぱなりません。それは神もできず、サタンもできません。 サタンが今までつくっておいた自分の国を、自らが壊してしまうのは難しいのです。だれでも、自分がつくったものを改造することを嫌います。サタンも同じです。それを神が引っ繰り返すこともできません。神が引っ繰り返すことができるならば、エデンの園で、アダムの家庭を失ってしまわなかったはずです。いずれにせよ、理論的にも神が手をつけられないのは間違いないので、神が手をつけられないことに手をつけうる人物がだれかというと、完成したアダムです。本然の愛の家庭をもつことができるそのような家庭は、アダムの家庭以外にはありません。 中心が問題です、中心!復帰も中心がなくて完結することができるでしょうか。それでは、祝福家庭の中心とは何でしょうか。だれが祝福してあげるのでしょうか。真の父母が祝福してあげるのです。だれが結婚式をさせてあげるのでしょうか。自分の息子、娘に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか。堕落しなかったならば、だれがしてあげたでしょうか。真の父母がしてあげるのです。堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。それは、横にはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。 昨年の10月14日、聖人と先生の息子、娘、祝福を受けた家庭が一つになり、霊・肉界の宗教圈統一式をしてあげました。そこで何を語ったかというと、「真のご父母様は家庭の王である」ということです。今まで、家庭の王、天地を代表した中心位置に立った家庭の王がいましたか?家庭の王になるには、すべてのものの中心にならなければなりません。「父母の中の父母」にならなければなりません。それから「長子の中の長子」にならなければなりません。長子の王が、まず家庭をもつのです。 「逆婚」という言葉があるでしょう?結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順番にしなければなりません。最近では、逆さまにも行って騒いでいます。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、こちらにも合わせ、あちらにも合わせて、逆にしても通じるというのです。しかし、本来は、長子、次子、生まれた順番に結婚しなければいけません。しかし、そのように混沌となっているので、最近では親族相姦関係が現れています。姦淫するというのです。おじいさんが孫娘と連れ添い、おじいさんが嫁と連れ添っています。親族相姦関係が生じたのです。人々は、中心が分からずに回っているので、お互いにー緒に連れ添ってみるのです。 今は、そのようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、自分の系列を把握することができないほどであり、1度なのか、0度なのか、360度なのか、180度なのかも分からないほどなので、0度でも360度でも180度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。それゆえに、民族を移動して世界が乱交する事件まで展開するのです。最近では、外交官というような人々が外国に行けば、その国にどれほど旗を差して帰ってくるか、どれほど女性と相姦関係を結んでくるかというような乱交時代となりました。 このようなことを、だれが収拾するのでしょうか。神も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉することができず、サタンが結婚することも干渉することができなかったのですから、「終りの日」に干渉する道理があるでしょうか。結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生じたので、真の父母が来て、これをもう一度蕩減復帰、つまりこれを否定して引っ繰り返さなければなりません。したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地に立ったとしても、蕩減を果たすまで生き続けることのできる余力があってこそ、初めて生きるということなのです。死ぬことを悲しみ、逃げたいと思う人には、永遠に復活圏がありません。それゆえに聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と記されているのです。 ですから、神も同じであり、真の父母も同じですが、天の国に行こうとする者は、どうでしょうか。気が狂うほどでしょう。神も、生きんとする人間の一つ一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に行かない限り、生かしてあげることができるように支えることはできません。断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような生死の基準を超えてこそ、人も生き、神も生きるのです。メシヤ、あるいは救世主という人は、神よりも、もっと苦労しなければなりません。神は楽にしてさしあげ、食べさせてさしあげたとしても、自分は、死ぬほどの苦労をしようとしなければなりません。 西洋人は、「自由、自由、自由!」と叫んでいるでしょう。いくら西洋の教育制度が整っているとしても、西洋人には堕落圏内の自由の概念しかありません。家庭観、社会観、国家観、世界観、宗教観、神の摂理観のようなものがありますか?アジアの教育と西洋の教育は、180度違います。家庭観も違います。ですから、西洋の制度は、「終りの日」に混乱するようになるのです。個人主義の観点では、そのようなことが分かりません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか。どのようにして、それを悟らせるのでしょうか。 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神を解放しなけれぱならないことを教えてあげました。小さなことから始めて、神を解放する最高の段階にまで上がってきました。それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか。心と体を統一することから始めるのです。絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神まで進んでいくのです。西洋人たちは、どんなにその位置まで進みたくても進んでいくことはできません。なぜでしょうか。個人主義の概念をもっているからです。個人主義の概念が怨讐です。それが神の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の立場につながるのです。 皆様は、ここに見物に来たのですか、それとも文総裁の話を聞いて、困難な峠を踏み越えていくために来たのですか?それが問題です。そこには、個人主義的概念はありえません。ハーバード大学を出た、エール大学やオックスフォード大学を出たといっても問題は同じです。むしろ労働者や無学な人たちのほうがましです。フリーセックスを好む人たちは、だれですか?白人ですか、だれですか?黒人がそれを好むとすれば、それは白人から学んだのでしょう。 このように考えなければならないのです。フリーセックス、ホモ、レズビアン、このようなものは、間違いなく麻薬中毒とエイズにかかるようになります。麻薬とエイズのために(人類が)全滅するようになっています。アフリカでは、60パーセントがエイズにかかっています。 15年、20年以内に滅びると見るのです。エイズの潜伏期間は、8年から12年です。ですから、2代ですべて滅びます。 国連を中心として見るとき、非政府機構(NGO)も多くの問題点を抱えています。その人たちに、「最も難しいことをしなさい」と言えば、それをする人がいるでしょうか。 NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題などを指摘するでしょうか。あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。そのような高い次元の内容を知ってこそ、初めて反対することもできるのであって、反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい」と言うのです。 青少年の淪落と家庭の破綻、エイズ問題、特に純潔な血をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、大統領や国連事務総長など、だれも分からずにいます。彼らは「これは、うそか本当か?」と言うのです。 今から「神様王権即位式」以降の条件についてはっきりと教えようと思います。今までの問題は何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか?プラッド・リネージ(blood lineage)です!これが最も重要です。自分の国の王が重要なのではありません。父母も必要ありません。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今、この世界には数多くの国がありますが、神に属するものは一つもありません。サタンに属しているのです。今からは、ほかに方法はありません。神に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。 そして、アメリカのような自由世界、民主世界は、ユニオン(union労働組合)ゆえに多くの問題を抱えています。しかし、ユニオンは問題がないというのです。労働者、農民のユニオンがあるのと同じように、ストック・オーナ~- (stock-owner)、株主のユニオンをつくれというのです。 「労働者ユニオンと株主ユニオンの二つが一つになって、私たちの家族をきちんと食べさせて養わなければならないので、今年は、昨年の生産量を超えなければならない。だから、労働者ユニオンと株主ユニオンが一つになって競争しよう。そうして、利益が出れば、三年間ほどは主人に渡さずに、自分たちで分けるのだが、労働者ユニオンが一生懸命に働けば、その分の何パーセントをより多く与え、株主ユニオンが一生懸命にすれば、その分を多くもらおう」と、このようにします。こうすれば、闘争が生じるでしょうか。西洋社会で、このように考える人はいないのです。 それができないときには、「宗教連合の世界組織よ、集まりなさい。全世界の祝福家庭は、集まりなさい。今から宗教ユニオンをつくろう」と呼びかけるのです。 そのように、宗教ユニオンをつくれと言えば、つくりますか、つくりませんか?ですから、ユニオンに対しても「退け」と言えば、共産党は退くのです。ロシアにユニオンがありますか?ありません。中国にユニオンがありますか?ありません。北朝鮮にユニオンがありますか?ありません。それでは、なぜ先進国にユニオンができたのか、その動機は何でしょうか。ロシアが外交政策で、その国々を滅ぼすために、「仕事をせずに、血を吸い取りなさい」というのです。ですから、文総裁の言うとおりにすれば、ユニオンの抱える問題点は解決することができます。 今からは、どのように思おうと、好きでも嫌いでも、東洋人でも西洋人でも黒人でも、人として生まれた者は、神のみ旨と文総裁の教えを聞かなければ、困るようになるのです。ですから、初めから困難な立場に立つのではなく、きょうから新しく決心しなさい、というのです。一度決心したら、いくら難しい迫害があっても変わってはなりません。今からは、確信を抱かなければなりません。 今日、この新千年時代に何をすべきかというと、今まで神も解放されず、真の父母も解放されませんでしたが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけません。監獄に入ったとしても恐れてはいけません。自分が、天国に早く行きたいのに、若くして行くならば、どれほど良いでしょうか。それが損することですか?天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、主人になるのに、どうして否定するのですか?死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなけれぱなりません。 今日、「神様王権即位式」を行うことによって、国が変わりました。今や、み旨の道のために心配しなければなりません。神は、み旨の先頭に立つことができず、今まで恨を抱いておられます。ご自身の願いどおりになさることができずに恨に満ちています。神がなさりたいとおりにできるよう、後援部隊になりなさいというのです。 「神様、なぜこのようになさるのですか。きょう、早朝に忙しいことがあって、私より早く降りていかれるなら、私を起こして連れて行くべきでしょう。今までは、目覚めさせるために神様が働かれましたが、今からは変わる時ではないですか。お父様は、息子よりも立派なのに、息子、娘よりもっと苦労し、何とかここまでたどりついて、即位式までなさったのに、その即位式の権限を中心として、一声の号令で、天下がするするっと巻き込まれて落ちていくはずなのに、なぜ、お出ましにならないのですか。私がご案内します」と言うのです。お出ましになられなくても、案内ならできるでしょう。今からは、時が変わったのです。 皆様は、どのように個人完成をするのか分かるでしょう。個人の心と体が、一つになることが分かるでしょう。堕落するときに、サタンの血統を受け継いだ体が、堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても、体が願うとおりにしてはいけません。これから守るべき鉄則は何かというと、第一に、死んでも血統を汚してはならないということです。第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性でも女性でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないのです。責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。心にそぐわないからといって、むやみにすることはできません。 人権を正しく指導することにおいては、真の愛、為に生きる愛をもって暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想をばらばらにしてしまうのは許すことができません。罪の中で二番目の罪です。第三に、公金を盗んではならない、公金を自分勝手に使ってはならないということです。以上の三つです。監獄に入る人の70パーセント以上が、この問題で、そこにいるのです。監獄に入っていってみれば、そのようなことが分かります。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っかかっています。それから金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。 これから祝福を受けた血統は、神の血代であり、神の真の愛と真の生命を受け継いだわけですから、堕落世界に染まった、今までの習慣的な行動によって汚してはいけません。 その血統を守ることができますか?夫婦になっている人も、配偶者がいない人も、独りでもよいので、「完全な血統を汚さない」と決心し、そのように誓う、きょう、この日にならなければなりません。きょうの記念の日を忘れてはいけません。夫婦げんかをしても、「正月13日、13数!」と言えば、おさめなければなりません。西洋では、「13」というと、最も悪い数です。それは12か月の真ん中にある「中央数」です。中央に12か月が入って、天地の道理が循環しなければならないのに、これがないので、すべてが混乱して道理的な混乱世界になっています。これを正そうというのが、天の願いなのです。このことを知ってからは、「たとえ千回、死ぬようなことがあっても守らなければならない」と、鉄石のような決意をする、この時間としなければなりません。 天の国の憲法第一条が何かというと、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。第二は、「人権を蹂躙してはならない」。第三条は、「公金を略取してはならない」。きょう、この記念日に天の国の王権を維持して、皆様が王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、これが絶対に必要です。ですから、お兄さんを無視することはできません。また、弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう。 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校だけ出た人も無視します。そのようにすれば、人権蹂躙になります。公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように暮らす人は、いくらうまくやろうとしても、できません。そのように暮らしてみてください。いくら神に祈祷しても、うまく伝道することができません。門の前に人が来ても、背を向けて帰ってしまいます。 負債を負う人は、天下がすべて嫌います。金氏一族ならば金氏一族の中で、一族を代表して問題を起こし、負債を負うことを喜ぶ人が、どこにいるでしようか。後には、道を行く人まで捕まえて、逆さに水たまりに投げ込んでしまうのです。そのような時が来ます。この三つについて分かりましたね。この三つを一度指を祈って数えてみなさい。独り、内心で決心したことを、一つ、二つ、三つ、一つ、二つ、三つと、何度も繰り返してみなさい。純潔、人権、国家財産の略取禁止の問題について、はっきりと理解して習慣化しなければなりません。口さえ開けば、目覚めさえすれば、そのような言葉が出てくるようでなければ行動できないのです。 そこに付け加えるならば、一生の間、愚かな人やあらゆる人をすべて連れて生きてきたので、何らかの事情がないでしょうか。皆様が生きていくのに何か事情はないでしょうか。そのとき、そのような事情がたくさんあるはずですが、そのような法に引っかかるまいと努力すれば、それらの事情にすべて打ち勝った人になるはずですから、文総裁が言うまでもなく、天国に入るようになるでしょう。では、どのようにすべきでしょうか。どのように暮らしますか?幸福に暮らすべきでしょう。独りで暮らすことが幸福といいますか?共に暮らすのに、幸福に暮らす中に、何が含まれるでしょうか。 神の公式、法度によって立てられた中で、どのような環境で、どのような人たちとともに暮らせば、幸福に暮らしているといえるのか、ということです。簡単です。それも三つです。父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、夫婦の前では子女になります。子女関係、兄弟関係だというのです。自分の家庭を中心として、父母がいて、それから夫婦がいれば、息子、娘がいます。したがって、父母の前で、自分にとっては兄弟関係と同様に親戚の8親等、4親等以上が、すべて連結されて入るのです。それで、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自ずと生じるのです。子女関係を兄弟関係といってもかまいません。彼らと一つになって、幸福に暮らさなければなりません。幸福に暮らすことができるよう指導しなければなりません。お互いが手本になってこそ、幸福に暮らしているといえるのです。 手本になっていなければ、間違って暮らしているということです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば、幸福に暮らせるようになるのです。そのように幸福に暮らせば、どうなるのでしょうか。家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。天の国の王がいて、地上の王がいるならば、その王たちが幸福に暮らしている家庭を訪問する日が来ます。毎年、年初めに、その国で最も幸福に暮らしている家庭を訪問し、表彰する時が来るのです。そのように暮らす、祖父から始まって父母、夫婦の3代が四位基台理想を備えることができた、そのような家庭に賞を与えるのです。 そのような家庭が、その国にあれば、先に賞をもらった家庭が、後代に賞を与えることができる責任者となり、国王に代わった国の中心、大統領の家庭に代わって賞を与える時が来ます。これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係、と言ってもよいのです。兄弟関係というのは、兄弟が一つになることによって、それを子女たちが見て、似るようになるのです。それゆえに、兄弟関係も子女関係も、共同責任の下で和解して影響を及ぼしながら、主体的な位置に立つために生きた人になれば、天の国のだれであろうとも自分を締め出すことはできません。 今から、逆賊として追われて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天の国の皇族圈になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。きょう、このことを肝に銘じてくださるよう願います。これを標語として定めるのです。 3000年(に向けて)の標語の中で、純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産の略取禁止。それから父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうということです。町内がすべて、「あの人について行くべきだ」と言い、「あの人のようになりたい、共に暮らしたい」と言えば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように生きています。 きょう、「神様王権即位式」で宣布した最も重要な三大鉄則についてお話ししました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべきものであり、家庭に入っても、国に入っても絶対に引っかからないようにするための指針です。きょうこの日に、正に記憶するに値する内容であるということを肝に銘じ、生涯の標的としてくださることを願います。成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。 どうか、霊界を一生懸命に研究して、神を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を築き、為に生きる生活を通して永生の準備をするように願います。今、人々は、有限な人間の能力とは比べものにならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。生きておられる神のみ前にあって、真に柔和謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人なのです。100神の王権時代を迎えて、神の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するにおいて、共に同役者となられることを願います。神の祝福が、いつも共にありますようにお祈りいたします。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.11
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日本の40日修練性の10日、天心苑特別徹夜精誠でのパフォーマンスです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.10
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青坡洞元本部教会聖地紹介ビデオ2024/05/07ソウル未来遺産に選ばれた青坡洞元本部教会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.07
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Web説教「地の塩、世の光 ~義人を探す~」2024/05/07 #世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「地の塩、世の光 ~義人を探す~」説教者:柴沼邦彦マタイによる福音書 第五章13~16節には「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。……そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」とあります。イエス様は、地の塩になりましょう、世の光になりましょうとは言われていません。あなたがたは地の塩であり、世の光ですという言い方をされています。地の塩、世の光とはイエス様ご自身です。そして、イエス様と一つになっている弟子という立場では、地の塩であり、世の光だと言われているのです。では、この地の塩、世の光とはどのような意味をもつのでしょうか。共に神様のメッセージを受け取ってまいりましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.07
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2024年4月24日、天地人真の父母御聖婚64周年記念式における真のお母様のみ言 韓国語・日本語字幕2024/05/03 清心平和ワールドセンター2024年4月24日、天地人真の父母御聖婚64周年記念式における真のお母様のみ言です。韓国語と日本語の字幕を付けました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.05
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第十一回「七・一節」記念礼拝の御言成約九(二〇〇一)年七月一日、韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 大講堂 真のご父母様は、第十一回「七・一節」を韓国の地で祝われました。 このみ言は、制定から満十周年を迎えた「七・一節」の記念礼拝で、真のお父様が、その意義について触れられながら語られたものを翻訳し、整理したものです。(文責・編集部) 米国のキリスト教が、レバレンド・ムーンと一つになって、選民圏に祝福世界化運動が連結されたので、しばらくの間、その報告を聞いてから式を進行するのが良いのです。分かりますか? 梁昌植氏! (「はい。」)簡単に十五分で話してください。 ここには、一般の人も来ているので、話してあげるのが良いのです。韓国、日本、米国の連合大会であるということを知っているので、そのような面から米国の代表的な話が必要であるということを知らなければなりません。 (梁昌植北米大陸会長の報告) 今の時に関して、少し話をしましょう。今、摂理歴史は、“母子協助時代”を経て“父子協助時代”になったので、米国と韓国が一つになれば、全世界が、その方向に従っていくことができる時代が来たのです。母が必要ならば、父が母を立てることができ、息子を立てることができる時なので、内外共に解放される立場です。 ですから、母の復帰時代は過ぎていったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)それで、今回、祝福をしてあげた六十人の代表たちが来て、真の父母の講演の席上で、摂理的な路程において自分たちが経てきた実体的な内容を紹介してくれるのです。 また、韓国と米国との間で、国家間の関係が結ばれれば、世界化することができます。このような時点に至ったのです。 今日、このような最高の頂上、分水嶺を越える時点になったので、霊界と地上の統一圏を築きました。真のご父母様が、祝福家庭による天の血統基盤の上に、個人から家庭を超え、氏族、民族、国家、世界化時代を超えて、天上まで統一した環境を築き、そのうえで「(神様)王権即位式」を挙行したのです。 ですから、天上にとどまられて、恨めしく過ごしてこられた神様も、霊界にいる祝福を受けたすべての霊人たちを率い、聖人、聖子たちを率いて、地上の祝福を受けた家庭と一つになられるのです。 地上がアダムの立場であり、天上世界は天使長世界の立場です。自分の先祖たちは、霊界で祝福を受けたので、地上で祝福を受けた地上の後孫の家庭と比較すれば、先祖の家庭は、天使長の家庭であり、地上の家庭は、アダム型の家庭なのです。 それゆえに、兄の立場にいる霊界の家庭が地上に来て、弟が兄の立場に上がっていって、入れ替わるのです。長子権復帰です。 そうして、入れ替わることによって、弟が兄になり、父が息子になり、孫がおじいさんになるような“天地開闢時代”になるということを知らなければなりません。前に進んでいって“回れ右”をすれば、最後尾が先頭になるという、そのような時代になったのです。 それゆえに、今まで地上で先頭に立って宗教圏を虐殺し、迫害していたすべての存在は、弟の立場に行くのです。迫害を受けていた人たちを兄として、弟の立場で従っていかなければなりません。 もし、従っていかなければ、真のご父母様を中心として長子の立場に立った、その長子が天地を中心とした天宙父母の権限を受け継ぐことによって、次子に対して真のご父母様の権限を代身、代行することができます。どのようなことでもできるのです。 真のご父母様が願われれば、どのようなことでもすることができる時代に入ってくることによって、霊界が地上に来て、地上にいる実体、肉体を持った祝福家庭を兄として侍り、一体化することができる環境になります。そして、すべての一族を中心として、一国を協助することができるのです。 そのような時代が来るので、もし、協助するとするならば、その日には、病を与え、薬を与える時代が来るのです。すでに王権樹立が成されたので、憲法の基準を中心として、天の願いどおりに行動しなければ、霊界全体から行く道を否定される時代が来たということを知らなければなりません。 皆さんは、“祝福の中心家庭”なので、今からは神様も必要ありません。神様は、すべての権限を下さいました。宗教圏を代表したメシヤ権も……。 今までのユダヤ教や、キリスト教や、その他の宗教圏の孔子や釈迦、そのような聖人たちを信じなくても、あるいは彼らに頼らなくても、そして真のご父母様と関係を結ばなくても、皆さんが、全体を代表して「祝福の中心家庭○○の名によって祈祷します。」と言う時が来ました。それは、どういうことでしょうか? 堕落していなければ、宗教は必要なく、氏族、民族、宗教の分派や紛争はありませんでした。神様の愛を中心として、統一された祝福圏内で育ったアダムとエバが、祝福を受け、神様を直接にお迎えして出発していたならば、この地上と天上が一つの国となって、地上天国になっていたはずです。ところが、堕落して、それを失ってしまいました。 ですから、一人ではなく、霊界に行ったすべての霊人たちと、地上にいるすべての人類が総合して、一つに統一された完成的世界版図のアダム家庭を取り戻したということです。分かりますか? それで、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができる、そのような関係を結ぶようになるときには、どのようなことが起きるのでしょうか? そのとき、神様の全体、全般、全権、全能の役事として、違反するものは、法を中心として、どのようになるのですか? 秋になれば、木の葉が黄色くなって、自動的に落ちますが、それは、肥料として使われるだけです。実を結ぶことはできません。実を結ぶことができずに落ちたものは、肥料となるだけです。 “祝福の中心家庭”とは、み旨を中心として精誠を尽くし、堕落していない、復帰完成した世界史的中心家庭です。アダムは、個人的中心であり、一族の中心ですが、“祝福の中心家庭”は、世界史的中心家庭として、世界でも、霊界でも、地上でも、堂々と解放的自由天地を所有することができる神様の息子、娘の皇族的家庭になるのです! アーメン! (「アーメン。」) そのことが、きょう、今から先生が祈祷することによって、終結されるのです。 それゆえに、皆さんが旧約時代、新約時代、成約時代に万物を二つに割いて分けた、そのような時代は過ぎていきます。ありったけのものを“総生畜献納”する時代に入っていくことによって、皆さんにおいては、一切の自己主張があってはならないのです。 再創造の役事は、自分を完全に否定しなければなりません。個人を完全否定し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、天と地にあるすべての存在を完全否定してこそ、再創造することができるのです。そこには、コンセプト(概念)も実体もありません。 そのような立場に帰り、主体者である神様が動かされる力の前に、何のコンセプトもなく、こねられるとおりに、混ぜられるとおりに、つくられるとおりに形づくられていくことができる、そのような相対的存在になってこそ、神様の再創造の理想を代表することができる祝福家庭となり、世界、国家を自由に往来することができる“中心祝福家庭”になるということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) ですから、転換時代なので、今からは自分勝手にすることはできません。自分の息子、娘を結婚させるにしても、自分勝手にはできません。自分が売って得た物でも、自分勝手にはできないということです。それは、すべて天の国に帰属しているのです。 堕落する前は、すべての物を所有する主人は、神様でした。アダムとエバが、愛の家庭を築いて、神様のみ旨の相対になっていたならば、神様のすべての所有権、天地の万物全体、霊界と地上世界のすべてのものを相続していたことでしょう。 ところが、堕落することによって、サタンの元に行ってしまったので、真の父母が、これを蕩減復帰して、神様の前にすべてお返ししなければなりません。真の父母が、アダム家庭を完成させた“世界の中心家庭”として、これをすべて収拾して、神様の所有としておささげしなければならないのです。 そして、本来は、神様の所有をアダムとエバが相続し、その所有権を中心として、後孫たちが分配を受けて生きていくべきであるというのが、本然の堕落していないエデンにおける理想的家庭の所有権であったということを、はっきりと知らなければなりません。 米国や英国、フランス、第二次大戦で勝利した国々は、何ですか? 英国はエバ国家であり、英国が生んだ米国はアベル国家であり、フランスは米国とも戦い、英国とも戦った怨讐です。この怨讐が一つになり、カインとアベルの兄弟が一つになった基盤の上で、母とイエス様が一つになり……。 枢軸国も同様です。日本は、サタン側の母国家です。ドイツは極悪です。キリスト教とユダヤ教を虐殺した、サタン側の息子の国家です。イタリアは行ったり来たりします。それは、サタン側の天使長国家です。 この三か国は、第二次大戦を中心として、奪い取るための戦いをしましたが、天の文化圏であるキリスト教文化圏が、すべて占領したのです。キリスト教文化圏の英・米・仏は、世界版図圏を中心とする“善と悪の闘い”において、アダム家庭が失ってしまったものを世界的に勝ち取ったのです。 それが何かというと、英・米・仏を中心としたキリスト教文化圏が、第二次大戦後に築いた“世界統一型”なのです。分かりますか? そのことによって、枢軸国のサタン世界も、連合国の天の世界も一つになったのですが、その一つになったものは何かというと、家庭的メシヤであり、家庭的アダムエバの立場です。 それでは、英・米・仏を中心とした世界キリスト教文化圏を築いたのですが……。キリスト教は、どのような文化なのかというと、“母文化”です。それは、“新婦文化”です。主が来られるのを願うのです。 主が再び来られる前に、キリスト教が、母としてなさなければならないことは……。築かれた世界版図を、聖霊が霊的な母の立場で、キリスト教文化圏の連合国と枢軸国を一つにして抱き……。 (マイク状態不良のため、しばらく聞き取り不能) 聖霊は“母神”です。霊界で、統一的な役事をすべて準備してから、イエス様は再び来られるのです。それは、地上においても、母を中心とした、聖霊が生んだキリスト教と、“体”であるサタン世界のカインを消化することによって、勝利した霊的な母の家庭型を拡大した世界になったということです。分かりますか? (「はい。」) イエス様が亡くなられたので、“体”はありません。ですから、来られる主が、雲に乗って霊的に来られたならば、大変なことになります。霊肉の完成を中心として、その母と一つになることができる道を訪ねてくるのです。 そのかたは、霊界の事実をすべて知っています。霊界の事実をすべて知り、地上の事実をすべて知り、だれに対しても教えてあげることができる男性的代表、天上的代表、神様の長子として来られるのです。 そして、“新婦の宗教圏”が勝ち取った世界統一圏を中心として、英・米・仏が、先生を受け入れてさえいれば、その時に“王権樹立”をしていたのです。 その時、一九四五年から七年以内、三年半あれば、すべて終わるのです。七年間ならば、一九五二年までです。一九五二年、その時に「神様王権即位式」をして、先生の年齢が四十歳で天下統一をし、天の国と地上を導いていかなければならない責任があったのです。 ところが、それができませんでした。キリスト教が反対することによって、着地することができなかったのです。 そのとき、“新婦”となることができる息子、娘を霊的に復帰して、肉的に一つになっていたならば、“統一天下”となっていたはずですが、キリスト教が、先生を追い出してしまいました。ユダヤ教がイエス様を追い出したのと同じように、先生を追い出してしまったのです。 蕩減の原則によって、先生は、二千年前のそれと同じように、荒野に追い出されてしまったのですが、すべての天地の統一圏を否定する立場で、アダムが責任を果たすことができずにエバ圏で失敗したものを引っ繰り返して、取り戻しておかなければなりません。 再臨主は、そのようにいくら反対されたとしても、それを取り戻しておくことができる権限を持ってこそ、サタンが行う一切のものをすべて整備することができるのです。 ですから、先生は四十年間、荒野に追い出されたのです。すべて奪われてしまいました。そのときの神様の悲しみといえば、アダムとエバの家庭での失敗が問題ではありません。イエス様が亡くなられたときの悲しみが問題ではありませんでした。 第三次として来られる真の父母を中心として、七年以内に天下統一することができるすべてのものが、水泡に帰してしまったのです。荒野に追い出され、その道を行く真の父母に、神様も従っていかなければなりません。神様は、悪なる世界にいることはできないのです。 そして、再び真の父母が、死んだイエス様の体を実体的基準で取り戻し、その実体的基準に、再び霊的基準を連結させたものが、今回の三〇〇〇年に向けての出発と、聖書歴史七千年が出発する一月十三日の「神様王権即位式」なのです。一月十三日、十三数です。 十二数は、天地の度数である四つの季節を中心として、三数を掛けたものであり(四×三=十二)、そして、十三数は中央数です。ですから、十二弟子と、その中心であるイエス様が一つになって十三数の家庭さえできていれば、イエス様は死にませんでした。 このようなことを全く知らない無知な者たちが新婦になり、無知な者たちが息子、娘になろうとしたので、終末になっても無知であり、完成した天理の大祝福の内容を持ってきた父に反対するのです。そのようにして、イエス様の時にも、父であっても何であっても、すべてが反対しました。そうして、イエス様を殺したのです。 ところが、イエス様を殺したユダヤ人たちは、どのようになったと思いますか? 肉的世界をすべて失ってしまったので、イスラム教が現れて、キリスト教の聖地であるエルサレムを奪ってしまったではないですか? イスラムがキリスト教の中心であるエルサレムを奪ってしまったのです。 ですから、そのようなキリスト教は、霊的基準のキリスト教であって、肉的な“体”はありません。 そして、再臨時代になり、霊肉の勝利を備えて、霊肉の闘いを収拾して、“統一天下”を成すのです。それは、新婦を中心としたキリスト教ではありません。父を中心としたキリスト教として終結させ、天下統一を成すのです。 それゆえに、救援摂理は、“母子協助時代”を経て“父子協助時代”に越えていくのです。“母子”が失敗したのです。そうして父と出会って、新しく息子、娘が現れたのですが、それが統一教会です。分かりますか? (「はい。」)(※救援摂理は、復帰された”母子”があって父と出会って、新しい息子、娘が現れたのですが、それが統一教会です。) 統一教会とは、何なのでしょうか? キリスト教が追い出して、崩してしまったすべてのものを、父が再び、息子を捜しだし、果たすことができなかった母としての責任を、再び成し遂げなければなりません。 そこで、新しい母を立てて、堕落した条件を清算するための訓練を行い、新しい地上、天上天国を中心として、霊肉を一つにした「神様王権即位式」を完了したのです。「アーメン」です。(拍手)それは、いいかげんなことではありません。公式的です。数千年歴史が公式的に巡りに巡って……。 雪の塊が一つ落ちて、ごろごろと転がって大きな雪の塊になるように、だれもできないほど完全に丸いものにすることによって、神様が、「わたしの物だ!」と言われることができるようになったので、「(神様)王権即位式」をしたのです。 そのことによって、「個人王権式」オーバー(over:終了)、家庭オーバー、氏族、民族、国家、世界オーバー、天地オーバーとなったので、地上と天上、すべてが地上に来て、神様が、「真のご父母様の物は、わたしの物である!」と、ガン、ガンと印を押さなければならないのです。 皆さんたち祝福を受けた家庭は、その道を行かなければならないのですが、今から金氏なら金氏を連合して、金氏が暮らしている国、大韓民国なら大韓民国を復帰しなければならない責任があるのです。全世界が、そのようにしなければなりません。 その門を開けて、特権を許諾するための先生の祈祷が、「七・一節」の行事のときにあったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 摂理史を明確、かつ理論的に知らなければなりません。そうでなければ、行くべき道の方向を見失ってしまいます。この日本の者たち、韓国の者たち、米国の者たち! 自分たちが自分勝手に生きていたことを、そのままふろしきに包んで持っていては、追放されるのです。 大移動が起きます。統一教会の祝福を受けた家庭は、すべて大移動しなければなりません。日本の人と入れ替わるのです。自分たちも知らずに入れ替わり、後から、国連の決定と天の国の決定によって、「決定に従っていきなさい!」と言われれば、世界に出ていかなければなりません。 天国と同じように、地上にいる先生を中心とした中心国家から、アフリカの末端の奥地まで、霊界の組織編成を代身することができる地上世界になるのです。 ですから、同じように信じていた数千、数万の人がいたとしても、そこに数千代の差が生じるのです。そうして、み旨どおりにすることができなかった人は、遠くに流されるのと同じようなことが起きる時が来ます。 今から、そのような役事が起きる“新しい地上天国と天上天国の着地時代”に向かって越えていきます! そこの法に一致することができない者は、脱落して、自分が現在いる立場にふさわしい所に行って、そこにとどまるようになります。 そのようになれば、昔、先生が「しなさい。」と言ったことをしなかったことに対して、嘆息をし、怨恨を持つようになるのです。 そうして、「お父さんとお母さんは、真のご父母様を知っていながら、なぜ、み言のとおりにしなかったのですか?」と子供に言われながら、離れていくのです。離れてしまってから糾合運動をしようとしても、することはできません。霊界では、糾合運動のようなものはありません。 このようなことまでも、先生が解いてあげなければなりません。そうしなければ、解くことができません。そのような恨の歴史が訪れてくるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい!」) 今から、皆さんとわたしは離れます。離れていくのです。皆さんは、もうすっかり成長しました。分家したのです。分かりますか? 分家したので、皆さんが行く国を早く探して、サタン世界との関係を断ち切って、天の国に接ぎ木し、どんどん巻き込んでいかなければなりません。 縄をなうときには、小さくて細い材料をどんどん巻き込みながら、それをなって、縄をつくっていくのですが、それと同じことです。皆さんは、あらんかぎりの精誠を尽くして、一族をどんどん巻き込み、国まで巻き込んで世界につないで、天の国に帰っていかなければならない立場にいるのです。 その巻き込む時間が、ここに五千人の人々が一緒に座っているとすれば、五千代の差が生じるのです。そのようなことが起きます。 父母が、はっきりと教えてくれたとおりに、自分で行い、また、父母が「このようにしなさい。」と言って見せてくれたことを、自分でよく理解して、その行いを見たとするならば、真のご父母様が行った道ならば、息子、娘も、その道を行かなければなりません。 その道を行かない人は、真のご父母様から離れていかなければなりません。真のご父母様は天国に行くのですが、皆さんは、天国に行くことができますか? その道を行かなければ、その離れた距離だけ、遠い所に行くのです。今後、皆さんが、あの世に行って家庭的糾合をしてみても、一緒に暮らすことはできません。 このような、途方もない神様の恨の歴史と、自分たちの未完成な部分に該当する受難の道が、皆さんの家庭の前に首を長くして待っているということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) ですから、今や王権を樹立した以降は、一つの国です。一つの家庭です。一つの家庭は、一つの文化世界、一つの国家を成さなければなりません。 今からは、日本人もなく、米国人もなく、すべて解体されます。すべて滅びるのです。フリーセックスで、すべて滅びます。国をすべて失ってしまうのです。 家庭が、すっかり腐ってしまいました。家庭に手を出すことができません。日本もそうであり、米国もそうであり、韓国もそうであり、世界が、すべてそうであるというのです。これを収拾することができる主人が、真の父母なのです。分かりますか? (「はい。」) これは、真の父母の特権です。真の父母だけが、それを是正することができる公式を持っており、モデルを持っています。他のサタン世界には、ありません。 無知の世界に落ちたのが堕落であり、国家基準も、無知から始まった“堕落の国家”なので、この地上の有名な人、有名な家庭、有名な国であっても、そのことを知りません。 ですから、嫌であっても、文総裁の前にひざまずいて千年の恨を解き、「救ってください。救ってください!」と言わなければなりません。 しかし、今から、反対した人たちが現れて、「救ってください。」と言っても、できません。今までの自分が反対したことがなくなりはしないというのです。 ですから、自分が何かに反対したとするならば、その罪の量が何年、何十年分に該当するとしても、それをすっかり蕩減するときまで待ってから越えていかなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 蘇生、長成、完成ですが、天は蘇生、長成までサタンに奪われてしまいました。ですから、神様は十分の一献金を受けられたのです。なんということでしょうか! 神様は十分の一のみを自らの物とされ、それも細々と、それを続けてこられたというのです。 しかし、今ではもう、王権樹立をしたので、反対になります。皆さんが所有した、国のすべての権限が天の側に返ってきたので、サタン世界と反対に、三分の二が天の側に返らなければなりません。 そこで暮らしている皆さんは、今まで十分の一をささげてきたのですが、それは、蘇生にしかなりません。今からは、長成、完成を加えて、十分の三をささげなければなりません。 そうして、サタン世界のどのような国よりも、文化人として暮らすことができる環境的条件をつくらなければならないのです。公共機関をつくらなければならず、教育機関をつくらなければならず、理想的な道路や流通構造をつくらなければなりません。そのためには、三〇パーセントが問題ではありません。 真のご父母様と神様は、全体を投入して犠牲にしたということを思うとき、いち早く、そのことに貢献することができなければなりません。そして、投入することができる量が多ければ多いほど、そのような民族は、天の前にあって、中心民族に近い所にとどまるのです。それは、理論的です。分かりますか、分かりませんか? (「分かります!」) きょう以降、皆さんは、全員十分の一ではなく、十分の三を献金するようにするのです。十分の一は、その国を生かすために使い、十分の一は、その国の教会、十分の一は、世界のために使うのです。そのようにして、世界のカイン兄弟を生かさなければなりません。 自分の家庭が問題ではありません。三〇パーセントではなく、七〇パーセントです。志のある人は、三〇パーセントで暮らし、七〇パーセントまでささげようとする運動が、この“地球星”に展開することによって、この運動は、ついに世界統一の運勢として台風のように発展していくのです! アーメン! (「アーメン!」) ここに参席した人たちの中で、“私は、間違いなく三〇パーセントを献金する。”と決心した人は、立ち上がってください。月給の三〇パーセントです。分かりますか? (「はい。」)立ち上がったことを忘れてはいけません。(「アーメン!」) 先生は、それでも信じられません。皆さんを信じられないので、手を挙げて誓ってください。間違いなく実行! 手を挙げて誓ってください。さあ、神様の前に、神様に対して誓ってください。自分たちが、しなければならないでしょう? わたしが、するのですか? (「誓います。」) そして、自分の父母に対して「誓います!」と言い、自分の息子、娘に対して「誓います!」と言うのです。国に対しては必要ありません。サタン世界には、神様の国がありません。“間違いなく実行する。”という自信を持った人は、座ってください。その自信も持っていなければ、立っていてください。立つ人がいるでしょう? この者たち! 自分たちの都合の良いように考えて、息子、娘の学資金や、食べて生きていくことを考えるような者たちには、見向きもしません。ここに姿も見せてはいけないというのです。 それゆえに、自動的に天下が統一されるのです。天下統一の道を妨げる敗北者、“亡国の種”とはならずに、天下統一の伝統的な道を広く、広く、深く、深く、高く、高く拡張しなければなりません! アーメン! (「アーメン!」)「アーメン。」と言った人たちは、拍手をしてください。(拍手) 今は、忙しい時代ですが、十年間でも、三十年間でもよいので、一生を中心として、間違いなく三〇パーセントをささげていけば、よいのです。分かりますか? (「はい。」) しかし、それを売り飛ばして、自分たちで使うというのではありません。就職して、お金を稼いで、子供を養って生きていくのですが、その収入の三〇パーセント、三六パーセントまでをささげるということです。 このようにすることによって、今後、世界を再建設するうえで、理想的な王宮、学校、公共機関をつくるのです。そうして、サタン世界のいかなる国のいかなるものよりも優れたものをつくらなければ、豪華絢爛なあの世にいる主人の息子、娘の権威を、地上で代身することはできません! そのことを知らなければなりません。分かりますか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) “分かった”という人は、もう一度、両手を挙げて立ってください! 着席! (笑い)着席! 座らなければならないでしょう? 月給をもらっている人たちは、帰って、きょうから三〇パーセントをささげるのです。今までは十分の一献金ですから、これからは十分の三献金です。それは、三〇パーセントでしょう? 分かりますか? そのようにするという人は、「ありがとうございます。」とあいさつして、座ってください。 それは、ささげながら“ありがたい”と思わなければならないのであって、“もったいない”と思えば、罰が当たります。自分の未来の後孫たちが行く“福地”建設に傷をつけてしまう怨讐になるのです。 わたしは、皆さんからもらったものは、たとえ一銭でも自分勝手には使いません。今からは、財産処理が難しいのです。自分たちが積み上げたものを解いて……。全員、あいさつして座りましたか? しましたか? (「はい!」)実践するでしょう? (「はい!」)先生は、信じられません。信じられないので、もう一度、大きく拍手してみてください! (拍手) きょうの訓読会は、郭錠煥氏が出てきて行うのですが、ちょうど十年前の「七・一節」、回数では十一回前の一九九一年のこの日に、「七・一節」を設定したのが、蘇生です。 そして十年目の「七・一節」の年に「(神様)王権即位式」を行ったので、この十年後には、「王権全世界解放式」を行わなければなりません。 ですから、皆さんが王族として、その国が求める歴史的な孝子、忠臣、烈女の立場に立ち、天の国を相続しなければならない責任があるということを知らなければなりません。分かりますか? わたしは、天地をすべて神様の前に帰属させたので、皆さんには、国を中心として、それを復帰してささげなければならない責任があるのではないでしょうか? 金氏なら金氏で、すべてを教えてあげた、その内容を中心として、自分の国を天の前に早く復帰し、いかなる国にも負けないようにしなければなりません。 そうして、一日でも早く、国王と上下院議員全員が決意して、「文総裁が教えた祝福は、天理を通して現れた事実なので、自分の国も大統領以下、すべての上下院議員が一体となり、挙国的に祝福を受けることを願わなければならない。」と言うようにならなければなりません。 祝福を受けることを願わない人は、わたしたちの国が三等になったなら、三等の国家圏に加担することはできません。加担しなければ、十年後、数十年後に、アフリカの奥地に行って暮らすような立場に追いやられます。そのようになっているのです。分かりますか? そのようになるかならないか、見ていてください。そのようにならなければ、皆さんが霊界で、そのままそのようになるのです。地上でしたとおりに、地上で植えて結ばれた実のとおりに、あの世に行って、自分の実の姿どおりにとどまるのです。 ですから、神様の前に王子、王女の立場、最高の神様に侍ることができる孝子、忠臣、聖人、聖子と同じ位置に行こうとすれば、地上で、そのようなことをしなければなりません。 そのようにしなければ、あの世に行ってから、その位置に接する道理はありません。天理原則が許諾しないのです。分かりますか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)大きな声で! 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) どのような人であろうと、大学の総長であろうと、教授であろうと、わたしは知りません。わたしの言うことを“聞かない”といって首を振った人が、どのようになるか、見ていてください。 文総裁は、恐ろしい人です。恐ろしい人ですが、赦してあげるために、恐ろしい迫害を受けました。分かりますか? (「はい。」)恐ろしい人ですが、恐ろしい迫害をしてくる怨讐を、“恐ろしい(ほどの)愛”で包括していくのです。 日本は、わたしにとって怨讐ではないでしょうか? 怨讐です。アメリカは、わたしにとって怨讐です。すべて怨讐です。レバレンド・ムーンに反対していない国が、どこにありますか? しかし、怨讐を愛して、「解放式」をしたのです。それは、神様が怨讐を救ってあげるために苦労されたということを知っているからです。 「元亨利貞は天道の常」です。父母がそうであり、歴史的伝統がそうなので、それに従う人は、そこに、その形態を備えることができるように従っていくというのが、原則です。分かりますか? (「はい!」) 郭錠煥氏! (「はい!」)きょうは、何の日ですか? 「七・一節」の行事を本格的に始めなければなりません。この花束をくれるのですか? (笑いと拍手)関心がないので、花束が枯れます。(「勝利された天地父母様に、私たちの忠孝を誓いながら、花束を奉呈いたします。勝利された真のご父母様に、もう一度、大きな拍手で感謝を表します。」) (花束奉呈)(拍手) 劉大行氏! そして梁昌植氏! 来てください。アダム国家は、先生がアダム国家の立場です。ここは、母国家です。今まで、韓国の(立場の)先生が、エバ国家を助けてきました。これは、母の立場です。(真のご父母様が、受け取られた花束を劉大行会長と梁昌植会長に渡される)(拍手) (郭錠煥会長による、訓読のみ言〔一九九一年七月一日「神様祝福永遠(勝利)宣布式」の祈祷文とみ言〕についての説明) 宣布することによって、杭が打ち込まれ、主人がだれなのかということが、決定されるのです。それを抜く人は、いません。そこに、すべてとどまるのです。 それで今回、十年が過ぎて宣布したので、今から十一年後の二〇一二年までに、世界の宗教圏に属したすべての国々は、その国を“生畜献納”して解放し、天の国に入籍させなければならないということを知らなければなりません。それが一つの国になるのです。さあ、続けてください。 (引き続き、郭錠煥会長によるみ言についての説明) 今回も、アラスカから帰って、北米から南米を収拾して、そのすべてを韓国に植えるために、アラスカを通って……。今から祈祷文を読みます。「祈祷文」と言ってみてください。(「祈祷文。」)祈祷は、今や、皆さんが祈祷をするものであると理解しなければなりません。自分で祈祷をするのです。 お父様は、もう、皆さんにすべて任せるつもりです。分かりますか? このみ言も、自分が語るみ言であると、このように考えなければなりません。 皆さんは今、ご父母様が王権樹立をしたので、各国を解放して、天の前にささげるべき責任があるのです。 ですから、その王権樹立を自分たちが引き継いで、それを皆さんの祈祷と皆さんのみ言のようにとらえて、それらを実践して、不十分なものがないように、きれいに結論づけなければなりません。 そうして、天を理解し、皆さんの国を取り戻そうとして、皆さんの国を天の前にささげることのできる準備をしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)だれの祈祷ですか? (「“私”の祈祷です。」) 先生のこの祈祷も、天が願われる祈祷です。人間に対して、必須的に願われたみ言も、天が願われるみ言です。そのみ言も、ご父母様が天から伝授されて、その内容を、間違いなく皆さんに伝授します。 ですから、皆さんも、その内容を伝授されて、今や、国々を動員して、皆さんの子供たちが、このみ言の解放を継承しなければなりません。 そうして、数千万代の感謝の祈祷の代わりに“感謝の歌”とならなければならず、説教の代わりに、“感謝の地上天国生活”が展開されなければならないのです。「アーメン」です。分かりますか? 神様のみ言、ご父母様のみ言、皆さんのみ言、皆さんの子女のみ言まで超えていってこそ、解放のみ言となるのです。そのみ言は、全世界の地で、すでにすべて伝統として残っています。 ですから、このみ言を守れば、その環境の与件では、全部皆、解放されうる時代となるのです。それが、地上で暮らすことのできる地上天国であり、永遠なる祖国光復の天上天国なのです。 今、そのような“わたしたちの本郷”の地に入っていって暮らすことができるのであり、それが正に、天国であるというのです。さあ、祈祷文とみ言を訓読してください。 (郭錠煥会長による祈祷文とみ言の訓読) 皆さん。ノアの時代の洪水審判の後、着地した日は、六月一日です。しかし、今日の摂理史において、真の父母が、この地上に来て着地することができる日は、六月一日ではありません。七数の峠を越えることができなかったので、七月一日から峠を越えるのです。 ですから、今から八月、九月、十月まで、七、八、九、十、この四か月間でしなければならないことが、たくさんあるのです。先生が、世界を巡回しなければならないということも残っており、その前に、米国を中心として、しなければならないことも残っているのです。 それらのことを、どのようにしてうまく行うのかということは、全世界の統一教会の教会員たちが、先生と同じ心を持っているかどうかということにかかっており、そのような同じ心、同じ立場で、同じ目的を撃破するための精誠の祈祷をささげなければならないということを知らなければなりません。 そのようにしてこそ、皆さんが精誠を尽くしたその場に、神様の運勢が流れていくのです。 山から流れ出た水が、平地まで行って、そこで水平になっていたとしても、谷となった所、深い所で祈祷すれば、この水は、そこに向かって流れていきます。 ところで、その水は、たとえ遠くまで流れていったとしても、その水が少なくなるのではありません。遠ければ遠いほど、水は流れていくうちに広い範囲に広がっていきます。しかし、精誠を尽くしたならば、水は、その精誠を尽くした深い谷に向かって流れていくのです。精誠を尽くしたものが、いくら遠い所にあったとしても、そこに向かって波が訪ねていくのです。 ですから、その波が、皆さん自体を包んでいくときには、それが大きければ大きいほど、周辺の世界全体の水流を代表して立つことができるのです。 このような基準を中心として、精誠を尽くして活動し、精誠を尽くしたその基準が、天の標準になる日には、皆さんの国と皆さんの家庭が、祝福を受けることができる圏内に自動的に立つということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい!」) それで、きょう、しなければならないことは何ですか? 「(神様)王権即位式」をしたということは、宗教世界において願っていた希望が、すべて終わったということです。また、神様の救援摂理のすべての目的が終わった、ということになるのです。 そして、創造理想を立てて万物をつくり、人をつくり、神様が祝福した愛の家庭を築き、堕落がなかった地上、天上天国の理念が、そこで初めて実現されるのです。 それは、個人の家庭ではありません。六十億になる数多くの人類が、同じ解放的“祝福の中心家庭”の立場に立つことによって、今まで空いていた天国を、一度に埋め合わせることができるのです。 そうして、失敗した歴史のすべてを、神様が理想とされた基準を繕おうが継ぎ当てをしようが、どのようにしてでも、その空いた所を水平基準で埋め合わせることができるのです。 それゆえに、今から地上と天上には、理想天国が実現されます。神様が、思いのままに闊歩されることができるようになるのです。制限された囚れの身でいらっしゃった神様が、今、霊界全体を闊歩することができ、地上も思いのままに闊歩されることができるのです。 それは、どのようになるのでしょうか? 天使世界と、霊界に行った先祖たちが、この地に降りてきて、アダム圏、第二世、アベルの立場を中心として、協助することができる基準ができているのです。 ですから、アベル基準の家庭が、完全に世界解放圏に立てば、神様ご自身は、皆さんの家庭はもちろんのこと、家庭を通して解放された氏族、氏族を通して解放された民族、民族を通して解放された国家、国家を通して解放された世界、世界を超えて解放された地上、天上天国の天宙的圏内に入っていかれるようになります。 そのようになることによって、全世界が、自分の家庭形態のように、神様に侍ることができるようになります。その場において初めて、新しい天国、新しい神様の安息所が始まるのです。 その時までは、神様も、希望を持って、地上と往来されながら協助なさらなければなりません。また、真の父母は、皆さんが国を取り戻すうえでの方向を提示し、教えたすべての問題が成されたのか成されていないのかを監督します。 「訓読会」を通して、祝福を受けた長子圏にいる皆さんを監督し、保護し、国家圏まで解放すれば、神様は、霊界のどこであっても安息なさることができます。また、皆さんが国家を奉献してささげれば、地上においても、どこででも安息なさることができるのです。 そのような時になってこそ、摂理のすべてのことが完結し、天上、地上天国生活が永遠に継続し始めるようになるのです。そのことによって、すべての人類にとって、この“地球星”が故郷の地となり、また、この宇宙がわたしたちの祖国になるということを知らなければなりません。 “地球星”が、わたしたちの故郷となり、この無限なすべての創造世界が、わたしたちの祖国の地となるのです。地球が皆さんの活動舞台であり、それが、神様のように、皆さんの所有圏の中に入るようになります。その立場に立てば、すべてのことを願うとおりにすることができるのです。 皆さん。李相軒氏の『霊界の実相』を見れば、神様に最も近い所に行った人たちは、すべてのことが考えたとおりに、さっさっさっと、成し遂げられるといっています。ですから、何であっても願うことは、不可能なことはなく、可能なのです。 神様の全体実権を、わたしたち自身も、代身して行使することができる、そのような世界にとどまることが、わたしたち人間の最高完成目的であったのです! (「アーメン!」)そこまで行きますか、行くことができませんか? (「行きます!」) 皆さんの国を、早く天の前に奉献しなければなりません。今ではもう、そのことしか残っていません。そのようにしてこそ、皆さんの国の王宮からどこにでも、真のご父母様が思いのままにお出ましになることができるのです。分かりますか? (「はい。」) 韓国と日本は、怨讐です。両国間には、国境があります。この国境をなくして一つにするためには、怨讐同士で結婚しなければなりません。分かりますか? (「はい。」) カインとアベルが怨讐です。先生が、聖人と殺人鬼を一緒に、第二次大戦を引き起こした悪党の親分、共産党の頭を聖人と一緒に祝福してあげました。分かりますか? 国境を撤廃しようとすれば、どうすればいいのでしょうか? “甲”という国と“乙”という国が怨讐関係であるとして、この怨讐の血筋が、交差しているのです。これが問題です。天と地が、すべて引っ繰り返ったので、この交差したものを元に戻すためには、下のものが上に行き、上のものが降りていかなければなりません。 交差しているので、これは、いつでも解くことができる、というのではありません。ですから、交差しているものを元に戻して、個人的な水平線にならなければなりません。心と体が、水平にならなければなりません。ここに闘いがあってはいけません。絶対に相克があってはいけないというのです。 夫婦を中心として、男性と女性が闘えば、相克が生じるので、どこに行っても、行き詰まります。主流の愛の道が、すべてふさがります。それから、自分の家庭を中心として、これが上下にならなければならず、主体と対象を中心として上下にならなければならないのですが、これが引っ繰り返ったので、闘えば、ふさがってしまいます。 国と国が、国境を中心として怨讐になっています。このようにふさがったものを開くためには、皆さん自身が、怨讐の中の怨讐と結婚しなければなりません。日本と韓国の怨讐の中の怨讐は、最高の頂上である王です。 上下院が交差結婚しなければなりません。日本で言えば、首相と大臣たちが、怨讐である韓国の人たちと完全に交差結婚しなければならないのです。 そのように、交差結婚することを、これ以上ない最高の結婚であると思う人は、間違いなく天の国の近い所に行くことができるのです。そうして国境線がなくなるのです。 宗教圏を中心として見るとき、神様は、「怨讐を愛しなさい。」とおっしゃいました。それでは、怨讐を愛する最後の終着点は、どこでしょうか? 怨讐を愛して、何をするのですか? おなかがすいたときに、ご飯を上げることが、怨讐を愛することではありません。実際に、無限に愛する兄弟愛や友愛以上、父子関係以上、夫婦関係以上の位置に行き、血統の出発が一つにならなければなりません。 堕落して、血統が分かれました。夫婦が一つにならなければならないのですが、これが分かれてしまいました。ですから、兄弟、家庭が一つにならなければなりません。 自分の一族の最も近い家庭が一つになることよりも、世界に行って、兄弟や、父母や、一つの血族の因縁が絡まってきたものを、真の父母の愛と真の兄弟の愛で抱き、だれよりも愛することができなければなりません。 貧しく暮らしている人がいれば、自分の財産を三分の二までも分けてあげられるような雅量がなければなりません。そうでなければ、天の国、全権世界の解放者になることはできないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 統一教会の霊通人たち。霊的に見通して暮らしている者たちは、そのように暮らさなければならないのですが、そのような考えを持って暮らしている人は、どれくらいいますか? 考えは、したかもしれませんが……。 考えは、実在とは違います。考えだけではいけません。実在、実体にならなければなりません。行わなければなりません。 怨讐を愛する最終的な峠とは、何でしょうか? オリンピックのときのように、陸上のトラック競技であるならば、トラックのコースの基準(ライン)に沿って走って回っていくと考えてください。回っていくときに、“その基準(ライン)に抵触したら敗北者になる”と決めたら、ラインを越えないで回っていけばよいのです。 ですから、皆さんは、これに触れてはいけません。それゆえに、愛するにおいて、ここでも自由で、あっちでも自由になってこそ、正常な選手の資格を持ってゴール地点に入っていくことができるのです。 天国に入っていくのか入っていけないのか、または、賞を取れるのか取れないのかということが、そこで決定されます。それが正常な道なので、神様は、こちら側だけでなく、あちら側の道にも回っていこうとされるので、どのようにしなければならないでしょうか? 血統を分けてあげることができなければなりません。 ですから、兄弟のためには、死ぬことができなければなりません。では、死なんとする者は、何ですか? (「“生きる”です。」)生き、生きんとする者は、何ですか? (「“死ぬ”です。」)死ぬのです! 生命は、どこから始まるのでしょうか? 生命は愛から、そして血筋から始まりました。誤った結婚をして血筋が変わってしまったので、愛で消化して秩序を正さなければなりません。 それゆえに、国境撤廃した後に、怨讐同士で、国家と国家が結婚することができる天地にならなければ、その国は、天の国に属する国になることはできず、その国の民が、天の国の民となる道はないのです! それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しいです。」) 日本人が、ここに来ていますが、わたしは、本当に日本人を愛しました。わたしは、日本のことをよく知っている人です。貧民窟から“高位層”の秘書室まで、あらゆる所で働いた人です。そして字を上手に書くのです。 恨みを晴らそうとして打てば、天の国に行くことはできません。わたしは、神様を知っていたので、日本にいながら体を汚しませんでした。“時ではない時”に、結婚してはいけません。体を汚してはいけないのです。 ありとあらゆる誘惑が、たくさんありました。日本の女性たちの誘惑が、たくさんありました。若い娘、四十代、六十代、八十歳の老人まで、十二歳以上の女性は、全員、プロポーズします。不思議です。サタン世界の女性たちは、そのことを知っているのです。天の国の王子のような人物だというのです。劇場に行けば、我知らず……。 先生の学生時代には、頭の髪の毛をこのように伸ばし、質屋に行って、卒業生たちが脱いでいった服を安く買い、それを着て歩きました。汗のにおいがして、一メートル以内には近寄ることもできないようになっていました。 劇場のような所に行けば……。本当におかしいのです。若い女性たちが、わたしの横に来て座るのです。それは役事です。そのような人が来て、横に座っているとは、わたしは夢にも思いません。 しばらくすると、我知らず、わたしの手をこのように握るのです。そのような何かがあるというのです。引力があるのです。分かりますか? 文総裁を思慕しても、自分の思いがかなわないので、離れていった人が、本当にたくさんいます。この韓国にも多く、日本にもおり、米国にも多いのです。人の世に生きる人間として、初めて春を迎えることができる春風が吹くのです。分かりますか? (「はい。」) 春風が吹くのですが、男性の前に春風とは、どういうことですか? 女性たちが皆、くっついてくるのです。しかし、思いのままにすることはできません。彼女たちは、どのような立場なのかというと、妹です。妹なのです。エデンの園で失ってしまった妹です。 彼女たちは、兄に出会って、妹として本然の春を迎えたので、世の中の実の兄よりも、もっと愛するのです。そのように愛さない人は、先生と関係を結ぶことができません。兄だけではありません。 その次は、婚約者です。エバがそうでしょう? エバは妹ですが、婚約者でしょう? 十六歳以上になれば、その兄が未来の愛の対象になります。愛の対象は、一人しかいません。これが動かなければ……。 女性たちは早いのです。男性よりも先に目が開いて、思慕するのです。女性だけではなく、男性までも、そのようになる時まで、神様は待たれるのです。 そして、祝福してみてください。本当の愛に火をつけることができ、最高の火を爆発させることができ、電線がスパークを起こすような境地に至るまで、待たれるのです。それが十七歳、十八歳を超えて二十歳、二十一歳までの四年間です。十八、十九、二十、二十一歳までの四年間なのです。この四年間に、電気のプラスとマイナスが出会えば、爆発するようになっています。神様は、そのときまで待たれるのです。 それゆえに、妹として兄を愛し、婚約することができる人になって、“あの男性は、私が婚約して結婚する人だ。”と、このように思うようになるときまで待つのです。 どちらか一方が愛する“片思い”というのがあるでしょう? 片思いは、だれが最初にするのかというと、エバが最初にするのです。そして、アダムも、ぼーっとしていて、後から“いやあ、愛とは何だろう? あのように慕ってくるのだなあ。私は嫌いだったが、今では、私も好きになった。”と、このようにして、夜も昼も平準化されれば、スパークが起きるのです。 そのときになれば、神様が臨んで結婚式をしてあげるのです。その結婚式は、だれの結婚式なのかといえば、ただの人間の結婚式ではありません。横的な夫婦の結婚式において、ふたりが一つになり、その中間に、縦的な神様の二性性相が来て、初夜の愛によって爆発するのです。分かりますか? 電線がスパークすれば、鉄線がくっついてしまうでしょう? 男性と女性が、平面的にスパークするとき、音が出てくっついてしまい、その中に神様の性相と形状の愛が挟まるので、完全にくっついて骨になるのです。“愛の骨”です。中心の愛の骨となり、外的な男性は、“愛の肉”になるのです。くっついてしまったので、離すことができません。分かりますか? それゆえに、人類歴史路程において、女性たちが初めて春を迎えることができる時が来たのです。先生は、そのことをすべて知らなければなりません。未完成の時に、アダムとエバが知らずに堕落したということ、神様の創造目的がこうである、ということを、すべて知って教えてあげなければならないというのです。 しかし、自分の欲望で女性と関係することはできません。蕩減復帰の道が、どれほど難しいでしょうか? その立場に行くことが、どれほど難しいでしょうか? そのような主体になっているので、鉄分でできているものは、鉄くずであっても、すべて引き込まれていくのです。 女性がそうであるからといって、男性が愛の関係を結んではいけません。そして、婚約段階に入っていけば、霊的に……。 エデンの園では、すべて脱いで暮らしていたでしょう? そのまま寝たでしょう? ですから、霊的にふたりで裸で抱き合って、一つの布団で寝ることもあるのです。婚約者の指に花の指輪をはめてあげ、首にかけてあげるということも起きるのです。 そのようなことを経て、結婚段階に越えていくときには、サタン世界の男性という男性が何と言っても、戻っていくことはできません。王が来ても、おじいさんが来ても、お父さんが来ても、自分の夫が来ても、自分の婚約した男性が来ても、お兄さんが来ても、自動的に蹴飛ばしてしまうのです。 天の側はプラスであり、サタン世界もプラスなので、反発が起きるのです。それゆえに、統一教会に入ってくれば、女性たちは、息子、弟、兄、あらゆる男性から反対されます。反対を受けるというのです。 ですから、わたしは、迫害を受けた女性たちのありとあらゆる姿を、すべて見ました。夫から、惨めにも下着一枚の姿で追い出された女性が、明け方に先生の所に訪ねてくるのです。行く所がないからです。そのように、見てみなかった姿がありません。 先生の知らない人たちが、そのようにして来るのですが、彼女たちは妹であり、婚約者の立場なので、育ててあげなければならない責任があるのです。そのようにして出会ってから、正常な立場に引き上げ、男性を愛することができる完全な女性にして、祝福してあげるのです。 そのように、結婚した女性たちも、統一教会に入ってくれば、その男性を見るのが嫌で、皆、別れるのです。 しかし、先生が皆さんを案内するのは、皆さんを天国に連れて行くことができるようにするためです。そうして、女性たちが王女となり、女王となり、女性の中でおばあさんにもなり、お母さんにもなり、そして自分の妻にもなることができ、婚約者にもなることができ、妹にもなることができるように、女性たちを、このような立場に立たせるのです。 天理は一つです。愛の道は、一本道です。一つです。分かりますか? (「はい。」)愛の道は、一つなのです。ですから、ここから出発すれば、さーっと神様の心中に入り込み、さーっと戻ってきて、自分のことを押してくれなければなりません。押してあげることができてこそ、解放される道になるということを知らなければなりません。 皆さんが、どれほど足らないか、自分がどのような位置にいるのか、統一教会員ならば、すべて分かります。 わたしが、分かるように教えてあげたのに、知っていながら“分からない”というのは、どろぼうであり、詐欺性があり、自分の利益を得るために、ここに座っている群れであることは間違いない、ということになります。天の願いが伝えられ、どのようなことでも絶対信仰すれば……。 皆さんと先生の差が、どれほどあるでしょうか? 八段階があります。数千年の歴史が展開しているのです。そこから、どのようにして復帰して、上がっていくのですか? いくら「愛が良い。」と言ったとしても、どのように上がっていくのですか? ですから、絶対愛、絶対信仰が必要です。分かりますか? (「はい。」) 例えば、「この指先に上がっていきなさい。」と言えば、言われたとおりに上がっていくのです。“上がっていくことはできない。”と思っても、上がっていくのです。 そうして、指先まで上がっていけば、その重さで指が曲がるでしょう? 指が曲がるのですが、それは、どういうことかというと、従順に上がっていけば、指の主体が屈伏するということです。 そのように、絶対信仰には、神様まで屈伏させることができる道があるのです。何が何だか分からず、危険極まりなく、首が折れるか、自分が死ぬかもしれずに上がっていくので、神様がつかんであげなければならないでしょう? それゆえに、絶対信仰の中から絶対愛が始まるのです。 このように、命を懸けて千回、万回、絶対信仰すれば、そこに神様の愛が訪ねてくるのです。そして、訪ねてくれば、男性でも女性でも、愛を受けることができる立場に立ちます。 しかし、そのとき、自分を中心として「私が愛を受ける!」と言えば、自分の家庭を築くことはできません。ですから、男性でも女性でも、絶対服従しなさいということです。自分を否定しなければなりません。 神様の絶対信仰と絶対愛と絶対服従を成し、妻は、夫のために投入し、夫は、妻のためにすべて投入することによって、高い次元の家庭の位置に上がっていきます。自分という存在を絶対否定して一つになるときには、一人ではなく、家庭的基準で愛の世界に上がっていくのです。 ですから、家庭的基準にすべて投入し、“自分”というものがない立場で投入すれば、氏族、民族、国家レベルに上がっていくのです。そのような公式を通さなければ、天国に上がっていく道がありません。いくら探してもないので、先生も、そのように生きるのです。 世の中の世界舞台に向かって、そのようなことをして、その結果がすべて良いので、天上世界も歓迎し、地上世界も歓迎します。それゆえに、やっかいな障害物がないので、解放的主人の立場に訪ねていくことができるのです! アーメン! (「アーメン!」)分かりますか? (「はい!」) そして、このように訓練された人たち、つまり、先生が最も愛する妹、最も愛する婚約者、最も愛する妻、最も愛する母、最も愛するおばあさん、最も愛する女王という、相対の位置にいる人たちを、何も知らないどろぼうたちに、一度に渡してあげるというのです。 男性が女性をもらいに行けば、「どろぼうしに来た。」と言われるでしょう? このような者たちに渡してあげるのです。そして、「皆さんも一緒に合同して、先生が持っている愛の倉庫からどろぼうしてみなさい。」と言うのです。何のことか分かりますか? (「はい。」) どろぼうして、そのままなくしてしまうのではなく、先生が築こうとした家庭を繁殖していけば、どろぼうしていったとしても、それを認めてあげるということです。分かりますか? (「はい。」) 愛の倉庫です! 女性が先頭に立つのです。そして、先生が女性たちに相対を結んであげることによって、接ぎ木してあげるのです。 第二完成したアダムとして、弟の立場に立て、今まで育てた女性たちを祝福してあげることによって、わたしが兄の立場で、皆さんは弟の立場で、天国に行くことができるのです! 「アーメン」です。それは理論的です。この原理が偉大なのは、どこに合わせても合うのです。分かりますか? (「はい。」) 自由奔放な天の道理を知らなければなりません。どこかに拘束されて暮らすのではありません。日本は、土地を一エーカーだけでも持っていれば、それで生きていけるといって、自慢する国ではないですか? そのような国で暮らしますか? 皆さんが、すべてをささげたとして、そのことによって、もし飢えて死にそうであるというならば、南米に来なさいというのです。数百万の家庭を食べさせてあげることができる地を、わたしがすべて準備しました。 日本で暮らすことができる地は……。百二十万ヘクタール、二百四十万ヘクタールならば、どれくらいの広さになりますか? 三千坪あれば、食べていくことができます。二百四十万ヘクタールあるのですから、それだけで、何百万の人を食べさせてあげることができる基盤があるということです。 それでは、先生は、お金持ちですか、貧乏人ですか? この者たち。千里離れていても、隣にいるかのように考えて、夜も昼も、先生について行って、そこで暮らそうとする人は、先生が行って暮らす天国と同じ環境圏内に入っていって暮らすのです! そのような解放者になるのです。アー、アー、アー、アーメンです。(「アーメン。」)蘇生、長成、完成で、アー、アー、アーメンです。一度、言ってみてください。(「アー、アー、アーメン!」) ですから、解放者になるのです。分かりますか? (「はい。」)先生のみ言は、素晴らしいでしょう? 素晴らしいので、素晴らしい世界がついて来るのです。そして、素晴らしい人たちが、ついて来ます。 このようなみ言を語るのですから、世界じゅうの王だけではなく、ブッシュ行政府、国連でも何でも、すべてわたしから学ばなければなりません。日本の者たち。学ばなければなりません。この怨讐たち! わたしにとっては、怨讐ではないですか? そうでしょう? (録音状態不良により、一部収録できず) けれども、日本が、いくら先生に対して悪いことをやっても、先生は、知らないふりをしているのです。 今、新郎が訪ねてくる夜になったのに、新婦が居眠りをしています。本来は、目を開けて、「どこに行ったのですか?」と、このようにしなければならないのですが……。分かりますね? (「はい!」) 日本の者たち! 嫁いで来た者たちですか、嫁いで行く者たちですか? (「嫁いで行く者たちです。」)ここに嫁いで来なければなりません。行ってはいけません。交差結婚しなければなりません。 それは、なぜですか? 日本民族は、韓国民族の三倍です。韓国が四千万であり、日本が一億二千万でしょう? いくら結婚しても、日本の人口の三分の一しかできません。その三分の一の日本人が、韓国人と結婚すれば、その人たちは選民になるのです。天の国の王権即位式に同参した選民圏になるというのです。分かりますか? 「自分が日本人だと思う者たちは、手を挙げてはいけない。」あるいは、「手を挙げなさい。」と言った場合、手を挙げるのが良いですか、挙げないのが良いですか? 交差結婚することに手を挙げるのが良いですか、手を挙げないのが良いですか? (「手を挙げるのが良いです。」)何のことか分かったでしょう? それでは、“手を挙げない”という人は、手を挙げてみてください。(笑い)二つのうちで、どちらかにしなければならないのではないですか? “手を挙げない”という人、ここに座って、手を挙げてみてください。この女性たち! 同じではないですか? (笑い) わたしの言うことを聞かなければなりません。妹として育て、婚約者として育て、妻として育て、母として育て、おばあさんとして育て、女王として育てました。それなのに言うことを聞かなければ、それは、りっぱな女性とは言えないでしょう。 言うことは聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか? では、先生の言うことを聞いて、昔と変わりましたか、変わりませんか? 日本の女性たち! 日本の女性たちは、統一教会の女性になり、世界に出ていって初めて生きるのです。分かりますか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) イヤホーンを持っているでしょう? 先生が韓国語で話しても理解できるでしょう? 良い時代が来ました。世界が、すべて理解できます。そのような時が来たのです。 さあ、二つのうち、一つは何ですか? 怨讐国家の最悪の怨讐と結婚すればするほど、最善の息子、娘が出てくるのです。見ていてください。自分で“良い”と思って、選んで暮らした人たちの子女たちを見てください。見栄えが悪いのです。ぺちゃんこです。 しかし、嫌でも先生の言うとおりにした人は、「やあ、不思議だ! 父親と母親(の顔)は、しわくちゃのひさごのようなのに、どうして、あのような子女が出てくるのか?」と、そのように言われるのです。 それは、先生の運勢と天の国の運勢に乗ったので、そのようになるのです。なぜ、笑うのですか? あなたは、そのような結婚をしましたか? (笑い)日本人で言えば、“日韓家庭”ですか? 考えてみてください。渡り鳥も、大洋を越えて、大陸を越えて、どこに行くのか知っていますか? 寒帯圏内や北極から近い所で暮らしていた鳥たちは、どうですか? 冬に食べていくのが、どれほど大変でしょうか? 渡り鳥は、数が減ったり増えたりしながら、季節に従って変化する環境においても死にません。熱帯地方では、少しでも変化すれば、死んでしまいます。元気がなくて、飛ぶ力もありません。 ですから、鳥たちは、この天理を知っているのです。それで、遠い所に行ってつがいになり、良い後孫を残すのです。これは、動物世界も鳥の世界もすべて知っていることです。 皆さん。日本人が好むのは、鮭でしょう? この鮭は、五千万里を回遊して、自分の故郷に訪ねて来るのです。文総裁も、故郷を訪ねていって、神様を知るために、生涯の間、苦労したのです。ありとあらゆること、死ぬか生きるかということをしてきました。 鮭は、生まれて二か月で、産まれた場所で暮らすこともできずに海に出ていき、四年か六年後に、自分の故郷に訪ねて来るのです。そうして、自分の親が愛し合った元の産地に訪ねてきて、自分も卵を産むのです。 その鮭が繁殖するのは、十一月、十二月です。一月に産まれるのです。そして産まれて、海に出ていくのです。 十二月といえば、アラスカは、寒くて雪も積もっています。ですから、そこに、えさとなる昆虫が残っていますか? 虫も何もいません。食べるものがないので、どのようにするのですか? それを見ても、「神様はいない。」と言うことはできません。 親鮭は、雄も雌も、その場で一緒に死ぬのです。卵を産んで、その子供に父母の肉をえさとして与えて、生かしていくようにするのです。動物までも、このようにしているのを見るとき、愛する神様の息子、娘を自分が育てるというときには、どうあるべきでしょうか? それは、百回、千回、死んだとしても、感謝して、そのような生涯を行こうとするものでなければなりません。 そういう人であってこそ、この宇宙が保護するのであって、百回、千回、どろぼうするとすれば、保護するでしょうか? どこかに行く途中で、事故に遭って横死を遂げるというのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります!」) 今からでも、「日本の祝福家庭は、離婚しなさい!」と言えば、どうしますか? 自分たちで決めたら、種が良くありません。 夫婦が一度、愛し合えば、三億五千万の精子が注入されます。少なくとも一億五千万匹の精子が注入されて、初めて妊娠するのですが、最近では、これが七千万まで減っているそうです。 ですから、韓国の(高麗)人蔘を食べれば、それが育つのです。それなのに、そのようなことをすべて知っていながら、女性たちが日本の男性と結婚すれば、半分死んだような息子、娘を生むのです。 神様が、それをごらんになって、婿や嫁を探すときに、日本の女性や日本の男性が見えるでしょうか? 蹴飛ばされるでしょうか、選ばれるでしょうか? 怨讐同士で結婚してみなさいというのです。日本人は、韓国人と違うでしょう? どれほど違いますか? 小さい国なのに、不快なほど違うのです。 韓国人をどこかに放しておけば、どこに行くにしても、男性も女性も、一人で歩いて開拓しようとするのであって、二人は一緒にいません。 けれども、日本人は、どこに行っても、自分たち同士で集まり、日本語でこそこそと話しをします。ですから、日本の大使館は困るのです。 日本人が来れば、大使館を訪ねてきて、「よろしくお願いします。」と言うのです。能力のある人もない人も、全員、首相をした者も、大臣をしていた人も大使館に来て、「助けてください。」と言うのです。 ところが、韓国人は、そうではありません。大使館を助けてあげなければならないでしょう? 助けてあげられるものを助けてあげなければ、先に行くことができません。 韓国人は、自分よりも大きいものを贈り物にします。日本人は、使って残ったごみのようなものを贈り物として持っていくというのです。(笑い)そうではないですか? このくらいのものです。 日本人は、贈り物が十二個あれば、十二個を一度に上げずに、十二回に分けて上げなさい、というのです。(笑い)韓国人は、ありったけです。それが違います。 ですから、韓国人は、自分が必要であれば、すっかりきれいに清算します。それゆえに、「蕩減復帰時代なので、捨てなさい!」と言えば、きれいに捨てます。日本の女性たちは、そうではありません。 わたしは、皆さんを売って、それで商売をしようと思うような人ではありません。皆さんの息子、娘を世界の王の母にしてあげようというのです。嫌ですか、良いですか? 大きな声で答えてください。お父様が一人で言う声よりも、大きいか大きくないか聞いてみてください。嫌ですか、良いですか? (「良いです!」) そのように自信がなくて、おしりをもじもじさせていて、何ができるのですか? 先生が詐欺師であったならば、身ぐるみはいでいたことでしょう。 ですから、のうのうとあぐらをかいて、ご飯を食べていてはいけません。今後、自分のものをそのまま持っていたら、それをすべて燃やします。すべて火で燃やしてしまうというのです。 先生は、火で燃やす前に売って、それで皆さんに家を買ってあげ、国を準備してあげているのに、それが嫌ですか? 嫌ですか、良いですか? わたしは知りません、この者たち! (笑い)嫌ですか、良いですか? (「良いです。」)火で燃やさなければなりません。 日本の地が、いつ太平洋に潜り込んでいくか分かりません。地震が、このように縦揺れで起きているので沈みませんが、このように横揺れで起きる日には、太平洋の六千メーターの深さまで沈んでいくというのです。そうではないですか? そのようなことを知っていますか? 火山が活動する太平洋圏において、最も危険な焦点地域になっているというのです。 先生が憎いでしょう? “先生は、どうして女性と敵同士のようにするのか?”と思うかもしれませんが、女性が主管性を転倒したので、絶対服従することができる女性にしなければならないのです。分かりますか? (「はい。」) わたしは、日本の女性を四万人から五万人、教育したのですが、そのときに、ありとあらゆる女性たちが来ました。わたしを誘惑するために来た女性も、たくさんいたのです。自分が、お金のふろしきを車に載せて、「先生に上げる。」という女性がいたり、ありとあらゆる女性がいました。 先生は、そのように偉大なかたです。そのかたを思慕することができ、愛することができ、東西南北の門を開けて、ために生きようという女性の価値が、どれほど高いか分かりますか? あなたも娘を育てていますか? (「はい。」)あなたもですか? (「はい。」)何人ですか? (「二人です。」)なぜですか? 娘をたくさん生まなければならないでしょう? では、嫁に送り出すときに、日本人の所に送りますか、中国人の所に送りますか、ロシア人の所に送りますか、韓国人の所に送りますか? 怨讐の所です。(「怨讐の所に送ります。」) 日本人は、韓国人が嫌いです。中国人は好むかもしれません。それから、ロシア人はどうですか? ロシアも侵略国家でしょう? そして、米国人の所に送るのです。 日本人が、日本人と結婚しようというのは、“国を滅ぼす者”になろうとすることである、ということを知らなければなりません。女性たち、分かりますか? しっかりしなければいけません。 わたしは、商売人ではありません。皆さんの後孫が福を受けることができる橋を架け、“太平盛大”を成し、地の果てから天の果てまで、皇族をつくってあげようとしているのですが、それが嫌ですか? 先生は、最も愛する妹、最も愛する婚約者、愛する結婚候補者、母の代身者、おばあさんの代身者、女王の代身者に育ててあげようと思うのです。 天使世界は、息子がいません。男性がいません。この六十億の人類の中で、半分の三十億は、来られる再臨主の新婦になり、母になり、おばあさんになることができる候補者です。分かりますか? 今までは、“痛みの愛”でしたが、すべてなくなります。怨讐です。それゆえに、息子、娘、男性が統一教会に反対したとしても、死の境地に行ったとしても、心が「そこに行きなさい。」と言うのです。「最後まで先生に従いなさい。」と言うのです。(マイク状態不良) 何人かが聞けば、それでよいでしょう? どうして全員が聞くのですか? 何人かがよく聞いて、あとで教えてあげれば、それでよいのではないですか? 皆さんが独身であれば、独身の先生と出会ったときに結婚したいと思うでしょうか、思わないでしょうか? 結婚できる立場なのに、先生のような男性と結婚できなかったとすれば、年を取っていたとしても、それが恨になるでしょうか、ならないでしょうか? (「恨になります。」)“恨にならない”という人は、手を挙げてみてください。一人もいません。 ですから、世界を統一することができるのです。女性さえ、さっと引っ繰り返しておけば、男性は……。 男性が反対するのであって、女性で反対する人はいません。男性が反対するのは、女性があまりにも一所懸命に活動するからです。ご飯を食べることを忘れ、寝ることも忘れ、昔は、息子、娘が学校から帰ってくれば、宿題も一所懸命に手伝ってあげたのに、それもすっかり忘れてしまうのです。それで、後ろを向いて先生にただ……。 ですから、自分の夫や兄や父親が、それを見るとき、どれほど気分が悪いでしょうか? 「文総裁はどろぼうだ! 私たちの妹、私たちの母、おばさん、皆、どろぼうしていった。おばあさんまでどろぼうしていった。」と言うのです。 一家からおばあさん、お母さん、自分の妻、娘まで、四人が出てくれば、一つの群れになります。一つの群れになって、“お父さんも嫌だ。自分の夫も嫌だ。息子も嫌だ。おじいさんまで嫌だ。”と思うのです。 エデンの園で、拉致されて、強制的に関係を結んで、地獄をつくったのではなかったですか? そんなことをすれば、この世の中であれば、“殺したい”と思うところです。刃傷ざたです。それでも、統一教会では、「怨讐を愛しなさい。」と言っているので、塀の向こうでくっついて暮らしているのでしょう? しかし、すべて嫌だというのです。 ところが、男性たちも、統一教会で同じみ言を聞けば、「先生を絶対信仰、絶対愛、絶対服従する。」と言うようになります。そうして、わたしに似るように接ぎ木してあげ、男性たちを第二アダム、後のアダムのように育てて、相対を結んであげるのです。 そのように、昔は、先生のことを嫌いでも、じっと見てみると、“あのような男性は、世の中のどこに行っても捜し出すことはできない。”と思うのですが、先生の姿を見ているだけでは、千年待っても、得るものはないのです。 ですから、しかたなく、世界の半分の女性たちを教育して、この偽物、天使長、どろぼうを接ぎ木して、わたしの弟にするのです。そうして、「わたしのような、わたしに似た男性が必要だろう?」と言えば、「うん、うん!」と言うのです。それで、この人も似て、この人も似てと、皆、似るようにして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していくようにするのです。 男性の皆さんは、女性よりも優れています。男性が信じれば、女性は、かないません。愛しても、女性はかないません。火がつけば、です。服従もそうです。 皆、祝福を受けたでしょう? 夫のことが好きですか? そのときは、先生のことを忘れてもよいというのです。先生を愛した以上に愛してこそ、良い息子、娘が生まれます。 皆さんの先祖から堕落した血統に漬かり、そのにおいがし、味がする、それ以上に蕩減し、先生を愛した以上に愛して、初めて堕落圏を超えて、理想的血筋が連結されるということを知らなければなりません。 祝福を受けてから離婚した者は、今後、大変です。先生が黙っていると思いますか? 蕩減復帰が、どれほど恐ろしいでしょうか? 国を取り戻すまでは、赦してあげるのです。今から宣布式をして、その後からは、先生は関与しません。皆さんの生活です。自由です。個人完成することは、皆、知っているでしょう? 個人が、どのように完成するのか、知っているでしょう? 家庭完成、氏族完成、民族完成は、投入して忘れ……。 個人、家庭には、時間の長短の差があるだけであって、問題はありません。国と世界は、その時間が長いだけです。最も短いのが、四十年です。世界完成は四十年です。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) さあ、国際結婚を奨励することによって、日本民族を改革することができるのです! (「アーメン。」)この男性たち。なぜ、黙っているのですか? 今、男性の“種”が足りないと言われているのです。医師たちの統計に出ています。わたしは、何も分からずに“あきめくら”になって、話をしているのではありません。調べてみてください。夫婦が、一度関係を持てば、三億五千万匹の精子が出てこなければなりません。それが正常です。分かりますか? 大陸の人たちは、雑草を食べても、何を食べても正常です。土やすべてのものが、正常です。島国は、大陸から離れているので、岩の間のわずかなすき間にくっついている土の中で暮らしているようなものです。そうではないですか? そうでなければ、崩れて太平洋の中に潜り込んでいくというのです。そうですか、そうではないですか? ですから、島国の人は弱いのです。 それでは、“私と、私たち一族のすべての独身男性と独身女性は、国際結婚することを願う。”という人は、手を挙げてください。あそこにいる人たちは、聞こえなかったのですか? 国境撤廃した後、自分の民族の美男美女よりも、もっと希望を持って怨讐同士で結婚する人は、新しい全天上天国、一国世界の王族になることができ、種を受けることができる主流民族と国族になることができるのです! (「アーメン。」) 間違いなく「アーメン」ですか? 「アーメン。」と言ってください。(「アーメン!」)後ろの方は、聞こえますか、聞こえませんか? (「聞こえます。」)全員、聞いたでしょう? “間違いない。”という人は、手を挙げてみてください。 黄善祚氏! (「はい!」)こちらに来てください! 日本女性の親戚の中から、娘であろうと息子であろうと、韓国人と結んであげ、「嫌だ。」と言えば、中国人、あるいはロシア人、米国人と結ぶのです。(笑い) なぜ、笑うのですか? これは、遊び事ではありません。そのようにするのです。そのようにしてこそ、日本民族が生きるのです。島国の民族では、世界を治めることはできません。分かりますか? (「はい。」) 今、先生の民族は、世界の六大州のすべてに広がっています。わたしが寂しく思うことは、何でしょうか? 韓国の女性を後にして、日本の女性たちをたくさん配置しました。 韓国の女性と日本の女性のうちで、どちらがカインですか? 二人が姉妹ならば、どちらが姉ですか? 韓国の女性と日本の女性のうちで、年齢を中心として姉と妹とすれば、だれが姉ですか? (「韓国です。」)韓国が姉です。 ところが、まだカイン、アベルを解決できていないので、先生は、韓国女性よりも妹の立場にいる日本の人を立てるのです。すべて、そうです。 今、統一教会の主流の役割は、日本の女性たちを連れて行うのです。米国に行ってみても、韓国の女性は、何人にもならないのですが、日本人は、全員が動くのです。 ところで、不思議なことは、言葉を学ぶにしても、韓国人は一年半で、どこに行っても通じます。六か月で「ご飯を下さい。」とか、生きることに関することは、すべて話せるようになります。 ところが、日本人は、言葉ができません。韓国人は、三年過ぎれば、原理のみ言を語っても、すべて聞き取れるのですが、日本人の発音は、聞き取ることができません。 ですから、一度話して聞き取ることができず、二度話して聞き取ることができず、三度話して聞き取ることができないので、話す前に“ああ、聞き取れなかったらどうしようか?”と思って、どんどん委縮して、つぶれていくのです。 韓国人の場合は、外国語をハングルで書いて、それを読めば、百発百中、その国の人も聞き取ることができます。ですから、どれほど“やる気”が出るでしょうか? 韓国人は、本を見て、「わわわ。」と言えば、「うん、それはそうだなあ!」と言います。(笑い)日本人は、すべて覚えてから、百回、千回、話しても、聞き取ることができません。ですから、韓国の女性にはかなわないのです。 ですから、“姉は姉だった。”ということです。分かりますか? だからといって、日本の女性は、寂しく思ってはいけません。そうであるからといって、わたしが、韓国の女性ばかりを愛するのではありません。わたしは、平準です。分かりますか? (「はい!」) ここに参席した人の中で、妹や弟がいる人は、もう一度、手を挙げてみてください。 なぜ、そのようにしばらくしてから「はい。」と言うのですか? (笑い)ですから、言葉が通じないということは、どれほど不便でしょうか? 親の言葉を通訳して聞いて、何ができるのですか? 一番のびりのびりのびりです。ご飯も得ることができません。他の人が、すべて食べて片付けてしまいます。 ですから、“言葉を学びなさい。”というのです。今後は、言葉が分からない人は、この韓国に来ることもできません。五年もたてば、夜も昼も、外国語の本をするするするっと覚えて……。 小山田氏。(「はい!」)小山田氏も、昔は発音が悪かったのですが、最近は、ずいぶん良くなりました。(笑い)その年齢でも、そのように発音を正すことができるのです。本当です。 ですから、韓国語が分からなければいけません。あの世に行っても、そうです。あの世に行けば、一週間以内にすべて通じます。心で話すのです。心の世界が、すべて分かるというのです。それは、どれほど便利でしょうか? しかし、あいさつをするときに、日本語で何かの言葉を考えてはいけません。あの世でも、それが分かるのです。良い所に来ても、“血族が違う人が来たなあ。先生の功績でここに来たのだなあ。”と、このように思われるのです。分かりますか? 過去の功績の恵沢を受けようとすれば、ふろしきをすべて解いてから、その恵沢を包むのです。分かりますか? (「はい。」)隠さずに、すべて引っ繰り返してあからさまにし、「好きなようにしてください。」と言わなければなりません。 そのようにして、食べるものもなくて、“三日も食べていない。”という連絡が来れば、先生が食べさせてあげなければならない責任があるのです。分かりますか? 全員に食べさせてあげようとすれば、大変なことになるので、持っている土地に来て、暮らしなさいというのです。 そこには、水もあり、土地もあり、魚もいて、獣もいて、ありとあらゆるものが、すべてあります。一キロメーター以内で、三十分圏内で獣も捕まえることができ、魚も捕まえることができます。また、とうもろこしのようなものは、農場のどこででも育てることができるので、食べることは問題ではありません。 飢え死にしそうになれば、「先生!」と、大きな声で叫んでみてください。「この女性は、なぜ、そのように慌てて大騒ぎしているのか?」と言えば、「私には住む所がないので、先生が連れて行ってください。」と言うのです。そうすれば、連れて行ってあげます。分かりますか? 先生の言うことを、よく聞かなければなりません。 ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して、それで滅びそうになり、食べるものもなく、立つこともできず、逃げていかなければならない立場になれば、訪ねてきなさい、というのです。その自信がありますか? 自信があるのか、というのです。 「自信がありますか?」と聞かれて、「はい!」と答え、さらに「何をしたのですか?」と聞かれたならば、何と答えるのですか? 最後まで行う者は、滅びるのですか、滅びないのですか? (「滅びません!」)知っていることは知っているのですね。(笑い) わたしは、最後まで行ってみたのですが、そのように生きてみると、今では、滅びずに神様を解放し、天下がすべてわたしの手の中に入ってくるようになりました。わたしが「嫌だ。」と言っても、「会わない。」と言っても、「会おう。」と言い、お金が必要ならば、お金も持ってきてくれ、何でも……。 そのような時が来たのです。分かりますか? はっきりと知らなければなりません、この女性たち! そのように実践するのです。“今年から、そのように支援する。”という人は、拍手で歓迎してみてください。(拍手) 黄善祚氏! (「はい。」)あなたは、この日本の家庭を訪問して、そこのおじさんやおばさんたちよりも年が上で、結婚していない人がいれば、無条件に記録してわたしに報告してください。(笑い)(「分かりました。」) 行列です。一列! どこに連れて行くか分かりません。米国に連れて行くかもしれません。「米国(韓国語では『美国』)」は、ワカメスープのことをいうのです。(韓国語で「美国〔米国〕」と「ワカメスープ」は発音が似ていることから) ワカメスープとは、何のことだと思いますか? 落第のことです(ワカメは、ぬるぬるして滑ることから)。学校で「ワカメスープを食べた」と言えば、落第したことをいうのです。 ロシア人の所に行きますか、中国人の所に行きますか、韓国人の所に行きますか? 中国人ですか? 日本人はいけません。(笑い) なぜ、いけないのでしょうか? 今後、日本は、このままでは滅びます。 このままでは、日本は骨が溶けてなくなり、肉ばかりが大きくなっていくというのです。お金ばかりあって、伝統もなく、何もないではないですか? 骨がありません。骨を持とうとすれば、韓国人と……。 韓国民族は、優秀です。数多くの国に行ってみると、日本の女性たちではかないません。 日本の女性たちは、一所懸命には、やります。ぐるぐる回ります。しかし、塀を乗り越えて、お金持ちの家に訪ねていって、「この家の主人は出てきなさい! 世界的な美人が来たので、一度対面してみなさい。」とまで言う度胸はありません。 ところが、韓国の女性たちは、それをさせれば、間違いなくします。皆さんも、そのようにすることができますか? 日本の女性たちが、できますか? 日本の女性は、島国の日本で、町内を一軒一軒、訪ねていくときも、用心していくのです。大きな度胸を持って、世界を闊歩することができる息子、娘を生みたければ、今、神様の恨を解きなさいということです。分かりますか? 国境線を撤廃した後に、怨讐同士で結婚することが、平和の絶対解決方法なのです! 「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「アーメン!」)知っていることは知っているのですね。 韓国と日本が、世界にまたとない平和の境地に行くためには、世界にまたとない交差結婚をしなければなりません。 ですから、日本の東大を出た男性と、韓国の女性とが結婚するのです。日本の東大を出た男性に、「韓国の最も貧しく、凡庸な女性と暮らしなさい。あなたの国のりっぱな女性と暮らすよりも良いだろう。」と言うのです。 そうして、その男性が、東大を卒業して、田舎の最も貧しい人と結婚して、幸せに暮らしてみるのです。そのように暮らしながら感謝してみなさい、ということです。そうすれば、天の祝福のパイプが引かれます。水源地と連結されたパイプです。分かりますか? それで、“都市を食べさせ、世界を食べさせることができる血筋が連結される。”と考えるのです。 わたしが、皆さんに何かを願って、生きているでしょうか? ありとあらゆることを教えてあげて、それで月給をもらいましたか? 皆さんが、わたしに月給をくれましたか? ただで教えてあげたのに、そのことによってりっぱになれば、わたしは、そのことを、お金をもらって教えてあげることよりも、もっと貴く思うのです。 そうして、さらに“世界的な美男子、世界的な男性を中心として、後孫を、それ以上にりっぱにしてあげよう。”と思うのが、先生の思想です。それが間違っていますか、悪いことですか? (「正しいです。」)正しいのです! 正しいというのです! 韓国語で「正しいです。」とは、何のことですか? 「罠にかけます。」ということです。罠があるではないですか? 「罠を使います。」と言えば、「罠にかけます。」ということであり、それが「正しいです。」ということです。(笑い)(韓国語で「罠を使います」と「正しいです」は、発音が似ていることから) それは、“どのようなことをしても、ありがとうございます。”という意味です。「死んでもよい! 生きてもよい!」と言うので、サタンもかないません。“死んでもよい! 生きてもよい! あなたの思いのままです。”と思う、このような人は、「サタン世界の地獄の門をすべて開けて、出ていきなさい。」と言われるのです。分かりますか? 原理さえ知れば、天国に訪ねていくことができるので、サタン世界から出てくれば、どれほど良いでしょうか? 今ではもう、全員を追い出してしまわなければならない時です。わたしの息子、娘も全員、分家させました。追い出して、分家させたのです。皆さんも、真のご父母様が、どれほど貴いのかということを知りなさい、ということです。“だれそれはして、だれそれはしない。”と、そのようにはできません。 さあ、お母様! 皆、トイレに行かないというので、そこの後ろの扉を閉めてください。出ていくことができないように扉を閉めて、入ってくることができないように扉を閉めるのです。妨げになります。 きょう、訓読したみ言の内容を中心として、決定的な着地の杭を打ち込み、文総裁が「真の父母の名」と「神様の名」によって宣言した場なので、今後、サタン世界のいかなる国の大統領でも、法によって、この場を片付けてしまうことはできません。片付けようとすれば、天が蹴飛ばしてしまうというのです。 文総裁のバック(背景)が良いですか、皆さんのバックが良いですか? (「お父様のバックが良いです。」)日本人のバックが良いでしょう? しかし、日本人が、死んでいく人、地獄に行く人を、一人でも天国に送ることができますか? 文総裁は、悪口を言われながらも、多くの人たちを天国に行くことができる車に乗せておいたというのです。 それでは、統一教会を信じて損害を被りましたか、利益を得ましたか? (「利益を得ました。」)苦労しましたか、苦労しませんでしたか? (「苦労しませんでした。」)(「幸福です。」)ええ、何ですか? (「幸福です。」)(笑いと拍手) なぜ、この中央の真のご父母様が行く道を埋めておいたのですか? さあ、祈祷を長くはしないつもりですが……。 王権即位式をしたので、神様がこの場をごらんになり、霊界の聖人賢哲が見詰め、そして霊界の祝福を受けたすべての人たちが、地上再臨を懇切に願っています。 ですから、神様はもちろんのこと、聖人賢哲や、あの世にいる祝福を受けたすべての霊人たちが、地上の兄の家庭に来て協助し、自分たちも、弟の立場で天国に入っていくことができるのです。 しかし、彼らは、地上で真の父母に侍ることができなかったので、地上で侍ったという条件を立て、解放されていない霊界と肉界の自由解放を成し、一つの国と一つの血筋を通した一族を成すというみ旨を成就しなければなりません。 そのために、門を開いて自由に顕現することができる内容を祝福しようと思うのです。分かりますか? (「はい!」) きょうのみ言の内容に、全般的な内容が、すべて入っています。そのように理解して、そのごとくに祈祷しようとすれば、一時間以上かかるので、できるかぎり簡単に祈祷しようと思います。さあ、祈祷いたします。 祈祷 この地上において、幼い少年少女時代から青年時代、壮年時代を経ながら、天の怨恨の根拠地である歴史的な罪悪の根を解決するために、天が心配される心に従って、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代を超え、世界時代、「神様王権即位式」まで施され、奉献することができる時を迎えるようにしてくださった恩賜の前に感謝申し上げます。 霊界は、すでに真の父母の命令と宣言によって、聖賢、賢哲たちが、宗教圏に属しているすべての人々、そして良心的な息子、娘として生まれ、地上で成長することができずに恨を抱いてきた幼い赤ん坊まで、十六歳以上のすべての存在を祝福することができるようにしてくださいました。 そうして、万国の先祖たちが、霊界に染み込んだ境界線を越えることができるように、先祖解怨を三十五代まで終えたという報告を聞きました。 それだけでなく、解怨成就を経て、その人たちを祝福の位置までとどまることができるように門を開いてくださった清平の興進君と訓母様を中心とした、大母様と大兄様、統一家の一族が、統一国家のすべての善霊たちと一つになって、このことを協助し、地上世界、実体圏世界に、真の父母とともに、高い基準で相対基準を連結させることができるようになりました。 その協助の基準が、真のご父母様と切り離すことができない因縁として結ばれ、個人を超え、家庭を超え、氏族を超え、民族を超え、国家を超えて、天上世界にまで至り、天の国の王権即位式を終えました。 その基盤を地上に連結させることができる個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が、地上にはなく、宗教圏にもないので、第二イスラエル圏である米国を中心とした三十年、イエス様の年齢と同じ時代を迎えて、四年圏内に解放的因縁を備え、キリスト教を中心としたユダヤ教と、ユダヤ教を中心としたイスラエル圏を先頭として、すべての宗教を一致化させることができる基盤を築くようになりました。 今、その基盤の上で、米国のイスラエル圏、勝利の覇権を宗教と政治、宗教と国家が相克していたことを和合一体化させることができる基盤を築き、国が個人の峠に沿って越えていき、氏族、民族、国家基準が、すでに頂上で分水嶺を乗り越えることができる境界線で待っているという実情にまで至りました。そうして、国連まで連結させ、万国解放の実権を広げることができる境界線にまで至ったのでございます。 それゆえに、このすべての勝利的条件を北米と南米に連結させ、続いて北側のコディアクを通して、再び全世界の蕩減的内容を、この大韓民国の国家基準の前に連結し、民族を超えて、世界に行くことができる道を開放し、宣言、発表することによって、南北と世界のすべてのついたてを越えて、神様が、自由奔放な解放的世界にお出ましになる時を迎えました。 そうして、真の父母が顕現し、神様が顕現されることによって、天の国の祝福を受けた家庭たちが、地上に往来することによって、地上の祝福を受けたアダム圏、長子圏にいる家庭が、天上世界の解放的恩賜を受けることができるようになったのです。 さらに、そのことによって先祖たちと通じることができる、正に超神秘的世界の開門時代を迎えることができる時になりました。 そして、今から真の父母は、間違ってできた塀を完全に崩し、天の真の父母と地上の真の父母が、霊界、肉界を完全にふさいでしまっているものを開き、東西南北四方に、兄弟の因縁、家庭の因縁を通して、万国が大家庭形態となり、平面基準や垂直基準において、天地父母が中心的に活動する、すべての圏を自由に、共に往来、接触することができる時代圏を広げようと願いますので、許諾してください。 そして、そのために、天地父母の赦しを受けて、地上の真の父母と一つになり、真の父母は、霊界にいる興進君と聖人、聖賢たち、祝福を受けたすべての者たちを糾合して地上に降臨させ、協助することができる時代の要件を、真の父母の名によって要求いたしますので、このみ旨を受けて、地上から王権即位の立場にいらっしゃる神様が命令され、地上を自由に往来することができる特権的要因を許諾してくださることを、この時間にお願い申し上げます。 そして、天使長圏、地上にいるアダム圏の堕落していない“祝福の中心家庭圏”に立っている、この一族と一族を中心として、国と国を分別して、全世界が、一つに糾合される時まで、残された真の父母の解放圏を中心として「即位式」を終える時まで、あらゆる精誠を尽くして協助することができるようにするうえにおいて、アダム家庭だけでなく、弟の立場である天使長、霊界まで協助させ、全体解放圏を備えて、地上地獄と天上地獄、地上の楽園圏と天上の楽園圏、地上の天国圏と天上の天国圏を一元化させるという目的を持って、きょう、七月一日、「七・一節」を中心として、十年前に発表したすべての内容が、神様の全権を中心としてすべて連結することができるようにしてください。 そして、東西南北四方に解放することができる内容を宣布したことを、今から真の父母の王権を、私たちが心にお迎えし、家庭にお迎えし、国にお迎えし、世界にお迎えすることができる“祝福の中心家庭”として連合し、地上解放圏と天上解放圏を、共に長子圏と次子圏として立て、父母圏と王圏まで開門しようと願う一切を、お父様が知ってくださり、これを真の父母が可能な世界の限界で要求しましたので、お父様が顕現なさって、実践躬行することができるよう、真の父母が先頭で開拓し、すべての者を案内いたしますので、そのように実践することができるよう、天上世界、地上世界に命令、訓示してくださることを、懇切に、懇切にお願い申し上げます。 ここに参席した人として、家庭的中心家庭は、今から真の父母を王として侍ると同時に、天上世界の縦的な神様を王として侍り、父母として侍り、孝子、忠臣の道、聖人の道、聖子の道、未来の希望的な歴史的収穫期を展望するうえで、神様をお迎えすることができる世界の数多くの国家、数多くの国の家庭を代表した主体の国の立場で、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理の責任を完遂することを決意して宣言いたしますので、天上世界と地上世界、全体被造世界に解放政府を備えて、神様の愛を十分に受け入れることができる前後、左右、上下関係の門を開いてくださり、神様とともに特権的特使の許諾をしてくださり、万国解放、地上、天上天国が成し遂げられることをお願いいたしますので、実践してくださいますように。 真の父母の名によって、懇切に、懇切に報告いたします! アーメン。アーメン。アーメン! (拍手) み言 郭錠煥氏夫婦、前に出てきてください。今からは、萬歳をするときには、家庭がしなければなりません。分かりますか? 萬歳をして、ケーキを食べてください。来ましたか、来ていませんか? (「来ました。」)その前に行って、先生の方を見て、立ってください。(「はい。」)このように立つのです。 それから、だれですか? 小山田氏夫婦は来ていますか? (「私だけ来ました。」)独りですか? (「はい。」)だれか代わりに出てきてください。(「劉会長がいます。」)前に出てきてください。それから、梁昌植氏、この後ろに立ってください。 三か国が、一つにならなければなりません。家庭が、一つにならなければなりません。この後ろに立つのです。梁昌植氏は、その後ろに立つのです。劉大行氏の後ろです。三人全員、来ましたか? (「はい。」) では、一つになって、統一的な萬歳を叫ぶのです。さあ! (「萬歳を先唱〔音頭を取ること〕いたします。」) (萬歳三唱)(拍手) (勝利祝賀のケーキカット)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.04
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2024.05.04
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文鮮明先生御言選集 20010701 - 第十一回「七・一節」敬礼式後の御言 二〇〇一年七月一日、第十一回「七・一節(神様祝福永遠勝利宣布)」の敬礼式が、真のご父母様を中心として漢南国際研修院において行われました。敬礼式の後、真のご父母様が御言を語られました。 大転換時代 今回の「七・一節」は、十年前の一九九一年から数えて、満十年目です。その時に宣布した内容を見れば、今、祈祷した内容がすべて出ています。公式になっています。 これが蘇生時代、長成時代、完成時代で、二〇一二年までに、世界のすべての国家圏において、私たちの思想圏が主体的な方向を決定しなければなりません。そして、国家的に総生畜献納をしなければならない時代へと移行するのです。そこから脱落すれば、自分の国が、いつそのような時を迎えて加担できるか分かりません。一度しかない時が来るのです。 そのように理解して、今、皆さんが式を終えれば、大転換時代が来ます。霊界と肉界に、大転換時代が来るのです。入れ替わるというのです。 長子圏と次子圏が交代し、サタンの勢力圏が霊界に行って地上を蹂躙してきましたが、真の父母が来て、正しい本然の基準に戻ったので、今からは、地上の祝福家庭が兄の家庭となり、天上世界の祝福を受けた先祖たちが弟の立場となって、この地上に再臨し、行ったり来たりすることができる時代になるというのです。 ですから、時代が変わり、すべての聖賢、賢哲が一つになり、宗教圏全体が一つの同じ部屋に統一されたので、これが地上にも降りてくることによって、各宗教、超民族、超国家的、超国連、王宮までも超え、霊界の管理圏内の一方通行時代に前進するというのです。そのことを知り、それに対して準備することができる祝福家庭になるのです。今まで生きてきた時代とは、根本的に変わるというのです。一八〇度転換しなければ、脱落するということを知らなければなりません。 また、すべてのもののために、今まで家庭的に欠如していたすべての事実を、原理が指し示すとおりに再整備します。整備するのは、他の人がするのではありません。神様とアダムが完成した位置で神様の命令を尊び、自分の家庭でそれを処理していかなければ、自分たち夫婦から、一族全体の行く道がふさがってしまうのです。何のことか分かりますね? 今、先生が語ったことは、過ぎ去っていく話ではありません。一点において、すべてのものを清算しなければならない大転換時代が来たので、それに対して準備し、心身一体となって、このことをしなければなりません。 今の時に最も重要なことは、八節にわたる「家庭盟誓」です。次には、新千年を中心とした年頭標語です。「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」。すべて成し遂げなければなりません。 家を完成させようとすれば、門も、家具も、すべて完成した物を中心として、それを一つにしてこそ完成するのです。完全な物を一つにして完成させてこそ、すべてがなされるというのです。そのようにして、御旨の完成を成し遂げなさいという内容です。 これは、過ぎ去っていく言葉ではありません。皆さんの生活舞台においてこれを完成し、その基台を踏み越えて、上がっていかなければならないということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? それゆえ、今からは皆さんが自分勝手に動いたら、霊界がほっておきません。自分のすべての万物を愛すれば、それは完全に吹き飛ばされてしまいます。火で燃やされてしまいます。子女までもです。自分たち夫婦もです。 旧約時代は、サタン分立のために万物を犠牲にして、子女の立場に行くのです。ところが、旧約時代に責任を果たすことができなかったので、子女が祭物となり、成約時代に真のご父母様が来る時まで連結されてきたのですが、真のご父母様が来て、このすべての万物、子女、そして自分自身である父母までも犠牲にしてきた過去を考えるとき、自分の家庭において自分中心の所有権という概念をもつことはできません。 真のご父母様を中心として完全に一つにならなければ、越えていく道がないということを知らなければなりません。大転換時期です。原理の御言を自分勝手にとらえて、こうしてもよく、ああしてもよいと、そのようにするのではありません。 先生にもどうすることもできない時代が来るので、今からは先生と離別しなければなりません。自分の故郷に帰るのです。分かりますか? 統班撃破であり、故郷の地を中心として、祝福を受けた家庭は家庭的メシヤです。その家庭自体がメシヤとなり、金氏なら金氏一族のメシヤとなり、家庭的メシヤから氏族的メシヤとなり、一族を生かすのです。 イエス様の前にヨセフ家庭とマリア家庭、この二つの家庭が一つになり、国家を取り戻し、越えていくことができなかったので、氏族的メシヤは、夫と妻の二つの氏族が一つになって、国家を救うべき時代圏に移行していかなければならないのです。それができなければ、そこに永遠に停止するのです。 そして、国家を取り戻し、越え、国家全体を総生畜献納するのです。国家全体を献納して、その国家はどこに行かなければならないのでしょうか? 世界を救うために行かなければなりません。世界のために投入し、世界が築かれれば、これを霊肉を中心とした天上世界と地上世界に投入するのです。 次には、それを結束させ、真のご父母様のもとに統合し、アダム家庭が堕落することによってサタン圏内に打ち込まれた所有圏をすべて収拾して、神様に奉献するのです。そして、天の国に、地上・天上天国が宣布された後には、今までこの圏内にいたすべての祝福家庭が解放時代を迎えるのです。分かりますね? (「はい」)。 このように大転換して出発した家庭というものは、イエス様の理想が世界的に成し遂げられる立場を失ってしまったので、それを代身するのであり、イスラエルの選民圏を中心として、王権をもった国家的王の立場、それも失ってしまったので、それを代表した家庭でもあり、さらに、民族的基準において、中心のイエス様が家庭をもつことができなかったことを代身した立場でもあり、氏族的基準においてももつことができなかったので、それを代身した立場でもあり、家庭的基準においてももつことができなかったので、それを代身した全体の祝福中心家庭だというのです。 真のご父母様が闘って、すべての勝利圏を備え、その勝利圏を伝授し得る基準に立ったので、本然の基準に一致することができる内容、その基準に合うように自分の家庭を整理しなければなりません。 今からは天法を中心として 私は出発しましたが、この狭い個人ではありません。上がっていきながら、世界全体を代表するのです。ここから個人を中心として家庭を収拾し、次に氏族を収拾し、民族を収拾し、国家を収拾し、国家基準から世界を収拾することができる基準を、すべて収拾してこそ、平行線になるのです。分かりますか? 平行線になるのです。 天が夫であり、地が妻です。男性が上で、女性が下です。それを個人から広げて、これがいくら難しい道であっても、蕩減し、解き、そして家庭で解き、氏族で解き、民族で解き、国家で解き、世界で解いて、交差したこの内容が平行線になるのです。堕落していない創造本然のアダムの血統を中心として連結された、真の愛の主権世界と連結することができる平行線にならなければならないのです。分かりますか? (「はい」)。 皆さん、男性と女性がけんかをすれば、必ずぶつかり合うようになります。一つになることができなければ、必ずぶつかります。ぶつかる未来性をもった妻は、前進することができず、十年、百年、待たなければならないというのが、今までの霊界の実情です。そのことを知らなければなりません。けんかはあり得ません。たたくことはあり得ません。殴ることはあり得ません。何のことか分かりますね? (「はい」)。 これが転換です。上にいたサタン世界が下になり、これを取り戻して、創造(本然の基準)に上がっていくのです。その国を中心として、この法が拡大して、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代……。このように、復帰していくのです。 真の父母を中心として祝福を受けた家庭が、真なる家庭の相対、真なる父母の家庭の相対的立場に立って、障害なく、天宙の勝利の覇権に行くのです。このように皆さんも清算しなければなりません。 こうして、共に天宙の基準まで合わせて、平行線で「家庭の解放圏を成し遂げた! アーメン!」と言うとき、初めてそこに相続が展開するのです。分かりますか? (「はい」)。相続は、家庭ですることはできません。氏族、民族ですることはできません。天宙でするようになっているのです。そのような大転換……。それゆえ、今まで霊界の底なし地獄にいた者をすべて引き出して、解放し、地上に降りてきても相克のないように、先生がすべて祝福しました。 地上で残っていることは、天使圏家庭が出てきて、一対一で責任をもって、地上の家庭を収拾することであり、今ではもう、それは問題ではありません。言うことを聞かなければ、連れていくのです。連れていくことができるように、先生が祈祷します。特権を許諾します。分かりますか? そのような大変革時代が来るのです。 今までは皆さんを保護しましたが、今からは保護しません。天法が成立しているので、その憲法と法によって、地獄にも、天国にも、行くようになっているのです。蕩減法を適用するようにはなっていません。新しい法治の国家形態を備えなければならない時になるのです。今まで、語った御言の内容によって……。 王権時代が来たので、今からは天の国を編成しなければなりません。世界超国家、超民族、超宇宙的な一つの国を、皆さんの家庭から成し遂げていかなければならないのです。それゆえ、今からは天の国の民として、税金を払わなければなりません。分かりますね? (「はい」)。十分の一献金ではありません。十分の三献金です。サタン世界には、今でも救うべきカイン世界が残っています。その主権が残っています。そのような教会が残っているのです。 そのような面を世界的に収拾するために、投入することができる責任者にならなければなりません。真のご父母様の代わりにしなければならないのです。真のご父母様は、すべての財産と生命を懸けてそのことをしたので、皆さんの家庭を中心として十分の三献金を捧げて、民族解放、国家解放、世界解放、家庭解放、一族解放、氏族圏解放、天上圏解放を果たしていくことは、支障がないということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)。 亡国の種となってはいけません! 先生の財布には一銭もありません。すべて世界のために、世界のものとして、公のものとして登録したのです。自分名義のものはありません。それゆえ、このような準備をしなければなりません。そのようにしなければ、その家に行って聖別式をすることができません。その一族全体が(天に)侍ることができません。ですから、帰ってそうするのです。 昔、皆さんが氏族的メシヤになる時に指示した内容を忘れているかもしれません。それは、ちょうど十年前に指示した内容です。指示した内容は何かというと、祝福家庭はたくさんいますが、先に一族を登録申請した者が国家的メシヤになるということです。そのことを知っていますか? 覚えていますか、いませんか? (「覚えています」)。 きょう、その御言まですべて出てきます。十年前です。先生が悲壮な決意をしていた時です。千辛万苦の果てに、ついに陸地に立ち、線を引いて、自分の所有権を確定することができた時代だったということを知らなければなりません。 このようにして九〇年を越えて、九二年から七年間、女性解放を宣布してきたでしょう。その前に、このことを乗り越えるために、どれほど深刻だったでしょうか。その内容は、きょう今から祈祷して転換させようとしている内容と一致するのです。合うのです。 それゆえ、祈祷した内容や訓読大会の内容をもう一度聞いて、きょうのこの転換の責任が、どれほど重要なのかということを再覚醒することを願います。分かりますか? (「はい」)。録音機を持ってきていれば、それで自分の教会や、地方の自分の責任部署に早く連結させて、宣布式とともに、このことを推進していかなければなりません。 氏族的メシヤ、国家的メシヤは、宣伝して、他のところを伝道する必要はありません。自分の一族です。十二支派を結ばなければならず、十二民族を結ばなければならず、十二氏族を結ばなければならず、十二息子・娘を結ばなければなりません。分かりますか? 十二弟子です。家庭においても、十二弟子、七十門徒です。今までしたすべてのことを中心として、国家においては反対がありません。 サタンは地獄に連れていくために、首を切り、ありとあらゆることをしました。天の勝利的父母が権限をもち長子の権限をもったので、どのようなことをしてもよいのです。引っ張ってきて修練を受けさせることができます。そして、天国に行くようになるので、修練を受けた後は、千年、万年、「感謝です」と言わなければならないというのです。自分が讒訴することは何もありません。 真のご父母様が迫害するサタン世界を愛したと同じように、自分たちを救うために、そこから抜け出すために、そのようにするのですから、言うことを聞かなければ聞くようにさせるのです。 だからといって、すぐにそのようなことをするのではありません。先生がそのようなことをできないようにしています。しかし、言うことを聞かなければ、すべての世の中が火で燃えてしまうかもしれません。そのような恐ろしい時が来たというのです。分かりますか? (「はい」)。そうか、そうでないか、死んでみれば分かります。 早く行くか行かないかは、各自にかかっている 今からはここに訪ねてきて、先生に「来ました」と言うことはできません。私が呼ぶまでは、来てはいけません。自分に国家と民族に対する重大な責任があるならば、それは、世界的責任と関係がある内容であり、だれよりも先頭に立っているのです。報告する者がいません。国家的メシヤの基準、それ以上の立場である時には分かりませんが……。それゆえ、先生を訪ねてきてはいけないというのです。神様も必要なく、真の父母も必要ありません。自分たちが代身家庭でしょう。そうでしょう。(「はい」)。 教会に対しても、自分がすべて稼いで払わなければなりません。そのようになれば、一族、息子・娘を動員し、血筋(血族)を動員し、三代を動員して、教会を支えていくことができるように競争するのです。そして、優秀な人が先祖になるのです。それがそのまま、一国家基準においての系列になり、全世界の七十門徒、百二十門徒の支派編成に入っていくので、そのようにせざるを得ません。しなければ、その国が脱落してしまいます。分かりますか? (「はい」)。 深刻で重大な時代が来ました。ですから、私がここに手を出す必要はありません。すべて築いてあげたからです。早く行くか行かないかは、各自にかかっています。オリンピック大会のように、スタート地点からのすべてのコースを知っています。それゆえ、どのような困難があるとしても、正式なコースを経て、戻ってこなければなりません。助けてください、なんだかんだと、言うことはできません。 この祝福家庭たち! 本当です。頭でっかちの者たちが、父母たちが祝福するというので、自分の家庭の息子・娘を、教会の中でいちばん立派な家庭と結婚させるために、訪ね歩いているというのです。そのような人は、足で腹を蹴飛ばしなさいというのです、この者たち! 分かりましたか? 歓迎する立場では、二人とも法に引っかかります。怨讐の家庭と結婚するのです。先生の家庭は、全員そうです。激しく苦労して従ってきた者たちと祝福しました。そのようにしましたか、していませんか? 怨讐の殺人魔と聖賢が一緒に……。息子・娘が最も悪なる人と結婚し、その国のだれよりも愛して、世界のだれよりも愛すれば、神様に最も近い位置に立つことができるのです。それが天理です。 すべて記録されています。先生が教えてあげたことを讒訴する、何の内容もありません。私が一生懸命に訓読したその内容が残ることを願っています。自覚です。自覚! 自活! 自治! 孔子のような人は、「修身斎家治国平天下」と言ったでしょう。「『元亨利貞』は天道の常であり、『仁義礼智』は人性の綱である」、「子曰く、善に従う者は、天が保護して福を与え、善に従わない者は、天が災いを与える」。(このように)天地のすべてのことを話しました。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」、五倫です。三綱というものは、(君臣の道、父子の道、夫婦の道の三大)綱領です。家庭綱領、国家綱領、すべて天に侍る天道法です。個性完成、家庭完成、国家完成のことを言っているのです。 これで、孔子が有名なのです。孔子が天地父母をお迎えすることができる準備さえしていたなら、この東洋の天地はすべて天国に入っていました。しかし、メシヤを迎える準備ができませんでした。 先生が開拓し、霊界の聖人たちを糾合して、地上に再臨することができる橋を架けて、これを今公開するのです。聖人だけではありません。祝福家庭はすべて兄弟です。この地球星が神様の故郷であり、神様の国です。私たちはその息子・娘になるので、私の故郷であり、私の国であるというのです。そのために生きなければなりません。それができていないので……。 各自が原理を通し、そのようなことをすべて知っています。「知らない」とは言うことができないので、知った後には、実践しなければなりません。祈祷もする必要はありません。祈祷よりも実践です。何のことか、分かりますね? (「はい」)。皆さんは、そのことを知らなければなりません。 王権は、絶対血統、純潔血統 真の愛を中心として見てみれば、男女の生殖器は、愛の王宮であり、それから何ですか? 生命の王宮であり、血統の王宮です。こう語ってきました。 それは、母親一人のことを言います。父親から見てみれば、初めて王宮に生命の種を植えるのです。愛の種を植えるのです。血筋を植えるのです。そのように植える子宮は、「宮」であるというのです。息子・娘を宿して育て、その赤ん坊が出てくるのですが、父親の、父母の実りとして出てくるというのです。それゆえ、父母の生殖器は、神様が愛することができる生殖器であるというのです。分かりますか? それを受け継いだ結果的存在が、アダム・エバの息子・娘であり、神様にとっては孫です。その孫を、アダム・エバが愛したと同じように神様が愛するのです。それゆえ、その父母の生殖器は、自分(孫)を植えてくれた生殖器であり、自分が成長してもつ生殖器は、刈り入れる生殖器だというのです。 これを逆さまに見れば、その生殖器は、永遠の愛、永遠の生命、永遠の血統をもった永遠の生殖器として、父親のものですが、私にとってもそれは、永遠の愛、生命、血統の生殖器だというのです。一つは蒔くものであり、一つは刈り入れるものです。その二つは分けることができません。父母と息子・娘は、分けることができないということを知らなければなりません。それがどういうことか分かりますか? それが絶対的に一つになった位置から、横的に広がっていくのです。はっきりと知らなければなりません。言い訳を言う道理がありません。 なぜ、父母を愛さなければならないのかというのです。神様の王権を即位させることができる宝だというのです。その器官を通して生んだので、それは神様の愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。 そして、自分の父親は肉的に、神様と同じ立場にいるのです。肉を中心として、愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。私はそのように植えられて、十か月目に生まれた結果であり、刈り入れられた実りなので、逆さまに見れば、父母の愛の家は、私が永遠に暮らすことができる愛の家であり、生命の家であり、血統の家なのです。家だというのです。分かりますか? その関係が結ばれたので、息子・娘を生んで、生きても、死んでも、これを分けることはできないのです。父母がいなくてはいけないので、「孤児」という言葉が出てくるのです。 この天下に連結することができる完成した生殖器は、神様が愛を蒔こうとした出発基地であったのですが、神様はその結果を刈り取ることができませんでした。三代を愛することができなかったのが神様です。 これを中心として見るとき、神様がアダムを愛したのではなく、アダムが神様を愛したのです。神様が愛する生殖器、父親が愛する生殖器、その上に種が蒔かれ、その実として刈り取られたのが私なので、蒔かれたものよりも貴いというのです。神様はご自身を中心として、愛することができる道理を開拓してアダムを愛されましたが、孫は、アダムと神様が愛さなければならないのです。その二つの家が歓迎することができる実りだということを知らなければなりません。 上下の反対的な立場で天を中心として永遠に決着した、生命の種と生命の根、愛の種と愛の根、血統の種と血統の根が連結すれば、これを断ち切る者はいません。ここを蹂躙する者は、赦しがないというのです。分かりますね? (「はい」)。 ですから、王権は、絶対血統、純潔血統です。まだそのような問題に対して「赦す」という宣布をしていません。それを保留にしています。いつかそれを宣布する時まで、自分たちがその期間にいれば、すべての面において注意しなければなりません。公式的な集会に出るときには、息子・娘を連れてこなければならないようになっています。息子・娘が過ちを犯した責任は、母親にあるのであり、父親にあるのです。天の前に反逆罪を犯したという事実を知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。 家庭表彰時代が来る そのような意味から、きょうは大転換式です。皆さんの四肢五体に三六〇度、からまっているナイロンの紐を完全に断ち切って、一つも引っかかるものがない、解放され、整備された位置に立つのです。この式典に参席して、それを越えて転換しなければならない瞬間だということを知らなければなりません。 ですから、そこに、警告の内容、天が宣布した内容と、すべて一致することができる自我を発見するために、特別に訓読会をするのです。それゆえ、二重です。家庭でしなければならず、世界でしなければなりません。天の国においても、訓読会をするのです。分かりますね? (「はい」)。遊びごとではありません。よく聞きなさい。 祈祷文から読みなさい。未来の今日を見つめながら祈祷した内容です。一致しているかいないか、判断してみなさい。王権を樹立し、母子圏を奪還しました。乗り越えました。父子圏を発表したので、日本が責任を果たそうと果たすまいと、関係ありません。韓国が責任を果たそうと果たすまいと、関係ありません。アメリカが責任を果たそうと果たすまいと、関係ありません。すべて乗り越えたというのです。 父子のたった二人で逃げ回っても、母親がいなくて、息子が「お父さん、お母さんが必要です」と言えば、迎えるのです。「おお、そうか、おまえはそのことを知っているのか? では、そうしよう」と言って、息子も喜び、父親も喜べば、同じ生命に生殖器を合わせることができるのです。庶子や後妻というものがあっては、問題が起きるのです。 長子圏、父子一体圏、このようになっているのです。愛を中心として堕落した、この生殖器の故障によって、そのようになっているのです。それを保管することができる権能をもった真のご父母様の倉庫には、道具を備えるように、何であっても実体を備えることができる準備ができているので、エバ圏がなくても……。母親が問題ではありません。エバ圏がなくても、家庭を編成することができるのです。アーメン! (「アーメン!」)。 今、環太平洋圏を樹立しながら、そのことを発表しました。先生はこれを発表して、子女の群れが引っかからないように、千年万年、引っかからないようにするために、整備して、また整備して、昼夜、苦労したということを、だれが知っていますか? 三十六家庭、七十二家庭、その言葉自体を聞くのも嫌です。 先生が町内に来ても、あいさつすることもできない者たちです。そのようなことが、すべて問題になるのです。良心の呵責を受けていなければ、先生の家門を出入りしなさい。呵責を受けていれば、来なくてもかまいません。このような式に出なくてもかまいません。 あなたたちがしなければならないでしょう。私がすべきことではありません。そうではないですか? あなたたちが守るべきであって、私が守ることではありません。きょうは、何々の日、何々の日、三十六家庭の祝福の日、これらはあなたたちが守るべきでしょう。その日に私が飛行機に乗って遊びに行っても、讒訴する道理はありません。統一教会の式を一つも守らなくても、皆さんが先生に不平を言う道理はありません。あなたたちがなすべきことです。分かりましたか? (「はい」)。先生は成し遂げて、すべて捧げました。 今ではもう神様まで解放しました。「問題ない」という通告を受けたので、神様の即位式を完了したのです。 ノアは、審判後、六月一日に上陸しました。七月一日、完成時代は、七数の解放を成し遂げなければなりません。七千年です。そうでしょう。それがすべて合わなければなりません。はっきりと知らなければなりません。 あなたたちが慕わしくて、私が「来なさい、来なさい」と言い、私が仕事に責任をもって、このように「来なさい、来なさい」と言うのではありません。 神様を解放することに対する功労があれば、その功臣が神様から賞をもらわなければなりません。家庭祝福、家庭表彰時代が来ます。 (御言の後、十年前の「七・一節」制定時の御言を訓読)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.02
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