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2月に逃げ恥をYouTubeで見てはまってしまったということを書いた。そして、高いので少し迷ったがDVD-BOXを予約購入した。それが3月28日に届いて、全11話を3回見た。さすがに4回目は...というところである。 なぜこれほどラブコメにはまってしまったのか。 ブームになって、実際のオンエアの時は最終話だけ見たが、何が面白いのかよく分からなかった。それが、YouTubeで1話から見て、そのストーリーが面白いのが良く分かった。なのでDVDまで購入して見返すつもりになったのだと思う。 逃げ恥を見ている間は現実逃避ができて良かった。新垣結衣もかわいい。自分が星野源になったつもりで新垣結衣との疑似恋愛を楽しめる。しかし、3回も見終わってしまってさすがに飽きてくると寂しい。これから何を楽しみに土日を過ごせばいいのか。 思えば、あまりテレビというものを見ないのでテレビドラマにはまるというのもレアなのだが、これから逃げ恥ほどにはまるドラマには出会えないような気がする。ドラマごときに1万5千円を払ってDVDを買うなんてありえないのではないかと思う。 はまるものがあれば夢中になって楽しめるのはいいことだけれど、基本的には軽うつなので、無気力で無味乾燥な土日を送っている。逃げ恥を見ている時はそうではなかったけれど。 最後に人を好きになって付き合い始めたという出来事からもう20年も経ってしまった。今更ながらこれからそんなことが起こるだろうか。起きるかもしれないと肯定していたとして、起こるだろうか。 障害者雇用で働いてる会社ではそんなことは起こりえない。精神障害者という負い目があって同期などとは接触しないようにしている。出世した同期などと話しもしたくはない。同期のツテで人と出会うなんてことはない。 ほぼ音信不通な大学の同期も家庭があり、出世していて、昔は仲が良かったといえども会って話したとしても自分から話すことといえば障害者雇用の苦難話しでおそらく話は噛み合わない。会社の同期同様、同期のツテで人と出会うなんてことはない。 逃げ恥のような恋をすることはもう起こりえないのだろうか。星野源演じる津崎平匡が自分は一生独身のまま人生を終えると頑なに信じるようにはなりたくないし、諦めの境地にもなりたくはない。しかし、現実に立ち返るとそんなことになるのは想像し難い。 こういうことは人と人とのつながりで発生していく。今の僕にとってそれは皆無だ。旧友と会うこともない。軽うつだと飲んで話したいとも思わない。忘年会とか何か名目があればそうでもないのだけれど。 軽躁なら陽気になれるから、和気あいあいと飲んで盛り上がれるのかもしれない。しかし、悲しいかな軽躁になったのは7年前で、それからずっとうつ、軽うつときている。軽うつになってからは5年経った。服薬は変わっていない。波が収まったという点ではいいのかもしれないが、低めに収まってしまうと人生は楽しくない。人と関わり合いたくなくなるからだ。 軽うつのまま送る人生は透明な棺桶に入ったまま死ぬのを待っているようなものかもしれない。そんな人生に恋だの何だの期待するのが無理な話なのかもしれない。唯一の救いは誰かがその棺桶を開けてくれるかどうかなのかもしれない。
Apr 8, 2017
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なかなか無為な三連休を過ごしている。やることがないと焦燥感に苛まれて何もする気がなくなる。Amazonのビデオも見る気にならず、読みかけの小説の続きを読む気にもなれない。仕方なく寝逃げする。これはきっと残存しているうつの症状だ。ひどくなれば頓服が必要だけれど、そこまでではない。 今日は三連休の中日の19日。午前中は部屋のプチ大掃除をして、いいかげん眺め飽きた並べられた書籍をごっそりとブックオフで処分しようといきまいていた。 紙袋に詰めて持ち込みしようと思ったのだが、本って重い。大きめの紙袋につめこんだら思いの外重かった。整形外科でリハビリを受けている肩に影響がでてしまった。考えが甘いことに気付き、持ち込みは諦め、出張買取を頼むことにした。もちろん電話をかけてすぐには取りに来てくれるはずはなく、明日の夕方になった。持ち込みに車で出かけるはずが、暇になってしまって焦燥感に苛まれた次第。寝逃げして少し楽になって喫茶店にでかけてブログを書く気になった。 昨日は午前中は整形外科でリハビリ。午後は修理した車を引き取りに行った。 自宅から大通りに出る道は狭い。それでも運転ミスをすることは無かった。しかし、先週の日曜日の朝、洗車をしようとスタンドに出かけた時に少し寝ぼけていたのか左側後方のボディを思いっきり擦ってしまった。 しまった、と思い車を降りて擦った部分を見るとさすがに放っては置けないっほど傷がついてしまっていた。塗装もはがれている。放って置けば錆びてしまう。参ったなぁと思った。 とにかく洗車をしようとスタンドに行き、そこは修理もしているようなので、見積をお願いした。 その時に提示された見積金額が13万5千円。うーむ、これくらいなのかなぁと思ったが、もう1軒見積をお願いして、最後にはディーラーに見てもらって判断することにした。 自宅へ帰って業者を調べると、昔車検をお願いしていたところが板金塗装をやっているようなので、そこに見積をしてもらうことにした。バツが悪いことにディーラーとは国道を挟んだ真向かいなのだが。。。 その業者に行くと、板金塗装担当の人が出迎えてくれた。この業者は顧客対応がいい。車検をお願いしていたのもそんな理由があった。 しばらく待って見積がでてきた。スタンドのアバウトな見積と違い、板金工賃、交換部品代、塗装工賃、塗料代とお手本のような見積がでてきた。分かり易くかつ丁寧である。しかも、長年車検をお願いしていた特別値引がついて、見積金額は7万4千円だった。あぁ、ここで決まりだなと思った。スタンドの見積の半額近いし、作業工程も見えて信頼できるなと思ったからである。 念のためディーラーに行って整備士の人に見てもらうと口頭で概算で15万から20万ぐらいと言われた。スタンドより高い。。。 9割方結論はでていたが、一応ディーラーに見てもらって、予想通り高い費用を聞き、そそくさとディーラーを離れ、車検をお願いしていた業者へ作業を依頼した。 板金塗装の専門業者を回って見積をしてもらったら、もしかしたらもっと安い見積がでたのかもしれないけれど、自宅から歩いて行けるから代車は必要ないし、時間をかけるのもめんどくさいし、何より長い間車検をお願いしていたことがきちんと顧客データとして残っていて、その特別値引があったのがありがたかった。 そもそも運転ミスをしなければ7万4千円の思わぬ出費はなかったのだけれど、それはそれで納得した値段で済んでよかった。見積を担当した人にディーラーに言われた概算を話すと苦笑していた。スタンドもディーラーも自ら修理はせず、板金塗装業者に委託するのでこれほどの費用の違いがでるのだろうけれど。 明日は夕方のブックオフの出張買取しか予定がない。それまで何をするか。喫茶店にこもって小説を読むか、バイクでプチツーリングをするか。今はプチツーリングの気分である。陽気もいい。 本をごっそりと抜き出して本棚にはぽっかりと空間が空いた。ほとんどの本は10数年前に買ったIT関係や株投資関係の本である。おそらく値段がつかず廃棄される本も多いだろう。 長年放置した本がなくなり、本棚に空間が開くと気分も変わる。ちょうど年度替りであるし、よかったのかもしれない。
Mar 19, 2017
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何がきっかけだったのか分からない。多分興味本位であったとは思うのだけれど、どうも話題を振りまいていた「逃げ恥」がYouTubeで見れそうだということが分かって、YouTubeのことだから途中の回から見れなくなってしまっても仕方ないかなとは思いながら見始めると、何と画質や音質は悪いとは言え全11話見ることができてしまった。そして、どんどんはまってしまった。 平日に見ていたので、1日に3話ぐらいのペースだったが、毎日会社を退社して「逃げ恥」を自宅で見るのが楽しみになっていた。平日に全11話見て、この土日も全11話見てしまった。それほど面白かった。ラヴコメなどはまるで見る人間ではないのだが。 大筋は主人公の森山みくり(新垣結衣)と津崎平匡(星野源)が事実婚をするが、実際は雇用主と家事を行う従業員という関係であったのが紆余曲折を経て本物の夫婦になっていくというストーリーなのだが、その順番がおかしいというところと(それで周りとの色んな誤解が生まれる)、従業員と雇用主というドライな関係から体裁上恋人同士っぽくなって、実際に恋人同士になってという過程が面白く、最後はハッピーエンドになる。 周りにドライな関係であることがバレないように親近感をだすため、義務的にハグをするというところが面白かったし(最後の方では恋人同士の自然なハグになる)、平匡のおくてであることが微笑ましかった。何故なら筆者も世の中の男の中ではおくての部類に入るからだからだろう。ドラマだと平匡は10話で36歳にして男の春を迎える。(念のため書いておくが、筆者はそこまでおくてではない) ドラマには色んな役回りの人がいて、アラフィフの女性で会社では管理職だったり、イケメンだけど本物の恋に見失っていたり、離婚してシングルマザーになったりとか、見る人それぞれに自分の身の上を投影できる内容になっているのは脚本家の才能か。 その中で平匡に自分を投影できる人間には気持ちよくさせてくれる内容だったのではないかなと思う。事実婚というおかしな始まり方ではあったけれど、森山みくり役の新垣結衣と出会って恋人になって夫婦になっていくという過程は夢を与えてくれる。内容にはまって2クール見てしまったのも、この平匡役の星野源に自分が投影されてしまったからだと思う。新垣結衣はかわいい。その新垣結衣と新婚を疑似体験できるのが楽しかった。 さすがに3クール目はないが、軽くロス感は否めない。 それから、やはり自分がドラマの展開と同じだった頃。もう約20年前になるが、その頃の忘れかけた思い出がおぼろげに浮かんできた。結局破局を迎えたが、別れた嫁さんとの出会ってからの5年間は人生で一番充実していた日々であった。そして、16年が経って47歳になってしまった。 しかし、約20年前のことが最初で最後の充実した日々でこのまま終わってしまうのだろうか。決めつけはしたくはない。でも、僕は精神障害者で障害者雇用で収入は雀の涙、年齢ももう47である。どう考えても人生このままフェードアウトの可能性が高い。 しかし、気持ちだけは肯定していたい。「どうせ」このまま、よりも、「もしかしたら」奇跡が起こるのではないかと思っていたいものだ。そういう人間関係へと発展させてくれるような人付き合いは皆無だけど。
Feb 12, 2017
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年の切り替わりでの心境の変化かもしれないが、Facebookに年始にお台場にバイクで出かけた時の写真を投稿してみた。最後にバイクで奥多摩にツーリングに出かけた時の写真を投稿したのが2013年だったので、4年ぶりである。思ったより反応があって、みんな利用してるんだなと思った。 「超」非リア充のため、リア充友人達の投稿に辟易し、4年間はリア充投稿をする友人をフォローするのを止め、当たり障りのない投稿をする友人とAppleなど特定のグループに参加してそこでの投稿を見るだけにしていた。自分の存在を隠すため、一切「いいね」などをすることはしなかった。 しかし、上に書いた通り、心境の変化で投稿して図らずもFacebookに存在を顕示してしまい、それなりの反応があったので少し参加しようという気になり、今までフォローを外していた友人の何人かをフォローするようにしてみた。 早速この三連休に家族でスキー旅行に行っている友人家族の満面の笑みを見させられて辟易し、やはりこれはいかんなと思った。人の幸せほど興ざめするものはない。自分にも家族があって、同じような境遇ならふぅんとなるが、不幸な境遇だと抑うつ的になる。速攻でその友人のフォローを外した。 次に考えるのは自分の不幸な境遇を顕示すること。病気や精神障害にまつわる投稿をしたりするとか。しかし、これは結局思いとどまる。それで何になると思ってしまう。そんなこんなの堂々巡りで結局Facebookとはある程度距離をおくことになる。所詮は人生が順調な輩が集う社交場である。 しかし、見ていることはバレてしまっているので、今年はバイクのツーリングのことを投稿したり(自分が唯一投稿できることだが)、当たり障りのない投稿をする人にいいねをしたりしようかなと思う。 ツイッターもどうもつぶやきがでてこなくなった。「会社を離脱した」の人だと思われているだろう。今は全くもって頭が空っぽである。興味を持っていることがないのでつぶやきがでないのだと思う。軽うつなことも影響しているのだとは思うが。 このブログはその時々の自分の心境を吐露する場としている(というか結局のところそうなっているのだが)。自分の本音を綴っている。ツイッターにだけリンクするようにしている(とてもじゃないけどFacebookにリンクできる内容じゃない)。ツイッターでは精神疾患を患い苦しんでいるフォロワーがたくさんいると思うので、中には共感してくれている人がいるのではないかと思う。 更新の頻度は多くないけれど、10年以上続けているこのブログは自分の本音を吐露できる唯一の場所で、自分のネットにおける軸になっている。10年分のブログのビッグデータを解析して、人格化したAIができたら面白いと思う。自分でも呆れるほどネガティブなAIに仕上がるだろう。
Jan 9, 2017
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なんとか週末になった。先週と今週と休むことなく5連勤することができた。来週は楽をしようと、水曜日に年休をとろうと思ったが、あいにく日程がずらせない作業が入っていて諦めた。仕方ないので3週連続5連勤を目指そうと思う。 さすがに5日連続勤務しての土日はしんどい。先週の土日はことさらしんどくて、日曜に車で両親と公園に行って散歩するのがやっとだった。 少し前に図書館で埼玉の観光ガイドブックを借りていた。せっかく買った新車を眠らせておくのも忍びないので、近場でいいから車を少し走らせて行けるスポットがないかと探すためであった。 そこで目にとまったのが写真にある「閑居」という喫茶店である。今日は車でそこに来ている。 「閑居」とは「閑静なすまい。世事に煩わされず、自分のしたいことをしてのんびり暮らすこと。何もすることがなく、ひまでいること」という意味のようである。 ここ、カフェ「閑居」は和洋折衷の昭和初期の邸宅を改装したカフェである。埼玉県行田市にあり、行田市の初代市長、奥貫賢一氏の邸宅をご家族のご厚意によりお借りして改装し2005年に開業したようである。私も年齢が年齢なので、縁側のあるおなじような家で育って来たので懐かしさを感じる。 「閑居」が使われている句に「小人閑居為不善(小人閑居して不善をなす)」というのがある。意味は、「つまらない人間は、暇で何もすることがないと、ろくなことをしない」ということだそうで、中国の「大学」という書物にでてくる言葉のようである。 耳が痛いなぁと思った。仕事をしていると辛い。つい、辞めてしまおうかと考えてしまう。でも、私のようなつまらない人間はこの句にあるように暇を持て余したらろくなことをしないのだろう。そう考えると、もちろん生活のためでもあるが、つらいけど仕事はしていくしかないのかなと思う。 それに、つまらない人間は暇を持て余さないような何か世のため人のためとなる生きがいを見出すことも難しいのだろう。 理想を追い求めず、1日1日を必死に暮らしていくしかない。切ないけど。
Dec 10, 2016
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一昨日は課での早めの忘年会。病気になってからの飲み会では一番遅くなった。就寝時間は日をまたいだ。こうなると眠れなくなる。案の定、翌日は睡眠不足気味だった。それでも予定していた映画は観に行き何とかぼーっとならずに済んだ。閉口したのは今日で、睡眠不足の反動でかなり深い睡眠になり、頭痛になった。このブログを書いている今やっと治ってきたところである。 基本的に朝は(平日は)6時半頃に起き、夜は11時前に寝るのが生活リズムなので、これを大幅にズレると影響がでる。せっかくの土日なのに生活リズムを狂わされたおかげで影響がでて、憤慨した。障害者として認知してもらっているのだから、明日の課長への週報には苦言を呈しておこうと思う。 さて、映画について。基本的に感受性が高い訳ではないのであまりどうのこうの語れない。昨日観たのが『この世界の片隅に』だった。所々で笑ってる人がいたり、すすり泣いている人がいたりするのだが、何故だろうと思う。自分はただ淡々と観る感じだ。 評判になっている映画を知るのはほぼツイッターだ。映画通なら前評判の情報で知り、普通の人なら友達や職場の人達の輪の中で評判を知り観に行くというところか。ツイッターで知るというところが孤独な今の自分らしいところだと思う。もちろん観に行くのも独りだ。 今年話題になった(なっている?)作品は観た。『シン・ゴジラ』と『君の名は。』と先ほどの『この世界の片隅に』だ。自分はの感想は 『シン・ゴジラ』★★☆☆☆ 『君の名は。』★★★☆☆ 『この世界の片隅に』★★★☆☆ というところか。 ★2つはそれほど面白くない映画。★3つは普通の映画。ちなみに★1つはお金が無駄になった映画。★4つはもう一度観たいと思う映画。★5つは人に観にいくことを勧める映画といったところか。 しかし、今の自分には★4つや5つというのは、ほぼないのかもしれない。面白くもない人生を歩んでいる人間にはきっと面白いと感じる映画と出会うことはないのではないかと思う。 ちなみに、こんな自分でも昔観た、面白いと思い、何度も観ていて人にも勧めたい映画はある。マット・デイモン主演の『グッド・ウィル・ハンティング』という映画である。自殺したロビン・ウィリアムズが好演している。身寄りのないマット・デイモン演じる青年ウィルが鬱屈した人生から解き放たれていくストーリーだ。不良仲間からウィルが姿を消したシーンは大好きで、何度見ても爽やかなものを感じる。
Nov 20, 2016
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9月11日のブログに鎖骨部が痛むという記事を書いた。残念ながら症状は継続している。約1ヶ月が経つ。 相変わらず通勤電車では右手でつり革につかまらず(痛めている鎖骨は右側)、電車の揺れにふらふらしながら左手にiPod touchを持って操作している。(右手だと操作しずらい) 会社では昼食後の休憩では左手で頬杖ついている。だんだんその体勢に慣れてきてしまった。 バイクで転倒して鎖骨を骨折したのが2月末。それから5月頃には完治して、何の不自由もなく過ごし、8月初めに違和感を感じるような力仕事があったとはいえ9月から痛みを感じるようになった。そんなことってあるんだろうか。何の不自由もなかった頃は何だったんだろうかと思う。 普通に生活しているぶんには支障はほぼない。しかし、仕事では重量物を運ぶ作業がどうしてもあるから困ってしまう。 さすがに何かの手立てを講じなければならないと思い始めている。やはりセカンドオピニオンだろう。 1ヶ月経って何も変わらないようでは1年経っても何も変わらないような気がする。とにかく、あと2ヶ月様子をみて、3ヶ月経っても症状が変わらないようなら今の整形外科を受診し、その医師ではお手上げなら別の病院で診てもらおうと思う。というかそうするしかない。藁をもすがる思いである。 こういう症状はボディブローのように効いてくる。精神衛生上もよくない。できれば時間とともに自然と完治してくれればいいのだが。。。
Oct 15, 2016
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会社のウォークラリーというイベントはいつから始まったのかは分からない。おそらくはそんなに前からではないと思う。 会社の課単位でチームを組み、1人1日1万歩を目標に1ヶ月歩き、競う。チーム毎に人数は違うだろうから合計歩数ではなく、合計歩数を人数で割って平均歩数をだし、それでランク付けをするのだと思う。おそらく。 昨年から(おそらくは人事だからだと思うけど)強制参加になった。今年も参加か不参加かの意思確認が課長からあったが、無理はしなくてもいいよとは言いながらもまさか不参加じゃないよなという意向は感じ、参加にした。昨年は有無を言わさず強制参加だったが、今年は半強制参加というところか。 昨年は真面目に取り組む気はなく、さりとて虚偽の歩数報告をするわけにもいかないので、1ヶ月万歩計をつけて毎日メモしていた。平日はなんだかんだで通勤の自宅から最寄駅、会社の最寄駅から会社、帰りはその逆でそれなりに歩くので、だいたい8,500歩ぐらいは歩く。だからそれなりに歩数は稼げた。意欲が高い人はウォークラリーの期間は自宅や会社の最寄駅の1駅前か後にして歩数を稼いだりするけど、僕は病気的にする気は無い。 土日は、なんで会社のイベントで休みの日に歩かされなければならないんだと思い、バイクに乗っていたかったのもあってあまり歩くことはせず、ほぼ0歩で計算していた。しかし、今年は少し考えを変えることにした。土日も歩いてみるつもりである。 先週にシューズと歩きやすいウェアを買った。昨年はいちいち万歩計をつけて帰宅後に手帳に歩数をメモしていたが、今年はiPodで記録することにした。常に身につけていなければいけないけど、手帳に書く必要はない(昨年もできたことではあるが)。 バイクを買ってからというもの、すっかりウォーキングからは遠ざかっていて、今日は1万歩も歩けていないのだが(今日のコースなら1万歩はいくと思ったんだけど)、疲れが激しい。歩幅を長くして早歩きするので、エクササイズの効果はあると思うのだけれど、それに反して歩数は少なめになる。歩数を稼ぐならポケモンGOでもしてだらだら歩くほうがいいかもしれない。 せっかくお金を出してシューズも買ったことだし、ウォークラリーの期間に限らずウォーキングは続けていこうかなと思う。バイクに乗る頻度は減るけれど、健康にも気を使わないといけないだろう。昨日と今日と1万歩近く歩いてみて、心なしか気分も爽やかだ。
Oct 2, 2016
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一応、LINEは昔に少しやったことがあった。なので、アカウントはある。でも、(親以外の)家族もいないし、会社に親しい人もいないし、旧友は疎遠なのでほぼ続かなかった。また、コミュ障なので、1対1のやりとりになんとなく苦手意識があった。それに、中年の男同士で会話する話題もない。 そんなことから1年以上経って、ふと思い立って数日前にLINEを立ち上げると、大学のサークルの同期 からのLINEグループの招待がきていた。早速参加し、書き込みをしてみた。 即座にグループに参加している同期の女性からの返信があった。 1対1ではなくてグループだと座談会的で気軽に書き込みをしてみんなで盛り上がれる感じがして書き込みのハードルも下がる。これは楽しいかもしれないなと思い、他のメンバーの近況も聞きたくて書き込んでくれるように促した。しかし、他のメンバーからはうんともすんとも返信がこない。しつこく聞いていたら何とメンバーの1人がグループから退会してしまった。これには驚いた。退会するほどのものだろうかと。 最初に返信をくれた女性とグループを作った友人はそのグループの中でチャット的にどんどん発信するタイプだったのだけれど、その他のメンバーはどうもそういうことに慣れていないというか、抵抗がある感じだったようである。後でグループを作った友人からメンバーに書き込みを促すのはやめておくように諭された。 僕もツイッターをやっているので、SNSでチャット的に会話することに慣れてしまっているけれど、世の中的にはそういう人間ばかりではなく、チャット的なやりとりに抵抗感がある人がいるんだなということが分かったし、それは活性化したLINEのグループを作るのにはハードルを高くしてしまうなと思った。 とりあえず、グループを作った友人はそのグループを連絡と近況報告用にするつもりとのことだった。でも、旧友同士盛り上がりたいよねと言うと、友人はみんなが俺たちみたいじゃないからと諦めている様子だった。 久しぶりにLINEを立ち上げたら、きていたグループの招待に喜々として参加したのはよかったのだが、メンバーの価値観の違いでグループが盛り上がらないということが分かってしまい、一つ楽しみができたと思ったのもつかの間、哀しい現実を目の当たりにしてしまった。 毎日が底抜けなく楽しかったあの大学での日々の再現というのは無理なことなんだろう。
Sep 22, 2016
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2月末にバイクで転倒して鎖骨を骨折してからもう約7ヶ月。3〜4ヶ月も経つとほぼほぼ元どおりになったのだが、何故かここ最近痛みが再発している。痛みといってもズキズキと痛むわけではなく、鈍痛というか何か違和感がある感じである。 思い当たる節がないわけではなくて、1ヶ月程前に仕事で重いものを持つ作業をしてから違和感を感じるようになった。当初はそれほど気になる状態ではなかったのだけれど、ここ1週間ぐらいだろうか。骨折をして治りたてぐらいの状態になってきてしまった。 具体的には、骨折したのは右側の鎖骨だったのだけれど、通勤電車で右手でつり革を持って乗車し続けると鈍痛のようなものを感じるようになり、会社での休憩時に腕を組んで突っ伏して机で寝ると鎖骨の部分が張ってしまうようになった。 すっかり治った状態が当たり前の状態になり、それに慣れてしまっているので、生活に支障を感じるようになって、これはまずいと思い、とにかく診察を受けてみようと思い、整形外科へ赴いた。 一応、医師に症状を話してレントゲン撮影をして、前回に撮影した画像と比較してもらったのだが、全く問題はなかった。結局、塗り薬でもだしますかと言われたが断った。常に痛むわけではなくて、ある動きをしたときに鈍痛を感じるわけだから意味がないと思った。病院に行く前からあまり意味がない可能性があるかなと思っていたけれど、予想通りとなった。 重いものを持って、少し違和感を感じて、時間が経って元に戻るのなら分かるのだけれど、悪化したことに一抹の不安を感じている。心が弱気になり、このまま治らなかったらどうしようと考えてしまう。昨日は不安で何もする気になれず、ほぼ1日寝ていた。 しかし、不安な気持ちに縛られて臥せっている訳にもいかない。負担をかけなければ普通に生活はできる。とりあえず痛くなる部分に負担をかけない生活を送り、回復するのを待つしかないなと考えるようになった。そうすると少し気分が楽になった。1ヶ月かけて悪くなったのなら、1ヶ月かければ回復すればいいのだけれど。それが2ヶ月、3ヶ月となっても我慢するしかない。きっと良くなると思いたい。 会社ではまともな仕事ができていない。できないという方が正解かもしれないが。だから、役に立つことといったら、パソコンでの単純作業を除くと力仕事ぐらいだ。今はそれもできない状態だから、まさにいらない人間である。今の時期はいいのだけれど、年末に力仕事がある。それまでには状態が良くなっていればいいのだが。。。
Sep 11, 2016
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ブログの題には「気が向けば更新」としてあるのだが、ここのところは週一で更新するようになっている。なんだかんだいって何かしら書くことがあった。ここ最近はオリンピックなんてあったりして。しかし、今日は取り立てて思い付くことがない。これが平常というものだろう。とはいえ書いてみる。大した内容にはならないだろう。ご容赦願いたい。 この土日は前に乗ってから3週間程経っているので、バイクに乗っておきたかった。しかしあいにくの雨まじりの天気のため、断念した。バイクを購入したのが4年前なのだが、今年が車検で、点検をしてくれたショップの人にはバッテリーの劣化を指摘されていた。それだけにバイクを乗る間隔はなるべくあけたくなかった。 しかし、バッテリーの端子に延長ケーブルをつないでいて(もちろんそんな細工は自分ではできないので、ショップの人にやってもらったのだが)、そのケーブルに充電器を連結してバッテリーを充電できるようにしてある。今日は昨日に比べて雨が降ってこなさそうだったので、バイクのカバーを外してバッテリーの充電をした。おそらくしばらくは大丈夫だろう。天気予報では来週の土日は今のところ雨ではないようなので、バイクに乗れることを期待したい。 ポケモンGOは、少しはやってみたのだが、歩き回ってやってみるモチベーションが無い。とりあえずポケストップなどを巡りながらポケモンを捕まえてみて、レベルが5になったのでポケモンジム?というところで自分の持っているポケモンをジムにいるポケモンと対戦させてみたのだが、レベルが違いすぎてあっけなく撃沈した。 仮に、頑張ってポケモンを強くしてそのジムを制したところで一体何が面白いんだろうと考えたら、歩き回ってポケモンを捕まえるという気が失せた。全部の種類のポケモンを集めたところで、自分のレベルを上げたところで、ポケモンジムを制したところで何が楽しいのだろうか。他にも楽しみ方はあるのかもしれないけれど、結局はゲームは楽しめないたちなんだと思う。 よく考えると、考える(脳を使う)という活動はことごとく億劫なのだ。考えるゲームは億劫、新聞、本は読まない。英語とか投資のこととか勉強することもない。脳細胞自体が劣化しているのではないかと思う。堕落している。毎週地図とにらめっこしてバイクを思いのまま走らせ、気の向くままくだらないブログを書く。そんな感じで時が過ぎていく。 以前は株式投資の勉強をしたが、結果は大損した。もうリスクをとることはないだろう。これから年金がますます目減りしていくのに虎の子の貯金を減らすわけにはいかない。英語や中国語の勉強をして何になろう。コミュ障だから外国人に話しかけるなんてことはない。話しかけられても英語なら片言で対応できる。中国語は無視する。 ますます面白くない人間になっていく。でも、孤独なのに面白い人間になって何が面白いんだろう。
Aug 28, 2016
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今年の夏休みは11連休となった。昨年の夏休みは10連休で、何もやることがないことを嘆く自虐的なブログになっていたけれど、今年はリオオリンピックがあり、家族旅行もあり、暇をもてあましてうんざりという昨年のような夏休みは回避できそうである。 昨年までは父の足の状態が芳しくなく、ちょっと歩くと腿が痛くなるという症状があったのだが、今年の初めぐらいから状態が良くなり、旅行にも行けるようになった。連休の前半はお盆なので、それを過ぎてから後半に車で日光と那須方面に2泊で旅行に行く予定である。 車を買い換えたということもあるだろう。ホンダのフィットからヴェゼルにグレードアップした。フィットは走行距離が少なく6速MTというレアなタイプのためか、思ったより査定がよく、残りの費用を折半して購入した。親としてはお金をだしているから私を運転手にして色んなところに行きたいというのはあるのだろう。私としても暇が潰せるのでありがたい。 オリンピックも何となく今までより楽しめている感じが少しする。時差が12時間なので制約はあるが。特に病気の関係で生活リズムを崩すわけにはいかないので、夜更かしはできない。次回の東京オリンピックの時はどうなるだろうか。あまり未来のことは考えたくないが、どんな境遇になろうともテレビ観戦することになるんだろう。 今日は怠かったのだが久しぶりに掃除をした。自分の部屋はかなりたこ足配線で、掃除機をかけられない。パソコンやらテレビやら色んな機器を取り外し、配線をどかして、ワゴンやら衣装ケースやらどかして掃除機をかけて雑巾掛けすると、結局年末の大掃除をやるのと変わらない。今日の掃除で夏休みにやることの半分が終わった感がある。 大掃除ができて、ブログも書けて、まぁ順調な滑り出しの夏休みではないだろうか。ただ、怠さがあるのが気になる。なんとか掃除はできたが、怠さで他には何もやる気にならなかった。3時頃まで部屋で冷房をかけてベッドに突っ伏してなんとか外出してブログを書く気になった。明日から朝から怠さがなく動けるといいのだが。
Aug 11, 2016
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早いもので、今日は6月に購入した車の1ヶ月点検だった。購入してからなんとか一般道を600km走行したが、この点検があるために時間があるときには走るようにしていた感がある。100kmだけ走って初回点検という訳にはいかないだろう。結果不具合は無かった。 困ったことは、この間の3連休の中日に奥多摩に走りに行ったのだが(目的地は道の駅たばやま)往復で約160kmで少し急な山道があったのだが、極度に運転に疲れてしまった。なんとか自宅に帰ったのだが、その日の夜の大河ドラマは見れず、翌日にも疲れはとれず寝込み、その日の夕方にやっと疲れがとれた。そのへんのくだりは今週通院があったので、医師に話してみたのだが、それでは短い距離を走るしかないですねと言われ、素っ気なかった。でも、病気が関係してないことはないと思うのだが。 夏休みに上高地に親と車で行こうと思っていたのだが、心配になって止めることにした。上高地は長野だが、岐阜との境目に近い。自宅からは延々と高速を走り、山道を通らなければならない。せっかく景勝地に来ても運転の疲れで楽しめないのでは意味がない。親も心配して止めて近場に行こうということになった。日光あたりでも行こうということになっている。 大学の頃はスキーをやっていて、その頃は平日の午前3時頃に起きて、空いている一般道をかっ飛ばして300km走って早朝のスキー場に着き、疲れを知らずガンガン滑っていた。今のこの状態には愕然とする。でも、病気でなかったらここまでひどくはないと思う。きっと何の心配もなく上高地に行けたと思う。運転は神経を使うから、やはり病気の影響はあるのだと思う。 3連休の1日目は車検にだしていたバイクの引取りだったのだが、これも概ね問題はなかった。ただ、バッテリーの消耗が進んでいると指摘された。こまめに充電をしておくことを勧められた。でも、基本は放置しておかないで乗ることだろう。1ヶ月点検があるために、車の運転を優先していたが、点検が済んだのでこれからはバイク優先になりそうだ。まぁ、バイクの方が走っていて楽しい。ますます車の運転が遠のく。 でも、はっきり言って車は無くても何とかなるのである。自宅の敷地に置けて駐車場代がかからないし、何かと便利だから所有しているだけで(なら軽でもいいじゃんというのもあるけど)、もし毎月5千円なり1万円なりと駐車場代がかかるなら車は持たないだろう。必要ならタクシーなりレンタカーなり使えば何とかなる。家計が厳しくなったらまず先に削られる対象になるだろう。 でも、平日の朝に玄関を出てすぐ目の前に駐車してあるヴェゼルを見るのはいいものである。所有しているという満足感か。金持ちがろくに乗らないのに自宅の道沿いの駐車場にベンツなんかを停めて優越感にひたっているのと同じような感覚か。車にはそんな魅力がないわけではない。 しかし、車は走ってなんぼ。高級な一軒家に飾ってあってろくに乗らない外車より、週末毎に子供を乗せて走り回る国産車の方が幸せである。そう考えるとうちのヴェゼルも放置状態にしてはかわいそうである。朝、ヴェゼルと相対すると、きっと寂しそうな表情をしているだろう。こちらとしては罪悪感が湧いてくる。なるべく乗りたいと思うのだが、バイクのことと運転疲れがあるので心苦しいのである。
Jul 23, 2016
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今日は会社を休んで自立支援医療と精神障害者福祉手帳の更新の申請で役所へ行ってきたところ。滞りなく済んだ。 規定の診断書を受け取りに行った時には診断書作成料の助成の話はなかったので、もう助成は無くなったのかなと思ったが、今日は急に話がでて、診断書作成料の領収書はありますかと聞かれたが、もちろん何も用意はしていなかった。助成はあるようである。手帳の受取りの時に用意していないといけない。もしかしたら写真も必要なのだろうか。たぶん必要な気がする。 今年から変わったのはマイナンバーを記載する項目が追加になったところ。ざっと申請書を見た感じ、そこ以外は変わってないように見受けられる。 マイナンバーカードは作っていない。身分証明書は運転免許証があるから、わざわざ作る理由がない。あまりニュースで聞くこともないが何%の人が作ってるんだろうか。 今回の申請で初めて役所に申請する書類にマイナンバーを記載した。これでマイナンバーのシステムにアクセスできる人は僕がどこのだれで精神障害者で手帳を持ち自立支援を受けているということが分かるのだろう。それを知って何になるという気もするが。どうせなら住民税を安くしてほしいものだ。 そういえば、会社にマイナンバー通知カードの写しを提出しているのである。所属する組織と会社が役所に申告する所得なども筒抜けである。マイナンバーはどこまでリンクしていくんだろうか。 良心的に考えれば行政を効率化できるのだろうけど、うがった見方をすれば、金融機関まで適用を拡大して税金の取りっぱぐれをなくすのに寄与するシステムではないかと見ることもできる。やはり後者が目的なのか。 マイナンバーには2つのことを要望したい。1つは費用対効果を開示すること。マイナンバーのシステム構築には莫大な費用がかかっているだろう。それはペイできているのか。試算は難しいと思うが。もう1つはマイナンバーは究極の個人情報である。できれば本人がどこまでマイナンバーで本人の個人情報が管理されているのか開示してもらいたいものである。これもなりすましがあるだろうから難しいかもしれないが、自分のマイナンバーの台帳が雲の上にあり見えないというのもどうも気持ちがいいものではない。 プラス面にしろマイナス面にしろ、それが国民に顕在化するのは情報セキュリティ事故が起きた時で、それがどこまで自分に影響が及ぶかについて知っておくためにも何らかの情報開示はして欲しいものである。
Jul 1, 2016
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前々回に「別れ」という題で保有している車であるフィットを手放す記事を書いたが、実際に別れたのが昨日だった。要するに昨日は新しい車の納車日だった。 ホンダのお店では納車する時に安全を祈願して、新車の4つのタイヤにお酒をかけるのだが、その後にフィットにも事故なく今まで運転してこれたことに感謝するとともにこれからも事故のないよう、新車と同じように4つのタイヤにお酒をかけてあげた。6速ミッションのRSなので、やんちゃな運転をするユーザーにもらわれる確率が高いが、無事でいてほしいものである。 さて、こんどの新しい車。ホンダのヴェゼルである。ガソリン車ではなくハイブリッド車だ。マニュアルのフィットと比べると全く別物である。 新しい車を検討するに当たって小型のフィットより余裕のある車格のもので、車高が高く運転しやすいものにしようと思っていた。 贅沢を言えばレクサスのSUVや、トヨタのランドクルーザーなどもあるが、高級だとは思うが成金趣味的な高額な車は買う気がないし(買おうと思えば買えるが)、あまりにも馬鹿でかすぎる車も買う気はなかった。 そんな風に考えていて、買い替える車の候補はスバルのXVとホンダのヴェゼルに絞った。両方ともコンパクトSUVで価格帯も同程度である。XVとヴェゼルの違いは排気量である。XVは2Lでヴェゼルは⒈5Lだった。ここに少々不安はあった。しかし、ヴェゼルはモーターの出力が高いことから走りの違いはそれほど変わらないだろうと思った。このクラスの売れ行きも断然ヴェゼルが高い。 決め手となったのはやはりフィットの買取金額である。前もって某買取専門店で見積もりをしてもらった。ディーラーの買取金額より買取専門店の方が高い金額で買い取ってくれるような情報をネットで見ていたので、気になっていた。しかし、その情報にはいい意味で裏切られた。結果はホンダのディーラーの買取額が100%として、買取専門店の金額は75%だった。 もしこれが逆もしくは同等であったなら、XVの線も現実的に考えたかもしれない。フィットの前はレガシィグランドワゴン(今でいうアウトバック)に18年乗っていて、スバル車のクオリティの高さはよく分かっていた。もし、病気でなく元気でスノボなどをやっていたならば、間違いなく4WDのXVにしただろう。 でも、今の僕には4WDはいらなく、FFで十分だし、おそらくスバルでフィットを査定してもらったら、ホンダでの金額を上回ることはないだろうと考えた(ホンダより高かったという可能性は排除できないけれども)。 ともかく、ホンダのディーラーでの買取金額を聞いた時点でほぼ心の中では即決した。ホンダでの買取金額は新車の総額の1/3以上だった。ほぼ決めて説明を受けてから知ったのだが、今年の2月にヴェゼルはマイナーチェンジを行い、ホンダセンシングという安全運転支援システムを装備している。そんなところも購入意欲を後押しした。 今日は13年前に病気で亡くなった大学の友人のお墓参りにヴェゼルに乗って行ってきた。ハイブリッド車ならではの低速でのモーター走行を期待したが、エアコンをつけているとほぼできないようである。エアコンを消しての運転はあまりないだろうから、このへんの恩恵はあまり期待できないだろう。 誤算だったのが、オプションでつけたカーナビで、フィットのカーナビとは違うちんぷんかんぷんなルート検索をしてしまう。フィットの時のようなルートに戻ろうと四苦八苦してしまい、運転が雑になってしまった。そんなときに役に立ったのが安全運転支援システムで、危なそうなところで警告をだしてくれて助かった。 もっと誤算だったのが気力体力の低下である。今日は往復で70km程度走っただけだったのに、へとへとになってしまった。何故かバイクより車の運転の方が疲れる。体力が落ちて運転の持続時間が落ちることに相関関係があるかどうかは分からないが、やはり病気のせいで緊張を強いられる運転を継続すると、精神的につかれてダウンしてしまうのだろう。1年前、2年前より顕著になってきている気がする。 せっかく新しい車を買ったのに、精神面でのダメージで長時間の運転ができないことは悲しいことである。
Jun 19, 2016
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火曜日の早朝に叔父が亡くなり、我が家へはその日の夜に連絡があった。翌日、父と母が叔父宅へ弔問に行った。その日の夜に葬儀の予定を聞いた。日曜日が通夜で月曜日が告別式になるとのことだった。そして、兄と私とで通夜の受付係をしてもらいたいと頼まれたことも聞いた。ちょっとメンタル的に大丈夫かなと思っているのだが、兄と二人でということなので大丈夫だろう。ひっそりとした家族葬なので、弔問者も多くないと思われる。 叔父は血のつながりはない。父の姉の夫である。親戚の中では1番の人格者だと思われる。小中学校の校長を歴任し、叙勲も受けている。大々的ではなく家族葬にしたのは叔父の意向だと思われる。もしそうでなかったら、大変だっただろう。でも、もう90歳なので、社会的なつながりで来る人もそう多くはなかったかもしれないが。 クローゼットに眠っていた礼服を外に出した。多分、10年ぶりである。2006年に母方の叔母が亡くなった時に着て以来だろうと思われる。 1つ上の世代(父母とその兄弟姉妹)が亡くなるのは初めてではない。母方の叔父が40代で事故で亡くなっている。おそらく今の自分と同じ歳ぐらいだろう。社会人の1年目に大学の友達とバリ島に旅行に行き、自宅に帰ってきたら誰も居ず、叔父が亡くなったので葬儀に行っているとの貼り紙があり、リゾート帰りの格好のまま叔父宅に向かったら、事はあらかた済んでいた。そんな顛末だったので良く覚えている。荼毘に付された後だったので、叔父の死顔は拝めなかったが。 この頃は幸せであった。友達ともよく遊んでいたし、まさかその後孤独な精神病者になるなんて思いもしなかったろう。 もう1人は母方の叔母である。2006年、眠っていた礼服をクローゼットに収めた10年前だ。この人は癌だった。母の妹で、母とは仲が良かったので、よく車で叔母宅まで母を乗せていっていた。癌で初めて入院して、そのお見舞いに母を乗せて車で行った。 その時は僕は抑うつ状態になって、嫁と別居して実家に戻っていた時だった。それから叔母は5年闘病し、2006年に亡くなった。僕はというと、その年の初めに躁状態となり、鬱転して長い休職生活が始まった。叔母が亡くなったのは休職生活が始まった頃だった。この頃、自立支援医療を申請し、障害手帳も取得した。つまりは正真正銘の精神障害者となった。そして今日がある。 今回の弔事は今までとは意味合いが違うのではないかと思っている。今までの弔事は事故や癌での早逝だったが、今回は肺炎が原因の衰弱死、いわば叔父は90歳で天寿を全うした感がある。つまりは1つ上の世代が寿命を全うする時期になってきたのだと言える。多分、父も母も人生の終末を否が応でも意識する契機になったのではないかと思う。それは翻せば自分にとっては父と母の死期というものの輪郭がはっきりと見え始めてきた出来事なのかもしれない。
Jun 11, 2016
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「どうしてこんなに早く僕を手放すことにしたんだい。薄情じゃないか」 「ごめん、君が嫌いになった訳じゃないんだ。でも、何と言うか急に思い立って衝動的に決めたんだ」 「まだ僕を買って2年も経っていないじゃないか。あまりにもひどすぎるよ」 「本当に悪く思ってる。でも、きっと僕よりも君にふさわしいオーナーさんと巡り会えるよ。そう願ってる」 「僕は君にとってどんな存在だったんだい」 「そうだな、君を買う時には1番ベストな選択だったと思ってるし、運転は楽しかった。本当に満足感を与えてくれたと感謝してるんだ」 鎖骨の骨折から時間が経ち、経過は良好で、まだ痛みを感じることはあるもののラジオ体操などはほぼ骨折の前のようにできるようになった。そして、先週は約3ヶ月ぶりにバイクにも乗り、100km程度の走行に抑えたが何の問題もなく運転することができた。 無事に回復してきていることに心が踊り、少し高ぶっていたのかもしれない。何と言うか何か新しくしたい、変えたいという意欲が湧いてきた。それが車だった。少し躁気味になってきているのかなとも思ったが、会社での調子は相変わらずで周りの人と話したくもない。相変わらずです軽うつのようである。 今の車はホンダのフィットRS。フィットのフラッグシップモデルで、6速ミッション車だ。1.5Lの直噴エンジンを自由自在に扱える。スポーツ走行が存分に味わえる。 このタイプの車を選んだのはバイクに乗っているからである。どうしてもバイクでツーリングしている時間が多くなり、そうすると車に乗る時間の優先順位が下がってしまう傾向にある。それならば、バイクのようにスポーツ走行を楽しめるタイプの車がいいのではないかと考えて検討した結果、購入したのがフィットRSだった。 ミッション車の運転は楽しい。好きなギアで好きなだけエンジン回転数を上げられ、好きなようにエンジンブレーキをかけられる。オートマのパドルシフトでもできるが、左足のクラッチワークでエンジンとのアクセスを微妙にコントロールできるのがミッションの醍醐味ではないかと思う。信号などない緩やかなワインディングロードを走るのにはうってつけの車だと思う。 ただ、誤算があった。僕が住んでいるのは都市部である。信号が多く、どうしてもストップアンドゴーが頻発してしまう。発進時に毎回クラッチをきって1速に入れて半クラでつないで発進して加速したら2速にチェンジしてという一連の操作が煩わしい。オートマの場合はただアクセルペダルを踏むという単純な操作だけでスーっと走って行ってしまうので、いつも置いていかれてしまう。それが少しストレスだった。そういう車を選んだんだから仕方がないと思っていた。 もう一つ。問題は渋滞である。特に上り坂での渋滞などは最悪である。渋滞で毎回毎回、ミッション車での坂道発進は苦痛以外の何物でもない。ゴールデンウィークに千葉へ旅行へ行ったのだが、東京湾アクアラインで酷い渋滞に巻き込まれた。そのときの煩わしさがあって車の買い替えという衝動が湧き上がってきたのかもしれない。とにかく、先週の土日の2日間で車の買い替えを決めてしまった。 フィットRSとは短い付き合いだったけれど、共に走った4000kmは楽しかった。いい車だった。今はただ、次にいいオーナーさんの元へ旅立って欲しいと思っている。
May 28, 2016
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2月27日にバイクで転倒して右鎖骨を骨折し、2月29日に整形外科の初診を受け、右鎖骨遠位端骨折と診断された。それから数度経過観察で診察を受け、予後は悪くないとのことで最後に1ヶ月、間をおいて経過が良好なら診察を終了しましょうと言われていた。今日がその1ヶ月後の診察日だった。 もう、ほぼ生活に不自由しない状態にはなっていた。風呂も骨折前と同じように入ることができるようになっていた。ただ、どうしても無理しているところはあって、風呂上がりなどは右鎖骨に鈍い重みのようなものを感じていて、その症状は軽くなっても常時感じる状態だった。 それから、平日は骨折前は朝食後に軽くストレッチをして、出勤してから朝会時にラジオ体操をするのだが、右腕を使った肩や肩甲骨のストレッチや、ラジオ体操で右腕を上げたりするとまだ痛みが走る。骨折当初よりはましになってきたとはいえ、その前にくらべると不自由さを感じざるを得ない状態だった。 今朝、病院に行きレントゲン撮影をして診察を受け、そのことを医師に話をした。(骨の状態は問題ないと推察しているようだった)しかし、あまり真剣には聞いてもらえなかった。おそらく整形外科の医師レベルでは日常生活に不便がない状態になれば診察は終了ということなんだろう。障害が残るというのは腕が肩から上には上がらないような状態であって、痛くても上がるぶんには障害とは言えないようである。最後に簡潔に完治するのかと聞いたら、完治するだろうとの見解だったので、その言葉を信じたい。 でも、こちらが悩んでる症状を話しているのだから、鈍い重みのような症状は時間が経てば軽くなるとか、ストレッチして痛いのは風呂上がりに同じようにやってみれば痛くなくなっていくとか、何かこちらが安心できるようなコメントが欲しいものである。やはり骨折する前の状態には戻したい。治りが悪いようだったら、接骨院などに相談に行かなくてはならないかもしれない。 どう表現したらいいか分からないが、訳が分からず一瞬で怪我をして、意外と尾を引いたのは人生で2回目である。1回目は大学の時にテニスボールが目に当たって怪我をしたこと。この時は、練習の球出しをしているときに視野に入らないところからボールが飛んできてまともに目に当たった。眼は少しつぶれたようになって眼圧が下がり、瞳孔が開いた状態になった。総合病院に入院して手術を受けた。この時は一瞬パチンと音がして光ったような感覚だった。 2回目が今回の転倒事故。マクドナルドの駐車場から右折して道路に出るところで転倒した。道路に出ようとしたが、車がきていて慌てて停止をしたが、気がついたら転倒してバイクの下敷きになっていた。あれ、なんで転んでるんだという感じである。たぶん右足を地面についたはずが、轍になっていてバランスを崩したのだろう。自分としては足をついた気になっている。そうはならず200kgのバイクが倒れるのは一瞬の出来事である。反射的に反応した動きが裏切られると何が起こったか理解できず、ただ右に転倒してバイクの下敷きになっていた。救急車のお世話にはならずそのまま帰ってこれたから良かったが。 メンタルが低目だと物事を悪く考える傾向がある。今日の診察まで、もう治らないんじゃないか。障害が残るんじゃないかと鬱々と考えていたが、それが益々悪い状態へと自分を導いていく。今日は治ると言われたんだし、そういう考え方の悪いクセを脱するようにしたいものだ。
May 14, 2016
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2001年のゴールデンウィークは元妻とロサンゼルスとサンフランシスコに行った。サンフランシスコはきれいな街だった。是非、もう一回行けたらいいなと思う。その年の後半に病気になって、翌2002年のゴールデンウィークから14年が経った。ずっと(親はいるけど)ひとりボッチのふがいないゴールデンウィークを過ごしてきた。会社のことを考えると苦痛ではないんだけど苦痛の14年間だった。その14年目のゴールデンウィークが今日終わる。きっと来年も再来年も同じなんだろう。 苦痛ではないが苦痛という意味合いを分かっていただける人はいるだろうか。ひとりボッチで淡々と過ぎる長期休暇は会社とは別の意味で苦痛である。多分、軽躁状態ならあれこれとやることが浮かんでボッチではあるけれど多少充実した休暇を送れるけれど(でもボッチは寂しい)、軽うつ状態だとずっと気が滅入っていてあまりやることも浮かばない。生きてるようで死んでる休みとなる。軽うつで安定してから5年経つので、苦痛ではないんだけど苦痛な休暇を5年も過ごしている。 今年は多分一番最悪で、2月の終わりに鎖骨を骨折して、症状が完治せずに迎えた。骨折当初よりはだいぶましになったとはいえ、何かと右腕をかばわないといけないし、ストレッチやラジオ体操なんかはまともにできない。もう2ヶ月も過ぎたのにこの状態では、後遺症として残ってしまうのではないかと弱気になる。躁うつ病という治らない病気になってしまっているからその不安はなおさらである。しかも軽うつだから、物事を悪く考えるクセがある。余計に弱気になる。 それにしてもボッチはなるべくしてなった感はある。大概、男はボッチになりやすいのではないだろうか。女の人はだいたいつるんでる友達がいたりするけど、男は趣味の集まりなどにでも入っていないとボッチになりやすいと思う。それでも普通の人はたまには友達と会って飲んだりするんだろうから完全にボッチにはならないような気がする。僕の場合は病気のせいでコミュ障だし、もしも友達と会うとしても僕の境遇を理解してくれる奴がいるとは思えないし、病気の性質上遅くまで飲みには付き合えない。だから、それこそ相手側から近付いてきてもらえないとコミュニケーションが生じることはない。昔からの友人はいるけど年に1回会うか会わないかという感じだ。嫁さんと別れて病気になった時点でボッチになるべくしてなったのである。 会社に行っているとつらい。多少雑用はあるものの、ほぼ社内ニートで会社の人とのコミュニケーションはほぼ無い。自分がコミュ障だから積極的に避けているという面もあるけれど。毎日が苦痛の連続である。休みはというと無気力でひとりボッチでこれまた別の意味で苦痛である。ふと何かいいことがないだろうかと思う。でも、何かいいことを起こす力が自分にはないのではないかと思う。 僕の楽しい人生は2001年で終わったのだろうか。
May 8, 2016
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今年のゴールデンウィークは4月29日から5月8日と10連休。イベントは5月5日〜6日の家族旅行だけである。 昨年は8連休で、同じく1泊の家族旅行や1泊のバイクのツーリング旅行など、ブログや日記を見返してみると他にも色々とやっていて、充実していた。 今年はというと、2ヶ月前にやってしまった鎖骨の骨折が尾をひいて意気消沈してしまっている。今日は朝からミスタードーナッツに行って読書をしたのだが、調子に乗ってカフェオレをお代わりしすぎて気持ち悪くなってしまった。どうもよろしくない。今年はついてない。 鎖骨の骨折も、整形外科では全治1ヶ月〜1ヶ月半と言われていたのだが、いまだに腕を動かすのに制限があって、いくぶんましにはなったが生活するのに不自由する場面がある。 そんな感じなので、ゴールデンウィークというと、その前にいかに充実して過ごすか焦るのだが、今年は諦め感が漂う。 まぁ、双極性障害で語らう友達もおらず、健康体でも一人寂しくバイクに乗ることしかすることがないから、それができないだけではあるけれど。 ふと考えてみると、2001年のゴールデンウィークに当時の妻とアメリカに旅行に行ってから、これまで15年、ゴールデンウィークに自分以外の誰か(親を除く)と語らい旅行のような何か活動をするということはしていない。病気になり、15年間、親はいるけれどそれ以外の友達とか誰かと遊びに行くぐらいまでもしていない。ずっと独りである。 この病気になると社交性が失われると思っていたが、人によるようである。僕の場合はコミュ障になった。進んで人と交わるのを避けるようになった。 そんなだから、独りで過ごすゴールデンウィークも当たり前のことになった。この病気が治らない限りずっとそうだろう。この病気は治らないからずっとそうなのは確定している。 あと15年もすれば、親も他界し、おそらく毎日が独りのゴールデンウィークになる。その頃には大学の頃の気のおけない友達のようなAIロボットが僕の相手をしてくれるような世の中になってくれたらなと思う。
Apr 29, 2016
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いつもブログは自宅最寄り駅周辺のお店で書く。今日はジュンク堂に寄ってミスドでブログを書こうと思っていたのだが、あいにく席が埋まっていた。仕方ないと近くのスターバックス的なたぶんチェーンのカフェに入ったのだが、そこも満席。仕方なく最後の手段で外からは目立たない、雑居ビル4階にあるブレンド一杯700円の高級喫茶店に入った。人もまばらで年齢層が高い。空いていてテーブルの6人座れる席を独占している。珈琲も注文してから豆を挽いて淹れるので美味しい。こういうところで書くのも悪くはない。 さて、今日は何をしようかと昨晩から考えていたのだが、ブログを書くのと細々したこと以外は思いつかず、眠りについた。今朝は風もなく晴れていたので家にこもっていてはもったいない。ということで午前中はウォーキングをすることにした。 昔からお決まりのコースを早足で歩く。距離は約5.5km。歩数は約7,500歩だった。疲れた。帰ってきてから昼食を食べて、2〜3時間は横になった。疲れ方は違うけれど、結局長くテレビを見ようが車の運転をしようがウォーキングをしようが昔と違って疲れてしまうのである。2〜3時間で回復するだけまだいいのかもしれない。でも、バイクに乗るようにならず、ウォーキングなど適度な運動を続けていたらそうでもなかったかもしれない。分からないけど。 ウォーキングをしてみて年をとって以前と変わったことは、トイレが近くなってしまったこと。昔はそういうことが無かったのだが、これには困る。幸い中間地点あたりに食品スーパーがあるので、そこでトイレに入ることができた。このスーパーが営業していない時間だったらアウトである。これからはウォーキングする時はそれを頭に入れておかなければいけない。何だかこういうことがあると哀しいものだけど。 でも、ウォーキングは嫌いじゃない。僕はよりアウトドア的なことが好きだ。だから、家でテレビを見たり、車を運転するより(車は外を走るがインドア的だと思う)ウォーキングやバイクで走る方が好きだ。学生時代はスポーツマンだったので、基本的には運動が好きなのだけど、病気で体力が落ちてしまったのと、テニスなどをする仲間がいないので運動は諦めてしまった。病気になって一時復活してまだ30代なかばだった頃、テニススクールに通う体力はあったが、人間関係を築けず辞めた。それから本格的な病気が訪れて根本的に体力を奪われて今がある。 人間力が弱いと言われればそれまでだが、今は障害手帳を所持して障害者枠で働き、自立支援でメンタルクリニックに通い、障害年金を受給している。健常者とは程遠い。もし、健常者ならこの低たらくをなさけないと思うだろうが、こうなってしまっては事情を察してくれる人からは人間として弱いと思われたくはないものだ。もちろん、こんな状況になっても健常者と遜色ない強者もいるのだろうが。
Feb 11, 2016
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どうしてもどこかへ走りに行くというと、走っていて楽しいバイクということになるので、車はほったらかしになってしまう。という訳で、今日は車を動かして群馬県の太田市にある「道の駅おおた」に来ている。こじんまりとした道の駅だが、ケータリングカーが何台か止まっていて食事ができる。オリジナルのドレッシングも売っているようである。あとは道の駅おなじみの産直野菜だろう。 それにしても、何かすれば疲れる。午前中には録画して見れずにいたワイドナショーを見たのだが、疲れて突っ伏した。今も1時間半のドライブで疲れてしまっている。 精神的な疲れなんだろう。 昔、精神病になる前にワーカーホリックだった頃は精神的な疲れはなく、体力的に疲れていたので、スーパー銭湯などに行って疲れを癒す事ができた。 今は体力的な疲れはなく、精神的な疲れが著しいので、スーパー銭湯などに行く気はしない。でも、一日中寝込むというまでもいかない。とにかく、テレビを見るとか、車の運転をするとか、何か意識を集中するようなことをすると、どっと疲れてしまうのである。タチが悪い。たぶん時間が経過すれば疲れがでないようになってくるんだと思うのだが。 ワーカーホリックだった頃のどっとした疲れと、スーパー銭湯のサウナと露天風呂に入って疲れが吹き飛んだ頃が懐かしい。あの頃は若かったというのもあるのだろうけれども。 精神的な疲れはスーパー銭湯では解消しない。寝ていても解消しないし、寝込むほどの疲れではないから寝ていても退屈である。でも何かすると疲れる。本当にタチが悪い。 やはり、のんびりと極度には体力を使わない、気力もいらないウォーキングがいいのかもしれない。健康的にもいい。自然が豊富なウォーキングコースなんてあるといいのだけれど。 そればかりで、バイクも車も放っておく訳にはいかないが。
Feb 6, 2016
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2016年になった。幸先はよくない。年末年始はそうでもなかったが、休み明けの会社での勤務が思いの外きつく(精神的にということだが)、この3連休は気分がすぐれない。とにかく臥せがちである。そして、臥せっていても気分的に辛い。起きていても辛いという2重苦だ。明日は最終日だが、少しは改善していることを願いたい。 昨日と今日と、幾分かましだったのは昨日の夕方で、近所の東急ハンズへ出かけた。姪の大学の入学祝品のラッピングの材料を買うためである。 自分の経験で、入学祝いや就職祝いで親戚からお祝いをいただいていることは知っていても、大人同士のお金のやりとりだけで、自分に形に残るものはほとんど無かったのだが、唯一、就職祝いで父方の親戚からお祝品として財布をいただいたことがあった。使い勝手も良くて重宝したのを憶えている。 姪は大学の入学祝いで、もちろんお祝いとしてお金は渡すのだが、これは親の管理になるものと思われるので、形となって残るものをお金とは別にプレゼントしようと考えた。それは自分が財布をもらって良かったことが経験として記憶に残っていたからである。 しかし、色々考えたがなかなかどんなものにするかは難しい。普段からよく会って遊んでいる相手なら、デパートでも一緒に行って本人に選んでもらうということができるが、盆と正月に来たときに会うぐらいで(今年の年初は来なかった)、年頃になってきているので会話もほとんどない。そんな相手のお祝品をどうするか。 ネットで調べると、やはり財布だとか化粧ポーチだとかバッグだとかそんな類が多い。このへんの品は個人の嗜好性があるので、こちらで買ったものが気に入ってもらえるかは難しい。それこそ本人と買い物に行って選んでもらうのが一番いい。だけどそれは難しい。大学に入学するからパソコンとかもあるけど、高いし、情報系の学校なので学校から支給される可能性もあるらしい。 などなどと色々考えて、「印鑑」にすることにした。百均でも買えるものだけど、ネットで調べると色んな種類があって、牛の角のやつやチタン製やら色々とあるのだが、材質にはこだわらず女の子が喜んでくれそうな可愛いデザインのものにした。 東急ハンズやロフトでも探してみたが、ピンとくるものが無かった。お花をあしらったものなどもあったが、これも嗜好性がある。仕方なくネットで探してみて、楽天のショップで見つけたのがこの印鑑である。 ネットで買って心配していたのはどんな風に納品されるかだった。東急ハンズやロフトなど対面の店ならギフトラッピングが頼めるのだが、ネットだとそれがどうなるか分からない。それなりに包装されて届くかと期待していたが、心配していた通りほぼ商品むき出しで緩衝材(いわゆるプチプチ)で包まれているだけだった。仕方なく、ラッピングすることにした。 東急ハンズのラッピングコーナーをうろうろして写真のものを買った。 左の小箱は名刺などカードを入れるような小箱で、真ん中は少し光り物の緩衝材。右側はミニサイズの、たぶん指輪やピアスなどを入れるであろう紙袋である。 小箱に緩衝材を入れて、印鑑を収めた。 ミニサイズの紙袋は丁度良い大きさだった。 思いの外ラッピングにお金がかかってしまい、費用の5分の1がラッピングの材料代になった。こんなラッピングで一体何が入っているのか本人が期待して、中身を開けたら「何だ印鑑かよ〜」となりそうで頭がいたい。 早いもので姪が大学である。病気になって実家に戻って兄家族のマンションが近所にあったので子供が小さい頃は遊び相手をよくさせられた。 実家に戻ってすぐの頃、姪が幼稚園児で、テレビを見ながらスマップの「世界で一つだけの花」を踊っていたのを憶えている。月日が過ぎるのは早い。就職祝いのことを考えなければいかなくなるのもそんなに遠い先のことではないだろう。
Jan 10, 2016
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昨日は無事に大学の友達との忘年会に出席することができた。病気で生活リズムを崩せないので一次会で切り上げたが、多少は話をすることができた。それでも就寝時間はいつもより1時間以上遅くなって、あまり満足な睡眠をとることができなかった。 いつもより遅く起きると両親は自宅の大掃除。所在なく過ごし、少しだけ父の掃除の手伝いをした。毎年だがこの大掃除の時は憂鬱になる。大掃除を完全に親任せにしてしまって自分はほとんど傍観者。もっと手伝わないといけないという義務感はありながら手を出さない卑怯な自分がいて、両親が他界したら一体どうなるのかなんてことを考えると気分がすぐれなくなってくる。いてもたってもいられなくなって、自室のベッドで寝逃げした。こんな僕を両親は一体どう思っているのだろうか。病気だから仕方ないと思っているのだろうか。 しかし、時の移ろいとともにゆっくりと変化は訪れるのだろう。今は最悪な状況しか考えられないが、変化は徐々に進み、気付いたら自活ができているのかもしれない。そう思いたい。 今年はどうだったかというと、特に大きな出来事がある訳ではなかった。しかし、只々苦しい会社生活を乗り切ったというところだろうか。相変わらず単純作業しかできず、ほぼ社内ニート状態。いつもぎりぎりの状態で苦しい一日一日を消化していく。これからもその状態は変わらず、いつか破綻するまで、それがいつになるかは分からないけどづっと続いていくんだろう。 休みの日はだいたいやる事は決まっていて、乗る頻度は減ったが、バイクに乗るか、思いつきのブログを書いているか。 ガジェット系だと2つ新しい事があった。バイクにアクションカメラを付けて撮影し、動画編集してYouTubeにアップするということに挑戦してみた。動画編集などは試行錯誤で苦労した。YouTubeにアップするとどうなるのかと思っていたが、これが鳴かず飛ばずでアクセス数は雀の涙。撮影して編集してと手間をかけた割にはあまり多くの人には見てもらえないことが分かり、一気にモチベーションが下がってしまった。アクションカメラは深い眠りについている。復活することはあるだろうか。。。 もう1つは最近のことだが、AmazonのfireTVというのを購入した。もともとAmazonのプライム会員だったが、プライム会員向けにプライムビデオという、無料で映画などが観れるサービスが始まり、リビングの大画面テレビで観るためにSTBであるfireTVを購入した。YouTubeもテレビで見れるので、ちょいちょい使っている。ただ、親がテレビっ子なので、あまり占有ができない。 さて、来年はどうなるだろうか。 ブログは拙い内容ですが、思い立ったら書いています。特に何か新しいガジェットを買ったらそのこととか。無かったら日常のことを。 今年読んで下さった方に感謝します。皆さんの来年はが幸多き年となりますように。
Dec 31, 2015
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最近は星乃珈琲というところでブログを書きにくることが多い。駅周辺の喫茶店に比べるとコーヒーは美味しい。郊外にあるので、車で来店する。普段車を動かすことが少ないだけに、車を使う機会が増えていいと思っている。歩かないから運動不足になるのが否めないけれど。明日の午前中はウォーキングでもするかな。 今日の午前中は自室の大掃除をした。とりあえず自室は年を越せる。 しかし、普段掃除は全くしないので、大掃除というより通常の掃除と言えなくもない。 掃除の頻度は3ヶ月に1回というペースである。今回の掃除はその内の1回で、たまたま年末なので大掃除と称しているだけである。 掃除をしない理由の1つは、狭いフロアにパソコンやらテレビやらHUBやら何やらと機器が多く、その配線類で掃除機がかけられないのがある。掃除をする時はそれらを全部とっぱらって掃除機をかけるので、ちょっとした大仕事になる。 もう1つの理由は自分の部屋に居ることが少ないということ。寝るとき以外はほとんどいないかもしれない。ちょっとパソコンを使うぐらいか。居ることが少ないと埃がたまらない。たまに少し綿埃がたまっている場所があったりするが、クイックルワイパーでふき取ったりしている。 3ヶ月というとかなり無精で埃まみれの部屋にいるということになるのだけれど、そんなに埃っぽいと思ったことはない。埃は普段足を踏まない場所に静かに貯まっていて、ドタバタ騒ぐわけでもないので舞い上がることはない。小さい子供がいると、こまめに掃除をしないといけないのだろう。 問題は病気になって離婚して一軒家の実家に戻ったということ。基本的に無精なので、自室はなんとかしても、家全体となると頭がいたい。戻ってからは大掃除の手伝いはしてきた。これから年老いた親がますます衰弱していくことを考えると暗澹たる思いがする。できれば一軒家は解体してしまって駐車場にでもして、親には施設にでも入ってもらって自分はワンルームマンションでも買って住みたいなんて思う。 しかし、母親が自宅への思い入れが強い。きっと死ぬまで今の自宅に住みたいと思っているだろう。4人家族だったので、子供部屋が2つある。そのうちの1つが父の部屋、もう1つが僕の部屋でこれが2人のテリトリーである。残りは親の部屋と和室とリビングとキッチンと脱衣所があるが、実質的に全部母のテリトリーであり、ということは自宅の主は母親である。この一軒家は母親と運命を共にするのである。 今の自宅の建築には父親はほとんど関与していない。金銭面の計画も、設計士とのやりとりも、ほぼいっさいがっさい母親がやっている。自宅への思い入れがは並大抵のものではない。僕も病気もせず離婚もせず家を購入していたら、それなりの思い入れはあっただろう。 母親は来年で77歳になるが、すこぶる元気だ。同年代の元気な人たちと色んなところへウォーキングに出かける。しかし、無精で頼りにならない精神障害者の息子をもって嘆いていることだろう。
Dec 26, 2015
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ちょっとブログを書こうとして混乱した。いつものようにiPod touchにBluetoothキーボードをつなげてブログを書こうとしたら、いつもの日本語入力と英字入力を切り替えているキーが効かない。そのキーを押すと、アプリが終了してしまう。他のキーを試してみてもそのような挙動は起こらない。困ってしまって、メーカーのWebサイトを見てもそんな情報は見当たらない。少し冷静に考えてみて、それでは端末側のキーボードで入力モードを変えるしかないなと気付き、めんどくさいなと思いながらブログを書き始めた。iOS9にアップグレードして、こんな感じで色々と混乱している人は多いんじゃないかなと思う。 さて、ちょっと思うこと。人に嫌われているのって本当に空気で分かる。僕は人事部に所属しているが、僕が躁うつ病で精神障害者であることは部の課長以上の責任者では共有されていると思う。今の上司はある程度理解があると思っている(でも、僕が部下でなくなったら肩の荷を降ろすのであろうが)。責任者以外で同じ課以外の人は知っているかいないかは分からない。きっと知っている人が多いような気がする。 今週の水曜日は人事部のレクレーションでバーベキューがあった。普段は話をすることもない、別の課の人と交流する場だ。席はくじで決められる。右隣は課長ではないが、責任者レベルの人だった。僕のことを疎んじてる空気を漂わせている。向かいの右側は以前同じ課だった人で、当然病気のことは知っている。でもまだ理解のある感じ。向かいの人は少し前に異動してきた人で、たぶん僕の病気のことは知らないという感じであった。 協働で作業しながら肉や野菜などを焼いて食べる。そうしている内は少し会話をしながらも黙々と4人で一緒に居たが、食べるものを食べてからはだんだん微妙な空気が漂う。右側と向かいの右側にいた人はいつの間にか別の席へ移動して、向かいの人とは少し会話をしたが、あまり馬が合わず、その人もいつのまにか席を異動していて、1人ぽつりと残された。僕を快く仲間に入れてくれる人なんていないことは分かってるし、僕も自ら入っていく勇気がないからずっとその席にいるしかない。結局、会の終了を待たずして場を後にした。 僕の場合は病気のせいでコミュニケーションに障害をきたしていることを強く感じる。最近思うのは、躁うつ病でも人とのコミュニケーションに障害があるとは限らないんだなということ。SNSでやりとりをして集まって賑やかに楽しんでいる人達もいる。そういう人達は、気分の上がり下がりはあるのだろうが、孤独の苦しみを感じないだけましだと思う。
Sep 19, 2015
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昨日は秩父方面へプチツーリングに行った。楽しかったかと問われれば、多少は...といったところだろうか。この夏の酷暑で自宅でクーラーをつけて鬱々と閉じこもっているよりは、風を切ってバイクで走っている方がまぁ楽しいというところだろうか。ただ、懸念は疲れ方である。自宅に帰ってきて思いの外疲れが蓄積されているのを感じた。このブログを書いている今でも余韻がある。往復でたった180km走っただけなのにである。多分、2年前ぐらいは千葉の南房総まで、約倍の距離を走ったりしていたことを考えると、体力が衰えているのではないかと少し不安になった。 今日の午前中はそんな不安感を感じながら、TBSのサンデーモーニングを見ていた。お決まりで話題は安保法案のことなど。僕はどちらかというと、毎朝通勤時にiPodで産経新聞を見ているからかどうか分からないけど、積極的に賛成という訳ではないが、一方的に反対という訳でもなく、まぁ仕方がないだろうという消極的な賛成派なんだと思う。多分、今は絶対反対を意思表示して国会でデモをしている一部の人たちを、どちらかというと賛成か反対か無関心の人達が外野で見ているという構図なんだろう。サンデーモーニングでは、キング牧師の言葉を印象的に放送していた。それは、本当に怖いのは大衆の沈黙と無関心であると。 これには少しドキリとした。でも、どちらかというと左よりでたぶん安保法案反対に近いサンデーモーニングのデモ活動に同調した沈黙している大多数に対する皮肉なんだろうなと感じた。片や国営放送のNHKはニュースで大々的な中国の軍事パレードや、アメリカ軍との離島上陸作戦を意識した協働軍事訓練などを放送している。視聴率はサンデーモーニングなんかより断然上だから、大多数の大衆はやっぱり安保法案仕方ないんかな、と思う。そんな感じではないだろうか。いずれにしろ安保法案は可決成立するのだろう。 毎日夕食を済ますと、自室でパソコンとにらめっこ。YouTubeのももクロのライブ動画にしばらく「DNA狂詩曲」という曲があがっていて、よく視聴する。その歌い始めの赤担当、百田夏菜子が歌う歌詞は「泣くのは自分しだい笑うのも自分しだいさぁどうすんのか決めな...」だ。もし安保法案が国民投票になったら腹を決めて賛成か反対か主体的に決めなかればいけない。もしその時、結果によっては沈黙と無関心の恐さが現れるのかもしれない。 でもまあ、個人的には株価の動向とマイナンバーの今後の運用が気になるんだけど...
Sep 6, 2015
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しばらく前の朝ドラ、「花子とアン」をやっているときは、一週間分を録りためて土曜の午前中にまとめて見ていた。次の「マッサン」でも続けていたが、いつ頃だったか見た後にあたまのじわじわがひどくなり、寝込まないと治らないようになって、朝ドラの録りためを止めた。今日は先週の日曜に録画しておいたワイドなショーを午前中に見たのだが、やはり同じような症状になった。原因は分からない。やはりうつの日内変動で午前中は不調なのだろうか。映像を見るだけでストレスになってしまうのは困ったものだ。 ワイドなショーを録画したのは訳があった。母親の入院準備で車で買い物に行ったからである。 最近になって、母親が身体の右側に違和感があるとか、バランスがとれず自転車にうまく乗れないということを言っていた。かかりつけの医師に相談しても加齢のせいだと言われてとりあってもらえなかったのだが、看護師に相談したところ、一度脳ドックを受けてみてはと勧められてクリニックを紹介された。そのクリニックに検査の予約をしたのが先週の土曜だった。 当日は昼の12時に予約した。クリニックは車で5分ほどの所で、母と付添いの父を車に乗せてクリニックまで送り、自分は自宅に戻って待機していた。昼食が遅れてお腹がすくなぁぐらいに思っていた。しかし、なかなか迎えに来てくれという連絡がこない。3時近くになったのでしびれを切らして親の携帯に電話をかけた。そうすると、何か深刻な雰囲気で母親が話をした。脳に血がたまっているようで、これから急いで救急病院へ向かうようクリニックの先生に指示を受けたと。急いで車でクリニックへ向かった。 クリニックに着き、両親を乗せて救急病院に向かった。だいたい15分ぐらいの所である。両親はクリニックの先生からは、救急病院で緊急手術もありうるようなことも言われているような雰囲気があり、不安感を募らせていた。 救急病院に着いて受付にクリニックで撮影した脳のMRIの画像を保存したCDとクリニックの先生の所見を渡し、医師の診察を待った。しばらくして診察室に呼ばれて母と父が入った。少し経って母と父が診察室から出てきた。とりあえず緊急手術というほどではないということが分かった。ほっとした。でも、近いうちに手術した方がいいだろうというのが救急病院の医師の所見だった。 症状は硬膜下血腫のようで、救急病院の医師からは局部麻酔をして頭蓋骨に1円ほどの穴をあけて血腫を取り除く手術について手書きで説明を受けた。ただ、ここの救急病院は自宅から離れていて不便なため、自宅に近い日赤病院で入院して手術を受けたいと申し出て、紹介状を書いてもらった。そして、翌日の日曜には入院に備えて必要なものを買いに行った。 日赤病院での診察は火曜日の予定になった。入院は1週間程で済むとのことだったが、月曜、火曜と会社に行っても少し不安感があるのは否めなかった。そして、火曜の勤務から帰って診察の結果を聞くと、日赤病院の医師の所見では急いで手術するほどのものではなく、経過によっては手術する必要もないかもしれないとのことだった。胸をなでおろした。薬を処方されて、1ヶ月後にまた診察を受けることになった。救急病院の医師の所見を考えると、日赤病院ではなく救急病院に任せていたら手術をうけることになっていたのだから、ラッキーだった。こうして我が家は平穏な日々に戻った。 でも、どういう形か分からないけれどいつかはこんな(もっと深刻な)日は訪れる。そういったときの気持ちの予行演習的なものになったのかもしれない。
Aug 29, 2015
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今年もなんとなく夏休みになった。8月7日から16日までの10連休である。いいことは会社での精神的な辛さから解放されるということぐらいか。中年バツイチ独身男にはそんなに休みをいただいてもありがた迷惑とまではいかないが、有効活用はできない。英語や資格の勉強をしているといった意識高い系の人はいいのかもしれないけど、人生なげやり系の僕にとってはたいくつな日々を送るしかいない。 最後のリア充な夏休みは2001年の夏だった。やはり長期の休みををとって妻とイタリアに旅行した。それから非リア充な夏休みになって14年目である。何してたんだか良く憶えてない。ただただ長い休みをとって無意味な日々を過ごしてきたんだと思う。長期で休職をしていたときは、意識せずとも毎日が夏休みであったが。 14年というのは長い。もし病気にならず、離婚せず、子供が生まれていたら毎年家族としての夏休みを過ごし、子供が成長すれば中学生になっている。それに代わる充実した何かが得られたかといえば何もない。ただただ無意味に時が過ぎた。何の成長もなかった。株式投資はそれなりに勉強したが、今となっては勇み足で損切りしてしまい、売らなければ今頃おそらく株価は購入時点まで回復していたのだろう。すっかり痛い目にあって、もう株に投資する気は失せた。 ちょっといけない。これは気分をを害するブログになってしまいそうだ。自分の不幸な境遇を突き詰めていくと、どんどんマイナスな方向に行ってしまって、どつぼにはまる。 とにかく猛暑が続いている。今年は特別だと思う。自室は2階だが、会社から帰ってエアコンで部屋を冷やすけれど、眠る時にエアコンをタイマーで切るようにしておくと、朝の室温は30℃ぐらいになっている。日中に屋根裏が熱せられて相当な温度になっているんだろう。それが冷めずに熱いまま下の部屋を温めるんだと思う。こんなことは今までで初めてである。今日は朝までエアコンをつけて寝た。さすがに少し怠さが残る。 今は休みといったらバイクに乗るぐらいしかやることがないのだが、この暑さではそれもままならない。7月にバイクで秩父に行ったが、あまりの暑さに頭痛になった。ヘルメットが黒なので、余計に暑さを吸収する。その時に比べて今は暑さが段違いだ。とてもバイクに乗ってどこかに行こうなんて無謀である。なので、お盆の帰省渋滞を避けて、車でどこかへ行こうかと思っている。暑くて観光などしていられないから、ご当地グルメでも食べて帰ってくるぐらいだが。(だいたい、一人で観光なんてしても楽しくない) これから先、独りで虚しい人生が延々と続いていくことを考えると人生どうでもよくなるものだ。と、最後は自虐的に締めてみる。
Aug 7, 2015
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先週の勤務は前半は酷暑の日が続き、朝の掃除当番のため、毎日朝早めに出勤する日が続いたため、疲れが溜まる一週間となった。そんな中、(自分としては)待望のiPod touchの新機種のリリース発表があった。 買うかどうかは少し迷った。今使っている第5世代に何の不満も無かったからである。しかし、前評判に反してCPUはiPhone6に搭載されているA8チップが搭載されるとのこと。僕はグラフィカルなゲームをすることはないので、その恩恵を感じる余地は僅かだけれど、触手が動かされた。今使っている第5世代を親に譲り、新しいiPod touchを購入することに決めた。アップルに発注したのは木曜の夜。金曜には注文が確定して即日に発送。土曜日の午前中着指定で手配した。土曜日は疲れから出かけることはせず、iPod touchの移行作業にあてるつもりだった。 しかし、土曜日の午前中に商品は到着しない。しびれを切らして午後2時頃にアップルに電話した。そうすると、商品の到着は火曜日になってしまうとのこと。どうやら発注した時点の情報はあくまでも最速の予定の情報であって、納期の確定とは違うということが分かった。しかも、火曜というのもまだ目処ということのようである。納期は確定すると追ってメールで連絡があるとのことだった。 よく考えるとアップルにネットでハードを注文するのは初めてだった。(当然、iTunesで音楽やアプリは買っていた。これはソフト)物品を注文して宅配で受け取るのはほぼAmazonで、商品の発注から受け取りまでほぼ裏切られたことは無かった。多分、それが普通だと思ってしまうのが間違いなのだろう。Amazonの納品のハンドリングが極めて優秀なんだと思う。プライム会員だと即日配送なんて特典もある。ECにおいては、顧客への納品のスピードと正確さは生命線であるといえる。Amazonとアップルを比べるのは酷かもしれない。しかし、今回は新商品がリリースされてすぐの発注だったので、アップルとしても通常通りにはいかないという事情もあるようである。 という訳で、アップルの人と電話で話して事情が分かった時点で最悪作業は来週の土日だなと腹を決めた。事情が分かって、商品が到着しないいらいらも治まった。やることがなく、今使っているiPod touchを譲ることを親に伝えて、少し使い方をレクチャーした。親は昔買ってあげた化石のような第3世代のiPod touchを使っている。なので、どんなものかというのは分かっていて、抵抗感は無い。 僕の親は、なんというか、ネットを使うという感覚に乏しい。普通だとネットで検索して調べ物をしたり、動画を見たりなんてことになれば、iPadが選択肢になるけれど、今の第3世代のiPod touchは病院の待ち時間に青空文庫を読むみたいな使い方をしているので、携帯性のあるiPod touchが都合がいいのである。それと、ネットにつながった自宅では株の情報を主に見ている。自宅のリビングには17インチの大画面のWindows8.1のノートPCを置いているが、親は触ることも無い。パソコンは近寄り難く、iPadを使うほどネットリテラシーがないのである。ちなみに、ゲームなどは昔に兄がゲームボーイを買ってあげたりしたが、とうの昔に引き出しにしまいこまれて陽の目は見ていない。 今朝はそんな親が蓮の花を見たいとのことで、早朝に川越にある伊佐沼というところに行った。少し時期が遅かったらしく、大半の株はもう花を散らしていた。少しだけ咲いている花を見ることができた。
Jul 19, 2015
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今朝は6時20分にパチリと目が覚めた。いつも会社に行く時に起きる時間である。いつも土曜日は緊張感が緩んで、遅めに目が覚めるものだが、たぶん昨晩早めに眠りについたせいだろう。あまりにも気持ちよく覚醒してしまったので、早朝ウォーキングをしてみようと思い、寝床から起きた。 前回のブログにも書いた通り、会社とバイク中心の生活で運動不足になっており、これからは少し運動をする時間を作っていこうと考えていたところである。今朝にウォーキングをするつもりにはしていなかったが、まずは試しにと思い歩いてみることにした。 歩くコースは決まっていて、病気で休職するたびに体調を整えるためにウォーキングをしていた。きょうはいつもより長めのコースにしてみた。前回休職して復職したのは2013年の11月だったので、たぶんウォーキングをするのは1年半ぶりぐらいかもしれない。 万歩計はシチズンのpebというのを使っている。久しぶりに使ってみた。 万歩計の数値は 歩数:8,174歩 距離:5.92km 時間:70分 速度:5.5km/h という結果だった。 病気の時はいつも歩く距離は3km程度だったので、長めのコースなのでやや距離があった。速度は5.5km/hということで、まぁ、速足ウォーキングといえるだろうか。しかし、運動不足と会社でのストレス、軽うつ気味なのが祟って、ウォーキングから帰ってきてから疲れがとれず、午前中はほとんど寝床にいるという有様だった。世間ではウォーキングよりスロージョギングというのに、それには程遠いようである。今日ぐらいのウォーキングを続けて、疲れがあまり残らないレベルになるだろうか。とにかく、6kmの速足ウォーキングをするとこういう結果になるということが分かっただけよしとしよう。 なんとか午前中で疲れがとれたので、予定通り大学の亡き友のお墓参りに車で行くことにした。 命日は6月4日で、当日の朝に大学の友人達に亡き友の13回忌であることをメールした。3人から連絡ありがとうと返信があったが、他の連中からは何も返信は無かった。 亡くなってから暫くはみんなで連れ立って命日の頃にお墓参りをしたものだが、それも2年前に10年が経ったことを期になくなった。今回メールして、一緒にお墓参りに行こうという返信がもしかしたらあるかなと期待したが、期待は裏切られた。うんともすんとも連絡はこない。しょうがないので、一人寂しく亡き友のお墓参りに赴いた。 大学の友達は僕以外は全員家族もちで、会社ではそれなりの地位に就き平日は仕事(休日も仕事かもしれない)、休日は育児に忙しい。14年前に精神病になって会社での行く末を棒に振り、12年前に離婚して家族というものを失った僕とは住む世界が違うのである。僕のメールを見て、過去の事を少し振り返って、都合がつけばお墓参りに行こうかなといったところだろう。一人、亡き友とは高校から友達だった奴がいて、そいつからは何かしら連絡があってもいいんじゃないかなと思ったが、連絡はなかった。人って変わるものだなと思った。 亡き友は悪性リンパ腫で亡くなった。生きるか死ぬかの確率は半々の病気のようである。亡き友は運が悪かった。お墓の場所は五霞村。車で1時間ぐらいである。お彼岸でもお盆でもないので、亡き友のお墓だけお花が飾られていた。親族でささやかな13回忌の法事をしたんだろう。ここにくると12年前から時が止まっていると感じる。墓石の裏に彫られた友の戒名と命日を見るとそう感じる。 他の友達からすると、12年間健全で忙しい時を過ごし、遠い昔のことだと感じるのかもしれない。僕は12年間不健全で虚しい時間を過ごしてきた。そういう意味では忙しく健全な時を過ごしてきた連中より時間を止めた亡き友に特別な親近感を感じるのである。 健全な12年間は取り戻せないし、これからも不健全で虚しい時間を過ごしていくんだろう。死んで亡き友と再会したら、苦しかったなと慰めてもらいたいものだ。
Jun 6, 2015
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今週は風邪をひいた。前の日曜日に少し風邪気味だったんだが、月曜日の午前中に仕事をサボって上着を着ずに外でツイッターをしていたら、思いの外涼しい風にあたってしまい、悪寒がした。案の定、夕方にかなり怠くなり、なんとか家に帰って体温を測ると39℃ぐらいであった。翌日は会社を休んで医者に行った。医者で測ったときには体温のは37℃に下がっていた。水曜と木曜は仕事に行ったが、まだ調子が悪く、木曜の夜に扇風機をかけて寝たのだが、タイマーで止めるのを忘れて、一晩中扇風機にあたってしまい、寝起きに怠さがあって念のため会社を休んだ。土日は結局風邪の余韻で怠さがあり、外出する気もおきず、家で悶々と過ごしている。家にずっと居るというのも久しぶりである。何か文化的な趣味が欲しいところである。 最近感じているのは体力の低下。ずっと休みにはバイクでどこかへ走りに行くかを考えていて、だいたい1日ツーリングして1日は休むというような土日を過ごしてきた。バイクもそれなりに疲れる。40〜50km走ったら休憩するようにしている。50歳を超えても何kmでも走っていられるという人もいるようだけれど、僕の場合は病気で体力が低下しているのでそんな訳にはいかないんだろう。でも、疲れるとはいえ運動して疲れるのとはちょっと違う。基本的にバイクはまたがってハンドルを握っているだけだから、ほぼ体力は使わない。だからずっとバイクにばかり乗り続けていたということは体力が低下しているに他ならない。それを感じたのは久しぶりにポタリングをした時で、こぎだしてすぐにへたってしまうという感じだった。そこで、休みの過ごし方を少し変えていこうと思った。 ふと思い浮かんだのはジムでのトレーニングだが、一般のジムは費用がかかる。そこで思い浮かんだのは公営のジムで、確か川越運動公園の体育館にジムがあると思って行ってみたのだが、1回の利用が300円のところ、市外の者は倍の600円とられるようであった。とりあえず使うのはランニングマシンでウォーキングをしようと思っていたので、それならば家の近辺を歩けばいいかという結論にいたった。ウェアとシューズはあるので、ショプでキャップを買った。そんなことをしていたのが前の日曜日である。だから、土日は朝にでもウォーキングをしようと思っていたんだが、予定通りにはいかなかった。できれば来週の土日はから始めてみたい。 これから朝にウォーキングをして、たまにバイクに乗るとして、日中にやることがない。土日は本屋にでもいって文化的な趣味の本を物色しようとでも思っていたのだが、予定が狂った。本屋に行ったからといっていい趣味が見つかるかどうか分からないけど。
May 31, 2015
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昨日は部長の送別会。帰りが遅くなることは分かっていたので、生活リズムが乱れるのを考慮して今日は有給休暇をとることに決めていた。ルーブル美術館展をやっているということは事前に知っていたのだが、正直全く興味が湧かなかった。 芸術というと、小中学校で吹奏楽をやっていたので、(それでも子供の頃やっていただけだから大して分からないのだけど)音楽には興味が湧く。しかし、絵画となるとさっぱりである。昨日までは全く意識していなかった。 休みがいよいよ明日となって、会社のパソコンで今やっているイベントを洗いざらい探してみたものの、面白そうなものがない。バイクで出かけるにはきついし、他にやることもない。結局、ルーブル美術館展に行くことにした。 興味が湧かないとはいうものの、実物を見るためには地球を半周まわってフランスまで行かなきゃならない。それが、電車を乗り継げば1時間程度で見に行ける。たぶん今実物を見なかったら一生見ることはないだろう。そう思うと展示会を見に行く気が多少湧いてきた。今朝行く前に展示会についてのブログを見て、紹介されたいくつかの絵について少し知識をつけて行くことにした。なので、今回の目玉であるフェルメールの天文学者だけを見るための物見遊山的なものでなく、少しは楽しめたかもしれない。 でも、展示の演出や前評判もあるかと思うのだけれどフェルメールの天文学者にはその絵の精緻さに感嘆した。写真でさえ叶わない、より3次元に近い二次元を実現している感じがした。これは現物を見ないとわからない。ポスターなどで写っているレプリカとは違うのである。こんなことを感じることができただけ、行った甲斐があったと思う。早めに家をでて、11時には東京ミッドタウンで食事をして、昼に会場に行ったのも正解だった。でも、それでもかなり混雑していた。展示は6月1日までらしいので、焦って来る人が多いんだろう。もう土日にいくことはおすすめできない。フェルメールの絵の実物を長い間待って確認しに行くだけになることを覚悟しないといけないかもしれない。 実は、ルーブル美術館の絵を見るのは2回目である。(1回目はフェルメールのフェの字も知らなかったけど。。。)まぁ、知識もないし、物見遊山に誰でも分かるモナリザを見に行ったようなものか。新婚旅行でのパリ滞在の定番コースである。その当時の妻はオルセー美術館にも行きたかったようである。僕は、あっそう、という感じ。つまりは美術館好きな女性に連れて行かれるモナリザぐらいしか絵なんて分からない人間なんである。 でも、フェルメールの絵もそうだが、モナリザも実物は本当に違う。モナリザはどこから、どの角度から見ても目が合うのである。そして、こっちを見て微笑んでいるのである。フェルメールの絵は感嘆させられるが、モナリザは不思議な感覚を抱かせるという感じである。やはり話題になる絵というものは僕のような人間にでも魅力を感じさせるものなんだろう。 今回は「ルーブル」「フェルメール」「平日の休暇」「何もやることがない」という状況が重なってこういうことになった。たぶんこうなることはそうそう無いだろう。そうでなくても美術には興味が無いんだし。きっと美術鑑賞好きの彼女でもできない限り、こういう機会は訪れない気がする。 人は1人より2人、2人より3人と増えていった方が様々な経験ができるのだと思う。一人では限界がある。一人気ままにということもあるけれども、楽しみを他の人と共有するのは人生を豊かにする。やはり家族4人旅行なんて一生の思い出を作れるだろう。一人では好きなことを好きな時に好きなだけやれるけど、思い出には残りづらい。だからこうやってブログを書いたり、それをツイッターに載せたりして人と共有しようとするのだろう。
May 21, 2015
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バイクを買って、走るようになって約3年経った。バイクを運転していると、車を運転しているよりは、ロードバイク(自転車)やランニングしている人をより身近に感じる気がする。車という密閉された空間と身体をむき出しに乗っているのとの違いだろうか。そして、確実に言えることは、ロードバイクは徐々に、ランニングをしている人は急激に増えているという気がする。 バイクで走りながらそういう人達を見ると、何とも言えない気分になる。焦りというか何というか。 僕はスポーツ(といっても大学のテニスサークルだが)をしていたので、大学を卒業して会社に入ってからも、会社提携のスポーツクラブのランニングマシンで30分程度は走ったりしていた。多分、運動するのが好きだったのだと思う。 スポーツをしなくなったのは、やはり結婚した相方の影響が大きい。会社のテニスクラブから次第に足が遠のいていった気がする。会社の仕事も次第に重荷になってきたりしていた。そして、相方が僕が浮気をしているとの妄想を抱いてパワハラされ、仕事はますます窮地に陥り、抑うつとなって人生が変わった。それからというもの、海の底に沈んだまま今に至っても浮上する気配はない。 うつ状態となると、どうしても伏せがちになるから体力がどうしても衰える。最低限、ウォーキングをして体力を維持するのが関の山だ。ランニングなんてことは難しい。躁うつ病が軽躁気味になってきて、大学のサークルの友達を誘ってテニスをしたが、友達のようには球に追いつけない自分の体力の無さに愕然とした。それからもうテニスをすることは諦めた。 マウンテンバイクを持っていたので、サイクリングロードを走ったりもしたが、走るスピードは20km/h程度。マウンテンバイクを売って、クロスバイクにしてみたが、それ程変わりはなく、サイクリングロードを走っていても、ロードバイクの人達にスイスイと抜かれていく。バイクを買ってからは、ほぼクロスバイクにも乗らなくなった。この間、久しぶりにしっかりカバーをかけていてもうっすらと埃をかぶっているクロスバイクに乗ってみたが、10分と漕ぎ続けられない程体力はへたった。もう年齢は45歳、しかも躁うつ病を抱えて気力体力を消耗させながらなんとか会社勤めをしている。体力をつけるのは難しかろう。だいいち、軽うつ状態なので、そんなトレーニングをしようなんて気力は湧かない。 結婚をせず、責任とプレッシャーが大きい仕事を乗り切って、休日には気持ちを切り替えるために30万はするロードバイクで専用のウェアに身を包み、サイクリングロードをさっそうと走る45歳の中年男。そんな人生の方が今の僕の人生より100万倍良かろう。
May 16, 2015
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いつも決まってブログは大宮マルイの3階のお店で書くことが多い。理由は、スターバックスやドトールと違ってお店がわかりにくいところにあって、多分そこに店があることを知っている人も少なく、一人でくつろげるカウンター席があって、落ち着いてブログを書けるからである。 しかし、ふと思ってしまった。ここのコーヒーは美味しいであろうかと。よく考えると、その店はどちらかというと料理をだすダイニングで、そこがたまたまコーヒーをだしているという感じなのである。これは多分美味しくはないんじゃないのかと。ということで、昨日と今日はコーヒーが美味しくてくつろげる(かもしれない)店を探してみた。 昨日は、茜屋という店に行ってみた。ここは大宮の東口にある。軽井沢が元祖のなのだろうか、看板には軽井沢の文言があった。場所は会社の事務所などが入居するような雑居ビルの4階にある。はっきり言って目立たない。知っている人しか来ないような店である。でも、お店はここで40年もやっているとのことであった。お店の中は(たまたまかもしれないけど)ガラガラだった。ホットコーヒーのメニューはブレンドしかないが、オーダーしてから豆を挽いて淹れてくれる。美味しいコーヒーだった。お店も空いていたのでくつろいでブログを書くことができた。ただ、ネックだったのはお値段である。1杯700円だった。。。 たまに行くにはいいかもしれないけど、毎回といったらちょっとしんどいお店である。 今日はというと、大宮そごう地下1階のUCCコーヒーのイートインでブログを書いている。ここは500円ぐらいで色々と美味しいコーヒーを飲める。買い物ついでに美味しいコーヒーをひっかけるにはいい。ただ、落ち着いてブログを書くには超最悪の場所と言えよう。 やはりコスパから考えると、空いているドトールというのが一番いいのかもしれない。なかなか両立は難しいものである。
May 10, 2015
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ゴールデンウィークの最終日は洗車となった。 W400はざっと自分で洗った。バイクは複雑な構造をしているので、なかなか隅々までは洗いきれない。汚れは残るところは残ってしまうと割り切りが必要なんだと思う。中古車として売り出す訳でもないんだし。エンジンのフィンや手の届かないところは吹き付けて泡になる洗浄剤を使って洗い流した。 フィットは毎度世話になっている近所のガソリンスタンドで洗ってもらった。手洗いで、アルミホイールなんかも念入りに洗ってくれる。洗剤で洗いあげてから水で洗い流して、専用の機械で全体的に乾かしてから、残りの細かい乾いていない部分を拭きあげてくれる。車を自分で洗わないなんてものぐさに思われるかもしれないけれど、車は洗剤で洗って水で流すところまではいいけど、濡れた車全体を拭きあげるのは骨が折れる。 今年のゴールデンウィークは1泊旅行を2回行けて、自宅で鬱々と過ごす時間が少なくて助かった。ラッキーだったと思う。 残念だったのは、伊豆まででかけて動画を撮影して帰ってきて編集したにも関わらず、あまり視聴してもらえないという虚しさ。何か原因があるんだろうけど分からない。もしかしたら何かコツがあるのかもしれないけど、分からない。もし、バイクで撮影したいという方がいたら、格安で一式お譲りいたします。ヤフオクにでもだそうかな。 あと、嬉しかったのは左手首に装着されて、毎日正確な時間を教えてくれる、タグホイヤー・アクアレーサー。高い買い物だったけど、やはり身につけるものは少々値段が高くてもいいものが良いとつくづく感じました。一番安目なモデルだけど、それでもタグホイヤーだから満足感を感じるのかな。 色々と楽しく感じることはあるけど、やはり足りないのは仲間。バツイチ中年男はこればっかりはしょうがないのかな。普通の人生を歩んでいれば、結婚して新婚仲間ができて(実際そうだった)、子供ができて子供を通じた親同士の付き合いというものが自然と生まれるのだろうけど。離婚して周りの友達は家庭持ちだと目も当てられません。孤独感に拍車がかかります。 自分の場合は基本的に受け身だから駄目なのだと思う。それでも、学生時代は仲間がいるのが当たり前のことだと思っていたけど。だから今、孤独で仲間がいないと言いようもない寂しさから逃れられないのかもしれないですね。 それに、何といっても躁うつ病。手帳もあるし、年金ももらっている身。病気からくるコミュ障で積極的な人付き合いができません。このへんは不思議で同じ病気でも平気で積極的な人付き合いができている人が結構いる。きっとそういう人は普通に仕事ができると思う。自分はラッキーなんだと思って欲しいものだ。
May 6, 2015
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新しくオープンしたということで、コクーン2に行ってみた。いつも一人でこういうところに来てしまうと感じるが、リア充家族の大集団に辟易してしまうのである。まぁ、店もそういった連中向けのものが多く、仕方ない面もあるが。 テナントに入っている店も大したことはなかった。なのに人がわんさかと集まっている。落ち着けば閑古鳥が鳴く店が多いと思う。 子供の日なので、子供向けのイベントなんかもあったのかもしれないけれど、買い物袋を持っている人は少なく、みんな物見遊山なんだろう。 気分を変えるために、隣のレクサスの店舗に行ってみたが、ゴールデンウィークの休みで、さらに不快感が増した。もう少し時間が粘れるかと思ったが、拍子抜けである。さて、暇な時間をどう過ごそう。 もともと文化芸術面に興味があったり、何か鑑賞に出かける趣味がない。それは、このブログの内容にも表れている通り、「こだわり」ということが無い人間なのである。ロックバンドでもサッカーチームでもいい、何かしらの対象について興味を抱き、鑑賞し感じたことを書く。そういったことが無い。なんだか若年性の痴呆の始まりなんじゃないかと思う。でも、バイクで伊豆に行って動画を撮影して自宅に帰って編集してYouTubeにアップしているから大丈夫かな。それにしても、あるアーティストなんかにのめりこめる人がうらやましいのである。 そういうことがあれば、一人でもやりたいことが発生してくるし、時間を持て余すということも無くなってくるんだろう。しかし、そういうことが無い場合はどうしようもなく無間地獄になる。今は暇つぶしにブログを書いているが、ブログのネタが尽きたらそういう状態になる。そうならないようにどうしたらいいか、あれこれ考えてはいるんだけれど。 いずれにしろ、人との関わり合いは必要だろう。会社で仕事をしている時はいい。最低限、仕事を通じて人と関われる。仕事はつらいけど。しかし、休みの日が問題である。孤独で人との関わり合いが無い。親はいるけど。年をとり、会社を辞めて、親がいなくなったら真の孤独が訪れ、痴呆になるんだと思う。これは避けられないことなんだと思う。 プライベートで心を通わせる人が欲しい。これは深刻なことなのである。
May 5, 2015
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昨日、伊豆のツーリングから帰って、食事して風呂に入って眠って、今日起きて、思いのほか疲れが激しく今日はきっと何もできないのではと思った。とはいえ、伊豆で撮影した走行動画を編集しなければあかんなぁと漠然と考えていた。しかし問題がある。部屋が埃で不快なのだ。思えば昨年の年末から今まで手をつけていない。平日は会社だから少しパソコンを使うのと眠る時以外は部屋にはいないし、休日も部屋にいることは稀で、平日のように少しパソコンを使うのと眠るだけである。 他にも理由がある。掃除機をかけられるスペースが猫の額ほどしかなく、パソコン2台、スイッチングHUB、液晶テレビ、スピーカー、携帯電話の電源台、モバイルルーターの電源台、などなどがLANケーブルと電源ケーブルでごちゃまぜとなっていて、掃除機がかけられないのである。他にプラスチック製の衣装ケースがあって、その奥は吹き溜まりで埃がたまっている。ちゃんと掃除するためにはケーブルを外してそれぞれの機器を部屋の外にどかして、衣装ケースなどもどかしてやっと床全面に掃除機がかけられる。要するに、また大掃除をすることとなる。 年末に大掃除したものの、春がきて段々と埃が目立つようになってきた。最近、さすがに少ししか部屋にはいないものの不快になってきた。そして伊豆から持ち帰った走行動画。この動画を編集する作業をするには長時間部屋にいることを強いられる。はっきり言って今の状態では息が詰まる。ということで、疲れているけどまずは部屋の大掃除をすることにした。 近所の東急ハンズに汚れ拭き用のペーパーを買いに行き、家に戻ってまずはケーブル類を解きほぐし拭き、機器を部屋から出して拭き、部屋の大型家具以外のものは廊下に出して拭いてやっと掃除機がかけられた。そしてケーブル類を戻して接続して各機器の動作確認。何とか3時間ぐらいで大掃除は完了した。細かく隅々までとはいかないものの。まぁこんなものか。やっとこれで動画編集をやる気になった。 とりあえず南伊豆の海沿いを走った動画のトリミングをして、エンコードを済ませて外出してブログを近所のカフェ・ベローチェで書いているところ。これから戻って動画と音声の分割、BGMの選定と連結、動画との尺合わせ、動画とBGMとの結合、気が向けば字幕追加といったところか。 そして、YouTubeにアップロードする訳だが、悲しいかな今までアップロードした動画は100回も視聴されていない。結構面倒な事をしている割にはあまり人に見られていないものだなぁとと思う。でも、今回は伊豆への一泊ツーリングの動画。しかも天候はすこぶる良く、西伊豆方面にでは富士山も視界に入ってくる。人に見られなくても旅の思い出として楽しめればいいのかもしれない。そう思う事にしたい。
May 4, 2015
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壊れてしまった休日用の腕時計について。さんざ迷ったあげく、結局海外メーカーに決めました。 タグホイヤーのアクアレーサーのクオーツで、一番安いものです。といっても、壊れた前の腕時計が10本以上買えるけど...。さすがに一番リーズナブルな物でもスイス製となると高いものです。でも、やはり信頼性、耐久性はピカイチなんだと思います。(大枚叩いたのでそう思いたい) 購入するにあたって譲れなかったのは、クオーツであること。平日は放りっぱなしなので、自動巻では止まってしまう。2連のワインディングマシーンを買う気にはならなかった。とはいえ、アクアレーサーの自動巻モデルはクオーツの倍以上するんだけど。 そう惑わされたのは、大宮そごうの時計店の店員に、タグホイヤーはもう自動巻しかないですねぇと言われたから。そうなのかぁと思い、ネットで「クオーツ」で時計を検索するも、なんだか不安そうなものばかり。 国産は意外と高いし、耐久性を求めると結局G-SHOCKになってしまうのかなと。ソーラーで電池交換いらずというけれど、時計は部屋にしまっておくものだし、たまに日の光に当ててくださいといってもねぇ。電波時計というのは魅力ではありますが...。 会社で周りの目を気にしながらネットで調べているうちに候補としてビクトリノックスのマーベリックスという機種に行き着いた。ナイフ屋の時計ではあるけれど、信頼できるメーカーだし、値段もそこそこということで、会社帰りに寄ってみることに。しかし、欲しい色の在庫が無かった。ということで断念。 そして帰りにビックカメラの時計売場をうろうろしていて、タグホイヤーのコーナーに文字盤は無いけれど、デザインが気に入った時計を見つける。よく見るとカチカチと秒針が動いている。店員に「これって自動巻ですか?」と聞くと、「クオーツですよ」という答えが。なにぃ、そごうのハゲ店員めぇ嘘ついたなぁ。と心で叫んだ。 家に帰ってネットでビックカメラで見つけたモデルについて調べてみると、確かにクオーツのモデルがあることを確認する。 改めて大宮のマルイとそごうの時計売場をみてみると、同じアクアレーサーのクオーツが展示してあることを確認した。両方ともタグホイヤーの正規販売店ではあるのだが、結局販売価格が一番安いと思われるビックカメラで購入した。しかもポイントが10%もついてくる。父親のポイントカードで購入してポイントをつけてあげた。 しかし、ムーブメントとしてのクオーツは時代遅れのものとなっていくのだろう。国産は電波ソーラーで、海外勢は自動巻という流れなのだろう。そごうの店員が話したことは将来的には外れてないことかもしれない。 同じタイミングでApple watchが販売された。巷はこの話題でもちきりだ。そんな中でアクアレーサーのクオーツを買ったことはかなり時代遅れなことかなと思う。
Apr 25, 2015
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時計は基本、2台持ちで仕事の時と休みの時は使い分けていた。仕事の時にしているのは自動巻でチタンで重めのもの。休みの時にしているのはクオーツでステンレスで軽めのものにしていた。両方ともデザインはダイバーズウォッチライクでどちらかというとカジュアルな感じだ。両方とも時間の刻印があって、一目で何時なのかわかり易い。アナログの時計で時間の刻印が無いものは、なんだかアクセサリーで時計の役目を果たしてるんだかという気がする。 で、休みの時に使っていた方が壊れてしまった。これはKentexという国産メーカーのもので、自衛隊に供給されているものだとのことだったので、安いけど(1万ちょい)品質はしっかりしているものだと思っていた。休みにしていたということは、バイクに乗っているときにしていたのだが、その振動に耐えられなかったのだろうか。 修理を考えつつも、値段が値段なので、新しい物を探そうと考えた。大宮のマルイとそごうとビックカメラと眺めてみたものの、故障したものと同じような時計は無かった。まずは時間の刻印があるものって無いんだなぁと思った。このへんは妥協しなければならないんだろう。 それにしても海外勢が高い。タグホイヤーにしてもブライトリングにしても本当に高い。円安でもっと高くなるようである。学生の頃にアメ横で買ったタグホイヤーは4万以下で買えた。もう20年以上前だけど。今は10万以下のモデルなんてない。 海外物はなんとなくステータス感があって、物欲をくすぐるのだが、いざ30万とかなってくると思い切れない。やはり贅沢だと思う。でも、故障してしまった、機能的なデザインで、10万程度であれば買っているとは思う。要は大事なのは機能性なのだ。 携帯が普及して、時計をしない人が多くなったのではないかと思う。僕も携帯を肌身離さず持っていたときは、必要性がなくなり、時計をしなくなった。今はスマホも持たず、メールの着信もせず、呼び出し音が鳴りもしないガラケーをカバンの奥にしまいこんでいるので、左の手首に時計がないと不安でしょうがない。仕方ないので、今は平日にしている自動巻の重めの時計をしている。これがだめになってしまうとどうしようもないので、もう1台の時計を買わないと安心できない。 今はマルイの3階の茶店でブログを書いている。もう一度時計売り場に行って、商品とにらめっこするかな。
Apr 19, 2015
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桜が開花した。いつの間にか春が訪れた。今日の最高気温は20℃とのことである。装いは上着は薄手の長袖シャツに薄手のジップアップのパーカー。すっかり冬はどこかへ行ってしまったという感じである。 前々回のブログに、外でブログを書くのに使っている折りたたみのキーボード用にオロビアンコのボディバッグを買ったと書いたが、早速活躍している。ちょっと贅沢感がありか。折りたたみのキーボードを買ってから、なるべく週末は主にスターバックスでブログを書くようになった。着実にバイクに乗るのは億劫になってきている。ここのところ、会社で精神的につらくて、土曜の朝から元気にバイクで出かけるという気分にはならないのかもしれない。寒かったというのもあるけれど。 今日は午前中は歯医者だった。どこか悪くしているという訳ではなく健診で予約していた。でも、あまり気がすすまなかった。いつも健診などで歯医者に行くと、難癖つけられて何度も通わせられることになる。貴重な休みがムダになる。ますますバイクから遠ざかっていく。まぁ、虫歯があるとのことではあったが。どうも、患者が少なくて、治療を長引かせるようにしている気がしないでもない。覚悟はしていたけれど。 車の6ヶ月点検は、午後1時に予約していた。お店に着くと、購入した時に対応してくれた営業マンが出迎えてくれた。この営業マンは購入した時はまだ入社して半年も経っていなかったが、気さくで丁寧な人で、なかなか好印象で、性格の良さが伺えた。仕事も、素早さはないものの、正確かつ丁寧なのが印象的だった。今日はちょっとお願いして、点検作業現場を撮影させてもらった。 普段見ることは稀だろうということで、車をリフトアップさせているところを撮影させてもらった。ナンバープレートを消去できるアプリを使った。写真を営業マンに見せたら、驚いていた。確かに車のナンバープレートだけ認識して消去するというのは優れものだと思う。 半年経っての車の走行距離は、1,800kmぐらいだった。明らかに少ない。あまり車を使わないと、待機電力がそれなりにかかるので、バッテリーの持ちが悪くなるとの指摘があった。歯医者はあるし、バイクは乗っておきたいし、オロビアンコのバックにキーボードを入れてスタバでブログも書いておきたいし、それに車を走らせるとなると悩ましいところである。 特にバイクは乗りたいところ。定期的に乗っていないといけない。春になったことだし、ツーリングも気持ちいい。ただ、東西南北と各方面の主要なところはだいたい走りに行ってしまっている。何度も同じところに走りにいくのもいいのだが、ちょっと遊んでみようかなと考えている。今はそのために色々と物色中だ。
Mar 28, 2015
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今日は入間のイオンにあるスターバックスに来ている。テナントだけど、Wi-Fiは使える。前もって調べておいたのだが。入間に来たのはアウトレットを見ようかと思ったため。でも、アウトレットは店が多くて歩き回るのが苦痛で、具体的に欲しいものが無かったので、まず先にスターバックスに寄って、ブログを書くこととした。 昨日はさいたま新都心のスターバックスを出てからあることに気付いた。ブログを書くのに使っている折りたたみ式のキーボードは確か年初に買ったのだが、それから持ち歩く時には冬物の上着のポケットに入れていた。昨日もそうだった。しかし、これから暖かくなり上着は着なくなる。ジーパンの後ろポケットに入らないことはないのだけれど、角が布に当たり穴が空きそうである。必要に迫られてキーボードが持ち歩きできるバッグ類を大宮に戻って物色した。 ボディバッグは前から欲しいと思っていたのだが、活用シーンが無いので特に買おうとはしなかった。しかし、必要に迫られそれが第1候補となった。 小型のバッグは色々とあって、折りたたみのキーボードにジャストサイズで安いものがそれなりにあったが、やはりボディバッグにこだわった。なるべく安いものを探したのだが、どれもサイズが大きくて、キーボード程度のものを入れるにはそぐわない。1リッターのペットボトルでも入ってしまいそうな大きさだ。 安いものから高いものへと探していったが、どれも似たようなサイズで納得できなかった。そして、たぶん一番高い部類のものに行き当たり、やっとサイズ的に納得できるものに巡り合った。それが、オロビアンコのボディバッグだった。350ミリリットルのペットボトルを入れるのに丁度良いぐらいのサイズだ。 実は、最初にボディバッグが欲しかったと書いたが、それはオロビアンコのもので、そのデザインが気に入っていたからである。高い買い物になってしまったけど、暖かくなってもキーボードを持ち運ぶことができるようになったし、ジーパンの4つのポケットを占領していたものも入れられるし、デザインは納得済みであったので、満足のいく買い物であった。 無理矢理自分を正当化させて高い買い物を肯定的に仕立てるというのはもしかしたら自分の悪いところかもしれないけれど、高い買い物はそうそうないからいいんだと思う。 どだい、株の投資で高級車1台分損をしたのだから、数万程度の散財についてどうこう言うのも詮無い話だ。
Mar 22, 2015
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昨年、自宅敷地の砂利の月極駐車場をアスファルトにしたのだが、ちょっと気に入らないことがあった。個々の駐車スペースに番号を印して欲しいと頼んだが、やってくれず、自分でやってくれというのである。気が利かない業者だなと思った。でも、業者を決めたのも費用をだしたのも親なので、僕は口のだしようがなかった。 今は親が駐車場を管理している。7台分の駐車スペースがあり、2台は近所の家が、5台は近所に事務所がある住友生命の外向のおばちゃんが借りている。駐車場は道路に面していて、道路側から月極の駐車スペースがあり、その奥に自宅がある。月極の駐車スペースと自宅の間にやや広めの隙間があり、マイカーやバイクはそこに置いている。バイクの取り回しは砂利だと難義だったが、アスファルトににして随分と楽になった。 駐車場の管理役は母である。といっても、主には賃料の受取だが。今時、借りている人達は現金で賃料を納めに来る。母がほとんど家にいるから成り立つといえる。駐車スペースに借主の名前を書いた小さな立看板を置いている。 でも、いつになるかは分からないけど、別居でもしない限り、ゆくゆくは僕が管理することになる可能性が高い。というか、精神病の中年男が再婚なんてまず無理なので、そうなるのはほぼ確定だろう。 そう考えた場合、賃料の受取は口座振り込みにしてしまいたかったし、借主が頻繁に変わる可能性もでてくると思ったので、個人名の立看板などにするのではなく(それはそれで親切だけど)番号で管理したいと考え、アスファルトにする時には番号を印して欲しいと考えていた訳である。 それが10年後か15年後かどうなるかなんて分からないけど、気になるのでホームセンターでどんなものがあるのか確認しようと思って色々とホームセンターのホームページを眺めていた。そうすると、新しくさいたま新都心の郵政庁舎の向かいにスーパービバホームができたというので、早速行ってみることにした。 行ってみると、何もなかった郵政庁舎の向かいにでっかい複合型のショッピングセンターができていた。ホームセンターだけではなくスポーツ関連の量販店や紳士服店などもテナントとして入っている。 1階と2階がホームセンターで、プロの業者でも買いに来そうな用品を置いているのは1階である。とりあえず駐車場に置くコーンなどを置いている辺りをうろうろしていたが、それらしきものが無いので、店員に聞くと、ペンキが置いているあたりに目的のものがあった。数字の形になっている融着材をガスバーナーでとかしてアスファルトにに融着させるのが良さそうだった。 それにしても、こんなところにこんな複合型の大型ホームセンターができるとは思わなかった。だいたい広い敷地のある田舎にできるものだと思っていたので驚いた。さいたま新都心はますます便利になった。 さいたま新都心といえば、地上デジタルの電波塔の誘致を東京の墨田区と争っていた。結局、墨田区に負けて、墨田区が押上に建設中したのがスカイツリーである。もしさいたま新都心に建設されていたらかなりの経済効果があっただろう。 その電波塔の立つはずだった敷地は、現在、老朽化したさいたま赤十字病院が新たに移築される予定で、来年度末の竣工に向けて建設工事中である。さいたま市の中核病院ができて、相当人の行き来が増えるんだろう。院外薬局が入居できる場所はあるのかなと心配になりそうな場所だ。 東口も再開発されて様変わりする予定のようだ。30年前からあったイトーヨーカドーが新しいビルに移転するため、閉店したようである。 初めてアルバイトをしたのはこのイトーヨーカドーだった。時給は確か490円だったと思う。歴史を感じる。ちなみに生まれたのは移築されて元の場所には無くなってしまうさいたま赤十字病院である。 僕の生まれた頃はもちろん、イトーヨーカドーでアルバイトをしていた頃はさいたま新都心なんて無かった。だだっ広い国鉄の操車場跡地があっただけだ。その近辺の用水路でザリガニ釣りをしたのを覚えている。もう35年ぐらい前だろう。時代が変わり、さいたま新都心というとんでもない都市が生まれた。 さいたま新都心ができたときに、周辺にはたくさんマンションができた。そのあたりの中古マンションなど、狙い目かもしれないと思う。
Mar 8, 2015
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僕はスマホを使わない。連絡する相手がいないからである。普通の人たちが使っているLINEは使っていない孤独な人である。それでも非常用回線としてガラケーは持っているが。 でも、それは「回線」が必要ないというだけで、スマホでするようなことはiPod touchを活用している。平日は毎朝、自宅のWi-Fiで産経新聞と各紙のコラムをダウンロードして通勤の行きの電車で読んでいる。帰りは電子書籍を読んでいる。もう3年以上こんなスタイルが続いている。(ブログの更新もしているが) あまり電車でKindleなどの電子書籍端末は見ない。なんだかんだでおじさん達はスマホで電子書籍を読んでいるのではないだろうか。それなら回線など必要だろうか。でも、家族とLINEで連絡を取り合うのだろうけど。 そんな訳で、土曜日の今日は天気が良さそうなので、バイクで東京に昔よく食べたラーメンを食べに行こうと思っていたのだが、産経新聞に日本橋の小伝馬町に吉田松陰が斬首された地を紹介した記事でがあったので、そこに寄ってみることにした。 昔食べた ラーメンは、品川の青物横丁にある「まこと家」いわゆる家系ラーメン。当時、会社が青物横丁にあって、よく食べに行った。その頃は一杯600円だったが、今は800円になってしまっている。2品トッピングして、800円かと思ったら、1,000円札をだしておつりが戻ってこないので、あ、そうかと気付いた。行列ができるような人気店ではないけれど、かれこれ20年はやってるだろうから根強いファンがいるんだろう。僕もその一人ではあるが。しかし、東京の排気ガスまみれになってまで食べに行きたいかというと、そうでもないかなとちょっと思った。 お腹を満たして向かったのは日本橋小伝馬町の十思公園。品川から銀座を通って目的地に到着した。 江戸時代に有名な伝馬町の牢屋があったところで、今は小さな公園になっている。ここで吉田松陰は斬首された。 吉田松陰終焉の地と辞世の句の石碑があった。(辞世の句の石碑は字が読めないので写真は省略) 辞世の句は「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」である。吉田松陰という人は本当に日本という国の行く末を案じていたんだなということがよく分かる句だ。 わざわざここに来てみたのは、御多分にもれず、大河ドラマの「花燃ゆ」の影響である。いよいよ松下村塾の話が始まる。吉田松陰の処刑は4月末のようなので、そこまで色んなドラマが展開されるんだろう。 幕末といえば国を憂う志ということが頭に浮かぶ。今の時代、どれだけの人がそういうものを持っているんだろう。自分はそういうことから最もかけはなれた存在だと思う。でも、何でもいいから損得勘定なしに無中になれるなにかが見つかればとも思っている。なるべくこのまま朽ちはてたくはないものだ。
Feb 28, 2015
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週の合間の水曜が祝日というのはとても中途半端だ。でも、休めるだけありがたい。やっぱり会社に行く日はつらい。それが5日も続くというのはつらい。その中途半端な日をどう過ごすか昨日まで考えていたんだけど、やはりしばらく動かしていない車を動かそうと考えた。行き先は埼玉県越谷市にあるイオンレイクタウンというメガショッピングセンターにした。片道で1時間もかからないぐらいの所である。 ほぼ目的もなしに独身中年男がイオンのショッピングセンターに一人で行ってもとても空しい。スターバックスで一服して、アウトレットを少し覗いて、SUBWAYで食事をして帰途についた。まぁ、目的が車を動かすことだからいいのだが。 昨年の9月に買った車の走行距離は約1,600km。放りっぱなしでもない距離か。一応、慣らし運転をしないといけないから意識して乗ったのだけれど。 なるべく運転が楽しめるようにミッションにしたのだけれど、やはり気に入らない所はあって、走り出しは必ず出遅れるところ。これはどうしようもない。こっちは半クラで探りながらギアをつないでアクセルを踏んでいくが、他のほとんどの車はCVTだと思うけど、アクセルを踏んでスーっと加速していく。それからこっちは1速で走り出したらクラッチを切って2速にギアチェンジしてまた加速しないといけない。オートマとは何段階もタイムラグがある。まぁミッションにしてしまったから仕方ないんだけど。 もちろん気合をいれて、信号が変わる前に半クラ状態にして1速でアクセルを思いっきり踏んで、素早く2速につないでアクセルを思いっきり踏めばスタートダッシュでトップに立てるけど、毎回走り出しでそんなことしてたら疲れるし燃費にも良くない。燃費を気にしてミッションの車に乗っていること自体がなんかおかしいことなんだけど。 でも、出だしのストレスを除けば楽しい。自分でギアを選べるということは楽しいし、パドルシフトという手もあるけど、自分の好きなタイミングでクラッチワークができるのは楽しいものである。それに、バイクとは違って音楽が聴ける。ナビもある。 その代わり、燃費はすこぶる悪い。平均してリッター15kmといったところだろうか。まぁ、あまり乗る機会がないからいいのだけれど。買い換える前のレガシィはリッター8kmぐらいだったし。 彼女ができるというような夢見心地なことは無いと思うので、長距離運転するのは腰の重い両親が思い立った時に旅行に行くときぐらいだろう。あとは近所への買い物用途だ。伊豆なんかに走りに行ってみたいけど、僕にはバイクがある。 スキーが大好きだったので、会社に入ってからレガシィを買った。正確にはレガシィーグランドワゴンで、今はアウトバックという名称だ。4WDのSUVだ。購入当初は何度もスキーに行ったけど、歯車が狂った。順調に行けば子供もできて、ボルボあたりのSUVにでも買い換えて子供にスキーを教えていたのかもしれない。それは叶わなかった。 人生、どうなるか分からないものだ。
Feb 11, 2015
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前回のブログを書いたときは、忘年会にはいかないつもりだったが、精神疾患でも忘年会に行っている方にコメントをいただき、そのコメントに背中を押されて忘年会に行くことを決め、昨日参加してきたところである。 集まったのは8人で、女子が一人参加していて、ささやかながら、誕生日のプレゼントをいただいた。それだけでも行ってよかったかなと思った。(女子といっても45歳だが...) でも、いかんせん軽うつであるためか、自分からあまり話さないし、自信もないためなんとなく皆んなの話の蚊帳の外になってしまう。 一人黙々とつまみを食べて酒をちびちび飲む時間が多かった。 なんとなく思うのは、会社では責任のある仕事で忙しく、子供の世話もあってという人とは、流れている時間の感覚がちがうんだろうなということだ。飲み会で子供の話題なんかになるときは話は自分からはほとんどできないし、会話に入り込める余地はない。なんだか皆んな充実した時間に満ちあふれているというかんじで、話し方にもそんな気風があふれている。毎日職場で意気消沈し、家に帰れば、親はいるが自室に籠もって孤独に過ごす自分とは棲む世界が違うかなと思う。 そんなことを考えるにつけ、やっぱり参加するんじゃなかったかなと思わずにはいられなかった。 結局、二次会の途中で逃げるように帰ってきた。 でも、ちょっぴり嫌な思いはするけれども、昔からの仲間だったんだし、義務というか、生存確認の意味を含めて無理はせず参加しようかなと思う。 子供の頃よくやった人生ゲームが懐かしい。コマを回し車を進め、配偶者を載せ子供を載せ進んでいく。周りの友達がその主体者だとしたら、僕はもう進行する道から逸れてしまった傍観者だ。 その傍観者としての僕からみた彼らは人生で一番充実した時期と映った。でも、それと同時にもう頭打ちになってやがてゆるやかに下降していくのではないかという感じの影が見えた。充実してるとはいえなんとなく疲れが見え隠れする。年をとったということもあるだろう。 人生ゲームのコマを回し、着々とゴールへと彼らは進んでいく。毎年末、僕はその光景に触れることだろう。 ゲームの道から逸れた自分の道は五里霧中だ。会社を勤め上げるなんてことはちょっとあやしい。 老い衰える前に少しは充実した自分なりの道を見つけたらなと思うのである。
Dec 28, 2014
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さて、3ヶ月ぶりのブログ更新。昔はマメに更新していたものだが。。。最近ではなぜか今更、ももクロにハマり、YouTubeで動画ばかり見ていて、ツイッターのタイムラインもあまり見ていない。まぁ、つぶやく発想がでてこないというのもあるけれど。また、復活できるのかな?フォロワーさんから、あの人見ないなって思ってもらえてたりするんだろうか。 さて、本題。新車購入しました。ホンダのフィットです。そのラインナップの中でも走りを意識したRSというエディションで、6速マニュアルにしました。マニュアルの車を運転するのは20年ぶりぐらい。でも、免許をとって大学生時代はずっとマニュアルを運転していたので、身体に染み付いている感じなので、運転に難はありませんでした。 今まで乗っていたレガシィはさすがに18年が経過し、劣化がひどくなり、走行上は問題なかったんだけど、先々の消費税増税を見据えての決断でした。タイミングとしては少し早かったけれど。まぁ、買いたくなったタイミングが買い時です。前の車は暗い歴史を引きずっているということもあります。別れた嫁さんの生き霊がしみついているんじゃないかとか。実際、車に限らないけど、物には意識が宿っているのではないかと思いました。レガシィでホンダのディーラーに行って、フィットの購入を決めた帰り道、レガシィを運転していると、突然カーステレオが壊れました。やはり、もう主人に見放されるとなると意地悪のひとつでもしてやろうかという感じなんじゃないんでしょうか。振り返ってみると自分としても18年間の思い出がつまっていて、良い思い出も悪い思い出も詰まっています。これからスクラップになることを思うと、ちょっと複雑な心境にならなくもありません。 車の買い替えには色々と考えました。親は基本的に外に出かける質ではなく、自分も彼女がいるわけじゃないし、躁うつ病で無気力で無理ができずにどこへ行こうということもないので、車を活用する機会がない。そんなわけでレガシィはいつも埃をかぶり、見すぼらしい状態です。かといって使う用事が無い訳でもないので、近場に乗るか、洗車のためにスタンドに行くという感じでした。だから、致命的な故障でもない限り車の買い替えは現実的ではありませんでした。ほとんど乗らないのに大金を払って買うのもなぁと。でも、車って自宅の外観の一部的なところもあるじゃないですか。埃をかぶった小汚い車が家の横に停まっているのを母親は快くは思っていなかったみたいです。僕はぜんぜん気にしない質なんだけど。まぁ、ご近所さんの目が気になるというところでしょう。そんなわけで、車の買い替えには親の意向が働いていて、当然、いくばくかの費用負担を引き出しやすかった訳です。車の買い替えに踏み切ったというのもそんな理由もあります。 それから、バイクに乗るようになったというところ。これが車に乗るということには致命的。何処かに遊びに出かけるというのが無いと、走ること自体を楽しむしかない。バイクはそれが楽しい訳です。自然と天気のいい日はバイクに乗るのが優先となる。そうなると、車にも走ることを楽しめる要素が必要かなと思ったわけです。それがミッションにした理由です。 さて、そんなフィットRS。彼女を乗せる機会はくるのだろうかヽ(´o`;
Sep 21, 2014
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3月15日にバイクで事故った。こちらが直進で相手方が右折の軽乗用車だった。僕が黄色信号で速度を落とさず突っ込んでの衝突となった。過失割合はこちらの方が悪い。救急車で運び込まれた病院での診断は股関節の捻挫で5日間の加療だった。歩くことが出来ず、警察からの連絡でかけつけてくれた両親とタクシーで自宅へ帰った。翌々日に近所の整形外科を受診したら、恥骨と坐骨の骨折だった。最初に運び込まれた病院は誤診であったらしい。会社へ行くのはとても無理なので、2週間療養の診断書を書いてもらった。明日がその期限である。なんとか松葉杖なしで宅内を歩けるようになってきたが、まだ満員電車の通勤というのは無理そうである。休業延長の診断書を書いてもらうことになるだろう。 自宅療養で暇をしているとろくなことを考えない。今年になってから早々に大型二輪免許の教習を深く考えず、ノリで申し込んだ。バイクショップの人からは1ヶ月でとれますよ〜と言われていたし、ネットやら色んなところの情報を見ても、女性でもとれるし、いかにも簡単そうな印象を持っていたが、いざ教習を受けてみるとボロボロであった。第一段階で早くも3時間超過し、課題をクリアする目処が全くたたず、苦手意識から教習に通うのが嫌になってしまった。ネットで調べてみると50時間超過したとか、半年かかったなんて情報もある。苦手意識がついてしまっては自分もその二の舞だと思い、すぱっと退校を決めた。その代わりドロ沼のような挫折感が残った。どうせ自分は中型でいいやと思いつつ、高速で埋め尽くされる大型バイクに囲まれてはどうしようもない挫折感が沸き上がるんだろう。 よくよく考えると、自分はダメ人間なんだろう。小学生の時は習い事で剣道をしていたが、兄貴が卒業まで通ったのに比べて、自分は途中で挫折して通わなくなった。小学校の高学年から中学生と、ずっと吹奏楽を続けたが、そこで辞めてしまった。自分には素質がなく、いつか限界がくると考えたからだ。兄貴のように高校はテニスをしたかったというのもあるが。テニスは、兄貴が県大会にでたのに比べて、自分は趣味程度のお気楽なものだった。大学受験は兄貴は現役で合格したが、自分は一浪だった。 最大のダメ人間をさらけ出したのは、結婚の失敗だろう。自分も相手も不幸にしてしまった。自分はうつ病になり、ほぼ会社生活を棒に振った。よくなってきて再起しようと思ったら、今度は躁うつ病である。完全に会社生活は破綻した。今は会社に行っても辞めてもつらいので、仕方なくしんどいが会社に通っているだけである。勤務時間のほとんどを何もせず過ごす。そうやって一日苦しく虚しい時間を過ごし、次の日も、その次の日も同じように過ごし、一週間が過ぎて行く。あげくのはては、長い年月ですっかり差がついた兄貴と自分。僕の年収は兄貴の四分の一だ。兄貴は嫁と一男一女がいる。マイホームも持っている。僕は独身で実家居候。両親に扶養されているようなものだ。 気がついたらもう40なかばである。挽回のしようもない。躁うつ病だし無理である。しかもダメ人間であるし。 もう何もかも諦めて行きていくしかないんだろう。こんな人間だから、嫌われて付き合ってくれる人もいなくて、孤独な日々を生き、独り寂しく死んで行くんだろう。 僕はどうしようもないダメ人間だ。
Mar 30, 2014
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2013/05/06 16:08【マルイの茶店】とうとうゴールデンウィークも最終日になってしまった。さすがに10連休は長く、明日からちゃんと会社で耐えられるのかどうか。躁うつ病の自分としては不安がつのる。いつも日曜の8時に八重の桜を見て、よし、明日は会社か。という気分なのだが、今日は月曜なので明日は会社か、という切迫間が薄い。まぁとにかく初日を乗り切ることだろう。昨日の午前中は予定通りバイクの洗車をした。でも、洗車といっても水をかけるのはエンジン周りだけで、ボディやホイールなどの足周りはフクピカのようなペーパーで拭くだけにした。リアのホイールを拭くためにバイクを前方へ動かすので、折角だから友達からもらったチェーンルブを使ってみた。洗車のメインはトリンMAXという吹き付けると泡状になって汚れを落とす洗浄材。エンジンの空冷フィンの奥まで吹き付けて水で勢いよく洗い流した。バイクに水をかけるなんて初めてだった。結果はというと、バイクが中古車なのでもともとあったこびり付いた汚れは落ちなかった。これはもう仕方がないんだろう。でも、表面にうっすらとついた油汚れはとれて、さっぱりしたかなという感じはある。本格的な洗車をしたという訳ではないけれど、やってみるとさっぱりして気分がいい。午後はバイクを乾かすために、西埼玉から西東京方面を走った。今日は、昔よく食べた東品川のラーメン屋に寄って、横浜方面へ行ってみることにした。しかし、風が強かった。下道を走っているぶんには感じなかったが、首都高湾岸線を横浜ベイブリッジ方面へ走ると吹き飛ばされそうになるほど風が強く閉口した。横浜に寄ってみる気が起きず、大黒PAから折り返してそそくさと東京方面へ戻った。前日走った疲れもあったのかもしれない。にしても、一人で横浜に行ってもつまらないだけだったかな。あと、自分の思い込みかもしれないが、友達に嫌われてしまったんじゃないかなという気がする。その友達とは3月の終わり頃に一緒に千葉の南房総に行って、しばらく会っていなかった。その時、友達はゴールデンウィークあたりに飲もうかという話をして分かれた。ゴールデンウィークの前日にツイッターのDMで連絡しても反応がなし。次にメールで連絡して少しやりとり。翌日にまたメールしたが反応がなし。返事の催促のメールをしたが反応がなし。仕方がないので電話をしてみると留守電。やっとメールがきて、奥さんがバイトで子供の世話をしなきゃならなくてバイクを乗る時間がつくれないとのこと。こちらから連絡するので近々飲もうという内容であった。そのやりとりが4月27日。しかし、待てど暮らせど連絡は来ず。5月5日に連絡をとったら、また今度だなということであった。まぁ避けているとしか思えず。それか、よっぽど休み中が家族サービスのため多忙であったか。避けてるとしたら避けてるなりに理由があるんだろうけど、自分としては思い当たるふしが無い。あるとすれば、いつも私が一人で走ってばかりいるので、誘わないことに不満をもっているのか、あとは、このブログの存在を知っているので書き込んだ内容に憤慨したのか?しかし、こちらからあからさまに嫌われるようなことを仕掛けたとは思えないので、少し子供っぽさを感じる。悲しいことは、友達1人なので、1対1になってしまうことだ。これがもし第三者がいれば、仲介役となってもらって向こうをなだめることもできるが、このままではきっと、いくら私が連絡をとっても誘いは断られるであろう。向こうとしても避けていると思われていることは分かっているはずである。人付き合いは難しい。もともと彼がうつ病で休職をしていて同じような境遇なところからの付き合いで、彼の影響でバイクに乗るようになった。最近は病気はすっかりよくなっているようである。喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、お互い心の病の悩みを共有していた初心に戻って欲しいものだ。
May 6, 2013
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2013/04/20 12:45【アンデルセン】今週の月曜から金曜にかけて、欠かさず週間天気予報を見て、土日はバイクでどこに行こうか考えていた。始めの頃は曇り。秩父あたりでも行こうかと考えていたが、金曜は夕方から雨。遠出はできない。朝から昼にかけて都内に走りにいこうかなと考えていた。そして今朝の天気予報。雨は午後3時頃から降る予報である。仕方ないのでバイクに乗るのはあきらめた。雨は明日まで続くらしく、今週末はバイクには乗れそうもない。何もやることが無いと、途端に憂鬱になる。その憂鬱感に我慢ができなくなる。テレビなんか見る気もしない。これから救われるには外出して何かをすること。こんな風に出先でブログを書くことは、そんな憂鬱感から逃れる一つの手段だ。本題。革靴を買った。先週取り寄せをたのんでいたもので、入荷されて昨日購入した。やわらかいカーフという子牛の革を使ったもの(前回、カフと書いてしまった)。黒に比べて茶系の靴はメンテナンスに気を使う必要があるようだ。2週に1回はクリームを塗って、防水スプレーをかけた方がいいと言われた。会社帰りで、3年前に同じ店で買った黒のUチップの靴を履いていき、消耗具合を看てもらったら、ソールを全交換した方がいいとのこと。結構費用がかかるし、期間も1ヶ月半かかるというのでちょっと難しいかなと思った。会社には履いていかなきゃならないものだし。しかし、今朝その靴を買う前に履いていた黒の革靴が捨てずに残っていたことが分かり、それを代替えで履いて、黒の革靴のソール張り替えを頼むことにした。振り返ると、こんな風に革靴を買って仕事に履いていくということなんてもうない可能性があった。そう考えると、革靴を買うことが運が良かったことのように感じたりもする。そんな感覚は消えることは無く、ふと昨日買った革靴が無駄な出費だったと考える状況に追い込まれることが無いとは言えないと思う自分がいたりする。病気再発による失職の不安というものから逃れることはできない。さて、明日はどうしよう。たぶん外出してブログを書くのだろうが、ネタが無いな。こんな時はかなりネガティブな内容のものを書いてしまう。でもまあ、明日のことは明日考えるか。
Apr 20, 2013
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