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この約20年でうつ、躁、軽躁、うつ、軽うつと推移してきて最後の軽うつに安定して8年が経過した。この8年、薬の処方は変わっていない。結局、健常の状態には戻らず精神障害としての症状は固着してしまった。会社には行くことはできるけれども健常者のような仕事はできない。毎日毎日決まった生活リズムを保つことでなんとか生きている。(まぁこのことは何度も書いているような気がする) 障害が固着してからの8年というのはまさに何のときめきもない時の流れだった。実家暮らし、友達付き合いなし、無気力でただただ虚しく貯金が積み上がる日々だった。それでも2年前まではバイクという趣味があったが体力の衰えでそれも手放した。昨日と同じような今日が来る。何ら人生が変わるような出来事は起こらない。 無気力・億劫というのはきついもので、魔の時間が続き、何もすることがないと苦しくなり寝逃げするしかない。会社に行っている平日は何かと忙しく苦しくなるということはないのだが、年末年始などの非日常になるとタチが悪い。それでも今まではふっと思い立って車で遠出していたりしていたが、このコロナ禍で腰が重くなりこの年末年始は家で鬱々と過ごすんだろう。 結婚して独立した状態から20年前に精神疾患となり別居して実家に戻りずっと老親の世話になっていたわけだが、3年前にこのままではいけないと思い実家の近くに一人暮らしをしようと物件も決めて家具も家電も揃えたのだが精神的な不安から挫けてしまった。障害年金を受給しているので一人暮らしをすると不支給になる可能性があると医師に懸念されたのだが、自分は人の介助が必要な障害年金の受給対象者なんだと痛感させられた。 定年まで10年を切った。このままだらだらと衰弱しながらその時を迎えるんだろう。その未来には何ら希望もない。会社に行くことで何とか精神の安定を保ってきたが、それがなくなってしまうと無間地獄となる。 精神疾患になってから何かの拍子で立ち止まって自分の夢ってなんだろうと考えるときに浮かぶのは、どんなに平凡だっていい、ささやかな家庭を築くということだった。ほとんどの誰もが(大学の友人などは全員そうであるが)家庭を築いていて夢の対象になるなんてものでもないだろうが自分にはそれが夢である。そして、今の自分の状況を考えるにそれは実現するには難しい夢である。家庭を築くこととは自分の生きた意味を見出すことではないかなと思う。 生きている限り夢は捨てないでおこうとも思う。思わぬようなことが起きることを期待して。
Dec 31, 2020
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せっかくの休日、決まって午前中から焦燥感におそわれる。何と形容したらいいのだろうか言葉が思いつかないのだが、結局は寝逃げになり時間をやりすごす。 これはうつの症状だと思う。躁気味の時はやりたいことが次から次へと発生して時間を持て余すことはないだろう。うつで余計な時間があって何もする意欲がないとこの焦燥感が発生する。でもまあガチでうつの時は焦燥感を感じたことはまれだったから軽うつの症状なのだろうか。 別の側面としては、今日は普段だったら平日なので仕事の日だが休んでいるので平日の仕事をしている日の生活リズムと違ってしまっているがための症状と言えなくもない。どうなんだろうか。 いずれにしろ休みがあると何かしら行動する予定を立てておかないといけない。何もすることがなく休みの日になってしまうとこの焦燥感に押しつぶされて無為な1日を過ごすことになる。折角の休みが台無しだ。 しかし、軽躁なら行動的になり休みの日にやることは難なく浮かんでくるが、軽うつだとそうはいかない。何をしようか頭を悩ませる。東京の新しい名所なんかができたら行ってみたり。 しかし、根本的な問題は無趣味だということにある。唯一の趣味だったバイクは2年前に売却してしまった。気力体力的な問題があって仕方なかったにしろ。 バイクはその時よく会っていた友人の影響で買って乗るようになった。そう考えると軽うつでは独力では新しく趣味を作ることは難しく何かしら外的な影響がないとなかなか新しい趣味を始めるということは難しいのかもしれない。 そんな訳で無趣味で休日は焦燥感に怯えることが延々と続いていくのだろうか。 まだ先ではあるが、退職したあとの人生の過ごし方を考えなくてはならない。会社を辞めてしまったら毎日が休日になり毎日焦燥感に苛まれる生活が続いていくかもしれない(もしかしたら親の介護でそれどころではないかもしれないが)。 ボランティアでいいから生きがいを感じて取り組める何かが見つかればいいのだが。
Nov 2, 2020
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約3か月ぶりの更新である。今年ももう10月である。人事部の採用課で勤務しているのだが、10月というのは内定式で採用活動の節目になる。採用課に異動して、この節目も7年目となった。かなり長く在籍している。採用課に在籍してるとはいえ、精神疾患的に大学へ出向いて学生への会社説明なり学生を会社に呼んでの面接などはできない。裏方でサポート業務をしている。仕事は極度に少ない。(今年はコロナの影響ですべてリモートにはなったが)双極性障害は当初気分安定薬と抗うつ薬の組み合わせで不安定だったが、約8年前から2種類の気分安定薬で低め安定に落ち着き、意欲減退、何事にも楽しめないながらも気分の波はほぼない。(残置障害が残り、この安定状態が延々と続くんだろうなと思っている)双極性障害の人の手記などを読んでも、気分の波はあったが今はフラットで落ち着いているなんていうのがほとんどで、あまり参考にならないなぁと思っている。障害年金を受給しているが、残置障害があるから当然だと思っている。障害者枠で働いているから、給与と障害年金を合わせても収入は同期の半分にしかならない。人事にいるのでそういうことも分かってしまうのだが、障害を負ったという境遇とはいえ理不尽だ。中途のエグゼクティブ採用で年収が自分の3~4倍なんてのもあるから、優秀ではあるんだろうけど心穏やかではない。定年まであと9年である。低め安定で8年を過ごした。引き続き残りの9年もずるずると経ってしまう公算が大きい。穏やかに過ぎればいいかとも思うが、つまらない人生である。と、色々と書いてはみたものの、たぶん過去の記事で同じようなことを書いているのだろう。何もサプライズはないから仕方がない。外からの化学変化でもない限り変わらないんだろう。何もない穏やかな日々が過ぎていくんだろう。ある人からは羨まれるかもしれないし、ある人からは不憫に思われるかもしれないし。自分としてはとことんつまらないなとは思う。収入のないボランティア的なものでいいから、何かやりがいのある定年後も続けて取り組めることが見つかればいいなと漠然と思っている。漠然と思うだけでは見つからないんだろうけど。
Oct 10, 2020
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年末の掃除の時は特に気になっていなかったのだが、年始に引き出しにしまってあったパスポートがふと目に止まり手にとってみた。 パスポートの有効期限は2010年6月から2020年6月だった。しまったまま10年の歳月が経ったことに驚嘆した。確かパスポートの発行を受けた時は10年後の2020年なんて遠い先の未来に感じていたのをおぼろげに覚えている。今思うとそれが、いとも簡単に10年の月日が経ってしまったというのが率直な感想だ。 パスポートを取得したのは1人でニューヨークに行くつもりだったからなのだが、あきらかに軽躁状態だった。医師からも両親からも反対されて結局は行かずじまいとなった。 そしてしばらくは軽躁状態が続き、2011年から1年間うつに落ちて休職し、軽うつ状態になって復職して、それからは長期の休職はせず現在に至る。 この10年間は最初は躁うつに翻弄され、それから先のほとんどは軽うつで安定してくそ面白くもない、会社では社内ニート状態で何ら成長もなく時間だけが経っていった。ただただそれに耐える日々だった。 無論、新しいパスポートを作るつもりはない。必要性がない。今となっては残りの期限が少ないパスポートが自分が軽躁だったことの証という意味合いでしかない。 くそ面白くもない人生はあと10年で充分である。60歳を過ぎたら安楽死ができるような法律ができればいいと思う。実際は両親が生きているかもしれないからもっと先になるだろうけれど。 生きがいの無い人生はただ単に苦痛である。両親が自分に抱く生きがいのために生かされているといったところか。 これから取得するパスポートは海外に行くパスポートではなくあの世へ逝くパスポートなんだろう。悲しいがそれが現実な気がする。
Jan 5, 2020
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12月27日で50歳になった。精神疾患になったのが31歳だからおよそ20年だ。結局人生の2/5を精神障害者として過ごした。それはまるで自分だけ時が止まり、周りは進んでいくという感覚だったのかもしれない。 精神疾患にはならず時は進み、会社では課長ぐらいにはなり大学生と高校生ぐらいの子がいる家庭を築けたならいったいどんな景色だったんだろう。子供ができたらテニスやらスキーやら釣りやらキャンプやら教えたいこと、やりたいことが沢山あった。それは奪われた。 31歳で精神疾患になり、別居して実家に戻り離婚してそのまま子供部屋おじさんになって50歳になった。それが今の自分である。 時が進んだ大学の友人達とは話が噛み合わず、苦しくて昨年から忘年会の誘いを断るようになった。 現実を度外視するならば、今からでも家庭を 築くことができたらなんてことも思う。たぶん生きがいを見出すとしたらそれしかない。 老後の蓄えというのも大事だが、それが自分と血がつながった子ではなくても、そういった子の成長にお金を使うという方が有意義ではないかと思う。 それは決して見返りを求めるというものでもない。愛情を注いで成長を楽しみに見つめるということなんだろう。そしてそれが生きがいとなるんだろう。 家庭を築くこと。誰でも普通にできていることだがことさら障害と年齢を考えるとハードルが高い。それにそんな出会いがあるなんて1ミリ以下だ。 でも、たぶんそれ以外の生きがいは見つからないだろう。見つかるんだったらこの20年で見つかっているはずだ。 50という人生の節目に抱く妄想である。
Dec 30, 2019
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先日、LINEで大学のサークルの友人から忘年会の誘いの連絡があったが断った。 このくだりは、おそらく昨年の同じ頃に同じようなブログを書いているかとは思う。 一昨年に忘年会にでて、もう参加することはあるまいと思った。もう大学の友人達とは境遇が違いすぎていて、話も悩みも合わない。一人話題から取り残されている自分がいた。こんな気分を害する会に参加するべきではないと思った。そして昨年は誘いがあったが断った。用事があるということにして。 大学のサークルの友達は一生物だと思っていた。しかしそうではなかった。もし自分が精神病にならず、順調に仕事をして家庭を築け、会社でそれなりの地位になっていたならそうはなっていなかったけれども。 なんてことを昨年の今頃に書いているはずである。 休職中にリワークなどに参加して、そこで出会った仲間と意気投合して、復職後もたまに会って悩みを話し合うなんてことになってたらなぁなんて思ったりする。でもそういう出会いは無かった。 日頃の悩みを聞いてくれるのはメンタルクリニックの先生ぐらいである。まぁ話を聞いてくれる人がいるだけ救いか。悲しいものである。 しかし、悪くもないこともある。神様はそういう境遇を与えてくれるのだろうか。 老後は2,000万の余裕資金が必要というニュースが物議を醸しているが、感想はその程度なのかとふと思った。 離婚せず子供をもうけて家を買っていたらのっぴきならないことだったろう。 職を失わず実家に暮らし昇給はほぼないものの、うつ気味でお金を使うのは必要最低限のものという暮らしを20年近く続けていると、アホみたいに貯金が積み上がる。 付き合っている女の子がいて、プレゼントを買ってあげるなんてワクワクするお金の使い方ができればなぁなんて思うけど、そういものとは無縁らしい。 給与や賞与が振り込まれ、増えていく預金残高の数字を見てほくそ笑む孤独な精神障害者が自分である。 つまらない人生といえよう。
Dec 15, 2019
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子供部屋おじさんとはどう定義したらいいだろう? 仕事を持ちながら親元に住み、家事全般を親に頼っている状態だとしたら、自分は立派な子供部屋おじさんである。 ひきこもりとの違いは仕事をしているかしていないかの違いだけかもしれない。 しかし、自分は概ね双極性障害が寛解したとはいえ、障害年金を給付されている身であり、それはそれなりの生活扶助が必要な状態なのであると言えるので、胸を張って言えることでもないが、逸脱した状態ではないと思える。 とはいえ自分の課題はその生活力である。私の親は子供の世話をするのが好きで、私もそれに甘えてしまっている。 私の家庭は子供を一人暮らしで大学に行かせる経済力はなかったので、おのずと自宅から通える大学に進んだから高校を出ても相変わらず親元から通い、会社に入っても配属は自宅から通える都内だったので、ずっと親元にいる生活となった。 初めて親元を出たのが結婚した時ではあったのだが、それなりに家事らしきことは親元にいるときよりはしたが、料理も洗濯も妻に頼りきりだった。そして、病気になって離婚して親元に戻り、何ら生活力をつけないまま元の木阿弥となって現在に至る。 これではいけないと思い、一昨年には親元を離れて自宅近くのアパートで一人暮らしすることを画策したのだが、契約して家具も揃えてこれからという段階で不安症がでて撤退してしまった。これで自分には一人暮らしはできないんだというトラウマができてしまった。なるべくして子供部屋おじさんに収まったという感じだ。 親も老いが顕著になってきた。あまり先のことは考えたくはないが、現実は迫ってくる。 そういった、壮年のひきこもりや精神疾患者向けの食事だけを提供するようなグループホームができたらいいのにと思う。 難しいかな。。。
Aug 11, 2019
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今日は毎年の自立支援医療制度の更新手続きのため会社を休んだ。 どうしても病気の性質上突発的に当日に休んでしまうことが多く、一緒に仕事をしている人に迷惑をかけてしまうのがしばしばなのだが、今日は前もって休むことを話していたので迷惑はかけなかったと思う。 昨年は主治医に診断書を書いてもらって、障害者手帳の申請と両方の手続きだったが、今年は自立支援の更新手続きのみで診断書も必要がない。医療費が1割負担というのは本当に助かる。いい制度である。もっとも昔は5%負担ではあったが(通院医療費公費負担制度)。 手続きはほんの数分で終わってしまった。用紙に健康保険証の番号などと医療機関と薬局の情報を書くだけだった。一応、マイナンバーの通知カードと認印を持参したが、必要なかったようである。本人の署名であれば認印はいらないようである。手続きは簡素化されてきているのだろうか。継続だからかな。 ラミクタールなどは薬価が高い。違う見方をすると、もちろん患者の負担は減るのだが、製薬会社にも都合の良い制度であると感じる。 というわけで今日はたっぷり時間が余った。明日は1日雨のようなので買い物の検討がてらたくさん歩いている。 疲れるようになってきて、最近はとうとう早足で1万歩のウォーキングをすると、翌日疲れで寝込むようになってしまった。仕方ないので色々とお店を見て回ってのんびりと歩くようにしている。それでも疲れる。今日は昨日まで4連勤だからなおさらか。 午前中は区役所で手続きをして、一旦自宅に帰る途中で最寄駅のデパートなどで服を物色した。午後は新宿の伊勢丹にでも行こうと思っていたが、それはやめて近場のお店を回っている。 自分は買い物には慎重である。基本的には無いと困るものしか買わない。買い物をしていて少しでも迷いがあったら買わない。だいたいそういう場合は買ってしまったことを後悔する。 そんなことを言いながらついつい高級G-SHOCKなど買ってしまうのだが。。。
Jun 14, 2019
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最近ひきこもりが話題になっている。幼児を殺傷したり、はたまたひきこもりの息子を持つ親がその息子を殺したり。ひきこもりが潜在的に殺人犯になるような印象を持たれてしまうのは困ったものだ。 自分も精神疾患になって会社を休職してほぼ引きこもり状態になったことがあるが、苦しいものである。ずっと精神的にもがき苦しみ、自殺したいという気持ちが強く現れる。 今では会社で働いてはいるが、物理的には引きこもり状態から脱してはいるものの精神的にはひきこもり状態は継続していると感じる。 職場では協働作業をするために円滑なコミュニケーションが求められる。もちろん作業の支持をうけるために最低限のコミュニケーションはするけれど、それ以外の職場の空気を和ませるような雑談が意外と大事だけど、この雑談というものを僕はできない。長続きするようなら逃げてトイレなどに行ってしまう。そんなときに精神的にひきこもっていることを感じる。 親からは町内の自治会活動に自分たちの代わりに参加できるかと言われたが、きっぱりと断った。近所ではあるが話したこともない人達の輪に入っていくなんてまっぴらごめんである。精神的なストレスが甚だしい。 そんな自分でも大学時代はサークルの仲間とワイワイと楽しくくだらないことを話しては酒を飲んでいたことを考えると、こういう精神的なひきこもりは先天的なものではなく(その素養はあったにせよ)後天的なものであると思っている。 精神疾患になった者とそうではない健常者として順調に人生を歩んできた者とでは中々分かり合えないところがあると思っているし、自分の気持ちや考え方を分かってもらおうなんて思わない。結局同じ境遇の人でないと悩みを共有できない。 しかし、人それぞれで特にツイッターなどで同じ障害を持った人でも健常者となんら遜色なくコミュニケーションできる人も多い。まぁそういう人達だからツイートも多く目立つのかもしれないけど。 人は一人では生きられないというけれど、自分の境遇と今の状態を考えると、精神的に崩壊しなければ会社をなんとか定年退職して孤独な老後を歩んでいくことになるんだろう。 経済的に余裕があることが唯一の救いである。
Jun 9, 2019
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2019年になって19日が経過した。肉体的にも精神的にも衰えを感じる。うつの傾向として易疲労性というのがある。健常者と違って精神的な緊張状態におかれると疲れてしまう。それが加齢とともに一層著しくなる。 これはなかなか健常者には分かってもらえない。いや、別に分かってもらいたくもない。障害者雇用ということで漠然と配慮さえしてくれればどうだっていい。問題はそんな障害者にとっては過酷な環境でいかに細く長く会社に居続けられるかということだ。 そろそろ限界に近づいているという感がなくはない。でも、毎年同じことを感じながらなんだかんだで年を重ねている感がなくもない。 双極性障害になっても寛解して元気に健常者と遜色なく働いて趣味も楽しんでいる人もいる。僕のように障害者手帳を持ち障害者雇用で低収入で働いている人もいれば、一般企業では働けず年金や生活保護に頼っている人もいる。十人十色だ。 初めは抑うつということで精神疾患になったのは2001年だから18年が経った。それからそれがはっきりと双極性障害だと分かったのが2006年だから13年の月日が経った。2006年から2009年まで休職して明らかに健常者と比べて気力体力とも差がついた。 それから10年が経ち、益々経年劣化は激しくなり、とうとうバイクに乗るのもしんどくなって昨年に手放してしまった。まだ50歳にもならないのにバイクに乗るのがつらくなってしまうなんて健常者には想像もつかないだろう。 人は多かれ少なかれそれなりに苦しみや恨み妬みはある。僕は恨みはあまり無いのだが、苦しみや妬みはある。特に妬みは障害者雇用の人であればそれなりにあるのではないかと思う。会社にいれば同期で明らかに差がつくのは50代だろう。障害者雇用となると収入は同期の1/3ぐらいになる。 ただでさえ疲労でつらいのに、自分の3倍の収入の同期が部長という肩書きで偉そうに闊歩しているのを見ると憎たらしい。そんな環境の50代をこれから過ごすとなると、会社に居続けられるのかどうか微妙な気もする。 ただただ明日を無事に過ごすことを考えて18年歩み続けてきたがふと顔を上げると見えている風景は地獄絵図である。
Jan 19, 2019
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休職は長いものは3回している。2002年からと2006年からと2011年からである。 2002年からの時はまだうつ病で、休職期間は約1年半だった。 2011年からの時は双極性障害と分かってだいぶ年月が経っていて休職期間は1年だった。この休職を経てほぼ双極性障害は(波が収まったという意味で)寛解した。 リーマス+トフラニール(三環系抗うつ薬)から、リーマス+ラミクタールへ処方が変わっての効用だったように思われる。 2006年からの時は、うつ病から双極性障害へと診断が変わってからの休職で、休職期間は3年に及び、復職したのは2009年だった。そして来年でそれからちょうど10年が経つ。 この時が失職の危機だった。2年半が経った頃、主治医から入院を勧められて、ある精神病院を紹介されて実際にその病院の診察を受けたのだが自ら入院を断った。 なかなか良くならないので主治医がさじをなげて精神病院への入院を勧めたのではないかと思っている。もしここで入院していたら、確実に失職していたと思われる。 そして引き続き同じ主治医のもと通院を続けた。 会社の就業規則では、10年以上勤務したものは期限は最長3年間の休職が与えられる。2009年の8月がその期限だった。2009年の春頃はほぼ絶望していた。しかし、奇跡的にそれから夏頃にかけて軽躁気味になり、なんとか8月の復職にこぎつけたのである。 しかし、(個人差はあるかもしれないが)健常者であった頃のようには戻れない。あまり残業はできないしプレッシャーのかかる仕事は無理だった。おのずと突発的な雑用を任される他は何もすることがなく苦しい時間を過ごすという勤務状態となった。 はっきり言って辛かった(今でもそれは変わらないが)。しかし、1日しのぎ、1週間しのぎ、1ヶ月しのぎ、1年をしのぎ何とか(途中休職はあったが)10年という年月を会社を辞めずにやり過ごすことができた。 でも、さすがに10年も経つと衰えがでてきている。今年は乗るのがしんどくなってきたバイクを売った。この障害を抱えていると(これも個人差はあるのだろうが)、疲れやすく生活リズムを崩すと体調が悪くなるという面があるのではないだろうか。 また来年から1日しのぎ、1週間しのぎという生活が続いていく。これまでの経験からしてそこに心踊る出来事など起こることはなく淡々と月日が過ぎていく。 生きていて何が楽しいのだろうかとふと思う。
Dec 31, 2018
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精神疾患の病歴からすると、2001年の夏頃から抑うつで始まり、2005年の夏頃から躁状態になって上がり下がりを何度か繰り返し、2011年の夏頃から(おそらく)軽うつの状態に落ち着き現在に至っている。 気分の上がり下がりが収まったという意味では2011年の夏に寛解したと言えるのだろうが、もし2001年の夏前に戻ることが寛解なのだとしたら今は寛解とは言えないと思っている。 薬はおそらく一生飲み続けるし、障害者手帳を所持して障害者雇用で働き、障害年金を受給している。 会社では残業なしの単純作業労働で、プレッシャーのかかる仕事はできない。それでも平日は疲弊してしまい、せっかくの土日も満足に活動できない。 これで寛解したとしたら違和感がある。精神障害者として症状が固定してしまっている感がぬぐえない。このまま歳をとってますます疲弊の度合いが増すと考えると暗澹たる気持ちになる。 会社をセミリタイヤすることができるかといえば、幸いなことにできる環境にはある。しかし、何もやり甲斐を持てることがなく会社を辞めてしまったら、親以外話す相手もおらず虚しい日々を過ごすことになるんだろう。それならば疲弊はするが会社で働いて社会とのつながりを切らずにおく方がよいという考えになり、やはり会社は辞めないほうがいいとなる。 それでも定年はあるのだからいつかは社会と途絶された日はやってくる。 自分にとっては寛解=健常者に戻るではない。単に双極性障害特有の症状が収まるだけであって精神障害者でいつづけることに変わりはない。コミュニケーション不得手で社会的に孤立する運命にある。 31歳を境にして健常者としての人生から障害者としての人生に変わってしまった。それから18年が経とうとしている。これから昔のように戻る可能性なんて微塵もないだろう。 社会的な途絶から救ってくれる可能性があるのはツイッターといったSNSのゆるいつながりになるのかもしれないと思ったりもする。
Dec 2, 2018
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最近はめっきりブログの更新が滞っている。 まぁアクセス数を見ても寂しいものだし、たまに更新しても見ている人はいない。一応ツイッターに投稿してはいるが、アクティビティを見てもURLをタップしてくれている人はあまりいない。 ツイッターに代表されるマイクロブログの時代なんだろう。noteというのもあるらしいが。 盛んにブログを更新していた頃にnoteというのがあったら使っていたのかもしれない。今となってはもう更新意欲がないので、それを使って何かを表現する気にもならないが。 メンタルを病んでから17年目の夏である。メンタルを病んだ頃に子供が産まれていたら、丁度、欅坂46の平手友梨奈と同い年だ。(まじかよ) 大学を卒業して今までの期間が独立した期間だとしたら約25年だが、そのうち健常だったのが8年、障害者だったのが17年である。1/3が健常者、2/3が障害者だったということになる。 健常者の1/3の期間は消費の期間だった。まだ若くて大学の延長のような時代なので友達とよく遊んだし、車も買った。結婚もした。 結婚にはやたらとお金がかかった。婚約指輪だの結納だの結婚式だの新婚旅行だの。(お祝いをもらったという面はあるが) バブル期入社の嫁さんだから、長期休暇は決まって海外旅行。お金が貯まる気配はなかった。というか仕事のことで余裕がなくて気にしてもいなかったけど。 しかし、離婚したので消費はそこで止まった。そうでなかったらあったであろうマイホームの購入や子供の養育という出費はなかった。ないに越したことはないが、幸せな出費をしなかった分、虚しい貯蓄が残ったというところか。 離婚して実家に戻って鬱なので活動をしない。活動しないということは消費をしない。振り込まれた給与の大半が毎月毎月蓄積されて行く。その状態で17年が経過した。そうするとどうなるか。 はっきり言って、障害者になって生活保護ということも頭をよぎった。休職をしてはそうならないように復職するのに必死だった。そうして17年が経った。 「あ、俺もう働かなくたって生きていけらぁ」 という状態になった。人生あがりである。 でもなんだか虚しい。 頑張って働いて幸せな消費をしたいものである。
Aug 15, 2018
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今日は会社を休んで自立支援と障害者手帳の更新申請をした。手続きは窓口で30分程度で済むし、やるこもないので午後は会社に行ってもいいのだが1日休みにした。 障害者手帳の交付は平成18年である。もう12年が経った。6回目の更新である。障害者雇用として働き始めたのは5年前からなので、それまではほぼ税還付が目的だった。障害者雇用になってみると自分を障害者として証明できる唯一のものだから有り難みを感じる。 私の市では診断書作成料の助成をしてくれるのが有難い。他の人の話を聞いているとそのような制度は無かったりする。このことは更新のタイミングで書いたブログでふれているかもしれないので、何度も同じことを書いてるのではないかと思うが。 よく、自分が障害者であることを受け入れられないといった人がいると言うけれど、そう思う人は手帳の申請などせず堂々と健常者として働けばいいのである。しかし、障害を自覚している者からすると自分を守ってくれるものとなり障害者雇用として働ける。もっとも、健常者として働く方が収入はいいので自分がその状態ではないということを認めたくないのかもしれないけれど。 私は双極性障害ではあるものの、もう6年前から気分の波がない。そういう意味では寛解しているのかもしれないけれど、疲れてしまって長時間は働けない。コミュニケーションはひどく苦手で人と議論しながら仕事を組み立てていくことも難しい。やれる仕事はせいぜい電話応対と補助作業である。労働時間の制約がないという意味ではアルバイトの方がましかもしれない。 17年前に精神疾患になってから、一度は立ち直りかけたとはいえそんな感じだから、もう特にプライドが許さないなどということは全くなく、アルバイト程度の作業を淡々とこなす毎日である。 病気に負けていると思われるかもしれないけれど、この病気は気の持ちようで何とかなるものでもない。心がその人の価値を決めるとかって言うけれど、心が折れてしまっているとどうしようもない。でも、所詮は世の中のものさしで測れば単なる負け犬なんだろう。 世の中のものさしを持って頑張って生きている人。例えば大学の旧友などはもう価値観が合わない。どんどん出世して部長ぐらいになっている。さすがに忘年会に参加しても何も話せず相手にもされずしんどくなってきた。今年の忘年会からはもう行くのをやめようと思っている。 会社で低収入でアルバイト程度の作業をするよりも、昔の仲間との絆が断たれてしまうのがよっぽど哀しい。 孤独で大海を小さい船でさまよいながら自分はいったいどこへ向かっているのだろう。
Jul 2, 2018
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まずはこのブログの更新がなかなか出来ないのが劣化している現れだろうか。同じくツイッターなどでも何か発信するという意欲がわかない。最近は不調というよりは色々と経年劣化している感がある。昨年の半ばぐらいから何となくそれを感じるようになった。 バイクで言えば、以前は土曜の朝からツーリングに出かけていたが、最近は平日の疲れが抜けずとても土曜の朝から出かけるというのは無理になってきた。日曜は無理することができないので、近場を流す程度である。まとまった休みがとれないと景勝地までツーリングをすることができなくなった。車も同じようなものだ。 加齢と同時に病気特有の易疲労性もあるのだと思う。双極性障害が軽うつで固定してしまっていることを痛感する。 しかし、体力的には疲れているというわけではなく、気、神経的な疲れである。バイクや車の運転は神経が疲れる。神経疲労なのである。本当にこの病気特有だと思わざるを得ない。 心の易疲労性もある思っている。何かと億劫で思い立って何かを始めるということが皆無だし、若い頃は何か知識をつけるということに貪欲だったが、今は全くない。人生諦めてるからそんなことやってなんになるという考えもある。 よっぽど実利になることしか興味がない。そうすると、おのずとお金がらみのことになる。 投資のことになると極端に臆病である。軽うつであることが一つの原因であると思う。しかし、これは悪いことではなくて、もし軽躁であったなら投資できる余裕資金を多めに見積もって現物株に投資しているだろう。いや、リーマンショックで既に現物株で大損しているので仮に軽躁であってもそうはしないかもしれない。 いつ働けなくなるかも分からない。明日からかもしれない。そう思うととてもじゃないけど損失をだすことはできない。かと言って普通預金に預けていてもお金は増えてはいかない。むしろインフレになれば目減りする。 投資にまつわる本には健常な人がとれるリスクは書いているが、精神障害者がとれるリスクについては書いていない。自分なりに考えたことは、減らさないこと。上手くいけばちょっと増えればいいとうこと。インフレの目減りリスクが回避できればいいと思っている。 少し前に投資信託の積立投資を始めた(つみたてNISA)。毎月少額を積み立てて時間分散し(いわゆるドルコスト平均法)、内外の株式と債券に投資するバランスファンド(資産分散)を購入している。 投資するのに意味があるのか?というほどローリスクローリターンの手法だけれど、減らさないことを目指すのならこれぐらいで十分だと思っている。 同じように自分の経年劣化も抑えたいところだが。。。
Jun 17, 2018
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今週は5連勤だった。やはり土曜の疲れには抗えず、ほぼ1日テーブルに突っ伏して過ごした。夕方には予期せず兄が家に来た。親が来て欲しいと言っていたようである。甥の大学入学が決まったとのことで、用意してあった入学祝いを渡した。兄が家に来ることはあまりなく、来ても突然予期せず来るので外出せず家に居たことが幸いした。昨日、唯一意味のあることであった。 弱り目に祟り目で、土曜は疲れで夕方までダウンし、日曜は回復すると思っていた。土曜の夜にMacのiTunesのアップデートをしたら、OSが死んだ。仕方なくOSの再インストールなどしていたらやたらと時間がかかり、生活リズムを崩して昨晩は満足に睡眠がとれなかった。今は睡眠不足で怠い状態でブログを書いている。 アップルというのは酷い会社である。自分のところで製造したパソコンのソフトをアップデートさせてOSが壊れるなんてずいぶん酷い話だと思う。OSの再インストールで設定とデータが保持されているのは当たり前といえば当たり前だが百歩譲ってまぁよしとして。しかし、再インストールしてなんだか動作が緩慢になった。 さて、意味のない人生とはどいういことだろうか。逆に意味のある人生とはどんなことだろうか。家庭を作り、子供をもうければそれだけで意味のある人生なんだと思う。そうすると、世の中の大半の人は意味のある人生を送っているということになるんだろう。 子供をもうけなくても自分にとって意味のある人生もある。自分のやりたかったことを実現して充実した人生を送るとか。そんな人生を送れる人をうらやましく思う。 僕はもう子供をもうけることはないだろうし、これといってやりたいと思うこともない。ただ淡々と時間が過ぎるだけの人生である。まさにこれが意味のない人生なのだろうと思う。 それでもその意味なく過ごしている時間を少しは楽しめるようにバイクに乗ったりしてきたが、今の状態では土日に乗るなんてことは5連勤の時には無理である。 前は土曜の朝から200〜300kmぐらいのツーリングに行って、翌日は休養するという感じだったが、今は100km程度乗っても翌日に疲れが残ってしまう。土曜は休養、日曜にバイクに少し乗っても月曜に疲れが残ってしまう。来年の7月には車検なので、その前に売却してしまおうかなと考えている。乗れないバイクを敷地に放っておいても仕方がない。 意味のない人生の時間が無味乾燥に過ぎていく。これほど虚しいことはないのかもしれない。生まれてこなければよかったと思い、親に嘆くこともあるが、親からすれば苦労して育てた子供であるから、そう思うのは相当な親不孝者なのだろう。 しかし、どうしてもそう思ってしまう。意味のない人生なんてないなんて言う人もいるかもしれないけれど、そんな綺麗事を言う人間は私は嫌いである。そういうことを言う人間はえてして子供はいるし、自分のやりたいことをやっていたりするものである。
Dec 10, 2017
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ここ最近疲れが著しい。困ったことに動こうにも動くことができない。昨日は録画していた安室奈美恵のインタビュー特番を朝に見て、それからは疲れで突っ伏し、結局ほぼ1日寝て過ごした。今日は朝早く起きて洗車をしてもらいにガソリンスタンドに行った。いつも朝早くに行かないとかなりの時間を待たされるので休みの日でいやなのだが早起きして行く。洗車が終わって自宅に帰ってワイドナショーを見ているうちに眠けとともに疲れがやってきて突っ伏してようやく疲れがとれてきて外出してミスドでブログを書いている。 昨日の疲れはやはり会社での疲れなのせいだと思う。しかし、今日は早起きしたとはいえ疲れで動けなくなるのは如何ともしがたい。運動しなくちゃなと思い、昨日か今日かウォーキングをしたいと思っていたのだけれど、ままならない。このままでは土曜は会社の疲れをとるために休養。日曜はその疲れを多少引きずるとともに、翌日の勤務を考えて無理をしないということになってしまいそうである。何かできるとしたら三連休の中日だろうか。 50が近付いてきていて年齢のせいもあるとはいえ、この疲れ方は異常なように思う。自分より全然年上の人でも悠々とランニングをしている。やはり病気のせいだと思う。バイクに乗るようになって自転車で走ったり、ウォーキングする機会がほぼなくなったのもあるかもしれない。それを挽回したいと思い、バイクをセーブしてゆっくりでもウォーキングをと思うのだがままならない。疲れているとどうしようもない。 会社を辞めてしまえば解決するのかもしれないけれど、そういう訳にはいかない。この先気力体力が戻るかというと、益々老いに近付いていくのだからそれは望めない。 今週は1日休みの4日勤務だったが、明日からは5連勤である。次の土日はかなり疲れているのだろう。同じ境遇でも家事をこなしている人もいるから、頭が下がる。こんなだから気が早って一人暮らしをしようとしたが、直感的に無理だと悟って気分的にも不安定になり、それを回避したのは賢明だったのかもしれない。健常者からすればウォーキングができないのも一人暮らしを怖気付いたのも弱い人間と思われるのかもしれないんだろうけれど。
Nov 26, 2017
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一人暮らしするという企みは挫折に終わった。 準備がなかなか進まないのはやはり不安があったからで、結局その不安が募って大きくなり、平日の会社での精神的苦痛に抗うことができなくなって、会社から逃げた。そしてすぐに精神科の診察の予約を入れた。 ほぼ心は決まっていたが、精神科の主治医と相談し、一人暮らしは見送ることになった。本当になさけない。迂闊だった。今の自分は会社での精神的苦痛にぎりぎり耐えているという状態である。そんな状態で一人暮らしするなんていう挑戦(というほど大げさでもないか)をしたのがそもそもの間違いだった。最初はなんとかなると思っていたが、結局はそうはならなかった。 物件を決めて主な家財を揃えての後戻り。家電は二束三文で売り払った。家具はただ同然で引き取ってもらった。実家で使うことになったものも少しはあるけれど、代償は大きい。高い授業料となった。 主治医に一人暮らしをすると話した際に、もしかしたら障害年金の更新申請が通らないかもしれないとの話があったが、それを思い出すに自分はそこには踏み込んではいけない状態であることを痛感した。障害年金を受けるにはある程度の生活の扶助が必要な状態にあることが要件にある。結局は自分は親からの生活の扶助あっての状態であって、とても一人暮らしをして何の扶助もなくやっていける状態ではないのだと。 もしかしたら、会社での精神的苦痛から逃れられるのであれば可能なのかもしれないが、障害年金の申請が社労士の力も借りずすんなり通ったのはやはり生活の扶助が必要な者と判断されたんだろう。 しかし、やってみて分かることもある。今回の一件で一人暮らしをして独立する上で最初に直面する色々な経験をすることができた。まぁ実際に一人暮らしをするまでは至らなかったけど。それはそれで良かったのかもしれない。生活する上でのちょっとした変化もあった。 でも、ずっと親に頼っている訳にもいかない。いつかは一人になるのだから。今回は先走って親からの独立を試みたが、時が経てばおのずとその状態はやってくる。その備えは意識しておかないといけないのだろう。
Nov 11, 2017
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今年はことさらだらだらとした夏休みを過ごしている。親との福島への一泊旅行を計画したが、台風が来そうなので宿をキャンセルした。 うつの日内変動が顕著だ。朝は調子が悪く、何もする気になれない。ウォーキングぐらいはかろうじてできるけれど。夕方前になってきてからやっと何かかしようという気になる。 今年の夏はコード・ブルーが7年ぶりに放映されている。3シーズン目とのこと。ただガッキーがでているということで知ったのだが、2008年の1シーズン、2010年の2シーズンとフジテレビ・オン・デマンドで無料で見れるのでひたすら前のシーズンと今放送中のシーズンを見返している。 ただただ同じものを何度もぼーっと見ている。他のドラマや映画を見るとか、読書をするとか新聞を読むとかする気になれない。ひたすら億劫なのだ。情報はYahooニュースとかの見出しを追うだけ。見出ししか見ないから知識にならない。考える力もつかない。社会に対する問題意識も希薄だ。起こっていることは他人事。自分に即座に影響が及ぶことしか関心が湧かない。自分勝手なのである。 新聞ぐらいは読まないとなと思うのだが、気分が拒否反応を示す。億劫なだけで読もうと思えば読めないことはないのだろうけれど。新聞を読んだり本を読んだりすることは例えれば運動をすれば身体にいいように、脳にいいのだろう。それを怠っているということは脳の老化が進むということだろうか。あまり考えたくはないが、若年性痴呆になる可能性もあるのだろうか。 うつの日内変動はいかんともしがたいので、抗うことはできない。双極性障害が軽うつで安定してしまったことを嘆くしかない。波がないのは他の人から比べたらましなのかもしれないけれど。うつ気味でいいことは活動しないからお金が貯まることぐらいだ。ただただ虚しく。生きていて何が楽しいんだかと思う。まさに生きる屍である。そう考えると気分がまたさらに落ち込む。気分転換をさせてくれる友達もいない。ただただ螺旋階段を駆け下りていくように奈落の底に落ちていく。その先には何があるんだろう。
Aug 12, 2017
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今日は会社を休んで自立支援医療の更新を区役所でしてきた。公費での負担支援制度は昔は自己負担5%だったが、自立支援医療制度になって1割負担になっている。5%というのはかなり昔の話だ。初回の申請は記録に残っていないので分からないが、障害者手帳の申請が平成18年なので、たぶん同じ頃だと思う。そうすると、もう10年以上になる。公費で支援してもらっている額も相当なものだ。昨日は会社での暇な時間に(暇なのがほとんどだが)会社の健康保険組合の組合員向けページで2016年の精神の医療費について調べてみた。医療費総額と健保負担分と公費負担分が分かる。 2016年の精神での医療費の総額は年間約60万円。内健保負担約42万円、公費負担約12万円だった。月額平均だと総額は5万円。内健保負担34千円、公費負担約1万円となる。自己負担は年間約6万円で月額約5千円となる。 やはり健康保険組合に相当にお世話になっている。ただでさえ休職時には傷病手当金を支給してもらっていたのに加え、毎年42万円の負担。自分の払っている健康保険料は月額8千円程度(正確には会社拠出分があるのでそれを加えると21千円程度)だ。年間では約10万になるが、42万円を差し引くとマイナス32万円になる。それだけ加入者の保険料の恩恵を受けているというこことになる。 公費については年間の負担額は上に書いたように約12万円だ。住民税は年間約16万円支払っているので 健保ほどの罪悪感は少ないが、これも助けられていることに変わりはない。それに、もう10年ほどは制度を利用してきているのだから、公費で支援してきてもらった費用の総額は120万円ということになる。かなりの金額だ。 障害者雇用として低い給与に甘んじてしまっていて忸怩たる思いはある。高い給与をもらって仕事で活躍している人をどうしても羨ましく思ってしまう。しかし、彼らはそれほど医療機関には行かず高い給与のため、高い健康保険料を支払い高い住民税を支払っていることを考えると感謝しなければいけないのかもしれない。 しかし、ふと考えるとタワマンのリビングで家族4人で談笑しながら給与明細を見て、今月も社会保険料がずいぶんひかれてるなぁと愚痴っている側になりたかったなぁとも思う。
Jun 30, 2017
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理由は思い当たる節があるようなないような感じではあるのだけれど、金曜の晩に眠ることができなかった。久しぶりである。眠れなくなると次の日の夜は果たして眠れるだろうかと不安になる。そして的中する。 土曜の晩もいくら寝たくてもなかなか眠りにつけない。翌日はやりたかったことがあったため、自暴自棄になった。ツイッターでひどいツイートをし、壁を蹴ったり殴ったりした。何の解決にもなるわけでもないのだけれど。それでも何とか心を落ち着かせて眠れるのを信じてベッドに横たわった。何とか6時間程眠れた。 そして今日。いつもと同じ睡眠の質ではないので、すこぶる調子が悪い。そんな中、大学のサークルの友人のお墓参りに車ででかけた。 大学のサークルの友人が他界したのは2003年の今日なので、今回が15回忌になる。今年は命日が日曜なので、お墓参りには今日行っておかなければと思った。 友人が亡くなってからは毎年命日の頃にサークルの同期と集まってお墓参りに行っていて、毎年恒例の行事だったが、10年経ったのを期に集って行くのは止めることになった。 それから5年。僕は一人寂しく友人のお墓まいりに行っている。誰を誘うわけでもなく。たった一人で。 僕は他の連中より他界した友人に近いと思っている。他界した友人は15年前に時を止めた。他の連中はそれなりに苦労はあるんだろうけど、人生を謳歌している。充実した時を進めている。 僕はどうかというと、精神疾患になり離婚して一人になった。会社では死んだも同然、私生活の充実度は10段階で測ったら1だ。時は止まっているというわけではないけど、果てしなく止まっているような状態に近い。止まってしまってもいいと思うこともある。 今日、お墓参りに行き、今日が友人はの15回忌であることを他の連中にメールした。返信してくれたのは1人だけであった。その他大勢の連中にとっては遠い過去の話しであり、賑やかに充実した人生を謳歌している最中に僕のメールでそういえばそうだったなと思い出したというところだろう。所詮旧友などそんなものなのだろうか。悲しく思う。 大学のサークルの友人とその当時のように付き合うことはもうないのだろう。他界した友人のお墓参りに行き、一人佇むとそう思う。止まってしまった時を動かすことはできないし、昔に時を戻すこともできない。 木が時間の経過とともに枝分かれしてそれぞれの枝が離れて成長してもうお互いが交わらないように、旧友と交わることはないんだろう。誰も過去のことなんて忙しくて振り返らないのだから。
Jun 4, 2017
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双極性障害の他の人はどうだか分からないけれど、僕は生活リズムの変化の影響が出やすい。 一昨日の金曜は同じ部で、自分と同じく精神(うつ)の障害者枠の人と帰りが一緒になって、最寄り駅の近くの茶店で遅くまで話し込んで帰りが遅くなってしまった。 普段は19時には帰宅して晩飯を食べて、21時には風呂に入り23時に就寝というパターンなのだが、その日は21時に帰宅して晩飯を食べて、22時に風呂に入り23時に就寝した。眠りの質も違った。普段よりも浅い。結局、翌日はほぼ1日倦怠感に悩まされることになる。 躁状態と鬱状態の波はほぼなくなり、軽うつに落ち着いたとはいえ、後遺障害とまではいかなくとも、健常者に戻りきれていない状態を考えると、まだまだ自分はこういう残遺障害が続くかぎり障害者であり、薬もずっと飲み続けなければならない。 何より軽うつ状態に固定されてしまったのがつらいところで、意欲がわかないので生きていく上での楽しみを見出せないし、コミュニケーションもおくてになる。健常者のようには働けない。 双極性障害の治療期間という言葉をたまたま見たのだが、どうも自分の考えにはそぐわない。治療と言うならば期間が終わるということになると「治る」ということになるが、全てのひとが治るというのだろうか。少なからずそういう人もいるかもしれないけれど、治るというのなら健常者に戻るということだろう。多くの人は治るというよりは寛解と言うべきで、その後の人生を多くの人は気分安定薬を飲み続けることになるはずだ。治療期間は終わらない。それが双極性障害の人のほとんどではないかと思う。 治らない人がほとんどなのだから障害なのであり、自立支援や障害者手帳や障害年金がある。双極性障害で不利益を抱えているのであれば、全ての人がこれを行使するべきではないかと思う。しかし、主治医の考えもあるので、一概に全て何とかなるとまではいかないという問題はあるけれど。 僕の場合はずっとかかり続けていたクリニックの主治医は自立支援と障害者手帳は協力してくれたが、障害年金には否定的だった。たぶん、収入があれば申請するべきではないものだというお考えだったのだろう。しかし、そのクリニックが閉院になって、転院した先の主治医は障害年金の申請に協力的だった。 ちょうどその同じタイミングぐらいで元々いた会社から子会社に障害者枠で転籍した。収入は3割ほど下がった。しかし、障害年金の申請が通って、ほぼその下落差を埋めるかたちになった。何が幸いするか分からない。 でも、それでも現状維持だ。16年障害者として生きてきて、通算では6年も休職をした。もしその16年間を順調に健常者として仕事をしてきていた場合と比べると、収入の差は5千万でも全然足りないだろう。 収入のダウンや滅失利益の多さと障害度合は比例するのではないだろうか。障害度合が軽微ならば収入はダウンしないし、昇給も順調なのではなかろうか(事業縮小など会社の事情は別として)。前者ならば、収入があっても、きっと障害年金の申請は通るし、後者ならば、主治医が申請の診断書さえ書いてくれないのではないだろうかと思う。
May 28, 2017
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結局、先週は1日半の休みを取って、それから土日の休みで今日は都合3日半の休みの最終日。昨日は千葉県の銚子にツーリングに行った。バイクは5年前から再デビューしたのだが、年々長いツーリングに行くと疲れがひどくなってきている。特に翌日に疲れが残って閉口する。今日がその翌日だが今までずっとベットで横になっていて、やっと疲れが取れてきて外出してドトールでブログを書く気になった。 先週の木曜日は午後に半休を取ったのだけれど、至極衝動的に昼の休憩中に思い立って課長に気分がすぐれないので午後は休ませてほしいと言って職場から退避した。もちろん、気分はすぐれているかすぐれていないかというと、どちらかというとすぐれている。だから職場放棄である。やる仕事がないから逃避と言うべきか。原因は、そのやる仕事がないことと職場での疎外感を強く感じていたせいかもしれない。 仕事(作業と言うべきか)が無く、パソコンに向かってひたすら空虚な時間を過ごすことはつらい。経験した人には分かってもらえると思う。それが木曜の午後も金曜もそうなると分かっていたので心がくじけた。それから、今は職場での疎外感を強く感じている。ただ、状況を考えると自分が周りの人間の立場だったら疎ましく思うだろう。仕事を積極的に手伝うという行動を起こさないという自分の悪い部分があると言うべきか。障害者としての甘えがあると言うべきか。 木曜日は帰りの電車でそんなふがいなさを思う。そういう時は自然と自殺を妄想する。昔ほど希死念慮はないが、こういう時にもたげてくる。木曜と金曜は日がなツイッターをして、フォロワーさんともやり取りをして、心を落ち着けることができた。助けられている。 病気になって16年。ずっとこんな調子できて、途中に寛解して昔のように仕事に取り組めた時期も一瞬あったが、復職している時は概ね仕事がない空虚な時間を過ごしながら騙し騙しここまできた。いつでもいつ限界がくるのだろうと思っている。でも、定年まではあと13年。16年何とかなったわけだから何とかしたいと思う。安定して働き、もしかしたら2人目の人生のパートナーができることだってあるのかもしれない。もしそうなったら、心がくじけてなるものかと思うだろう。 精神障害者はつらい。周りの人からも会社からも疎まれる。全ての人がそうではないのかもしれないけれど。障害者雇用では精神障害者は会社からしたらなるべく避けるものだ。生きづらい。明るい未来が見えない。ふと立ち止まるとそんなことを考えて暗澹たる気分になるが、会社にいて苦悩しているとそういうことを考える余裕もなく時間が過ぎる。そんな感じで31歳だった自分はあっという間に47歳になった。今にして見てそう思う。 中身の違いはあれ、健常者にしても障害者にしても人生はあっという間に過ぎていくのかもしれないが。
May 21, 2017
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朝から頭が軽くじわじわする。思いっきり殴られてしびれているような感覚に近い。夕方近くなっても消えない。これは自分でも分かってはいるが、ストレスで緊張状態におかれたときにでる症状だ。だが、普通はもっと痺れが酷く、ストレスから解放されればすぐに消失するのだが、今日は痺れが軽く長く続いている。それに何かストレスがあるわけではない。 思うに、ドライブやツーリングなどで少し無理した翌日にどっと疲れがでるのと似ている。基本的に普段は一人でいることがほとんどなのに、昨日は自助会で初対面の人たちと会って意見交換をした。それに、自助会に参加する前は不安感で緊張状態にあった。そのへんが影響して、今日はこんな症状がでてるのだと思う。だから、ドライブやツーリングは平気なのと同様、自助会では行くまでの不安感はあったが、会に参加している時は平気だった。 自助会はネットで見つけたもので、基本的には双極性障害の当事者が対象で、近隣で開催されているということで参加をしてみることにした。初めての参加なのでやや緊張した。 結論から言うと、いい自助会だと思った。 人数は8人と少人数で、テーマは決めずフリートーク。話は和やかに進んだ。一人づつ自己紹介をして、個人個人の特有な症状の話や薬の話、はては身の上話などなど。強制的に意見を求めるのでもなく、少し悪く言えば個々人が好き勝手喋るという感じだった。でも、それがいいと思った。少人数ならではできることだろう。絶妙なバランスではないかなと思った。 これが大人数集めるとそうはいかない。グループに分けてそれぞれのグループでテーマを決めて話し合って発表するとか堅苦しくなる。それはそれで意見交換が深まるということがあるかもしれないけれど、発表者はプレッシャーである。 かなり前に参加した自助会はそんな感じだった。それから、自助会に来るような人は軽躁気味であるのではないかと思う。うつ気味で意気消沈している人は来ないのではないかと思う。そういう人こそ来てもらいたいものだが。 今回参加した自助会は双極性障害の当事者で、精神保健福祉士の資格をお持ちの方がお一人で切り盛りしている。お一人で会則を作り、自助会やイベントなどを開催し、SNSの運営までしていて頭が下がる。なんとなく全てをお一人で背負っている感じがして、心苦しい。あまり規模は大きくしたくないという方針なのかもしれないが。 今回参加してみて気付きがあった。会社ではつらい立場で憂鬱ではあるものの、障害者雇用に落ち着き、病気も5年前から軽うつで落ち着いている。病歴も16年になり、様々なことを経験してきた。バツイチで実家出戻りで時間的余裕がある。バイクであちらこちら走っているばかりではなく、同じ病気で悩んでいる人のために何かできないものかと。 漠然と思っていることは、生活のための本業はあるので、あまり荷の重いことはできない。自分の持っている知識とスキルを活かしてボランティアとして何かできないかということである。生業にすると言う気は無い。しかし、軽うつではあるので、あまり責任ののしかかるようなことはできない。 それを模索して行く一つのきっかけが自助会なのかもしれない。
May 14, 2017
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9日間という長いゴールデンウィークも今日で終わり。あまり充実していたとはいえないので、やや長く感じた。充実していたのは2日だけ。あとは少し風邪気味になったり、充実した日の反動で翌日に疲れて伏せったりという感じだった。 今日は明日から会社なので、ほぼ何もしないで過ごした。そうすると、すこぶる調子が悪い。うつっぽくなり億劫で何もしたくなくなり、ただただ寝ている。やはり軽いとはいえうつなんだなぁと感じる。 顕著になってきているのが疲れ。今回は両親と日帰りで富士五湖の河口湖まで車で行ってきたが、翌日は疲れで伏せってしまった。加齢からくるものもあるとは思うけど、病気が拍車をかけている。 他の双極性障害の人はどうなのだろう。やはり疲れ易いのだろうか。飲んでいる薬の影響というのもあるのだろうか。そのうち会社に行っても翌日には疲れて休まないといけないようになるんだろうか。そうしたらもうリタイヤだけど。 今のところ、定時出勤定時退社。お昼は空き会議室でうつ伏せ寝して休憩して何とかなっている。とはいえ次回の祝日は7月半ば。それまで5連勤が続くが、途中に年休をとってしのがなければならないだろう。 あまり気にしないように、しょうがないと思いつつも、コミュ障のせいで周りとはコミュニケーション不足ということもあって人間関係はよろしくない。これは会社にいるときだけ我慢すればいいことと割り切ってはいる。危害を加えられるわけではないし。 自分にとって理解者は親しかいない。しかし、親の死は待ってはくれない。一応兄弟はいるが。 できれば同じ病気の理解者が欲しい。昔親しかった友人といえども病気のことを理解してもらうのは難しい。 来週の土曜日に思い切って地元の双極性障害の自助会に参加してみるつもりである。1度だけ自助会に参加したことがあるが、親睦会までは行かなかった。その時の気分で行く気がしなかった。今回はどうなるだろう。 もし同じ悩みを抱えている人がいれば、もしかしたら友人になれるだろうか。気が合い、価値観が合う人でなければ難しいだろうから、よっぽど幸運に恵まれないとそう簡単にはいかないだろうけれど。 しかし、動けば何か変化が生まれる。そう信じたい。
May 7, 2017
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今年のゴールデンウィークは9連休。これまでは意気揚々と1泊のバイクツーリングなど前もって予定を入れていたが、今年はそういう気が湧かなかった。何となく潮目が変わってきたのかもしれない。会社でのつらさがそうさせるのだろうか。 今朝は平日と同じ時間に起きて、早い時間にガソリンスタンドに行き車を洗車してもらった。最近はガソリンスタンドも減ってきているせいだろうか。早い時間に行っても待ち時間と洗車の時間で1時間半はかかる。 洗車から帰ってきてからは、どうしようもない気分の落ち込みに襲われた。ツイッターに書き込むことはネガティブなことばかり。こういう気分になると、やっぱり自分は病気なんだなってことを再認識させられる。結局は3時頃まで寝逃げして何とか持ち直し、Amazonプライムビデオを1本見ることができた。 病気ではあるものの、寝逃げして気分が持ち直すのはありがたいことで、気分が落ち込むのは病気のせいであって、自分の本来の気質がそうさせるものではないということがありがたい。性格のせいで病気を悪い方へ持って行ってしまうということはあるのだろうが。 人は性格を変えられないように思う。病気ではあっても明るく前向きに人生を送れる人は考え方を変えているのだろうか。しかし、それも簡単には変えられないように思う。境遇もあるだろう。病気を理解し、支えてくれる伴侶がいるといないとでも大違いだ。自分はその点、残念であった。 今日は昭和の日だそうで、さすがに平成29年ともなるとずいぶんと昔の話だ。昭和天皇が崩御された時は受験生だった。高校受験の頃に、いい大学に入って、大企業に入るという志を立てたが、その過程の大学受験を控えていた頃だ。浪人生だったが。 結果的にはいい大学に入り、大企業に入り、結婚もした。しかし、今となってはこの体たらくだ。高校受験の頃に立てた志は間違いだったんだろうかとふと思う。もう少し身の丈にあった人生を歩めば良かったのではなかろうかと。今更だが。 とにかく今日は気分が落ち込んで辛かった。久しぶりの感覚だった。会社の気疲れで伏せってしまうのとは訳が違う。つらいものだ。明日は気分が落ち込まずに過ごしたい。今は普段と同じような気分でいられること。それであれば十分だ。 欲を言えば、前向きな変化が意図せず訪れてくれればいいのだが。
Apr 29, 2017
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狙ったわけではなくとれた4連休。今日が最終日である。今日は天気予報では晴れであったので、予定通りバイクに乗った。往復で120kmと至極近場であったにも関わらず疲れてしまった。平日の疲れのせいで、バイクに乗っても疲れてしまうのかと思っていたが、4日も休んでこれではそうとも言えない。今日は春の晴れの絶好日和。バイクに乗って爽快であるはずが、疲れのせいでそうともいかず閉口。困ったものである。孤独を癒すはずのバイクが楽しめなくなってしまってはどうしたらいいのだろう。 僕と父は精神病院に併設されている歯科に通っているのだが、この間父がこれに参加してはどうかと、精神科の方にあったデイケアのパンフレットを持ってきた。精神病で無職の人が参加する平日のイベントであることを知らなかったらしい。僕が交流する友人もいなく、孤独であることを見かねてのこととはいえ、仕事をしている人は参加できないものだと話した。 精神病で無職の人は家で孤独にならないようにデイケアのようなセーフティーネットがあるが、障害者雇用で働いている人間にはそういうものがない。自助会のようなものもあるけれど、合う合わないがあって、必ずしも交流できるかどうかは分からない。まして、躁とうつの波があることを共通の悩みとして集まるのが双極性障害の自助会としたら、寛解といえるのかどうかは分からないけれども、軽うつで安定してしまっている僕にとってはその共通の悩みと相容れない。 年を取ってしまうと気の合う友人を作るというのは難しいのだろうか。やはり自助会に参加してみるのがいいのだろうか。 大学のサークルの同期と付き合えるのが一番いいのだけれど、皆家族があって仕事も要職に就いて忙しい。何人かLINEでつながってはいるもののやりとりはない。何かこちらから話題を持ちかけても何の反応もない。僕と違って忙しいからなんだろうけれど。大学の頃のように毎日のように会っている訳ではないから心も離れている。 もう一生孤独で生きていくしかないのだろうか。会社で嫌な思いをし、休んではまた嫌な思いを繰り返して。そして虚しく年をとって。
Apr 23, 2017
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今年になってから感じるのはとにかく「疲れやすい」ということである。 基本的に今の症状は軽うつであると思っているので、意欲の減退や先行きの不安感、諦観、疲れやすさというのはどうしてもある。 疲れといっても、平日の通勤(歩いたり、満員電車に乗ったり)の疲れというよりは、会社での人と関わる気疲れというのが大きい。 うつの日内変動のせいだと思うが、午前中は疲れやすい。休憩を少ししながら午前を乗り切り、昼休みにデスクで仕出し弁当を独りで食べてから、空いている会議室を見つけて30分程度うつ伏せ寝する。これは日課になっていて、これで午前の疲れを癒す。 それが過ぎれば、やはり日内変動のせいかそれほどには疲れは感じなくなる。退社して家に帰ってもベッドにうつ伏せ寝することもない。これは疲れが気疲れだから、会社から解放されるから疲れからも解放されるんだと思う。 だから、会社から解放された土日は以前はそれほど疲れというものを感じなかったはずだったのだが、最近様子が変わってきた。土曜日に平日にたまりにたまった疲れがどっとでて、朝から夕方近くまでうつ伏せ寝しないと疲れがとれないようになってきた。今年になってからそれが顕著だ。 これには困ったもので、今までは翌日に疲れを残さないために土曜日にバイクでツーリングして日曜は休息にあてるようにしてきたのだが、これからはそれが難しい。3連休にでもならないと、バイクのツーリングが難しくなってきている。しかも、どうやら今年は5連勤が延々と続き、3連休は少ないようである。毎週毎週がしんどい。 精神的な疲れは何とも言えず苦しい。とにかくテーブルやベッドにうつ伏せ寝して疲れがとれるのを待つしかない。昔、病気になる前、ばりばりと仕事をこなしていた頃の疲れは、どちらかというと体力的な疲れで、土日にスーパー銭湯にでも行ってサウナにでも入ればシャキッと疲れが取れたものである。精神的な疲れはスーパー銭湯でとれる代物ではない。気持ち悪く陰湿な疲れだ。 こればっかりは対処法もない。薬もない。どうしようもない。精神的な疲れから逃れる方法。会社を辞めるしかない。しかし、そういうわけにもいかない。 たらればとか考える。16年前にバツイチになった訳だが、精神病になり親元で経済的な不安はなく過ごしている。軽うつで散々な有様だが。 もし、16年前にバツイチになり、精神病にはならず、しかし住宅があり子供がいて、嫁さんに住宅を占拠されて子供もとられて自分は住宅ローンや養育費を払わされる。それも災難だ。でも、もしもそうなったらきっと仕事に情熱を傾けるだろう。遮二無二働く。そして月に1回は娘と会える。それを励みに働く。きっと仕事の疲れをスーパー銭湯で癒して、風呂上りにはビールでも飲んで、また働こう、そして娘と会おうなんてなってた可能性もあっただろう。 健全な疲れだ。どちらかにしろと言われれば、後者だ。 この先の人生、この陰湿な精神的な疲れとつきあっていかなければならないのなら、死んだほうがましだとまでは思わないけど。生きながら死んでいるといっていいと思う。
Feb 5, 2017
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2017年が始まった。今年は都合がつかないらしく、兄家族は正月に来ない。父と母との実家での普段と変わらずの正月である。毎年のことだが、僕は箱根駅伝には興味がない、しかし父母は箱根駅伝ファンである。だから、今は午前9時半だが外出してスターバックスでブログを書いている。昨日は箱根駅伝の時間をどう過ごそうかと思ったが、バイクでお台場まで出かけた。日差しが降り注ぐ穏やかな日だった。今日も同じような穏やかな日になりそうだ。 今年は年男である。とうとう48歳だ。この響きはかなり痛い。病気になったのは2001年で31歳だった。16年という時が過ぎた。その年の9.11にはテロでニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊した。今は綺麗に整備されて新しいビルが建っている。でも、僕の心の中はテロの当時の瓦礫の山のままだ。進歩していない。後退もしてはいないが。いや、世の中が進歩しているのだから、立ち止まったままの自分は実質的に後退しているんだろう。会社ではそんなふうに感じる。 紆余曲折を経て、2012年から安定期に入った。躁うつの波がおさまることが寛解なのだとしたら、寛解といえるのかもしれない。でも、昔のようには働けない。会社でやっていることはアルバイトでもできるような補助的な事務作業だ。もちろん障害者雇用扱いである。寛解ではあるかもしれないけれども、軽うつ安定という後遺症が残った。会社の人と仕事以外の会話はほぼない。毎日が朝出社して挨拶をし、指示があれば単純作業をし、指示がなければ暇な時間をやり過ごす。そして終業になれば逃げるように退社し、自宅に帰る。5年間そんな毎日を過ごした。それも今にして思えば残酷で失われた日々と思える。それがこれからも続くんだろうか?できればポジティブな変化が欲しいものである。 しかし、会社に仕事を離れて付き合いができる友人がいるわけでもない。もしいれば、その人を介して新しい出会いがあるかもしれない。でも、障害者雇用で収入が雀の涙と知れれば相手にはされないと思うけど。プライベートでは大学の友人などはみな家庭があり、会社では要職に就き忙しく、会うことがない。一人寂しくバイクに乗って暇をつぶす有様だ。それでも、バイクという一人で気ままに楽しめる趣味があることはいいのだけれど。 自分の会社やプライベートでの状況を客観的にみて、ポジティブな変化が訪れるのは飛行機事故に遭遇するより確率的に低いのではないかと思ってしまう。何よりもコミュ障で、新しい人と出会おうとする行動力がない。会社では昔関係した同期や知人から逃げ回っている有様だ。 しかし、希望は持ちたい。今までは極度にネガティブで(今までは書いた内容は十分ネガティブだが)何かポジティブな変化が訪れることを全否定していたが、今は仮に飛行機事故に遭遇するほどの確率のポジティブな変化が訪れることを願う自分がいる。そういう絶望的な状況であっても、まるで映画のようなどんでん返し的な変化を期待したい。 まだまだアラフィフである。希望は捨てないようにしよう。
Jan 3, 2017
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昨日で今年の勤務が終わった。年賀状は投函し終えているので、年末年始の連休初日の今日は自室の大掃除をした。 前回の掃除からかなりの月日が経っていたのでかなり埃がたまっていた。 部屋は6畳でセミダブルベッドなので、掃除する床面積も少ない。しかも、2台のパソコン、スイッチングハブ、LANケーブル、テレビ、携帯機器の充電ケーブルなどなどがごっちゃり這い回っているので、掃除機のかけようがない。いつも埃っぽいのが気になってきてからようやくすべて取っ払って大掃除をする。だから、掃除をするとかなりさっぱり感がある。 パソコンやテレビはほぼ毎日使っているので、「生きている」感があるが、部屋の中で「死んでいる」部分がある。本棚である。 本を盛んに買ったのは軽躁の頃(2005、6年頃)で、IT関係や株式投資の関係の本をたくさん買った。しかし、その後うつ状態になって本は買わなくなった。今も軽うつ状態なのでほとんど本は買わない。 なので、本棚には相変わらず10年以上前の本が鎮座している。新しい本をどんどん買っていこうとはならないので、状態が変わらない。捨ててもいいがめんどくさいので置いてある。虚しく死んだ本棚が目の前にある。 片付けのノウハウ本も読んだが、健常かつ好奇心旺盛な人はどんどん新しいものを買うから使わなくなったものはどんどん捨てていかないといけないのだろうけれど、軽うつでほとんど死んでるような活動意欲がない人間は新しいものを買わないから、今あるものを捨てる必要がなく、新しいものを買った時にそれと同じぶんを捨ててスペースをつくればいいと結論づけた。捨てるのがめんどくさいというのもあるが。 基本的には捨てられない人間。捨てるのが苦手な人間なんだろうと思う。と同時に無駄なものは一切買わない人間である。雑貨屋などに行くことはない。東急ハンズなどに行って何となく何か買ってしまうということもない。結婚していた頃はなんでこいつ(嫁さん)は無駄な買い物をしてくるんだろうと思った。女の人の特性かもしれないが。 しかし、本棚に10年以上前の本がなみなみと鎮座しているのは健全ではないと思う。内容的にもう一度読み返してみたいという程のものでもない。株式投資の本に至っては、投資に失敗しているので負の遺産である。 出来れば本棚を新陳代謝して生き返らせたい。しかし、現状の軽うつでは新たになにがしかの分野に好奇心を見いだし、本を買い揃えるようになるのはないと思われる。 本棚の時間は10年前から止まったままだ。
Dec 29, 2016
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ちょっとした用事や好きなテレビ番組を見たりしている以外は概ねリビングのテーブルで突っ伏してうずくまっている。これが軽うつの日常なのだと思う。フラットだと少しは意欲があり、何か活動をしているんだと思う。軽躁だと何か大胆なことを企むと思う。デイケアはそんな活動意欲がわかない、うつや軽うつにはいいのだろう。僕はまだ経験したことがないが、一度体験してみてもいいかなと思う。つてはないけど。 昨日は夕方に少し調子が上向いてきてから(だいたい午前中から昼過ぎぐらいは調子が悪い)図書館へ行ったが、雑誌を眺めるぐらいで読書意欲がわかない。少し書棚を眺めてちょっと興味を持った本をさらっと眺めて早々に退散した。 リーマス、ラミクタールを安定剤として飲み始めて4年経つが、ずっとこの調子である。その前はリーマスと三環系の抗うつ薬であるトフラニールを飲んでいたが、その時は躁うつの波があった。そして、リーマス、ラミクタールになって軽うつ安定である。医者からすると双極性障害の治療目標なのではあるが、QOLは最悪である。いいことは意欲がわかず、活動しないので、貯金がたまることぐらいか。 救いは何の因果かバイクに乗るようになって、ツーリングに行くことで意欲がわかない悶々とした時間をやり過ごすことができる。2度骨折はしてるけど。でも、もしこんな無味乾燥な人生が続くんだったらいっそのこと事故って死んでしまうのもいいかもしれないと思う。 だいたい、人との付き合いがない。会社で仕事を一緒にする人達と仕事上の会話をするぐらいだ。人は人と人との間にいるから人間なのだという。僕はさながら人ではあっても人間ではいような気がする。切ないほど孤独である。親と一緒ではあるのがまだ救いだけど、あと10年程度経てば本当の孤独が訪れる。 こんな内容のブログを一体何回書いたことであろうか。そして、これからも幾度となく書くことになるのだろうか。バイクに乗っている時間とブログを書いている時間が軽うつと孤独の魔の手から逃れられている時間かもしれない。しかし、それは所詮人としての時間だ。死ぬまでには人間らしい時間を過ごせるようになりたいものだ。
Dec 18, 2016
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急に寒さが厳しくなってきた。今週の水曜日は勤労感謝の日で休みでバイクに乗ったのだが、翌日が雪だったこともあり凍えるような寒さだった。バイク乗りには厳しい季節である。久しぶりにミスタードーナッツに来てみた。値下げされたとのことであったが、微々たるものなのか実感は沸かない。頻繁に利用しているのであれば実感は沸くのだろうか。最近、めっきりブログを書くのが減って来たし、また、ブログの内容のカテゴリも「その他」が多い。病気の内容が減って来ている事がうかがえる。よい傾向と言えるのだろうか。はたまた病気(障害)が固定してしまって、それが普通になってしまっているのだろうか。多分、病気(障害)が軽い状態で安定しているのではないかと思う。なぜそう思うかと言えば、健常な頃とは明らかに違うからだ。昔はできていた高いレベルの能力が必要とされる仕事ができない。今は指示された単純作業しかできない。コミュニケーション能力も無いに等しい。声を発するのは朝会での社歌を歌うときぐらいで、あとはまともに人と会話するのは無いに等しい。挨拶はするけど。双極性障害の躁とうつを繰り返すことが無くなるのが寛解ということならば、寛解になったと言えるのだろう。しかし、それと社会生活における回復は別なのではないだろうか。それとも、長い年月の障害者生活の中で失われてしまったのだろうか。多分、寛解なんだろう。そして不幸なことに社会的な回復はなされなかったということなんだろう。そして、これから一生このまま生きていく。この状態になってから4年が経過したから、服薬も変わらないということであれば大きな変化というものはないと思われる。はっきり言って生きづらい。自立支援や障害者手帳や障害年金があるのがせめてもの救いだ。結婚して一度は実家を出た。しかし、結局は離婚することになるのだがその前に別居して実家に戻った。自分はどうやら親と縁があるらしい。今も家事全般親に頼っている。実家を出ようかと考えたこともあったが、しがない障害者。いつ社会から脱落するか分からないので結局実家をに居る。流れとして自分は親を看取っていく運命にあるんだろう。自分で介護というのは現実的でないので、施設に預けるということになるのだろう。そして最期を見とどけるのだろう。独り残されて友達もいないので孤独な人生を生きる。親が亡くなって役割を終えたら穏やかに死を迎えたいものだ。これからの人生のシナリオはこんなところだと思う。九割九分九厘そうなるだろう。残りの一厘、たぶん外的な要因が発生すれば何かが変わるのだろう。それが起こるだろうか。もし起こったとすれば、人生は分からないということなんだろう。
Nov 26, 2016
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今日は平日だが、有給休暇をとった。理由は昨日、部の送別会があったからである。こういう夜の飲み会があると、極端に生活リズムが狂う。そういう日は睡眠がよくとれなくなる。 程度の差はあるのかもしれない。もしかしたら健常者のように無茶が効く人もいるのかもしれないけれど、概ね双極性障害の人は僕を含め、毎日決まった生活リズムを守らないと調子を崩す場合が多いのではないだろうか。朝昼晩の服薬をし、就寝前には眠剤を飲む。それが基本になる。 僕の場合は、平日は午前6時20分に起床し、朝食を食べ服薬。今は昼は服薬していない。会社は午後5時50分頃退社し、午後6時50分頃には帰宅。7時20分頃に夕食を食べ服薬。午後9時頃に風呂に入り、眠剤を飲んでから午後10時45分を目処に就寝する。このパターンが基本になっていて、少々のズレなら大丈夫だけれど、大幅にズレると影響がでる。 先週の金曜はちょっと辛かった。課での送別会で、午後9時には終わる予定だったのが、午後10時まで長引いた。場所は新橋。その時点で普段のリズムでは寝る45分前である。急いで帰ってなんとか午後11時には自宅の最寄駅には着いた。その時点でもう就寝15分オーバー、しかも風呂に入らなければいけないのですぐに寝るわけにもいかない。結局、自宅に帰って、すぐに風呂に入って、少し涼んで寝たのは日をまたぐ頃になってしまった。翌日は休みだからよかったものの、満足な睡眠はとれず、土曜はぼーっと過ごすしかなかった。 昨日の部の送別会は、新橋で午後の9時に終わり、帰宅したのが午後の10時で、すぐ風呂に入って、涼んで寝たのが午後11時だった。しかし、就寝時間はあまり変わらなくても生活リズムはガラッと変わっている。いつもの生活リズムだと午後9時には風呂に入る。それが午後10時にズレただけでもう影響がでてくるのである。案の定昨晩はなかなか眠りにつくことができなかった。でも、先週に比べればまだましだったので、今日は外出ができている。 徹夜なんて、もう自殺行為だろう。海外旅行ももう難しいと思っている。オーストラリアだとかアジア近辺だったらいいかもしれないが、アメリカやヨーロッパは難しいかもしれない。現地の時差に合うリズムを作る前に具合が悪いまま帰国することになるだろうと思う。 あまり無茶ができないのも年齢のせいもあるだろうか。もうずいぶん前だけれど、その頃は趣味の釣りに行っていた。北関東の管理釣り場にルアーでトラウトを釣るのが好きだった。現地に7時頃に着くとすると、朝食を食べて車で現地まで移動してとなると、朝起きるのは午前4時頃になる。それができていたのは、もう5年以上前だろう。今はその強行軍はもう難しいと思っている。もうそれ以来釣りをしていない。残念だと思う。 双極性障害の人間は生活リズムを崩さないのが大事なのではあるが、人生での楽しみを犠牲にしなければならないのが哀しいところではないかと思う。
Sep 27, 2016
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今日は会社を休んで区役所に障害者手帳(精神障害者保険福祉手帳)の受け取りに先ほど行ってきたところ。先月末に出頭命令書が郵送で届いていた。ツイッターのフォロワーさんによると、手帳は書留で送られてきたとのことで、このへんは地域によって温度差があるようである。 ひどいのは、出頭命令書に書かれている持参物が色々とあったのだが、提示を求められなかったこと。持参物は以下のものだった。 1)印鑑 2)写真1枚 3)申請書の控 4)既存の手帳 5)健康保険証 6)普通預金通帳 7)個人番号通知カード 8)運転免許証(身元確認書類) 9)精神障害者保険福祉手帳交付申請用診断書料助成申請書 結局、申請書の控と健康保険証と普通預金通帳と個人番号通知カードと運転免許証については確認を求められることはなかった。どれも大事なものなのになくしたらどうしてくれるというのだ(−_−#) お役所仕事もいいところである。 ともかく、障害者手帳の更新は無事済んだ。 障害者手帳の初回の申請は平成18年だったので、丸10年が経った。初めは所得税の控除が受けられることが利点だなと思って申請したのだが、10年という時を経て、会社を転籍して障害者枠の雇用になり、手帳は必要不可欠なものになっている。 今は人事の採用の部署にいるので、障害者雇用に関する情報を見ることができる。総じて採用される方々は精神障害者であっても面接を経ているので、本当に障害者なのかなと思うぐらい優秀である。職務経歴書などを見ると、立派なもので、精神疾患になってから仕事らしい仕事を何もやってきていない自分はこうは書けないなぁと思う。 企業は障害者雇用率を達成するために障害者雇用を重視している。なるべく障害が軽微で優秀で手帳を保持している人材を求めている。そこには障害者の転職市場という不思議な世界ができあがっている。また、障害者の人材紹介をする会社もあり、雇用が成立すると紹介手数料を企業が払う。 精神障害者にとって、障害者雇用は狭き門なのだろうとは思うけれども、受かっている人は、こう言っては何だが医師のさじ加減で入手した障害者手帳を持った、ほぼほぼ健常者という人が少なくない気がする。
Sep 7, 2016
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長かった夏休みも最終日になってしまった。明日から通常通りの悪夢が始まる。なるべく悪夢に慣れていくようにしたい。 何度も書いているが、今年の夏はオリンピックに救われている。テレビを見ていて楽しい。毎年やってもらいたいものだが、ギリシャの神様が決めたことなのかどうなのかは知らないけれど、4年に1度というのは変わらないのだろう。 今回思ったのは、組織力というのは日本の特質なのではないかということ。サッカーは予選で敗退してしまってはいるのだけれど。 1番強く感じたのは男子の400mリレーである。決勝のアンカーでウサインボルトとケンブリッジ飛鳥がほぼ並んで走っているのを見て、これはすごいなと思った。他の国は9秒代で走る選手を何人も揃えているのに、全員が10秒代なのにジャマイカに食らいつき銀メダルを獲った。まさに組織力である。団結力とも言い換えられるだろうか。 時間をかけ、コミュニケーションを密にし、いかにバトンパスのロス時間を縮めることにこだわったのかが分かる。 体操もしかり。内村航平という個人総合金メダリストを擁しているとはいえ、団体で金メダルを獲るということは、いかに組織力があるかということだと思う。 いやはやこのへんはビジネスの啓発本でも書かれるんじゃないかと思う。組織力を発揮するにはどうすればいいかと。オリンピックの2種目を例にして検証してみた、みたいな。 そこでお題目のように唱えられるのがコミュニケーション力である。組織力を発揮するにはどうしてもこれが欠かせない。 スポーツもビジネスも競争である。同じようにそこでのチームは組織力を求められる。おのずとコミュニケーション力も求められる。 しかし、「普通の」人はコミュニケーションに障害がある人間のことを(聴覚障害者などは別にして)想像だにしない。協調性のない不適格者の烙印を押す。だから精神疾患でコミュ障の人間は会社では生きづらい。精神疾患で組織になじめず会社を辞める人は意外と多いのではないかと思う。 だから、自分も含め同じような境遇の人は、日本的特質、つまりは組織力を発揮しなくてはならないという日本的DNAの犠牲者ではないかと思っている。 会社を辞めたとしても町内会のようなコミュニティーでもコミュニケーションは欠かせない。ここでもコミュ障だと異端児になってしまう。逃げ場がどこにもない。孤独に暮らすしかない。 悪い夢を見続け、孤独死し、灰となるほかはない。その後も悪い夢を見続けるのは勘弁してもらいたいものである。
Aug 21, 2016
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昨日は朝起きて朝食を食べ終わってから、どうも気分がすぐれないので会社を休もうかと考えた。でも、完璧に行けない状態という訳でもないのでなんとか支度して駅に向かったが、やはりどうしても気分がすぐれず家に引き返し、上司の携帯に休みますと連絡した。 その日は冷房の効いた部屋でほぼ1日寝ていた。夕方に少し調子が戻り、少しツイッターをやった。もうずいぶん前から何かつぶやくという気分ではなくなっていて、リプライが主体なのだが、昨日は多少つぶやいた。何の有益性もない、見た人がきっと気分を害するような吐き捨てるようなつぶやきだったと思うけど。 今日はやりたいと思うことが決まっていた。バイクの車検が終わって引き取ってそのまま100kmほど走ったのだがそれから3週間経つので午前中はバイクに乗ろうと決めていた。酷暑ということもあって、8時に出発し、秩父方面の道の駅を目指し、10時半頃には帰宅する予定だったが、思ったより時間がかかり、帰宅は11時半になった。 去年は酷暑のなかバイクで長時間運転して、頭痛で寝込んだことがあったので、帰宅が遅くなって気温も上がり、去年の二の舞になってしまうかと心配したが、幸い軽めの頭痛で済んでいる。 さて、本題。マズローの欲求階層というのをご存知だろうか。5階層あって、1階層は「生理的欲求」。これは本能的なレベルの欲求で、食欲や睡眠欲など。2階層は「安全の欲求」。本能的な欲求が満たされると、生命をおびやかす危険を回避する。3階層は「愛情と所属の欲求」このあたりからが社会的欲求となり、他者とのコミュニケーションに関する欲求が強くなる。4階層は「承認の欲求」。これは他者から認められたいという欲求で、自尊の欲求ともいう。5階層は「自己実現の欲求」で、理想の実現などにたいする欲求で、成長欲求ともいう。これがマズローの欲求階層である。 今の自分の状態はどうだろうかと考えると、1〜3階層までの欲求はとりあえずある。食欲や睡眠欲は言わずもがなだが、病気をコントロールするために薬を飲んでいる。3階層はちょっと微妙で、コミュ障なのであまり成立していないが、さみしがりやなので、意外と欲求は強い。問題は4階層から上である。 他者から認められたい欲求というのは、社会人としては上司や顧客なりに認められて業績を上げたいということになるのだろうけれど、精神疾患になって、障害者雇用という境遇になると、会社に在籍させてもらっているだけでありがたく、業績を上げて昇給したいなんて発想も湧かない。もうそんなことは諦めてしまっている。自分がかろうじて受け取っていく給与が上がっていくなんて目論見はさらさらないのである。 まして5階層なんて雲の上の話だ。これは出世して社長になりたいとか何かの職種でスペシャリストになりたいとかそんな類の欲求だと思うが、これは健常者でも諦めてしまうレベルのことだろう。意識の高い人というのは、この4、5階層あたりの欲求が強い人のことをいうのだろう。このへんの人はツイッターで自己啓発的なつぶやきをするのだと思う。こだわりがあり、何かのテーマの自論を述べたりする。 自分は社会的な欲求というものは、もう望んでも仕方ないことだと思っている。諦めている。だから何かに取り組もうという意識も低い。こうなるとツイッターでつぶやきなんてでてこない。会社から開放されたとか風呂から上がったとかそんなレベルのつぶやきしかでてこない。あとはひたすら愚痴である。 3階層目の欲求はやはり強い。結婚はしたが離婚して失敗している。それだけに、家族は持ちたい。しかし、障害者雇用で養うに足る身入りもないし、コミュニケーション能力もない。きっとそのへんの己を呪うかのような見苦しい愚痴をつぶやいているのではないだろうか。 Facebookに幸せな家族像を投稿する人達にこの僕の気持ちは分かるまい。もちろん幸せそうに見えても色んな苦労をしているのだろうけれど。
Aug 6, 2016
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朝に遅く起きたのが良くなかった。気温が上がり、起きた時にはすごく怠かった。このままでは良くないと思い、何とか起きて朝食を食べるも、食後のストレッチは忘れ、億劫で髭も剃らず怠い状態は続いている。憂鬱な日曜日である。しかし、梅雨が明け本格的な夏になって間もないので身体が慣れていないんだろう。これからますます気温が上がっていくと思われるので、寝起きが怠くなる前に起きるように心がけたい。 子供神輿を担ぐ声が聞こえる。そういえば子供の頃は子供神輿を担いだ記憶はある。しかし、それ以来祭りというものとは縁がない。まして、今は躁うつ病の軽うつ状態であるから祭りというものに参加したくもない。いつも通っている床屋は幼馴染がやっていて、そいつは神輿を担ぐのが大好きらしい。所属している町内の神輿は担ぐのが当たり前だと思っているようである。祭りなんて興味がないと言う訳にもいかないので、なるべく祭の話題は避けるようにしている。神輿を担いで汗をかいて酒を呑んで夜中まで騒ぐという感じなのだろうから、自分のとは縁遠い。 大学の学園祭などあるにはあったが、出店などをやったりしたが、結局何を楽しんでるのかというと酒を呑んで馬鹿騒ぎをするのが主であって、病気になってしまった今と違い嫌いではなかったけれど、元々酒は弱いので、周りと同じペースで酒をあおっていると酔いつぶれてしまうのが関の山だった。でも、気の合う友達に囲まれて過ごした日々は楽しくかけがえのないものだった。 今は周りに気の合う友達もいない。軽うつでコミュ障で人の輪の中に入っていけないし、新しい友達を作るというのも難しい。会社では周りの人とは挨拶と仕事に関する指示を受けるだけで定時に出社して定時にさっさと帰る。雑談などは一切しない。一人や二人でも趣味の友達やら(ほとんど飲めないけど)飲み友達やらいてもよさそうなものだけど、誰も理解しあえる友達はいない。 病気のせいで平日も休日も苦しいし虚しい。そんな気分を転換させてくれるのがバイクかもしれない。地図を眺め、気の向くままにツーリングする。バイクと相対するのに健常者やら障害者やらの区別はない。バイクは平等に相対してくれる。協調性なんてなくたっていい。免許さえあればいい。 車を買い換えたので、それを放っておくという訳にはいかないのだけれど、車の運転よりはバイクの運転の方が断然楽しい。バイクは体力的には疲れるけれど、あまり神経は疲れない。車の運転は神経が疲れる。これが病気に良くない。あまり長時間運転すると神経疲れで寝込んでしまう。夏休みに遠方へのドライブを計画したが、近場へ切り替えた。 バイクを手放すとしたら、きっと彼女でもできて結婚して所帯を持った時だろう。99.99%ないとは思うが。
Jul 31, 2016
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自宅の最寄り駅から1駅目で、そこから少し歩いた所に、しばらく前にホームセンターができた。かなり大きいビルで、規模の大きいスポーツショップや食品スーパーなどが入っていて、イオンなどのショッピングセンターに引けを取らない規模である。 今日はゴールデンウィークの爽やかに晴れた日で少し暑いぐらいである。本当ならバイクでツーリングというところだが、あいにく鎖骨の骨折が治っていないのでバイクは自重している。家に居ても鬱々としてくるので(午前中は鬱々としていた)、午後は少し歩きがてら、このショッピングセンターに来ている。 何か面白そうなものがないかなと思って来る。ホームセンターは玄人が資材を調達しにくるくらいだから、普通のショッピングセンターにはない品物が多い。見ていてこんなものもあるのかと面白く見ているのだが、だんだん飽きてくると予期不安が襲ってくる。結局は将来的に必要となりそうなものに興味がいくようになる。 まずは駐車場関連の資材。今は自宅の敷地は半分は建物で、もう半分は月極の駐車場にしている。今は親が管理しているが、できなくなれば自分がやらなければならない。今は母親がわざわざ借主の名前を小さな看板に書いて立て掛けてあるのだが、自分が管理するようになったら面倒なので番号で管理しようと思っている。そういった番号をアスファルトに印字するキットがあったりする。 頭が痛いのは建物側の庭の管理だ。親は庭いじりが好きで、ガーデニングショップによく行き花を植えたり、雑草が生えてくる季節になると早起きして草むしりをしている。親ができなくなったら雑草が生え放題でジャングルのようになってきてしまうだろう。雑草が生えない土壌にしたいものだが、いい方策がみつからない。生活に余裕があればお金を出して庭の手入れをお願いするのかもしれない。 なんてことを考えたりすると、やはり鬱っぽいせいで取り越し苦労の予期不安がでてるんだなと思う。健常でマイホームがあって、子供がいれば、ホームセンターでもっともっと前向きなことをいくらでも考えることだろう。鬱っぽい独り身だと所詮考えるのは予期不安的なことである。 早くバイクに乗れるようになって、そっちに集中して予期不安に苛まれないようにしたいものである。
May 3, 2016
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鎖骨を骨折してから休日は自宅で鬱々と過ごす日々が続いている。仕方がないので金曜日にはジュンク堂に寄って本を買って週末に読んでいるのだが、今週は本の選択に失敗した。 題が『終わった人』で、著者が内館牧子だった。題のところに目がいって、多少慰みにでもなる内容のものかと思ったが、主人公は定年したエリートサラリーマンの話で、いちいちキザな表現が多く、いかにも気位の高いおばさんがドラマ仕立てに書いているといった内容で、半分読んで飽き飽きとしてきた。暇だし、折角買ったのであと半分読もうとは思うのだが、読み終わってもたぶんつまらなかったとなるだろうなと思う。 一般的な人は定年後、どう過ごすのだろう。気の置けない友人とたまにゴルフに行ったりなんかして過ごすんだろうか。僕の周りの大学の友人達はそんな過ごし方をするんだろうなと思う。それで奥さんが定年前と変わらず世話をしてくれる奴は幸せなんだろう。 僕はゴルフはやらないから大学の友人とは疎遠になるんだろう。それに、おそらく定年前に会社を辞める確率が高いと思う。周りには友人が居らず、年老いた両親の世話をできる限りすることになるんだろう。両親に先立たれた後はいったいどうなってしまうのか。精神病で人と関わり合いが持てず、孤立無援になっていったいどうなってしまうのか。 人は社交性を失うと生きづらいのだと思う。
Mar 20, 2016
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休みの日はだいたいバイクでツーリングに出かけているかブログを書いているか調子が悪く寝ているかということが多い。友達とテニスをするとか飲みに行くとかいうことは一切ない。大昔、大学から社会人の初めの頃はそれが当たり前だったんだけど。今は年に1回だけ、忘年会の時だけに大学のテニスサークルの友達と会う。 果たしてそれが友達付き合いと言えるんだろうか。少なくとも月に2〜3回は会って飲みに行くとかしているのが友達なんだと思う。僕にはそういう存在の友達がいない。100%いないという訳ではないけれども、99%友達がいない状態なんだと思っている。それが要するに精神的貧困だ。心通わせる存在の人がいない。救いは愚痴を言えて世話をしてくれる親がいるということではあるが。 全ての元凶は離婚したことと双極性障害になってしまったことにある。きっと病気でも家族がいれば、団らんがあり、子供の世話をし、その成長を見守っていくという生きがいもできただろう。僕の場合は双極性障害といっても9割方はうつ状態である。人と積極的にコミュニケーションができない。だから、もし離婚しても双極性障害にならなかったら、もしかしたら普通に人付き合いをし、もしかしたら再婚ができていたんではないかと思う。今のような精神的貧困状態に陥らなかったのではないかと思う。 では、これからどうしていけばいいのだろうか。 ネットの再婚斡旋サービスに登録してはいるものの、これは完全に健常者向けだ。人を養える年収もなく、まともにコミュニケーションをはかれない今の自分には現実的じゃない。 大学の友人は人生で会社生活が一番忙しい時期で、土日は仕事をしているか子供の世話をしているかといったところで、余裕もない。仮に余裕があったとしても、コミュニケーションに奥手だからこちらから飲みに誘うという気は湧かない。飲んでも精神病からくる仕事の悩みなんかを話すだろうから、きっと理解してはもらえないだろう。 こういう精神障害者は孤独に耐える運命なのだろうか。 何故こんな仕打ちを受けなければならないんだろうか。 もし僕が不満を爆発させる人間だったら、新幹線に灯油をまいて火をつけるんじゃなかろうか。そんなことまで思ってしまう。 ある人は、簡単に「友達作ればいいじゃん」と言うのだろう。事情を話す気にもならないが、そんなことを言う奴がいたら殺意を抱くかもしれない。 まぁ、100%完璧に人生を送れてる人間はそう多くはいないだろうから、自分の評価としては超最悪な人生だけど、死ぬわけにもいかないので、この状態で生きていくしかないのだろう。明日末期癌で余命3ヶ月と宣告されても、ああそうなんだぁと思って、死に向かって淡々と過ごすことだろう。生きがいのない人生を続けるのは苦痛でしかないし、願っても無いことかもしれない。
Feb 14, 2016
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会社で障害者福祉サービス関連のページを見ていて、近所、いつもウォーキングをするコースの近くに就労移行支援の事業所であるカフェがあることを知った。今日はそこに来ている。自宅からは1,700歩、1.2kmというところだ。 埼玉県さいたま市大宮区大成町という閑静な住宅街にぽつんと居を構えている。お店の名前は『CAFE TICO』。お世辞にも珈琲は美味しいとは言えなくもないが、雰囲気のいいお店である。古本が揃っていて本好きには居心地がいいだろう。アンケートも置いてあって、店の改善を意識しようという意向が感じられる。 ここは特定非営利活動法人ゆうの樹というところが精神障害を持つ方、長期ひきこもりの方等の社会参加の支援を目的として運営している。同時にコスタリカコーヒーのフェアトレードをしていて、お店の珈琲に使われてる。また、ゆうの樹は合同会社ビエネスを設立していて、ビエネスは大宮古書店という名前でAmazonマーケットプレイスに出店している。ここでも障害者が古書の回収補助や本のクリーニング、出品データの入力作業や注文の発送作業を行い、就労スキルの向上を図っている。 就労移行支援というと、パソコンのスキル向上やコミュニケーションスキルを養うイメージがあったが 、この就労移行支援のお店はそういうことはしていなく、非常に温かみがありアットホームだ。果たして就労に結びつくのだろかという疑問を持ってしまうこともなきにしもあらずだが。 会社を3年という休職満了寸前で踏みとどまった身としては、就労移行支援というサービスと縁があった可能性はある。そう考えると、こういう施設を応援しようという感情が自然と芽生える。 今の自分の会社での状況を考えると、就労移行支援で訓練して、会社の面接を経て障害者枠などでで就職してくる人に比べると非常に劣っているのではないかと思っている。特にコミュニケーションの部分だ。お世辞にも会社で働くのに遜色のないレベルとは言い難い。ほぼ仕事(というか作業)のやりとりしかしていない。雑談などはできない。14年という長きにわたり会社に飼い殺され続けられた報いだろう。経済的には良かったことではあるが。 経済面を考えると、今の会社に苦しい思いをしてでも居続けるのがベターだ。また、一障害者として考えると、当事者ではあるけれども、こういった精神障害者の就労移行支援に何かしらの貢献ができればいいなと考えたりもする。具体的には支援員ということになるのだろうが、多分ちょっと難しいだろう。会社を辞めてハローワークの障害者枠で支援員になれっこないしね。 そう考えると、就労移行支援とは縁はないかもしれない。 たまにこのお店に来て、珈琲を飲みながらブログでも書いてわずかな貢献をするのが関の山かもしれない。
Feb 13, 2016
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先週の土日は、寒くてほぼ家にこもりきりで、気分もすぐれず外出することができなかった。冬季うつとよく言うが、ややそれに近い状態になっているのではないかと思う。今日も朝起きてテレビを午前中から見続けたら疲れてしまい、出かけるつもりが外が寒いのと億劫感が手伝ってなかなか外出がままならなかった。でも、何とか気分を入れ替えて支度し外出した。 でも、うつというよりは平日に感じている強烈な精神的ストレスの蓄積も大きな原因だろう。年末年始の特殊な雰囲気と行事。年を明けてからの採用応援の新人の着任と変化が多かった。これからやっと普段の状態に落ち着いていくだろう。 僕にとって唯一の気晴らしはバイクに乗ること。今のシーズンはちょっと寒くてしんどい。それに、ここ最近は天候も悪かった。来週あたり、天気が良ければ乗っておきたいところだ。でも、春が待ち遠しい。暖かくなってくれば自宅で鬱々と過ごす日々も減るだろう。 年末年始にストレスを感じるのは忘年会や新年会などの親睦を図る行事があるのが原因だ。両方とも欠席した。人と和気あいあいと話すのが苦手なだけにバツが悪い。僕ははっきり言ってコミュニケーションに障害がある。だからまともな仕事ができない。できることは明確に指示された作業だけである。 今は障害者雇用関連の書類をよく見る部署にいる。よく、精神障害の応募者で、コミュニケーションには全く問題がありませんとか書いてある。 会社側は精神障害の応募者のコミュニケーション能力を気にしているのである。障害者雇用などで応募して入ってくる人は、概ねコミュニケーション能力が高い。会社の面接に合格するのだから、厳しい目でチェックされて合格して入ってくるのだからそうなのだろう。それで手帳の等級が2級とかだったりするから、どんな基準でそうなるんだろうと訝ってしまうが。 だから、僕よりはるかに優秀な、コミュニケーション能力に長けた精神障害の人はいくらでもいるのである。僕を首にしてそういう人を雇えばいいのだろうけれど、まぁそういう訳にはいかないのであろうが。 会社は組織の分け隔てなく積極的なコミュニケーションができる人をよしとする。僕のように1つの組織の中で最低限のコミュニケーションしかできない人間は害悪なのである。だから、そんな会社という組織に月曜から金曜まで毎日8時間拘束されるのだから、精神的な苦痛は計り知れない。まぁ、でも今はパソコンとにらめっこしてたら仕事しているように見えるから助かるけど。 その日は突然にやってくるんだと思う。(その日とは会社生活が終わる日だ)少なくとも、今度休職したらそのまま休職満了で退職だろう。そうしたらハローワークに通いながら次の人生をゆるゆると考えることになるのだろうが。社会との接点は持っておきたいから、週2か3ぐらいのアルバイトでもしてお気楽に暮らしていきたいものだ。
Jan 30, 2016
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今日は平日の休み。気分的には楽だけれど、平日の勤務と土日の休みというリズムが少し狂って調子がいいという訳でもない。おまけに平日の精神的な疲れが祟って右目が赤くなって違和感がある。本当なら眼科に行った方がいいと思うのだが、我慢はできるので、明日会社に行ってみて症状がよくならないなら土曜に眼科に行こうかなと思っている。という訳で眼科よりブログを書くのを優先してしまった。 さて、思えば長く続けているもので、このブログを始めて10年である。しかし、更新はあまり頻繁にはしておらず(特にここ最近は)、散発的に日々雑感を綴っているのが多いと思う。内容的にはやはり病気のことが多いだろうか。毎日ブログやメルマガを書き続けてる人を尊敬してしまう。好奇心が強く、これは書き留めておかなければとなるのだろうか。 ブログは2000年代前半から開設する人が増え始めたように思う。 興味は持っていたのだが、ブログを書くに当たって特にテーマとすることがこれといって無かったし、書く余裕も無かったので開設するには至らなかった。 トリガーは躁うつ病の躁病相の始まりだった。株式投資に夢中になり、株を買った会社の株主総会に行って質問などをしてそれをリポートするために開設したのが始まりだった。しかし、その直後うつ転し、10年の闘病ブログとなった。 今は題にもある通り、気が向いたら更新するようにしている。基本的には週末である。 今はツイッター経由で見ていただいている人で、精神疾患の人が多いのではないかと思いますが、つたない文章ではありますが、読んで下さってありがとうございます。 こんな感じでまだまだ続くのかな。では。
Jan 14, 2016
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昨日は会社の忘年会の予定だった。今週は憂鬱な気分が続いていた。忘年会の日は会社を休んでしまおうかと考えた日もあった。 当日は朝方強めの雨が降ってその後快晴になり、朝方寒かったのが春のような気温になった。その気温の変化に気分がすぐれなくなったのと、忘年会の憂鬱さが重なり会社にいるのが辛くなって、結局午後に半日休暇を急遽とって会社を後にした。実質的には忘年会から逃げたという格好である。多分、週明けの月曜日の課長の心象は悪いだろう。 僕の会社は和を尊ぶ傾向が強い社風なので、忘年会などのような年に何回もない行事は半強制的である。親睦を深め、風通しの良い雰囲気を作っていくということだが、精神障害者には気が重い。一部の精神障害者と言った方がいいだろうか。精神障害者だろうが忘年会を楽しみにしている人もいるのだろう。 忘年会のような行事は何度もでているが、いつもしばらくすると自分の周りに誰もいなくなり、途中で帰ったりしている。基本的に軽うつなので自分から進んで話そうとしないし、大体の人は僕が精神障害者と分かっているので僕に対して何をしゃべったらいいのか分からないのだろう。初めのうちは周りが会話をして僕が黙って聞いているという状態が続くが、会話が行き詰まると沈黙が訪れ、三々午後散って他の席に行く。他の席の人にとっては僕は招かれざる客であるし、そんな雰囲気の場所へは入っていけないので、一人最初にいた席に取り残されるということになる。だから、こういう行事は憂鬱なのである。 まだ病気が不安定で、軽躁だった頃は忘年会を楽しみにしていたという程ではなかったが、苦にはしていなかった。もう5年程前のことだろうか。その頃はリーマスと抗うつ薬を服用していた。それからうつになって会社を1年休み、リーマスとラミクタールを服用するようになってから症状は軽うつに落ち着いた。それから3年ほど、躁になったことはない。 ただ、いかんせん軽うつなのでテンションが低く、不安感が強い。会社では健常者がするような仕事ができないし、忘年会などの行事は避けたい。社会人生活を続けていくことがかなりつらいものがある。 双極性障害の人の悩みは躁とうつという気分の上がり下がりで、それをいかに無くすかということが治療目標であり、医師は気分安定薬を処方していかにそれを無くすかを目標とする。しかし、その安定の状態を軽うつに落ち着かせることを目標にする。気分が上がったり下がったりで社会生活に障害があるよりは、軽うつでも安定させた方がいいという考え方なんだろう。しかし、ベターであってベストではない。QOLは低い。 20代の頃は結婚もしたし、仕事では営業で億単位の商いをしていたし、元々はしっかりとした健常者であった。悲しいかなその頃はには戻れないのである(戻っている幸運な人もいるのだろうけれど)。 元に戻っている人もいる。そういう意味では治る病気なんだろう。しかし、僕を含めた大多数の人にとっては治らない病気であるのだと思う。障害手帳や障害年金があるのがその証拠だと思う。 社会保障があるからといって、つらい社会生活を改善してくれる訳ではないのだが。
Dec 12, 2015
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今日は本当は外出する予定があった。しかし、予定はキャンセルして、自宅で臥せっていて、少し起きて自宅でブログを書いている。 先週は無難に5日勤務して銚子にツーリングに行けたのだが、今週の勤務は早朝にフロアの掃除をする当番で早起きをしなければならなかったのと、精神的にストレスがかかるイベントが2日連続であったので、4日勤務ではあったのだがかなり疲れてしまった。 金曜日は上司に言って14時には退社させてもらった。自宅に帰ってもすることは無いので、ドトールで小休止したりしていたが、右目に違和感を感じていた。眼科に行くべきか迷っていたが、これぐらいならほっとけば治るかなと思っていた。 しかし、翌日は朝から右目がゴロゴロしてどうしても気になる。やはり眼科で診てもらうことにした。 結果は、右目がに傷ができているとのこと。目薬を処方され、翌週の土曜日にまた診察を受けることになった。 原因は分かっていて、会社でのストレスである。これで何度も眼を患っては眼科に行って治してきた。今回も一緒だ。目薬をさして休養するしかない。仕方なく、今日の予定はキャンセルした。今日は遠方へ行く予定だったので、長距離移動は意外と疲れる。今日無理をすると、翌日の月曜からの5日勤務を含めると、6日連続で無理をすることになる。幹事の人には色々とご足労をかけてしまったのが心苦しいが、見送らせてもらった。 こういう眼の症状がでるようになったのは、精神疾患になってからで、この病気でストレス耐性が弱くなってしまった。仕事をする上で健常者よりも精神障害者の方がよりストレスがかかると思う。精神障害者の方が土日は無理はできないのではないかと思う。哀しいことではあるが。 5日勤務の土日休みは土曜は勤務疲れがあり、日曜は翌日の勤務を考えると無理はできない。 三連休が貴重で、初日に休養して中日に活動して最終日をまた休養にあてることができる。 先週は三連休の初日だけが天気が良かったが、幸運にも勤務疲れがあまりなく、初日にバイクで銚子にツーリングに行くことができた。翌日は一日臥せっていたが。 明日からは5日勤務で、早朝の掃除当番ではないものの、木金は精神的にストレスがかかるイベントがあるので、頭がいたい。
Nov 29, 2015
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今日はミスドでブログを更新。久しぶりのミスド。ポンデダブルショコラを食べた。飲み物はホットカフェオレ。3杯ぐらいはお代わりするつもりだ。 大宮のミスドは少し駅から離れたところにあって、多分地元の人間が多いのではないかと思う。席がとれない確率は少ないと思うので、意外と穴場だと思う。このブログは2006 年から書いているが、その大半をこのミスドでポメラを使って書いてきた。貯めたポイントカードを姪にあげたりなどしていた。最近はめっきりここに来ることは無くなった。 さて、前回は随分と悲観的なブログを書いたもので、自分で読み返してみてもかなり思いつめていたんだなという印象。上司に退職願をだすかのような勢いだった。 しかし、先週は恐れていたあたまのじわじわも発生せず、何とか苦しみながらも5日間休まず勤務することができた。いつもなら土曜日は平日の勤務疲れで臥せっていることもしばしばだが、朝早く目が覚め疲れもほぼ無かったので早朝から千葉県の銚子へツーリングへでかけた。三連休の初日だけ晴れる予報だったので、ツーリングには行こうと思っていたが、勤務疲れがあるだろうから近場の筑波山に行こうと思っていたが、急遽予定を変更した。 銚子の日帰りツーリングは距離も走るので翌日は疲れて臥せることにはなったが、新鮮な魚を食べられてなかなか充実した一日を過ごせた。一週間前の悲観さが嘘のようである。 喉元過ぎれば熱さ忘れるというのがぴったりだ。 思えば、病気になってからは同じようなことを繰り返してなんだかんだで14年という歳月が過ぎていったように思う。よく続いたものだ。もし同じ年月を過ぎたら定年も近い。その頃には十分過ぎる蓄えができて、悠々自適に老後を過ごせるだろう。しかし、今のままでは孤独な老後になる。父と母は他界している可能性が高い。まぁ、先のことをあれこれ思案しても仕方がないけれど。もしかしたら会社を辞めることになってしまうのかもしれないし。 この病気になって、双極性障害が軽うつ状態に落ち着いて困ったことはコミュ障気味になってしまっているということ。積極的に人の輪に入っていけない。それだから孤独な状況を打開できない。昔から孤独に過ごしてきたのならそれでもいいかもしれないけど、病気になる前までは常に周りに仲間がいた。仕事の悩みを話したりもできた。今はそういう仲間がいない。会社の苦しみは親に吐き出せるけど。 若い頃はどうしていつも仲間に囲まれて楽しい時を過ごせていたんだろうか。そして、今はなぜ孤独になって暗い海をさまよっているのだろうか。
Nov 23, 2015
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こういうのは突然やってくるのだろうか。 これまで何とか会社に行き、休みはバイクに乗ったりして過ごしてきた。 今週は火曜に気分がすぐれず休み、水曜は無事勤務出来たが、木曜は午前中にあたまのじわじわにおそわれた。久しぶりに健康管理室のベッドで休養し、退職願いをだして辞めるか、医師に診断書を書いてもらい、休職するかあれこれ考えた。午後は調子が戻って問題なく作業できた。 ちょうどその日は夕方に通院する日だったので、その日起こったことを医師に話した。医師は診断書ならいつでも書くよと言ってくれた。 帰宅してから親ともこれからどうするか、あれこれと話し合った。 そして今日、午前中には何とか勤務できた。しかし、午後は出張でセミナーに行く予定にしていたが、あたまのじわじわが酷くなり、セミナーには行かず帰宅した。上司には言っていない。そしてこのブログを書いている。 普通、午前中が不調で午後に良くなるはずだが、そのセオリー通りに行かなかった。心理的に軽いパニック状態にあるのかもしれないが、いつも通りではない。 そろそろ潮時かなという気がしてきている。会社では突発的な雑用を頼まれるだけで半ば社内ニート状態で精神的に追い込まれる毎日を耐えてきた。しかし、精神的なプレッシャーに弱くなり、あたまのじわじわがでてくると勤務に耐えられなくなる。 ひとまず、明日から土日で休みなので一息つけるが、問題は来週に勤務してどうなるかである。今まで通り耐えてだましだまし勤務を続けることができるか、精神的に耐えられず、あたまのじわじわが酷くなり、会社に行けなくなるか。 今までは休職で何とか乗り切ってきたけれども、このじわじわという症状はどうしようもない。しばらく休んだからって解決する問題ではないのは分かっている。問題を除去するには会社を辞めて、プレッシャーのかからない環境にするしかないのである。 14年も付き合ってきてくれている親はよく分かっていて、今回休職しても問題の解決にはならず、そのまま休職満了で退職になると考えている。そして、僕もそう考えている。今度休職したら、復職はありえないし、したくない。障害をオープンにしている割には正社員で破格の待遇ではあるのだけれど。 休職は問題の先送りになるかもしれないし、その間、給与の8割はもらえるけれど、それがないと生活に困るという訳でもない。もともと僕の給与など無くたって親の収入で十分やっていけるのである。それに加えて障害年金の支給も受けている(これは打ち切りというリスクもあるけれど)。老後の生活設計も最悪の場合を考えてシュミレーションしてみたが、飢えることはない。下流老人にはなるだろうが。まぁ、先のことは分からないので、あれこれ考えてもしょうがないんだけど。 今はまだ不確定だけれど、場合によっては上司に退職願いを渡すかもしれない。退職事由は、病気で勤務不能とするが、その文言を会社側はどう受け取るか。場合によっては、休職で様子を見てはと勧められるかもしれないが。 普通の社員のように働けるようになるのは、ほぼ無理だと考えている。そうすると、社内ニートで精神的な苦しみに耐える中、会社を辞めることは今すぐかもしれないし、あと5年後かもしれない。定年まではちょっと現実的でないと思っている。 最大の問題は軽うつ状態でニート状態になること。何かしら取り組めることを探さなければならない。それに生き甲斐を見出せれば願ったり叶ったりなのだが。。。
Nov 13, 2015
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前回のブログを書いた3連休の最終日の12日に抑え目にバイクに乗ったつもりだったが、それでもやはり疲れはあって、この週の金曜日に体調がすぐれず、年休をとった。ちょっとショックだった。抑え気味に考えていても、ちょっとでも疲れが残っていれば、会社でのストレスからだめになってしまうようである。 この週は3日の勤務だった。金曜日に休んでゆっくり休養をとり、土日はウォーキングをしたりなどして過ごした。そして翌週は5日の勤務。ちょっとしんどいかなとは思っていた。 はっきり言って、会社では主体的な仕事はしていない。プレッシャーがかかる仕事はできないのである。そうなると、他の人から雑用を頼まれる程度の状態になるのだが、そうすると何もしない手持ち無沙汰な時間が多い。 何もしてないなら楽なんだろうと考える人がいるかもしれないけれど、何もしない時間をやり過ごすほどつらいものはない。時間が過ぎるのが恐ろしく遅い。何か作業があればそれに没頭して時間が過ぎるのが早い。なので、何もしない時間が多いと気疲れが蓄積していく。 軽うつ気味なので、やはり日内変動的なものはある。午前中は調子が悪いので、気疲れでへとへとになる。昼休みは誰とも話をしたくないので、一人でデスクで仕出し弁当を食べて、食べ終わると空いている会議室を探してそこで突っ伏して休憩して疲れがをとり、午後の勤務に臨む。午後は日内変動で少し調子が良くなり、午前中ほどはつらくなくなる。そんな中で突発的に作業を依頼される。毎日がこんな感じだ。おのずと気疲れは蓄積されていく。 19日(月)の週は少しプレッシャーのかかるイベントがあったが、何とか無事に5日勤務を乗り切った。後半の木金は比較的楽に過ごせたので、土曜はバイクで秩父に行こうと思っていた。しかし、そうは問屋はおろしてはくれず、気疲れの蓄積から夕方までベッドの上で過ごした。今日は何とか動けている。 これまでは、土曜日にバイクに乗ることはできていたと思う。今回は一時的なものだろうか。それとも、季節が移り変わる時期が影響しているんだろうか。3連休なら初日休んで中日にバイクに乗って3日目に休むことができるけど、そうそうあるものでもない。 年齢的なものもあるのだろうか。これ以上QOLが悪くなっていって欲しくないものである。
Oct 25, 2015
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昨日は会社の飲み会だった。歓送迎会だったので、出ない訳にはいかない。いつもより帰る時間が遅くなって、昨晩は遅い就寝となり、今日は憂鬱な気分である。気が滅入っている。前日が飲み会だったというのもあるかもしれない。 僕は双極性障害だが、症状が落ち着いて3年ぐらい経つ。しかし、落ち着いたと言っても軽いうつ状態なのである。軽躁状態が人と会いたい、会って話したいという気分になるのとは逆で、軽うつだと人とあまり会いたくないという傾向がある。親しい友人などは別だが、会社の関係となるとそれが顕著だ。しかし、仕事をしなければならないから平日は毎日会うことになる。 普通は午前中仕事をしてお昼は何人かで連れだって食事をしに行き、夜はたまにこれまた連れだって飲みに行くという感じだろうか。その中で仕事以外の話をしているのだろう。僕の場合は仕事以外の話をすることは滅多にない。お昼もデスクで一人で仕出し弁当を食べる。そして、定時でさっさと帰る。無駄話に興じるということは無い、というか軽うつだから苦手なのである。だから、飲み会というものが苦手で大嫌いなのである。 なるべく人と会いたくない、話したくないという気分は他の人と比べると異質だから、周りの人からはしゃべらない人間だと認識されてしまう。そうすると、飲み会という場では疎んじられてしまう。気がつくと一人ぽつんと席に取り残され、飲み会の途中で逃げるように帰ったということが何回かあった。昨日はそういうことは無かったが、帰りに同じ方向の電車の人がいたら話をしなければならないので、飲み会が終わってからトイレに長居し、それを避けて、安堵して電車で帰った。 自分としては周りの人が嫌いな訳じゃない。むしろ親しくしたいとさえ思う(少し前段とは矛盾するけど)。しかし、気分が低空飛行だといかんせんそうすることが難しい。でも、人と人とは話すことを通じてしか親しくなっていくことはできない。仕事以外の世間話などをしないと疎んじられていく。嫌われていく。それが負のスパイラルになって、職場ぐるみで疎んじられた存在になってしまう。あとはいつまで会社に居られるかは精神力の問題である。 理想としては、こちら側の事情が分かってくれて、周りの人との仲立ちになってくれる人がいることであるが、そんな状況になるのは滅多にないだろう。一応、課内の規律を正すために、上司が緩衝材のような存在になってくれてはいるが、それが唯一の救いである。 僕は人が嫌いなわけじゃない。むしろ気の合った友達が何人も欲しい。でも、今はそういう人がいなくて寂しい。どうしてこんな状況になってしまったのだろうか。病気が悪いところもあるし、自分が悪いところもあるんだろうか。まぁ考えてもしょうがない。こんな境遇になる運命だったのだろう。
Oct 10, 2015
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シルバーウィークがあって、2日勤務して土日休んで久しぶりの5日勤務。やはりその疲れなんだろうか。5日勤務後のこの土日は疲れでほとんど何もしなかった。正確に言うとそうなる予定だ。まぁ、やることといったらバイクに乗ることぐらいだけど。前日には何時に起きてここに行こうかなという気にはなっているんだけど、いざ当日になると億劫でそうする気が起きないという2日間だった。軽うつだからこんなものだろう。もし、友達との約束でどこかに行くとなると身体は動くのである。独りだと誰にも迷惑をかけないから億劫だとうつが勝る。身体は動かず楽な方にいってしまう。 この間の日曜日は大学の友人宅に行った。子供は小学生と幼稚園児でまだ幼く、かわいく賑やかだった。専業主婦の奥さんが世話をして友人は遊びの相手をする。平均的な家庭像だろう。歯車が狂わなかったら僕もこんな家庭を築いていたはずだ。大学の友人はいずれもこんな感じで例外は僕だけだ。友達はみな忙しく、土曜も勤務することが多く、休みは自宅で子供と遊んだりしてゆっくりするか、会社の関係でゴルフに行くといった感じである。平均的な同じ世代の男はこんな感じだろう。たまに友人と交流するといっても、何か理由をみつけて夜に飲むぐらいだ。 歯車が狂って14年が経っただろうか。うつ病になって、離婚して、躁うつ病になって、会社を辞めて子会社に障害者枠で転籍して今に至る。病気は安定したが、軽うつのためにサポート的な仕事しかできない。せめて会社の仕事はやりがいを持てればいいのだけれど。もしかしたら、軽うつのせいというよりは、14年間で6年ぐらいは休職しているというのがあるのかもしれない。とにかくできないものはできないんだからしょうがない。人の指示でやれることをやるしかない。 歯車が狂って平均的な家庭も築けず、休みの日は唯一、バイクにでも乗って気晴らし。会社では小間使い。 歯車が狂うまでは精神疾患の存在さえほとんど知らなかったといっていい。友人のような家庭を築いていくことに何の疑問も持たなかった。 14年前まで水面をクロールで泳いでいた。息継ぎをしながらちらりと見えた空は希望だったのかもしれない。僕は14年前から水面から下へ真っ逆さまに沈降していき、全く希望という空が見えなくなった。再び希望という空を見れるのは14年後なんだろうか。それともそれより前か、後か。恐らく一生見えないのではないかと思う。見えると思えば見えるようにきっとなるし、見えないと思えば絶対に見えないと言う人がいる。しかしそれは分からない。詭弁だ。思う思わないは関係なく起こることは起こりえるし起こらないかもしれない。ただそれだけだ。
Oct 4, 2015
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