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風邪をひきました。。私は仕事柄、この時期は絶対に風邪をひいてはいけないのに、なんたる不覚。私は暑い寒いだけなら比較的耐えられるけど、スタミナは恐ろしいほどない。たぶんふつうの女性の半分くらいで、タフな男性の1/4くらいかも。だからふだんでも疲れやすいし、ちょっと油断すると、特に冬場はすぐ風邪になってしまう。(風邪とお友だち)昨夜から風邪の初期症状があちこちに出てて、今日も朝からずっと身体がエラかった。(えらい=名古屋弁で身体がしんどい、事態が大変だ、の意)夕方からのバイトも片道1時間の車の運転が危ないから休ませてもらおうか。そんなことを考えながら、とりあえず午後から所用でご近所のお宅に伺った。その折にそのお宅の中学生の息子のJ君が、私にお茶を出してくれた。食欲がない分、お茶はありがたい。でもね、飲んだら恐ろしく渋い!いえいえ、私は濃いお茶が好きだから渋くてもいっこうにかまわないのだけど、お茶を淹れたJ君の顔が、急須の中を覗いたときにひきつってた。「やっべぇ・・・。」( ゚ Д ゚ ;)私も急須の中を覗いた。そしたら、5~6人用の大きめの急須の半分くらい茶葉がびっしりと埋まっているなるほどね・・・。それにこのお茶は以前ここのお祖母様が「インドに住む親戚から送ってもらった、現地でしか手にはいらない、最高級の茶葉なのよ♪^^」と言ってらしたモノ。それを、お茶の淹れ方を知らなかったとはいえ、孫息子は思いっきり使ってしまった。そこで彼はあわてて、「1杯のお茶のためにこんなに茶葉を使ったってわかったら、おばあちゃんに怒られる。だから目一杯たくさん飲んでって。」と私に懇願してきた。私も、今日の体調でもお茶なら大丈夫だから「いいよ~。」と快く協力することに。急須にお湯をつぎ足してもなかなか薄くならないお茶。でも2人で4~5杯飲んだ頃には、ほどほどの味になってきた。これなら彼もなんとかごまかせるかしら。彼のおかげでインドの最高級茶葉を思いっきり贅沢に飲んで帰宅。そしたら先ほどまでだるかった身体がなんか軽い。もしかしたらお茶の成分で急速に身体が回復したのか? ともあれ身体が楽になったので、夕方のバイトに行ってきました。昼間は食欲もなかったのが、バイト後は実家に寄ってふつうに食事を摂れた。やはりあのお茶のおかげみたいね。J君よ、ありがとう♪(^O^)おそらくJ君のお祖母様は、帰宅してとっておきのお茶の缶を開けた瞬間、ゴッソリ減った茶葉を見て、さぞかし落胆されただろう。。私が元気になったのとは対照的に。。J君、こってり叱られてないかしら。ちょっとだけ心配ね。。
January 31, 2006

(昨日の日記の続きです)名古屋城を出てから能楽堂前の信号を渡り、観光マップをチェック。なんかこの界隈にもちょっとした見所がけっこうあるみたい。まだ時間があったので、歩いて散策することにしました。まずは加藤清正公の像へ。幹線道路からも見える立派な像です。清正公は築城の名手で、名古屋城の築城にもしっかり貢献しました。(お城の二の丸にある清正公の像のほうが、巨石の上で扇子を持って音頭をとって、もっと雰囲気が出ています。今回は二の丸を見てくるのを忘れた。残念!)左:築城の指揮を執っているところか?清正公の像。右:こちらから見ると、指揮を執るというより「考える人」に見える。かなり寄り目になっている感じが・・。それから西区の円頓寺(えんどうじ)方面に。名古屋城~名古屋駅方面のあたりは今までに原付や車で何度も走ってます。でも歩いたことはほとんどない。車で走りながら見る風景と、歩く速さで見る風景はやはり全然違いました。今回画像はないのですが、堀川沿いにも古い家や土蔵、堀川にかかる五条橋(慶長年間に「清洲越し」があり、清洲の五条川にあった木造の橋をそのまま名古屋に移した。橋の名前もそのまま引き継いだ。現在は鉄筋コンクリート造)など歴史を感じる場所がたくさんあります。地元の再発見というのも、いいですね。◆解説~『清洲越し』◆慶長15年(1610)徳川家康が海路陸路に便利な現在の名古屋の地に築城を始める。その折に、武家屋敷、神社仏閣、橋、町屋、門などを織田信長によって栄えた清洲から移築した。4月上旬に『郷土歴史まつり』が開催され、その折に『水上武者パレード』があります。これは堀川浄化政策のイベントの一つで、一般市民が武者姿に扮し、船に乗ってこの堀川を名古屋城近くまで上ってきます。(でもね、見た感じでもまだまだ浄化が足りない。かつての清流をめざして、もっと浄化をしてほしいな、堀川)さて、堀川沿いから今度は丸の内方面へ。東照宮と、隣接する那古野神社へ。初めは名古屋に東照宮??と思ったけど、名古屋城の初代藩主・徳川義直公は徳川家康公の九男。だから父・家康の霊を祀るための東照宮があるのですよね。ただ、1619年に建てられた社殿は戦争中の昭和20年に焼失。現在の社殿は藩祖・義直公の正室の高原院の霊廟を東照宮社殿として移築したものです。左:名古屋の東照宮。徳川の家紋が。 右:奥の社殿。かなり老朽化したままです。それから隣接する那古野神社へ。(那古野という地名はこの地方では「なごの」というけど、この神社は「なごやじんじゃ」という)元は名古屋城内の三の丸にあり、1610年の名古屋城築城の際に徳川家康公がおみくじを引いて神意を伺い「遷座不可」と。それで移築をやめてそのまま城の鎮護としました。1876年、現在の場所に移築。左:那古野(なごや)神社。 右:たしかに織田家の家紋が。徳川家の家紋と織田家の家紋が隣接するなんて、名古屋ならではのものかも。こうやってぶらりと散策して、地元を再発見する時間も、いいものですね。たまには地元をのんびり歩いて、再発見しよう♪
January 30, 2006

今日は朝からずっと快晴。空は雲ひとつない鮮やかなブルーでした。先日手術した茶トラーズの抜糸は午前中に病院で済ませたし、さてせっかくの余暇だし晴天だから、どこか近場にお出かけしましょうか。で、昼から名古屋城に行ってきました。地元のお城なのになぜかじっくり見ていないし、画像もほとんどなかったので。久しぶりに近くで見る名古屋城。あら、なんかすごく立派に見えるわ。『尾張名古屋は城でもつ』とよく言われるけど、なんか納得しそう。石垣の高さと大きさ。地中にもまだ何メートルか埋まってます。これだけないとお城(天守閣)の重さを支えられないのですよね。説明板を読みながら城内の庭園をゆっくり廻り、いよいよ天守閣へ。左:天守閣の礎石 右:小天守閣からの通路より見上げる天守閣天守閣内はいろいろ興味深い展示が数々あれど、残念ながら撮影禁止。これだけは撮影OKでした。左:葵のご紋が入った立派な駕篭右:慶長15年の築城時に加藤清正が祈願した井戸戦前の名古屋城には、京都・二条城の二之丸御殿と並ぶ絢爛豪華で壮大な本丸御殿があり、国宝にも指定されました。しかし戦争中の空襲で天守閣とともに焼失。現在名古屋城では、本丸御殿を復元中です。詳しくは名古屋城公式HPの、『本丸御殿概要』のページをご覧ください。ページ下のほうにある『本丸御殿平面図』をクリックすると、狩野派の絵師が描いた障壁画を見ることができます。左:別の角度から見た天守閣。手前の礎石のところに本丸御殿がありました。右:お堀に鹿さん、今も住んでます
January 29, 2006

親バカ全開ですみません。。愛犬・チビ子嬢の寝顔が可愛かったので。どこか満足げな顔で寝てる。どんな夢を見ているのかしら。実はこ~んな格好で寝てるのです。(^ー^;)『近藤印房』さんにて
January 28, 2006

シンビジューム。ラン科の中でも私はこの花が好きです。その理由は、美しいだけでなく丈夫で長持ち、世話の手間が少なくてすむから。いかにも私好み・・・かもね。。(^^;)チャームポイント(というか私のお気に入り)は、キラキラ光る花びらと、花びら中央部のうぶ毛みたいな部分。 左:全体はこんな感じ。 右:花を支える茎が太いから丈夫です。ただ残念ながら、この花の名前がわからないです。
January 27, 2006

猫好きにとっての楽しみの一つ、それは一緒に寝ること♪(*∩_∩*)寒くなってから、小太郎&康太郎が明け方になると、私のお布団に入ってくるようになりました。2匹が私の右手側・左手側に分かれて私の身体を枕にもたれかかったり、あるいは腕の片側に2匹が並んで横たわり、シンクロ状態で私の身体にもたれかかったり。このぬくもり、この柔らかさ、うふっ。。たまらないニャン。私って、幸せ~。今朝は布団をそお~っと抜け出して小太郎の寝姿を撮ってみました。「ん? えみりーさん、起きたの?」小太郎、ちょっと寝ぼけ顔。「今日はどんな一日になるのかなあ。」小太郎、ちょっと考え中。『近藤印房』さんにて
January 26, 2006

うちの子たちは皆、仲良しです。まったりした穏やかな光景は見ているだけで暖かい。癒されます。ホッとします。(*∩_∩*)「寒いね~。」 「うん、皆でこうやってひっついていようよ。」『近藤印房』さんにて
January 25, 2006

(昨日の日記の続きです)岡崎城を出た後、岡崎の駅からは行きに乗ってきた愛知環状鉄道ではなく、名鉄電車で名古屋駅に移動しました。わざわざ名古屋駅に出たその理由、それはコレが見たかったから~。(*⌒O⌒*)その名も『サクラ合格ロード』心がぱあーっと明るくなりそうなピンク色。本当に綺麗です。名鉄電車の名古屋駅コンコースは今このように、合格のシンボルである“満開のサクラ”で彩られています。いよいよ受験シーズンのこの時期に、頑張る受験生を励ますための、菓子メーカーと名鉄の心遣いです。(サクラ合格ロードは1月30日まで。)柱と床が一面サクラ色になってます。他にもいろいろな企画があります。この『サクラ合格ロード』だけでなく、名鉄電車のほうでも受験生応援電車が一日に何本か運行されてます。電車の外装はこのロードと同じ“満開のサクラ”がラッピングされ、車内には現役大学生や先生、父兄からの応援メッセージが掲載されたポスターが掛けられているそうです。(この応援電車は、名鉄名古屋本線などで2月14日まで運行を予定。)この時期限定のトランパス(1枚のカードで、名古屋市バス・地下鉄、名鉄電車・名鉄バス、桃花台新交通、名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)、リニモのいずれでも利用できる共通利用システム)も発売されてて、私も記念に1000円分カードを買いました。利用客によくわかるよう、券売機までサクラのシールが延び、足元にはサクラマークが貼ってあります。左:限定版トランパスはコチラで。足元にサクラマークがあります。右:写真のお方はどなたかと思ったら、名鉄名古屋駅の駅長さんでした。このイベントも企業の戦略といってしまえばそれまでだけど、受験生がいよいよ勝負という今のこの時期に、頑張る皆に勇気とやすらぎを与えてくれる、こういう企画は、私は大好きです。受験生の皆様、あと少しです。今まで頑張ってきた自分を信じて、今一度己を奮い立たせてましょう。そしてなにより体調を万全にして、本番に臨んでくださいね。ファイト~!!みんな、あと少しだよ~。ラストスパート、ガンバ!
January 23, 2006

今日はレンタルCDの返却期限の日でした。忘れないうちに早く返却しに行こう、でもどうせ家を出るならどこかへ行こうか。地図を広げて、どこに行こうかしばし検討。で、ルートを決めました。高蔵寺から岡崎城に行こう、と。CDを返却し、高蔵寺駅に車を置いて愛知環状鉄道で岡崎に向かいました。愛環に乗るのは昨年の愛知万博以来です。八草~豊田を通り、中岡崎駅に。駅から500mほどで岡崎城です。左:岡崎城・天守閣 右:岡崎城全体のジオラマ岡崎城は規模は小さくても、260年続いた徳川幕府の楚を築いた初代将軍である、徳川家康を生んだ城。三河人の誇りとするお城です。 左:本多忠勝公が愛用した大身槍 右:切れ味よさそうな刀城内には武具だけでなく、生活や産業の歴史に関する展示物もいろいあります。左:測量用の木簡 右:1836年 加茂一揆のジオラマお城(天守閣)の外には、家康公の遺訓碑を背負った亀殿や家康公のお言葉があります。左:巨大な石の遺訓碑を背負う亀殿(イジメられているわけではありません)右:やはり重たいのか、あるいは忍従の象徴か、歯をくいしばる亀殿の顔さて、私がこの岡崎城に来たかった理由。それは、家康公に幼い頃より仕えた重臣の、徳川の四天王の一人である本多忠勝公(の像)を見たかったからです。城内を少し迷って資料館(三河武士の館)前で、忠勝公の像を発見。遠くから見てもカッコイイし、近くで見てもやはり凛々しい。華がある。(いちばん偉いのは主君・家康公なんだけど、家康公の像には華を感じない。。製作者の方、忠勝公の像をカッコよく作ってくれて、ありがとう!)私は頑張っていい写真を撮るつもりでした。しかし、思いがけない難敵がありました。それは忠勝公の後ろにある大樹。覆い茂る葉でせっかくの晴天なのに太陽光がすっかり隠れてしまいました。暗い。。。早朝か夏場の太陽高度が高いときでないと光がないようです。3月末頃に、現在工事中の資料館(三河武士の館)がリニューアルオープンするから、今度は早朝に来て再度リベンジ撮影しようかと考えてます。背景にある売店の看板がジャマだわ。くうぅ~・・・。(T△T)(後編:『サクラ合格ロード』に続く)
January 22, 2006

かなーり前から、CDをレンタルしたかった曲がありました。ポルノグラフィティの『愛が呼ぶほうへ』とゆずの『栄光への架橋』を。生活圏内にレンタルショップはあるのだけど、なんか最近はちょっとのことが面倒に感じる。自分で「行く!」と決めたコンサートや歴史巡りのときは、少々遠くてもお金や時間とかあらゆることを調整して行くのにね。でもやっとこの前の日曜日に、この2曲をレンタルしてきました。曲は時折り耳にして「いいなあ」って思ってて、そして歌詞をじっくり読んで改めていい曲だと感じました。ゆずの『栄光への架橋』は、特に2番の歌詞に感動。(T▽T)何年か前の自分の姿と重なって、久々に心からじい~んと、そして涙がうるっときました。悔しくて眠れなかった夜があった恐くて震えていた夜があったもう駄目だと全てが嫌になって逃げ出そうとした時も想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いて来た誰にも見せない泪(なみだ)があった人知れず流した泪があったいくつもの日々を越えて辿り着いた今がある~ゆず『栄光への架橋』より一部抜粋なんかいろいろあったけど、それでもその度に崩れそうになる心を、本当にたくさんの方々や動物さんに、自分を支えてもらってきたんだよね。もちろん今でも皆様に支えてもらってるし。そしてポルノGの『愛が呼ぶほうへ』。クリスマスのときによく流れてててっきり男女のラブソングだと思ってたけど、もっとテーマが広くて深いのね。男と女、親子、友達、etc・・悲しんでいる人・傷ついている人・希望を失った人・苦しみに耐えている人、すべての人たちへの愛と慈しみの“やさしさ”のメッセージが。償う人の背に降り続く雨綺麗な水をあげよう 望むままとまどう人の目に吹き付ける風見えぬなら閉じればいい 手をとってあげよう僕を知っているだろうかいつもそばにいるのだけれどMy name is love.ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?そう 遠くから近くから君のこと見ている幼い恋の瀬に一緒に泣いてくれた友の隣で微笑んでいた旅立つ君をただ黙って送った父の背中の涙を受けとめていた君は知っているだろうか 悲しみも喜びもMy name is love.僕が持つたくさんの名前のひとつだからそう 永遠で一瞬で、君にとってのすべてだ花が空に伸びゆくように海を越える旅人のようにいつも導かれているのでしょう愛が呼ぶほうへ~ポルノグラフィティ『愛が呼ぶほうへ』一部抜粋いい詞だわ。聴いていて心がほんわかと温かくなってくる。悲しみで心が打ちひしがれていると自分のことしか見えなくて、自分を見守ってくれる誰かのさりげないやさしさに気がつかないこともある。そして、そのやさしさに気がついた時、その人にはもう「ありがとう。」が言えないことだってあるんだよね。昔の私にはわからなかった思いが、今ならこの歌詞の意味がわかる。素直に感動できる。そんな自分がどこか嬉しい。やっぱ音楽って、いいな。
January 21, 2006

私はお天気のいい日は、できるだけ布団を干すようにしています。この2階の部屋はガラス越しのお日様がポカポカと気持ちいいので、四足族の皆にはお気に入りの場所。よく昼寝をしています。でもね、布団を取り込む時間になれば、実は皆ジャマなのよ。。でも今日はどいてくれない。だからだからちょっと意地悪して、チビ子の身体の上に布団を一式、次々と置いてやりました。そしたら・・・えみりーさんったら、意地悪ね。いいわ、もう意地でも寝ててやる。気持ちのよさそうな大アクビ。チビ子よ、君は平和だ。
January 19, 2006

今日は小太郎&康太郎の『オトナへの試練』の日となりました。そう、今日は動物病院に行って、手術で・・・・を取ってきました。何も知らない彼らは朝からゴハンももらえなくておなかが空いてて、支度を始めた9時半には私にゴロニャンと甘えることしきり。でもいつもしない首輪を1匹ずつ(小心で勘のいい康太郎から)かけ始めた頃からだんだん我が身に起こる異変に気づいてきたようです。逃げようとするのをなんとか捕まえてキャリーに入れて、車で病院へ。車の中では2匹がニャーニャー鳴きっぱなし。ゴメンね。。恐いよね、嫌だよね。でも仕方がないんだ。許してね。夕方2匹を迎えに行きました。病院でよほど恐い思いをしたのかカチカチに固まってました。帰りの車の中でも鳴きっぱなし。でも家に着いて玄関に入ったら安心したのか、さらに大声で鳴く2匹。「早くココから出して~!」って言ってるのかな。部屋に連れてって首輪を外しても2匹ともまだパニック気味なので、マタタビでご機嫌とりを。それからやっと落ち着きました。術後を見たら、痛々しかったです。ゴメンね。こんなことになって痛いよね。でも仕方がないんだ。人間と一緒に暮らすためには。若いからすぐに治るとは思うけど。2匹とも今日はお布団でぐっすり寝て、早く元気になろうね。病院で体重を測ったら、いつのまにか2匹とも5kgを超えてました。いつのまにか大きくなったんだね~。(*^O^*)こういう時代もあったのに。。(*^ー^*)
January 18, 2006

ふと気がつけば、私はなんか歴史をテーマにけっこうあちこちお出かけしているようです。今までに行った場所でこのブログにUPした分の一部ですが、フリーページにまとめました。皆様、よろしかったら立ち寄ってご覧くださいね。(*⌒O⌒*)日本史の部屋 『近藤印房』さんにて
January 16, 2006

昔読んだ本の話です。「生きながらすでに神である(お国のために命を捧げる)きさまたちに誓って、我々上官も必ず後から行く。」これは零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や特殊潜航艇(特攻潜水艦)で出撃していく若い隊員たちに上官たちが送った言葉だそうです。(実際は終戦したとき、ほとんどの上官がこれを守らず。ほんの何人かの上官は、若者を戦地に追いやってむざむざ死なせたことに責任を感じて自害しましたが。)昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦。海軍大将・山本五十六(やまもと いそろく)の総指揮のもと、真珠湾攻撃で日本は大勝利を収める。山本五十六は資源もない小国・日本が戦争を続ければ、超大国アメリカにはいずれ負けることを予測していた。だから開戦当時、マレー沖開戦など日本が東南アジアの各地で米英に連勝し戦況が有利なうちにアメリカとの停戦に持ち込む、それしか祖国を滅ぼさずにすむ手段はない、と考えていた。しかし日本は、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)での大敗を転機にその後の戦況はどんどん悪化の一途。なのに軍部の暴走は止まらず。国民に対して思想統制や情報操作を行い、衣食住の耐乏生活を強いて、老若男女全ての国民を戦争へと向かわせる。そして空から海から爆弾を抱いた人間を敵艦に突入させる非情な特攻が始まり、多くの若者が戦場に送り出された。ある者は自ら志願して。ある者は周りの熱狂にのみ込まれて心にもない志願をしてしまって。今回の広島県の江田島だけでなく、東京の靖国神社内にある遊就館や鹿児島の知覧特攻平和会館にも戦場に散った若者たちの遺影や遺書遺品などが展示されています。これらの品々は、今の時代を生きる私たちに何かを語りかけているようにも思えました。命を犠牲にして敵中に飛び込でいく男たちだって、これから我が身に起こる想像できない苦痛と死への恐怖に、いくら強がっても周りには平静に見えても、内心はおののいていたと思う。出撃前日は与えられた少ない自由時間に、1分1秒の時を惜しんで、この世の誰かとの何かとの今生の別れした。出撃前夜は狂いそうになる気持ちを紛らわすために、一緒に行く(逝く)仲間と酒を酌み交わし盛り上がり、仲間との団結で無理やり気持ちを固めた。愛する者たちが住むこの国を守るために、我が命と引き換えにたとえ1隻でも敵艦を撃沈させるべく戦場に向かった男たち。そんな男たちを心にもない「万歳」の言葉で見送った母・妻・幼い弟妹・恋人・友人たち。それぞれがいったいどんな思いでいたのか。祖国を、愛する者たちを守るために我が身を犠牲にした男たちの願いもむなしく、その後も戦争はずるずると長引く。日本各都市の大空襲、沖縄の惨劇、そして広島・長崎に原爆が投下。昭和20年8月15日、ようやく終戦。戦争は絶対にしてはいけない。今も変わらず心底そう思います。日本国憲法の前文と第九条にも恒久の平和を念願し戦争を放棄すると強い決意があります。しかし、あらゆる知恵を使ってもどうにも話し合いの成り立たない相手が力ずくで攻撃してきたら。そう想定するとふだんから無防備でいるわけにはいかない。ならばどうしたらよいのか。戦後の日本人たちが一生懸命働いて築きあげた、平和で豊かな今の日本をこれからどうやって守っていくのか。私には正直わからないことです。ただ歴史が好きだから、先人たちの知恵は自分の人生に取り入れ、先人たちが創り上げた日本各地の美しい素晴らしいたくさんの遺産を守り、歴史の惨劇や過ちはけっして繰り返さないよう誰かに何かで伝えたい。そう思うばかりです。
January 13, 2006

(昨日の日記の続きです)江田島からのフェリーが広島港に着きバスが広島駅に着いたのは夜の7時前。新幹線が8時半発だから、それまで各自食事に。(今日もお好み焼き。^^;)新幹線はやや遅れて11時に名古屋着。在来線に乗り換え、義実家で預かってもらってたチビ子嬢を迎えに行き、やっと帰宅できたのは夜中の12時半。2日間、さすがに疲れた~~。でも今回は私にとって、大切なことをたくさん見て学んで考えた、本当に充実した感動の旅となりました。昔から歴史が好きで、戦国や幕末と共に第二次世界大戦関連も興味深いテーマで、だから戦艦大和の映画ロケセットと復元模型をどうしても見たかった。戦争はもちろん絶対に反対。でも模型やセットの造形物は本当に素晴らしいもので、あの時代に思いを巡らすのには充分過ぎるほどでした。江田島の旧海軍兵学校。ここの教育参考館には、戦争で若い命を散らした方々の遺品が展示してあります。中でも出撃命令が下され、いよいよ明日は特攻に出るという隊員たちの遺書は、「父上様、母上様、・・・」と両親他家族に、妻や幼子に、あるいは恋人や恩師に宛てた、死地に向かう男たちの最期の言葉が綴られています。どうにも逆らえない時代の流れ。いくら覚悟を決めたとはいえ、いったいどんな思いでこの遺書を綴ったのか。顔を合わせれば喧嘩になる仲の悪い夫婦やきょうだい、義理家族や親子だって、なんらかの事情である日突如相手が自分の傍にいなくなってしまったら、たまらなく寂しさを感じるでしょう。それが永遠に会えないとなったら。しかも偶発的に発生して避けようがなかったことではなく、本当の自分の意思ではないのにこれからまさに死に臨む、この世ではもう逢えないとなったら。自分にとって愛情の深い人ならば尚更、若くて元気で、この世でやりたいことがあった人ならば尚更、どんな思いで互いに「別れ」をしたのか。(『平和への祈り(2)』に続く)
January 12, 2006

(7日の日記の続きです)ツアーの2日め。朝まず宮島の厳島神社を観光し、次はまたフェリーに乗って呉市へ。先日順序を変えて先にUPしましたがいよいよ今回のツアーの最大の楽しみである大和ミュージアムに向かいます。船が呉市に着いたら、まず食事に。朝と同じくホテルのバイキングだったけど、今回の料理は最高に美味しい~。昼食は期待できないかもしれないと朝のバイキングで少々多めに食べた胃袋に欲張って再び詰め込んでいきます。特にデザートのスイーツが美味しかった~♪食後は大和ミュージアムを見学。それからまた江田島へはフェリーで観光バスも船に乗せて移動です。江田島に向かう途中すれ違った自衛隊の船フェリーが江田島に着き、少しバスで移動。いよいよ旧海軍兵学校に着です。こちらでは現在は海上自衛隊第一術科学校であり、上級の幹部候補生も訓練を受けているので一般の自由見学はできません。元・自衛官という案内の方に付いて廻ります。でもね、この案内のおじさん、お話がなかなか面白いの。(^O^)あっはっは・・どこの世界にも一人や二人いると思うけど、本職とは異なる才能をお持ちのようで。どんな話だったかは、次回ココに行かれる方のために、あえて伏せておきますね。自衛隊幹部候補生が訓練する学校。この松の木も案内のおじさんの楽しいお話のネタでした。ふだんなかなか見ることのない自衛隊の関連施設。(春の桜の時期だけは特別に2日ほど一般に開放されるそうですが)ここは不思議な空間です。元・自衛官のおじさんの、よく通る声やピンと伸びた背筋のせいでしょうか、時折り見かける自衛官のキリリとした制服姿とキビキビした行動のせいでしょうか。私たちはただの観光客なんだけど、なぜかお話を聞くときも自然と姿勢を正し、お別れのときも一同ほぼ声をそろえて「ありがとうございました~」と一礼し挨拶をしてしまいましたわ。ちなみに平日に見学に行けば、校庭でやる自衛官たちの訓練が見られるそうです。私たちが行ったときは土曜日で訓練はお休み。若い自衛官の方々は、フェリーで呉や広島まで羽が生えたように遊びに行ってしまったとか。だから構内はガラガラ。まあ若いから、当然ですよね。この江田島でツアーの見学はすべて終了。これから名古屋への帰路につく新幹線に乗るためにフェリーで広島市に向かいます。ただこの港で船の待ち時間が30分。広島駅でも1時間半の時間がある。船の都合で仕方がないとはいえ、このロスの時間を大和ミュージアム見学にあてたかったよ~。(泣)◆追記◆自衛官は身だしなみに厳しいのです。校舎から外に出るときは必ず、玄関横の大きな鏡の前で立ち止まり、己の全身の姿をチェックします。以前見たTVでの、ブルーインパルスで飛ぶ航空自衛隊員のお話。飛行中は全身にかかる重力のために鍛え上げた肉体であってもかなりキツイ。でも航空ショーを終えて機体から地上に降りる時は、服装や髪の乱れがないよう気を配り、疲れは顔に出さず平然としている。「少年たちの夢や憧れを壊したくないから」と、その方はおっしゃってました。(最終章~『平和への祈り』に続く)
January 11, 2006

(6日からの続きです)6日の行程では広島平和記念公園をラストの見学とし、バスはまず宿泊のホテルに向かいました。夜の食事はフリーなので、せっかく広島にいるのだからお好み焼きにしようと、夫と市内の中心街へ。広島でのお好み焼き。店内の感じは、お勤め帰りの人たちが千円ほどで軽く食べて飲んでくる、観光客の私にはそんな印象でした。食後は、今日は朝4時起きでやはり疲れてたので(5時過ぎに家を出るためにペット族の世話や身支度にけっこう時間がかかる)観光地の夜を満喫するまでもなく、早めにホテルに戻ってきました。朝になりました。ホテルの窓から見える海が綺麗です。雪が降ると心配されたお天気もまだ大丈夫のよう。ホテル前からフェリーに乗って、まず宮島へ。厳島神社 海の中に見える大鳥居。対岸の本州側は雪が降っている模様。ああ、これがTVで見るあの海に浮かぶ厳島神社の大鳥居ね。うんうん、華やかで神秘的だわ。左:能舞台。1回10万円で15分舞うことができます。(要予約。ちょっとお高いけど、それでもときどき誰かが舞いをしているらしい。)右:性別がはっきりわかる狛犬(ちゃんとついてる。これは♂) 左:宮島の五重塔 右:五重塔の説明書きさて、宮島にはたくさんの鹿が生息しています。草花だけでなく紙類もモシャモシャと食べてしまうので、島内にはあちこち囲いがしてあります。(公衆トイレ入口にも。鹿さんがトイレットペーパーも食べるらしい)せっかく世界遺産の地にいるというのに、私は四足族に弱い。鹿さんを見つけるたびに、カメラを構えてストーカーしてました。^^;宮島名物のフレンドリーな鹿さんたち。鹿さんはおしりがキュートだわ。左の子は集合写真で人間と一緒に入ってくれます。ツアーでなければ鹿さんともっと遊んでいたかったけど、そんなわけにはいかず。ツアーはまたフェリーに乗って、あの戦艦大和の模型がある呉市に向かうのでした。
January 10, 2006

(6日の日記の続きです)岩国の錦帯橋を後にしたツアーバスは、次は来た道を引き返して広島市内へ。原爆ドームに向かいます。ガイドさんのお話で改めて思ったけど、広島市内は大きな川が何本も流れていて、100万都市の市内は橋だらけでした。そしてバスは平和記念公園に着。原爆ドームには行かず、川の対岸の公園から原爆ドームの説明を聞きます。原爆ドーム左:被爆前のドーム(広島県産業奨励館) 右:平和の鐘(広島平和記念公園内)あと公園内には、「原爆供養塔」や「原爆の子の像」などがありました。平和記念資料館に入る前に、原爆死没者慰霊碑の前で説明を聞き、碑に一礼して黙祷。慰霊碑には「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれています。原爆死没者慰霊碑(慰霊碑のむこうに原爆ドームが見えます)それから資料館内へ。初めに入る東館は、原子爆弾の開発から広島への投下に至るまでの説明や、原爆投下後の市民の生活などが。そして西館に行くと、原爆投下によって壊滅した広島を語る数々の遺品や実物やジオラマの展示物が。もう私ごときが語れるものではないです。皆様、是非一度ご自身の目でご覧ください。左:被爆前の爆心地 右:壊滅した被爆後の爆心地資料館見学を終えてホテルに向かうバスの中で、ガイドさんからとてもいいお話が聞けました。広島市の市の花はキョウチクトウ。どうしてそれが選ばれたのか。原爆で壊滅した広島の地。その放射能でこの先75年間草木も生えないだろうと言われた。でもキョウチクトウだけは2ヶ月ほどでいち早く花を咲かせました。その花の美しさと強さは、当時街の復興に懸命の努力をしていた市民に「花でもこんなに早く甦ったのだから、我々人間も頑張らなければ。」と生きる希望と力を与えてくれました。生きる希望と復興への力同様の思いで、広島市の木はクスノキとなり、新生広島の象徴となってます。けっして過ちは繰り返さない、生きる力、平和への願い、 大切な話をたくさん見聞きできたいい旅となりました(続く~翌朝は宮島・厳島神社へ)先ほどTVニュースで、平和記念公園のあちこちの碑に落書きをしたヤツがいるという話がありました。人々の心を踏みにじる、まったくもってけしからんヤツだわ。
January 9, 2006

(6日からの続きです)広島県尾道市で『男たちの大和』のロケセットを見学したツアーは、次は岩国市の錦帯橋に向かいました。昨日UPした大和ミュージアムは、本当は2日目に行った。日記の流れでロケセットの次にUPしたけど。地図で見ると、尾道は広島県の東の端。岩国市は山口県の東の端。つまりバスはこれから広島県を横断していくことになるのだけど、このツアーの組み方はかなり無理があるのでは?なーんて思ってたけど、高速を使ってちゃんと間に合うようになってました。バスの運転手さんも、追い越し車線をかなり頑張って走ったと思います。錦帯橋。釘を1本も使わない工法の見事な橋でした。そして私もあの下りで3度足を踏み外しましました。(ちゃんと注意してたのに。鈍ね・・・)錦帯橋は美しい橋です。山頂に見えるのが岩国城。山のふもとは城下町の名残が。城下町もいろいろ見所がありそうです。ゆっくり散策できたらよかったのだけどツアー時間の都合でそれはできず。バスはこの後また広島市に引き返していくのでした。(次は原爆ドームへ)
January 8, 2006

(昨日の日記の続きです)大和ロケセットともう一つ、私がどうしても行きたかった場所、それがこの呉市にある大和ミュージアムです。念願かなってやっとここに来た。嬉しい~。。(*∩_∩*)大きさといい精巧さといい、とても模型とは思えない大和・艦橋部。ロケセットで何かが足りないと思ったら、この部分でした。映画ではこれをCG合成したらしい。博物館には戦艦大和だけでなく、たくさんの模型があります。特殊潜航艇「海龍」。水中特攻兵器となっていきました。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)。特攻により若く尊い命が数多く失われていきました。このミュージアムには戦艦大和の模型や第二次世界大戦当時の戦闘機等の展示だけでなく、昭和10年代の日本が戦争に向かっていった時代の流れや、各戦場(主に海戦)の様子、そしてそのためにどんなことが起こったのか等、模型やパネル等でとてもわかりやすく盛りだくさんに展示してあります。なのに、なのに、ツアーでは1時間しか見学時間がなく、ほとんどチラ見しかできなかった私はどうにも残念無念。せめて半日はないと満足に見られない。今度大阪方面に来ることがあったら、絶対にまたココに来て、今度こそ心ゆくまでじっくり見学してやる!と固く心に誓った旅となりました。より詳しくご覧になりたい方はコチラへ。参考:模型の花道 様HP1/1 Photo Report『大和ミュージアム』戦艦コーナー(右側)上から1つめ〔1〕1/10戦艦大和〔2〕大和乗組員の遺品・零戦など(続く)
January 7, 2006

私はこの秋頃から、どーーしても行きたいと思っていた場所がありました。それは、広島県の尾道市にある映画『男たちの大和』のロケセットと、呉市にある大和ミュージアム。こちらから広島に行くのは少々遠くて、交通費とか考えるとなかなか決断できなかったけど、そこに行くツアーが旅行会社にあり、今回1泊2日で夫と行ってきました。初日は朝5時に家を出るハードなツアー。名古屋駅から新幹線で西へ。岡山駅でツアーバスに乗り換え、バスが尾道のロケセットに着いたときは、感激で眠気も吹っ飛びました♪(^O^)戦艦大和・艦首部大和・第二主砲。大き過ぎてギリギリ下がってもカメラに収まらない大和・対空機銃と艦内備品大和・対空機銃ロケセットの全体。大がかりなセットだわ。このロケセットは実寸よりもやや縮小されているし、戦艦全体を再現したものではなく、映画に出ないシーンや船体の後ろのほうはカットされています。しかし、それでもこの迫力。本や画像では味わえない空間。あの時代の出来事を目の前で見て実感し、自分なりの思いを巡らして思考する。映画セットはこの3月までの限定公開だから、遠いけど思いきってここに来て本当によかった~。(T▽T)より詳しくご覧になりたい方はコチラへ。参考:模型の花道 様HP1/1 Photo Report映画『男たちの大和』尾道ロケセット戦艦コーナー(右側)上から2つめ〔1〕艦首・主砲・副砲など 〔2〕艦橋・機銃・高角砲など(続く)
January 6, 2006

年が明けてもなんかバタバタして落ち着かない日々でした。年末やお正月のドラマも撮り溜めしてあって全然見れず。そしてやっと1つ、観ました。『新撰組! 土方歳三~最期の一日』土方歳三役の山本耕史さん相変わらず素敵だわ~。土方のスタイルがホントよく似合う。 そしてテーマ音楽。1年間タッキー主演の別のドラマを見ていたなんて思えないほど、一昨年のあの感動が再びよみがえる。ときは幕末。激動の時代の渦の中にいて、自分が何を為すべきか、どう生きたらいいのか、それぞれが自分のよかれと思った方向に進むしかなかったあの時代。命がけで進み、志半ばで自分が果てても次に「託した」あの時代だからこそ、皆の真剣な生き様に心を打たれいろいろな感動があるのでしょうね。「ここはアタシの指定席なの~」ストーブ前で疲れた足裏を温めながらTVを見ていたときのチビ子嬢です。私の脚の体勢が変わっても、やっぱり枕にするチビ子嬢お正月ドラマの録画分、あとタッキーの『里見八犬伝』を見なければ。
January 5, 2006

寒いと言われてたこのお正月。でも昨日も今日も比較的暖かい。ちょうど天気もよかったので、夫と寺社参拝を兼ねて出かけてきました。最初の目的地はお千代保稲荷(おちょぼいなり)しかしお千代保さんに続く一車線の道路は延々と大渋滞。このまま列で待ってても時間がもったいないと思い、とりあえず行き先を変更しました。向かった先はお千代保さんから北に行く墨俣一夜城址(すのまたいちやじょうし)へ。ここは戦国時代に、織田信長に仕えていた木下籐吉郎(のちの豊臣秀吉)が砦を築き、藤吉郎が出世していった功績の一つと伝えられる城址です。ホントはこんな立派なお城じゃないのだけど・・・。お城の前の像はもちろん、木下藤吉郎秀吉左:「出世の泉」。秀吉にちなんで瓢箪型。右:願掛けもやっぱり瓢箪で。左:お堀にいたフレンドリーなハクチョウ。右:墨俣城下の脇本陣跡。墨俣一夜城関址での散策を終えて、まだ時間があったので適当に寄り道。どこを見るか下調べもしてない「犬も歩けば棒に当たる」状態。それでもラッキーなことに興味を引くものに出会えました。 左:2002年NHK大河ドラマ『利家とまつ』ででてきた前田利家ゆかりの地・森部。右:2006年NHK大河ドラマ『功名が辻』の山内一豊ゆかりの地・牧村城址。今回ホントは、宝暦治水関連で平田靱負(ひらたゆきえ)公の眠るお寺に行ってみたくて、歴史仲間の城田ジョウ氏に出先から場所をお尋ねし、教えていただきました。しかし、時間の都合で行けずでした。わざわざ教えてくださったのに、ジョウさん、申し訳なかったです。(^^;)
January 2, 2006

2006年 迎春新年明けましておめでとうございます本年も宜しくお願いいたします昨夜、TVで除夜の鐘を聞きながら新年を迎えたときの私は、年末ずっと続いた多忙と精神的緊張で疲れていたためか、なんともナサケナイ状態でした。茶碗を2つ、手を滑らせて割る。パッリ~ンと乾いた音が深夜に響く。寝る前にお風呂に入れば、浴槽内でうたた寝して危うく溺れそうになる。年明けでイキナリこの有り様。でもまあ、あれこれ考えても仕方がない。とにかく寝ましょうか。夜が明けて朝がきた。康太郎と小太郎が順に私のお布団の中に入ってきた。(毛がふかふか~)起きたら甘えん坊の小太郎が私の膝に乗ってきて、ゴロゴロと喉鳴らしして甘える。(超カワイイ♪)ああ、幸せ。やっと明るい気持ちで新年を迎えられた気がした。茶トラーズよ、ありがとう♪朝食は新年らしく、お雑煮を作る。今日は我ながらいいお味に仕上がった。食後は初詣に夫と近くの密蔵院(みつぞういん)(中部四十九薬師霊場第三十番札所)へ。 密蔵院の多宝塔。一重塔に裳階(もこし=ひさしのこと)をつけたために二重に見える塔。この塔は室町時代にできた。このお寺では参拝する人にぜんざいが振舞われた。さらに嬉しいことに?お寺の鐘を一般人が突くことができる。我が願いを込めてゴオォ~~~ン よく鐘が鳴り響くお寺だと思ったら、皆が自由に鐘を突いてました密蔵院を出た後は帰りがてら適当に気の向くままに進む。すると、瑞雲寺というお寺にたどり着き、そこで楽しいお地蔵様を発見。とってもノリのいいお地蔵様。今まで私の中でお地蔵様というのは、静かに手を合わせて祈りを捧げるものだと思っていた。でもこのイケイケ・ノリノリのお地蔵様を見ていると、どんどん気持ちが積極的になっていって運気が上がっていく気がする。時代が変わって今までの固定観念が取り払われていくのも、いいものですね。2006年、私にとって、皆様にとってどんな1年となっていくのでしょうか。ただ変わらぬ願いとして、皆にとって良い年になりますように、そしてこれからも、明るい楽しい輪がずっとつながって続いていきますように。これからもヨロシクお願いしますね。 『近藤印房』さんにて
January 1, 2006
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