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先週の土曜日に放送されたドラマ 『黒井戸殺し』 。アガサ・クリスティ原作で三谷幸喜さん脚本のドラマで期待どおりに面白かったのでご紹介します。2015年1月に放送された『オリエント急行殺人事件』のときと違って、今回は2016年の大河ドラマ『真田丸』のキャストがたくさん出演していました。私もそうですが『真田丸』クラスタは大喜びでドラマを見ていて、ツイッターのほうも大盛り上がりでした。心に残ったドラマの、あのときのあの役者さんが今度はこの形で出てくると思うと、前のときを重ねながらまたワクワク感がUPするものです。今回は特に大泉洋さんが素晴らしくて、2年前のときも「お兄ちゃん」で存在感があったのですが、今作ではこれまた素晴らしい演技で我々を惹きつけてくれました。UPした場面はまだご覧になっていない方のネタバレにならないよう部分的なカットにしてあります。(上記サイトにフォトギャラリーもあります)ドラマの始まりは名探偵の勝呂武尊(野村萬斎さん)と、村の医師だけど物書きが好きな柴 平祐(大泉 洋さん)の場面から。柴が勝呂に手渡した原稿に意味があったのでした。睡眠薬の瓶を見て何かを思う柴。大泉洋さんの絶妙な表情がたまりません。親の財産を食いつぶしていくだけのドラ息子の兵藤春夫(向井 理さん)。向井さんがアホボンの役が似合うとネットでは評判でした。三重県桑名市にある六華苑がドラマのロケ地になりました。六華苑の見学は昼間だけなので、夜照明を入れるとこうなるようです。六華苑が資産家の黒井戸の屋敷になってます。右は秘書の冷泉茂一(寺脇康文さん)で、このさりげないやりとりが後で・・・。鍵を壊して室内に入ったら、主人の黒井戸禄助が刺殺されているのを見た執事の袴田次郎(藤井 隆さん)と柴でした。医師の柴が探偵の勝呂の助手となり事件解決に動いていくのですが、この袴田には人の話を盗み聞きするクセがありました。(前世が素破だもん)今作では前の『オリエント急行殺人事件』のとき以上に、野村萬斎さんの表情の変化が強烈でした。大泉洋さん演じる柴 平祐の姉・柴 カナ役の斉藤由貴さんです。情報魔で想像も含めてペラペラしゃべる人だけど、そのおしゃべりの中味が侮れない人でもありました。セールスマンからド高いディクタフォンを勧められるがままに買ってしまった黒井戸禄助(遠藤憲一さん)。「ああ、お屋形さま、セコム直江がいないから買わされちゃった・・。」とネットでは悲鳴が。(笑)誰にも内緒で買ったディクタフォンのことを柴だけに嬉しそうに語る黒井戸。遠藤憲一さん、喜怒哀楽の表情がホントにたまりません。そしていよいよ事件の解明へ。関係者を一か所に集めて、勝呂が一人一人を追及していきます。ここまで来たらもうネタバレOK、という方はこちらもどうぞ。 ⇒ ⇒ #黒井戸殺し 勝呂と柴が事件解明のために話し合う場面です。大泉洋さん、ホントにすごかったなあ。
April 22, 2018
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。「真・三方ヶ原合戦」とタイトルにしたこの回は、まさに新しい解釈の三方ヶ原の合戦で、感動の回でした。史実として本多忠真と夏目広次が戦死することは知っていましたが、どのように描かれるのか興味津々でした。まず、本多忠真(波岡一喜さん)。父・忠豊、兄・忠高を戦で亡くした後、まだ乳飲み子だった兄の子・本多忠勝(山田裕貴さん)を引き取って、親代わりとして忠勝を養育してきました。父・忠豊の代から主人を守るために命を賭してきた本多家の生き様を、甥の忠勝が受け継いでいます。こんなとこで忠勝を死なせちゃいかんと、忠勝を去らせて自らは武田軍に立ち向かっていくシーン。ありふれているかもしれないけど、感動でした。そして夏目広次(甲本雅裕さん)。家康が広次の名を何度も間違えていたのは、実は家康の中にすっかり忘れていたけど幼い頃の記憶があって、広次の名に違和感があったというか、受け入れられなかったのですね。いつか家康に恩返しをしたい一念で名を変えて生きてきて、留守居をしていた城から出て、おそらく最初から身代わりになるつもりで戦場に家康を迎えに行ったであろう広次。そしていよいよ自分が死地に向かうときになって、やっと家康が自分のことを気づいてくれて、もう思い残すことなく広次は「徳川家康」を名乗って敵軍に突入していきました。甲本雅裕さん、感動の演技でした。甲本さんは先日行われた「浜松まつり」のパレードに出演していたのですが、もしこの放送の後だったら、観衆からひときわ大きな声援が上がっていたでしょうね。そしてもう一つ、興味深い存在だったのが、死を覚悟した夏目広次と共に武田軍に突入していった二人の家臣たちです。あの時代だからどんな時でも、生死でさえ主人と共にするものだったのかもしれないけど、何の迷いもなく多勢の敵に向かっていった姿が印象的でした。もし彼らがこのドラマで描かれた夏目に傍で仕えていたら、夏目の日頃の優しさを知ってて、主人・夏目が大好きで、一緒に死ぬのもためらいがなかったのかなと。役名がなくてどの俳優さんかはわかりませんが、彼らの演技が印象に残った人は多かったようです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元亀3年(1572)10月、徳川家康の所領である三河・遠江の侵攻を開始した甲斐の武田信玄は、恐ろしい勢いで家康の領地にある城を次々と落城させていき、12月には家康の居城である浜松城のすぐ近くまで迫ってきました。家康は籠城から野戦に切り替え、久松長家と夏目広次を浜松城の留守居に残して武田軍を追いましたが、武田軍は三方ヶ原で先に布陣して待ち構えていました。家康は鳥居元忠の進言に従い全軍に退却を命じましたが武田軍の攻撃は凄まじく、酒井忠次(大森南朋さん)や石川数正らも戦いながら家来たちに、己の身は己で守りながら城へ引くよう指示していました。そして徳川方の敗走の状況は城で留守居をする久松と夏目にも続々と知らされ、主君・家康の安否も不明だと報告されました。本多勢を率いて出陣した本多忠勝(山田裕貴さん)でしたが、体調の悪い叔父の本多忠真(波岡一喜さん)には城に残って欲しいと頼んでいました。しかし忠勝の幼い頃より親代わりとして育てた忠真は「お前に戦い方を教えたのはこのわしじゃ。」と言って出陣していきました。混沌とする戦場で見失ってしまった主君・家康を探しながら戦っていた忠勝と榊原康政(杉野遥亮さん)は、多くの敵兵に囲まれて危うくなりかけましたが、その忠真の援護によって救われました。一方、徳川の援軍として織田方から3千の兵とともに浜松に来ていた水野信元と佐久間信盛でしたが、あまりに強い武田軍を見て、参戦することなく信長のいる岐阜に戻っていってしまいました。忠真の援護で一時は難を逃れた忠勝と康政でしたが、武田の兵はまたすぐそこに来ていて、家康をはじめ手柄首となる徳川の兵を探していました。若い二人を逃がすために敵兵の前に出る覚悟を決め忠真は「おめえらは行け~!」と命じ、康政は「遠慮なく!」と立ち去っていきました。しかし忠勝は叔父・忠真を一人残していけず前に出て戦おうとしました。そのとき忠真が「お前の死に場所はそこじゃない!お前の夢は主君(=家康)を守って死ぬことじゃろが!」と諭し、それでも戦おうとする忠勝を張り飛ばして「殿を守れ。お前の大好きな殿を。」と優しく笑って忠勝を抱擁しました。いつにない叔父・忠真の態度にその覚悟を悟った忠勝は、泣き叫びながら叔父を振り返ることなくその場を後にしました。そして忠真は最期の酒をあおって、敵兵の中に向かっていきました。武田の兵が執拗に追ってくる中、徳川家康(松本 潤さん)はまだ城に戻れず、鳥居元忠(音尾琢真さん)らと共に逃げ延びていました。そこへ榊原康政と本多忠勝が合流したものの潜んだ場所から動けずにいたら、城から夏目広次(甲本雅裕さん)が駆けつけ、家康を探し出してくれました。広次は家来に周囲を見張るよう命じ、そして家康には具足を脱ぐよう言いました。広次が殿・家康の身代わりになるつもりだと瞬時に理解した康政と忠勝と元忠は家康を押さえつけて具足を脱がし始めました。自分の身代わりになどと家康は抵抗しましたが4人がかりで家康を押さえつけて家康の具足を全て取り外しました。そして忠勝が身代わりになろうとしたとき、広次は忠勝を蹴飛ばして「お主はまだ先じゃ。」と言って急いで家康の具足を付け始めました。そのとき家康はふと、幼い頃に今川に人質として送られようとしていたあの時のことを思い出し、そして確信しました。この広次は、あの時不安がる自分を励ましてくれた「夏目吉信」だったのだと。「では、御免。」と言って去ろうとする広次に家康は「やめろ!夏目吉信!」と叫ぶと、広次は死地に向かおうとする覚悟の中に一瞬の喜びが蘇り、涙しそうになるのを必死でこらえていました広次は家康に背を向けたまま「一度ならず二度までも殿のお命を危うくした、この不忠者をここまで取り立ててくださった!これしきの恩返しでは足りませぬ!」と思いを語りました。今川行きの失態は家康の父・広忠に許され、三河一向一揆での反乱は家康自身に許された、広次の胸には主君の親子2代にわたる恩義があったのです。そして家康のほうを振り返って膝をつき「今度こそ、殿をお守りいたします。」と言い、皆には「殿を頼みますぞ。」と言って出ようとしました。追いすがろうとする家康に広次は「殿が死ななければ徳川は滅びませぬ。殿が生きてさえいれば。」と言い、そして「殿は、きっと大丈夫。」と優しい目であの日の言葉を家康に送りました。そして我が身をおとりとすべく敵兵の中に家来を連れて飛びこんでいきました。絶命の間際に広次の脳裏に浮かんだのは、家康が幼き日の記憶から自分のことを思い出してくれたあの瞬間のことでした。そのころ浜松城には、命からがら戦場から逃げ帰ったものの酷い手傷を負った兵があふれかえっていて、満足に戦える者はほとんどいませんでした。そこへ武田勝頼が大将となった武田の大軍が攻め寄せてくるのが見え、徳川勢は城を枕に討ち死にの覚悟をしました。とはいえ気力はあっても身体が思うように動かぬ者ばかりなので、酒井忠次は石川数正(松重 豊さん)に『兵法三十六計』を提案しました。数正も他に手はないと考え城兵たちに門を開けるよう命じ、城を明け渡すのかと戸惑い、その意味がわからない皆に忠次が重ねて、城門を開けかがり火をたいて息を潜めるよう命じました。開門されかがり火に明るく照らされる静まり返った浜松城を見た勝頼は、これは何かの罠だと考え、攻撃するのをやめて引き返していきました。一夜が明け、武田勝頼(眞栄田郷敦さん)は昨夜の浜松城のことを父・武田信玄(阿部 寛さん)に報告しました。側近の山県昌景(橋本さとしさん)は勝頼にそれは『空城の計』と言い穴山信君(田辺誠一さん)がその意味を勝頼に説明しました。それを聞いた勝頼は怒って直ちに浜松城を攻め落とすと息巻きましたが、信玄は「浜松城は完膚なきまでに叩いたからもういい。十分じゃ。捨てて西へ行く。」と言って勝頼を止めました。そして「我らの敵は都に巣くう魔物。その仕事をそなたの代に残していく。時が惜しい。」と勝頼に言い、三方ヶ原を見下ろす高台から浜松の夜明けの美しさを感慨深く眺めて、全軍に西に向かうよう命じました。夏目広次の身代わりもあってなんとか浜松城に逃げ帰れた家康でしたが、広次だけでなく多くの家臣の命を失わせてしまい、弱い大将である自分の不甲斐なさに涙が止まらず何もできませんでした。そんな家康を見て、忠次と数正は、武田勢が陣を引き払い西に向かった、ひとまず難をしのいだと報告し、そして今は家臣たちは軍勢を立て直したり少数で城周辺の敵を追い払ったりと、皆がそれぞれに自分ができることを精一杯やっていると伝え、家康を励ましました。家康も「わかっている。皆に生かされた。」と言って起き上り、「決して無駄にはせぬ!必ず立て直すぞ!」と決意を新たにしました。そして二人に「家康は生きておる。そう言い触らせ!」と力強く命じました。信玄が再び西への進軍を開始し、間もなく織田領に入ってくることを受け、織田信長(岡田准一さん)は重臣たちを集めて皆に言いました。「俺はお主たちに勝てとは言わぬ。数々の死地を超えてきたお主たちに言うことは一つ。ただ己の成すべきことを全て成せ。」と、うつけと呼ばれた若い頃からも含めて、これまで自分を信じてついてきてくれた皆に告げました。そして信長が「さすればあとは天が、この信長か信玄か、どちらを選ぶかじゃ。」と話していたら、木下藤吉郎の配下の者から急ぎの知らせが入りました。藤吉郎は「天はもう選んでまったのかもしれない。」とニヤリと笑いました。武田軍が浜松城から西に向かったということは、次は岡崎城でした。城主・徳川信康はまだ若くて戦の経験もないので、守役の平岩親吉が戦に備えて皆に指図をして慌ただしくしていたら、そこへ信じ難い一報が。「何故かはわからないけど、西に向かっていた武田勢が進路を変え、甲斐に引き返している。」ーーこの知らせに浜松城の皆も驚きを隠せませんでした。
May 16, 2023
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今日の昼過ぎですが、私はふと思い出しました。ああ、ちょうど1週間前の今頃は、草刈正雄さんに会うために上田城に行っていて、遠くからだけど大スターの草刈りさんご本人に会えて幸せな気分に浸っていたのだなあ、と。※そのときの記事は ⇒ ⇒ コチラ 大河ドラマ『真田丸』で大人気となった草刈さんは、現在は信州上田観光プレジデントを務めています。「上田は第二の故郷」「大殿、おかえりなさい!の声かけが嬉しい」とまで思う草刈さんは、この日も上田城でのイベントに楽しそうに参加されてました。そのときに作った草刈さんの手形レリーフが完成し、現在上田城内で開催されている特別企画展内で、明日から一般公開となるそうです。⇒ コチラ 私は草刈さんのイベントが終わった後、城内で昨年大河ドラマ館があったところで開催されている特別企画展の『400年の時を経て甦る上田城』を見に行ってきました。⇒ ⇒ コチラ 会場に入ってすぐ、大河ドラマ『真田丸』の世界に浸ることができました。展示のあれこれを見ていると昨年のドラマの感動が再び甦り、幸せな気分に浸ることができました。会場に入ってすぐ、カメラのシャッター音が聞こえてきました。入口すぐのところに真田幸隆公、昌幸公、信繁公の甲冑が置いてあり、記念撮影ができるようになっていました。『真田丸』の草刈さんのおかげで、私は昌幸公が大好きになりました。なので真田一族の中ではつい、昌幸公に注目してしまいます。信繁公の赤い甲冑と陣羽織も、色鮮やかで綺麗ですね。この企画展はサービスがよくて、写真撮影可なのがたくさんあります。これは「大河ドラマ仕様、真田昌幸 陣太刀」です。昌幸パパの太刀はモフモフ付きだとばかり思っていたので、今度録画をチェックしなければ。こちらは「大河ドラマ仕様、真田信繁 陣太刀」です。これも幸村になってからの録画を要チェックですね。館内を進んでいくと、先ほどとは違う甲冑が出てきました。説明によると、家臣が昌幸公から拝領したものとなっています。最後のブースは「大坂の陣」のコーナーで、信繁が馬上から家康を狙撃しようとしたときの馬上筒が展示してありました。こちらが説明です。(これは本物のようです)昨年開催された大河ドラマ展で、何度も見て撮ったあの甲冑が、再び展示されていました。ウレシイ。ドラマのあのときの感動が再び甦ります。大好きになれるドラマに出会えて、本当に幸せです。
November 10, 2017
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。松本 潤さん演じる徳川家康の生涯を描いた最終章。大坂の陣(1614-15)が始まりました。この回の33分30秒あたりから真田丸への攻撃が始まり、その次は大筒による大坂城への絶え間ない砲撃が続いて、迫力のある描写で私は画面から目が離せませんでした。真田丸での攻防は、2016年の『真田丸』を視聴していた方には、あのときのことを思い出しつつより興味深いものだったと想像しています。特に2年前のNHKの『歴史探偵』の11月17日放送の「大坂の陣 幻の大洪水」を見ていた方は、今回の真田丸全景のCGで、大坂城の周辺が水浸しになっていたことに気がついたかもしれませんね。ちなみに今日の夜10時から、この『歴史探偵』の番組で真田丸について放送されます。この番組はたいてい次週、夕方前に再放送もあります。見逃した方はお住まいの地域の番組表をチェックしてはいかがでしょう。そしてこの回、なにより感動だったのが家康の言葉ーー「信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ行く。それが最後の役目。」ーーでした。若い頃は全く頼りない弱小国・徳川家の殿だった家康が、幾たびの戦乱を経て、乱世を終わらせるためという信長や秀吉の信念を理解し、自分が業を背負ってあの世へ行く覚悟をして非情な決断を下せるまでの人物になりました。その一方で「南無阿弥陀仏」の文字を繰り返し繰り返し写経する家康の胸中はどのようなものだったのか。このドラマでの家康の人物像がわかるまで、最終回までかかりそうです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 慶長19年(1614)夏、大坂の豊臣秀頼が寄進をして再建された京の方広寺にある梵鐘に刻まれた銘文の内容が徳川にとって忌々しきものであると本多正純から報告を受けた徳川家康(松本 潤さん)は、金地院崇伝(田山涼成さん)と林羅山(笑い飯哲夫さん)に意見を求めました。羅山は、この銘文は明らかに徳川を呪詛して豊臣の世を望むものだと考え、崇伝は、それは言いがかりで銘文に他意はないと豊臣は言うであろうと考えていました。本多正信(松山ケンイチさん)は、他意あるなしのどちらにしてもこれを見逃せば徳川の権威が失墜して豊臣が力を増し、かといって処罰すれば徳川が言いがかりをつけたと世を敵に回す、と考えていました。正信は家康に、もう腹をくくるしかないと進言し、家康も同じ考えでした。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二さん)が、梵鐘のことで徳川方が騒ぎ始める頃だと考えていて、戦を想定していました。豊臣秀頼(作間龍斗さん)の元には徳川に恨みを持ち、戦で手柄を立ててもう一度世に出たいと願う牢人たちが集結していました。今や徳川と豊臣をつなぐ唯一の存在の片桐且元は、梵鐘の件で徳川方から出された「秀頼の国替え、秀頼の江戸への参勤、茶々を人質として江戸へ」の3つの条件のどれかを受け入れるよう伝えるも、戦力が集まって強気の茶々(北川景子さん)は激怒して全て拒否して、着々と戦の準備を進めていました。豊臣の中では戦で家康を倒し徳川を潰すことですっかり盛り上がっていて、秀頼の妻・千姫(原菜乃華さん)は実家の徳川の祖父・家康や父・秀忠を思うと、とてもその場にはいられず、一人廊下に出て涙していました。千姫の様子が気になった織田常真(亡き織田信長の次男、信雄;浜野謙太さん)は、厠に行くと言って廊下に出て、その場を去ろうとする千姫に小声で語りました。「戦は避けましょう。あなたのおじい様には世話になった。わしの最も得意とする兵法は・・・和睦。」と笑いながら言い「大丈夫。わしと片桐でなんとかする。」と千姫を励まし、常真は去ろうとしました。ところが片桐の名を聞いた千姫は慌てて常真をつかまえ、涙ながらに訴えました。「明日、片桐が大野治長に・・。」千姫の話を聞いた常真は急ぎ片桐に話を伝え、片桐は寸でのところでだまし討ちから逃れ、亡き信康(家康の長男)の妻で今は京で暮らす五徳の手助けもあって、片桐は大坂を出奔して常真とともに伏見に逃げました。本多正純(井上祐貴さん)と阿茶(松本若菜さん)からその報告を聞いた家康は、これでもう徳川と話し合いができる者が豊臣にはいなくなったと考えました。さらに豊臣の兵が10万に膨れ上がったことを聞き、家康はいよいよ大戦をするしかないと覚悟を決めたました。家康は、諸国の大名に大坂攻めの触れを出すよう、そしてウイリアム・アダムス改め三浦按針に用意させていた西洋式の大筒も用意するよう、正純に命じました。家康は「この戦は徳川が汚名を着る戦となる。」とも覚悟していました。一方、大坂では、関ケ原の戦い以降に牢人となって家康に恨みを持つ者たちが我こそが家康を討ち取ると意気込んで集まり、秀頼はその者たちの苦労に思いを馳せ、ここに集ったことに礼を言いました。そして茶々は皆に「我が豊臣の子らよ」と呼びかけ、家康を卑しき盗人で非道の絶対悪であると言い、正しき天下の主は秀頼と皆の胸に刻み、今こそ家康を討ち取って天下を取り戻そうと強く呼びかけました。その後で茶々は千姫にも、豊臣の家妻として皆を鼓舞せよと命じ、従うしかない千姫は「豊臣のために励んでおくれ。」と言うのがやっとでした。慶長19年(1614)冬、徳川方は総勢30万の大軍勢でもって大坂城を包囲し、家康は大坂城の南1里ほどにある茶臼山に本陣を構えました。そして豊臣を出奔した片桐且元(川島潤哉さん)を徳川方に迎え、大坂の内部を知らせるよう求めていました。先の大戦の関ヶ原から14年の月日が流れ、家康と共に乱世をくぐり抜けてきた歴戦の武将たちはほとんどこの世にいなくて、渡辺守綱(木村 昴さん)は戦を知らない今の若い兵たちに心得を聞かせようとしていました。家康は守綱の若い頃の失態を話しつつも、盛綱のような兵が自分の宝だったから、その全てを若い兵に伝えてやれと命じて笑っていました。その後での軍議では現将軍の秀忠が主導しようとしていましたが、家康は指図は全て自分が出すからそれに従えと命じ、秀忠は仕方なく引き下がりました。家康は、この戦の責めは全て自分が負う覚悟でした。そして開戦となり、大坂城の周辺では徳川と豊臣の局地戦が繰り広げられ、その全てで数に勝る徳川方が勝利していました。しかし豊臣方はそれでも話し合いに応じることはなく、難攻不落の大坂城で籠城すれば心配ない、手柄をあげたい者の士気も高いと強気でした。さらに大坂城の南に真田信繁が築いた真田丸では、徳川方の兵をことごとく倒す目覚ましい戦果を上げ、大坂方はますます強気になっていました。今回使われた真田丸の全景です。2016年大河ドラマの『真田丸』を視聴していた方は、当時のCGを思い出しながら、つい見比べていたと想像します。あれから7年たち、豊臣方が防御のために淀川の堤を決壊させて大坂城の周辺を水浸しにしたことや、徳川方が真田丸に近づくために塹壕を掘り築山をつくっていたことなどが考慮されたCGです。豊臣方が話し合いにすら応じないのを見て、家康は戦を早く終わらせるためにも備前島(大坂城天守の北)に設置してある大筒を使うことを決めました。大筒で天守にいる秀頼を狙うーーその言葉に秀忠は、それでは傍にいる千姫に害が及ぶと反対しますが、家康は「戦が長引けば、より多くの者が死ぬ。これが僅かな犠牲で終わらせるすべ。」と、そして「主君たる者、身内を守るために多くの者を死なせてはならぬ。」と秀忠に言い聞かせました。家康の命令が下り、現場で指揮を執る本多正純が大坂城本丸に狙いを定めるように言い、砲台から一斉に砲弾が放たれました。大筒の攻撃を知った秀頼は女たちを天守へ逃がすよう命じました。弾が壁を突き破って飛んでくる中を茶々や千姫の他、女たちは悲鳴をあげながら逃げ、恐怖で動けなる者を茶々は叱咤して天守の上に向かいました。片桐且元も大坂城の中では恐らく天守に向かって皆が逃げているだろうと考えて正純に進言し、正純は天守への更なる砲撃を命じました。大坂城天守への容赦のない大筒の砲撃を見ていた徳川秀忠(森崎ウィンさん)は、父・家康に砲撃をやめるよう懇願、しかし家康は全く動じることなくその様子を見ているので、たまらず父に掴みかかって砲撃をやめるよう叫びました。あの城の中に娘の千姫がいると思い涙する秀忠に、乱世を生き抜いてきた家康は無表情まま「これが戦じゃ。この世で最も愚かで醜い、人の所業じゃ。」と。しかし、そう言いながら家康もまた涙を流していました。茶々と千姫と女たちは大坂城の天守の上階を目指して逃げていましたが、砲弾の攻撃が続く天守は次々と破壊されていきました。茶々がふと頭上から土が落ちてくるのに気がついて上を見ると、天井が崩れる寸前になっていて、その下には恐怖で身動きできなくなった千姫がいました。千姫は秀頼の嫁ではあるけど、初も含めた3姉妹で一緒に乱世を生き抜いてきた妹のお江の子であり、茶々には血のつながった姪でもあるからでしょうか。とっさに千姫をかばって崩れ落ちる天井の下敷きになってしまいました。
December 6, 2023
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2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回で強烈だったのは、藤原兼家を演じる段田安則さんの、4人の子たちを前にして、政界を生き抜いてトップに立つための術を父として教えておこうとする、迫力の演技でした。そして父・兼家と共にだんだんと、4きょうだいたちの生き方や能力が見えてくるようになりました。藤原道隆(井浦新さん)は第6回の漢詩の会でもあったように、若い者たちををうまくまとめて望ましい方向に皆を率いていく、長男らしい力を感じます。次男の藤原道兼(玉置玲央さん)は親の愛を乞うが故に、父が望むことならなんでもやろうと考え、この策略も父が誰よりも先に自分だけに真実を明かしてくれたのが嬉しくて、そのために己を痛めつけて帝に近づきました。ただそれで得た「成功」の喜びをどこか得意げになって兄と弟に語る姿は、少しもの悲しい部分も感じましたが。三男の藤原道長(柄本佑さん)は、幼い頃から力の弱い者たちをかばってやる優しさがあり、自分とは異なる世界の考えも受け入れる度量があります。でも今はまだ、どの方向に行けばいいのかを模索中で周囲の考えや行動をじっくり見ている感じです。道長の姉の藤原詮子(吉田羊さん)は女子だけど父の気質をいちばん受け継いでいるようです。ただ父ほど人生経験も実力も足りないので、まだまだ未熟で迫力も足りない感じがしますが。そして今回意外だったのが、直秀(毎熊克哉さん)があまりにもあっけなく退場となったことでした。直秀はもっと後半まで登場してまひろの人生に絡んで、たくさんの影響を与える人かなと思っていました。でも直秀を演じた毎熊さん、見事なインパクトを我々視聴者に残していってくれました。もしかしたらNHKに、この先のドラマで毎熊さんが違う役で再登場するよう嘆願書がたくさんきているのでは?と想像してしまうほどに。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛和2年(986)藤原道長(柄本佑さん)が住まう東三条殿に盗賊の集団が入り、警護の者たちが捕らえてみたらそれは直秀(毎熊克哉さん)たちの一行でした。道長は直秀に会ったときからどこか親しみを感じ、つい先日は“弟”として打毬の代理も頼んでいましたが、もしかしたらあの時の盗賊ではとうすうす感じていて、この時それがはっきりとしました。道長は警護の者たちに、直秀たちは人を殺めてはいない、手荒なことはするな、検非違使に引き渡せと命じて、奥に入っていきました。左大臣・源雅信の一の姫の源倫子(黒木華さん)のところでは、茅子(渡辺早織さん)としをり(佐々木史帆さん)が右大臣家の東三条殿での盗賊騒ぎの噂をあれこれと話していました。道長が活躍した話になったときには密かに道長を思う倫子はついうっとりとしてしまい、慌ててごまかしたりもしていました。(道長が獅子奮迅の働き?・・というか、この時は家来に指図しただけだと思うのだけど、噂はいつの時代も尾ひれがついて誇張されていくのですね。)左大臣家からの帰り道、まひろ(吉高由里子さん)は直秀たちがいつも稽古をしている場所に立ち寄り、直秀の行方を捜していました。するとその時放免たちが来て、まひろと乙丸(矢部太郎さん)を盗賊の仲間だと決めつけて、縛って獄に連行していきました。ただちょうどその時に道長が直秀たちの様子を見に獄に来ていて、彼らを早めに解き放つよう、手荒なことはしないよう頼んで番人に金を渡していてそこにいたので、まひろと乙丸は道長によってすぐに解放されました。しかしその時、獄の中にいる直秀たちを見てまひろは愕然として立ちすくんでしまい、道長はまひろを連れてすぐにその場を立ち去っていきました。道長はまひろを馬に乗せて、少し離れた空き家に入って話をしました。なぜ直秀たちを見逃してやらなかったのかと問うまひろに道長は、自分の立場上それはできない、自分の今の生活は身内とて信用できない、でもまひろと直秀は信じている、直秀は盗賊であっても敵は貴族と筋が通っている、と説明しました。そして直秀たちの身を案ずるまひろに、検非違使には心づけを渡しておいたからまもなく獄を出て都から遠くに解き放ちとなるだろう、と道長は言いました。その時、乙丸がそろそろ帰宅をと声をかけ、道長は送っていこうと思いました。でも一緒にいるところを左大臣家の誰かに見られたらよくないとまひろは断り、道長に今日の礼を言って帰っていきました。(もしなにか噂になれば権力のある道長はいいけど、力のないまひろの側はそうはいかないですからね。)最愛の女御の忯子を亡くして以来、帝(花山天皇)は何もする気力が起こらず、帝に仕える藤原為時(まひろの父)もただ黙って見守るしかありませんでした。しかし今の帝の次の代も権力を持っていたい側近の藤原義懐は、蔵人頭である藤原実資(秋山竜次さん)に帝の傍に女子を送り込むよう命じました。義懐はさらに、帝の気力が戻らないのは実資の怠慢とまで言い、我慢がならなくなった実資は義懐に反論、義懐は帝に対する愚痴を言いながら去っていきました。帰宅した実資は妻の藤原桐子(中島亜里沙さん)に宮仕えでの不満や愚痴をあれこれとこぼしていました。実資の愚痴があまりにしつこいので、桐子は日記を書くことを勧めました。(ドラマでは実資は「日記など書かん!」と言ってますが、実際には『小右記』という全61巻の日記を残しています。)ところで、病で倒れてずっと眠ったままだった藤原兼家(段田安則さん)は、実は病は陰陽師の安倍晴明と組んだ芝居であり、とうに回復していました。兼家の枕元に長男・藤原道隆(井浦新さん)ら4人の子が集まり、兼家は4人に我が一族の命運に関わる大事な話だから心して聞くよう言いました。兼家の狙いは今の帝をなんとか譲位させて娘の藤原詮子(吉田羊さん)が生んだ懐仁親王を玉座につけることであり、晴明がそのための画策をしていました。そして次男の藤原道兼(玉置玲央さん)には、帝の信頼を得て傍にあがるように命じていて、道兼は己を傷つけ父・兼家に冷遇されていると見せて帝の哀れみを誘い、帝の様子を父に知らせていたのでした。策として晴明は忯子の霊が兼家に憑りついていると噂を流した、しかしこの後、内裏でさらにいろいろなことが起こり(=起こし)、それは兼家が正気に戻ったと同時に忯子の霊が内裏でさまよっているということにして帝に譲位を促すというものだと、兼家は4人に説明しました。そして兼家は力強く「これより力の全てを懸けて、帝を玉座より引き降ろし奉る。皆、心してついてこい。」と言い、父の命を道隆・道兼・道長は承知しました。さらに兼家は、源を味方につけて強気になっている詮子に、いつもの「女御さま」ではなく父として「詮子」と呼び、自分についてこなければ懐仁親王の即位はないと思え!と念を押しました。ところで獄にいる直秀たちですが、捕まってからずっと取り調べもなく、この先自分たちはどうなるのだろうと、不気味さと不安を感じていました。でも盗みはしたけど人殺しはしていないからムチ打ち30くらいかなとか考え、ここを出たら女に会いに行こうとか話をしていたらそのうち冗談も歌も出てきて、皆で歌って笑って獄での時を過ごしていました。一方、直秀たちの今後が気になっていた道長は、直秀たちが流罪となって明日の卯の刻(夜明けの6時頃)に出立するという情報を得ました。そこで従者の百舌彦を通じてまひろに伝え、直秀たちを見送ろうと思いました。しかし道長とまひろが見送りに来たときには、直秀たちはもう出立していました。向かった先が鳥辺野と聞き、そこは屍の捨て場であり、まさかと思いつつ道兼はまひろを馬に乗せて急ぎ鳥辺野に駆けつけました。そして道長が着いたときには時遅しで、直秀たちはすでに放免たちに殺されて息絶えていました。せめて遺骸をカラスや獣たちに荒らされないよう道長とまひろは二人で皆の穴を掘り、直秀には自分の扇子を持たせ、彼らを埋めてやりました。検非違使が最初彼らを拷問にかけるようなことを言っていたから、手荒なことをさせないよう心づけを渡した、でも後で盗人ならせいぜいムチ打ちくらいと聞き、もしかしたら自分のしたことで検非違使が何か思い違いをして直秀たちを殺してしまったのかと、道長は激しく後悔して皆に詫びて泣き崩れました。ところで内裏では、床下から動物の死骸が出てきたり廊下が水で濡れていたり、あるいは弘徽殿に白い影が出ると噂されたりと、気味の悪い現象が相次ぎました。帝(花山天皇;本郷奏多さん)が病に倒れた兼家が死ななかったことを苦々しく思っていたら、事態はもっと深刻で兼家に憑いていた忯子の霊がこの内裏に飛んできている、霊が成仏できずに苦しんでいる、と安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)が帝に進言しました。忯子を哀れに思う帝は霊が成仏するならなんでもする、どうすればと晴明に問い、晴明は言いにくかったけど帝から促され、帝が出家するしかないと答えました。一方、まひろの家では弟の藤原惟規(高杉真宙さん)が大学に入ることになり、父・藤原為時(岸谷五朗さん)は惟規から挨拶を受けていました。 大学寮とは惟規の乳母のいと(信川清順さん)は惟規がこの家から出ていってしまうことが寂しくてしかたなくて、ずっと泣いていました。父は息子に言葉を贈り、そしてまひろほど学問が得意でない惟規のことを案じつつ、惟規を送り出しました。父はまひろが男であったらとまた思い、まひろもまた自分が男だったら勉学に励み内裏に上がって世を正すのにと、どうしようもないことだけど考えていました。
March 6, 2024
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。私の単純なアタマでは先が読めない、楽しい大河ドラマです。前回、上州の沼田城と岩櫃城を奪回することを決意した、真田の当主の昌幸(草刈正雄さん)。今回のテーマは、滝川一益に人質に取られた真田のばば様(とり:草笛光子さん)を、源次郎信繁(堺雅人さん)が救出しに行くというものでした。ただその過程で、長澤まさみさん演ずるきりは、いちいち口答えするわ、状況考えずにつまらん自己主張したがるわで、もうどうしようもない面倒な女になってました。見ていて、イラッ…、イラッ…、ときてしまいます。だいたい源次郎が迎えに来て、一刻も早く小諸城を出なければいけないというのに、大事な忘れ物をしたからと部屋に取りに戻ってモタモタ。源次郎に「私は貴方からもらった櫛を大事にしてます」ってアピールしている場合じゃないってば…。で、そのロスタイムのために結局は逃亡に失敗し、信繁らを含めてまた滝川の人質に。なのにきりは文句ばかりキーキーぶーぶー。後で、とりのおかげで人質から解放されたら喜び全開。帰り道についでに温泉に行きたいと言いだす始末。あのー、この時代の武家の女は、お仕えしている人と運命を共にする、あるいは我が身に代えてでも守るものじゃないの?きりは不器用な女とフォローを入れても、ウザキャラ度のほうがはるかに大きくなっていますね。現段階では。その後は人質の駒として、滝川一益から木曽義昌へと引き渡されたおとり様と信繁一行。木曽義昌が人質らと対面して、「おぬしらは大事な駒じゃ。うわっはっはっはー!」って高笑いしていたのに、人質の中にとりがいるのに気がつくと顔がひきつって退出する木曽義昌。いったいどうしたのか?真田の人質の部屋をこそ~っと覗く木曽義昌。気が付いた信繁がうやうやしく礼をすると、木曽義昌を見たとりは「宗太郎。久しぶりです。」一方、木曽義昌も「はっ。おとり様、昔と少しも変わりませんなあ。」と、とりの前に正座して小さくなってます。不思議に思った信繁が、どういう間柄かを尋ねると、「私は、宗太郎の子供の頃をよーく知っておる。この子は信玄公の前で・・・(暴露話)」そして「宗太郎。」ととりに穏やかに呼ばれて、木曽義昌が身を乗り出したら、イキナリとりからビンタ1発。「大恩ある武田家を裏切りおって!」木曽義昌を叱り飛ばすばば様。事の展開をただ目を丸くして見ているだけの信繁。とりに叱られて「あのときは仕方なかったんだ。織田信長に脅され、木曽の一族を守るためには、他に手がなかったんじゃ。」と、とりの前で土下座し、「相変わらずコワイのぉ。」とボヤく木曽義昌。とり:「宗太郎。今すぐ、人質を返してやれ。」義昌:「せっかく手に入れた人質を…。人質というものは、 わしら力を持たぬ者が生き抜くためには、なくては ならんものです。わかってくだされ。」とり:「では、源次郎だけを返してはもらえぬか。 私はここに残ります。これでどうじゃ。」義昌:「それならば・・。」こんなことあるのかなあ・・なんて思いつつも、この場面は草笛光子さんが痛快だったので楽しく見ていました。木曽義昌を演じたのは石井愃一さんという方でした。表情がよく変化する面白い役者さんをまた一人発見です。源三郎信幸(大泉洋さん)の妻を演じる長野里見さんという方も、見ていて面白いです。ただ病弱な妻を演じているのに、なんか笑えるのです。なんででしょうねー。また今回は、ばば様救出のために小諸城に乗り込んだ信繁が、滝川の家臣と道家の家臣の間を上手く行き来して、人質の部屋に行く場面も面白かったです。部屋の前で見張りの兵に落ち着きがなかったのは、実は厠に行きたかったとは(笑)そして結局は真田の人質を取り返しに来たとバレてしまうのですが、それまでの信繁と滝川の家臣と道家の家臣の、三者のやりとりがサイコーでした。脚本を書く三谷幸喜さんもすごいし、演じる役者さんたちも呼吸がばっちり合ってて、ホント素晴らしいです、もちろん真田昌幸の草刈正雄さんも相変わらず魅力的でしたが、今回は草刈さんの部分は割愛いたします。次週は何があるのか、また楽しみです。真田関連の画像がないので、関係ないけど名古屋城の桜で。桜の枝がお掘に垂れ下がっているので、花びらがふわふわと浮いてます。
February 21, 2016
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆大相撲初場所の3日め。厳しい前評判を受けていた横綱の朝青龍が、ようやく本来の力を発揮し始めたのでしょうか。世間のバッシングを撥ね返すパワーで、3連勝中です。もう意地の連勝でしょうね。さて今日の昼間、ネットのニュースでこれが目にとまりました。 ↓ ↓大相撲の元幕内片山(29)=本名 片山伸次、静岡県出身、阿武松部屋=が今場所限りで引退することが13日 分かった。初場所は東幕下16枚目で初日から休場している。片山は、2002年春場所初土俵。04年名古屋場所で新十両。05年夏場所で新入幕を果たし、幕内通算6場所務めた。最高位は西前頭13枚目。足がまっすぐ高く上がるきれいなしこで人気だった。 ( 2009/ 1/13 ヤフーニュース、スポーツ編より引用)TVの大相撲中継でも、片山の四股はよく紹介されていました。私も名古屋場所で2回見ましたが、片山がこの四股をするときは、観客から自然と拍手が沸き起こりました。足首を直角にし脚を180度に開いて片足のバランス。身体が柔軟な人でもこの姿勢は難しいと思います。すご~いさて、四股とはいったいどういうものなのか。せっかくなので、この機会に知っておきましょうか。『四股』を踏むのは邪気払いの儀式。四股は、相撲の基本である。足腰を鍛える重要な基本運動であり準備運動でもある。ふらつかず、しなやかに美しく四股を踏むのはかなり難しく、修練が必要である。精神を集中しながら、自分にとって最も苦しい体勢へと軌道修正していくのが四股である。参照: 大相撲 相撲用語解説この片山の四股が見納めだったとは。でお対戦相手も、「俺にはこんなことできないよ。」 なんて思っていたでしょうね。最近では相撲の基本動作を応用したダイエット運動も研究されているようですね。TVでも時折り稽古風景が紹介されていて、一見簡単そうに見える準備運動も、実際にやってみるとかなりキツイ運動です。お相撲さんたちは皆、私たちが思う以上に体力があって身体能力が高い方々ばかりなのですね。さて、今場所はどんな展開になるのでしょうか。横綱・白鵬と朝青龍の、どちらの意地が強いのか。他の力士が優勝戦線に名乗りを上げるのか。楽しみになってきましたボクも大きいニャンコで、えみりーさんの自慢だったよ。本気になればケンカも強かったよ。(フクちゃん~虹の橋より)Natsu&Kei
January 13, 2009
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NHK大河ドラマ 『おんな城主 直虎』 。第48回の部分的な感想です。今回はラストの10分で、とわが家康と語り合う場面が見せ場で視聴者が感動する場面だったのでしょうか。この場面は、セリフそのものはいいことを言ってます。でも私には、とわがなんでこう家康にズケズケ物が言えるのかとか、セリフの内容がなんか浮いてる感じがして、いろいろ気になって感動はありませんでした。まあ最初のほうの信長接待のための、迎えるための大騒動とか迎えた後の徳川家の様子とかは面白かったから、まだドラマ全体としては楽しめましたが。武田家滅亡後に駿河を拝領した徳川家では、喜びの宴を開いていました。徳川家康(阿部サダヲさん)も家臣たちも皆、呑んで歌って踊って、美酒に酔いしれていました。しかしそこへ、織田家から「火急の用」という使者が来たとの報告が。「こんな夜分に・・。」「またいいがかりでも・・?」 一同はイッキに酔いがブッ飛んで緊張が走りました。(フリーズ場面その1)使者からの知らせは、信長が甲斐から安土に戻る際に駿河と三河に立ち寄って名所見物をしたい、というものでした。織田の軍勢が通りやすいよう道を整備し、陣屋を設けてます。これは皆で楽しく川遊びをしているのではなくて・・・。織田の軍勢が川を渡りやすいよう、流れを弱めるための堰を大男たちを集めて「人の堰」を作っているのです。図体のデカイ奥山六左衛門(田中美央さん)は当然、駆り出されます。旧暦の4月10日は現代の5月後半で、山間部はまだ水が冷たいから、軍勢が通過するまで水の中で座っていると寒いでしょうね。信長が浜松にやってくるという知らせは今川氏真(尾上松也さん)の元にも届き、氏真は「信長に取り入る好機」と士気が上がります。朝比奈泰勝(ヨシダ朝さん):「(信長が)天竜川にでものまれ、溺れ死ねばよろしゅうございますのに。」←笑った徳川方が「葡萄酒!」「御腰掛!」と信長を迎える準備で大わらわしているうちに、織田信長(市川海老蔵さん)が到着しました。家康が挨拶をしていると、氏真がご祝賀のために急ぎここにやってきたとの知らせが入りました。信長は氏真を「祝い事には楽しい男」と気に入っているので、そのままこの場に招き入れました。氏真は信長と家康に戦勝祝いと御礼を述べ、相撲が好きな上様(信長)のためにお祝いの座興を用意したと言います。氏真が座興に用意したのは、三河の美丈夫たちです。でもその中に、なぜか中野直之(矢本悠馬さん)も。この後、小兵の中野が相撲をとったときに信長は「桶狭間を思い出す」と。すぐそばには氏真も座っていて、信長の言葉に周囲は緊張しました。織田の軍勢が帰っていった頃、龍潭寺では昊天が一人の迷子を連れてきました。とりあえずこの子を寺で預かることにしたので、とわ(柴咲コウさん)は梅(梅沢昌代さん)に少年の世話を命じます。そして梅はこの少年が、相当な武家の家の子であると気付きます。緊張の連続だった信長の接待も終わり、ホッと一安心の徳川家では皆で楽しく慰労会をやっていました。「あ~~、酒がうまい!」・・信長の接待は戦よりも疲れるかも。しかし井伊万千代(菅田将暉さん)は、今回の接待の経費が五千貫文、屋敷一つ建つほどもかかってしまった、米八千俵もらったとて・・と家康に進言し、家康も少し複雑な表情になりました。そんなときにまた、織田からの使者が来たとの知らせが。一同はホロ酔いがブッ飛び再び緊張が走りました。(フリーズ場面その2)この後、使者とは今回も切れ者の榊原康政が対応しました。信長の要件は、先日のもてなしの御礼として、今度は織田が徳川をもてなしたいから安土に来てほしい、というものでした。家康だけでなく多くの重臣たちも招待されたので、れこはもしかしたら信長の罠ではないか?と家康は疑心暗鬼になります。そんなときに氏真がやってきて、招きに応じたほうがよいと思うと言い、さらに家康に何か耳打ちをしました。氏真が家康のところから帰るときに、暗がりで何者かに捕まりました。とわと共に迷い子のことを調べていた傑山(市原隼人さん)だったのです。迷い子について仔細を確かめるために、とわは氏真と直接話をしました。はじめは事の真相を言わずにはぐらかしていた氏真ですが、とわの本気の追及で、あの少年が織田の家臣・明智光秀の子であると打ち明けます。先日、信長が徳川家に寄ったときに氏真がお祝いと称して駆けつけた本当の目的は、明智光秀(光石研さん)と会うためだったのです。そして氏真は光秀から、信長が家康と重臣たちを招いて暗殺する計画があること、そして光秀はそれを利用して逆に信長を暗殺する考えがあることを聞かされました。氏真の話から事の真相を知ったとわは家康に会い、自分の考えを言います。「織田が亡き者になれば織田家中が乱れ、さらに世が乱れる。」家康は「さようなことはわかっておる!」と一瞬激高しますが、いつか徳川が日の本の要となってほしいというとわの願いに耳を傾けました。そして翌朝、井戸のところにいた光秀の子・自然(じねん)に、とわは優しく伝えます。「案ずるな。大人たちが何をどうしようと、私は自然の味方じゃ。」戦国の世で、自分の身がどうなるのか不安で仕方がなかった自然は、とわにしがみついて泣きだしました。(ここは感動でした)密かに進む信長暗殺の計画に、徳川はどう出たらいいのか。家康が重臣たちの考えを確かめたら、重臣たちはそれに賛同でした。そして皆、それぞれの思いをもって安土に出立していきました。
December 5, 2017
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この正月にBS日テレで放送された 『田原坂』 。約30年前に時代劇スペシャルとして毎年年末に放送されていたときには『白虎隊』ほどの感動はなかったのですが、今回改めて見直してみたら『白虎隊』にはない面白さがありました。次の日曜日からNHKの大河ドラマで鈴木亮平さんが主演で 『西郷どん』 が始まります。 『田原坂』では約6時間だったドラマを、大河ドラマでは 43分×50週=2,150分、2,150分=約36時間かけて制作することになります。『田原坂』で観たあの場面を、『西郷どん』ではどう描いてくれるのか、今から楽しみです。願わくば、終盤で西南戦争が始まったら、野外ロケでガッツリと戦いをやって欲しいものです。各方面からの隊が集まり、総勢が約3万を超えたとも言われる薩摩軍と、それを討伐した政府軍との戦いが、スタジオの中でチョイチョイとやってナレーションでまとめておしまいでは、あまりにもつまらないです。西郷隆盛の生涯の終盤の、私学校建設から西南戦争にかけては、物語がどんどん盛り上がると思います。少々気が早い話ですが、11か月後には大河ドラマを観て “涙腺決壊” 状態であったら、と思ってます。鈴木亮平さんなら、やってくれるかな。ドラマの終盤、西南戦争に向けて鹿児島から出陣するシーンです。総大将である西郷隆盛(右側の馬上の人)に対し、行進しながら敬礼をこうするのか、と思って見ていました。以前は気がつかなかったのですが、馬の鞍の下につける障泥(あおり)のデザインが階級によって違っていました。総大将は赤地に金の縁取り、各隊の将は青地に銀の縁取りです。桐野利秋を演じる勝野 洋さんです。勝野さんは殺陣のシーンで迫力あるのはもちろん、このときの馬上から「かしらぁー、左!」と号令をかける姿がすごく素敵でした。『西郷どん』で桐野利秋を演じる方は、どんな感じになるのかな。西郷隆盛を演じる里見浩太朗さんです。陸軍大将の上着には金色の刺繍やボタンはないけど、白い手袋と白いズボンで格の違いを出しているようです。鹿児島の町の人々は出陣を拍手で見送ります。西郷隆盛の身内の女たちは西郷に一礼をし、西郷もそれに応えます。元・会津藩士だった佐川官兵衛は、会津戦争の折に薩摩に賊軍にされた無念を晴らすべく、西南戦争に臨みました。下着には会津戦争で命を落とした仲間たちの名前が書かれています。本田博太郎さんの佐川官兵衛は、迫力満点です。最近の本田博太郎さんは面白い役が多いですが、若い頃はこうでした。九州各地での激戦の後、鹿児島に戻ってきた西郷は、最後の戦いに連れていけない2匹の愛犬を放して自由にしました。西郷たちが鹿児島に戻ってきたと聞き、鹿児島に赴任していた政府の役人たちは恐れをなして鹿児島から出ていきます。町の人々は「帰れーっ!」と叫び、棒やほうきで役人たちを、まさに「叩き出して」います。どこかの気の強いかーちゃんは騎馬戦状態で、役人が振り上げる刀にもひるまず「帰れーっ!」と叫んで役人たちを追い払っています。[DVD] 時代劇スペシャル 田原坂最終決戦で出陣する前日、西郷と生死を共にする者たちが集まり、村田新八が奏でるアコーディオンの音楽(ラ・マルセイエーズ)を聴いて、「地の底から力が湧きあがる、よか曲じゃ。」と皆で楽しんでます。ここは私の大好きなシーンです。翌早朝、西郷たちは城山の岩崎谷に出て政府軍との最後の戦いとなり、皆帰らぬ人となりました。この西南戦争によって薩摩軍 6,745人、政府軍 6,843人、両軍合わせて計 13,608人の戦死者を出し、ここに士族の反乱は終結しました。
January 5, 2018
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先週の日曜日ですが、名古屋港ガーデンふ頭3号岸壁で海上自衛隊のイベントが名古屋港であると聞いたので、ちょっと行ってきました。※イベント情報は ⇒ ⇒ こちら 我が家からは陸上自衛隊と航空自衛隊のイベントはわりと行きやすくて見ることができます。しかし伊勢湾や三河湾には海上自衛隊の基地がなく、自衛艦を見られるのは他の基地からこちらに寄ってくれたときだけです。この日はちょうど他の用事もなかったので、地下鉄の ドニチエコきっぷ を使って名古屋港まで行ってきました。名古屋港には9時半ぐらいに着き、まず潜水艦救難艦「ちよだ」に入る列に並びました。ぱっと見、工場の建物のように見えるこれが「ちよだ」です。このときは15分くらいで荷物検査のところに行けました。乗船して 「ちよだ」 から見る名古屋港ポートビルです。順路に従って船の中を見学していきます。こういう狭い通路とか配管とか、船の中にいることを実感します。遭難した潜水艦を救助する他、大規模災害のときには海上からの輸送、医療、被災者の収容なども行う「ちよだ」の救命用浮き輪です。船に装備されている 遠隔操作無人探査装置(ROV) です。隊員の方の説明もありました。遠隔操作無人探査装置(ROV)とは、このような機械です。メイティング(ハッチ同士の接合)のために障害物を取り除く作業もします。ROVを見学した後、階段を上がって甲板にでました。甲板には様々な装備が展示されていて、これは火災時の消火の装備です。水中では10m潜ると1気圧増えるので、深い深度での作業は地上の環境とは全然違った、想像を超える力が体にかかるのですね。隊員の方の説明が聞けなかったのですが、深海での恐ろしい気圧から地上の世界に戻るために、徐々に減圧して体を慣らすための設備も必要なのですね。潜水のときのウエットスーツとヘルメットです。特にヘルメットがごつくて重たそうだけど、これぐらいないと水圧の高い深海で頭を保護できないのだろうと推測しました。「ちよだ」の艦尾に、海上自衛隊の隊旗の旭日旗がありました。赤と白が青空に映えてとても綺麗で、誇らしくはためいていました。
June 27, 2019
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は徳川家康が本当に生死をかけた最大の試練の一つの「三方ヶ原の戦(1572)」の前半でした。徳川家康(松本 潤さん)と徳川家臣団にとっては、最強と言われる甲斐の武田信玄(阿部 寛さん)率いる武田軍に我が領地を狙われていて、これは他国に出陣しての戦とは意味が全然違ってきます。支配されて理不尽な扱いを受けても耐えて生きる、それが嫌なら生死をかけて戦うしかないのです。時代の転換期には大きな戦いがあり、それを描いたドラマでは戦闘シーンは大きな見どころの一つです。でも今回のように、派手な戦闘シーンはなくても、そこに至るまでの主人公やその周囲の人々の葛藤を描いたものも、けっこう面白いものだと感じました。家康が織田信長(岡田准一さん)と二人きりで会ったシーン。あり得るかどうかはともかく、いい場面でした。家康は織田との同盟をビジネス的に「一蓮托生」と言ったと思うのですが、不安が顔に出ている家康をまず「そんな顔をした大将には誰もついてこない」と叱り、そして信長は心のつながりで「一心同体、ずっとだ」と返してくれました。幼い頃の強烈な体験で、信長は自分に対しては強圧的で恐いとしか思えない存在だったけど、このとき初めて、信長が自分を本当に“弟”のように思ってくれているのだと、家康は感じたのではないでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元亀3年(1572)10月3日、甲斐の武田信玄は遠江侵攻のために2万超の大軍を率いて徳川家康のいる浜松を目指して出陣しました。恐ろしく強い武田軍が自分たちに向かってくる戦なので、徳川軍の皆は今度こそ生きて帰れないかもしれない覚悟を胸に、それぞれの出立をしていました。吉田城(現在の愛知県豊橋市)城主の酒井忠次(大森南朋さん)は、長年連れ添った妻の登与(猫背椿さん)から弁当を受け取って出ようとしたとき、わざとらしい理由で登与を呼び寄せその体を抱きしめました。いつにない夫・忠次の行動に登与は何かを感じながらも、登与は笑っていつものように夫を見送りました。徳川家康(松本 潤さん)は我が領地を守り抜く決意をし、家臣たちも同じ気持ちでしたが、武田軍が甲斐を出てわずか7日後には信濃の国境に近い奥三河の作手・田峯・長篠の城が、そして遠江の信濃に近い犬居・只来の城が落とされ、各方面から一斉に動く侵攻の速さに徳川軍はなすすべがありませんでした。そして10月21日には高天神城も落城、その次は浜松城のすぐそばの見附城になることは明らかで、家康たちは見附に物見に向かっている本多勢の報告を待つしかありませんでした。見附に物見に出た本多忠勝(山田裕貴さん)と叔父の本多忠真(波岡一喜さん)は見附近くの一言坂で武田軍の先鋒で武田最強と言われる山県昌景とぶつかり、激しい戦闘となりました。疲弊して血まみれになって家康のところに戻ってきた忠勝と忠真の姿は武田の恐ろしさを物語っていました。(忠勝の血は敵の返り血だったけど、それでも忠勝が崩れ落ちるほどの死闘だったのでした。)11月7日には見附・匂坂の城が落ち、敵は二俣城に向かっているところで、浜松城の周辺の城はほとんど包囲されました。もう頼みの綱は織田の援軍しかなく、織田信長の使者で来た水野信元(家康の伯父)に5千の援軍を頼みましたが信長もまた各方面に敵を抱えていて、兵を割ける状態ではありませんでした。家康は織田信長(岡田准一さん)と二人きりで話さなければと、伯父・信元に「共に2日だけ抜け出して鷹狩りをしよう。」と信長への言伝を頼みました。信長が自分のために動くのか家康は半信半疑でしたが、信長は来ました。家康が「策は『桶狭間』、餌は『家康(=自分自身)』、それしか手はない。」と言うと、信長も同じ考えだと言いました。しかし織田からの援軍は3千と言われ、なんとかしたい家康は「徳川と織田は一蓮托生であることをどうかお忘れなく。」と信長に食い下がりました。家康の切羽詰まった顔を見た信長はまず「死にそうな顔をした大将にはだれもついてこんぞ。」と喝を入れ、そして家康の手を取ってその手を自分の肩にかけ、家康をしっかり見据えて「俺とお前は一心同体。」と告げ、優しい目をして「ずっとそう思っておる。」と言葉を続けました。「信玄を止めろ。俺は必ず行く。」ーー不安に押しつぶされそうだった家康を力強く鼓舞して、信長は去っていきました。信長は援軍として佐久間信盛と水野信元の手勢3千を浜松に送りました。信玄の遠江・三河侵攻は恐ろしい早さで進み、周辺の城を次々と落としてあとは家康のいるこの浜松城のみとなりました。こうなるとあとは浜松城で籠城してひと月持ちこたえて信長本隊の援軍を待ち、徳川と織田の総がかりで武田を討つしかなく、一同はそれに賭けていました。「この城とわしの首は信玄に食いつかせるための餌じゃ。一撃必殺。天と地をひっくり返す。」ーー総大将の家康は己の決意を改めて家臣一同に伝えました。12月22日、武田軍は天竜川付近に現れ、いよいよこの浜松に武田が攻めてくると知った民たちは皆、大慌てで避難を始めました。そんな中、井伊虎松(板垣李光人さん)は、徳川と武田がどのような戦をするのだろうと戦見物を決め込んでいて、逃げようとしませんでした。浜松城では籠城の準備を大急ぎで進めていて、家康たちはいよいよ眼前に現れた武田軍の動きを注視していました。浜松城の眼の前に来た武田信玄(阿部 寛さん)は自分の後を継がせる武田勝頼(眞栄田郷敦さん)に戦の仕方を教えていました。信玄は家康をひ弱で臆病と言いつつ「己の弱さを知る賢い若造」と評していて、敵の大将を見下すことはせず、勝頼に相手の心の内を想像するよう言いました。そして采配を振って進軍の合図をし、武田軍は動き出しました。それを城から見ていた徳川軍は各自の持ち場に着こうとしましたが、武田軍の動きがおかしいことに気づいた家康が皆を止めました。武田軍は浜松城には向かってこずに素通りして西の方に移動していきます。自分を餌にして武田をおびき寄せて籠城する家康の策が狂ってしまいました。信玄は自分が浜松城に向かわないことで何が起こるかを読んでいました。徳川方の中で武田にどう対応するかで内輪もめが起こること、遠江の民が家康を民を守れない弱い大将だと思うことなどを。また同時に浜松に間者を放って家康の頼りなさを民衆に流布していました。城内では、このまま武田を素通りさせたら民が自分たちに従わなくなると案じ、石川数正(松重 豊さん)は武田をこのまま西に行かせたら自分たちの所領である三河・岡崎があることを言いました。信玄は岡崎城を簡単に落とすと考えたとき、重臣たちは口々に野戦に出ることを主張しましたが、唯一、武田の強さを知る本多忠勝だけはこのまま打って出れば負けるから勝てる策を考えねばと冷静に意見しました。籠城か野戦か、皆が喧々囂々となったとき数正が「殿のお考えの邪魔をするな!」と一喝して、やっと静まりました。この後どうするのか、迷って決断が下せない家康の脳裏に「弱き大将は害悪なり。滅ぶが民のためなり。」と言った信玄からの言伝が思い浮かびました。そんな中、家康は自分たちにはこの浜松の地の利があることに気がつきました。夏目広次が絵図面を広げ、武田軍はこの先は祝田の細い崖路に入ると言い、皆はここで背後からつけば勝機があると考えました。家康はようやく決断できました。「戦の勝ち負けは多勢無勢で決まるものではない!天が決めるんじゃ!」そして直ちに武田を追って武田を追い落とす命を力強く下し、徳川勢は留守居を残して一斉に浜松城から出陣していきました。徳川勢は駆けに駆けて信玄を追いました。そしてようやく三方ヶ原まで追いかけたとき、その先に行っていると思っていた武田勢が「魚鱗の陣」を構えて布陣しているという徳川勢が想定してなかった光景があり、家康も家臣一同も立ちすくんでしまいました。「かかれ~!」と信玄の采配が振るわれ、徳川と武田の戦闘が始まりました。雪が舞う中、戦がどうなったのか気になり夜になってから三方ヶ原に駆けつけた虎松は、そこで累々と横たわる徳川方の死体を目にしました。そして武田勢が勝鬨をあげ、家康が着用していた金陀美具足の遺体と兜首を兵たちが喜々として運んでいくのを目にしました。その様子は岡崎にいる妻の瀬名や嫡男の信康にも知らされ、家康が武田に討たれてしまったと、一同は愕然としました。
May 9, 2023
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昨夜はなんか暑くて寝苦しい夜でした。私の気のせいか?と思ったら、今朝の天気予報で言ってました。「夜中の間ずっと気温が30℃近くあって、下がらなかった。」 と。ああ、そうだったのか。 納得です。今朝はこのエリアは、通り雨程度に雨が降りました。予報によれば、間もなく秋が来ると言ってます。ホントに、もうそろそろ夏から秋へ季節を変わってもらえないかしら。ところで、昨日見たTVですが、特に見たい番組がなかったので 『大改造!! 劇的ビフォーアフター』 を見ていました。昨日の依頼は芸能人で Wエンジン の二人の実家のリフォーム。ふーん。。Wエンジンという人たちかあ。。(←私はお笑い系をほとんど見ないので知らない)でも芸能人なのに、予算はそれぞれ (たったの) 30万円?もしかしてあんまり売れていない芸能人かもしれないけど、30万円でなんとかしてくれって、ちょっと厚かましくないの?・・・という感じで、番組の始まりは正直冷ややかに見ていました。毎回登場する、とてもとても暮らしにくそうな家。しかし番組で “匠” と呼ばれる超一流の建築士さんたちは、どんな悪条件があっても、経験と技術と人脈でそれをものともせずクリアしていきます。しっかりした家の土台を造り、目の覚めるようなアイデアで、家を美しく使い勝手よく、まさに劇的に改造してしまいます。匠の中には、「ハードルが高いほどやり甲斐がある」 と仰る方も。さてそのリフォームですが、チャンカワイさんの実家は平均的なお宅に見えました。ちょっとお困りかなと思うほどの。しかし!、えとう窓口さんの実家は、正直ヒドイものでした。相方のチャンカワイさんが実家の外観を見て思わず 「小屋??」 と言ってしまったほどの。(その理由は、↓ ↓ の番組HPをご覧ください) 『バケツのお風呂に入る家』 さて、あのお風呂場を、たった30万円の予算でいったいどうやって使えるようにするのか。匠の仕事を興味津々に見ていました。果たしてその仕上がりは、びっくりするほど美しく使い易いお風呂場に変身していました。そして今まで 「浴槽」 として使っていたあのバケツは、外に布をかぶせて洗濯カゴとして使うことになりました。家人の思いいれのある物だから、ボロくても捨てない。そこに暮らす人の気持ちを汲んだ、匠の優しさでしょう。リフォーム後のインタビューでえとう窓口さんは、「こんな貧しい家なのに、自分が芸人になりたいと言ったら、母は自分を気持ちよく送り出してくれた。」 と。芸人になりたいと言ったって、誰もがなれるわけじゃない。人気があって十分な収入がある人は、ほんの一握り。だからもしお母さんが、「(貧しい)家のために、地元で働いて家計を助けてほしい。」こう言ったとしても不思議はないと思います。父が47歳の若さで亡くなり、多額の借金と3人の子を抱えて家を失った母。20年前に移り住んだのは、築60年の古い平屋。それでも、借金抱えても(お金が)無ければ無いなりにそれなりに暮し、いつもカラカラと明るく笑って生きてきたお母さん。そんなお母さんだから、子どもたちも卑屈になることなく、明るく逞しく生きている。「初めて親孝行ができた。。」えとう窓口さんの言葉に、久々に感動で泣けました。特に、番組の始まりを冷ややかに見ていた分、余計に。この先、彼が頑張って一流の芸人になって、しっかり稼いで、今度は風呂場だけでなく家一軒を母にプレゼントしてあげられますように。今回のように番組や建築士の厚意に甘えることなく正規の金額で、故郷に母が暮らす快適な家を建ててあげて欲しい。心からそう思った、爽やかな感動の時間でした。新築だった我が家を次々に破壊していったのは、手前の茶色いお方です障子の破れは、悪戯の一部にすぎません。チビ子嬢よ、弁償してもらえないだろうか。。
September 13, 2010
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2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。2024年の新しい大河ドラマが始まりました。昨年の戦国時代から今度は600年ほど戻って平安時代へ。学校では、中学で『枕草子』を習いますが、高校の古文で習う『源氏物語』の世界です。私は高校時代、この『源氏物語』は、「いづれの御時にか女御、更衣あまた候ひ給ひける中に・・」みたいなほんの一部は記憶にあるものの、これは何の話なのか物語全体がサッパリわからない世界でした。これをようやく理解できたのは、大和和紀さんの漫画で『あさきゆめみし』を読んでからです。(この漫画に救われた人はたくさんいると思います。書店の参考書コーナーにも置いてあるほどです。わかりやすく描いてくれた大和和紀先生、本当に感謝です。)でも平安時代で1年間、ドラマを見続けることができるのか。そんなことを考えながら見始めた第1回放送。『源氏物語』に出てくるような当時の人々の様々な思いや、政治や恋愛での「駆け引き」が楽しめそうです。何より平安時代独特のメイクでないことに安心しました。この1年は、平安時代の装束をはじめとした国風文化を学びながら、ドラマを楽しんでいこうと思ってます。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 貞元2年(977)年の暮れ、まひろ(後の紫式部;落井実結子ちゃん)の幼少期。父の藤原為時(岸谷五朗さん)は下級貴族で漢学者ながら一家の生活は大変苦しくて日々を食いつないでいくのがやっとでした。昨夜の大雨で雨漏りして濡れた床をふきながら、まひろは父が弟に教える学問を耳で聞いて覚え、暗唱できるほど賢い女の子でした。母のちやはは苦しい生活の中でも悲観的にはならず、年が明ければ夫・為時の官職も決まってなにもかもうまくいくと信じて、家族や家人たちを支えていました。一方、京の都では上級貴族たちの出世争いが熾烈を極めていました。大納言・藤原兼家は来年、娘の詮子(吉田羊さん)を円融天皇(第64代)に入内させることが決まり、兼家と長男・道隆は詮子が入内して第一皇子を産めば一族の繁栄になると期待していました。しかし元服前の三男・三郎(後の藤原道長;木村皐誠くん)はまだ自身や家のことに対して欲がなく、そんな三郎は詮子にとって周りには黙っている自分の本音が言える、唯一の心許せる存在でした。まひろの父・為時は、学はあるけど要領よく立ち回ることができず、官職を5年間得ることができずに家族に苦労をかけていました。(食事の膳の様子、住まいや衣服など、上級貴族と下級貴族の暮らしぶりの違いがドラマの中でさりげなく出てきて、興味深いです。)そんな為時を見て親戚の藤原宣孝は為時に、いずれ権力者となると予感する大納言・藤原兼家の屋敷にすぐに行け、推挙をお願いしてこい、と助言しました。はじめはためらっていた為時ですが、このままではどうにもならないので自分を売りこむ文をしたため、兼家の屋敷に出かけました。兼家の屋敷では一族で正月を祝う宴が開かれていて、為時は会ってもらえません。やむなく平惟仲(佐古井隆之さん)に文を託して戻ることにしました。貞元3年(978)正月、下級貴族たちの運命を左右する除目(天皇、大臣、参議以上の公卿によって行われる人事の会議)が内裏の清涼殿で行われました。これは宮中での仕事を望む者が事前に、希望する官職と自分を売り込む申し文を提出し、公卿の審議を経て天皇が承認すると官職を得られるものです。しかし為時は自分を売り込もうとして円融天皇(坂東巳之助さん)の心象を悪くしてしまい、官職を得られませんでした。失意の為時が史記の「本紀」を手にして考え事をしていると、まひろが父の傍に来て本を読んでほしいとねだりました。学問好きなまひろが男子だったらーー為時はふとそう考えるのでした。春になり、関白・藤原頼忠の娘の遵子が円融天皇に入内、続いて秋のはじめには、大納言・藤原兼家の娘の詮子が入内、兼家はこれを機に右大臣に昇進しました。円融天皇は、生真面目で不器用そうだけどどこか女子として可愛い詮子の気立てを気に入り、詮子を深く寵愛しました。しかし詮子が入内した夜、安倍晴明の館に大きな落雷があって火事になり、晴明はこれを災いが起こる前兆と捉えていました。そして宮中の女官たちも詮子の入内は凶であると口々に噂し、また天皇の詮子への寵愛が過ぎることも批判的にささやいていました。宮中でささやかれる噂を詮子の兄・藤原道隆(井浦新さん)は心配していました。しかし父・兼家はそれに動じることなく「慶事の折の風雨は吉兆。詮子の入内は吉である。」と噂を流すように命じました。「世の流れは己で作るのだ!頭を使え。肝を据えよ。」ーー宮中での評判を恐れる嫡男の道隆を、兼家は𠮟咤激励しました。ある日のこと。まひろは飼っている小鳥の世話をしているときにうっかり逃がしてしまい、まひろは小鳥を追いかけて外に出ていきました。川原まで来たときに身分を隠して散楽を観に来ていた三郎と出会い、優しい三郎は悲しんで泣きそうなまひろを一生懸命に笑わせようとしていました。高級な菓子をくれた三郎をまひろが不思議に思っているとちょうど従者の百舌彦が三郎を呼びに来たので、三郎は次にまた会う約束をして去っていきました。(『源氏物語』にでてくる若紫との出会い「雀の子を犬君が逃がしつる。」の場面。藤原道長は紫式部の憧れの人と聞いたことがありますが、何かの出来事がまひろが紫式部になって書く物語のネタになっているとしたら、これからまひろが経験する出来事が『源氏物語』のあの場面、ということになりそうですね。)大臣らとの政の話が終わった後、天皇はこの日は関白・頼忠の娘の遵子のところに行くと言い、頼忠は右大臣の兼家に遠慮して声を落として返事をしましたが天皇は兼家のことは気に留めていませんでした。その様子を見て女官たちは早速「閨も政の場所」とか、寵愛が過ぎる詮子のことを「宮中では一人勝ちは許されない」と陰でささやいていました。不機嫌になった兼家が屋敷に戻ったとき、まひろの父・為時が兼家に推挙を願って書いた文がふと目に留まりました。兼家は為時を屋敷に呼び出しました。そして為時に、正月の除目では宮中での官職は得られなかったが申し文は上々の作であったと褒め、東宮の師貞親王に漢文の指南をしてはどうかと持ち掛けました。これは正式な官職ではなく兼家が雇う形だけど、やっと仕事がもらえた為時はこの話を喜んで引き受けました。ただこれには一つ兼家から条件があって、東宮はいずれ帝となるから考えや気質を知っておきたい、どのようなことでもつぶさに知らせてほしい、とありました。そして兼家は一方で陰陽師の安倍晴明を呼び出し、娘の詮子より少し先に入内した遵子に子ができぬようにせよと命じ、晴明もそれを引き受けました。東宮に漢学の講義をする日を迎えました。久しぶりに出した直衣はカビだらけでしたが、妻のちやはは一生懸命に手入れして夫の為時を送り出しました。さて、兼家から「一風変わったお人柄」と言われていた東宮の師貞親王(伊藤駿太くん)は、為時の講義中でも真面目に聞く気は全くなし。ウロウロ歩き回り、ふざけて講師の為時を蹴飛ばし、変顔して遊び、講義の途中で勝手に退室していくような皇子でした。為時は兼家の恩義をありがたく思いつつも、兼家が「(東宮の教育係を)誰も引き受けたがらない。為時なら辛抱強く穏やかゆえ適任。」と言っていた意味を、身に染みて理解することになりました。さて兼家の次男の藤原道兼(玉置玲央さん)ですが、日頃から、兄・道隆のように父に尊重してもらえず、母・時姫からは悪気なく兄と比較されて悲しくて、鬱憤がたまったり何か癇に障ると、弟の三郎や家人など傍にいる立場が下の者に暴力的に当たり散らしていました。この日も家人をかばう三郎に腹を立て、怒りの矛先を三郎にむけて乱暴していたら母が通りかかり、道兼を止めました。身分の低い者には何をやってもよいという道兼の考えを時姫は厳しく叱りました。自分の気持ちを母にわかってもらえずむしゃくしゃした道兼は、馬を駆って屋敷の外に出ていきました。道兼が林の中を駆けていると、父・為時のための御礼参りに来ていたまひろが林の中から飛び出してきて、そのため道兼は落馬してしまいました。相手は上級貴族なのでまひろもちやはもすぐに詫びたのですが、従者が言った何気ない一言で怒りが収まらなくなった道兼は、ちやはを刺し殺してしまいました。突然帰らぬ人となって戻ってきたちやは。しかし為時は先日に兼家の館を出るときに、家人を乱暴に扱う道兼をたまたま目にしていて、家人の乙丸やまひろが言う「ミチカネ」という名はあの道兼と直感。「ちやはは急な病で死んだことにする。あの時のことは忘れよ!」ーー為時は母の死に納得がいかないまひろに厳しく言い渡しました。
January 10, 2024
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2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では、藤原道長(柄本佑さん)が政務を疎かにする帝への、己の進退をかけた進言が見どころで、その内容に見入っていました。しかしインパクトでは、まひろ(吉高由里子さん)に求婚して、まひろをどうしても手に入れたい藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の行動が強烈でした。まひろもなんとなくその気になっていたでしょうが、宣孝の道長への牽制やまひろへの矢継ぎ早のアピールを見ていると、まひろの全てを受け入れると言う割には余裕がないように感じました。直秀と周明は、まひろを本当に思うからこそ、まひろの先々を考えて彼女を解き放ちました。道長は高い地位を得て、まひろに関わることを陰で支え、まひろが願うより良い政のために働いています。そう思うと宣孝は、確かにまひろが好きなのだろうけど、手にいれることに躍起になっているだけに見えます。まひろを妻にしたら、全てを受け入れるなんてはじめに言ってたけどそれとは反対の、まひろの心の中にどんな形であれ道長がいることを許さない人になるのでは、と想像しました。さて追加画像で、福井県越前市にある「紫式部公園」に隣接する「紫ゆかりの館」をご紹介します。 ⇒ ⇒ こちら ドラマの中でも時折りまひろが和歌をつづっていましたね。心が何かに動いた時、絵の好きな人は絵で、言葉の好きな人は言葉でその時の思いを残していくことでしょう。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳3年(997)冬、越前に国司として赴任した藤原為時(岸谷五朗さん)は大掾の大野国勝(徳井優さん)を伴って越前各地の視察に出ていました。(歴史ドラマを通じて日本の伝統産業が紹介されるのがいいですね。)後日、都に税として納められる越前和紙が国府に届いたとき、為時は和紙が300枚余分に届けられていることに気づきました。まひろ(吉高由里子さん)は和紙が余っているのなら自分たちが自由にできると期待しましたが、それは父・為時にたしなめられました。そして為時は寒さの厳しい冬場に冷たい水で作業をする民を哀れに思い、余った紙を民に返そうと思って呼び出しました。しかし民は、自分たちは役人に頼らなければ生活できない、為時は自分たちを守ってくれると言うが4年の任期でまた国司が変わる、余分な紙は役人へのお礼だと言って返却を固辞しました。さて、この頃の藤原道長(柄本佑さん)と嫡妻・源倫子(黒木華さん)の間には、大君・彰子、太郎君・頼道、中の君・妍子、次郎君・教通と子宝に恵まれ、内裏での仕事も家庭も、また妾の明子(別家庭)との間にも男子が3人いて、充実した日々を送っていました。(道長と共に栄華を誇る田鶴(藤原頼通)、一条天皇の中宮となる彰子、三条天皇の中宮となる妍子、次に生まれる威子は後一条天皇の中宮と、すごい一家ですね。)藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の妻になることにまだどこかで迷いを感じながらもまひろは乙丸(矢部太郎さん)と、越前で海女だったきぬ(蔵下穂波さん)と共に都に帰ってきました。弟・藤原惟規(高杉真宙さん)の乳母だったいとには福丸(勢登健雄さん)という“いい人”ができていました。乙丸ときぬ、いとと福丸のやり取りを見ていて、長年世話になってきた乙丸といとには幸せになってもらいたいと、まひろを心から思うのでした。そうこうしていると宣孝が「待ち遠しかった」とまひろをめがけて家に入ってきて、夜は皆で宴をすることになりました。その宣孝は宴の席で歌にこめてまひろに求愛のしぐさをし、惟規は姉と宣孝の間に何があったのかと少々驚いていました。年が明けて長徳4年(998)、陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)は内裏で帝(一条天皇)にめでたいことを並べて新年を言祝いでいました。しかし晴明の言葉に疑問を感じた左大臣・道長は、晴明から本音を聞きだしました。晴明はこれからしばらくは凶事が続くと言うので道長が「凶事とは、地震か疫病か、火事か日食か、嵐か大水か。」と問うと、晴明はそれら全てだと答えました。さらに晴明は災いの根本を取り除かねば厄払いしても意味がないと言い、根本とは出家した最愛の中宮・定子を職御曹司に入れて定子と会うようになってから、帝がすっかり政務を怠るようになってしまったことを指していました。晴明は、帝を諫めて国が傾くことを防げるのは道長しかいない、そして道長はよい宝を持っている、と謎めいた言葉を残して去っていきました。季節が移っても帝は定子のところに入りびたりで政務から遠ざかり、道長が鴨川の堤を修繕したくても、帝は急がなくていいと勅命が得られないままでした。大水が出てかれでは遅いという道長の考えを理解している蔵人頭の藤原行成は帝に何度も勅命を願い出ていましたが、定子と過ごす時間しか頭にない帝は政のことは考えたくないようでした。一方、恩赦で都に戻ってきた藤原隆家(竜星涼さん)は飛ばされた出雲の地で政に目覚めたのか、何かと道長に接触して自分を使って欲しいと願い出ていました。(道長の呼び方も、左大臣ではなく「叔父上」とさりげなく親しみを込めてます。この人懐っこさで人心掌握をして、俺、政はイケるわと自信を持ったのかな。)早く帝に鴨川のことを進言して勅命を得なければと藤原行成(渡辺大知さん)は帝の生母である女院の詮子を頼ったのですが、あいにく女院は病に伏していてとても力添えを頼める状態ではありませんでした。帝は政務に出てこない、でも道長から一刻の猶予もないと言われた行成は仕方なく夜分に職御曹司に出向いたのですが、定子のことしか頭にない帝はこんな時分まで自分を追いかけ回すのかととらえ、行成に怒るだけでした。道長は行成の苦労を理解しつつも、行成の働きに頼むしかありませんでした。弟の隆家と共に恩赦で都に戻っていた藤原伊周(三浦翔平さん)は、妹で中宮の藤原定子(高畑充希さん)がいる職御曹司の出入りを許されていました。ききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が定子の心を癒すために書いたつれづれ話を読んだ伊周はたいそう興味深く感じました。そしてこれを書き写して宮中に広めてはどうか、皆の評判になれば職御曹司に面白い女房がいると皆が興味を持って集まるようになる、皆が集まれば中宮のいるこの場所が華やいで隆盛を取り戻せる、と思いつきました。そして伊周は早速書写の手配に移り、少納言には続きを書くよう命じました。帝が政を忘れている一方で都には大雨が続き、道長のもとに恒方(尾倉ケントさん)から、ついに鴨川の堤が大きく崩れたとの報が入りました。そして晴明の予言どおり次々と禍いが都を襲い始め、中宮が職御曹司に入ってから悪いことばかり起こる、これは左大臣・道長が帝にはっきりと進言しないからだ、と公卿たちは陰口を言うようになりました。大雨がようやく上がり、都の人々は後片付けに追われていました。職御曹司では相変わらず世間とはかけ離れた時間が流れ、自分たちのかつての隆盛を取り戻したい伊周は、藤原公任(町田啓太さん)を師としてここで歌の会を開いてはどうかといったことを帝(一条天皇;塩野瑛久さん)に進言し、帝も定子が喜ぶからと快諾していました。そこに道長が急に参上、ここでは政の話はしないと言う帝にかまわず、鴨川の堤が崩れて多くの者が命を落とし家や田畑を失った、と報告しました。道長は、堤の修繕の許可を帝に奏上していたけれど見てももらえず、帝は内裏にはいなくて、やむを得ず許可なきままに修繕にかかったけれど時すでに遅しで、一昨日の雨で大事に至ってしまった。これは早く修繕に取り掛からなかった自分の煮え切らなさゆえに民の命が失われてしまい、その罪は極めて重い。このまま左大臣を続けていられないから辞職する、と道長は帝に訴えました。帝は自分の叔父であり朝廷の重臣である道長が自分を導き支えてくれなければと道長の辞職を許しませんでしたが、道長は「帝の許可なく勝手に政を進めることはできない。その迷いが此度の失態に至った。」と訴えました。帝は政を疎かにし過ぎた自分の非を認め、道長に詫びました。道長はその後3度にわたって辞表を提出し、でも帝は受け取りませんでした。道長が災害の処理で忙しい日々を送っている時に藤原宣孝がやってきて、何事かと思ったら先の除目で山城守を拝命したことの礼を言いに来たのは口実で、実は自分がまひろと結婚することを道長に言うために来たのでした。道長は一瞬少しだけ動揺しましたが平静を取り戻し、宣孝を祝いました。宣孝はその後でまひろのところに行き、まひろを妻とすることを道長に伝えてきたと言い、まひろも一瞬動揺して苛立ち、宣孝を追い返しました。しかし後日、道長の家人の百舌彦(本多力さん)がまひろの家まで結婚祝いの品々を持ってきたのですが、そこで渡された文が道長本人の字ではないことにまひろは気がつきました。まひろの中にあった道長へのかすかな望みが消え去ったと感じたまひろは一転、宣孝の求愛を受け入れることにし、夫婦の契りを交わしました。
June 25, 2024
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日はまた、暑さが厳し過ぎる日でした日中の最高気温で全国ランキングを見たときに、なんと!岐阜県多治見市の39.4℃を最高に、トップ10の全てが岐阜県、愛知県、三重県の市でした。気温が体温を上回ると、さすがにこたえますね~。。それでも昼間から夕方までは風が部屋の中を抜けていたので、熱い空気だったけど私は扇風機で我慢していました。ただその反動か、夕方の6時を過ぎても気温が35℃あるのを知ったときから、エアコンを断続的に使っていますが。さて、今日みたいに暑いとき、あるいはなにかとても熱いものがあるときに、この愛知県の人は方言で 「ちんちん」 という言葉を使います。例えば、「今日は暑いで、外におったら身体が あっちんちん になった。」とか、回転寿司で揚げナスが出たときに、店員さんが「ナスは揚げたてで ちんちん です。お気をつけください。」あるいは鍋やヤカンを火にかけていて、ぐらぐらと沸立っていたら「ヤカンが ちんちこちん になっとるで、気をつけやあ。」みたいな感じに使います。そしてこの言葉は、意外なところでも出てきます。児童文学の 新美南吉 ・ 作の 『手袋を買いに』 の中です。雪が降ったある日。人里離れたところに住む子ギツネが、初めて見る雪が嬉しくて大はしゃぎして、気がつけば雪の冷たさで手が痛くなってしまったシーンです。「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々が ちんちんする。」これは熱いのとは反対だけど、あまりにも冷たくて手がじんじんと痛くてたまらない、そんなことを訴えているのでしょう。新美南吉記念館のジオラマです。子ギツネは初めて見る雪が嬉しくて、雪の上で遊んでいるシーンです。新美南吉は愛知県半田市の出身で、彼の作品の中にはこの地方の方言をそのまま使っている部分があります。私は名古屋で生まれ育っているので、新美南吉の使う言葉でも違和感はなく、言いたいことはすぐにわかります。しかしこちらの方言がわからない方にしてみたら、言葉の解釈に悩むところかもしれませんね。いや、それでも、新美南吉の世界は素晴らしい。優しく、柔らかく、心に響くものがあります。私もこうして写真やHPを見直していたら、半田市の記念館にまた行きたくなってきました。ここは秋の彼岸花で有名だけど、それまで待てないかなあ。。思い立ったらちょっと行ってしまうかも 新美南吉記念館 人間の町に来た子ギツネが、手袋を買いに来たシーン。無事に手袋を買えたその帰り道。人間のおうちを覗いて、ちょっぴり羨ましい思いになりました。そうそう、以前ここに行ったときの写真をアルバムにしてあります。よかったらどうぞ、ご覧くださいませ 近場のお出かけ編~その1 母ギツネと一緒に山に帰る道。手袋が買えて嬉しくて、母ギツネに一生懸命お話しています。Natsu&Kei
July 22, 2010
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今月の9日にハムスターのチーが虹の橋に旅立ってしまい、チー親子がいたハムスター用のケースは空き家になってしまいました。そして、その空のケースを見るたびに、チー親子には2年間、思いのほか楽しい思いをさせてもらったなあと、思い出していました。そんな日が続いていた今日、ホームセンターに行ってペットコーナーにぶらりと立ち寄ったとき、なにげにハムスターが気になってケースを覗いていました。そこにいたのは、今月生まれた若いハムスターと、昨年の9月に生まれて売れ残ってしまった何匹かの大きくなったハムスターたち。売れ残り組は少し値下がりしていました。見ていると欲しくなるんですよね・・・。少し迷ったけど、結局売れ残り組の1匹のキンクマハムスターを買ってしまいました。しかし!!!、この後とんでもない騒動が起こりました。帰宅してハムスターの家を準備し、箱からキンクマを移そうとしたときに、箱が空っぽなのです。うわ~~~っ!、脱走しちゃったー。チーを迎えたときは、箱をかじって出るなんて荒業はなかったので、すっかり油断していました。我が家には3匹のニャンズがいます。もしキンクマがニャンズに見つかったら一大事です。まさしく汗だくになって家中を探しまくりました。でもキンクマは見つかりません。ならば車の中に??車の中を調べたけど見つかりません。家の中⇒車の中⇒家⇒車⇒家⇒車と探し、そして3回目の車の捜索でやっと見つけました。どうやらキンクマを買って、帰宅する前に少しだけスーパーで買い物をしている間に脱走したようです。しかしキンクマはシートの下の奥に潜んでいて、手が届かない位置にいます。自分ではシートを外せないので大急ぎで車の販売店に駆け込み、「ハムスターが逃げた」と事情を話して、シートを外してもらうよう頼みました。そしてシートを外すために、車の後ろの荷物置き場にある物を移動させたら・・・あ!、いた~~。キンクマが。いつの間にかキンクマはシートの下から荷物置き場に移動していたのです。あ~~。とにかく無事でよかった~~。。(販売店さん、お騒がせしました。(><;) )慌てて車の販売店に行ったため、カゴを持っていくのを忘れました。なのでやむをえず、この状態で帰宅しました。記念すべき我が家への初日が、こんなことになってしまいました。我が家にハムスターを迎えると、なぜか騒動が起こります。ちなみに、2年前にチーが来たときの騒動記はこちらです。 ハムスター騒動記(1) ハムスター騒動記(2) ハムスター騒動記(3) やっとこのおうちに落ち着きました。ふむ・・なるほど、クマさんみたいな顔をしているわ。先代のチーはジャンガリアンで小さかったので、キンクマはチーの3倍くらいの大きさに思えます。身体が大きいので、手にぬくもりを感じます。夕方スーパーにもう一度行って、トウモロコシを買ってきました。生のトウモロコシは先代のチーの大好物だったので、このキンクマも喜んでくれました。名前は、女の子なのでキンクマの「キーちゃん」にしました。
June 28, 2017
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12月に入ったとき、何気にTV欄をチェックしたら、BS日テレで里見浩太朗さん主演の 『忠臣蔵』 が放送されるのを知りました。赤穂浪士のドラマは今までに何作も作られているけど、私は里見浩太朗さん主演のこの『忠臣蔵』が一番好きなので、偶然見つけてすごくラッキーでした。そしてHPを見たら、ナント、約30年前に日本テレビで年末になると毎年やっていた、あの時代劇スペシャルの再放送があるではないですか。次の週、そのシリーズの中でも私が特に好きで、当時は感動の涙が止まらなくて、幕末の時代にますます興味を持つようになった 『白虎隊』 が放送されました。[DVD] 時代劇スペシャル 白虎隊( ↑ ↑ 大好きな作品なのでDVD持ってます)今の若い方が30年前のドラマを見ても、画質が悪いのが気になったり、知らない役者さんばかりで、今一つ感動が湧かないかもしれません。でも時代劇に力が入っていたあの当時の作品です。ドラマ全体に迫力があると思います。そして現在、大御所俳優となっている方々の若い頃の姿に、思わず見惚れるか見入るかしてしまうかも。約30年前の『忠臣蔵』で垣見五郎兵衛を演ずる西田敏行さん。若い頃はお顔も体型もシャープでした。里見浩太朗さん演ずる大石内蔵助を江戸へ行かせた場面は、本当に感動でした。現在『ドクターX』に出演されている西田敏行さん。ちょっとおなかが・・・。さて、これからの放送予定ですが、約2週間後の12月31日の大晦日には 『五稜郭』 、年が明けて1月1日の元旦には 『風林火山』 、そして1月2日と3日には 『田原坂』 となっています。来年のNHK大河ドラマが『西郷どん』をやるので、この再放送では『田原坂』はやらないかと思っていましたが、遠慮なくぶつけてきた・・・みたいですね。私は『田原坂』はビデオテープをダビングした画像の荒いDVDしか持っていないので、今回TV放映されるのがすごくウレシイです。[DVD] 時代劇スペシャル 田原坂( ↑ ↑ CM無しでドラマを見たいならこちらを。 西郷隆盛の生涯がわかり『西郷どん』の予習になります)昨年の『真田丸』で本多正信を演じた近藤正臣さんは、約30年前の『白虎隊』では土方歳三の役でした。颯爽と会津に援軍に駆けつけた土方ら新選組の隊士たちの姿に、白虎隊の少年たちは胸が高鳴りました。戊辰戦争が始まり、1868年10月、母成峠で会津軍と薩長軍が戦いました。土方は新選組の旗を掲げ、薩長軍と戦いました。
December 17, 2017
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2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。今回のメインは岸谷五朗さん演じる井伊直弼でした。名門の井伊家とはいえ十四男坊ともなると、ふつうの人生ならどこか良い養子先があれば万々歳ってとこでしょう。それが彦根藩主となり、幕府の最高職である大老になってしまい、政の決断を下す立場になりました。大老になってもはじめのうちは周囲から無能をささやかれ、自身も大老職への自信がなくてそれを納得していました。大老であっても徳川御三家や御三卿には言葉遣いも態度も下座について控えめでした。それが自分を大抜擢してくれた将軍・家定のためにと腹を決めてからは、人間が変わりました。反対意見に対しては、時には威圧的に黙らせ、あるときは無視をして立ち去り、政を断行していきました。でも組織の上層部の一員にすぎなかった人が、ある日突然トップに立って、決断して全体の事を進めなければならないとなったら、このようにならざるを得ないでしょうね。大河ドラマ館も2か所でオープンしています。※埼玉県深谷市 こちら ※東京都北区 こちら ※こちらも盛り上がっています ⇒ #青天を衝け ドラマ内のことが解説されてます #青天ナビ神社で千代に思いを打ち明けた渋沢栄一(吉沢 亮さん)は千代に、山の頂上で最高の景色を見たときに感じたことや、この世を変えたいと願う自分の志を語っていました。そこへ同じように千代に思いを寄せる渋沢喜作(高良健吾さん)がやってきて、このまま千代をとられたら納得がいかない喜作は、栄一に道場で勝負するよう言いました。周囲もかたずをのむほど二人の激しい勝負が続き、僅差で喜作の勝ちとなりました。しかし喜作は千代に、栄一の嫁になれと言って立ち去り、栄一は千代の兄・尾高惇忠に許しをもらい、千代と結婚することになりました。その喜作ですが、今までは一方的に話しが持ち上がった縁談の相手のよし(成海璃子さん)を避けていましたが、自分をひたすら好いていてくれるよしに心を動かされ、よしを嫁にすることにしました。第13代将軍・徳川家定にいきなり大老職を命じられ大抜擢の井伊直弼(岸谷五朗さん)でしたが、政治の経験が浅い井伊は周りの反発が強く、周囲の陰口も聞こえてきました。一橋家の徳川慶喜の小姓を務める平岡円四郎などは、井伊は家柄が良いだけだと言い、毎度のことだけど慶喜に将軍になるようにと進言していました。将軍・家定が茶会を開いた折に井伊は、周囲の信頼を得ていない自分には大老という重役は務まらないと家定に申し出ます。しかし家定は、水戸の斉昭が越前や薩摩と手を組んで自分の息子の慶喜を次の将軍にしようとしているのが許せない、前の老中・阿部は将軍である自分を政の蚊帳の外に置いていた、亡き父・家慶も自分より一橋家養子の慶喜に期待をかけていた、などと次々に不満や辛い胸の内を井伊に打ち明け、これからは自分の思い通りにする、慶喜を世継ぎにするのは絶対に嫌だと強く主張しました。それを聞いた井伊は、大老の地位で全て家定の意をくむことをしようと決めました。井伊は幕府の重役たちに、次の将軍には紀州・慶福を推すと述べ、それに反論した老中の堀田正睦を高圧的に黙らせました。そして井伊による一橋派の弾圧が始まり、慶喜を将軍世継ぎにと建白した勘定奉行の川路聖謨(平田 満さん)は閑職の西丸留守居に役替えとなりました。西の丸留守居役については「#青天ナビ」にあります。 ⇒ ⇒ こちら 平岡円四郎(堤 真一さん)は川路に別れの挨拶をしますが、幕政に不満でした。そして安政5年(1858)6月19日、ハリス(チャールズ・グラバーさん)と交渉を重ねていた岩瀬忠震(川口 覚さん)は日米修好通商条約に調印しました。しかしこれは天皇や朝廷の意見に背いた違勅で、これには井伊も狼狽し、水戸の徳川斉昭は激怒してこの機に井伊を退け越前の松平慶永を大老に、とまで言いだしました。平岡円四郎は主の徳川慶喜(草彅 剛さん)に違勅の責任で井伊を退けることを進言しますが、慶喜はそれよりもこの件を天皇にどう報告したのかが気になっていました。中根長十郎(長谷川公彦さん)から宿継奉書にてと聞かされた慶喜は、天皇に対してそのような軽々しい対応は許されぬ、父・斉昭よりも先に井伊と話がしたいからすぐに大老・井伊をこの屋敷に呼べと命じます。大老を屋敷に呼びつけるというのはと中根は困りましたが・・円四郎が動いて井伊に慶喜の話を伝えると、井伊は慶喜が登城した折にと約束しました。切れ者の慶喜との対談に井伊は恐れを感じていて、言質を取られぬよう「恐れ入ります」を繰り返して言葉を濁していました。しかし違勅の件も井伊がすぐに誰かを上洛させて弁解をすると答えると、慶喜は「全ては徳川のため」と言って井伊を追求することはなく、しかも世継ぎの件でも紀州・慶福に決まったのなら大慶至極とまで言い、井伊は慶喜と対立することがなくなって恐れから解放され大きく安堵しました。そして後日、幕閣に対し世継ぎは紀州の徳川慶福であると発表され、将軍継嗣問題は決着しましたが、その後で現将軍の家定は病に倒れてしまいました。息も絶え絶えな家定は最後の力をふりしぼって井伊に、水戸や越前を皆処分せよと命じ、それには慶喜も含まれていました。そして井伊は家定の命を遂行するべく、幕閣を集めて申し渡します。水戸の徳川斉昭は謹慎、越前の松平慶永は隠居で謹慎、そして斉昭の息子である水戸家の徳川慶篤と一橋家の徳川慶喜は登城禁止という厳しい処分でした。井伊の姿はつい先日までの徳川家の親藩や譜代に遠慮した人ではなく、大老として慶喜に対してでも上から見下ろすような人に変わっていました。あまりの仕打ちに慶喜は怒りに震え、この処分のことを聞いた大橋訥庵の塾にいる宇都宮藩士や水戸藩士たちは、井伊への恨みと攘夷への意欲が急激に高まっていきました。そして冬になり、血洗島では尾高千代(橋本 愛さん)は栄一の元に嫁いでいきました。栄一の家に向かう道中では村人たちが次々と集まってきて祝いの言葉をかけてくれたり子供たちがわらべ歌を歌ったりして、千代を送ってくれました。千代の花嫁衣裳が白だったので、この時代は黒がふつうだったのでは?と思い・・『いだてん』のスヤの嫁入り道中を見てみました。江戸末期から50年ほどたった明治の後期です。資産家の池部家では角隠しもあるけど、渋沢家の嫁入りでは千代の装束が妥当なのですね。千代は渋沢家の父・市郎右衛門と母・ゑいに迎えられ、栄一の嫁になりました。渋沢家では村人たちが集まって祝いの宴が開かれ、人々はハレの日を楽しんでいました。一足先に結婚した従兄弟の喜作とよしは挨拶と給仕に回っていましたが、この時代は親戚であってもほぼ普段着でよかったのかな?とも思いました。
April 6, 2021
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昨年の夏のことですが、玄関に置いてある消臭ビーズを何気に見てみたら、透明だったビーズの玉が白く濁ってかなり小さくなっていました。そうかー、このビーズは水分が抜けていくのね。当たり前のことかもしれませんが、消臭効果ばかり気にしていた私には、ちょっとした発見でした。でもそのときに、ふと思いついてその縮んだビーズを別の容器に入れて、水を入れてみました。そしたらまあ、あの小さくなって濁った粒が水を吸って綺麗な透明の球体に戻ったではないですか。そこでこのビーズはどのくらい大きさが変化するのかを調べたくなりました。新品の消臭ビーズを真夏の炎天下に1週間ほど置いて、ちょっと実験してみました。適当な実験なので、このときの気温や湿度は調べてません。炎天下の庭に放置して、粒の大きさが2~3日変化がなくなったときに取り出しました。10粒で約4センチなので、1粒は約4ミリになりました。次はこれを水につけてみました。同様に、大きさに変化がなくなったときに取り出しました。乾燥して小さく縮んだ粒は、水を吸って大きく膨らみました。大きさにバラつきがあり、5粒で14センチなので平均は28ミリです。最大は30ミリになりました。ただ上の写真は、8ヶ月前に乾燥させたビーズを水で戻したので、ビーズが綺麗な透明に戻らずに白濁してしまい、触れるとすぐに壊れてボロボロになりました。乾燥の直後に戻したものは透明のままで、かつ弾力もあったように記憶しています。参考までに、消臭ビーズを袋から出して乾燥させずにそのまま水を吸わせたものです。10粒で約20センチなので、1粒は約20ミリになります。こちらは実験開始前の、未使用の消臭ビーズです。10粒で約13センチなので、1粒は約13ミリになります。さて、ここでちょっと注意事項です。使い終わった消臭ビーズを捨てるときは、キッチンやトイレ等の 排水口には絶対に流さないでください。これは製品にも記載されています。ビーズが配管の中で水を吸って大きくなり、排水管が詰まる可能性が大です。排水管が詰まったら、業者を呼ぶにしろ自分で直すべくホームセンターに走るにしろ余計なイタイ出費になるし、生活が不便になります。皆さま、どうぞご注意を。水を吸わせた実験の後でふと、色のついた水を吸わせたらどうなるかと思いつきました。色の出が悪くなったラインマーカーを使って色水を作りました。その結果は、次回の日記でご紹介します。
May 24, 2017
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もう2月の終わりになりました。今日はまだ寒いけど、来週の3月に入れば、いよいよ春の到来を感じる気候になると思います。そして3月になれば、日本全国のあちらこちらで春祭りが始まります。そう、3月の祭りといえば、この地方では毎年3月15日に愛知県小牧市の 『田縣神社』 で、天下の奇祭として名高い『豊年祭』が行われます。ストレート過ぎるご神体で有名です。神社もお祭りそのものももちろん神聖なんだけど、見るとなんか笑っちゃいます。私も以前行ったときの画像を改めて見てみて、もう笑うしかない、そんな感じでした。UPした画像は、2008年3月に行ったときのものです。以前アルバム形式で写真をご紹介して、現在では見られなくなっているものを再度UPしました。名鉄小牧線の『田縣神社前』駅に着きました。この祭りは外国人観光客がたくさん来るので、行事予定の案内が英語でも表記してあります。 観光バスが神社前に何台も停まって、祭り会場に外国人の団体様が入ってきました。外国人向けの祭り見物のツアーがあるようです。 神社の本殿から少し離れたところに、これから奉納する新しいご神体がありました。祭りムードが盛り上がって、皆さん次々と記念撮影です。 日本の女子もノリノリです。カメラを持ったおじさんたちから「あんたら、ポーズをつけてくれんかね?」、「いいよ~♪」「顔写真をネットに出してもいいかい?」、「いいよ~♪」 ストレートな商品名が並ぶ露店がいくつもありました。声に出して言いにくい・・・(笑) こちらは品のある商品名なんだけど、この両手は何なのでしょう。
February 26, 2016
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先日、ちょっと思い立って本棚を整理しました。そしたら、むか~し、自分が大学受験のときに使っていた本が何冊か残っていて、その中に『源氏物語』を解説した文庫本がありました。おお、まだこれがあったのかと中を見てビックリ。なに?この文字の小ささは!※画像をクリックすると大きくなります ↓ ↓シャープペンと比べると、この文字サイズです。特に原文の下にある解説文がこんなにも小さいのです。今の時代の勉強の本はわかりやすさを重視しているから、文章は文字が大きめで行間も広く、可愛いイラストや綺麗な写真がたくさんあって、とても見やすいものです。でもあの当時は、今の時代のようにPCがなくて、家で勉強するなら紙の本でした。なのでこういう小さな文字がみっしりと詰まった本でも、頑張って読むしかなかったのですよね。といっても、国語が苦手で古文はさらにサッパリ??だった私は、必要な個所しか読みませんでした。私が『源氏物語』の内容を理解できたのは、社会人になってから出会った、漫画家の大和和紀さんが描いた あさきゆめみし のおかげでしたから。話は少し変わりますが、昨年の11月に中学の同窓会があり、懐かしい皆さんと会いたくて参加してきました。そして会場では、自分が好きで得意だった数学と社会の先生方に「先生のおかげで楽しく勉強できました。」と挨拶する予定でした。しかし当日、その数学と社会の先生は欠席で、出席されたのは私が苦手でサボった国語と理科の先生でした。まあせっかくなので、お話できた国語のS先生には「学生時代は国語をサボって、申し訳ありませんでした。」とお詫びしてきましたが。S先生は退職するまでに数千人の生徒を指導してきたので私のことは覚えてはいませんが(勉強熱心だった生徒のことは、「○○が~~の質問をしてきた」と明確に覚えてみえます)、それでも気軽にあれこれお話ができました。その折に先生に「どうして国語が好きになったのですか?国語の魅力は何ですか?」と質問しました。そして先生の答えは「とにかく活字を読みたかった。本や新聞を読んでいる時間が楽しかった。」でした。んー、なるほど。先生の場合は、日本語の文章がとにかく好きということが基本にあったのです。そして国語を研究して、国語を次の世代に伝えたいから教師になられたようです。中学生のあの頃は気がつかなかったけど、とても気さくで話しやすいS先生でした。ああ、学生時代にS先生の授業をきちんと聞いて、もっと国語を勉強すればよかったと、ちょっと反省…ですね。話がそれましたが、昔の本が文字が小さかったのは、私の勝手な想像ですが、◎今の時代のような遊びや楽しみが少なく、当時は活字を 読んで知識や情報を得るのは人々の楽しみの一つで、 文字が小さくても「そんなもんだ」と思っていた◎貧乏学生でも本を買えるよう紙の量が少ない本にして 小さな文字でみっしりと埋めた・・・のかな?なんて思ってしまいました。私は今の時代の、見やすい写真や説明のイラストが載った、言葉と同時に視覚でもある程度わかる説明が自分の標準になってしまい、文章だけではわからない頭になりました。だから、昔の本はもう読めない・・かも。先月、和歌山のアドベンチャーワールドに行ったときに乗った「くろしお号」にあった案内です。こういうのは図説が必須ですよね。でも日本人として、やはり国語を大事にしなければと思います。
February 17, 2017
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先月から毎週水曜日に BS-TBS で放送されている、武田鉄矢さんが黄門さまになった 『水戸黄門』 。やっとこのメンバーでのドラマが面白くなってきたのに来週でもう最終回で、なんか寂しい気がします。なので私の印象に残った回をご紹介していきます。『水戸黄門』にはTVドラマでおなじみの役者さんがよく週替わりのゲストとしてご登場なのですが、11月8日の第6話放送には山口馬木也さんが出演でした。山口馬木也さんといえば、以前の第31部~第37部で(里見浩太朗さんが黄門さま)、伊賀の里の幼き主のアキに身の危険が迫るとどこからともなく突然現れて、情け容赦なく敵をバッサバッサと斬っていった「鳴神の夜叉王丸」をやっていたお方です。この方が山口馬木也さんです。左の女性は篠田麻里子さんです。今回の山口さんはごくふつうの侍でしたが、前のときの夜叉王丸は一行の危機を幾度も救ってくれて、そのときのインパクトが抜群でした。なので今ふつうの人として出ても親しみを感じるのです。これは第33部の第6話「伊賀」での場面です。中央の小さな女の子が忍びの郷の主・アキで、隣りに立つのが夜叉王丸の山口馬木也さんです。ここからは第36部の第1話「水戸」。夜叉王丸@山口馬木也さんがこんな感じだったというのをご紹介です。洞窟の中での戦いで、立ち向かうアキ(斉藤晶ちゃん)に敵の忍びが「おのれぇ、小童!」と斬りかかろうとしたときに・・・夜叉王丸が頭上から降ってきました! キタ━━ヽ(≧∀≦)ノ━━!! アキの前に立ちはだかって守り、敵と対峙します。セリフはないけど「アキ様は俺が守る。アキ様には指一本触れさせぬ。」、そんな声が聞こえてきそうです。敵の忍びをあっという間に斬って倒していきます。剣道と殺陣を特技にもつ山口さんなので、すごい迫力です。無事にアキ様を守り抜き、アキに付き従う風の鬼若(照英さん)に敵の正体を伝え、夜叉王丸は去っていきました。出番は本当に少ないけど、インパクト抜群の夜叉王丸です。夜叉王丸のときの山口馬木也さんはこんな感じでした。では今の『水戸黄門』に戻って。※11月8日放送のあらすじは ⇒ ⇒ コチラ※11月8日放送のフォトギャラリーは ⇒ ⇒ コチラ篠田麻里子さんは今回、実は忍びという役なので、殺陣も頑張ってます。ドラマのラストの大乱闘です。このラストの見せ場はいつも、皆さんがすごいスピードで動いています。やる方もやられる方も息が合っていて、さすがは役者って感じです。※前回の『水戸黄門』日記は ⇒ ⇒ コチラ足元に転がっている棒を足で転がしてすくい上げて、それを武器にする格さん(荒井敦史さん)です。この技は第32部~第41部で助さん・格さんを演じた原田龍二さんや合田雅吏さんも、たまにやってました。刀の使い方が回を重ねるごとに様になってくる助さん(財木琢磨さん)です。空手が特技だそうですが、殺陣もかなり稽古しているのでしょうね。
November 30, 2017
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今年の春先に、道路沿いに立つ大きな赤い鳥居が気になってぶらりと立ち寄った、愛知県小牧市文津にある『文津おちょぼ稲荷』のご紹介です。私が立ち寄ったこの日は、たまたま同じ敷地内にある薬師寺のほうで何かの催し物があり、たくさんの人がここを訪れていました。交通整理の方もいたので、お寺の山門などは撮るのを遠慮しました。でもお稲荷さまのほうには人がいなかったので、参拝しながらちょっと覗いてみました。お手水とたくさんのお地蔵さまと、その奥には赤い鳥居がたくさん見えます。お地蔵さまの前掛けも、ちゃんと洗濯したきれいなものでした。お稲荷さまといえば、たくさんの赤い鳥居ですね。鳥居を抜けた奥にあるお堂の横にあるお地蔵さまです。『聖無動眷属三十六童子』のお名前が書いてありました。聖無動眷属(しょうむどうけんぞく)三十六童子とは。下界に生きる私たちのために働いてくださるお不動さまがいて、そのお不動さまに従う36人の眷属がいらっしゃいます。この三十六童子の御名を唱えると悪鬼は去っていき、願いが叶えられると書かれてます。お稲荷さまがなぜか「お手」のポーズをしています。日々を平穏に暮らせることに感謝して、では本日はこれにて失礼いたします。
June 2, 2017
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NHK大河ドラマ 『おんな城主 直虎』 。第35回の部分的な感想です。小野政次(高橋一生さん)を失い、井伊谷城は徳川に奪われ、気賀では民までもが惨殺された井伊家の悲劇。でもその中から、皆がそれぞれに光を見出していき、少しずつ立ち直っていきました。私は政次ロスはないし、今回も若干突っ込みどころもありましたが、全体的に穏やかに見ていられました。堀川城が急襲されたことを知り、南渓和尚(小林 薫さん)らと共に駆けつけた井伊直虎(次郎法師:柴咲コウさん)。そこには泥だらけ血だらけになった屍が累々と転がっていました。「生きておる者はおらぬかーっ!」あまりの惨劇に直虎はただ立ちつくすだけでしたが、南渓和尚が生存者の救出に動き出しました。今まず何をすべきかを冷静に判断して行動する。本当に、この南渓和尚がいたからこそ井伊家はこれまでもってきた、そう実感する場面でした。瀕死の状態の龍雲丸(柳楽優弥さん)が直虎によって発見され、龍潭寺に担ぎ込まれてきました。担いできたのはもちろん傑山(市原隼人さん)です。どんなことをしても龍雲丸を助ける、直虎はその一心で看護にあたりました。薬を口移しで飲ませ、龍雲丸の身体を温石で必死に温め続けました。見せしめとなった堀川城の惨劇を知り、堀江城を守っていた大沢基胤(嶋田久作さん)は徳川に全面降伏しました。一睡もせずに龍雲丸を看護していて身体がもたなくなったので、昊天(小松和重さん)から休むよう指示された直虎。部屋を出たら中庭から少年が声をかけてきました。少年は鈴木重時(菅原大吉さん)の子・重好(下川恭平くん)で、亡き父のために直虎に経を読んでほしいと頼みに来たのでした。父のしたことはわかっているけど、どうか、憐れと思って。まだ幼いのに父の死によって元服して家を継いだ少年の頼みをきき、直虎は重時のために経をあげました。そして、これから父の代わりに出陣するという少年・重好に、武運を祈りますと言葉を送りました。暗いお堂に差し込む光と灯明の光と線香の煙が美しい場面でした。「頭、戻ってきてくれて、礼を言うぞ。そなたは次郎にとって生きる支え。」南渓和尚は龍雲丸にそう言いました。直虎を守るための存在として政次があの世から龍雲丸を追い返した、私はそう解釈しました。「和尚さまが口移しで薬を飲ませた。感謝するがよいぞ。」直虎の嘘を真に受けた龍雲丸。ちょうどそこに当の和尚が「具合はどうじゃ」と入ってきました。背景では若い僧侶たちが掃除に励んでいるけど、自由気ままに動くにゃんけい様の背景がやっぱ最高 そんなことは露知らず、南渓和尚は龍雲丸に「遠慮せずに言うてみよ。なんじゃ、水臭い。」なんて言いながら、イイ感じで近寄ってボディタッチしています。(笑)二人の様子を見てこらえきれずに笑ってしまう直虎。そして久しぶりに見た直虎の笑い顔を、和尚さまは感慨深げに見守ってていました。中野直之(矢本悠馬さん)が龍潭寺を訪れ、直虎に隠れ里の皆からの手紙を持ってきてくれました。手紙によると、祐椿尼(財前直見さん)をはじめとした皆は、高瀬(高橋ひかるさん)に家の仕事のあれこれを教えてもらい、薪割りその他なんでも自分たちでやっているとのことでした。なつ(山口紗弥加さん)も厨で働いています。これまで家人がやっていたことも自分がやる。隠れ里では皆が協力して、でも生き生きと働いて生活していました。小野亥之助(荒井雄斗くん)と中野直久(山田瑛瑠くん)は小石をいっぱい拾ってきて、小石に墨を塗り始めました。何が始まるのかと思ったら、小石を塗り分けて碁石の代わりにし、碁盤も自分たちで作って、二人で囲碁を始めたのでした。そして二人の碁の打ち方は、どちらも政次にそっくり。その様子を見たなつをはじめ皆は、悲しくて、でも嬉しくて、涙がとまりませんでした。そしてどういうわけか、皆で政次の真似をするようになり、皆で笑いあっていました。政次が皆の心の中で生きている。直虎はそう思うと嬉しくて、自分も泣きながら笑ってました。気賀の城を失い、財産を失ってしまった瀬戸方久(ムロツヨシさん)は、次の生きる道を「薬」に求めることにしました。昊天に教えを乞うために、家人の辰(山本圭祐さん)と共に揃って坊主になりました。。再び巨万の富を築いてやる--きれいごと抜きの商人魂が炸裂です。永禄12年(1569年)2月、掛川城は徳川のものとなりました。徳川に城を明け渡す前、今川氏真(尾上松也さん)は妻の春(西原亜希さん)に、北条家に身を寄せるとことを話していました。家康のことも、本人のいないところでも「徳川様」と呼んでいます。このドラマの氏真が、時勢も己の立場もわからないバカボンでなくて、好感がもてました。父・今川義元を桶狭間で失ってからの10年間は、偉大なばば様(寿桂尼;浅丘ルリ子さん)に逆うこともできず、大家・今川家は氏真にとって重荷でしかなかったのです。だからときどきヤケクソになって、こんなお馬鹿もしちゃってました。これからは自分のやり方で舵が取れるような気がする。肩の荷が下り、そしてこれからの人生に自信が持てた氏真の心からの笑顔を、妻の春も嬉しく見つめ笑っていました。
September 4, 2017
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この10月から BS-TBS で放送中の 『水戸黄門』 。今週の放送で第4回になり、主役の黄門さまを演じる武田鉄矢さんをはじめ、助さん・格さんを演じるの財木琢磨さんと荒井敦史さん、そして風車の弥七を演じる津田寛治さんら、出演される役者さんたちがドラマに馴染んできた感じがあります。そして特に今週の放送では、助さん・格さん・弥七が敵対する相手との殺陣がけっこうあって、見ていても迫力とスピード感があって面白いものでした。で、ドラマに登場した悪役の皆さまを見たら・・おおっ!ヾ( ̄0 ̄; )ノ 平日の午後に再放送されている以前の『水戸黄門』でもおなじみの皆さまではないですか。そう、悪役の皆さまも7~12年の時を超えてドラマの中で悪いことやって、殺陣でやられているのです。さすがに皆さま、お歳を召された感じがありますが。中でも今回は福本清三さんが出演されてて、ドラマ内で見つけたときは嬉しかったですね。そう、斬られ役一筋で時代劇を支えてきた福本先生です。(私は道を究めた方を、勝手に“先生”と呼んでます)福本清三さんは出演していても、テロップに名前が出ることがすごく少ない方です。今回もテロップに出てませんでした。なので今回の日記は、福本清三さんへの敬意をこめて、福本さんの場面をたくさんUPいたしました。ちなみに前回の日記は ⇒ ⇒ コチラ弥七の津田寛治さん(右)と、ご老公一行を狙う柘植九郎太の長谷川純さん(左)。今作の『水戸黄門』では、殺陣では手元の技が多い感じです。もう一人、ご老公一行を狙う鉄羅漢玄竜(編み笠の人、小沢仁志さん)。左手に忍びの武器の手甲鉤をつけてます。手甲鉤はこの太さの木枠ぐらいなら、バキバキに折ってしまいます。弥七を演じる津田さんも、さすがに恐怖感があるみたいです。鍾馗の権兵ヱを演じるのは丹古母鬼馬二さん。この方は以前の『水戸黄門』でも、よく「○○の親分」を演じていました。宮城屋五兵ヱを演ずるのは赤塚真人さん。この方は今回は悪役ですが、良い役と半々ぐらいにやっていると思います。悪いお奉行様の森下与太夫を演ずるのは内田勝正さん(中央)。この方はほとんど悪役のように思えます。福本清三さん、その1。(役名はありません)今まで悪の手先として働いてきた夏川太十郎を悪奉行・森下の命により抹殺しようとする場面です。夏川にとどめを刺そうとしたそのとき・・・。弥七の放った風車で、斬ることができませんでした。さて、番組の終盤の殺陣(=大暴れ)の始まりです。財木琢磨さんと荒井敦史さんのお二人の息が合ってきたように感じます。助さん(財木琢磨さん)の室内での殺陣です。助さんが刀の峰で打ち払ったら・・・この方はなぜか前方に1回転しました。録画の一時停止をかけてもブレてしまうほどスピーディーです。格さんの荒井敦史さんです。脇差を持った殺陣もするけど、このときは従来の格さんのように素手でした。福本清三さん、その2。室内に上がって、今度は助さんとの殺陣です。助さんに峰打ちをくらって倒れるところなのですが、倒れ方が絶妙です。「見よ、倒れるときのこの身体の揺らぎを」って感じでした。親分が格さんにヤラレています。この親分は威勢はいいけど格闘は弱い人でした。やっぱ『水戸黄門』は楽しいわ~。
October 28, 2017
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第40回の部分的な感想です。物語が明治新政府の時代となり、産業も軍事力も遅れている日本が列強諸国に追い付いて、世界の一等国となるための政治の苦悩が描かれています。またオープニングのタイトルバックも再度変わり、トメテロップが大久保利通を演じる瑛太さんになりました。瑛太さん、トメにふさわしいすごい存在感です。それと今回は前半で、西郷隆盛(鈴木亮平さん)が大島から引き取った息子の菊次郎少年に、新しい時代が来た、これまでの厳しい身分の区別もなくなるからどこでも好きなところに行ける、と語る場面がありました。 今はうんと学んで己を磨き、自分が何をしたいかを 時をかけて考えればよい自分が何をしたらいいのか、どう生きたいのか。まだよくわからない菊次郎少年への隆盛の言葉は、いつの時代の若者にも通じるいい言葉で感動でした。明治3年(1870)12月、岩倉具視と大久保利通が勅書を携えて、鹿児島城の島津久光のもとへやってきました。勅書には、久光はすぐに東京へ上り、政府に力を貸すようにとありました。しかし久光は病気のフリをして自室にこもってしまいました。詔勅を賜ってまで久光を東京に呼ぶ狙いは何かと、西郷隆盛(鈴木亮平さん)は大久保利通(瑛太さん)に問います。利通は、新政府は深刻な資金難で、今全国の藩がバラバラに行っている地方の税の徴収権を手に入れたい、そのために日本全国の藩を取り潰し、政府が税を一手に集める仕組みを作りたい、と隆盛に説明しました。(廃藩置県)とはいえ藩を取り潰すとなると反乱が起きることも想定されるという弟・西郷従道(錦戸 亮さん)の意見を聞き隆盛は、各藩から精兵を集めて天子様の軍とし、反乱を起こさせないようにしてはどうかと考えました(御親兵)。そのことを皆に伝えると「天子様を守るのが御親兵で、民を守るのがポリス」、新しい侍の生き方が見つかった皆は武術の鍛錬に気合いが入りました。仮病を使って動こうとしない久光を利通は説得しますが、いまだに自分のほうが立場が上であると思っている久光は説得に応じず利通に下がれと命じます。そんな久光に利通は冷静に、今の自分はもう島津家の家臣ではなく天子様に仕える身であると伝え、久光の下座にはつきませんでした。さらに利通は久光に、新政府には要職も用意してある、これが自分の恩返しだと伝え、別れ際に久光を国父様ではなく「島津久光様」と呼び、久光に新しい時代が来ていることを知らしめて退室していきました。明治4年(1871)2月、隆盛は熊吉(塚地武雅さん)を連れて上京しました。大勢の人々が目まぐるしく行きかう新しい大都市の東京に、鹿児島しか知らなかった熊吉はただただ驚いていました。隆盛が若き頃、島津斉彬に付いて江戸入りしたとき(第9回)と同じですね。新政府には新しい国造りのために、やることが山ほどありました。伊藤博文(浜野謙太さん)は新しい貨幣の準備を進め、後藤象二郎は造船、大隈重信は鉄道、江藤新平は法整備と、それぞれに仕事を進めていました。新しい国造りのための仕事は、薩長と土肥の熾烈な主導権争いでもありました。廃藩置県に備えて隆盛がやろうとしている御親兵の編成に対し、賛同してくれる者もいれば、兵に金をかけるよりも産業にと反対の者もいました。金がない、だからこそ全国から税を集めるためにも早く廃藩を、その実現のための御親兵は最も金をかけるべき、反乱の備えをさせない迅速さで断行すべき、と大久保利通は力説します。それでも反論は出て、一丸となれない新政府を利通は歯痒く思いました。その後、新政府は鹿児島を筆頭に藩士たちを次々と集め御親兵を発足、政府は8000人からなる軍隊を抱えることになりました。鹿児島から上京した藩士たちは皆、散切り頭になっていました。自分の頭をみんなが注目しているって喜んでいる桐野利秋クン、可愛い。御親兵も揃い政府内ではいよいよ廃藩置県に向けて動きだすかと思ったら、急いで事を起こせば反乱になる、戦をすればまた金がかかって政府が潰れる、そんな意見でまた話が振り出しに戻りました。「金がないなら今すぐ政府役人の給金を減らして質素倹約に勤めればよい。」役人たちの日頃の贅沢三昧を快く思っていなかった隆盛がそう意見すると、役人たちは皆黙りこくってしまいました。その隆盛は会議等では握り飯の手弁当持参で来ていました。隆盛の質素倹約の行動は贅沢三昧の周囲を意識してやっていたことでした。ある晩、自宅にやってきた利通に隆盛は、自分は贅沢をするために東京に来たわけではなく、一蔵どん(利通)と一緒に政治をやりに来たと言いました。そんな隆盛に利通は、贅沢は列強諸国に舐められんためにやっていること、この国を早く世界の一等国にしたい、これは100年先の民の暮らしを考えてのこと、と自分の思いを述べました。政府の他の役人たちと考えが合わず、自分は役割をどう果たしていったらいいのかと、隆盛の心は晴れません。若さぁ(隆盛)が大好きな熊吉はその気持ちを察して慰めてくれます。大久保利通は廃藩を一刻も早く進めるために、木戸孝允(玉山鉄二さん)を密かに自宅に招き、協力の根回しをしました。今一つ煮え切らない木戸に利通は、このままでは土佐と肥前に主導権を取られる、そうなると他の改革にも遅れが出る、と強く協力を要請しました。(このシーン、ろうそくの光と玉山さんと背景の模様が素敵で思わずウットリ)そして数日後、天子様から詔勅が出て、いよいよ廃藩置県が実行へとなったときでしたが、利通たち薩長側が自分たちの賛同もなく強引に事を進めたことに土肥側の江藤新平(迫田孝也さん)たちは怒り、自分たちはこの政府を辞めると言って出ていこうとしました。木戸は、御親兵の指揮を執る西郷隆盛がいればこその大久保利通への協力でした。しかしその隆盛が会議の場に姿を見せず、政府内はあわや分裂か?と思ったそのとき、隆盛は「御親兵の調練を見ていて遅れた」と言いながらやってきました。この政府を辞めると出ていこうとする土肥側の者を、利通は辞めてもらって構わないと言いますが、隆盛は引き留めました。「藩が無くなった後も(この政府に)行く末を任せられると人々に信じてもらうためには政府内で分裂してはいけない、御親兵も自分たちを信じて集まっている、自分たちの肩には戊辰戦争で亡くなった8千の魂が乗っている、だからもう一度存分に話し合おう、お頼みします」--そう言って彼らに頭を下げました。そして話はまとまり、廃藩置県の断行が決定しました。会議の後で隆盛(吉之助)と利通(一蔵)は互いの心の内を語り合いました。隆盛は利通に「迷っていたがもう決めた、おはんがしようとしている政を思った通り存分にやればいい、おはんが抱えきれないものはおいが抱える。」若い頃からずっと吉之助が思った通りに行動してこれたのは、親友の一蔵がそのたびに陰ながらずっと吉之助を支えてきてくれたからこそでした。これからは一蔵が思う通りに動いて自分が支える番、そんな思いでしょうか。吉之助が手渡してくれた質素な握り飯は熊吉が作った故郷の薩摩の味。「うんまかぁ」と二人で握り飯をほおばり、互いの友情に涙していました。
October 30, 2018
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2018年下半期NHKの朝の連続ドラマ 『まんぷく』 。今週は終戦直後の物語になりました。ドラマの感想欄では相変わらず絶賛です。安藤サクラさん演じる主人公の福ちゃんが「可愛い!」とか「場を和ませる天才」とか、あるいは「毎朝幸せな気持ちになる15分」などなど。ただ私はドラマぞっこんの方々には申し訳ないのですが、安藤サクラさんの福子はあまり好きじゃないです。少しずつ気になる部分があるけど一番キツイのが声。声が高くてよく通ってふつうの会話では聞き取りやすいのですが、何かで喜怒哀楽の感情が生じるととたんにキャーキャーワーワーで正直やかましいのです。でもドラマ全体は好きです。萬平さんを演じる長谷川博己さんが思った以上に面白い人ですっかりファンになりました。他にも要 潤さんや瀬戸康史さんなど好きな役者さんも出ているし、これまで比較的恵まれた環境にあるせいか考えの甘い福子たちに何かの折にガツンと言ってくれる世良勝夫(桐谷健太さん)の存在がいいです。絶賛するほどドラマには酔えないものの、ドラマ全体はそれなりに面白いので、このまま視聴すると思います。戦時中、田舎ならば空襲もなく安全かと思われていましたが、終戦近くなると敵の飛行機は田舎でも通りすがりに銃撃をしていくようになりました。実際に終戦間際には 湯の花トンネル列車銃撃事件 などがありました。戦争が終わり、福子たちも克子と子供たちも大阪に戻ってきました。福子(安藤サクラさん)の家と母・鈴 (松坂慶子さん)の家は空襲で焼失したため、無事だった克子(松下奈緒さん)の家に身を寄せることに。食糧が乏しく、克子の夫実家から仕送りがないことに鈴は文句を言ってます。(余裕があるうちは自分のことはまず棚上げして~は、いつもの鈴さんです)食糧を確保するために萬平(長谷川博己さん)と福子は、交換する物を持って疎開中に世話になった親戚の家を遠路往復してきました。その帰り道に二人でラーメンでほんのちょっとだけ贅沢を。このとき屋台で偶然にも牧夫妻(善之介、恵)と再会できました。生活は苦しいままで、子供たちが靴磨きで働いてもどうにもならず、鈴はやっと自分の着物を闇市で売る決心をしました。鈴の高価な着物を闇市で買い叩かれそうになったとき、復員して大阪に戻ってきていた世良勝夫(桐谷健太さん)とバッタリ再会。世良は着物を高額で買い取ってくれ、萬平のところに寄ってくれました。世良は復員してからは闇市のような商売をやって生きています。そのことを綺麗事を言って批判する福子や鈴に世良は、今の時代は戦争を通じてあらゆることが不公平な時代で、少しでもいい暮らしがしたかったら文句を言ってないで動かなければいけないことを皆に教えます。そう言う世良自身も、戦地では綺麗事無しで必死に生き抜いてきたのでしょうね。「立花君が不公平の負け組でくすぶっているのが残念だ。」--世良の言葉は萬平の胸に突き刺さりました。萬平自身も自分の生き様を歯痒く思っているのですが、そんなとき福子との会話の中からふと、ハンコを作れば売れるかもしれないと思いつきました。萬平の狙いは当たり、ハンコ屋は大忙しで家族総出の仕事になりました。ハンコの木はどこから?・・とかあるけど、まあそこはドラマですね。ちなみに道具は ⇒ ハンコを彫るときに使っていた器具 ところでこのハンコを彫る作業、木は小さくて固いし、彫り間違えたらまた作り直しになるから、ものすごく集中しなければいけないと思うのだけど・・・皆が作業している中で福子が世間話をあーだこーだと一人しゃべってます。さらには皆で話しながらやったほうが作業がはかどると決めつけ、半ば強引に言葉遊びを始め皆もそれに付きあうことに。沈黙が嫌いでとにかくしゃべり続ける人をときどき見かけますが私は苦手です。ドラマ感想欄では「そうか、これがいいんだ」というのもありましたが、私は自分が集中しているときにコレはやめてほしいです。母・鈴がイロイロあってアトリエで寝ていたら、外から男が侵入してきました。日頃「私は武士の娘」と言う鈴がこれをやったら感想サイトでは笑いでウケていたようですが、女性の皆さんはリアルではこれをやらないほうがいいですよ。女は男の筋力には基本勝てないので、あっさり押さえつけられて終わりです。侵入してきた男は神部 茂(瀬戸康史さん)という者で、出征から戻ってきたものの仕事も家も身内も金もなく、やむなく泥棒したとのこと。そしてあまりの空腹で倒れ込み、ここの家族がもう嫌だと言うすいとんを本当に美味しそうに嬉しそうに食べていました。そしてある晩、鈴が寝るアトリエでまた復員兵の侵入が。しかしそれは克子の夫の忠彦(この家の主:要 潤さん)で、夫が戦地から生きて帰ってきた喜びで、克子は涙が止まりませんでした。フィリピンでの戦いは特に苛烈を極め、日本人は約33万6千人が戦死や飢えや病気で命を落としているので、忠彦は本当に地獄を見てきたのでしょう。忠彦は夜中にこっそりと帰宅したので、子供たちとの対面は翌朝でした。「お父さんが帰ってきた~~!」--大喜びの弟妹たちが父に飛びつく中、長女のタカ(岸井ゆきのさん)は正座して父にしっかりと挨拶しました。地獄の戦場から生きて我が家に帰ってこれて、そして子たちのそれぞれの成長に触れて、喜びもひとしおの忠彦でした。(このシーンは感動でした)
November 2, 2018
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第45回の部分的な感想です。いよいよ西南戦争に向けて動きだす回でした。政府での要職を捨て、鹿児島で西郷の元で共に生きようと決意して集った私学校の者たち。そして故郷・薩摩に賊の汚名を着せたくない、薩摩の兄弟や旧友を守りたい、そんな思いも含め私学校内に密偵を送る政府の大久保や川路たち。どちらも薩摩を守りたい思いは同じです。しかしそれが双方うまくいかず、ついに堪忍袋の緒が切れた士族たちの暴発によっていよいよ後戻りできない事態となり、忍従して生きる彼らの思いを受けて西郷隆盛は決起します。今回の特に終盤の15分は感動の場面の連続でした。政府に政を問いただし、後は皆で鹿児島に帰ってくるだけのつもりだけど、もしかしたらこのまま戦になって西郷はじめ皆はもう鹿児島には帰還できないかもしれない。誰もが互いにそう思いながらも出陣していく者たちを見送る場面に感動で胸が熱くなりました。そして西郷たちを監視する政府内の大久保・弟の西郷従道・川路たちも、心の底では西郷隆盛を守りたいのでした。動き出した西郷をなんとしてでも自分が止めると、弟の従道、親友の大久保がそれぞれに名乗り出た場面は、西郷側とはまた違った感動で目頭が熱くなりました。さて、番組のお知らせです。大河ドラマ『西郷どん』の最終回となる12月16日(日)に、先日NHK-BSで放送された『英雄たちの選択スペシャル~西南戦争』の再放送があります。多くの薩摩出身の者同士が戦って死ぬことになった西南戦争で、どうして政府に残った薩摩出身の士族たちが多数いたのか。当時、政府側が圧倒的に優位だった情報戦とは、などドラマの中ではわからなかった話がたくさんあります。見逃した方は是非どうぞ!英雄たちの選択スペシャル12月16日 午後2時30分~4時30分 『決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実』 。明治9年(1876)3月、政府より廃刀令が出され私学校の皆は憤慨します。県令の大山綱良(北村有起哉さん)は、この私学校はすでに政府に目をつけられているからと説得しますが、誰も従いません。そんな中、桐野利秋(大野拓朗さん)が前に進み出て「刀は侍の魂であるが、そのせいで西郷先生に迷惑をかけたくない」と自ら刀を大山に差し出しました。桐野に倣い皆も刀を差し出し、耐えて命令に従いました。しかし政府は廃刀令に続き。8月には士族の給金である金禄を廃止しました。追い詰められた士族たちは熊本で神風連の乱、福岡で秋月の乱、山口で萩の乱と次々に反乱を起こし、政府は軍を出動させ力でそれを抑え込んでいきました。私学校の者たちが決起しようとしていると聞いた西郷隆盛(鈴木亮平さん)は皆に、断じて立つなと強く言い聞かせました。明治6年(1873)には東京~長崎間で電信が開通していました。(このあたりも上記の 『決戦!西南戦争』 に出てきます)政府は私学校に中原尚雄らの密偵を忍び込ませていて、電信を使って鹿児島の様子を迅速に報告を受けていました。大警視の川路利良(泉澤祐希さん)から、鹿児島が非常に緊張した事態であると報告を受けた大久保利通(瑛太さん)は山県有朋(村上新悟さん)に、熊本鎮台にいつでも出兵できるようにと命じます。西郷従道(錦戸 亮さん)は大久保に、兄・隆盛を信じていないのかと尋ねます。そして大久保は、西郷の覚悟一つで日本中の不平士族が奮い立ってしまうと。大久保は密偵に私学校の偵察を、そして私学校が暴発したら身命を賭して説得しそれを止めよ、説得できなければ西郷を暗殺せよと命じていました。大久保の気持ちをわかっている川路は、自分だって薩摩の仲間を潰したくない、半次郎(桐野利秋)とは戦いたくない、と従道に思いを語りました。「故郷、薩摩に賊の汚名を着せてはならん」--川路からそう命じられて私学校に潜入していた中原尚雄(田上晃吉さん)も薩摩を守りたい思いは同じで、別府晋介(篠原悠伸さん)なら味方になってくれるだろうと信じて、鹿児島にある武器を政府の船が運び出す計画を打ち明けました。しかしすでに密偵と疑われていた中原はこの後、篠原国幹らに捕まりました。密偵から情報を聞きだした桐野たちは政府軍の武器庫を襲撃しました。私学校は今まさに挙兵の勢いとなっていると川路から報告を聞いた大久保は、山県有朋と川路に「来たるべき事態に備えよ」と命じました。私学校の者たちが暴発したと報告を受けた西郷は急ぎ学校に戻り、動くなという自分の命令に反した桐野たちを張り倒し、拷問を受けた中原をいたわりました。しかし桐野は西郷に、大久保は先生を暗殺しようとしたと進言します。そして桐野はさらに「この薩摩から新しい日本をつくるという先生の夢を信じて、自分たちは刀も禄も取り上げる政府の仕打ちに耐えてきた、その先生を暗殺しようとする大久保は許せない、大久保のつくる新しい日本に自分たちの居場所はない」そう西郷に涙ながらに訴えました。大久保の政策に歯をくいしばって耐えながら、それでも自分を慕ってくれる皆の思いを知った西郷は、皆で東京に行って政を問いただそうと言います。そこには全国の士族の思いを、新しい世を見ることなく散っていった先人たちの願いを込めて政の在り方を問いただす、そして「皆で薩摩に帰ってこよう!」と。私学校の皆で東京に出陣することになり、菊次郎も同行を願い出ました。しかし糸(黒木華さん)は、菊次郎の出陣だけは反対しました。糸は自分の産んだ子がいても、菊次郎のことを同じように大事にしてくれます。ただ戦になっても行くという菊次郎の意思は固く、隆盛は同行を許しました。出陣にあたり、西郷は大山に報告します。--「政府に尋問の筋これあり」兵と共に行くけど、これは政府を問いただすだけで戦ではないと。大山は「話すだけだぞ」と若い桐野と篠原に念を押し、自分はこの書簡の内容を政府や各県にばら撒いてやる、堂々と行ってこい!と西郷を激励しました。明治10年(1877)2月17日、鹿児島に50年ぶりの大雪が降った朝、西郷は東京に向けて陸路を出陣していきます。目的は話し合いだけど、もしかしたらこのまま戦になって無事に帰還できないかもしれないと、互いにわかっている川口雪蓬(石橋蓮司さん)と隆盛です。なので雪蓬の勧める酒を「今日だけは」と隆盛は受けました。そこへ桐野がやってきて、熊本・大分・宮崎の士族たちが我らに同行したいと次々に申し出ていると報告がありました。ここでは紹介されませんでしたが、薩軍本体 13000名、それに呼応する熊本隊(1500)、飫肥隊(600)、都城隊(1500)、延岡隊(1400)、竹田報国隊(600)などの諸国協力隊がおよそ8000名合流したとのことでした。(1987年テレビドラマ 『田原坂』 より抜粋)そしてさらに、元主席家老の桂 久武(井戸田潤さん)も西郷に同行すると言い、身支度をして現れました。「自分は薩摩一の弓名人」--桂にとって失いたくない誇りなのでしょうね。その頃、島津久光(青木崇高さん)も陰ながら西郷を見送っていました。海江田武次に「自分に目通りしたかったら、必ず帰ってこい」と言づけて。島津久光もまた西郷たちの無事を祈る一人だったことに感動の場面でした。そして出立の時がきました。息子の市来宗介を送る琴は兄・隆盛に「宗介も菊次郎もメリケンまで留学した国の宝。無事に帰さんかったら承知せんど!」と言葉を添え、島妻・愛加那との娘の菊草は島唄で父・隆盛を送りました。隆盛は妻の糸に留守を託し、政府の政を問いただすという大義を掲げ出陣しました。ただこの場面、野原をぞろぞろと行進していくだけでなく、ドラマ『田原坂』でやったような一番〜五番大隊の閲兵式をやって欲しかったです。 こちら あ~、軍服で馬上から指揮を執る桐野@大野拓朗さんが見たかったなぁ。政府と話し合いをするだけだという西郷の思いは伝わらないまま、西郷が大軍を率いて進軍を開始したと、熊本からの電信ですぐに東京の大久保に報告されました。兄・隆盛を絶対に死なせたくない西郷従道は、兄さぁを止めるから自分を鹿児島に行かせてくれと大久保に懇願しました。しかし西郷を死なせたくない思いは、幼き頃からの親友の大久保も同じでした。「おいが吉之助さぁ(西郷隆盛)に会いに行く!おいが行く。」--政治的に対立してしまい袂を分かった二人だけど、離れていても互いに思いあい、今はとにかく吉之助を守りたいという大久保の心に感動した場面でした。ただ大久保が行くと今度は大久保の身が危うくなるので、岩倉具視は「お前は日本を見捨てるつもりか?!お前は国家の要や!」と大久保を必死で引き留めました。
December 4, 2018
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今日の昼前ですが、名古屋の地下鉄「矢場町」駅を出てすぐにある名古屋パルコで 空箱職人 はるきる さんの作品展が開催されているので行ってきました。はるきるさんの作品は以前からツイッターで拝見していて、既製品の空き箱からこんなに素晴らしい工作ができるのかと、いつも画像で見ながら思っていました。その はるきるさん の作品展が名古屋で開催されるとあり、これはもう絶対に一度は行っておかねばと思っていました。(名古屋では9月6日から9月23(月)まで開催です)今日は9月の第2週めと思えないくらい暑い日だったけど、見逃してはいけないので名古屋の栄まで行ってきました。展示されていた作品の中で私がスゴイと思った一部をご紹介します。おなじみのペコちゃんの顔が立体化して髪型や服装がちょっと大人っぽくなると、雰囲気が全然違った感じになります。(服がオシャレですね~)うどんのどん兵衛の空箱が、浪人風のお侍になりました。背中にしょってる「きつね」「うどん」の幟が面白~い。カップヌードルの空箱が、なんと、宇宙飛行士になりました。どこからこんなアイデアがわいてくるのか、ホント、凄いです。ヨーロッパの風景に出てくる塔型風車です。螺旋階段の上にいるのはキリンの被り物をした人です。シャルロッテの空箱で作ったこの作品、すごく手が込んでいますよね。どの作品ももちろん触れてはいけないのですが、これはあまりに繊細な作品で万が一何かが当たることがないようにか、ショーケースに入っていました。レトルトカレーの箱がクラシックカーに変身しました。箱のデザインのパーツが随所に活かされています。こんな変身をしたら箱のデザイナーさんも冥利につきるでしょうね。ティッシュケースがそのまま立体のウサギさんになりました。他にもそのままティッシュケースとして使えるアレンジもあります。チョコレートの箱が天球儀になりました。さらにその周りにある机、椅子、照明、どれもその時代を感じる調和があります。天球儀は幾重にも輪が重なるこの細かさです。もうスゴイとしか言葉が出てきません。ウイスキーの箱が中世ヨーロッパの騎士になりました。名古屋パルコ展では、ブースを天幕で囲って作品に照明を入れているので、作品が光ったり作品の影ができたりと、より芸術的になっています。本当に小さな細いパーツをいくつもいくつも組み合わせ、全体の形としてもちゃんとそのものになっていて、これぞ芸術、神業を見た作品展でした。
September 8, 2019
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2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』 。第39回の部分的な感想です。この回はスポーツ史の話はなく、終戦前に噺家の志ん生(美濃部孝蔵;森山未來さん)が慰問で満州に渡り、そこで出会った小松 勝(仲野太賀さん)との関わり、そして満州で迎えた終戦と小松の死が話のメインでした。ただ私としては小松の死に至るまでの流れに違和感があり、なんで敵地に取り残された敗残兵なのに夜に危険も考えず一人で外に走り出していくの?とか気になり、小松の死やその関連の場面に感動はありませんでした。戦時中の大陸であったこととかは他のドラマでも何度か見ているので、この回は志ん生と同行した三遊亭圓生(中村七之助さん)の大陸での出来事に注目していました。昭和20年(1945)3月、志ん生(森山未來さん)と三遊亭圓生(中村七之助さん)はひと月ほどの予定で、慰問のために満州に渡りました。志ん生は家族にとって稼ぎ手ではあるけど父親としては頼りにならないので、家族は皆家のことは自分たちでなんとかするからと、快く志ん生を満州に送り出してくれました。小松 勝(仲野太賀さん)がいた部隊は沖縄に配置換えになる予定でした。しかし沖縄への出発前夜に分隊長(村杉蝉之介さん)が「日本はもう駄目だ!妻子を内地に残してきたやつは(軍律違反だけど)今すぐ逃げろ!遠からず戦争は終わる!」と部下に伝え、自らも軍服を脱ぎ捨てて脱走していきました。そして8月15日、志ん生と圓生と小松は大連で終戦を迎えたのですが、日本の敗戦により中国人は日本人を襲撃するようになりました。志ん生らだけでなく大陸にいるすべての日本人は、危険をかいくぐってなんとか日本に帰る手立てを考えなければいけなくなりました。こんな状況下、予定されていた二人会には客は誰も来ないだろうと思っていたところ、現地に残っていた人が百人くらい集まりました。初めは皆、このまま日本に帰れず恐ろしい目に遭って死ぬだろうと暗い気持ちで一杯で、ならばせめて死ぬ前に思いっきり笑いたいと思っていました。その思いを受けた圓生は『居残り佐平次』で客を大いに笑わせ楽しませました。志ん生が自分は『富久』を出そうかと考えていたとき、小松が話の中の距離を浅草から芝にしたらどうかと提案しました。それは小松が師匠の金栗四三(中村勘九郎さん)と毎日走っていた道で、その四三は今終戦後の焼け野原となった東京を自慢の体力で毎日、家族やハリマヤの皆の食糧確保のために上野の闇市まで走りまわっていたのでした。そして志ん生は小松の提案どおり、噺を少し変えて距離を芝まで延ばしてくれました。さらに話すときの身振りも小松の意見を取り入れてくれ、そんな志ん生の心意気が小松は嬉しくてたまらず、どうしても走りたくなって・・・小松は夜の大連の街に一人で飛び出して走り始めました。途中でポストを見つけ、絵葉書に「志ん生の『富久』は絶品」と書いて投函したときにソ連兵に見つかってしまい、走って逃げようとしたものの銃殺されてしまいました。小松は日本の妻子の元に帰りたがっていたから、ならなおさら慎重に行動しなければいけないのに「感動→我慢できずに走る」なんて流れにしたのかなと思いました。小松の死の後、中国での日本人の惨状を目の当たりにした志ん生は自暴自棄になり、このまま自分も死のうと思っていましたが圓生が引き止めてくれました。そして家族持ちは日本に帰る船に早く乗れるという噂があったので、二人は偽装結婚をすることにしたのですが、志ん生の相手の女はかなりハズレだったようで。(笑)昭和22年(1947)1月にようやく引き揚げ船に乗れるまで、志ん生は大連で今日生きられるかどうかの過酷な日々を過ごしていました。そして乗船のとき、中国人に成りすまして生き延びている美川秀信(勝地 涼さん)と再会し、志ん生は美川から小梅や清さんといった懐かしい名前を聞きました。志ん生にとってもちろん家族は大事だけど、若い頃に泣き笑いを共にした友達のことを思い出すと生きる力になりますよね。そして志ん生はやっとの思いで家族の元に帰ってきました。戦争で財産を失ったけど家族は皆無事で力を合わせて生きていました。「今は日本中が貧乏だから、皆で揃って上向いて這い上がっていこう!」ーー志ん生はそう心に決めて再び落語の高座に上がり、落語の聴衆も大喜びでした。
October 14, 2019
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2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。治承4年(1180)に始まった源平合戦のクライマックスとなる元暦2年(1185)3月の壇ノ浦の戦を迎えるこの回は、扇の的の話とかある屋島の戦いと壇ノ浦の戦いで、がっつり45分をとるかと思っていました。しかし戦闘シーンは前半で収め、後半は戦後処理に絡めた人々の思いが交錯した展開でした。でもその後半が意外なほど心に残るものでした。実は情け深い一面も持っていた源 義経(菅田将暉さん)の優しい気持ちと、その後の悲しい歴史を知っているが故の、なんとも複雑な思いを残す回でした。義経が藤平太(大津尋葵さん)に約束した里芋のお返し。私の場合つい忘れて「まあいいか。また次の機会に♪」なんて思うこともままあるのですが、そうじゃなくて、鎌倉に来れた今このときに約束が果たせてよかったと、義経のこれから先のことを思うと、そう感じました。現代よりもはるかに移動に時間がかかり、病気や争いで命を落とすことが多かったこの時代です。「一期一会」や「今このときを逃したら」という思いが人々の中に強くあったのかな?とも思いました。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元暦2年(1185)2月、一ノ谷の戦の後、平家軍は屋島(現在の香川県高松市)を本拠とし、瀬戸内海の制海権を握って態勢を立て直していました。それに対して源頼朝は、源義経には四国側から、源 範頼(迫田孝也さん)には九州の豊後側(現在の大分県)から攻めるよう命じ、範頼は周防(現在の山口県防府市)の松崎天満宮に陣を構えていました。しかし範頼は九州に渡る舟を集められず、また兵糧も尽きていたのですが、三浦義村(山本耕史さん)が豊後の緒方一族と交渉して味方につけ、筑前(現在の福岡県)での戦に勝利して平家軍の退路を断つことに成功しました。一方、源義経の軍は摂津国に陣を構え屋島にいる平家軍にどう攻めこもうか軍議を開いていましたが、暴風雨の中で舟を出すのは危険で悩んでいました。出陣を主張する義経に軍奉行の梶原景時(中村獅童さん)は初めは反対していましたが考え直し、義経の「今舟を出せば、3日かかるところを風に乗って半日で阿波に着く」という意見に賛同、義経は自分の手勢を率い荒海の中を5艘の舟で四国に渡りました。そして平家軍に奇襲をかけ、不意を衝かれた平家軍は屋島を捨て、長門の彦島(現在の山口県下関市)に落ち延びていきました。鬼神のような戦ぶりの源 義経でしたが、逆に頼朝は警戒心を抱き、総大将を義経から梶原景時にしました。頼朝の命令ではあるものの、義経自身は戦に出られないことは大いに不満であり、軍議でも結局皆が総大将は義経としました。元暦2年(1185)3月24日の朝、長門国の壇ノ浦にて戦が始まり、義経は平家軍を引き付けた後、舟のこぎ手を射殺すように命じました。兵でないこぎ手を殺すのは戦の作法に反する、末代までの笑いものになると畠山重忠が源 義経(菅田将暉さん)を諫めましたが、義経は「笑わせておけ。」と、そして全軍に「矢を放て!」と命じました。こぎ手を失った平家軍の舟は潮に流されるままとなり、そこに義経を先頭に源氏軍の兵士たちが一斉に襲い掛かりました。(八艘飛びの部分はワイヤーアクションも入ってますよね)戦況を見た平 宗盛は敗北を悟り、二位尼とお付きの女官たちは三種の神器を抱えて次々と海に飛び込んでいきました。平家軍を倒せば安徳帝と三種の神器は取り戻せると考えていた義経にとって、思いもよらぬ展開でした。そしてついに幼き安徳帝も女官に抱えられて海の中へ。平 宗盛(小泉孝太郎さん)は安徳帝の最期を見送りました。義経が「やめろ~っ!」と叫んでも間に合わず、安徳帝は壇ノ浦の海に姿を消しました。あまりの出来事に義経と戦っていた平家軍の兵士たちも力が抜け、皆その場にへたり込んでしまいました。波の下にもあるという極楽浄土に沈みゆく安徳帝。幼き安徳帝のあまりにもいたわしい最期を見届け、舟の上から思わず手を合わせる畠山重忠(中川大志さん)。そして田ノ浦(現在の福岡県北九州市)で背後を固めて戦闘の成り行きを見守っていた範頼軍も和田義盛(横田栄司さん)が合掌を。戦の決着がつき、北条義時(小栗 旬さん)は義経に戦勝の挨拶をしました。浜辺には波で打ち上げられた数多くの平氏軍の亡骸があり、言葉を失う義時に義経は「これは戦だ。犠牲はやむを得ん。勝たねば意味がない。これまで討ち死にした者の命が無駄になる。お前の兄も戦で死んだらしいな。」と。義時が「兄(宗時)は平家に苦しめられる民のことを思っていた。」と応えつつも言葉を濁していたら、義経は察したのか「死んだこぎ手は丁重に葬ってやれ。」と義時に命じました。そして「この先私は誰と戦えばよいのか。私は戦場でしか役に立たぬ。」と言葉を残し、一人浜辺を去っていきました。平家が滅んだ報を聞いた頼朝は、平家打倒の挙兵から5年、さらに父・源義朝のときからの長年の思いがこみ上げ、妻の政子が待つ寝所でむせび泣きをしました。政子の前では「義経がやってくれた。」と喜んでいた頼朝ですが、家人たちの前では安徳帝と宝剣を失ったことを叱りつけてやると言い、文にもそうしたためました。京に戻った義経は後白河法皇から褒められもてなされて上機嫌でしたが、その陰では坂東武者たちが義経の戦のやり方を批評していました。そして一足先に鎌倉に戻った梶原景時も義経のことを頼朝に批判的に伝えていました。そんな動きを義経は知ってか知らずか、白拍子の静(石橋静河さん)を連れて休息のひと時を楽しんでいました。(しかしその陰には義経の妻となった里が・・!)義経は兄・頼朝への釈明のために鎌倉に戻りたいのですが、後白河法皇から検非違使を任ぜられそれを受けてしまったため京から離れられません。そこで法皇に直訴し、検非違使の任はそのままで合戦に敗れ罪人となった平 宗盛を鎌倉に連れていき、再び京に戻るという約束をしました。宗盛を鎌倉に連行するとき、宗盛は義経に「処刑の後は体だけでも息子・清宗と共に埋めてほしい」と頼みます。そして義経は宗盛に兄のことを問い、宗盛は「兄弟で心を開き合ったことはなかったけど、信じ合っていた。それが兄弟というもの。」と応え、京を後にしました。義経が検非違使を辞めていない、また京に戻るという話を聞いた頼朝は不快感を示し、梶原景時は「義経は法皇にかなり気に入られている」と頼朝に言い(これは事実)、さらに義経が頼朝の跡を継ぐのは自分だと勘違いをしても仕方がない、と自分の憶測も添えて伝えました。一緒にいた義時は義経にそんな野心は無いと頼朝に訴えるものの、景時がいっそう語気を強めて義経を鎌倉に入れてはいけないと言い、頼朝も景時の考えを受け入れ、義経が鎌倉に来ても会わないと言い、義経を腰越で留め置くよう命じました。景時は、頼朝と義経はどちらも己の信じた道のためなら手を選ばない、二人が並び立つことはないと考え、頼朝に付くことを決めたのでした。義経一行は鎌倉の西の腰越に到着するも、義経は兄・頼朝に会うことは叶わず、義経は自分がなぜ頼朝に疎まれるのかわからないままでした。鎌倉に着く頃にはどこか打ち解けた感のある平宗盛が義経に、頼朝に文を書いてはどうか、よければ自分が代筆すると言い、頼朝に文をしたためてくれました。(ここで宗盛が何か仕掛けるのかと思ったけど、ホントにただの親切でした)結局その文は役に立たず、頼朝から宗盛を連れてすぐに京に帰れと言われた義経は、これからは後白河法皇を第一に仕えると決意しました。ただ明日の朝鎌倉を発つ前に、罪人同士が会うことは禁じられているけれど内緒で、京に戻れば死罪となる宗盛のところに息子の平 清宗(島田裕仁さん)を連れてきて、今夜は親子でゆっくり語り合うよう言い、二人を別室に案内しました。義経の粋な計らいに宗盛は心から感謝しました。腰越という地は義経にとって、兄・頼朝が挙兵したときに兄を追って平泉から出てきたときに立ち寄った地で、義経一行が空腹でたまらなかったときに親切な領民・藤平太(大津尋葵さん)から煮芋をわけてもらった思い出がありました。そのときに義経は藤平太に、いずれ出世して荷車いっぱいの芋を返すと約束していて、たくさんのふかし芋を用意して藤平太たちが来るのを待っていました。義経のような身分の人が自分との約束を守ってくれ、自分たちと一緒に芋を食べながら昔話で一緒に笑ってくれ、藤平太は感激していました。今、義時の目の前にいるのは、源氏の名に恥じぬよう生きると決め、宗盛親子に語らいの時を与え、そして領民たちから慕われ共に笑っている源義経でした。
May 10, 2022
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は徳川家康(松本 潤さん)が京に上洛したことで、今まで見えなかった多くのものを見ることになりました。京の町、京の人々、そして尊い存在と思い描き、謁見に胸を膨らませていた第15代将軍の足利義昭(古田新太さん)がどういう人物であったかを知りました。一方で、今までただ恐ろしいとしか思わなかった織田信長(岡田准一さん)が、今の戦乱の世を無くして日ノ本を一統するという高い志を持っていることを知りました。家康にしたら自分を「弟」と呼んで協力を求め、己の天命と決意した大きな仕事を成し遂げようとする信長のことを、やっぱり恐いけれどこれからは、今までとは違った意識で見るようになるのではないでしょうか。さて、家康が京に来てあれだけ苦労してやっと手に入れたコンフェイトは、悲しい形で失われてしまいました。でも見方を変えれば、あれだけ高価で少ししか買えなくて、日頃の労苦を共にして自分を支えてくれる家臣やその家族たちにも分けてやれないほどのものならば、いっそのことなくなってもよかったのかな、とも思いました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 永禄12年(1569)初夏、甲斐の武田と三河の徳川の攻撃を受けて今川家は滅亡、しかし徳川家康(松本 潤さん)が今川氏真を助けて北条に逃がしたことを知った武田信玄は約定破りと激怒しました。そして武田が徳川に攻めてくる可能性もあり、家康は北条と手を組むことも考えましたが、このときは酒井忠次(大森南朋さん)に信玄に詫びるよう頼みました。翌永禄13年(1570)春、将軍・足利義昭の命により家康は上洛することになり、初めて行く京の都に同行する家臣たちも楽しみで浮き立っていました。なにより家康自身が、将軍様はどんなお方かと期待に胸を膨らませていました。家康は上洛することを瀬名(有村架純さん)に知らせに行ったのですが、瀬名は夫の晴れがましい上洛のことよりも、嫡男・信康が織田家から嫁に迎えた五徳(久保史緒里さん)と喧嘩ばかりしていることが気になっていました。夫婦といってもまだ供に11歳の信康と五徳なので互いに言いたい放題で、また五徳は舅・家康が父・信長に頭が上がらないことを知っているので、思い通りにならないと父・信長のことを引き合いに出していました。(しぐさとか表情とか、子供は親のやることを見ていて、それがどこかで出てしまうのですね)瀬名は五徳のそういう部分をたしなめますが、肝心の家康が信長を恐れて五徳の機嫌をとってしまうのでした。でもこのときは、家康が京の土産として珍しい菓子を買ってくるということで二人の機嫌が直って仲直りし、瀬名や亀にも楽しみができました。京に到着した家康一行は、市に行って早速コンフェイトを探しました。京の市は華やかで賑やかで珍しくて、家康たちの想像をはるかに超えていました。しかし宿に着いたらすぐに身支度を整えて、京での挨拶廻りが始まりました。京都奉行の木下藤吉郎、公家衆、高僧その他、そして将軍・足利義昭の家臣である明智光秀など、家康は疲れて具合が悪くなっていました。石川数正(松重 豊さん)と酒井忠次はそんな家康を気遣いますが、この者だけは会って欲しいと、茶屋四郎次郎(中村勘九郎さん)を引き合わせました。(この瞬間、脳裏に「スッスッハッハッ!」「失敬!失敬!」が浮かんだ人多し)以前は出来の悪い三河の家臣だった茶屋は今では商人として成功していて、主君・家康と京で会えることを楽しみにしていました。家康は茶屋に早速コンフェイトを求めるよう頼みましたが、実はコンフェイトはびっくりするほど高価な菓子で、簡単には手に入らないものでした。でも茶屋は自分が必ずコンフェイトを手に入れると約束し、そして別件で家康に、徳川の家臣たちはあまり市中を出歩かないほうがいいと進言しました。その理由は、織田信長(岡田准一さん)が京に来てからは町の治安や風紀を乱すことは許されず、揉め事を起こせば厳しく罰せられるとのことでした。実際に鳥居元忠と平岩親吉が町を歩いていたら、どこかの家中の者が女子に無理強いをしようとしていて、信長に見つかって目の前で切り捨てられました。そして信長に見つかった元忠と親吉は信長から「ほったらかしておいてすまぬ。近々宴席を設ける。主にそう伝えよ。」と家康への言伝を頼まれました。元忠と親吉は宿舎に戻り、昼間にあったことを家康に報告しました。家康が京にいる間は揉め事を起こさぬためにも家臣たちには宿から出ぬよう命じようとしたけど時遅し、本多忠勝(山田裕貴さん)と榊原康政(杉野遥亮さん)が北近江の浅井長政の家臣たちと昼間すでにやりあってました。忠勝は自分のことならまだしも主君・家康への罵詈雑言はどうしても許せなくて、相手が刀を抜こうとしたのを押さえて康政と一緒に素手(脚?額?)でやりあったのですが喧嘩は喧嘩。長政は信長が大事にしている義弟でもあるので、信長に知られて大事になる前になんとか浅井家と話をつけようと家康は考えました。ところがその前に、信長から呼び出しを受けてしまいました。家康が信長の元に出向いたら、理由はやはり昼間の喧嘩のことで、これは信長や将軍の顔に泥を塗ったと同じと言われ、家康は深く詫びました。明智光秀(酒向 芳さん)の追求は厳しくて、喧嘩をした家臣の名を語気を強めて訊いてきましたが、家康は忠勝と康政の名を言おうとはしませんでした。そのとき浅井長政(大貫勇輔さん)が到着し、家康と長政は対面しました。長政は「我が家臣が武勇の誉れ高き本多殿に戦場での戦い方の指南を受けた。」と意外にも家康に礼を述べ、光秀がそれは自分が聞いた話と違うと言うと「よくあるかすり傷。喧嘩ではない。」と言い、家康に相槌を求めました。長政の機転と寛大さに救われた家康はその厚意を受け、信長も了承しました。これで話がついたと木下藤吉郎(ムロツヨシさん)は酒を持ってこさせ、光秀に退出を促して一緒に出ていきました。信長は家康・長政と3人になったところで南蛮人からもらった地球儀を見せ、この世は丸くて日ノ本は小さな島であると示しました。長政は「南蛮人は我らよりもはるかに様々なことを知っている。この小さな島の中でいさかいをしていては日ノ本そのものが南蛮に取られてしまう。」と考えを述べ、それを受けて信長は「天子様の元、我ら武家がこの世を治め、その武家を束ねるのが将軍様。それこそがこの日ノ本のあるべき姿…ありすがたじゃ。この乱れた世を本来のありすがたに戻す。」と己の決意を述べました。そして信長は将軍・義昭公は立派なお方、自分はその手足となってそれを成すと言い「それこそが俺の天命だと信ずる。我が二人の弟よ、力を貸せ。」と家康と長政の手を取ってこれからの協力を頼みました。信長のところから帰り道、家康は長政に礼を述べ、長政もまた家康のこれまでの苦労を偲び我が身の糧としてきた、一度腹を割って話し合いたかったと思いを伝え、去っていきました。さて、いよいよ将軍に謁見する日を迎えました。家康の供をする数正と忠次も身支度を整え、皆で晴れがましい気持ちでいたら、ちょうどその時、茶屋がコンフェイトを格安で手に入れたと駆けつけてきました。この小さな粒の菓子を数個手に入れるのにこんなにも苦労したのだから、家康は無くさないようにしなければと袋を大事に懐に入れました。すると今度は別の客人が家康を訪ねてきて、その客人とは・・・夫・浅井長政に同行して京にきていた市(北川景子さん)でした。優しい夫に愛されて幸せと言い切る市を見て、家康も安堵していました。(桜舞う中で茶々を抱っこする家康の絵が本当に美しいのですが、この45年後には「あのときの姫が・・」となるのかと思うと複雑な思いです。)その時ふと家康は先ほど手に入れたコンフェイトを思い出し、2粒どうぞと市に差し出しました。市は高価なものだからと遠慮したのですが、思い直して1粒だけもらい、それをしばらく眺めた後で、日頃よく仕えてくれる褒美と言って茶々を抱くお付きの阿月(伊東 蒼さん)の口に入れてあげました。こんな高価なものを自分だけにくれた市の優しさに、そして言葉を忘れるほどの甘さと美味しさに、阿月は微笑んで礼を伝えるのが精一杯でした。そうこうしていると明智光秀が迎えに来たので、家康は市に別れを告げ、将軍のいる二条御所へ向かいました。家康の前に現れた室町幕府第15代将軍・足利義昭(古田新太さん)は、品格や威厳が感じられない、家康が想像していた人物とは違っていました。家康が挨拶を済ませた後、義昭からは忠誠を尽くすよう言葉をもらったものの、義昭は家康のことを「松平」で呼び、果ては官位と「徳川」を金で買った田舎者とまで言いました。そして義昭は自分に献上する貢ぎ物を催促し、徳川方が用意した駿馬は拒否して、なぜか家康の懐にある物を要求しました。家康の懐にある物といえば、やっと手に入れた貴重なコンフェイト。義昭はそれを出させ、全ての粒を一口で頬張り、満足して退室していきました。家康は信長が義昭のどこを立派だと評価しているのかわからず、義昭との謁見は気持ちをさんざんに踏みにじられただけの時間でした。京での用事は全て終わり、家康は信長に挨拶して岡崎に帰るつもりでした。ところが信長は「まだ三河には帰れない。」と言って絵図面を広げさせ、続けて藤吉郎が「明後日には出陣。」と言いました。家康がどことの戦かと問うと光秀が「まずは若狭、そして越前の朝倉義景。幕府への反逆ありとみなした。」と説明しました。ただ家康はこの京へは手勢を500しか連れてきていないので一旦三河に戻ってと言おうとしたら藤吉郎が「織田勢、将軍の軍勢、浅井の軍勢で4万を超える大軍勢。」と笑い、信長はこの出陣は北国見物と余裕の表情でした。信長は自分と将軍に従わぬ者は全て滅ぼし「天下を一統する」と固い決意でした。しかしそのころ小谷では浅井長政が深刻な顔をして市に話があると言い、それは義兄・信長を裏切って討つということでした。
April 4, 2023
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10月になってからいろいろ始まった新番組の中で、私が見ているもののもう一つが、BS-TBS で放送されている 『水戸黄門』 です。6年ぶりに始まる新シリーズで、黄門さまと助さん・格さんはどなたが・・・と期待してふたを開けたら、え?武田鉄矢さんが黄門さまに??武田鉄矢さんがこの役が似合うのかなあと思ったら、案の定ではありますが、水戸藩第2代藩主としての品格が感じられないし、殺陣のシーンでも武田さんはやらないので、水戸藩前藩主らしからぬお方です。バイプレイヤーでも時代劇を長年やってきて、所作やセリフの言い方とかなじんでいる役者さんはたくさんいらっしゃると思うのだけどなあ。なんでまた武田鉄矢さんが黄門さまに・・・?助さん・格さんも財木琢磨さん・荒井敦史さんと私の知らない若いお二人で、風車の弥七は津田寛治さんでドラマをあまり見ない私には知らない方でした。それでもまあ、このシリーズはなんだかんだと楽しく見てしまいます。助さん・格さん・弥七と敵対する役の皆さんが大暴れして、迫力ある殺陣のシーンは面白いですし。『水戸黄門』の2代目の助さんと5代目の黄門さまをはじめ、数々の時代劇に出演してきた大御所俳優の里見浩太朗さん。その里見さんがこよなく愛する日本の時代劇が廃れてしまわないよう、若い世代が諸々のことを受け継いでいつまでも続いていくよう、若干の批判をしつつも私なりにこの番組を応援していきたいと思います。黄門さまを演じる武田鉄矢さん。さすがに説教はうまいけど、このお方は黄門さまというより村の庄屋か寺子屋の先生って感じです。財木琢磨さんと荒井敦史さん、まだ役になじんでいない感じはあるけど、若いお二人が大暴れしています。申し訳ないけど、財木琢磨さんと荒井敦史さんの区別がまだつかないので、お二人は着物の柄で見分けています。従来の格さん役は基本、素手で戦うパターンでしたが、今作では格さんも脇差を持って戦うスタイルになっています。こういうシーンがあると楽しいですね。えらく眼光が鋭い弥七を演じる津田寛治さんは、もうアラフィフの方でした。平日の午後にやっている前作の再放送です。私のお気に入りの回で、第35部の第6話のシーン。ふだん町人姿の原田龍二さんと合田雅吏さんが、たまに紋付き袴のスタイルで登場するときがあり、たまらなく素敵なのです。原田さんも合田さんも、どちらも大好きです。ああ、カッコイイ~。。目の保養です。長身で男前のお二人が武士の正装をすると、本当に素敵です。そしてスピードとパワーあふれるこの動き。合わせる相手役の方々も大変でしょうが、互いにこれぞプロですね。今作もそれなりに味わいが出てくると思いますが、黄門さまはやはり殺陣ができる方がよかったなあ。
October 18, 2017
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今日は朝から雨が降り、日差しもなくて寒さを感じた日でした。でも最高気温は約11℃あったから、まだ本格的な冬の寒さではないようです。というか、一昨日があまりにもポカポカ陽気でこのエリアでは最高気温が21℃まで上がったし、今日は雨で足元が濡れて冷たいから、余計に寒く感じるのでしょうね。明日は雨は降るけど少し寒さが和らぐようです。ただ風が強くなり、特に北日本では暴風になるとか。被災地の仮設住宅では防寒対策が全戸でまだ十分でないそうなので、早く対応をして欲しいと思ってます。さて3日前のことですが、名古屋市の東に隣接する日進市にある 五色園 にちょっと行ってきました。ここは 親鸞聖人 の生涯をコンクリート人形と解説で表現した宗教公園なのですが、春にはお花見マップに桜の名所として紹介されるほど有名なところです。私は以前、春の頃に桜を見に行ってきました。その折に、公園内のあちらこちらに紅葉の木があるのを見て、これは秋になったら紅葉が美しいだろうなと予感していました。そして3日前の火曜日、清洲城を見に行ったついでに 名二環 を使って名古屋の東側に出て、五色園に行って紅葉を見てきました。期待した五色園の紅葉は、一番の見頃だったのでしょうか。私の想像を超えた見事なものでしたちょうど周りにほとんど誰もいなかったこともあり、私はつい「綺麗~~」 と口にしながら歩いて撮っていました。若き日の(豊臣)秀吉と蜂須賀小六が出会ったとされる 『矢作川の橋』 の場面です。親鸞聖人のテーマパークなのだけど、なぜか秀吉の話が。ね、見事なまでに真っ赤な紅葉でしょ?ほとんど自然な感じに生えている紅葉の大木です。この公園の本来の目的である親鸞聖人の生涯を描いた場面のところにも、紅葉の木はありました。これはまた少しずつご紹介したいと思います。カエデ科の木だけでなくいろいろな落葉樹が、赤や黄に染まっていました。そうそう、以前ご紹介した 『春の五色園』 がこちらにあります。よろしければご覧くださいね★花の写真集★~桜 2009 五色園 先日行ったときはほんの一部しか見てこなかったので、日曜日か月曜日にもう一度見てこようと思ってます。
December 2, 2011
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(6日からの続きです)6日の行程では広島平和記念公園をラストの見学とし、バスはまず宿泊のホテルに向かいました。夜の食事はフリーなので、せっかく広島にいるのだからお好み焼きにしようと、夫と市内の中心街へ。広島でのお好み焼き。店内の感じは、お勤め帰りの人たちが千円ほどで軽く食べて飲んでくる、観光客の私にはそんな印象でした。食後は、今日は朝4時起きでやはり疲れてたので(5時過ぎに家を出るためにペット族の世話や身支度にけっこう時間がかかる)観光地の夜を満喫するまでもなく、早めにホテルに戻ってきました。朝になりました。ホテルの窓から見える海が綺麗です。雪が降ると心配されたお天気もまだ大丈夫のよう。ホテル前からフェリーに乗って、まず宮島へ。厳島神社 海の中に見える大鳥居。対岸の本州側は雪が降っている模様。ああ、これがTVで見るあの海に浮かぶ厳島神社の大鳥居ね。うんうん、華やかで神秘的だわ。左:能舞台。1回10万円で15分舞うことができます。(要予約。ちょっとお高いけど、それでもときどき誰かが舞いをしているらしい。)右:性別がはっきりわかる狛犬(ちゃんとついてる。これは♂) 左:宮島の五重塔 右:五重塔の説明書きさて、宮島にはたくさんの鹿が生息しています。草花だけでなく紙類もモシャモシャと食べてしまうので、島内にはあちこち囲いがしてあります。(公衆トイレ入口にも。鹿さんがトイレットペーパーも食べるらしい)せっかく世界遺産の地にいるというのに、私は四足族に弱い。鹿さんを見つけるたびに、カメラを構えてストーカーしてました。^^;宮島名物のフレンドリーな鹿さんたち。鹿さんはおしりがキュートだわ。左の子は集合写真で人間と一緒に入ってくれます。ツアーでなければ鹿さんともっと遊んでいたかったけど、そんなわけにはいかず。ツアーはまたフェリーに乗って、あの戦艦大和の模型がある呉市に向かうのでした。
January 10, 2006
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。最終回の部分的な感想の前半です。前日に放送された「最終回直前スペシャル」で、主演の鈴木亮平さんが「とにかく明るい戦いになる」と言ってらして、いったいどんな感じになるのかと思った最終回。鹿児島で西郷隆盛たちが立てこもり激しい戦場となった城山と、城下で陣を張る政府軍の首脳部と、大久保利通(瑛太さん)がいる東京の、3つの場面が入れ替わりに出てきてなんとも不思議な感じがしました。そしてたしかに、戦って死ぬために鹿児島に戻ってきた西郷軍の皆は、政府軍を相手にもうひと暴れしてやる!と意気揚々と勢いよく戦いに臨んでいきました。また城山での戦闘シーンは、政府軍側では近代化された銃や大砲での激しい攻撃があり、西郷軍側では特に桐野利秋役の大野拓朗さんの目の覚めるような殺陣もあって、ドラマの前半も後半も実に迫力がありました。それは大久保の東京での華やかな世界とは全く異なり、場面の対比がとても印象的でした。「新しい時代が大きなうねりとなって押し寄せてきた時、どうしてもその波に乗りきれない人がいるものです。父・西郷隆盛はあの大きな体で、熱い心で御一新から取り残された侍たちを、抱き締め、のみ込み、連れ去りました。」ナレーションであり西郷菊次郎役の西田敏行さんのセリフが、この最終回の全てを物語っていたと思います。明治10年(1877)8月17日、西郷隆盛(鈴木亮平さん)と生死を共にすると決めた者たちは政府軍の追撃が迫る中、俵野(宮崎県延岡市)の本陣を出て、故郷の鹿児島に向けて出立しました。「1日 西郷に接すれば1日の愛が生じ、3日接すれば3日の愛が生じる。 親愛の情は日々募り、もはや去ることはできない。 ただただ、生死を共にしたいのだ。」 ~西郷隆盛に従った者の言葉より。政府軍の見張りをかいくぐりながら、西郷軍は可愛岳~三田井~小林~横川と、鹿児島を目指してひたすら山中を進んでいきました。延岡を発って14日、山中を約450km歩いて西郷軍はついに桜島が目の前にある故郷・鹿児島の城山にたどり着きました。しかし眼下に広がるのは、城下に我が物顔で居座る政府軍でした。「おはんらと、もうひと暴れしよう」--西郷の言葉に皆は士気が上がりました。「ここはおいたちの庭じゃぁ!たやすく負けるわけにはいかんどー!」西郷軍は城山に砦を築いて政府軍とやり合い、政府の監視下にある私学校を襲い、故郷の鹿児島ではつらつと戦いました。しかし政府軍の圧倒的な攻撃力に加え、陸と海から駆けつけた大軍にも包囲され、西郷軍は山の上へと退却していきました。一方、片足を失って延岡に残った菊次郎(今井悠貴さん)は、政府高官である叔父の西郷従道(錦戸 亮さん)に保護され、母の糸(黒木華さん)と熊吉(塚地武雅さん)ともに鹿児島の家に帰ってきました。家族にどんな顔を向けたらいいのかわからない菊次郎に「胸を張れ!おはんは立派な薩摩隼人じゃ!」--川口雪蓬(石橋蓮司さん)の言葉が心に響きます。しかし息子の宗介が兄・隆盛に付いていったと知った琴(桜庭ななみさん)は弟の信吾(西郷従道)に、すぐに戦を止めるよう半狂乱になって訴えました。「小兵衛を討って、今度は兄さぁまで討つつもりか?!私は許さん!」雪蓬は「菊次郎が帰ってこれたのは信吾のおかげじゃ!」と琴をなだめますが、琴は怒りのままに信吾を激しく非難しました。自分の力ではこの戦を止めることなんてできず、信吾は自分にぶつける姉の激しい怒りをただ受け止めるしかありませんでした。家族に一礼して西郷家を去る信吾を糸が追いかけ、「信吾さぁもお覚悟の上で政府軍にとどまることを選んだのだから、胸を張って、自分のお役目を全うしてくいやんせ」と信吾に言葉を送りました。西郷軍は政府軍の猛攻により城山の山中に潜んでいました。西郷が城山に籠って20日余り、ここまで生き残った者は372人でした。明るい曲が聴きたいという西郷のリクエストで村田新八がアコーディオンで「ラ・マルセイエーズ」を演奏すると、皆は気分転換になったのか手拍子や歌や踊りで笑って盛り上がっていました。(曲と歌が合わないのがいい・笑)その頃、東京の大久保利通(瑛太さん)は、自身の長年の夢であった、日本の産業発展につながる内国勧業博覧会が始まる時を待っていました。その時ふと、吉之助(西郷隆盛)から託されたまま机の奥にしまってあったあの “Cangoxina(鹿児島)” の紙を見つけました。そして幼き頃の思い出とともに、吉之助が自分に「世界に負けん日本国をつくってくいやい」と託した言葉も思い出しました。そして鹿児島の政府軍本営では、西郷軍の包囲が完成して9日たつ、今こそ総攻撃を仕掛けるべき!、山県卿は何をためらう、という意見が飛び交っていました。しかし山県有朋(村上新悟さん)には「ここにおる者で西郷さんの厚意にあずからんかった者がおるか?」という思いがあり、簡単に決断できなかったのです。山県の思いを受け、川路利良(泉澤祐希さん)は「ならば使者を遣わし降伏を呼びかけましょう。条件は西郷先生以下、隊長連中の自裁」と。彼らに賊軍として戦死ではなくせめて名誉の死を、さらに友である桐野利秋の死を意味していました。そしてそのような話し合いがされていたとき、東京の大久保から電信で・・・鹿児島の政府軍に命令が下されました。「明朝4時、総攻撃を開始する。ただし本日夕刻5時までに降伏すれば、賊・西郷隆盛の命は助ける」。このような情けは受けられんと言う西郷に、桐野利秋(大野拓朗さん)以下城山に来た者たちは皆、西郷に「先生だけは生きてほしい」と必死に訴えました。その頃、東京の上野では内国勧業博覧会が開催されていました。鹿児島に命令を下した大久保は、博覧会で欧米の要人を接待していました。鹿児島での内乱を案ずるゲストに大久保は「もうすぐ戦は終わる、いや、日本から戦そのものがなくなる」と自信を持って答えます。そして西郷軍が降伏するのを期待して時計が5時になるのを待っていました。降伏までの刻限が迫り、城山にいる西郷軍の皆だけでなく、政府軍にいる弟の信吾も西郷が下す決断を待っていました。そして西郷は「この国から戦をなくすためにも自分は死ななければならない、自分が死ねば日本国中の士族たちはようやく別の生き方を見つけようとする、自分の死と共に新しい日本が生まれる」と皆に語ります。村田新八(堀井新太さん)も「吉之助さぁがおはんらだけを死なすわけがない」と。新八の言葉に「そんとおりじゃ」と、西郷は使者の文を破り捨てました。降伏の刻限が過ぎ、大久保は西郷が降伏を拒否したことを知ります。明日の朝、政府軍の総攻撃によって西郷を死なすことになると悟った大久保は呆然自失となり、側近が「ご挨拶を」と呼び掛ける声も耳に入りませんでした。ゲストの大きな拍手に迎えられて壇上に立った大久保です。しかし挨拶の言葉を述べながらも、明日命が絶たれてしまう西郷のことが胸をよぎり、涙が浮かんできます。「侍によってつくられてきた日本は今、大きく変わろうとして・・」自分がこれまで西郷と共に歩んできた様々なことが思い出され、演説ができなくなって途中で退席してしまいました。一方、明朝の総攻撃を受けて全員死ぬことになる西郷軍ですが、なぜか誰も悲壮感はなく、食事をしながら陽気に笑っていました。西郷はここまで自分に付いてきてくれた皆をねぎらい、そして侍じゃなくても今や十分な戦力となった政府軍の者たちを讃えました。「桜島を眺めながら死ねるここは最高の死に場所じゃあ!薩摩武士の本懐!」桐野や辺見や宗介が口々にそう言って盛り上がり、また新八はフランス女性との密かな恋を語り、この世での最後の夜を共に分かち合いました。(博覧会で流れていた音楽(ヘンデル作曲;『見よ、勇者は帰る』)がそのまま流れていて、晴れの舞台なのに悲しみをこらえきれない大久保と、夜が開ければ死ぬのに晴れ晴れとした者たちが同じ音楽で対比され、面白い演出でした)そして政府軍の総攻撃が始まる朝の4時となり、西郷軍は戦に不要なものを焼き捨てました。(新八のつぶやきは「 mon amour.(私の愛しい人よ)」です)。出陣にあたり西郷は「よかか!、おはんらが侍の最後を務めるんじゃ。日本の誇りじゃ!」と皆に最後の檄を飛ばし、皆も「おおーっ!」とそれに応えました。
December 18, 2018
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昨日の台風による雨が通過した後の、今日は爽やかなお天気最高気温は再び約34℃まで上がったけど、風はいくぶんか涼しいし、湿度も低かったので、過ごし易い一日でした。今日はバイトがないから、連れてちょっと遠出でも・・・♪と考えて、どこへ行こうかと朝からあれこれ調べていました安城市(愛知県)にある田んぼアートを今年のはまだ見ていないから、それを見がてら三河方面のどこかに寄ろうかと、考えていました。安城と岡崎の本多氏関連か、岡崎の大給城址&奥殿陣屋か。あるいは安城からR23号を進んだ西尾と吉良か。しかし今日は、つい先日までほどじゃないけど快晴でまだまだ暑い。立ち寄った施設でを車内で待たせることになった場合を考えると、やはり心配。結局、家を出るのが遅くなったこともあり、近場の 愛知牧場 と、その後は写真仲間の女子たちが東山動物園近くのカフェでやっている写真展を見に行くことにしました。愛知牧場に行きたかった理由は、牧場ならではの濃厚なソフトクリームが食べたかったからだから昼食を食べた後は甘いものは我慢。たまたまお昼に食べた麺のタレが辛かったので、本当に我慢でした行きは高速を使って東名三好ICまでイッキに一般道で行くと1時間半はかかるけど、高速を使うと30分ほどで牧場に着くのでラクです。でも我が家からの高速代が思ったよりかかったので、帰りは一般道でボチボチ帰ってきましたが。愛知牧場に着。 記念撮影用の洒落たベンチがいつの間にかできていました。個人的には、牛さんのベンチよりもミルク缶がツボです。今日はたまたま、結婚関連の撮影会をやっていました。新婦らしき女性がドレス姿で白馬にまたがってました。ただ私には、ヨソのお嬢様よりも、我が家のお嬢様のほうが可愛いです愛知牧場では今、キバナコスモスが咲いています。これを見るのも、ここに来る目的の一つでした。やはり今日は暑いので、戸外の動物たちは皆、日陰に隠れていました。でもこのヤギさんは、私が柵のところにきたら、起きて近寄ってきました。「この人、何かくれるのかな~」 と期待に満ちたお目目・・・というか、お口でもね、何もあげられないの。 ごめんね~~ひととおり牧場を廻り、この後はチビ子嬢と一緒にソフトクリームを食べる予定でした。しかしチビ子嬢が、自分よりも大きな四足動物(牛、馬、ヤギ、など)の気配で恐がってしまっていたので、やむなく彼女は車の中へ。ちょうど木陰の場所に車を停められて、ラッキーでした。濃厚なソフトクリームを食べる予定が、暑かったせいか、急遽ジェラートに変更。イチゴミルクとピーチ&マンゴーのWジェラートにしました。しかし!!、このピーチ&マンゴーのジェラートが、甘酸っぱくてすっごく美味また食べたくなりました愛知牧場では、このキバナコスモスの後は、ピンク系のコスモスが咲きます。一面ピンクで、また違った風景が楽しめます。その頃にまた来て、あのピーチ&マンゴーのジェラートを・・・(* ̄ー ̄*)♪
September 9, 2010
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実際には今日のお出かけじゃないけど、先日の散歩がてら 城山公園・スカイワードあさひ に寄ってきました。この城山公園は我が家からそんなに遠くなく、GW頃には藤の花が咲いてよい香りがするので、私はけっこう好きな場所です。そして城山公園というからには、昔ここにはお城がありました。新居城(または旭城)という名で、南北朝時代に南朝に属し、軍功をあげた水野良春の子孫の水野宗国が築いたお城です。(気になる方は、「尾張旭市 新居城」 で検索くださいね)で、ここを紹介する写真なのですが、このときは気合が入らなかったので、チョロっと撮っただけです。また気分が乗ったときに、お散歩がてら撮ってきますね。展望台に行くのが面倒だったので、3階の歴史民族コーナーだけ見てきました。入り口を入るとすぐに、この祭りの馬が出迎えてくれます。昭和初期まであった祭りで、鞍に御幣や造り物を立てて、馬具で飾った馬を社寺に奉献する行事だったそうです。今はもう、その祭りがないのが残念です。 地元の子どもたちが郷土を学ぶためのカルタです。織田信長が若い頃には、このあたりも馬の遠乗りで来ていたのでしょうね。そしてこの界隈は、小牧・長久手の戦いの戦場でした。戦国ファンにはワクワクする場所だと思います。 タワーの下に広がる公園で記念写真です。竹林の中には、こうした和み系の像も置いてあります。
March 21, 2013
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さきほど9時頃、チビ子の散歩に行ってきました。玄関を出て少し歩いて、ふと東の空を見上げたとき、空の低い位置に オリオン座 が出ていました。冬は星が美しい季節です。その中でもオリオン座は、特に目立ちます。今日はもう11月の半ば。私はオリオン座を見ると、冬の到来を実感します。この星座が空に見えるうちは寒い季節が続くのよね。太陽・月・星といった天体のものは、人間が移動すると一緒に付いてまわるように感じます。これからは夜の散歩のときは、オリオン座とずっと一緒なのね。毎日一緒だと、なんかストーカーのようにも思えてしまう変な私です。(^_^;)
November 16, 2004
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前回の日記の続きになります。明治時代の建物を集め、建造物だけでなく村全体を当時のように再現した 明治村 では、戦前のドラマを作るときによくロケ地となります。例えば私は見てなかったのですが、NHK朝の連続ドラマの 『花子とアン』 。先日NHKが明治村を紹介する特集をやっていたときに、ドラマで使われた各場面が紹介されてました。花子役の吉高由里子さんと蓮子役の仲間由紀恵さんが一緒に駆け上がってきた坂道と、女学校として使われた3丁目の 『北里研究所本館・医学館』 の建物。吉高由里子さんと仲間由紀恵さんが走って乗り込んだ市電。そして今年の正月に2日間にわたって放送されたドラマ『オリエント急行殺人事件』。嵐の二宮君がでていたやつです。これはじっくり見ていました。なので明治村が出てきたとき、「えー、あそこに二宮君が来ていたのー。」と、ホント驚きでした。2丁目にある 札幌電話交換局 の建物です。松嶋菜々子さんと沢村一樹さんがここから出てくるときに、二宮君が「すいません。」と二人に声をかけた場所です。参考までに、建物の位置関係はこうなってます。ちなみにドラマの後で、こんな日記を書いてました。 『オリエント急行殺人事件』 四季折々の植物がある明治村では、それぞれの季節の彩りを楽しめます。花の色も、木立の中にある苔の緑も、どれも美しいです。
April 28, 2015
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こちら名古屋の放送局で製作されているドラマの 『名古屋行き最終列車』 。私はこのドラマは2012年に放送されたときは見ていましたが、ふだんドラマはあまり見ないほうなのでこの後ずっと続いていたことに気がつきませんでした。しかし先月の2月20日に名脇役の大杉 漣さんが急逝され、そのときに流れてきたSNSで大杉さんがこのドラマに出演されてたことを知りました。そして今週月曜日の12日に、午後2時からメーテレで大杉さんの追悼番組として『名古屋行き最終列車』で大杉さんが出演された回の再放送がありました。残念ながら私はそれに気がつかなくて見てません。でもその日の深夜に 『名古屋行き最終列車 2018』 の第9話が放送され、それには間に合いました。ある日の最終列車に乗り合わせた者同士。何かのきっかけで言葉を交わし、それが人生のちょっとした物語になっているこのドラマです。大杉 漣さんが主役だった第9話はこんな感じでした。 ※あらすじは ⇒ ⇒ コチラ 番組の冒頭に、大杉漣さんへの追悼メッセージが流れました。背景はセントレア(中部国際空港)をつなぐ名古屋鉄道の列車です。今村武雄を演ずる大杉漣さんが、全力で子守をしています。今村がよく最終列車で一緒になる山本麻耶(黒川芽以さん)は、准看護師をするシングルマザーで、正看護師の資格がとれるまで今村の家に居候し、そして子守を今村が手伝っていたのでした。3年前にラーメン店を閉めた今村に、商店街と神宮小路の再開発のためにもう一度店をやってくれないかと会長が頼んでいます。しかし今村は、あのときけじめをつけたから店は再開しないと返事します。ところが飲み屋で偶然会った男が今村の顔を見て、昔自分はラーメンを食い逃げしたと告白し、あのときのラーメン代を今村に渡します。お金を受取った今村は飲み屋の厨房を借り、あり合わせの材料でラーメンを作って男に提供したら、男は泣きながら「美味い」と。自分の作るラーメンを喜んで食べる男の姿を見た今村は店を再開することを決意し、会長に伝えました。ドラマの舞台の神宮小路の他にも、大須商店街や円頓寺(えんどうじ)商店街など、まだ昭和の風景を残す地域が名古屋にはあります。夜の堀川を名鉄電車が通っていきます。遠くに名古屋駅前のミッドランドスクエアが見えて電飾の船がある場所。ここを探して名古屋の夜景を撮りに行きたくなりました。大杉さんはこうしてドラマで何度も名鉄電車に乗ってたのですね。そしてラーメン店を再開した日。開店して暖簾を出して店の外に出た今村が見たものは・・・今村のラーメン店「えん楽」が再開する日を待ちわびていた人たちが、開店前から行列をつくって待っていた光景でした。今村のことを誤解していた小夜子(石野真子さん)とも仲直りできました。ラーメンに満足したお客さんたちの笑顔を胸に、今村はいつもの最終列車に乗って家路に向かいました。そしてドラマで協力している名古屋鉄道では、先日の3月6日~13日までの間、大杉 漣さん追悼のための列車を走らせていました。それを撮った方が画像をUPしています。※ #名古屋行き最終列車 さて大杉 漣さんといえば、 『バイプレイヤーズ』 でも活躍をされてました。脇役に徹し、名脇役と呼ばれる方々の心意気や役への心構えなどを随所で感じるドラマでした。私は今年やってた第2弾は見てなかったので、昨年の“神回”とも言える第5回でご紹介します。 6人の名脇役さんたちがカッコイイ!~『バイプレイヤーズ』 この年齢の方々がなぜか高校生の制服を着るという設定でした。ドラマの撮影中に若い俳優さんたちにヤジを飛ばして進行を妨害する若者たちを、ベテランの大人たちが一喝して追い払いました。皆さん、制服を着るだけでなく、アイドルの女の子と一緒にこうしてダンスも一緒にやった回でした。バイプレイヤーズ〜もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら〜DVD BOX(5枚組) [ 遠藤憲一 ]再び『名古屋行き最終列車 2018』のシーンです。番組のラストでもう一度、大杉 漣さんへの追悼メッセージが流れました。そして私も。 大杉 漣さん、心よりご冥福をお祈りいたします。
March 15, 2018
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第17回の部分的な感想です。今回の話の中心は、幕府から追われる西郷吉之助が高僧・月照を必死にかくまって、なんとか助命しようとして、でもそれが叶わず月照とともに錦江湾に入水して果てる場面だったと思います。ただ私はそちらの場面よりも、鹿賀丈史さん演じる島津斉興が、ソリの合わない息子の斉彬を嫌ってはいたけど、薩摩藩や幕府を動かす器量があったのは認めていたこと、逆に久光は可愛い息子だけど異母兄・斉彬ほどの器量はないと認めていたという場面に感銘を受けました。主演の鈴木亮平さんは私の好きな役者さんです。でもまだ今は吉之助が歴史やこのドラマを動かす人物ではないので、出番は少なくてもピシリと決める、脇を固める皆さまの熱演を味わっていたいと思います。月照を連れて京を抜け出し、幕府の追手の目をかいくぐりながらやっとのことで薩摩の自宅に着いた西郷吉之助(鈴木亮平さん)。疲労と雨で弱りきった月照を休ませて温めるよう家族に頼みました。幕府に追われた長旅から戻った吉之助を待っていたのは、すっかり老いてボケてしまった婆さまでした。思えばこの婆さまは、夫、息子、自分が見染めて可愛がった嫁と次々に先立たれ、逆縁の悲しみに耐えてきた人だったのでした。一方、鶴丸城では島津久光(青木崇高さん)が亡き異母兄・斉彬(渡辺 謙さん)との約束を果たすために、父・斉興に願い出ていました。このドラマでの久光は兄・斉彬を慕い、野心もない性格のいい人です。久光は兄・斉彬がやろうとしていた率兵上京を自分が実現させると父・斉興に報告し、それを聞いた父はただ笑っていました。久光は父が喜んでいると思ったのですが・・・。紀州の徳川慶福(荒木飛羽くん)が第14代将軍・家茂となり、天璋院篤姫(北川景子さん)は家茂に挨拶をします。家茂は天璋院を母とは呼ぶものの、将軍継嗣問題のことから「母上は私をお嫌いだ。私は母上を信じられない。」と言います。政治と感情は別であることを、いつの日か理解してくれるのでしょうか。そして将軍継嗣問題で敗れたことで、幾島(南野陽子さん)はその責めを負って大奥を去り、京に戻ることになりました。しかし天璋院は、自分の帰る家はこの徳川だと、ここに残ると決めました。薩摩の家で休息ができた吉之助は、明日お城に上がって月照さまの庇護を進言するつもりだと大久保正助(瑛太さん)に言います。しかし正助は、江戸からご隠居様(斉興)が戻ってきていて状況が良くない、月照さまとともに身を隠すよう、吉之助に伝えました。吉之助が動けない分正助は、大事な友・吉之助のために動きます。妻・満寿の実家のつてで家老の山田為久(徳井 優さん)と対面し、なんとか吉之助と月照を助けてもらえないかと強く訴えました。そして山田は久光に進言すべく準備して対面に臨みました。「己の愚かさに呆れている」と言いつつも、ふと笑みがこぼれる山田は、いつも亡き殿・斉彬のそばで見てきた吉之助がどこか可愛いのでしょうね。現藩主の茂久(久光の嫡男)が「これからの薩摩は亡き殿(斉彬)の遺志を継いで」と言おうとしたとき突如、隠居していた島津斉興(茂久の祖父:鹿賀丈史さん)が現れました。そして斉興は家臣たちに、薩摩は幕府に恭順すると申し渡します。藩主である茂久の後見となって亡き兄・斉彬の遺志を継ごうとしていた久光でしたが、家臣たちは藩政で実績のある斉興に従ってしまい、若い藩主の茂久も「島津家取り潰し」の言葉に恐れをなしてしまいました。それでも久光は父・斉興に食い下がって、話が違うと強く訴えました。しかし斉興はそんな息子・久光に「お前では斉彬の代わりは務まらん。お前では兵を率いて戦っても御公儀には勝てない。」と厳しく言い渡しました。このときの悔しさが、幕末での久光の働きにつながるのでしょうか。月照と吉之助が「日向送り」になると正助から聞かされた郷中の仲間たちは悲しみのあまり憤り、切腹覚悟で殿に直訴するとまで言い出します。吉之助は皆の気持ちだけは有り難く受け止め、藩内で争いはせぬよう、戦う相手は異国に言いなりの幕府だと、考えを述べました。全てをあきらめ死を覚悟した吉之助ですが、大事な友・吉之助を救いたい一心の正助はあらゆる手段で助命の行動にでました。正助はまず密かに久光との対面にこぎつけ、久光に断られると今度は家老の山田を通じて藩内の実権を握る斉興との対面にこぎつけました。まもなく日向送りの迎えが来るであろう吉之助は、愛する家族たちとの最後の別れの前に江戸風のウナギ料理をふるまいます。これまで食べたことのない甘辛いウナギの味に家族は大喜びでした。ただ家族たちは、吉之助兄さぁが日向送りになったことは誰も知りません。「御公儀に恭順するために西郷を殺めると、亡き殿(斉彬)を慕っていた者たちの恨みを買って藩内に争いが起きる」という正助の進言を斉興は受け入れました。しかしその代わりに西郷に月照を斬るよう命じました。正助が自分と月照のために八方手を尽くしてくれたことに感謝しつつも、吉之助にはやはり月照を斬ることはできません。でも正助のために吉之助は、話を承諾したフリをしました。月照を斬ることで吉之助は自分が生き延びる道を選んだと信じた正助は、日向送りに出た船を見送りました。その夜、吉之助の家を訪れた正助は、吉之助が命よりも大事にしていた短刀(亡き斉彬から賜ったもの)が部屋に飾ってあることを熊吉から聞かされます。正助は吉之助が死ぬつもりで船に乗ったことを悟りました。自分たちはもう死ぬしかない。そう覚悟した吉之助と月照は、共に手を取りあって暗闇の錦江湾に身を投じ、死出の旅路へと向かいました。
May 8, 2018
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第19回の部分的な感想です。今回の前半は、島代官の田中を演じる近藤芳正さんの島民をいじめる憎たらしさと、田中の下で働く木場を演じる谷田 歩さんが、島民を守ろうとして西郷が事を起こさないように時には力vs力で必死に食い止めようとする場面に見入ってました。近藤芳正さんは2年前の『真田丸』では、要領のいいちょっとズルい先輩で軽くイラっとさせられましたが、「スルメ奉行」の一面で笑いもありました。『西郷どん』では徹底して嫌な人物ですが、特に今回は細かい表情の変化とか思わず注目してしまいました。そして終盤、島の娘・とぅまを演じる二階堂ふみさんが吉之助のことを好きになってた自分の心に気づいて、心のままに自分から行動を起こして吉之助に告白して~相思相愛で結ばれ吉之助の妻となって~の一連の流れは、とぅまの素直な心情がキュンとくるいい場面でした。島民たちの暮らしが知りたいと思う西郷吉之助(鈴木亮平さん)は自ら島民たちの仕事を手伝い、子供たちには自分の扶持米も惜しみなく分けてやって可愛がっていました。また吉之助は子供たちに将来のためにと手習いも教えていました。島の役に立とうと龍佐民に鉄製の歯車を薩摩に頼もうかと申し出たりしますが、佐民からは島の者にとっては贅沢品の握り飯を配ることも含め、もう余計なことをしないでくれと言われてしまいました。そんなある日、龍 佐民(柄本 明さん)のところに島代官の田中が突然やって来て、砂糖を隠している疑いで家の中を探しまくります。そしてワナにかけて、佐民と富樫(高橋 努さん)を連行していきました。代官附役の木場伝内(谷田 歩さん)が吉之助のところに来て、佐民と富樫が代官所に連行されたことを伝えます。理不尽への怒りですぐにでも代官所に行こうとする吉之助を、木場は「こらえてくれ、行かないでくれ」と説得します。実は木場は吉之助の正体を知っていて、自分は大久保正助から、西郷が一日も早く薩摩に戻れるよう島で騒ぎを起こさないよう見守って欲しいと託されていると語りました。(このシーン、身長187cmの鈴木亮平さんを力で抑える谷田歩さんは身長183cmで、無理のない配役です。)代官所では佐民と富樫が無実なのに自白強要で拷問されていました。木場の説得を受けて家でじっと待っていた吉之助のところにタケ(山下心煌くん)が大慌てで「大変じゃ!とぅまが・・」飛び込んできました。一体何があったのか?!--島代官・田中の仕打ちに我慢できなくなったとぅま(二階堂ふみさん)が村の皆を引き連れ、「佐民おじと富樫兄ぃを引き取りに来た」と代官所に押しかけていたのでした。吉之助は皆に「代官所破りは重罪、自分が薩摩の役人に訴え出る、ここは鎮まってほしい」と頼みます。しかしとぅまは、そんなのは信じられないと皆を引き連れ、代官所に押し入ってしまいました。(ここでも鈴木亮平さんと谷田 歩さんの力の押し合いがあり)代官の田中(近藤芳正さん)はとぅまに、自分のアンゴ(妾)になれば二人を助けてやる、もっといい暮らしをさせてやると迫ります。(無実の佐民たちを捕えた田中の本当の目的はとぅまだったようです。そして田中に抵抗するとぅまの気の強さを「ますます気に入った、可愛がってやる」って・・これって時代劇の悪役の定番のセリフかも)逃げられなくなったとぅまは自害を図りますが、寸でのところで吉之助が助けに来てくれました。(西郷どん、木場@谷田さんの壁を突破)そして吉之助は田中に、島の者たちを苦しめるのはやめてほしい、民が苦しんでいるならそれを助けるのが政だ!と進言します。しかし田中は、島の民が薩摩の民なら少しでも多くの砂糖を藩に納めるのが当然だと自分の非を認めないので、怒った吉之助は鎌を手に取り・・。その鎌で牢の鍵を壊しました。そして田中がひるんだ隙に島民たちが佐民と富樫を救いました。菊池源吾(吉之助)に対して怒りが収まらない田中は、薩摩へ上申書を送ろうと筆をとります。しかしそのとき木場が田中に宛てた大久保正助の文を持ってきて、それを読んでから薩摩へ文を書くかどうか考えてほしいと進言します。そしてこのとき田中は、菊池源吾が実は亡き殿のお庭方を務めていた西郷吉之助であると知るのでした。(このとき目が泳いでうろたえる近藤さんの演技が最高です)自分は菊池源吾(吉之助)のことが好きなのだと気付いたとぅま。夜になって吉之助の寝所を訪ね、「私はあなたが好きだ、私をアンゴ(妾)にしてほしい」と着物を自ら脱ぎ捨てて、吉之助に思いを告白しました。とぅまの告白を聞いて吉之助は、1年前死ぬことばかり考えていた自分が生きようと思えたのはとぅまに出会えたから、そんな女子をアンゴになどできない、おい(自分)の妻になってほしいと返します。とぅまは自分を大切にしてくれる吉之助の気持ちが嬉しくてたまりませんでした。そして佳日、吉之助ととぅまは婚礼を挙げ、とぅまは晴れて吉之助の妻に。日頃苦しい生活に耐えている島の人々だけど、めでたい日ぐらいは酒を口にして喜びを分かち合います。(でも吉之助どんはお酒がニガテ)島の皆が二人を祝福してくれました。佐民は吉之助が薩摩に戻ったらとぅまの幸せが終わってしまうと心配していますが、佐民の妻・石千代金は、そんなことはあの子はわかっている、ただ今はあの人のそばにいたいのだと、とぅまの幸せな笑顔を見守りました。島の人々とともに輪になって踊る吉之助どん。これは江戸での接待のときに( 第12回 )客人を楽しませていた顔芸がつい出たか?島の女は嫁にいったら名を変えるという風習に従い、とぅまは吉之助から「愛」という名をもらい、よい名だと、とぅま改め愛加那は大喜びです。(二階堂ふみさん、笑顔が可愛い♪)“愛”は 第6回 でジョン万次郎が薩摩の若者に残した“ラブ” の影響でしょうか。吉之助は愛加那に、これからは菊池源吾としてこの島で愛加那と共に生きると言うけど、先が見えてしまう愛加那はそれは無理だとわかっていました。でも愛加那は、そう言ってくれた吉之助に心から礼を言い、今この瞬間の幸せを二人でかみしめていました。
May 22, 2018
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2月の半ばになりました。この時期になると、こちらの地方ではTVのニュースで 国府宮はだか祭 の紹介が始まります。私も以前、祭り見物に行ったことがあります。それがいつのことだったか?と調べたら、2007年でした。もう9年も前のことでした。この祭りは最前列のいい場所で撮ろうと思ったら、かなり長い時間待つ覚悟が要ります。なのでその気力がない今は、もう行けないでしょう。あの時に思い立って祭り見物に行っておいてよかったです。このはだか祭は毎年、旧正月の13日に行われるものです。なので開催される日が毎年ばらばらです。私が行った9年前は3月2日でしたが、今年は2月20日に開催されます。ちょうど週末の土曜日だから、遠方からでも見物に来られる方があって大混雑しそうですね。でもたとえ大混雑しても、見る甲斐がある祭りだと思います。どうか当日は、今日のような快晴の青空でありますように。UPした画像は、2007年3月に行ったときのものです。以前アルバム形式で写真をご紹介して、現在では見られなくなっているものを再度UPしました。この日は午後1時半頃に国府宮神社に着きました。前日に奉納された、たくさんの大鏡餅です。儺追殿の中で、何かの儀式が行われていました。はだか男たちが集結しています。まだ春先なので、さすがにこの恰好では寒いです。皆さん、小刻みに脚を動かして身体を温めてました。神男が引き上げられる儺追殿の前です。身体のぶつかり合いの摩擦で怪我をしないよう水を出すのでそのテストをしています。(水浴びて寒さ倍増?)クライマックスを迎える一番いい場所なので、ここで神男に触りたい人は早くから来て待ってます。お祭りだし、寒さしのぎのためにも、ほとんどの方がお酒を飲んで身体を中から温めてます。まだ神男は登場してませんが、祭り気分が盛り上がって「ワッショイ!、ワッショイ!」と自然に掛け声が出てました。日が西に傾いた頃、待ちに待った神男が出てきたようです。摩擦で皮膚が怪我しないよう、手桶隊が思いっきり水をまきます。人の熱気で水が湯気になって立ち上ります。神男が儺追殿に近づくと、命綱をつけた神男の先輩たちが群集の頭上にダイブして、神男を迎えに行きます。しかし神男ははだか男たちに押し戻され、なかなか儺追殿に近づけません。ダイブした人は中の人に、引き上げを指示していました。
February 11, 2016
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10月になってから、私が見たいと思うTV番組がいろいろと出てきました。その一つが 『ドクターX 外科医・大門未知子』 。このドラマは今回が5作目で、私は初めての視聴です。今作出演する草刈正雄さんがブログで紹介されていたので、私も見てみることにしました。なんというか、これは現実の医療界ではまずありえんだろうな・・・と思いつつも、西田敏行さんをはじめ、演じる役者さんたちの実力でしょうか。うん、なんか面白いのです。ドラマの背景がわからないので上記リンクのページをずっと見てみたら、出演者の顔ぶれがすごいですね。制作サイドはいったい出演料をいくら払っているのかなんて考えてしまったくらいです。でもテンポよく興味を持たせてくれて、時々笑わせてくれるドラマなので、毎週木曜日の夜9時がくるのが楽しみになりました。番組のリンクはコチラ ⇒ ⇒ 『 Doctor-X 外科医・大門未知子』 ※NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』第41回は 録画できなかったので、感想日記はお休みしますドラマの感想サイトを見たら、ドラマの内容そのものよりも、「草刈さん、カッコイイ」だけの感想も散見しました。(私もすごく納得)こんなお茶目な顔してるけど、今回は主人公に敵対する役です。ジャーナリスト・一色辰雄を演じるこの方、どこかで見たと思ったら、『あさが来た』で主人公・あさの厳しい、でもダンディなお父さんを演じた 升 毅 さんでした。あらま、陣内孝則さんに遠藤憲一さんに段田安則さん。この光景、思わず「あ!、宇喜多さま、御屋形さま、滝川さまだ」って思っちゃいました。主人公の大門未知子が大嫌いという設定の蛭間重勝を演じる西田敏行さん。この『唯一無二』の歌詞「全ては我ら思うまま」が、なんか笑える~。蛭間院長の第2秘書の「ソンタ君」。ロボットながらご主人様の意向を忠実に忖度するそうです。画面がぐっと引き締まるベテラン俳優の存在感があります。この光景、「大御所さまと安房守が密談してる」という声が。また草刈さんのファンの中には「大門未知子(主人公)を凹ませてやって!」なんて声も。Dr.たちのヒエラルキー軍団の真ん中を、仕事ではいつでも強気で生きてる大門未知子が闊歩して突っ切っていきます。ただこのシーン、私は「病院内はヒールでカツカツ音を鳴らして歩かずに、静かに歩いてください」と言いたいです。
October 16, 2017
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一昨日の月曜日の夜に突然飛び込んできた一大ニュース。フィギュアスケートの浅田真央さんが引退を表明しました。TV,新聞、ネットなどの各メディアは昨日からこぞって、真央ちゃんの話題を取り上げています。真央ちゃんはよりハイレベルな技を美しく魅せてくれて、約10年の間に世界で輝かしい実績を残しました。常に至高を目指す真央ちゃんの姿勢には、フィギュアスケートのファンだけでなく、同じスケート仲間たちも深く感銘を受けました。ソチ五輪のときにはSPで大失敗したけど、いつも一生懸命な真央ちゃんだから、フリーに向かう前には世界のたくさんの仲間たちが味方してエールしました。そしてフリーで見せた、真央ちゃんの持てる力の全てを出し尽くしたあの演技には、世界中が感動して泣いて、心からの称賛を真央ちゃんに送りました。各国のメディアは感動と興奮で中継し、そして名だたるスケーターたちが感動のコメントを残しました。真央が世界チャンピオン(カナダ)物語の主人公は浅田、世界最高のスケーター(アメリカ)彼女が泣いている、私たちも涙が止まらない(中国)涙をこらえるのが大変だ。メダルがない彼女こそ本物の女王だ!(イタリア)真央ほど練習に取り組むスケーターは見たことがない。ロシアの選手でそんなことができる選手はいない。(ロシアのコーチ)バンクーバー五輪で真央ちゃんを指導し、真央ちゃんが可愛くて仕方がないタラソワ女史は、ロシア国内向けの放送で熱いコメントをたくさんくれました。私の可愛いマオ、がんばるのよ。がんばるのよなんていい子、なんていい子なの彼女は自分に打ち勝ったのよ! ありがとう、マオ。(タチアナ・タラソワ)そんな真央ちゃんは引退発表後、まずテレビ朝日さんが予定していた3時間の特別番組を、丸ごと「ありがとう!真央ちゃん」の特別番組に塗り替えました。いろいろな人のコメントを聞いていると、真央ちゃんが本当にたくさんの人に愛されているのを実感します。ロシアの皇帝プルシェンコは「ロシアの人々はマオが大好きだよ!」って言ってくれるし、ジュニア女王の本田真凜ちゃんは涙ぐみながらコメントしてました。織田君なんて、しゃべりながら泣きっぱなしだし。大先輩・伊藤みどりさんからはトリプルアクセルに挑戦し続けたことへの感謝があり、愛知県知事からも地元の誇りとメッセージがありました。 ⇒ ⇒ コチラ 今、真央ちゃんには国民栄誉賞の声が上がっています。本当に、フィギュアスケートを国民の人気スポーツにし、真央ちゃんに憧れてフィギュアスケートを習う子が増え、日本のレベルを底上げした功績は大きいですからね。是非、実現してほしいものです。真央ちゃんのこれからは、もう今夏にプロとしてアイスショーの仕事が始まります。引退しても、まだゆっくりはできない感じですね。ファンが待っているから、それでいいのかな?これからも活躍が楽しみです。昨日、4月11日、中日新聞の一面が真央ちゃんでした。4月11日の中の記事はこれでした。(大雨だったので新聞が少し濡れていました)今日、4月12日の記事でした。
April 13, 2017
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今朝なにげに見ていたTVで、ニューヨークのクリスマスの風景が映し出されていました。そして思い出しました!私も13年前の、ちょうどこの時期にNYに行ったことを。会社を休んでNYに行った理由。それは、私の大好きなTULIPが解散した後、姫野さんたちが当時『ALWAYS』というグループを結成してて、そのコンサートツアーでNYに行ったのでした。4泊6日のとても短いツアーでした。でも、NYまで行って本当によかったです。(*∩_∩*)だってね、・・・右が姫野さん。その隣りも元TULIPのドラムスの上田さん。こんなに近くで写真を撮ることができたのですもの。(*⌒O⌒*)これは日本からツアーで来たファンへのサービスで、約半日メンバーと一緒にNYを観光したときのものです。『自由の女神』像があるところです。海外旅行は何かきっかけがないと、なかなか行けないものです。だからこのとき、思いきってツアーに参加して本当によかったです。おっと。。そうそう、NYのクリスマスですね。サンタクロースが街を歩いてます。5番街のショーウインドウ。実際はもっと綺麗です。
December 23, 2004
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GWが明けた5月7日、バスツアーで静岡県島田市にある 蓬萊橋 を見てきました。以前どこかのスーパーで、会計後にもらった応募券で出したのが当たったようでした。行程の中にこの蓬莱橋があり、歴史が好きな私にとって是非見たかった場所です。そこでツアーに行ってみることにしました。「蓬莱橋に到着となりました。」と添乗員さんから案内が。橋の入口のところには、川の治水の歴史についての案内板がありました。ここでの見学時間は30分しかありません。バスを降りたら皆さんすぐに渡り始めました。(上)カエルさんの気持ちになって、橋を撮ってみました。(下)大井川の流れです。さて、この蓬莱橋。4月25日の夜、何気にTVをつけたら『嵐にしやがれ』をやっていて、そのときにこの橋が映りました。え?え?どうして?と思っていたら、ナント、櫻井君が一般人に変装して行動する「お忍び旅行」で、蓬莱橋を渡って、大井川鉄道のSLに乗って、満開の桜を見てくるという企画でした。うわー!GW明けに自分が行くこの場所に、櫻井君がいる♪私が行くときにはモチロン櫻井君はいないけど、櫻井君がここを通ったのか~と思うと、嬉しくてテンションUPで、橋を見る目が変わってしまいます。『世界一の長さを誇る木造歩道橋』 としてギネスブックに認定されている、約900mの長い橋です。30分ではとても往復できないので、この「ど真ん中」地点で私も引き返すことにしました。見学を終えてバスが出るときに、添乗員さんが「今、料金所の方に聞いた話では、嵐の櫻井さんが『嵐にしやがれ』のロケで4月10日に蓬莱橋にいらしたということでした。」とお話してました。料金所のおじいさんでも、どんなタレントかわかるなんて、やっぱ嵐のメンバーは超有名人なのですね。駐車場から見た、橋の全景です。蓬莱橋がどこにあるか場所が分かったので、またこちらに来ることがあったら、ゆっくり寄ってみようと思います。
May 10, 2015
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆先日ネットより注文した小太郎と康太郎の3歳の誕生日プレゼントが、夜に届きました。注文したのはコレです♪ペット遊宅 トンネル ベージュこのトンネルと一緒にマタタビボールも買いました。さあ~~、ふたりでトンネルを出たり入ったりして、夢中で遊んでくれるかな。まさお兄さんはどう反応するのかしら。なーんて期待しながら、包装を解きました。そしてみんなの反応は、こんな感じでした。 ↓ ↓ ★3歳の誕生日プレゼント★ 写真をクリックしてご覧くださいね。今日のピーナちゃん。朝に様子を見たときは、やはり脚を引っ込めていました。痛々しいです。もうこうなったら無理やりにでも病院に連れていかねば。そう思ったので、朝のバイトの帰りにホームセンターに寄って、捕まえる網の代わりになる不織布を買ってきました。これで袋を作れば、ピーナちゃんを傷つけることはないだろうから。明日朝すぐに捕獲できるよう、カゴも奥から出して用意しました。で、ピーナちゃんを見たら、あら・・??他の鳥と一緒にピョンピョン両足で跳ねてる!(張り合いのポーズ??)脚は大丈夫なのかなあ。。今日は昼間が暖かかったから、調子がよかっただけかもしれません。明日の様子次第では、捕獲して病院に行ってこようと思っています。ピーナちゃんのためとはいえ、私は思いっきり嫌われるだろうな・・。ピーナちゃんへの暖かい声援を、ありがとうございます。早くよくなって元気な頃の姿に戻ってほしいです。(これは昨夏の画像で、真ん中がピーナちゃんです。)Natsu&Kei
April 3, 2008
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今日の昼間はよく晴れていたので、風を遮ったガラス越しの室内は快適な温度でした。しかし今日あたりから寒くなるという気象予報のように、夜からぐっと冷え込みました。先ほどの夜の散歩に行ってきたのですが、フリース地の上着では寒かったです。いよいよ冬モードですね。さて、昨日 明治村 に行ったときに撮った写真をご紹介します。欧米の文明を日本が積極的に取り入れ、都市部ではほんの数十年前までの江戸時代とはガラリと風景が変わったであろう明治時代。その明治時代を再現した明治村は、周囲を山に囲まれて現代の建物がほとんど見えないこともあり、明治の時代を存分に味わえる場所です。1丁目の正門を入って左手すぐに、白くて目立つ 三重県庁舎 があるのですが、その向いに 鉄道局新橋工場 があります。これは一見すると工場のような倉庫のような建物ですが、その内部には豪華で気品ある列車が鎮座しています。そう、天皇、皇后、皇太后、皇太子のための特別な車輌であった御料車が展示してあるのです。ゆったりと心地よく座れる椅子だけでなく、内部の装飾や備品、そして車両そのものも、最高級の技術と芸術が集められた動く美術館といったところでしょうか。当時この列車に遠くから日の丸の旗を振った庶民は、内部がこんなに素敵な空間だったとは、想像もしなかったでしょうね。鉄道局新橋工場の中に入ったところです。左側が明治天皇御料車(6号御料車)で、右側が昭憲皇太后御料車(5号御料車)です。こちらは昭憲皇太后御料車の図説です。女官室にもこのように美しい装飾が施されています。御座所の内部です。椅子の背もたれの布に菊のご紋が入っているだけでなく、天井のランプシェードも菊の文様になっています。御寝室と御閑所(トイレ)の図説です。藤の文様(昭憲皇太后のご実家の一条家の家紋)が入った摺りガラスの奥には、漆の避箱(便器)が置いてあります。こちらは明治天皇御料車です。内部の装飾はもちろんのこと、車両の外装そのものも最高級の美しいものです。御座所の図説です。ちょっとした部分にも最高級の芸術が。これを任された職人さんは、さぞかし鼻が高かったでしょうね。ちなみに内部はこうなっているそうです。年に数回でいいから、一般公開してくれないかな。。。さて、私が撮っているのはせいぜい、落ち着いた場所に展示された動かない車両です。私の写真と歴史etc の先生でもある 侍大将まこべえさん が開設されているこちらのサイトには、本物のお召し列車がUPされています。 栄光の日本国有鉄道 ゴハチがいた時代 08 お召し列車 気軽にバシバシ撮れるデジカメとは違った、「この一枚」 にかける思いが伝わるかと思います。御寝室と、その向こうは御厠です。建物外の光がどうやっても反射してしまって、なんとも残念です。
November 16, 2011
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