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2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は織田信長(小栗旬さん)による比叡山の焼き討ちを背景にした展開でした。信長の命に背いて女・子供に情けをかけた兄・秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)。弟・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は兄から宮部継潤(ドンペイさん)の調略を任され、理屈では動かない姉のとも(宮澤エマさん)の説得に苦労しました。 それでもともの夫・弥助(上川周作さん)が「侍になったからには」と考えることができる人だったのが助けになりました。後半で小一郎がともに「百姓だった昔とは違い、わしらは民を守る側になった。」と侍という地位の現実を諭し、夫の弥助も「わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。」と、自分たちは織田家の重臣の身内なのだと妻を諭して、ともがようやく受け入れた部分には静かな感動がありました。 調略成功の結果、信長から切腹を言い渡された兄を助けました。そしてラストで、万丸(小時田咲空くん)を迎えた宮部から、万丸が母・ともからの言いつけを守って宮部家で頑張っていると聞かされたときは、感動が大きかったですね。父母のもとにいるときは甘えて弱虫だったけど、環境が変わり自分の立場を幼いなりに理解したとき、急にしっかり者になる。現代でも子供が幼稚園・小学校・中学校と上がっていく段階でよくあることかなと思いつつ、ラストで泣かせてくれたな~、いい話を聞いたなと思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇元亀元年(1570)6月28日、近江で織田・徳川の連合軍と朝倉・浅井の連合軍が激突した姉川の戦いは織田・徳川の勝利となり、小谷城に戻った浅井長政(中島歩さん)は多くの家臣たちを失ったことを悲しみ悔やんでいました。妻の市(織田信長の妹;宮﨑あおいさん)は気落ちする長政に、いつまでも悔やんでいてはその者たちが浮かばれない、その者たちの死を無駄にしてはいけない、と言葉をかけました。市の言葉を聞いた長政は、信長がなぜこれほど強くなったのか今わかった、市がそばで信長を支えていたのだと理解しました。 一方、織田信長(小栗旬さん)は落城した横山城に入って一息ついていました。すると重臣たちが城の蔵にあった酒や肴をみつけて持ち寄り、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は信長に楽しんでもらおうと猿踊りをし、慰労の宴会を皆で楽しんでいました。信長は傷心ではないかと案じた秀吉は厠に立つ信長を追いかけましたが、信長はその心遣いは受け取りました。そして信長は秀吉に、自分は明日、岐阜に戻るが戦支度が整い次第またすぐに浅井を攻める、それまでこの横山城を死守せよ、そして(小谷城より約4.5km南にある)宮部城の城主・宮部継潤(ドンペイさん)を調略するよう命じました。 義に厚い宮部には駆け引きは通用しないだろうと考えた秀吉と小一郎は、村人に変装して継潤のいる寺を訪れました。戦場で見覚えがあった二人の変装を見破った継潤は人払いをし、命がけでここに来たことに免じて話を聞くことにしました。秀吉と小一郎は挨拶の後、信長がまたすぐに浅井を攻めに来る、そうなれば浅井に勝ち目はないから織田に味方するようにと、継潤に話をしました。 継潤は、信長は好かぬが、自ら出陣はせずに一乗谷でふんぞり返るだけ朝倉義景はもっと好かぬ、実は迷っていると二人に本音を語りました。そして寝返りの条件として秀吉の子を自分に差し出すよう要求しましたが、秀吉に子がいないと聞くと「近しい身内の子」で構わぬと言いました。 まだ子がない秀吉と小一郎にとっていちばん近しい身内の子といえば、姉のとも(宮澤エマさん)の長男の万丸(小時田咲空くん)しかいませんでした。しかし形式上は継潤の養子でも事実上の人質です。そんなのはともが許すはずもなく、ともの夫の弥助(上川周作さん)にも頼めそうにないことで、二人は頭を抱えました。 そのころ越前の朝倉義景(鶴見辰吾さん)と近江の浅井長政は比叡山延暦寺の天台座主・覚恕(黒田大輔さん)のもとを訪れ、自分たちに味方するよう頼んでいました。信長を嫌う覚恕は快諾し、手始めに織田方の宇佐山城(滋賀県大津市、延暦寺より南に約4.2km)を討つことにしました。元亀元年(1570年)9月、宇佐山城を守っていた森可成(水橋研二さん)は朝倉の急襲を受けて討ち死にし、その報を聞いた信長は激しく怒り、直ちに出陣するよう命じました。織田軍は比叡山を取り囲んだものの、比叡山に立て籠った朝倉・浅井軍とは膠着状態になり、山で暮らしていた女・子共たちは庇護を求めて寺に逃げ込み、そのまま2か月がたちました。長政は女・子供だけでも逃がしてやりたかったのですが義景はそれを許しませんでした。 さて岐阜の木下家では、小一郎はから万丸の件を聞いたともが怒り狂って暴れ、手が付けられませんでした。小一郎はともに、この調略がうまくいけば浅井との戦を終わらせ多くの者が助かる、宮部は万丸を大事にしてくれる、と説得しましたがともは市と浅井長政のことを例え、先のことはどうなるかわからない、絶対に嫌だと怒って立ち去りました。万丸の父である弥助も本当は万丸を手放したくありません。でも弥助は、侍ならば我が子を人質に出すことも従わなければならない、それが嫌なら百姓に戻るしかないと考えていました。 そんなところに兄・秀吉が戦場から戻ってきました。秀吉は小一郎と弥助に、将軍・足利義昭の働きかけにより戦は和睦になった、もう宮部の調略もしなくてよい、万丸の人質は無しになった、と皆で喜び合っていました。 しかし岐阜城に上がると、和睦を望んでいない信長は秀吉に激しく怒りました。柴田勝家(山口馬木也さん)が進み出て、このところ諸国での一揆が激しくてあのまま比叡山に釘付けになっていたら我らも危なかった、と秀吉をかばいました。それでも信長は、まもなく雪が降れば朝倉・浅井も領地に帰ることはできなかった、どうやら将軍・義昭が陰で朝倉・浅井を助けているようだ、と疑って明智光秀(要 潤さん)の前にきて光秀に返答を求めました。信長に気圧されながら光秀が義昭への疑いを否定すると信長は、これで気の煩いもなく比叡山の俗物どもを一掃できると言い、この先我らに従うかどうか、従わなければ女・子供も皆殺しとなる旨の書状を延暦寺に送りつけるよう命じました。その従わなかった場合の皆殺しは織田に刃向かうとこうなるという見せしめであり、それを光秀に命じました。信長の苛烈な命令に思わず息を吞む重臣一同。しかしそのとき秀吉が自分もその命令を受けると進み出たので、信長は光秀と秀吉の二人に命じましたが、ただし、しくじれば自分たちの命もないと心得よ、と念押ししました。 軍議の後で秀吉と二人きりになったとき小一郎は、なぜあんな命令を自ら引き受けたのかと兄に詰め寄りました。秀吉は、延暦寺には逃げ込んだだけの者がたくさんいる、せめてその者たちだけでも逃がしたい、と言いました。小一郎が、軍目付が目を光らせている中でどうやって殿・信長にばれずに逃がすのか!?と問うても秀吉は答えられません。秀吉は、ただ一つだけ、自分が侍になったのは無情に人を殺めるためじゃない、とはいえ殿に逆らうことはできん、と言いました。 秀吉は、此度は自分に何かあっても助けんでいい、その代わりに宮部継潤を必ず調略するよう頼みました。殿は浅井討伐をあきらめてはいない、万丸を預けて宮部を調略できなければこの先また戦で無駄な血を流すことになる、ともを説得できるのは小一郎だけだ、頼むぞ!と伝えました。 夜になり、小一郎は義兄・弥助と二人きりになり、万丸の件を頼もうとしたら、弥助は昼間の話を聞いていたとのことでした。弥助はいたって冷静でした。そして小一郎のほうを向き、思いを伝えました。「わしは侍になってよかったと思っている。このような暮らしができるのも秀吉はと小一郎のおかげだ。感謝している。侍ならば子を手放さねばならぬのも覚悟の上だ。万丸には立派な侍になってもらいたい。だがお腹を痛めて産んだともの気持ちはわしら男には計り知ることはできぬ。どれほどの悲しみか。でも最後にはきっとわかってくれるはずだ。お前の姉様は肝の据わった女子だから。わしはそこに惚れたんだ。」そう言って弥助は少し微笑んで涙をこらえていました。 元亀2年(1571年)になり、ついに比叡山の総攻撃の日がきて、秀吉と光秀は出陣しました。織田軍と僧兵たちとの激しい攻防が続きます。お堂に隠れていた女・子供たちは攻め寄せる織田軍にただ怯え悲鳴をあげるだけでした。秀吉にはやはりこの者らを斬ることはできず、信長の命に背くことになるけど、逃がしてしまいました。 そのころ小一郎と弥助は、ともとの話し合いを重ねていました。小一郎は姉のともに、子のいない自分にはいくら考えても姉様のつらい気持ちはわからぬと詫び、それでも説得を続けました。「わしらはもう百姓ではない。侍なんだ。わしら家族は守られる側ではなく、守る側になったのだ。一人でも多くの者が助かる道を選ばなければならない。人質などなくとも皆が笑って生きられる世をいつか作ってみせる。わしらはそういう侍にならねばならぬ。」母のなか(坂井真紀さん)と妹のあさひ(倉沢杏菜さん)も同席する中で小一郎は、昔とは違うということを切々と訴えました。 納得なんかできないけど、ともの頬を涙が伝っていました。夫の弥助も涙を流しながら思いを語りました。「わしは侍になってこれまで何をしたということがない。でもそんなわしらの子が多くの者の命を救えるのかもしれん。わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。誰にでもできることではない。その姿を見守ろうではないか。」 小一郎は「万丸のことはずっと見守り続ける。どうかわかってくだされ。」と言い、弥助は二人で土下座をしました。弟だけでなく夫にも説得され、そして母・なかが「万丸もまたいつか一緒に暮らせる(意訳)」と言い、ともはもうこの件を受け入れるしかないのだと悟りました。 比叡山では建物に火が放たれ、命を奪ってしまった無抵抗の者たちの亡骸を前にして、光秀は呆然と立ちすくんでいました。比叡山でのことを光秀が京の二条御所にいる将軍・足利義昭(尾上右近さん)に報告すると義昭は、人の所業とは思えぬと言って光秀を外道呼ばわりしました。光秀が詫びながら、信長は我らを疑っている、信長の目は欺けない、義昭との約束を果たすためにしたことだと訴えました。自分のためにそのようなことをさせてしまったたのかと思った義昭は、光秀に自分のもとに戻ってこいと命じて去りました。 後日、岐阜城では信長が光秀の働きを褒め、近江国志賀郡の領地を与え、城持ち大名としました。そして命令違反をした秀吉に切腹を申し付けたとき、小一郎がしかさず「お待ちください!」と進み出ました。小一郎が「お連れいたせ!」と言うと宮部継潤が現れ、信長の前に進み出てました。小一郎が「元・浅井家臣」の宮部継潤と紹介し、宮部が信長に挨拶をしました。宮部は、小一郎の情理を尽くした話に心を動かされて織田の配下になろうと決めた、木下家が身内の子を自分に預けてでもという覚悟を見せてくれたからには自分も約束を守らねばならない、と信長に考えを述べました。 小一郎は信長に、兄は見事に殿の期待に応えた、どうかこれを以って比叡山でのことはお許しください!と訴えました。信長は、それとこれとは別と言ったのですが、かつて比叡山の僧だった宮部が秀吉をかばう発言をすると、信長もようやく秀吉を許す気になり、秀吉をじろりと見て「此度だけだ」と切腹の命令を撤回しました。小一郎だけでなく光秀の目にも安堵の涙が浮かんでいました。 万丸が宮部のもとに行って3か月がたったある雪の日。木下家に宮部が来ていて、小一郎は万丸の父と母である弥助とともを紹介しました。ともは宮部の前に進み出て、万丸に渡してほしいと綿入りの腹巻を差し出しました。宮部が快く受け取るとともは、それから万丸が眠れないときは、それから・・と思いつくまま伝えようとしました。他家に行った弱虫の我が子がただ心配でならない母の姿でした。宮部は優しく受け止め、万丸が養子に来てからの三月、ただの一度も泣いていない、時折り寂しそうな顔は見せるけど懸命に耐えている、と様子を伝えました。「一人でも泣かぬ。強くならねばとおっか様からそう教わったのだと、万丸はあなた様の教えをちゃ~んと守っている。」とともに伝えました。万丸は自分の教えを守っている、宮部家で本当に大事にされているのがわかったともは宮部に「よろしくお頼み申します。」と心から頭を下げました。 そんなころ京の二条御所では将軍・義昭が三淵藤英(味方良介さん)から、光秀が近江の坂本に城を築き始めたとの報告を受けていました。光秀には自分のもとに戻るように命じたのに、光秀は信長の意向に従い城持ち大名になろうとしている。義昭は庭に降りて刀を抜き、信長がもつ力への腹立たしさと悔しさで、藤戸石を思いっきり刀で斬りつけていました。 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May 1, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は1570年の姉川の戦いでの物語でした。織田・徳川軍は浅井・朝倉軍に押されていたけど、徳川家康が榊原康政に命じて朝倉軍の側面から攻撃させてそれで朝倉軍が総崩れとなり、まず朝倉が、次に浅井が敗走していった、というのが一般に言われる話です。それをこのドラマでは、徳川家康(松下洸平さん)の判断で朝倉の側面を突いたのではなく、織田信長(小栗旬さん)が密かに家康に命じていた(しかも家康は弱腰で逃げたという偽の情報を流して)という展開でした。同じ歴史上の出来事でも、いろいろな解釈ができて、違った展開をつくれるものなのですね。 それとこのドラマでは、家康の側近として登場するのが(今のところ)石川数正(迫田孝也さん)だけなんですよね。家康が出てくれば徳川四天王と言われる「酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政」も一緒にいることが多いけど、ここではあえて後年、秀吉と深く関係する数正だけになってます。 あまりにもありえない展開は見ていてしらけるけど、脚本の八津弘幸さんは「そういう解釈もあったか」と思わせてくれる方のようなので、迫田孝也さんがどんな数正を演じることになるのか、興味が尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は越前の朝倉義景を討伐するために出陣しましたが、途中で浅井長政の謀反に遭い、越前の金ヶ崎城から命からがら京まで戻ってきました。信長を京に逃がすためにしんがりを務めた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は負った傷と疲れから、無事に戻れた信長の顔を見るなり安堵から気絶して、ずっと眠ったままでした。妹のあさひ(倉沢杏菜さん)が岐阜から看病に来ていて、あさひから自分が8日間ずっと寝ていたと聞かされた秀吉は飛び起きて、すぐに岐阜の信長のもとに向かいました。 そのころ岐阜城では帰還した信長のもとで、実は将軍・足利義昭から命じられて来た明智光秀(要 潤さん)が新たに織田家の家臣となっていて、家臣の皆に挨拶をしていました。 信長はすぐに折り返しての朝倉・浅井討伐に備えるために、木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に鉄砲の手配がどうなっているのかを問いました。浅井長政に嫁いだ市(信長の妹;宮﨑あおいさん)の身を案じる小一郎は、鉄砲の玉薬を作る硝石が手に入らないため準備にまだ時間がかかると報告しました。信長は硝石の手配を佐々成政(白洲迅さん)に命じ、鉄砲が揃い次第、浅井を攻めて討ち滅ぼすと皆に言い渡しました。 そのとき小一郎がたまらず進み出て、うかつに攻めれば市の身が危ないと進言しました。小一郎は「そんなことはわかっている」と信長だけでなく他の重臣たちからも厳しく叱られ、柴田勝家(山口馬木也さん)から長政は市を離縁して織田に返そうとしたが市自身がそれを拒んだのだと仔細を聞かされました。 その浅井長政(中島歩さん)は、市を織田に返すと言ったもののやはり市にそばにいてほしいと願っていました。長政の思いを知った市は自分も胸の内を隠しておけなくて「実は私はあのとき金ヶ崎の兄・信長に・・・」と言いかけたのですが、長政は市の身を案じて「言うな。」と止めました。そんなところに重臣の宮部継潤(ドンペイさん)が来て、織田の間者を捕らえたと報告しました。庭に引き出されたその者は市に信長の危機を報せたあの若い侍で、信長は裏切りを決して許さない、たとえ身内でも!と言い、市に向かって哀れな女子よ!と罵りました。それを聞いて市が何か言おうとしたら長政は市の手を握り「あの者は市を守ろうとしている」と市を止めました。そして若い侍はその場で斬られました。 信長は市が長政を選んだから容赦しないと言い、小一郎はそれは殿(信長)を助けるために浅井に残った、和睦を!と訴えました。しかし信長は、京から岐阜に戻る途中で六角に襲われた、あれは浅井の裏切りに呼応したもの、ここで和睦をしたら六角のようなやからが次々と出てきて誰も自分に従わなくなる、だから織田を裏切った者の末路は地獄だと世に知らしめる、と言いました。 ではどのように浅井を攻めるかとなったとき、京で療養中だった秀吉が突然、軍議の場に現れました。秀吉は前に進み出て策を進言しました。小谷は近江きっての堅牢な城だから力攻めは無理、まずは浅井の根城を一つずつ潰す、と言ったら竹中半兵衛(菅田将暉さん)が懐から絵図を出して広げ、説明を始めました。 まず浅井方の苅安城と長比城(どちらも滋賀県米原市)を調略し寝返らせる、これで岐阜と京を結ぶ道が保たれ幕府からの援軍が呼べ、小谷を攻める際の背後の憂いもなくなる、横山城は小谷を守る要の城、ここは力攻めで攻め落とす、というものでした。 半兵衛の策に感心した信長は、長政は横山城を見捨てないから城から出てくる、直ちに取り掛かれ、時がたてば朝倉の援軍が駆けつける、その前に決着をつける、と家臣に命じました。 岐阜の屋敷に戻った秀吉は身内や側近の皆と軍議に入りました。小一郎だけでなく秀吉も小谷にいる市の身を案じていて、戦にならないよう苅安と長比の調略で時をかせぎつつ浅井に使者を送り降伏させよう、和睦ではなく降伏ならば信長も納得するであろうと考えていました。しかし苅安城と長比城は半兵衛がすでに調略済みであり、時をかけたとしても浅井が降伏するとは思えない、と半兵衛は考えていて、秀吉がそんなの嫌だと言ってもどうにもなりませんでした。小一郎は、なんとしても市だけでも織田に戻るよう説得するしかないと考えましたが、姉のとも(宮澤エマさん)は、すでに姫が生まれた市が子と別れるのは無理だ、と小一郎に意見しました。 そのころ岡崎城では徳川家康(松下洸平さん)のもとに信長から6月19日までに参陣するよう文が届いていました。側近の石川数正(迫田孝也さん)はすぐに支度を!と立ち上がるのですが家康は動かず、自分が間に合わなければ信長はどうなるのかと家康は考えていました。数正が、浅井だけなら織田が優勢、でも朝倉が援軍に来たら徳川なしで織田は勝てない、と意見しました。家康は数正が我が意を得たりとばかりに、そういうことを信長にわかってもらいたい、と信長を試すつもりでいました。 一方、京の二条御所では、信長の援軍要請に対し将軍・足利義昭(尾上右近さん)は援軍を出さないことにしました。今は我らの身を守ることが第一、信長は我ら幕府の後盾があればこそ大儀を掲げられる、わしは信長の強さを信じている、それが義昭の考えでした。 元亀元年(1570)6月19日、戦支度が整った織田軍は北近江に向けて進軍を開始しました。織田軍は半兵衛が調略済みの苅安城と長比城を通過し、横山城を一旦通過して小谷城の目の前の虎御前山に陣を構えました。 小谷城内では軍議が開かれ、長政は横山城の様子を気にしていて、宮部継潤はまだ攻められていないと報告しました。遠藤直経(伊礼彼方さん)は、ならば小谷城と横山城で織田軍を挟み討ちにすべく討って出ようと言い、宮部はそれは何かの罠だと慎重論で意見が分かれました。長政の父・浅井久政(榎木孝明さん)は、まもなく朝倉の援軍が来るからそれから動けばいいと家臣たちをなだめました。しかし長政は本当に朝倉の援軍が来るのかを疑っていました。 秀吉は市に織田に戻るよう、柴田勝家を通して何度も文を出していましたがいっこうに返事がなく、勝家も苛立っていました。小谷城内にいる市は侍女から織田が虎御前山に陣を構えたとの報せを聞き、兄・信長がすぐ近くにいることを知りました。秀吉の文は市の手元に届いていて、侍女は秀吉の言うとおりにしたほうがいいと進言しましたが、市は信長が出陣するときの「敦盛」を笛で奏でるだけで動きませんでした。 信長は横山城に討って出ると決め、皆に出陣の下知をしました。横山城が織田に取り囲まれたと報を受け、遠藤はすぐに出陣をと主張し、宮部はこれは罠だと再び意見が対立しました。そのときに朝倉の援軍が到着したのですが、来たのは国主の朝倉義景ではなく一門衆の朝倉景健(重岡漠さん)でした。その夜、長政は横山城を救うべく出陣しました。 夜が明け、信長の陣に徳川家康が到着しました。家康は信長に遅参を詫び、武田に備えていたと言い訳しましたが、信長の怒りは相当なものでした。信長の近習に取り囲まれ、信長には嘘が通用しなかった恐怖から土下座して詫びて許しを乞う家康。信長はおびえる家康の目の前に来て何か伝えたようでした。徳川の陣に戻った家康は、わざとの遅参が信長にばれたと数正に話し、自分はこれから姿を消す、そうでなければ信長に殺されると言って数正に後を託して消えました。 元亀元年(1570)6月28日、早朝、姉川を挟んで対峙した浅井・朝倉軍1万3千と織田・徳川軍2万1千の双方が川を渡って動き出し、戦が始まりました。(姉川の戦い)両軍の激突は凄まじく、戦場であっても敵の命を奪うことにまだためらいがある小一郎に秀吉は「今ここからは生き延びるために戦うのだ。」と言ってきかせ、木下隊も戦場に駆け出しました。乱戦のさ中、兄・秀吉を助けるために敵を斬った小一郎でしたが、すぐには動揺が収まりませんでした。 激戦は続き、やはり地の利からか浅井・朝倉軍が優勢でした。織田の陣営では、家康が敵ではなく信長を恐れて戦場から逃げたという噂が広まっていました。次々と押し寄せる敵兵。小一郎は生き延びるために、何も考えずに敵を倒していきました。その敵兵の中に恐ろしく強い者が現れ(浅井家家臣・藤堂高虎;佳久創さん)、秀吉と小一郎と蜂須賀正勝(高橋努さん)の3人がかりでもなかなか倒せませんでした。 一方、徳川軍も朝倉軍に押されていて、指揮を執る朝倉景健はこのまま一気に攻め込み信長の本陣まで突き進むよう命じました。徳川軍の不利な状況を見て信長の側近たちは戦場から消え失せた家康の行方に苛立っていましたが、信長はいたって冷静でした。「これでよい。頃合いじゃ。」信長はそうつぶやきました。 そのとき家康率いる徳川軍本隊が突然現れ、朝倉軍を側面から攻撃して朝倉軍は総崩れとなりました。実は家康は信長に遅参を詫びたときに信長から、戦場から一度姿を消し、合戦のさ中に機を見計らって敵の横っ腹を突くよう、信長から指示を出されていたのでした。家康の本隊が来るまでの間、石川隊だけでなんとか持ちこたえた数正はようやく安堵できました。 形勢が逆転し、迫りくる徳川軍を見た景健は全軍に退却を命じて逃げていきました。長政が浅井軍も撤退かと考えていたら側近の遠藤直経が駆け寄り、もはやこれまで、長政の御首級をもらうと長政に言いました。秀吉と小一郎と蜂須賀はまだあの強者と戦っていましたが、突如戦場に長政にを討ち取ったとの声が響きました。主君を失って男は泣き崩れ、それから戦場を後にしました。 長政を討ち取ったというのは本当か?と秀吉たちが考えていたら、先ほど長政の兜首を持って自分たちの前を通っていった男の兜を思い出した小一郎は、あの男は長政の側近だと気が付きました。小一郎は急ぎ男(遠藤)を追って信長のもとに駆けつけ、遠藤が信長の前に来たときに叫びました。見破られた遠藤は刀を抜いて信長に襲いかかろうとしましたが、信長にの側近たちにその場で討ちとられました。 直後、浅井の全軍が撤退していると報が入りました。信長は、追う討ちは無用、我らの大勝利だと判断。勝鬨をあげるよう皆に命じ、「エ~イ、エ~イ、オ~!」の声が幾度も姉川の戦場にこだましました。ただ秀吉と小一郎は勝利を気持ちよく祝うことはできず、先ほどまで双方が死闘を繰り広げた姉川の河原に足を運びました。累々と横たわる敵味方の死体、血で赤く染まれる川。生き延びるために必死で戦うしかなかったけど、その後に残ったものは地獄だと、二人は言葉を失い涙しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 23, 2026

先日、ちょっと名古屋に出る用事があり、そのついでに名古屋の栄にあるNHK放送センターで開催されている 大河ドラマ「豊臣兄弟!」全国巡回展 に行ってきました。 この全国巡回展は期間は1週間と短いですが、ドラマの資料が無料で見学できるというのがうれしいです。また来場記念として御朱印代わりの、秀吉・秀長・信長・家康のスタンプがありました。台紙もちゃんとおいてありますが、中には御朱印帳を持ってみえる方もありました。名古屋は今日で終わってしまいましたが、まだこれから開催される地域の方は、興味があるなら行ってみるのをおすすめします。(上記リンクにスケジュールがあります)夏以降に開催される地域では、おそらくドラマ後半の資料も展示されると思います。 放送センター1階にパネルやドラマで使った小道具が置いてあります。役者さんたちの等身大パネルや、メッセージツリーがありました。ドラマで使われた小道具で、これのときの場面を思い出してしまいます。同じ小道具でも、地元の名古屋に関するものだとよけいに興味がわきます。豊臣秀吉と豊臣秀長に関する資料です。ドラマの製作に関する話がいろいろあります。スマホでのアンケートをして記念品をもらいにいきました。NHKのどの番組かはわかりませんが、昭和の風景に惹かれてパチリ♪アンケートの記念品です。クリアファイルが2つ入っていました。
April 19, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は秀吉を演じる池松壮亮さんの演技に本当に感動でした。 ドラマの序盤、織田信長(小栗旬さん)に金ヶ崎からの撤退を進言する場面では、刀を自分の足に突き刺すなどのあまりの無茶はあったものの、その後の演技には思わず画面に見入り、何度もテーマになった戦国ドラマだからもう感動はないだろうと思っていたら、久しぶりに涙がうるっときました。 秀吉は仕える信長が本当に好きで好きなのです。明日の命があるかどうかもわからない戦国時代。秀吉は自分が偉くなって家族や縁者に楽をさせてあげたいという思いはあったでしょう。でもそんなことよりなにより、自分が男惚れした信長という大将に命をかけて仕えたいのです。「殿さえ無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」序盤のシーンでは、そんな秀吉の思いがありありと伝わってきて、信長役の小栗旬さんもあれは本当に自然に泣けたのではと思いました。そしてラストでは、生還した秀吉が、信長が無事で元気である姿を見て安堵し、嬉しさで涙があふれました。あの顔を見たときも私は思わずうるっときてしまいました。 その後で秀吉は、単なる精神的・肉体的な疲れが一気に出ただけではない、ろくな手当をしないままの強行軍で悪化しただろう足の傷が原因で、その場で倒れてしまいました。京の選りすぐりの名医と薬師を隣室に待機させていた信長。「安心せい。お前は死なせぬ。」信長にとっての、これは心からの言葉でしょうね。 いろいろ見てきた戦国ドラマだけど、脚本の八津弘幸さんが今までにない魅せ方をしてくれるので、これからも楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は朝倉義景を討伐するために越前に向けて出陣しましたが、途中に陣を敷いた金ケ崎城で味方の浅井長政(妹・市の夫;中島歩さん)が謀反をしたとの報を受けました。 柴田勝家(山口馬木也さん)は、長政が今にも出陣する勢いだと忍びの報告を伝えましたが、信長は全く信じようとしません。勝家が市からの陣中見舞いだと託された和紙でくるまれた小豆を信長に渡しても、竹中半兵衛(菅田将暉さん)が結んである袋の両端は織田軍が袋の鼠になっていることを市が知らせていると言っても、信長は長政を微塵も疑っていませんでした。 たまらず木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)が進み出て包んであった和紙を見るとそれは白紙で、小一郎は以前に市とやりとりしたことを思い出しました。そしてこの白い和紙は市からの文で、市が夫・長政と兄・信長の間で苦しんでいて、まさに長政の謀反の証だと、さらに市は兄を救うために命がけでこの文を託した、だからここは一刻も早く逃げてほしいと強く進言しました。 家臣たちからこれだけ進言されてようやく長政の裏切りを悟った信長は、怒りのあまりこのまま直ちに兵を返して浅井の小谷城を攻める、と言い出しました。さらに信長は、背後から朝倉が追ってきても一歩も退かぬ、浅井・朝倉を根絶やしにする、総攻めの支度を!と命じました。 すっかり冷静さを欠いた信長を明智光秀(要 潤さん)が諫めようとすると信長は光秀を公方(将軍・足利義昭のこと)の犬と言い、此度のことも公方が仕組んだことでは?と光秀を疑いました。 するとそのとき庭で控えていた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)が大声で叫び、一同の耳目を集めたかと思うと、刀を抜いていきなり自分の足の甲に刀を突き立てました。秀吉は主君・信長に、うっかり傷を負ったと詫び、足手まといだから自分がここに残ると告げました。秀吉は信長に「戦において最も大事なのはいかに勝つか。次に大事なのはいかに負けるか。この戦は残念ながら我らの負け。朝倉の追手は自分がくいとめるから、殿はその隙に京に戻ってほしい。」と切々と訴えました。そしてひときわ声を大にして「殿さえ無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」と必死に信長に訴えました。 秀吉の涙ながらの訴えに信長は心を動かされ、目に涙をためて自分の鎧を脱ぎ捨てました。「京へ帰る。」と皆に告げ、秀吉には「二刻でよいから朝倉をくいとめよ。二刻たったらすぐにわしの後を追ってこい。京で宴の支度をして待っておる。」と命じました。それから自分の鎧を秀吉に渡し、全軍に引き上げを命じました。信長を説得するために自ら大けがを負った秀吉に、徳川家康(松下洸平さん)は手当のための塗り薬を渡していきました。でもそれは実はただのかゆみ止めで、家康は側近の石川数正(迫田孝也さん)と二人きりになったとき、秀吉が名乗りをあげなければ徳川ががしんがりとなって生きて帰れぬところだったと本音をもらし、急ぎ退却していきました。 皆が退却をして、残った秀吉が傷の手当をしていると朋友の前田利家(大東駿介さん)が来て、自ら申し出た強者揃いの前田の兵を残していく、と伝えてくれました。利家の去り際はいつもの喧嘩でしたが、秀吉は利家の背中に一礼しました。 小一郎は撤退しようとしていた明智光秀に、先ほどの信長の非礼を詫び、信長と将軍・義昭が仲違いせぬよう間に立って配慮してほしいと乞いました。しかし光秀の返事は断りで、ここを生き延びて自分で二人の仲をとりなせ、と小一郎に言い去っていきました。 秀吉の傷はかなり深く思わず悲鳴をあげるほどでした。でも秀吉は自分のことより長政に裏切られた信長の心の傷を心配し、さらには市の身の上を案じていました。しかし自分たちが今やらねばならぬことは織田全軍を無傷で京に帰すことだ、と小一郎は改めて皆に言いました。 では、どうやって残った2千の兵で二刻を持ちこたえるのか。秀吉の軍師の竹中半兵衛は「力のある敵に一丸となって戦えばまとめて討たれるだけ。時を稼ぎたいなら兵を数段に分けて代わる代わる退く。今いる2千の兵も戦が始まれば逃げ出し、まともに戦う兵は800とみている。地の利を生かして補うしかない。」と言います。半兵衛がここまでの道々の地形やどこに何があるかをできるだけ記していたという絵図を広げました。小一郎は半兵衛に、こうなることを予見していたのかと問い、蜂須賀正勝(高橋努さん)も、なぜもっと早く言わなかったと問うと、半兵衛は「言っても誰も信じないと思った」と。半兵衛は、浅井の裏切りはあり得ると思って先を考えていた、策はある、と言って皆に指示をしました。 早速、朝倉を迎え討つ準備に取り掛かりました。その一つが竹と藁で作った人形で、こんなものは敵が近くにくればすぐに見破られるものですが、何かすがる物があれば味方の兵も弱気にならず逃げ出さない、というのが半兵衛の考えでした。秀吉と小一郎と半兵衛が櫓で3人だけになったとき、小一郎は浅井の裏切りの予見をもっと早く知らせてほしかった、自分は聞く耳持たぬことなどしない、もっと自分たちを信じてほしい、と半兵衛に思いを伝えました。秀吉も、自分も同じ思いだ、どうせ誰も耳を傾けぬなど寂しいことは言わんでほしい、お主の言うことは何でも信じる、と半兵衛の肩を抱いて気持ちを伝えました。この兄弟は信じてもいいのだとわかった半兵衛は、次からはそうすると言いました。でも半兵衛が「だだし次があれば。」と付け加えたその視線の先には、自分たちに近づいてくる朝倉の大軍がありました。 燃え尽きるまでに二刻かかる松明を皆で持ち、自分が敵を引き付けてやると意気込んで笑う蜂須賀の言葉を聞いた小一郎は「生きるために無茶をするのだ!」と皆を鼓舞しました。「作戦開始じゃあ~!」小一郎の号令で皆が動き出しました。 半兵衛の作戦は、数が劣る我らはできるだけ狭い場所で敵を迎え討つ、それぞれに兵を分け罠を仕掛けて敵を待ち受ける、というもので、半兵衛が敵の追手を引き付ける囮の役目は…と言いかけたとき小一郎が「それは自分だ。」と言いました。「此度は兄・秀吉のせいで退却のしんがりとなり不満を持つ兵もいる。だからしんがりのしんがりは弟である自分が務めねば。」と考えていて、半兵衛もその通りだと答えました。兄・秀吉は弟・小一郎なら大丈夫だと信じていました。半兵衛の作戦は次々と展開していき、前田利家の兵も一緒に働いてくれました。 そのころ織田信長と側近たちは敵の目を欺くために馬を捨て、琵琶湖の西側の山中を這う這うの体で歩いて進んでいました。一方、京の二条御所では将軍・足利義昭(尾上右近さん)が側近の三淵藤英(味方良介さん)から、義昭が選んだ元亀の年号を朝廷が認めたと報告を受けていました。とはいえ信長が気に入らない元亀の元号をどうしたものかと思っていたらそこに急使が来ました。使いから信長が京に戻らぬ可能性が高いと聞いた義昭は急に強気になり、元号を元亀とすると三渕に伝えました。 追手と戦いながら逃げている秀吉と小一郎たちは、さすがに体力も気力も限界に近づいていました。そんなとき彼らの目の前に現れた旗印は、敵方の浅井長政が率いる兵でした。策を問われた半兵衛は「もはや策はない。一丸となって死に物狂いで戦うのみ!」と皆を鼓舞しました。 全員で乱戦となり、動きが少し止まったときに奥から長政が馬に乗って出てきました。小一郎は長政に、今ならまだ間に合う、市のためにもどうか信長と和睦してほしい、と懇願しました。 しかし長政がだした答えは、鉄砲隊を前に出す号令でした。銃口が秀吉たちに向けられ、長政が「放て~!」と指揮した瞬間、秀吉たちは「もはやこれまで!」と思いました。しかし銃声が響いた次の瞬間、倒れたのは浅井の兵たちで、不思議に思った小一郎が見上げると上方に明智光秀が指揮する兵たちが銃を構えていました。 そう、光秀は浅井を押しとどめるためにしんがりを命じられ、光秀は「すべて我らが追い払った。もはや織田殿を追う者はいない!」と状況を力強く言ってくれました。そのときちょうどあの二刻の松明の炎が消え、蜂須賀が二刻たったと皆に伝えると歓声があがりました。 秀吉は叫びます。「これで誰も殿(信長)に追いつけぬ。我らは殿を守ったのじゃ!守りぬいたのじゃ~!」小一郎が長政に叫びます。「我が殿は逃げ延びましたぞ!これ以上戦っても無駄に死ぬ者が増えるだけ。ここはお引きくだされ!この戦はわしらの負けじゃ。でも勝ちに等しい負けじゃ~!我が殿が生き延びたからには必ず浅井に報復する。せいぜい気を抜かぬことじゃ!」 ただそんなことを言ってたらまた朝倉の兵が秀吉たちを追いかけてきたので、もう逃げるしかなくなりました。小一郎は兄・秀吉に背中を向けておぶる態勢をとり「よくぞこれまで痛みに耐え抜いた。」とねぎらい「乗れーっ!!」と命じました。秀吉も実は限界で「小一郎、死ぬほど痛い。」と泣き顔で、動き出すときは義兄・弥助(上川周作さん)と義弟・甚助(前原瑞樹さん)が秀吉を運ぶ馬になってくれました。 「ここからはただひたすら、逃げて逃げて、逃げまくるのじゃーっ!」秀吉は全軍に号令をかけました。長政は追撃の態勢をとらず、信長がすぐにでも小谷に攻めてくることを予想し、戻って備えることにしました。 京の二条御所の義昭のもとに、信長が息を切らしながらボロボロの姿で帰ってきました。信長は庭に土下座して朝倉討伐が失敗に終わったことを詫び、義昭は戻らないと思った信長が戻ったことで動揺しながらも、ねぎらいの言葉をかけてしばし休むよう言いました。しかし信長は、すぐに態勢を整えてすぐに討って出ると言い、血走った気迫に満ちた目で義昭を見上げました。 一方、なんとか逃げのびた小一郎たちは今にも倒れそうにな足取りで信長がいる京の妙覚寺に入りました。敷地に入ったとたん皆は崩れ落ち、でも生きていることを互いに喜び合いました。門が開いて松永久秀(竹中直人さん)が出てきて、秀吉と小一郎にすぐに信長のところにくるよう言いました。 信長の部屋では鼓の音が響き、中で宴が開かれていました。秀吉は信長の無事な姿を見て嬉しくて泣き笑いました。信長は秀吉に近寄り、戦の土産話を聞かせよと言って盃を取らせ、秀吉は一気に酒を飲み干しました。しかし秀吉が話をしようとしたら、それまでの緊張がとけたのか、傷の痛みと疲労で倒れこみ意識がなくなりました。信長は隣りの部屋に控えさせていた医師と薬師を呼びました。「安心せい。お前は死なせぬ。」金ヶ崎から自分を生かして帰すために満身創痍となった秀吉への、信長の愛情でした。 一方、小谷城では長政が帰還し妻の市(宮﨑あおいさん)に兄・信長が無事だったことを伝えました。そして市を見つめ、市を織田に返すと言いました。また金ヶ崎での秀吉と小一郎のことを明智光秀から報告を受けた義昭は、あの二人を自分のものにするのはどうやら難しいことだと理解しました。その代わりに光秀が信長の家臣となり、織田の動きを逐一自分に知らせるよう命じました。そして今まで秀吉のことを軽んじていた家康はこの金ヶ崎でのことで、秀吉と小一郎を心底恐れるようになりました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 16, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回はタイトルが「疑惑の花嫁」となっていて、まあ意味としては主人公・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に嫁いだ慶(吉岡里帆さん)のことなのでしょうが、私としてはやはり、中盤以降の金ヶ崎につながるほうに興味がわきました。 小谷城の城主であっても若さゆえか、重臣たちや父・浅井久政(榎木孝明さん)や朝倉の使者の朝倉景鏡(池内万作さん)を押し切る力のない浅井長政(中島歩さん)。 長政にしたら織田信長(小栗旬さん)は心から愛する妻・市(宮﨑あおいさん)が大事に思う兄だから、義理の兄弟としていい関係でいたいでしょう。信長もまた長政には無理させぬよう、逃げ道をつくりながら提案していきます。 しかし小谷城に戻ればそんな甘い考えは認められず、特に朝倉景鏡が笑った能面のような顔で迫ってくるときは、長政も気迫負けしたように感じました。 さて来週はいよいよ金ヶ崎からの脱出です。手柄を挙げたい松永久秀(竹中直人さん)がどう動くのか、竹中半兵衛(菅田将暉さん)の知恵と絵図がどう働くのか。興味の尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄12年(1569)主君・織田信長(小栗旬さん)の命により木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は美濃三人衆の一人だった安藤守就(田中哲司さん)娘の慶(吉岡里帆さん)を妻に迎えました。兄の木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は、これで美濃衆と尾張衆の絆がゆるぎないものになると賛成でした。しかし慶の良くない噂を耳にしている妻の寧々(秀吉の妻;浜辺美波さん)は小一郎が心配で反対。ただ当の小一郎は、この縁談は自分の望みだと考えていました。 数日後、慶が小一郎のもとに嫁いできました。木下家の一人一人の名を呼んで挨拶をする慶に木下家の男どもは好感をもちました。小一郎と慶が奥に入ると、隣に住む前田利家(大東駿介さん)が木下家の庭に入ってきて、慶に関する話を始めました。慶の前夫は斎藤家の重臣だったが稲葉山の戦いで討ち死にした、慶にとって織田は仇であり、斎藤側の敗因は慶の父・安藤守就が織田に寝返ったことによるもので、しかもそのきっかけを作ったのは小一郎だ、と。 その話を聞いて秀吉は、先ほど慶が挨拶したときに「この巡り合わせに感謝している。」と言ったことを思い出し、それがどういう意味なのかとさすがに小一郎が心配になりました。秀吉と寧々は小一郎たちが奥でくつろいでいるところに急いで乗り込み、小一郎を毒殺するつもりか?と慶を責めました。兄夫婦が突然やってきて言い出したことが理解できない小一郎が問うと、二人は慶の過去と小一郎を恨んでいることを話しました。しかし小一郎は驚くこともなく慶をかばい二人を追い出しました。 兄夫婦が去った後、小一郎は慶に優しく接しました。しかし慶は小一郎に「私は貴方が織田の侍だということが許せない。父が美濃を裏切ってさえいなければ、貴方が余計なことをしなければ夫は死なずにすんだ。私の心は織田には渡さない。」と激しく憎悪をぶつけました。小一郎は慶が自分を許してくれるまで何も求めん、自分を大切にせよ、とだけ穏やかに思いを伝えました。 さて岐阜城の信長のもとには明智光秀(要 潤さん)が来ていて、将軍・足利義昭(尾上右近さん)への信長の力添えに対して礼を述べていました。信長がその後で、義昭が元号を改めるよう朝廷に奏上したと耳にしたことを言うと光秀は、幕府の権威を元に戻し長く続くことを願って「元亀」としたい、と義昭の意向を伝えました。しかし信長は快諾するどころか「わしは好まぬ。他のものにせよ。まさかわしに何の相談もなく勝手に決めてから事後報告ではあるまいな?」と威圧的に言いました。そして光秀に、この元号の件と、これより諸国大名とのやりとりすべてを自分に相談することを義昭に伝えるよう念を押しました。永禄13年(1570)信長は義昭に対して五か条に及ぶ要求を送り、二条御所では室町幕府の奉公衆の細川藤孝(亀田佳明さん)らが信長が増長していると猛反発していました。和田惟政(玉置孝匡さん)は、信長がいなければ義昭を守れないと慎重でしたが、奉公衆の間で激論になりそうだったので義昭がそれを止めました。義昭は皆に、今回は信長を大目にみてやろう、五か条は自分の意思で受け入れる、と言い渡しました。しかし皆が下がった後で光秀と二人きりになったとき、義昭はそれまで抑えていた怒りと悔しさが爆発しました。信長が庭に据えた藤戸石を力いっぱい刀で打ち据え、刀が折れた後で光秀に刀の使い方を自分に教えるよう言いました。 近江の常楽寺に来ていた信長は、義弟の浅井長政(妹・市の夫;中島歩さん)と何番も相撲を取って、自分と亡き弟の信勝とのことを思い出していました。信長は気持ちを改め、今回の出陣の意図を長政に伝えました。我ら織田は将軍・義昭から石山城の武藤友益を討てと命があり若狭に出陣した、武藤は裏で朝倉と通じている、此度の出陣の真の狙いは朝倉討伐だ、それでよいな?と。 嫡男の万福丸を朝倉に人質に出している長政は快い返事ができず、浅井と朝倉は古くからよしみがあり、その討伐には異を唱える家臣もいることを信長に言いました。しかし市をめとったときからこのように織田と朝倉の間で自分が板挟みになる日が来ると覚悟していたから討伐は存分にやってほしい、と言いつつも迷いは隠せませんでした。 長政の苦悩がわかる信長は、此度の戦は浅井は近江を動かずに後方の守りに務めよ、織田に加勢しなければ朝倉もやすやすと万福丸の命をとるまい、万福丸はいずれ我ら織田が救い出す、市が我が子のように可愛がっている万福丸を見殺しにしたら後で市にきつう叱られる、と長政に配慮しました。そして信長は、この戦が終わったらまた相撲を取ろうと言い、長政も次は自分が勝つと言って、二人で笑い合いました。 永禄13年4月、出陣した信長は京の二条御所に入りました。信長は義昭が淹れた茶を飲み、次は自分が義昭をもてなすと言いつつ、まずは成すべきことがあると付け加えました。一服の後、庭に面する障子を開け放つとそこには武将たちが集まっていました。信長は兵たちを鼓舞した後、総勢3万の軍勢を率いて若狭に向けて進軍を開始しました。 秀吉は途中、徳川家康(松下洸平さん)の陣を訪ね、家康に挨拶をしました。「熱意が人を動かして勝負を決する」と授かったあのときの金言を今も胸に刻んでいる、自分がここまでこれたのもあの言葉があったから、と家康に思いを伝えました。家康も、真に立派になられた、と秀吉の出世を褒めましたが、実は秀吉と小一郎のことは全然覚えていなかったし、自分があのとき何を言ったのかも覚えてなかったのでした。 小一郎が陣地で仕事をしていると大和多聞山城主の松永久秀(竹中直人さん)が訪ねてきました。松永は小一郎に、嫁を取ったそうだが離縁しろと言い出し、戸惑う小一郎にお構いなしに、自分の娘を小一郎に嫁がせて織田との関わりを深めたかった、小一郎の他にちょうどいい独り身の男がいない、妾でも構わぬから娘をもらってくれ、と一方的に言いました。小一郎が夫婦になってまだひと月もたっていない、ご勘弁をと言うと松永は娘のことはあきらめたようでした。そして、ならば此度の戦で武功を挙げて信長の目を引くしかないと考え、此度の戦は織田が有利だと楽観的な小一郎に、「戦というものは蓋を開けてみなければわからない。よく覚えておけ。」と忠告をして出ていきました。 そのころ小谷城では城主の長政が信長との約束を守ろうと、此度は動かぬと家臣たちを説いていました。しかし重臣の宮部継潤(ドンペイさん)は、信長の出陣は若狭攻めと見せかけて朝倉攻めをしようとしているのは明白だと強く意見し、遠藤直経(伊礼彼方さん)も「これは我々浅井への裏切りだ。」と強い言葉で長政に意見しました。長政が、信長は義昭の命で出陣せざるを得なかっただけだと言っても遠藤は、信長は己に従わぬ大名を幕府の名を借りて滅ぼすつもりでは?と考えました。 長政が、とにかく此度は動かぬ、織田にも朝倉にもつかぬ、と家臣たちに言い渡したとき「そういうわけにもいくまい。」と父の浅井久政(榎木孝明さん)が入ってきました。長政が父に、これは当主だる自分が決めたことだから意見は無用に、と言うと朝倉一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)が入ってきました。 景鏡は長政を見据え「我ら朝倉が敵に攻めこまれているのを黙って見過ごすつもりか?何もしないのは盟約を破っているのと同じ。」と言いました。長政が景鏡に、今からでも遅くないから朝倉も幕府に従い上洛を、と言うと景鏡は長政の言葉を遮りました。行くあてのない義昭をずっとかくまってきたのは我ら朝倉、その恩を忘れ信長にそそのかされて我らを攻める、道理が通らぬのは幕府のほうだ!と景鏡が怒りを込めて言いました。 すかさず父・久政が「何を迷っておる!万福丸を見捨てるつもりか!」と厳しく言うと、長政の説得はこれで決まりだとばかりに景鏡が近寄り、「今、我らが手を組めば信長と幕府軍を一網打尽にできる。」と意見しました。続けて遠藤が、これこそ天が与えてくれた千載一遇の機と言い、長政が返す言葉につまっていると父・久政が今度は市(宮﨑あおいさん)のせいかと言い出しました。長政は怒って反論しましたが久政は、市はしょせんは信長の妹、腹の中では何を考えているかわからん!と一方的に言い、景鏡はさらに市の身を脅かすようなことを言いました。激怒する長政を景鏡は、万福丸は見捨てても市は助けたいのかと煽るように笑い、ではどうするかを今この場で決めるよう、長政に迫りました。廊下でこのやり取りを聞いていた若い侍はすぐに立って市の侍女の部屋に走って手短に内容を伝え、話は侍女を通じて市のもとにもたらされました。 信長率いる幕府軍は若狭の乱を鎮めた後、その勢いに乗じて朝倉方の城を次々と攻め落としていき、越前の金ヶ崎城に陣を置きました。重臣の柴田勝家(山口馬木也さん)は、ここから一乗谷へは一日で行ける、我が軍はほとんど無傷だ、と勝利を確信しており、他の重臣たちも同様でした。信長は重臣たちに、今宵は英気を養いゆっくり休むよう皆に伝えよ、明朝、日の出と共に一乗谷に向かう、と命じました。 その夜は信長からのお許しもあり、兵たちは皆で酒を飲んでくつろいで楽しんでいました。しかし一人、竹中半兵衛(菅田将暉さん)だけは机に向かい何か書き物をしています。半兵衛は「明日、生きるために」ーーそう言ってここまでの道のりとその周辺の地形を絵に描いていました。 酒盛りに興じる兵たちとは別に、信長は秀吉と小一郎を呼び出し「一乗谷に乗り込んだらやってもらいたいことがある。」と言うと、万福丸を助けることだと秀吉はすぐに察しました。秀吉は「お任せを!必ずや!」と自信をもって返事しました、しかしそのとき勝家が急ぎ信長のもとに駆けつけ「たった今、我が忍びから報せが!浅井長政、謀反!」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 10, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は全体的に登場人物のそれぞれの心情描写が多い回でした。私が気になったのは織田信長(小栗旬さん)の行動。妹・市(宮﨑あおいさん)浅井長政に嫁いでからというもの、会うこともなく、送られてくる文も既読スルー状態。 市はあれだけの覚悟をもって浅井に嫁いだのだから、今どきの感覚では、ふつうに考えたら冷たい兄に思えます。でも時は戦国。市がいつまでも実家の織田家とやり取りしていたら、周囲の者たちに怪しまれて市の身が危うくなるかもしれません。あるいは純粋に、長政と早く打ち解けるよう、妹・市の幸せを願って距離を置いていたかもしれません。 でもとにかく妹は自分に怒っている。それがわかっているから癒し役として秀吉と小一郎をこっそり連れていったあたりは信長らしい優しさだと思いました。 とはいえ、急用で座を外した長政に「何かある」とピンときて、おそらく久政の部屋の外で立ち聞きぐらいはしていただろうし、あえて中に入って部屋にいた面々を確認し、要件だけ伝えたらさっさと退散。そして「ぐずぐずしていたら討たれる」と本能的に直感し、秀吉と小一郎を連れてすぐに小谷を後にしました。 信長のこの「身の危険を感じる直感」と「その後すぐに行動に移す早さ」ーーこうした危険回避能力が信長の強さだったのかな、とも思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄12年(1569)1月、将軍・足利義昭(尾上右近さん)が襲撃された本圀寺の変で敗北した三好三人衆は京を退きました。堺の会合衆は織田信長(小栗旬さん)に服従することを決め、あれこれ理由をつけて出ししぶっていた2万貫をすぐに用意し、他の用もなんでも承るという低姿勢でした。 京では信長が義昭のために二条御所を造営し、天下人の石とも言われる藤戸石を信長が陣頭指揮を執って運ばせていました。石が御所の庭に置かれ、信長はひざまずいて義昭に言います。この石は諸国より多くの武将が集まり、およそ3千人が義昭のために石を運んだ、そして1万人以上の人夫が昼夜を問わず働き続け、わずか3か月でこの二条御所を完成させた、義昭の威光を世に知らしめた、これが肝要なのだ、ということを。 義昭は信長に労いの言葉をかけ、これからも守ってほしいと言いました。しかし信長が去ると義昭は明智光秀(要 潤さん)に、自分は信長の言葉を信じていないと本音を言いました。そして光秀も、この御所内には何か所か隠し部屋や抜け道をがあることを報告し、どうするかを義昭に尋ねました。義昭は、今は動くな、他の武将たちの信長への反発が高まったときに自分が将軍として動くと言い、光秀も承知しました。 このたびの京での働きにより木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は信長から京都奉行に任ぜられました。兄・秀吉が京都奉行のことを何も知らずに引き受けたことを木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)はあきれ顔、しかし秀吉はこれで丹羽長秀(足軽のころから世話になってきた人)や明智光秀と肩を並べることができると意気揚々としていました。 京都奉行の役目については竹中半兵衛(菅田将暉さん)が、「幕府の名の下、京の都を治め、民の訴えを裁き、商いの是非を定め、公家との談判、寺社の取り締まりなどがある。」と教えてくれました。 さっそく寺の僧たちが、寺の宝物や室礼の数々が勝手に持ち出されて御所に飾られている、返してほしい、と訴えました。丹羽は対応できずに逃げ、新米奉行の秀吉が対応がわからず困っていたら光秀が、この件は自分が義昭に直々に伝えると言ってその場を収めました。 京都奉行になったものの百姓あがりの秀吉は貴人の教養など何も知りません。公家たちとの付き合いのために秀吉は和歌・蹴鞠・茶道など、小馬鹿にされながらも必死で取り組みました。それに対して京での公家との付き合いを難なくこなす光秀を、秀吉は感心して褒めました。逆に光秀は、足軽からわずか10年で織田家の重臣になった秀吉を大したお方だと褒めました。 秀吉がすべては主君・信長のおかげだと言ったとき、光秀は義昭が「秀吉と小一郎を自分のものにしたい」と言っていたことを思い出し、京の公家相手など秀吉には不得手な役目、あえて公家たちの笑い者になれとは酷い話だ、と信長を強く批判しました。秀吉が真顔になって信長を悪く言う者は誰であっても許せぬと言うと、光秀は詫びました。そして自分が義昭と出会ったときのことを語りました。 自分はたまたま明智の家に生まれ家督を継いだだけの男で、秀吉のように己の力で何かを成し得たのではない、美濃を追われて10年、自分は何のために生きているのかずっと考えていた、そんなとき義昭に出会った。義昭が「これも御仏の巡りあわせだと思う。我が命はこのときのためにあったのだ。力を貸してくれ。」と言ったとき、光秀も自分もこのときのために生きてきたと思えた、義昭に救われた、と語りました。 そして光秀は、将軍・義昭を支えて幕府によって世の静謐をもたらすことが自分の天命と心得ている、このことを信長に伝えてほしい、と力強く秀吉に言いました。 光秀の義昭への思いを聞いて胸が熱くなった秀吉でしたが、京都奉行の役目はやはり性に合わなくて疲れていました。小一郎に役目を代わってくれと頼んでも、小一郎も自分の役割で手一杯だからだめでした。秀吉は気分転換と称して京の町を見回ってくると言うけど、それは嘘で行先は京女のところ。小一郎は兄の嘘を見破って引き留めていましたが、結局は自分も一緒について行ってしまいました。 そのころ岐阜の木下屋敷では、寧々(秀吉の妻;浜辺美波さん)のところにまつ(前田利家の妻;菅井友香さん)が遊びにきていて、二人で互いの夫の自慢合戦をしていました。まつが秀吉は京で女遊びをしているかも?と意地悪を言うと、寧々は内心は不安になっていました。 それから数か月、秀吉と小一郎は京都奉行の仕事に追われ、さらに信長からの容赦ない出陣命令で但馬(竹田城)や伊勢(阿坂城)での戦(どちらも永禄12年、8~9月)に赴き、まさに息をつく暇もない忙しさでした。 秀吉がようやく一息ついて京女のところで寝ていたとき、主・信長が突然やってきて叩き起こされました。すぐに出立を命じられ、向かった先は・・? 信長は妹・市(宮﨑あおいさん)が嫁いだ北近江の小谷城に立ち寄りました。堅固な城の造りを見て信長は、城主で市の夫である浅井長政(中島歩さん)に、ここにいれば市も安心だと伝えました。 ただ信長が来ているというのに肝心の市が呼んでもなかなか出てこず、やっと兄の前に姿を現したかと思うと不機嫌で兄にも他人行儀な挨拶です。妹・市の不機嫌な理由は、信長はわかっていました。嫁いでから一度も顔を見せないどころか文を何度も送っても返事はなく、ずっと音沙汰なしだったのです。 そう、市の不機嫌が予測できていたから信長は、市に祝儀の品をたくさん用意し、そして長持には秀吉と小一郎を忍ばせ市に会わせたのでした。「2匹のサルを捕まえてきた。これで機嫌を直せ。」尾張でお気に入りの家臣だった二人が思いがけなく突然目の前に現れ、さすがの市も笑って機嫌が直りました。 市は生まれたばかりの赤子の茶々を奥から連れてきました。長政は義兄・信長に茶々を抱いてやってほしいと言いましたが信長は遠慮し、代わりに守り刀として自分の懐剣を茶々に置いていきました。傍で見守っていた秀吉はおずおずと代わりに赤子を抱かせてほしいと申し出、小さき命に秀吉は感動していました。これが後に、豊臣家を創った者と、豊臣家を終わらせた者の出会いとなりました。 信長は長政と二人きりになったとき、自分は血で穢れているから茶々を抱いてやれなかった、と長政に詫びました。そして信長は、火傷の傷が痛々しくまだ残る長政の手を見て詫び、市と子を守ってやってほしいと頼みました。そんな話をしていたら家臣の遠藤直経(伊礼彼方さん)が急ぎの用だと長政を呼びに来ました。信長は長政に行くように促し、去り際に信長を一瞥していく遠藤の腹を探っていました。 市は秀吉と小一郎に浅井家嫡男の万福丸(近江晃成くん)を紹介し、万福丸が自分を本当の母のように慕ってくれるのを嬉しく思い幸せそうでした。そして市は出世して立派になった兄弟を褒め、秀吉はすべて信長のおかげだと市に礼を言いました。小一郎は、市が美しく優しい女性に変わった、夫の長政がそうさせたのでは、と思いを伝えました。市も否定はせず、長政や子供らといると温かい気持ちになる、嫁ぐ前はずっと兄のために生きていくことだけを考えていたが、人の巡り合わせにはそういう力があるかもしれない、としみじみと語りました。 一方、父・浅井久政(榎木孝明さん)に急ぎ呼ばれた長政は、朝倉一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)から嫡男の万福丸を人質に差し出すよう言われました。景鏡は、朝倉は浅井を信じてはいるが、長政が市をめとったからにはそれ以上にゆるぎないつながりがいると言い、父・久政もそれに同意していました。 するとそのとき信長がいきなり障子を開け、厠と間違えたと言いつつ中に入ってきました。信長は景鏡を見つけて挨拶をし、将軍・義昭は朝倉義景が上洛するのを待ちわびている、と伝えるよう言いました。そのときに危機を察した信長はすぐに退室し、市と談笑していた秀吉と小一郎に「朝倉に討たれる。すぐにここを出る。」と言って小谷を去っていきました。 小谷の後、秀吉と小一郎は久しぶりに岐阜の家族のところに戻ることができました。でも京での女遊びが寧々にばれていて、秀吉を迎える寧々は笑顔だけれど目は笑っていませんでした。 二人が家に入ると木下家の身内一同と隣家の前田利家(大東駿介さん)とまつが集っていました。秀吉が母・なか(坂井真紀さん)や舅の浅野長勝(宮川一朗太さん)にら挨拶し、皆に京土産を配ろうとしたとき、寧々は不機嫌になって退室し、まつは京のことをにおわせる嫌味を言って一緒に出ていきました。 秀吉が利家に京でのことを言いふらしたのかと問うと利家は、皆には言ってない、妻のまつに言っただけだ、自業自得だ!と憎まれ口をたたくので、秀吉は頭にきて二人で「猿と犬の真似」で喧嘩が始まりました。 賑やか座敷の中で、集まった皆はそれぞれに連れ合いがいるのに、小一郎は自分は一人だと感じました。宴の場をそっと抜け出し、小一郎は直の墓の前に京土産の櫛を置き、今の思いを伝えようとしましたが、そのときに不思議な女が小一郎の前を過ぎていきました。 一方、秀吉は寧々の機嫌を取るのに必死でした。京でのことを土下座して詫びると寧々は、先ほどの酒に毒を入れた、私もこの毒薬で死ぬ、と言い出しました。秀吉は、こんなわしのために死ぬな、とひたすら詫びて懇願し、それを見た寧々は、毒は嘘だと言いました。本当にそうしようと思っていた、でも久しぶりに秀吉の顔を見たらできなかった、そういって泣きました。 秀吉は寧々に、二度と女遊びはしないと誓いました。でも寧々は、自分は子ができぬかもしれないから、本当に良き女子が現れたら遠慮なくどうぞ、とまで言いました。秀吉は、わしには寧々がいればいい、そう言って寧々の肩をそっと抱きました。 翌朝、小一郎は母・なかに繕いものを頼みました。母は小一郎に「直のことはわかるけど、いつまでも身の回りの世話はできないよ。人の命はつくろえないからね。」と優しくくぎを刺しました。そのとき甚助(前原瑞樹さん)が来て、殿・信長がお呼びだと小一郎に伝え、小一郎は急ぎ城に上がりました。 信長は小一郎に、嫁を取れ、これは主命だ、と言いました。そこには安藤守就(田中哲司さん)がいて、娘の慶(吉岡里帆さん)を呼び、廊下の向こうから慶が現れました。慶の顔を見たとき、もしかして昨夜、直の墓のところで会った女か?と小一郎は目を丸くしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 2, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 このドラマの主役の小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)と、W主役と言ってもいい藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)。今回もこの兄弟は交渉事ではコンビを組んで活躍しました。 相手に対して高圧的に出る秀吉と、双方がうまくいくことを良しとしてソフトに対応する小一郎。どちらがいいとかではなく、物事をうまく運ぶためにはどちらの要素も必要なんですよね。 それにしてもいきなり敵が攻めてきた本圀寺での、そこにいる人たちのそれぞれの存在や働きが面白かったですね。危ないのに表に出てきて、扇を広げて兵を鼓舞する将軍・足利義昭(尾上右近さん)、万一に備えて兵を調練してあった明智光秀(要 潤さん)、小一郎が義昭を説得する言葉がいいなあと感動していたら結局は万事休すになり、でもそれを兄・秀吉が救ってくれた、この展開はホント面白かったです。 そしてもう一つ見どころだったのが、市(宮﨑あおいさん)と浅井長政(中島歩さん)の関係です。家臣だったら以前からなじみの相手と結婚することはあるけど、殿様やその一族の場合、政略結婚で顔も見たことのない相手と一緒になることが多いのです。 だから市の場合、いきなり会った長政を好きになれ、と言われても、頭ではわかっても心がついていかない、優しい人だけどただそれだけ、って思ってしまうと思います。でも長政のほうは、市を一目見た瞬間から市を我が妻にできることを心から嬉しく思い、市を大事にしてくれました。だからあんな無茶をしてしまいました。でもそれでようやく長政の大きな愛がわかり、市も長政を受け入れて、妻として幸せになれました。ただね、だからこそ4年後の小谷落城のときに市と長政の間でどんなやりとりがあり、その後の兄・信長の長政への仕打ちに市がどんな感情になるのか。視聴者の感情のアップダウンは大丈夫なのか。脚本の八津弘幸氏はたぶん今までの戦国ドラマとはひと味違う描き方をすると思うので、興味津々であります。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄11年(1568)秋、尾張の織田信長(小栗旬さん)は室町幕府第13代将軍・足利義輝の弟の足利義昭(尾上右近さん)を奉じて上洛し、畿内を制圧しました。信長は摂津の芥川城に滞在し、そこに大和・多聞山城主の松永久秀(竹中直人さん)が訪ねてきました。 当初、信長は松永を将軍(第13代・義輝)を殺した男と考え、松永はそれは濡れ衣で身に覚えのないことだと主張しました。その後で松永は改めて信長に挨拶して信長の上洛を称え、そして自分は今、大和にて三好の息のかかった者たちを追い詰めている、この先も大和を治めることを認めてほしい、と訴えました。信長がその件は将軍・義昭に報告してからと言いかけると松永はそれをさえぎり、手土産の茶器を信長に渡して、この件は信長に認めてほしいと強く言いました。 信長は本圀寺にいる義昭に松永の件を報告しました。義昭の側近たちは松永のことを、義昭の兄・義輝を殺し東大寺を焼き払った男とみていて反対しました。信長は、これらは三好が流した噂話だと否定し、噂話に振り回されていては民の心はつかめない、と義昭に進言しました。 信長の言葉を聞いて義昭の側近たちは、調子に乗るな、将軍を愚弄する気かと語気を強めて言い、その様子を見て逆に信長の重臣・柴田勝家(山口馬木也さん)が愚弄しているのはどちらかと、双方が激しい言い合いになりました。 そのとき信長に同行していた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)が突然、音を立てて放屁し、しかもそれを弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に罪をなすりつけて、兄弟で言い合いが始まりました。でもその流れの中で秀吉は、これでは三好が松永にしたことと同じ、濡れ衣を着せられるとはかくも悔しいことか、と松永の話にすり替えました。 将軍の御前で放屁のことで延々と言い合う兄弟。明智光秀(要 潤さん)が二人を止めると、そのやりとりを見て義昭が笑い出し、織田の家臣たちも笑い出しました。場の空気が落ち着き、義昭は思いを語りました。自分は3歳で寺に入れられたから兄・義輝への思い出はない、あるのは妬みのみ、兄を殺したかもしれない松永には何も思わない、むしろそのおかげで今ここ(将軍の座)におる、松永のことが信長に任せる、と。 この後で秀吉と小一郎と竹中半兵衛(菅田将暉さん)の3人で、松永は信用できるか、なぜ殿・信長は松永を味方にしたのかを話し合いました。半兵衛は、信長が松永を助けたのは松永が持っている茶器ではなく、もっと大きな狙いがあると読んでいました。 そのころ信長のところには妹の市(宮﨑あおいさん)が嫁いだ先の北近江・小谷城の浅井長政(中島歩さん)が来ていました。長政は義兄の信長に、京から岐阜に戻る際に小谷に立ち寄っていかないか、市も喜ぶからと誘いました。信長は、今はまだやめておこうと言い、代わりに京土産を市に渡してほしいと頼みました。そこへ信長に呼ばれた秀吉が来たので、長政は退室しました。信長は岐阜に戻る前に、秀吉に堺での仕事を命じていきました。 信長からの命を受け、秀吉と小一郎と半兵衛は堺にいました。堺は異国人が行き交い、あちこちで囃子や踊りがあり、珍しい食べ物や珍しい動物もあって、岐阜の城下とは比較にならないほど華やかでにぎわっていました。初めて見る景色に目を見張る秀吉と小一郎。途中、武器をもって歩く男たちに出会いました。案内役の松永は、あれは主を持たない侍で銭さえ払えば何でも請け負う、堺はどの大名にも属さず、商人たちが自ら治める町、故にあのような輩たちをあちこちで雇い町を守っている、そう二人に説明し、二人を少し待たせて離れました。 半兵衛は、堺には諸国の銭と情報と、そして鉄砲が集まる、信長は松永を足掛かりにしてこの堺を手に入れるつもりだ、と分析していました。じきに松永が堺の有力商人の集まりである会合衆の今井宗久(和田正人さん)を連れて戻ってきました。 松永と今井は秀吉たちを会合衆の集まる場に案内しました。堺は会合衆の合議制で自治が成される町であり、その会合衆が自分の支配下であると世に示すことが狙いの信長は、会合衆に矢銭2万貫を出させるよう秀吉に命じていました。 能登屋(山本浩司さん)がその命令には従えぬの反論すると、秀吉はこれは幕府のための銭、それが払えぬとなるとこの堺は幕府を敵に回すつもりとみなされる、と半ば脅しました。次に小一郎は、あらかじめ計算してあった数字を出し、これは会合衆に払えない額ではないし、後でその金で鉄砲を300丁ほど買って皆の儲けにする、と交渉しましたそして半兵衛が最後に、くれぐれも目先の儲け話に惑わされぬようにと忠告し、秀吉たちはその場を出ていきました。 秀吉たちがいなくなると、会合衆の者たちは考えました。今井は、商人は時流を読んでなんぼ、今は織田という流れに乗るべきでは?と意見し、津田宗及(マギーさん)は、今の幕府が続けばの話、と考えました。 さて浅井長政も小谷に戻り、妻の市に兄・信長からの京土産を渡しました。美しい手鏡を見て市は喜び、長政は自分は忙しさで気が回らず土産がないと言いました。土産よりも武功をと言う市に長政は、自分は市を思えばこそ戦える、信長のように強くなれない、と詫びて部屋を出ました。 でも本当は長政も、市のために京土産を用意してあったのです。少し離れた廊下で自分が京で買い求めた手鏡を懐から出して見ている長政。その様子を遠巻きに市は見て、長政の優しさを思いつつも声をかけずに部屋に戻りました。 市が信長にお礼の文を書いていると、舅の浅井久政(榎木孝明さん)が部屋に来ました。久政は、また信長に文を書いておるのか、まさか浅井の内情を報せておるのでは?と戯言を交えつつ、何気なく書いたことが不都合になることもある、そなたは浅井の女子、織田のことは忘れよ、と市にくぎを刺して出ていきました。 年も暮れになり松永は岐阜に向かう前に将軍・義昭のところに茶器を持って挨拶に行きました。松永が去ろうとすると義昭は、信長に渡した茶器とどちらが値打ちものか?と問い、松永はもちろん義昭に渡したほうだと答えました。義昭は松永の嘘を見破っていました。でも同様に松永も、義昭を見誤っていたと実感しました。 松永は堺の件を小一郎に確認しました。小一郎が、兄・秀吉が堺に出向いているけど、なんだかんだと先延ばしにされていると言うと松永は、やはり堺は一筋縄ではいかぬと忠告しました。 秀吉が今井に確認すると、矢銭2万貫と鉄砲300丁は間違いなくと会合衆を説き伏せたと言います。秀吉は、殿・信長の我慢にも限度がある、次に約束を違えたらこの堺は火の海になると思え、と強く言いました。そこに橘屋又三郎(関太さん)が駆けつけ、鉄砲300丁は売れなくなったと伝えました。 300丁の鉄砲は信長と敵対する三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、石成友通)が高値で堺の商人から買っていました。津田宗及は、より儲けの大きい相手と商いをするのが商人の常道、すぐに消えゆく成り上がりとはつきあわない、という考えでした。 また鉄砲300丁を手に入れた三好三人衆は、これで畿内は我らの手に入ったつもりになっていました。ただ彼らには、美濃を信長に奪われて美濃から出ていた斎藤龍興(濱田龍臣さん)が絡んでいて、龍興は気を緩めぬよう、信長たちを侮らぬよう、三人衆に忠告していました。 三好三人衆の動きは堺にいる秀吉たちの耳にも入り、半兵衛は正月で奉公衆が国元に戻り、松永が岐阜に行く機会を最初から狙っていたであろう、と分析しました。ならば我らも急ぎ京に戻ってと秀吉は考えましたが、半兵衛は間に合わないからと秀吉を制しました。ならばどうしたらいいのか。策を考えるために秀吉は今井に茶を所望しました。 永禄12年(1569)1月、将軍・義昭のいる本圀寺を三好長逸(中野英樹さん)三好宗渭(奥田洋平さん)石成友通(阿部亮平さん)の三好三人衆が襲撃しました。義昭と一緒にいるのは明智光秀の手勢と小一郎と蜂須賀正勝と前野長康のみで、激しい攻防となりました。しかし多勢に無勢、義昭の身が危うくなってきたので小一郎はひとまず蔵に逃げるよう義昭に促しました。ところが義昭は逃げるどころか二階の渡り廊下に進み出て、今少しだけ持ちこたえよ、さすれば味方が駆けつけよう、それまで共に戦うのだ!と扇を振って皆を鼓舞しました。岐阜にいる信長は秀吉から三好三人衆が本圀寺を襲うと急報を受け、京に向かうために馬の用意をするよう命じました。 龍興は三好三人衆に、東大寺を燃やしたように早く火を放つよう促していました。寺の中では義昭がもはやこれまでと覚悟し、三好三人衆が将軍殺しである悪評を世に知らしめよ、と光秀に命じていました。それを聞いた小一郎は義昭に進言します。 「世の者は誰かの悪評なんてすぐに忘れてしまう。侍はともかく百姓にとっては誰が将軍かはどうでもいい、皆その日を生きるのに精一杯。潔く死んで満足するのは侍だけ。百姓はどんなに不作でもひもじくても自分から死んだりはしない。なぜなら次の年こそ豊作になると信じているから。」そして前に進み出て義昭に「豊作の世にしてほしい。無様でも皆のために生き延びてほしい。」と笑顔で言いました。小一郎の言葉に心を動かされた義昭は涙しながら少し笑いました。 とはいえ、この難局をどう乗り切ったらいいのか。義昭がふと、この本圀寺は三好家が代々あがめている寺、そこに自分がいるから祟りかも、と言葉をもらしました。小一郎は祟りを利用して敵方を説得して時間を稼ごうと思いつき、敵が火矢をかける直前に僧のなりをして門から出てきました。 小一郎は三好三人衆に向かって、三好家代々の寺をないがしろにすれば七代先まで祟られる、しかも火などかければ東大寺大仏の二の舞で、あの暴挙も三好の仕業と世に知らしめることになる、義昭にはここから出ることを約束させた、その間は手をださぬと約束してほしい、と説得しました。三好三人衆はそれを受け入れ、小一郎は寺に戻りました。門の閂がかけられたとき、交渉成立で小一郎は一安心でした。 しかしいっこうに義昭が寺から出ていく様子がなく、三人衆は長く待たされて苛立っていました。小一郎はが時を稼ごうと再び僧のなりをして出てきて三好たちに甘酒を勧めても通用せず、三好は火を放つよう兵に命じました。万事休す!ーー小一郎がそう思ったとき、100ほどの織田勢が現れました。三人衆は、数では我らがはるかに勝るがここで一戦交えていれば我らは退路を失うと考え、兵たちに退くよう命じました。 本圀寺に現れたのは堺にいるはずの兄・秀吉たちでした。小一郎が見慣れぬ顔の侍たちを見て不思議がっていると秀吉は、わしの新しい家臣だ、今日だけだがと言い、半兵衛が堺で金で雇ったと説明してくれました。小一郎は兄に「よう来てくれた。」と言い、秀吉は弟に「よう持ちこたえた。」と言って、二人で笑って抱き合って喜びました。その姿を遠くから眺める光秀は、小一郎ははじめから兄・秀吉を待っていたのだと思い、義昭はあの二人を自分の家臣にしたいとしみじみ思いました。 その翌日、わずか数人の家臣と共に岐阜から夜通し馬をかけてきた信長が本圀寺に到着しました。信長は小一郎に、よく義昭を守ったと褒め、褒め言葉を期待する秀吉には、いつになったら2万貫もってくるのか!ぐずぐずせず今すぐ堺に行け!と厳しく叱り飛ばしました。 そのころ市のいる小谷城では、市が信長からもらって大事にしていた手鏡が庭で火にくべられていました。長政はすぐに火を消すよう誰かを呼ぶと、市がそれを止めました。いつまでも織田を捨てられない自分が悪い。そう言いながらもどこか悲しそうな市を見た長政は、炎の中から焼けた鏡を素手でつかみ出しました。 火傷の痛みをこらえながら長政は、これは市の大切なものだから、自分は市を人質とは思っていない、市は織田と浅井を結ぶ懸け橋だと思いを伝えました。こんな無茶までして!ーー市は長政が自分を本当に心から愛してくれているのだとわかり、長政の胸に顔をうずめ、長政はそっと市の肩を抱きました。空から雪が舞ってきました。「雪がわしの手を冷やそうとしてくれている。空はわしらの味方じゃ。」ーー長政は火傷した手を空に広げました。 黒くすすけてしまった兄がくれた手鏡。市はそれを箱に入れて大事にしまい、この後は夫・長政がくれた土産の手鏡を使うことにしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 26, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 信長・秀吉・家康を中心とした戦国ドラマを今までにたくさん見てきた方は、何かのシーンで「これはこの先の展開の伏線になっているだろう」とつい考えてしまうことと思います。私はこの回は、いろいろな部分の対比が気になりました。 その一つが、信長の妹・市(宮﨑あおいさん)への、男たちの恋心です。秀吉(池松壮亮さん)はお市様が大好きだけど妻・寧々(浜辺美波さん)の存在は絶対なので、市に対しては器用にふるまうけど、寧々は怒らせたくないと思ってます。 反対に柴田勝家(山口馬木也さん)は、たぶん側室はいると思われますが、心の中ではお市様が絶対的な存在で、無骨で洒落た言葉の応酬なんて言えなくて、思いをサラリと言葉にできない分、態度や表情に出てしまいます。花嫁姿の市に送る視線、市に何かあったらすぐに飛んでくると「織田配下の武将として」頑張って言えたけど、ちょっと市に内心期待するようなことを言われただけでしどろもどろ。十数年後に市が勝家と再婚するとき、どのようなセリフが出るのか、気になってしまいます。 もう一つの対比は、上洛したときの小一郎(仲野太賀さん)と織田信長(小栗旬さん)の意識の違いです。小一郎は、信長が京と畿内を平定して「天下布武」になったし、京の民たちを安心させたい気持ちもあってか「戦は終わった」と笑顔でした。 しかし信長のほうは、天下布武は成ったけどこれは単なる通り道だと考えが変わり、意識は「これからが始まりだ」と、より高みを目指して進もうとしています。 主君・信長の方針変更で、まあ兄・秀吉のほうは信長がどんな命令を出しても「はい、喜んで!」だと思いますが、小一郎は何でも引き受けてくる兄のためにこの先ますます多忙を極めることになって、でもその中で知恵をめぐらせて乗り越えていくのかな、と展開を想像しています。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄10年(1567)9月、美濃を手中に収めた尾張の国主・織田信長(小栗旬さん)は居城を小牧山城から稲葉山城に移し、この地を岐阜と改めました。そして信長は、武力によって天下を平定する「天下布武」を打ち出すようになりました。 信長の家臣たちも岐阜城下にそれぞれ屋敷を与えられました。木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)たち家族も屋敷に移り住み、戦はなくとも忙しい日々を過ごしていました。 そんなころ明智光秀(要 潤さん)と名乗る男が信長を訪ねてきて、秀吉は謁見の前の案内役を務めていました。光秀は岐阜の城下を見物して以前とは見違えるほどにぎやかになった町の様子に目を見張りました。 秀吉は主君・信長が関所と座をなくして自由に往来させ商いをさせているから、おかげで国中から人が集まる、いずれ京の都や堺をしのぐ日が来るかも、と自慢しました。光秀は京や堺を知らない秀吉を笑い、岐阜がいくら発展しても京や堺にはとうてい及ばぬ、その地を治めるべきは我が主・足利義昭だと自信を持っていました。 明智光秀は信長に謁見し、2年前に暗殺された第13第将軍・足利義輝の弟の足利義昭を擁して上洛する旨を伝えました。光秀は、今京に居座る三好一族は将軍・義輝殺害の大逆人、討ち果たして世の乱れを正すためにも、義昭を将軍として今一度幕府の権威を世に知らしめるべきと言い、信長には是非力添えを頼みたい、義昭が上洛した暁には織田家には格別の計らいを約束する、と言いました。 信長は光秀に、なぜ我らに白羽の矢が立ったのかを尋ねると光秀は、織田は今川を破って美濃を手中に収めた力量があるからと答えました。しかし信長が「ただの順番で、他に頼れないからここに来たのだろ?」と返すと光秀は黙りこくってしまいました。 光秀は信長の言ったことが図星であったことを認め、朝倉・上杉・武田・北条と同様のことを言ってきたが誰も動かない、と言いつつ、織田が動かなければ他を頼るまで、と言うその物言いはどこか信長を見下すような態度でした。さらに光秀は、生涯順番が回ってこない者もいるからよく考えるように、と強気でした。 信長は「上洛の件は引き受ける」と言うと立ち上がり、刀を取って光秀の従者に刀を振りかざしました。その瞬間、光秀が従者をかばって前に出て、その従者こそが足利義昭(尾上右近さん)であることがわかりました。 義昭が、なぜ自分の正体がわかったのかと尋ねると信長は、光秀が常に従者を気遣うふるまいだったと竹中半兵衛(菅田将暉さん)から聞かされていたと言いました。義昭は、隠していたが案内役の秀吉に乗せられて楽しくて、つい気が緩んだようだと少し笑いました。 でもすぐに真顔になり、自分は将軍の血を引いたばかりに命を狙われる、この目で見たもの以外は信用できない、他の武将たちにも同じことをしてきたが気づかれたのは初めてだ、と義昭は言いました。 信長は義昭の前に両手をついて頭を下げて刀を向けたことの無礼を詫び、家臣一同も信長に倣って土下座しました。今勢いのある信長が自分の下座についたとわかった義昭は、「2年前までは仏門にいて、このまま一生を終えると思ったが、自分にも番が回ってきたようだ。今の乱れた世を救えるのは自分しかいない。」と改めて信長に助力を頼みました。信長は、必ずや義昭を上洛させ天下布武を成し遂げてみせると力強く言いました。続けて秀吉が「我らにお任せあれ!」と調子良く言うので義昭は笑い、笑う義昭を見て光秀も安堵して微笑みました。 帰宅した秀吉は小一郎に、次の将軍かもという人から殿が力添えを頼まれた、と意気揚々と上洛のことを伝えました。小一郎は「また戦か」と気が乗らないようでしたが秀吉は、三好は逆賊だから正義は我らにある、これは天下布武の戦だと言い、天下布武の意味が今一つわからない小一郎に「京の都に幕府を再興し、畿内五国を平定し、我ら武士の力で再び世に秩序をもたらすことで、殿にしか成しえぬことだ。」と説明しました。 しかし小一郎は、上洛するにはその手前に六角や浅井がいてことを構えなければならない、特に朝倉と深いつながりがある浅井は我らの上洛を受け入れないのでは?と心配でした。秀吉は「殿がすでに手を打ってある」と言い、それは信長の妹・市が小谷城主の浅井長政に嫁ぐことを指していました。 城では刀の稽古をしている市(宮﨑あおいさん)に信長が「織田家のために頼む。すまぬ。」と詫びていました。戦国の世の習いで嫁ぐというのは人質になる意味もあるのですが、市は「兄上のお役に立てるならうれしい。兄上の信じる道を進んでほしい。」と気丈でした。 さて浅井長政に嫁ぐ覚悟はできたものの、市には少々悩むことがあって、秀吉を呼びました。しかし秀吉は、今は妻・寧々(浜辺美波さん)の機嫌を取りたかったので、代わりに小一郎を行かせました。市は秀吉が来ないことを少し残念に思いつつ、一枚の白紙を出して、浅井長政に文を送ろうと思ったが心がこもらなくてうまく書けないので文案を書くよう小一郎に言いました。 しかし、市に成りすますなんてそんな大それたことは自分はできない、と小一郎は固辞して許しを乞いました。市は小一郎に下がるよう言いましたが、下がる前に小一郎は「聞いた話では・・」と語り始めました。 長政は秀麗な顔立ちで気性も優しく物静かで穏やかで、誰からも慕われるお人柄とか、お市様はきっとお幸せになれる、と笑顔を向けました。でも市は、兄・信長とは似ても似つかぬ、自分の好みではない、と残念そうに言います。小一郎は慌てて市を励まそうと作り話をしたと明かし、市は余計な気遣いは無用じゃ、このたわけが、と叱りました。 小一郎は詫びつつも、それでも此度の婚礼で何か一つでも自分のためとは思うことはないか、と尋ねました。市は少し考えて「私も男に生まれたかった。そうすれば兄・信長と一緒に戦えた。周りの男どもが元服して初陣を飾るたびに羨ましく思った。」と胸の内を明かしました。そして「この婚礼は私の初陣じゃ。」と小一郎に決意を見せ、そんな市に小一郎は「ならば、どうかご武運を。」と優しい顔で市を励ましました。 永禄11年(1568)年明け、市は北近江の小谷城主・浅井長政(中島歩さん)に嫁ぎました。疲れてはいないか、寒くはないか、と穏やかな言葉で市を気遣う長政という男は、小一郎が思いつくまま適当に言った人物像そのものでした。 織田家の重臣たちが岐阜に戻る前に柴田勝家(山口馬木也さん)が市のところに挨拶に来ました。「(小谷で)もし何か困ったことがあったら、いつでも呼びつけください。この勝家、すぐに駆け付けて参ります!」お調子者ではない勝家の言葉だから本気で言ってるのだろうけど、市は気持ちだけ受け取りました。 また市が勝家に小一郎への言伝を頼んだところ、その内容をあまりにもそのまま受け取る勝家は激怒し、小一郎を許さぬと息巻いていました。市は「戯言じゃ。」と勝家を止め、勝家を相変わらず真直ぐすぎる無骨な男だと思いつつ、まだ今日会ったばかりだけど優しすぎる夫・長政よりは、勝家ほうのほうが自分に合っているのではと口にしました。市の言葉に動揺し、どう返事すればいいのかわからず困ってしどろもどろになる勝家。誉れ高き武勇はあれど、こういう話は苦手な勝家に市は「戯言じゃ。気をつけて帰れよ。」と言って立ち去りました。 永禄11年9月、織田信長は足利義昭を奉じて上洛戦を開始、織田・徳川・浅井の連合軍は合わせて6万になり、わずか数か月で六角氏を撃破しました。その後ひと月もたたぬうちに三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、石成友通)に迫り、織田軍の破竹の勢いに押された三好三人衆はいったん阿波の国に引くことになりました。 そして10月、信長は古来より日の本の中心として繁栄してきた京・畿内を制圧し、上洛を果たしました。義昭を奉じて京の町を進む織田連合軍。しかしそこで見たものは、応仁の乱(1467~1477)以降、すっかり荒廃してしまった京の風景でした。荒れ果てた家々、町にあふれる貧しい民、響く僧の読経。義昭は一刻も早く将軍となって民たちを救ってやらねばと決意しました。 その数日後、足利義昭は朝廷により室町幕府の第15代征夷大将軍に任ぜられました。京の本圀寺に信長を呼び、礼を言って信長を「我が心の父」とまで言い、信長を副将軍にしたいと言いました。 しかし信長は、礼を言いつつも副将軍のことは丁重に断って辞退し、これからも織田弾正忠信長として義昭を支えていくと宣言しました。織田の皆が帰った後、義昭は信長の真意を光秀に尋ねました。光秀は信長の腹の底が見えないと言い、義昭もそういう者がいちばんやっかいだ、とわかっていました。 さて一方、秀吉や小一郎たちは台や銭の袋をたくさん持って京の町に繰り出していました。秀吉は信長が副将軍を辞退したことに納得がいかないようでしたが、竹中半兵衛は「あれは控えめではなくてその逆。義昭の下につかないよう断った。」と考えました。そして小一郎も、信長が控えめな人間なら少なくともこんなことは思いつかない、と言って持ってきた台に乗りました。 小一郎は高い位置から町の人々に大声で呼びかけました。「織田信長様よりご祝儀じゃ!足利義昭公が将軍になられて皆を平穏な世に導いてくださる。」ーー笑顔でそう言って袋の中の銭をばらまき始めました。秀吉も同様に台に乗って「めでたい!めでたい!信長公のご祝儀じゃ!」と人々に呼びかけて銭をばらまきました。 本当に拾っていいのか?と戸惑いながら銭を拾い出す人々。「銭は使うときに役立ってこそ銭じゃ。これで皆の暮らしが良くなるなら安いもの。」そう言って他の皆にも銭をまくよう勧める小一郎。「ご祝儀じゃ!安心せよ!戦はもう終わったのじゃ!」小一郎は笑顔で人々にそう呼びかけ、ばらまく銭に勢いが増し、遠巻きに見て銭を拾いにこない人のところに行って銭を手渡しもしていました。 京での宿舎の清水寺に戻った信長は、まだ終わっていない、これからが始まりだ、と京の町を見渡していました。そして丹羽長秀(池田鉄洋さん)に、諸国の大名たちには文を出したな?と確認し、長秀は、直ちに上洛して義昭に拝謁するよう書き記したと返事しました。 文を送った主な武将たちは、甲斐の武田信玄、越後の上杉輝虎、越前の朝倉義景、土佐の長宗我部元親、摂津の荒木村重、大和の松永久秀、三河の徳川家康などで、信長は、これで誰が自分の敵かわかる、と考えました。 信長が最初、岐阜に入ったときに「天下布武」を打ち立てたときは、京都を中心とした摂津・山城・大和・河内・和泉の五畿内を考えていました。しかし今では「天下布武などつまらぬ。ただの通り道じゃ。この日の本を一つにする。」と、さらに大きく変わりました。小高い山の寺から京の町を見下ろした信長は「天下一統」への決意を新たにしました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 19, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回はあらすじを追っていって、いろいろ悩みました。というのも、史実とされる年号では、・永禄9年 (1566)秀吉が墨俣砦を建設・永禄10年(1567)信長が稲葉山城を攻め落として岐阜に となっていて、そこにドラマとして直の死が絡んでいるので、いったいどの出来事と年号が合致するのか、悩みました。結果、私の読み違えも含めて少々??な年号になっています。 それともう一つ、当時の人はすごいなと思ったのが「移動」。竹中半兵衛の城の菩提山城がある垂井町は岐阜県の西の端のほうで、滋賀県との境になる関ヶ原の少し東です。地図で菩提山城と岐阜城の距離を測ったら、直線距離で27.5kmありました。しかも岐阜城がある金華山の山頂は、一応下から歩いて登れますが、もうお金払ってロープウェイのほうがいい、という距離と勾配です。 菅田将暉さん演ずる竹中半兵衛は、このドラマでは体が弱い設定になっていますが、菩提山の庵と頂上の城を行き来し、用があれば30km歩いて稲葉山城に行って、この生活ではウオーキングでかなり足腰は鍛えられていると思いました。ちなみに岐阜城がある金華山は、地質がチャートで非常に固いとのことなので、もし抜け道を作るとしたら機械のない当時はかなりの労力だったと想像します。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄9年(1566)秋、直の死から10日がたち、木下家の皆はそれぞれに悲しみを抱えつつなんとか日々を過ごしていました。許嫁の直を失っていちばん深い悲しみを抱えているはずの木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は周囲の者が心配するほど怒りも悲しみも口にせず、兄・木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)の命ずるまま、無理難題な仕事を次々とこなしていました。 今回、兄が城主・織田信長(小栗旬さん)から命じられたのは美濃の山奥に身を置いている策士の竹中半兵衛を調略してくるといのもので、そのために小一郎たちは山中でも怪しまれないように猟師のなりをしてました。 美濃の山中に入った小一郎と秀吉と蜂須賀正勝(高橋努さん)は半兵衛の噂話でもちきりでした。その噂話から察するに、竹中半兵衛という男はとにかく軍略に長けていて、だからこそなんとしても味方に引き入れるよう殿・信長は自分たちに命じたのだ、ということでした。 秀吉は道の途中で小一郎に、この先の偵察に行かせました。今の小一郎は悲しみのあまり、何かをしていなければ気持ちが持たないのだということをよくわかっていて、生きる張り合いを与えるために無理難題を押しつけていたのでした。 山中の半兵衛の庵らしきところにはあちこちに仕掛けが張ってあり、小一郎が中にいる半兵衛に呼びかけると窓から「たれか」と筆談の紙片が出てきて、小一郎は自己紹介をして自分たちは織田家の家臣だと名乗りました。 筆談が面倒になった蜂須賀が庵の扉をいきなり開けると中から数本の矢が飛んできて、3人は危うく当たるところでした。その後で外に出てきた竹中半兵衛(菅田将暉さん)は計算外に外れた矢を見て、戸を強く開けると衝撃でわずかに矢の向きが変わったのか!と新たな発見をしたことに喜んでいました。 3人が庵の中に入ると、部屋の中にはそこらじゅうに絵図面や兵法の本が、さらには城に出入りする者から話を聞いて作ったという小牧山城の模型までありました。秀吉の話から、これは自分に織田家に与するよう言っていると察した半兵衛は、いきなり桶狭間の戦の勝利を称えました。 「信長は裏切りを逆手にとり、天を味方につけた。自分は戦いを見てはいないが心の中で思い描いていた。幼きころより病弱で書物を読んで考えることしかできなかった。自分は侍としては使えない男だ。」 さらに半兵衛は、自分はこの山の上に菩提山城をもっている、竹中家が代々継いできた、今は廃城だが、と言いました。小一郎が半兵衛を説得しようと、和が殿・信長は半兵衛のためなら望みのまま金を出すと言うと半兵衛は、それはもし断れば自分を殺すつもりなのだ、と察しました。 本音を見抜かれて言葉が返せない小一郎に半兵衛は、別によい、これまで何度も同じ目に遭ってきた、と笑っていました。小一郎が、ではその度にどうやって切り抜けたのか?と問うと、半兵衛は殺される前に殺したと答えました。思いがけない返答に小一郎が驚いていると、そろそろ次の客が来るからと3人には帰るよう求め、小一郎がまた来ると言うと半兵衛はそのときは手土産に雉が欲しいと言い「このあたりの猟師は雉を狩る」と教えてくれました。 小一郎たちが帰った後、美濃の北方城主の安藤守就(田中哲司さん)が半兵衛の庵を訪ねてきました。半兵衛が珍しく外に出ているので安藤が問うと、たまに書物を日に当ててやらねばと言って、順に書物を並べていました。安藤が誰か来たのか?と尋ね、半兵衛はとっさに猟師が迷って来たと嘘をつきましたが、安藤は怪しんでいました。 そして稲葉山城では城主の斎藤龍興(濱田龍臣さん)が、安藤守就と稲葉良通(嶋尾康史さん)と氏家直元(河内大和さん)ら美濃三人衆に、今川と松平に織田を攻撃するよう要請しているのに動かないことの苛立ちをぶつけていました。稲葉が松平と織田は盟約を結んでいるからと説明すれば龍興は、そんなものは破ってしまえばいいと平然と言い放ち、三人衆は龍興への不信感をますます募らせていきました。 龍興は話を変えて安藤に、半兵衛のところに織田の密使が来たことを伝え、見て見ぬふりをしたのかと安藤を責めました。安藤は決してそのようなことはないと訴えますが龍興は、3年前に半兵衛がわずかな手勢で稲葉山城を占拠して城主の自分を追い出したことは忘れていない、安藤に免じて半兵衛は改易と蟄居で赦したがもうここまでだ、半兵衛を殺せ、と命じました。 後日、秀吉と小一郎と蜂須賀は雉を捕まえて再び半兵衛の庵を訪ねましたが半兵衛は不在で、部屋の中には「菩提山城にいる」と書置きがありました。庵から見上げる山頂の城はかなり遠くでしたが、まずは行こうと3人は城を目指して、道すらない山を登っていきました。 3人がやっとの思いで山城に着いたとき、半兵衛が刀を抜いていきなり斬りかかってきました。半兵衛が龍興の手の者かと間違えたと3人に詫びると、そんな半兵衛に小一郎は、庵の中を見て感服した、半兵衛は立派な侍だ、と半兵衛を認めました。 半兵衛はようやく心を開いて自分の思いを語りました。「私は戦が好きなのだ。戦に出ることはないが策を練り、そのとおりに事が進んで勝つとそれが何事にも代えがたい喜びだ。戦に勝つためならいかなる策も講じる。それは間違いかもしれないが、自分の衝動が抑えきれない。自分が恐ろしい。だからこの山奥にいるくらいがふさわしい。平安のころに宋より伝わったという書物を祖父からもらった。この『三国志抄 諸葛亮傳』の本の中に出てくる知略に長けた軍氏に惹かれて、このような生き方となってしまった。」 そして「本の中の知将は三度礼を尽くし、軍師は初めて誘いを受け入れた。」と言い、秀吉はこれが二度目と言いました。半兵衛は、今一度考えて、それでも自分のような者でよければまた来てくれ、と秀吉に伝えました。 3人が山城から半兵衛の庵に戻ると、待ち構えていた侍たちにいきなり襲われ、捕まってどこかの座敷牢に入れられました。自分たちはどうなるのかと思っていたら、安藤・稲葉・氏家の美濃三人衆が現れ、牢の外に出されました。安藤は3人に、どこに忍びの目があるかわからんから手荒なことをしてすまん、と詫びました。三人衆は胡坐で座り、小一郎らも座りました。 三人衆は本音を語りました。今の美濃は我らが守るべき国なのか、先々代の道三や先代の義龍が目指した強く新しい国であろうか。そう迷っているときに小一郎がとっさに「信長様なら新たな面白き世を必ずつくる!」と言った言葉が棘のようにささって抜けない、たかが一家臣が切羽詰まった場であのようなことを言える、信長がそうさせているなら今一度、我らもそのような主君のもとで真の侍として生きてみたい。 「我らはこのときより織田様に従う」ーー三人衆は手をついて頭を下げ、調略が成功した秀吉は喜びを隠せませんでした。 その後3人は安藤と一緒に半兵衛の庵に向かいました。庵に着くと秀吉はあたりを見回し、山の斜面に枝葉で隠された抜け道を見つけました。秀吉は先日、半兵衛がこぎれいなまま山頂の城に登っていたから変だと思っていて、3人と安藤はその抜け道をたどって菩提山城に入りました。半兵衛は不在、安藤は周囲を見回し、城に手が加えられていることに気が付き、思わず「よく似ている」とつぶやきました。 永禄10年(1567)秋、ついに信長は斎藤氏の本拠地である稲葉山城を取り囲みました。軍議で信長は家臣たちに、城に火を放ち中から兵が出てきたら討つよう命じ、信長に寝返った美濃三人衆の稲葉と氏家が早速「そのお役目を我らに」進み出ました。井口山と瑞龍寺山に火矢が放たれ、三人衆の裏切りに激怒した龍興は家臣たちに信長の本陣に行って信長を討つよう命じ、兵たちは散開していきました。 龍興が側近と二人きりになると半兵衛がふらりと現れました。自暴自棄になっている龍興に半兵衛は、朝倉と六角に援軍を出すよう書状を送ってある、自分は龍興を助けると言い、織田方の攻撃を隠れていた兵たちで反撃しました。 信長の本陣では一旦兵を引いて戻った氏家が、煙で見通しがきかなかった、こちらの仕掛けを逆手にとるこれは半兵衛の得意とする策だ、と報告しました。なおも攻撃の命を出す信長に稲葉が、半兵衛を侮ってはと進言すると信長は「織田に仕えるならこの信長を侮るな。」と言い、稲葉に近づいて眼前で「よくその眼に焼き付けよ。まもなく稲葉山城は落ちる。」と言い切りました。 一方、龍興は兵たち全てを自分の周りから追い払い、一人になって抜け道から逃げようとしました。半兵衛が「また一人で逃げるおつもりか?」と言うと、抜け道から秀吉と小一郎と蜂須賀と安藤が出てきました。安藤が「門を開いてお味方を入れよ!」と命ずると、織田方の兵たちが入ってきて逃げる龍興を追っていきました。 どうしてこの抜け道がわかったのかと半兵衛が問うと小一郎は、菩提山城の抜け道を見て、そして安藤の言葉からもしかしたら稲葉山城にも抜け道があるはずと思ったと言い、秀吉も、こうやって少人数で3年前に稲葉山城を占拠したのかと納得でした。 それから小一郎は秀吉と共に膝をついて座り、改めて半兵衛に織田の仲間になるよう、三度めの頼み込みをしました。半兵衛は「真に強い相手とは、味方になるより戦いたかった。」と言い、それは秀吉の申し出を受け入れたことでした。そして二人の前で両手をついて土下座し「これよりは織田家のために尽くしまする。」と宣言し、秀吉は大喜びでした。 秀吉は信長に大きな声で稲葉山城の攻略の祝辞を述べ、信長は「大儀!」と労って皆に勝どきを呼びかけました。「エイ、エイ、オー!」ーー男たちの力強いが声が稲葉山に幾度も響きわたりました。 美濃攻略が終わってひと段落し、小一郎は直の墓参をして直が眠る墓石に思いを語りました。此度の手柄で信長に褒められ褒美もたくさんもらったが、直のいない今はもうどうでもいい、少し休みたい。そして脇差を抜いて前に置いたとき、直の父・坂井喜左衛門(大倉孝二さん)が突然、声をかけました。 小一郎は喜左衛門に直を死なせたことを必死に詫びました。すると喜左衛門は、今さらもういい!銭をよこせ!と言います。意味がわからない小一郎が尋ねると喜左衛門は、直が中村に戻ったあの夜のことを話してくれました。 直は喜左衛門に晩酌をしながら小一郎のことばかり話しました。小一郎はいつも皆が満足しないと気が済まない、これで円満解決となる方法を探る、戦自体はなくならないが無駄な殺し合いはなくすことができる、とことん話し合って考えて考え抜けば必ず道はある!と。 喜左衛門がそんな世は来ないと言うと直は、小一郎ならできる、そういう世をつくるほうに500文!と賭けをしたのでした。直の墓の前ですっかり無気力になっている小一郎に喜左衛門は「直は男を見る目がなかったの。わしの勝ちじゃ。」と嫌味を言って小一郎をあおり、帰ろうとしました。 その喜左衛門に向かって小一郎は「まだ終わってません。その賭けに必ずや直を勝たせてみせます!」と叫びました。喜左衛門は「お主が諦めたらすぐに銭を取りにくるぞ。直と共にずっと見張っておるぞ。」と言葉を残し、立ち去りました。「承知!」と宣言する小一郎。二人のやり取りを塀の向こうで聞いていた兄・秀吉は、寺を出る喜左衛門に深く一礼しました。 永禄10年(1567)9月、信長は居城を小牧山城から稲葉山城に移し、山頂の城より京の都のある西方を見渡しました。信長はこの地を「岐阜」と改名し、皆を連れて降りていきました。小一郎は一人残り、もっと強くなって直の見たかった世を作ってみせる、と誓いました。ふと隣りを見ると直の幻が「小一郎ならきっとそう言うと思った」と笑っていました。小一郎は決意を新たにして眼下の景色を見渡しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 13, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回は意外な展開が二つありました。一つは墨俣砦です。あれだけ苦労してやっとの思いで造りあげた砦があっさりと敵方に奪われて・・と思ったら、その後があったのですね。この展開にはホント、あっと言わされました。 このドラマの設定で面白いと思うのは、池松壮亮さん演ずる秀吉が武術がそこそこ長けているということです。だいたい今までの戦国ドラマでは、秀吉は知恵は恐ろしく回るけど武術はさほどできない、という感じが多かったです。火矢をつがえ砦に最後に火をかける役割が秀吉、というのがなんかカッコ良かったですね。 そしてもう一つの意外は、白石聖さん演じる直が、この回であっさり退場となったことでした。豊臣秀長(小一郎;仲野太賀さん)はやがて正妻を迎えるから、直はそのあたりで側室になるか、何かの理由で生き別れかな?と思っていました。でも今回、このような形で、しかも小一郎との幸せの絶頂で。 脚本の八津弘幸さんがこの先どんな物語を作っていくのか。従来の戦国ドラマとは違った展開がありそうで楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄8年(1565)、尾張の織田信長(小栗旬さん)は美濃を手中に収めるために尾張の北西で美濃との境にある墨俣に砦を築くよう木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)に命じました。秀吉は弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)と共に、是非とも協力してほしい川並衆筆頭の蜂須賀正勝(高橋努さん)を説得する段階まで仕事が進みました。 その小一郎ですが、兄・秀吉や家族が住む家を出て、ようやく互いに思いが通じ合ったと直(白石聖さん)と一緒に暮らすようになっていました。幸せをかみしめる小一郎と直。しかし墨俣に行く時が迫っていて、小一郎は直に「墨俣から帰ったら祝言を挙げよう」と約束しました。 そうこうしていると秀吉が迎えにきて出立となったので、直は小一郎に弁当の握り飯を持たせて見送りました。秀吉と小一郎は行く前に小牧山城に上がり、信長に「川並衆がよく働いて準備を進めている」と進捗状況を報告しました。 そのころ川並衆は着々と仕事を進めていたのですが、そこに美濃を治める斎藤龍興の家臣が見回りにやってきました。川並衆が用意する荷を見て龍興の家臣が追求し、蜂須賀は命が危うくなったので、荷をすべて領主の龍興のに差し出すことで許してもらいました。 しかしその家臣たちが去った後、蜂須賀は笑っていました。彼らが没収していった刀は戦場で拾い集めたなまくら刀ばかり、こういうこともあろうかと秀吉と小一郎から入れ知恵されてて初めからそのつもりで用意してあった、自分たちが必要なのはこのいかだのほうだ、と。 秀吉の策は、木曾川の上流で砦を作る材料を切り出し、材木をいったん少し下流にある松倉城に運んで組み立てやすい形にしておく、それを墨俣に運んで一気に組み立てるというもので、信長も策に納得して必ず成し遂げるよう言いました。 そして信長はもう一つ秀吉に、墨俣砦にはできるだけ長く敵の斎藤の兵を引きつけておくよう命じました。墨俣は"おとり"であると。 蜂須賀たちと合流した秀吉は、信長の命令を伝えました。龍興がいる稲葉山城から墨俣は遠いが、その途中に美濃三人衆(安藤守就、稲葉良通、氏家直元)が守る大垣城と曽根城と北方城がある、敵が墨俣に気をとられているうちに稲葉山城にいちばん近い北方城を攻め落とす、と。 "おとり"と聞いて蜂須賀は、自分たちはまた捨て石になるのか?と激怒しました。しかし秀吉は「信長様はわしでなければこの大仕事はできぬと見込んで任せてくれた。わしはおぬしを見込んで話をしたから今さら投げ出すのは許さん。」と真剣に言いました。秀吉は約束を守る男だと信じて協力した蜂須賀なので「一度引き受けた仕事は投げ出しはせん!」と怒りながら返しました。 そのころ知恵者・竹中半兵衛(菅田将暉さん)が暮らす美濃の小さな庵に北方城主の安藤守就(田中哲司さん)が訪ねていて、此度の織田の動きをどう思うか相談していました。半兵衛は思うところを「狙いは墨俣。でも此度は何か違う。」と紙に書いて安藤に渡していました。 半兵衛の言葉が気になった安藤は主君の斎藤龍興(濱田龍臣さん)に、早めに手をうったほうがよいと進言しました。しかし織田方に対して高を括っている龍興は、いつものように砦が完成する寸前で壊してやれ、そのほうがおもしろいと言うだけで、安藤は本当に放っておいていいのかと気がかりでした。 その墨俣では、秀吉と小一郎が待つ岸に夜陰に乗じて川並衆が次々といかだで到着し、材木をおろしていきました。そして皆で一斉に急いで築城が始ました。夜が明けると川の対岸の櫓で織田方を見張っていた斎藤の兵が、いつの間にかできている砦に驚き急報しました。 龍興は安藤ら三人衆に、なぜ気がつかなかった、たった一夜で砦ができるわけがない!と激しく怒りました。稲葉良通(嶋尾康史さん)が、織田方は築城の前に他の場所で入念に支度をしていたのでは?と言うと龍興は「なぜもっと早く手を打たなかった!」と怒るだけです。ひと月後でもいいと自分に言ったことと正反対のことを平気で言い、ことが起これば家臣のせいにして怒るだけの龍興。安藤ら三人衆は主君・龍興に対して不信感が募っていきました。 墨俣砦ではあちこちの持ち場で一気に築城を進めていました。小一郎が今のうちにと櫓の上で直が持たせてくれた握り飯を食べていたら秀吉が自分の握り飯を一つ取ろうとし、小一郎は手に持っていた握り飯を落としてしまいました。小一郎が拾おうとかがんだ瞬間、敵の矢が飛んできました。斎藤方が襲撃してきて応戦の態勢に入りつつ、小一郎は直に助けられたと感じていました。 そのころ直は中村(現;名古屋市)の実家に戻っていました。父・坂井喜左衛門(大倉孝二さん)はやっと直が戻ってきたと大喜びで、膳にごちそうを並べて嬉しそうでした。でも直が父のところに戻ってきたのは小一郎と夫婦になるのを許してもらい、できれば祝言に来てほしいからであり、それを知った喜左衛門は黙りこくってしまいました。 喜左衛門は、今や出世して織田家の重臣となった秀吉と小一郎には何も言えないし、小牧で一緒に暮らそうという小一郎の申し出をありがたくも思っていました。複雑な思いを抱えながら喜左衛門は直を蔵に連れていき、その後で直が油断した隙に蔵に閉じ込め鍵をかけてしまいました。 直に同行してきた姉・とも(宮澤エマさん)の夫の弥助(上川周作さん)は直を待つ間、幼馴染みの玄太(高尾悠希さん)と話をしていました。秀吉と小一郎の出世を聞いた玄太は、今年は日照りが続いて水がなくて、田畑の水を奪い合って村同士での諍いが絶えないからなんとかしてほしい、と訴えました。百姓にとって水の確保は生きるか死ぬかの問題だったのです。 直はなんとか蔵から脱出しようとあれこれ試み、そのときにふと昔のことを思い出しました。蔵で遊んでいて父に叱られた、でも棚が倒れてきたときに父は自分をかばって怪我をして、父は「直が無事ならそれでよい。」と言ってくれてたことを。そのとき弥助が外から蔵の鍵を壊して助けてくれました。 蔵から出た直はそのまま逃げずにまた父のもとに行きました。父に言い残したことがあったからです。直は父に「とと様は口では憎たらしいことを言うけど、いざというときは私のことを大切にしてくれた。今までありがとうございました。」と深々と頭を下げました。そして泣きながら「私は今、幸せなんじゃ。」と最高の笑顔を父に向けました。 娘の決意を悟った父は、直に白無垢の花嫁衣装を渡しました。そして、自分は祝言には行かんが、正月、盆、刈り入れと祭りには必ず帰ってこい、と言いました。直は「いつかややこができたら会わせに来ます。とと様の娘に生まれてよかった。」と父に思いを伝えました。 さて墨俣砦ですが、櫓の高いところに重たそうな大きな樽を置いたとき、誰も成し得んかったここに城を築いた、信長の命令を成し遂げた、と皆で歓声をあげて喜びました。しかし翌朝、龍興から命を受けた美濃の大軍が川の向こうに集結していて、壮絶な戦いが始まりました。 戦いは夜になっても続き、やがて砦の柵は倒されて敵が侵入、秀吉と蜂須賀は皆に、砦を捨てて撤退するよう命じました。川まで逃げてやっとの思いで造りあげた砦を振り返ったとき、秀吉は「この先この城のことを覚えている者はどれほどいるのか。たった一夜だったが皆で造ったこの城のことをわしは生涯忘れぬ。よき城であった。」と感慨にふけりました。 しかしすぐに表情が変わり、秀吉の合図とともに綱を切って堰が切られ、城の周りに油が流れ込みました。秀吉は火矢を構えて城に向かって放ち、その矢はあの大樽に当たり、樽に仕込まれた油に引火して激しく燃えだしました。火は城の周りの油にも引火して一斉に燃え広がり、斎藤の兵は火に囲まれて逃げられなくなりました。燃え盛る墨俣砦に背を向けて秀吉たちは船で逃げていきました。 一方、小一郎は手はずどおり前野長康(渋谷謙人さん)と共に美濃の北方城に向かい、城の前で森可成(水橋研二さん)と合流しました。見張りが手薄と思って城内に入ると中で兵が待ち構えていて、逃げ場をなくした小一郎と前野たちは絶体絶命になりました。 城主の安藤守就と対峙した小一郎は刀を収め、よくぞ我らの策を見抜いたと言い、安藤が「別の者が見抜いた」と言うと小一郎はかがんで「良きお仲間をお持ちのようで。そのお力を我らにお貸しくだされ。」と懇願しました。小一郎はさらに「皆が良き暮らしができるなら我らが美濃に寝返ってもいい。でも我が兄・秀吉なら、信長様なら新たな面白き世を必ず作ると言う。龍興様にはそれができるのか?」と安藤に問いました。 小一郎の言葉は、前言を平気で翻して都合の悪いことは家臣のせいにする主君・龍興への怒りが積もっている安藤には痛烈なもので、思わず迷いが生じました。しかしすぐに小一郎たちを斬るよう家臣に命じたので、前野は隙をついて小一郎を連れて裏手から逃げようとしました。裏庭には松明を持った学者のような男(竹中半兵衛)がいて、何か話をしたそうだったけど、追手が来たので小一郎と前野は急いで逃げました。 そのころ直は、白無垢の衣装他、荷物を弥助に持ってもらって、幸せにひたりながら小牧に戻る道を進んでいました。しかしその途中、互いに武器を持って水争いをする村人たちに出くわし、弥助は逃げようと言ったものの直は逃げ遅れた幼い少女を思わずかばってしまい、命を落としてしまいました。 一方、小一郎は、なんとか逃げ延びて兄・秀吉と山中で合流し、策が見抜かれて失敗したことを報告しました。秀吉は「生きて戻ればそれでよい。また次がある。」と言い、笑顔で小一郎を励ましました。そして皆に「さて、帰って殿の大目玉をくらうとするかのぉ。」と呼びかけ、笑い合いました。 秀吉と小一郎が小牧の家に戻ると寧々(浜辺美波さん)が暗い顔で二人を出迎え、二人はそのとき直の死を知りました。戦に出ても必ず生きて帰る、自分の帰る場所はここだ、と約束した最愛の女性・直。もう目を開けることのない直に向かい小一郎は「わしは生きて帰ったぞ。約束を守ったぞ!なのになんでお前は!」と何度も直の名を呼んで慟哭するだけでした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 5, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 番組冒頭の紹介で知ったのですが、後に豊臣秀長となる主人公の小一郎(仲野太賀さん)は、このときは「木下小一郎長秀」で、秀長となるのはまだ後だったのですね。 でも長の字が「信長の "長" 」からもらったとなると、信長に気に入られ、見込まれている感じがあってよいものです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄8年(1565)尾張の織田信長(小栗旬さん)は犬山城を攻め落として尾張統一を成し遂げ、次は美濃攻めに移りました。そのためには尾張の北西で美濃との境にある墨俣になんとしても砦を築かなければならないと考えていました。(墨俣一夜城は現在は岐阜県大垣市の長良川沿いにあります。しかし当時は尾張と美濃の間の木曾川・長良川・揖斐川は川筋がこのあたりは網の目のようにぐちゃぐちゃに乱れていました。) このころ木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は出世して侍大将となり、織田家の重臣の一人として末席での評定への参加を許されるようになっていました。信長が墨俣に砦を築ける者はいないかと呼びかけたものの、この地での仕事は今まで次々と失敗し、皆は尻込みをしていました。 そこで秀吉は自分がやると進み出たのですが、後から名乗り出た柴田勝家(山口馬木也さん)に信長は仕事を命じてしまいました。秀吉は悔しかったのですが、弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は、秀吉は翌月に浅野家の寧々(浜辺美波さん)と祝言を控えているからそれでよいではないかと慰めました。 そして秀吉と寧々は祝言を迎えました。寧々の父・浅野長勝(宮川一朗太さん)は秀吉が今や自分より立場が上となったこともあり、木下家に丁寧に挨拶しました。また秀吉の母・なか(坂井真紀さん)も、自分たちは百姓あがりだからいろいろと教えてほしいと挨拶しました。 しかし肝心の秀吉と寧々が広間になかなか現れず、実は二人は控えの間で喧嘩をしていたのでした。二人の喧嘩から、秀吉と小一郎の兄弟仲の結びつきが強すぎることで小一郎の思い人の直(白石聖さん)は不機嫌になり、直は故郷の中村に帰るとまで言い出しました。小一郎と直の諍いは実は秀吉と寧々を仲直りさせるための芝居だったのですが、直は半ば本気だったのでした。 しばらくして墨俣に行った勝家が築城に失敗し、大怪我をして戻ってきました。信長は勝家に蟄居を命じ、築城できる者は他に誰かいないかと改めて呼びかけると、秀吉は今度こそ自分がと進み出ました。信長もそれを認め、秀吉に墨俣の築城を命じました。 信長の命を受けた秀吉は小一郎はじめ配下の者を集めましたが、恐れをなして仕事から逃げる者もいました。小一郎はまずは情報収集だと、墨俣の築城に行ったことがある者たちに話を聞いて回りました。 墨俣は平地で敵から丸見えである、敵は砦の完成間近になると一気に攻め込んでくる、砦を作りながら敵と戦うのは無理、といった話でした。 また秀吉も勝家を見舞いに行って話を聞こうとしました。秀吉の顔を見ると不愉快でしょうがない勝家でしたが、主君・信長のためだと教えてくれました。「敵は斎藤ではない。“とき” だ。」と。 秀吉と小一郎は家に戻って妹・あさひ(倉沢杏菜さん)の夫・甚助(前原瑞樹さん)と姉・とも(宮澤エマさん)の弥助(上川周作さん)と作戦会議です。どうやったら敵に見つからずに素早く築城できるかを考えたとき、勝家の言った“とき” は“時”、すなわち時間のことだとわかりました。 とはいえ腹が減ったので、秀吉は妻の寧々に何か食べるものをと頼み、寧々がすぐにはできないと言ったとき、母・なかは「下ごしらえしておいた材料で汁ならできる」と言いました。それを聞いて小一郎はひらめきました。 「木曾川の上流で砦を作る材料を切り出し、運べるギリギリの大きさに組んで下ごしらえしておく。それを川を使って墨俣に運び、一気に作り上げる。そのためには尾張と美濃の国境を仕切る川並衆を手なずける。彼らは金さえ積めばなんでもやると聞く。」と意見を述べました。 小一郎の考えに賛同した秀吉は、母に汁を断ってすぐに仕事に取り掛かることにしました。織田家の家臣で前野長康(渋谷謙人さん)というかつて川並衆だった人がいるから口をきいてもらおうと思いました。「手柄を上げたければすぐに動くのだ!」と秀吉の動きは迅速でしたが、直のことが気になる小一郎は鈍い動きでした。その直は小一郎が出かけた後、病で倒れてしまいました。 秀吉と小一郎は前野とともに川並衆の拠点を訪ねました。川並衆筆頭の蜂須賀正勝(高橋努さん)は挨拶をする秀吉に刀を抜いて突然襲い掛かり、代わりに前野が応戦しました。前野を裏切り者呼ばわりする蜂須賀。その前野があわやとなったとき、秀吉が前野を川に突き落とし「このたわけが!蜂須賀殿になにをするんだ!」と叱り飛ばし、蜂須賀に詫びました。 そして前野のことを自分たちに勝手についてきた関わりない者とし、蜂須賀には「仕事の話をしに来た。報酬もたんまりある。」と言いました。蜂須賀はなんかよくわからん展開だけど、とりあえず話を聞くことにし、家に招きました。 秀吉の話を聞いた蜂須賀は、墨俣に砦を築くなんて命がいくつあっても足りん、こんなはした金ではできんと拒否しました。秀吉がいくらあればと訊くと蜂須賀は城持ちにしてくれるならばと答え、秀吉が3年後にと答えると蜂須賀は、ならば仕事を引き受けるのも3年後、と言いました。 なんとしても川並衆の助けがいる!と土下座して頼み込む秀吉。しかし小一郎が浮ついていて真剣でないことを見抜いた蜂須賀は「我らを侮っているのか。やはり織田は信用できん。自分たちは誰の下にも付かない。」と言って秀吉と小一郎を追い返しました。 秀吉は弥助と甚助が待つ宿に戻るといきなり小一郎を殴りました。相手を本気で説き伏せなければならないのに、小一郎がぼんやりしていて失敗した、さっさと小牧に帰れ!と。仕事に集中できていない小一郎を帰らせた秀吉でしたが、直との間に何かあったのではと感じていました。 小一郎が小牧に戻ると直が重い病にかかっているのを知りました。直を失いたくない、直のために自分にできることはとうろたえる小一郎に、寧々ははっきりと「ない!」と言いました。「ただ信じて回復を祈って待つだけ。直はいつも小一郎が戦から無事に帰るのをそうやって待ってた。」寧々の言葉で小一郎は初めて、今まで直がどんな思いでを自分を待っていたのかを知りました。小一郎は今までコツコツと貯めたたくさんの銭を持って寺に行き、直の回復をただ御仏に祈りました。庭先に座り込み、雨に打たれてもただ祈りました。 そのころ秀吉は前野が以前いた屋敷に移動し、先ほどはなりゆき上とはいえ前野を川に落として罵倒したことを詫びました。そして以前は蜂須賀と前野は川並衆を率いる両輪だったのになぜ袂を分かつことになったのかを尋ねました。 前野は「昔は二人で城持ちになることを夢見て数え切れないほど戦に出た。しかしことごとく負けて川並衆は疫病神と罵られ、皆からのけ者にされた。利用されているのに気づかず多くの仲間を失った。蜂須賀はだからもう誰の下にもつかぬと決めた。しかしそんな烏合の衆はこの乱世では生き残れないから自分はやむなく織田についた。」と話してくれました。 蜂須賀の思いを知った秀吉は、墨俣に砦を築くための策を書いた文を蜂須賀に届けました。引き受けてもらうまでは動かぬと庭先に座り込み、雨に打たれながらもただひたすら待ちました。 雨が上がったころ、寺にいる小一郎のところに直が回復したと寧々が走って来ました。意識が戻り起き上がっている直を見て小一郎は思わず抱きしめ、「やっと直の気持ちが分かった」と詫びて思いを伝えました。「わしは死なん。必ず生きて直のところに帰ってくると約束する。だからどこにも行くな。直がわしの帰る場所なんだ。」直も素直な思いを伝えます。「今の私は小一郎に嫌われると思った。だから逃げようとした。」思いが通じ合った二人は泣きながら抱き合いました。 そのころ庭先で待つ秀吉の元に蜂須賀が歩み寄ってきました。「わずか3日で砦を築くのはばかげている。ここから墨俣までは急流が8か所あり、そこを超えるのは相当な腕がいる。しかも墨俣は湿地帯で普請が難しく場所の見極めがいる。千人の者が息を合わせて動かなければしくじる。」 蜂須賀に秀吉が「お主らでも難しいか。」と問うと「我らならできる。」と言い、秀吉は蜂須賀が受け入れてくれたと確信し、笑顔で「ではやってもらいたい。」と返しました。さらに「お主は疫病神などではない。勝ちをもたらす軍神じゃ!共にこの世を見返してやろう!」と力強く言いました。 そこに小牧に帰った小一郎が息を切らしながら再び戻ってきて、斎藤龍興の兵が前野の屋敷に迫っていると報をもってきました。前野の屋敷には義兄弟の弥助と甚助がいるので、彼らを救いに行こうと秀吉は蜂須賀に声を掛けました。「前野の屋敷は空き家なのに綺麗だった。これは誰かが手入れしていた。本当は前野に戻ってきてほしかったのでは?」 続けて小一郎が蜂須賀に、一緒に救いに行こうと言いました。蜂須賀は、小牧に帰っていたお前は何も知らんだろう?と言い小一郎は、たしかに自分にはなんのことかさっぱりわからん、とはっきりと言いました。でも「兄・秀吉がそう言うならそうなんだ。」と笑顔を見せ、きっと前野も蜂須賀を待っていると自信をもって答えました。 斎藤の兵が前野の屋敷を取り囲み、中にいる3人があわや!となったとき、秀吉と蜂須賀の救援が間に合いました。斎藤の兵を全部倒した後、蜂須賀は前野に「墨俣の砦作りは自分一人ではできない。また一緒にやるか?」と問いました。「無論じゃ。」前野からは迷いのない返事がありました。 蜂須賀は配下たちに「褒美は3年後に城持ちじゃ。忘れるでないぞ!」と呼びかけ、そして秀吉に「この蜂須賀と川並衆がお主らに力を貸す!」と力強く答えました。秀吉の交渉成立!これから共に働く男たちは、歓声をあげて喜び合いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 26, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 ドラマで紹介される登場人物の名が後の豊臣秀吉となる藤吉郎は木下藤吉郎秀吉(池松壮亮さん)になり、後に豊臣秀長となる主人公の小一郎もすでに「木下小一郎秀長(仲野太賀さん)」になっていました。 秀吉は信長に名を与えてもらった場面もあり、まあドラマ内ではほぼ「サル」と呼ばれていますが、秀吉の名は通りやすいです。でも小一郎の「秀長」はドラマの中でもそう呼ばれたことがなく、私の中でもまだ定着していないので、ここでは藤吉郎は秀吉と、そして小一郎は小一郎のままで書くことにしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄7年(1564)夏、尾張の織田信長(小栗旬さん)は美濃を攻略するために、小牧山と稲葉山城の間にある犬山城をまず落とそうと考えました。そこで木曾川を挟んで犬山城の対岸にある鵜沼城の城主・大沢次郎左衛門(松尾諭さん)を調略するよう、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と木下小一郎秀長(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)の兄弟に命じました。 最初は頑なに拒否した大沢をなんとか説き伏せ、大沢は信長に会うために尾張に行くことになり、秀吉は人質として鵜沼城に残って小一郎が大沢を連れて尾張に戻りました。大沢は信長に身命を賭して仕えることを誓いましたが、大沢の従者が毒を塗ったくないを忍ばせていたことがわかり、信長は「始末せよ」と命じました。 滝川一益(猪塚健太さん)が刀を抜いて大沢を斬り捨てようとしたのを小一郎はとっさにかばいました。大沢を殺せば兄・秀吉の命もない、これは大沢が織田に寝返りせぬよう美濃の龍興が仕組んだ罠だ、大沢がやった証もない、このまま大沢を斬れば今後は織田の誘いに乗る者もいなくなる、それが龍興の狙いかも、と信長に訴えました。 信長は小一郎の意見を受け入れ、一日やるから小一郎が吟味をやれ、何もわからなければ小一郎が大沢を斬れ、と命じました。龍興の罠だと言った小一郎の言葉は実は口からでまかせだったのですが、小一郎は大沢の無実の証を立てるべく動きました。しかし前田利家(大東駿介さん)や滝川は小一郎がしつこく訊くことに怒ってしまい、話ができませんでした。 小一郎が帰宅すると、秀吉が密かに慕う浅野家の寧々(浜辺美波さん)が直(白石聖さん)を連れてきていました。しかし秀吉が鵜沼で死んだというのは妹・あさひ(倉沢杏菜さん)の夫・甚助(前原瑞樹さん)の思い違いで、家族の皆は安堵しました。 とはいえ大沢の無実を晴らさないと秀吉が殺されてしまうので、小一郎は姉・とも(宮澤エマさん)の弥助(上川周作さん)に「鵜沼城で家臣が大沢の荷にくないを忍ばせるのを見た。」と作り話をするよう頼みました。弥助がそんな恐ろしい嘘はつけないと断ると甚助がおずおずと「欺かなければよいのか?」と話し出しました。甚助は小牧山で、大沢の従者の荷に何か入れるのを本当に見ていて、小一郎はそれが誰なのかを尋ねました。 そのころ鵜沼城でとらわれている秀吉はというと、大沢の妻の篠(映美くららさん)が大沢の食事が余ったからと秀吉に食べさせてくれ、人質らしからぬいい待遇を受けていました。篠が、病弱な自分は夫・大沢に助けられてばかりだ、と言うと秀吉は、それでよい、助けたい人がいるから男は戦えるのだと言い、心が救われた篠は笑みを浮かべました。 甚助から話を聞いた小一郎はその夜、小牧山城に滝川一益を呼び出しました。大沢の荷を検める少し前に、荷の中にくないを入れた者がいると聞いた、と話をすると滝川はいきなり刀を抜いて小一郎に襲い掛かってきました。小一郎が応戦して危うくなったときに城主・信長が入ってきて小一郎は助かりました。 佐々が荷にくないを忍ばせたと小一郎は信長に訴えました。しかし信長は小一郎を足蹴にし、自分がやらせたと言いました。小一郎がその訳を尋ねると信長は、大沢は次々と親類縁者を亡き者にして家督をつかみ取った、わしに似ている、生かしておけばいつかわしの寝首をかくだろう、と言いました。 小一郎は、大沢は昔と違って信長を裏切ることはない、どうか兄・秀吉を助けてほしいと懇願しました。しかし信長は、人はたやすく変わらぬ、今も大沢は調略に応じて龍興を裏切った、秀吉を人質にとるということは我らを信用していないということ、と言いさらに小一郎に「お前の手で大沢を斬れば秀吉の代わりに侍大将にしてやる。」と言いました。 小一郎は大沢にすべてを打ち明けて詫びました。でも大沢は、これまで自分がしてけきたことだから仕方がないと覚悟を決めていて、そして小一郎にはくれぐれも信長の怒りを買うまねはしないようにと案じていました。 小一郎は最後の頼みの綱で信長の妹の市(宮﨑あおいさん)に兄を救ってもらおうと頼み込みました。しかし小一郎が話をする前に市はすべてをわかっていて、兄・信長を説き伏せることはできない、と釘を刺しました。 市は小一郎に、信長とすぐ下の弟・信勝とのことを話しました。幼いころは兄弟仲がよかったけど、信長が織田家の家督を継いだ後、信勝の周りの者たちが信勝をそそのかして信長を暗殺するように仕向けた、一度目は信長も信勝を許したが二度目のときはもう許すことができず、やむなく信勝を殺した、しかしこれは信長にとってもつらい出来事だったと。市は「これ以上、兄を一人にさせたくない」と語り、小一郎の頼みを断りました。 秀吉の命はまだあるのかーー皆はそれぞれに心配していました。姉のともは「秀吉が死んだらまた百姓に逆戻りだから」と半分照れ隠ししながら御仏にお供えして祈り、母のなか(坂井真紀さん)は寧々と一緒に瓜を漬けながら、秀吉が心配でたまらない寧々を「あの子は不死身だ。ましてや今は小一郎がついてる。なんの心配もいらんわ。」と励ましていました。秀吉のことを嫌っていたのかと思われた前田利家でさえ、心の中では気にかけて心配していました。 夜が明け、もうどうにもならないのかと半ば覚悟した小一郎のところに直が来ました。秀吉を救うことで頭がいっぱいの小一郎に直は「小一郎に何かあったら私はどうなるの!?私と秀吉とどっちが大事なの!」と怒りに近い自分の思いをぶつけて帰っていきました。そんなところに利家が来て、小一郎に大事な話をしました。 その後、小一郎は大沢を連れて信長の前に出ました。小一郎は、大沢には二心はない、くないは別の者が忍ばせたが名は言えない、と強く主張しました。まだ大沢をかばう小一郎はに信長が激怒し、自分の刀を出して小一郎に、大沢をこの場で斬れ、そうすれば侍大将にしてやる、と言いました。 しかし小一郎は、侍大将になんかなりたくない、大沢の命は兄・秀吉の命、自分はどんなことがあろうとも兄を裏切らない、なぜなら兄は自分のことを信じているから、と信長の心の傷に触れたかもしれないけど純粋な思いを主張しました。 そして兄は殿・信長のことを信じている、兄は殿が最初から大沢を殺すつもりだったと(佐々→前田から聞いて)すべてを承知の上で鵜沼城に行った、大沢が調略に応じれば城と領土を安堵すると殿が言ったことを「信じるだけだ」と覚悟して人質となった、兄は殿を裏切ることは金輪際ないが、大沢を殺せば忠義の家臣を一人失うことになる、と強く主張しました。 さらに勢いで、自分は兄とは違う、此度のことで殿が大嫌いになった、自分を生かしておいたらいつか殿の寝首をかくことになるかもしれない、とまで言いました。 小一郎の言葉に柴田勝家(山口馬木也さん)は怒り、手討ちにしてやると刀を抜くと、小一郎は刀を大沢に渡して自分を斬るよう、そうそれば忠義を殿もわかってくれる、と言いました。そして大沢に貴方を助けようとしたのは兄のためと本心を伝え、最後に信長に兄を助けてほしいと強く乞いました。 小一郎の心からの叫びを聞いた大沢は、小一郎の短刀を抜いて自分の髻を切り、信長に自分は世を捨てて仏門に入る、家臣と所領の一切を差し出す、どうか小一郎の非礼を許してほしい、と訴えました。 約束の刻限の日没が迫るころ、鵜沼城では大沢と小一郎がまだ戻らなくて、人質になっていた秀吉が逃げようとしたのを大沢主水(杉田雷麟さん)が捕まえました。このまま父は戻らないのかと石つぶてで秀吉を殺してやろうと主水が構えたときに、小一郎の声が聞こえました。 髻を切った父を見て主水は驚きましたが、信長が大沢の申し出をすべて認めたと知り、秀吉を釈放しました。大沢は万一に備えて懐に石を一つ隠し持っていましたが、その石は使われることなく、川に投げ捨てられました。 小牧山城では市が兄・信長の好物の瓜を切って持っていき、兄になぜさっさと大沢を殺さなかったのかと尋ねました。「弟が命がけで兄を守ろうとする姿を見かかったのでは?」と市が言うと信長からは「いや、兄を見殺しにしてのし上がる姿を見たかったのかも。」とどこまでが本心がわからな返事でした。 その後、信長は勝家を呼び、鵜沼の者と合力して犬山城を一気に攻め落とすよう命じました。退室しようとした勝家は踵を返し「拙者がおりまする。この勝家、決して殿を裏切りませぬ!」と改めて忠誠を誓いました。 二人で小牧の家に戻った秀吉と小一郎。ともとあさひが二人に気が付いて歓喜の声を上げると、中にいた寧々が外に飛び出してきました。秀吉は寧々に土下座して、今度こそ求婚しました。「はい。」と笑顔で快諾する寧々。「めでたい!」ーー家族の皆で二人を祝い、兄の結婚が決まったことでやっと次はという思いか、小一郎と直は微笑みあいました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 21, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いの後、松平元康(後の徳川家康;松下洸平さん)は今川から独立して離れ、三河の岡崎城に帰還しました。そして今川義元に勝利した織田信長(小栗旬さん)は美濃攻めに本腰を入れるために永禄5年(1562)、元康と同盟を結び背後を盤石にしました。 藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は桶狭間の戦いの手柄で信長から「木下藤吉郎秀吉」の名を与えてもらい馬廻衆に出世し、織田との同盟のために清須に来ていた元康を国境まで見送るよう信長に命じられました。 国境近くまで来たとき、秀吉は「前方の草むらに人がいる」ととっさに嘘をついて警護の皆を草むらに向かわせ、自分は元康のそばに残りました。そして元康に、どうしたら元康のように偉くなれるのかと尋ね、元康は答えました。 たやすいこと。信長を信じ、己を信じて突き進み、誰にもできぬことをやってのけるのだ。熱意が人を動かし勝敗を決する。 秀吉は元康の言葉を信じました。しかし見送る秀吉と別れた後、元康はあれは適当に言ったでまかせだと秀吉を笑っていたのでした。 永禄6年(1563)美濃攻めのために信長は居城を清須から小牧山へ移し、出世した秀吉はかつての貧しい小屋から家臣団屋敷の一角に、母・なか、弟の小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)、姉夫婦、妹夫婦の皆で一緒に暮らしていました。 そのころ信長は美濃攻めに苦労していて、斎藤龍興には竹中半兵衛尉重治という名うての知恵者がいると滝川一益(猪塚健太さん)は報告しました。信長は小牧山と稲葉山城の間にある犬山城をまず落とさなければと考え、丹羽長秀(池田鉄洋さん)は絵図面を広げ、木曾川を挟んで犬山城の向かいにある鵜沼城を攻略してはどうか、と信長に進言しました。 さて信長が兵の士気を上げるために行った御前大試合では、前評判どおり前田利家(大東駿介さん)が勝ち進んでいました。事前に小一郎が差配役の武田佐吉(村上新悟さん)を説得して対戦相手を選んであった秀吉も、順当に勝ち進みました。 そして決勝ではやはり利家が強かったのですが、負けそうになった秀吉はだまし討ちで勝とうとして一時は優位に。でも結局は利家の怒りの拳にやられて気絶してしまいました。 試合の後、秀吉と小一郎は信長に呼ばれました。その場には佐吉もいたのでてっきり厳しく叱られるかと思ったら、逆に信長から「ようやった。戦は戦う前にいかにして勝つかが寛容じゃ。」と意外な言葉が。さらに「戦って勝つは上策。戦わずして勝つは最上の策なり。」と褒められ、でも最後に利家に負けたしくじりを埋め合わせるために鵜沼城を攻略するよう密命がでました。 丹羽長秀が絵図面を広げ、犬山城は背後に鵜沼城の守りがあり難攻不落の城、城主の大沢次郎左衛門は一介の素浪人から斎藤道三に見いだされて今の地位に上り詰めた猛将だ、と説明しました。 信長は、なんとしても大沢をここに連れてこい、見事やりとげたら秀吉を侍大将にしてやると約束し、秀吉も快諾しました。小一郎は兄が心配でしたが、秀吉は元康の言葉を思い出し、迷わず恐れず己を信じて突き進むのだ!と意気揚々でした。 秀吉は大沢次郎左衛門(松尾諭さん)と交渉に入りました。しかし思うように進展せず、さらには侍大将なったあかつきには寧々(浜辺美波さん)に求婚すると言うつもりが、照れくさくて言えずに寧々を怒らせてしまいました。 兄・秀吉が交渉に入ると同時に小一郎は、義兄の弥助(上川周作さん)と義弟の甚助(前原瑞樹さん)に、大沢が信長に通じていると斎藤家の家臣の耳に入るように噂を広めるよう頼んでいました。 ひと月後、斎藤龍興(濱田龍臣さん)は大沢を呼びだし、織田との内通の噂について問いました。龍興は自分に意見する大沢を以前から快く思わず、さらに大沢が身の潔白を釈明するときに偉大だった祖父の斎藤道三(麿赤兒さん)の名を出したことでますます苛立ち、大沢には妻の篠(映美くららさん)をこの稲葉山に連れてくるよう(=人質)命じました。 大沢はこれまで苦労を共にしてくれた篠がこの上なく大切で人質になんかしたくなかったのですが龍興には逆らえず、篠もまた戦国の世の習いと覚悟を決めていました。 そこに織田の使者として秀吉と小一郎が来て、いつもなら追い返すのですが、気が変わって今回は会ってみることにしました。大沢は二人に織田に寝返るつもりはないと言うものの、小一郎が「ではなぜ此度は我らに会ってくれたのか?何か困りごとでも?」と尋ねました。 小一郎がさらに、もし信長がしびれを切らせば鵜沼では戦になる、そのとき稲葉山から援軍は来るのか?龍興はすでに大沢の内応を疑っているが、と続けました。 そして小一郎は、一度かかった疑いを晴らすのは並大抵ではない、ならばいっそ「本当のこと」にしてしまうのはどうか、これは天が示した道なのでは?と暗示をかけました。 小一郎の言葉に心が揺らいだ大沢は二人に、城と領地はこれまでどおり安堵してもらえるのか?と念押ししました。二人は「お約束します!!」と喜んで返事を。しかしそのときに大沢の家臣が、噂を広めた張本人を捕まえたと言って弥助を連れてきて、企みが大沢にばれてしまいました。 怒った大沢が刀を手にして二人を斬り捨てようとしたとき、秀吉が小一郎をかばい、そして叫びました。「自分はこの大仕事をやり遂げて侍大将になって、寧々と祝言を挙げるのだ!寧々と夫婦になってずっと守っていくと決めたのだ!」 大沢は秀吉の心からの叫びで、自分と篠のことを思い出しました。嫡男の大沢主水(杉田雷麟さん)が問答無用!と斬ろうとしたのを止め、大沢は二人にさっさと失せろ!と言いました。 小一郎は帰ろうとしましたが、秀吉はさらに言葉を続けました。自分は必ず大沢を説得して味方につけると信長と約束したからこのまま帰るわけにはいかない、自分は下から這い上がらねばならない、自分を信じてこの役目を与えてくれた信長の期待を裏切るわけにはいかないと言い、我らの味方になってほしい!と再び乞いました。 秀吉の言葉で大沢は、道三に取り立ててもらった若いころのことを思い出しました。秀吉の心からの叫びが大沢の胸に響いたのか、大沢は二人に「信長とはどういう人だ?」と問いました。「貴方のような武士が仕えるのにふさわしい、強く大きなお方だ。」と返されると、大沢は再び道三を思い出しました。「(婿の)信長はわしに似ている。」ーー信長は道三と同じと信じ、大沢は信長に会うことを決めました。 結局、秀吉は人質として鵜沼城に残り、小一郎が大沢を連れて尾張に戻ることになりました。小一郎はつくづく兄には適わないと思いました。そして大沢は信長と会い、身命を賭して仕えると誓いました。しかし大沢の従者が毒を塗った小刀を忍ばせていたことがわかり、大沢は釈明したのですが、信長は「始末せよ」と命じました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 14, 2026
1月の終盤から臨時の仕事をやっていて、しかも風邪をひいてしまったので、この2週間は家にいる間はダウンしていました。更新が遅れましたが、2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄3年(1560)5月18日、尾張を手中にしようとする今川義元(大鶴義丹さん)が沓掛城に入ったと報せがありました。雑兵たちは得物(得意とする武器)を取って城主・織田信長(小栗旬さん)の出陣を今か今かと待っていました。 信長は敦盛を謡い舞って出陣の時をはかり、いよいよ腰を上げ妹の市(宮﨑あおいさん)に見送られて動き出しました。5月19日、夜明けと同時にごくわずかな供回りを連れて馬を出し清須を出立、信長が動き出したので雑兵たちは殿に遅れをとるまいと一斉に駆け足で追いかけました。男たちの出陣を女たちはそれぞれの思いで見送りました。 織田軍3千は善照寺砦に集結し、軍議が開かれました。報せによれば、義元の本隊は沓掛城を出て西に進軍を開始していて、大高城を目指していると予測されるものの、義元がどこにいるのかはわからない状況でした。信長は「今は丸根砦の佐久間盛重にかけよう。」とだけ言いました。 その佐久間盛重(金井浩人さん)は松平元康(後の徳川家康;松下洸平さん)率いる岡崎衆に攻め立てられていて危うい状況でした。佐久間はこの丸根を今川方に明け渡して寝返るつもりでした。そして桶狭間山で休息している義元のところに元康の使者が首を届けに来ていました。 そのころ藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は同じ織田の家臣ながら父の仇である城戸小左衛門(加治将樹さん)から得物を取りあげようと画策してサイコロ勝負をしていました。でも藤吉郎の連敗が続くのでおかしいと思ってサイコロを調べたらサイコロに細工がしてあり、藤吉郎は城戸に抗議しました。城戸は悪びれる様子もなく「どんな手を使っても勝てばいい。」と言うだけで、そうこうしているうちに信長が動き出しました。 信長は佐久間が討ち死にし、その首が義元のところにに届けられるのを梁田政綱(金子岳憲さん)から報せを受けていました。そして集まった雑兵たちに「丸根砦は落ちたが佐久間盛重の首が義元のまことの居場所を教えてくれた。」と伝えました。そして「これから奇襲をかける。乱取り(略奪行為)をせず、ひたすら義元を目指せ。勝って清須に戻ったら必ず自分が皆に報いる。」と兵たちに約束しました。 ふと空を見るとトンビが低く飛んでいました。信長は小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)から聞いた話を思い出し、まもなく雨が降るのがわかりました。鉄砲には雨除けをし、皆で鬨の声を上げて進軍を開始しました。 義元の陣に近づき織田軍の突撃が開始しました。鉄砲と矢が放たれ、柵を超えるための攻防があり、命をかける戦が初めての小一郎は驚いて腰が引けてしまい、思うように動けません。反対に城戸は鬼人のごとく働き次々と敵を討っていきます。 その城戸が一人になったとき、兄・藤吉郎は今が好機と矢を構えて父の仇を討とうとしたのですが、小一郎がそれを止めました。悔しいが城戸は味方にとってなくてはならぬ男、あいつを殺したら自分たちも生きて帰れないかもしれない、と小一郎は考えたのです。 「死ぬのも殺すのも怖い。自分は戦場には役立たずだ。」ーー弟・小一郎の本音を聞き、藤吉郎は考えを変えました。「いつかあいつより偉くなって、あいつを顎で使ってやろう。」兄弟でそう話していたら敵が襲ってきて二人は危機に。そのとき城戸が投げた槍が敵を倒してくれたので二人は城戸が自分たちを救ってくれたのかと思ったのですが、そうではなくて逆に自分たちを狙っていたと知り、やはり憎しみが沸いてきました。ところがその直後、城戸は敵に討たれて命を落としました。 そのころ義元をめがけて織田勢が迫っていました。先ほどの雨で鉄砲が使えず応戦ができない今川勢に対し、雨除けをした鉄砲で援護して義元に斬りかかっていく織田勢。そして毛利新介(永田崇人さん)が一番槍となり、見事に義元を討ち取り名乗りをあげました。 大将の義元が討たれたことで今川の兵たちは戦うことをやめ一斉に逃げ出しました。 勝利を確信した織田勢は幾度も鬨の声をあげ、声は戦場一帯に響き渡り、離れた場所で戦っていた藤吉郎と小一郎にも聞こえました。 清須への帰り道、藤吉郎は主君・信長の天運を称えていましたが、小一郎は違った考えでした。「殿はギリギリまで戦支度をせずに敵を領内におびき寄せた。佐久間の首が運ばれるのを見越して、義元の居場所をつきとめた。敵を油断させ大軍を二つに分けるよう仕向けた。」すべては信長の計略だと分析し、大したお方だと称えていました。 二人が清須の浅野長勝(宮川一朗太さん)の屋敷に戻ると、無事に帰還した小一郎を見て喜びと安堵で直(白石聖さん)が飛びついてきました。弟たちを見て藤吉郎が羨ましく思っていたら寧々(浜辺美波さん)が声をかけてくれたのですが、藤吉郎は何も言えませんでした。 一方、信長は居室に梁田政綱を密かに呼び、労を労っていました。密命として佐久間を殺し、降伏を装って首を松平に渡す、その首が義元のところに運ばれるときに使者の後をつけて義元の居場所をつきとめるよう命じてあり、政綱は成し遂げました。信長は此度の戦の一番手柄を梁田政綱としました。 信長はやっと一人になったとき、緊張がとけて勝利を喜びました。そこに妹の市が入ってきて、兄に悪運が強いと言いました。でも信長自身もそう思っていたのでした。「あれこれ策を弄してもうまくいくとは限らない。雨音が我らの進軍の音を隠してくれた。敵の鉄砲は使い物にならなくなった。」 でも市は、味方の鉄砲はあらかじめ濡れないようにしてあった、どうして雨がわかったのか?と問いました。信長は「雨が降ると天の声を聴いたのは別の男だった。その者の名は・・忘れた。」とあのときを思い出しつつ笑いました。 翌日、手柄を検分して恩賞を決める首実検が行われました。義元の首をあげた毛利新介は母衣衆に取り立てられて五百貫文の加増を受け、信長からの褒め言葉もありました。 木下雅楽助組に属する足軽の藤吉郎は今川方の武将・一宮宗是の首を出し、信長は褒美で足軽組頭を命じましたが、藤吉郎の何か言いたげな様子を見て、信長は発言を許しました。藤吉郎は正直に「実はこの者を討ち取ったのは城戸であり、城戸は死んでいたので手柄をもらおうとした。そのとき小一郎は高みを目指すなら拾い首で恩賞にあずかってはいけないと言った。」と兄弟で信長に許しを請いました。 しかし信長は、それは幸運だったと許し、改めて藤吉郎に足軽組頭として励むよう命じ、さらに幸運にふさわしい「木下藤吉郎秀吉」という名を与えました。 そして小一郎には、これからは自分の近習として使えるよう言い、此度の戦は小一郎の助言なくしては勝てなかったと褒めました。居並ぶ重臣たちも驚く大きな褒美でしたが、小一郎は自分には荷が重すぎると断りました。そしてこの戦への正直な思いを述べました。 天は人事を尽くした者に味方する。此度の殿のように。自分はこの戦は勝てないと思っていたが殿は違った。兄も殿が必ず勝つと信じていた。そういう思いが天を味方につけ道を切り開くと教えられた。 そして「自分は兄に従い兄と共に殿にお仕えしたい」と笑顔で答え、殿の近習にならない代わりに銭が欲しいと正直にお願いしました。信長はそれを認め、銭五十貫を小一郎に与えました。破格の褒美に兄弟二人だけでなく一同も驚きました。それからこれもやる、と言って信長は二人に自分の草履を片方ずつ渡し、「草履は片方だけでは役に立たん。互いに大事にせよ。」と言葉をかけました。「家宝にいたしまする!」ーー嬉しくてたまらない二人でした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 10, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今年の大河ドラマは、他のTV局も含めて幾度も見てきた戦国時代の、しかも豊臣が主人公なので私は最初は正直「またか。」という思いでした。 しかしいざふたを開けてみれば、なかなか面白い。脚本家の八津弘幸氏は漫画原作者でもあるからか、例えば今回の「懐に草履を」のエピソードを、予想もしなかった形でうまい具合に使っているなあと思いました。 この織田信長(小栗旬さん)の草履の場面では、主人公・小一郎(仲野太賀さん)が百姓として外仕事をしてきたゆえに体感している天気を読む力を信長に認められました。 戦国時代では天候は勝敗の大きな要因となります。次回の桶狭間、その先の設楽原の戦いなど、小一郎が活躍する場面になるのでしょうか。この先の展開も楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄2年(1559)尾張・清須の城主の織田信長(小栗旬さん)は尾張一統を目指し、領内の敵対する勢力を次々と従えて織田家をまとめあげている最中でした。しかしその一方では、圧倒的な勢力を誇る駿府の今川義元(大鶴義丹さん)が尾張にせまっていました。 さて、兄の藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と共に清須に行って侍となると決めた小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は、思い人の直(白石聖さん)も連れて清須の城下に入りました。 とりあえず直が身を寄せる場所が必要なので、藤吉郎は日頃から良くしてくれる浅野長勝(宮川一朗太さん)を訪ね弟の小一郎を紹介、そして直を娘の寧々(浜辺美波さん)の付き人にしてもらうよう頼んだら長勝は快諾してくれました。 藤吉郎は直が浅野家にいればそれを口実に寧々と会うことができるという計算があり、小一郎も兄の考えをわかっていました。でも藤吉郎が小一郎を清須に連れてきたかった理由は他にもあり、戦の傷が元で世を去った父・弥右衛門の仇がこの清須にいるようだ、ということなのです。 その者は織田家の家臣の城戸小左衛門(加治将樹さん)で、城戸は父が取った手柄首を横取りして出世し、逆に父はそのために出世できなかった、しかも城戸は藤吉郎が作って父に持たせた木彫りのお守り人形まで持っていってしまった、という話でした。城戸を許せない藤吉郎は、戦のどさくさ紛れ城戸を討つ敵討ちを考えていました。 永禄3年(1560)5月、今川との戦が近くなり尾張の領内は慌ただしくなってきました。今川義元は2万5千の兵を率いて尾張に向かっていましたが、途中三河の領内に入ると蹴鞠を始めたりして進軍を止めていました。「織田にじっくりと力の差を見せつけてやり、戦う気力を奪う。」義盛は余裕の行軍でした。 それに対して織田方では、籠城か出陣かで重臣たちの間で意見が激しく対立し、主君・信長の判断を待っていました。信長は「今ごろ義元は織田家の軍議が荒れているのを思い浮かべて笑っているだろう。」と言い、結局「今は何もしない。疲れたから休む。」と言って席を立ち、退出していきました。 兄・信長の苦悩がわかる妹の市(宮﨑あおいさん)は、どうにもならないときは自分が今川の人質になり、いつか義元と刺し違える、とまで言いました。 兄のためなら何でもする覚悟のある市、義元ごときと引き替えにはしたくないと利発な妹を守る信長。織田家の兄・妹の絆は固く結ばれていました。 雑兵たちは籠城を想定して米・味噌・酒などを集めたりして忙しくしていました。そこに城戸が来て勝手に酒を持っていこうとし、誰も逆らえない中、我慢ならなかった藤吉郎が物陰から「この、たぁ~けが」と嘲り、疑われた小一郎があやうく酷い目にあうところでした。父が世を去ったとき、小一郎はまだ幼くて覚えがなかったのですが、藤吉郎は無念で仕方がなかったのでした。 忙しい雑兵たちとは対照的に、信長は酒宴を開いて小姓たちに能を舞わせてのんびりしていました。重臣たちは今川が明日にでも沓掛(現在の愛知県豊明市、大高城より東に約7km)に入るのではと酒宴どころではなく、信長からの下知を待っているのですが、信長は「沓掛はまだ遠い。策は追々考える。」と重臣たちの声に耳を貸そうともしません。 そんな信長の姿を見て、佐久間盛重(金井浩人さん)は「丸根砦に戻ったら頃合いを見て今川に内通の使者を出す。今川に手土産の用意を。」と密かに梁田政綱(金子岳憲さん)に命じ、陰で主君・信長をうつけと罵っていました。 さて戦のどさくさに紛れて仇の城戸を討つためにも、なんとかして信長に出陣してもらいたい藤吉郎は、信長に直訴しようと小一郎を連れて城に入りました。でもそのとき城にいた重臣は運悪く柴田勝家(山口馬木也さん)で、藤吉郎たちは勝家に怒鳴られて追い返されてしまいました。 もう帰ろうと城の裏庭に回ると城戸の草履が置いてあり、藤吉郎はせめてもの腹いせに草履を盗んで金に換えてやろうと思いました。小一郎はそういうことは良くないと反論、二人で草履を取り合っていたら信長が現れました。 ここにあった草履は知らぬか?と二人に問う信長。そう、草履は城戸の物ではなく信長の物で、藤吉郎は懐から片方の草履を取り出してとっさに「温めておきました」と。 信長から「この陽気に温めてどうする」と問われ、答えに窮した藤吉郎は小一郎に答えさせました。小一郎は一瞬戸惑ったけど「間もなく雨が降る。濡れてはいけないと思った。百姓だった自分には天気がわかる。」と答えました。 信長はもし雨が降らなかったら?と問い、小一郎が自分の読みが甘かったと笑ってごまかすと、信長は「次からはもっとマシな言い逃れを考えよ。」と言って去ろうとしました。 偶然にも会えた信長に藤吉郎が出陣の有無を尋ねると、迷いのある信長から「調子に乗るな!」ときつく叱られました。それでも藤吉郎が「殿ならきっと勝てる」と自信を持って言うと、信長から「どう勝つのか?」と問われ、返答に窮した藤吉郎はまた小一郎に振って答えさせました。 小一郎は正直に、勝てないなら今川と和睦すればいいと答えました。しかしそれは戦と政を知らない小一郎の浅い考えでした。「和睦をもちかければ今川は無理難題を言ってくる。和睦は降伏と同じだ。」と信長は言い、さらに小一郎に「あらゆる手を尽くし、考えぬいてやり尽くした答えなら認めるが、今の言葉は軽すぎる。たとえ負けるとわかっていても命をかけて戦わねばならぬことがある。それが侍だ。志ない者は失せろ!」と厳しく言いました。 いろいろなことが嫌になった小一郎は「侍なんぞこっちから願い下げだ!」と出ていきました。弟の態度を藤吉郎が信長に詫びると、信長は自分に付いてくるよう藤吉郎に言いました。 信長は気が乱れているのか鉄砲の稽古をしてもなかなか当たらず、そんな信長に藤吉郎は自分を狙って撃つよう言いました。猿のマネをして庭を走り回る藤吉郎を笑いながら信長が1発放つと、鎧には見事に命中したのですが、同時に藤吉郎が倒れました。 もしや当たったのか?と慌てて藤吉郎に駆け寄り声をかける信長。でも少ししたら目を開け「これぞ猿芝居」とニヤリとする藤吉郎。信長と藤吉郎の間には他の者にはない確かな信頼がありました。そんなとき雨がポツポツと降ってきました。先ほど小一郎が言ったとおりに。 小一郎がもう中村に戻る!と言うと、直は反対しました。「なんのために清須に来た?小一郎は勝てない相手には最初から負けを認める。そのほうが傷つかないから。本当は悔しいのに。だから身分が低くてもそこから這い上がれる侍になって見返したかった。小一郎は下剋上に魅せられたのでは?小一郎が侍になったのは小一郎自身のためでは?」 そのころ岡崎の松平元康(後の徳川家康;松下洸平さん)が今川義元の命で大高城に兵糧を運びこんでいました。その報せと今川が丸根砦と鷲津砦に攻めかかったことが、夜中に丹羽長秀(池田鉄洋さん)から信長にもたらされました。 「今こそ討って出るとき!」ーー出陣を決めた信長は飛び起きて、馬を引くよう命じました。清須の城内では大急ぎで戦支度が始まり、藤吉郎の元に戦支度を整えた小一郎が現れました。「やっぱり来たな。」ーー兄はニヤリと笑いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
January 22, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄2年(1559)清須から中村に戻った小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は道普請で稼いだ銭を家族に渡し(実は半分は墓の下の甕に貯金)、本当は大手柄があったけどそれは信長に認めてもらえず褒美がなかった、と愚痴まじりに報告しました。 母のなか(坂井真紀さん)は、戦の手柄とは大勢人を殺すことだから、兄の藤吉郎(池松壮亮さん)には無理だと言います。でも、いざとなったときの兄の姿を見てしまった小一郎には母の言葉は違うと感じていました。 村に戻って幼なじみの直(白石聖さん)と会った小一郎は直の嫁入りの話を聞きました。直のことを祝いながらもどこかスッキリしない小一郎。嫁入りなのにちっとも嬉しそうにない直。二人とも言葉にしにくいモヤモヤを抱えていました。 その夜、直の父で村の土豪の坂井喜左衛門(大倉孝二さん)は村人を屋敷に招いて、娘の嫁入りの祝い酒を振る舞いました。皆が酒に気分よく酔うそんな時なのに小一郎はふと、藤吉郎が言った「殿・信長は身分や家柄にとらわれず真に力のある者を認めてくれる」」といった言葉や、信長が「じっとしていては欲しいものは手に入らぬ。自分の進む道は自分で切り開け。」と言った言葉を思い出していました。 一方、清須では城主の織田信長(小栗旬さん)は尾張統一を目指して岩倉攻めを控え、重臣会議を開いていました。岩倉の織田伊勢守(織田信賢)からは降伏したい旨の申し出がありましたが、信長は降伏は認めないと使者を斬り捨てるよう、出陣して岩倉城下に火を放って町を焼き払うよう、連日連夜あるだけの鉄砲や火矢で攻め立てるよう命じました。 非情にも思える信長の命は真の尾張一統のためだと、妹の市(宮﨑あおいさん)は誰よりも兄を理解していました。市は兄・信長に進言します。「今川の息のかかった野武士の一党がこの領内で狼藉を繰り返しているがこれは誰かの手引きがなければできない。信賢は降伏したと見せかけて裏では今川と通じている。」 信長も市と同じことを考え、さらに「肝心なのはただ勝つことではなく、勝った後にどう治めるか。誰もが抗えぬ揺るがぬ力を示さなければ。」と言葉を続けました。そして信長は出陣。燃え盛る岩倉の城下を高台から見下ろし、勝鬨を上げました。 さて清須で留守番役となった藤吉郎は、浅野長勝(宮川一朗太さん)から頼まれて寧々(浜辺美波さん)のところに使いに行くことになりました。自分の下女がまた辞めた理由が思い当たらないという寧々。藤吉郎が、寧々は自分勝手だから下の者は振り回される、と率直に意見すると、寧々は少し怒りながらも藤吉郎の考えにどこか納得していました。 藤吉郎が戻ってしばらくするとまた長勝が用事を言ってきて、またかと思ったら今度はなんと、殿・信長の妹である市からの呼出しだったので、藤吉郎は喜んで馳せ参じました。退屈だから何か話をして欲しいという市に藤吉郎は「願いを叶える不思議な鐘」の話をしました。それは藤吉郎が母・なかから聞かされていた昔話でした。 鐘の話の後で市は、退屈なのではなく本当は苦しいのだ、と胸の内を語りました。「きょうだいは不思議なもので、お互いのことをわかってしまうことがある。自分には兄の苦しさがわかる。」と。 そんなころ中村で小一郎は、先日の清須で手柄を立てたのに褒美がなかったことの愚痴がつい出ていました。あのとき一番手柄だったら兄・藤吉郎は今ごろは大出世していたのに、と。兄のことでは文句は多々あれど、やっぱり兄の出世を願っている小一郎でした。 そして直の祝言の日がきました。小一郎たち村の百姓は皆で田植えをしていて、小一郎が家で休憩していたら花嫁衣裳の直が現れました。直は、なんか嫌だから婚礼から逃げてきた、一緒にこの村を出よう、と小一郎に言います。でもそんなことはできないと小一郎が言っていると、野盗が来て村を襲いはじめました。 直は自分の婚礼のご祝儀を狙ってきたのだと直感し、急いで家に戻ろうとするのを小一郎が引き留めました。小一郎は直から屋敷の造りを聞き出し、坂井家に走りました。坂井家ではすでに野盗との戦いの最中で、小一郎は頭らしき男を見つけて対峙しました。 危うく男に殺されかけたとき小一郎は「この家の隠し金蔵の場所を教える」と言い、男は手下を数人連れて小一郎が案内する後をついていきました。小一郎が向かった先には村人たちが待ち構えていて、皆で力を合わせて野盗どもを追い払いました。 小一郎が玄太(高尾悠希さん)や信吉(若林時英さん)と一緒に喜んでいたら、遠くから銃声がしました。今度は別の野盗が大勢押しかけてきて、女・子どもも容赦なく目の前にいる者の命を次々と奪っていきました。見つかれば殺されるので、小一郎は直と共に息をひそめて物陰に隠れていました。 ようやく野党どもが去って小一郎と直が外に出ると、玄太が泣いていました。田んぼの苗を守ろうとした信吉が野盗に殺されたのです。小一郎は信吉の亡き骸を抱いて嘆き悲しんでいました。 そんなところにやってきた兄・藤吉郎に小一郎は訴えます。役に立たん足軽なんかいらん、信長も偉そうなことを言うだけでちっとも自分たちを守ってくれん、自分たち百姓は守ってくれる殿様のために必死で米を作る、なのにこれでは百姓があまりにみじめだ!と。それでも藤吉郎は小一郎に「清須に行って侍になれ。」と勧めるのでした。 その夜、眠れない小一郎が外に出ていると母・なかが外に出てきて、なかは「好きにしなさい」と言いました。なかは「藤吉郎には藤吉郎にしか、小一郎には小一郎にしかできないことがあるからそれをやれ。」と。 自分が出ていくとこの家の男手はと小一郎が心配していると姉のとも(宮澤エマさん)が外に出てきて、ともの婿がこの家に来てくれるから大丈夫だ、と言いました。 そして母は、8年前に小一郎が病気になったとき、藤吉郎は弟・小一郎を助けるために金を工面して、小一郎に飲ませる高価な薬を置いて出て行った、だから今度は小一郎が兄を助けてやれ、と言いました。 そう言われて小一郎は兄の言葉を思い出しました。坂井家の仏画は藤吉郎がどうしても銭がいると言ったら嫁が勝手に持ってきてくれた(自分は仏画は盗んでいない、嫁の心は盗んだけど)と、そして兄は皆から「ありがとう、よくやった!」と言われたい、と言っていたことを。 じきに夜が明け、昇る朝日を見ながら小一郎は兄と一緒に清須に行くことを決意しました。話を聞いて喜んで家から飛び出してくる藤吉郎。まだ決めたわけじゃない、助けてもらった借りを返すだけだと言い返す小一郎。 これから侍になる息子たちの姿をを見てなかは「あんたたち、どうせならうんと偉くなって帰っておいで。あのお天道様のように。」と言葉を贈り、兄弟も母の言葉を胸に刻みました。 小一郎は村を出ることを直に告げ、一緒に来て欲しい、傍にいてほしいと思いを伝え、直も受け入れました。直を連れていくにあたり小一郎は墓の下に貯めておいた銭を坂井家に置いていきました。藤吉郎に仏画と嫁の心を盗まれ、小一郎に娘の直を取られた坂井喜左衛門は「こんなはした金で!この盗人兄弟めが!」と叫ぶのが関の山でした。 兄弟と直が出立した後で母・なかは、8年前の薬代は寺の了雲和尚(田中要次さん)が用立ててくれたのだと真実を明かしました。「小一郎はひとのためなら走り回るのに、自分の気持ちは押し殺してばかりだから。」と、小一郎を清須に行かせるための嘘だったのです。 なか、とも、妹のあさひ(倉沢杏菜さん)は兄弟の門出を祝って、勝手に寺の鐘を撞きまくりました。時刻を告げるでもない、でも心が躍るような鐘の音を背に、藤吉郎と小一郎と直は張りきって清須に向かいました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
January 14, 2026
年が明け、新しい大河ドラマ『豊臣兄弟!』がスタートしました。当初の予定では、私は諸事情で今年はこのあらすじ&感想日記をお休みしようと思っていました。 しかし、いざ視聴してみると話がテンポ良く進み、登場人物もどういう関係の人かほぼ知っているので話もわかりやすい。それにせっかくの地元の愛知県の話も多いので、ここはやはりもう少し続けようと思いました。 2016年の『真田丸』より感想日記を10年間、ずっと毎週続けてきて、でも少し見返してみたら部分的な感想に留める週もあったので、視聴した週の状況によっては簡略しようと思ってます。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄2年(1559)尾張の中村に生まれた小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は生来争いごとを好まず、村人たちのいさかいを仲裁して両方がうまくいく策を考える男でした。 戦が始まる触れを聞くと、戦場での盗み目当てで村の男たちは農作業を放り出してはりきって出かけいくけど、それをしたくない小一郎は戦には行かず、姉のとも(宮澤エマさん)からは綺麗ごとを言っとるな!と叱られている日々でした。 小一郎が仕事をもらおうと村の土豪の坂井喜左衛門(大倉孝二さん)の家を訪ねているとき、村が野党に襲われました。坂井の娘の直(白石聖さん)が襲われそうになると、小一郎はとっさに「その娘は清須の殿様(織田信長)に見初められて城に上がることになっている」と嘘を言って直を守ろうとしました。 でもその手がうまくいかず窮地に立ったとき突然、兄の藤吉郎(池松壮亮さん)が現れ、我が主の信長よりその娘を連れてくるよう命を受けて参った、とうまく話をつなげてくれました。小一郎は野党に布を持たせて直を解放させ、追い返しました。 兄・藤吉郎が8年ぶりに中村に戻っても、母のなか(坂井真紀さん)は喜んでくれたものの、ともと小一郎は冷ややかでした。それもそのはず、8年前に藤吉郎が坂井家で盗みをしたために小一郎たちは村八分にされかけたからです。やむなく兄は死んだことにし、その後も兄のせいで家族の皆はさんざん苦労させられたけど、そんな生活の中でも小一郎は働いて得た小銭を何かのときにとコツコツとためていました。 小一郎が父の墓前(小銭の甕の隠し場所)にいると藤吉郎が来て、一緒に来るよう強く勧めました。城主の信長は、身分や家柄にとらわれず実力を認めてくれるから自分と一緒に仕えよと言いますが、小一郎はそんな気になれず、ついには兄弟で木刀での喧嘩が始まりました。 思いのほか剣術が強い小一郎に藤吉郎は驚きましたが、でも戦いたくないと言う小一郎。実際に戦場で働いてきた藤吉郎は小一郎の弱さを感じました。そんなとき寺の了雲和尚(田中要次さん)が現れ、道普請の仕事があると言い、小一郎は是非に!と飛びつきました。でも行先は清須で、結局は兄の言うとおりになりました。 すっかり賑やかな町になった清須に小一郎は驚きました。兄・藤吉郎は、信長が清須を治めるようになって諸国の商人たちが集まって市を開いている、とどこか自慢げでした。 小一郎は道の普請に加わり、道が整えばたしかに人が往来しやすくなるけど、同時に敵からも攻め込まれやすくなる、やはり信長は大うつけだと、隣りにいた男に同意を求めたところ、いきなり男に殴られました。「成すべきことも成さず、偉そうに他人の批判をするな。」その男は実は、人足に扮した城主の織田信長(小栗旬さん)だったのでした。 そんなとき向こうで土砂崩れが起こり、皆で働いて作った道が15間にわたってふさがれてしまいました。人足の頭は、仕事が終わらずに信長の逆鱗に触れたら容赦ない仕打ちが待っていると怯え、何人かの人足たちも逃げようとしました。 しかしそのとき小一郎が皆に、今逃げたら銭がもらえない、崩れた箇所を5間ずつ3つに手分けして直そうと皆を説得、人足たちそれぞれに役割を指示して作業を再開しました。知らぬこととはいえ信長にも声をかけ一緒に作業しました。 皆で夜通しで作業してなんとか道普請は終わり、小一郎は約束の銭をもらってほっとしました。兄・藤吉郎が迎えに来て、我が家で少し休んでいけというのでついていったら、そこは中村の家よりひどいボロ小屋。兄が足軽大将になったというのはホラだったのです。 兄の大風呂敷に落胆していたら、信長が出立すると報せが入り、二人で信長を見送りに外に出ました。信長の姿を見るとすかさず前に進み出て祝いの言葉を述べ、必死に自分を売り込む兄。信長の顔を見て、普請場にいたあのときの男が城主・信長と知って青ざめる小一郎。 弟の様子から小一郎を赤の他人と信長に言い張る藤吉郎。兄の発言に驚き、自分は弟だと名乗ってあのときの無礼を詫びる小一郎。でも信長が小一郎の昨夜の見事な差配を褒めると、今度は「自慢の弟です!」と先ほどとは正反対のことを平気で言い放つ兄に驚く小一郎。 そんな小一郎に信長は「道ができればこちらが敵より早く出陣することができる。じっとしていては欲しいものは手に入らぬ。自分の進む道は自分で切り開け。」そう言い残して去っていきました。 疲れた小一郎が帰ろうとすると、藤吉郎のところに品のいい武家の娘(寧々;浜辺美波さん)が近寄ってきました。この兄には全く釣り合わない寧々と親しそうに話す兄に驚きつつ、寧々に茶と団子をご馳走になっていたら、兄が織田家の重臣の柴田勝家(山口馬木也さん)に急用で呼び出されました。 近頃続く窃盗事件で藤吉郎を盗賊と疑う勝家。腹が立った藤吉郎は勝家に、真の盗賊を捕らえると宣言。藤吉郎は再び小一郎に助力を頼みました。 藤吉郎は何かと自分に良くしてくれる台所方の横川甚内(勝村政信さん)に頼み、丹羽長秀(池田鉄洋さん)に会って話をしました。小一郎が相次ぐ盗難の件を説明し、丹羽に用心するよう進言、丹羽も納得して屋敷の内外を見張らせました。 そのころ藤吉郎と小一郎は城の蔵に近い厠に身を隠して盗賊が来るのを待っていました。待つ間に小一郎は兄に、どうしてそんなに偉くなりたいのかを尋ねました。 藤吉郎には、今は貧しい暮らしだけど出世すれば家族に腹いっぱい飯を食わせてやれる、もっと出世すればもっと多くの人にも、皆を喜ばせたい、皆に好かれたい、もう見下されたり嫌われたりしたくない、という強い思いがあり、小一郎の胸にも響くものがありました。 そのとき裏口から男が入ってきて、二人は曲者と思って捕まえたのですが、その男は横川でした。見回り中だと言う横川。しかしその様子がどこかおかしいと気がついた小一郎が横川に身体を改めると言って近づくと、横川はいきなり刀を抜いて反撃してきました。 とっさに応戦する小一郎。しかし実践の経験のない小一郎の甘さを見抜いた横川がさらに攻撃してきて危うくなったとき、8年間の放浪中に戦にも出ていた兄が容赦なく横川を斬り捨てました。 小一郎が横川の懐を改めると書状があり、それは信長を殺すために美濃の斎藤義龍(DAIGOさん)に宛てた密書でした。二人はすぐに丹羽長秀に報告、長秀は密書の件と盗賊の件を大手柄だと褒め、すぐに信長に報告しました。 数日後、信長が京より帰還しました。長秀が「この者たちが間者を討ち取った」と藤吉郎と小一郎を信長に紹介してくれました。信長は二人を褒めてくれ、藤吉郎が張りきって信長に礼を述べたのですが、勝家から「半日早く丹羽兵蔵がこの計略をつかんで、京にいる殿に知らせてくれた。」と言われました。 そして信長からも「こたびの手柄は兵蔵のものとする」と言われ、藤吉郎は落胆して顔を伏せたままでした。しかし再び顔を上げたとき、藤吉郎は不服の表情を一切見せず、信長が無事に帰還したことがなによりの褒美!と嬉しそうにどこまでも信長を持ち上げます。 「手柄が欲しければ誰よりも早く動け。」信長の言葉は兄弟の胸に刻まれました。 中村に帰る小一郎は兄・藤吉郎に、やはり自分は侍にはなれないと告げます。藤吉郎がその理由を尋ねると「兄者が恐ろしい」と。弟・小一郎からの思いがけない言葉に呆然とする藤吉郎。小一郎は踵を返して振り返ることなく清須を後にしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
January 7, 2026

2026年になりました。 皆さま、 明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願いいたします 新年を迎えたとはいえ、私はふだんとほぼ変わらない生活を送っています。初詣は行きたいけど混雑は避けたい、他に特に行きたい場所もない、特に買いたい物もないので、正月太りをしないよう気を付けて、ふだんどおりに過ごしています。 そういえば、ご報告を忘れていました。昨年の夏に私は、つい魔が差したと言うべきか、子猫を1匹、我が家に迎えてしまいました。 もう子猫は迎える気はなかったのですが、保護猫さんのお宅に見学に行ったら、なぜかトントン拍子にこの子が決まってしまいました。 たぶん、こういうのを運命というのでしょうね。名前は「空(くう)」です。黒い子だからクロに由来するようにあれこれ考えたところ、どうやっても月並みな名前になるので、“空” にしました。 8月初めのいちばん暑い時期に迎えに行きました。我が家に来て3日目です。たぶん7月初め生まれでしょう。小さいのにガツガツよく食べます。 図々しい新入りにスモモ姉さん(6歳)が怒っています。 ニャンズのリーダーの小太郎兄さん(20歳だからおじいちゃんですね)は優しいし誰でも受け入れてくれるので、空はぴったり寄り添っています。 でも10月の終わり頃には、スモモ姉さんも受け入れてくれるようになりました。 この黒チビ、とにかく甘えん坊です。私が「おいで」と促さないのに、甘えたくなったら勝手に膝に乗ってくる、抱っこをせがむ、果ては私が立っているとキャットタワーのようによじ登ってくる(私の太ももは爪痕だらけ・泣)、棚の上から私めがけて飛びついてくる、etc... この子は物心ついた頃には保護されていたから、人間に恐い思いをしたことはないと思います。甘えん坊なのも、性格なのでしょうね。 毎日ガツガツ食べるので、すっかり大きくなりました。皆さま、本年もペット連共々、よろしくお願いいたします。
January 1, 2026

今年もあっという間に時間が過ぎてしまい、今日が大晦日で間もなく年が明けます。 この冬の思い出として、12月の初めに通りすがりにたまたま見かけて立ち寄った岐阜県土岐市の崇禅寺をご紹介します。 さて、崇禅寺とはどういうお寺だったかを調べようと検索したら、動画で紹介されたものがありました。 ⇒ ⇒ 崇禅寺 駐車場に車を停めて鐘楼門へ。左右の塀が鮮やかな黄色に塗られているのが気になります。 お寺の中に入りました。見事な枯山水です。イチョウの葉が風に舞って散らばっているのが風情があっていいです。 大きな土倉が2つ並んでいました。 参拝を済ませて戻るときにもう一度、枯山水の庭を。 奥に続く渡り廊下が階段状になっていました。 12月初め、今年は夏が長かったせいか、イチョウが散るのが少し遅かったかもしれません。この時がちょうどいい感じでした。 庭全体が立体的にも平面的にも美しいです。木の高さに歴史を感じます。皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。2026年も当ブログを覗いていただけると嬉しいです。
December 31, 2025

2025年も間もなく過ぎ去ろうとしています。今年の私の思い出は、なんといっても地元の愛知県で愛知万博20周年記念事業 が開催されたことでした。 今年は大阪万博の年で、ほとんどの人はそちらに興味が湧いたことでしょう。でも私にとっては、20年前に開催された愛知万博の記念事業のほうが大事でした。 地元開催であり、キャラクターのモリゾーとキッコロも好きだったけど、なにより「自然との共生」という万博のテーマが私に合うものだったのです。 UPした画像は7月末に行ったときのものです。3月末から始まっていたから、もっと気候のいい季節に行けばよかったのに、太陽が頭上から照りつける一番暑い季節に、あの広い公園をウロウロしていました。 愛・地球博の記念館にやってきました。20周年のロゴが可愛いです。 愛知万博のテーマ「自然との共生」がさまざま形で展示されています。 20年前に会場で活躍した機械たちです。 モリゾー(緑)とキッコロ(黄緑)です。このキャラクターが大好きで、この絵が付いたものを見るとつい買ってしまいます。 キャラクターが付いた商品の一部です。この緑のスカーフ、すごく欲しいのだけど当時は見つけられなかったのかな。今は手にはいらないから、残念です。 北側の駐車場の前にある案内所です。建物のあちこちにモリコロがいます。 愛・地球博が大好きだった地元民には、たまらない可愛さです。 こんなところにもモリコロがいました。赤い建物にも同じようにあります。
December 30, 2025

あっという間に2025年が過ぎ去ろうとしています。 この1年、ここにUPする日記がついついTVドラマの感想日記ばかりになりましたが、ちょくちょくは出かけて写真も撮っています。 20日に所用で久しぶりに名古屋駅に出ました。この時期の街はいたるところでクリスマスディスプレイを見ることができて、とても華やかな気分になれます。 JR名古屋高島屋さん、毎年クリスマスには素敵な装飾を魅せてくださるので、心がウキウキします。多くの人が行き交う中、ちょっと撮ってきました。 JR名古屋駅の東口、タクシー乗り場の近くです。この日は名古屋桜花学園高校ハンドベル部の演奏がありました。 こちらが今年のクリスマスディスプレイ。『くるみ割り人形』です。どんな物語か知らなかったので調べました。王子が少女を「お菓子の国」に招待したシーンなのですね。 足元のパーツをアップで。その1 アップ、その2。 アップ、その3。 ステージの右側です。 ステージの左側です。
December 24, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 寛政6年(1794)眠らされて徳島藩の阿波の無人島に護送される一橋治済(生田斗真さん)は途中で目を覚ましました。用を足したいと訴えて蜂須賀の藩士たちに木箱から出させ、手の縄をほどかせると見張りの藩士の刀を奪って逃走し、逃げ延びて自分を嵌めた者たちへの復讐を誓いました。 しかし雷鳴がとどろく荒天で、そこは周りに遮る物がない川の中。奪った刀が仇となって雷が落ち、治済は感電死してしまいました。絶命の瞬間、治済の傍には変わった髷の男が立っていました。 そのころニセ治済の斎藤十郎兵衛(生田斗真さん2役)の傍には蔦屋重三郎(横浜流星さん)がいて、田沼意致(田沼意次の甥、宮尾俊太郎さん)から治済が死亡した報を受けていました。 そう聞いて重三郎は十郎兵衛に替え玉を辞めてもいいのでは?と提案しましたが、十郎兵衛はもう元には戻れなくなっていました。それなりに治済としての暮らしを楽しむことにした十郎兵衛。実はこのお方は以前から何度か江戸の流行り場に顔をだしていたあの男だったのでした。 寛政7年(1795)正月、写楽絵は打ち切りとなり、重三郎は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に、東洲斎写楽はここにいる絵師たちだったと明かしました。写楽として一番働いたのは喜多川歌麿(染谷将太さん)だと皆も認めていました。でも歌麿は、皆が力を合わせた「写楽」に自分も入っていて仲間であるだけで十分、という思いでした。 皆が帰った後でてい(橋本愛さん)が重三郎に誰かの忘れ物の「玉くしげ」を見せると、重三郎は何か思いついたようでした。重三郎は幕閣を退いて国元の白河小峰城に戻った松平定信(井上祐貴さん)に本を届けるのを理由にして文を送りました。 重三郎は伊勢の松坂まで「玉くしげ」の著者で国学者の本居宣長(北村一輝さん)に会いに行きました。重三郎は宣長の本を江戸で売り広めたいと申し出ましたが、初め宣長は重三郎と関わることを避けていました。 しかし重三郎が定信からの文を差し出し、儒学は否とするものであっても和学は別、和学は定信の生家である田安家が大事にしてきた学問であるという定信の考えを伝え、宣長の思想に賛同すると宣長は気を良くし、本を江戸で売り広めるのを許可しました。 伊勢からの帰り道、重三郎は尾張の宮宿の本屋に立ち寄りました。そこでは蔦屋の本が人気になっていて安心しましたが、同時に客たちから、黄表紙が薄くて物語がすぐに終わるのが不満であり、もっと長く楽しめる本が欲しい、という要望も耳にしました。 江戸に戻った重三郎は、瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)には長編の物語を書くように、また駿河生まれの重田貞一(後の十返舎一九;井上芳雄さん)には生国や老若男女問わず楽しめる 笑えるような黄表紙を書くよう、それぞれ頼みました。 そんな話をしていたら長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)から呼び出され、重三郎は町に出ました。笠で顔を隠してとある店の近くに行くと、その店には本が好きな女将がいるとのことでした。しばらくすると店の中から女将が出てきて、それはかつて平蔵と重三郎が共に愛した花魁の瀬川(小芝風花さん)でした。 遠巻きに瀬川の姿を眺めながら、平蔵から瀬川は今幸せにやっていると聞いて安堵する重三郎。しかしそのとき平蔵から、じきに岡場所に大掛かりな警動が入り、また女たちが吉原に押しこまれると聞かされました。 重三郎は急ぎ吉原の親父衆に知らせました。激しく落胆する親父衆。でも重三郎は、吉原での定書きを作ったらどうかと提案しました。後に八十一箇条にも及ぶこと細かな定書きを作って奉行所から お墨付きをもらい、「新吉原町定書」ができました。 寛政8年(1896)重三郎は吉原で親父衆と歌会を楽しんでいたらそこに歌麿が来ました。歌麿に仕事を頼もうと重三郎が立ち上がろうとしたら、重三郎は脚が崩れて立てなくなっていました。 歌麿から話を聞いたていは重三郎に湯治を勧めました。しかし商売のことが先に立ち、いう事をきかない重三郎です。ていは重三郎に節制した生活を送ることを約束させました。 だんだん体調が悪化していく重三郎を見舞いに、これまで一緒に仕事をしてきた作家や絵師たちが集まりました。重三郎は皆に、自分が死んだ後に世間から「あいつは死の間際まで本を作り続けた、書をもって世を耕した、と言われたい。」と願いを伝えました。 皆は快諾し、重三郎は北尾政演(=山東京伝;古川雄大さん)、北尾重政(橋本淳さん)、大田南畝(桐谷健太さん)、勝川春郎(後の葛飾北斎;くっきー!さん)、平沢常富(=朋誠堂喜三二;尾美としのりさん)ら、それぞれに仕事を頼んでいきました。 歌麿は新しい作風の絵を持って重三郎を見舞いました。たしかに変わった絵でしたが、絵には母に愛されたかった歌麿の願望が込められていました。重三郎がこの絵の続きを見たいと言うと「だったら死ぬな」と励まして帰っていったのですが、重三郎はもう先は長くないと歌麿は感じていました。 明けて寛政9年(1897)重三郎は自分の病気を話題にして本を売りまくっていました。5月に入ったある晩、重三郎が文机に向かっていると拍子木の音が鳴り、傍にはいつの間にか巫女姿の女がいました。女はメイワク火事(明和9年=1772 の江戸の大火のこと)の折に助けられた九郎助稲荷(綾瀬はるかさん)でした。九郎助は「今日の昼九つの午の刻(=正午)に迎えに来るから、それまでに思い残すことのないよう皆とお別れを。迎えの合図は拍子木。」と言って消えていきました。 重三郎は先ほどの女は夢だったのかと思いつつ、お告げがあったとていに伝えると、ていは皆に連絡するようみの吉(中川翼さん)に頼みました。 皆が来るまでの間、重三郎はていと二人で今後のことを話し合い、店はみの吉に継いでもらうことにしました。仕事の頼み先等はていが帳面にしてまとめてあり、通夜や戒名のことまでていは準備してありました。 二人でしみじみと昔を思い出していました。ていが重三郎を受け入れると決めたときに、移り住んだ地で富み栄えてその富を人々に分け与えたという中国の陶朱公の話をして、重三郎は陶朱公のように生きると宣言しました。 自分がそのように生きられたのかと自問する重三郎。でもていは「今や江戸だけでなく遠くの町や村で見知らぬ人たちが黄表紙を手にとり本を楽しんでいる。これは重三郎が築き上げ分け与えた富ではないか。その富は腹を満たすことはできないが心を満たすことはできる。心が満たされれば人は優しくなり目の前が明るくなる。次は己が誰かの心を満たそうと思うかもしれない。然様な笑いという名の富を日の本中にふるまった。重三郎は日の本一のべらぼうだった。」と言ってくれました。 自分のこれまでの働きをていが認めてくれた。そう思ったとき重三郎は安堵したのか、急に容態が悪化しました。ようやく皆が駆けつけたものの、午の刻を告げる鐘が無常に鳴り響き、重三郎は集まってくれた皆に礼を言って力尽きました。 吉原で重三郎を育ててくれた駿河屋市右衛門(高橋克実さん)とふじ(飯島直子さん)が駆けつけたのはその後で、南畝は「親に別れも言えぬのは良くない。呼び戻すぞ!」と皆に言い、屁の大合唱をして踊りました。 「戻ってこい!」と皆の願いが通じたのか、重三郎はいったんは気がつきました。でもその直後に拍子木が鳴り、重三郎はあの世へ旅立ちました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 蔦屋重三郎の物語が幕を閉じました。今年の1月にこのドラマがスタートしたとき、歴史の教科書に出てこない人物で1年間、大河ドラマが続くのか、もしかしたらただの時代劇になり途中で視聴をやめるかも?と思っていました。 しかしそれは杞憂に終わりました。脚本の森下佳子氏が田沼意次や松平定信を重三郎にうまく絡め、また江戸後期の化政文化で出てくる有名人たちが次々と出てきて、大河ドラマとして興味深く見ることができました。 この最終回での生田斗真さん演じる一橋治済の、私の想像の斜め上をいった最期とか森下氏の脚本に魅了され、また小芝風花さん演じる瀬川の身請けのシーンの美しさや俄祭りの踊り対決など、今までの大河ドラマにはなかった場面に見入ってました。 また登場する役者さんたちにも目が行きました。吉原の親父衆の中で扇屋の山路和弘さん、松葉屋の正名僕蔵さん、丁子屋の島英臣さんは、須原屋市兵衛を演じた里見浩太朗さんが以前『水戸黄門』で出演されていたときに悪役で何度か登場した方々で、なんとなく懐かしさも感じていました。 書き出したらキリがないくらい、登場人物の皆さんはそれぞれに味わいがあって魅力的でした。大道具・小道具・映像技術その他、スタッフの皆さんも各所で腕の見せ所だったでしょうか。 なによりジョン・グラム氏作曲のメインテーマの音楽が大好きで、毎週オープニングの音楽をじっくり聴いていました。 1年間、大河ドラマを楽しめて良かったです。
December 18, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 寛政6年(1794)曽我祭の日に一橋治済(生田斗真さん)に復讐しようと芝居小屋の裏で待機していた元老中の松平定信(井上祐貴さん)でしたが、その計画は治済には通用せず、それどころか逆に治済が用意した毒饅頭によって多くの家臣たちの命を失いました。 定信に協力していた蔦屋重三郎(横浜流星さん)も危うく毒饅頭を食べそうになり、自分たちの命も狙われたことに激怒した重三郎が詰め寄ると、小屋の奥から謎の人物が出てきました。 その者はの阿波蜂須賀家お抱えの能役者で斎藤十郎兵衛(生田斗真さん2役)という者で、治済に瓜二つということでした。定信は治済を亡き者にした後に替え玉にしようと考え、治済の癖や好みを教えるために家斉の乳母だった大崎を探していたのでした。定信が蜂須賀家の当主・治昭と話をつけ、十郎兵衛は治昭から主命として替え玉になるよう命じられたため、断れませんでした。 重三郎は店の者たちへの危険を感じて、当分の間店を閉めることと外に出ないよう伝えました。店の者たちは不安になって皆辞めたいと重三郎に訴えました。そんな中、みの吉(中川翼さん)は毒饅頭の被害に遭っていましたが、相手も毒饅頭を食えば面白いと言い、重三郎は何か考えました。 そのころ江戸城では、一橋治済は定信を呼び出して芝居町で多くの家臣が落命したことを叱責していました。さらに治済は定信に隠居せよと言い、嫡男が幼少だから少し待って欲しいと懇願する定信に、後継ぎは一橋から遣わすと言いました。治済から扇子で頭を叩かれる辱めを受けた定信は我慢できなくなり、怒りのあまり治済と刺し違えることまで考えました。とはいえ、そんなことをしたらお家は断絶で家臣たちは路頭に迷うので、柴野栗山(嶋田久作さん)は定信を制しました。 そんな頭に血が上った定信のところに重三郎がやってきました。重三郎は「泰平を守るのが将軍の務め、世を乱すやつには毒饅頭を食わすのが将軍の務め」ともっともらしい理由を述べ、治済の実子である将軍・家斉を味方につけて治済に毒饅頭を食わせたらどうかと定信に提案しました。 定信は家斉に話をしてもらうために清水重好(10代将軍・家治の弟;落合モトキさん)を訪ねました。仇討ちの協力を頼むと重好は、家治が絶命する寸前に治済に迫って「天は天の名を騙るおごりを許さぬ。」と遺した言葉を伝えました。ただその当時の家斉はまだ幼かったので、その言葉を覚えているかどうかはわからない、とのことでした。 重好は家斉の側室の死のお悔やみに参上し、その折に先代の家治が 夢枕に立って嫡男・家基の無念を晴らすと言う、と伝えました。ところがそこに治済が入ってきて、治済に気圧された重好は当家の家督について家斉に相談するよう定信に勧められたとだけ話をして退室していきました。 定信は重好の家臣から、家斉との話が進まず自分の名が出されたと報告を受けて激怒しました。そこに重三郎が入ってきて「物事はすべて上手くいくとは限らない。どう立て直すのかが大事。」と定信を諭しました。 そのとき長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)が来て、あの日に大崎が毒饅頭を食べたという証人はいないけど、大崎が重三郎とやりとりしていたのは確かだとのことでした。そう聞いて重三郎は、代金を包んだ紙を渡すときに大崎が自分に何か言いたげだったのを思い出しました。 後日、栗山がその紙を家斉に差し出しました。紙の文字は家斉が見慣れた乳母・大崎の字で、そこには「自分はこれまで田安治察(定信の兄)、家基、家治、右近将監、数多の民を殺害してきた。それはすべて実父・治済の命令だった。」とありました。それを見た家斉は「悪いのはすべてそなたの父だ」と言った家治の最期の言葉を思い出しました。 文にはさらに「治済は生身の人間を傀儡のように操る比類なき才をもっている。治済は天、そして家斉こそ最たる傀儡。どうか父の悪業を止めて欲しい。治済を止められるのはこの世で唯一人、家斉しかいない。」とありました。家斉は、ここにあることは自分はとうの昔から知っていた、自分はどうしたらいいのか、と栗山に相談しました。 その後重好から家斉と治済に、家督について相談したいので清水の茶室に来て欲しいと言伝がありました。清水の家督は家斉の弟に継がせることですぐ決まり、重好は二人に茶を一服立てていました。 家斉は茶菓子を美味しそうに食べていましたが、もしやと恐れた治済は食べずに茶菓子を息子の(!)家斉に食べさせました。(そういえば家斉は子役のときにお菓子をパクパク食べていたわ。すごいロングパス)自分の茶菓子を美味しそうに食べる家斉を怪訝そうな顔で治済が見ていたら茶が入り、先に家斉が飲みました。それを見て、どこか疑いながらも茶を飲み干した治済。すると家斉が倒れこみ、続いて治済も倒れて意識がなくなりました。二人が倒れたのを確認した重好が合図をすると、隣の部屋に潜んでいた定信たちが出てきました。 そのころ重三郎は三浦庄司(原田泰造さん)の屋敷にいて、事の真相を打ち明けていました。治済を眠らせて治済と替え玉の斎藤を入れ替える、治済は阿波の孤島に閉じ込める、自分の企みで人が死ぬのは嫌だし、家斉にも親殺しの大罪をさせない、というやり方だったのでした。 水野為長(園田祥太さん)から、替え玉はお城に、本物は阿波に向かい出立したとの報告を受けた三浦は「ようやく仇が討てた」と田沼意次と意知の位牌に涙ながらに報告していました。 その後、営業を再開した蔦屋に定信が現れました。どこか嬉しそうに店内を見て回り、次々と本を手に取っていく定信。話によれば、自分は国元の白河に下り幕政からは離れるとのことで、これは将軍の父を嵌めた罰を受けるという思いでした。 定信は重三郎に、絵や本を十郎兵衛(ニセ治済)に届けて無聊を慰めてやって欲しいと頼み、この企てで家斉を味方に引き込んだ重三郎の考えは秀逸だった、と褒めました。 そして定信が重三郎に伝えたかった思いがもう一つありました。それは怒りの勢いで恋川春町を追い詰めて死なせてしまったことをどこまでも悔やむ思いでした。 春町の『金々先生栄花夢』が大好きだった定信は重三郎に、「一度ここに来てみたかった。春町は我が神。蔦屋耕書堂は神々の集う神殿であった。」と優しい目で熱く思いを語りました。 重三郎が最後に定信と一緒に働けてよかったと礼を言うと、定信は「今後は随時、良き品を見繕いこまめに白河に送るように。抜け目ない商人に千両も取られたから倹約せねばならぬ(=お前のせいだ)」と重三郎に命じて、駕籠の中で本を手に取り嬉しそうに読みながら、蔦屋を後にしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ この回は私にとってまさに神回でした。どのドラマでも最終回の1つ前は視聴者をぐっと引き寄せる場面がくることが多いと思いますが、今回の私はうるうるの感動ではなく、「こうきたか!」とワクワクする思いで見ていました。 権力でも悪知恵でも歯が立たない一橋治済に対し、松平定信たちはどう一矢報いるのか、重三郎がどんな知恵を出すのか。脚本の森下佳子氏がどんな展開を作ってくれるのか、私はまったく想像できませんでした。 それがまあ、治済を孤島に幽閉するという、ぶっ飛んだ話ながらも亡き者にまではしないどこか優しさと、一人治済が孤島で何やって生きているのかを想像すると笑えるような、こういう終わらせ方があるのだなと、感心してしまいました。 次回はいよいよ最終回です。重三郎が関わった人たちが次々と出てきて、それぞれどんな物語があったのか、思い出すのに忙しいだろうなと予想しています。
December 11, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 寛政6年(1794)もう一度、夫・蔦屋重三郎(横浜流星さん)と一緒に仕事をして欲しいというてい(橋本愛さん)の願いを受け、喜多川歌麿(染谷将太さん)は重三郎の前に姿を現しました。 歌麿はていの気持ちを代弁しつつ、自分のホンネを伝えました。「世の中、好かれたくて役立ちたくて、自分を投げ出して尽くすやつがいる。いいかげん分かれよ、べらぼうが!」 でも歌麿はそう言いつつもまた重三郎が望む絵を描きたいと言うので、重三郎は「十躰」のときに人相を極端に描いたあの画風が欲しいと伝え、歌麿はすぐに理解して描き始めました。 重三郎がどんな絵を望んでいたのかまるで分らなかった絵師たちでしたが、歌麿が描いた絵を見て皆はようやく理解しました。 ではこれをどうやって平賀源内と結びつけるのか。重三郎はその点は後にして、先に役者の似顔絵を50人分作ると決めました。そんなにたくさんの役者絵をと気が重くなった絵師たちですが、重三郎が礼をはずむと言うと皆は俄然やる気が出てきました。 とはいえ、それだけの人数の役者絵となると、まず稽古を見せてもらわないとわからないし、世間には平賀源内の作としたいのに歌麿が描いたとばれても困ります。そこで重三郎は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に頼んで金一帯で協力してもらい、河原崎座と桐座と都座の座元に掛け合い、役者たちの稽古を見せてもらうことにしました。 絵師たちが稽古を見学する日になると、まず重三郎の仲間の絵師たちが次々と稽古場に入り、さらに歌麿とその弟子たちが次々と稽古場に入り、そしてどこか源内を思わせるような風貌の老人が重三郎の父として入ってきたので、座元たちは驚きました。 芝居の稽古が始まり、絵師たちは一斉に下絵を描き始めました。重三郎の店に戻ってからは、戯作者たちは先ほど見た稽古で気に入った場面の感想をそれぞれ言い合って描く役者の場面を選択、絵師たちは役者の顔の描き分けを始めました。 そんなところにみの吉(中川翼さん)が勝川春郎(くっきー!さん)が見つかったと言って連れてきました。春郎は蘭画を感じさせる描き方を助言し、重三郎が蘭画にはふち取りがないことを言うとそう聞いた歌麿が影をつけた絵を描いてみせ、皆で知恵を寄せ集めて「写楽」の絵を作っていきました。画風が決まり、残りの49作を皆で手分けして描いていきました。 重三郎はでき上った絵を持って松平定信(井上祐貴さん)の元を訪れ、絵師の名を「写楽」にすると報告にしました。定信はとても満足そうで、「これは江戸の誉れとしたい!雅号は『東洲斎写楽』とせよ。」と命じました。 5月になり、三座による興業の幕開けとなりました。重三郎は芝居町にかりそめの耕書堂の店を構え、集まった人々に写楽の役者絵を紹介していきました。絵の面白さで人々は次々と役者絵を買い求めていき、ふざけた絵を描く新しい絵師の出現に江戸っ子たちはわき立ちました。 そのうち写楽とは誰だ?と人々は話題にし始めました。歌麿、春郎、重政と次々と名が上がり、それに乗じて平賀源内の名も意図的に出していきました。源内の名が出ると武士たちは、当時のことを蒸し返して噂し始め、しまいには「得をしたのは一橋ばかり」とまで話が広がりました。 「写楽は源内で今も生きているのではないか」と噂が広まった頃、大崎(映美くららさん)は『一人遣傀儡石橋』を持って一橋治済(生田斗真さん)の前に進み出ました。 実はこの大崎は少し前に長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)よって捕まって定信の前に連行されていました。許しを乞う大崎に定信は自分たちの間者になることを条件とし、写楽は源内で浄瑠璃小屋に潜んでいるから確かめるよう治済に進言し、治済を小屋に連れてくるよう命じられていました。必死になって訴える大崎を治済は怪しみながらも、曽我祭の日に芝居町に出ることにしました。 いよいよ曽我祭りの日です。往来を練り歩く役者たちに人々は「大和屋!」「成田屋!」などと声をかけ、また座元や役者たちからはご祝儀の饅頭が集まった人々に配られていました。 治済は大崎を連れて重三郎の店に来ました。役者絵を買い求めながら重三郎に、写楽は源内なのかとか、あの戯作(「一人遣傀儡石橋」のこと)は面白かったぞとか重三郎にカマをかけていました。重三郎はわからないフリをしましたが、治済は怪しんでいました。 治済が祭りに来ていることを確認した仙太(岩男海史さん)は、男から渡されたたくさんのご祝儀の饅頭を持って、小屋に隠れている定信のところに報告に行きました。饅頭を包む紙には役者の名入りと無地のものがあり、そこにいる定信の配下の者たちに配られました。 その治済はお供をする大崎に、あの「一人遣傀儡石橋」の筆跡は定信ではないか?と問いました。大崎は必死にごまかし、写楽のことを確かめさせようとしますが、治済は「この饅頭を大崎が食べたら行く」と。 そのころ定信が潜む小屋では饅頭を食べた配下の者たちが苦しみながら次々と倒れていきました。平蔵は包み紙が「鰕蔵」の名入りを取っていたので無事でしたが、包み紙が無地の物には毒が入っていたのでした。 毒入り饅頭は重三郎や店の者にも渡されていて、重三郎は饅頭を口に入れる前に平蔵が止めてくれましたが、食べてしまった店の者たちは急いで吐き出していました。 そうこうしていると死んで奉行所の人たちに運ばれる大崎が店の前を通っていき、重三郎は先ほど来た客だと気がつきました。平蔵は重三郎に全てを話すべきと考え、定信が潜む小屋に連れて行って真相を明かしました。 毒饅頭はどうやら今回の企てに関わりのある者にしか配られていないようだ、つまりこれは治済が「知っておるぞ」と言っているようなものだと、平蔵は重三郎に詫びました。重三郎が自分たちは侍じゃないから身を守れない!と怒りが収まらなかったとき、もう一人、謎の人物が奥から出てきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
December 4, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政5年(1793)店先に置かれた『一人遣傀儡石橋』と書かれた謎の書き物によって安徳寺に呼び出された蔦屋重三郎(横浜流星さん)を待っていたのは失脚した老中の松平定信(井上祐貴さん)他、亡き田沼意次の側近の三浦庄司(原田泰造さん)たちでした。 そこにいる者たちは結果的には一橋治済(生田斗真さん)の傀儡となって人生を狂わせた、あるいは正義のために治済を懲らしめたい者たちです。謎の書き物は三浦の話を元に定信が書き写したものでした。 重三郎は定信から「我らは宿怨を超えて、共に仇を討つべく手を組んだ。共に仇を討たぬか。」と誘われ、他の皆も口々に「世のために悪党を成敗するのだ。」と言いました。 そんな危ない話に乗る気になれない重三郎が帰ろうとすると襖が一斉に開き、刀を構えた家臣たちが出てきました。定信は重三郎に、そなたはこの件にもう関わってしまったから引き返せないと言い、世の人に源内が生きているのではないかと思わせて世の中を大騒ぎさせて欲しい、と頼みました。 帰宅した重三郎は妻のてい(橋本愛さん)に話を報告しました。ところがていは意外にもこの計画に賛成で、それどころか「この際だから蔦屋重三郎らしい、うんとふざけた騒ぎにしてはどうか。しみったれの定信から経費をふんだくり、贅沢でふざけた騒ぎを起こす。それが恋川春町への供養にもなる。」とまで言います。 重三郎はていの考えを受け入れ、案を考えて浮かびました。平賀源内が書いたとしか思えない新作の浄瑠璃本を重田七郎貞一(後の十返舎一九)に書いてもらい、歌舞伎小屋で演じてもらうというものでした。 寛政5年(1793)10月、倹約令と風紀粛清により「江戸三座」と呼ばれた歌舞伎小屋は経営困難になって三座すべての経営が控えの座に委託され、芝居町は大きな打撃を受けていました。 芝居町を訪れた重三郎は仙太(岩男海史さん)と出会い、潜入捜査のために磯八(山口祥行さん)と共にやっている蕎麦屋に行って長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)と会いました。 平蔵は葵小僧の事件から、世間を煽りたてて事を大きくするのは一橋治済のやり口であり、治済から何か命じられているであろう大崎(映美くららさん)が芝居町に潜んでいると推測して探している、とのことでした。そんな話をしていたら重三郎が市川門之助(濱尾ノリタカさん)とばったり会ったので、平蔵はその場を離れました。 重三郎は門之助から思いがけない話を聞きました。三座の経営難は控櫓にしたら三座にとって代われるまたとない好機なので鼻息が荒く、控櫓は「曽我祭(曽我ものが当たったときに楽屋で内々にやるお祝い)」をやろうと言い出している。しかもそれを町内に出て派手にやろうという話で、通りで役者を総踊りさせる、というものでした。 菊之丞、宋十郎、鬼次、鰕蔵らも通りに踊り出てくるという話であり、これは役者の素の顔を民衆がお天道様の下で拝めるという、またとない機会になります。 「役者の素の顔」を描いて平賀源内が作ったと噂を流す。そうすれば源内が生きていると人々は思うだろう。ーー重三郎はひらめきました。 重三郎は源内が描いたと思われるような役者絵を出すために、北尾重政(橋本淳さん)や朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)ら、長年一緒に仕事をしてきた絵師や戯作者や狂歌師を集めて話をしました。 今は地味な役者絵ばかり出回っているから何をやっても目立つ、と源内が描いた蘭画絵を皆に見本に見せました。 曽我祭で役者っが通りに踊り出てくる。そこに役者の素の顔の似絵があれば、人々は買い求める。再び芝居に客が戻り、絵も売れる。しかもその絵が死んだはずの源内なら、江戸中が祭りになる! 重三郎の話に集まった皆はすっかり乗り気になりました。そして画号はどうするかとなり、喜三二の「しゃらくさい」の案に重三郎が『写楽』と字をあて、決まりました。 重三郎はこの話を定信に報告し、定信も了承しました。あと肝心なのはこれをやるための費用のこと。重三郎は「質素倹約と身上半減のために金がない」と定信から受けた仕置きのせいでと匂わせ、かかりを要求しました。 重三郎の要求を定信が断ると「ではこの話は他の本屋に。金がないと愚痴が出るかも(計画が漏れるよ)。この仇討ちの件は奉行所のほうに届け出は?」と定信の痛いところを突きました。結果、定信は折れて多額の資金を提供してくれました。 さて重三郎から離れた喜多川歌麿(染谷将太さん)はというと、自分の描いた絵を弟子の菊麿(久保田武人さん)も本屋たちも誰も品評してくれず、物足りなさで苛立っていました。 逆に重三郎から仕事を頼まれた絵師たちは、重三郎の望む絵になるよう何度も何度も描き直しをさせられていました。重政はしまいには頭にきてしまい、もうつきあいきれない!と言い作業を中断して帰ってしまいました。 残った者たちも画風を言葉で表すのは至難の業だと感じていて、でも歌麿ならなんとかなるのにと思っていました。重三郎も反省し、頭に浮かぶ絵を言葉にする努力を始めました。 そのころ江戸城では一橋治済が、実子でもある第11代将軍の徳川家斉(城桧吏さん)に、将軍の務めとしてもっと子を成すよう要求しいました。また治済は老中の本多忠籌(矢島健一さん)と松平信明(福山翔大さん)には大奥にもっと金を入れるようしました。二人の老中が「今は異国の備えに金が要る」と難色を示すと、治済は「将軍の子こそ日本を強くする。一橋の血で染め上げてこそ謀叛のおそれもなくなる。」と強く主張しました。 治済と老中たちとの間に、治済と家斉との間に溝ができ始めた頃、尼となった大崎が治済の元にやってきました。尼寺に身を潜めていたが、どうやら自分は探られているらしい、ここでもう一度奉公したい、と治済に訴えました。 さて絵師たちのほうですが、歌麿は一人では自分に納得がいく絵が描けなくて何度も描き直しをしていて、そんな時にていが『歌撰恋之部』の絵を持って訪ねてきました。 歌麿が下絵を描いたものに重三郎が色付けしたもので、歌麿の好みになるよう何度も何度も摺師にやり直させて摺師と大喧嘩し、版元印の位置も何度も考えぬいたものだと言いました。 ていは「これは重三郎からの恋文の返し」と言い、素晴らしい本屋は他にもいるけど歌麿のことを考えぬく本屋はのは重三郎しかいない、今、重三郎は誰よりも歌麿を望んでいる、どうか戻ってほしい、と訴えました。 そして何よりていの本音として「二人の男の業と情。因果の果てに生み出される絵というものを見てみたい。」と心の底から強く訴えました。 重三郎は自分が描いて欲しいと思い描く絵を言葉にしたものを持って、重政のところに詫びに行きました。重政も言い過ぎたと詫び、ではこれから打ち合わせをと思ったとき、ていが歌麿を連れて現れました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
November 26, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政5年(1793)、我が子を早産で失ったてい(橋本愛さん)は悲しみに暮れて食事も喉を通らず、たか(島本須美さん)が何を言っても心に響きませんでした。 蔦屋重三郎(横浜流星さん)も何も考える気力がわかず、喜多川歌麿(染谷将太さん)と袂を分かったことを吉原の親父の駿河屋市右衛門(高橋克実さん)に報告したときも、仕事に対して投げやりになっていました。 店の重苦しい雰囲気を変えようと滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)は、亡き子と婆さまからご加護を得るために写経をしようと呼びかけていたら、そこに大凧を背負った流れ者が店に入ってきました。 男は駿府生まれの重田七郎貞一(後の十返舎一九;井上芳雄さん)と名乗り、自分が書いた浄瑠璃本を重三郎に見せました。なんとか蔦屋で書きたい貞一は、持参した大凧は亡き平賀源内が作った相良凧であり、相良は亡き田沼意次の領地だった、それを袖の下に渡すと言いました。 重三郎の心に平賀源内と田沼意次の存在がよみがえり、すっかり気力の失せていた重三郎の目に光が宿りました。 貞一の話から、実は源内は獄から逃げのびて相良でかくまわれて生きていた、いや、そんなことはないかと思いつつも、重三郎は蘭学者の杉田玄白(山中聡さん)を訪ねました。 重三郎が源内にまつわるうわさとか聞いたことがないかと尋ねると、玄白は重三郎の話をすぐには否定せず、分厚い書物のようなものを取り出して重三郎に渡しました。 さて、ていですが起き上がれるようになったものの何か食べたいという気になれず、そんなところふじ(飯島直子さん)ととく(丸山礼さん)が豪華な菓子の詰め合わせを持って見舞いに来てくれました。 ふじは「子は甘いものが好きだろ?」と言って位牌に手を合わせ、皆でいただこうと言い、ていに菓子を一つとってくれました。女たちの悲哀を嫌というほど吉原で見てきたふじの言葉はていの心に響き、ていはおなかの子の供養と思って菓子を口にしました。あれ以来ずっとまともに食べていなかったていでしたが、菓子の甘さが心にしみて久しぶりに食べ物が美味しいと感じました。 一方、重三郎は玄白から「解体新書」を受け取っていました。これの挿絵を描いた小野田直武という人物は源内から絵を習い、源内が死んだ翌年に急死していました。その小野田は秋田の出なので、重三郎はの朋誠堂喜三二(本名は平沢常富、秋田佐竹家の留守居役;尾美としのりさん)に会い、小野田のことを尋ねると喜三二は、源内は蝦夷に逃げたのでは?とのことでした。 重三郎がこの話を田沼意次に仕えた三浦庄司(原田泰造さん)にすると三浦は、源内はたしかに獄で亡くなったしあのとき意次も嘆き悲しんでいた、と言いつつも源内は今も生きているのでは?と言う重三郎の話を否定はしませんでした。 次に重三郎は大田南畝(桐谷健太さん)を訪ねました。源内の話を大田にしても源内のことには触れたくなさそうでしたが、重三郎が源内のおかげで大田が有名になったことを言うと、態度を改めて何か考え始めました。そして重三郎に源内が描いたという蘭画を渡してくれました。 蘭画をていに見せると源内は絵師になったのでは?と言うので、重三郎は芝居町に出て蘭画風の絵を探しました。町に出ている芝居絵がすっかり地味になったのを残念に思っていたら、後姿が源内とよく似た男を見つけ、後を追いました。結局、男は見失ったのですが長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)に偶然会い、平蔵も誰かを追っているとのことでした。 帰宅した重三郎が町での出来事をていに話していると、ていは草餅を食べながら話に耳を傾けてくれました。食欲も出てやっと元気になったていを見て重三郎は喜びました。そしてていもまた、源内が生きているかもと聞いて活発に動き始めた重三郎を見て安堵しました。 そんなところにみの吉(中川翼さん)が山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)を案内してきました。京伝は瑣吉に縁談を持ってきていて、みの吉は何が何でもこの話をまとめた方がいいと後押ししていました。 そのみの吉は、歌麿のいない今この店でできることはないかと考えた案を紙に書いて出してくれました。みの吉を見てていも何か売り出すものはないかと考え、歌麿が最後に渡してくれた恋心の女絵の下絵に、少し手を加えて出すのはどうかと重三郎に提案しました。「何もしないよりはいい」ーーていの言葉に納得した重三郎は下絵に歌麿好みの見事な彫りと摺りを入れるよう注文しました。 そのころ歌麿は地本問屋の皆を吉原の座敷に集めていました。「ここで派手に遊んだ順に仕事を受ける」と言って皆に余興をさせて豪勢に遊び、女郎たちも喜んでいましたが、歌麿自身はちっとも楽しそうではありませんでした。 これが歌麿なりの吉原への恩返しなのか、紙花を撒くことを要求すると何人かが出てきて紙花を撒き始め、鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)は歌麿が撒いたほうが座敷が盛り上がる、と言って紙花をわしづかみにして渡してくれました。 そのついでに喜右衛門は重三郎が色付けと歌麿の名入れをした『歌撰恋之部』の絵を歌麿に見せました。これから蔦屋が出すというその絵を歌麿は破り捨てましたが、喜右衛門が間に入ってくれたことに重三郎は礼を言いました。 瑣吉が履物屋の伊勢屋に婿入りする日、重三郎と瑣吉が去った後で店の戸口に青い包みと1冊の黄表紙が置かれていることにていは気がつきました。 重三郎が戻って中を見ると『一人遣傀儡石橋』と書かれた書き物があり、その話の筋書きは田沼意次を象徴する「七ツ星の龍」とか「死を呼ぶ手袋」とか、源内でなければ書けない話でした。さらに中には安徳寺に来るようにと重三郎に宛てたと思われる紙が挟んでありました。 重三郎が安徳寺に行って通された部屋には失脚した老中の松平定信(井上祐貴さん)と相談役の柴野栗山(嶋田久作さん)、元大奥総取締役の高岳(冨永愛さん)、そして三浦と長谷川が待っていました。 高岳は重三郎の前に進み出て手袋を見せました。それは10代将軍・徳川家治の嫡男の家基が鷹狩りに出て急死したときのもので、指先に毒が仕込まれたものでした。 毒を仕込んだのは家斉の乳母だった大崎が怪しいが、この件を追究すれば手袋に関わった田沼意次と高岳が怪しまれることになり黙るしかなかった、と高岳は語りました。 あの事件の折に老中首座だった右近将監(松平武元)の死後、行方知れずになっていた手袋が大崎から高岳→定信に渡され、定信は三浦から、源内が家基急死事件の真相を推測して書いた戯作があったことを聞かされたのでした。 定信は一橋治済(生田斗真さん)のことを「傀儡好きの大名」と呼び、重三郎に呼びかけました。「ここに集った我らは皆、その者の傀儡とされ弄ばれていた。ゆえに此度、宿怨を超えて共に仇を討つべく手を組んだ。蔦屋重三郎、我らと共に仇を討たぬか。」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回、私なりに感じたこと。主人公の蔦屋重三郎(横浜流星さん)は、仕事が行き詰まったところに誕生を楽しみにしていた我が子も失い、まさに精神的エネルギーがゼロになっていました。ところがそんな状態のとき、平賀源内と田沼意次の名を聞いて少し力が湧き、さらに「源内が生きているのでは?」と思った瞬間から、重三郎らしい行動力がグングン出てきました。 かつて心のよりどころとした人が他界して久しく、もう自分の中から消えてしまっていたけど、どん底の今、その名を聞いただけで心が再び熱くなり、体が動くようになったのです。一方、妻のてい(橋本愛さん)も自分の体から子が流れ出てしまい、生きるための気力すら出てきませんでした。でもそれを、ふじ(飯島直子さん)が受け止めてくれました。 吉原でも辛い境遇に嘆き悲しむ女郎たちをたくさん支えてきたふじだからこそ、言えた言葉でしょう。「子は甘い物が好き。」何も食べる気が起きないていでしたが、おなかの子が食べたがっているのだと思うと菓子を口にしようと思い、その言葉で同時に心も温かくなり、少しずつ生きる力が出てきました。 ラストの松平定信(井上祐貴さん)の復讐心も生きる気力にはなるけど、まずはプラスのエネルギーをくれた人たちの存在が復活の気力になるのがいいですね。
November 20, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政5年(1793)、喜多川歌麿(染谷将太さん)は義兄・蔦屋重三郎(横浜流星さん)の吉原への借金100両の返済代わりとして女郎の大首絵を50枚描くことになり、吉原で女郎たちの絵を描いていました。しかし吉原では、倹約令のために流行るのは安い女郎ばかりで、高級な花魁たちには声がかからなくて景気が悪い、と親父衆は愚痴ばかりこぼしていました。また江戸市中では、錦絵に描かれた看板娘がいる店では割高な料金を取って商売をしていましたが、奉行所からお叱りを受けて元の値に戻していました。一方、江戸城では老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が将軍・徳川家斉(城桧吏さん)にオロシャの来航に伴う海防について報告をしていていました。話の後で家斉は、そろそろ政を定信に頼らず自分で指図すべき、と父・一橋治済(生田斗真さん)から話があったと言いました。しかし家斉は、自分は難しいことはわからないし政に興もわかぬと言い、定信が将軍補佐を外れても政に指図するしくみを作って欲しいとのことでした。定信はそのためにも自分が大老になればいいと考え、徳川御三家尾張の徳川宗睦(榎木孝明さん)に相談しました。宗睦は、大老は「井伊」「酒井」「土井」「堀田」の四家からしか出さぬしきたりがあるから無理だと答えました。しかし定信は、家斉が自分を頼っているからなんとか後押しして欲しい、と本気の覚悟を見せていました。宗睦は、家斉が今まで定信を避けていたのに急接近してきて変だとは感じていました。定信は、オロシャのラクスマンが漂流民を引き渡した後も日本に留まって将軍への目通りを願っていて、開国を要求していると目付の村上義礼(大迫一平さん)より報告を受けました。老中の本多忠籌(矢島健一さん)らはオロシャの要求をのんだほうがいいと考えましたが、定信は彼らを早く帰国させるためにも信牌(鎖国中の日本での長崎の入港許可証)を持たせればよいと考え、幕府の公式の返書をしたためて目付に渡しました。信牌を受け取ったラクスマンはエカテリーナ二世に見せるため、すぐに日本を出てオロシャに戻っていきました。この件を定信は将軍・家斉に報告し、その後で定信はある書状を家斉に渡していました。さて吉原では、歌麿が描いた女郎絵ができあがってきて親父衆たちは喜んでいました。親父衆は昔のにぎやかだった頃の昔話に花が咲き、次の企画は何かないかと盛り上がっていました。重三郎は歌麿が吉原を立て直すと皆に宣言し、親父衆もそれを期待していました。ただ当の歌麿は実は気乗りしていなくて、勝手に安請け合いをする重三郎からますます心が離れていきました。そんな話をしていたらふじ(飯島直子さん)たちが、重三郎の身重の妻のてい(橋本愛さん)のために、赤子の着物やおもちゃなどのおさがりをたくさん運んできました。商売も(歌麿頼みで)上向きになりそうだし、まもなく赤子も産まれてと、重三郎は楽しい未来を想像して笑っていました。しかし大量の仕事を持ってこられるだけで重三郎にいいように使われているようにしか思えない歌麿は、まったく笑う気にもなれませんでした。ある日、重三郎の店に鱗形屋孫兵衛の長男の長兵衛(三浦獠太さん)が『金々先生』の大量の版木を譲るといって持ってきてくれて、重三郎はありがたく譲り受けました。話の流れで長兵衛は弟の万次郎(孫兵衛の次男で西村屋の養子;中村莟玉さん)が歌麿はと組んで仕事ができると喜んでいたと重三郎に伝えました。そんなこと初耳だった重三郎は急ぎ歌麿のところに行きました。歌麿は女たちの「恋心」の大首絵を描き終えて重三郎に渡すと、重三郎は歌麿に好きな女がいるのかと喜びました。やっぱり重三郎には人の微妙な気持ちはわからないなと歌麿は自分の思いをわかってもらう気持ちも失せ、淡々と重三郎には本心は言わない、重三郎とはもう仕事をしない、と伝えました。そして歌麿は看板娘の絵を取り出して重三郎に見せ、これまで重三郎が自分に対していかに軽んじてきたかを訴えました。反省する重三郎ですが歌麿の心はもうすっかり離れていました。歌麿は、西村屋の仕事が面白そうだからやりたい、吉原への恩返しは自分なりにやる、と言いました。重三郎が土下座して「なんでもやるから考え直して欲しい」と懇願すると、歌麿は「蔦屋の店を俺にくれ」と言いました。さすがにそれは無理だと重三郎が断ると、歌麿は「結局はそうだろ?俺の欲しいものはなに一つくれない。妻子を大事にしてやれ。」と言って家を出ていきました。重三郎は、今まで気づかず歌麿に嫌な思いをさせてきたことを詫び、これまでずっと自分についてきてくれたことに礼を言い、歌麿は当代一の絵師だと改めて認め、体は大事にしろ、と文をしたためて歌麿の家に置いてきました。店に戻った重三郎は皆に、歌麿はもう自分の仕事しないと伝え、歌麿が描いた女絵を見せました。それを見たていは歌麿の秘めた恋心に気づきました。しかしこのとき急に産気づいてしまい、急いで産婆(榊原郁恵さん)に来てもらい、重三郎もていと子の無事を必死に神棚に祈りましたが、子は流れてしまいました。さて松平定信ですが、将軍補佐と大老を辞する代わりに大老を拝命する日をいよいよ迎えていました。田安家として将軍を出す夢は叶わなかったが国の舵取りをする役目になれた、と側近の水野為長(園田祥太さん)と共に喜び、江戸城に入りました。将軍・家斉は、定信の早く下城したいという願いについて今も心変わりはないかと念押しし、定信も同意しました。すると家斉は大老を命ずるどころか、ならばこのまま引退せよ、政に関わることなくゆるりと休め、と言い渡しました。一橋治済も、徳川のため、将軍(我が息子)のため、ご苦労であったと、早く下城を促すものでした。定信が茫然自失となって退室したら、襖の向こうから廊下まで皆が揃って高笑いする声が響いてきました。家斉が自分を頼りにしてくれたあの様子も、老中の本多忠籌や松平信明(福山翔大さん)が急に自分に服従するようになったあの様子も、全ては自分を失脚させるためのことだったのか。老中首座となってからは、人々から嫌われても煙たがられても、自分が正しい・やるべきだと思ったことをやり通してきたのだ。それなのに最後はこの有り様。ぶざまでみじめで怒りしかなくて、定信は一人布団部屋であの部屋の皆を呪いながら涙しました。この出来事は、町の瓦版では定信が自ら引退を願い出たとして触れ回られ、人々はこの失脚劇の大喜びでした。そんな折、かつて大奥総取締だった高岳(冨永愛さん)が突然、定信を訪ねてきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇前回とこの回で抱いた歌麿の思い。相手が好きな人に限らず、仕事での会社の上司とか、家族間で平気できょうだい差別をする親とか、思いつくまま好き勝手をやってこっちにシワ寄せをかける配偶者や友人とか、etc... 何かにつけて自分が我慢をしてしまう・させられる人の場合、歌麿の気持ちに自分も覚えがあると思った方は多かったのではないでしょうか。この人のために頑張ろう!と思うその相手は、悪い人ではないけれど、独りよがりで、いつも自分に対して勝手な思いこみをして、こちらの気持ちや事情なんかおかまいなしで、あれこれ何かを頼んでくる。言いつけてくる。物事が順調に動いて一人幸せに浮かれていて、こっちは報われない思いを抱えながらも、気持ちに折り合いをつけながら一人引き受けたことを淡々とこなしている。面倒なことや苦労なことは当たり前のように自分に回してきて、楽していい思いをするのはその人が大事に思う他の誰か。私/俺って、便利で都合のいい人なだけ?ずっと我慢を重ねてきたけど、ある日そう気がついたら、心がぶちっと切れるようにその人から心が離れ、その人が目の前で何かやってても何も感じなくなるのですよね。 まあ重三郎の場合はここまで酷くはなくて悪気もなく、まさか歌麿が自分に?という状況もあったでしょう。それでも自分の思い描いたことの実現のために歌麿をさんざん利用し、その分大切にすればまだよかったけど、ないがしろにしてきたことには変わりないですからね。史実でも重三郎と歌麿は一時疎遠になったようですが、脚本の森下佳子氏、こうきたか!と思いました。
November 13, 2025
いったい何が起こっていたのか、全くわからないのですが、昨日からずっとパソコンから楽天ブログに入れませんでした。パソコンからは他のサイトには問題なく入れるのに、楽天ブログの管理画面に入れず、今ようやく入れました。では、2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政4年(1792)9月、老中首座の松平定信(井上祐貴さん)のもとにオロシャの船が根室に来航したと報が入りました。オロシャは漂流して助けた日本人(大黒屋光太夫)を送り返しに来ていて、江戸への来航も希望していました。さらにオロシャは王(エカテリーナ二世)からの勅書を持ち、日本との通商を望んでいました。老中の本多忠籌(矢島健一さん)や松平信明(福山翔大さん)は交易を認めようとしますが、定信はオロシャは日本を襲撃しようとしているのでは?と大反対。少し前までは、オロシャの船が江戸の海に入ってきたら国が滅びてしまうと危惧していたのは本多らで、定信は人心がいたずらに混乱すると林子平の『海国兵談』を絶版にしたほうでした。しかし誰よりもオロシャの動向を警戒していたのは定信でした。そんな中、別件で帝(光格天皇)が父・閑院宮に「太上天皇」の尊号を与えるようだと、定信に報が入りました。再び激怒した定信は武家伝奏の正親町公明(三谷昌登さん)を呼び、どうしても尊号を贈るなら向後一切の禁裏御料を打ち切ると公明に伝えました。さて蔦屋重三郎(横浜流星さん)ですが、尾張に行商に行っている間に母・つよ(高岡早紀さん)が他界していました。それでも商売のほうは少しずつ回復していって、寛政5年(1793)年明けには身上半減が返上できたことを町の人に報告していました。新年にあたり蔦屋の店先には新作の黄表紙や狂歌集がたくさん並び、中でも歌麿(染谷将太さん)の錦絵は相変わらず人気でした。商売がようやく波に乗り出した重三郎は歌麿に仕事をどんどん頼むつもりでいて、ただそれは歌麿の想定以上の量になるので、歌麿は内心困惑していました。2月になり、武家伝奏の正親町公明を江戸城に呼びつけた定信は尊号の件をしつこく問い質していました。公明は帝はもうあきらめたからと釈明するのですが、その態度に苛立った定信は公明らをお役御免のうえ閉門にすると言いました。老中の本多忠籌と松平信明は、武家が公家を処罰するのは良くないと進言しますが定信は、今はオロシャが日本を狙っている非常時、ご公儀と朝廷の不和はオロシャに付け込まれる、何が何でも自分の考えを通そうとします。忠籌と信明は、やり方が強引過ぎて国の中に敵ばかり作っている定信のことを、一橋治済(生田斗真さん)に相談しました。ただ治済は二人の話を聞いているのかいないのか、定信のこととは全く関係ない美人絵を二人に見せて、あることを問いました。この頃、江戸市中では錦絵の題材となった看板娘が世の男たちの関心を集め、男たちが娘たちのいる店に押しかけていました。店側も娘たちの人気を利用して驚くほど値を吊り上げて商売していましたが、それでも人気は衰えませんでした。この状況を見た他の商人たちは自分の娘の絵を描いてもらうよう、こぞって重三郎の店に押しかけました。歌麿はこんなにたくさん描けないと重三郎に訴えます。しかし重三郎は、弟子にあらかた描いてもらって少し手直しして歌麿の名入れをして出せばいい、と聞く耳を持ちません。歌麿がそれは入銀先や客をだますことになるから嫌だと言っても、この流れに乗れば江戸の町全体の経済が回る、そのためのちょっとした方便くらい許される、とどこまでも強引です。歌麿は北尾重政(橋本淳さん)に相談しました。重政は、忙しいと弟子たちに手伝ってもらうことも多いし彼らも喜ぶと言いました。歌麿は、自分は絵を一点一点ちゃんと描きたい、適当になんとかするのではなく本屋にも向き合ってもらいたいと考えていました。でもそんなこだわりを持つのは自分だけなのか?と悩みました。重三郎と歌麿は絵に対して考え方が全く違うのだと、妻のてい(橋本愛さん)は感じていました。重三郎にとって絵は商いの品(道具)であり、歌麿にとって絵は作品であり子のようなものだと。そんな話の流れでていは、子ができたと重三郎に報告しました。絵を弟子に手伝ってもらうのも有りかと思い直した歌麿は、菊麿(久保田武人さん)に下絵を頼み、菊麿も張りきっていました。そんなところに西村屋与八(西村まさ彦さん)が二代目の万次郎(鱗形屋孫兵衛の次男で西村屋の養子;中村莟玉さん)を伴ってやってきました。万次郎は歌麿の『画本虫撰』を見てすっかり心を奪われ、自分が出す新作の絵を是非、歌麿に頼みたいと強く訴えました。万次郎は『当世美男揃え』などの案を持っていて、歌麿もそれは面白そうだと興味をそそられました。歌麿は結局は今は重三郎の仕事で多忙だからと断ったのですが、与八は看板娘の絵を出し、歌麿は重三郎に都合よく使われているのでは?と言い、歌麿の胸に不満の楔を打ち込んでいきました。さて幕閣ですが、本多忠籌や松平信明ら老中が一斉に松平定信に手をついて今までの無礼を深く詫びていました。将軍・家斉からお叱りを受けた、これからは定信に従うと宣言し、その後で市中で流行る看板娘の錦絵を出しました。忠籌は、市中ではこの絵の娘たちを目当てにした男たちが節約を忘れて金を惜しげもなく使い、それにつられて市中の物の値が上がっている、これは「田沼病」では?と報告しました。錦絵を見た定信はなぜか歌麿の名に目が留まりました。一橋治済から何か指令を受けているのか、その様子を見た忠籌は信明に目配せをしました。ところで仕事が順調に動き出したと思った重三郎ですが、人相見からは絵の出し方で苦情が入り、さらに奉行所からは一枚絵には女郎以外の名を書かないよう、お達しがありました。このお達しのために重三郎は仕事をもらっている吉原に大きな迷惑をかけることになりました。駿河屋市右衛門(高橋克実さん)ら吉原の親父たちも不景気で重三郎を助けてやるどころではなく、むしろ重三郎から吉原に借金を早く返して欲しいくらいでした。そこで重三郎が「女郎の大首絵」を提案すると、扇屋宇右衛門(山路和弘さん)は入銀無しならと条件をつけました。どちらも金がなくて話が進まないので、市右衛門は代替案として入銀無しで錦絵を作り、その分は借金を返済したことにしてはどうかと言いました。この話は結局それでまとまってしまい、歌麿の女郎絵50枚を重三郎の100両の返済とすることになりました。しかし自分に相談なしで、ものすごい負担となる事を勝手に決められてしまった歌麿はたまったものではありません。借金のカタに自分を売ったと歌麿は重三郎に激しく怒りました。それでも重三郎は、これで皆が助かり歌麿の名も上がるからいい話だろ?と一方的に繰り返すだけです。歌麿の気持ちを無視して、ひたすら頼み込むだけです。じきにていに子が産まれると聞いたとき、重三郎はどこまでも身勝手で、重三郎にとって自分は無理難題も頼めばやってくれる都合のいい人ぐらいにしか考えていないのだと気が付きました。歌麿は「仕方がないからやってやる。」と返事しましたが、心は冷えきり重三郎からすっかり離れていました。歌麿との話も押し通して思い通りになり、さらにていのおなかの子も元気で喜び浮かれる重三郎。でも歌麿は、後日訪ねてきた西村屋の万次郎に、今やってる揃い物が終わったら西村屋の仕事を引き受ける、蔦屋の仕事はこれで終わりにする、と伝えました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
November 7, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政4年(1792)、須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)が身上半減に罰せられました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)がその理由を尋ねると、幕府から発禁処分となっている林子平の『海国兵談』と『三国通覧図説』を出版したからで、版木も没収されました。市兵衛は幕府の目を気にしながらも、『海国兵談』には皆が知っておいたほうがいいことが書いてあり、本屋は正しい世の中のためにいいことを知らせてやる務めがあるという信念を持っていました。そして引退を決意した市兵衛は「死ぬ前にもう一度、昔の浮かれて華やいだ江戸の町を見たい。」と重三郎に思いを伝えます。若い頃から市兵衛には世話になっている重三郎は、市兵衛の思いを引き継ぐべく、年明けに新作を山ほど出すことを決めました。さて歌麿(染谷将太さん)の描いた大首絵が刷り上がりました。出来栄えを見た重三郎はもう少し華やかさが欲しいと感じたので、人物の背景を「雲母摺」にするとどうかと提案しました。重三郎は歌麿の「十躰」をバカ売れさせて、歌麿を当代一の絵師にしたい、蔦屋の名も上げたい、江戸を湧きあがらせたい、と様々な意欲に満ち溢れていて、歌麿も仕方ないなと思っていました。そんな話をしていたら瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)が歌麿に面と向かって「男色か、両刀か?」と絡んできました。歌麿は瑣吉の話をうまくかわしたけど、その様子をつよ(重三郎の実母;高岡早紀さん)が心配そうに見ていました。つよは後で重三郎に、歌麿のためにも思ったままを無神経に言う瑣吉を店から追い出すように言いましたが、人の気持ちにはどこか鈍感な重三郎には伝わりません。つよは歌麿をもっと大事にするよう、重三郎に忠告しました。つよは時折り歌麿を訪ね、歌麿の心の内を聞いてやっていました。重三郎への思いがまだ消えていなかった歌麿。つよは歌麿を気遣っていましたが、歌麿は自分の描いた絵によって自分がこの時代に生きた証が残ればいいと割り切っていました。そんな歌麿につよは「重三郎の義弟だから私の息子だ」と寄り添い、歌麿も「おっかさん」と呼んでつよには心を開いていました。その重三郎ですが、妻のてい(橋本愛さん)が出した本の案の中にこれならいけそうだと思うのを見つけ、ていと共にかつて田沼派で閉門を受けたことのある和学者の加藤千蔭(中山秀征さん)を訪ね、交渉を始めました。ていは、本当は学問を成したい数多いる女子のために、眺めるだけでも楽しい女性に受けそうな本を作りたいと考え、千蔭流の美しい書物を求めたと千蔭に強く訴えました。さて人物の背景を雲母摺にした大首絵が出来上がったので、歌麿も仕上がり具合を見てみました。陽の光で見ても美しいし、暗い所で灯りをともしてかざすとさらに美しい錦絵になり、歌麿も思わず感嘆の声をあげました。後はこの錦絵をどう売り出すか、重三郎は知恵を巡らせていました。一方でそのころ幕閣内では老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が水野為長(園田祥太さん)から、老中・本多忠籌(矢島健一さん)たちが新しい一派を作り始めていて、一橋治済(生田斗真さん)に接近している、と報を受けました。本多らは、定信に政を任せておくと本当にオロシャの船が江戸の海に入ってきたら国が滅びてしまう、と危惧していました。報を聞いた定信は激怒しましたが、定信自身も将軍補佐の役割がもうじき終わって今の権力がなくなる立場にありました。そこで定信は徳川御三家で尾張の徳川宗睦(榎木孝明さん)に会い、政での一橋の横槍を訴え、自身も将軍補佐のお役御免が近いことを宗睦に匂わせました。ちょうどそのころ第11代将軍・徳川家斉(城桧吏さん)に嫡男の竹千代が誕生し、定信は祝いに参上した際に「将軍補佐」「奥勤」「勝手掛」の辞職を願い出ました。突然の申し出に驚く家斉、するとそこへ尾張の宗睦が来て、今は日の本の国を立て直しさらに外国の船が日の本を窺っているときであり、この局面を乗り越えられるのは定信だけと進言しました。定信は将軍補佐と勝手掛を続行することになりましたが、これは全て定信と宗睦が密かに打ち合わせた読み通りのことでした。ところで重三郎はというと、市中で大流行りしている人相見を利用して、店に客を呼び込んでいました。そして人相見の後で客に合う錦絵を勧め、錦絵を今買った方には喜多川歌麿先生の名入れが入ると宣伝して、歌麿の名を高めつつ錦絵をどんどん売っていきました。また妻のていは雲母摺の錦絵を見て、背景で印象が変わることに気がつき、次に出す本を文字を白に、背景を黒にしてはどうかと提案、重三郎も賛成し、『源氏物語』の一部を抜粋して千蔭流で書かれた書物の『ゆきかひふり』が出来上がりました。重三郎が本の商談で尾張に向かうことになり、出発の日につよが髪を結い直すと言い出しました。つよは重三郎の髪を結いながら、まだ子供だった重三郎を父母が揃って捨てた(駿河屋に預けた)理由を語りました。つよは重三郎を幼名の「珂理」で呼び、重三郎が強く生きてきたことを認めました。でも同時に、たいてい人は強くなれなくて強がっている、それをわかって有難く思うよう、思いを伝えました。話を聞くうちに気持ちが柔らかくなったのか、重三郎はそれまで「ババア」と呼んでいた母を「おっかさん」と呼びました。息子と母がやっと互いに認め合えた瞬間でした。さてこちらは江戸城で、京から武家伝奏の正親町公明(三谷昌登さん)が使者として来ていて、帝(光格天皇)が父・閑院宮に「太上天皇」の尊号を与える件が、一橋治済を通して話が進んでいるとのことでした。自分が不承知な件が勝手に進んでいて、激怒した定信は治済に会って苦情を言いましたが、治済は定信が将軍補佐として家斉に出した「御心得之箇条」を引き合いに出し、帝が父に尊号を贈ることに定信が反対するのはおかしいと反論しました。しかし定信はそれでも引き下がらず、ご公儀の威信に関わることなので自分に任せて欲しいと言い、尊号をとりやめる文を自らしたためて朝廷に訴えました。そうこうしている最中に、オロシャの船が来航したと報が入りました。(1792年9月、ラクスマン、根室に来航)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 31, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政3年(1791)老中首座の松平定信(井上祐貴さん)は老中・本多忠籌(矢島健一さん)と松平信明(福山翔大さん)から今の改革が厳し過ぎるからもう少し緩めるよう進言されますが、耳を貸すことなく、さらに厳しくしていきました。そして自分にうるさく言う者たちは遠ざけ、お気に入りだけを傍に置くようになりました。さて蔦屋重三郎(横浜流星さん)ですが、身上半減の罰を逆手にとった商売も続かなくなりました。そこで次の一手として昔の面白い版木を刷り直して本にしようと考え、鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に版木を安く売ってほしいと頼みました。喜右衛門は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の新作が取れたら古い版木を譲ると言ってくれ、二人で京伝を訪ねました。でも京伝は手鎖の刑の後でもう書く気はすっかり失くなり、その代わりに京伝の家に居候している滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)を重三郎に紹介しました。戯作者の瑣吉はやたら気が強くて自信家で、書いた作品も全体に独りよがりでしたが、どこか面白いものを感じました。絵師の勝川春章(前野朋哉さん)が連れてきた弟子の勝川春郎(後の葛飾北斎;くっきー!さん)もかなりの変わり者で、瑣吉とは反りが合わずに会う早々いきなり喧嘩に。でもそんな二人でしたが重三郎にうまく乗せられて、京伝の名を借りた作品を二人で1冊仕上げました。重三郎は新作を持って日本橋に来て以来ずっと良くしてもらっている須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)に相談に行きました。黄表紙を他の国にも売りたいから地方の書物問屋を教えて欲しいという重三郎の頼みを市兵衛は快諾してくれました。ただ狂歌絵本はこれからどうなるのかを考えたとき、絵師の歌麿(染谷将太さん)は栃木のご贔屓のところに行ったきっり江戸に帰ってこないし、狂歌師の宿屋飯盛は江戸払いになっています。黄表紙は教訓的になり狂歌は格調高いものに、錦絵は相撲絵や武者絵が流行りになり、松平定信の望み通りの世になっていってました。(ただ定信本人も少々思うところがあるようです)こんな世の流れの中で歌麿が描いた亡ききよの絵を見た重三郎は、今なら女絵を出せば間違いなく人々の目を引く、歌麿が当代一の絵師になると確信しました。重三郎は、今は自分から遠ざかり絵を描く気力もなくなっている歌麿に、諸々の思いを吹き飛ばして描きたい思いを起こさせる手立ては何かないかと考えました。重三郎はその材料探しに瑣吉と一緒に市中の美人詣でをしました。瑣吉は最近は茶屋のきた(椿さん)や煎餅屋のひさ(汐見まといさん)が美人で評判で男たちに人気とのことでした。これは不景気で吉原に行けない分、巷の美人に男たちが群がるということでもあり、そんなことを考えていたら義兄の次郎兵衛(中村蒼さん)が蔦屋に来ていて、最近の吉原では相手の人相を見ていろいろ判断する相学が流行りだと教えてくれました。「女絵と相学」ーーこれだ!とひらめいた重三郎は、栃木にいる歌麿に会いに行きました。歌麿は贔屓にしてくれる栃木の釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)の家で仕事をしながら世話を受け、静かに暮していました。庭の草木や虫を眺めてふと生命を感じた時、あの時に重三郎から「生き残って命を描くんだ!」と言われたことを思い出しました。そんな時に重三郎が江戸から栃木までやってきました。重三郎は歌麿にまず「鬼の子」と言ったことを詫び、かたくなな歌麿に錦絵を出して欲しいと、手をついて頭を下げて頼みました。歌麿は「金に困った蔦屋を助ける当たりが欲しいだけ。この機に重三郎の名を上げたいだけ。」と迷惑そうに返しました。重三郎は歌麿が以前きよを大きく描いた絵に「婦人相学 清らかなる相」と付箋を付けて出し、こういうのを描いて欲しいと言うと、同席していた釜屋伊兵衛が相学のことを尋ねてきました。重三郎は伊兵衛に、江戸では相学が大流行りの兆しを見せている、相学の本を出すには女のタチを描きわける絵師がいるが、それができるのは喜多川歌麿しかいない、と説明しました。そして歌麿に「どうかお願いします。」と改めて頭を深く下げて頼みました。それでも歌麿はきよのために女は描かないと言うので、重三郎は「歌麿の絵を見たいと思うのは贔屓筋ならみな同じ。自分を見て絵をいっぱい描いてもらったきよは幸せだった。あの世で自慢している。」と思いを伝えました。そして最後に「描くかどうかは歌麿が決めればいい。」と言うと、歌麿は江戸に戻ることになりました。重三郎は歌麿が描くための見本となる女を集めて描かせました。自分が描いた絵に後から後から注文をつけてくる重三郎に歌麿もさすがに時折りは嫌になりました。でも重三郎の「思わずじぃーっと見てしまう絵が欲しい」という言葉に納得したのか、歌麿は小道具を使ったら?とか自分で案を出したりして、作業を進めていきました。ところで、もう執筆活動はしないと決めていた京伝は次の仕事を煙草入れの店を始めることにし、資金集めが必要でした。重三郎と鶴屋喜右衛門が段取りをして京伝の書面会を開くことになり、当日は広い座敷に大勢の贔屓が集まりました。京伝は初めは派手過ぎると気おくれしていましたが、いざ座敷に入って人々から歓声が上がると、やはり気分は良いものです。皆から名入れを求められ、歌を歌って注目が集まると、やっぱり書き物を続けたくなってきました。結果、重三郎に乗せられたかもしれないけど、京伝自身の中にももてたい・書きたいという“欲”があったからでした。同様に、歌麿にも描きたい“欲”がよみがえっていたのでした。そんなことを思いながら重三郎が喜んでいたら、須原屋市兵衛のことで何か報せが入りました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 23, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政2年(1790)最愛の妻・きよを失い半ば狂ったようになった歌麿(染谷将太さん)は何日も食事をとらず、まるできよの後を追うかのようでした。歌麿を案じた蔦屋重三郎(横浜流星さん)は母・つよ(高岡早紀さん)を呼び、つよには少し心を開く歌麿の見守りを頼み自身は仕事がたまっている店に戻っていきました。老中首座の松平定信(越中守;井上祐貴さん)による出版統制が続き、なんとかしなければと考える地本問屋の皆は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が代表になって、水面下で奉行所の初鹿野信興(田中美央さん)らとやり取りを重ね、寛政2年10月、正式に地本問屋の株仲間が発足となりました。これにより自主検閲での本の出版が許され、やはり定信の改革のせいで苦しい状況にあえぐ吉原の皆を救うために、重三郎はその内容に好色が含まれる本を出そうとしました。行事の吉兵衛(内野謙太さん)と新右衛門(駒木根隆介さん)はこの本は出せないと判断しますが、重三郎は「教訓読本」の袋に入れて中を見せないようにして出せばいいと強く主張。吉兵衛と新右衛門は渋々認めて出版となりました。重三郎が打ち合わせから帰宅すると、栃木に行く歌麿に同行するためにつよが旅支度をしていました。自分から離れたいと言う歌麿に、あの時の言葉の真意をわかってもらおうと重三郎は歌麿に会いに行こうとしました。しかしつよから、それは重三郎が自分の気持ちを歌麿に押し付けたいだけだと叱られ、重三郎は思いとどまりました。明けて寛政3年(1791)、重三郎は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)が書いた『錦之裏』『仕懸文庫』『娼妓絹籭』の3作を袋に入れて販売し、売れ行きは好調でした。しかし3月、その内容がお上に知られて重三郎と京伝は奉行所に連行され、本は絶版となりました。奉行所での詮議では、重三郎はご公儀を謀ったとして老中首座の松平定信が見分に出てきました。重三郎は定信に対し、臆するどころか皮肉を交えた挑発するかのような物言いで自分の考えを堂々と述べていきました。ただやはり、その不遜な態度は定信のカンに障って怒りとなり、重三郎は引っ立てられて厳しい責めを受けることになりました。夫・重三郎の身を案じるてい(橋本愛さん)のために地本問屋の仲間が公事宿の知り合いの飯盛の男を呼んでくれていました。飯盛は「厳しい裁きは朱子学の説くところと矛盾している。」と教えてくれ、ていは重三郎の命乞いをするために長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)を介して、定信の師である柴野栗山(嶋田久作さん)に会い、栗山に朱子学で問答を挑みました。てい:子曰 導之以政 齐之以刑 民免而無恥 導之以德 斉之以礼 有恥且格栗山:君子中庸 小人反中庸 小人之反中庸也 小人而無忌憚也「重三郎は二度目の過ちであり、赦しても改めぬ者を許し続ける意味がどこにある?」と問いました。てい:見義不為 無勇也重三郎は、女郎は揚げ代を倹約令のために値切られ嘆いていると言っていた、だから本で遊里での礼儀や女郎の身の上などを伝え、礼儀を守る客を増やしたかったのだろう、と栗山に述べました。さらに「女郎は親兄弟を助けるために売られてきた孝の者であり、不遇な孝の者を助けるのは正しきこと。」と考えを述べ、最後に「どうか儒の道に損なわぬお裁きを!」と強く訴えました。その後、それぞれに裁きが下りました。京伝は手錠鎖50日、吉兵衛と新右衛門は江戸所払いに、そして重三郎には「身上半減」という罰が下りました。ただ奉行所のお裁きが下る場であっても重三郎には真摯な態度が見受けられず、ていはたまらず進み出て重三郎に平手打ちをして、いつも自分の考えを言いたいだけだと泣きながら責めました。そして後日、地本問屋の皆に詫びを入れるときでもまたふざけてしまい、その場の誰もが腹立ちの顔になって、ふだん温厚で声を荒げない鶴屋喜右衛門から「そういうところですよ!」と叱られてしまいました。さて身上半減で重三郎の店がどうなったのかというと、金だけでなく店にある全てのもの---看板・のれん・畳・版木・在庫の本など、あらゆる物が半分にされてしまいました。定信の几帳面さに呆れたり、ていは情けなくて涙したり。しかしその様子を見に来た大田南畝(桐谷健太さん)は面白くてたまらず大笑いし、集まっていた町の人たちも笑い出しました。「世にも珍しい身上半減の店」でひらめいた重三郎はこの状況を逆手にとって「罰を受けても生き残る。縁起がいいよ!」と店に残る本を売り出して賑わっていました。その様子は松平定信にも報告が入っていました。定信は「あまりに厳しい処分は朱子学との矛盾を生み、ご公儀の威信を損なう。身上半減を与えられる者こそ賢者にふさわしい。」という栗山の助言を受けいれたのでした。ところでそのころ江戸では押し込み強盗が市中を荒らしていて、強盗は平蔵が捕らえて厳しい処罰をしたものの、この件について老中たちからは定信に、これらは倹約令の反動であり、倹約令や風紀の取り締まりを切り上げるべきだ、と進言がありました。本多忠籌(矢島健一さん)は定信に「帰農令があっても、生活が苦し過ぎる百姓にはもう戻りたくない。人は正しく生きたいとは思わない。楽しく生きたいのです。」と切に訴えました。また松平信明(福山翔大さん)は、このままでは田沼以下の政と誹りを受けると進言し、老中2人の言葉は「自分は常に正しい」と信じて強気で改革を進めてきた定信には堪えるものでした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回、蔦屋重三郎(横浜流星さん)を見てつくづく思ったこと。それは何かにつけてすぐにおちゃらけて笑いを取ろうとする人は、時と状況を間違えるとマイナスになって、周囲を凍りつかせるか怒らせるかになる、ということでした。また奉行所で松平定信(井上祐貴さん)に詮議を受ける場面では、一言一言いちいちカンに触る言い方をして定信を怒らせ、自分で罪を重くしています。重三郎は自分の考えに自信があり、自分が必死に訴えれば相手はわかってくれると信じる人なのでしょう。でも自分に思いがあるように、相手にも思いがあるのです。重三郎の必死の訴えを「受け入れる」かどうかは相手次第です。歌麿(染谷将太さん)は今は聞きたくなくて重三郎から物理的に距離を置いたし、定信は自分に逆らうとは許せん!となりました。このドラマはこれまで、重三郎のプラス思考で困難を乗り越えてきたようでしたが、今回は重三郎のこのおめでたい思考が各所で相手をイラつかせた感じがしました。
October 15, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政2年(1790)蔦屋重三郎(横浜流星さん)は山東京伝(本名北尾政演;古川雄大さん)が別の本屋から内緒で本をだしていて、しかもそれが倹約令で自分たちを締め付ける老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が喜びそうなものであることに腹をたて、京伝とは喧嘩別れの状態になりました。歌麿(染谷将太さん)の弟子の菊麿(久保田武人さん)からきよ(藤間爽子さん)の容態が悪いと聞いた重三郎は、医者を連れてきよを見舞いました。医者によるときよはそう毒(梅毒)に侵されていて治る見込みもないとのことでした。きよが目を覚ましたとき、歌麿は重三郎と話をしていたのですが、その光景を見たきよは激しく心を乱してしまい、歌麿はやむなく重三郎に帰ってもらいました。歌麿は今は愛する妻のきよの看病がなにより大事なので重三郎は仕事を頼むことができず、他の絵師を当たっていました。そのころ市中では倹約令による不景気から町の治安が乱れ、悪玉提灯を手に暴れ回るならず者が各地に続出し、これは松平定信の政が原因と人々にささやかれていました。ただ当の定信は、こうなるのは初めから見込んでいた、田沼病の者たちがあぶり出されたと全く驚いてませんでした。ただ対策の必要はあるので、定信はならず者を取り締まっていた長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)に人足寄場を作って彼らを更生させるよう命じました。平蔵は自分には無理だと固辞しましたが、定信から町奉行にしてやってもよいと言われ、亡き父のためにも役目を引き受けました。さて京伝と喧嘩別れになっている重三郎は今後の仕事のためにも鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)の仲介で京伝と再会しました。重三郎と喜右衛門は京伝に自分たちの仕事を最優先でやることを条件に、作料に加え年30両を支払うと伝えました。しかし京伝は、自分は好きな仕事を楽しくやりたいだけで、世に抗うとか難しい仕事は嫌で、浮雲みたいに気ままに生きていたいと、笑いながら言うだけでした。甘えが許されない吉原の女たちを見てきた重三郎は京伝のそんな態度に腹が立って「気ままに生きていけるのは周りが許してくれてたからだろう!」と怒りを露わにしました。そして「今こそてめえが踏ん張る番じゃないのか?」と京伝に強く迫っていたら喜右衛門が二人の口論を止めました。喜右衛門は奉行所から呼び出しを受け、戯作や浮世絵などを出すときの規制を言い渡されました。それは松平定信が、黄表紙や浮世絵は贅沢品であり世によからぬ考えを刷り込み風紀を乱す元凶と考えたからで、今後一切新しい本を仕立ててはならぬ、とありました。喜右衛門と重三郎は対策のために、すぐに江戸の地本に関わる人たちを一同に集めました。そのお達しの文面から重三郎が出した黄表紙が取締りのきっかけとなったことは明らかで、重三郎は土下座して幾度も謝りました。しかし地本問屋たちの怒りは収まらず、怒号が飛び交いました。喜右衛門は皆を静め、重三郎に何か手立てがあるのか問いました。重三郎はお達しの中にある「新規の仕立てをどうしても作りたい場合は奉行所の指図を受ける」という部分を逆手にとって、江戸中の地本問屋が山のように新作の草稿を抱えて、次々と奉行所に指図を受けに行くのはどうかと言いました。仕事が増えた奉行たちが音を上げて、そのうち指図なしでよいとなるのでは?という考えでした。とはいえ草稿はすぐに作れるものではなく、地本問屋たちはまた声を荒げて批判するばかりなので、その様子を見かねた勝川春章(前野朋哉さん)が戯作や絵師の仲間たちに重三郎の助太刀を呼びかけました。春章たちが協力を申し出るとその様子を遠巻きに見ていた京伝も動き出し、重三郎は嬉しくて目に涙がにじんできました。そして喜右衛門が地本問屋の皆に呼びかけると彼らもここは一つ一緒にやるべきだと思い直し、その後はいくつかの組に分かれて草稿作りが始まりました。後日、地本問屋たちがそれぞれ山のように草稿を抱えて奉行所を訪れて指図を仰ぐと、狙い通り役人は悲鳴をあげました。重三郎は次は長谷川平蔵宣以への根回しを始めました。吉原に呼んでもてなし、平蔵は初めは警戒していましたが美味い酒を飲むと「やはり吉原はいい」と気分を直しました。その時、二文字屋の女将のはま(中島瑠菜さん)と先代のきく(かたせ梨乃さん)が入ってきて、平蔵に50両差し出しました。賄は受け取れないと拒否する平蔵。でも重三郎が、これはかつて花の井のために平蔵が出してくれた金であり、実はそれで二文字屋が救われたのでこれは返金になると説明すると、平蔵は花の井の名で昔を懐かしんでいました。それから重三郎は、人足寄場のお役目のために何かと持ち出しが多い平蔵のために利息として50両を差し出し、さらに駿河屋市右衛門(高橋克実さん)が50両を平蔵に差し出しました。「倹約が続いてこのままでは吉原も地本問屋もだめになる。人足寄場でならず者を救うように、身を売るよりほかない吉原の女郎たちを救って欲しい。」と市右衛門と重三郎は平蔵に懇願しました。切羽詰まった吉原のために、平蔵は松平定信からある言葉を引き出すように頼まれていました。平蔵は定信との話の中で上方のことを引き合いに出して将軍家の威光を第一とする定信から狙い通りに、地本問屋も株仲間を作り、その中で改めを行って触れに触らぬ本を出す許しを得ました。後日、重三郎と喜右衛門は京伝が本を出した上方の大和田と会い、黄表紙を盛り立てるためにも株仲間に入るよう言いました。しかし大和屋にそのつもりはなく、上方では黄表紙が人気だから安く仕入れさせて欲しい、京伝はこのまま鶴屋と蔦屋のお抱えでいいと決着が着きました。ただ重三郎が定信のお触れへの対処で奔走していたころ、歌麿の妻のきよはあの世に旅立っていました。最愛のきよの死で心の支えを失った歌麿はおかしくなり、きよの遺骸の傍で何枚も何枚もきよの絵を描き続けていました。重三郎が歌麿を力づくで押さえ、傷んだきよの遺骸を弟子の菊麿たちが運び出しました。「お前は鬼の子なんだ。生き残って命を描くんだ。それが俺たちの天命なんだ!」重三郎の言葉を受け入れられない歌麿はわめいて暴れるだけでした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 7, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回から感想日記の形式を変えて、全体のまとめを最後にもってくることにします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政元年(1789)、老中首座の松平定信を皮肉るために恋川春町の『悦贔屓蝦夷押領』を刊行したことで定信の怒りを買い、春町を自刃させてしまった蔦屋重三郎(横浜流星さん)。『鸚鵡返文武二道』を書いた朋誠堂喜三二(本名は平沢常富)は国元に戻ることになり、大田南畝は処罰を恐れて筆をおき、他の地本問屋が抱えていた武家の執筆者たちも次々と本を書くことをやめ、その影響は地本業界を悩ませることにもなりました。あと頼みの綱となるのは町方の執筆者たちで、重三郎は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の弱みをついて何か書かせることにしました。一方で歌麿(染谷将太さん)は歌麿の絵を贔屓してくれる栃木の豪商・釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)から依頼を受け、伊兵衛の屋敷を飾る襖絵を描くことになりました。帰宅して妻のきよ(藤間爽子さん)に大きな仕事をもらったと報告し、きよと一緒にいれば何でもできると幸せをかみしめていましたが、きよの体には何かの病の異変が出始めていました。文武と質素倹約を奨励し遊びや贅沢を禁ずる松平定信(井上祐貴さん)の政策に重三郎らは息がつまる思いで暮らしていましたが、定信は自分が良しとする政策をさらに強化していきました。その一つが「棄捐令」で札差から武家が借りた金を帳消しにさせ、武家の借金を救うというものでした。その案はあまりにも乱暴で他の老中たちは先々を危惧しましたが定信は耳を貸さず、本多忠籌(矢島健一さん)は定信のやり方を特に案じていました。遊びを禁ずる定信のために政策で市中の遊女たちは行き場を失い、大勢の遊女たちが吉原になだれ込みました。また厳しい倹約政策のため吉原全体でも客が減り、貸した金を棄捐令で踏み倒された札差たちも吉原に来られなくなり、吉原の親父衆たちは皆どうしたものかと頭を抱えていました。吉原を救いたい重三郎は歌麿と政演(京伝)を呼び、歌麿には絢爛豪華な錦絵を、政演には倹約のやり過ぎを風刺する話を書くように依頼しました。ところがその時その話を廊下で聞いていたてい(橋本愛さん)が我慢できなくなり、二人にどうか書かないで欲しいと話に割って入ってきました。ていはそれをやると二人だけでなくこの蔦屋もどうなるかわからない、夫・重三郎の吉原を救いたい思いは立派だが所詮は市井の一本屋、自分たちが倒れたら志を遂げられない、黄表紙は今は控えて、人の道を説いた昔の青本でどうかと主張しました。政演は温故知新で青本もいいと賛同でしたが、重三郎はそれでは春町の気持ちが報われないと反対、しかしていは春町は自刃することによってこの蔦屋を守った、春町だってお咎め覚悟のことは望んでいない、と強く言い返ししました。重三郎の頑なな態度を歌麿は、春町や田沼意次や平賀源内らの他、吉原の人たちへの思いを抱えていることも、上からの締め付けは立場の弱い者たちにだんだんとツケが回っていくという重三郎の考えも理解していました。そんな話をしながら政演が歌麿が描いた襖絵を見たとき、歌麿のありのままの心を政演は深く感じていました。新刊をどうしたらと考えた歌麿と政演は後日、重三郎に黄表紙ではないけど女郎と客をネタにした「いい客を増やす、育てる本」を出したらどうかと提案しました。さてそのころ江戸城では、松平定信が大奥の無駄遣いを徹底的になくそうと、反物や小物や参詣や遊山など削れる部分を一覧表に書き記した指図を老女の大崎に渡していました。ただそれはあまりに締め付けが厳しく、大崎は一橋治済(将軍・家斉の実父、生田斗真さん)にこれでは御公儀の威光に関わると嘆願し、治済から定信に話がありました。治済に強気で反論する定信に治済は別件で、朝廷より話がきている帝の父に太上天皇の尊号を贈ることについて問い、定信は御三家とはかったうえでと返答しました。御三家で紀州の徳川治貞(高橋英樹さん)の具合がよくないと聞いた定信は、すぐに見舞いに伺いました。治貞は定信の締め付け的な政に対する周囲の意見を耳にしていて、「物事を急に変えるのは良くない」と和学者の本居宣長が言っていたと伝え、定信の考えは間違ってはいないが急ぎ過ぎると人はその変化についてこられない、と諭しました。治貞は続けて「全ての出来事は神の御業の賜。それを善だ悪だと我々が勝手に名付けているだけだ。己の物差しだけで測るのは危うい。」と定信に説きました。それでも定信は、我が信ずるところを成し得なければならないと治貞に考えを述べました。何日かたって政演(京伝)が新作『傾城買四十八手』を書きあげ、歌麿と一緒に原稿を重三郎のところに持ってきていました。それを重三郎は表情を変えずに読んでいて、廊下を通りがかったみの吉(中川翼さん)に声をかけ、原稿を読んでもらいました。みの吉は重三郎が声をかけたのも気づかぬほど夢中に読み進めていて「自分がこの場にいるみたいだ」と言い、重三郎自身も正直なところ「景色が目にうかぶ」と言い、同じ感想でした。重三郎は政演の才能を認め、原稿を買い取らせて欲しいと深々と頭を下げました。政演は吉原に月の半分ほど通ってしまう惚れた女、座敷餅花魁の菊園(望海風斗さん)がいました。この暮れには年季が明ける菊園は政演に自分を身請けして欲しいと言い、政演に1冊の本を差し出しました。それは当時流行っていた心学の本で、政演と仕事がしたいという他の本屋が菊園に口利きを頼み、礼も弾むとのことでした。一方、江戸城では太上天皇の尊号の件を定信が不承知と返答したことを一橋治済は改めて定信に問うていました。定信はこれは御三家も老中も同じ意見だったから上奏するように決したと言い、定信の生真面目さが治済は面倒なようでした。そこへ老女・大崎が罷免されたと報が入り、それは大崎が不正を行ったことによる定信の判断だったのですが、大崎は一橋治済の腹心でもあったので、治済の内には密かに怒りが湧いていました。明けて寛政2年(1790)正月、蔦屋では新刊が並びました。しかし世は質素倹約で客足は少なく、店は寂しいものでした。そこに鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が入ってきて、政演が別の本屋から出した『心学早染艸』の本を差し出しました。本の内容は松平定信が喜びそうなものであり、重三郎の考えとは対極のものでした。腹が立った重三郎は吉原にいる政演のところに乗り込みました。「こんな面白い本だと皆が真似をして定信を担いでしまう!」と怒る重三郎に政演は「どっちの味方とかどうでもよくまずは本が面白いことが大事だ!」と反論しました。それでも聞く耳もたずで自分の考えを押し通そうと怒る重三郎に政演は嫌気がさして、もう重三郎の仕事はしないと宣言しました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回気になったのは、自分の考えを強気でどこまでも押し通そうとする、対極にいる2人の男ーー蔦屋重三郎(横浜流星さん)と松平定信(井上祐貴さん)でした。どちらも聞く耳持たずで、まあ良い言い方をすれば自分という人間に対して自信があって超プラス思考なんでしょう。でも自分の考えが絶対だというのが顔にも現れていました。特に為政者である筆頭老中の定信に対し、彼らなりの人生経験からそれはまずいのではと案じる老中たちがいて、その中でも本多忠籌(矢島健一さん)がここは思い切って進言すべきかと悩む姿が印象的でした。また御三家で紀州の徳川治貞(高橋英樹さん)は遠縁でもある定信に何かと味方してきたけど、ますます勢いで突き進もうとする定信を案じていました。定信を優しく諭しても、定信は「でも自分はこうする」というのが見えて、彼の心に響いていないのが残念そうでした。若さの勢いを案じる人生のベテランさんたち。これはいつの時代も同じ光景があるのでしょうね。ただ物語の流れとは別に、さすがベテランの演技と思ったのが扇屋宇右衛門を演じる山路和弘さん。ラストで重三郎が乗り込んできてドタバタになり、迷惑をかけた隣りの客に謝りながら直しているシーンです。画面手前のメインを壊さないよう、でも「背景の人物たちはこうしている」という動きが印象的でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう
October 1, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回で感じたのは、上に立つ者の行動の対比でした。松平定信(井上祐貴さん)は怒りに任せて恋川春町(本名は倉橋格;岡山天音さん)を呼び出して詰問しようと考えます。でも最高権力者の怒りが想像できるから春町はすぐには応じられません。春町の殿・松平信義(林家正蔵さん)は春町を理解し、誇りに思う家臣の一人として、春町を生かすためになんとか守ろうとします。駿河屋市右衛門(高橋克実さん)も春町を逃がそうと、バレたら厳しいお咎めを受けるのを承知で蔦屋重三郎(横浜流星さん)の頼みをきいて、偽の人別を作ってやりました。人生経験と人間性がある信義や市右衛門は、春町を助けてやろうと知恵を巡らせ、定信に嘘の報告をしたり偽の人別を作ったりと自分がやってやれる行動しました。若さと、人生経験が少なくて自分の考えが何でも通ると思う定信は、怒りの勢いで春町の処罰しようとし、でもそれが結果として死を招いたと知って、定信は若さゆえ激しく動揺して後で涙しました。ただ春町が死を選んだのは、我が殿・信義のためかなとも思いました。自分の才能を認めてくれた、自分を誇りに思ってくれた、ギリギリまで自分を守ろうとしてくれた殿です。その殿を守るためにも、思い残すことなく自害を選んだのではと感じました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 寛政元年(1789)2月、蔦屋重三郎が出した本は世間で大人気となり、飛ぶように売れていましたが、その内容は老中首座の松平定信(井上祐貴さん)の治世を皮肉るものでした。一方、定信のほうは文武に長けた者を登用しようとしても次々と辞退していき、どうしたものかと悩んでいました。そんな折に側用人の本多忠籌(矢島健一さん)の家老が賄を受け取っていると知り、定信は激怒して厳しく叱責しました。ただ忠籌は、今はお役目をもらうと持ち出しが増えるから大したうまみがない、登用したい者が辞退するのはそのためと定信に進言しました。それでも定信は公儀への奉公に対する理想を掲げて耳を貸そうとせず、忠籌は世のことを知って欲しいとばかりに重三郎が出した本を定信に差し出しました。忠籌が差し出した本を読んだ定信は、自分の政が笑いのネタになっているのを見て、これはもはや謀反!と激怒、早速役人を蔦屋重三郎(横浜流星さん)の店に向かわせ、朋誠堂喜三二(本名は平沢常富;尾美としのりさん)が書いた『鸚鵡返文武二道』他3作の絶版を命じました。定信は喜三二の主家である秋田藩の佐竹義和を呼び出して詰問、激しい怒りで涙する我が殿を見て喜三二はもう筆を折ることにしました。恋川春町(本名は倉橋格;岡山天音さん)の主の松平信義も定信に呼び出しを受けたのですが、信義はとりあえず春町が病気で隠居したとごまかしました。そんな話をしていたら平秩東作が病だと報が入りました。重三郎は須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)と大田南畝(桐谷健太さん)と共に東作を見舞いました。東作の病は重く、平賀源内が枕元に来たという話をする東作はもう長くないと誰もが感じました。源内は世界がどんどん進むのを肌で感じ、自身もまた新しい世を作り出そうとしていた男で、田沼意次も同じ考えでした。でも松平定信の政で日の本が100年前に逆戻りし、ますます世界から取り残されていく様が悔しくて源内が化けて出てきたのだと市兵衛は思いました。そんな頃、蝦夷地では松前藩の圧政に対してアイヌ人が蜂起し、松前道廣がすぐに鎮圧はしたものの蝦夷の民の恨みは深いと報告がありました。ならばと松平定信はこの機会に蝦夷地を天領としては、と徳川御三家の当主らに進言しました。紀州藩の徳川治貞(高橋英樹さん)は定信に味方してくれましたが、尾張藩の徳川宗睦(榎木孝明さん)は、松前藩は反乱を鎮圧して功を立てたから天領にして所領を取りあげるのはどうかと反対でした。定信はそれでも自説を強く主張しましたが、一橋治済(生田斗真さん)から、その考えは定信が嫌う田沼と同じ、民もそう思っている、と指摘されそれ以上何も言えなくなりました。『悦贔屓蝦夷押領』を読んだ定信は、それが自分の政への痛烈な皮肉であることに気がつき、倉橋格(=恋川春町)の呼出を命じました。呼出に応じて釈明しても下手をすれば自分はお手討ちで主家の小島松平家が取り潰しとなるのでどうしたらと春町が悩んでいたら、いっそ別人になればと重三郎は言いました。それもありかと思った春町は主君の松平信義(林家正蔵さん)に相談、支度が整うまで信義には定信に頭を下げてくれるよう頼みました。信義は、1万石の小名の当家にとって恋川春町は唯一の自慢であり、当主の自分にとっても密かな誇りだった、春町の筆が生き延びるならいくらでも頭を下げると言ってくれました。我が殿の自分への愛情に春町は胸が熱くなりました。しかし時間稼ぎの信義の嘘は定信には通用せず、信義は春町に今すぐ逐電するよう命じました。朋誠堂喜三二が国元に戻る日が近づき、吉原では蔦屋主催の大送別会が開かれ喜三二と縁のあった人たちがたくさん集まりました。互いに酒を酌み交わし賑やかに囃しそれぞれに芸を披露し、そして北尾重政が本の名入れを頼むと他の皆も次々と自分の持ち物に名入れを頼んでいました。吉原の親父衆は皆喜三二の仕事ぶりを讃え、他の人たちも口々にもう一度何か作品をと喜三二に頼んでいました。でもそれは重三郎が江戸を去る自分へのはなむけとして仕組んだんだ、ということも喜三二はわかっていました。宴会の頃合いを見計らって駿河屋市右衛門(高橋克実さん)が重三郎に声をかけ、二人は座を外しました。人目のない場所で市右衛門が重三郎に渡したものは、春町が逐電するときのための偽の人別でした。重三郎を幼い頃から育ててくれ、厳しかったけど独立した今でもこうして何かあれば危ない橋を渡ることであっても力になってくれる市右衛門でした。顔見知りの多い春町だから気を配るよう言葉を添えてくれる親父様の気持ちを重三郎は有難く思いました。しかし重三郎たちの準備もむなしく恋川春町は一人自害をしてしまいました。朋誠堂喜三二とともに重三郎が春町の弔問に行くと、妻のしず(谷村美月さん)から辞世の句を渡されました。そのとき重三郎は文机の横にあるくず入れの中に破られた文を見つけ、しずの許しをもらって紙片をつなげてみました。復元してみるとそれは重三郎にあてたものでした。「別人で生きることを考えたがもう定信の追及をかわせない、逐電すれば小島松平家、倉橋家、蔦屋だけでなく皆にも類が及ぶ、全てを円く収めるためにはこのオチしかないと。」店に戻った重三郎は春町が一旦は破って捨てた最後の文を皆に見せました。本を書いただけで結果、死に追いやられた春町を思い、皆は悔しさと悲しさでいっぱいになりました。ただ重三郎は春町の髪に豆腐のかけらがいくつも付いていたことが気になっていて、それは『豆腐の角に頭をぶつけて死ね』の言葉を体現したのでは?と山東京伝(古川雄大さん)が言いました。続けて喜三二が「春町は戯作者でありクソ真面目な男だったから最後まで戯けないとと思ったのでは。」と言うと、春町を思い皆は泣き笑いました。男たちは涙と笑いをあの世の春町に手向けました。松平信義は春町の死を松平定信に報告しました。春町は切腹し、最後の力を振り絞って豆腐の入った桶に顔を突っ込んだことを言おうとしたとき、あの男らしいと信義は思わず笑いがこみ上げました。そして「ご公儀を謀ったことを腹を切って詫びたが、春町としては死してなお世を笑わすべきと考えたのでは。一人の至極真面目な男が武家として、戯作者として分をそれぞれわきまえ全うした。戯ければ腹を切らねばならぬ世とは、いったい誰を幸せにするのか。本屋風情の自分にはわからないと言っていた。」と信義は涙をこらえながら重三郎の言葉を定信に伝えました。一人になった定信は布団部屋に隠れ、声を殺して涙しました。
September 25, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の中でよく出てきたキーワードの「伝わる」。その言葉を発信した人が思い描く、言わんとすることが必ずしも相手にちゃんと伝わるとは限らないというのはいつの時代にもあることですよね。蔦屋重三郎(横浜流星さん)たちが出版した松平定信(井上祐貴さん)の治世をからかった本は、当のご本人でさえ本にこめられた思いが伝わらない。その定信が自分の治世で据えたい理想の武士像を思い描いて、張りきって文武二道を奨励したものの、にわか仕込みで武芸や学問を始めた者たちには真髄たるものが伝わるはずもなく、できあがるのは勝手な解釈の果てに民を苦しめる使えない者ばかり。前回では、店を守りたいというてい(橋本愛さん)の思いがちゃんと重三郎に伝わったのに、今回はカン違いでも『文武二道』の本がとにかくうまくいったことに味をしめて強気になった男どもに、ていの嫌な予感は伝わらずに出版となってしまいました。思うことを伝えるというのは、難しいものですね。ただ意外だったのが、この時代の武士たちが文武の面でこんなにも緩んでいたことでした。あと50年もすれば幕末の動乱が始まります。幕末のドラマを見ていると誰もがものすごく勉強熱心で、あるいは剣の稽古に励む若者たちがいて、そんな彼らが命をかけてどんどん時代を動かしていきます。まあ逆に考えれば、このドラマの時代がこうだったから、地道に文武に励んできた若者たちが幕末で名を上げたということでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明8年(1788)の年明けに出版した『文武二道万石通』を読んだ松平定信(井上祐貴さん)は本に込められた自分への皮肉に気がつかず、たいそう気に入ってこれからの政にますます意欲が湧いてきました。また定信は阿波蜂須賀家の儒者であった柴野栗山(嶋田久作さん)を第11代将軍・徳川家斉(城桧吏さん)のお抱えに推挙しました。皆が孔子の教えを学び、一人一人が正しき人となり、武術に励んで世に広まる田沼病を根本から治さなければ、と定信は意気込んでいました。そのころ蔦屋では『文武二道』を買い求めて人々が押し寄せていました。店の奥では皆が総出で本の製本をしていて、それでも追いつかないほどの人気ぶりで、重三郎は世の流れが一気に変わるような気さえしていました。町に出ると侍たちは新しい弓を持ち歩いて武芸を語り、学問所で学んだ孔子の論語の一節をそらんじていましたが、武芸も学問もまだ始めたばかりの印象を受ける者が多いようでした。また重三郎も本が飛ぶように売れるのは嬉しいけれど、定信の政をからかっている本の内容が世間の人には全く伝わらず、落胆していました。ただ歌麿が描いた絵は一流の絵師にも劣らないのに値打ちで買えると熊野屋(峯隆太さん)などの豪商(林家三平さん)には評判でした。歌麿(染谷将太さん)が重三郎の店を出た帰り道、急に雨が降ってきたので雨宿りをしたらきよ(藤間爽子さん)が洗濯物を慌てて取り込んでいました。歌麿が手伝いながらきよを見ると、以前幻覚に悩まされたときにここで会ったあの女であることを思い出し、耳の聞こえないきよに必死に伝えました。きよは歌麿があのときの男で本当は優しいなの男だろうと思うと安堵し、落ち着いて自分の仕事を始めました。歌麿はきよを見ているとなぜか心穏やかになり、そしてきよの姿を描きたくてたまらなくなり、夢中で筆を動かしてきよを描いていました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)は『文武二道』の真意が肝心の定信にも世間にも伝わっていないのにどうにも納得がいかなくて、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)ら出版の仲間に集まってもらってました。田沼を叩くのをやめると定信へのからかいが露骨にわかってしまう、ではどうしたら?とか皆で考えていたのですが、恋川春町(岡山天音さん)だけは一人不機嫌で拗ねていました。その理由は春町の書いた『悦贔屓蝦夷押領』だけが売れていなかったためで、皆はそれぞれに春町の機嫌をとっていましたが機嫌は直りませんでした。恋川春町(武士で本名は倉橋格)は出仕してもお役目に身が入らず他事を考え、それを小島松平家当主の松平信義(林家正蔵さん)に見られてしまいました。信義は平謝りする春町の顔を上げさせ、春町の本がとびきり面白かった、実に皮肉だった!と感想を伝えました。信義は『悦贔屓』の本の言いたいことを正しく理解してくれて、さらに春町がよくお叱りを受けなかったと味方してくれました。春町は我が殿・信義を信頼して、定信の政をどう思うか尋ねました。信義は「志は立派だが、果たしてしかと伝わるものなのか。」と答え、春町は信義の言葉を深く考えてみました。江戸市中では急に武芸を始めた武士たちがやたら何かと威張り散らし、町の人たちはあちらこちらで酷い目にあっていました。一方、自分の書いた本を我が殿から褒めてもらえて気が済んだ春町は、信義が言ってくれたことを自分なりに解釈して「俺たちのからかいも通じなかったが、定信の志もそううまくは伝わらないのでは。」と重三郎たちに伝えました。「元から文武に励んでおった者は今さら道場に通ったり、本を買ったりしない。今、文武を叫ぶ者はにわか仕込みの新参者だ。」と分析しました。さらに「文も武も修めるには時間がかかるもの。遠からず皆あきてトンチキを作り出して終わるのではないか。」と信義の言葉を伝えました。ところがそんな話をしていたら大田南畝(桐谷健太さん)が駆け込んできて、田沼意次の死を報せ、意次の名誉を取り戻したかった皆は言葉を失いました。さて、誰もが文武に励んで田沼病を治す政策がうまくいっていると思っている定信の元に、将軍・家斉が大奥の女中との間に子をもうけていたという、驚くべき報せがもたらされました。ここのところ学問を怠る家斉に定信は苦言を呈しますが、家斉は「それぞれ秀でたことをすればよい」と聞く耳を持ちません。定信は家斉が御台となる茂姫との婚儀も済まぬうちから他でお子を!と茂姫の実父である薩摩藩主の島津重豪(田中幸太朗さん)に訴えますが、重豪も一橋治済(生田斗真さん)も全く気にしていない様子でした。さらに定信は、質素倹約の旨を皆にきつく言い渡しているのに能舞台の衣装が豪華なことも気になる、賄賂も固く禁じていると二人に意見しました。しかし治済から、定信が10万石と引き換えに老中首座となり思うままに政をしていることを示されると、定信は何も言えませんでした。定信が文武二道を奨励した結果、にわか仕込みで武士としての心構えもなっていない者たちが立場の弱い民たちを苦しめている実態をどうしたらいいのかと、定信は柴野栗山に問いました。栗山は、各々の立場に対する心得を作って書にして将軍・家斉に渡す、初歩の漢文すら読めぬ旗本・御家人も多い昨今、まず武より文、武家としての心得を叩きこむのが良いと進言しました。さらに栗山は自分が湯島聖堂で講釈をしてもよい、定信の『鸚鵡言』を使うと言い、定信は快諾しました。田沼意次の死と共に、もう一つの悲しい別れがありました。歌麿が幼かった頃の数少ない幸せな記憶として残り、歌麿が唯一師事したいと強く願った鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)の突然の死でした。何かにとりつかれたように筆をとって雷獣を描きあげ、絵筆を握りしめたまま絶命してあの世に旅立っていきました。そんな石燕の死の報せと共に、歌麿は一人の女性(きよ)を連れてきていて、誰もが思ったとおりきよは歌麿のいい人でした。歌麿はきよと所帯を持ちたいと言い、きよの絵を描くときのことを楽しそうに幸せそうに語り、そしてきよのために「ちゃんとしたい」と言いました。歌麿は、きよのために名をあげて金も稼いできよを幸せにしてやりたい、今は金が足りないから自分が描いた絵を買い取ってもらえないかと、何枚かの絵を重三郎に差し出しました。それは描くと忌まわしい過去を思い出してしまい歌麿が描けなかった笑い絵で、きよと一緒にいることで幸せな気持ちで満たされて乗り越えることができた、歌麿の思いがつまった絵でした。重三郎は可愛いがった義弟の歌麿の幸せそうな顔が嬉しくて、ご祝儀を含めて絵を百両で買い取ってやりました。秋になり、年明けに出す本のために皆が集まっていました。世間では定信の『鸚鵡言』を使った講義が広まったものの、肝心の受講生たちには正しく理解されず誤った解釈のまま本人や子供たちに伝わっていき、世はトンチキであふれてしまいました。集まった皆はそれを風刺にした草稿を書いてきて、互いに読んで面白いと笑い合い、次はこれでいこうと盛り上がっていました。しかしてい(橋本愛さん)だけは、これはからかいやおふざけが過ぎると危惧して反対意見を言いました。春町が世を諫めたい思いで描いたと言うと、それはからかいよりも更に不遜や無礼として受け取られる、とにかくこれは出せば危ないと反対しました。ところがそこに次郎兵衛が来て、松平定信が黄表紙を贔屓にしていると聞いた話を伝えるものだから男たちは強気になってしまい、本の製作が始まりました。そして天明改め寛政元年(1789)『鸚鵡返文武二道』が出版されました。
September 18, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。1月から始まったこのドラマで9カ月の間、渡辺謙さんが演じてきた田沼意次がこの回でついに退場となりました。うわ~、、なんとも寂しいです。主人公は横浜流星さん演じる蔦屋重三郎です。でも重三郎だけの物語なら、私はたぶん途中で飽きていたことでしょう。それを渡辺謙さん演じる田沼意次が、物語を車の両輪のように安定した形で引っ張ってきたと思っていますから。主人公の重三郎と老中の田沼意次という二つの流れを、脚本の森下佳子氏がまた上手く絡めたなと思います。またこれまでのドラマではほとんど悪者だったというか、田沼意次は良い印象を与える役ではありませんでした。それがこの『べらぼう』の中では、森下氏の脚本と渡辺謙さんの演技と存在感で、見事に変わった感じがします。あの世の意次公も喜んでいることでしょう。史実として田沼意次が領民に好かれていたというのは、『べらぼう』の第17回に出てきました。ただ失脚後の田沼意次は領地没収他をされただけでなく、それまで縁をつないできた者たちが次々と、意次と縁を切って去っていったという史実もあるようです。ドラマではこの回で意次が退場ということで、失脚後の意次の悲哀を描かないようにしたのでしょうか。さて次回からは誰が、重三郎と共にドラマを引っ張っていくのか、興味深いものです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明7年(1787)5月、江戸で起こった打ちこわしを収束すべく田沼意次から協力を求められた蔦屋重三郎(横浜流星さん)は、見事に意次の期待に応えた働きをしました。側用人の三浦庄司(原田泰造さん)が店に来て、重三郎は過分ともいえる礼を有難く受け取りました。そして老中職を追われた意次が今回打ちこわしを収束させた手柄でいつ老中に戻れるか尋ねましたが、三浦は言葉を濁すだけでした。意次が老中に復帰できたのか気になっていた重三郎のところに使用人のみの吉が読売を慌てて持ってきて、見るとそこには老中首座に松平定信(井上祐貴さん)の名があるものの意次の名はありませんでした。定信があの8代将軍・吉宗の孫であり老中首座に大抜擢されたことなどが瓦版によって瞬く間に市中に広まり、人々の期待は膨れ上がる一方でした。定信はそういった市中での自分の評判をもれなく把握するために、町人に扮した手下を江戸市中にもぐらせていました。また自分の名を上げるための読売を配ることも欠かさず、次のを腹心の水野為長(園田祥太さん)に命じていました。江戸城では第11代将軍となった徳川家斉(城桧吏さん)の元、首座となった定信が張りきって改革を進めようとしていました。定信はこれまで意次が行ってきた政を「田沼病」と呼び、世の中に賄賂や贅沢がはびこったと痛烈に批判しました。そしてこれを正すために万民が質素倹約に務め、祖父・吉宗が行ってきた享保の世に倣うよう、皆に言い渡しました。しかし定信の考えは、肝心の将軍・家斉には息苦しいもののようでした。「住みよい世にするために、万民は質素倹約に励み、それぞれの分を務めよ。」と読売となって世に出た定信の考えは、贅沢な遊びの象徴のような吉原で育ち、その吉原の皆の協力もあって今の地位を築いてきた重三郎にとっては、うんざりするような話でした。しかし妻・てい(橋本愛さん)は定信の考えに賛同でした。定信の考えを「世のため死ぬまで働け、遊ぶな、贅沢するな」と極端な締め付けだと解釈をする重三郎と、前夫が働かずに店の金で遊興三昧し挙句の果てに店を潰した過去があるていは互いに受け入れられず、大喧嘩となりました。重三郎は狂歌の仲間を吉原に集め、歌麿が描いた美しい絵を元にしてこれまでにない豪華な狂歌絵本を作りたいと皆に言いました。皆は定信が出した質素倹約の通達を気にしながらも重三郎の考えを推し進めようとしていたら、大田南畝(桐谷健太さん)が青ざめた顔をして入ってきました。南畝は若年寄の本多忠籌(矢島健一さん)に呼び出され、南畝の「四方赤良」の狂名のことや南畝の狂歌の才能を松平定信が認めていることを聞かされました。しかしその後に差し出された狂歌を南畝が褒めたことで、本多と松平信明(福山翔大さん)は南畝は政に不満があるとみなしました。自分は罰せられるかもと怯える南畝を見て、戯歌一つでこれは見せしめだと皆は警戒心を強めました。松平定信によって田沼派だった者たちは次々と職を追放されていき、市中には「田沼の悪党ども、腐った役人たち」と読売に書かれて広まっていきました。処罰を受けた役人の中には花魁・誰袖を形式上身請けしてくれた土山の名もあり、ただ事ではないと思った重三郎が吉原に行こうとしたら、すでに大文字屋市兵衛(伊藤淳史さん)が店に来ていました。土山が逐電したことにより関わりのあった重三郎も見せしめで罰せられるかもと、妻のていは最悪の事態を想定しました。一度店を潰したていは「今は己の気持ちを押し通すのではなく店を守って欲しい」と重三郎に考えを伝え、重三郎もようやくていの気持ちを理解しました。松平定信を善とし田沼意次を悪とする、この流れができてしまっている今の世でどうやったら店を守れるのか、重三郎は考えました。考えがまとまり重三郎が意次に会いに行くと意次は重三郎の身を案じていました。「田沼様が作り出した世が好きだった。皆が欲まみれで、いいかげんだったけど、心のままに生きる隙間があった。」と意次に思いを伝えました。そして「自分は田沼様の最後の一派として、書をもって今の世の流れに抗いたい。田沼様の世の風を守りたい。」と決意を述べ、ただそのためにはいったん田沼を貶めると言い、意次に許しを乞いました。重三郎の心の内をわかっている意次は「好きにするがいい。」と温かい眼差しを向け、そして共に手を取って涙を浮かべながら笑い合いました。屋敷の廊下に出ると田沼家では家中の役割を皆の入れ札で決めている最中で、この入れ札を国を挙げてやったら面白いだろうと意次が政について思いを寄せていたら、三浦が呼びにきました。それは意次に対する沙汰を伝えに使者の本多が来たということで、大好きな我が殿・意次がどうなるのか、三浦も廊下で覚悟をして聞いていました。重三郎は本作りの仲間を店に呼び、これからはふざけることも許されないような厳しい世の中になる、世の大方も松平定信を支持していると情勢を伝えました。重三郎は、定信の考えは至極全うだと認めたうえで、そんな世はちっとも面白くない、だからこの流れに書をもって抗いたい、と言い一同に協力を求めました。重三郎が作ろうとしているのは、一つは定信が見逃すことを予想して、極悪人・田沼を叩いて定信を持ち上げる本、そしてもう一つは、倹約が流行りの世の中で物凄く豪華な狂歌絵本を作ることで、歌麿が描いた絵に一首入れて欲しいと大田南畝に頼みました。処罰を恐れて承諾できない南畝でしたが、南畝の作り出した天明の歌狂いを守りたいという重三郎の言葉で意を決し、一首詠みました。それを聞いて皆が感想を言い合い、勇気が出た南畝が「屁だ!」と叫ぶと、皆も次々と立ち上がって「屁」を連呼しながら踊って士気を高めました。松平定信は田沼意次に対し、さらに2万7千石の没収と相良城の取り壊しという厳しい罰を課しました。それは田沼の者を叩けば叩くほど民が喜び自分の評判が上がるという、それこそ定信の私情と欲にまみれたものでした。定信は文武出精の者を取り立てようと水野に調べさせていました。しかし泰平の世が続き、実際はほとんどいないというありさまでした。重三郎は鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)を訪ね、歌麿(染谷将太さん)が心のままに描きあげた美しい絵に、歌麿の門出の祝いとして鳥山の言葉が欲しいと頼みました。鳥山は「硯の魂に相談してみないと」と言いながらも、可愛い弟子の歌麿のために快諾してくれました。しかし12月になり、逐電していた土山宗次郎が捕まって公金横領の罪で斬首に、妾の誰袖は押し込めの刑に、松本秀持は土山の監督不行き届きの罪でで百石没収のうえ逼塞と田沼派への粛清は続いていました。そして迎えた天明8年(1788)正月、重三郎はご政道をからかった3冊の黄表紙ーー朋誠堂喜三二・作『文武二道万石通』、恋川春町・作『悦贔屓蝦夷押領』、山東京伝・作『時代世話二挺鼓』を出版しました。そしてかつてないほど豪華な狂歌絵本『画本虫撰』などが蔦屋の軒先を飾りました。
September 11, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今週はまた改行のタグが乱れ、私のパソから思うように書きこみができず、難儀をしておりました。さて今週の中で印象に残ったのは、各所の人々に見られた「交渉」と「説得」でした。田沼意次(渡辺謙さん)が自分の味方である大名・旗本に、今のこの危機を乗り切るためにできる範囲でいいからと、金と米の供出を訴えます。ひもじい思いや搾取される立場になったことがない彼らは、なぜ自分たちが下々のためにそこまで、と反発します。でもその後で、いよいよ自分たちもこの事態の傍観者ではいけないのだとわかり、立場が下がっても世を憂いて皆に必死で訴える意次の土下座の説得でようやく応じました。中盤の、蔦屋重三郎(横浜流星さん)が義兄の次郎兵衛(中村蒼さん)に助太刀を求め、次郎兵衛の顔で役者の富本斎宮太夫(新浜レオンさん)が動いて、民衆が彼に引き寄せられていく、あの光景は面白いものでした。人間は、不満や怒りといったマイナスの感情をどこかにぶつけているよりも、賑やかで華やかで魅力的な外見や声などに惹かれ、それを追い求めて楽しむプラスの感情を満たしたいのだと思いました。終盤の一橋治済(生田斗真さん)と松平定信(井上祐貴さん)の場面。この二人は互いに、誰かのためではなく、毎度自分の欲のために周囲を動かそうとする雰囲気が出ているので、駆け引きを見ていてもとても疲れる二人でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明7年(1787)7月、米があまりにも高値になったうえにお救い米もなく、我慢の限界を超えた民衆が蜂起して江戸の各所で打ちこわしが発生しました。小田新之助(井之脇海さん)は己の主張を幟旗に記し、長屋の皆を引き連れて米を売り惜しみして値を吊り上げた米屋を襲撃しました。義によって天誅を下すと決めた新之助は、打ちこわすだけで盗みはしないよう皆に強く言い聞かせていました。(前回の終わりに「喧嘩をするだけ」とあったので話し合いだけかと思ったら、結局は打ちこわしでした。家の者に危害は加えず盗みもしないけど家中の物を破壊しまくり、この時代の喧嘩はここまで含まれるのですね。)老中たちは北町奉行の曲淵景漸の報で、江戸の各所で打ちこわしが発生したことを知り、襲撃されているのは米を売り惜しみした米屋で、民衆は単なる米欲しさではなく幟を立てて主張をしているとのことでした。田沼意次(渡辺謙さん)は老中たちに打ちこわしが拡大しないよう町木戸を閉め、米屋との喧嘩で召し捕るのはその後にしてはどうかと進言。老中首座の松平康福(相島一之さん)は曲淵にそのように指示しました。康福は打ちこわしのそもそもの原因となっている米がいつ入るのかを意次に問い、(松平定信に裏切られた)意次は返事に窮していたのですが、火急の用が入りその場を一旦退席しました。急ぎ屋敷に戻った意次を待っていたのは蔦屋重三郎(横浜流星さん)でした。重三郎は意次に、意次の嫡男・意知の葬儀で石を投げた男が先日は身なりを変えて奉行所の前で人々を煽っていた、その前は平賀源内の屋敷に武家の姿で出入りしていたことを報告しました。それから重三郎は、頼んだはずの米が出ない理由を尋ね、意次が米の手配に手間取っていると答えるとしばらく考えて、米の代わりに金を出して民衆の気持ちを抑えてはどうかと進言しました。その考えに納得した意次は、重三郎にその内容をまた読売にして配って欲しいと頼み、屋敷に泊まっていくよう言いました。意次は老中・水野忠友に、お救いを要する人数と米と必要な金を見積もるよう、そして田沼派と思われる大名と旗本を一同に集めるよう頼みました。集められた一同に対し、松平康福と水野は出せるだけでいいから米を供出するよう求めましたが、一同はなぜ自分たちが米を出さねばならぬのかと一斉に不満を言いました。しかし町ではまたあの男が人々を扇動していて、召し捕ろうとした奉行所ともみ合いになって同心まで死者が出たと奉行の曲淵から報が入りました。意次は老中に御先手組を出すよう進言、さらに一同には「真にこの騒動を収められるのは“米”!そのために身を切ったならば皆の名は打ちこわしを収めた者として名が残る。」と強く訴え、土下座して皆に協力を求めました。重三郎は打ちこわしがあった町の惨状に心を痛めていました。これは早く騒動を終わらせなければ誰もが不幸だと思い、読売を配るのに何かいい策はないかと考えていました。そこで思いついたのが、義兄・次郎兵衛(中村蒼さん)と役者の富本斎宮太夫(新浜レオンさん)に協力を仰ぎ、賑やかに囃し立てて練り歩き人々の注目を集めることでした。揃いの衣装を妻・ていや母・つよたちに作ってもらい、屋台を出して町に繰り出しました。打ちこわしの喧噪の中で、どこからか聞こえてくる太鼓や鉦の音と人気役者の歌声に、人々は一気に引き寄せられました。重三郎と次郎兵衛の掛け合いで、お上から銀が出てそれが米に代わると聞いた人々は歓喜しました。しかし打ちこわしを扇動していた丈右衛門だった男(矢野聖人さん)はそれを許すわけにはいかず、練り歩く重三郎の背後に忍び寄り七首で刺し殺そうとし、新之助が身代わりに刃を受けました。その後、男が再び重三郎を狙って七首を構えたとき、男の胸に矢が突き刺さり男は倒れました。それは打ちこわしを収束させるために出動した御先手組組頭の長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)の放った矢で、平蔵は騒動を起こさぬよう民衆を鎮めました。主人公の危機一髪を救うヒーローの登場にTVの前で思わず歓声が上がった方も多かったようです。それにしてもこのキメ顔。中村隼人さんをはじめ歌舞伎役者の皆さんは、ここ一番のキメ顔や華やかな演出でホント魅せてくれます。平蔵は刺された新之助を早く医者に診せるよう重三郎に言い、重三郎はこの後のことを次郎兵衛や皆に頼んで行列から抜け出しました。お囃子の楽しさと銀(=米)が出る嬉しさで民衆は今までの不満を忘れ、皆で「銀がふる!」と唱えながら行列に付いていきました。ところが匕首に毒が塗ってあったのか、新之助の具合は急激に悪くなっていき、欲張った米屋やお上はこれで思い知ったと重三郎が励ましても体は動かず、絶え絶えの息の中で新之助は己の最期を悟りました。自分は秀でた才もなく妻子も守れなかった、でも世を明るくするために生まれてきた重三郎は守れて良かったーーそう言葉を残して、ふくと坊が待つあの世に旅立っていきました。さて田沼意次を失脚させた後、一橋治済は松平定信を老中に据えたいのですが、大奥総取締の高岳(冨永愛さん)の同意が得られず話が動かないままでした。そこで治済は大崎(映美くららさん)を呼び、ある物が入った箱を渡して高岳と話をさせたところ、治済の思惑どおり高岳はそれを見て顔色を変えました。それは8年前に10代将軍・家治の嫡男・家基が鷹狩の最中に突然死したときに着用していた手袋で、高岳が家基に贈ったものでした。毒殺が疑われる家基の死で高岳は毒などを仕込むはずもないのですが、潔白の証が立てられない以上、大崎の要求をのむしかありませんでした。白川小峰城にいる松平定信のもとに江戸の打ちこわしが収束したと報が入り、定信は悔しくてたまりませんでした。その頃、江戸では無事に銀の引き渡しが始まって米も集まりだし、また裕福な商人たちの炊き出しも始まって人々は落ち着き、意次は側近の三浦庄司(原田泰造さん)と安堵していました。そんなところに老中・水野忠友が訪ねてきて、大奥の高岳が定信の老中入りを認めたと報せてきました。これで定信は徳川御三家と一橋と、加えて将軍・家斉を後盾にした老中となることになり、さらにその定信は意次を殊の外嫌っているので、意次はこの先はやりにくくなるだろうと覚悟しました。ことが上手く運んだ一橋治済(生田斗真さん)は松平定信(井上祐貴さん)を江戸城に呼び、月が替われば定信が老中になることを伝えました。喜ぶかと思いきや定信はこれを、自分は若輩者で御公儀の仕事をしたことがない、老中になっても思うような政ができない、と最初は辞退しました。しかし話の続きで「老中首座ならばやる」と言いだし、難しいけど治済の力でなんとかするよう迫りました。しばらく考えた治済は言おうかどうか迷ったふりをして、田安家(定信の生家、10万石)を将軍家に献上してはどうか、それならば首座にふさわしいと将軍・家斉(治済の実子)に提案できると定信に返し、予想だにしない展開で定信は何も言えませんでした。喜多川歌麿(染谷将太さん)が重三郎を訊ねると寺にいるとのことで、歌麿は寺に向かいました。自らの手で新之助を埋めた墓の前で重三郎は力無く座り込んでいました。歌麿は墓に手を合わせた後、重三郎に見てもらいたいという「自分ならではの絵」を差し出しました。花や虫が生き生きと描かれたその絵に重三郎はなぜか涙しました。歌麿は「絵は命を写し取るようなもの。いつかは消えていく命を紙の上に残す。命を写すことが自分にできる償いだ。」と思いを語りました。そして新之助の人生に思いを馳せ、惚れた女に出会って子も持てて、苦労の中でも楽しいことが山ほどあって、最後は世に向かって主張して己の思いを貫いた、だからとびきりいい顔して死んだだろ?と重三郎に尋ねました。たしかに新之助は今までで一番いい顔していた、それを歌麿に写してもらいたかったーーそんな思いがあふれて重三郎は歌麿の胸で男泣きしました。
September 4, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の物語は自然災害の発生に加えて政局の混乱の中で起こった数多の民衆の困窮が背景にありましたが、その中で私の頭に浮かんだ言葉が「まとうど」でした。自分を庇護してくれてた10代将軍・家治の死によって、人々に誤解され悪口雑言の的になったまま権力を失ってしまった田沼意次(渡辺謙さん)。その意次に味方するがために自身も誤解され、今現在が成功している妬みも含めてちょっとした言葉や行動でも人々の怒りを買う蔦屋重三郎(横浜流星さん)。『まとうど』を調べました。「素直で律義な人。純朴で正直な人。また正直すぎて気のきかない人。」とあり「全人」と漢字で書くことに納得しました。権力を失っても市中の人々にお救い米を出そうと知恵を巡らせあの手この手で行動する意次と、悪いことは全て田沼のせいだと怒り狂う人々を前に、この先が良くなることを信じて人々を説得する重三郎でした。ただ後で思ったのは「万一、例えば交通事情とか何らかの理由であてにしていた米が入らなかった時にどう対処するのか」を二人とも考えていなかったのか?という点です。意次も重三郎も、自分の思い描いた流れで絶対にいけると信じて突き進んで、予定が崩れて大混乱になりました。対立する勢力の妨害など考えてもいなかったのでしょう。そのあたりが二人とも「まとうどの者」なのかなと。まとうどであるがゆえに意次は家治に重用されたけど、家治以外には通用しない性質だったのかなと思いました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明6年(1786)、第10代将軍・家治の死に伴い老中・田沼意次が辞職し、以降は政局の混乱が続いてその影響は民たちにも及んでいました。頼みの綱としていたお救い米も支給されなくなり、市中の人々の不満はつのるばかりで空腹から殺気立っていました。その意次は自ら身を引くことによって罰を抑えたつもりでしたが、御三家の尾張・徳川宗睦(榎木孝明さん)と紀州・徳川治貞(高橋英樹さん)と水戸・徳川治保(奥野瑛太さん)が出てきて、天変地異や家治の死まで意次のせいであると言い出し、領地の没収や側近の罷免など厳しい追罰を受けていました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)は朋誠堂喜三二と恋川春町から、田沼派だった松本秀持がお役御免で土山宗次郎がお役替えなど、意次に関わる者までが厳しく罰せられて泡を食っていると話を聞きました。そんな話をしていたら大田南畝(桐谷健太さん)が血相を変えて飛び込んできて、出版物や女郎のことで土山と関わりの深い南畝は大変焦っていました。むろん江戸城内でも田沼派だった者は御三家と一橋治済がどのような出方をするのだろうと誰もが身構えていました。御三家は田沼派の処罰と同時に次の老中として、8代将軍・吉宗の孫にあたる松平定信を推挙してきました。意次と対立する定信の推挙があったことで、老中の松平康福(相島一之さん)と水野忠友(小松和重さん)は大奥総取締の高岳(冨永愛さん)に相談。表では定信をとりまく「黒ごまむすびの会」があり、奥では次期将軍・家斉の乳母だった大崎に取り入る者が増えていると、互いに警戒心を強めていました。そこで御三家と一橋と定信の結びつきをこれ以上強めないようにするため、世の不安で定信の治世に傷がつかぬようにと理由をつけ、まず田沼意次の謹慎を解くよう康福と忠友は一橋治済に申し入れをしました。明けて天明7年(1787)正月、重三郎が新年の祝いとして米と酒を持って小田新之助(井之脇海さん)のいる長屋を訪ねました。人々はすでに粥をすすっていて、話によるとお救い米が出たとのこと。重三郎が祝いで米と酒を出すと人々は初めは歓喜しました。しかし重三郎が田沼意次を称える物言いをすると、自分たちが苦しいのは田沼のせいだと思い込んでいる人々は一斉に不機嫌になり、重三郎は田沼の世で商売が上手くいったのだとも思い込んでいるので、口々に重三郎を責め立てました。この時は新之助が間に入り、自分に免じてと争いにはなりませんでしたが、後で新之助は重三郎に長屋にはもう来ないよう、釘を刺しました。重三郎が帰宅すると三浦庄司(原田泰造さん)が来ていました。重三郎が出す本がすっかり贔屓になった三浦は、今年出した本は全て買い上げてくれたと、妻のてい(橋本愛さん)から報告がありました。そして重三郎が意次の近況を三浦に訊ねると、意次は「雁の間詰め」の一大名になってしまったが、雁の間はちょうど老中たちの通り道になっていて、意次に味方してくれる松平康福と水野忠友老中に「進言」という形で自分の考える策を伝えて(やってもらって)いる、とのことでした。新年にお救い米が出たのもやはり意次の策で、重三郎は安心しました。ただ世間には全く逆で、田沼は米屋や札差と組んで大儲けしていると誤解されて広まっていて、重三郎は悔しくてたまりませんでした。意次が進言という形で政を動かしていることや「裏の老中首座」と言われていることを、御三家のお三方はすでに知っていました。また紀州の治貞は一橋治済に、次の将軍・家斉の実父として果たすべき役割を何と心得るかと問いました。治済は家斉を補佐する松平定信が動きやすくすることと答えましたが、肝心な定信が老中になるかどうかの返事がまだないと治貞は催促しました。治済は早速、老中の二人を呼んで定信の件を問い、水野は先々代の定めがあるし自分たちではどうにもできない、と答えました。しかし治済は、そのような定めは破ればいい、自分は次の将軍の父だと高圧的に言いました。その時、尾張の宗睦が治済に「公に命を下せる立場にはない」と言い、まだ何か言おうとした治済に紀州の治貞はは「見苦しい!」と一喝しました。尾張の宗睦が自室に戻ると田沼意次(渡辺謙さん)が控えて待っていました。宗睦はこの流れは意次が考えた策であることにすぐに気が付きました。意次は滅相もないと否定しながらも、この件で一つ策があると申し出ました。宗睦がその内容を問うと意次は、定信が家斉の後見になれば実父である治済の立場がなくなる、政をしていない治済が家斉や徳川の世のためになるとは思えない、この考えが気に入るなら自分から老中に進言する、と言いました。策を宗睦に認めてもらい、意次は御三家と一橋の連携を切り崩しました。そして4月、家斉は将軍宣下を受けて第11代将軍に、また田沼派の新しい老中の阿部正倫を立て、新将軍の周囲を田沼派で固めました。一方で庶民の暮らしはますます厳しくなるばかりで、いよいよ我慢できなくなった民衆の打ちこわしが5月に大坂で起こり(大坂討毀)、その波は順に全国に広がりつつありました。なんとか米を調達しなければと考えた意次は、松平定信(井上祐貴さん)に援助を頼み込みました。その見返りは定信を家斉の後見に推挙することであり、定信の血縁にもなる紀州の宗睦は意次の意見を後押ししました。定信は後見の話は保留にするが米は送ってやると言い、意次は下がりました。ところが宗睦と二人きりになったとき定信は、米を送るつもりはないようなことを匂わせました。打ちこわしが広がる話を重三郎が店で皆として案じていたら、三浦が店に駆け込んできて、お上の伝達を急ぎ摺物にして欲しいとのことでした。それは打ちこわしを鎮めるための読売で、じきに米が届くという内容でした。しかしもし事がうまくいかなかったら自分たちが人々の逆恨みの的になり店が壊されるという恐れがあり、重三郎が説得しても皆は反対しました。結局、鶴屋喜右衛門の提案で、摺るまでは皆で手伝う、でも読売を撒くのは重三郎が、ということになりました。「二十日には奉行所でお救い米が出る」ーー打ちこわしを起こさせないために重三郎は店の皆で一生懸命に人々に触れ回りました。ところが直前になって定信から米が間に合わないと話があり、意次はとりあえず市中の米屋から押収するよう命じました。しかしそれでも間に合わず、二十日に米が出るのをひたすら待っていた人々は怒りが収まらず、また奉行所の前で「米がなければ犬を食えと言われた」などデタラメを吹聴する者とそれをあおる者がいて、人々の怒号が飛び交いました。何かを決意した新之助が人々を抑え、それを見た重三郎はみの吉に先に戻って打ちこわしに備えるよう命じ、自身は新之助たちを説得に行きました。しかし怒り狂う皆から重三郎は殴られ蹴られ、自分の無力を痛感しました。新之助たちは訴えたいことがあるだけだと理解した重三郎は、布と書く道具を持って再び新之助のいる長屋へ行きました。打ちこわしの準備をしている皆に、自分たちの思いを布に書いて幟を作ってはどうかと提案しました。重三郎は布を贈る代わりに自分の願いも聞いて欲しいと、誰一人捕まらないよう、死なぬようにと皆に訴えました。暴力沙汰にならぬよう江戸っ子の打ちこわしはカラッといって後で笑いたい、と言った重三郎の言葉を受け、新之助は「盗みや暴力がなければ、それは米屋とのただの喧嘩で済む。大した罪にはならぬ。」と理解し、皆を説得しました。そして思いのたけを布に書き、幟をいくつも作って米屋に押しかけました。天明七年五月二十日のことでした。(天明の打ちこわし)
August 28, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の中で気になったのは、田沼意次(渡辺謙さん)の突然の失脚と、それに絡む人々の動きでした。意次の政策が通るのは、後盾の徳川家治(眞島秀和さん)あってこそで、その家治さえいなくなればとばかりに一橋治済(生田斗真さん)と大崎(映美くららさん)が暗躍していたように思えました。現代のように科学的な証明がない時代だから、何か事が起これば、それを利用して世論を操作するための噂を作り、もっともらしく語って噂を広めて相手を追い落とすのはやりやすかったかもしれません。地位は下だけど、上の者を操り思い通り動かそうとする治済と大崎。次は何をやってくるのかと、つい考えてしまいました。そしてこの時に起こった関東大洪水に関してです。利根川が決壊して大きな橋を押し流すほどの濁流となり、大水が場所によっては1m以上になりました。私は東京の地形や地名を知らないので実感がわきませんが、東京の地理を良く知る方はなるほどと思われたでしょう。ただ当時の江戸は今のような下水管はなく汲み取り便所で、し尿は農村部での肥料になるため厠に貯められていました。ということは、大水になれば厠からのし尿もあふれて流れ出しているから、長屋の人々が片付けをしているシーンがありましたが、消毒薬もない当時は衛生的にかなり問題があったのでは?と想像しました。ドラマの中で被災した人に飲み水が配られていました。現代では、災害時には一人あたり、1日3Lの飲料水が必要だと言われています。(飲み水1L、調理用1L、手洗いや歯磨き等1L)綺麗な水は、やはり大事ですね。NHKのステラnet のほうで、天明6年(1786)7月の関東大洪水の概要が紹介されています。 ⇒ こちら この大洪水は天明3年(1783)7月の浅間山の大噴火が間接的に関係しているとあり、ドラマの時代背景がよりわかって、大変興味深いです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明6年(1786)7月、連日降り続いた大雨によって利根川が決壊し、江戸の市中にも大水が押し寄せていました。松本秀持(吉沢悠さん)によると、大水によって永代橋や新大橋などの大きな橋まで次々と流され、人の胸の高さまで水がきていて人も家ものまれている場所もある、とのことでした。その報を聞いた田沼意次(渡辺謙さん)は直ちに舟を出して人々を救出するよう指示を出しました。市中の人々も大事な物を高い所に上げたり、家の出入口に土俵を積み上げたりして水が入ってこないよう必死に対策していました。連日降り続いた激しい雨がやんでようやく水が引いたものの、数多の家を失った者がいるため意次はお救い小屋を各所に設けて握り飯や飲み水などを人々に施し、仮住まいの普請を指図していました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)の店は大きな被害を受けずに済んだので、歌麿や小田新之助(井之脇海さん)らに助けとなるものを渡していました。新之助がいる長屋は大水の被害が比較的少なかったので、家をなくした町人や流民たちが来て身を寄せ合っていて、皆で片付けに追われていました。新之助の家に上がって人目がなくなったら、重三郎はふく(小野花梨さん)に妻のていが縫った赤子の着物と、当分の間食べる米を渡していました。ただ長屋の他の皆さんに分けられるほど米はないので、くれぐれも内緒にするよう念を押し、二人も納得していました。あと新之助には紙と筆を用意したうえで筆耕の仕事を依頼し、新之助は有難く請け負っていました。そんな話をしていたら長七が来て、寺で味噌を配っていると教えてくれました。重三郎は帰るついでに施しをしているという寺に寄ってみました。施しを受ける人の中には米がないことに不満をぶつける人もいて、この先は大変なことになりそうだと重三郎は感じました。そんな中で重三郎は笠を深く被って人々の様子をみている侍が長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)だと気がつき、再会の挨拶をしました。「御先手弓頭」に出世した長谷川は市中を見回っていて、最近の江戸市中では盗みや押し込み強盗が増えているとのことでした。ご公儀はお救い米をもう出せないようで人々は困窮していて、長谷川は裕福な町方の助けが頼りだと言っていました。重三郎は寄合で、困っている人たちを助けないかと皆に提案しました。しかし、自分たちのことで精一杯で他を助ける余裕はない、流された渡し場の普請があるし普請のための材料費や手間賃が跳ね上がっている、米だけでなく紙も墨も絵の具もこれからどんどん値上がりする、と誰もが救済に反対でした。そして鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)からは「貸金会所令」のお達しがあったと言われ、被災した直後に人々に知れ渡ったこのお達しは人々の誤解を生んで田沼意次にとって逆風となってしまいました。松平定信を筆頭とする反田沼派の一派からは貸金会所令を直ちに取りやめるよう強く要望が出て、意次がどう説明しても受け入れませんでした。結局は将軍・徳川家治(眞島秀和さん)が裁可を出す月次御礼まで待つことになり、定信は能う限りの大名から取りやめの嘆願を集めると息まいていました。一方、そのころ家治は体調が思わしくなく、知保の方(高梨臨さん)が定信に教わりながら作って持参した「醍醐」を、家治は迷いながらも知保の気持ちを汲んで食していました。重三郎はその後も新之助たちに、米や野菜を目立たぬように援助していました。人々は貸金会所令のことを自分たちを苦しめる悪法だととらえていましたが、重三郎はそれほど悪い法令ではないのではと思っていました。でも新之助は懐疑的で、ふくはこの法令は立場の弱い者たちにシワ寄せがいくことになる、自分はそういう世界にいたからわかる、と言いました。実際、意次は大洪水の後で、米・水・油・材木・船賃などの値上げを禁ずる触れを出していましたが、それを守る者はほとんどいませんでした。そんな話をしていたら赤子を抱えた流民の女が二人、もらい乳にきました。重三郎のおかげでなんとか体がもっているふくは、困ったときはお互い様と他の赤子にも乳をわけていたのでした。知保の方が作った醍醐を食してから、家治は体調が急激に悪くなっていました。月次御礼にも出られず、反田沼派は意次が何か謀ったかと囁いていましたが、稲葉正明が意次を呼びにきたことで誰も何も知らないのだとわかりました。意次も家治も、この件を裏で操るのは一橋治済で、松平定信と知保が作った醍醐で家治が体調を崩したと周囲に話せないことも計算していて、今までに起こったいくつかの不可解な死も治済が裏で操っていると考えていました。家治は、治済が人の命運を操り将軍さえも自分が操る、それは将軍の控えに生まれついた治済なりの復讐だろう、と考えました。家治は自分はまだ生きて守りたいものがあるという強い思いがあり、意次に毒下しの得意な医師を連れてくるよう命じました。大奥では知保の方が、もしや自分が贈った醍醐のせいで家治の具合が悪くなったのかと心を乱していました。しかし大崎は、それを表に出すと醍醐作りに関わった者が何人も処罰されると言って、知保の方を抑えていました。後日、老中首座の松平康福(相島一之さん)の元に大奥から、意次が医師を変えてから家治の具合が悪くなったと訴えがあり、また他方では意次が毒を医師に盛らせたのではないか?という噂まで流れていました。康福は自分たちの身の安泰を図るために、まず意次に登城を差し控えるよう言い、その話の流れで老中を自ら退くことを勧告しました。意次は身の潔白を必死に訴えましたが、城内の皆の空気はもう意次の力ではどうにもならなくなっていて、康福は「全てを失うより、自ら退けば家名も禄も守れる」と意次を説得し、意次もそれを受け入れました。後日、屋敷で謹慎する意次の元に水野が来て、恩貸付金会所と印旛沼干拓の取りやめの決定と、じきに蝦夷の話もなくなることを伝えました。そして水野の様子から家治の容態がかなり悪いことを悟った意次は老中職を辞する決心をし、文を水野に渡しました。天明6年(1786)8月、いよいよ危篤となった家治の枕元に西の丸(次期将軍)の家斉と、その実父の一橋治済(生田斗真さん)らが呼ばれました。家治は絶え絶えの息で家斉に「田沼意次は“まとうど”の者である。臣下には正直な者を重用せよ。」と遺言しました。そして混濁する意識の中で「家基」の名を呼びながら床から這い出て治済のところまでいき、最後の力を振り絞って治済の胸倉をつかみ、目を見据えて「天は見ておるぞ!天は天の名を騙るおごりを許さぬ!これからは余も天の一部となって見ておることを忘れるな・・。」と言い、絶命しました。世の節目となる家治の死の一方で、市中では小さな死がありました。施しの米をもらって新之助が長屋に戻ると、ふくととよ坊が死んでいました。犯人はふくから赤子に乳をもらっていた流民の女の夫で、米を盗みに入ってふくを殺してしまったとのことで、夫婦で必死に許しを乞うていました。米次から報を聞いて駆けつけた重三郎は、もしかしたら自分が援助した米が原因なのかと愕然とし、米欲しさで妻子を突然奪われた新之助は「どこの誰に向かって怒ればいいのだ!」と慟哭しました。(このシーンでちょっと引っかかったこと。ご飯を炊くときにはいい匂いが漂うから、米のことを内緒にしようにも、炊飯の香りであの家には米があることは長屋の人にはわかります。他の長屋の人たちはどんな状況だったのか、妻から米があると聞いただけで盗みに入った流民の男は、あの家には「まだ余分に」米がある、という意味だったのかな?とか考えてしまいました。)
August 21, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回は喜多川歌麿を演じる染谷将太さんが絵師として悩み苦しみ、でもそれが鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)によって救われた場面で、大きな反響がありました。私はクリエイターではないので今一つ気持ちが乗れない部分があったのですが、特に絵描きの方々は歌麿と同じ気持ちになれて、神回ともいえる感動だったそうです。枕絵のイメージから歌麿は辛かった少年時代を思い出し、それから逃れるためにとった行動で幻影に悩まされ続け、自分を失いかけていました。でも自分を可愛がってくれた鳥山石燕と再会し、石燕の言葉から歌麿は、人まねの絵なんかじゃなくて「自分の絵を描きたい」と気がつきました。そして自分が教えを乞う師匠がほしかったのです。幼い頃に自分を救ってくれて面倒をみてくれて、自分の過去を受け入れてくれる蔦屋重三郎(横浜流星さん)はもちろん心から信頼しているでしょう。でも重三郎では絵の世界が開けないのです。過去の自分を思えば落ち着いた暮らしの中で絵が描けるだけで十分に幸せ、と歌麿は今までは思ってきました。でも石燕の言葉で、歌麿は自分に欲があったことに気がついて、師を求め、そして巣立っていきました。義弟・歌麿の成功と幸せを願いつつも、重三郎のどこか寂しそうな顔がよかったですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明5年(1785)一橋治済は田安家から白河松平家に行き今では当主となっている松平定信に、ご公儀の政に加わるよう呼びかけました。治済は定信の政治手腕を認めていて、血筋も申し分なし、あとは定信の家格を上げることが必要だったので、大奥総取締の高岳(冨永愛さん)を通じて田沼意次(渡辺謙さん)にその旨を伝えました。田安家は後継者がいなくてじきに取り潰しになり幕府の経費が浮くから、取引として代わりに定信の家格を上げてもよいと意次は考え、大奥のほうもそれでよいとの高岳の返事だったので、定信は政の場に出るようになりました。さて蔦屋重三郎(横浜流星さん)ですが、今度は狂歌絵本を手広くやれないかと考えていて、店に来た北尾重政(橋本淳さん)に相談していました。重政は重三郎の発案に感心しつつ、近頃「人まね歌麿」と世間でも噂になってきている歌麿(染谷将太さん)を売り出したらどうかと提案しました。これは時が来たかと感じた重三郎は、歌麿に重政そっくりの画で描くよう依頼、その後は来客などに歌麿のことを宣伝してもらうよう話していました。また絵本には入金一分で自作の狂歌を一首載せられるのでそれに賛同する人も多く、明けて天明6年(1786)重三郎の店には狂歌絵本が並びました。幕府の政策を吟味し老中に物申すことができる溜間(黒書院溜之間)には定信も並ぶことになりました。定信は早速、今は財政逼迫の折、なのになぜ船まで作って蝦夷に調査に行かなければならないのか、と意次に問いただしていました。定信を納得させるのに一刻かかった意次は、疲れて屋敷に戻ったら家臣たちに愚痴三昧でした。側近の松本秀持(吉沢悠さん)が、蝦夷で大量に米がとれることがわかったと言い、次に定信が何か言ってきたらこのことを言えばどうか、と進言しました。また三浦庄司(原田泰造さん)は重三郎が入金によって本を作っていることを紹介し、これを御公儀でもまねできないかと意次に進言しました。一方、松平定信(井上祐貴さん)は「黒ごまむすびの会」という名で反田沼派の大名や旗本たちを集めて話し合いを重ねていました。彼らの話題の中心は質素倹約の推進の強化や意次の悪口や批判で、人の差配に大奥が力を持つことを知っている松平信明(福山翔大さん)からは、大奥への足掛かりとなる人物は誰かいないかと定信に意見が出ました。そこで定信は知保の方に会い、田沼を追い落とすための力添えを頼みました。人まねの絵ではあっても世間での評判が上がってきた歌麿を、この機会に歌麿を絵師として歌麿ならではの絵を売り出そうと考えました。歌麿は最初は消極的でしたがとにかくやってみることにして、重三郎はまずは枕絵を描いたらどうかと勧め、歌麿も受け入れました。そこで重三郎は(これまで何かと世話になっている)須原屋市兵衛から参考になるよう様々な枕絵を借りてきて、歌麿に見せました。歌麿は一人で描きたいと言って重三郎に出ていってもらい、どんな絵を描こうかとあれこれ思い浮かべました。しかし歌麿が “枕絵” によって思い浮かべてしまうのは、母(向里祐香さん)の愛を求めるあまり母の命じるまま幼い頃から客を取らされて辛かったことや、明和の大火(1772)のときに逃げ遅れた母を見捨てざるを得なくて死なせてしまったこと、自分の過去を知るヤス(高木勝也さん)が執拗に脅してきてヤスを道連れに自分も死のうとしてヤスだけ死なせてしまい、そのためにまた身体を売って生きるしかなかったことでした。そして枕絵を描いていると母とヤスの幻影が現れて苦しめられ、描くたびに絵をくちゃくちゃにしてしまい、何も描けない状態が続いていました。歌麿の様子がおかしいのは重三郎も薄々気がついていましたが、どうしてやることもできませんでした。描けない歌麿はふらりと出かけ、その先の廃屋で出会った見ず知らずの女と男にも母とヤスの幻影を見て荒れ狂い、心配で後を追ってきた重三郎が力づくで歌麿を止めました。歌麿は重三郎に今の自分は何も描けない状況だと打ち明け、歌麿の過去を知る重三郎は歌麿を慰め励まし、とりあえず店に連れて帰りました。ところが店に戻ると、かつて歌麿に絵を教えた鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)が歌麿を訪ねて来ていて、歌麿も一目で石燕だとわかりました。「三つ目」と呼んで可愛がっていた少年(歌麿)と過ごした時間は石燕にとって楽しみでしかたがなく、歌麿がぱったり来なくなってからも、いつ来るかいつ来るかとずっと待ちわびていたのでした。そして今目の前にいる歌麿に「よく生きていた!」と生きていただけでも褒め、あの時がどれだけ楽しかったかと歌麿に思いを伝えました。頃合いを見て重三郎が石燕に挨拶をし、歌麿の絵を見せて助言を求めました。絵を見た石燕は「妖がおる、閉じ込められた妖が出たがって怒り悲しんでいる」と悲しそうに言いました。石燕は歌麿に「なぜ迷う。お前にしか見えないものを、絵師はそれを写すだけでいい。その目にしか見えぬものを現してやるのは、絵師に生まれついた者の務めじゃ!」と歌麿の心に訴えました。石燕の言葉で自分を縛っていたものから解き放たれ、人まねじゃなく自分の絵を描きたいのだと気がついた歌麿は、石燕に弟子入りを懇願しました。自分が歌麿を世に出してやると意気込んでいた重三郎でしたが、歌麿の才能を本当に伸ばしてやれるのは石燕だとわかり、快く歌麿を送り出しました。石燕の元で心が自由になった歌麿をは、穏やかな気持ちで絵を描き始めました。この頃、御公儀からは田沼意次の発案で「貸金会所令」が出されました。その内容は、各地の大名が領民から金を集めて幕府に納める、その金を利息をつけて大名たちに貸しつける、領民たちには後に利息を乗せて返すことにする、というものでした。反田沼派からは、今の時期に領民から金を集めたら一揆が起こる、自分たちで金を集めて幕府に納めて何故また金を借りるのか、寺社・宿場・馬方など集め方が異なり触れが杜撰でこれでは取り立てられない、など意見がでました。松平定信の台頭で苦労する意次を、将軍・徳川家治(眞島秀和さん)は亡き父・家重がいまわの際に遺した「田沼はまとうどの者、正直者ゆえ大事にせよ」という言葉で労わっていました。家治は貸金会所令には若干の不満を感じていましたが、これからの世に適した入り用なやり方、それは世に正直ということだと認めていました。意次は家治の労いに深く礼を述べて安堵しました。しかしそんな時に稲葉正明(木全隆浩さん)が、知保の方との約束の時間だと家治を呼びにきました。家治はここしばらくは知保の方を遠ざけていたのですが、二人の間の子である亡き家基を偲ぶという理由で、また一緒に時を過ごしているとのことでした。知保の方が急に存在を示してきたことで意次は何か嫌な予感がしました。
August 15, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の話は、蔦屋重三郎(横浜流星さん)とその仲間たちによる「筆の力での仇討ち」でした。世の人々は田沼政治への不満から佐野政言を崇め奉るようになり、それは命を落としたうえに意次の息子というだけで悪しざまに言われる田沼意知と、彼を愛する周囲の人々にとって、たまらなく不本意で辛いものでした。自分にできる形で意知の仇討ちをすると意次と誰袖に約束した重三郎は、仲間たちから知恵を借り、北尾政演(古川雄大さん)の頑張りや仲間たちのフォローもあって、見事に大ヒットとなる作品を作り上げました。本の主人公は世の人々の反感を買わない人物にすることや、今の世の流れを考えて人々に受け入れられるものにすることなど、私は本とか出すわけではないのですが、参考になる話もいろいろありました。でもこういう本が作れたのも、重三郎が日頃から、自分に起こった出来事や相手のことをいちいち悪くとらえなくて、佐野の人生の苦労をおもんばかり、佐野の暗い話を裏返しにするという発想ができたから、と思ってます。つまり、常日頃の心がけというのは本当に大事なのだと。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明4年(1784)田沼意次の嫡男・意知は筋違いの逆恨みを受けて佐野政言に襲われて落命、しかし田沼の失政で生活が苦しくなったと思い込む世の人々は佐野を大明神として崇め奉っていました。その一方で意知との幸せな先々を思い描いていた花魁・誰袖は、意地を失っただけでなく襲った佐野が人々から讃えられていることに耐えられなくなり、昼に夜に呪詛を繰り返していました。誰袖を案じる蔦屋重三郎(横浜流星さん)は誰袖をもう一度笑わせてやりたくて、新たに黄表紙の本を出すことを決意し、絵師や作家の仲間たちを集めていました。話を耳にした鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)は集まりの場に来て、鶴屋お抱えの京伝(本名、北尾政演;古川雄大さん)を貸すから是非大当たりの本を出して欲しいと言い、本作りが動き出しました。さて田沼意次(渡辺謙さん)の屋敷の前で行き倒れになった男は、探りのために松前藩に入っていた平秩東作(木村了さん)でした。東作は松前で表の勘定帳と裏の勘定帳を手に入れたものの、それが見つかってしまい、命を狙う追っ手から必死に逃げて江戸までたどり着いたのでした。勘定帳を手に入れることは亡き意知の命であったと土山宗次郎(栁俊太郎)が説明し、これは亡き湊源左衛門と善吉と、なにより意知の血を持って購われたものだから、是非とも蝦夷の上地を成して欲しいと東作は意次に訴えました。この勘定帳を手に入れるために命を落とした皆の思いを知った意次は、直ちに上地を願い出る上書をしたためるよう三浦庄司(原田泰造さん)に命じました。ひと月後、政演(京伝)が作った原稿が出来上がったので重三郎は皆に試し読みをしてもらいました。皆はこんな感じでいいかと考えていたのですが、大田南畝(桐谷健太さん)の評論は今一つでした。妻のてい(橋本愛さん)は田舎の若者を笑うようなこの話のどこが面白いのかわからないと言い、他の皆もあらためて考えたら今の時代に合わないから受け入れられないのでは、と思うようになりました。重三郎は一からやり直すことを決め、政演に作り直しを頼みました。製作の労力が全部無駄になって面白くない政演は、一人退席してしまいました。誰もが腹の底から笑えるような作品とはどんなものなのかと重三郎が考えていたら、様子を見に来てくれた鶴屋喜右衛門から佐野の生前の苦労話を聞き、重三郎は笑いを生み出すための手がかりを思いついたようでした。一方、政演は恋川春町(岡山天音さん)と朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)と一緒に気晴らしをしていて、自分は苦労して大当たりを出したいとかの欲はないと言って笑っていました。その言葉を聞いた春町は我慢がならず、隣室に行き衝立をよけると大量の書き損じの紙が崩れ落ちてきました。それは政演が作品を仕上げるために考えてこだわって幾度も書き直した苦労の跡であり、春町は政演が生真面目な努力家であることを知っていたのでした。重三郎が歌麿(染谷将太さん)と町を歩いていると、聞こえてくるのは意知を斬った佐野を賞賛する声ばかりで、重三郎はいたたまれない気持ちでした。ふと入った鰻屋にちょうど政演たちがいて、重三郎も同席しました。皆の話題は本のネタのことで、重三郎は「苦労した佐野の話を裏返しにーーつまり大金持ちの苦労知らずで世間知らずのバカ旦那に苦い汁を飲ませれば笑える」と提案しました。そこでどういう苦い汁にしようか皆に訊いたら、主人公の“欲”は何か、名を上げたかった佐野とは反対に浮き名を流して周囲から噂されたい、そんな人物にしてはどうかとまとまりました。方向が決まれば各人から次々と案が出て話は盛り上がり、重三郎と政演は再び意気投合していました。物語の方向が決まり、重三郎はネタ集めに回っていました。「浮き名を立てるためには何をやったらいいか」「色男に見られるにはどうしたら」といったことを鶴屋や母親のつやや志げなど周囲の人に訊いて回り、それを政演に伝えていました。ネタを聞いた政演はそれにさらに脚色を加え、くだらない主人公を作ってはそれを想像して二人で笑っていました。初めの頃は書き直しを頼むと不服そうだった政演が、今ではより良い作品にするために喜々として書き直していて、そんな政演の背中に重三郎は悪戯でしなだれていきました。重三郎は主人公の艶二郎の名前のことで、何か思いついて言いたいことがあったようです。(横浜流星さん、こんな表情もするんですね。それと大河ドラマの撮影の時期は、映画『国宝』で歌舞伎の稽古をみっちりやっていたので、しなだれる動きも美しいですね。)松前家の裏勘定書を手に入れた田沼意次は上書をしたためて、松前家の所領を上地する件の裁可を将軍・徳川家治(眞島秀和さん)に願い出ました。この上地の件は実は家治と意次との間で前もって話がなされていたのですが、家治が上書を手に取って読もうとしたとき、一橋治済(生田斗真さん)が急に目通りを願って現れました。家治と意次は治済が上地を阻止しに来たのかと一瞬身構えました。しかし治済は「上地の件、心より御礼申し上げます。」と快く礼を述べました。治済は我が子が家治の養子になっていて次期将軍となるため、上地で将軍家の所領が増えるのは治済にとっても好都合なのだろうと周囲は考えていました。愛する亡き意知が世の人々から悪しざまに言われる悲しみから呪詛を繰り返す花魁・誰袖(福原遥さん)を案じ、志げ(山村紅葉さん)はある時期は誰袖を四六時中見張って寝ずの番までして、酷くやつれた時もありました。秋になり誰袖も少し落ち着いた頃に、重三郎が自分なりに仇討ちをしてやると手掛けていた黄表紙の『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』が完成し、誰袖のところに来て読んでやっていました。『江戸生艶気樺焼』の内容は、番組HPの「べらぼうブログ」で全ページ紹介されています。 ⇒ ⇒ こちら 重三郎が本を読み終えると、主人公が繰り広げる馬鹿馬鹿しさに誰袖は思わず声をあげて笑い出しました。あの明るかった誰袖が意知の死後は全く笑わなくなりましたが、やっと以前の笑顔が出て重三郎と志げは胸をなでおろしました。誰袖の笑顔を取り戻すことが重三郎に唯一できる仇討ちであり「これでお前の気が済むとは思わないけど呪うのはもうやめないか」と重三郎は言いました。後を追えなかったけど意知(雲助)は許してくださるかと誰袖がつぶやいたら、庭の桜の花びらがひらひらと舞いました。それはあの日、花見の約束をしていた意知からの返事のようでした。(桜は春と秋に二度咲く種類もあるので、それが植えてあったのでしょう)明けて天明5年(1785)『江戸生艶気樺焼』は空前の大当たりとなり、世の話のタネは佐野大明神から仇気屋艶二郎に取って代わりました。誰袖と同様、この本によって心が救われた人物がもう一人、愛息・意知の死を世間からも悪しざまに言われていた田沼意次でした。「粋な仇を討ちやがって。」ーー筆の力で見事に仇討ちをした重三郎に意次は胸のすく思いがしました。
August 7, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回でまず感じたことは、情報の伝わり方や人々の価値観が、現代とは本当に違うのだなということです。佐野政言(矢本悠馬さん)が起こした事件と、米価の高騰が何らかの理由でちょうど米価が下がったことと重なり、そのため人々は「佐野様のおかげで米が安くなった」と思い込むようになりました。その時期に起こった自然災害と天候不順で米不足になったのは、理由として成り立ちます。しかしその後で米価が下がったのと佐野の起こした事件とは、全く因果関係はありません。それでも学のある人が少なく、情報も少ない当時の人々は、誰かが言い出したことをそのまま真に受けて思い込んで広めてしまうのでしょうか。現代ならこのような場合はテレビ各局がすぐに取材を進め、専門家から意見を聞いて広めるでしょう。またSNSでも学識がある人たちが納得のいく意見をそれぞれに出してくれるでしょう。お上の政策への不満や怒りや、食うや食わずの日々で気持ちに全く余裕がないときは、何かの拍子に入った話に思わず飛びついてしまうのは現代でもあると思いますが、当時の情報量や濃い人間関係の中ではそれがよりいっそう、強かったのかなと思いました。ところで、終盤の田沼意次を演ずる渡辺謙さんが一橋治済(生田斗真さん)と対峙する場面で、放送38分過ぎからのあの振り向きざまのあの一瞬。渡辺謙さんの振り向く瞬間の間、畳と足袋の衣擦れの音、二人の間合い、そして治済に向かうときの迫力が本当に“カッコいい!”の一言です。なので私もついあの場面を鬼リピして見てしまいます。ベテランの役者さんたちがたくさん登場する大河ドラマでは、メインキャストでもそうでなくても、こうした感動をどこかで与えてもらえます。それが大河ドラマの醍醐味の一つでしょうね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明4年(1784)4月、蔦屋重三郎(横浜流星さん)店に浮浪者の夫婦が現れ、一体誰かと思ったら小田新之助(井之脇海さん)と、足抜けして逃げた女郎のふく(小野花梨さん)でした。食事と風呂をもらって人心地がついた二人はそれまでのいきさつを語りました。江戸から逃れた後、浅間山のふもとで村人に混じって暮らしていたが、前年の浅間山の大噴火で田畑が壊滅状態になり、元々の村人でない二人は村から追い出された、そして重三郎を頼って江戸まで来た、と。何でもやるからここに置いてくれと懇願する二人に重三郎は、「世話になったお方を打ち捨てるなど、人として話にならない」と意知の言ってた言葉を言い、新之助に筆耕の仕事を頼みました。その田沼意知(宮沢氷魚さん)は江戸城内で佐野政言に突然わけもわからずに斬りつけられ、瀕死の重傷を負って田沼屋敷に運ばれてきました。意知は絶え絶えの息で父・田沼意次(渡辺謙さん)に、土山の元にいる誰袖のことと、まだ進行中の蝦夷のことを託しました。愛息・意知に先立たれたくない意次は「自分でやれ!」と意知を力づけました。しかし意知は力尽き旅立ってしまいました。意次は「(命を落とすのが)なぜ俺じゃなくお前なんだ!」と慟哭しましたが、意知の魂は還ってきませんでした。意知を襲撃した政言は即座に切腹となりました。意知を送る葬列は町の多くの人々に静かに見送られました。しかしその途中、一人の男が突然「天罰だ!思い知れ!」と意次の乗る駕籠に石を投げると、それまで静かに棺に手を合わせていた町の衆も急に男に同調し、暴言を吐きながら意次の駕籠や意知の棺に一斉に石を投げつけてきました。意知の棺をかばおうと出てきて(投石を)やめてと群衆に訴えた誰袖にも石が当たり、重三郎は慌てて誰袖を連れ戻しました。「(意知の)仇を討って!」ーー誰袖は重三郎に涙ながらに思いを伝えました。ちょうどこのころ高騰した米が安くなって出回るようになり、米の値と意知の死と政言の切腹は何の因果関係もないものの、田沼の政に不満が溜まっていた民衆は、佐野政言が世直しをしたと思い込むようになりました。重三郎が請け人となって新之助とふくが長屋に移ることになり、三人で一緒に掃除をしてると、重三郎は田沼贔屓なのかと新之助が訊いてきました。新之助は自分も以前世話になった平賀源内も田沼贔屓だったし、戯作や狂歌の者は田沼贔屓が多いことは理解していました。重三郎も人それぞれ考えがあるのは理解しているものの、斬られた方が悪者にされるのは気持ちがついていかない、と答えました。ただふくは、ひもじくて苦しい者は米の値が下がれば斬った人でも拝むと言い、世の人々はそういう考えなのかと重三郎は理解しました。長屋からの帰り道、重三郎はどこかで見た覚えのある男とすれ違いました。牢人風のその男は幟旗を持っていて、気になって後をつけていくと佐野政言の墓所に行き、寺の入り口に「佐野世直し大明神」と書かれた幟を立てかけるとどこかに去っていきました。そのとき重三郎は亡き源内の言葉を思い出し、田沼が悪者に仕立て上げられていると気が付いて、すぐに田沼意次に会いに行きました。愛息を失い憔悴しきった意次に、重三郎は怪しい男のことを伝えました。重三郎の進言を意次は受け流すだけでしたが、かつて平賀源内が罪人となったときに意次は源内を守ろうとしたけど意知が止めた、意知はそれ故に蝦夷地のことは成し遂げようとしていたと重三郎が言うと、意次はそれに対する自分の心の底の思いを語りました。「意知は俺のせがれだっただから俺のせいで斬られた。仇は俺だ!」ーーそう言って自分の刀を重三郎に差し出しましたが、重三郎が「俺は筆より重い物は持たない」と返すと意次は退室を命じました。自分が意知の仇を討つ方法は何かないかと重三郎はずっと考えていて、来客の須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)にも相談していました。市兵衛は、ご公儀のことは本のネタにしてはいけないと釘を刺し、さらに今の世の風潮から佐野を悪役にしたら絶対に売れないと断言しました。重三郎が悔しそうに「本当は善悪が逆なのに」と言うと市兵衛は、世の中が「浅間山が火を噴くのも米の値段が下がらないのも皆、田沼様のせい。佐野が天に代わって田沼様を成敗した!」という筋書きを立てたのだと重三郎を諭しましたが、重三郎は納得がいきませんでした。そんな話をしていたら吉原から志げが血相をかえてやってきました。重三郎が志げ(山村紅葉さん)と共に土山宗次郎に囲われている花魁・誰袖(福原遥さん)のところにいくと、誰袖は一心不乱に呪詛をしていました。重三郎は誰袖から小刀を取り上げ説得しましたが、誰袖は(呪詛で)意知の仇を討って自害してそばに行くと言い張り、その後も石を打ちつけて呪詛を繰り返していました。そんな誰袖の姿を志げは嘆き悲しむばかりでした。重三郎が帰った後で、やはり納得がいかないままではいられないと思ったのか、意次は仇を討つ決心をしました。それは意知が生きていれば必ず成し遂げたであろう蝦夷のことと米のことで、意次は自分がそれを成し遂げ将軍・家治の名とともに意知の名を後世に残して永遠の命を授ける、と家治に誓いました。家治に拝謁した後、意次は一橋治済(生田斗真さん)と廊下ですれ違いました。やつれた自分の姿を見て口先だけの見舞いを言う治済に意次は「何も失ってはいない。意知はこの胸の中にいる。もう二度と毒にも刃にも倒せぬ者となった。“志”という名のもとに。志は己が体を失っても誰かの体の中に生き続ける。」そう言って治済に微笑み立ち去ろうとしました。しかしすれ違いざまに意次は振り向き、治済を見据え、自分にはやらなければならないことが山のようにあると言い、踵を返して去っていきました。(この渡辺謙さんが振り向いたシーン、振り向く瞬間や治済との間合いの取り方や気迫があまりにもカッコよくて、しびれた視聴者も多かったと思います。)重三郎が帰宅すると田沼意次の側近の三浦が来ていて、意次から重三郎への文だと言って渡すと、早々に帰っていきました。その文には意次が「仇を討つことにした。生きて意知が成したであろうことを成していく。重三郎がどんなふうに仇を討つのか、そのうち聞かせてくれ。」とありました。意知が生きていたら成したことーーそれを考えたとき重三郎は、誰袖が意知に身請けされて笑っていたであろう姿を思い浮かべました。意次からの文で重三郎が思いにふけっていたとき、妻のていがそばにいて後ろから文を見ていたことに気がつきませんでした。ていは文を盗み見したことを詫び、でも「お口巾着で。」と決して他言はしないと約束しました。(今で言う「お口チャック」はこの時代なら「お口巾着」ですね)するとそこへ北尾政演(古川雄大さん)が何か面白い話でもあるのか、小走りで重三郎を訪ねてきました。政演は今「手拭合」というのを作っていて、絵心ある人に手拭いの柄を考えてもらい、1冊にまとめようかと思っていて重三郎にも入金を勧めてきました。重三郎は見本の絵を眺めながら一つの柄を手に取り、何かを思いついたようで「こいつならできるかもしれない」とつぶやきました。そのころ田沼屋敷では、意次が土山宗次郎(栁俊太郎)から、蝦夷に下調べに行っている平秩東作から年明け以降の連絡がない、仲介する商人の屋敷の前は松前の役人に見張られていて近づけない、調べたら東作の営む煙草屋が火事で焼けている、と報告を受けていました。するとそこに楠反七郎(宮澤寿さん)が門前に倒れていた者がこれをと言って、油紙で包んだ物を急ぎ持ってきました。油紙の中には帳面が入っていて、意次がそれを見ると・・・。
July 30, 2025

愛・地球博記念公園(モリコロパーク)のご紹介です。前回の日記の続きになります。ところで、なぜ私が家から約1時間とガソリン代をかけて、わざわざここまで通うのか。それはこのモリコロパークが私にとって大好きな場所ということもあるのですが、今通っているスポーツクラブでレッスンを受けている先生から「風景を見ながら散歩するのが、身体にも脳にもいい運動になる」と言われていることがあるからです。近所にも広い公園はあるけどモチベーションが上がらないから、少々ガソリン代はかかるけど、長久手まで行ってあの頃に見た風景を思い出しながら、約1時間園内を歩いているのです。毎日1時間歩くのが良いのですが、ふだんはどうしても運動を忘れるので、せめてこの時くらいはと思ってます。6月第3週の金曜日、この週は6月なのに最高気温が35℃を超える猛暑日を記録する日が続き、さすがに暑いと思いました。でもモリコロパークには目的地まで少し遠回りすればこのような木陰の道もあり、心地よく散策できます。この日は「魔女の谷が見える展望台」に行ってみました。ゴンドラに乗るのにふだんは大人は150円かかります。でも 愛知万博20周年記念事業 をやっている9月25日までは無料で乗れます。暑い日でしたが、ゴンドラ内はエアコンが効いて快適でした。とはいえやはり暑い日なので、いつもの金曜日なら駐車場もそこそこ混みだしているのにガラガラだったし、園内もやはり人がいなくてガラガラでした。ゴンドラを降りて、展望台に進みました。ジブリ映画はほとんど見ていないので、これが何のシンボルなのか、私にはわからないです。これが「魔女の谷」という世界なのでしょうか。ジブリファンの方なら、どの作品のどのシーンに出てきたかすぐわかるでしょうね。左側を拡大しました。右側を拡大しました。この日は何かの工事をやっていたようです。展望台から帰りは歩きで降りて、その後は「日本庭園」の方に行ってみました。木造の建造物や水の流れる音や緑の景色に癒されます。西口駐車場に戻る道です。車は北口駐車場なのでもう少し歩きます。ここは、亡きチビ子嬢と一緒に歩いた思い出の風景です。
July 27, 2025

愛・地球博記念公園(モリコロパーク)のご紹介です。前回の日記の続きになります。6月第2週の金曜日、 愛知万博20周年記念事業 が開催されているモリコロパークに2回目の訪問です。このモリコロパーク、数年前に虹の橋に行った愛犬のチビ子嬢がまだ元気な頃に、年に1回ほど行ってました。私の記憶に間違いがなければ、その頃は駐車場代が1回500円かかったように記憶しています。でも今は、前回行ったときに確認しましたが、平日は駐車場代が1時間30分までは無料になりました。(土日はわからないです)なので我が家からは若干距離があるけど、ちょくちょく行けばいいから、園内を散策して1時間半以内に出る予定で行動しています。いつもの北口駐車場に車を停め、西口駐車場のほうに向かってみました。20周年記念事業の一つとして、愛知県内の12の大学で24の学生チームが参加して作っている 彩の回廊 の作品の一つです。ここは場所の名前が「階段」で、この時は名古屋大学・恒川研究室の学生たちが作った「天翠皿」という作品が展示されていました。遠目ではよくわからないのですが、このような作品です。再生プラスチックを用いた円盤で、雨の日は目と耳で楽しめるとありました。これ、20年前に見た記憶があります。日本ゾーンにあった、からくり人形がでてくるモニュメントです。今でも11時から15時まで、ちょうどの時間に人形が出てくるようです。この時は9時半だったので人形が出るまで待てなくて確認してません。西口駐車場からすぐの西口広場の「こいの池」の前で、池の向こうに見える建物は、左手がアイススケート場で、右手が「ジブリの大倉庫」です。池の横を見ると小高い丘があり、上に上って行けたので行ってみました。いちばん高い所には「モリコロの鐘」があり、パーク内を見渡せます。私の前にいた方が勢いよく鐘を鳴らしたら、かなり響いてました。自然の地形を生かした通路です。モリコロパークはこの木々に囲まれた景色が見られるのがいいのです。ただ自然の中なので、ヘビや虫には注意とあります。林の中を抜けて下に降りていき、東エリアのほうに向かってみました。ここは「猫の城遊具」とあり、いつもなら大人は300円、子どもは100円になっていますが、この20周年記念事業の期間は無料で入れます。ちょうど遠足の小学生が来る前で、人は少なかったです。「猫の城」にはこのように迷路になっている遊具もあり、母子できたどこかの子供さんが遊んでいました。さて出る時間になったので、このエレベーターで北口駐車場に向かいます。この時は午前10時半でしたが、金曜日のせいか、リニモの駅及び北口駐車場の方から続々と来場者がありました。
July 24, 2025

2025年、今年は大阪で万博が開催されていますね。私は諸事情で今は大阪の往復ができないので万博は行きませんが、行かれた皆さまはそれぞれに楽しんでいらっしゃるようです。そんな私は、地元の愛知県で20年前に開催された『愛・地球博』が今、 愛知万博20周年記念事業 を行っているので、そちらが気になっています。もっともこちらは、20年前の万博の後に整備された愛・地球博記念公園(モリコロパーク)に少し付け足すような形をとっていて、何かパビリオンを新たに建設した、とかではありません。それでも地元愛の強い愛知県人をはじめ、20年前のあの時間が大好きだった人にとっては、懐かしい空間になっていると思ってます。3月25日から開催され、9月25日で終わってしまうというのに、行動が遅い私は6月からやっと行く気になって動きだしました。まずは6月6日に行ったときの、一部の画像です。公園北口の駐車場から入りました。(駐車場からすぐの場所です)平日なのにやけに車が多いと思ったら、どうやらジブリパーク目当ての来場者で、まだ10時過ぎなのに関東・関西・北陸など遠くからの車もたくさんありました。この日は金曜日だったから、遠方からの車も多かったのですね。北口の駐車場から人々が一斉にこちらの方向に進んでいきました。ジブリの映画に出てきた何かの建物のようです。有料かもしれないと思い、私は脇の階段から進みました。下に降りて見上げると、こんな感じです。後で知ったのですが、これはただのエレベーターでだれでも乗れました。(この後、園内を散策していますが、その画像はまた次回に)この日は園内の位置関係がわからないので軽く散策するだけにして、車を停めた北口駐車場のほうに戻ってきました。休憩所にはキッコロがたくさんいました。この周辺に、案内所やお土産店やコンビニがあります。案内所で、愛・地球博らしきものは何か展示してないかと訊ねたら、すぐそこの地球市民交流センターを案内されました。階段を降りるとやや暗い照明の中にこの「地球の樹」がありました。樹の根元の割れたところに入ってみると、モリゾーとキッコロがいました。ただ長らく置いてあったから?それとも元々?背が縮んでました。地球市民交流センターの上に上がると植え込みで整備された通路があり、パーク内全体が見渡せるようになっていました。とりあえず反対側の出口に向かって歩いていたら、モリコロのバスを発見。どんな感じか、次回乗ってみようと思います。植物の植え込みに野鳥のための小屋?もありました。園内の植え込みは係の人が定期的に植え替えを行っているようです。
July 24, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回は江戸時代の天明年間に起きた食糧不足による流民や米の価格の問題を見つつ、人間関係が何かの出来事から思いもよらぬ方向に徐々に動いていくのを見たように感じました。権力者を父に持ち、仕事では上から引き立ててもらえて陽のあたる場所にいて、家でも家族間で特別な苦労することもなく、好きになった女との未来を心に描いて幸せそうな田沼意知(宮沢氷魚さん)。片や家としての力は今はなく「田沼は当家の家来筋」と精神的にマウントを取るのを唯一の心の支えとする父・佐野政豊(吉見一豊さん)がいて、でもその父はすっかり耄碌して家では苦労が絶えず、自身も仕事ではうだつが上がらないままの佐野政言(矢本悠馬さん)。将軍の覚えがめでたい意知は政言だけでなく他の者たちからも羨望の的だから、悪意のある噂がいったん流れると次々と尾ひれがついて広まっていきます。そして政言のほうは初めの頃こそ意知の中傷は信じないようにしていたものの、なまじっか意知のそばにいる分、父の期待どおりに出世できない自分の不甲斐なさが少しずつ積もっていき、家での父の介護のストレスが重なって心が折れそうな隙をつくように意知の悪口を吹き込まれ、気持ちがどんどん歪んでいきます。親の過度な期待の重圧に苦しんでいたり、あるいは家族の介護で疲れ果てているものの、自分の苦悩を本人にぶつけられなくて、些細なことがきっかけで恵まれている他人を逆恨みしてしまうことは現代でもよくあることでしょう。そんな精神状態のところに悪意ある噂が次々と耳に入って、政言は凶行に及んでしまった、という流れでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明4年(1784)松前廣年が抜荷の片棒を担いだことから田沼意次が蝦夷地の上地を狙っていることを知った松前道廣は、一橋治済に上地はやめて欲しいと懇願し、事情を知った治済はこのままでは終わらせたくないようでした。そのころの世は前年の浅間山噴火と冷夏の影響で米の値が異常に上がり、その対応に田沼意知(宮沢氷魚さん)は追われていましたが、ようやく対策できてうまくいけば身請けもできると花魁・誰袖(福原遥さん)を喜ばせていました。ところが意知の考案した「米穀売買勝手次第」の策は全く効果がなく米の値は相変わらず高いままで、江戸の町には田沼の悪口を書いた紙が至る所に貼られ、庶民の不満はたまる一方でした。そして江戸には諸国から逃げてきた流民が次々とやってきて、流民を引き取るお救い小屋はすでにいっぱいとなり、行き倒れの流民が町にあふれていました。田沼の失策は人々の間で悪口と話に尾ひれがついた憶測となって広まりました。さらにはこれで大儲けした意知が吉原で紙花を撒いているとまで。そして奉行所から戻った鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)によると、町にあふれかえる流民たちは順にお救い小屋に入れるから待っておれ、とのことでした。立場の弱い者のことがつい気になる蔦屋重三郎(横浜流星さん)は寄合の皆に町で炊き出しをしないかと提案しますが、そんなことをしたら噂を聞きつけて次々と流民が集まってしまうと各々から反対され、鶴屋からは「蔦屋の身代を潰す覚悟があるならご勝手に。」と釘を刺されました。さて田沼屋敷では佐野政豊(吉見一豊さん)が「系図を返せ!」と怒鳴りこんできましたが、田沼意次(渡辺謙さん)は何のことか一向にわかりませんでした。そうこうしていると息子の佐野政言(矢本悠馬さん)が来て、父の無礼を深く詫びながら、強引に父を連れ帰っていきました。意次が政豊の耄碌を笑っていると意知と三浦庄司(原田泰造さん)が、あれはかなり前に意次が池に放り投げたと指摘し、意次はようやく思い出しました。このまま政言を放置できないと思う意知は父・意次に政言を何かで引き立ててやって欲しいと頼みましたが、意次は若年寄になったのだからと政言の面倒を見るよう意知に言いました。意知は政言を徳川家治(眞島秀和さん)の狩りのお供に推挙し、政言は願ってもない誉れとたいそう喜んでいました。しかし狩りの当日、政言の放った矢は獲物を捕らえておらず、意知の呼びかけで再度探したものの獲物も矢も見つかりませんでした。捜索で待たせたことを意知は詫びますが、家治の信頼が厚い意知は「友を信じる心遣いに感服した。」と褒められ、逆にせっかくの好機なのに政言は上様の目にとまる働きができなくて落胆し、その様子をそばで見ている者がいました。政言の一日も早い出世を願う父・政豊は、いつか政言が上様の目にとまったら、せめて自分のこの刀だけでも共に連れていってもらいたいものだ、と期待に胸を膨らませていました。するとそこに、あの狩りの日に同行したという男(矢野聖人さん)が話があると訪ねてきて、政言の矢と獲物らしき鳥を持ってきました。男はあの日、意知がこれを見つけて隠したのを見たと言い、政言は最初はそんな話は信じられないと言いました。しかし男はさらにもっともらしいことを言い、政言の心の中に意知に対する疑心暗鬼がかすかす生じたようでした。(このシーン、政豊役の吉見一豊さんは話に耳も貸さずずっと刀をいじっていて、耄碌して頭の中は自分の思いしかない老人を演じていました。)田沼意次と意知はなんとか市中の米の値を下げる策はないかと家臣たちと苦慮していましたが、米の値は高止まりしたまま動きませんでした。生活するのがやっとの庶民は本など買える余裕はなく、一方吉原では米で大儲けした一部の者たちが景気よく金を使っていましたが、同時に売られてくる女郎が増えたとのことでした。米の高値が田沼親子や花魁・誰袖のことに影響し、そして流民たちのことも心配する重三郎に妻・ていが「町からお上に献策というのも日本橋らしい」と提言し、重三郎は吉原では知らなかった知識を得ました。早速町の旦那衆を集め、庶民が生活苦のままだと自分たちだって商売に困るから献策を考えようと皆に呼びかけました。鶴屋喜右衛門は「お上がもっと身銭をきればいい。お触れだけで事をおさめようなんて虫がいい。」と言い、他の皆もそれぞれに思うところを述べ合い、献策を練り上げていきました。そして策がまとまり、重三郎は田沼意知に会いに行きました。お上が何かの形で米を仕入れ、その仕入れ値で庶民に引き渡したらどうかという話を、意知ははじめお上は商いはできぬと断りました。しかし重三郎は「これは商いでなはく政。食べるのに精一杯になれば庶民は世の中の食べること以外のあらゆることを慎むようになり金の巡りが悪くなる。その流れを断ち切るのは商いではなく政。」と進言しました。その後で重三郎は意知に誰袖花魁の身請けを乞いましたが、意外にも意知はその件ではもう手を打ったとのことでした。意知は、かつて父・意次が平賀源内を救おうとしたのをお家のために見捨てよと自分が止めさせた、蝦夷の上地ことは源内への罪滅ぼし、蝦夷のために尽力してくれた誰袖を見捨てることはできない、と自身の思いを重三郎に伝えました。後日幕閣内での話し合いの折、水野忠友(小松和重さん)から、大坂の奉行所が米穀売買勝手次第を悪用して酷い買い占めを行った悪徳な米問屋をまとめて投獄、20万石の米を召し上げた、と報告がありました。そう聞いた意知は即座に発言を求め、その米を公儀が安く買い上げその値で直に市中に払い下げてはどうかと進言、「これは商いではなく政。飢えに苦しむ民を救い世を救うための政。」と老中たちに訴えました。意知の進言を父・意次は大変満足そうでした。しかし城内では、意知が米で私腹を肥やして吉原通いをしているととんでもない中傷が流れていて、政言も意知を疑うようになっていました。家に戻れば老いた父・政豊を労わる政言でしたが、父はかつて5代将軍・綱吉公から賜った名誉の桜に花が咲かないことに腹を立てていて、政言を愚か者、出来損ないと罵って打ち据えていました。庭での騒ぎを聞きつけて家臣が政豊を引き離し、先日来たあの男がまた佐野家に来ていて政言にある噂を伝えました。田沼意次が預かった大切な佐野家の系図を無きものにした、田沼が寄進した桜は立派に育ち見事な花を咲かせているがあれは佐野家の桜では?と。うだつの上がらぬ自分は父が癇癪を起こせば理不尽に責められる、耄碌した父は咲かない桜に「咲け!」と刀を振り回して叫ぶ。恵まれた意知との違いに政言の気持ちはどんどん暗く歪んでいきました。意知は花魁・誰袖を身請けするために、表向きは土山宗次郎が誰袖を身請けした形をとることになりました。重三郎は餞別として歌麿に描いてもらった誰袖の姿絵を贈り、誰袖は女郎として嫌な客を取るときには重三郎の顔を思い浮かべていたと打ち明けました。大文字屋市兵衛(伊藤淳史さん)は、この吉原はぼ~っとして幸せになれる場所じゃないから女郎たちは誰袖を見習って逞しい腹黒になって欲しいと言い、また重三郎は誰袖の話はここで生きるしかない女郎たちのとびきりの励みになるからいつか本にしたい、とそれぞれに思いを伝えました。やっと吉原を出て幸せになれるーー誰袖は意知と一緒に夜桜見物をする時間が来るのが待ち遠しくて仕方がありませんでした。誰よりも自分の立身出世を願っている老いた父が憐れになり、政言は泣き笑いして自分が佐野の桜を咲かせてみせると父に約束しました。そして何かを決意したように、すっかり古びた父の愛刀を手入れしていました。仕事を終え今宵の誰袖との花見を楽しみに意知が戻ると、政言は意知を呼び止め、思い詰めた面持ちで意知の前に立ちはだかったかと思うと、いきなり刀を抜いて斬りかかってきました。
July 17, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の話はタイトルが「三人の女」で本来はそちらのほうがメインの話なのですが、私は無理やり蝦夷地を上地するために画策する田沼意知(宮沢氷魚さん)とその周囲の動きが気になってしまいました。愛する意知のために花魁・誰袖(福原遥さん)は松前廣年(ひょうろくさん)を手玉にとって抜荷をさせるという危ない橋を渡り、意知はそんな誰袖を愛おしく思うようになりました。前回はそんな流れで、誰袖の努力が報われてたのだと思ったけど、この回ではまた流れが変わりました。意知が自分に心を向けてくれたことが嬉しくてたまらない誰袖は、傍目にもわかるほど意知への思いを表し、それは周知のこととなりました。でもそれは、まだすべてが終わっていないのに人のうわさになる油断だったと思います。浮かれた誰袖のことはやがて廣年の耳に入り、自分は誰袖と思い合っていると信じていたからこそ、本当はやりたくなかった抜荷をやってしまった廣年は大きなショックを受けます。事が完全に終わるまでは、自分の本命は松前廣年だと、本人にも周囲にもそう思うように誰袖は振る舞い、言い聞かせておくべきだったと思えてならないのです。信じていた者に裏切られたときの悲しみと怒りと辛さは、女郎をやってきた誰袖なら想像ついたと思うのですが。田沼親子にとって米のことはとりあえず切り抜けたけど、蝦夷の上地のことは危機になり、さらに意知には二人の男の逆恨みの念が付いてしまったようです。次回の展開が恐ろしいですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明3年(1783)夏、浅間山の大噴火だけでなく冷夏が続いたことによる米の不作と、米商人たちによる市場操作で米の値段が昨年の倍になり、幕閣内でも大きな問題となっていました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)は日本橋で大店の主となり、たくさんの奉公人や店に集まる仕事仲間たちに出す米代が恐ろしくかかることを知りました。そんな中で重三郎の生みの親だけど彼を幼い頃に捨てたつよ(高岡早紀さん)が息子の出世を聞きつけ、勝手に店にきて我が物顔で上がり込んでいました。重三郎は母親の顔も見たくなかったのですが、事情を知らない(まだ形式上の)妻のてい(橋本愛さん)が親孝行と言ってつよを許してしまったので、重三郎も渋々認めることになりました。でもつよには髪結いの技があり、旅人の髪を直す間に息子の商売の手助けをする機転も利く女だったので、重三郎も少しは母親を見直すことになりました。重三郎が旅人に作品の紹介をしているのを見ていたていは、食事の時に重三郎にこの際だから本や絵のつながりを示した「品の系図」を作ってはどうかと提案し、みの吉(中川翼さん)も重三郎の売り込み方に驚いたと言いました。ていは、皆があれをできるようになるといい、そのための手引き書となる「品の系図」があるといいと進言し、重三郎はその仕事をていに頼みました。この先の店の仕事についての皆のやりとりを歌麿(染谷将太さん)は特に意見をすることなく聞いていたかと思うと、突然この店を出ていくと言い出しました。自分はこの店にいなくてもいいと言う歌麿に重三郎は、主人の義弟として堂々とここに居ればいい、出ていくのは許さないと言いました。しかし歌麿を大事にする重三郎を、ていもまた複雑な思いで見ていました。自分への真剣な思いとそのために抜荷に絡む危ない橋を渡る花魁・誰袖の度量に心を打たれた田沼意知(狂名は花雲助;宮沢氷魚さん)は誰袖を本当に愛おしく思うようになり、誰袖も嬉しい気持ちがつい人前に出るようになりました。花雲助の男前ぶりと誰袖がぞっこんになっていることは女郎たちの間でも評判になっていて、誰袖が自分に夢中になっていると信じ、愛しい誰袖のために無理をして抜荷の仲介までした松前家当主の弟の松前廣年(ひょうろくさん)は、女郎たちの話を耳にして愕然としました。なんとか米を安く買いたい重三郎は駿河屋市右衛門の伝手で、札差の大引赤蔵(林家たい平さん)を紹介してもらいました。吉原に来た赤蔵に引き出物として四方赤良(本名は大田南畝;桐谷健太さん)の直筆の狂歌扇を贈るとたいそうな喜びようで、重三郎が米のことを頼むと赤蔵はおととしの米ならもっと安く卸せると快諾してくれました。重三郎と赤良が米倉に足を運ぶと、その様子から本当は米は余りまくっていて、商人たちが売り惜しみをして値をつり上げているのだろうと感じました。老中・田沼意次は堂島や米問屋や仲買人たちに米の値段を下げるように、市中のつき米屋には仕入れ値で売り渡すよう命じていました。しかしそのお触れに従う店はごくわずかで、人々がそこに買いに行ってもすぐに売り切れてしまい手に入りませんでした。重三郎は、米を生産できない自分たちでも米の値を下げることが何かできないか、米に困れば本なんか買ってもらえない、と赤良に言いました。すると赤良は立ち止まり、空を見上げ両手を広げ「米、来い!」と繰り返し叫び、天に向かって言霊を叫ぶ赤良の姿を見て人々も一緒に叫びました。その姿を見た重三郎は「それだ!」と何か思いつきました。蔦屋の店ではていとみの吉が重三郎に頼まれた系図作りを一生懸命にやっていて、それを見た歌麿は作者と絵師ではなく内容でつなげたらどうか、あと印をつけて区別したらどうかと助言しました。ていは重三郎が「歌麿は当代一の絵師」と言っていたのを思い出し、歌麿は才があるのだと改めて思いました。すると重三郎が大田南畝と宿屋飯盛(又吉直樹さん)を連れて意気揚々と帰宅し、「米の値を下げるために正月に狂歌集を出す。米一粒作れない役立たずの俺たちだから、天に向かって言霊を投げつける。急ぎの仕事だ。」と歌麿に言いました。いつも以上に無理な仕事だとわかっているけど、歌麿は仕方ないと笑って快諾し、その様子をていとみの吉は感心して見ていました。さて江戸城では、徳川御三家の紀州和歌山藩藩主・徳川治貞(高橋英樹さん)が下がらぬ米の値について意見しに出てきて、由々しき事態となっていました。治貞は田沼意次(渡辺謙さん)の政策の「物の流れを良くすれば皆が儲けを得て富み栄える」という点で、市中に米はあれど流通していないことを追究し、このような世を作り出してどのように責めを負うつもりなのだと厳しく叱責しました。意次は平身低頭で、必ず米の値を下げる策を考えだすからしばし時間を!と懇願するしかなく、意知は父のその姿を見て自分も策を考えなければと思いました。意知は重三郎の店を訪ね、米の値を下げるにはどうしたらよいか、商人のことは商人に訊くのが一番だから、と相談しました。同じ思いを持つ重三郎は、実は自分たちは今「歳旦狂歌集」を作っていて言霊でめでたい世を呼んで米の値を下げようという企みをしている、と言いました。意知が重三郎の発想に感心していると「地本問屋内にある株仲間に認めてもらえないと本を流せなかった。仲間なんて潰れたら自由に本を売れるのにと思った。」とつぶやきました。でも、そう聞いた意知は何かひらめいたようで、急ぎ店を出ていきました。その様子を見ていたていは、あのように相当偉い武士ともつながりがある重三郎という男はいったい何者なのか、と思ってしまいました。形式上で夫となった重三郎だけど、彼は自分の予想をはるかに超えた人だったとわかったていは、重三郎に頼まれていた「品の系図」を仕上げるために黙々と作業に取り掛かりました。また歌麿のほうも、何度も入る書き直しに時には苛立ちながらも重三郎のために頑張って仕事をこなし、重三郎は歌麿に心から礼を言いました。すると「ていがいない」と折りたたんだ紙を持ってつよが入ってきて、その紙を広げてみるとそれは見事に整理されて美しく描かれた系図でした。ただ書き置きには「皆様のご多幸と蔦屋の繁盛を心よりお祈り申し上げます。」とあり、ていがこの家を出ていってしまったのだと重三郎直感しました。重三郎はていが向かったであろう寺まで急いで走っていきました。ていが寺に入る直前にどうにか間に合い、つよのためにていに不便を強いていることを重三郎は詫びたのですが、ていの思いは違っていました。「江戸一の利者の妻は自分では務まらない。石頭のつまらぬ自分より、蔦屋の妻にはもっと華やかで才長けた女子がいい。」と言って寺に入ろうとしました。でも重三郎は、自分はていのことをつまらぬ女と思ったことはない、縁の下の力持ちなところも好き、皆のために掃除したり系図作ったり、とていのいい所を並べつつ、なにより「自分と同じ人に出会っちまった」と。そして「この先、何があっても一緒に歩きたい。ていは俺のたった一人の女房。」と言って重三郎が手を差し出すとていはその手を取り、ようやく心を許しました。さて江戸城内ですが、田沼意次は徳川治貞に「米に関わる株仲間を一旦廃してはどうか」と進言し、その理由を若年寄となった田沼意知が「米の値をつり上げる元凶となっている株仲間を一旦は無きものとし、誰でも米を売ってよしとする。そうすると皆が競い合って値を下げるのでは。」と説明しました。こうしてひとまずは難局を乗りきった田沼親子でしたが、廊下を立ち去る意知の背中に恨めし気な視線を送る二人の男ーー佐野政言と松前廣年がいました。
July 10, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回の最大のインパクトで感動は、鶴屋喜右衛門を演じる風間俊介さんでした。まさかラストであのような胸が熱くなる展開が待っていたとは、という思いです。喜右衛門は主人公の蔦屋重三郎(横浜流星さん)に対し、罠にはめたり意地悪をしたりということは特になかったように思います。しかし重三郎を吉原者として排除し、けっして認めて受け入れることはありませんでした。でも大量の灰を片付けるという面倒な作業を、組み分けして競争することにより人々を夢中にさせ、あっという間に終わらせました。そして競争をあえて引き分けとし、夜は重三郎と自分が出した金で宴を開いて町の皆を楽しませていました。人々を立場や力で無理やり動かすのではなく、自分から動くように仕向け、人々は生き生きと夢中になって動くから作業の能率はUPする。そんな重三郎の手腕を見て、喜右衛門は自分にはない才覚を感じたのでしょうか。今まで生まれ育ちで隔ててきた重三郎を認めて受け入れ始めた瞬間だったと思います。そして認めたら後は早い。町の皆に呼びかけて暖簾を作り、お礼と祝いを快く述べ、今後の期待を伝える。今まで自分を嫌っていた喜右衛門からの、思いがけない言葉と贈り物。これは重三郎も嬉しくて感動で泣けるでしょうね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明3年(1783)、蔦屋重三郎(横浜流星さん)は吉原から日本橋への進出を目指していて、店を買うためにさまざまな方法をやってみましたが、安永7年(1778)に出されたお達しのためにその都度、話が流れていきました。その店はいったんは柏原屋が買ったのですが、その柏原屋が重三郎に自分からこの店を買わないかと言ってきました。重三郎は以前、須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)が蝦夷地の絵図を持っていることと、その絵図を田沼意知(宮沢氷魚さん)が必死に探していることを思い出し、市兵衛を通して意知に会いに行きました。市兵衛は意知に、この絵図で仲立ちをしてくれた重三郎が日本橋に店を出すにあたり力添えが欲しいと頼み、意知は快諾しました。(前に重三郎が店に来たときに、何かに使えるかと思ってかわざわざ蝦夷地の絵図を見せてやったりと、市兵衛は重三郎を見込んで可愛がっていますね。)8月になったのに夏らしくない気候の中、浅間山が大爆発を起こしました。江戸には浅間山から大量の火山灰が降ってきたのですが、日本橋の人たちとなんとか仲良くなる手立てはないかと考えていた重三郎はこの降灰を恵みの灰と捉え、大量の古着をかき集めて自分が買ったていの店に行きました。重三郎は店の屋根に上り、瓦の隙間や樋に灰が詰まらないよう古着で覆い、町の皆にも屋根の保護を早くやるよう勧めました。人々は吉原もんの重三郎がこの日本橋にいること云々よりも、今はとにかく重三郎の言うように屋根を覆ったほうがいいと理解し、急いで古着を集めて屋根に敷き始めました。(私は2014年に御嶽山が噴火した時に、火山灰が水を吸うと重く固くなるということを知りました。このまま放置すれば屋根が重たくなり樋が壊れる。重三郎はこのことを本の知識で得ていたのでしょうね。)意知はこのとき吉原に来ていて、店の外に出て屋根を覆ったり灰を片付けたりする手伝いをしていました。意知のことが好きで意知のために命がけの陰の働きをずっと続けている花魁・誰袖(福原遥さん)は意知の活躍を2階から嬉しそうに眺めていたのですが、そのとき他の女郎・わかなみが意知に言い寄るのを見てしまいました。頭にきた誰袖は2階から飛び降り、わかなみと取っ組み合いの大喧嘩を。灰まみれになった誰袖は風呂を浴びて、髪を結わないままの姿で意知の前に出たのですが、意知はなぜか気持ちが乱れすぐに店を出ようとしました。もう1年半もこのようなことをやっていると誰袖が悲しそうに意知に伝えると、意知は誰袖の働きには必ず報いると約束しますが、意知は心をくれないのかと誰袖の気持ちはむなしいままでした。噴火の降灰がようやく収まると、江戸の町はそこらじゅうが灰だらけでした。鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が出てきて、奉行所からのお達しで早急に各店で灰を川や海や空き地に灰を捨てるように、とのことでした。するとそのとき重三郎が声をあげ、皆で一緒に灰を捨てようと言って、突然ほうきで地面に線を引いて行きました。重三郎は町を2つの組に分け、灰を捨てる競争をする、勝った組には自分が褒美で10両出す、と言いました。それを聞いた鶴屋は負けじと自分は25両出すと言い、喜んだ皆は一斉に力を合わせて灰を片付け始めました。大量にあった灰はみるみるうちに片付いていき、灰捨て競争は引き分けとして、夜は皆で仲良く宴となりました。これは「日本橋の人たちと仲良くなるためには」と考えていた重三郎の狙いであり、重三郎は宴では吉原仕込みの芸を披露して皆を楽しませていました。そんな重三郎の姿を鶴屋喜右衛門は離れた場所からじっと観察していて、また重三郎も喜右衛門の視線を感じていたのか時折り喜右衛門のほうを見て様子をうかがっていました。重三郎が店に戻るとてい(橋本愛さん)が畳を拭き掃除をしていたので重三郎も一緒に掃除を始めると、ていは「陶朱公」の話を始めました。ていは話を例えにし、重三郎には移り住んだ土地を富み栄えさせる才覚がある、店を譲るならそういう方にと思っていた、と自分の考えを伝えました。そしててい自身は店を出ていくと言い、そう聞いた重三郎は「陶朱公の女房にならないか。力を合わせて一緒に店をやろう。」と改めてていに求婚しました。しばらく黙っていたていですが重三郎に日本橋での言葉遣いを教え、どうやら重三郎を受け入れたような感じがありました。誰袖は愛する意知のために松前廣年に密貿易をさせようと色仕掛けで廣年に迫り、その甲斐あって廣年は裏取引きをしてきました。しかし自分が危ない橋を渡っているのに誰袖の好意を感じないと廣年が不満をもらすので、誰袖は廣年の機嫌を損ねないよう努める日々が続いていました。そんなある夜、意知が突然誰袖を訪ねてきました。意知が誰袖を求める短歌を扇子にしたためて渡すと、やっと意知が自分に心を向けてくれたことが嬉しい誰袖は、素直に喜びを伝えました。意知は誰袖を女子として受け入れると間者働きをさせるのが辛くなる、しかし蝦夷のことはやり遂げねばならぬ仕事だ、と思いを伝えました。「好いた女子」の言葉に今までの努力が全て報われたと感じた誰袖は、自分の弱さの許しを乞う意知に「形だけでいいから」と膝に枕するよう要求。でもその後、二人には形だけでない時間が流れていきました。さて田沼意次(渡辺謙さん)ですが、蝦夷地の抜荷の絵図が手に入ったことにより、上地の下調べとして意知が蝦夷に間者を放ったと将軍・徳川家治(眞島秀和さん)に報告しました。そう聞いた家治は、意知を若年寄にしないか、奏者番では表立って政に関わることができぬ、と言いました。意次は父として家治の言葉を有難く思いつつも、さすがに意知には早すぎると辞退しましたが、家治は自分の余命はもう長くないかもしれないと感じていて、意次のこれまでの働きに報いてやりたい思いがあったのでした。そして後日、重三郎とていは正式に夫婦になることにし、祝言を挙げました。吉原の皆も正装して集まり、座敷に入れない人たちは廊下から見ていました。眼鏡をはずしたていはそれは美しい女人で、一瞬誰だかわからないほどでした。固めの杯でていの動きが止まるので媒酌人の扇屋宇右衛門(山路和弘さん)が声をかけると、それは眼鏡がなかったからでした。眼鏡をかけるといつものていになり、皆もどこか安心しました。ところが祝いの挨拶の後、この祝言の場に鶴屋喜右衛門が訪ねてきました。これまで何度も吉原と対立してきた鶴屋が何しに?と一同は緊張しました。喜右衛門は祝いの挨拶の後に、日本橋通油町として祝いの品を贈りたいと言い包みを差し出しました。重三郎が包みを開けるとそれは鮮やかな青の地に白い蔦の葉が描かれた暖簾で、まさしく重三郎のために用意されたものでした。喜右衛門は、吉原の気風のおかげで灰の片付けが早く楽しく済んだと礼を言い、「江戸一のお祭り男はきっとこの町を一層盛り上げてくれる」と笑顔になり、日本橋に重三郎を快く迎える旨を祝いの言葉にして伝えました。嬉しさで感涙する重三郎、そして駿河屋市右衛門(高橋克実さん)は鶴屋にこれまでの数々の無礼の許しを乞い、吉原の一同も深く頭を下げました。喜右衛門も頭を下げ、これからはより良い縁を築きたいと思いを伝えました。重三郎は喜右衛門に「頂いた暖簾、けっして汚さないようにします!」と誓い、ていの丸屋が「蔦屋耕書堂」として生まれ変わって店が開かれました。町の人たちが作ってくれた色鮮やかな暖簾がひるがえり、賑やかに囃し立てられた店には次々と客が入っていきました。店の中には景気の良い声が響き、歌麿たちも大忙しで働いていました。しかし一方で浅間山の噴火による恐ろしい事態が迫っていました。
July 4, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回は、主人公・蔦屋重三郎(横浜流星さん)と、今は彼を嫌っているけどいずれ妻となるてい(橋本愛さん)がどのように接点を持つのかを注目して見ていました。ていを説得するために重三郎は手立てとなる情報を集めるのですが、でも結局は自分の耳でていの心情を直に聞ける場面がありました。重三郎が心の奥に残る花魁・瀬川への思いを一区切りさせ、ていを新たな人生のパートナーとさせる強力な要因は何か。それは本が世の中で大きな役割を持っていて、身分の高き低きに関わらず、本が人々に知識を与え、世の中をもっと豊かにしていくという思いが互いにあると確信したことで、まさに「同志」を見つけたという感じでした。自分と距離をとる相手が、心情を変化させていくきっかけとなる出来事とは何か、その後の流れはどうなのか。もう国語の物語文を見るような感じです。森下氏の脚本力に期待し、次回の展開を楽しみにしたいと思っています。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明3年(1783)、蝦夷地を上地するための手立てを平秩東作(木村了さん)に探らせていた田沼意次(渡辺謙さん)と嫡男・田沼意知(宮沢氷魚さん)は、上方から戻った東作の報告を受けていました。東作によると、商人側から抜荷の証を得るのは難しい、商人たちと深い話をするとこちらの動きが相手に漏れてしまう、とのことでした。結局、八方塞がりで何も実りがなかったことを、側近の土山宗次郎(栁俊太郎)と東作は意次に詫びていました。さて日本橋への進出を目指す蔦屋重三郎ですが、扇屋宇右衛門からまずは店を買って押さえることが大事だから亀屋を表に出して店を買うよう助言されました。そこで日本橋には吉原者は立ち入ることができないので、買い取りの交渉は亀屋に任せたのですが、すぐ嘘を見破られてしまいました。その後、商人たちの会合で鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)は安永7年(1778)に出された「吉原者は見附の内の家屋敷を買えない。市中の方も売れない。」というお達しを皆に再確認させ、日本橋に吉原者が入ると町の格が下がるとも言いました。ただ、てい(橋本愛さん)が皆に詫びて今後のことを頼むときに、韓非子の一節を例えに出して話し始めたら皆は面倒くさそうな嫌な態度になり、話の途中で鶴屋がさえぎってしまいました。亀屋の件が失敗になったので次の手をどうしようか、親父衆は考えていました。若木屋与八(本宮泰風さん)が「丸屋のおかみさん(てい)が欲しくてたまらないものはないか。」と言うと、りつ(安達祐実さん)が「男?」と言ったことで皆は妙に納得してしまい、蔦屋重三郎(横浜流星さん)自身がていに色仕掛けをすればいい、という意見にまとまってしまいました。重三郎が店に戻ると東作が来ていたので、丸屋のていとはどんな人なのかを訊いてみましたが、東作もよく知りませんでした。でも絵師の北尾重政なら知っているかも、と話し始めたらちょうど時間がきたので、東作は吉原のどこかに行ってしまいました。東作が向かった先は、花魁・誰袖(福原遥さん)のところで、客として松前廣年(ひょうろくさん)が来ていました。誰袖は東作を廣年に「琥珀の取引に詳しい人。」と紹介しました。でも生真面目な廣年にはご法度となることはやはり気が進まず、何より兄・道廣に知られることを酷く恐れていました。誰袖がいざとなれば私のせいにすればいいと言うと廣年はようやく安心し、東作の話を聞く気になれました。その様子を座敷の裏にある部屋から覗いていた田沼意知と土山宗次郎は、廣年では大胆なことができなくてどうも頼りないので、いっそ藩主の松前道廣が抜荷の話に乗ってこないかと期待しました。その松前道廣(えなりかずきさん)ですが、余興では相変わらず家臣を鉄砲の的代わりにして遊んでいました。田沼意次は三浦を使って廣年が吉原に出入りしていることを兄であり藩主の道廣に知らせると、道楽で藩の金を無駄遣いをしているのかと道廣は激しく怒りました。鉄砲を向けられた道廣は誰袖に言われていたように誰袖のせいにして兄に許しを乞いましたが、恐怖で発砲される前に気絶してしまいました。丸屋を買うためになんとか女将のていを説得できないかと思う重三郎は重政に会って、ていのことを詳しく知る人がいないか訊ねました。しばらく考えた重政は重三郎に、ていが漢籍を習った寺に行ってはどうかと助言。重三郎がその寺に行ってみると、ちょうどていがいて住職の覚圓(マキタスポーツさん)と何やら話をしているところでした。ていは処分する店の本を寺に寄付し、寺に来る子供たちの手習いに役立てて欲しい、そうすれば本は生きる、と住職に頼んでいました。ていの話を聞いたときに重三郎はふと平賀源内の言葉を思い出し、自分とていは同じ志を持っているように感じました。それからていの身の上話を聞き、重三郎はていの望みがわかった気がしました。重三郎が店に戻った夜、駿河屋市右衛門(高橋克実さん)と扇屋宇右衛門(山路和弘さん)が来て「明日、日本橋に乗り込む。」と言いました。親父衆はツテを辿って丸屋の証文を買いあげてあり、これで店の明け渡しを迫る、上品な手じゃないけど他の買い手が決まる前に、ということでした。翌日、親父衆と重三郎は「吉原者出入無用」の立て札もお構いなしに、日本橋の通油町に乗り込んでいきました。(並んだときのこの微妙な位置関係がいいですね。吉原の総代表の扇屋が先頭で、半歩後ろには駿河屋と、和泉屋の葬儀での出来事を一番怒っていた丁子屋長十郎(島英臣さん)、そして他の皆が続くという並びです。そして、ただ並んで歩くだけのシーンがこれほど迫力があってカッコイイとは。ベテラン俳優の皆さんが「乗り込む」という場面の心情や振る舞いを自然と表現できるからでしょうね。)そのころ丸屋では柏原屋との間で売買契約を進めるところで、親父衆はちょうどその時に中に乗り込んできました。鶴屋喜右衛門が吉原のやり方を非難した時、重三郎は自分なら丸屋の暖簾は残すと言い出し、その意味を話すために前に進み出ました。重三郎は丸屋と蔦屋を一つの店にしてはどうかと提案、そして「本当は店を続けたいのでは?」とていに問いかけました。ていはその話は断ったのですが、ならばと重三郎は自分と一緒になるのはどうかと言い出し、建物の売り買いは禁じられているが縁組はお達しに背かない、店を一緒にやるのは当たり前とていに迫りました。しかし縁組の話はていをかえって怒らせてしまい交渉は決裂、吉原の皆はもう引き下がるしかありませんでした吉原に戻った皆は、作戦の練り直しをしました。重三郎の過去に自分の部屋の花魁・瀬川とのことがあったせいか松葉屋半左衛門(正名僕蔵さん)は、なぜ店を一緒にやろうと言い出したのかを訊ねました。ていは自分が店を潰したことを不甲斐なく思っているようだから店を続けられるなら話に乗るかと思った、と重三郎は答えました。するとりつが芸者衆から聞いた噂で、ていの旦那は金目当てでていに言い寄った、それに気付かなかったていが世間体や親のことを考え夫婦になったけど、旦那はすぐに吉原通いを始めて散在して借金までした、という話をしました。そしてりつは重三郎に「独り身の自分につけこむあんたは、ていから見たら前の旦那と同じに見える。」と意見してやり、重三郎は自分の失敗を痛感しました。一方、蝦夷地を上地するために花魁・誰袖を使う田沼意知は、松前廣年の動きがあれからないことが気になっていました。すると女将の志げが慌てて部屋に駆け込んできて、道年だけでなく藩主の道廣も一緒に来たと言い、意知はすぐに隣室に身を隠しました。道廣ははじめは機嫌よく遊んでいたのですがじきに人払いをし、主人の大文字屋市兵衛(伊藤淳史さん)を呼びつけました。道廣は市兵衛に、誰袖の琥珀の直取引を企みを知っていたかを詰問、市兵衛はそこまでの事態は知らなかったと道廣に許しを乞いました。しかし意外なことに道廣は、いっそのこと直取引(=抜荷)を松前家と吉原でやって琥珀で大儲けしないか、と持ち掛けてきました。思いがけない好機が来たと、隠れている意知は息をのみました。さてその頃の江戸ですが、夏になっても肌寒いおかしな気候が続き、また地鳴りもよく起こっていて、人々は不安を感じていました。そんな中、重三郎が出かけようとしたときに柏原屋与左衛門(川畑泰史さん)が店を訪ねてきて、浅間山が火を噴いているらしいと教えてくれました。そして柏原屋は重三郎に、自分から丸屋の店を買わないかと持ち掛けてきました。
June 26, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回、一番感じたのは「人が大きな決断をする時」ということでした。出版の仕事が波に乗ってきた主人公・蔦屋重三郎(横浜流星さん)は、日本橋に店を構えてそこから本を出したいと思い描きました。しかし、大金が必要なこと、長年の吉原のしがらみ、吉原に店を出してやると声がかかる話は直感的に危ないと感じて引き受ける気になれない、そんな状態が続いていました。でも運命を切り開いて進んでいく者には、ちゃんとその道と機会が用意されているいのでしょうか。重三郎が駆け出しの頃から何かと相談に乗ってくれ、助言もくれていた須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)が、この時も日本橋というい土地の価値を教えてくれて、さらに迷う重三郎を励ましてくれました。大きな賭けで、もし失敗したらという不安や恐れは、「この先何がどうなっても必ず重三郎の傍にいる」と歌麿(染谷将太さん)が約束してくれた事で和らぎ、心の支えを改めて確認しました。でも重三郎の気持ちを固めたのは、世間で冷遇された吉原の親父衆たちの姿でしょうか。自分のことと同じくらいに相手を思う重三郎だから、厳しい世界だけど自分を育ててくれた親父衆を侮辱する世の中を見返してやる、と反発もエネルギーになっていたと感じました。さて、そんな重三郎の前進していく話の片隅で、皆とは違って一人調子の波に乗れず、あきらめや自己卑下のような負の感情を出していた佐野政言(矢本悠馬さん)に、つい注目してしまいました。史実では佐野は間もなくとんでもない事をしでかすのですが、万事控えめで親思いのあの優しい男が、どんな感情の流れであの大事件を起こすのか。ドラマの展開が楽しみであります。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明2年(1782)暮れ、吉原の者も仲間に欲しい田沼意知(宮沢氷魚さん)は蝦夷地を上地する計画を蔦屋重三郎(横浜流星さん)に話し、一緒に仲間になるよう誘いましたが、重三郎はこの話を断りました。この話には花魁の誰袖(福原遥さん)も抜荷で一枚かんでいると重三郎は感づき、危ないからやめさせようと誰袖に忠告したところ誰袖は話をはぐらかし、さらに主人の大文字屋市兵衛(伊藤淳史さん)までこの話に乗り気になっていました。事がうまく運べば、誰袖は好きな男(意知)に身請けしてもらえ、大文字屋には大金が入るので、二人は綿密に計画を練っていました。天明3年(1783)大田南畝(狂名・四方赤良)が世間で大人気となり、ついでに重三郎の名も世間に広まりました。耕書堂では狂歌の指南書『浜のきさご』は飛ぶように売れ、その他の品もとても評判の良いものでした。重三郎は江戸一の目利きの「利者」と呼ばれるようになり、贔屓筋の付き合いや出版の各所での打ち合わせ等で毎日多忙を極めていたので、ふじ(飯島直子さん)たち吉原の女将たちが店を手伝ってやっていました。さてこちらは田沼意次(渡辺謙さん)ですが、自分の理想とする政を推進するためにも、幕府内の要職を自分の身内や考えの近い者たちで固めていました。また意次の嫡男・意知を特例で奏者番に抜擢するなど、意次の勢いは周囲も圧倒されるほどでした。一方で意次に目をかけてもらえなかった一部の者たちは狂歌をたしなみ、意知の側近の土山に近づいて繋がりを作ろうとしていました。土山邸の酔月楼で催される宴会に顔を出した長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)や佐野政言(矢本悠馬さん)らは、350俵の組頭の屋敷とはとても思えぬ豪華な屋敷と宴会にただただ驚くばかりでした。意次の覚えがめでたければこういうこともできるのかと感心しつつ、どうやって土山に近づこうかと考えていたら、平蔵は重三郎の姿を見つけました。平蔵は自分たちを土山に紹介してくれるよう頼み、重三郎は快諾。土山がちょうど大田南畝(桐谷健太さん)と一緒にいたので重三郎は挨拶に行き、平蔵らを紹介しました。ただ平蔵の名を聞いたときに南畝が平蔵の父の話で盛り上がってしまい、うまく自己紹介ができなかった佐野は、自分にはこういう場は合わないからと一人先に土山邸を出て帰っていきました。田沼意知の配下の土山宗次郎は重三郎を仲間に引き込もうと耕書堂を日本橋に出店してはどうかと話をもちかけていました。重三郎はその話に魅力を感じて気持ちが揺らぎましたがそれは断りました。一方、大文字屋と誰袖は松前廣年(ひょうろくさん)になんとかして抜荷をさせようと、いろいろと話をもちかけていました。誰袖はおねだりやら涙目やらであの手この手で廣年に執拗に迫りました。廣年には考えてみるとまで返事をさせましたが、誰袖の思いは万事上手くいけば身請けしてもらえる田沼意知にありました。重三郎は吉原の方から、手間の割には利益が少ない仕事を大量に頼まれていて、渋々引き受けて進めていました。重三郎が日本橋に出店する夢を迷いも含めて思い描いていたら、日本橋の白木屋彦太郎(堀内正美さん)から呼び出しがありました。これはいい話かと重三郎が勇んで行ったら逆で、西村屋の『雛形若菜』のために吉原はもっと協力するように、という話でした。納得がいかない重三郎は、自分たちには何が足りないのかを彦太郎に訊ねました。彦太郎は、耕書堂の錦絵は江戸の外では売れていないことを指摘しました。鶴屋や西村屋には諸国の本屋から大口の買い付けがある、その後は地方の本屋や小物問屋にまで広まる、と説明しました。しかしそう言われても重三郎はなぜか強気で、それならばあっという間に全国に広めてみせると彦太郎にタンカを切りました。さて、錦絵を全国に売ってみせると言ったもののどうしたらと重三郎は考え、まずは江戸市中にやってくる行商人に声をかけて商売をしてみましたが、誰にも相手にされませんでした。そこで須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)に頼み込んでみましたがやはり断られ、でも市兵衛は代わりに重三郎にこの先のことの助言をくれました。「日本橋に出ればこの絵は一発で方々の国に出回ることになる。諸国の商人は『日本橋に店を出せるとなれば一流もの。そこの品物なら間違いない』と買っていく、買ってこい、となる。日本橋に出ればこの絵の話はあっさりと先に進む。他の狂歌本、青本、富本本も流れにのるし、一作につき桁違いの数が出る。」そう聞いても重三郎はまだ決断できませんでしたが、市兵衛は「それでも俺はお前に日本橋に出てもらいたい。平賀源内のためにも。」と重三郎の気持ちを強く後押しをしてくれました。市兵衛の話が頭から離れないままの帰り道、重三郎は和泉屋の店の前を通り、葬儀に向かう親父衆の姿を見送って、遠くからそっと手を合わせました。店に戻ってから、これまで自分が作ってきた本を手に取り、それまでの様々な出来事を思い返していたら、歌麿(染谷将太さん)が声をかけてきました。あの時無理やり和泉屋の荷物持ちをして田沼邸に入りこんで、首尾よく意次と話ができ、意次から言葉をもらえて、それが全ての始まりでした。そして源内と出会い、単に本を売るだけではない大きな志をもらいました。しかし、そんな思いにふけっていたら親父衆が大雨の中をずぶ濡れになって帰ってきて、何かあったのかと重三郎は心配になりました。和泉屋の葬儀の時、親父衆は他の参列者から「吉原もん」と蔑まれ、畳の外の縁側に追いやられる冷遇を受け、雨に打たれて耐えていました。親父衆は「いつものこと」と受け流していましたが、そんな親父衆の背中を見た重三郎は、自分はこのままではいけないと強く思うようになりました。もし失敗したらと不安もあるけど、重三郎の中で日本橋に出る思いが徐々に固まりつつあった時、歌麿が「何がどう転んだって俺だけは隣にいるから。」と言ってくれ、重三郎はようやく決心ができました。翌日、親父衆は集まって世間に対する自分たちの思いを語り合っていました。「貧しさゆえに死ぬしかない子をとにかくここで食わせてやっている。非難するだけの奴らはそんな子らに何かしてやっているのか。」と丁子屋長十郎(島英臣さん)は怒りが収まりませんでした。そんな時、重三郎が中に入ってきました。重三郎は親父衆に改めて、日本橋に出店したい旨を強く訴えました。怒り心頭になった駿河屋市右衛門(高橋克実さん)は重三郎を激しく折檻して階段落としまでしましたが、重三郎の決意は固いものでした。重三郎は階段を一段ずつ上がりながら市右衛門に訴えました。「俺は忘八だけど、俺ほどの孝行息子もいない。吉原もんが日本橋の真ん中に店を構える。そこで商いを切り回せば誰にも蔑まれないどころか見上げられる。吉原は親無し子を拾ってここまでしてやってる。吉原の門は懐が深いと。俺が成り上がればその証になり、この町で育ててもらった拾い子の大きな恩返しだ。」そう言って重三郎は改めて親父衆に「俺に賭けてください。俺には歌麿がいる。まあさん、春町先生、赤良先生など日の本一の抱えがある。」と訴えました。「俺に足らないのは日本橋だけ。」ーー重三郎の確固たる熱い思いを親父衆はしっかりと受け取り、認めてやりました。そして日本橋の丸屋が売りに出されると情報が入り、どうやったら吉原もんに店を売ってくれるか、それぞれが知っている話から皆で考えていました。「吉原もんには市中の屋敷は売るな」というお定めがあるからやはり無理かと皆があきらめかけた時、扇屋宇右衛門(山路和弘さん)が一人の男を同行して自信をもって部屋に入ってきました。
June 19, 2025
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