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文筆の世界では、単行本から文庫本へ移行する際や重版するタイミングで、加筆修正する場合がある。それは読者からの指摘であったり、時流に沿った表現に変更したりと理由はさまざまだ。なかには「マークスの山」のように、ミステリなのに犯罪件数を減らしたり謎解き自体を全然変えちゃったりと題名こそ同一だがまったくの別物といってもいいくらいに改変しちゃう場合もあったりする。 何の話かと言えば、ミニカーを入手したらそれなりに新規の文章を添えてアップするもんだろうが、過去ネタに画像を追加して増補・改訂版とすりゃあ流行りのタイパが計れるやん、てなわけで。 最新のスパーク製R390GT1とちょっと前のスパーク製アシェット(ルマン24時間レースカーコレクション)のニスモGT-R LM。これらを3年前の記事にブチ込んでインスタントに仕立て上がり(笑) 今の時代、クルマ本体の訴求ポイントを紹介する無難なCMが全てだが、昭和の時代にはそれこそドナルド・トランプの選挙CMもかくやとゆー感じのキャッチコピーがあった。「プラス100ccの余裕(1リッターサニーに対する1.1リッターカローラ」「隣のクルマが小さく見えます(1.1リッターカローラに対する1.2リッターサニー)」のやり合いが発端となって、かの有名な「名ばかりのGT達は、道をあける」に行きつく。 ツインカムエンジン搭載のセリカに対してツインカム設定がないスカイライン(=名ばかりのGT)を揶揄したトヨタのCMキャッチコピーなんだが、まさか未来にこの「名ばかりのGT達」がモタスポの主役を担うカテゴリになるなんて当時は誰も思わなかったろう。 1992年をもってグループCレースがNA化スプリント化によって瓦解してしまうと、FIAやACOはとても困った。次なる選手権の核となる車輛を何にしたらよかんべ?と。目を付けたのはスーパーカーが大挙参戦することから、いちローカルレースであるにもかかわらず活況を呈していた「BPRグローバルGTシリーズ」。こいつを世界選手権として乗っ取っちゃえばいいじゃん(FIAお得意の手法)と。GTカー(ほぼスーパーカー)だったら迫力もあるしパフォーマンス面でも文句なし、けどスーパーカーを用意できるのは限られたメーカーだから、車種は少なくなっちゃう。より多くのメーカーにエントリーしてもらってシリーズを盛り上げるには「市販車輛が一台あればレース車輛としてOKよ」とゆー敷居のとっても低いルールにした。 それでスーパーカーをラインナップしていないメーカーも、超ハイスペックな市販車を一台作って参戦する流れが出来た。本来、量産車のGT(グランドツーリング)を改造してレースカーに仕立てるのが本来だったはずなのに「レースカーありきで一台だけGTカーをつくる」とゆー本末転倒な状況を皮肉って、これら名ばかりのGTマシンを「なんちゃってGT1」と呼称した。 スパークから最新フォーマットでR390GT1が発売されたんで、「なんちゃってGT1」時代のマシンを一挙に、とゆー企画。 hpiレーシング1/43 日産 ニスモGT-R LM1995年ルマン24h DNF#23 星野一義 / 鈴木利男 / 影山正彦 日本に冠たるスカイラインGT-R。ルマンの主役がGTになったのならば「このクルマで行くっきゃないっしょ!」と満を持して登場。ただし「スカイライン」という名称はつかないんだな。何故なら「同一車種に4ドア車があってはアカン」とゆーヘンテコルールがあったので、スカイラインではエントリー出来なかったのだ。そこで「市販車を一台だけ作ればいい」とゆールールが活きてくるわけだ。レース仕様を公道用にデチューンして「ニスモGT-R」とゆー名前で売れば、4ドア縛りは回避できる(ここでは販売することが大事で、売れた売れないは関係ない)。そーゆー経緯で、晴れの舞台でスカイラインを名乗れないGT-Rが誕生したというわけ。市販車自慢のアテーサ4WDも搭載していない純レースカーのGT-Rは、総合7位まで上がったところでギアボックストラブルが発生しリタイア。hpiレーシング1/43 日産 ニスモGT-R LM1995年ルマン24h 10位#22 福山英朗 / 近藤真彦 / 粕谷俊二 いけいけドンドン!は#23号車にまかせて、後詰め・抑え的なスタンスで淡々と距離を稼いで、狙い通りの完走・入賞(クラス5位)。この#22号車は、2015年に完全レストアされて動態保存されている。タミヤ1/43 日産 ニスモGT-R LM1996年ルマン24h 15位#23 長谷見昌弘 / 星野一義 / 鈴木利男 前年の弱点(駆動系)を克服できぬまま参戦した96年。全開で走ったら24時間は絶対もたないっちゅーことで「レブリミットを1000回転低く、ギアチェンジはしっかりクラッチを切ってから優しく丁寧に!」を合言葉にレーススタート。しばらくはきっちり守って安全走行していたが、結局は、誰よりも速く走りたい、がドライバーの業。星野が協定破りして全開走行を開始(笑)。長谷見、鈴木がエンジニアに「あれヤバイよ。絶対壊れるよ」と詰め寄るも、ゾーンに入った鬼神・星野に誰も物申せるわけもなく。そのうち長谷見も「オレも」とばかりに全開走行。唯一チームのコントロールがきく鈴木だけが当初の約束を守って走行させられるが、星野と長谷見に酷使され続けたミッションは、まさか一番丁寧な鈴木のドライブ中に音を上げる(そーゆー貧乏くじってあるよねー)。修理のためにピットストップを余儀なくされて結局15位完走(クラス10位)。 43スケールの96年型GT-Rは、この古いタミヤとスパーク(アシェット・ルマン24時間レースカーコレクション)だけ。TSMから18スケールで出るらしいから、その流れで出るかな?と思ったが今のところアナウンスなし。まぁスパークのアシェットは観測気球だって思ってるんで、そのうち本家から出るでしょ。アシェットルマン24時間レースカーコレクション1/43 日産 ニスモGT-R LM1996年ルマン24h 15位#23 長谷見昌弘 / 星野一義 / 鈴木利男 まあそのうち本家スパークから出るでしょ、とは思ってたもののなかなか出ないのでオークションで安いのをゲット。ルーフアンテナが欠損してるのが安価の理由だろうけど、そんなもんはお得意の0.3mm洋白線を木工用ボンドで接着すれば問題なしだ。 タミヤのに比べて、ライトの表現とか当然進歩してるんだけど、赤がねぇ。。。ホント単なる赤なのよ。日差しや時間帯によっては真っ赤に見える場合もあるんだけど、もっとピンク寄りっつーか赤紫っぽいっつーか、とにかく単純な赤じゃない。本家スパークから出れば(出るでしょ)買っちゃうんだろうけど、ここは是非とも改善してほしいなぁ。 スパーク1/43 日産 R390 GT11997年ルマン24h 12位#23 星野一義 / エリック・コマス / 影山正彦 GT-Rでは世界の牙城に歯が立たなかった日産が「総合優勝を目指す」として開発したGT。見ての通りグランドツーリングのイメージはまったくない「なんちゃってGT」である。そもそもの目論見は、Cカー最優良シャシーの誉れ高いジャガーXJR-14シャシーにCカー最強エンジンのひとつである日産VRH35Zエンジンを載せよう(つまり前年優勝したTWRポルシェと同じ手法だね)だったんだが、どーゆーわけか計画は頓挫した。「それだとあまりにも日産車のイメージがなくて、単なるエンジンサプライヤーじゃんか」的なダメだしが日産上層部から出たのかも知んない(個人の感想です)。とにもかくにも計画がおじゃんになったんで、急遽TWR内に売れ残ってたジャガーXJR-15を持ち出してあれこれ部分的に作り直して日産エンジン積んでなんとかでっち上げた。 ほぼぶっつけ本番に近い状況下では好成績は望めるわけもなく、3台エントリー中唯一生き残った23号車が10位(クラス5位)完走が精いっぱい。クラス5位っつってもさ、上との間に格下LMGT2のトップ3に割り込まれちゃダメでしょ。 R390最後発のスパークの出来映えはさすがの一言。そして近年の日産Eダムス(フォーミュラE)にも通じる赤黒リバリーはとってもカッコいい。 京商1/43 日産 R390 GT11997年ルマン24h DNF#21 マーティン・ブランドル / ヨルグ・ミューラー / ウェイン・テイラー いやね、ちゃんと昔のもの(14年前!)もキープしてるのよってことで。全員日本人クルーの#23号車に対して全員ガイジンクルーの#21号車。誰がドライブしてた時かわからんが、139周目にスピンオフしてリタイア。京商1/43 日産 R390 GT11998年ルマン24h 5位#30 ジョン・ニールセン / ミハエル・クルム / フランク・ラゴルス 前年のシックなカラーリバリーから一転して、一体どうしちゃったんでしょ?なチェッカー柄。どうしてもチェッカーフラッグまで走り切って欲しいと願かけしたのかな(笑)。前年のデータを検討してロングテールに改造するのはルマンの定石。それらが効いたのかエントリー4台すべてがトップ10フィニッシュ。 R390は京商・スパークの他にイクソからも出ていて、それも当然所有しているけれど、イクソのダメさ加減は前にも書いたけど、ノーズがしゃくれ上がっちゃっててとってもヘンテコなのでここではオミット。スパーク1/43 日産 R390 GT11998年ルマン24h 3位#32 星野一義 / 鈴木亜久里 / 影山正彦 一大物量作戦に出たグループC時代に結果を残せなかった日産陣営が、ついに表彰台へ。しかも日本人クルーのドライブする日本車として初の表彰台というオマケつきの#32号車。速さを諦めて信頼性のみを武器として淡々としたペース走行が奏効しての表彰台。我慢の効かない星野がよく抑制できたもんだとも思うが、逆にそこまでしても結果が欲しかった、ということなのだろうきっと。日産のレース車輛は大抵23号車と相場が決まってて、この年も23番は誰も使ってなかった。けど前後の番号は他チームに押さえられてて、それゆえ苦肉の策として32号車だったんだろうね。 アシェットのR390は手にしていないけど、ルーフアンテナがスーパーGTモデルでも使われてる最新型に更新されてる(けど、あんまカッコよくないんだよね、コレ)。BBR1/43 日産 R3911999年ルマン24h DNS#23 鈴木亜久里 / 影山正美 / エリック・ヴァン・デ・ポール R390GT1の後継R391。 予選が始まると一人目のエリック・ヴァン・デ・ポールがテルトル・ルージュで大クラッシュ、赤旗中断。本人は脊椎損傷して病院に運ばれ、クルマはモノコックに穴が開くほどで、とっても短時間に修復できるもんじゃなく即刻欠場が決定し、鈴木や影山はまったく予選を走れずに終わった。レースをスタートした僚機#22号車も順位を4位まであげたものの、電気系トラブルでコースサイドにマシンを止める。 R391は「なんちゃってGT1」じゃなくて、れっきとしたプロトタイプ(LMP)だからここで取り上げるのもなんなんだが、GT1時代の流れに無理やり押し込んだ。系譜から言えば16年後の「やっちゃった日産」で有名な駄馬「GT-R LM ニスモ」の先代にあたる(つか、なんであれをR392にしなかったんだ?)。 BBRのR391は、BBRキットを岐阜在住のプロモデラーが完成させたもの(を中古で入手)。当然、出来映えは他のGT1よりも一枚も二枚も上。日産耐久車輌のアイデンティティーだった日産トリコロールを大胆にアレンジして使ってるとこがイイネ。リアのでっかい日産マークもグッド。 1999年の企業としての日産には、カルロス・ゴーンがやって来てコストカットの嵐が始まり、ルマンどころの騒ぎじゃなくなって、Cカー時代から勝てそうでまったく勝てなかった日産のルマン挑戦は終わることになる。ご存知の通り、今は複雑なハイブリッド・パワー・ユニット主体の時代だから、今後ルマンで日産の新型マシンを見ることは、悲しいかなもうないだろうね。
2024.03.04
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ル・マン24時間レースを支えているのは、ワークスのプロトタイプマシンと市販スポーツカーベースの耐久グランドツーリングマシン(LMGTE)であると個人的に思っている。LMP2クラスはWECシリーズ戦として見れば面白いけど、24時間レース単発イベントとしたらちょっと弱い。なんたって基本は量産型プロトタイプ(暴言)だから、カーメーカーの威信をかけてってゆー気概がちと足らないかな。 2011年から始まったLMGTEクラスは、プロクラスが2022年をもって、一年以上昔の型落ちマシンで戦うアマクラスは2023年をもって終了し、今年からはLMGT3マシンへと移行する。スパーク1/43 ポルシェ 911 RSR-192022年ル・マン24h 28位(クラス優勝)#91 リヒャルト・リーツ/フレデリック・マコヴィッキィ/ジャンマリア・ブルーニ かつては、ダッジ・フォード・シボレー・ポルシェ・フェラーリ・アストンマーティン・BMWらがGTカー世界一の座を競って鎬を削ったGTEも、今やポルシェとフェラーリが残るのみ。参戦しているチームからすれば、まわりはすべて敵なので、参戦車種が多かろうが少なかろうが自分が勝つことが第一義なので関係ないのかも知れないが、見ている方としてはいろいろな車が競争している方が楽しいもんだ。ポルシェが世界制覇のために、市販車では頑なに守り続け唯一無二のアイデンティティでもあるリアエンジンを捨ててまで開発したRSR-19もこれが見納め?見事ル・マンクラス優勝で有終の美を飾った。タイヤ一つ分ワイドになったフロントセクションなど、ロードバージョンとは大きくかけ離れてしまっているけれど、スーパーGT500車輛のように空力付加物がないから、正面から丸目二灯を眺めればまごうかたなき911なところが素敵(笑)。 せっかく車種豊富なGT3クラスに移行したんだから、ランボルギーニやアウディに日産、レクサス、マクラーレン等スパやニュル並みの多メーカー混走が見たいもんだがル・マンがWEC全戦参加を前提にするなら結局、今年もポルシェとフェラーリだけだったりして。
2024.01.25
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新年あけましておめでとうございます。 旧年中は、流行り(?)のダブルワークなんぞを下半期に始めた関係で余暇に裂ける時間が減ったり、それ以前にそもそも手に入ったミニチュアが少なかったりで記事更新が御無沙汰気味だったいうのが大反省点。なので今年はちょこちょこと更新するのが目標、月に2本とか入手後何日以内にとか具体的な数字を示さず曖昧な表現にしてるところがミソだな(笑)。オニクス1/43 パノス LMP1 スパイダーS2000年ル・マン24h 8位#22 土屋圭市 / 飯田章 / 近藤真彦 今年は辰年なんで、辰にちなんだクルマっちゅーことで。最初はコレ(↓)にしようかなとか思ったんだが、 スパーク1/43 BRエンジニアリング BR1 ギブソン2019年ル・マン24h DNF#10 ヘンリック・ヘドマン/ベン・ハンリー/レンガー・ヴァン・デル・ザンデ これのなにが辰なんじゃ?といえば、これをオペレーションしてんのがアメリカのドラゴンスピードレーシングだからっつーのはあまりに捻りすぎだから、あえなくボツ。んで、パノスのほうはっつーと、ご覧の通り、黄金の竜が刺青されてっから。チーム名も「TV朝日・チーム・ドラゴン」っつーんだけど、それだけだとBR1と同じになっちゃう。やっぱ実際に龍が描かれてるってのがポイントよねってことで。
2024.01.01
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「一週間のご無沙汰でした。」というのは故玉置宏(玉木宏ではないよ)の名セリフだが、こちとら一週間どころか一か月のご無沙汰だよ(汗)。 とにかく新作ミニチュアが出ないのである。いやまあスパークとしたら新製品はちゃんと発売してんだから、当方が欲しいと思って予約したのがなかなか出ないと言うのが正しい物言いだな。そういう時の常套手段はフリーページ用に起こした原稿の焼き直しである。つかフリーページってPC画面だとすぐ見つけられるけど、スマホ画面の場合は(PC版サイトにしない限り)通常記事を延々とスワイプしてかないと出て来ないのね。最近スマホに機種変して初めて知ったよ(汗)。なので今後はフリーページに記事出すときはメイン記事も同時にしないと、つかメイン記事にあげてからフリーページにコピペするようにせなアカンということやね。 いままではその時代区分で印象的な優勝車両画像をトップに持ってきてたんだけど、GT1時代はなんといってもこの画像のインパクトがデカすぎて(ま、一応優勝車両も写り込んでるし。。。) 晴天の霹靂のようなグループCの終焉(そう思っていたのは主催者側だけですが)を迎えて、次なるルマン24時間レースの主役は、GTカーとアメリカで主流になりつつあったオープン2座スポーツカー(WSC)に委ねられました。 本来市販ロードカーの発展型であるべきルマンGTカーですが、グループC崩壊からすぐさま代用GTカーが用意できるメーカーは限られていることから、門戸を広く開けるために市販車が1台あれば参加を認めるという施策をとったため、外観だけは市販車で中身はワンオフという「なんちゃってGT」が幅を利かせることになってしまいます。グループC最強のポルシェ962Cに保安装備を施して「ロードカーでござい」と開き直ったダウアー962LMなどはその最たるものでした。そして生真面目に市販車をレースカーに仕立てたトヨタ・日産は完全に力負けでした。結局GTカーで勝つためにはメーカーの沽券にかけて莫大な資金と技術を投入せざるを得なくなり参入の足枷となって衰退していきます。 一方アメリカにおいて開発費用高騰の反省から生まれたオープン2座WSCは、グループCカーの部品が再利用できるなどローコストを謳いルマン・プロトタイプ(LMP)と名称を変えて来たる2000年代の主役として栄華を極めます。1994年スパーク1/43 ダウアー 962LM#36 マウロ・バルディ / ヤニック・ダルマス / ハーレイ・ヘイウッド走破距離:4685.70km平均時速:195.24km/hスポンサー:FATインターナショナル(運輸)1995年キッドボックス特注hpiミラージュ1/43 マクラーレン F1GTR#59 J.J.レート / ヤニック・ダルマス / 関谷正徳走破距離:4055.80km平均時速:168.99km/hスポンサー:上野クリニック1996年スパーク1/43 TWRポルシェ WSC-95#7 マヌエル・ロイター / デイビー・ジョーンズ / アレクサンダー・ヴルツ走破距離:4814.40km平均時速:200.60km/hスポンサー:サネックス(化粧品)、ブラウプンクト(自動車音響)、オートバックス1997年スパーク1/43 TWRポルシェ WSC-95#7 ミケーレ・アルボレート / ステファン・ヨハンソン / トム・クリステンセン走破距離:4909.60km平均時速:204.19km/hスポンサー:FATインターナショナル(運輸)、ハゲヌク(携帯電話)1998年スパーク1/43 ポルシェ 911 GT1-98#26 ローレン・アイエロ / アラン・マクニッシュ / ステファン・オルテリ走破距離:4773.60km平均時速:199.32km/h1999年アシェット(スパーク)1/43 BMW V12 LMR#15 ヨアヒム・ヴィンケルホック / ピエルルイジ・マルティニ / ヤニック・ダルマス走破距離:4982.97km平均時速:207.62km/hスポンサー:デル(コンピューター)
2023.08.29
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4月。春の訪れとともに様々なレースシリーズが本格開幕して、フットワークの軽いスパークからは早くも今シーズンモデルの発売アナウンスがなされている。F1はもちろんWRC、フォーミュラE(お呼びでない?)や(話題の)スーパーフォーミュラ、今シーズンものじゃないけど(待望の!)スーパーGT等々百花繚乱だ。もちろんF1各チーム1台、フォーミュラEとSFは選びに選んで1台ずつ、スーパーGTはGT500ワークス各陣営1台ずつ予約を入れたけれど、出来上がってくるのは早くても夏以降なんだよね。てなわけでもう2ヶ月も入庫がない。いやまあお金が出ていかないんで助かるっちゃあ助かるんだが、同時にココの更新も滞るわけで(汗)。だからといってまたフリーページの転載じゃあなぁ。。。といっても他にネタもなし。まぁもうちょっとしたら(ミニカーをバックヤードから掘り起こしたら)新シリーズを興そうとは思ってるけど、スパーク以外のモデルはどこにどう収まってるのか、発掘には手間取りそうなんよ。というわけで。。。 グループC規定の始まりからポルシェの独走が続きましたが、ポルシェに追いつけ追い越せとばかりに他メーカーが奮闘したことで、ポルシェVS他メーカーという構図が出来上がり、どこがポルシェを打ち破るのかという話題で大いに盛り上がりました。 燃費のいいマシンが勝つというグループCレースは、オイルショック以降のカーメーカーにとってはもってこいの原動力になったのだと思います。グループCレースで勝つ=低燃費をアピール=市販車販売実績に反映という図式で、多額の費用をつぎ込んでマシン開発に没頭した結果、多種多様なマシンが参戦してグループCレースは隆盛を極めました。またポルシェが956や962Cを広く市販してプライベーターの受け皿となって、参加台数を下支えしたことも大きかったように思います。 しかしながら、グループCは長時間レースで玄人好み、F1と同じフォーマット(2時間スプリントレース)にしたらもっと分かりやすくなって集客できるんじゃなかろうか?ついでにエンジンもF1と同一規格(3.5リッターNA)にすればF1からのエントラント流入も見込めるぞと踏んだFIAが、燃費という理念をグループCから取り払ってしまうと既存のエントラントは撤退を決め、F1側からの参加もなくあれだけ盛り上がったグループCはあっけなく崩壊してしまうのでした。1988年スパーク1/43 ジャガー XJR-9 LM#2 ヤン・ラマース / ジョニー・ダンフリーズ / アンディ・ウォレス走破距離:5332.79km平均時速:221.67km/hスポンサー:シルクカット(タバコ)1989年スパーク1/43 ザウバー C9 メルセデス#63 ヨッヘン・マス / マニュエル・ロイター / スタンリー・ディケンズ走破距離:5265.12km平均時速:219.99km/h1990年スパーク1/43 ジャガー XJR-12#3 マーティン・ブランドル / ジャン・ニールセン / プライス・コッブ走破距離:4882.40km平均時速:204.04km/hスポンサー:シルクカット(タバコ)1991年アイドロン1/43 マツダ 787B#55 フォルカー・バイドラー / ジョニー・ハーバート / ベルトラン・ガショー走破距離:4922.81km平均時速:205.23km/hスポンサー:レナウン(アパレル)1992年スパーク1/43 プジョー 905 Evo1 bis#1 デレック・ワーウィック / ヤニック・ダルマス / マーク・ブランデル走破距離:4787.20km平均時速:199・34km/hスポンサー:エッソ(石油)1993年スパーク1/43 プジョー 905 Evo1 C#3 ジェフ・ブラバム / エリック・エラリー / クリストファー・ブシュー走破距離:5100.00km平均時速:213.36km/hスポンサー:エッソ(石油)
2023.04.17
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海外ではWRC、WEC、F1が開幕。早速スパークが2023シーズンF1マシンのリリース案内を発信して各ミニカーショップで絶賛予約受付中であるのは結構なことだが、昨年の未消化分がいまだに入って来ないのはちょっと困ったチャンだ。 というわけで、ニューリリースが停滞してる時の定番、フリーページからの使いまわしでお茶濁しの巻である。 1970年代当初、強すぎるポルシェ917を締め出すため3リッタープロトタイプマシンによる競技が始まります。当初はマトラ・シムカやミラージュが活躍しましたが、1976年にポルシェが「936」という3リッタープロトタイプマシンの最適解を導き出すに至り、再びポルシェの独壇場となってしまいます。 これではレースに対する興味が失われてしまうという危惧と、第一次オイルショクの影響でレース活動を控えているカーメーカーの「レースに参戦する大義名分が欲しい」という意見が相まって、レギュレーションに「燃費」を組み込んだ新しいスポーツカーレース、グループCの時代が幕を開けます。 燃料はこれこれしか使えないので、今までのように大排気量高出力のエンジンで只々速く走るだけじゃ駄目ですよ、というわけです。この足枷によって、それまでトップを快走していたマシンがガス欠に陥って、目立たず淡々とペースを守って走行していたマシンが大逆転優勝するといったカタストロフィが生まれ、ゴールの瞬間まで気が抜けない面白いレース展開は空前の盛り上がりを見せるのです。 しかしグループCのレギュレーションを誰よりもいち早く読み解いたのはやはりポルシェで、傑作機「956」および「962C」によってル・マン24時間レースで破竹の6連覇を成し遂げます。1982年ヴィジョン1/43 ポルシェ 956#1 ジャッキー・イクス / デレック・ベル走破距離:4899.09km平均時速:204.13km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)1983年ヴィジョン1/43 ポルシェ 956#3 バーン・シュパン / アル・ホルバート / ハーレイ・ヘイウッド走破距離:5047.93km平均時速:210.33km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)1984年スパーク1/43 ポルシェ 956B#7 アンリ・ペスカローロ / クラウス・ルトヴィク走破距離:4900.28km平均時速:204.18km/hスポンサー:ニューマン(タカキューのオリジナル衣料)、ピエルラン・インペリアル(酒銘柄)1985年スパーク1/43 ポルシェ 956B#7 クラウス・ルトヴィク / パオロ・バリッラ / ジョン・ヴィンダー(ルイス・クラージェス)走破距離:5088.51km平均時速:212.02km/hスポンサー:ニューマン(タカキューのオリジナル衣料)1986年スパーク1/43 ポルシェ 962C#1 デレック・ベル / ハンス=ヨアヒム・シュトゥック / アル・ホルバート走破距離:4972.73km平均時速:207.20km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)1987年スパーク1/43 ポルシェ 962C#17 デレック・ベル / ハンス=ヨアヒム・シュトゥック / アル・ホルバート走破距離:4791.78km平均時速:199.66km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)
2023.03.21
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自動車メーカー各々の思惑でWECから離脱して、好むと好まざるとに関わらず無双状態となったトヨタだけに、ル・マン5連覇を達成しようとテレビ新聞など一般メディアは一顧だにもしない。またレース雑誌とても初優勝の時のような特集を組むでもなく、ウィキペディア日本語版に至ってはトヨタ初優勝以前に更新が止まっている。ウィキ英語版などでおおまかなレース展開は読めるけれどアクシデントやトピックといった小ネタがまったくもって伝わってこないので、ミニチュアが手に入ったはいいけれどこれどう処理しようか?と悩むことしきり。 一方、戦前のル・マンなんて昔過ぎてこれまた情報皆無。いや深く調べりゃなんかしら出てくるんだろうけど、少なくともチャチャっと日本語版でってのは無理筋かな。「それ見たことか、だから思い入れのないクルマを単なるシリーズの一環として穴埋め的に買うのはご法度って言ったでしょ」と”やぶにらみミニカー師匠”の教訓が蘇る(笑)。けれどそれぞれ単独では扱いに困ったものでも、二つ揃ったなら点と点が線で繋がるようにネタとして組み上がってめでたしめでたし。 およそどこの自動車博物館でも並んで展示されることはないだろうと思われる組み合わせ(笑)。共通点は唯一ル・マン優勝車(あと奇しくも同じゼッケン8)。2022年と1932年、90年のレーシングカーの進歩が見て取れる。こういうところもミニチュアの醍醐味で、たとえリスト穴埋め買いであってもメリットはあるのだよ、と言い訳しとこう。スパーク1/43 トヨタ GR0102022年ル・マン24h 優勝#8 セバスチャン・ブエミ / 平川亮 / ブレンドン・ハートレー走破距離:5177.17km平均速度:215.40km/h ディーゼル車不正問題とか電動化の流れとかでアウディとポルシェが撤退しちゃってトヨタ・オンリーのワークスとLMP2を無理やりLMP1に仕立て直したプライベーターではなんとも盛り上がらないから、LMP1を廃して新しいクラスを作っちゃおう、どうせなら市販の高性能スポーツカーの改造も参戦可能にしたら盛り上がるべ!と立ち上げたル・マン・ハイパーカーだけど、初年度は引き続きのトヨタと性懲りもなくLMP2改造で参戦したアルピーヌに完全新作はグリッケンハウスのみと初っ端から主催者側の目論見は大外れ。この2022年になってやっとこ本命(?)のプジョー9X8が出てきたけれど、それにしたってたったの4ワークス、決して盛況とは言えないでしょ。 まぁアウディ・ポルシェ・トヨタの3ワークス時代でもそれなりに盛り上がったじゃんと言われればその通りかもしれないが、主催も観客もグループCやGT1時代の幻影を追っかけてるから、とうてい満足できるレベルじゃない(それはいつまでも終わった夢にしがみつく老害、と言えなくもないが)。 それはともかくライバル不在のハイパーカークラスを連覇したGR010だが、21年型との外観上の相違点はシャークフィンの形状をゼッケンくらいとゆー素人泣かせのマシン。せめてレース・トピックとかがあればネタを膨らませられるがそれもなし。せいぜいが初参戦で優勝の平川亮は国内でのアンラッキー続きが払拭できてよかったね、くらいのものだ。スパーク1/43 アルファロメオ 8C 2300MM1932年ル・マン24h 優勝#8 レイモンド・ソマー / ルイジ・キネッティ走破距離:2954.04km平均速度:123.09km/h 時代はGR010から遡ること90年。ベントレーとともにサルテを席巻したアルファロメオの傑作機8C。バカ長いフロントセクションに収まるのは8Cの名前の由来になった2.3ℓ直列8気筒エンジン。そら鼻づらも長くなろうというものだよねぇ。スーパーチャージャーで加給するこのエンジンは142PSを発揮し、MAXスピードは200km/h超えという韋駄天ぶりだった。 フランスはアルデンヌ地方の裕福なカーペット製造の家(後の仏自動車内装大手ソメール・アリベール社)に生まれたレイモンド・ソマー(仏人だから”レイモン・ソメール”が正しい?)。お金持ちのボンボンにありがちな自動車レースに興味を持ち、クライスラーCD8を買いこんで1931年のル・マンに出場するも開始2時間でラジエータートラブルによりリタイア。翌32年はパリ・サロンで目をつけていたアルファロメオ8CコルトMMを買い、アルファロメオの代理店をやっていたルイジ・キネッティに、やれ燃タン増設だのやれ流線形のフェアリングをつけろだのあれこれ改造を指示しレーシングカーに仕立て直した。この作業をこなしたキネッティをパートナーにル・マンに参戦、無茶ぶりの改造作業ですっかり体調を崩して運転どころの騒ぎじゃなくなったキネッティを尻目に、20時間以上をひとりで運転してトップチェッカー。いやはや恐るべきお坊ちゃまである。 ちなみに相棒ルイジ・キネッティ、第二次大戦後にアメリカへわたり旧知のエンツォ・フェラーリの車すなわちフェラーリのディーラーとして北米市場を開拓し、また白ボディに青ラインでお馴染みのノースアメリカンレーシングチーム(N.A.R.T)を創設したレジェンド。 レーシングカー90年の進歩は、ル・マンのスタッツからも明らか。24時間の走破距離も平均速度もは1.7倍強に伸びた。クローズドボディは大気を味方につけてストレートでもコーナーでも安定し、また無線、パワステ、室内空調完備といったドライバーエイドもばっちり。けれどエアロダイナミクスという概念もなくか細いタイヤにプアなブレーキで暴れる車体を腕っぷしひとつで抑え込み、ほぼ一人で24時間走りきっちゃうことが多々あった戦前ドライバー恐るべし、である。
2023.03.13
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昨年に予約しておいたミニチュアの殆どが入庫して、またゼロコロナから方針転換したかの国は現在旧正月の真っ只中ということもあって、新製品の入荷状況は無風状態だろうから新しい記事も当然ない。ならば年次総括で明らかにしたように、買っといて放置しているミニチュアの記事に精進せいよとゆーのも尤もだが、あれらはあれらで抱き合わせの相棒の発売待ちとか様々な理由があって放置してるのであって、時期が来たら載せるのだよ、と聞こえの良い言い訳をしておこう。という訳で、こういう時恒例のフリーページのコピペでお茶を濁すことにする。 企業買収に端を発するフォード対フェラーリの6年にもおよぶ激闘の影で、密やかに牙を研いでいたポルシェがいよいよル・マン24時間レースの表舞台に躍り出ます。 しかし年々モンスター化していくマシンに、もはや大資本のワークスでなければ優勝は叶わないからとエントラントの減少を危惧した国際自動車連盟(FIA)やフランス西部自動車クラブ(ACO)は、レギュレーションを変更して出場車を3リッタースポーツプロトタイプカーに限定してポルシェやフェラーリを締め出す大鉈を振るいます。 これが功を奏して1970年代前半はマトラ・シムカやガルフ・ミラージュ、リジェといった決して大きくないメーカーが覇を競いますが、後半は3リッタースポーツプロトタイプカー(実際は2.1リッターエンジンにターボ係数1.4を掛けて3リッター)を完成させたポルシェのトップコンテンダーになっていきます。 また70年代から、F1グランプリにおけるゴールドリーフ・ロータス~マシン全体を企業広告で覆う~というコペルニクス的転回がサルテ・サーキットにも波及して、それまでのおよそ単色のナショナルカラーに塗られたボディに控えめな自動車関連の広告というリバリーから、タバコや化粧品アパレルといった自動車業界とは縁のない企業の広告を全身にまとったカラフルなマシンがサーキットを埋めることになります。1970年ヴィジョン1/43 ポルシェ 917K#23 ハンス・ヘルマン / リチャード・アトウッド走破距離:4607.81km平均時速:191.99km/h1971年ヴィジョン1/43 ポルシェ 917K#22 ヘルムート・マルコ / ジィズ・ヴァン・レネップ走破距離:5335.31km平均時速:222.30km/hスポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ(酒造会社)1972年スパーク1/43 マトラ・シムカ MS670#15 アンリ・ペスカローロ / グラハム・ヒル走破距離:4391.34km平均時速:195.47km/h1973年ミニチャンプス1/43 マトラ・シムカ MS670B#11 アンリ・ペスカローロ / ジェラール・ラルース走破距離:4853.95km平均時速:202.25km/h1974年スパーク1/43 マトラ・シムカ MS670C#7 アンリ・ペスカローロ / ジェラール・ラルース走破距離:4606.57km平均時速:191.94km/hスポンサー:ジタン(タバコ)1975年スパーク1/43 ガルフ・ミラージュ GR8 コスワース#11 ジャッキー・イクス / デレック・ベル走破距離:4594.58km平均時速:191.48km/hスポンサー:ガルフ石油1976年スパーク1/43 ポルシェ 936#20 ジャッキー・イクス / ジィズ・ヴァン・レネップ走破距離:4769.92km平均時速:198.75km/hスポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ1977年スパーク1/43 ポルシェ 936/77#4 ハーレイ・ヘイウッド / ユルゲン・バルト / ジャッキー・イクス走破距離:4671.63km平均時速:194.65km/hスポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ1978年スパーク1/43 ルノー・アルピーヌ A442B#2 ディディエ・ピローニ / ジャン=ピエール・ジョッソー走破距離:5044.53km平均時速:210.19km/h1979年スパーク1/43 ポルシェ 935K3#41 クラウス・ルトヴィク / ビル・ウィッテントン / ドン・ウィッテントン走破距離:4173.93km平均時速:173.91km/hスポンサー:ヌメロ・リザーブ(雑誌)、フィリップ・サルベ(時計メーカー)1980年スパーク1/43 ロンドー M379B コスワース#16 ジャン・ロンドー / ジャン=ピエール・ジョッソー走破距離:4608.02km平均時速:192.00km/hスポンサー:ル・ポワン(雑誌)、ファコム(工具)1981年スパーク1/43 ポルシェ 936/81#11 ジャッキー・イクス / デレック・ベル走破距離:4825.35km平均時速:201.06km/hスポンサー:ジュール(クリスチャン・ディオールの香水)
2023.01.17
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ちょっと前というか今年のル・マンの一週間後には入庫してたのに、8月の今日まで引っ張ってきたのは2021年のル・マン自体が8月開催だったからさ、とはよく言ったもので要はいつもどおりのものぐさだっただけだ(汗) 晩夏のル・マンを制した覇者2台。 2020年のル・マンがコビット19の影響で無観客開催となってしまったから、2年連続での無観客は興行的にも文化的にもなんとしてでも回避したかったことは容易に想像できるが、フランス政府も絡んだこの辺の政治的配慮は「五輪は可、4輪は不可」な日本じゃまずあり得ない対応で、販売数世界一の自動車会社が本拠地を置く国がモータリゼーションなどアウトオブ眼中なのが明々白々で寒々しい限りだ。とグチグチ言っても実際そこら辺歩ってるにーちゃんねーちゃんにサーキット行ったことあるか?と訊ねても、経験者はきっと1%もおるまいからまあ仕方がない。スパーク1/43 トヨタ GR010 ハイブリッド2021年ル・マン24h 優勝#7 マイク・コンウェイ / 小林可夢偉 / ホセ・マリア・ロペス アウディ・ポルシェが撤退しライバル不在のトヨタ無双と揶揄すべきか、それともル・マンの屋台骨を一人で支えたと賛美すべきか評価の分かれるところだが、欧州人は(少なくとも表面上は)トヨタに賛辞を送っていよう。アウディ・ポルシェと同時期にトヨタも撤退していたら面倒なことになっていたのは明らかなのだから。たとえ総合優勝がトヨタの2台だけに絞られても最高峰クラスが市販シャシーに市販エンジンを組み合わせたプライベートチーム用のLMP2マシンで争われるよりはマシだから。とはいえトヨタ一強時代を快く思っていないのも明らかで、それが証拠に他社の参戦を促す大前提でル・マン・ハイパーカー規定をブチ上げたのがその証左だ。なんなら腹の底じゃ日本主導のハイブリッド・テクノロジーなんか締め出して欧州主体のBEVでやりてえくらい思ってんじゃねーだろか?まあ思惑はどうあれ、個人的にはTS050よりGR010のほうが好みではあるからいーんだけど。 3年の間延々と#8号車にアタマを抑えられていた#7号車がル・マン・ハイパーカー初年度にやっと優勝を記録。たとえWECチャンピオンを獲っていてもル・マン優勝を逃してたら画竜点睛を欠く、というか。まあ今年はまた#8号車にやられちゃったけどハイパーカー初代優勝車の勲章は色褪せまい。 近年のル・マン参戦車はスパーク一択で比較対象はないけど、かなり出来いいんとちゃう、これ。デザイン的に秀逸だとは思えない赤黒模様もスポンサーロゴやコーションマークも破綻なくて。自分で1/24プラモでやれって言われても嫌だもんなあ(実際TS050はキットも追加デカールも買ったけど積んだまま、だったり)汗ルックスマート1/43 フェラーリ 488GTE エボ2021年ル・マン24h 20位(クラス優勝)#51 ジェームズ・カラド / アレッサンドロ・ピエール・グィディ / コーム・レドガー 今年で最後のGTEプロクラスは、結局悪い言い方をすればスーパーGTみたいにメーカー回り持ちみたいなカタチに形骸化してて、去年がアストンだったから今年はポルシェで、なら来年は・・・みたいに見えちゃう。極論を言っちゃえばフェラーリは他車より少々お高いから勝たないでよって感じなんだけど(なら買わなきゃいいじゃんってことなんだが、そこが蒐集癖の収集つかない悲しき性)それにしてもフェラーリ、随分地味すっきりしちゃったねぇ。メタリックもやめちゃったし。ウクライナ侵攻の件でSMPを貼りつけられなくなったからね。 2019年の優勝車(↑)ロシア在のSMP銀行系のSMPレーシングのブルーがカラーサークル的にみても似合わないっちゃあ似合わない。 いずれにせよ今年のポルシェでGTEプロの収集は終了っつーことで、2024年からのLMGT3車両はどうするか微妙なところ。つーか今年の911#91号車の発売アナウンスがまだないんだけど。ニュル優勝のアウディR8#15号車も含めてどゆこと?
2022.08.05
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GWもすでに後半。3年振りの規制なし連休とか言ってはしゃいでる我慢できない皆様が、これから感染を拡げるかと思うとゲンナリするが、感染すると重篤化すると言われるアラ還人間は完璧に扉を閉ざして買い溜めたガンプラMGをひたすら消化する日々である。 本来ならば新作ミニカーの一台でも記事にすべくあれこれ調査したり画像漁ったりすんのが正しい連休の過ごし方なのだが、なにせタマがない。せっかく御用達ショップが創業記念セールやってるというのに。正直この分だとどこかの時点で堰を切ったように3つ4つ一気に入ってくんじゃないかと恐れおののくよ。せめて一気に入って来るのだったらこのセール期間中がとってもありがたかったのだがなぁ。。。残念。というわけで、相も変わらずフリーページのコピペでお茶を濁すわけであった。 1958年から1965年までの8年間で7勝をあげル・マン黄金時代を築いたフェラーリですが、自動車を販売して得た利益の一部でレースをやるカーメーカーとは真逆の、レースをやるためにレースカーの一部を売却して活動資金を得る体制では常に資金繰りが厳しい状況でした。一方、販売促進にはレースで勝つことが一番とわかってはいるものの、レースカーもレースに勝つノウハウも持っていなかったフォードは、だったら既存のチームを丸ごと買収すれば話は簡単とばかりに資金難のフェラーリに対して1000万ドル(当時の為替レートで36億円)で買収を持ち掛けます。交渉はとんとん拍子に進むものの土壇場になって「レース活動の計画・予算のイニシアチブはフォードにある」という条項をフェラーリ側が拒絶し交渉は決裂します。フェラーリはこの買収劇と並行してフィアットとも交渉しており、事実数年後にはフィアット傘下に収まりますが、自分たちはフェラーリの価値をあげるための当て馬にされたと怒り心頭のフォードは、打倒フェラーリを掲げ既存買収から自社開発に舵を切り、そうして開発された「GT40」は雌伏の2年を経た後に4連勝を遂げるのでした。1964年ルックスマート1/43 フェラーリ 275P#20 ジャン・ギシェ / ニーノ・ヴァッカレラ走破距離:4695.31km平均時速:195.64km/h1965年ルックスマート1/43 フェラーリ 250LM(275LM)#21 マステン・グレゴリー / ヨッヘン・リント走破距離:4677.11km平均時速:194.88km/h1966年スパーク1/43 フォード GT40 Mk Ⅱ#2 ブルース・マクラーレン / クリス・エイモン走破距離:4843.09km平均時速:201.80km/h1967年スパーク1/43 フォード Mk Ⅳ#1 ダン・ガーニー / A.J.フォイト走破距離:5232.90km平均時速:218.04km/h1968年スパーク1/43 フォード GT40(Mk Ⅰ)#9 ペドロ・ロドリゲス / ルシアン・ビアンキ走破距離:4452.88km平均時速:185.54km/h1969年スパーク1/43 フォード GT40 (Mk Ⅰ)#6 ジャッキー・イクス / ジャッキー・オリバー走破距離:4998.00km平均時速:208.25km/h
2022.05.05
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月の終わりが近づいても新作ミニチュアが入って来なさそうなので埋め草的に。。。 単にフリーページの中身を転記するだけじゃさすがにあまりにも。。。なので優勝車の画像でも貼りつけとく(偉そうに言うほど大した労力じゃないけれど) 1949年、第二次世界大戦後初の開催となった第17回大会から参加したフェラーリは、2度の優勝は果たすものの、ライバルのジャガー(5勝)からは大きく溝を開けられていました。しかしながら1958年から排気量が3リットルに制限されたことと、赤いカムカバーが有名なV12エンジンの性能もあって、6年間で5勝を挙げる黄金期を迎えることになります。連覇を続ける間にフロントエンジン車最後の優勝(61年の330TRI/LM)と最初のミッドシップエンジン車の優勝(62年の250P)という歴史も記録することになります。1958年イクソ(アシェット)1/43 フェラーリ 250 TR/58#14 オリビエ・ジャンドビアン / フィル・ヒル走破距離:4101.93km平均時速:170.91km/h1959年スパーク1/43 アストンマーティン DBR1/300#5 ロイ・サルバドーリ / キャロル・シェルビー走破距離:4347.90km平均時速:181.16km/h1960年イクソ1/43 フェラーリ 250 TR59/60#11 オリビエ・ジャンドビアン / ポール・フレール走破距離:4217.53km平均時速:175.73km/h1961年ルックスマート1/43 フェラーリ 250 TRI61#10 オリビエ・ジャンドビアン / フィル・ヒル走破距離:4476.58km平均時速:186.53km/h1962年ルックスマート1/43 フェラーリ 330 TRI/LM#6 オリビエ・ジャンドビアン / フィル・ヒル走破距離:4451.26km平均時速:185.47km/h1963年ルックスマート1/43 フェラーリ 250P#21 ルドビコ・スカルフィオッティ / ロレンツォ・バンディーニ走破距離:4561.71km平均時速:190.07km/h
2022.05.03
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昨年もスタートダッシュは鈍かったんだが、今年は更に酷い。ダッシュどころかもはやエンストこいてるんじゃないか?くらいの勢いのなさだ。何の話?って当ブログの大黒柱であるミニチュアカー(予約品)がちっとも入ってこないのである。だったらば他の記事をアップすりゃあいいじゃんってことなんだけれど、NFLはシーズンオフだしエレキギター関係はそもそもおいそれと買い足せるもんじゃないし。じゃあガンプラは?ってえと、日々鋭意製作中で結果続々完成してはいるけれど、あれアップしてもPV伸びないんだよね。ガンプラと言わずプラモはやっぱ完成状態だけ載せるんじゃなくて、途中の写真とか組み立てプロセスを追った細かい記事じゃないと興味持たれないんだな。それはかなり面倒くさいしそんな時間あったら遮二無二組み立てて少しでも積みプラ減らせ!って感じで。 そんな訳でここのところ記事更新もなく、旧作を引っ張り出してきてフリーページのほうを充実させてる次第だが、せっかくならそれをこっちに転記すりゃいいじゃんってお手軽企画。フリーページには「新着お知らせ機能」とかないんで、こっちに載せれば一石二鳥だし。 ~戦後復興期とジャガーの台頭~ 第二次世界大戦は終わったものの、主戦場となったヨーロッパが社会的・経済的に復興を果たすには時間を要し、レースを開催するに至るまで4年の月日が必要でした。 戦前のル・マン参戦条件は「メーカーのカタログに掲載されている市販自動車」に限られていましたが、そういった縛りでは、戦争が終結したとはいえ未だ社会的・経済的に混乱する現状では参加台数が見込めないため、窮余の策として「今後、量産販売される予定の車両」所謂ワンオフマシンの出場も可能であるとし、多くの参加者を募ることが出来ました。そしてその中でチャンスを掴んだのがジャガーで、1950年代に5勝を挙げて一時代を築きました。1949年イクソ1/43 フェラーリ 166MM#22 ルイジ・キネッティ / セルズドン男爵ピーター・ミッチェル=トムソン走破距離:3178.30km平均時速:132.40km/h1950年スパーク1/43 タルボ・ラーゴ T26GS#5 ルイ・ロジェ / ジャン=ルイ・ロジェ走破距離:3465.12km平均時速:144.38km/h1951年イクソ1/43 ジャガー XK120C#20 ピーター・ウォーカー / ピーター・ホワイトヘッド走破距離:3611.20km平均時速:150.47km/h1952年スパーク1/43 メルセデスベンツ W194(300SL)#21 ヘルマン・ラング / フリッツ・リース走破距離:3733.80km平均時速:155.58km/h1953年オートアート1/43 ジャガー Dタイプ#18 トニー・ロルト / ダンカン・ハミルトン走破距離:4088.06km平均時速:170.34km/h1954年イクソ(アシェット)1/43 フェラーリ 375プラス#4 ホセ・フロイライン・ゴンザレス / モーリス・トランティニアン走破距離:4061.15km平均時速:169.22km/h1955年スパーク1/43 ジャガー Dタイプ#6 マイク・ホーソーン / アイバー・ビューブ走破距離:4135.38km平均時速:172.31km/h1956年スパーク1/43 ジャガー Dタイプ#4 ニニアン・サンダーソン / ロン・フロックハート走破距離:4034.93km平均時速:168.12km1957年スパーク1/43 ジャガー Dタイプ#3 アイバー・ビューブ / ロン・フロックハート走破距離:4397.11km平均時速:183.22km/h
2022.04.16
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これもコロナの影響なのか、年も押し詰まっちゃったこの時期にも海外から物資は送られてくる(つか、ロスアンゼルスの例に洩れず、とっくの昔に港には着いてたものの荷揚げがズレ込んだってことね)先週末「来年もよろしく。よいお年を」って言った舌の根も乾かぬうちに、今日も今日とてまた入荷品を取りに行く(笑)物は確保出来てるからこの年の瀬にわざわざ出かけなくともオッケーはオッケーなのだが、今はウィンターセール中でお安く買えるってんでいそいそと何度も出掛けちゃう(汗) 当時物のイクソ製#2号車と共に。 いや、とっくの昔に1/87サイズのが発売されてんのに、どーゆーわけか一向に43サイズでは発売されなかった待望の一台。ほんと、よーやく、だよ。スパーク1/43 フォードGT Mk.Ⅳ1967年ルマン24h 優勝#1 ダン・ガーニー / A.J.フォイト ルマンがそれこそ「フォードVSフェラーリ」の時代だった60年代後半。英国ローラ・カーズとの共闘で成功を収める「GT40」とは別の軸線で、66年のレギュレーションを睨んだマシンの開発をアメリカ国内で進めていた。新レギュレーションのJ項に合致するとゆー意味で「Jカー」と呼ばれたそれは、GT40以上の性能を発揮できず(第一世代)、また映画「フォードvフェラーリ」のエピローグでも描かれた通り、テスト中のクラッシュでケン・マイルズが死亡する事故を起こし(第二世代)、事故原因究明のために並行開発車(第三世代)も開発中断、と目標の66年シーズン開幕には間に合わなくなった。このため旧車GT40のあちこちをインプルーヴした「マークⅡ」で戦うを得なくなったフォードだが、結果的にはマークⅡがルマンを制覇。 この優勝がまぐれじゃないことを世に知らしめるために、是非とも連覇を達成するために、とルマン後の夏から開発を再開して(第四世代)翌年に備えた。GT40に対しボディ前後を伸ばし、後のCカーの如くコックピット幅を狭め(全面投影面積改善)、などGT40とは完全に独立したフォルム。第四世代をそのままネーミングした「マークⅣ」として67年ルマンに参戦。スタート1時間経った頃よりトップに躍り出て、順調に周回を重ねてそのまま優勝。2位フェラーリに5周ほど差をつけてルマン連覇、またルマンとして初めて走行距離5000kmを突破したマークⅣだったが、大排気量アメ車の活躍が面白くない欧州主体のFIAによってWSCから締め出された(大排気量フェラーリも煽りを食らって締め出された)ため、ピンポイントにルマン(と前哨戦のセブリング)だけに特化した分、その存在は鮮烈だ。イクソ1/43 フォードGT Mk.Ⅳ1967年ルマン24h 4位#2 ブルース・マクラーレン / マーク・ダナヒューAピラーが太く、おかげでサイドウィンドウが小さめになっちゃったことを除けば、十分現在でも通用するイクソのマークⅣ。特に難しいとされるダイキャスト地に黄色塗装はなかなかに綺麗だ。確か地元に開店したばかりの京商系「ピット」で購入したはず。#1号車もあったけど、当時は戦績とか考えずに直感で買ってたんで、黄色の発色が綺麗な#2号車を選んだんだけど、この選択はこうしてスパークから#1号車が発売された今ではダブらずに済んで大正解だったな。 フォード怒涛の4連覇1966~1969。 ルマン1-2マシン。スポーツカー至福の時代、唯々美しくカッコいい。
2021.12.30
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今年もコロナ禍の影響で6月開催を諦めたルマン時間レースだけれど、そのおかげ(?)で去年のウィナーモデルがレースウィークに届くとゆー。どうせなら、これまでの優勝車両も賑やかしで一緒くたにと企む(笑) 2014年から2020年までのGTEプロクラスウィナーの7台。つい最近まで5~6メーカー入り乱れてのレースだったのに、今年はたったの3メーカーだけって。。。去年のウィナーすら参加しない状況で、ミッドシップになったコルベットが戻ってこなけりゃフェラーリとポルシェだけになるとこだよ(つか大元のWECは2メーカーだけの寂しい状況)2020年スパーク1/43 アストンマーティン ヴァンテージ AMR#97 アレックス・リン / マキシム・マルタン / ハリー・ティンクネル 2019年まで黄色一色(黄色じゃなくてライムエッセンスって名前らしい)で勝てなかったから心機一転グリーンを旭日旗のよーに纏ったんだけど、もうちっと何とかならなかったのかなぁ。。。けどその甲斐あって勝てたのかも。2019年ルックスマート1/43 フェラーリ 488 GTE エボ#51 ジェームス・カラド / アレッサンドロ・ピエール・グイディ / ダニエル・セラ 第二次世界大戦後に初めて開催された1949年に初参戦初優勝してから70年後に優勝。ルーフの数字はそーゆーこと。2018年スパーク1/43 ポルシェ 911 RSR#92 ミハエル・クリステンセン / ケビン・エストレ / ローレンス・ヴァンサー こちらはポルシェ社創業70周年を記念した1971年の917/20復刻カラー。71年の「ピンク・ピッグ」は3位まで順位を上げるもブレーキトラブルからクラッシュリタイア。からの70年の時を経て捲土重来を果たしたってことかな。2017年スパーク1/43 アストンマーティン ヴァンテージ GTE#97 ダレン・ターナー / ジョナサン・アダム / ダニエル・セラ 何周年記念でもなんとかトリビュートでもないカラーリングの先代ヴァンテージ。ラメを入れてライムエッセンスを指し色にしたとはいえなんとも地味なカラーリング。。。2016年トゥルースケール1/43 フォード GT#68 ジョーイ・ハンド / ディルク・ミュラー / セバスチャン・ボーデ (多分)1982年のC100以来の復帰戦で見事優勝。映画「フォードvフェラーリ」で描かれた、宿敵フェラーリを見事な1-2-3フィニッシュで破った1966年から50周年とゆーメモリアルでもあるね。当時のライバル車とは一線を画すレーシーなデザインで、勝って当たり前って感じ。2015年スパーク1/43 シボレー・コルベット C7.R#64 オリバー・ギャビン / トミー・ミルナー / ジョーダン・テイラー 先日のCGTVじゃ、C8を評して「ミッドシップは一代限りじゃないの?」ってマットーヤ氏が言ってたけれど、今のところFRで最後の優勝。 画像じゃアストンのライムエッセンスと大差ないけれど、こちらは蛍光が入ってない純イエロー(ベロシティイエロー)2014年ルックスマート1/43 フェラーリ 458 イタリア GT2#51 ジャンマリア・ブルーニ / ジャンカルロ・フィジケラ / トニ・バイランダー 発展型の「488」がV8エンジン一気筒あたりの排気量ってフェラーリにありがちだけれど解りにくい表記なのに対して4.5リッターV8で「458」は単純明快。懐かしのジャンカルロ・フィジケラは今年もGTEアマクラスで走る。 ちゅーところで、今年のルマンはトヨタ7号車の初優勝(8号車とワンツー)GTEプロはコルベット#63号車との同一ラップ一騎打ちを制してフェラーリ#51号車の勝利。実をいうとコルベット勝っちゃうんじゃないかと心配してた。なんでって#63号車と同一カラーのデイトナ優勝車(トゥルースケールのやつ)を予約しちゃってるんで#63が勝っちゃうとある意味ダブるわけで(#64なら勝ってもよかったんだけど)でもフェラーリもルックスマートになっちゃうんで、おサイフ的にはポルシェに勝ってもらうのがいっちゃん望ましかったんだけどな(笑)いずれにしてももうちょっと車種が増えないとスーパーGTみたいにチャンピオン回り持ちになっちゃうよね。2024年にGT3規定に切り替われば、メルセデスAMGやアウディ、レクサス、アキュラとか要はニュルとかスパに出てるマシンが参戦できるよーになるからそれまでは現状致し方なし、か。
2021.08.23
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今年も日々ボーっと生きてきて、半年が過ぎてしまった(笑) オーストラリアからの石炭輸入制限に端を発する電力供給量不足、からの工場稼働制限によってミニチュアモデル生産が低調だから当然輸入も低調、ミニチュアの購入数は前年比で50%減ってゆー状況だから当然ブログも低調となるわけで、結果積んどいたガンプラがどんどん組み上がるだけの上半期。それでもフランス由来もっと言っちゃえばルマン由来のスパークは、他がどんなに遅延してもこれだけは譲れないとでもいうのだろうか、2020年のルマン優勝車を6月に出してきた。とはいえ、初優勝や連覇の時ほどの熱がないのも事実(汗)語るべきこともさほど浮かばないんで、3連覇の8号車をまとめ出ししてお茶を濁すか、と。スパーク1/43 トヨタ TS050 ハイブリッド “2020年ルマン24h 優勝”#8 セバスチャン・ブエミ / 中嶋一貴 / ブレンドン・ハートレイ レース序盤にパンクやらブレーキ温度上昇やらトラブルに見舞われて優勝戦線から脱落して、今年こそ#7号車が栄冠か?と思われたものの、エキゾースト破損に起因するターボトラブルでまさかの後退。結局、序盤の遅れを地道に取り戻していた#8号車が3連覇達成。このTS050の一連の活躍によって、ゼッケン8は優勝回数8回になり単独3位に躍り出た。(ゼッケン1と2が優勝10回の同率一位、3・4・7が6回で同率4位) LMP1-H規定が2020年で終了ってこともあり、既存開発を貫き大変化のないTS050だけれども、バックミラーがフェンダー一体になってたりする。昔の日産R90CPなんかでも用いられた手法だが、ぱっと見ミラー脱落の不良品か?とか焦ったりもしたけど、よくみるとそーゆーことなのね、と一安心。以下、MY2018とMY2019については過去に書いたんで、今回は画像だけ。MY2019モデルMY2019モデルついでに「アイ・ハブ・ノーパワー!」なMY2016モデルも。白地に赤黒の配置や面積をあれこれと組み合わせてるから、並べてみると結構印象変わる。(つか、そうでもないと、まったく同じカラーリングに同じゼッケンで3台揃えるのは正直キツいよね)
2021.07.05
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先月「日産のLMGT1マシン」についてまとめてみたんで、今度はトヨタのLMGT1についてもやんなきゃねっつーワケで。 グループC規定の変更に端を発する耐久レースの変容は、興行主・参加者・観客が三方一両損どころか誰もが得をしない状況に陥り結局瓦解。スポーツ(プロトタイプ)カーの製造とゆープライベーターには高すぎる壁を取り払うべく、今度は市販車ベースのGTカーを主役に据えるという方策は正しいように思えたが。。。スパーク1/43 サード スープラLM-GT “1995年ルマン24h 14位”#27 ジェフ・クロスノフ / マルコ・アピチェラ / マウロ・マルティニ ポルシェ神話が崩れた後のターボグループCに一番注力したのは日産だったと個人的に思うておる。JSPC3連覇、そして結果こそ伴わなかったが、ルマンでも台数を揃えてイケイケだった。そのターボCが瓦解してスプリントNAになった時、それまでの借りを返すかの如く新規定に邁進したのはトヨタだった(日産は途中でほっぽり出し、マツダは新規開発をせすにジャガーシャシーとジャッドエンジンの組み合わせをマツダと呼ぶ体たらく)しかし心血を注いだTS010は、ライバルのプジョーに表彰台を独占される惨敗で退場。一年の休止の後、TS010のサスで武装したスープラが登場したものの、その実は国内レース用マシンをルマン用に改装(フラットボトムなど)してルマン終了後に再び国内仕様に戻すという荒仕事。 ルマン史上かなり雨量が多かったといわれる決勝は、それにより駆動系にやさしいとも言えるわけだが(そのおかげでマクラーレンは優勝した、とも)それでもスープラはミッション交換を余儀なくされ(馬力アップに音を上げたか)トップから34周遅れの14位完走。スパーク1/43 サード スープラ LM-GT “1996年ルマン24h DNF”#57 関谷正徳 / 影山正美 / 光貞秀俊 単なる色違いやあらしません。ちゃんと国内GTスープラと歩調を合わせるように、オーバーフェンダーからブリスターフェンダーに変わってますの。 前年の外人トリオから売って変わって、ディフェンディングチャンピオンの関谷正徳を中心に若手二人の日本人トリオで臨んだ1996年は、淡々とラップを刻んだ18時間後(205周)、他車のスピンを避けたところに911GT1がいて接触スピンオフ、フロントサスを痛めてリタイア。 トヨタなりに熟成を重ねたつもりでも、結局ヨーロッパ勢の形振り構わない速さにはまったくと言っていいほど着いて行けず、市販車輛をベースとしたルマン挑戦は2年で終了。hpiレーシング1/43 トヨタ GT-One “1998年ルマン24h 9位”#27 片山右京 / 鈴木利男 / 土屋圭市ミニチャンプス1/43 トヨタ GT-One “1998年ルマン24h DNF”#29 ティエリー・ブーツェン / ラルフ・ケレナーズ / ジェフ・リースhpiレーシング1/43 トヨタ GT-One “1999年ルマン24h 2位”#3 片山右京 / 鈴木利男 / 土屋圭市 これがスープラと同じLMGT1クラスのクルマかよ(#3号車はLMGTPだけど)ってくらい何の共通項も見いだせない(笑)けれど、ここまで形振り構わずやっても「名ばかりのGT達は、道をあける」とはいかず。まーこのマシンについては、過去にも書いてるんで、詳細は昔の記事を参照ってことで。。。でもってHPIとミニチャンプスの比較についても、これまた別の昔の記事を参照ってことで。。。
2021.05.16
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今の時代、クルマ本体の訴求ポイントを紹介する無難なCMが全てだが、昭和の時代にはそれこそドナルド・トランプの選挙CMもかくやとゆー感じのキャッチコピーがあった。「プラス100ccの余裕(1リッターサニーに対する1.1リッターカローラ」「隣のクルマが小さく見えます(1.1リッターカローラに対する1.2リッターサニー)」のやり合いが発端となって、かの有名な「名ばかりのGT達は、道をあける」に行きつく。 ツインカムエンジン搭載のセリカに対してツインカム設定がないスカイライン(=名ばかりのGT)を揶揄したトヨタのCMキャッチコピーなんだが、まさか未来にこの「名ばかりのGT達」がモタスポの主役を担うカテゴリになるなんて当時は誰も思わなかったろう。 1992年をもってグループCレースがNA化スプリント化によって瓦解してしまうと、FIAやACOはとても困った。次なる選手権の核となる車輛を何にしたらよかんべ?と。目を付けたのはスーパーカーが大挙参戦することから、いちローカルレースであるにもかかわらず活況を呈していた「BPRグローバルGTシリーズ」。こいつを世界選手権として乗っ取っちゃえばいいじゃん(FIAお得意の手法)と。GTカー(ほぼスーパーカー)だったら迫力もあるしパフォーマンス面でも文句なし、けどスーパーカーを用意できるのは限られたメーカーだから、車種は少なくなっちゃう。より多くのメーカーにエントリーしてもらってシリーズを盛り上げるには「市販車輛が一台あればレース車輛としてOKよ」とゆー敷居のとっても低いルールにした。 それでスーパーカーをラインナップしていないメーカーも、超ハイスペックな市販車を一台作って参戦する流れが出来た。本来、量産車のGT(グランドツーリング)を改造してレースカーに仕立てるのが本来だったはずなのに「レースカーありきで一台だけGTカーをつくる」とゆー本末転倒な状況を皮肉って、これら名ばかりのGTマシンを「なんちゃってGT1」と呼称した。 スパークから最新フォーマットでR390GT1が発売されたんで、「なんちゃってGT1」時代のマシンを一挙に、とゆー企画。 hpiレーシング1/43 日産 ニスモGT-R LM1995年ルマン24h DNF#23 星野一義 / 鈴木利男 / 影山正彦 日本に冠たるスカイラインGT-R。ルマンの主役がGTになったのならば「このクルマで行くっきゃないっしょ!」と満を持して登場。ただし「スカイライン」という名称はつかないんだな。何故なら「同一車種に4ドア車があってはアカン」とゆーヘンテコルールがあったので、スカイラインではエントリー出来なかったのだ。そこで「市販車を一台だけ作ればいい」とゆールールが活きてくるわけだ。レース仕様を公道用にデチューンして「ニスモGT-R」とゆー名前で売れば、4ドア縛りは回避できる(ここでは販売することが大事で、売れた売れないは関係ない)。そーゆー経緯で、晴れの舞台でスカイラインを名乗れないGT-Rが誕生したというわけ。市販車自慢のアテーサ4WDも搭載していない純レースカーのGT-Rは、総合7位まで上がったところでギアボックストラブルが発生しリタイア。hpiレーシング1/43 日産 ニスモGT-R LM1995年ルマン24h 10位#22 福山英朗 / 近藤真彦 / 粕谷俊二 いけいけドンドン!は#23号車にまかせて、後詰め・抑え的なスタンスで淡々と距離を稼いで、狙い通りの完走・入賞(クラス5位)。この#22号車は、2015年に完全レストアされて動態保存されている。タミヤ1/43 日産 ニスモGT-R LM1996年ルマン24h 15位#23 長谷見昌弘 / 星野一義 / 鈴木利男 前年の弱点(駆動系)を克服できぬまま参戦した96年。全開で走ったら24時間は絶対もたないっちゅーことで「レブリミットを1000回転低く、ギアチェンジはしっかりクラッチを切ってから優しく丁寧に!」を合言葉にレーススタート。しばらくはきっちり守って安全走行していたが、結局は、誰よりも速く走りたい、がドライバーの業。星野が協定破りして全開走行を開始(笑)。長谷見、鈴木がエンジニアに「あれヤバイよ。絶対壊れるよ」と詰め寄るも、ゾーンに入った鬼神・星野に誰も物申せるわけもなく。そのうち長谷見も「オレも」とばかりに全開走行。唯一チームのコントロールがきく鈴木だけが当初の約束を守って走行させられるが、星野と長谷見に酷使され続けたミッションは、まさか一番丁寧な鈴木のドライブ中に音を上げる(そーゆー貧乏くじってあるよねー)。修理のためにピットストップを余儀なくされて結局15位完走(クラス10位)。 43スケールの96年型GT-Rは、この古いタミヤとスパーク(アシェット・ルマン・コレクション)だけ。TSMから18サイズが出たから、その流れで出るかな?と思ったが今のところアナウンスなし。スパークのアシェットは観測気球だって思ってるんで、そのうち本家から出るでしょ。スパーク1/43 日産 R390 GT11997年ルマン24h 12位#23 星野一義 / エリック・コマス / 影山正彦 GT-Rでは世界の牙城に歯が立たなかった日産が「総合優勝を目指す」として開発したGT。見ての通りグランドツーリングのイメージはまったくない「なんちゃってGT」である。そもそもの目論見は、Cカー最優良シャシーの誉れ高いジャガーXJR-14シャシーにCカー最強エンジンのひとつである日産VRH35Zエンジンを載せよう(つまり前年優勝したTWRポルシェと同じ手法だね)だったんだが、どーゆーわけか計画は頓挫した。「それだとあまりにも日産車のイメージがなくて、単なるエンジンサプライヤーじゃんか」的なダメだしが日産上層部から出たのかも知んない(個人の感想です)。とにもかくにも計画がおじゃんになったんで、急遽TWR内に売れ残ってたジャガーXJR-15を持ち出してあれこれ部分的に作り直して日産エンジン積んでなんとかでっち上げた。 ほぼぶっつけ本番に近い状況下では好成績は望めるわけもなく、3台エントリー中唯一生き残った23号車が10位(クラス5位)完走が精いっぱい。クラス5位っつってもさ、上との間に格下LMGT2のトップ3に割り込まれちゃダメでしょ。 R390最後発のスパークの出来映えはさすがの一言。そして近年の日産Eダムス(フォーミュラE)にも通じる赤黒リバリーはとってもカッコいい。 京商1/43 日産 R390 GT11997年ルマン24h DNF#21 マーティン・ブランドル / ヨルグ・ミューラー / ウェイン・テイラー いやね、ちゃんと昔のもの(14年前!)もキープしてるのよってことで。全員日本人クルーの#23号車に対して全員ガイジンクルーの#21号車。誰がドライブしてた時かわからんが、139周目にスピンオフしてリタイア。京商1/43 日産 R390 GT11998年ルマン24h 5位#30 ジョン・ニールセン / ミハエル・クルム / フランク・ラゴルス 前年のシックなカラーリバリーから一転して、一体どうしちゃったんでしょ?なチェッカー柄。どうしてもチェッカーフラッグまで走り切って欲しいと願かけしたのかな(笑)。前年のデータを検討してロングテールに改造するのはルマンの定石。それらが効いたのかエントリー4台すべてがトップ10フィニッシュ。 R390は京商・スパークの他にイクソからも出ていて、それも当然所有しているけれど、イクソのダメさ加減は前にも書いたけど、ノーズがしゃくれ上がっちゃっててとってもヘンテコなのでここではオミット。BBR1/43 日産 R3911999年ルマン24h DNS#23 鈴木亜久里 / 影山正美 / エリック・ヴァン・デ・ポール R390GT1の後継R391。 予選が始まると一人目のエリック・ヴァン・デ・ポールがテルトル・ルージュで大クラッシュ、赤旗中断。本人は脊椎損傷して病院に運ばれ、クルマはモノコックに穴が開くほどで、とっても短時間に修復できるもんじゃなく即刻欠場が決定し、鈴木や影山はまったく予選を走れずに終わった。レースをスタートした僚機#22号車も順位を4位まであげたものの、電気系トラブルでコースサイドにマシンを止める。 R391は「なんちゃってGT1」じゃなくて、れっきとしたプロトタイプ(LMP)だからここで取り上げるのもなんなんだが、GT1時代の流れに無理やり押し込んだ。系譜から言えば16年後の「やっちゃった日産」で有名な駄馬「GT-R LM ニスモ」の先代にあたる(つか、なんであれをR392にしなかったんだ?)。 BBRのR391は、BBRキットを岐阜在住のプロモデラーが完成させたもの(を中古で入手)。当然、出来映えは他のGT1よりも一枚も二枚も上。日産耐久車輌のアイデンティティーだった日産トリコロールを大胆にアレンジして使ってるとこがイイネ。リアのでっかい日産マークもグッド。 1999年の企業としての日産には、カルロス・ゴーンがやって来てコストカットの嵐が始まり、ルマンどころの騒ぎじゃなくなって、Cカー時代から勝てそうでまったく勝てなかった日産のルマン挑戦は終わることになる。ご存知の通り、今は複雑なハイブリッド・パワー・ユニット主体の時代だから、今後ルマンで日産の新型マシンを見ることは、悲しいかなもうないだろうね。
2021.04.21
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「海を渡る」って言葉の「海」は太平洋のことって反射的に思うんじゃないだろか?船旅はともかくも、船より身近な飛行機だと欧州便は大概ユーラシア大陸上空を突っ切るんだろうから海を渡るって場合「太平洋を渡ってアメリカ」とイメージしちゃう(って海外行ったことないけどね)笑けどアメリカベースで考えると海を渡るのには太平洋の反対側に大西洋もあるわけで。 海を渡った貴婦人。日本から太平洋を渡ってアメリカへ輸出されたフェアレディZと、それをモチーフとしてアメリカで一から作り上げられ大西洋を渡ってフランスへ上陸した300ZXターボ。太平洋も大西洋もカバーするダブルミーニングのイケてるタイトルじゃんと勝手に悦に入ってたけど肝心のミニチュアがまったくイケてなかった。。。スパーク1/43 ニッサン 300ZXターボ “1994年ルマン24h 5位”#75 スティーブ・ミレン / ジョニー・オコネル / ジョン・モートン フェアレディZ(Z32)っぽい外観を纏ってはいるけれど、ガワを剥がすとごっつい鋼管パイプフレームで作らてたシャシーが現れる市販車Z32とはまったく別物の300ZXターボ。(ドアも開かなくて、ドライバーは窓からよっこいしょと中に入る)当時設けられていたIMSAクラスでルマンにエントリーして堂々の総合5位完走。クラス優勝でもあるけれど、IMSAクラスはたった3台のエントリー。どんなに抜かれよーが規定周回数を走り切れば表彰台確定って状況じゃあ、あらためてクラス優勝って声高にいうほどのもんではないよーな。 綺麗にデカール貼りされてなかなかカッコいい300ZXターボなんであるが。。。スパークお得意の考証不足炸裂。 まずはリアセクション。リアエンドに注目。特徴的なリアウイングの下に(市販Z32のような)ボディ直付けウイングがあんのよ。まずこれが再現されてない。 それからエンジンフード(とゆーかフロントカウル)上の実車画像を見たら、別に変じゃないじゃん、なんだけど、実は。。。レース中の画像で判りやすいのがあんまなかったんだがエンジンフード上のエアアウトレット(前側)が並列2つじゃなくてひとつ(計3つ)さらにゼッケンの上が青く塗られてIMSAロゴが貼られてるのが正解。車検時の画像だと判りやすい。なにをこんなにミスってだか。。。とはいえ、そもそも商品のよーなエアアウトレットはまったくの創造物ってわけじゃない。レーススタートから日没まではライトを装備しないタイプのフロントカウルを装着してて、これがアウトレット4つ穴で且つゼッケン後ろが青く塗られてないのがわかる。 整理すると、ライトを装備しないフロントカウルはエアアウトレット4つ穴でゼッケン後ろが青くない。ライトを装備するフロントカウルはエアアウトレットは3つ穴でゼッケン後ろが青い。これを混同しちゃってんだな。でハタと気が付いたんだが、確かこの商品って発売アナウンスが出た時はライト無しだったような?だもんで発売アナウンス時の画像を探してみた。ほらね(商品が発売済みなのにいまだにスパークのHPにはこれが載ってる)リアウイングの件は別にして、この状態ならエンジンフードにミスはない。細かく言えばライトが取りつく場所に実車にはないケガキ線が入ってる。で、後から#76号車がライト無しカウルで発売された。てことは初めから2車でライトだけを安易にコンパチする予定でいたってことだよな。で、ライト有無でエアアウトレットやカラーリバリーも変わることが判ってなかったのか、はたまた気がついてても無視したのか。。。きっと無視したんだろ(個人の想像です)いずれにしても詰めが甘い。変に色気を出すから結局#76号車だって実車にはないライト部のケガキ線が入って残念な結果じゃん。せっかくいー感じのフォルムだったのに興ざめだわな。つか直付けリアウイングがない時点でダメだよね。結局むかし出た京商のほうが正解。 まーこっちも購入前にそこまで詳細にこのクルマのこと調べてなかったしな~。その前に予約に食いついちゃったんだからもうしゃあないわ(泣)それなりの値段とるんだから、もうちっとマトモに考証して販売してくんねーかなぁスパーク。多品種をスピード感もって出すのはいーけど、ここんとこ多くねーか?こーゆーの。(前のアルメラス・ポルシェや新発売のシュナール・ワルケルU3スポールでもあったぞ)KATO(関水金属)1/43 フェアレディZ(Z32) 関水金属とゆーおよそミニチュアモデルとは程遠い名前、であるが鉄道模型の大手。そもそもミニチュアカーは鉄道模型のおまけが原点だから、鉄道模型の会社がミニチュアカーを出すのはさほど筋違いじゃないと思うんだが、実際あんま出してないよね(知らないだけ)日本の鉄道模型事情がOゲージ(1/43スケール)中心に動いてないからかしら?実際KATOもこれのほかはA80スープラが出ただけ。いずれも30年くらい前のハナシ。同時代のヘルパのフェラーリみたいにプラスチック製ボディでエンジンフードとドアが開閉する逸品。基本43スケールの開閉機構は、どうしてもパーツの隙間が目立っちゃうからいらん!主義なんだけど開閉するのにデザインナイフやカミソリの刃先を使わないと開かないくらいピタパチなら話は別。KATOのZは昔から知って、いいなと思いながらもなかなか縁がなかった。今回300ZXターボの引き立て役にとセコハン叩き売りを買ったんだけど、結果30何年前のこっちのほうが全然出来が良かったってゆー皮肉(笑)
2021.01.27
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ミニカーっつーのは、基本ファースト・ロットが生産の全てであり、且つ再販は望めないっつーのが常だから、その時々にアンテナに引っ掛かったアイテムはとりあえず予約いれとくのがセオリーなんだが生産計画があってないようなとても製造業とは言えないようなミニカー業界だから、予約してから手元に商品が届くまで幾星霜なんてことも(笑)だから宅配便が来て、あれ?これなんで予約したんだっけ?ってなこともまあまあある。寄る年波で、記憶力が劣化しているからそれがたかだか3か月前のことであっても、ハテナが渋滞して思い起こすのに一苦労(汗)そーゆークルマがやってきた。スパーク1/43 アルファロメオ ジュリエッタ SZ2 “1962年ルマン24h 10位”#39 ジャンカルロ・サーラ / マルチェロ・デ・ルカ・ディ・リッツァーノ まあルマン出場車なんだから、買っても不思議はないんだが。。。 アルファロメオのレース部門とゆーと、アウトデルタとかアルファコルセとか名が浮かぶが、旧い方のアウトデルタの創設が1961年。それ以前のワークスチームはカロッツェリア・ザガート創業家のエリオやジャンニ、フェラーリのチーム監督になったエウジェニオ・ドラゴーニらが創った「スクーデリア・サンタンブローズ」(セント・アンブローズともサンタンブロージュとも、そこら辺は発音の関係で)チーム監督はエウジェニオ・ドラゴーニ。このおっさん、かなりアクが強くて生粋のイタリア人贔屓。フェラーリ時代には、フィアットのジャンニ・アリエリ(F2003-GAのGAの人ね)を叔父にもつルトヴィコ・スカルフィオッティを推しメンとしたために、チームメイトのジョン・サーティースを追い出したりした(フィル・ヒルも)どっからどう見ても悪そうな面構えだよねえ(ゴッドファーザーに出てきそう)笑ま、それはともかくスクーデリア・サンタンブローズは、62年のルマンにシルバーの#40号車と2台エントリー。白の#39号車は24時間生き残ってトップから50周遅れの10位完走。(でもGT1300クラスの2位) 我が最愛のジュリエッタSZを、空力特性を向上させるために前後のオーバーハングを拡大して且つリアエンドをスパンっと切り落としたコーダ・トロンカボディとしたのがSZ2(通称)。。。と、ここまで書いて、ハタと気づいた。ちょっと前の5月にGTロマンの記事をアップしたんだけど、そん時に一緒に乗せたのがミニチュアがBBRのジュリエッタSZで、同時期に今回のSZ2が予約開始したんだったっけ、納得。 ジュリエッタSZと。バン(Bang)製のジュリエッタSZ#44号車は、1960年のタルガ・フローリオ出場車。1周72kmのピッコロ・チルクィート・デレ・マドニエを10周するレースを7周したところで残念ながらリタイア。これまたスクーデリア・サンタンブローズからのエントリーで、ドライバーはキム/アルフォンソ・ティーレ(キムはセルジオ・ペドレッティの愛称、女優キム・ノバクのファンだったから、らしい) 特徴的な赤の「コーダ・トンダ(短い尻尾)」と白の「コーダ・トロンカ(切り落とした尻尾)」空力的には(特にルマンでは)コーダ・トロンカなんだろうけど、個人的には断然コーダ・トンダ派。(じゃあ買うなよ、と言ってはいけない)笑
2020.09.10
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コロナによってモタスポも春開幕は延期を余儀なくされ、夏も過ぎ去ろうというこの時期になってようやく幕が明け始めてる今日この頃なのに、例年よりもテレビでレースを見る機会に恵まれてんのは皮肉としか言いようがないね。 特に先週あたりは、MotoGPにフォーミュラEが4レース、そこに加えてスーパーGTもてぎ、3ヵ月遅れのインディ500にやっと開幕したスーパーフォーミュラとテンコ盛り。そのインディ500のペースカーは、ついにFRからミッドシップへ進化?したコルベット。ミッドシップになってスーパーカーの仲間入り。その割には優しいお値段でおまけに右ハンドルまで設定されて敷居がとっても低い。(それでも、ミニカーやらギターやらに散財してる身にはおいそれと買えるもんじゃないけど)だけども、んーなんだろ、コレじゃない感。R36以降のスカイラインはスカイラインじゃないんだよ!的な。。。コルベットっつったらやっぱこれだしょ↓トゥルースケールミニチュアズ1/43 "1968年ルマン24h DNF"#3 ウンベルト・マリオリ / アンリ・グレデール 先端の見切りなんてまったく考えてないようなロングノーズにパワーバルジ。ぶっ太いタイヤにオーバーフェンダー。これぞ、ザ・アメ車な3代目コルベット(C3)。グラマラスに盛られた前後フェンダーによって中央部が細く見えるデザインが、コーラの瓶みたいだから「コークボトル」の愛称があるC3は、日系二世のラリー・篠田がデザインしたコンセプトカーマコシャークⅡ(XP-830)を起源とする。とゆーかコンセプトデザインそのままに製造販売した。レース仕様は、特徴的なリトラクタブルヘッドライトを廃して500馬力オーバーの427(7ℓ)V8のL88型エンジンを搭載。これを、フェラーリ使いで有名なスイスのスクーデリア・フィリピネッティに託したものの、6時間走ったところで肝心かなめのL88エンジンのヘッドガスケットが抜けて万事休す。 1968年はレース界にタバコ・リバリーが採用された最初の年ってゆー事をちょっと前に書いたけれども、それはまだF1に限定されたムーブメントで、ルマンには影響を及ぼさなかった。(情報の拡散は今と違ってすっげー遅いからな)このコルベットも、赤地に白ラインのスイスカラー(あるいはフィリピネッティカラー)に彩られてスポンサーロゴも、セブ・マーシャル(ライト)、グッドイヤー(タイヤ)、シェル(オイル)トリコ(ワイパー)、チャンピオン(プラグ)、フェロード(ブレーキ)と自動車関連企業のみ。マシン全体を企業パッケージするって方法論はガルフのGT40なんだけれども、それにしたってあくまで自動車関連企業だし。 マシンが自動車産業にまったく関係のない飲食や家電、衣料、コスメなどのロゴで埋め尽くされて、金の心配をしなくてよくなった代わりに、様々なしがらみやら力関係やらで、単なるレース好きが自分勝手にチームを運営できない不自由な現代からしたら「黄金時代」だったのかも知れんな。
2020.09.02
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外国語の発音を日本語表記するのは難しい、とゆーのは何も今に始まったことではない。最近ではモトGP期待の大型新人ファビオ・クラルタラロが、去年はソースによってクアッタハッホと呼ばれたりクラルタラロだったりしたのが、今年はクラルタラロに統一されたようだ。かの有名なアイルトン・セナだって、最初はアイルトン・センナだったし、津川の野郎にいたっては世間がアイルトン・セナで固定されたあとでもエヤトン・セナと言い続けた。デーモン・ヒルの親父はグラハムで、NFLのタイトエンドはジミー・グレアム。どっちも原語表記は「Graham」なのに。 ココの記事は、ウィキペディアに記された日本語表記に沿うよーにしてるけど譲れない場合もある。原語表記「Delaney」は、近年は現地発音に近い「ディレイニー」と日本語表記するようだが、すると、エリック・クラプトンとツアーをして、当時色々キツい時間を生きていたECを、肩肘張らないゆるふわなセッションで癒したといわれる「デラニー&ボニー」も、「ディレイニー&ボニー」って言わなきゃあかんのかいな? ポルシェ917Kに踏みつけられてるこの人もそう。我らの時代には「マイケル・デラニー」だったけれど、今じゃ「マイケル・ディレイニー」だって。確かに劇中でもディレイニーって言ってるけど、字幕はデラニーだもん。なんか嫌だ(笑) 「フォードvフェラーリ」に始めた、勝手にレース映画リバイバル上映のトリを務めるのはやっぱりこの「栄光のル・マン」でしょう。ココでも取り上げた「グラン・プリ」原作の権利を手に入れてワーナーと映画化を狙っていたが同様に権利を買っていたMGMがすでに制作に入っていて、ネタかぶりじゃヒットは望めないねとゆーワーナーの判断で泣く泣くあきらめた。それを知ってか知らずか、MGMはマックイーンに「グラン・プリ」主演のオファーを持ってった。当然マックイーンはこれを拒絶。出来た映画も(マックイーンに言わせれば)レース映画とは名ばかりの下らないメロドラマで、自分だったらもっと違うカタチでやれたのに、と怒り心頭で作った映画が「栄光のル・マン」である。そんな因縁が「グラン・プリ」と「栄光のル・マン」の間にある。しかも当時マックイーンと「グラン・プリ」主演のジェームズ・ガーナーの自宅はお隣さん同士だったとゆー出来すぎのオマケつきである。 そんなマックイーンが作った「栄光のル・マン」も、本人があんだけいらねえよと酷評していたメロドラマが「グラン・プリ」ほどじゃないにしても付け加えられてるのには笑っちゃう。結局、映画として考えたらレースシーンオンリーじゃ客が来ないってゆー映画会社判断なんだろうね。しかも、そのメロドラマ部分が少なかったからか、女優に魅力がなかったからなのかはわからんが「栄光のル・マン」は日本以外では大コケだった(笑)借金で自身のプロダクションを閉めなきゃなんないほど大赤字。 なのに日本じゃなんでウケたんだろうって考えると、モタスポ後進国である極東の島国は、ホンダのF1参戦を経てようやく「モータリゼーション」とゆー世界に触れはじめた時代だったから、本場ヨーロッパレースが体験できるってんで映画を見たんじゃないか?更に、日本企業が映画どころか自動車とも関係ない自社製品のCMにフィルムを無断使用したことが大きかったんではなかろうかとも思うな。自分が最初に「ル・マン」を知ったのも、多分フジTV「スター千一夜」の提供だったヤクルトのCMだったと思う。スタ千は月曜日から土曜日のゴールデンタイムの帯番組だったから、宣伝効果は抜群。これを多くのカーキチが見たことからのヒットだっただろうと推測する。(まあ、この件はのちのちマックイーンの肖像権裁判に発展するんだけどね) 映画主演のガルフチームの917Kについては、10年前(!)に書いたんで、今回の主役はこちら↑の2台。スパーク1/43 ポルシェ917L "1970年ルマン24h 2位"#3 ジェラール・ラルース / ウィリー・カウーゼン ルマン(とゆーかユノディエール)のために作られた特別な917。その外観からか長い尻尾からか、ストレートスピードは917Kよりも時速40キロほど速かった。2台が作られ、1台はザルツブルグチームの#25号車、もう1台がこのサイケデリック。#25号車は映画でも実レースでも序盤トップに立ちファステストを記録するも、18時間を過ぎるころエンジンが音を上げてリタイアという結果。#3号車は、雨漏りによる電気系トラブルを抱えながらレースを走り切っての2位表彰台だった。 いつも思うんだが、スパークのルマン車ってしばしば変なディテールをブッ込んでくるよね。既存製品との差別化なのか、単にオレらはこんなことも知ってんだぜって自己満足なのか知らんけど。今回は雨漏り防止用と思われるリアカウルの養生テープ。こんなのホントかよって検証する手間が増えるんだよね。(ベネトンのリアウイング裏真っ黒事件以来、信用してねーんだよ、スパークは)このクルマ、いいとこを走っていたんで、ガルフ主役の映画じゃほんのちょっとしか出てこないんで映画からは確認のしようがない。だもんでいつものよーに深淵なるネット画像沼に潜ってみたら、そーとー深いところにあった。 レースのいつごろの時間帯なのかわからんが、路面はほぼ乾いてるみたいだし養生テープも一部が剥がれそうになってるところから、終盤の一瞬を切り取った写真と思われる。(なにせレース開始後1時間半から18時間までは雨が降りっぱなしだった)いずれにせよ、こんな重箱の隅を突っつくよーな再現までしなくたっていーと思うんだが。。。つか、レース中の状態を再現すんだったら、ツルピカボディじゃなくて汚し塗装くらいしとけよ。アシェット(イクソ)1/43 フェラーリ512Sコーダ・ルンガ "1970年ルマン24h 5位"#12 ユーグ・ド・フィエルラント男爵 / アリステア・ウォーカー 「フォードvフェラーリ」以降、ルマンでやられっぱなしの元王者フェラーリとしては、このまま黙って引き下がる訳にはいかないってなわけで、フォードもかくやと言わんばかりの大攻勢。突貫工事で新型512Sを11台もエントリーして、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦を敢行(笑)けれど、この年のルマンは大雨の影響もあってか、非常に乾燥率が低い大会で(54台スタートして完走7台)、512Sも2台残ったものの残りはリタイア。この黄色い512Sは何とか生き残って5位(もう一台は4位)ちなみに黄色いのは、フェラーリのCIカラーだったからじゃなくて、エキュリー・フランコルシャンのチーム名が示す通りベルギーのナショナルカラーだったから。 「コーダ・ルンガ」の名のとおり、917L同様に延長テールカウルを纏っての登場だが、43スケールのミニチュアとしては恵まれてない(つか、アシェットしかない?)ワンコインで叩き売りしてるのは助かるが、イマイチ実車に似てないんだよね。。。横幅が狭くて、且つキャノピーがまんまる過ぎるんだよ。キャノピーをもっと潰せば印象が変わると思うんだけど。。。分冊百科のオマケ相手にブツクサ文句言っても詮無いことなんだけど、ルックスマートかテクノモデルから決定版が出るのを待つしかないねー。
2020.08.15
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「フォードvフェラーリ」についてこれまでに2回、「とりあえず版」と「第2回目版」にて埋め草記事を書いてみたが、ようやくフェラーリが入荷したもんだから、ブルーレイもちゃんと観てここに確定版、とゆーことになった。 結論から言えば、まあまあ面白くはあった。ただ、キャッチコピーの「絶対王者(フェラーリ)に挑んだ男たちの奇跡の実話」ではまったくない。なぜならフェラーリはほとんど出てこないから。フォードのルマン参戦のきっかけ(フォードとフィアットを両天秤にかけた)は描かれたもののその後はフェラーリのことはまったく触れられず。むしろ一から十までいちいち大企業病なフォードに挑むキャロル・シェルビーという構図だ。タイトルは「シェルビーvフォード」でよかったんじゃないの?て感じ。おおよそのストーリーは、 フォードがフェラーリにコケにされて、ルマンでフェラーリに勝って意趣返しを思い立つ。 ↓ そのためのレースカー開発をキャロル・シェルビーに依頼する。 ↓ シェルビーは開発ドライバーをケン・マイルズに。 ↓ フォード副社長兼レース統括のレオ・ビーブは粗野で偏屈なマイルズとは確執があった。 (肝いりの新車マスタングを酷評された) ↓ 65年のルマン遠征チームからマシンを熟知しているマイルズを外す。 ↓ 案の定フォードは全滅、フェラーリが6連覇達成。 ↓ 「そらみたことか」とシェルビー激怒、マイルズ参戦をフォードに迫る。 ↓ んじゃデイトナで勝ったらルマンに連れてくとゆーことに。 ↓ レオ・ビーブはサテライト(ホールマン・ムーディ)チームのメカニックをナスカー勢で固め、 ピットストップで差をつけて前に出る作戦。 ↓ シェルビーは事前の「壊れるからエンジンは7000回転以上まわさない」協定を無視して、 「7000回転以上ブン回してガンガンいけ(7000+ GO LIKE HELL)」と指示。 ↓ ケン・マイルズ、ウォルト・ハンスゲン(ホールマン・ムーディ)の95号車を最終ラップでかわして デイトナ24時間優勝、ルマン行きを勝ち取る。 ↓ 66年のルマン、ファステスト連発しながらトップ快走(2位3位もフォード勢) ↓ レオ・ビーブ、フォード圧勝を印象づけるため、3台同時ゴールを提案。 ↓ マイルズ、思い切り好きに走り回ったのち、提案を受け入れてスローダウン、3台同時ゴール。 ↓ 最長距離を走ったものが優勝という規則で、後方スタートだったマクラーレン/エイモン組が優勝。 ↓ シェルビー、これをビーブの策略であると激怒。 ↓ ピットガレージ2階のVIPルームから、エンツォ・フェラーリだけがマイルズを祝福。そのあともなんだかんだあるんだが大筋はこんなところ。 アメリカ人が好きそうな典型的な「柔よく剛を制す」映画に落とし込んだのがヒットの要因と思うがやっぱどう見ても「シェルビー(とマイルズ)vフォード(てかレオ・ビーブ)」だよねえ。(フェラーリは、車も人も敵役になるほど出てきてないもん)まあ、レースに全然興味がなくて役者推しで見に行った人とか、今時奇特なクルマ好きな彼氏にデートで連れてかれたカノジョなら思ったよりも面白かったで済む内容。けど、知ってる人間にとっては、物語の端々に差し挟まれるウソ・エピソードが気になってさぁ。事実をエンタテインメントにするには多少の脚色は必要なことも理解できるが、それが物語の根幹にかかわる部分となると、ちょっとねえ。。。「実話」って言っちゃってるし。 上述赤字で示すがごとく。 まずマイルズは映画のようにチームから外されることもなく、65年のルマンにちゃんと出てんじゃん。故にビーブとマイルズに確執があったとゆーのはちょっとアヤシイ(偏屈なのは偏屈らしいが)であるなら、翌年のデイトナ勝ったらルマンに連れてってやる云々もアヤシイ。そのデイトナで、シェルビーが「GO LIKE HELL」とサインボードに書いてるけれども、それは66年のルマンで、ブルース・マクラーレンがクリス・エイモンに放った言葉として有名。もちろん英語表現で一般的に使われる言い回しであるとすれば、そう書いた可能性もあるかもしれんがどうもオマージュっぽいよね。それで勢いに乗ったマイルズはハンスゲンを最終ラップの最終コーナーで追い抜いて優勝するけれど、実際のマイルズとハンスゲンは9ラップも差がある1位3位で、映画ほどドラマチックじゃない。ビーブとマイルズに確執がないなら「同着にしてマイルズを勝たせない」とゆー策略も考えようがない。せいぜい、単純に3台同時ゴールしたら歴史に残るだろう、くらいの思いつきだったんだろう。(誰が勝とうがフォードにとっては1-2-3フィニッシュに変わりはないんだから)で、エンツォだけがマイルズに祝福するけど、現実ではエンツォはルマン行ってねーですから!笑映画のクライマックス自体がうそっぱち、て。とゆーわけで、詳しく知らない人の方が楽しめる映画だなぁ、とゆー感想。あと、もうちょっとエンジニアリングのシーンがあってもよかったんじゃね?と思うわ。それらしいのはマシンに毛糸くっつけて走って空力を確認するシーンくらいだったもんなあ。もっとエンジン単体でブン回すとか鋼管組むとか、なんかしら見せ所はあったろうに。ルックスマート1/43 フェラーリ 330P3 "1966年ルマン24h DNF"#21 ロレンツォ・バンディーニ / ジャン・ギシェ 「フォードvフェラーリ」なのに、映画にはほとんど出てこない330P3(笑)映画でケン・マイルズが「車の美しさを競うなら負けだな」と評するように、史上最も美しいレーシングプロトの名を欲しいままにするが、キャロル・シェルビーが「それ以外で勝つぞ」と言ったように、ルマンでは美しさに戦績は伴わず。。。3台のP3のうち#21号車が最後まで生き残ったものの、17時間目にエンジンブローでリタイア。 ルックスマートのP3は、以前レッドラインから出てたものにエッチング等を現代的に見直して再発売したらしいんだけど、正直変化点がわからん。映画に合わせて新たにフェラーリから版権とって値段が高くなっただけとゆー気がせんでもないが(笑)レッドラインの微妙に中途半端な外箱からコレクタブルで平均的なボックスになった点はいいけど。スパーク1/43 フォードGT40 "1966年ルマン24h 2位"#1 ケン・マイルズ / デニス・ハルム なんか、何回も出てきてるんで、今さら何を書きゃいいんだ?の#1号車。同着でゴールしたから、後方スタートの#2号車のほうが走行距離が長いから優勝ねってゆーけどこれ↓みたら、2号車が先着だよねえ。。。 映画はもっとわかりやすく、3台横並びでゴールしてたけど。つか、そうしないと「同着なら後方スタートが優勝ってゆーレオ・ビーブの陰謀」が成立しないからね。ここの部分に関しては、映画の方がわかりやすくてイイね。いずれにしても、このいざこざでケン・マイルズはGT40開発の報酬に見合う「耐久3冠王」の栄誉(同一年でのデイトナ-セブリング-ルマン優勝)を逃し、2か月後には翌年のルマン優勝車となるフォードMk.Ⅳのテスト中に命を落とすことになる。もし事故がなければ、67年こそ耐久3冠王になってたかも、と思わんでもない。てか、そもそも「耐久3冠王」って誰かいるんだろうか?暇みて調べてみよう。
2020.07.19
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「フォードvフェラーリ」のブルーレイが出た時に、とりあえずの速報的に記事にしたんだけどね。今回も映画主役のフォードGT Mk.Ⅱ(#1号車)は脇役っちゅーことで(笑) 2019年のルマンを走った2台。とはいえ、LMP1やLMP2に抜かれに抜かれる展開で、もはやGTカーがルマンの主役を張れる時代ではないのが寂しいっちゃあ寂しいが。ルックスマート1/43 フェラーリ488GTEエボ "2019年ルマン24h 20位"#51 ジェームズ・コラド / アレッサンドロ・ピエール・グィディ / ダニエル・セッラ 2018年と同じメンツで、ほとんど同じリバリー(シンハービールとIHIが抜けてサベルトが入ってアンシスが復活)だけれども、14年の458イタリアGT2以来5年ぶりのクラス優勝。ルマンでフェラーリが初出場初優勝してからちょうど70年目の節目に気合が入ったのかな↓ 屋根にも「ルマン初優勝から70周年」とでっかく書いておる。 一方のフォード陣営はどうだったのかといえば、フェラーリに触発されたのか単に映画に乗っかっただけなのか理由は定かではないが、ルマンで1-2-3フィニッシュした1966年当時のカラーリングに変えてきた。何周年!ってするには53年は妙に中途半端だから、単純に映画公開に乗っかっただけだと思うけど。 因みに66年は黒と水色が1-2フィニッシュで赤はリタイア。3位に入ったのは、ホールマン-ムーディ・チームのゴールドの#5号車。今回、1-2-3フィニッシュのカラーを再現せずにシェルビーアメリカンチームを再現したのは権利問題とかが面倒くさかったのかしら?スパーク1/43 フォードGT "2019年ルマン24h 24位"#69 ライアン・ブリスコー / スコット・ディクソン / リチャード・ウエストブルック 本当はルマンを制していたはずのGT40#1号車(ずっとトップを走ってたが、観戦していたフォードのお偉いさんの「3台同時にフィニッシュラインを通過させろ!」って鶴の一声でスローダウンして、うまくタイミングを合わせてゴールしてみたら↓予選順位が#1号車より後ろだったために総走行距離が18メートルほど多い黒の#2号車が優勝ってことになった)のカラーリングを模したチップ・ガナッシ・チームの#69号車だけれど、66年のようにフェラーリを圧倒することは、出来ずクラス5位でレースを終える。 「66年のカラーリングを模した」っていっても、実際並べてみればセンターストライプの色といい完全にチップガナッシのオリジナルリバリーだよなぁ。。。 とゆーわけで、今回も脇役のGT40#1号車。まともに取り上げるのは、多分ルックスマートの330P3が出たあとになる予定。それまでにブルーレイ観とかなきゃ(汗)↑円盤買ったらなんか安心?しちゃってなかなか観ないあるある。
2020.06.22
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引き篭もりGWのために。。。とゆー訳じゃ全然なくて(実際のところ、ずーっと前に予約してたんで今頃の発売なんだってことすら忘れてた)結果的にGWのお楽しみのひとつになった。コロナパンデミックで円盤なんか生産出来ねーんじゃねーか?と思っていたけれど、ちゃんと予定通りに発売されてこうして手元に届くのが、なんだか不思議でもある。こうなったら劇場公開延期した「シン・エヴァ」も「ヘブンズ・フィール」も坂道ドキュメント2本もどれもこれもさっさと円盤生産して売り出しゃいいのに。映画会社に義理立てせにゃアカンのかも知れんが、公開後に販売するより全然多く売れると思うがな。 届いたばかりでシュリンクすら破いてないがとりあえず。細かい事は、本編を観てルックスマートの330P3が手元に届いたらってことになるわな。 しかし、別に「2枚でお得!」とかいらねーんだけど。お家でブルーレイ、車や外でDVD?アホか。単品で売れよ。
2020.05.03
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1960年代生まれのミステリマニアにとって、本格的に文庫本にのめり込むようになるのはMGM映画「オリエント急行殺人事件」が74年で、市川崑の「犬神家」が75年だから、そのあたりだったんじゃないかと思っておる。ちょうど中学デビューに重なって、文庫=オトナの持ち物みたいなヘンテコな思い入れもあったろうし、そもそも単行本ハードカバーは高くて買えないとゆー経済的なこともあったわけだが。 で、それ以前のミステリつまり小学生の頃はどうだったろうと思い起こせば、それは多分、万人が万人ポプラ社の乱歩「少年探偵」シリーズだったんじゃないか、と。勿論一億総貧乏の昭和中期のこととて我が家で全集を買って貰えるわけもなく、学校の図書コーナーに揃っている中から貸し出されてなのを読むわけだが、まだ読んでない作品に限っていつも貸出中。きっとお堅い課題図書なんかに比べて全集自体が人気が高く引く手あまただったんだろう。また貸出中かよと思ってると、大抵脇から口を挟んでくんのがドラえもんで言うところのスネ夫、要はこまっしゃくれた小金持ちのクソガキって奴だ。そのクソガキM曰く「いつまで乱歩なんか読んでんだ。今はなんたってルブランのルパンだぜ」小金持ちだから早々に全集を自宅に揃えてて「なんなら貸してやろうか」と。な~にがルブランなんだか。ちょうど日テレで(1st)ルパン3世が始まった時だから、それに感化されただけだろお前(こんな嫌味な野郎が、市の教育員会だの関東甲信越教育関連の中枢にいるってんだから世も末だ) とゆーわけで、長い間のミステリファンとして、どうしても英米作家に偏っちゃうところを、それではアカンとルルーやシムノン(でもメグレは東京目暮のほうが良かった)も手を付けたもののクソガキMのお陰でルブランのルパンは完全スルーすべて未読である。が、今はネット世界にスポイラー(クルマじゃないよネタバレの事よ♡って浜辺美波が言ってた)が沢山あるから、名作傑作と言われる「813の謎」のあらすじも、そもそも「813」って何?も苦労なく判るし、ポプラ社版は子供に読ませるにはちょっと、とゆー部分を日本の翻訳者が勝手に脚色して結末がちゃうってゆー最大のネタバレもあり、「813が一番面白いぜ」とか言ってたMよ、お前はその後、原作に忠実な新潮の堀口大學版とか読んだのか?きっと「813」どころかガキの時分にルブラン推しだったことも、すっかり忘れてるだろうよ。 ま、813はそんなとこで、今日のお題は「718」だ(笑) レヴズ・インスティテュートの時にチラっと顔出ししてる#32号車。それと4気筒エンジンにモデルチェンジしたことで、#32号車とは4気筒繋がりってことなのか「718」ってゆー名称になった982型ボクスター。ボクスターに比べて718はかなり小っちゃくて低い、でもって軽いから、走らせたらとても怖いぞ。スパーク1/43 ポルシェ 718 RSK ”1959年ルマン24h DNF”#32 ハンス・ヘルマン / ウンベルト・マリオリ 数々のレースで優勝し、またジェームズ・ディーンの棺桶になってしまったことでも有名なポルシェ550の後継。550は車重550kgに由来してるけど、718は単純にポルシェ社内の車台整理番号。RSKのRSはレーシング・スポーツのドイツ語(レン・シュポルト)、Kは、718で新規となったのフロントトーションバーサスペンションの形が「Kの字」を寝かせたようになってたから(どんなカタチだ?)1958年のルマンでは3位4位フィニッシュを果たしたけれど、59年はまったく振るわず。ワークス2台(#31と32)もプライベーター3台もエンジンやらクラッチやらどっかしらが壊れて全滅。#32号車に至ってはイグニッショントラブルで一番最初にリタイア。「レヴズ・インスティテュート」HPの#32号車の紹介文をかいつまんで載せると、 #32号車のシャシーNoは#718-007で、ヘルマン/マリオリの他にもウォルフガング・フォン・トリップスやエドガー・バース、ポール・フレールといった綺羅星の如き連中がドライブ。なかでもフォン・トリップスは#718-007がお気に入りだったみたい。 1959年の718RSKはルマンの他にも、スパ、タルガ・フローリオ、ニュルブルクリンク、ランスF2レース、ガイスベルグ・ヒルクライム、グッドウッドと売れっ子アイドルもかくやの過密スケジュール。 タルガ・フローリオでの#718-007はファステストラップを記録しながら、ぶっちぎりでレースをリードしたが、最終ラップでサスペンションが壊れて勝利を逃がした。 #718-007は1959年製のRSK第三世代の一台で、リアウィッシュボーンサスペンションとギアボックスをイージー交換できるように簡素化されたリアセクションが特長。 F2レースに参戦するためにセンターステアリングに改装されたことがある。 この車両だけ「犬の足(ドッグレッグ)」みたいなオイルクーラーへのエアスクープがボディサイドにマウントされている。オリジナルの1500ccよりも大きなエンジンを積めばボンネットの表面冷却だけではオーバーヒートが悪化することが目に見えていたからだ。 ポルシェワークスとしてレースした後の1959年10月に、残りのシーズンをティム・オライリーがドライブするためにカリフォルニアのジョン・フォン・ニューマンに売却された。1961年はスティーブ・ヘリックがオーナー兼ドライバー、62年はラルフ・ウッドがオーナー、スティーブ・フロイナーがドライバーだった。 西海岸のSCCA主催レースで数年間活躍した後、#718-007は引退してネープルズにやって来た。とゆーことだそーだ。ポルシェ純正ミニチャンプス1/43 ポルシェ 718 ボクスター 「718」繋がりってことで、叩き売られてたのを買ってみた。それまで単に「ポルシェ・ボクスター」としてた車名を、近年流行りのダウンサイジングコンセプトに基づいてエンジンが4気筒ターボへ移行したのを記念(?)して、4気筒エンジンでありながらもフェラーリよりも年間勝利数で上回った名車「718RSK」の718をくっつけた。(但し、これはアマチュアのサンデーレースなんかも無理くり含めた勝利数である意味屁理屈で、実際1958年も59年もWSCランクとしてはフェラーリよりも下) ポルシェの販売戦略としてエントリーモデルに位置付けられて、911原理主義者からはプアマンズポルシェなどと陰口を叩かれることもあるが、エンジン搭載位置も違うんだしあれはあれ、これはこれ、と外野な第三者は思うけどね。ちょうどBS「名車再生!クラシックカー・ディーラーズ」で初代ボクスターの回をやってて、そんなよーな事を言ってたよ。 ミニチャンプスのポルシェは、なんか自国の自動車をモデル化するってことなのかどうか知らんが、いつも妙に力が入ってて出来がいいね。内装もツートンカラーで素敵。こーゆーところは、スパークまだまだ力及ばずって感じだな。 とゆーわけで「813の謎」にひっかけて「718の謎」ってなタイトルにしたんだが、718とは「足して12」でも「時計の針の回し方」でもなんでもなくて、単にポルシェ社内の整理番号だってサラりとわかっちゃって、大仰に「謎」とかってハナシじゃないんだが(汗)
2020.01.22
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これまで「無印」「続」「新」「最後の」と「猿の惑星」になぞらえて展開してきた「白地に青は」シリーズであるが、ここにきてウルトラマンシリーズに鞍替えである。(別にごくごく一部で話題の庵野版に便乗しようってハナシじゃないよ)そもそも「帰ってきた」には、ようやく帰ってきたか!とゆーよーな待望感はなくて、むしろ「帰ってきちゃったよ。。。」な徒労感のニュアンスだもん。なぜなら、「最後の」の中で「あれは再現不足でイマイチ買う気になれない」ってことで一度は購入リストからふるい落としたのに、状況が変化して買ってしまったから。 1962年ルマンのブリッグス・カニンガム・チームは2台のマセラティ(#2、#3)と1台のジャガーE(#10)とゆー布陣。#3号車のマセラティは予選3位からスタート。6時間ほど経過した頃、このレースの優勝車であるフェラーリ330TRIを追いかけ2位走行中の「空飛ぶ歯医者」ことディック・トンプソン駆る#3号車は、エセスでリアが横滑りしてスピン、オイルタンクを壊してリタイア。結局もう一台のマセラティもリタイアして、唯一生き残ったジャガーEが4位入賞とゆーリザルト。マセラティ純正レオモデル1/43 マセラティ ティーポ151 ”1962年ルマン24h DNF”#3 ディック・トンプソン / ビル・キンバリー ティーポ151は、有名なバードケージの別称を持つティーポ61の系譜に連なる鋼管パイプフレームシャシーにフロント独立懸架、リアリジッドサス。ボディはジュリオ・アルフィエーリが設計し、ミラノ大学の風洞実験を経てリファインされた。62年以降も年次改良されて数年間ルマンに出るものの好成績は得られなかった。 マセラティ純正のミニカーを作ってるのはレオモデルとゆーとこで、メイド・イン・イタリー製。エッチングも使われてない、昔懐かしいテイストは「ミニカー」と呼ぶのが正しい。新品価格も昔懐かしい格安さなんでそこら辺の文句はまったくない。問題点は前のネタで「再現不足」と書いたエンジンフードのパワーバルジ部分。 実車はこのよーにバルジの上部分がアクリルだかポリカボだかの透明パーツに変えられてて、4リッターV8エンジンの吸気トランペットが見えてる。これ再現するの面倒くさいし販価にも見合わないから、きっとレオモデルすっとぼけたんだろうと思ってこれじゃあ再現不足で買わねーよ、と書いた。けども1962年のルマンについて深堀してる間に、見ちゃいけないものを見ちゃったのよ(笑) なんと、パワーバルジがクローズしてるバージョンあんじゃん!レース時は透明パーツ有りなのがはっきりしてるから、これは4月のテストデ―の時なのか6月のレース前なのか写真が古すぎてイマイチわからんのだが、多分イタリアからフランスにマシンを持ち込んで実際に走らせたら「前が見にくい!」ってことが露呈して、そらあかんってんで大急ぎで上部を透明パーツに現地改修した結果じゃないの、これって。想像の域は出ないけど、まずそんなところだろう。でも、いずれにせよミニカーが間違ってないとわかっちゃったからには買わないとね~。とゆーことで今回の記事が成立したのであった。ま~この先「エース」とか「タロウ」はないと思うけど。。。(笑) 最後は、優勝車フェラーリ330TRI(ジャンドビアン/ヒル組)と共に。
2020.01.08
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ボーッと生きてる間にはや松の内も終わってしまった(関東限定)世間は通常営業に向けて舵を切るってことだが、こちとらほぼ無関係。今日も明日も正月気分でボーッと生きていく。 ウチはお隣が神社なだけに、正月期間中は参拝客の車両が道路を占拠してるから、クルマで外出するのが非常にめんどくさいんで毎年カンペキな寝正月なわけだが、年末のゴーン逃亡とかイラン急襲とかおもしれーことが多いのに、ニュースもワイドショーもない。正月だからって、箸にも棒にも掛からないお笑い番組とか口ぱく歌番組とか、もう勘弁してくれや。 そんな中で唯一光るものがあったのが「教場」そもそも原作が面白いんだけれど、原作を変に加工せず、かつさんま、上白石、佐久間由衣、三浦貴大とかの無駄遣いも、オールスターキャストらしくて良い。なにより最近ありがちな伏線回収せずに謎解きは視聴者一任な、オリジナルストーリーという名のチープなテレビドラマと違って、しっかり伏線回収して終わるのが正解。さして重要でないドラマのエピローグに名のあるキャストを多数混ぜることが新たな伏線だけど、それもいつかしっかり回収してくれんだろう。 そういう伏線回収の爽快感とゆーか、それが起きた時は全然わからなかったけれど、後になってあれはそーゆーことだったのかぁ!やられた!感が去年のルマンでもあったのよ。 連覇を果たしたTS050。スーパーシーズンとゆーワンシーズンにルマンが2回含まれるWEC18-19変則シーズンだからすわ滅多にない同一マシンでの連覇か?とか思ったんだんだけど、どうやら違う。シャシーNoが、18年(奥)は#18-9で、19年は#19-10だから同一マシンじゃないな。ミニチュアモデル的には完全に金型流用のバリエーション商品だけど(笑)スパーク1/43 トヨタ TS050 ハイブリッド ”2019年ルマン24h 優勝”#8 セバスチャン・ブエミ / 中嶋一貴 / フェルナンド・アロンソ 去年と同じチーム体制、ゼッケン、ドライバー陣でマシンだけが去年と違うとゆー。どうせなら同一マシンで連覇を狙って欲しかったわ。とゆーか、どうも#8号車はさほど優勝に拘っていなかったんじゃねーかな。 当時の状況を整理してみると。。。前戦スパでメイクスタイトルはすでにトヨタで決まり。#8号車のポイントはシーズン通して#7号車を上回っており、ドライバーズタイトルにはたとえ#7号車が優勝しても7位以上で完走すればよかった。なによりも、すでに18年に勝っている。対する#7号車はどうしてもルマン制覇の称号は欲しいところ。 これが予選でクラッシュを喫しながらもポール奪取につながり、レースペースでもハンドリングに問題を抱える#8号車を凌駕した。しかし23時間を経過した頃、不可解な2周連続ピットインで#8号車に追い抜かれて万事休した。右フロントタイヤのスローパンクチャーによるピットインだったのだが、実際にパンクしていたのは右リヤタイヤだった。 交換するタイヤを間違えるとゆー考えられないミスだが、その伏線は予選でのクラッシュ。コースアウトしたLMP2ドラゴンスポーツが戻ってくるタイミングで#7号車が通過・交錯。ドラゴンスポーツに乗り上げる形になり左側面を大破、補器類含めフル交換することになった。この時に右前後のタイヤ圧センサーをテレコに接続してしまうヒューマンエラーが発生し、右リアのパンクが、データ上は右フロントで発生しているとゆー情報になったわけだ。 それでも最初のピットインの時に、安全を見て4本すべて交換しておけば問題はなかったのだが秒を競うピット作業の中、少しでも早くコースに戻したいとゆー気持ちは理解できる。結局、#7号車はエアが抜け続けるタイヤでコース丸々一周のスロー走行を強いられた。その間に#8号車はギャップを埋め、#7号車二度目のピットインで前に出てそのまま逃げ切った。 つまり#8号車としてはかなりのタナボタだったわけだが、レースにはままあること。むしろ先行車に何かあった時に繰り上がれる(後詰めが出来てる)ことがチーム戦としては最重要。もし2016年(アイハブノーパワーの時)にこれが出来ていれば、ポルシェがいる間にルマン制覇が可能だったのに、と思っても後の祭り、ではある。 さて、"進化した"EoTによって苦戦している19-20シーズン。今年のルマンは果たして。。。?
2020.01.07
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松の内とゆーか正月らしい色使いってのは、どうやら赤白金って配色らしい。これって要するに「ゴールドリーフ」カラーなわけだが、それはちょっと前にやったばかりだし、ここではもっとシンプルに紅白でいこう、と。 しかし、紅白と言えば年末恒例の「紅白」やればやるだけ視聴率は低迷するのにいつまで続けるのかね。大体、普段ならやれ性的マイノリティだのやれジェンダーがどーのこーのと喧しいご時世に、国をあげて「赤(女)勝て白(男)勝て」なんてジェンダー差別番組がなんで叩かれないのかね?参加者がくじとかあみだでチーム決めりゃいいじゃんな。さらにゲームとかクイズ形式にすりゃ、それでもひとつ番組出来んじゃん。ま、そうしたっても私的には参加者自体に魅力を感じないんで絶対見ないんだけどね(笑)スパーク1/43 フェラーリ 333SP ”1998年ルマン24h DNF”#5 ヴィンセンツォ・ソスピリ / ジャン=クリストフ・ブイヨン / ジェローム・ポリカン フェラーリ21年ぶりのスポーツカーレース復帰と当時話題になった333SPであるが、フェラーリと名乗ってはいてもフェラーリ製なのはエンジンだけ、のこりはダラーラ設計製作の張り子のトラならぬ跳ね馬(と言ったら言い過ぎか?) 元々がアメリカのレース界(IMSA)発注であり、セブリングやデイトナで活躍したんだけど、一年の熟成期間の後、満を持して挑戦したルマンでは1時間も走らないうちにリタイア。この結果をもってダメ車の烙印を押して、以降まったく振り向きもしなかったんだが、マルボロスポンサードのマシンがあるのを見つけて即反応。それほどまでにマルボロの呪縛はキョーレツなのだ(笑)けれど、最初に見つけた画像↓とはちょっと違う。 ライトカバーが黒縁になってんだよね、スパークの方は。かなり昔の商品だし、スパークお得意の考証ミスが出たのかよ!と思って更に調べてみるとこーゆーのがちゃんと残ってて、あーよかった。多分、レース中になんかしらトラブルで黒テープ貼ったんだろな。水漏れ防止とかね。 このマシンは、1998年のルマンにJBレーシングからエントリー。187周したところでギアボックスが不調に陥りアウト。JBレーシングの創設者はジャン=ピエール・ジャブイーユとジャン=ミシェル・ブレイシュクでふたりの頭文字をとってJBレーシング。のちにジャブイーユが抜け、つい最近までLMGTアマクラスに参戦してたJMBレーシングとなる。 333SPってゆーと、そもそもの言い出しっぺである「MOMO」がスポンサードする赤地に黄文字のカラーリングがすぐ頭に浮かぶけど、あれあんま好きじゃねーのよ。なんかダサいし、クルマも野暮ったく見える。けれどそれがマルボロカラーを纏った途端にカッチョよく感じる(フェラーリ感ゼロだけど)マルボロマジック、恐るべし(笑)
2020.01.04
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ついにブリッグス・カニンガム・シリーズの4回目、最終回である。「無印」、「続」、「新」とくれば次は「征服」でしょーに、と思うのは昭和の証拠。そりゃあそうなんだけど、5部作とするにはネタが足りないのよ。いや、今買えるものとしては1962年のマセラティ・ティーポ151があるにはあるんだけれど、あれマセラティ純正ミニカーのくせに再現不足(エンジンフードから吸気トランペットが見えない)でイマイチ買う気がしないのよね。安いんだけどね、つか安いから再現不足なのか。それはともかく、そもそも実際ルマンを完全制覇してないから「征服」編がなくてもいーのだ(笑) 「アメリカンチームのアメリカ人ドライバーがアメ車でルマンを制覇する」の旗の下に立ち上げたブリッグス・カニンガム・チーム。一時はオリジナルマシンを製作する会社まで設立して、典型的な意識高い系スポーツマンとして天下のタイム誌の表紙を飾ったりもしたが、十年以上もやってりゃチームの士気も下がるのか、オールアメリカ人ドライバーどころかもはやアメ車ですらない。スパーク1/43 ジャガーEタイプ ”1962年ルマン 4位”#10 ブリッグス・カニンガム / ロイ・サルバドーリ 1960年、アメ車の中では比較的小型なコルベットでも思ったような結果を出せなかったことが、アメ車による参戦を見直すきっかけになったのかどうかは知らんが、翌61年のラインナップはマセラティを3台揃えた。更に62年はマセラティに加えて発売されたばかりのジャガーEタイプを投入。チームボスの相棒は、アストンマーチンでルマン優勝経験もある英国人ロイ・サルバドーリ。 カニンガムのジャガーは、英国チームのブリティッシュグリーンのジャガー(#9)を延々と追いかけまわして、朝の時点では#9ジャガーが4位、カニンガムが5位だった。残り1時間になった頃、#9のエンジンマウント破損した上にギアが4速にスタックして遅れ始めカニンガムがこれを抜き去り4位でフィニッシュ。 大分前に発売されたミニチュアだから、うわまじかリアクォーターガラスがめくれ上がってんじゃん!こんなの治せねーとか思ったんだけど、拡大鏡で眺めてみたらちゃんとヒンジで開いてる。そーいや、昔のクルマのリアクォーター窓で今みたいにはめ殺しじゃなくて、ヒンジを介して少し開くようになってたよなあ。振り返れば、知り合いのKPスターレットもK10マーチもそうだったわ。スパーク ジャガーEタイプ ライトウェイト ”1963年ルマン24h DNF”#16 ロイ・サルバドーリ / ポール・リチャーズ 前年4位、5位と好成績を得たジャガーEタイプだったけれども、ライバル視していたフェラーリがその上を独占したことで、こんなんじゃまだまだアカン!と勝って兜の緒を締めたジャガーは、ボディをアルミで作り直し、エンジンやサスにも手を入れたライトウェイトを開発。たった12台生産されたうちの3台をカニンガムチームに委ねた。 カニンガム駆る#15号車が総合9位(クラス2位)で完走するも、残る2台はリタイア。#14号車はレース開始早々ギアボックストラブルで戦列を去る(それはある意味無傷で)が、#16号車は大惨事に巻き込まれた。 午後8時20分、ブルース・マクラーレン駆るアストンマーチンDP214のピストンが破損してユノディエールのミュルサンヌ・キンクスあたりに大量の油をまき散らしたのがことの始まり。後続のニニアン・サンダーソンのACコブラとマルク・サルモンのフェラーリ330LMBは、油にハンドルをとられながらもなんとか持ちこたえたが、アストンマーチンDB4GTザガートのジャン・ケルゲンはスピンしながら側溝に突っ込んでストップ。更に、時速265キロで現場に突入した#16号車は、スピンの挙句空中で半回転してルーフから地面に激突して爆発炎上。運転していたロイ・サルバドーリは運よくリアウインドウから外に投げ出されて、ジャン・ケルゲンに助けられた。一方、スピン状態の#16号車にぶつけられたルネボネ・エアロジェットLM6は、路肩にぶつかって跳ね返ってコースのど真ん中で停止。ドライバーのジャン=ピエール・マンゾがコース上に投げ出された。これを避けようとしたクリスチャン・"ビーノ"・ハインズのアルピーヌルノーはコントロールを失って運悪く路肩の街灯に激突。アルピーヌは爆発炎上してビーノが死亡、という大惨事に発展。ロイ・サルバトーリは奇跡的に軽傷で2週間後にはレースに復帰出来たが、貴重なライトウェイトE(#850665)は前述のよーな状況で全損廃車とゆー結末。 ブリッグス・カニンガム・チームは翌年シェルビー・デイトナ1台参戦するも、そのマシンは白地に青ではなくシェルビーのメタリックブルー地にフロントライト周りからフェンダーにかけて白とゆー、まるでキャロル・シェルビーにマシンだけ借りました、みたいなカラーだった。出ない結果にモチベーションが下がったのか、あるいは全損死亡事故とゆーのが尾を引いたのか、結局、全力を以ってルマンに勝ちに行ったのは63年が最後になった。 とゆーことで、典型的なアメリカン、ブリッグス・カニンガムの一代記(大袈裟だよ)4部作、これにて全巻の終了。
2019.12.20
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「無印」、「続」と続いて今度は「新」とくればそりゃあ「猿の惑星」ざんしょ、とイの一番にピンときちゃうのは昭和世代の証であるが、それはおいといて「典型的なアメリカンスポーツマン、ブリッグス・カニンガムによるアメリカ車でのルマン制覇の野望」シリーズ第三弾である。スパーク1/43 シボレー コルベット C1 クーペ ”1960年ルマン24h DNF”#2 ディック・トンプソン / フレッド・ウィンドリッジ 1951年から55年まで自作の自動車でルマンに挑戦したけれど、大元である自動車製造業がお役所から「あんさん5年もやってて儲けがないのは、そりゃ会社と言わずに道楽言うんですわ」とゆー具合に、会社として認められなくなっちゃったもんでルマンから撤退。もう一つの趣味(つか本業?)であるヨットレースに注力して、1958年にアメリカズカップを制すると再びルマンに戻ってきた。ただ、前述のようにマニファクチャラーとしてはアレなんで、アメ車のなかではスポーティな部類のコルベットを3台体制で引っ張り出してきた。直前のセブリング12時間レースで勝ちはしなかったが好感触を持ったから、とゆー理由らしいが、アメ車にしちゃあ軽い方だが実際は重たいコルベットだから、長いミュルサンヌの先の直コーナーで絶対ブレーキトラブルに見舞われるぜってのが現場の声だった。カニンガムチームとしては、セブリングやワトキンズグレンなんかの国内レースにオスカやジャガーといった外車を使ってるのに、ことルマンに限ってはアメリカ産に拘りたかったのかね?(ジャガーEのプロトタイプもルマンにエントリーさせてはいるけれど) 3台のコルベットのうち、チームオーナー車である#1号車は豪雨の中スリックタイヤで出ていってメゾン・ブランシュでアクアプレーンを起こして2回転する大事故でリタイア。この#2号車は、20時間走行時にエンジンから出火してリタイア。唯一残った#3号車が総合8位に入って、これが現在まで長きにわたるコルベットのルマン参戦の最初の一歩になった、と。 3年ほど前、プリンスが亡くなった後(日産じゃないよ音楽のほうのプリンス)にアップした、ロードカーのC1コルベットと。 初代コルベットC1っつっても1953年から1962年までのロングライフ。といっても日産みたいな完全放置プレイじゃなくて、そこは計画的陳腐化戦略発祥の国だからちゃんと毎年なんかしらどこかしら変えてきてる。 細かくやると止めどなくなるんでざっくり言えば、プレーンボディに二つ目が初期型(赤いヤツ)フロントタイヤハウス後部からドアあたりまでが抉れたボディになった中期型。目玉が四つ目になってボディの抉れの前部分にダミーのエアアウトレットが追加されたのが後期型。エンジンは初期型だけ極初期だけV6、それから後はV8。今回のルマン車は後期型になるわけだが、さすがにダミーアウトレットってことはないと思うんだがそこはラジオ付きの「吊るし」のキャデラックでルマンに出ちゃうくらいのブリッグス・カニンガム、もしかするとダミーのまんまって可能性もあるな(笑)
2019.12.04
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タイトル読んでも判るだろうが、ちょっと前に「アメリカ人ドライバーがアメリカ製レースカーでルマンを制覇する」を旗印にしたブリッグス・カニンガムのネタを書いたが、今回はその続き。 およそ我々愚民のもつ大富豪のイメージそのままに、ワガママ気ままに「そうだ、ルマンに行こう」と言い出したのかどうかは知らんが(多分、そんな単純なハナシじゃなかろう)、兎にも角にも吊るしのキャデラック「プチ・パトゥ」と、キャデラックの原形を留めないほどいじくりまくった「ル・モンストル」でルマンを完走(10位と11位)した1950年。「ル・モンストル」を作ってる段階で、ルマン参戦が決して気ままな思いつきであるわきゃないけど、いずれにせよ優勝には程遠いリザルトにガッカリしたのは容易に想像がつく。アメ車頂点のキャデラックでもルマンは無理かぁ。。。と普通はあきらめるもんだが、そこは大富豪。既存のクルマでダメならば、ルマンに勝てるクルマを自分で作りゃあいいじゃん。なんならクルマ好きな人には売ってもいいし。だったらまず専用の会社を作っちゃおうぜ!ってなわけで、フロリダ州はウエストパームビーチに「B.S.カニンガム・カンパニー」を創業し、最初の市販車カニンガムC1を製造したことが第二章の始まり。吊るしのキャデラック「プチ・パトゥ」と新しいカニンガム・カー達。クルマは変われども、アメリカズチームである証、白地に青のカラースキームは変わらず。ビザール1/43 カニンガム C2R ”1951年ルマン24h 18位”#4 ジョン・クーパー・フィッチ / フィル・ウォルターズ 1950年の残念な結果を受けて「こりゃ、イチからクルマ作るっきゃねーな」と一念発起したブリッグス・カニンガムが自社初のロードカーであるカニンガムC1を経て、ルマンに3台体制で送り込んだのがC2R(C1も予選は走った)、自社オリジナルのシャシーにクライスラーのV8OHVエンジンをベースとして、そこにキャデラックのピストン、コンロッドを組み込んで圧縮比を上げた強化エンジンを載せたC2Rは、夜間走行中に2台がウェット路面に足をとられてクラッシュしリタイア。唯一残ったこの4号車が20時間まで2位をキープしたものの、エンジン強化策が裏目に出たのかエンジントラブルで後退。チェッカーを受けるためにはスロー走行せざるを得ず、結局総合18位でレースを終えるも、最終ラップが遅すぎて完走扱いされなかった。(2016年アイハブノーパワーのTS050と同じ状況だあね)とはいえ、たった一年で、スポーツカー製造会社を興して、オリジナルのマシンをゼロから仕立てた結果が18位なら御の字と思うんだが。マシン自体も、さすがに「吊るしの」キャデラックよりは全然レーシーな出来映えじゃんか(笑) なにげにお初のビザール製品。スパークと同じマカオのミニマックス社のブランド。スパークと比較すると、ちょっとマテリアルがちゃちだったりする。ウィンドシールドやミラーステーがかなりプラスチッキーだったり、発売時期の問題もあるんだろうが現在のスパークのレベルからするとちょっと格下にみえる?けれど、現在でもスパーク程の手数はないものの、スパークと並行して新商品がリリースされているしそこらへんはどーゆー棲み分けしてんだろうね?スパーク1/43 カニンガム C4R ”1954年ルマン24h 5位”#1 ブリッグス・カニンガム / ジョン・ゴードン・ベネット 多分、カニンガム・カーのなかでは一番有名なヤツ。1952年から54年にかけてルマンに参戦して、のべ7台中5台が総合10位以内で完走、うち3位表彰台1回と新興メーカーとしては上出来の戦績を残した。 余りあるパワーと速さでルマンファンの度肝を抜いたにもかかわらず、欧州の評論家筋からは「あんだけデカくて重けりゃ、そりゃパワーも速さも出るだろうが、それじゃ勝てねえよ」と散々。まぁそうかなぁ・・・と素直に認めたブリッグスは、でかいクライスラーエンジンは譲れないとして、他の部分を出来得る限り小さく作ろうとして、C2Rに比較して幅15センチ、長さ40センチほど切り詰めて出来たのが、前面が大きく切れ上がったフロントフェンダーが特徴のC4R。 これまた開発期間一年未満の突貫工事で作ったのに、3年も第一線で戦える競争力にはビックリ。なにか開発陣も想定しなかった良い化学変化があったんだろう。なにせ、ジャガーDやEを設計したマルコム・セイヤーをして「シャシーには効果的な筋交いがない。もしリアの片輪をジャッキアップしたらボディはドアが開閉しないほど大きく捩れるだろう。まったくもって理論的根拠なしに作られてて、こんなのが完走できるのは不思議」と言わしめるほどの大甘設計だったが、起伏のあるワインディングだらけのせせこましい欧州ならいざ知らず、基本フラットで直線と緩いカーブのアメリカ大陸を走るのには別に問題にならなかったんだろう。 また運もあったのかも知れん。最初の年なんて、予選でブレーキライニングにひびが入ったのにスペアパーツがないままにスタート。しばらく走ると今度はクラッチが滑り始めるトラブル。それでもブリッグス・カニンガムが一人で24時間走り切って4位入賞だもんね。クルマはトラブルでガタガタで慎重に操らなきゃいかんけど、相棒は細かい気配りなんて出来ない豪放磊落な乗り手だから、交代しようものな絶対完走出来へん、一人でやったれ!ってことらしい。(まあ、自分が作ったチームだし誰にもあれこれ言わせねえよって) 54年は、熟成の域に達したのかノントラブルで2台出場の2台とも入賞。3位に入ったスピアー/ジョンストン組の2号車のあと、この1号車は5位でフィニッシュ。 C2Rがビザールブランドだったのに、C4Rはスパークブランドでの発売。やっぱりウィンドシールドとかライト周りの出来映えはワンランク上。GT40なんかは、既存のビザールブランドにエッチングなどを見直してスパークで出し直してるからC2Rもそうしてくんないかなぁ。 ちなみにこのC4Rは、当時のまんま残っている。最初、ブリッグス・カニンガムが自身の自動車コレクションを披露するためカリフォルニア州コスタ・メサに建てられた「カニンガム・オートモティブ・ミュージアム」に収蔵され、そこが閉館した後、旧友マイルズ・コリアー(50年の吊るしのキャデラックのドライバー)家に売却されて、フロリダ州ネープルズの「レブス・インスティチュート」で公開されている。 ちょうど今期のスーパーボウルが開催されるのはマイアミのハードロック・スタジアムだから、ついでに寄ってみるといいぞ(誰宛て?)そのハードロック・スタジアム、2021年からのF1グランプリ開催を狙ってるらしい。 C4Rを擁してルマンを戦った3年間は、優勝こそ記録出来なかったものの、B.S.カニンガム・カンパニーとしてのクライマックスであり、その挑戦は「勇敢なる失敗」と絶賛された。けれどもIRS(アメリカ内国歳入庁)にとってはハナシは別で、「カニンガム・カンパニーみたいな小規模生産のカーメーカーは、創業開始から5年経っても収益が出なきゃダメ」が当時のルール。そりゃあもう「会社」じゃなくて「道楽」でしょってこと。なにせ5年間のルマン遠征に対して、売りに出されたクルマはたったの25台。C2Rシャシーにクライスラーエンジンを載せてトリノに送り、カロッツェリア・ビニャーレでミケロッティデザインのボディを架装する、という手間ひまをかけた市販車「C3コンチネンタル」が25台売られただけだったんだから、収益もへったくれも(笑)そもそも儲けようってハラがあったかどうかも怪しいもんだ。 結局、ブリッグス・カニンガムはこの後、C5R、C6Rとマシンを仕立ててルマンに挑戦するが、上述のIRSの判断もあって会社を畳み、1951年から55年に渡るカニンガム・カーによる偉大なるルマン挑戦は幕を閉じるのであった。
2019.11.12
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ハチロクをやったんなら、次はコレ、とゆー予定調和。 またまた、ベントレー・スピード8をダシにして、ネタをひとつひねくり出そう、と。 ベントレー・スピード8とアウディR8Cでハチハチ。 TSMのハチ(スピード8)を入庫待ちしてる間に、運よくコレもスパークから発売になったからね。ただノーマークで予約もしてなかったもんだから、そそくさとショップに出掛けてって買いましょう、とか思っていたんだけれども、ネットに昔出たBBRのが超お買い得価格で漂っていたもんだから。いかにスパークが新品といえども、中古とはいえ天下のBBRがスパークよりも安値で出てたら、そりゃあのほうをBBRを買うのが人情ってもんよねぇ(笑)BBR1/43 アウディ R8C "1999年ルマン24h DNF"#9 ステファン・ヨハンソン / ステファン・オルテリ / クリスチャン・アプト 1998年のいわゆる「なんちゃってGT-1」の成功は、人気の面では大成功だったものの「クローズドボディで、1台だけ公道カーを売ればあとはどうでも」みたいなGT-1規定は、結局、予算を持てる者と持たざる者に分断しただけで、市場としては先細りがミエミエてる。そこで、主催のフランス西部自動車クラブ(ACO)は大ナタを振るい、GT-1クラスを廃止してより改造範囲が狭くて、しかもGT-1時代よりもたくさん作って売らなきゃいけない、本来の意味でのGTを競わせるGTSクラスを新設した。替わりと言っちゃあなんだけど「お金のある人はこっちに行ってね」とクローズドボディでさえあれば量産車を作らなくてもいいLMGTPクラスも新設した。となれば、オープンタイプのLMPよりも空力的に有利なLMGTPが、俄然優勝候補となるわけで早々にトヨタとメルセデスが、既存改良か完全新型かどっちにするかは別にして、いずれにせよLMGTPで参加すると表明した(結局、どっちも既存改良だったけど)日産は、Gフォースと組んでLMPへ路線変更(R391)した。とはいえ、LMPを主座に置きたいACOの思惑から、LMGTPにはクローズドボディで得られる最高速の優位性を相殺するために、細いタイヤを履かなければならない制限も忘れなかった。 ルマン初参戦を控えたアウディは、これらの動向を参考に、元々予定していたLMPに加えてLMGTPにも手を出すことにした。LMPプロジェクトがダラーラと組んだのに対して、LMGTPはレーシング・テクノロジー・ノーフォーク(RTN)と組むことにした。チーム運営は、かのリチャード・ロイドを巻き込んだアウディ・スポーツ・UK。 開発期間を十分に取って様々なテストもこなして熟成されたアウディR8R(LMP)に比べ、マシン完成が遅れ、ルマン合同テストデイまでに十分なテストが出来なかったR8C(LMGTP)は、フロントフェンダー内側をオープンにしたためタイヤハウスにエアが溜まらずブレーキ冷却が進まない、車体内部へ流れ込むエアが、車体後部からうまく排出できずエンジンカバー部にどんどん蓄積されていき最終的にエンジンカバーが吹っ飛ぶ、など問題を露呈した。クローズドボディのおかげでユノディエールで時速350キロを出すことは出来たが、ハンドリングにも問題を抱えて、フルラップタイムでは全然ペースが遅かった。いわゆる直線番長とゆーやつである。結局、予選は20番手(#10)と23番手(#9)と振るわなかった。 決勝でも、ルマン勝者のステファン・ヨハンソン、ステファン・オルテリを以ってしても如何ともしがたく、ギアボックストラブルで早々にリタイア。(因みにもう一人のドライバー、クリスチャン・アプトは現在フォーミュラEにアウディ・スポーツ・アプト・シェフラーから参戦してるダニエル・アプトの叔父さんである。アプト、アプトとアプトだらけでも判るだろうが、アウディのセミワークス、アプト・スポーツラインの経営者でもある) 気になる(ならんか)R8Cのスポンサー様は。。。インフィニオン・テクノロジーズ(半導体)、シェル石油、シーフランス(フェリー会社)、リカルド(先行開発エンジニアリング会社)、O.Z.ホイール、パラメトリック・テクノロジー・コーポレーション(ソフトウェア) ルマンの惨敗で、アウディは早々にR8Cを引っ込めて、実戦はルマンのみとなった。翌年から、R8Rを正常進化させたR8でアウディは見事ルマン6戦5勝をマークするわけだが、その常勝R8に唯一土をつけたのが、諦めたと思ってたR8Cの知見を活かした、アウディエンジンを積む、いわばR8Cの親戚筋(まあ、当時すでにベントレーもアウディも同じフォルクスワーゲン傘下だったから、単なる同族のバッジエンジニアリングと言えなくもない)にあたるベントレー・スピード8だったとゆーのは、なんとゆーか歴史の妙とゆーヤツだな。
2019.10.07
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昨年、スパークから商品発売アナウンスがあった時に決めていたこのタイトル。そもそも一昨年にトゥルースケール(TSM)からスピード8の発売アナウンスがあって、イクソからのグレードアップのため予約しといたんで、それと合わせてネタにすりゃバッチシじゃん!とか思ってたんだが、そのTSM、2年経っても一向に動きが見えない。アマゾンなんかを見ると今月末なんて書いてあるが、一方ヨドバシは発売日延期未定になってるし。ヘタすりゃこのままお蔵入りか?ってな塩梅なんで、共倒れにならないようにイクソを引っ張り出して。 ベントレーのハチとロク。 なんかね、クラシックカーってゆーと華奢なクルマってゆーイメージが勝手にあるもんだから、これホンマに同一スケールかいな?って思っちゃう。数値的にみれば、例えばホイールベースはスピード8のほうが613ミリ(!)も短いんだから、この絵面で合ってるんだが、なんか不思議な感じ(笑)スパーク1/43 ベントレー・スピードシックス「オールド・ナンバー・ワン」 "1930年ルマン24h 優勝"#4 ウルフ・バーナート / グレン・キドストン まー懐古趣味も黄金の50年代から一足飛びに戦前までいっちゃったよ。 その頃ルマンだって創世期、まだたったの8回目だもんね。そんな時代、ルマン5勝で勝率6割2分5厘の栄華を極めたのがベントレー。1930年は27年から続く4連勝の最後の年にあたる。(その次のルマン制覇は73年後のスピード8でってわけで、先のツーショット写真は73年の時を経た優勝車の邂逅ってことになる) しかしね、あんまり古いから、掘ってもなかなかネタが出てこないんだわ(笑) すぐにわかるのが、この車両は29年も優勝したクルマそのもので、要するに後のガルフGT40やニューマンポルシェなんかと同様に、同一車種で連覇した奇跡の一台の始まり、とゆーわけ。だから、そーゆー意味も込めて、このクルマを「オールド・ナンバー・ワン」と呼ぶんだね。ってなことくらい。 とゆーのもベントレー・スピードシックスってえと、ルマン制覇よりもっと有名な濃ゆいエピソードが何個もあるんで、そっちが注目されちゃって印象薄かったんちゃう?まあフランスでイギリス車が毎度毎度勝ってるんで、フランスもトップ記事は「ベントレー優勝」じゃなくて「ブガッティのフランス婦人コンビ、7位入賞す!」だったらしいし。 で、そのスピードシックスの有名なエピがどんなんか?ってえと。1.試作車 大成功したベントレー・3リットルの後継開発に4.5リッターエンジンをと考えて、1924年に作った試作車「サン(SUN)」そのロードテストを、リヨンで開催されるフランスGPを見に行く道程で代用しようと考えた、時の社長ウォルター・オーウェン・ベントレー。リヨンからの帰り道で、やっぱり物見遊山をロードテストにあてたロールスロイスの試作車(のちのファントムI)と三叉路で行き会った。相手ドライバーの目を見たとたん「コイツ、やる気だな」と自然発生的にルート・ナシオナル(国道)を舞台とした即興レースに発展(笑)レースは、ロールスのドライバーが風にあおられて飛んだ帽子を拾おうと停車するまで続いたけれど、わが社の車こそ世界最高と思ってた「サン」がロールスに対して十分なアドバンテージがないことを不満に思ったW.O.ベントレーが作ったのが6.5ℓ直6エンジンとそれを搭載するシャシー。これがスピードシックスのベース車両。ベントレー・6 1/2リットルとして販売し、スピードシックスはその高性能バージョンの位置づけ。2.ブルートレイン・レース カンヌのカールトンホテルでのディナーの席上、ベントレー会長ウルフ・バーナートは「ローバーは、自分とこのライトシックスがブルートレインよりも速い、とか言ってるけどさぁ、言ってるだけじゃあねえ・・・何ならやってみようじゃあないの」と自分のスピードシックスで(勝手に)ブルートレインと競争することにした。「ブルートレインがカレー駅に着く前に、ロンドンのクラブでお茶してたら100ポンドもらうよ」 翌日(30年3月13日)午後5時45分、ブルートレインがカレーに向けて出発すると、バーナートとアマゴルファーの相棒デイル・ボーンは、バーで一杯ひっかける余裕を見せてからロンドンに向けて出発した。 途中、リヨンを過ぎる頃から雨が降り出し、オーセールではガソリンスタンドを探してウロチョロ、フランス中央高地では濃霧と戦い、パリを過ぎたところでタイヤバースト等トラブルに見舞われながらもブローニュに午前10時半に到着。イングランドに向けてイギリス海峡定期フェリーに乗り込んで、午後3時20分にロンドンはセントジェームス通りの「ザ・コンサバティブ・クラブ」に到着。ブルートレインがカレー駅に到着する4分前の出来事だった。この出来事からスピードシックスは「ブルートレイン・ベントレー」として有名になった。 フランス当局は、この不認可のレースに怒り、バーナートにルマンの賞金よりも高額な罰金を科して、さらに公序良俗に反する破廉恥とスピードシックスを30年のパリ・サロンから締め出した。3.ブルーチレイン・ベントレー論争 ブルートレインに勝利したことを記念して、バーナートが5月に入手したスピードシックスに「ブルートレイン・スペシャル」と命名した。 当時、車のボディーはそれ専門のコーチビルダーが作って、ベントレー自体はシャシーにエンジンやミッション、サスペンション、タイヤなどを組み立てたランニング・シャシーを販売してた。だから十把一絡げにスピードシックスと言っても、実は外身は千差万別だった。実際にブルートレインと競ったスピードシックスはヘンリー・ジャーヴィス・ミュリナー製のボディが架装されていて、一方「ブルートレイン・スペシャル」はガーニー・ナッツィン製だ。(ちなみに、ルマンを制覇したオールド・ナンバー・ワンはバンデン・プラ製ボディだ)けれどもミュリナーとナッツインのぱっと見がよく似てたので(違いはスペアタイヤの数くらい)のちのち両者を混同しちゃう問題が発生した。今でも、海外サイトの画像なんかみると間違った表記のキャプションが多々あるよ。 ま、ルマンで連勝したゆーよりも圧倒的に有名で面白いエピソードではある。といっても、ルマンのネタなんで、クルマになにもなきゃレース展開でも追うしかない。 1930年の参加車両はたったの17台で大会史上最少(今でも)ドイツ車(メルセデス・ベンツSSK)が初めて参加。女性ドライバーが初めて参加。 レースは、ルドルフ・カラツィオラ/クリスチャン・ヴェルナー組のメルセデスSSKがポールスタートから逃げをうって、2周目に最初のファステストを出すと、スーパーチャージャーをオフにして走行を続けた。追うはセミ・ワークスのブロワーベントレーで、こちらはスーパーチャージャー全開。ユノディエールで追いついてミュルサンヌでオーバーテイクを試みるも、その都度タイヤバーストで果たせず、そのまま夜間走行へ。陽が落ちてからもメルセデスとベントレー軍はトップ争いを繰り広げるが、午前1時半にメルセデスのダイナモのワイヤーが切れてバッテリーが上がってピットアウト出来ずリタイアして集結。ベントレーの1-2-3-5走行となり、表彰台独占が期待されたが、夜が明けた昼頃、セミワークスのブロワーベントレー2台が相次いでリタイア(コンロッド破損)したものの、2台のワークス・スピードシックスはそのまま走り切って1-2フィニッシュ。 3-4位には、トップから17周遅れでタルボ90が入ったが、性能指数賞についてはわずか0.004差(計算上は実走1ラップの差)でタルボがかすめ取って行った。 ウルフ・バーナートは、1928年から3連勝。この記録をもってレース活動から引退を表明、本業の会社経営に専念。しかし折からの大恐慌で、会社自体が需要激減のダメージを受けて、レースどころじゃなくなる。結果、ワークスチームは解散。さらに翌31年、バーナートは不渡りを出して、ベントレーはロールスロイスに売却された。一方、バーナートの相棒キドストンもレースを辞し、翌年、飛行機で英国-南アフリカ間の時間記録に挑戦し、見事6日半の記録を打ち立てた。その帰途、レコードブレークに使ったロッキードじゃなくて、現地で借りたデ・ハビランドがドラケンスバーグ山脈を越えるころ、悪天候により空中分解して死亡、享年32歳。 セミワークスチームもまた、「高潔なる」ドロシー・パゲット嬢から財政支援を切られて解散。次にワークスベントレーがルマンに姿を現すのは2001年、フォルクスワーゲン傘下に入ってから。そして2年後の2003年に73年振りの総合優勝。 とゆースピードシックス一代記、これにて一巻のオシマイ(笑)
2019.10.04
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ガキの頃の大ベストセラー本っていったらば何だろか?時代的には1970年代ってことになるんだが、小松左京「日本沈没」と五島勉「ノストラダムスの大予言」なんじゃねーかなぁ、と。いやいや他にだって「坂の上の雲」「かもめのジョナサン」「限りなく透明に近いブルー」「人間の証明」「不毛地帯」「アルキメデスは手を汚さない」「八甲田山死の彷徨」、それこそクルマ好きならば「間違いだらけのクルマ選び」だってあるやん。とはゆーものの、オンタイムであーだーこーだと、ガキはガキなりに細かい事は判らないなりに仲間うちで話題にしたのは、圧倒的に「日本沈没」と「ノストラダムス・・・」だった。実際、他のはどれももうちょっとオトナになってから読んだんだよな。ま~ちょうど第一次オイルショックと重なる時期で、世間一般がおおいにパニくってたから、日本がなくなるとか世界が終わるとか、煽りに煽られちゃったってことだろう。 その「日本沈没」、日本推理作家協会賞と星雲賞に輝いているが、同じ時にパロディ小説である(しかも小松左京公認)筒井康隆の「日本以外全部沈没」も星雲賞(短編部門)を受賞してたってのを知ったのは、随分と後のこと、つか最近。ふざけたタイトルだが、意外と沈没した国々から押し寄せる移民問題とか、持てる者とそうでない者の分断社会とか、時代が今に追いついたっちゅーか、イヤハヤなんとも、である。 そんなとっからネタのタイトルを持ってきたわけだが、ホント読んで字の如し。本体は全然オッケーだけれど、それ以外が全部ダメダメってゆー。 これまた珍しく、(アイドロンの)ベース車両があったんでツーショット。画像だとなんだが、アイドロンのほうがちょうど外板の厚さ分くらいちっちゃい。。。日本製品とイタリア製品だから、なんとなく日本のほうが正しい縮尺なんじゃね?って思っちゃうけどどうなんだろうね。 それはともかく、やっぱスーパーGTやDTMみたいにベースと比べたら全然ちゃうやんけ!ってのと違って、見た目は一緒で中身だけちょいとイジってます的なマシンのほうが断然いいね。だからグループ5(シルエットフォーミュラ)とかイキった兄ちゃんが元日に暴走するよーな下品なマシンは大っ嫌いなのよ。ルックスマート1/43 ディーノ 246GT "1972年ルマン24h 17位"#46 ジャン=ピエール・ラフェッチ / ジル・ドンシュー 見ての通り「白地に青は・・・」の一族なんだけれども、キャデラックとは違って、ブリッグス・カニンガム・チームのエントリーじゃなくて、ノース・アメリカン・レーシング・チーム(N.A.R.T.)からのエントリー。N.A.R.T.は、ルマンを3度制覇したレーシングドライバーで、またフェラーリの北米代理店を率いていたルイジ・キネッティが創設したレーシングチーム。(ちなみにキネッティ・ショップの最初の顧客がなんとブリッグス・カニンガムだったんだってさ) ルマンにはペドロとリカルドのロドリゲス兄弟らを擁して1958年から1981年まで参戦し、65年にはヨッヘン・リントと250LMで総合優勝を果たしている。 まったくアメリカを意識してないイタリアンレッドのグレゴリー/リント組の250LM(’65)と、イタリア色を排除してすっかりアメリカンなロドリゲス/バゲッティ組の412P(’67)と、両方の中間カラーな246GT(笑)スポンサーさまが沢山ついてるのも特徴的。フェラ―ド(ブレーキ)、シビエ(ライト)、BP(オイル)、コニ(ダンパー)、シクリ(消火器)、インペカ(金属磨き剤)、トリコ(ワイパー)、今と違ってみんなクルマ関係なのがまたいーんだよ。 ディーノ246GTは、その名の通り2.4ℓV6エンジンをミドシップに横置き搭載した、現在のV8ミドシップ群の始祖ともいえる。当時フェラーリ・イコール・V12(前に置こうが後ろに置こうが)であったために、イメージ戦略上別ブランドとして、このコンセプトの発案者であるエンツォの長男の名前をとって「ディーノ」としフェラーリを名指すエンブレムの類は一切つけなかった。とはいえ、オプションでフェラーリやカバリーノ・ランパンテのバッジが用意されていたというから、結局「ディーノ」でも「フェラーリ・ディーノ」でもどーでもよろしいとゆー、如何にもイタリア的な扱いが現代ではオーソライズされてる。個人的には、エンツォが夭折した息子の名前をどーしても後世に残したくて名付けたじゃねーかと思うんだけどね、エンジンの気筒数がどーたらとか関係なく、ね。 フレンチドライバーの二人については、掘ってもたいしたエピソードが出てこねー。困った時の「レーシングスポーツカーズ」ウェブサイトで調べても、有名どころのレースリザルトとしては、ラフェッチは74年にポルシェで12位、ドンシューはこの246GTがベストリザルト。一応プロドライバーであるようだけれど、現代のドライバーカテゴライゼーションに無理くりに当てはめれば、まあまあよく言って「ブロンズドライバー」って感じ? さて、このモデル最大の問題点。アイドロンのロードバージョンより一回りデカい、なんてのは実はたいしたこっちゃない。一番の問題は、このクルマ、1972年のルマンに出てんのに、 外装も内装も何故か「1976年ルマン」ってことになってる。’76年なんて、新規にシルエットフォーミュラやらナスカーやらが大挙出場することになって、もはや小型小排気量が入り込む余地なんかない時代なのに。そんなこたぁ、チョチョっと調べりゃアホでもわかることなのに、なんで本場欧州のメーカーが気がつかんのかね?それをまた(当時のディストリビューター)京商が、なんも考えないでホイホイ出荷しちまう。考証ミスには厳しい目で接してるが、こんなアホみたいな凡ミスは珍しい。発売当時(13年前)に叩かれたかどうか知らんが、ブツのほうがまずまずの及第点なのにこんな下らないことでミソがつくのは許せんね。つか、腐してんのは、おめえぐらいなもんだろってか?(笑)
2019.09.30
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バブル期の社会人を簡素に表現すれば、それは「勇気のしるし」だろう。 今や、監察医である娘の長女をあやすだけの腑抜けたジジイに成り下がった牛若丸三郎太が、1989年に放ったCMソング「勇気のしるし」♪黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦えますか?♪今どきの若僧でも聞いたことがあるかも知れないが、ま~今のご時世なら即「ハラスメントだ!」とかSNSで袋叩きにされそうな歌詞である(笑)。が、当時はこんなことは極々当たり前のハナシだったけどね。 17時に定時が終わって残業4時間、ちょっと休んでそっからさらにサービス残業。テッペン過ぎてクルマすっ飛ばして帰宅して、3時間くらい寝てまた出勤と。当然いくら若かろうと疲労はたまるわな。そこを誤魔化してくれるのがドリンク剤。 当時の会社じゃリポD、ユンケル、リゲインとドリンク剤は選り取り見取り、組合事務所に常時在庫。真夜中に、夜勤でもない社員がドリンク剤買いに行ってんのに「頑張ってね~」ってふざけた対応は、おめーら組合執行部のくせしてサービス残業サブロク協定なんも考えねえのかよ!ってハナシだが、そもそも「病院行く元気あるなら、さっさと出社しろや」が上司の常套句だったくらいだから、まぁそーゆー時代だったのだよ。 今考えたらどー考えてもブラックだろうけど、SNSどころかインターネットすらなかった時代の情報共有なんて笑っちゃうくらいザルだから、きっとどこの会社でもこんなもんだろうってみんなが思ってた、とゆー。つか、ブラック企業って概念すらなかったわな(笑) とゆー与太話は置いといて「白地に青は。。。」のハナシである。 基本的に、ロードカーは買わないもんだから、ちょっと珍しいベース車両とレース仕様の揃い踏みツーショット。 なんだよ、アメリカン・クラシックはオシマイじゃねーのかよ、とゆーなかれ。確かにキャデラックだけれども、押しも押されぬルマン・カーじゃけえ専門範囲の通常営業よん(笑)スパーク1/43 キャデラック シリーズ61 クーペ・ドゥビル 1950 まずはベース車両から。 ここんとこキャデラックについては、年式は違えどシリーズ60S、シリーズ62とやってきたが、今回はシリーズ61、ちょうど60と62の間のグレードにあたる。モールの派手さやオプション装備の違いとか、細かいとこは各々あるものの、基本線は同一エンジンの似たり寄ったりのボディ外観で、ホイールベースが違うんだ、とゆーところを押さえときゃあ、アナタもいっぱしのキャデラック通(笑) まず全体のベース車両はシリーズ62、こいつがボディ・バリエーションも一番豊富で間口が広い。で、シリーズ61は、62の廉価版とゆーか装備が簡素で、替わりにショートホイールベースにして運動性能上げてます~的な位置取り。そいでシリーズ62S(シックスティー・スペシャル)は、ホイールベースも一番長くて内装も豪華、61と62よりもひとクラス上。日産でいえば62がフーガで61がスカイライン、60Sがプレジデントといったらイメージ湧くか? 上級アメ車らしいフロントの押し出しに、ロッキードP-38戦闘機にヒントを得たといわれる、リアフェンダーのエアスクープ(ダミーだけど)とテールフィンが特徴のザ・アメ車。スパークの商品名は「タイプ61クーペ」ってことなんだが、これピラーレス・ハードトップだから単にクーペじゃなくって「クーペ・ドゥビル」なんじゃねーかなぁ?多分だけど。スパーク1/43 キャデラック シリーズ61 クーペ・ドゥビル1950年ルマン24h 10位#3 サム・コリアー / マイルズ・コリアー 参加車両の半数がプライベーターだった1950年。キャデラックもその例に漏れず、アメリカの起業家でジェントルマンドライバーでもあったブリッグス・カニンガムが起こしたレーシングチームからのエントリー。アメリカ人によるアメ車でのルマン制覇って旗印のもとに創設されたチームゆえに、マシンカラーは(モタスポでの)アメリカのナショナルカラーである白地に青、とゆーわけ。 まあクルマ自体は見ての通り、ベース車両からレースで必要のないクロムメッキモールやリアタイヤのスパッツを取っ払ってライト増設と、基本的なことはやってる(空力考えたらリアスパッツは外さないほうが良かったんじゃね?と今の人間は思うぞ)。けど海外のサイトじゃこのクルマのことは大抵「吊るしのクーペ」って書かれてる。というのも2台エントリーのもう一台が、もう原形をとどめないほどモディファイされてるもんだから(あまりの奇っ怪さに現地で「ル・モンストル(怪物)」って言われちゃう)、それと比較して「吊るし」って表現にしたんだろうと思ってたんだが、どうやら然に非ず。なんと!ラジオやスピーカーは外さずに「アメ公ってラジオ聴きながらレースすんだってよ!」と大いに馬鹿にされたってハナシが残ってるくらいだから、ホントに外観だけレーシングカーっぽく仕上げたのかもしんないね。 因みにこのマシンにゃ「吊るし」じゃない正式な愛称がある。ボンネットの星条旗の下にも書いてあるんだが、仏語で「プチ・パト(PETIT PATAUD)」。フランスの自動車評論家(誰だか知らん)のニックネームにちなんでつけられたその愛称は、英語にしたら「Clumsy Pup(不細工な子犬)」いくらアメリカじゃこれはフルサイズじゃないですよ、ショーファードリブンじゃなくてドライバーズカーなんですよっつったって、このバカでかいキャデラックを称して「子犬」って、一体どーゆーセンスしてんだ?ってハナシ。 総合優勝車のタルボ-ラーゴT26GSと比べたってこのデカさ。スパークの標準ケースにゃ収まりません(笑) そんな「吊るし」でも総合10位(クラス2位)。つか、クラス2位っつったってS8.0ってクラス自体のエントリーが3台だもの。しかもその3台は全部キャデラックの5.4リッターエンジン車で、つまるところキャデラック参戦のために新設されたよーなもん。でも台数が少なくたって、それと完走できる出来ないは別のハナシだけどね。 レースの中盤、たまたま迷い犬がコースを横切ったところにぶち当たって、緊急回避してエンストしちゃったとか、レース終盤ガス欠で息も絶え絶えにピットに戻ってきたとか、それよりなによりレースの相当早い段階で1速と2速ギアを失ってたとか、いろいろあっての完走だからね。そういった意味じゃ、完走イコール上々な出来でいーでしょう。 んで、この「不細工な子犬」号をフィニッシュラインまで導いたのは、サム・コリアーとその兄マイルズ・コリアーの兄弟。サム・コリアーとチームオーナー、ブリッグス・カニンガムとはエール大学の同級生。兄弟の実家のコリアー家ってのは、フロリダの名家(昔からか一代で成り上った家柄かはわからんが)で、二人の父親バロンは、ニューヨークで成功したのちフロリダに広大な土地を買ってそこを宅地開発し、街ひとつ丸ごと作っちゃった人物で、その地域を指すコリアー・カウンティ(郡)に名前を残すほど。 そーゆー名家のお坊ちゃんでレーシングドライバーなんてぇと、これはもう箸にも棒にもかからないドラ息子ってのが相場だが、ところがどっこいサム・コリアー。ちゃんとエール大学を出て(在学中は優等生の学内結社「スカル&ボーンズ」に在籍)、WWⅡ時は空軍パイロット、戦後は路面電車の広告収入で財を成した。 さらに自動車好きのサムは、マイルズ兄やブリッグスと共にモタスポ発展のために「オートモビル・レーシング・クラブ・オブ・アメリカ(ARCA)のちのSCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)」を設立しちゃったりしたパイオニアだ。 そんな「駆け抜ける人」に待っているのはたいてい悲劇。ル・マンから僅か3か月後のワトキンス・グレン耐久レースで、サム・コリアー駆るフェラーリ166はコースを外れ帰らぬ人となった、享年38歳。 サム・コリアーがコースオフした場所には記念碑が建てられ、その死を悼んで始まったのが現在も開催される「セブリング12時間レース」。第一回1950年は「サム・コリアー記念6時間耐久レース」という名称だった。 とゆー、ナショナルカラー・キャデラックをめぐる長話、ここに全巻の終了。つっても「ブリッグス・カニンガム」や「白地に青」はまた出てくるかも知れんけど。
2019.09.25
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ルマン24hを世界選手権のクライマックスにするためにヘンテコに捻じ曲げられたWEC2018-19スーパーシーズンが終わったね。今年のルマン24hの細かいことに関しては、月末にBSフジでダイジェストやるからそれを観るとして、とりあえず「別格」のトヨタが2年連続で1-2フィニッシュ。まぁ如何にトヨタ無双を揶揄されたとて、レーシングスピードで24時間無事に走り切るのはまた別の話だから、ライバル不在だろうがそれが連覇を貶める理由にはならんだろう。 ただ個人的には今年は7号車にトップチェッカー受けてもらいたかったんだがな。だってスーパーシーズンのおかげで、去年のルマンと同一レギュレーションだから見た目あんま変わりないじゃん(笑)蒐集しがいがないってゆーかさぁ。 でも逆に言ったら、これって去年のマシンと同一シャシーってこと?つーことはなにか?史上3台しかない同一シャシー連覇車(GT40、ポルシェ956、WSC95)の仲間入りかい?そりゃすげーな!ま、そこらへんがホントかどーかは、三栄書房がムック出すだろーから、そこで調べてからだな。 今年もスペシャルカラーで参戦のポルシェGTチームだが、去年はポルシェ70周年記念カラーとゆーことで、ルマンに所縁の深いぶたさんカラーとこのロスマンズっぽいカラー。なので1982年に初登場初優勝した最初のロスマンズカラー956と。スパーク1/43 ポルシェ911RSRルマン24h 総合16位(クラス2位)#91 リヒャルト・リーツ/フレデリック・マコヴィッキィ/ジャンマリア・ブルーニ 創業70周年にあたる去年のルマンはクラス1-2フィニッシュのうしろのほう。今年は逆にクラス2位で92号車(5位)に先んじたんだが、日々のポイントの積み重ねで負けてさらに大量得点システムのルマンで1位とったフェラーリ488Evoにも徳俵でうっちゃられて、シリーズ3位に後退して閉幕(あちゃ~) ぶたさんはぶたさんで色々と逸話があるけれど、どっちかってーとやっぱロスマンズだよねぇ~。まぁ通年でこのカラーじゃないからどーでもいいっちゃいーんだけど。 けどでもロスマンズトリビュートで作られたこのマシンだけども、細かいところでちょっと「ん?」ルーフからテールにかけて引かれたラインとフロントガラス前のヨダレ掛けは本来同居しない。82年に登場したロスマンズ956は前述の集合写真のよーにルーフのラインはないっしょ。翌年からはデザイン刷新でルーフラインを引いた替わりにヨダレ掛けを撤廃。911の外観で82年デザインはまず無理だし、ヨダレ掛けをやめちゃうとエンジンフードがただただ真っ白でマヌケになっちゃうから、間をとってこのデザインよってことなんだろう。 911伝統のRRを捨て去って戦闘力が復活したRSR。スタビリティとタイヤの摩耗に一日の長があるとのこと。ならば市販車の911もそうしちゃえばいいのにって思うのは真のポルシェファンじゃないからだな。そもそもリアミッドだったら718買えよってゆーハナシか(笑)
2019.06.18
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このモデルの発売アナウンスが流れた時、きっと誰もがブログでやんだろうなーとか思ってたんだが、意外と誰もやってないツーショット。 ぶたさん二匹(笑)今回の主役は手前のぶたさん(911)で、奥のぶたさん(917)は随分と前に記事にしたので今回は割愛。スパーク1/43 ポルシェ 911 RSR2018年ルマン24h GTプロクラス優勝#92 ミハエル・クリステンセン / ケビン・エストレ / ローレンス・ヴァンサー バンパー下部やリアウイング翼端版にもチョロっと書いてあるんだけど、2018年はポルシェ創業70周年にあたる。アニバーサリーモデルとして「911スピードスターコンセプト」を発表したり(のちに1948台限定販売~創業年と同じ1948~ってのがキモだな)日本でもなにやらアニバーサリーフェア的なことをやったらしいが、そもそも外車ディーラーなんぞにとんと縁がない身にはよくわからん。 そしてルマンには、70周年のトリビュートとしてこの「ピンクピッグ」カラーが登場。 1971年の917/20は、あまりにブサイクなためにスポンサーのマルティニから、頼むからこのぶたみたいなマシンに、マルティニのマの字もストライプも書かんでくれと懇願されて、そんなにぶたぶた言うならいっそぶたにしてしまえ、と言ったとか言わなかったとか。そんなバックグラウンドを持つカラーリングをあえて「トリビュートする」ってえのが、ウィットに富んでていいねえ。 71年の917/20ぶたさん号は3位まで順位を上げるもレース中盤にブレーキトラブルでアルナージュでクラッシュしリタイアしちゃうんだが、47年後、勝つためにはRRをも捨てたRSRぶたさん号は、順調に周回を重ねて総合15位、5年振りのクラス優勝で、雪辱を果たす。 いや雪辱を果たすも何も、マシンが全然違うんだから雪辱もへったくれもあったもんじゃねーが、ま、そう書いといたほうが納まりがいいからさ(笑)
2019.04.26
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昨年の自動車レース全般の10大ニュースは人それぞれあろうが、誰のそれでも上位に入ってるだろうニュースはトヨタのルマン勝利だろう。1985年にグループCカーで参戦して以来、GTカーやなんちゃってGTカーの時代を経て(日本では印象の悪いディーゼルは全休)やっとこ表彰台の頂点に立った。グループCターボについてはちょっと前に簡単にまとめたんで、今回は新世代グループC以降のあれやこれやとともに。1992年のTS010から2018年のTS050まで代表的なヤツをざっくりと。hpiレーシング1/43 トヨタTS010 "1992年ルマン24h 2位"#33 関谷正徳 / ピエール=アンリ・ラファネル / ケネス・アチソン ルマン制覇に繋がる始祖、NA3.5ℓエンジンのTS010。世界のレースで戦ってる実績重視で採用したグッドイヤーのレインタイヤが不発でトップから大きく離された状況打開のため、エンジン出力向上が見込める予選用ガソリンの投入を決める。それで一周7秒ものタイムアップを図ってトップの猛追するものの、予選用ガソリンの使用が祟ってエンジンにクラックが入り最後は3位とのギャップを睨みながらのペースダウン走行で、なんとか3位プジョーを振り切っての2位表彰台。ターボグループC時代の遺物のよーなリアタイヤのスパッツがなんか泣かせる。hpiレーシング1/43 トヨタ TS010 "1993年ルマン24h 4位"#36 関谷正徳 / 鈴木利男 / エディー・アーバイン 前年の雪辱を果たそうと改良を加え、仕上げに前年足を引っ張ったグッドイヤータイヤにおさらばして臨んだものの、エンジンのパワーアップにミッションが耐えられず出場3台すべてがレース中ミッション交換を余儀なくされた体たらくでやすやすとプジョーに逃げられ4位が精一杯。好みの問題だがスパッツないほうがいいよね。こののちルマンはGTカーへと舵を切ってトヨタのスポーツカーの次の出番は、純正GTカーのあとの所謂なんちゃってGTの時代。ちなみに「TSなんちゃらのTSはトヨタスポーツの略と思われがちだけど、実はデザイナーのトニー・サウスゲートのTSのことなんだぜ」「だからそれを慮ってアンドレ・デ・コルタンツがデザインしたTS020はGT-Oneって呼ばれてんだ」などと訳知り顔でウソ吹聴してたのは内緒のハナシ(笑)hpiレーシング1/43 トヨタ GT-One TS020 "1998年ルマン24h 9位"#27 片山右京 / 鈴木利男 / 土屋圭市 前述のよーにサウスゲート・デザインじゃなくてコルタンツ・デザインだから、トヨタTS020じゃなくてトヨタGT-One、とゆーのはジョーダンで。グループCが滅んで、次は市販GTベースでレースねって決めたのに、いつの間にやらレースカーベースで市販車作るって本末転倒ぶり。そこに乗っかって作ったTS020はしかしライバル(ポルシェ911GT1とかメルセデスCLK-LM)に比べて徹底的にレースカー側に振り切ったデザインどーやったってナンバーつけて公道走ります、にはなんねーだろ。このマシンの登場が市販車とレースカーの教会を綱渡りしていたGT1カテゴリに引導を渡したといっても過言ではなかろう。しかしこんだけレースカーに振った空力は抜群の速さを生み出すが、それが諸刃の剣でミッションがもたなかった。トップ走行中の#29号車は残り1時間15分とゆーところでリタイアの憂き目にあい、唯一生き残った#27号車の9位が精一杯。hpiレーシング1/43 トヨタ GT-One TS020 "1999年ルマン24h 2位"#3 片山右京 / 鈴木利男 / 土屋圭市 前年の課題を改善して速さもオッケー信頼性もオッケー、優勝大本命でむかえた1999年だったが、今度はレーシングアクシデントに見舞われて優勝を逃す。#1号車はコースオフしてクラッシュ、#2号車は追突されてリタイア、#3号車はファステストラップ連発でトップ猛追中にタイヤバーストして2位フィニッシュ(LMGTPクラス優勝はしたけれど)並べてみるとちゃんと似て非なる98モデルと99モデル。のちにF1マシンでも使われるブラッシュストロークの98モデルはなんとなくA5クラスの霜降り肉を思わせてなんかね~それよかどっからみてもマルボロスポンサードな99モデルがすっきりしてて良い。戦績も上だしね。スパーク1/43 トヨタ TS030 ハイブリッド "2012年ルマン24h DNF"#7 アレクサンダー・ブルツ / 中嶋一貴 / ニコラス・ラピエール 2000年からF1にむけて舵を切りスポーツカーとは無縁だったが、結局2位を最高位としてリーマンショックに起因する業績悪化によってF1を撤退、13年振りに耐久畑に戻ってきた。業績不振でF1辞めといたくせになんだよってハナシだが「ハイブリッド」とゆー技術が決定打だったんだろうと思っておる。アウディ王朝を築いたディーゼル技術に関しちゃ、日本では某都知事のせいで悪者扱いだからな。そこに盾突いてディーゼル礼賛してんのはカーグラくらいなもんだろう。それはともかく環境だの燃費だのゴチャゴチャうるせー時代に「ハイブリッド突き詰めます」はメーカーとしていいアピールなんだろう(個人的にはハイブリッドにもEVにもちっとも魅力を感じないんだが) ハイブリッドイコール電気って判りやすいイメージで採用されたであろう青地に放電スパークが走るカラーリバリーなんだが、ミニチュア的には単にデカールがひび割れてるハズレ品?って思える(笑) 13年ぶりの復帰戦は、僚機#8号車はフェラーリとぶつかって宙を舞い大クラッシュ、#7号車は日産デルタウイングとぶつかったのちエンジン壊して万事休す。スパーク1/43 トヨタ TS040 ハイブリッド "2014年ルマン24h 3位"#8 アンソニー・デビッドソン / ニコラル・ラピエール / セバスチャン・ブエミ ルマンは3位だったけれどルマンの大元の世界耐久選手権(WEC)で常勝アウディ・ポルシェを打ち破ってドライバー(デビッドソンとブエミ)及びマニュファクチャラー両部門でチャンピオン獲得した初めての日本車とゆー結構すごいクルマなんだが、多分9割強の日本人はまったく知らないとゆーモタスポ後進国あるある(笑)スパーク1/43 トヨタ TS050 ハイブリッド "2016年ルマン24h NC"#5 アンソニー・デビッドソン / セバスチャン・ブエミ / 中嶋一貴 二冠達成のTS040よりも2018年初優勝のTS050よりも多分有名であろう「アイ・ハブ・ノー・パワー!」でお馴染みの2016年仕様のTS050、24時間レースの23時間53分30秒まで優勝確実だった悲劇のクルマ。。。といっても日本の約85%は知らんハナシだろうが。アウディ・ポルシェ・トヨタと三者揃い踏みだったこの年こそ勝っておくべき年だった。優勝を逃したのは結局#5号車がトラブったからだが、せっかく1-2体制を築いておきながらそれを台無しにした小林可夢偉の不用意なコースオフがA級戦犯と個人的には思っておる。1-2のまま最終版までいけたなら、たとえ#5号車がストップしたとて後詰めの#6号車が難なく優勝できただろうに。1-2体制になったら後ろはサポートに徹しろとマネジメント出来ないあたりが、人がしょっちゅう入れ替わる経験の浅いサラリーマンチームの限界だな。スパーク1/43 トヨタ TS050 ハイブリッド "2018年ルマン24h 優勝"#8 セバスチャン・ブエミ / 中嶋一貴 / フェルナンド・アロンソ だいたい2年サイクルでモデルチェンジするのに3年目も引っ張るのはよほど自信があったのか、アウディ・ポルシェがいないのに新車の開発は不要と思ったのか。。。いずれにせよ、初参戦1985年から苦節33年、やっと頂上に辿り着いたTS050。日本人がドライブする日本車が優勝するのは史上初。日本人がドライブする日本車が1-2フィニッシュするのも史上初。もひとつ言えば、こんだけ史上初の快挙なのに母国で完無視されたのも史上初だろう(笑)そこら辺歩ってるリーマンでもOLでもJKでも捕まえて聞いてみな、みんな知らねえってゆーから。つかルマン自体知らねーだろ彼奴等は。 アウディもポルシェもいない優勝は価値半減と言えなくもないが、別次元の速さでライバル不在とか評されてもバックマーカーにぶつけられれば簡単にリタイアだし、世界的な舞台で勝って当たり前と言われて勝ち切る難しさは2016年で嫌とゆーほど経験しただろうから、まあここは素直にめでたいと言ってやろう(どこから目線だよ)
2019.01.13
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LとVと云やあ世間一般、特に女子の間では圧倒的にルイ・ヴィトンを指すんだろうね。世界的ハイエンドブランドであることはアパレルファッションに疎い人間でも理解できるが、正直あれのどこがいいのかわからんね。財布を新調しようかとショップにも足を運んだこともあるが、国産ブランドATAOのリモヴィトロのほうが(あまり持ってる人間がいないって点も含め)全然良いねんって思ったさ。 とか、別にブランド談義をするわけでは当然なく、ココでL・Vとか言ったら全然意味がちゃうねんっつーハナシ。要はL=直列エンジン、V=V型エンジンってことよ。 70年という月日が流れた8気筒エンジンを心臓に持つ二台のアルファロメオ。今や飛ぶ鳥落とす勢いのミニカー業界リーディングカンパニーの最新作と、その座を奪われた元王者の旧作の組み合わせ。スパーク1/43 アルファロメオ 8C 2300MM1933年ルマン24h 優勝#11 レイモンド・ソマー / タツィオ・ヌヴォラーリ スパーク最新作とはいえ、こんな古いクルマ何を語ればいいか皆目わからぬ、つか情報なさ過ぎ。ヌヴォラーリとかヴィットリオ・ヤーノとか、カーグラTVで古谷徹がナレーションしそうなキーワードは掘れるけれどノーズを黄色くしてる理由とかすら出てこねーよ。 1950年代早々、ルマンで4連覇した8C2300はその名の通り8シリンダーエンジン2.3ℓスーパーチャージド。しかもその8気筒エンジンはいまや絶滅種の直列8気筒!。そのエンジンから142PSを絞り出して時速200キロを達成した(らしい)。スペックだけみりゃあ今じゃそこら辺の4気筒だって楽勝な数字だけど、それを路面に伝えるタイヤはご覧の通りの超細身だかんね、こんなタイヤで時速200キロなんてとっても出来ねーよ。そりゃエンツォがヌヴォラーリに惚れこむわけだあな。 クルマ自体があまりの古さに、ミニチュアでの再現度とかちっともわからんが、ものの出来映えはチョーいい感じ。単純にカッチョいい。情報過多に溺れると、あそこがどーのここがどーのと重箱の隅を突っつきたくなる性分だが、たまにはそうした色眼鏡なしにモデル自体を楽しむってこともいいもんだ。ミニチャンプス1/43 アルファロメオ 8C コンペティツィオーネ 2003 8C2300MMから時を経ること70年の2003年のフランクフルトショー。70年を節目と思ったのか判らんが、アルファロメオが8Cの名を冠した2シータークーペをアンベール。SZ/RZの終了からもちょうど10年、いろいろ区切りがいい年だったのかも知れん。 ベースはマセラティ3200GTで、エンジンは3.2ℓV8ツインターボのコンセプトモデル。3年後のパリ・サロンで量産型が発表されたときは、ターンランプまわりの意匠やホイール形状が違ってるがほぼコンセプトモデルとおりの外観。 大きな違いとしては3.2ℓV8ツインターボから4.7ℓV8自然吸気への変更。 販売開始早々に完売しちゃって実物を眺めることはかなわないが、現行ラインアップでは4Cが似てるといっちゃあ似てる(特にフロントまわり)。いずれもカッコいいんだけど、日本の場合はナンバープレートの位置が雰囲気ブチ壊しなんだよねー(笑)。
2018.11.13
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「非常に強い」台風24号が列島を駆け抜けると、そこは10月であった。錦秋の候などという挨拶は、メールだSNSだ全盛の昨今にあってはほぼ死語だろうが、そーゆー季節になるとレース界ではそろそろチャンピオンも決まろうかとゆー天王山やら大団円やらが待ちかまえる実りの時期を迎えるわけだが、WECについては今年は変則1年半とゆースパンでのシリーズになるのでチャンピオン云々は来年に持ち越しとなるわけだが、まあWECの場合シリーズチャンピオンがどーのとゆーよりは本来シリーズの一戦であるはずのルマン優勝のほうが格上とゆーか(笑)つまりは来年6月まで戦ってどこがチャンピオンになろうが、そんなことより今年のルマン優勝車のミニチュアはどー考えても外せないとゆーわけで、トヨタ・ポルシェともども年末発売を楽しみに待つばかりである。(アシェットで799円で売りだしたが、スパーク製とはいえそこはやっぱ廉価品なんでね、無視無視、見ないようにしとこう)で、発売予定がずれ込まないとしてあと2ヶ月、その間にトヨタのルマン挑戦を大雑把に纏めておこう、と。 ざっくりトヨタの歴代グループC。厳密にはトヨタがあんま噛んでない、パーツは売るが活動自体は知らんぷりなのも含まれるけど。スパーク1/43 トムス 85C-L "1985年ルマン24h 12位"#36 中嶋悟 / 関谷正徳 / 星野薫 トヨタのルマン初挑戦。とはいうものの、実態は童夢の開発した車両をトムスが運用したもの。エンジン始めトヨタパーツを提供して入るものの、トヨタサイドは積極的には参加せず。メインスポンサーのレイトンハウスも出来たばかりのブランドで活動実体なしの怪しさ全開。トヨタがチーム運営に全面的に参加してたら、果たしてこんなペテン師まがいのブランドを冠スポンサーにしたかどうか(笑)始めてのルマンは大事に走って望外の完走。スパーク1/43 トムス 86C-L "1986年ルマン24h DNF"#36 ジェフ・リース / 中嶋悟 / 関谷正徳 85C-Lの改良版86C-L(とゆーか85Cも本を正せば童夢84Cのマイチェンだ)本来、国内レース同様ミノルタカラーで参戦予定が、どこから横槍が入ったのかレイトンハウスがタイトルスポンサーになり、現地のガレージで急遽化粧直しを敢行。85C-Lからダイエットに成功しエンジン馬力もアップ、前年以上の結果が期待されたが当時のルマン名物市販品レベルの低いオクタン価の粗悪ガソリンのおかげで所定のパワーも出ず、始終無理した走りを強いられてエンジンがギブアップ。スパーク1/43 トヨタ 87C-L "1987年ルマン24h DNF"DNF#36 アラン・ジョーンズ / ジェフ・リース / エイエ・エルグ 前年までのトムス(や童夢)の単独エントリーに変わって「トヨタチームトムス」としてエントリーし、昨今の大相撲のようにあからさまに童夢外しを行う。(86年、残り2時間の時点で生き残っている童夢車に対して観戦に来ていたトヨタ重役が「このままピットに留まってラスト一周走って完走させろ」と迫ったら「そんなものはレース道ではない!」と聞く耳持たずピットアウトさせて2周後にエンジンが壊れた)(Cカー開発をトヨタ陣営主導にすべく童夢の設計担当をトムスに移籍させた)まぁバックにワコールが控えている(当時)とはいえ街のレース屋風情が大トヨタの重役に盾突いたのが大きかったな。 当時のワークスカラーたるミノルタカラーでサルテ初見参もスタート1時間半でガス欠でリタイア。ところで、マシン名称の「C-L」の「L」85、86ではショートテール仕様も存在するから「L」はロングテールの意味かとも思うんだが、とすると87の場合はどーなのよ?まあ、のちのちV型エンジンを搭載すると「C-V」となるから「L」は直列エンジン搭載を意味するのか(直列をLと略すのは日本独特で世界的にはインラインのI)であるなら、困っちゃうのが・・・スパーク1/43 トヨタ 88C "1988年ルマン24h 12位"#36 ジェフ・リース / 関谷正徳 / 星野薫 基本、87C-Lのモノコック床をカーボンに変更しただけの88C。多分スパークの金型も87C-L部分修正でやってんちゃうか?なのに何故か前年同様ロングテールじゃなくて直4エンジンなのにC-LじゃなくてただのC。LはルーズのLだから、とかいう発想で3年連続リタイアを防ぐべくゲン担ぎで名称変えした、とか?今となってはもうわからんな。 当時のルマンはマシン開発速度が現代に比べて緩くて、何年もマイチェンを続け熟成し覇を競うのが当たり前の時代。数えて4年目の88Cも単純な一発速さとゆー観点ではジャガーやプライベーターポルシェと肩を並べるまでに成長し、予選はシングルグリッド8位。ただし決勝は、3年連続リタイア回避を至上命令にペースを落として走行。それでもシングルフィニッシュは狙えるとの読みは外れて、アクシデントにも会わず淡々と走ったにも関わらず12位フィニッシュ。この結果に業を煮やしてとゆーべきか、満を持してとゆーべきか、とにかくトヨタがついにテコ入れを始める(実際にはトヨタの横槍は87年からだけど)バグジーズ1/43 トヨタ 88C-V "1988年JSPC富士1000km 22位"#36 関谷正徳 / 鈴木恵一 / ジェフ・リース ルマン直後のJSPCでデビューを果たしたトヨタの88C-V。Vの名の通り3.2ℓV8エンジンを搭載。モノコックもカーボン製、およそ5年の歳月をかけて熟成を進めたトムス(童夢)色を完全に払拭するかの如く、サス構成も補器の取り回しも徹底的に変更。要するにオールブランニュー。これまでのデータは全く使えず重くて遅い88C-Vにドライバーは思わず「88Cに戻そうぜ」Cカープロジェクト全体からすれば完全に足踏み状態。 WSPC第10戦WEC in JAPANを兼ねて開催されたJSPC第6戦で予選は5位に食い込むものの決勝はミッショントラブルで最下位完走に終わる。「納期遅れや商品ショート、発売中止など業界の悪癖をぶち壊す」と豪語した割には、亜流の64や32スケールに逃げてばっかで本流43スケールには全く後ろ向きなバグジーズ。偉そうに大風呂敷ひろげたくせに先細りで笑っちゃうね。ま、それまでどこからも出てなかった88C-Vを出した(それしか出せなかった、の間違いか?)メーカー、評価できるのはそこだけ。スパーク1/43 トヨタ 89C-V "1989年ルマン24h DNF"#36 小河等 / パオロ・バリラ / ロス・チーバー 88C-Vの進化型だが、リアセクションの形状によるものか、なんとなくモサっとした印象を個人的には受ける。ルマンはたったの45周でエンジンがイカレてリタイア、僚機#37号車もドライブシャフト破損で58周リタイアとまったく勝負できず。トムス(童夢)で積み上げた経験が全部チャラになっちゃった感満載の89C-Vだが、国内JSPCでは一時ランクトップに躍り出るシーンもあったから旧態然となったポルシェ962Cとの差は縮んできたのかもね。イグニッションモデル1/43 トヨタ 90C-V "1990年ルマン24h 6位"#36 ジェフ・リース / 関谷正徳 / 小河等 毎度おんなじ前年型進化系の90C-Vだけど、なんかやぼったくて重たい印象だった箱型リアエンドセクションをスパっと潔くやめちゃってすっきりかっきりイイネ。4灯を斜めに配置したキャッツアイ型ライトもやめて横一線の4灯としたのも男前。ま、入賞したからカッコよく感じるのかも知んないけどね(笑)前年、スタートから4時間もしないで全滅したことはメーカーの沽券に係わるとばかりに、予選でポールを狙うなどというおこがましいことはせず決勝セッティングに徹し、その決勝もペースを守って無理をせず完走狙い。ただ90C-Vはそれまでのマシンよりもちょこっと速さと地力(と運)があった。のこり15分で2位ポルシェがリタイアの恩恵で6位に繰り上がりルマンでトヨタ初入賞。速さがあるってのはセンシティブでもあるって側面もあり(ホントは速くてもドライブが楽なのが正解だが)そこを嫌って国内では終盤使われなくなっちゃった。イグニッションモデル1/43 トヨタ 92C-V "1992年ルマン24h 9位"#34 ローランド・ラッツェンバーガー / エイエ・エルグ / エディー・アーバイン 理由は知らんが91年はルマン不参加(例の3.5ℓNA規定の関係?)だったので、国内専用91C-Vの名前を92C-Vに変えて参戦。運営はサード。プライベーター感満載の小口スポンサーがいい味醸しだしてるわ。 すでにトヨタの軸足は新規定C1(TS010)へ移行しているため、010がコケた時の後詰め的な役割を完ぺきにこなしてC2クラス(旧グループC)2位!とはいえC2クラスは全部で3台しかいないんだけどね。イグニッションモデル1/43 トヨタ 93C-V "1993年ルマン24h 5位"#22 ローランド・ラッツェンバーガー / マウロ・マルティニ / 長坂尚樹 相変わらず新規定C1クラスは不人気、プジョー・トヨタ3台ずつしか集まらず、頭数合わせのために旧グループC車両が駆り出される。見りゃわかる通り、93C-V≒92C-V。前年とは違ってC2クラスは大盛況のなかでのクラス優勝は、ケイゾクは力なり、とゆーことかね。 カンケーないが、この白地に紺金のカラーリングは、今期開幕4連勝で絶好調なNFLロサンゼルス・ラムズみたいで個人的にイチオシ。スパーク1/43 トヨタ 94C-V "1994年ルマン24h 2位"#1 エディー・アーバイン / マウロ・マルティニ / ジェフ・クロスノフ FIAが大鉈を振るった3.5ℓNAエンジングループC構想は、FIA以外の誰もが予想した通りたったの2年で瓦解し(笑)、LMPクラスと名を変えて再び旧グループCの出番となる。となれば、NAグループCの傍ら延々ターボグループCも続けていたトヨタが大本命となるはずだったが、海千山千のポルシェは962CをLMPよりも規制緩和されたGT1クラスのマシンに仕立ててきた(ダウアーポルシェ962LM)レースはトヨタ・ダウアー2台ずつ計4台がっぷり四つからダウアーがトラブルで後退しトヨタワンツーで推移していくものの、トヨタも1台がトラブルで後退、#1号車が残り38分(残り2時間説あり)までトップ走行するが、シフトリンケージトラブルでコース脇にストップ。ジェフ・クロスノフがエンジンカウルを開けて手動で強引に3速にブチこみなんとかピットへたどり着くも18分を要しダウアー2台に抜かれ3位に後退。交代したエディー・アーバインの鬼神の追い上げで、ラストラップの最終コーナーでシェルカラーのダウアーを強引に抜き去っての2位。 マシンには1ヶ月前のF1サンマリノで事故死したローランド・ラッツェンバーガーの名前も書きこまれており(実際搭乗予定だった)、ラッツェンと共に日本で戦ったガイジンドライバー3人は何を思ったんだろう。トヨタにはラッツェンといい小河等(92年)といい、この後もクロスノフ(96年)、もっと言えば福澤幸雄(69年)、トヨタに乗ってての事故死は幸雄のみだが、なんか弔い合戦的な色合いがあるなぁ。日産にはそーゆー逸話はないよねえ、不思議だ。 94C-Vはもちろん本を正せば91C-Vなんだが、ロングテール化されてて、ストーリーを持ってるクルマだけど実はそれほど好きじゃなかったり(笑) とか、トヨタのターボグループCをざっくり括ってみたけど、まー長いねm(__)mスマンそのうち日産もやるつもりだけど、こんなに長くならないよーに注意しよう。
2018.10.09
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最近、すっかり集合写真が板についた、とゆーか。まあ、ミニカー趣味ってえのがそもそも現在進行形とゆーよりも過去へのノスタルジアで出来上がっているよーな趣味だから、とある時代のとあるクルマとゆー括りに成りがちなのは当然の帰結とゆーことになるわけで。 3台のうち2台はかなり昔の製品になるわけだが、どうせなら3台まとめてとゆー思惑の元に延々ストック状態にしていたプジョーのCカー(1993年のルマン3位#2号車はネタ出ししたと思うけど)スパーク1/43 プジョー905 Evo1 "1991年ルマン24h DNF"#5 マウロ・バルディ / フィリップ・アリオー / ジャン=ピエール・ジャブイーユ まあ905とその派生型の表記については諸説あんだけど、ここではわが教科書であるレーシングオン誌の表記を用いる。即ち 905:シェイクダウンからプレシーズン的に世界選手権SWPC最終2戦に参戦した1990年車。 905 Evo1:世界選手権SWC1991年開幕戦から第4戦ルマンまで。 905 Evo1 bis:第5戦ニュルブルクリンクから年を跨いで1992年最終戦まで。 905 Evo1 C:1993年ルマン参戦車(世界選手権は開催されず)という線引き。その線引きに沿ってまずは905 Evo1。 グループBがWRCから締め出された後パリダカを舞台としたプジョーが次なる戦場として選んだのはルマン24時間を含むスポーツプロトタイプ、スポーツカーの世界だった。その視野の先には当然F1があったわけだが、とまれプジョーといえばラリー、オフロードとゆーイメージだったプジョーがついにオンロード、サーキットレースの舞台に上がったわけだ。 グループCとはいえ、それまでの燃費規制ルールに則ったポルシェ962Cなどとは一線を画す、スピード重視(それゆえに選手権シリーズから「耐久」の文言が消えたわけだ)の次世代グループCカーらしく空力を煮詰めて、従来ボディの一部を切り欠いて開閉していたドアもサイドウィンドウ部分のみが開閉する(のでドライバーの乗降は常にアクロバティック)形状に見直し、キャノピーの専有面積を狭めてなるべく多くのエアがカウル上面からリアウイングへ導かれるようにした。とはいえデビューしたてのスピードカーが24時間の耐久レースを完走できるはずもなく、翌年以降のデータ取りの意味合いの強い玉砕覚悟の1991年のルマン参戦であり、実際ポールポジションを取り存在感を示すもたった22周でエンジンから火が出てリタイアした。 905の話題のひとつといえばF1王者ケケ・ロズベルグの参加があって、ミニカー商品的にもケケ操る#6号車の売れ行きがいいようだが、私的にはどっちもリタイアならトポックス重視でPP獲った#5号車っしょ。出来のいいスパークの905だけど一か所だけ、フロントのエアスクープ内に装着された縦幅の薄いフロントライトじゃなくてノーズの黒三角部に2灯ずつ仕込まれた仕様にして欲しかったなぁ。まぁ決勝では大活躍する間もなく終わっちゃうわけだからいいっちゃあいいんだけどね。スパーク1/43 プジョー905 Evo1 bis "1992年ルマン24h 優勝"#1 デレック・ワーウィック / ヤニック・ダルマス / マーク・ブランデル 従来のグループCカーとは一線を画すつもりで作った905であったものの、いざ1991年にSWCが開幕してみるとその尖ったと思われた905ですら「結局グループCの枠組み内だよね(笑)」と思えるくらい振り切っちゃったマシン、F1マシンにガワを被せただけのジャガーXJR-14が登場。ジャガーのあまりのブッ飛びぶりにこりゃアカン!とプジョー陣営は突貫工事で905 Evo1を煮詰め直して同じ系譜とは思えないほど変容したEvo1 bisをルマン直後の91年第5戦にデビューさせる。カウル上面に開けられたラジエーターのエアインテーク、大型の2枚リアウイングなんかは目一杯ジャガーの影響だろう。とはいえ91年のSWCタイトルはジャガーにさらわれ、今年こそと挑んだ92年シーズンにはジャガーはいなかった。メインスポンサーのシルクカットが降板し、それに代わるスポンサーが見つけられなかったためSWC参戦を見送ったのだった。ジャガー不在でにわかにライバルに仕立て上げられたトヨタTS010など歯牙にもかけず(車体とゆーよりレインタイヤの性能が生死を分けた)6ラップ差をつけて優勝を飾った。スパーク1/43 プジョー905 Evo1C "1993年ルマン24h 優勝"#3 エリック・エラリー / クリストファー・ブシュー / ジェフ・ブラバム 先の#1号車の僚友ではない。れっきとした1993年のルマンで勝った905のC仕様である。とはいえガワはほぼEvo1 bisと同じであり、変わったのは中身。プジョー陣営は92年の終盤に、93年シーズンを戦うべくまったく新しい空力を取り入れ、その風貌から「最も醜いCカー」と言われるEvo2をデビューさせるが、攻めた設計が災いし大した速さは見せられずに終わる。翌93年はエントラント不足でスポーツカーシリーズ自体が消滅しEvo2は当然お蔵入り。ルマンのみ単独開催される状況で、Evo2に新規採用された6速セミオートマと横置きトランスミッションがEvo1 bisに移植されたのである。ライバルは再びTS010。去年タイヤにやられたからと、タイヤをグッドイヤーからプジョーと同じミシュランに変更してやる気満々であるが、その実、開発時からの弱点であった駆動系はまったく手を入れずとゆーアホをやらかし自滅。プジョーはもう行く当てのなくなった新生Cカーを、母国フランス1-2-3フィニッシュとゆーこの上ないカタチで締めくくり、F1へと去って行った。 とまあ、こーゆーハナシを知っているとまだマシだけれど、見た目まったく変わらずただゼッケン違い、みたいなミニチュアは、このご時世なかなかキビしい。そこには例の「オールフレンチ賛歌」が無意識の中に潜んでいるんだろうが、せめて翌年は大手スポンサーをつけてトタルの赤にするとかロトジタンの青にするとかなんとかなんなかったのかねえ。。。(そゆとこは同じ国粋主義の権化である日産にも言えるよな)
2018.08.12
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世間はすっかりサッカーワールドカップモードで、どこのご家庭も真夜中だってのにブブゼラの音がリビングに響き渡ってんじゃねーかと思うけど、天邪鬼な我が家では6月といえば当然ルマンである。レーススタートから延々とトヨタTS050のエキゾーストノートが鳴り響いている。ガズーのHPで#7、#8号車それぞれのオンボード映像をライブで流してんでね、両方見てるとなかなか面白いね。音倍増でご近所からすりゃブブゼラよりも不快な音かも知れんが、知ったこっちゃねーッス。今のところ、向うところ敵なしのトヨタ無双状態だが、果たして明日の22時にはどうなってることやら。 ルマンのミニチュアは総合優勝車をメインにして、あとはその時々のトピックを作ったわき役とかを集めてることにしてる(今年だったら豚さんカラーとロスマンズカラーの911は買うぞ)だもんで、ハイブリッドで復帰したトヨタのルマンカーは一台も持ってないんだよね。トピックという意味じゃ「ノーパワー!」のTS050は買っても良かったかもしれないけどね(笑) んで、去年のトピックといったら911のミドシップ化もあった(し買ったしネタにもした)けど、それよか世代的にいってコレなんだよね。スパーク1/43 オレカ07ギブソン "2017年ルマン24h 16位"#31 ブルーノ・セナ/ニコラス・プロスト/ジュリアン・カナル まぁなんだ、マシンがどーの、チームがどーの、リザルトがどーの、ルマンじゃ振るわなかったけど通年でしっかりポイント取ってチャンピオンですとか、第2戦スパまではスイスチームらしく赤白カラーリングだったけどルマンからはフランスのレース漫画「ミシェル・ヴァイヨン」に出てくるマシンとコラボしたメタリックトリコロールなカラーリングになりました、とか乱暴に言っちゃえば一切合切どーでもいい(笑)拘りポイントは「セナプロ」あれだけ嫌いあったアラン・プロストとアイルトン・セナの息子と甥っ子が同じチームで同じマシンに乗りこむ(ついでに言えば僚機#13号車にはピケの息子が乗ってる)、これをトピックと言わずして何と言うかってなわけ。 よく、あの悪夢のサンマリノの予選の時にセナが無線で「アラン、君がいなくて寂しいよ」って言ったのを老害〇宮とか〇井とかが、なんか恩讐を超えてわかり合えたんだなぁと泣けてきたとかオバカなこと言っちゃってくれてんけど、天邪鬼な人間からすればあれはそんな甘ちゃんなハナシじゃなくて「アンタから略奪した最速マシンでもってアンタをブチ抜けないから寂しいよ」って言ったんだろって。鈴鹿の1コーナーでプロストに特攻してチャンピオンを獲った祝賀会で、乾杯の時に母国語でも英語でもなくわざわざドイツ語で「プロースト!(ドイツではそう言って乾杯する)」と言い放った底意地悪い奴がそんな簡単に聖人君子になれるわきゃないんだよ。でもまぁそんなこんなも四半世紀も過ぎてしまえば、加えて親族とは言え当事者でもない身には、そんな時代もあったねと、ってなことなのかも知れんな。 実はLMP2マシンは初めて。造形的にはLMP1とさほど変わらないわけだから、スパークらしい仕上がり出来映えになってるが、特にメタリックのデカールが綺麗に貼れてるのはイイネ。プラモやってりゃわかると思うがメタリックデカールって金箔みたいに柔いか逆にカッチカチかの両極端でえれえ貼り難いんだよね。 メタリックのトリコロールとバルボリンの出来損ないみたいなV字マークは、ミシェル・ヴァイヨンの所属するチームのロゴとカラースキーム。赤字に黄色のMはお馴染みマクドナルド。トタルはフランスの石油系企業、こちらもモタスポじゃお馴染み。リアフェンダーのゼンヴォはデンマークのスーパーカーメーカー(ST1ってゆーランボの亜流みたいなの作って売ってる) しかし、今年のルマン、王者ポルシェが抜けたのをいいことにちゃっかり#1をつけたレベリオン。アンドレ・ロッテラーがスタート早々クラッシュって(笑)
2018.06.17
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1960年代、フォードとフェラーリが暴れまくったスポーツ(プロトタイプ)カーレースは、70年代に入るとポルシェ(917:グループ5)の独壇場となり、917を締め出すために「これからはグループ6でレースするかんね」とルール変更するも、これもポルシェ936の一人勝ち状態となって興行上まことに面白くない状況を呈した。どーせポルシェが勝つんだし石油ショックでレースなんかやってんなよとゆー世論である。 そこで、FIAは主な縛りは燃費だけ、排気量もエンジン形式もいたって自由とゆー(だって排気量やエンジンを厳しくしたってポルシェが勝つんだから)グループC規定をぶち上げた。燃費縛りってゆー資源重視の姿勢はそれまで参戦を控えていた大手自動車メーカーを呼び込むに充分な動機となり、火の消えかかっていたスポーツカーレースは再び活況を呈することになる。 唯一困っちゃったのが、吊るしのポルシェ936などで活動していたプライベーター。もちろん一からグループCカーを作るほどの資本も経験もないプライベーターは「やべっ!どうすんべ」「ポルシェは新しいCカーも売るらしいけど一年後からだって」グループC初年度は旧グループ5車両も走れるけど、そのあとはCカーオンリーとなれば自前でCカーとやらも持っておかないと。。。とゆーことで最強936に突貫工事で屋根をとりつけてでっち上げた「なんちゃってCカー」がヨーストの936C(因みに同じ理由でクレーマーが作ったのがCK5)スパーク1/43 ポルシェ936C "1983年ルマン24h DNF"#15 ジャン=ミッシェル・マルタン / マルク・デュエツ / フィリップ・マルタン ポルシェのサテライトチームとして名高いヨーストレーシングが手持ちのオープン936(シャシー#JR005)を改造して仕立てた「なんちゃってグループC」グループC初年度(’82)はゼッケン4を纏って出場。3番グリッドってゆーなんちゃってのくせしてなかなかやるじゃんなスタートを切るも、ピストンを破損してリタイア。翌’83年は市販されたポルシェ956を購入して、そっちをメインにしつつもせっかく手を掛けたんだしと思ったかどうかは知らんが再びルマンチャレンジ。ベルギータバコ「ベルガ」を纏ってベルギー人ドライバー3人で固めたベルギードリームチームは、インジェクショントラブルでわずか9周でリタイア。因みにジャン=ミシェルとフィリップは当然ながら兄弟(ジャン=ミシェルが兄)マルク・デュエツはいまだにWRCで走ってたりする元気な爺さん。 936Cはルマンのあと、ベルガの赤白からお馴染みの黄色と黒のニューマンカラーに塗り替えられて欧州を転戦して短い使命を終える。。。と思ったら、突如’86年に復活。エルンスト・シュースターってオーナードライバーがヨーストからマシンを譲り受けてIMSA用のエンジンに換装して走らせると、なんとルマンでは6位入賞しちゃうという。 ベルガは日本じゃ一般的になじみが薄いといってもタバコメーカーなもんで当然ロゴはシークレットだけど、貼るのにさほど労力はいらない。フロントの牽引フックがめんどくさいなあと思ったけど、ピンセットに引っ掛けてエヤッ!と引っ張ったら簡単に抜けたんで(笑)ただサイドのデカール貼るときに誤ってドア横の短い通信アンテナだか何だかを弾き飛ばしちゃって、パーツが見つからないからボディにピンバイスで穴開けて真鍮線仕込んで作り直し。余計な手間かけた分なかなかカッチョいいじゃん、すくなくとも元々の936よか全然カッチョよいね。つか単純にオープンカー(レースカーでロードカーでも)が嫌いってだけのハナシなんだけど。
2018.03.15
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レギュラーテレビ番組が潰れている間に去年の未消化モデルを蔵出し。。。などと言ってる間にも、新作リリースはあるわけで、借金返済ガンバって新作モデルがおろそかになるのもそれはそれで本末転倒。とゆーことで結局、テレビがあろうがなかろうが必死こいてやれよ、やりますスンマセンってなわけだ。ま、ある意味単発だから、あれこれとストック棚から引っ張り出して(つか在処を探して)ってゆー手間はないから楽は楽。スパーク1/43 ポルシェ911RSR "2017年ルマン24h クラス4位"#91 リヒャルト・リーツ / フレデリック・マコヴィッキィ / パトリック・ピレ 911ってどの時代のモデルも写真撮るの難しいねえ。実車も眺める角度でカッコよかったりよくなかったりするもんな。特に抜かれる時、やっぱりケツにエンジン積んでるからイメージしてるのより妙に長く感じちゃって、あれぇ?ってなる。そんなリアエンジン、1964年の発売から延々と頑固に守ってきたレイアウトをいとも簡単に捨て去ってミドシップ2シーター化。理由は単純、リアエンドに大型ディフューザーを設けるためのスペースを確保するためにはエンジンを前にずらす必要があったから。アストンマーチン・ヴァンテージがこれすることよって蘇ったメソッドをそのままポルシェも採用したわけだが、なんだか後付け感ありありのヴァンテージに比べて、まるで端からあったように思わせるデザインに昇華させるのはさすがポルシェデザイン。 とはいえこれはあくまでレースの世界でのハナシであって、ポルシェは「911はリアエンジン2+2レイアウトがパーフェクト」と言ってるから市販車がRRの歴史を捨て去ることはまずないだろうね。 2017年のWEC第3戦に組み込まれたルマン24hは僚機#92号車をコースオフクラッシュで失う中、日曜朝にはクラストップに立ち少なくとも表彰台は堅いだろうと思った残り1時間、不慮のタイヤバーストにより緊急ピットインを余儀なくされ、これが響いて総合4位フィニッシュ。結局WECでの優勝(最高2位)はなくドライバーランク2位、マニュファクチャラーは#92号車が頻繁にリタイアしたためフォードに抜かれ3位に終わった。ミドシップ化によってタイヤ摩耗に一日の長があると言われるが、その真価は今年のレースで見定めさせてもらおうか、とゆーところかな。
2018.02.18
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世間一般どうやら冬季五輪で盛り上がってるようだが、アメリカンフットボール以外スポーツとは思ってない狭量な人間にとっては、中継もダイジェストもどーでもいいわ。たまにピロピロ~ンと入るニュース速報、すわ災害か?地震か?と思わず画面見ちゃうんだが、メダルがどーのこーの、そんなもん知ったこっちゃねえよ。まったく、さっさと終わらねえかな。ま、通常番組が潰されるおかげでミニチュア引っ張り出してきて写真撮って~な時間が捻出できるわけで、今こそ去年の借金返済、である。 ちょっと前にグループCでのシルバーアロー大会をやったわけだが、今回はその続き、とゆーかシルバーアローになれなかったよ大会とゆーか。 ザウバーC9でルマンを制した後、グループCレースが終了してメルセデスはスポーツカーカテゴリーからは完全に手を引いた。エントラントが集まらないからとゆー理由を押し立てているが、実質はメルセデスの総力を挙げた次世代Cカー(C291)がジャガーやプジョーに比べていかにも旧態然としていて、ありていに言ってやんなっちゃったんだろう。で、暫らくの間は「あくまで市販車」ベースとゆー建前のDTMに力を注ぐわけだが、FIAに召し上げられて雲行きが怪しくなる。とゆーかDTMからITCに変わってたったの2年でシリーズは崩壊し、今度は「BPRグローバルGTシリーズ」を吸収してFIA-GT選手権を始める始末。DTM命として体制を組んでたメルセデスは、急遽始まることになったFIA-GTに参戦すべく、マクラーレンF1 GTRを購入してバラシてあれこれ参考にして、わずか128日の突貫工事で参戦マシンを仕立て上げる。国際貿易特注スパーク メルセデスベンツCLK-GTR "ポッカ鈴鹿1000km 優勝"#10 アレッサンドロ・ナニーニ / マルセル・ティエマン 市販車CLKの面影をフロント4つ目だけに残すCLK-GTR。1997年のFIA GT選手権全11戦中6戦で優勝しドライバー、メーカーともシリーズチャンピオンを獲得。真夏の鈴鹿サーキットでの1戦は#10号車唯一の優勝で僚機#12号車とのワンツー(エース#11号車は7位完走)#10号車は右手が不自由なナニーニのためにシフトアップ用とダウン用の2本のレバーを備えた特別仕様。力を入れて引く動作が苦手なためシフトダウンもレバーを押せば作動するようにしてある。タミヤのプラモデルでもちゃんと別パーツ化されてた。 選手権ポイントの関係でベルント・シュナイダーが#10と#11号車にダブルエントリーしてたが、そりゃアンタ運転してないんだから#10号車のポイントはあげないよとゆーオフィシャルの至極当然な判断(笑)この年のルマン24hには、ここで戦うマクラーレンF1 GTRやポルシェ911GT1は参戦してるが、メルセデスはシリーズに組み込まれていないからとゆーいつもながらの理由で参戦せず。メインスポンサーのヴァルシュタイナーはドイツのビール会社。スパーク1/43 メルセデスベンツCLK-LM "1998年ルマン24h DNF"#35 ベルント・シュナイダー / マーク・ウェバー / クラウス・ルトビク 翌1998年の正常進化型。エンジンが小型(6ℓV12から5リットルV8)になってCピラーより後ろ側がCカーほどではないにせよ絞り込まれ、またラジエーターがフロントからサイドへ移されてノーズが薄く低くなっている。FIA GT選手権とルマン24時間に参戦。 ルマンはシリーズに含まれてないから出ないんじゃなかったの?を覆して、どころかルマンが実質デビュー戦(ルマンまでのGT選手権は旧型CLK-GTRを使う)ポールポジションを獲得するものの、スタート後わずか1時間でパワステポンプを壊してリタイア。デビューいきなりのルマン制覇はちょっと考えが甘いね。 とゆーかそもそもCLKシリーズ、ルマンに出ることを想定してなかったんじゃないのかなぁ。それが様々な外的要因によって所謂"なんちゃってGT1"が時の主役に躍り出ちゃったもんだから、流れに乗り遅れるな的思考で出場ってことになっちまったような気がする。つか、ザウバーと組んで計画的に3年かけてじんわりとルマンに慣れていった時とは違うドタバタを感じてしまうのだよ。 散々な結果のルマンはともかく、主戦場のGT選手権ではただの一回も負けなしの完全制覇でドライバー、メーカーとも2連覇達成。メインスポンサーのD2プリヴァはドイツの携帯大手だったマンネスマンの通信回線ブランド。スパーク1/43 メルセデスベンツCLR "1999年ルマン24h DNF"#5 クリストフ・ブシュー / ニック・ハイドフェルド / ピーター・ダンブレック ザウバー時代とおなじメルセデス3か年計画(そんなものがあるか知らんが)の最終年。 FIA GT選手権は毎年毎年メルセデス圧勝で嫌われたのかコスト高騰のためか(そのどっちもだろう)メルセデス以外のメーカーがGT1に参加しなかったために急遽GT2のみのシリーズに改変(後年下位クラスが出来たためGT2がGT1を名乗ることになる、ややこしい)、メルセデスは主戦場をなくす。にもかかわらずルマン制覇のみに的を絞ってCLRを開発。冠スポンサーも取っ払って銀一色、「ドイツ」「メルセデス」を前面に押し出してやる気満々(笑) 低められたCLK-LMよりも更に低く薄くなったフロントセクションは、結果を知ってる身には「何もそこまで。。。」と思うんだが、確かに当時はかっけー!と思ったものだ。こんだけ上下に薄っぺらにしちゃったのにサスペンションはちゃんと仕事するんだ、きっとF1みたいに寝かせてマウントしてんだなとか勝手に良い方に解釈してたが、実際のところはちっとも機能してなかった(笑)路面とアンダーパネルの距離は一定にするのがグランドエフェクトのセオリーだから、その意味ではサスをガチガチにするのは正解なんだが、ルマンは舗装面フラットのサーキットを走るわけじゃないってことをもう少し真剣に考えなかったのが間違い。さらにトラクション確保のためにリアサスは柔らかく設計したため物凄く前後バランスが悪くなっちゃった。故に凸凹路面でシャシーの上下動が増幅されて、ある瞬間にアンダーパネルに流れ込んだエアでぶわっと持ち上げられて宙を舞う最悪の結果に結びつく。予選で#4号車が飛び(さらに決勝ウォームアップでも飛び大破)大焦りでフロントに大小計4枚のカナードを追加してダウンフォースを増やし、加えて他車のスリップに入らないようドライバーに厳命して(もはやレースカーのロジックじゃない)決勝に2台を送り出すが、4時間47分後に#5号車が三度宙を舞いメルセデスはレース撤退を表明。1955年の時と同様、Rをつけると不吉なことが起きる(300SLで52年優勝、300SLRで300人死傷の大惨事)、さらに1988年もタイヤバーストで撤退というゾロ目年だめじゃんジンクスもあるんだから、縁起を担いでもうちっと名前を考えた方がよかったんじゃね?まあ戯言は置いといて、以後現在に至るまでルマンに復帰していない。 そういう経緯のマシンを、よくもまあスパークは商品化したもんだ。けれど流石にメルセデスをおもんぱかってデカール一切なしのプレーンボディで台座表記もマシン名のみ。スパーク側の忖度というよりもそれが商品化の条件だったのかも。だから自分でデカールを全部貼りつける手間がかかるわけだが、かなり昔の商品を昨年手に入れたもんで、デカールが部分的に台座裏に貼りついちゃっててもう大変。結局ごまかしごまかしデカールを剥がして貼りつけて、ハゲた部分はチマチマとMr.カラーで筆塗り┐(´∀`)┌ヤレヤレ こうして振り返ると、やはり1955年の大事故以降、世論を気にしながらルマン復帰を粛々とすすめたザウバー時代に比べて、もう優勝したから免罪符ねとばかりに畏敬の念も畏怖もなくお手軽参戦しちゃった感が否めない。その代償として20年近くのルマン不在は果たして大きかったのか小さかったのか。メルセデスとしてはカネ喰いF1やっててそれどころじゃないからちょうどいいや、なのかも知れないけど。
2018.02.16
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なんともひもじい(笑)別に生活費全部ミニカーにつぎ込んでお金がなくなっちゃったって訳じゃないんだけどね。正月早々、何年ぶりかでインフルにかかっちゃってさ。基本まわりに人はいないんで、きっとスーパーなんかに漂ってたのに引っ掛かっちゃったんだろうけど、A型インフルにあるまじきダラダラと微熱が続く症状で日がな一日ほぼ寝っ転がってた。で、ようやく床上げしたと思ったら今度は降雪。 たかだかセンチ単位の積雪が大雪とは笑わせんなと北の方々はおっしゃるだろうが、降らないことが通常な南関東ではホントに雪が降れば陸の孤島、つかミステリで云うところのクローズドサークル、吹雪の山荘。外を眺めても足跡すらない白い原野、つまるところ誰も雪かきなどしないのである。近所にはコンビニが一件あるが、そんな状態なので配送トラックは上がってこない、こっちも冬タイヤなど装備しないので車で買い出しという選択肢もない。丘のふもとのスーパーに転倒覚悟で転がり降りていくかしかないわけだが、とりあえずは冷蔵庫のストックでなんとかやり繰りするんで、自ずと節約モードになるわけだ。今はもう路上の雪もなくなって買い出しも出来てるんだが、まあ病気のチョンガーほど情けないもんはないやね(笑) で、病み上がりで何するかといえばガサゴソとミニカー引っ張り出して写真を撮るという。。。昨年末に入庫したスパークのザウバーC9、どうせなら他のスパークも一緒くたに。右:ザウバーC9メルセデス 1989年ルマン優勝車中:メルセデスベンツC11 1991年ルマン5位(ファステストラップ記録車)左:メルセデスベンツC291 1991年SWCオートポリス優勝車もちろんスパーク以前の商品も手元にある。後発メーカー故の差別化としてエンジン再現を特長としたhpiレーシングのザウバーC9郡。市場的にはエンジン再現は百害あって一利なしと酷評されたけどね。左:1987年ルマン ファステストラップ記録車(DNF)中:1988年ルマン タイヤバーストにより本戦欠場右:1989年ルマン 優勝車ザウバーの見つけてきたスポンサー(クーロス:イブ・サン=ローラン)からダイムラー傘下のアルゲマイネ・エレクトロツィテート・ゲゼルシャフト(AEG電機)を経て伝説のシルバーアローへ。メルセデスの関与具合がよくわかる。hpiレーシング1/43 ザウバーC9メルセデス#62 チップ・ガナッシ / ジョニー・ダンフリーズ / マイク・サックウェル 予選7位スタート。ジョニー・ダンフリーズがファステストラップを記録するも37周目にギアボックストラブルでリタイア。hpiレーシング1/43 ザウバーC9メルセデス#62 クラウス・ニーツビーツ / ケネス・アチソン ミシュランタイヤがダウンフォースに耐えられず予選走行中にバースト。ミシュランは個体差であると主張したが、チームは本戦撤退を決定。ちなみにこの#62号車のシャシーはC9/88-03号で、翌年の優勝#63号車そのもの。前:スパーク奥:hpiレーシング こう比べてみるとレジンのスパークは、レジン簡易金型の悪さが出ちゃった感じでパネルラインのエッジがダレているのがわかる。とゆーかhpiのダイキャスト金型が頑張りすぎなんだろう。それよかダメダメなのはタイヤロゴ。この当時はまだ斜字体じゃないんだよね。左:hpi 右:スパークタイヤロゴはhpiが正解。ノーズの傾斜はどうなんだろう?実車画像と見比べるとスパークが近いように感じるけど。スパーク1/43 ザウバーC9メルセデス#63 ヨッヘン・マス / マニュエル・ロイター / スタンレー・ディケンズ 予選ワンツーの同僚からはかなり離された予選11位からスタートするも16時間目にトップに立つと5周遅れの#61号車を引き連れてのワンツーフィニッシュ。四つ目左端のイエローランプはスタート時の映像で確認できるものの、ウィニングラップでの汚れまみれの車両は4灯とも白色。レース中に右の横っ腹に穴が開くほどぶつけられたりしてるから、きっとピット修理した際に白4灯のノーズに付け替えられたんだろう。 因みにドライバーのスタンレー・ディケンズ、日本のレースに出てた時は「クリスマス・キャロル」「オリバー・ツイスト」の文豪チャールズ・ディケンズの縁続きとか確かテレビで紹介されてたけど、今調べてもそんなに重要なネタならどっかに載ってるはずだけど、皆無だからマユツバ話だったんだな(笑) さらに言えば、スタンレー・ディケンズを世話したツテでチームタイサンがC9を買い取って日本で走らせようとしたけど、エンジンメンテが出来なかった(メルセデスがさせなかった?)んで話が流れたんだそうだ。スパーク1/43 メルセデスベンツC11#31 カール・ベンドリンガー / ミハエル・シューマッハ / フリッツ・クロイツポイントナー ある意味、ルマンで不遇だったC11。デビューは1990年で、その年のWSPC全9戦中、出走した8戦で7勝と圧倒的な強さで制したもののルマンは世界選手権から外されていたし、89年に制覇済みという理由で不参加。翌92年は、新規定(例の3.5リッターNAエンジン)により勇退のはずが、FIAの目論見が物の見事に外れ(いっつもそうだ)まったくエントリーが増えず旧車もカテゴリー2という形で参加可能になったためルマンに引っ張り出されることになる。 しかしメンツにかけてもカテゴリー1の優位性を保ちたいFIAはC11などカテゴリー2車両に100キロ増、燃料使用量制限の足枷をはかせた。これによってかなりの戦闘力低下を余儀なくされたまま参加したルマンでは、カテゴリー1がほぼ全滅する中、#1号車がトップ走行するものの残り3時間となったところでエンジンブローでリタイア。序盤にトラブルで後退していた#31号車だけが生き残り5位フィニッシュ。 もし90年にルマンが世界選手権に組み込まれていたら、ヘンな足枷なしの純なC11でルマンを走っていたら今一度栄冠を手にしていたかも知れない。スパーク1/43 メルセデスベンツC291#2 カール・ベンドリンガー / ミハエル・シューマッハ これが1991年の本命、新規定グループC(カテゴリー1)、3.5ℓNAエンジン車。アンダーパネルによるベンチュリ効果確保のために新開発180度V12エンジン(M291)の後端を上に傾けて搭載し、下面をフラットにすべく上方排気とした攻めた設計が災いし、冷却系潤滑系にトラブルを抱えて、その対処に追われシーズンが始まっても熟成が進まなかった。 実際、この年のカテゴリー1の最適解はロス・ブラウン設計のジャガーXJR-14であり、攻めた筈のC291もジャガーに比べればグループCカーの常識を脱していなかったと言える。それでも徐々に完成度を挙げてSWC最終戦オートポリスで最初で最後の優勝を飾る。メルセデスは翌年を見据えてC292を開発していたが、C291がかなり問題を抱えていたために、計画推進をあきらめてスポーツカーレースから撤退を決めた。 そして、ルマン制覇を果たした2台のマシン。どっかの博物館にありそうな風景だな(笑)スパーク1/43 メルセデスベンツ300SL#21 ヘルマン・ランク / フリッツ・リース C9に遡ること37年、1952年にルマン制覇を果たした300SL。しかし、スタートから23時間ひとりでドライブしていたタルボ・ラーゴT26GSのピエール・ルヴェーが疲労からシフトミスしエンジンブローしてリタイアしたため4周遅れの#21号車に優勝が転がり込んできたタナボタだった。さらにこの時のルヴェーの健闘を称えて「次にメルセデスがルマンに来るときは、君に乗ってもらおう」と言ったことが1955年の大事故の発端となるとは何という運命の皮肉か。てなわけで、病み上がりのメルセデスてんこ盛り、どっかにしまったミニカー探したりあれこれ資料調べるのにいつも以上に疲労がたまったわー(笑)
2018.01.31
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正月三が日は軟禁状態である。去年ブログをサボった分を取り戻すべくホテルに缶詰めにされて原稿用紙を前に油汗流しながらうんうん唸ってるわけでは当然ない。我が家の駐車場に面した道路の向かい側が神社なのである。地元の古社なのだが別に重文があるとかいう訳ではないから普段は閑散としているが、さすがに正月は近隣住民がこぞって初詣にやって来る。しかもちょっとした台地の上に鎮座ましましておられるから皆様おクルマでやってくるわけで、なのに駐車場が小さい。ただ有名どころと違って参道に露店があるわけでもないし初詣が終われば即退散とゆー運びになるので、回転は早いんだが、ともかくオーバーフローで延々と駐車場待ちのクルマが道を塞ぎ、家からクルマを出すのが大変面倒くさいんで結局出不精になる、とゆーわけだ┐(´∀`)┌ヤレヤレで、正月ってえのはホント死ぬほどテレビがつまんないんで、こうしてチマチマと画像撮ってブログの更新をしておる。うまいこと年末に入庫されたものもあるし。純粋に三つ子(トリプレッツ)とゆー訳じゃあないが、ルマンでアウディ・トヨタに3タテ喰らわして立つ鳥跡を濁さず去って行ったポルシェ919ハイブリッド。まあ実際は4戦3勝1敗なので100パー勝利ではないけれど、そしてその勝ち方も例えるなら「死闘」「タナボタ」「薄氷」決してグループC時代のような横綱相撲じゃあなかった。しかし超級マシンじゃなくとも勝てる術を知っている。予算だけは潤沢でだらだら参戦、延々勝てないどこかのチームとはきっと根本的に何かが違うんだ。スパーク1/43 ポルシェ919ハイブリッド "2017年ルマン24h 優勝"#2 ティモ・ベルンハルト / ブレンドン・ハートレー / アール・バンバー LMP1参戦以来続けていた「ポルシェインテリジェントパフォーマンス」デザインをやめて、さっぱりとしたカラーリングに改めた2017年モデル。辞めたり理由は多分、17モデルはフロントフェンダーがボディワークから完全に独立して谷間ができちゃったから「ポルシェインテリ~」はやりたくても出来なかったってゆーところだな。個人的にはこーゆーデザインワークは嫌いじゃない。嫌いじゃないんだけどなんかトヨタと区別がつきにくい。どうせならホワイト部分を黄色にしてドイツ国旗にすればよかったのに。 ボディカラーとともに17モデルのキモはフロントフェンダー内蔵型バックミラーだね。こーゆー小技は大好物。エアロダイナミクスを突き詰めれば突起はなるべくなくしたいものだからボディワークに埋め込んじゃうのは理にかなってると思う。古くは日産R90CPで先鞭をつけたけのに結局トレンドたり得なかったのはどうしてだろう。視認性に問題があるんだろうか?でも、あと何年かすると高性能で小型の広角レンズが取り付けられてヘッドアップディスプレイで鮮明な画像が見られるようになる、かも知れない。そいえば16モデル、ちゃんと発売日に買ってるのに完全スルーだった。スパーク1/43 ポルシェ919ハイブリッド "2016年ルマン24h 優勝"#2 マルク・リーブ / ロマン・デュマ / ニール・ジャニ 2016年のルマンは、このマシンがどーのこーの言うより、まさに"持ってない"中嶋一貴の「アイ・ハブ・ノー・パワー!」で決まりだろう。16モデルは、カラースキームもイマイチだしライト回りが垂直にオッ立っちゃっててなんだかなぁ。勝ち方だってどー考えても「タナボタ」だし。コレクションとして優勝車は買うけど、スルー条件満載だ。ま、3兄弟の真ん中が悪く言われる所謂「真ん中馬糞」ってのは大昔からの決まり事だかんね、しゃあないわ。
2018.01.02
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いつの頃からか定かじゃあないが「なんちゃらジャンボ」宝くじを買うようになり、どーせ買うんだったら関東ではよくテレビなんかで紹介される「西銀座チャンスセンター」だよねってことで行ってみたら、ビギナーズラックっちゅーの過去末等以外当たったことがないのにあれこれと当たってプラマイゼロだった。それ以来やっぱ日本一枚数売れるイコール回転がいいからそりゃあ当たりも出やすいよなってことで、ジャンボは西銀座(つか他のは買わないんだけど)とゆーことにした。まあ戦績はまったくのトントン以下なんだがそれでも5桁当たりも良く出るし地元で買うよりはいいや。平日の15時頃ならさほど並ばないから最低駐車料金で済む。 で、クルマは近いわ駐車幅に余裕があるわでたいてい西銀座駐車場にブッこんどくんだが、クルマ停めててくてく数寄屋橋方面に歩いてくと、いっつも同じとこにフェラーリが停まってんのよ。んで今回たまたま隣が空いてたんで。。。こんな感じ(笑)つってもこれは488GTBで、実車の方は458イタリアだけどね。ルックスマート1/43 フェラーリ488GTB 今やフェラーリいちの稼ぎ頭であろうV8ミッドフェラーリの最新作。名前からすると458から488だから排気量UPと思われがちだが、・458は「4.5ℓのV8」・488は「488cc×8気筒=3.9ℓ」ある意味、数字のマジック。フェラーリといえども世の流れに乗ってダウンサイジングターボエンジンを採用。結果、排気量は下がっても馬力は100PSアップするという(笑) ボディカラーのパールホワイト(ビアンコ・フジ)実は日本人発信のカスタムカラー。調色して塗ってみたらなかなか綺麗に出来上がったもんだから、フェラーリのカスタムカラー標準色に加えられるようになった、と。日本発の色だから「富士山に積もる雪」のイメージでビアンコ・フジとゆー名前になったって経緯なんだとか。ちなみにカスタムカラーのお値段は250万円。それだけでいっぱしのファミリーセダンが買えちゃうよ(笑)まあ、そもそも跳ね馬を買おうとゆーのにカネに糸目をつけるなどとゆー選択肢はないわな。個人的にはパール塗装よりもソリッドの白のほうが好きだけどね。 とゆーことで、ロードカーのハナシで終わっちゃわないのが、つか実はここまでは単なる前フリ。メインディッシュは先代458イタリア(のGT2)なんたって基本はレースカーだからね。タイミングをずらして安くなったところを買い叩いたのが溜まってきたんで一回放出しとこうか、と。BBR1/43 フェラーリ458イタリアGT2 "2011年ルマン24h DNF"#59 ステファン・オルテリ / フレデリック・マコヴィッキィ / ハイメ・メロ フランスの新興レースチーム「ラグジュアリーレーシング」でルマン初参戦は、2台体制の2台ともリタイアとゆー結果。フランス系企業のティリエ(冷凍食品)やフランチェスコ・スマルト(服飾)がスポンサードするのも振フランスチームの伝統。どうせならボディカラーもフレンチブルーにすれば変化が出ていいのにって思うんだけど。どーゆーわけか僚機#58号車とともに京商オリジナルくらいの超低価格で売られてるのをお買い上げ。#58でも#59でも思い入れはないんで(笑)どっちでもよかったんだけど、DNFとはいえより長く走って、911GT1で優勝経験があるステファン・オルテリや日本でお馴染みフレデリック・マコヴィッキィがいるんで#59号車ってことに。フジミ1/43 フェラーリ458イタリアGT2 "2012年ルマン24h 18位(クラス2位)"#59 フレデリック・マコヴィッキィ / ハイメ・メロ / ドミニク・ファーンバッハー フジミという名のトゥルースケールミニチュアズ(笑)ボディフォルムはBBRに比べて遜色ないんだけど、タイヤハウスとタイヤの位置関係がイマイチなんだよね(これはフジミのクルマプラモ全般にも言えること)もうちょっとタイヤハウスの前側をタイヤ寄りになるようにRを小さくして更にトレッド幅を広げるとボディとツライチ感がでるんだけどなぁ。そこら辺はやっぱりBBRに及ばない。それから考証面でゆーと、フロントグラスの白ハチマキ。公開車検だとフロントに黒いカナードがついててCピラーの付け根に「フランチェスコ・スマルト」のロゴが入るんだよね。予選一日目はそこからカナードを外してノーズにミシュランロゴが入るし、二日目ならスマルトロゴは外れるけどノーズのミシュランは残るし。で、決勝は黒ハチマキでミシュランロゴなし。つまりどこにも存在しないバージョンなわけよ。さすが適当フジミ、まったく在庫叩き売りだからいいようなもんの、定価買いならクズ扱いだよ。まーしゃあないから手持ちのミシュランロゴデカールを貼って予選二日目仕様でもするっきゃねーな┐(´∀`)┌ヤレヤレ そんなダメダメのミニチュアとは違って実車はなんと予選クラストップで、決勝レースは優勝こそワークス458にさらわれるもののクラス2位!前年全滅からしたら考えられない快挙。しかも前年#58号車のドライバーだったピエール・ティリエが単なる名前繋がりで持ち込んだ大口スポンサー「ティリエ」が、自分のチームを立ち上げて出てっちゃったピエールにくっついて出てっちゃったから予算的に厳しいかったはずなのに。ビジュアル的にも小口のモチュールやラペーグ・レサノがついているもののサイドにでっかいロゴがなくなって寂しい限り。予選ではスポンサーしてたスマルトが決勝で撤退したのもよくわからんねぇ。チーム自体ルマンはこの年までで、公式ウェブサイトもずーっと工事中のまんま。はたしてまだ実体があるのかないのか。。。BBR1/43 フェラーリ458イタリアGT2 "2013年ルマン24h 20位(クラス5位)"#71 オリビエ・ベレッタ / 小林可夢偉 / トニ・バイランダー 再びBBRに戻って、今度はセミワークスAFコルセの458。この年は一言速さがなかった、とゆーか前年と遜色はなかったけれどライバルの伸び率が高かった。予選で言えば前年クラストップとほぼ同タイムを出しても4位(#51号車)が精一杯という中で、#71号車は予選6位から順位をひとつ上げてフェラーリ最上位の5位フィニッシュ。スポンサーは近年のフェラーリF1でもおなじみのユナイテッドパーセルサービス(UPS)やアンシス(流体解析)アドラープラスチック(炭素材)パケロ(オイル)など結構潤沢?かな。ルックスマート1/43 フェラーリ458イタリアGT2 "2014年ルマン24h 15位(クラス優勝"#51 ジャンマリア・ブルーニ / ジャンカルロ・フィジケラ / トニ・バイランダー 近年フェラーリといえば、のブランドになりつつあるルックスマートの458。量産品として気になる部位であるタイヤとタイヤハウスの位置関係はまずまず及第点。となるとやはりフジミ(TSM)の違和感はハンパない。ほんのちょっとの。それこそ髪の毛一本くらいのズレなんだけどね、そこがキモだってわかってるかわかってないかは大きいってことだ。 前年の予選タイムを2秒も縮めクラストップタイムを叩き出し、2位コルベットを周回遅れにして2年ぶりのクラス優勝。黄色いシンハー(酒造)と黒いウブロ(時計)が増えてちょっと雰囲気が変わったAFコルセ。速い速くないは別にしてしばらくは盤石な体制でいけるだろ。とはいえ赤ばっかりが揃ってそろそろ満腹感もありありだから、ここから先は赤以外の車両を狙っていくかなあ。
2017.12.10
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9月のことだが、岐阜の納屋に埋もれてたフェラーリ365GTB/4(デイトナ)が2億3千万円で落札されたって結構なニュースになった。世界で5台(内4台はレース専用)の総アルミボディというスペシャルな一台とゆー希少性で落札価格が高騰したわけであるが、どうも岐阜の納屋から突然降ってわいたように現れたってことじゃなくて、所謂業界じゃあ知る人ぞ知る、の一台だったそうな。 どーゆー経緯で総アルミのロードバージョンが出来たのかは知らんが、とにかく本国で何回か転売された後に、ウチの近所にあった伝説の「シーサイドモーター」が輸入して国内を転々とした後、岐阜に落ち着いたそうで、搬入搬出の際にぶつけて凹んだとこを修理してアルミボディだってこともわかってた。けど本家マラネロが「そんなクルマは作ってねえよ」と存在を否定したんで、来歴不詳のまま埃とともに埋もれてった。 それがフェラーリ創業70周年だとか好調なフェラーリクラシック市場に更に拍車を掛けるとか様々な思惑で「そーいや昔そんなクルマあったよなあ」って。んじゃあフェラーリの公認とって引っ張り出したら70周年イベントの目玉にいいじゃね?ってな裏事情に乗せられてまんまと高額落札って顛末のようだ。謎に彩られた雰囲気にしなかったら、ミッションが壊れて内装もボロボロな埃まみれのデイトナが2億はとってもいかんでしょ。 まあ実車とまではいかなくても、モデルに恵まれずに希少価値でいっつも高値取引ってミニチュアが世の中にあるんだが、そこまでハイエンドじゃないものは時折納得価格でネットを漂ってる。今回はそれを引き上げたわけだが、やっぱりそこは「訳あり」だったとゆーハナシ。レッドライン1/43 フェラーリ250GTO "1962年ルマン24h 2位(クラス優勝)"#19 ピエール・ノブレ / ジャン・ギシェ いつの時代もオールタイムナンバーワンと言われるフェラーリの至宝250GTO。その名からしてレースで生きるためのクルマであり、実際マニュファクチャラーズチャンピオンも獲ってはいるが、ルマン総合優勝には届かなかった。最高位2位を2年連続、その時の1位はそれぞれ違う車種ってゆーまるでフォリナーの「ガール・ライク・ユー」みたいな展開だが、その優勝車が同族ならまあしゃあないか。所詮市販車、プロトとは意気込みも手の掛けようも違うわな。けれど、ファストバック、コーダトロンカ、ダックテール、マッシブなリアフェンダー等々ラインの美しさはまさに唯一無二。 ミニチュアとしての出来も、そりゃあハイエンド(アイドロン)に比べりゃあ格落ちだが、少なくとも必要のないハッチオープンな京商よりか全然マシだ。けども問題がないわけじゃなく、それはスタイル云々じゃなくて考証面、いっつもそこが弱いとスパークになった今でも言われるだけのことはある。 まずはフランスチームであることを示すためでもあるフレンチトリコロールのセンターライン。青白赤の次の細いライン、モデルはホワイトだけれどもどうもアヤシイ。考証がマトモだと思われるフェラーリ公認CMCは白だけどアイドロンは黄色なんだな。あと京商やブルムなんかも黄色。で、レース当時の写真をググってみると・・・モノクロなんでどーかとも思うがカラーでハッキリしてんのが探せなくてね。これでいくと件のラインとドアの黄丸(こっちは黄色確定)のグレー度合からして黄色が正解なんじゃね?って感じ。(これだと件のラインが白でも間違いじゃない気がする)それとライトまわり。どうみても赤いボディカラーじゃあないわな。CMCなんかの大型モデルを見ると、シルバーのリフレクタープレートが入ってるよね。無理して考えれば走行途中に装着した可能性はゼロじゃあないけれど。にしてもラインの方はレース中に引きなおせる筈もなく完全アウトだろう。と、あれこれ論っちゃうのがマニアの長所でもあり短所でもあるわけで、素直に出来を喜べない┐(´∀`)┌ヤレヤレ
2017.12.06
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しばらく前に入庫していてスタンバってたクルマ。9月とゆールマンネタに絡ませて登場させるにはかなり中途半端な時期のリリースなんで、来年のルマンまで引っ張ろうかとも思った。トゥルースケールミニチュアズ1/43 フォードGT "2016年ルマン24h LM-GTEプロ クラス優勝"#68 ジョーイ・ハンド/ディルク・ミュラー/セバスチャン・ボーデ 60年代、会社買収問題に端を発するフェラーリvsフォードの対決は、フェラーリ250シリーズとフォードGT(40)という傑作マシン同士の対決であり、プラモを通してこれらのマシンに接したガキにキョーレツな記憶を残した。序盤こそレーシングテクノロジーに一日の長のあるフェラーリが連勝したが、まるでWWⅡのM4シャーマン戦車のよーに物量作戦にでたフォードが年を追うごとに実力をつけ、ついにフェラーリを破り、しかも1-2-3フィニッシュというこの上ないおまけまで付けて圧勝したのが1966年のこと。 あれから50年(きみまろかよ)笑少し前からGTEに参戦していたフェラーリに呼ばれるように(ではないかも知れんが)満を持して(ではないかも知れんが)サルテに姿をあらわしたフォードGT。最新テクノロジーによるデザインワークの458イタリアに比べ、最新テクノロジーにうまく過去の意匠をはめ込んでGT(40)を彷彿とさせる。であるのにCピラーとゆーかルーフとリアフェンダーを繋ぐバットレス(飛び梁)構造など現代の空力理論をうまく消化しているのがいいね。どうせならば白赤青の星条旗カラーじゃなくてレーシングストライプとかガルフカラーで戻ってきて欲しかったよなぁ、などと思ったり。 トゥルースケールのフォードGT、ちょっとアンテナ類が野暮ったいが、バットレスの抜けとか充分及第点だろう。唯一問題があるとすれば、そもそもフォードの版権をスパークが取れなかったことくらい(笑)50年前の先達と記念撮影。#2号車は、スパークのが棚奥で引っ張り出すのが面倒だったんで、売りに出す予定で身近にあったミニチャンプス製。
2017.11.13
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