フィギュアスケート 0
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世界は毎日騒然としているが・・・ 秋深み庭掃く音の静けさや 青穹(山田維史) ひと枝の姿変えゆく柿紅葉 南天の少し色付く今朝の雨
Oct 18, 2024
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雨催(もよ)い日も移ろいて薄紅葉 青穹(山田維史) 桐一葉降るや降らずや小糠雨 暮れかけて松茸ひとつ籠の中
Oct 6, 2024
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七夕やすれ違い行く橋のうえ 青穹(山田維史) 七夕やすれ違い行くこの世かな 七夕や彼岸此岸に関もなし 七夕や恋の廃墟に竹を立つ 七夕や消しゴムで消す恋心 夏草や道連れうれし山路かな 夏草や風のそよぎに匂う昔日 夏草や夢に過ぎ行く人のかお 七夕や問いたる岸の生きる場所
Jul 8, 2024
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夏盛り青とうがらし無人店(たな) 青穹(山田維史) 食べごろと店主の笑まいメロンかな 七月の蜥蜴いっぴき鉢の陰 7月7日は東京都知事選挙投票日 火蜥蜴や七夕選挙に呼び出さん* 【自註】火蜥蜴(サラマンダー)は不浄王討伐のために召喚された精霊。
Jul 4, 2024
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ローンドリーが団扇をくれた (洗濯屋と書かないでおく。ハハハ) サーヴィスにプラスティックの団扇かな 青穹(山田維史) 水無月やその名に合わぬ雨つづき 山の上から遠望 七月の温気にけむる街灯り
Jul 1, 2024
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明烏つゆの隙(ひま)なる山の音 青穹(山田維史) 梅雨熄みて樫の森から葉のそよぎ 朝涼や寝苦しき夜にまず別れ 子燕や巣を壊されて無惨やな 子燕や巣を壊されてガザの夏 母燕巣を壊されて生き別れ 母燕巣を壊されて隅田川 母燕わが子さがすや隅田川 母燕狂うて飛ぶや隅田川 母燕狂う無明長夜隅田川* 【自註】謡曲『隅田川」は、誘拐された我が子をさがし、狂女となって東へ下り隅田川にたどりつく母の物語。現代では、反戦能として舞う能楽師もある。
Jun 26, 2024
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家籠る梅雨のあとさき隠れ鬼 青穹(山田維史) 雨打つや我が痩身の隠れなき ひとつずつ燈火消えゆき夜の雨 夜は骨に沈みゆくなり草の宿 蚊帳のなか昔の恋に背をむけて
Jun 21, 2024
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日野市水路 水壕の石積にさく苔の花 青穹(山田維史) 水濠の真鯉ゆうゆう苔の花 青梅をひろう媼の曲がり腰 つゆ空や香燻らせて家籠り 居眠りに山くだる緑雨聴きにけり 梅落ちて更けゆくほどに雨もまた つゆ繁く更けて消えゆく家灯り 怪世・政治資金規制法成立 六月は鳥の羽が脱けおちる 羽脱鳥ざるの粗目をくぐりけり 悪法も法治国家じゃ蓮の花 泥舟や岸の田亀の田植えかな 泥舟や船頭漕ぎだす夜釣りかな 懐手かぞえる金や小判草 こばんぐさ盗む算段懐手 賢きは喉から手をだす小判草 りっぽうや鳩豆鉄砲の夏祓い Snake sneak through A basket with holes when People sleep by Tadami Yamada
Jun 19, 2024
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旅まくら夢の契りや朝時雨 青穹(山田維史) 明日ありと旅の宿りの短かき夜 滝合いの白き飛沫(しぶき)に川蜻蛉 滝合いの落ち行くさきに夏野かな 葉柳の頬にふれくる川堤 かわいいネ子犬猫の子燕の子 ガザ 食べ物を運ぶ浮橋酷暑かな
Jun 10, 2024
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青天の陽はちらちらと夏木立 青穹(山田維史) 日と蔭とはだら木立や業平忌 桃源の道の遠さよ夏木立 今生の別れとなるか夏暖簾 短夜や亡母背負いて夢の中
Jun 9, 2024
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19時15分過ぎ、きょうも雷が鳴り激しく雨が降り始めた。昼間は良く晴れて、予報通りに向後一週間は好天になりそうだと思っていたのだが。まあ、今夕の雷雨も2,30分で止んでしまったけれど。 いずこ行く小さき殻捨つ蝸牛 青穹(山田維史) 殻を捨つノウノウそこの蝸牛 古竹にゆるりゆるりと蝸牛 古竹に歩みゆるりと蝸牛 古竹や節をかぞうる蝸牛 軒雫打たれて角振るかたつむり
Jun 4, 2024
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雷雨 初雷や夏ぞら裂けて蟻乱る 青穹(山田維史) 霹靂に驟雨きたりて牡丹散る 遠雷やいとも静かに牡丹散る
Jun 3, 2024
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あじさい(雪毬) 雪毬や雨の簾をすかしみる* 青穹(山田維史) 日野市宗印寺 長雨や鐘の音消ゆる宗印寺 高尾山遠望 長雨や高尾墨絵に白牡丹 さみだれの音に迷える夢の中 長雨や三途の川音ゆめのなか 永田町 さみだれやちーっと汝が田の泥の舟** さみだれに盗っ人どもの談義哉***【言わずもがなの自註】(*) 白居易の「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」のもじり。清少納言が「枕草子」のなかで、この詩に倣い簾をかかげて中宮定子に雪をご覧にいれたことは、誰でもご存知。(**) 古来さみだれの「さ」は稲の植付けの意味、「みだれ」は雨の降るさまを意味し、田植えの時期の雨を「五月雨」と称した。拙句は「みだれ」に「乱れ」を掛け、「汝(な)が田」は貴方の田んぼということだが、もちろん「永田町」すなわち政界の意である。さらに田植え前の代掻きの状況、しかし田舟が泥舟ではカチカチ山ではないが沈んでしまう。「ちーっと」は「ちょっと」の俗語。私はいたずらっぽく英語の「cheat(チート;騙す)」を掛けた。掛詞だらけの雑俳である。 (**) 政党政治の「悪事」を取り締まるための法律を、その当人たちがつくるという滑稽。国民を欺き,税金をちょろまかすことを「政治」と心得ている奴ら。雨後に繁茂する雑草のようにオレもオレもと出てくる奴を、選ぶほうも選ぶほうだ。人間を見抜く目が曇ってしまった日本国民。ハハ、のんきだね〜
Jun 1, 2024
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今日は市民各戸総出で年2回行われる日野市の恒例の市内一斉清掃。午前9時から10時まで。本格的な夏に入る前に街を清潔にしておこうというわけである。といっても、いつものことだが、我が町内はきれいなもの。このところ雨がつづいたので、側溝の雨水槽の汚泥を浚うだけ。私が引き受けた。それとてたいしたこともなく終了した。 小庭のガクアジサイの花色は、今年はピンクだ。カシワバアジサイの花色は変わることがない。オフホワイトである。房状の花はまだ10cmほどだが、花房の数は例年になく多い。花房はこれから15〜20cmまで大きくなるだろう。 かつて紫陽花を読んだ17拙句と追加2句 紫陽花の煙る東都の雨簾 青穹(山田維史) 紫陽花の青める雨の東都かな 紫陽花のさ青める路地や若女房 雨やみて紫陽花の青いでしかな 猫ひとり紫陽花の花まろきこと 二つ名におたくさと云う未亡人 紫陽花や色違えたる日のうつり 夕せまり降りそむ雨や七変化 パレットに紫陽花の青ためしけり 紫陽花や雨に濡れゆく石畳 紫陽花や雨沛然と暮六つ 夕かげり紫陽花の青沈みけり 走井に添いて水盛る四片(よひら)かな 驟雨来て軒の宿りや青よひら 紫陽花や斯く今生の変化かな 紫陽花や定めなき世の変化かな 紫陽花や老いて我が身は細りけり 紫陽花やつぼみ小さく軒しずく 紫陽花や東都は雨に打たれけり
May 26, 2024
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咲き初める紫陽花のあお三つ四つ 青穹(山田維史) とりどりに若葉さざめく驟雨かな
May 20, 2024
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ミケランジェロのソネット【イタリア語;原詩】Spirto ben nato, in cu'si specchia e vede nelle tuo belle membra oneste e care quante natura e 'I ciel tra no'può fare,quand'a null'altra suo bell'opra cede: spirto leggiadro, in cui si spera e crede dentro, com di fuor nel viso appare, amor,pietà, mercé,cose si rare,che ma' furn'in beltà con tanta fede:I'amor mi prende e la belta mi lega; la pietà, la mercé con dolci sguardi ferma speranz'al cor par che ne doni. Qual uso o qual governo al mondo niega, qual crudeltà per tempo o qual più tardi,c'a si bell'opra morte non perdoni?良き生来の精神、その公平さに反映する美しい肢体、貞淑で貴重なもの私たちを通して自然と天が作るかぎり、その美しい作品に代わるものなどないときに:希望と信念を抱く優雅な精神顔の外側に現れるのと同じように、内側にも愛、哀れみ、慈しみ、貴重なもの、これほどの美はかつてなかった:愛が私をとらえ、美に結びつける憐れみ、優しい視線の慈悲確固たる希望が心に宿るようだ。世界に対する規則や慣用を否定するもの、時を経て後の機会に起こった残虐な行為すばらしい作品に対して死は容赦しないのか?(日本語訳:山田維史) 下の画像は、ミケランジェロのソネットと戯画が書かれている、1510年頃のものと推測されている紙葉。戯画は天井画を描いているところか? ただしここに書かれているソネットは、私が翻訳した上掲の詩ではありません。 (フロレンスのカーサ・ブオナロッティ蔵;Casa Buonarroti, Florence)
May 6, 2024
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ああ五月一日は雨である。 さみだれや散る花あれば咲く花も 青穹(山田維史) さみだれや友の葉書の濡れてあり 五月雨の音も緑にけむりけり 五月雨や若葉打つ音さまざまに
May 1, 2024
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ミケランジェロの詩はイタリア語の原詩を見ると、みごとに韻を踏んでいる。英語訳や日本語訳にするとどうしても原詩の韻を無視して意味だけを汲むことになる。元来、詩は読むのではなく口に出して音を楽しむものだ。それは欧米の詩にかぎらず日本の詩も同様である。 イタリア語の長い詩を翻訳することは私には無理であるが、四行詩ならばなんとかなるかもしれない。イタリア語の発音はほぼ「ローマ字読み」であるから、口に出してみるのもおもしろそうだ。イタリア民謡の「オー・ソレ・ミオ」や「帰れソレントへ」をイタリア語で歌うように・・・ミケランジェロの四行詩【イタリア語の原詩】Sol io ardendo all'ombra mi rimango, quand'el sol de'suo razzi el mondo spoglia; ogni altro per piacere, e io per doglia, prostrato in terra, mi lamento e piango.ソル・イーオ・アルデンド・オロンブラ・ミ・リマンゴ、クアンデル・ソル・デスオ・ラッツィ・エル・モンド・スポリア。 オーニ・アルトロ・ペル・プラチェレ、エ・イーオ・ペル・ドリア、プロストラート・イン・テラ、ミ・ラメント・エ・ピアンゴ。【英語訳】Only I remain burning in the shade, when the sun despoils the world with its flares; everyone else for pleasure, and I for pain,prostrate on the earth, I lament and cry. (translated by Tadami Yamada)太陽が世界からその輝きを取り除くとき、私だけが日陰で燃えつづけている 人々はみな快楽のために、私は痛みのために地面にひれ伏し、私は嘆きそして泣く (日本語訳;山田維史)
Apr 30, 2024
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行く春や押し黙りたる籠の鳥 青穹(山田維史) ◯行く春や声も嗄れたり籠の鳥 行く春やみみずのたくる土の中 行く春や一寸ちぢむ背丈かな 行く春や胸のたかなり訳もなく 行く春やただ勃然と青二才 新妻のかたむけ行くや春日傘 白緑の背丈のびたり葱坊主
Apr 29, 2024
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昨日にひきつづきミケランジェロの詩を翻訳してみた。この詩はローマの若い貴族トマソ・デ・カヴァリエリに宛てて書いたと推測されている。芸術創造の源である「創造の火」について述べているのであるが、トマソ・デ・カヴァリエに対する「恋の火」について告白しているとも思われる。1532年ごろに書かれた詩なので、ミケランジェロは57歳頃である。 イタリア語の原詩を昨日同様にイエール大学のJames M. Saslow氏が英訳したものを私山田維史が日本語に翻訳した。 Poem 62, ca. 1532 Only with fire can the smith shape iron from his conception into fire, dear work; neither, without fire, can any artist refine and bring gold to its highest state, nor can the unique phoenix be revived unless first burned. And so, if I die burning, I hope to rise again brighter among those whome and time no longer hurts. I'm fortunate that the fire of which I speak still finds aplace within me, to renew me, since alreay I'm almost numbered among the dead; or, since by its nature it ascends to heaven, to its own element, if I should be trasformed into fire, how could it not bear me up with it? (translated by James M. Saslow) ただ火によってのみ鍛冶屋は自らの想いから鉄を火に変えることができるのだ、愛しい作品よ;火がなければいかなる芸術家も金を精製することも最高の状態にすることもできない、そればかりか最初の火がなくては比類なき不死鳥を蘇らせることもできない。もし私が燃えながら死んでも 私は願う死の増大ともはや時間に傷つかぬ人の中で再びいっそう輝いて立ち上がることを。 私は幸せだ私が斯く述べている火が依然として私の中にあり、私を新しくしていることを。なぜなら私は死者の中に数えられそうだったのだから;あるいはその性質のごとく天に昇り、それ自身の元素へと昇るのだから、もし私が火に姿を変えられたなら、それに耐えられないはずはなかろう? (日本語訳;山田維史)
Apr 27, 2024
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ミケランジェロ(1475-1564)は、285篇のソネットを書いた。その中から1528年頃につくられたと思われる第46番の詩を翻訳してみた。原詩はもちろんイタリア語であるが、私はイタリア語は解らないので、イエール大学のJames M. Saslow氏による英語訳を用いた。ただしSaslow氏は4連のソネット形式ではなく一連の詩として記述している。Saslow氏はおそらくイタリア語のソネットを英語の韻を踏んだ厳格なソネット形式に翻訳不可能と考えたのかもしれない。私はむろん日本語で韻を踏めなかったが、日本式ソネットの4連に分けたことをお断りする。 Poem 46, ca. 1528 If my crude hammer shapes the hard stones into one human appearance or another, deriveing its motion from the master who guides it, watches and holds it, it moves at another's pace. But that divine one, which lodges and dwells in heaven, beautifles self and others by its own action; and if no hammer can be made without a hammer, by that living one every other one is made. And since a blow becomes more powerful the higher it's raised up over the forge, that one's flown up to heaven above my own. So now my own will fail to be completed unless the divine smithy, to help make it,gives it that aid which was unique on earth. (translated by James M. Saslow) 私のそまつな鎚が硬い石を人間の姿やその他に形作るとき親方の指導と監視とその手に握られて動くならその動きは別ものの動き しかし天に居ませる聖なるお方は御自らのおこないで御自身と他者を美しくするそして鎚無くしては鎚をつくれないとしてもその生きているお方は別のものををつくられる そして一撃はいっそう力強く鍛冶場の上にもちあげられより高く私自身のものより上に天を目指して舞い上がる それで今や私の意思は完成しないのだ制作をたすけてくれる神の鍛冶場なしではこの地上で比類ないご助力を賜ることなしでは (日本語訳;山田維史)
Apr 26, 2024
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我が幼年時代の思い出 高見澤家の雛人形 神韻や古き衣冠の享保雛 ◯神さびて古き衣冠や享保雛 亡母制作の某家の雛人形 いまいずこ母の創りし雛人形 ◯里遠く亡母創りし雛人形 更けゆくは息子ばかりの雛祭 菱餅をほおばる男児雛祭り山田維史 「立ち雛」
Mar 3, 2024
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菅原道眞忌北野天満宮梅花御供 京都も東京も雨 たそがれの雨に煙りて梅花御供 青穹(山田維史) 日暮らしの時雨れる京の梅の花 朧げや傘に降り敷く梅花御供 しら梅や三つ四つ五つ石畳 湯島天神 しら梅や傘かたむける湯島かな しら梅や傘に降りつむ女方 しら梅やもうこれきりかと念者ぶり しら梅や地獄の沙汰も垣の外
Feb 25, 2024
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雪解けや現れいでし庭の下駄 青穹(山田維史) 雪解けや流れに映る青き空 残雪やぽつりぽつりと雫穴 残雪や日向日陰の雪の色 残雪や日向日陰の色ちがい
Feb 11, 2024
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初雪 初雪や障子に映るほの明かり 青穹(山田維史) 初雪やはや門柱に一二寸 初雪や別れて淡き影となり ぐずぐずと寝床にちぢむ雪の朝 いつまでも寝床で見やる窓の雪
Feb 6, 2024
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二月 冬椿ほろり音なく二月かな 青穹(山田維史) 目覚めれば春雷にせて軍機過ぐ 春眠をやぶり天心軍機過ぐ 春暁の眠りやぶりて軍機過ぐ ◯庭草や春天心を軍機過ぐ 春暁もまた春宵も過ぎ行けり【題自註】二月初めの六つの拙句に掛けて・・・ 惨苦(さんく);いたましい苦しみのこと。 四苦(しく);仏教語で生、老、病、死のこと。 吾句(ごく);自分の句。自分のことば。 六垢(ろっく);仏教語。煩悩から生じる悩(なやみ)、害(そこない)、恨(うらみ)、諂(へつらい)、誑(たぶらかし)、憍(おごり)。・・・ブログ左のフリーページ掲載の拙論『「さゝめごと」に現れた十識について」を参照されたい。
Feb 1, 2024
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寒灯 降る降らぬ雪占いする山家住み 青穹(山田維史) 寒灯や待ち人は来ず更けにけり 寒灯や待ち人は来ず更けて行き ◯寒灯や待ち人は来ずふけてゆく 寒灯や迷うか門(かど)に薄き影 寒灯や門に孤影の見えかくれ
Jan 25, 2024
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降るかと想っていた雪は降らずにすんだ。満面の笑みのような昼の日差し。しかし冷え込みは鋭い。 遠国の砲声なりや雪起こし* 青穹(山田維史) 遠国の砲声重なる雪起こし 遠国のつづる文にも雪起こし 今日もまたいびつ顔なる福笑い* ◯ 福笑いいびつ顔なる去年今年(こぞことし)【自註】 ●「雪起こし」:北国などで雪が降る直前に雷が鳴ることがあり、それを「雪起こし」と言う。 ● 「いびつ(歪)顔」は、福笑いの「えびす(恵比寿)顔」に掛けた。現代では正月の目隠しして遊ぶ「福笑い」をしないかもしれない。「遠国の砲声」の句を気持ちの上で引きずった厭戦句。
Jan 14, 2024
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2024年初詠吟 禅寺の鐘すみわたる寒の入 青穹(山田維史) 禅寺の鐘のひびきも寒の入 老いの身の力まかせや弓始 ひと刷毛に齢かさねる寒復習(かんざらい)
Jan 6, 2024
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世界の子供等の飢餓に 空也忌や食うや食わずのお念仏 青穹(山田維史) 空也忌や食うや食わずの涙数珠 空也忌や風に消えゆく鐘の音
Nov 13, 2023
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通草(あけび) 蔓あけび切りて更地になりにけり 青穹(山田維史) 空手家の背後で割れるあけびかな たなごろに夜の卵のあけびかな
Oct 4, 2023
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秋の暮れ 遠き灯のまたたきそめし秋の暮れ 青穹(山田維史) 鴉きてひと声ひくく秋の暮れ 栗飯の炊けゆくけむり日も暮れぬ
Sep 27, 2023
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糸瓜の影濃くありて子規忌かな 青穹(山田維史) 三苦世に三句遺して子規忌かな 三苦界三句遺して子規忌かな【註】仏教では人間に三苦あるとする。「老・病・死」である。仏教の究極の目的は、この三苦を断つことである。正岡子規は糸瓜を詠み込んだ三句を絶筆として、明治35年、36歳で亡くなった。
Sep 19, 2023
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あすからは残暑も去ると報じおり 青穹(山田維史) 茜さす秋めく風や窓に凭る 茜さし風秋めいて凭る窓辺 戸をたたく耳まぼろしに漏れる月 戸をたたく耳まぼろしや月あかり 戸をたたく耳まぼろしや月の影 人恋うは老いのならいか秋ゆえか 限りある命のひまや秋の暮 蕪村
Sep 3, 2023
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秋草の露 さよならも言わず去りゆく夏の日々 青穹(山田維史) さよならも言わず去りゆく夏の恋 水切りの小石投げたり月見草 新涼や戸をたたかずに佇めり 秋風や訪いの戸をためらいて 日曜は大工音なく秋の蝉 今日はきょう明日はあしたの草の露
Aug 27, 2023
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平山城址にて 何も無き山城の跡荻の風 青穹(山田維史) 草伏して山城の跡荻の風 赤城富士高尾のぞみて城の秋 猿狸いづこに行きし城の秋 猿狸いづこに追われ城の秋 猿渡(さわたり)の池水のほとり月見草 猿渡の隠水(こもりず)暮れて月見草 秋茄子や火影のもとに艶めきて 秋茄子や火影にすぐる紫紺かな 秋茄子や白磁にすぐる古き妻 秋茄子や深き紫紺に老いの恋
Aug 25, 2023
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小庭の小さな秋 抜け殻を残して遠啼く秋の蝉 青穹(山田維史) 秋草や夏のなごりの稲光 水引ののびたるさきに雨しずく 湯上りの裸にふいと新涼かな
Aug 23, 2023
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夏未練 わずかでも日陰もとめて夏真昼 青穹(山田維史) この暑さ暑さすぎれば夏未練 青空に姿よき雲夏みれん きのうとは異なる風や新涼かな ついと出る鼻歌もはや秋のうた (追加) 会えばまた心なの夏わかれ 振り向かず振り向かず行く夏わかれ
Aug 17, 2023
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江戸の「松風」私論 山田維史 【注】本稿の加筆訂正稿を2023年12月24日ブログおよび左フリーページに再掲載しました。 「松風」といえば「源氏物語」の十八帖「松風」を連想する人は少なくないであろう。須磨の浦のいわくありげな松にまつわる海女の物語である。能の「松風」も同じ伝説をもとにした女の恋の妄執の物語である。恋に狂い死んだ松風と村雨という名の双子の汐汲み女の墓が、須磨の浦の松だった。私自身、国立能楽堂で演じられた際の「松風」のポスターを制作したことがある。 松は海からの風避けのためや防砂林として浜辺に植えられることが多かったこともあり、景勝地として広重の「東海道五十三次」にも描かれた静岡市の三保の松原、万葉集に詠まれた敦賀市の気比の松原、あるいは羽衣伝説がある天橋立の松原など、各地に海辺の松原の名所がある。唱歌「海」は、作詞作曲者は不明ながら、「松原遠く 消ゆるところ 白帆の影は 浮かぶ」と、知らない人はいないほど親しい歌である。「磯部の松」という成語もある。須磨の浦の松も、身も蓋もない言い方だが、元はといえばそのような磯部の松、浜の松だったのだろう。 片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典』(増訂版)は「松」の項に、「松の梢を吹く風、つまり松籟も云々」と述べ、拾遺集雑上の斎宮女御の歌と新古今和歌集雑中の家隆の歌を例示している。すなわち、 琴の音に峰の松風かよふらし いづれのをよりしらべそめけむ 斎宮女御 (琴の音に似通う松風はどんな緒締めで奏ではじめるのだろう) 滝の音松の嵐も馴れぬれば うち寝るほどの夢は見せけり (藤原)家隆 『拾遺集』(一〇〇六年頃か)は勅撰和歌集の第三番目であるが、最初の『古今和歌集』(九〇五年)には、「松風」という成語の歌はない。あえてとれば、巻七卷賀に素性法師の歌として次の一首がある。ちなみにこの歌の作者は、一説に柿本人麿とある。 住の江の松に秋風吹くからに 声うち添うるおきつ白波 素性法師 前述の片桐洋一氏が『新古今和歌集』(一二〇五年)から家隆の歌を引いたが、『新古今集』にはほかに三十首の「松風」を詠み込んだ歌がある。そのなかからいくつかを、現代仮名遣いにし、原文の仮名書きを漢字に直して引用してみる。 秋くれば常盤の山の松風も うつるばかりに身にぞしみける 和泉式部 ながむれば千々にものおもう 月にまた我が身ひとつの峯の松風 鴨長明 まれにくる夜半も悲しき松風を 絶えずや苔の下に聞くらん 藤原俊成 また、一二〇四年の春日社歌合において兼題「松風」があったことが、藤原有家、藤原家隆の詞書によって知れる。その二首、 我ながら思うか物をとばかりに 袖にしぐるる庭の松風 藤原有家 (少しばかり物思いに沈む私だが涙で袖を濡らす庭の松風であるよ) かすがやま谷の埋れ木くちぬとも君につけこせ峯の松風 藤原家隆 『新古今和歌集』は後鳥羽上皇の勅命により編まれた。『古今和歌集』以後に編まれた八っつの勅撰和歌集の最後である。その後鳥羽上皇(一一八〇ー一二三九)が、承久の乱によって配流された行在所(現在の愛知県)海部郡葛田山源福寺の庭の池畔に次の歌を詠んでいる(後註)。 蛙なく葛田の池の夕畳 聞くまじ物は松風の音 (蛙が鳴く葛田の池の夕べは深まるが、松風の音は聞こえそうにない) 私は平安・鎌倉時代の歌のなかの「松風」を見てきた。当時の貴族たちは、「松風の音」には特別な雅趣あるいは哀愁を感じていたようだ。 さて私は貴族文芸として発達した和歌を離れ、以下に、新しく興ってきた俳諧に表現された「松風」をめぐって、江戸時代には「松風」がどのような景色をつくっていたかを試みに検証する。とりあげたのは慶紀逸(けい きいつ:一六九五年~一七六二年)が編纂した『武玉川(むたまがわ)』(一七五〇年刊)。岩波文庫の山澤英雄氏校訂の同書(二)を使用した。この(二)は『武玉川』の十八篇中の六から十篇を収める。 慶紀逸は、本名を椎名件人(しいなかずひと)、父親は幕府御用鋳物師でいわゆる町人である。私があえて町人と記したのは、慶紀逸が『武玉川』に選定した俳諧を見ると、先人松尾芭蕉 (一六四四~一六九四)やその後の与謝蕪村 (一七一六~一七八四)の俳句にはほぼまったくといってよいほど見られない庶民の日常(性事情などを含めて)が息づいているからである。しみじみとした哀感や、読み手の含み笑いや爆笑をさそう、・・・じつは現代人の私には解釈不明な句も多いのだが・・・まさに「あっ!」と驚くような江戸時代の生活が観察されている。松尾芭蕉が西行を敬愛して高尚文芸としての俳句を目指して生活感を排した(と私は思っている)のとは大いに異なり、慶紀逸の句は軽妙洒脱、ときに社会戯評、あるいは警句のようでもあり、季語もなく、のちに興る川柳のさきがけと評されるのも宜なるかなだ。 そうした慶紀逸の本質を論じるには「松風」よりむしろ江戸の性事情のほうがふさわしいのだが、それはまた後の事としよう。 まず慶紀逸の選定した句の「松風」の前に、松尾芭蕉と与謝蕪村の「松風」を見てみる。 ・・・ところが芭蕉の全句を調べて、「松風」に言及しているのはただ二句だけである。 松風の落葉か水の音涼し (蕉翁句集) 松風や軒をめぐって秋暮れぬ (笈日記) 次の句を採って三句というところか。 松杉をほめてや風のかをる音 (笈日記) あえて解釈することもないだろう。 蕪村の句は、岩波文庫・尾形仂氏校注『蕪村俳句集』の全一〇五五句を調べた。「松風」は一句も無かった。 次に岩波文庫『武玉川』(二)の「松風」という語がでてくる句をすべて列記してみる。ただし原句は読みにくいので、山澤英雄氏の校訂に拠りながら、送り仮名等を加え漢字を替えて読みやすくした。 松風の吹きくたびれて竪に降り (松風が口を尖らせて吹いているが、いいかげん疲れてきて首を縦に振っている。風の吹き様を軽妙に詠んだ。) 杉を吹く少しの事で松の風 (この句の解釈は素直に読めるが、一方、捻った読みもできるかもしれない。むずかしい。あえて試みれば、芭蕉門下の俳人に杉山杉風(すぎやまさんぷう)がいる。もう少し吹けば杉風になるのに、残念、高さがちがう。松風だ。) 松風計る住吉の升 (住吉大社の神事の「升の市」は、現在もおこなわれている。その市で売られる升で吹く松風を計る、という句。句頭の松(マツ)と末尾の升(マス)と、音の遊びが感じられる。) あがたの神子(みこ)の松風に乗る (県神子(あがたみこ)は諸国を勧進しながら神降ろしや口寄せをした。松風とともに訪れる。あるいは松風という名の薫物(たきもの)の香りにのせてやって来る。薫香「松風」は、沈香、丁子、鬱金、甘松、朴の根を練り合わせたもの。) 松風を凩にする材木屋 (材木屋が材を寝かせて乾燥させるには木枯らしが適している。材木屋は松風さへも木枯らしにしてしまう。) 松と風との甘い相談 (もとはといえば松は松、風は風。それが親密な相談をして合体して松風となった。) 暑い日に折りても見たき松の風 (暑い暑い。松に風が吹くなら、折って手元で風を吹かせたい。) 松風に案じが付くと銭の息 (松風も心配事があると金の工面のため息になる。風流がってばかりいられない。) 濡れ手へしかと請ける松風 (濡れ手に粟という。商人が濡れ手で粟を受けると、粟は掌に貼り付き、その分だけ儲けになる。これを踏まえて、松風も濡れ手で受ければ貼りつくという、庶民の知恵の喩え。読んだ人は軽く笑うだろうような句。) 銭の有るうちは聞こえぬ松の風 (懐にたっぷり金があるうちは、侘びた松風の音など聞こえない。) 江戸の友には合わぬ松風 (せわしなく賑やかな江戸の友人には、京風な侘びた雅な松風は似合わない。およびじゃない。) 松風の裾分けをする扇かな (松風が吹き、着物の裾を割る。手にした扇で抑える色気。ただし表向きの意は、香りのよい松風を扇であおいで隣の人へお裾分け。) 松風と代わり合いては千鳥啼く (浜の松風である。吹いてはちょっと止む。すると松風の音に代わって千鳥の啼く声が聴こえる。交互に鳴き交わしているかのようだ。・・・俳句では千鳥は冬の季語。) 杉へ来て心の直る松の風 (杉はまっすぐに立つ。松は幹も枝も曲がっている。曲がった松から吹く風も、杉に来て真っ直ぐになる。) 淋しい銭を使う松風 (懐が淋しいなぁ。ちぇっ、これっぽっちの銭だ。使えば吹く松風にいっそう侘しくなるぜ。) 水道に反りの合わぬ松風 (この水道は、ひねるとジャーの水道ではない。玉川上水や安積疏水、そこから引いた上水道のことだ。江戸は上水道が発達していた。むろん各戸に引かれていたのではない。庶民は戸建に住めなかった。長屋の共同井戸に引かれていたのである。そのような水道には、松風の風流は似合わない。・・・上述の芭蕉の句の情景とは逆である。) 松風を琴とは常の耳でなし (あらっ、誰かが琴を。おまえ、あれは松風の音だよ。そうかしら、私には琴の音に聴こえますわ。おまえの耳は、どうも常人の耳じゃないね。) 松風は風の中での通り物 (松風といえばそれだけで通用する、風の中の有名だ。) 松風に蓋をして置く六(むつ)の花 (ああ、雪が降ってきた。六角形の結晶が美しい。松風には蓋でも被せて、ちょいと遠慮してもらおう。「六の花」とは雪の結晶のことである。) 松風の都へ引ける十二月 (江戸じゃ十二月の松風は雅趣もなにもあったもんじゃねぇ、ここは都へ引き取ってもらおう。) 衣がえもう松風を顔へうけ (さて、この衣替えは春夏か、それとも秋冬か? 「更衣 (ころもがえ)」は夏の季語、現代では五月の季語。しかし『武玉川』を繰っていると、夏の着物を質に入れて冬物を請け出す句に出会う。しがない庶民にとっては季節の変わり目、二つながらに衣替えだったのだろう。そのどちらかによって松風の吹き様と、この句のおもむきがことなる。読み手の心まかせというところ。) 呑み込んで枯野を通る松の風 (人の世のなにもかにもを呑み込んで、松風は枯野をわたって行く。芭蕉の「旅に病み夢は枯野を駈けめぐり」を踏まえているかもしれない。) 袂振るえば松風が出る (松風が着物の袂に入って袂をふくらませる。ふくらんだ袂をあわてて振れば松風は出てゆく。) 裾からあたる曽根の松風 (兵庫県高砂市曽根町の曽根天満宮に「曽根ノ松」という神木がある。菅原道眞の手植えの松と伝わる。約六八〇年後、羽柴秀吉による播州征伐の戦火にあいながら生き永らえ、その二〇〇年後の寛政十年(一七九八)に枯死した。現在の「曽根ノ松」は何代目かであるが、この句が詠まれた当時は初代の道真手植えの松であったはず。かなりの巨木だった。その神木から吹く松風は、拝する者の足元から頭まですっかり包み込むのである。) 以上二十四句を解釈してみた。 私の解釈が正しいとは断言できないし、私が読み取れない江戸時代には常識であった隠れた意味があるのかもしれない。ただ言えることは、この時代、「松風」は、平安・室町時代のあの須磨の浦の松から遠く隔たっている。恋の妄執のイメージ、死してなお煩悩に苦しむ哀れのイメージを託された「松風」は、俳諧『武玉川』の句にはその朧な影さへも揺曳していないのである。 ここで一つ考えられることは、平安時代の貴族文芸における「松風」と江戸町人文芸の「松風」の趣の違いは、文化的階級差のあらわれかもしれないということだ。町人である慶紀逸が、「江戸の友には合わぬ松風」と言い、「松風の都へ引ける十二月」と言うのは、あきらかに貴族文化の影響がある京都と町人文化が武家文化を凌いで盛んになりつつあった江戸との対比である。たんに対比しているのではなく「張り合って」いる気風がうかがえる。 慶紀逸の逞しささへある率直・荒削りな句に比べると、平安時代の西行を敬慕した松尾芭蕉の松風一句「松風の落葉か水の音涼し」は、いかにも嫋やかだ。作品としての俳句において、世俗に行動的に関わってゆこうという意思はない。その意思は、俳匠としてなかなかの政治家であった松尾桃青芭蕉の本性とはことなる。その点、芭蕉は近代的な芸術家だった。 「江戸の松風」は、意外にも、見過ごしにできない日本文化の文化的階級差の問題を示唆しているのではないだろうか。【註】引用した和歌五首の出典は、全て『新古今和歌集』から次のとおり。和泉式部(巻四和歌上)、鴨長明(巻四和歌上)、藤原俊成(巻八哀傷歌)、藤原有家(巻十七雑歌)、藤原家隆(巻十八雑歌)。【註】南方熊楠の論文「鳴かぬ蛙」に、『隠州視聴合記』にこの後鳥羽上皇の歌があることを記述してる。(『南方熊楠文集 2』平凡社、p.56)初稿に加筆訂正した(9月26日)
Aug 13, 2023
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嵐過ぎ入道雲や峰に立つ 青穹(山田維史) 峰に置く積乱雲の高尾かな ひともとの木陰嬉しや夏盛り 涼風も気の迷いなりただ暑し 素裸になりて水飲む暑さかな
Aug 2, 2023
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海の日や山家すまいの端居かな 青穹(山田維史) 中継の祇園囃子で水を打つ 昔、私が大学2年の夏休みだった。ある地方の田舎町周辺の寺院の仏像を取材するために、学友の実家に数日間滞在させてもらった。学友は東京に居て、私一人だけがご両親にお世話になったのであった。私一人が占有する一部屋をあてがわれ、自転車まで用意して私が寺院を尋ね回る便宜としてくださった。私はカメラを首にぶらさげ、あちらの寺に行っては住職の話を聞き、こちらの寺に言っては重要文化財の仏像を仔細に観察させてもらった。 そんな60年近くになる昔のことを思い出したのは、友人の実家でご両親と雑談していた居間で、ちょうどテレヴィが京都の祇園祭の山鉾巡行を中継していたことを思い出したからだ。コンチキチン、コンチキコンチキ、コンチキチンという鉦の音が耳によみがえり、まさに今日、京都からおくられてくる祇園山鉾巡行の中継映像に重なったのである。 そうそう、友人のご両親は、私の寝具に寝苦しくないようにと陶枕と竹夫人を用意してくださった。陶枕はともかくも、竹夫人にはおどろいた。二十歳そこそこの身にエロチックな想像がおこり、なにしろ初めてのシロモノに興味津津、遠慮なく抱いてみた*。【註】陶枕(とうまくら):中が空洞の陶器の枕。藍の染付などの風雅・古雅な絵付けのものが多い。 竹夫人(ちくふじん):竹で編んだ籠。夏、寝るときに涼をとるため足をもたせかけるなどする。昔の中国伝来の物。籠枕も同様に涼をとるために用いる。
Jul 17, 2023
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紫陽花や東都は雨に打たれけり 青穹(山田維史) 梅雨空を眺めて鳴くや雨蛙 雨蛙まばたきをして払う梅雨 釘折れの夏書(げがき)に花の雫かな ため息や予報たがわぬ梅雨の空
Jun 11, 2023
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豪雨去り 豪雨にも負けじと耐えて柿の花 青穹(山田維史) 耐えてのちほろほろ散るや柿の花 滴りて敷石滲むなめくぢり* (なめくぢり;蛞蝓)
Jun 5, 2023
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もじずり草 裏宿にしのぶ文字摺とおり雨 青穹(山田維史)
May 13, 2023
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母在りし日の五月五日 八つ橋を亡母手をひく菖蒲園 青穹(山田維史) 男の児うまれて今日の初節句 いたいけや裾濃(すそご)紫端午かな
May 5, 2023
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ゆく春や橙の刺をするどくし 青穹(山田維史) ゆく春や橙の花白く散る ゆく春や橙の花散り敷きぬ ゆく春や城址の緑濃くなりて 蒲公英の綿毛はまるく春惜しむ 蒲公英の綿毛あえかに春惜しむ
Apr 30, 2023
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水草の揺れるを見てる日永かな 青穹(山田維史) いずこより流れ来たるや花筏 春駒の軽き駆けりや老いの夢 春駒の駆ける軽さよ老いの夢 春駒の駆けるや駆ける夢のなか 春駒の嘶きたかし牧の家 母に添い嘶きうれし春の駒
Apr 9, 2023
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夕刊を庭で立ち読む日永かな 青穹(山田維史) 永き日や散りし椿の影深く 老いぬれば沈丁の香に惑わざる 沈丁や憶い捨ててもその香こそ
Apr 6, 2023
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鶯や連理の枝の初音かな 青穹(山田維史) 鶯の鳴いて散りゆく山桜 草餅の緑濃くして春日かな 春の日や緑濃くする草の餅 草餅に茶を淹れかえる媼かな 山肌にポップコーンの辛夷かな
Apr 3, 2023
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浅川堤を行くと、浅瀬に白鷺がじっと川面をみつめて餌をねらっていた。と、さっと飛び立ち、私の目の前2,3メートルのところを横切った。私は驚いたが、野生の飛鳥をこんな間近に見たことはなかったので喜んだ。胴体のふくらみ、羽下の様子が良く見えた。餌を捕獲できたのであろうか。巣に雛がいるのだろうか。・・・一般に鷺類は、巨木の梢に木の枝を集めて、いささか粗雑な巣をつくる。産卵や抱卵は、だいたい4月頃のようだ。・・・私の目の前をよこぎった白鷺は、春の到来にさきがけて産卵し、すでに雛が育っているのかもしれない。そうだといいなぁ。 水温む浅川べりに鷺の漁 青穹(山田維史) 水温む目に白たえの鷺の漁 ◎ 水温む目に白たえや鷺の漁 白鷺や翼たたきて春や春 夕方、もう10センチ余も伸びたアガパンサスに水をやっていると、小雨が降ってきた。わざわざ水をやるまでもなかったか、と思いながら、他の植木にも撒水。 宵入りの春雨ひらく女傘 青穹(山田維史) 春宵の小雨にひらく女傘 ◎ 入相の春雨けむる女傘 春雨や小走りにゆく女靴 春雨や皺肌濡らす宵の入り 春宵や老いのたわむれ指の文字 春宵や老いのたわむれ肌に文字
Mar 5, 2023
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