フィギュアスケート 0
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第96回米アカデミー賞授賞式がロサンゼルスで現地時間10日に開催され、山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』が視覚効果賞を受賞した。日本映画が視覚効果賞の栄誉に輝くのは史上初めて。 さらに長編アニメーション映画賞に宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』が受賞した。 すばらしい。おめでとうございます!
Mar 11, 2024
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観たい観たいと長年思っていたジャン・ルノワール監督の映画『黄金の馬車』 (The Golden Coach) をYouTubeが掲載していた。日本語の字幕が付いている。 舞台は18世紀の南米スペイン植民地。総督が公用車という名目で購入した豪華な黄金の馬車を運んできた船で、イタリアの仮面劇(コメディア・デラルテ)の一座が新天地で一旗揚げようとやってきた。そして一座の花形カミーラ(アンナ・マニャーニ)をめぐる騎士と闘牛士と総統との恋の鞘当ての始まり。原作はプロスペル・メリメの一幕戯曲。映画は1952年の作品。1993年に日本初公開。 監督ジャン・ルノワール(1894-1979))は、画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男。またこの『黄金の馬車』を撮影したクロード・ルノワール(1914-1993)は三男。 深刻なものは何一つ無い、と言いたいところだが、原作がメリメであるし、監督は『大いなる幻影』『南部の人』のジャン・ルノワールである。表面に出てこないがセリフのちょっとした端々に、植民地支配階級と原住民とのはなはだしい格差が語られる。遊興階級である貴族の税優遇や、庶民に対する侮蔑となってあらわれる教育格差。あるいは黄金の馬車に象徴される権力。あるいはまた公金の私的流用等々。まるで日本の国会議員のようだ。・・・こうした問題は、映像によって深刻化されてはいない。が、映画全体を通して語られているのである。 この映画の構成を私はおもしろく思った。 映画は劇場の舞台で始まる。幕が開くと正面に大階段を据えた舞台装置。それは総督官邸の大階段である。黄金の馬車が運ばれて来たというので、みなが一斉に階段を駆け上がり一室に突入して行く。・・・そのあとをカメラが追い、一室に入ると、ここから舞台装置ではない現実の官邸内部になっている。まったく自然な流れで切り替わる。この後に総督官邸で繰り広げられる事件が、すでにして仮面劇一座の出し物である喜劇悲劇という枠組みである。すばらしい導入部だ。 映画は実は二部構成と言ってもよいだろう。第一部と第二部とのあいだにインターバルがあるのではない。仮面劇一座の老座長が舞台幕前で観客に向かって「二幕の始まり」と口上を述べるのである。物語はここから少しばかり色合いがちがってくる。一座のヒロイン、カミーラをめぐる恋の鞘当てが深刻さを帯びてくるのである。・・・そして、大団円へ。詳しくは述べないでおくが、再び映画冒頭と同じ大階段の舞台装置。ひとりカミーラが降りてくる。彼女は自分の宿命に気づく。女優は、舞台を離れられないことに・・・。ジャン・ルノワール監督『黄金の馬車』
Mar 8, 2024
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めずらしい映画をYouTubeで観た。ギリシャ悲劇ソポクレス原作の『オイデプス王』である。母子相姦の物語で、フロイドの精神分析エディプス・コンプレックス論の由来となっている。紀元前420年ごろに初演された劇が、2450年後の現在も上演され、また映画化されているのはひとつの驚きである。それだけ普遍的なメッセージが込められているということだろう。 きょう私が観た『オイデプス王』は、1957年の映画で、サー・ティロン・ガスリーが撮った。彼はもともとは映画作家ではなく演劇監督である。実はこれが私はすばらしくおもしろかった。古代ギリシャ演劇のスタイルを踏襲したような仮面劇だった。したがってすべての出演者の素顔は見えない。したがって顔で表情を出せない。私が感嘆したのは実に狭い舞台空間で演じるその演技力であった。セリフ術(エロキューション)の見事さだった。そしてほとんどデコレーションのない、短い広階段とギリシャ風円柱だけの舞台セットながら、その重量感であった。さらに是非述べておきたいのは、全員の仮面のつくりの素晴らしさである。俳優の素顔が見えないだけに、仮面はよほど丁寧に重厚に造詣しなければならなかったはずだ。もしもツルリとした非個性的な仮面ならば、いくら俳優が舞台上を動いても観客の目には平板に見えるだろう。しかし私の目には、十分なほど芸術的な奇怪な美を表出していた。仮面製作はタニア・モイズウィックとジャクリヌ・カンダル。 ところで、『オイデプス王』の映画といえば、私はピエール・パオロ・パゾリーニ監督の『オイデプス王』も忘れられない。私の資料箱に日本公開時の劇場パンフレットがあるはずだが、いまはちょっと探し出す時間がない。 そうそう、他にもオーソン・ウェルズが出演したユニヴァーサル作品がある。 BBCが制作した舞台劇風なTVフィルムもある。1986年の作品だ。この出演俳優もみなすばらしい。このフィルムを観ていると、やはり英国のシェイクスピア演劇が培った俳優術のようなものが、たとえシェイクスピア役者でなくとも、心身に根付いているのではないか、と思ってしまう。出演者はほぼ全員が年配者である。おとなの芝居を見せられるのだ。立っているだけで人生を感じさせる、どっしりした存在感がある。声もすばらしい。 というわけで、ちょっとYouTubeを検索してみると、上記の『オイデプス王』が見つかった。画像が鮮明でないものもあるが、どんなスタイルかはわかる。以下にURLを掲載し、『オイデプス王』の見比べといこう。ご興味ある方もどうぞ。 1957年サー・ティロン・ガスリー監督 1967年ピエール・パオロ・パゾリーニ監督 1968年フィリップ・サヴァイル監督 1988年BBC/TV作品
Feb 6, 2024
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先日来、シェイクスピアの戯曲や詩を本場イギリスの名優によるパフォーマンスを見聞きしてきた。「リア王」をジョン・ギールグド卿主演のラジオ放送に私は感銘した。今日は同じ「リア王」を名優イアン・マッケレン主演のTV映画を観た。 敬愛されているシェイクスピアである。16世紀に書かれた戯曲が、現在もしょっちゅう何処かの国で上演されている。それゆえに、と私は推測するのだが、イギリスの俳優たちはシェイクスピア劇に出演することを切に願っているようだし、上演するとなれば「沽券」にかけて最高の演出・演技を見せる。ちょっとシーちゃんに手を出してみたなどという軽薄さはどのシーンにも一瞬たりもない。そしてイギリスの名優と敬されるほどの俳優は、男優も女優もみなシェイクスピア劇に出演している。映画俳優としてシェイクスピア劇に出演するというのではない。むしろ逆である。映画出演は彼/彼女にとって付け足しだとは思はないが、シェイクスピア劇で確かな俳優としてのキャリアを積んでいるのである。私はそこに興味を惹かれる。 イアン・マッケレン主演のTV版「リア王」は、ジョン・ギールグド主演のラジオ版「リア王」と同様にイギリスの教育目的の作品らしい。 シェイクスピア原作と照らし合わせながら観ると、原作通りのセリフであるが、セリフのところどころをカットしている。勿論、それで意味や心理の流れが飛ぶことは無い(あたりまえだ)。「リア王」Television-film 2008 More4 UK、2008年クリマスに放映 シェイクスピア「リア王」をベースにした脚色、共同制作: マクシミアンノ・コブラ、MISANTHEROPOS 監督:トレヴァー・ナン 出演:イアン・マッケレン(リア王) ロモラ・ガレイ(三女コーデリア) ウィリアム・ゴーント(グロウセスター伯爵) ジョナサン・ハイド(ケント伯爵) フィリップ・ウィンチェスター(エドマンド) シルヴェスター・マッコイ(道化) フランセス・バーバー(長女ゴネリル) モニカ・ドラン(次女リーガン)イアン・マッケレン主演「リア王」TV版
Dec 4, 2023
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10年ほど前、バーミンガム大学チームがシェイクスピアの故郷ストラットフォード・アポン・エイボンのニュー・プレイス跡で、「シェイクスピアの家」の発掘調査をした。チュウダー様式のこの家は20部屋もあり、当時のこの町でもっとも大きな家であった。シェイクスピアは1610年に彼の最後となった戯曲「テンペスト」を書き、ロンドン・グローブ座で上演した。グローブ座は1613年に火災により消滅した。その後シェイクスピアは故郷の上述の家で家族や多くの召使いと暮らし、1616年に死去した。このシェイクスピアの家は1702年、通りに新しい家が建設されて失われてしまった。バーミンガム大学の研究者チームは古文書を手掛かりに「シェイクスピアの家」の発掘を開始したのである。 この発掘経緯はYouTube「TIME TEAM」でイギリスで2012年3月11日に放送された。シェイクスピアの家の発掘
Nov 28, 2023
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先日の日記で私は、ローレンス・オリヴィエの映画「ハムレット」を名作と賞賛した。きょうは名優たちが演じた「ハムレット」の映像が見つかったので見くらべてください。みなさんがご存知の俳優がずらりと出演しています。★「ハムレット」1948年 監督・製作・脚本:ローレンス・オリヴィエ 撮影:デスモンド・ディキンソン 出演:ローレンス・オリヴィエ、クリストファー・リー、ジーン・シモンズ、ジョン・ロチー、ピーター・カッシングローレンス・オリヴィエ「ハムレット」1948年★「ハムレット」1964年 BBC、デンマーク・ラジオ共同製作 TVヴァージョン 出演:クリストファー・プラマー、マイケル・ケイン、ドナルド・サザーランド、ロバート・ショウTVヴァージョン「ハムレット」1964年★「ハムレット」1964年 ラント=フォンティン劇場、ブロードウェイ、ニューヨーク 監督:ジョン・ギールグド 出演:リチャード・バートン、ジョン・ギールグドブロードウェイ「ハムレット」1964年★「ハムレット」1948年 BBCラジオ (ラジオ放送) ◆歴史的な優れた録音放送と言われている。 BBC番組 No.27SX4445 録音日:1948年11月30日、放送日:1948年12月26日 制作:ジョン・リッチモンド 出演:ジョン・ギールグド(ハムレット)、セバスチャン・ショウ(ホレイショ)、アンドルー・クルイックシャンク(クロウディアス)、ヒュー・バーデン(レアテス)、マリアン・スペンサー(ガートルード)、セラ・ジョンソン(オフェリア)、レオン・クオーターマイン(故王の亡霊;37:32頃、耳に毒を注がれて殺害されたとハムレットに告げる場面)「ハムレット」1948年 BBCラジオ 私が所蔵するローレンス・オリヴィエ「ハムレット」DVD
Nov 25, 2023
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ITだ、AIだ、と毎日のように取り沙汰され、また今や私たち一般の人の生活に深く根を張ってすでに欠かせない道具になっている。さらにこの技術問題からまったく切り離されているが、女性の社会的活動についても時事問題として日夜取り沙汰されている。 私がなぜこの二つの話題を並列したかというと、すでに衆知のことではあろうが、ITの基礎技術の発明は女性だからである。ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr;1914-2000)。そうです、映画『春の調べ』で全裸となって世の男性諸氏を悩殺し、一世を風靡した女優こそが、現在われわれが日常的に使用しているBluetooth、WI-Fi、GPS のスペクトラム拡散通信技術へと発展した周波数ホッピングの基礎技術を発明した人物である。 ヘディ・ラマーは女優から科学者へと転身し、夫でピアニストのジョージ・アンタイル(George Anthil ;1900-1959)との共同で、時まさに第二次世界大戦中のさなかに、傍受不可能な安全な無線通信技術の研究に取り組んだ。発明した周波数ホッピング技術は、1942年に米国の特許を取得した。 しかし、この先進的技術は軍関係機関からほとんど無視された。にわかに注目され、実用化へと発展するのは1960年代に入ってからだった。 彼女についてはウィキペディアを参照してほしい。また科学・工学技術史関連書籍、児童書の伝記絵本も出版されている。 さて、私がヘディ・ラマーについて衆知の事実をあえて述べたのは、じつはYouTubeで彼女が主演している映画を観ることができるからである。しかも上述の特許取得後に出演したハリウッド作品だ。 ただし、このYouTube映像はモノクロ原画をAIでカラー化している。原画に手を加えたものを私は好まないが、しかしヘディ・ラマーの映画へのオマージュとなるかもしれない。また、自動再生の日本語字幕が出る。英語の語順に訳されるのは仕方がないとしても、相変わらずの奇怪な日本語訳がすくなくない。この自動翻訳技術はまだまだ拙い。それさへ我慢すれば・・・ 『奇妙な女 (Strange Woman)』1946年 監督:エドガー・G・ウルマー、(一部の演出:ダグラス・サーク)、脚本:ハーブ・メドウ、撮影:ルシアン・アンドリオ、音楽:カルメン・ドラゴン 出演:ヘディ・ラマー、ジョ=ジ・サンダース、ルイス・ヘイワード、ジーン・ロックハート、ヒラリー・ブルックYouTubeヘディ・ラマー『奇妙な女』 ところで現代の日本、私は女性の活躍に賛辞を送っているが、しかし残念ながら女性政治家は軽薄無恥な男性政治家とまったくかわらない連中が少なくない。最近の事例をとれば、その人権侵害発言に対する批判にまったく無頓着な国会議員。これすなわち憲法違反であるにもかかわらず、国会議員として責任をとるどころか内閣の重職に着く。任命するほうもバカだから、同じ穴のムジナ。政治家が堕落するのも当然か。これを女性の活躍と言ってよかろうはずはない。むしろ女性が女性の敵となっているとみなさなければならないだろう。社会的な活躍とは、場や地位につけばそれで良いというのではない。そこには責任がともなわなければならないはずだ。軽薄無恥、そして無知、とかく易きに着く政策を政治と心得ているような連中が蝟集している日本政治の現状、と私は思うが、如何?・・・地方政治ではあるが、埼玉県自民党が県議会に提出した「子供留守番禁止条例」案は、まさに易きに着くで、なんでもかんでも禁止してしまえば安心の浅はかさ。政策政治理念というよりもそれ以前にオツムの程度が低すぎる。公金吸いという指摘も出よう。
Oct 14, 2023
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The movie "The Killing of Kenneth Chamberlain" wasjust released yesterday, September 22nd, in Japan.Executive produced by Morgan Freeman and directed byDavid Midell, the film is based on a true story and recreates the actual elapsed time of the incident in therunning time. Kenneth Chamberlain, a 70-year-old black man andformer U.S. Marine Corps soldier who currently suffersfrom mental illness* and heart disease, tossed thependant onto the small table next to his bed whiledozing off in his sleep. The pendant collides with theemergency safety confirmation phone, causing the device to malfunction. It was 5:20am. The operatorasked the local police in charge to check on Mr.Chamberlain. Three police officers arrive at Mr.Chamberlain's apartment. ... The police officers, excited after a long exchangewith Mr. Chamberlain, finally smashed down thedoor and entered the room. They pushed Mr. Chamberlain, who was in a panic and did not understand what was going on, to thefloor and shot him dead with two shots. It was 7am. I don't explain the details of this movie. However, the scenario, cinematography, editing,music, and recording of this movie are trulyspectacular. The story (incident) unfolds in a smallspace in Mr.Chamberlain's apartment. The room isstubbornly closed with a steel door. Outside thatdoor, in front of the room at the top of the stairs.... It's just these two narrow spaces. The cameradid't move at all other than these two places. Youcould say it's a non-cinematic space, almost likea closed-door drama. Here, the movie progressesfor the same amount of time as the real event.Moreover, the threads of tension never break. I paid attention to the performance of the actorwho played the new police officer who is a formerjunior high school teacher. His understanding ofMr.Chamberlain, who suffers from a mental dis-order, and his thoughts on how to deal with thesituation stemming from his experience as ateacher are things that are happening in side ofhim, and in reality, all of his suggestions arebluntly rejected by his superiors, and the policeorganization He is ordered to behave like a new empolyee. ... A face that expresses human innerconflict. This is the physical expression of a manwho, as a rookie police officer, is unable to doanything as his hands and feet are constrainedby the orders of his superiors. His intellect andhuman emotions are nullified within the policefoece. ... This person probably embodies thecreative claims of this film. He's a great actorwho did that. Since the casts are modeled after personsinvolved in a real-life incident, so-called staractors do not appear in this film. When I say "a brilliant scenario" (by DavidMidell), I mean the sharp depiction of thecharactees, the sense of each word of thedialogue that is not wasted and never logical,the humanity of the characters...the level ofintelligence, it is packed full of psychologicalpathways for emotional expression, etc., andprovides a clear picture of each perspn'scharacter. What is interesting is that an organization'schain of command often reverses the "know-ledge" entrusted to manuals. In other words,the more faithful one is to one's duties, theless one's judgement of human naturebecomes flexible. "Knowledge" that isdocumented ina manual becomes nothingmore than a theoretical theory. When humanity is lost, orders from superiors andsubordinates become ruthless and cruel, andpeople fall into irredeemable mistakes. ... The scenario of this movie, and of coursethe visuals, perfectly depict these things. It isexploiting the problem of racial prejudice + α.【*Note】Mr. Chamberlain's mental disorder:Post-traumatic stress disorder, PTSD, fromthe war? In the movie, the term bipolardisorder is mentioned once by an emargencytelephone operator telling a police officer.Tadami Yamada
Sep 24, 2023
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昨夜の雨で涼しくなった。それでは、ということで、午前中、映画を観にでかけた。 昨日公開されたばかりの『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』。モーガン・フリーマン制作総指揮、デビッド・ミデル監督が実話に基づき、実際の事件経過時間を上映時間に再現している。 元米国海兵隊兵士で、現在、精神障害*と心臓病をかかえる70歳の黒人ケネス・チェンバレン氏は、睡眠中にうなされながらペンダントをベッドそばの小卓に放った。ペンダントが緊急安全確認電話にぶつかり、装置が誤作動する。午前5時20分であった。オペレーターは担当地区警察にチェンバレン氏の様子を確認するよう依頼。三人の警官がチェンバレン氏のアパートにやって来る。 ・・・長いやりとりでいきり勃った警察官は、ついにドアを叩き壊し、室内に踏み込んだ。何がなんだか解らずパニックになっているチェンバレン氏を床に押し倒し、二発の銃弾を浴びせて射殺した。午前7時だった。 この映画の細部を解説することはやめよう。 ただこの映画のシナリオ、撮影、編集、音楽、録音・・・じつに見事である。物語(事件)がくりひろげられるのは、チェンバレン氏のアパートの一室のわずかなスペース。その部屋はスチール・ドアで頑なに閉ざされている。そのドアの外、すなわち階段の上がり端の部屋の前。・・・この二箇所の狭い空間だけである。撮影カメラは、この二箇所以外にチラとも動かない。まるで密室劇のような非映画的空間と言ってよいだろう。ここで現実の事件と同じ時間、映画は進行する。しかも緊張の糸は切れるかことがない。 私は元中学校教師の新人警察官を演じた俳優の演技に注目した。精神障害をかかえるチェンバレン氏に対する理解と教師の経験からくる状況対処への思い、それらは彼の内面で起こっていることであり、現実は、彼の提案はすべて頭ごなしに上司に否定され、警察組織の新人としてふるまうことを命令される。・・・人間的な内的葛藤を表している顔。新人警官として上司の命令によって思いの手足を束縛されている男の何もできない身体表現。彼の知性と人間的な感情は、警察組織のなかで無効化される。・・・この人物にこの映画作品の創造的な主張が体現されているであろう。それを実現したすばらしい俳優だ。現実の事件に関わった人物をモデルにしているので、いわゆるスター俳優は出演していない。 私が「見事なシナリオ」(デビット・ミデル)と言うのは、登場人物のするどい描き分け、むだのない決して理屈っぽくないセリフの一言一言にその人物の人間性・・・知的程度や、感情表現の心理的経路等々がぎっしり詰まっていて、一人一人の人物像を明確にしている。そして興味深いことは、組織の命令系統は往往にしてマニュアルに託された「知」を反転する。つまり職務に忠実であればあるほど、臨機応変な人間性に対する判断を鈍らせる。マニュアル化された「知」は机上の空論同然になる。人間性が失われたとき、上意下達の命令は非情残酷なものとなり、救いようのない過ちにに堕ちて行く。・・・警察組織に限ったことではない。・・・この映画のシナリオは、そしてもちろん映像は、そのようなことをあますところなく描ききっている。人種偏見+αの問題をえぐり出しているのである。【*註】チェンバレン氏の精神障害 ; 戦争心的外傷後ストレス障害;PTSD か? 映画の中では双極性障害という言葉が一度字幕に出てきた。パンフレットは製作されなかったそうだ。画像はリーフレットの表裏。
Sep 23, 2023
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アルフレド・ヒッチコック監督のめずらしい初期作品を観た。『ウィーンからのワルツ』(1933年・英ゴーモン・ブリティッシュ制作の米国映画である。 ヒッチコック/トリュフォーの『映画術』(晶文社刊、山田宏一、蓮實重彦・訳)によると、この作品を撮った当時ヒッチコックは不調で、評判もかんばしくなく、1933年はこの『ウィーンからのワルツ』一本を撮っただけである。そしてヒッチコックは『ウィーンからのワルツ』はひどいできの映画だったと言い、つづけてこう言う。 「しかし、その衰退のなかにも才能は生きていたんだとわたしは信じたいんだよ。『暗殺者の家』はわたしの映画監督としての威信を回復してくれた作品だが、そのシナリオは、じつのところ、『ウィーンからのワルツ』のまえにできていた。」 私がヒッチコック監督のめずらしい作品を観たと言ったのは、じつは『暗殺者の家』(1934) 以後の作品はすべて観ているからで、『ウィーンからのワルツ』以前の作品は "MURDER! (殺人!)" (1930) ただ一作を観ているだけだった。 監督自身が「ひどいでき」と言っている作品をあえてここに書き留めておくのは、この『ウィーンからのワルツ』が、あの世界的名曲ヨハン・シュトラウス・Jr.(息子)の「美しき青きドナウ」の作曲をめぐるストーリーだからである。たとえばウィキペディアにはこの名曲の成立について詳しく記述されている。しかしながらその記述は映画で語られている事情とはまったくことなる。映画の物語が真実であるかどうか、あるいは限りなく真実に近いのかどうか、いずれにしろ私はいま検証するいかなる資料もない。 「美しき青きドナウ」はオーストリアの第二の国歌といわれるほど親しまれている。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団による恒例のニュー・イヤー・コンサートでは必ず演奏され、観客はその演奏を心待ちにしている。 ヒッチコック自身が言うように、私はこの作品のできが良いとは思わないし、どのような経緯で撮ることになったか『映画術』でも語られていない。たしかに私がみるところヒッチコックの気質・・・この映画作家の全作品をとおしてみてとれるヒッチコック自身の「心理的な創作動機」には合わないと思う。スラプスティック (ドタバタ喜劇) 的な創り方も見受ける。それがイギリス的なユーモアかどうかは私には判断がつかない。 YouTube にアップロードされているので、あとでそのURLを掲載するが、映画がはじまるとその冒頭に断り書きが出る。「British Board of Film Cencors: This is to Certify that "Waltzes from Vienna" has been Passed for Universal Exhibition (英国映画検閲局:これは ”ウィーンからのワルツ” が一般公開に合格したことを証明するものである)」 ちなみに『ウィーンからのワルツ』が制作された1933年は、1月にヒットラー政府(一国一党主義によるナチ党独裁政権)が成立し、日本は前年の1932年に陸軍関東軍の謀略により満州国を打ち立て、3月には国際連盟を脱退した。さらに10月にドイツも国際連盟を脱退した。各国は国内の経済恐慌対策におわれてい、アメリカは武力による現状変更を認めないと言い置いて軍事にまで手がまわらず、イギリスもまたインドやアラブの植民地における民族運動で手がいっぱいだった。この各国のスキにヒトラーは再軍備策を着々と実行に移して行った。オーストリアにおいてはドルフース独裁政権が成立し、ファシズムが浸透しつつあった。ヒッチコック監督『ウィーンからのワルツ』
Jul 23, 2023
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ある企画の考えがまとまらず、途方にくれる。気持を切り替えようと動画をたてつづけに2本見た。これがたいへん面白かった。 一つは、元宇宙飛行士クリス・ハドフィールド(Chris Hadfield)氏が、宇宙を題材にした映画を見ながら科学的な批評をする。 宇宙物理学とご自分の宇宙滞在体験を基にして、映画で描かれていることが正しいのか、それとも噴飯ものなのかを具体的に指摘している。フィクションといえど、科学的に正しくなければ成立しない世界があるということだ。しかしながら、ハドフィールド氏の映画評が優れているのは、作品を貶しているのではない。地球とはまったく異なる宇宙物理学を丁寧に説明し、また、一人の宇宙飛行士が十数年間訓練を受けて、それが人間的にどのような成長をもたらし、なぜその結果が宇宙で必要であるかを教えている。 ハドフィールド氏が科学的に正しく、優れていると指摘した映画は、『2001年 宇宙の旅(2001 A Space Odyssey)』と『アポロ13号(Applo 13)』。 『2001年 宇宙の旅』は、1968年公開当時に人間を乗せた宇宙船で起こることを的確に予見してイメージ化していること。また、映画『アポロ13』における飛行士とNASAとの緊急通信の語法(話方)は、後にNASAにおいてそれを採用して実際に使用するようになったという。 クリス・ハドフィールド氏が最後に語る言葉は本当にすばらしい。「人間は理解し、解釈する。だから人間はすばらしい」と。「解釈」は「応用」へ導く論理の主体的未来性を示唆する概念である。これは人間だけに備わった能力である。 元宇宙飛行士が観る宇宙映画 二つめは、ユタ大学およびユタ自然史博物館の古生物学者マーク・ローウェン(Mark Loewen)氏が観る恐竜映画について。『ジュラシック・パーク』や子供向けアニーメーションなど、たくさんの恐竜映画がある。現代によみがえった恐竜、あるいは現代まで秘境に生きつづけた恐竜、あるいはまた恐竜と人類が共存していたとする1億年近い時代の物語。もちろん全作品がフィクションであるが、そこに登場するいろいろな種類の恐竜について(恐竜デザイン)について、現代最先端の化石学・古生物学の見地から批評する。恐竜の視覚について、牙・歯について、筋力について、体表について、体表の色彩について、テリトリーについて・・・等々。 現在『恐竜博2023』が開催されている。東京展は間もなく終了する(上野・国立科学博物館 6月18日まで)。このあと大坂展が始まる(大坂市立自然史博物館 7月7日〜9月24日)。恐竜博士の映画評を参考にして博物館に足をはこぶのも面白いかもしれない。 恐竜博士と観る恐竜映画
Jun 14, 2023
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芸術作品はそれを観る人、読む人、聴く人によってそれぞれの解釈がある。作者の意図しないような解釈も出るであろうし、作者の意図をよろしく超える解釈が出ることもあるだろう。それらさまざまな解釈に対して、多くの作者は反論しない。それが芸術作品の本来的な宿命だからである。しかしながら、芸術作品の隠れた「謎」解きのような昨今の流行をどう考えたらよいだろう。そもそも作者だけが知り得る秘密を、「謎」として作品に潜在させることがあり得るだろうか。作者は常に何事なりとも意図して、不特定多数の観客(読者、聴衆)に伝えるために思考と技術の限りを尽くしている。それが「表現」ということだ。観客に伝わらない「謎」を作品に潜在させたとして、それに何の意味があるだろう。表現しない表現者など、自己撞着以外ではないだろう。作者の表現を見て取ることは、その観客の感覚や知に関わることなので、見てはいても何も見えない人もいるのではあるが・・・ さて、以上は前置きである。 1952年9月17日に初公開された松竹映画、美空ひばり主演『牛若丸』を先日70年ぶりに再観して、子どもの私が思いもしなかった一つの解釈が成り立つかもしれないことに気がついた。果たしてそのことが、映画制作者の意図したことだったかどうかは判らない。 製作・杉山茂樹、企画・福島通人、脚本・八住利雄、監督・大曾根辰夫。 企画者の福島通人は横浜国際劇場の支配人だったが、美空ひばりの才能を認めてマネージャーになった。美空ひばり映画のほとんどが福島通人の企画である。美空ひばり出演映画は全160本以上あるが、『牛若丸』以前にすでに31本の作品がある。(Wikipediaによる) 数多い ”ひばり映画” のなかで、『牛若丸』はほとんど話題にされなかったかもしれない。その理由がわからないでもない。 ”ひばり映画” の特徴は、ひとことで言えば、明るい華やかさである。大衆の嗜好を知り尽くして、恋あり歌あり、じめっとしないほどに涙あり、何より活力にあふれ、娯楽に徹している。しかしながら、『牛若丸』はいささか暗い。物語はフィクションであるが、史実に寄りかかっているので美空ひばり流の華やいだ娯楽に徹していない。それだけに、特異な作品と言えよう。 美空ひばりは牛若丸と桔梗という名の少女と、二役演じている。桔梗はフィクショナルな創造であるが、美空ひばりに二役演じさせる企画は、観客の反応を知っている企画製作力である。このフィクションの創造で映画が生きた。歴史書ないしは古典文学に依拠した映画において、一種の思想的対立を映画制作者がフィクショナルな人物を造形して制作者の立場を伝えるドラマ作法は、日本映画ではかなり珍しいかもしれない。 ちなみにご存知歌舞伎『勧進帳』は、義経と武蔵坊弁慶の安宅の関における物語である。この『勧進帳』と、同材の能『安宅』とを下敷きにして、黒澤明は1945年(昭和20年)に大河内傳次郎の弁慶で『虎の尾を踏む男達』を制作した。しかしGHQは、義経と弁慶の主従関係が民主主義に反するとして上映を許可しなかった。公開されたのは1952年4月26日(二日後の28日に占領終了)である。美空ひばりの『牛若丸』の公開年と同じ年、『牛若丸』より4ヶ月と9日早かった。私は後年、『虎の尾を踏む男達』を観た。 私の子ども心に深く刻まれ、いまだにあざやかに甦るのは、先日述べたとおり、牛若丸と桔梗が手をつないで鞍馬寺の山道を駆け登ってゆくシーンである。そしてこのシーンに、私は1952年という公開年の時局に鑑みてひとつの解釈を試みたくなるのである。 『牛若丸』の時代設定は、貴族政治から武士政治へと変わりつつあった1100年代後期。絶え間ない覇権争いと荘園(領土)獲得争いによって国中が荒廃していた。保元の乱が1156年。平治の乱が1159年。この戦で平清盛が藤原信頼と源義朝(牛若丸のちの源義経の父)を破った。翌1160年、源義朝は尾張の国で家人の長田忠致・景致親子の裏切りで落命し(史実。映画では言及無い)、源氏の衰退がはじまった。映画の物語はこの時点から始まる。源氏絶滅を狙う平清盛に、義朝の妻常磐御前は身を差し出し、代わりに幼児牛若丸の命乞いをした。牛若丸は、源氏から寝返って清盛に扈従した新田太郎吉光の監視下に鞍馬寺に預けられた。そして、母は死んだと聞かされたまま、いまや心ひそかに源氏再興を夢見る少年に成長した。自分の意志とは関わりなく出家修行させられる身に、友達は新田太郎吉光の娘桔梗だけである。 さて、私の記憶に刻まれたシーンは、先に述べたとおり、この寝返った裏切り者を父にもつ娘桔梗と牛若丸が、手をつないで山道を駆け登るのであるが・・・ 私は今、このシーンにこの映画が公開された当時の時局を重ねてみる。 戦後占領期(1945.9.2~1952.4.28) が終わってようやく5ヶ月になるところだった。7年間という長い占領に日本国民は、口にこそ出せなかったが、そろそろ飽きてきていた。9歳の美空ひばりがデビューしたのは、まさにその頃である。天才少女歌手はその活力ある歌声でみるまにスターダムにのしあがってゆく。 どっかり「君臨」していた占領軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、すでに1950年4月11日付けでトルーマン大統領によって解任されていた。マッカーサーは5日後にアメリカに帰国した。しかしその1年前、1949年2月、アメリカは日本の市場経済をふたたび活性化させるという目的で使節団を派遣してきた。その中に、独裁的に敏腕を揮うことで知られたジョセフ・ドッジがいた。彼は「経済の帝王」と称されていた。日本国民は二人の「君主」に統率されることになったのである。いや、国民にしてみれば三人だった。二人の君主の下に、その意向を実現すべく、国民に対して時に巧みに詭弁を操る吉田茂内閣の日本政府があった。 ジョセフ・ドッジの有無をいわせぬ方針は、「ドッジ・ライン」と言われた。子どもの私の耳にもその言葉は残った。ここに詳しくは述べないが、彼の日本経済についての根本的な考えは、消費を抑制し、安価で輸出を促進するということだ。そのために円の切り下げがされた。彼は独断で1ドル=360円に設定した。この為替レートは随分長い間、昭和40年代までつづいたように私は記憶している。 ドッジの企業合理化策と吉田首相が強力に押し進めるレッド・パージ(赤狩り)との併用によって、数万人の労働者が失業した。これにより労働運動が弱体化した。そして、戦前の奴隷労働にも似た労働条件下にあった人たちを、戦後に解放したはずの労働規準法の労働関連諸法が、ほとんど有名無実になった。公共事業や福祉や教育関連の予算はバッサリ削られた。 とはいえ、これで日本経済が上向きになったかというと、そうは行かなかった。国際状勢は日本の外側で大きく動いていたのだった。価格を下げたからといって輸出が伸びたわけでもない。 国民の心は日に日に不安に沈んで行った。国民は、政府上層部には終戦直前に国有財産である軍需物資を隠匿して私腹を肥やし、終戦直後にはそれらを闇市に流して私腹を肥やした人物が少なからず存在していることを知っていた。「裏切り者」が戦後政治の中枢で大手を振っていることを知っていた。 ところが1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。日本は思わぬ「特需景気」に湧いた。アメリカに要請されるかたちで軍事産業が復活した。いままで眠らされていた日本人の緻密な機械整備技術にアメリカは目をみはった。アメリカは日本の再軍備を求めた。30万兵を擁する軍隊をつくれという求めである。吉田茂首相はアメリカと日本国民に対して詭弁で説得し、「軍」という名称ではなく「警察予備隊」をつくることで両者をまるめこむことに成功した。「警察予備隊」は、30万兵とはいかないが、7万数千人を擁し、れっきとした兵器を備えた。新たらしい日本国憲法に明示された「平和主義」と「民主主義」は、これを主導してきたアメリカによって有形無実となり、食うに困らない、着るに困らない、寝る所に困らない・・・人間の幸せがそこにあるとすれば、いまや日本国民はまさに幸福を手にしたのだ。 そして、吉田茂首相の詭弁を用いる政治技術は、その後の政権を担う政治家に「遺産」として引き継がれることになる。 心ある人は気がついていた。「他人の苦しみによって我身の幸福はあるのだ」ということに。そして日本人はこのときから、心に捩じれをいだくようになるのだ、と。捩じれから生じて心に潜在する闇だ。押し込めようとすればするほど、限りない深さにもぐってしまう闇・・・ 『牛若丸』において、牛若丸と裏切り者を父にもつ娘桔梗が、手をつないで山道を駆ける姿に、私が上記のような思いを重ねるのは、制作者の意図するところではないかもしれない。しかしながら牛若丸と双子のようなフィクショナルな桔梗を創造した意図・・・それについては述べないでおくが・・・は、たんなる娯楽一辺倒に終始するものではあるまい。戦中戦後の自局が、平安時代末期の歴史的事実のフィクショナル化を通して、象徴的に形象化されていると、私は思うのだ。 黒澤明の『虎の尾を踏む男達』が同監督の初期作品として注目されるのは、その後の『蜘蛛巣城』の先取りとなる能の様式美を取り入れていることと、大俳優大河内傳二郎が主演し、また、これも後の『隠し砦の三悪人』の千秋実と藤原鎌足が演じた凸凹コンビ(喜八物の伝統による人物)の滑稽の先取りとなるエノケンこと榎本健一が滑稽役を演じたこと、そして何より巨匠監督の若き日の作品がGHQの検閲によって上映不許可になったことが挙げられよう。 その黒澤作品と登場人物をほぼ同じくし(片や少年時代、片や青年時代ではあるが)、公開も1952年で同じであるけれども『牛若丸』がほとんど語られることがなかったのは、大曽根辰夫監督にとっては残念だったかもしれない。美空ひばりがデビュー当初から「こましゃくれた子供。子供のクセに」と音楽関係者から蔑視され、その人気にもかかわらず出演映画は一段低い「大衆娯楽作品」とみられていたこと、しかもその "ひばり映画” の中でもいささか暗く、異質であったことが、語られることがなかった理由かもしれない。が、両作品を観た私の感想は、大曾根辰夫監督の『牛若丸』は、新田太郎吉光が敵に寝返った裏切りを、愛する娘の死によって目覚める、史実を離れて創作した物語の結構は、時局に照らして志操的(そして思想的)な象徴性の点で、黒澤明『虎の尾を踏む男達』より一層の深さがあると思う。 ・・・それもまた観客の解釈次第。黒澤明は自分の映画が解釈されることを嫌ったと思えるふしがある。上記の私感も、とりあえずは、観客の解釈は自由だということにしておこう。芸術的表現者はむろんのこと、そうでない人も、嵐の船出に関わりない言動などありえなかったのである。そして、大曾根辰夫監督『牛若丸』は、その時節に幼児だった私の最初の映画経験であり、その映像は70年後の現在まで記憶されたのである。
Jun 6, 2023
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今月24日は美空ひばりさんの34回目の命日である。それにちなんでファンがアップしたのかもしれないが、美空ひばりさん15歳のときの主演映画『牛若丸』がYouTubeに掲載されている。 じつはこの映画こそ、私が最初に観た映画なのだ。私はもうずいぶん前、このブログに「完成しない美空ひばり論」を書いた。いまだに読んでくださる方がいて、読者は数千人になる。私はこの拙文の冒頭に、私にとって美空ひばりさんは歌手であるより先に映画女優であったと書いた。その映画が『東京キッド』であり『牛若丸』だった。長野県川上村梓山の公民館の二階で上映された。梓川に架かる橋を渡ってすぐ左のグラウンドの奥に公民館はあった。 映画『牛若丸』は、記録によれば1952年に公開されたとあるが、川上村で上映されたのは1年ほど後だった。私が7,8歳のときである。この映画のなかで美空ひばりさんは二役を演じている。鞍馬山にあずけられている牛若丸と、桔梗という少女である。 私の記憶に消えずに現在までずっと残っているのは、山道の上り坂を二人が手をつないで駆け上ってゆくシーンで、子供心に「あっ、おんなじ走り方だ!」とヘンに感銘したのである。しかし、その私の記憶が正しいのかどうか。私はずっと疑心暗鬼で、自分の記憶をかかえこんでいた。 きょうYouTubeに『牛若丸』が掲載されていることに気付き、驚きながら見てみたのである。 いやー、私の記憶にまちがいはなかった! まちがいがなかったどころではない、思い出すと眼前に浮かんでくる映像が、まったくそのとおりにスクリーン(モニター画面)に映し出されたのである。なんと70年間、その映像は年月に変形されずに、私の頭の中にあったわけだ。「15歳の美空ひばりさん、すごいですねー!」やはりあなたは、私にとって最初の映画女優でした。 さて、ご興味あるかたはYouTubeでごらんになってください。早々に削除されてしまうかもしれません。美空ひばり15歳の映画『牛若丸』
Jun 3, 2023
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昨日、奈良岡朋子氏を追悼し、私が観た出演映画を列記しながら、あらたに別のことを思い出した。それは邦画ではきわめてめずらしい性表現のある2,3作品についてである。思い出した2作品に奈良岡朋子氏が出演されていた。ただし、性表現の点からは、私が注目したのはそのうちの1作品で、他の1作品はむしろ映画表現として私は否定的なのだが。 まず、須川栄三監督の『蛍川』。この作品は少年の性の目覚を主題として大人の複雑な事情と絡み合ったストーリーである。 中学生水島竜夫(坂詰貴之)はクラスのマドンナ辻沢英子(沢田玉恵)に恋心を感じはじめていた。英子は幼なじみである。いわば筒井筒の初恋である。そしてまた高校受験をひかえてもいて、毎日悶々としていた。或る日、一人きりの居間の炬燵に入りながらおのずと自慰を始める。そこへ思いがけなく父親が帰って来て居間の障子戸を開けた。父親はすぐに察して、そこは自らも女遍歴がある男、「あんにゃ、やりたくなったら風呂場でやれ」と言う。 ・・・これだけのワン・シーンであるが、私は邦画における少年の性表現として大変めずらしいと思った。 次に思い出したのは、・・・実は作品の確かな題名が思い出せないのだが・・・黒田義之監督の『海兵四号生徒』ではなかったかと思う。確信が無い。渡辺篤史氏が出演していた。渡辺氏が演じた少年(もう青年?)が大勢のなかまたちの中でエレクトしてしまい、たしか帽子で股間を隠しながら歩きづらそうなシーンがあった。 ・・・この映画もこんなシーンはこれだけである。しかし、私はめずらしいシーンだと思った。 今井正監督の『キクとイサム』。この作品は黒人米兵と日本女性との間に生まれた少女キクと少年イサムが、会津磐梯山のふもとで、貧しい祖母(北林谷栄)に育てられている物語。少女キクが初潮を迎えて、自分の身に起ったことに怖れ、当惑するシーンがある。お婆さんが、「大人になった、めでたい、めでたい」と言う。 ・・・少女の怖れを、きわめて自然に静かにおさめるお婆さんの姿とともに、私はやはりめずらしいシーンだと思った。 以上は、少年少女の微妙な性表現で、私が好ましく思った3作品である。 次の作品は、初潮のシーンで、私が「下品な映像」と思ったもの。篠田正浩監督の『はなれ瞽女おりん』である。この作品は公開当時の日本の映画賞を数多く受賞している。水上勉原作小説の映画化であった。 この作品で篠田監督は、初潮シーンを、雪のうえに真っ赤な椿をひとつ置いて表現した。 ・・・なんと下品な映像表現だ、と私は思った。人間の自然な生理をこんな通俗的な象徴で映像化する、これを美的な表現だと考えているのだろうか? 映画の映像美とはそんな安っぽいものではない、と私は大監督篠田正浩の感覚にガッカリしたのだ。・・・まあ、これ以上は言うまい。 と、昨日追悼記事を書きながら思い出したのである。
Mar 30, 2023
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午前中、映画『ヒトラーのための虐殺会議 (原題;THE CONFERENCE)』を観に出かけた。監督マッティ・ゲショネック、2022年作ドイツ映画。 本作は全く戦場が登場しない戦争映画。1942年1月20日にヴァンゼーン湖畔の或る大邸宅で行われたナチス親衛隊高官と政府高官との会議の実際の議事録にもとづく。議題は「1,000万のユダヤ人絶滅政策について ①移送 ②強制収容と労働 ③計画的殺害」。出席者は高官15名と秘書1名。 上映時間112分、ほぼ全編が会議の様子に終始する。室内ディスカッション映画だ。しかし大声をあげて討論するのではなく、きわめて静かに淡々と会議は進められて行く。それだけに俳優たちの技量と存在感がものを言う。恐ろしくも、素晴らしい。 ヒトラーの目指すユダヤ人絶滅計画に、誰一人反対しない。出席者それぞれの立場の維持に意を尽くす以外は、ビジネスとして虐殺計画を実行に移す算段をする。この会議以降、ホロコーストは加速し、最終的には600万のユダヤ人が殺害された。この映画はフィクションではない。事実を再現しているのだ。しかもドイツの映画人によって。彼らは自らの負の歴史を白日のもとに曝け出す勇気を持っていた。監督は劇場パンフレットの中で次のように述べている。「法律を学んでいたはずのナチスの高官たちが生産会議を行うかのように冷静にこの手続きを進めていた。彼らには道徳的懸念が一切なかった。」 私はこのブログ日記において、政治的な事柄や世界の現状について私見を述べる時に、政治評論家や時事解説者がその言論において立脚しないような視点にあえて立って述べてきた。一つの時事的現象を各論的に分析して論述することは重要であるが、そのような立脚点は、往々にして「人間」についての考察から離れてしまう。民族的・文化的な精神構造や社会心理から遊離した即事的な論述に終わってしまう。私はしばしば、「隷従」とか「扈従」という言葉や「サディズム」という言葉を使って或る事態について述べた。『ヒトラーのための虐殺会議』において或る高官が言う。「ユダヤ人は男も女も学ぶことを禁止する。計算は小学生程度でよい。そうすれば奴隷化できる」。障害者や高齢者は殺害する。残った者を労働力として使役し、労働に堪えられなくなった者は自滅するか殺害する。そうすれば経済的で効率的だ、と。あるいは、「若い兵士に絶滅収容所のユダヤ人を毎日何百人も銃殺させていると兵士にサディズムが出て来る。若者個人がサディストになるのは気の毒だが、国家のためには仕方がない」。 私がしばしば私見として論述していたことは、まさにこの高官が口にしたこと、現在世界の各地で出来(しゅったい)していることであり、また、我が日本社会にもその芽が兆しつつあるのである。かつてナチス・ドイツと日本が同盟を結んでいたことも心に留めておかなければなるまい。その暴力専門ファシズム国家だった当時の残滓が、現在も潜在していないかどうか、心する必要がある。「ナチスのやり方にならうとよい」と公言する大臣がいる日本。他人事ではないのである。映画館パンフレット発行・編集;クロックワークス。デザイン;成瀬慧。
Jan 25, 2023
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午後、映画を観に出かけた。ウィル・シャープ監督『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻と猫』(原題:The Electrical Life of LOUIS WAIN; ルイス・ウェインの電気的な生涯)。 実話に基づく伝記的な(ははは、ゴロ合わせではない)作品。19世紀のイギリスで可愛らしい猫の絵で人気を博したが、統合失調を発症し精神病院で死亡した(1860ー1939)。 私がこの映画を観に出かけたのは、実は拙論『病める貝の真珠 ・・・精神分裂病者の絵を巡って』(1994年)においてルイス・ウェインについて書いていたからである。ルイス・ウェインの猫の絵は、統合失調発症前の可愛らしい作品から、発症初期、そして増悪期(ぞうあくき)に至ってほとんど猫の外観を留めなくなった作品まで、ロンドンのベスレム精神病院が丁寧に収集し保存していて、病の進行による絵の変化がよくわかるかなり稀な例なのである。 増悪期の絵は猫の周囲に奇怪な連続模様が出現する。かつて荒俣宏氏と統合失調者の絵を巡って対談したとき、荒俣氏がこの連続模様とポリゴンとの相似性を指摘された。ポリゴンは多角形という意味ではあるが、特にコンピューターグラフィックスにおける3次元CGで、3点以上の頂点を結んでできる連続的な多角形をさすことが多い。私は荒俣氏の指摘が非常に興味深かった。 この映画のエンディング、まさに物語が終わって、ルイス・ウェインの猫の絵が次々と紹介される。そのイントロダクション・イメージとしてCGによる動画が映し出される。そのさまざまに変化してゆくイメージは、ポリゴンと言うよりむしろフラクタルなイメージだが、統合失調者の描くイメージをそのように総括したウィル・シャープ監督に荒俣氏の指摘に非常に近い理解を私は感じた。 さて、映画作品そのものについて述べるべきだろうが、私が最も面白く思ったのはウェイン家の老嬢たちの存在と、その映画的描写である。上流階級に属し、亡父から潤沢な財産を相続しながら、長男ルイスの金銭感覚に頓着しない性格のために、今や借金暮らしの泥沼にいる家族。ウェインの妹たちだ。日常を、人生を、無為に暮らす老嬢たちは、金持ちの男と結婚しようと思っているものの、世の中、そうは問屋が卸さない。彼女たちの精神もエキセントリックになっている。 私が面白いと言うのは、実は、イギリスのビクトリア朝(1837-1901)の19世紀、まるで白馬でやって来る王子さまを待つかのように、金持ちの男の出現を心に描いて婚期を逃した上流階級女性は少なくなかったのである。中にはひょんなことから莫大な財産を相続し、一人ホテル暮らしをしながら婚期を逸した女性もいた。それは女性を清純というイメージで、(表向きは)祭り上げていた男社会の問題でもあった。女性はシンボリックに白百合で表現された。女性は性的な欲望を抑圧して生きていた。フロイドの精神分析学の研究は、ビクトリア朝の女性にあまりにもヒステリーが多いことから、その原因の探求に端を発している。 また、この時代、イギリスに特有な女性殺人事件が起こっていた。先に述べたように、大金を相続し、ホテル暮らしで、しかも結婚願望が強い老嬢を狙う、一見紳士風な殺人鬼どもがいたのである。ロンドン警視庁のいわゆるブラック・ミュージアム(犯罪博物館)には、それらの事件のおぞましい証拠物件が展示されている。 という具合に、この映画の主人公ルイスを取り巻くビクトリア朝の家庭環境は、流石にイギリスの監督なので、きっちり描写していた。映画パンフレットの中の映画評論家の時代解説はいささか勉強不足。19世紀のイギリス社会を掴んでいない。 邦題に『生涯愛した妻と猫』とあるが、その観点からすると、ルイスと妻との愛情生活の描き方は、実際短い結婚生活だったとしても、やや描写不足、と私は感じた。しかしそれは監督の罪ではない。邦題をつけた人の責任だ。原題のThe Electrical Life of LOUIS WAIN (ルイス・ウェインの電気的な生涯)の方が、私にはずっと好もしい。 映画の中で、ルイスは「電気」の正体を知ろうとしていたと描かれている。エーテルなどという言葉が飛び出すのは面白いが、少し時代感覚がずれてはいないだろうか。ウェインが生まれる20年も前に、イギリスの物理学者ジェイムズ・ジュールが、動体電流の熱量は電流の2乗と抵抗の績に比例するという今では中学生も知っているいわゆる「ジュールの法則」を発見していた。また彼が10歳の頃には、発電機が完成していた。いまさら雷放電を追いかける時代ではなかったはず。 彼の増悪期の猫の周囲にギザギザ模様が頻出し、まるで漫画などで帯電状態を表現したイメージのようだが、統合失調者はしばしば電気ショックを浴びせられているという身体的な痛みを訴えることがあるようだ。原題のThe Electrical Life には、そのような臨床精神病理学的な意味も込められているかもしれない、と私は思う。 あるいは、後に妻となる妹たちの家庭教師エミリーがプリズム分光実験を子供達に見せるワン・シークエンスあった。ルイス・ウェインの関心ごとをエミリーが代替しているのである。画面に虹色光線が射していた。しかしイギリスの偉大な先達アイザック・ニュートンがブリズム分光実験をしたのは17世紀半ば、ルイス・ウェインが生まれる2世紀も前のこと。子供達が面白がって分光遊びをすることはあろう。映画のシークエンスはさらりと流す程度だったが、暗い部屋の中に差し込む一筋の虹色光線は、映画的な効果はあろうが、ルイスの生涯の事跡に組み込まれることでもない、と私は思った。 それとも、この虹色光線と彼の絵の猫の周囲に統合失調発症後に現れる虹色とを、暗示的に結びつけたか? ウィル・シャープ監督の意図がもしそこにあったならば、統合失調者としてのルイス・ウェインの絵の色彩について、おそらくこれまで論じられなかったであろう視点を提示しているかもしれない。・・・この点については、私は現時点で何も言えない。 『生涯愛した妻と猫』という邦題のせいかどうかはわからないが、観客はほとんど女性ばかりだった。映画配給会社としては、この邦題で成功だったのかな? ルイス・ウェインを演じたのはベネディクト・カンバーバッチ氏。私が好きな俳優。 拙論『病める貝の真珠 ・・・精神分裂病者の絵を巡って』は、このブログの左フリーページに掲載してある。【余談】 ついでながら、ベネディクト・カンバーバッチ氏は、15世紀のイングランド王リチャード三世の遠い親戚であることが遺伝子研究で判明している。今からちょうど10年前、2012年、レスター大学研究チームが或る駐車場を発掘照査して、出土した遺骨がリチャード三世のものであることがわかった。そして3年後の2015年に、レスター大聖堂においてリチャード三世の遺骨の埋葬式が行われた。この時、カンバーバッチ氏も出席され、詩を朗読された。・・・私は、シェイクスピアの『リチャード三世』におけるその容姿容貌に関する出典は何かということや、またディッケンズの歴史書の記述などからリチャード三世に少しばかり関心があった。しかし600年前の発掘遺骨を王として恭しく再埋葬したこと、またDNA検査で遠い親戚とわかったベネディクト・カンバーバッチ氏が列席したについては、さすがイギリス、とちょっと呆れながらも面白く思い、埋葬式の翌日、このブログ日記に書いた(2015年3月27日)。映画館パンフレット。本の形にデザインされているのが面白い。デザインは大島依提亜氏、中山隼人氏。 映画館へは1時間ばかり早く行き、開場時間までジュンク堂書店に寄り、4冊買った。ジュンク堂は東京でも少なくなった本屋らしい本屋で、書棚は充実してい、私のお気に入り新刊書店。新宿の紀伊国屋書店は、おかしな売り場レイアウトにしてしまった。実に探書し難い。ちょっと行く気がしなくなってしまった。
Dec 7, 2022
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すでに放映されてしまったようだし、また、私はこの5年間ほどTVを一切見ていないので、これから書こうとしていることは、朝日新聞10月23日(日)のTV番組ページ〈試写室〉に拠ることを断っておく。 そのコラムは、NHK制作の「新・幕末史 グローバル・ヒストリー」について紹介している。記者は野城千穂氏である。私が問題とするところを以下に引用する。 「(略)新政府と旧幕府勢力が争った戊辰戦争は、ヨーロッパの列強からも注目され、プロイセンは蝦夷(北海道)の植民地化を画策していた。欧米の機密文書などから、日本で交錯した各国の思惑を解き明かすNHKスペシャルの後編。(以下略)」 この記事が記者・野城氏の番組試写視聴による総括的判断なのか、それともNHKのプレスシートにでも書いてあることなのか、私は判断できない。したがって、一応、野城氏の書かれた如くに番組が制作されたのだとする。 そこで、私の疑念である。 じつは私は幕末史におけるこの問題を、ちょうど11年前に知り、当時、このブログ日記に書いていた。 その日記を長くなるがここに再掲してみよう。 「2011年2月5日 何?会津・庄内両藩がビスマルクと交渉? 朝日新聞夕刊に、幕末の会津藩および庄内藩に関する、驚きの記事が出ている。 渡辺延志記者によれば、「戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが東京大史料編纂所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。」と。 確認された文書は1868年(明治元年)の文書3点。 1は、7月31日付、駐日代理公使フォン・ブラントがビスマルクに宛てたもの。会津・庄内藩から日本海側の領地売却の相談を受けた、という内容。 2は、10月8日付、ビスマルクからフォン・ローン海相宛。他国の不信や妬みをかうことになるので却下の意向を伝え、海相の意向を尋ねている。 3は、10月18日付、海相からビスマルク宰相宛の返書。 両藩が売却を申し出た北海道の領地とは、幕府が北方警備強化のために1859年に東北有力6藩に与えたもので、会津藩は根室、紋別などを領有し、庄内藩は留萌や天塩を領有していた。両藩は対薩長で同盟関係にあった。 両藩がプロイセンに上記の件を打診した時期、新政府軍と幕府側との戦争はいよいよ東北での戦いに移るところだった。「両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられる」と、渡辺記者は書いているが、そのとおりであろう。この交渉は不調におわったわけだが、会津藩の敗因のひとつに銃の旧式だったことが言われて来たので、もしも(歴史に「もしも」はないのだが)、プロイセンと提携が成立して新式の銃が入手できていたなら、あの戊辰の戦はちがう方向になっていたかもしれない。 ・・・それにしても、今回新発見された事実は、日本側にはまったく知られてなかったことだけに、追い詰められた会津・庄内両藩が国際関係にその打開策をもとめて行動を起していたということと合わせて、驚きである。幕末の気風は、いささか見直す必要がでてきたのではあるまいか。」 私がなぜ、野城氏が紹介したNHKの「新・幕末史 グローバル・ヒストリー」に注目したかお分かりであろう。11年前に東京大史料編纂所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった事実と、このたびNHKが制作した番組のいわば「歴史観」とが異なっているのだ。事実に対する視点が異なるというより、事実の掘り起こしが異なる。 東京大史料編纂所の箱石大・准教授らがドイツの文書館で確認したのは、会津・庄内藩からの領地譲渡の打診に対してプロイセンのビスマルク宰相は「戦争への中立などを理由に断った」という事実である。しかるにNHKは、「プロイセンは蝦夷の植民地化を画策していた」としたようだ。 この違いは見過ごしにはできまい。 もしNHKの歴史認識が事実に反するものだとしたら、あるいは、あえて歴史を歪曲する意図があったとしたら。・・・私はその点に危惧を抱く。 世界が危うい現状であり、日本をとりまく状況も決して安閑としてはいられない。それは確かだ。われわれは求めなければならない。おのれ一個の口に糊する欲望と保身にうつつを抜かす愚かな指導者ではなく、冷静に、的確に、優れて汎国際的な政治性を備えた人間を。・・・NHKがあえて歴史を歪曲して、こうすれば大衆は食いついてくるのではないかと、視聴者に歴史と現状をオーバーラップさせる浅ましい期待の番組作りをしてはいまいか、と私は懸念するのだ。NHKには近い所に悪しき例がある。もし、私の懸念が当たっているとしたなら、どうも組織に知的退嬰が芽吹いているとさへ想える。いかがか? 朝日新聞記者・野城氏には、自社の11年前の記事を検索再読し、NHKのプレスシートと照らし合わせてみるくらいのことはしてほしかった。番組制作者の言いなりを書くだけが、新聞としての、そしてすべからくジャーナリストとして、TV番組の良い紹介だとは私は思わないのだが、いかが? It seems that it has already aired, and I haven't watched any TV for about five years, so what I'mgoing to write about is the Asahi Shimbun October23rd (Sunday) TVprogram page <Preview room> Let me say in advance that it depends on. The column introduces NHK's "New BakumatsuHistory Global History". The reporter is ChihoNoshiro. I'm quoting my problem below. "(Omitted) The Boshin War, in which the newgovernment fought against the forces of formerShogunate, attracted the attention of the greatpowers of Europe, and Prussian was plotting tocolomize Ezo (Hokkaido). The second part of theNHK special that unravels the motives of eachcountry that interwined with each other.(Omitted)" I cannot judge whether this article is a generaljudgement based on the reporter, Noshiro's pre-view of the program, or whether it is written on the NHK press sheet. Therefore, it is assumed that the program was produced as written byNoshiro. And now, my suspicions. Infact, I learned about this problem in the history of the Bakumatsu era exactly 11 yearsago, and wrote about it in this blog diary at thetime. The diary will be long, but let's repost it here. <February 5, 2011. What? Negotiations betweenthe Aizu and the Shonai clans with Bismarck? The Asahi Shimbun eveningedition has a surpris-ing article about the Aizu and Shounai clans at theend of the Edo period. According to reporter Nobuyuki Watanabe, "TheAizy and Shonai clans were looking for an alliancewith prussia (Germany) in the face of confrontationwith the new government forces centered on Satsuma and Choshu in the Boshin War. This wasreveals in a study by Hajime Hakoishi, an associateprofessor at the Historiographical Institute of theUnivwesity of Tokyo, etc. Documents confirmed byGerman archives show that the two clans proposedtransferring their territories such as Hokkaido, butChancellor Bismarck told that he had refused forreasons such as neutrality in the war. The documents that have been confirmed arethree documents from 1868 (Meiji 1). 1 was addressed to Bismarck on July 31 by vonBrandt, Acting Minister to Japan. He was consultedby the Aizu and the Shonai clans about sellingtheir territory on the Sea of Japan side. 2, dated October 8, from Bismarck to Minister ofThe Sea von Loon. Since it will cause distrust andenvy of other countries, I conveted my intention todismiss it and asked the naval minister's intentions. 3 is a reply dated October 18 from the Minister ofthe Navy to Chancellor Bismarck. The territories in Hokkaido that the ywo domainsoffered to sell were given by the shogunate to thesix influential domains in Tohoku in 1859 in orderto strengthen the securuty of the northen region.The Aizu clan owned Nemuro and Monbetsu etc.The Shonai clan owned Rumoi and Teshio. The two clans allied against the Satsuma and Choshu. By the time the two clans approached Prussia about the above matter, the war between the newgovernment forces and the shogunate was aboutto move to the Tohoku region. Watanabe writtes,"Both clans seem to have sought to secure routesto obtain weapons and funds," and this is probablytrue. These negotiations ended in failure, but it wassaid that one of the reasons for the defeat of theAizu clan was the outdated guns, so if (althoughthere is no "if" in history), an alliance with Prussianwas established . Had the new guns been available,the Boshin battle might have taken a different turn. ... At any rate, the newly discovered fact was completely unknown to the Japanese side. It's asurprise to me. The ethos of the end of the Tokugawa shogunate needs to be reconsidered.> You can understand why I paid attention to NHK's"New Bakumatsu History Global History" introducedby Noshiro. The facts revealed 11 years ago by Hajime Hakoishi, an associate professor at theHistoriographical Institute of the University of Tokyo,differ from the so-called "historical view" of theprogram produced by NHK. Rather than differingperspectives on the facts, the factual digging isdifferent. Associate Professor Hajime Hakoishi of theHistoriographical institute of the University of Tokyoand others confirmed in the German archives that,in response to a request from the Aizu and theShonai clans to transfer the territory, Chancellor Bismarck of Prussia said, "Because of neutrality in the war,etc. It is a fact that However, NHK seems tohave claimed that "Prussia was planning to colonizeEzo." This difference cannot be overlooked. What if NHK's perception of history is contrry to the facts,or if there was an intention to distort history. ... Ihave my fears on that point. The world is in a precarious situation, and thesituation surrounding Japan cannot be taken lightly. That's for sure. We must seek. Rather than a foolishleader who is overwhelmed by self-serving greedand self-preservation, we want a person who iscalm, accurate, and possesses an excellent pan-international political ability. ... I wondered if NHKwould intentionally distort history and createprograms that would make the viewers overwhelmthe history with the current situation, hoping thatthe public would eat at them. I am concerned. NHKhas a bad example nearby. If my concerns arecorrect, it seems to me that an intellectual declineis sprouting up in the organization. How do youthink? Chiho Noshiro, a reporter for the Asahi Shimbun,... I wanted you to search and re-read your compa-ny's 11-year-old article and compare it with theNHK press sheet. I don't think that writting theshow's TV producer's cues is a good introductionto a newspaper, of course as a journalist. How doyou think?Tadami Yamada
Oct 25, 2022
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俳句として独立詩となる以前のいわゆる俳諧における連句を調べていた。俳句と時を同じくするように独立滑稽詩となった俳諧が、川柳である。つまり本来の連句から切り離されて人口に膾炙されるようになったのが川柳。現在まで作品が生き残っていて、口にする人もある「孝行したいときに親はなし」は、元の句は少し違って「孝行のしたい時分に親はなし」であるが、さらにこの前句があり「石に蒲団は着せられもせず」である。江戸時代のおそらく天明期の連句だと思われる。 じつは、この連句、「石に蒲団は着せられもせず 孝行のしたい時分に親はなし」が、そっくりそのまま小津安二郎監督の『東京物語』のセリフとして2度語られている。そのことを思い出したのだが、はたして元の句のとおりだったか、それとも言葉を変えていたか、正確な事が思い出せなかった。それで所持しているDVDで確認した。 そのシーンだけ見ればよいものを、ついつい全編を観てしまった。何度観てもおもしろい。ほんものの俳優たちのすばらしさ。一人の人物における二重三重の心理の綾。相反する感情を同時に表現するみごとさ。いっさいの「無駄がない台詞」が詰まったドラマトゥルギー。・・・いや、きょうはそれを語るのではない。 老母平山とみ(東山千榮子)が、夫平山周吉(笠智衆)とともに子供たちを訪ねた東京から、尾道に帰る列車のなかで、気分が悪くなり、大阪で途中下車する。三男敬三(大坂志郎)が国鉄大阪機関区に勤めているのである。しばらくぶりの長旅で汽車酔いをしたのだろうと、数日敬三のアパートに泊まる(このシーンは無い)。そして老母は回復して尾道に帰った。しばらく看護のために会社を休んでいたらしい敬三が出社した朝。上司(安部徹)に挨拶しながら経緯を話す。上司は、親孝行できてよかったじゃないかという心づもりで、「孝行したい時に親はなし」と言う。その言葉を引き取って敬三は,「墓に蒲団も着せられず」と言う。 ・・・元の句の言葉が、映画のセリフとして耳になじみやすいように変えられている。 「時分に」が「時に」。「石に」が「墓に」と。 この変更は、観客の耳に馴染み易くするためであろうが、じつはそうしなければならない重要な理由があるのだ。敬三の内面をこの言葉によって照射しているのである。 次にこの連句の2度目の引用は、老母の死後の葬儀のシークエンスにおいてである。 寺の本堂で葬儀の読経がおこなわれている。敬三が立ち上がり中座する。庫裡の上がりがまちに、虚ろに腰をおろす。戦死した次男の未亡人紀子(原節子)が心配してやってきて「どうなさったの?」と訊く。敬三は、木魚の音がポクポク鳴るたびに母の顔が小さくなってゆく、と言う。「もう御焼香ですけど・・・」「ぼく孝行せなんでね、いま死なれたらかなわんわ。さればとて、墓に蒲団も着せられずや」 わたしが感心してやまないのは、この深刻な場面の台詞を滑稽詩である川柳を引用したことにである。深刻さを軽さでやわらげたというのではない。敬三の心理、心底疲れ果てて、悲しみさへその肉体に表現することを失い、虚ろになってしまった状態、それをこの俳諧連句で言い切っている。その敬三の姿を、紀子は、個人の意思ではどうにもならない人間の悲哀を内に秘めた心で見ているのである。 俳諧の連句はそれぞれ別人によって詠まれている。上述の例は、前句付けといい、先の俳諧師が「石に蒲団は着せられもせず」と詠んで、次の人にわたす。わたされた人が「孝行のしたい時分に親はなし」と詠んだわけだ。もし他の人だったら別の句を付けたであろう。つまり大変ゲーム性が強いのが俳諧連句であった。 ところで,ついでである。私は『東京物語』のこの老母の死因について、シナリオは臨床的な伏線を周到に準備していることを述べておきたい。 最初は老夫婦が東京の長男一家(山村聰・三宅邦子)の家に到着し、旅装を解く老母に長女(杉村春子)が、「お母さん、ちょっと大きくなったんじゃない?」と言うシーンである。「そんなことありゃせんよ。この歳じゃ成長はせんよ」「お母さんは昔から大きかったから。私、お母さんが学校に来るのが恥ずかしかったもの」。・・・大きかったから、と曖昧にされているが、要するに、肥っているということ。この老母が元来大柄な女性だったにしろ、肥満の原因となるであろう食事について、この映画はところどころにちりばめている。ただしセリフだけで映像は無い。 すき焼き(東京到着の日の夕食)。煎餅。白餡饅頭。氷あずき。親子丼(あるいはカツ丼か天丼かもしれない。映像は明確でない)。茶碗蒸し。刺身。卵焼き。他に車中の2度の弁当(尾道出発時に末娘が作ってくれたもの。東京で紀子が作ってくれたもの)。 老母と長女のこの映画での最初の対面シーンは、もう一点重要なことを含んでいるので少し述べておこう。 長女は子供の頃、母が大きかったので恥ずかしかったと言い、次ぎのエピソードを語る。学芸会を見に来た母が座った椅子が壊れてしまったのだ、と。老母は、「あれはもともと椅子が壊れていたんだよ」「そんなふうに思っとるの」と長女は言い、「まあ、いいわ」と話を切り上げ、背を向けて去る。 ・・・私が注目するのは此処だ。長女の性格をこのシーンですべて観客に紹介しきっている。すなわち、さばさばしているようでありながら、そしてたしかにそのような一面はあるのだが、じつは自己中心的な底意地の悪さ、すこしやわらげて言うなら「我の強い」性格。・・・じつは杉村春子が演じるこの長女の性格と振舞が、この映画の物語のいわば狂言回し。すこしばかり錆と油とがまだらに付着する歯車が映画の物語のシャフトを回転させているのである。 さて、老母の死因の伏線から話がそれつつある。急いで戻そう。 熱海の海岸の突堤に坐りながら平山周吉・とみの老夫婦が昨晩眠られなかった話をする。「おまえはよう寝っちよ」「そんなことありゃせんよ」「鼾をかいてた」「そうですか」・・・「鼾をかいてた」、この台詞で、とみが脳溢血の徴候があったことを示している。そして,宿に帰るために立ち上がろうとしたとみは、立ち上がれずしばし四這いになる。「すこしふらっとしました」と。 不眠の原因は深夜までつづいた宿の客たちによる騒音だが、これによって、とみの血圧は一気に上昇したであろう。 この脳溢血の徴候は、尾道に帰り、危篤状態で寝ているとみが、鼾のような呼吸をしていることにも表現されている。 葬儀後に家族だけでの直会(なおらい)の食事をしながら町医者である長男が言う。「母さんは肥っていたから」。 ・・・上述の長女とのシーンでの、「お母さんは大きかったから」という、曖昧にぼかされていたセリフは、長男のこのセリフで明確になり、死への道程の円環を閉じたのである。見事な脚本である。脚本は野田高梧と小津安二郎の共同執筆。 俳諧・川柳を調べながら、ついつい好きな映画の話になってしまった。良く言えば「物は付け」。『枕草子』の流儀だと思うことにしよう。ハハハハ。 この映画に出演した俳優は、香川京子氏の他はみな亡くなった。真の俳優がいなくなったと、私はなんだか気持が悄然とする。芝居をしていると思えないところが凄いのだ。ごく普通の人間としての日常を生活してきた、その人生の澱がつまった革袋としての人間を現出しているのが凄いのだ。それは、あなた自身を演じてみせてくれと言われて演じるのが非常に難しい、つまりはそういうことだが、この映画の出演俳優たちは、それを演っているのだ。普通の人間の日常生活を、演じている。・・・私が宝物を失ったように感じるのは、・・・優れた俳優の演技は、決して受け継がれないものだからだ。その人で断ち切れてしまうものなのだ。まさに一個の人間の生きている間だけの肉体表現だからである。 香川京子さん、どうぞお元気でいらしてください。 I was investigating the renku in so-called haikai before it became an independent poem as the haiku.Senryu is a haikai that has become an independenthumorous poem at the same time as haiku. In otherwords, it is senryu that has been separated from theoriginal renku and has come to be overwhelmed bythe population. In a gathering called Ren by haiku poets, Renku is a poem in with one person addsphrases one after another to the phrases each personwrote, and enjoys the loose connection of the mean-ings of the whole phrase. The word of original phrase is a little different from the phrase, "There is no parent when you want to befilial piety" which some people say that the work hassurvived until now. And this phrase has an evenprevious phrase, " The stone is not be dressed witha futon." It is probably a renk of the Tenmei periodin the Edo period. Actually, this phrase,"The stone is not dressed witha futon, there is no parent when you want to be filial piety," is say twice as the line of "Tokyo Monogatari (Tokyo Story)" directed by Yasujiro Ozu. I remembered that, but I couldn't remember exactly whether it was exactly what the original phrase was or whether Ozu had changed the word. So I checked on my DVD. I should have seen only that scene, but I just watched the whole story. It's interesting no matterhow many times I watch it. The splendor of genuine actors. Figurative of double and triple pstchology inone person. It's a wonderfu expression of conflictingeemotions at the same time in an actor. Drama struc-ture paked with "lines without any waste". ...Oh no, I'm talking about it today. Old mother Tomi Hirayama (Chieko Higashiyama) and her husband Shukichi Hirayama (Ghishu Ryu)visited their children in Tokyo, and after that, onthe train returning to Onomichi, she felt sick and gotoff in Osaka, ... Her third son, Keizo, works for theOsaka Motive Power Depot. She stays in Kenzo'sapartment for a few days (there is no such scene),probably because she had a train sickness on her longjourney for the first time in a while. And the old mother recovered and returned to Onomichi. Themorning when Keizo, who seems to have been absentfrom work for nursing for a while, came to work. Sayhello to his boss (Toru Abe) and talk about his history.The boss said, "There is no parent when you want to be filial piety," with the feeling that I'm glad for youthat you are able to be filial. Taking that words, Keizosays, "I can't even dresse a futon on the tomb." ... The words of original phrase have been changedso that they are familiar to the ears of audience as the lines of the movie. "jibun ni (時分に:this time)" is "toki ni (時に:at the time)". This is a Japanese sound problem, and "jibunni" is same sound as "自分に (to myself". And "ishi ni (石に:to stone)" is changed to "haka ni (墓に:to tomb)". This made the meaning even more direct. The change may be to make it more familiar to theaudience, but in fact there is an important reason to do so. The inside of Keizo is illuminated by this phrase. Next, the second quote of this renk is in the se-quence of the funeral after the death of the old mother. The funeral chanting is being read at the main hallof the temple. Keizo stands up and gers out of theseat. He sits empty in the living quarters of thetemple stile. The wife of late the elder brother ofKeizo (Setsuko Hara) came worried and asked, "whathappened?" Keizo says that his mother's face getssmaller every time the mokugyo dram sounds. "It'salreday an incense, but. ..." " I'm filial, I wonder ifmy mother should die now. I couldn't even dress afuton on the tomb." What impressed me was that Ozu the humorouspoem Senryu as the line of this serious scene. It's notthat the seriousness was alleviated by lightness. Keizo's psychology, exhausted from the bottom of hisheart, lost the expression in his body to sadness, andbecame empty, which is stated in this haikai renku.Noriko (the widow) sees Kenzo's appearance with herinner heart, the sadness of human beings that cannot be helped by individual will. The each phrase of haikai renku were written by different people. The above example is called "maeku-zuke (pre-addition), and the previous haiku poet wrote, "The stone is not dressed with a futon," andpasses it on to the next person. The person who washanded over wrote,"There is no parent when you wantto be filial piety." If it was another person, he would have added another phrase. In other words, it was haikai renku that was very game-friendly. By the way, incidentally. I would like to mention thatthe scenario prepares of foreshadowing clinically about the cause of death of this old mother in "TokyoMonogatari". At first, the old couple arrives at the house of the eldest son's family (So Yamamura, Kuniko Miyake ) inTokyo and the eldest daughter (Haruko Sugimiura) tells the old mother who is changed her kimono as atraveler, "Mom, have you grown up a little?". "That'snot the case. I can't grow up at this age." " Mom hasalways been big. I was embarrassed you to come tomy school for parent's day." ... It's ambiguous be-cause she was big, but in short, she's fat. Even thoughthis old mother was originally a large female than standard, the movie is studded with her foods, whichmay cause obesity. Although, there is no picture. Sukiyaki (slices of beef cooked in Japanese style that is supper on the day of arrival in Tokyo). Rice cracker. White steamed bun with sweet bean paste. Sherbet with sweet red beans. A bowl of rice topped chicken with egg soup (or maybe It's a bowl of rice topped pork cutlet with egg soup, or a bowl of rice topped with deep-fried prawns. ...the picture is not clear). A thick custard soup. Sashimi (slices of raw fish. A roll of fried eggs. And two lunch boxes (made by heryoungest daughter at the time of departure fromOnomichi, and made by Noriko in Tokyo). The first face-to-face scene of the old motherand the eldest daughter in this movie has anotherimportant point, so let me mention a little. It was, She says she was embarrassed because her momwas big when she was a kid, and she tells the nextepisode. She said a school chair, on which her momsat when she came to see the school festival, broke.The old mother said, "That was oruginally a broken chair". "Do you think that way?" the aughter said,"Well, That's okay," rounding up her story and turning her back away. This is where I pay attention. The character ofthe eldest daughter is fully introduced to theaudience in this scene. That is, although she seems to be sloppy, and certainly has such anaspect, she is actually self- enterd nasty, to putit a little softly, a personality that "carelesslyasserts itself to the thoughts of others." In fact,the vharacter and behavior of this eldest daughter, played by Haruko Sugimura, is thethe facilitator of the story of this movie. Gearswith a little rust and oil mottled rotate the shaftof the movie story. Well, my story is turning away from the hint of the cause of death of the old mother. Let'shurry back. While sitting on a breakwater on the coast of Atami, Shukihi Hirayama and Tomi's old couple talked about not being able to sleep last night."You're sleeping," said her husband. "I don't have that," "You was snoring," "Is that so?" ...."You was snoing," with line, Tomi hadsigns of cerebral hemorrhage. It is shown that. And, when she tried to stand up to return to the inn, she couldn't stand up and crawl on all fours for a while. "I was a little fluffy," she said. The cause of their insomnia was the big noise ofpleasures from the inn guests who continued untilmidnight, which would have caused Tomi's bloodpressure to rise at once. This sign of cerebral hemorrhage is also expressed by the fact that she returned to Onomihi and was sleeping in a critical condition, but she was breathing like a snoring. After the funeral, the eldest son, a town doctor, said while having a face-to-face meal with the family alone, "Because my mother was fat." ... In the scene with the eldest daughter mentioned above, the vaguely obscured line "Because mom was big" became clear in this line of the eldest son, closing the circle of her path to death. It's a wonderful script. The script was co-authored by Kogo Noda and Yasujiro Ozu. While researching haikai and senryu, I just ended up talking about my favorite movie. To put it better Lt's think of as the style of " Makurano soshi (Pillow book)". Hahahaha. All the actors who appeared in this movie died escept Kyoko Kagawa. When the genuine ator isgone, I'm kind of shocked. It's amazing that thdydoesn't seem to be playing. It is amazing to seea human being as a leather bag filled with thebaggade of one's life, who has lived his/her dailylife as an ordinary human being. it's very difficultto play whe asked to play yourself, that is, theactors in this movie play it. It plays the daily lifeof a normal human being, ... I feel like I've losymy treasure. ... because the acting of a goodactor is never inherited. Only for that person, theacting of the actor will be cut off. This is because it is a physical expression only during the life of one human beimg. Kyoko Kagawa san, good luck to you all!Tadami Yamada
Jan 29, 2022
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ポール・ニューマン主演の映画「ハスラー」(監督:ロバート・ロッセン、1961年)をDVDで観ていたら、いままで見落としていたことがあった。画家アンリ・マティスの作品がセット装飾として使われていた。 自分こそ最強のハスラーだとうぬぼれるエディ(ポール・ニューマン)が、15年間不敗の伝説的ハスラーのミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)に敗れる。大きな勝負をするためには後援者が必要だという冷酷な賭博師バート(ジョージ・C・スコット)の申し出を拒絶したエディは、資金を自力で稼ぐために場末のビリヤード場でケチ臭い勝負をする。勝負には勝ったがその相手のハスラーと仲間たちに襲われ、指を折られる。知り合って情を交わした女子大生サラ(パイパー・ローリ)に献身的に看護される。サラと同棲する部屋。両手にギプスのエディは、シャツの釦をサラにかけてもらう。キスするふたり。・・・その狭い部屋の奥、ふたつの窓の間の壁に絵が飾られている。アンリ・マチスの晩年の切り絵。1951年作『スノー・フラワーズ(Snow Flowers)』。ポスターであろう。実物はニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵している。 まあ、私がDVDを観ながら気がついたというのはただそれだけのこと。映画の中でその絵が何か意味を担っているわけではない。家具付安アパートあるいはレジデンスタイプの安ホテルの装飾である。・・・ただ、あえてコメントするならば、このセット美術はやはりよく考えられているのである。二つの窓は縦に長い窓である。その間の壁も狭い。『スノー・フラワーズ』は縦長の作品なのである。狭い壁の空間にピタリとおさまり、窓とのバランスが良い。しかも葉っぱのような花は抽象的である。映画の画面の奥にあって、風景画とか人物がのような具象画のようには、主張をしないのである。・・・これはやはり良く考えられたセット美術であると私はちょっと感心しながら思った。 残念ながらこの絵は著作権・所有権の非常に厳しい規制があり、ここに掲載できない。 When I was watching the movie "The Hustler" starringPaul Newman (Director: Robert Rossen, 1961) on DVD, Inoticed that I had overlooked a thing before. The workof the painter Henri Matisse was used as a set decora-tion. Eddie (Paul Newman), who is proud to be the strong-est Hustler, Loses to the legendary Hustler Minnesota Fats (Jackie Gleason) who has been undefeated for 15 years. Eddie rejects the ruthless gambler Bert (george C. Scott('s says that Eddie ought to have a backer to play a big game, and offer it him. And Eddie has stingy game at the pool hall to earn his own money. He won the game, but was attacked by his opponent Hustler and his gangs, and his fingers were broken. He is devotedly cared for by a female college student Sarah (Piper Lori) who has met and exchanged emotions. At the room that the both live. Eddie's hands were put in the cast. He asks Sarah to button his shirt. Two people kissing. ... A picture is displayed on the wallbetween the two windows in the back of the small room. Paper-cutting of Henri Matisse's Later years, 1951 "Snow Flowers". It would be a poster. The real work is in the possession of the Metropolitan Museum of Art in New York. Well, that's all I noticed while watching the DVD.The picture does not have any meaning in the storyof the movie. It is the decoration of a furnished cheap apartment or a residence type cheap hotel.However, if I dare to comment, this set art is stillwell thought out. The two windows are vertically long windows. The wall between them is alsonarrow. "Snow Flowers" is a vertically long work.It fits perfectly in a narrow wall space and iswell-balanced with windows. Moreover, theleaf-like flowers are abstract. It doesn't makea claim like a landscape painting or a concretepainting like a portrait in the back of the screenof a movie. ... I was a little impressed that this was a well-thought-out set art. Unfortunately, this Matisse's picture cannotbe posted here due to very strict copyright andownership restrictions.Tadami Yamada
Apr 16, 2021
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このブログ日記に何度か書いているが、私のマンガ歴もアニーメーション歴も非常に貧しい。それらを10歳でほぼ完全に卒業してしまったからだ。アニメーションについては日本での制作と上映史に関わっている。私が10歳だった頃といえば戦後ちょうど10年。1955年(昭和30年)だ。日本製アニーメーションは戦前戦中にわずかに制作された記録があるが、戦後の昭和30年頃はおそらく皆無。しばらくしてTV放送が本格化し、受像器が一般家庭にも普及し、「神武景気」などいわれた頃にようやくTVアニメーションが放映されるようになった。しかし、映画館用のアニメーションの時代が到来するのはまだ先のことだった。 そんな戦後事情だったから、私が小学生のときに観た劇場用アニメーションは外国製の2作品だけであった。『やぶにらみの王様』と『せむしの子馬』である。 私は自分の映画歴を綴りながら、その2作のアニメーションの日本での正確な上映記録をさがしている。あまり正確ではない個人の思い出話はみつかるのだが(*)、正確な記録というような文献は入手できないでいる。しかしインターネットの発達によって海外の情報も入手できるようになり、上記2作品についてある程度のことがわかってきた。・・・いまこうして書き始めたのも、じつは今日、YouTubeで『せむしの子馬』(**)の完全なフィルムをたいへん美しい画像で観ることができた。1947年のソヴィエト連邦制作のアニメーションだということが分かった。私にとっては65,6年ぶりの再見(再会)ということになった。 ついでに『やぶにらみの王様』をさがしてみた。アニメーション『やぶにらみの王様』についての情報は意外にたくさんあった。その作品が『やぶにらみの暴君』というタイトルの作品と同一作品であるという記録もある。そして画質はあまり良くないが動画も観ることができた。・・・しかし、現在も私の目裏にあざやかな色彩で甦る絵のスタイルが、YouTubeで観ることができる作品のスタイルとまったく異なるのである。YouTubeで観る作品はフランス製のアニメーションで、たいへんスタイリッシュな絵である。歴史的な名作と評価される由縁である。製昨年代としては私が子どもの頃に一致しなくもない。しかし、私の記憶にある絵は、もっと色鮮やかで、ややディズニー作品のようなスタイルの絵だ。 おかしなものだ。今私は、記憶とYouTube映像との絵のスタイルの不一致に、胸の中になんだか気持の悪さがある。ちがう、ちがう、これじゃない・・・そういう思いだ。1950年代に制作された別な『やぶにらみの王様』のアニメーションがあるのではないか? 私は邦画洋画いずれにしろ日本の映画上映記録がおどろくほど杜撰であることを知っている。映画評論家と称する人たちは、自分の感性と知識と教養だけで映画作品を捨取選択している。もちろん作品に対して肯定否定があっても良いと私は思う。しかし点数をつけたり星幾つだなどとやっているのは、己の能力の〈程度〉を恥ずかしげも無く公言しているようなものだ。 しかし私が言いたいのは、その対象が何であれ、記録に徹するということは大切なのだということ。文化にとって大切なことなのだ。【*註】 手塚治虫氏がこの『せむしの子馬』に感激し、自身の『火の鳥』を創作するきっかけになったという。たしかに手塚氏の「火の鳥」のイメージは、『せむしの子馬』に登場する「火の鳥」のイメージにまるでそっくりである。【**註】 『せむしの子馬』監督;イワン・イワノフ=ワノ、脚本;E・ポメシチコフ、原作;ピョートル・エルショフ。 以下に1947年ソヴィエト連邦制作のアニメーション『せむしの子馬』のURL。アニメーション『せむしの子馬』
Jan 14, 2021
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NHKTVの連続ドラマ『エール』に初登場した故志村けん氏の、役に扮した写真を、朝日新聞ディジタル版が掲載していた。作曲家・山田耕筰がモデルの役なのだそうだ。志村けん氏の役の顔、メイキャップ、いいですねー。入り込んでいる。山田耕筰が入って来ている。このポートレート写真に存在感がある。作り物のウソっぽさが微塵もない。すばらしい!
May 2, 2020
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予定どおり作品は第2段階目の塗り。午前中で終了。再び乾燥を待つ。午後、文字原稿の執筆。 それを途中で止め、ヴィットリオ・デ・シーカ監督映画『ウンベルトD』(1952)を観る。最後のシークエンスを確認するためである。 ウンベルト(カルロ・バッティスティ)が貧窮のなかで愛犬フライクを胸に抱いて、列車の踏切の降りかかった遮断機を超えて飛び込もうとする場面。列車が驀進してくる。胸に抱かれた愛犬フライクが察知し、叫びもがく。カラの胸を掻き抱くように屈むウンベルトの脇を轟然と通過する列車・・・。 なぜ見直したかというと、小津安二郎の『麦秋』(1951)との類似に、不意に気付いたからだ。娘(原節子)を嫁に出した父親(笠智衆)が、内心に空洞をかかえて踏切のある道を行く。すると彼の目の前にいきなり遮断機が降りる。 私は「類似」と言ったが、『麦秋』は1951年の作品。『ウンベルトD』は1952年の作品。この1年の差に、私が詮索しなければならない意味があるかどうか・・・。 The work was painted on the second stage as plan-ned. Ends in the morning. Wait for drying again. In the afternoon, I wrote a text manuscript. Stop it halfway and watch Vittorio De Sica's film "Umberto D"(1952). This is for confirming the last se-quence. Umberto (Carlo Battisti) holds his dog Flik in hischest in poverty and tries to jump over the barrier atthe railroad crossing. The train rushes. A pet dog, Flik, embraced in his chest detects and shouts scare.A train that roars by the side of Umberto, who bendsto hold his empty chest. Why I reviewed it because I suddenly noticed a simi-larity to Yasujiro Ozu's " Bakushu (The Wheat Au-tumn"(1951). After the father (Ryuchi Syu) married offhis only daughter (Hara Setsuko), he walks ona roadwith a level crossing with a hollow inside. Then sud-denly the barrier descended down in front of him. I said a word "similar", but "Bakushu" was a 1951work. "Umberto D" was created in 1952. Whetherthis one-year difference makes sense for me to pry ...By Tadami Yamada
Jan 26, 2020
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東京世田谷の東宝映画砧撮影所内には、大変充実したDIYの資材店がある。撮影所美術部から一般向けに発展したのだろう。私は20年ほど前まで、撮影所に近い、自転車で5分ほどの処に住んでいたので、随分利用した。 ある日、画材として思い浮かんだ材料を探すために自転車を走らせていると、通りで花輪莞爾氏の夫人に出会った。 「あら、山田さん、どちらへ?」 じつは花輪邸はやはり撮影所のごく近く。私は何度かおじゃまして夫妻と歓談していた。花輪邸の玄関には私の作品、『エドガー・ポーの肖像がある静物』が飾られていた。 「撮影所の資材店に---」 「それでしたら、こちらからおいでなさいよ。裏門がありますわ」 夫人が示したのは、花輪邸前の住宅街の通りを真っすぐ抜けた道。 私はそれまで気付かなかったのだが、なるほど真っすぐ、ものの300mほどで撮影所の裏門だった。 こんなことから書き始めたのは、花輪氏から聞いた戦中の話を書いておこうと思ったからだ。 昭和16年(1941)12月8日、日本は、いまだに現代史の謎となっているアメリカに対する外交文書遅配によって、宣戦布告無しの「奇襲」となった真珠湾を攻撃して開戦した。 勢いに乗った日本は、開戦1周年記念として国威発揚の国策映画『ハワイ・マレー沖海戦』の製作を命じた。監督・脚本・山本嘉次郎、脚本・山崎謙太、特撮・円谷英二。 映画は昭和17年(1942)12月3日に公開された。円谷英二の特撮により日本映画史に忘れることができない作品となった。 砧東宝撮影所にフルスケールのセットが作られた。著名人等が撮影見学に訪れたという。 さて、私が花輪氏から聞いた話というのは、このオープンセット、じつは撮影所近所の一般住人にも公開されたのだという。世田谷成城の人たちはこぞって見物にでかけた。父君の代から成城住まいの花輪少年も例外ではなかったようだ。 「撮影所近所の一般住人に公開された」という事実は、映画『ハワイ・マレー沖海戦』関係本にはどこにも書かれていない。少なくとも私は寡聞にして知らない。 一般公開は、国威発揚のためばかりではなく、また騒音対策のためでもなかろうが、とにかく東宝が、日本映画撮影史上この前代未聞のフルスケール・セットに、如何に自信をもっていたかということだろう。製作者たちは戦意とは別種の昂揚をしていたのではないか。私はそんな気がする。 花輪莞爾も書いていないので、ここに記しておく。
Sep 15, 2018
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昨夜からの雨が昼前までつづいていた。私は「♬ Singin' in the Rain~」と口ずさみながら、ふと気がついた。ジーン・ケリーが唄い踊るミュージカル映画『雨に唄えば』(1952年)と伊丹十三監督作品『スーパーの女』との類似場面に! 『雨に唄えば』は、セット美術のすばらしさ、カメラワークの技巧のすばらしさに感嘆するものの、私はストーリーには感心しない。むしろイヤな感じをいだいてい、その感じはたぶん今観ても変わらないのではないかと思う。私が「類似」と言ったのは、それとはまったく関係がない。 『雨に唄えば』は言葉の問題が出て来る。発音や声質の問題と言ってもよい。それも当然で、この物語の基盤となっているのはハリウッド映画がサイレントからトーキーに転換する端境期をあつかった映画界の内幕ものだ。この作品のストーリー運びの重要な動因としての女優の声質や発声法、そしてトーキー時代に至って俳優が実際に唄わなければならなくなったという事態。 ジーン・ケリー演じる二枚目人気俳優ドンも、英語の発音、その舌の動きについて訓練を受けることになる。 ----ちなみに『雨に唄えば』の12年後に制作された、バーナード・ショウ原作、ジョージ・キューカー監督のミュージカル映画『マイ・フェア・レディー』(1964)も同様の言葉と発音の矯正を扱っている。バーナード・ショウはシェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』を下敷きにして、粗暴な娘を「飼い馴らす」物語を下町育ちの花売り娘イライザの粗野なコクニー英語をキングズ・イングリッシュに矯正する話に変えた。--- ドンが受けている訓練法はいわゆる英語の早口ことばのようなものだ。テキストはナンセンス・ヴァースといわれている昔のイギリスの子供たちには親しい言葉遊びである。そこへ親友のコズモ(ドナルド・オコーナー)がやってきて、たちまち訓練はにぎやかな踊りになるのだが---。その場面。 ナンセンス・ヴァースは『Moses supposes』。もともとは1888年に出版されたものだが、映画のなかで使われているのは1944年の一部分がことなる別バージョン。ついでだから書いてみる。 Moses supposes his toeses are roses, but Moses supposes erroneously. For Moses he knowses his toeses aren't roses as Moses supposes his toeses to be. ドンとコズモはこの早口ことばをリズミカルに唄いながら円を描くように踊る。 この場面だ。 私が思い出したのは『スーパーの女』の冒頭シークエンス。津川雅彦(正直屋オーナー五郎)と小学校時代の幼なじみ宮本信子(スーパー好きの主婦花子)が、偶然再会するシーン。花子が言う、「お前、憶えているか学芸会で---」「花子がお姫様で---」「お前がタヌキ---」2人は「ウンチャチャ、ウンチャチャ、ウンチャチャ、パッ!----」と、円を描きながら踊り出す。 伊丹十三監督がこのシーンを演出するに当たって、イメージの記憶集のなかから引っぱり出したのは、『雨に唄えば』の言葉あそびのドンとコズモが踊り出すシーンにちがいない! 両作品ともに手・腕の動きだけの踊り。踊り出すきっかけの一瞬の類似性。バスト・ショット。 私がふと気がついたというのは、そういうことだ。伊丹監督、ちがいますかな?
Sep 14, 2018
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おのま@カナダさんへ、コメントへの返事に代えて 野村芳太郎監督作品『張込み』の「貼りこみ」、ありがとうございました。スクリーンで観て以来ですから、懐かしく、一気に観てしまいました。映画的な感興にみちた優れた作品であると、あらためて思いました。少年時代に見えなかったことも、73のこの年齢になって視野がひろがって見られるようになったためでもあります。 私が13歳のときの映画で、あれから60年が経ちました。ちょうど勉強のために家族から離れて暮らし始めたときでした。家族の元へ帰るときはこの映画の冒頭のような列車旅。それより数年前の3等客室は、戦後の生活がさほど安定しない人々の移動で、まさに映画のとおりのありさまでした。ご存知のように、当時、1等車(Ⅰ)、2等車(Ⅱ)、3等車(Ⅲ)、と車体に書いてありました。映画にも映っていました。 東京から佐賀までの列車行が長々とつづく冒頭のシークエンスは、現在になってみれば、よくぞ時代を正確に撮ってくれたと思います。今なら新幹線だ飛行機だと、距離がちぢまってしまいました。 さらに申上げますと、この冒頭の非常に長い列車内のシークエンスは、刑事という昼夜も春夏秋冬も問わないで出動しなければならない過酷な仕事の実体を見せて、いまだ独身の柚木刑事が結婚に踏み切れない、恋人からすれば優柔不断と思える男の、じつは誠実な人間であることのいわば「伏線」となっているのではないでしょうか。 映画タイトルが出るまでの異常なほどの長い冒頭の列車シーンこそが、この作品のあらゆる基盤(社会状況や、東京と地方との生活差、刑事事件捜査の実体、黙々と任務につく刑事の忍耐強さ、その人間性等々)を映像だけで「説明」しているのであり、この長さが重要だと私は思います。もしこのシークエンスがなければ、---ためしにここを削除してタイトルから観てみてください----意外に「つまらない」映画になってしまいます。 映画の最終部で、柚木、下岡両刑事と石川が乗車した急行列車が佐賀駅に停車しています。宵闇の構内に、これからの終着東京駅までの停車駅が、順にすべてアナウンスされる声が聞こえています。長い列車の旅が始まるのです。それは柚木刑事が石川に諭して言うセリフにこめられた人生再出発への序章の長旅であり、また、絵は動きませんが冒頭部分の長い列車シーンに逆方向から照応するものでもあります。 俳優たちに生活感があってすばらしいですね。銭湯の婆さんに扮して北林谷栄さんが出演されているのが、私はなんとなく嬉しかったです。子供たちもいいですね。小津映画の子供たちよりずっといい。しかも下岡の子供も横川の子供も、わずかなセリフとふるまいで両家の生活状況を端的に示す役目をきっちり果たしていますね。橋本忍脚本のみごとさが、こんなところにも見られます。 佐賀市内のロケもすばらしいですね。ロケセットだけでは醸し出すことが不可能な時代色、ストーリーとしてはじつに地味な刑事物が現実感をもって着地しているのは、ほとんど全編をロケ撮影しているからでしょう。美術の勝利。田園風景や山の中の道、川、橋、柚木刑事が踏み迷う温泉場近くのだだっぴろい山肌の草原、小さな村落のなかにひょっこり存在する寺、等々、ロケハンティングがみごとです。 そして撮影の工夫がいたるところにみられます。 たとえば聞き込み捜査から帰って署内に入って行く刑事を背後から撮り、カメラはそのまま建物の外壁をはいのぼり(クレーン撮影)、2階の窓の外から帰ってきた刑事の姿をとらえ、彼らが給湯器から茶を汲むときにカット割りしてカメラは室内に入っています。その流れのスムーズさはとても心地よいです。 あるいは、柚木刑事(大木実)が、ひとりでタクシーで、横川さえ子(高峰秀子)と石川久一(田村高広)の行方を追跡するシークエンスは、空中撮影。列車や自動車の走りを山あり谷あり、つずら折ありのなかにとらえて、まるでヒッチコックばりで、見事です。四辺一面が田んぼの中の一本道を疾駆するタクシーを、空中から捉えているシーン! ここに土埃が舞えば、まさしくヒッチコック。それをしないのが野村芳太郎監督の見識でしょう。 このあたりはすべて柚木刑事の内心のモノローグで彼の心理と彼が見ている光景描写になっています。そして田舎の実景にかぶさることでサスペンスをつくっています。 また、さえ子と石川が温泉旅館に身を隠し、風呂上がりの浴衣姿の石川が廊下の欄干に腰掛けて草笛を吹くシーン。このときの曲は、その少し前に山中で2人がほんの一時の幸せにひたっているとき、ハイキングの子供たちが歌っていた『旅愁』。石川の心情を想像させて劇中映画音楽としてはやや付き過ぎの感があり、場面がセンチメンタルに流れますが---(ちなみに、野村芳太郎監督の後年の『鬼畜』では、センチメンタルをかなぐり捨ててみごとです) 草笛を吹く石川に、斜上方から屋根廂の影を直裁に切ってやわらかい光がそそいでいます。おそらくレフ板でつくった照明でしょうが、これがすばらしい。まもなく光は消えて黒い霧がかかるように石川の姿は沈みます。下岡刑事(宮口精二)が近づき、少し通り過ぎてからくるりと石川に向かう---。 最後にあえてケチをつけますが、さえ子を追尾していた柚木刑事が祭で賑わう人ごみのなかで見失い、祭行列の見物人を荒々しく掻き分け、あまつさへ行列に入って通りをきょろきょろ探すシーンは、わざとらしい。いかにも映画撮影してますよといわんばかりで、一気にバカバカしさが画面に出てしまいます。佐賀市が協力して祭行列をつくってくれたのでしょうが、したがってリハーサル無しの一発撮りだったのだと思いますが、だからといって行列にとびこんでキョロキョロは噴飯ものです。 だめですよ野村監督、こんなB級チャンバラ映画にあるような演出は。せっかくの作品も、このシーンは珠に瑕。 ---語れば長くなってしまいます。私自身の仕事を放り出して楽しみました。ありがとうございました。
Jul 24, 2018
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朝のうち降っていた雨が止んだので、ちょっと外出するつもりだったが億劫になった。それで仕事場に籠って午後いっぱい制作に専念。 夕食後、DVDで小林正樹監督の『人間の条件 第5部・6部』を観た。3時間10分余の長尺だが、一気に観た。五味川純平の同名小説の映画化。脚色は松山善三、稲垣公一、小林正樹。 1961年の映画。私は公開時に映画館で観ている。16歳、高校1年。会津若松市の七日町通りにあった松竹専門館だった。 57年ぶりである。記憶している場面が、その通りに存在するかなと思ったが、いやー、記憶の通りだった。 鮮明だったのは6部の後半から。 日本人開拓村に梶(仲代達矢)ら敗残兵たちがたどりつき、高峰秀子さんが登場するシーン。 病気の若い寺田二等兵(川津祐介)がロシアの捕虜収容所で梶に言いつけられて、栄養を補うためにジャガイモの皮などの残飯漁りをするシーン。 それをロシア軍の手先となって捕虜の監督をしていた桐原伍長(金子信雄)に見つかり、罰として便所汲みをやらされて死ぬシーン。 シベリアに送られて森林鉄道敷設作業をやらされていた梶が、収容所にもどり、寺田の死を聞かされて、桐原を誘い出して鉄鎖で殴って便所壷のなかに突き落として殺すシーン。 脱走した梶が、妻(新珠三千代)の幻の声と会話しながら凍土の荒原をさまようシーン。 飢えて中国人露天商の売る万頭を盗むシーン、等等。 それらの映像は、57年間、私の脳内に褪せもせずに格納されていたのだ。出演俳優たちが実人生において従軍体験をしているので、画面の厚みが全然違う。ロケセットもいい。美術は平高主計。撮影は宮島義男。音楽は木下忠司。 日本の戦争映画は、思想的な理論対立のドラマが少ない。それゆえに、一応、反戦・厭戦ドラマなのだろうが、作者の思いとは違い情緒に流され、あるいは武勇伝のような語り口、かつての日本軍部の身勝手な唯我独尊的な愛国心鼓舞ととられてもしかたがないような作品になっている。 そのなかで小林正樹監督作品は、たとえば『切腹』にしても、この『人間の条件』にしても、思想が明確だ。それゆえセリフが生固なと取られかねないかもしれないが、同じ松竹の小津安二郎監督作品のセリフとはまったく異なる。仲代達矢の声質とエロキューション(雄弁術、ここではセリフ術)とが、セリフの理屈っぽさを着地させている。私はすばらしい映画作家だと思っている。画面がすみずみまで厚いのがすばらしい。 小津的な「アー」や「そうかね」や鸚鵡返しのセリフでは家庭問題や身の丈社会を語れても、政治や経済理論や世界思想の変革などは語れまい。先日6月12日の日記に追記した『秋刀魚の味』に、かつて海軍の艦長だった平山周平(笠智衆)が、偶然に、部下だった水兵(加藤大介)にバーで遭遇する場面がある。レコードで「軍艦マーチ」が流され、水兵は敬礼しながら店内を行進する。周平は微笑しながら答礼する。----この場面で小津安二郎が言いたかったことは何であろう? その答は観客それぞれの想いにゆだねられている。それは映画の本道であるのだが、小津は、戦争については肯定もしなければ否定もしない。戦争をかいくぐってきた者たちのその後の人生---少なくとも戦後社会にうまく適応できた男たちの老いてゆく姿を見せる。そこには社会変革の強烈な意志も思想もない。日常生活をいとなむ一般人の姿が、言葉ではなく、映像のみで語られる。したがってそれはまぎれもなく「映画」ではあるのだ。 しかし、『人間の条件』において観客は、そこで描かれた戦争がたとえ再現芝居であるにしろ、戦場体験者によって演じられているまぎれもない映画としての視覚体験をする。小林正樹監督は、年表によれば、1941年に応召し、満州においてソ連国境警備に配属、1945年に宮古島で終戦を迎えて嘉手納捕虜収容所に労働要員として収容されている。 ところで、私は観ながら、もう数十年前のことだが、金子信雄氏がTVで兵隊体験を話されていたのを思い出していた。その体験は、映画で演じた桐原伍長とは正反対の立場だったようだ。私はその話も記憶からよみがえってきた。日本陸軍の一部隊ないし小隊のなかで兵卒として生きてゆくこと、金子氏はその自らの言わば身過ぎ世過ぎを告白的に語ったのだ。まあ、しかし、私は書かないでおく。 戦争といえば、大林宣彦監督が「黒澤明監督の遺言」ということでスピーチされたとき、いま日本の施政者は戦争を知らない人が多くなり、戦争志向が政治にでてきている、という意味のことを言われた。 そのとおりだと私も思っている。とても危険な政治家が日本を変えようとしている。
Jun 24, 2018
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突然思い出したというか、気づいたので、メモとして書いておく。題して『でこぼこコンビの系譜』とでも・・・ 1977年に公開されたジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』にアンドロイドのコンビ、「R2−D2とC−3PO」が登場する。この愛すべきキャラクターについてルーカス監督自身が、敬愛する黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』(1958年=昭和33年)を参考にしたと語っている。すなわち太平(千秋実)と又七(藤原釜足)のコンビである。 ところで、その「太平と又七」には先行した原型がないだろうか? 私が思い出すのは山中貞雄監督の『丹下左膳余話 百萬両の壷』(1935年=昭和10年)に登場する屑屋、茂十(高勢実乗;たかせみのる)と当八(鳥羽陽之助)コンビである。背の高い茂十に背の低い当八は、まさに「でこぼこコンビ」。演じた高勢実乗の写真を見ると、悪面の武士などを演じたこともあるようで、マヌケなウラナリ冬瓜面の茂十への変身ぶりには、まるで別人のようで驚く。屑籠を背負い、さらにもっと大きな屑籠を抱えて立ち上がろうとするときの滑稽な動作は、すてきにおもしろい。 さらに茂十(高勢実乗)と当八(鳥羽陽之助)コンビは、山中貞雄の翌1936年の映画『河内山宗俊』に、茂十郎兵衛(高勢実乗)と藤八右衛門(鳥羽陽之助)として再登場する。侍ではあるが「お笑いでこぼこコンビ」である。 というわけで、私は、黒澤監督はこの山中作品の「茂十と当八 = 茂十郎兵衛と藤八右衛門」を引用して「太平と又七」を考案したのではないか、と推測するのである。 いや、じつは「茂十と当八」にはさらに先行する「弥次さん喜多さん」があったのではないか、と推測している。 十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の主人公コンビ「弥次郎兵衛と喜多八」。栃面屋弥次郎兵衛はもと駿河の国の裕福な商家の旦那。遊蕩に明け暮れて家を潰し、なじみの陰間・鼻之助と江戸に駆け落ちした。ふたりは男色関係にあったのだが、鼻之助は名を変えてすなわち喜多八。しかし江戸の生活も行き詰まり、厄落としに伊勢参りの旅に出る。行く先々で繰り広げるドタバタ喜劇。それが『東海道中膝栗毛』である。 この滑稽本、さまざまな派生作品を産み出し、現代までつづいている。もちろん映画作品もある。その最初の映画化ではないかと思うのだが、1924年(昭和2年)に日活太秦撮影所で製作され、同年から翌年にかけて公開されたというサイレントの長編映画、池田富保監督の三部作『弥次㐂多 尊王の巻』『弥次㐂多 韋駄天の巻』『弥次㐂多 伏見鳥羽の巻』【後註】。 この三部作のフィルムは『韋駄天の巻』は現存せず、他の2作はそれぞれ上映時間2時間弱のうちのごく一部分10パーセント程度のみが現存し、DVDに複製されている。 私がこの映画に注目するのは、弥次喜多を演じている俳優である。弥次は河部五郎、喜多は大河内伝次郎。ここで喜多八を演じた大河内伝次郎が、後に山中貞雄監督『丹下左膳余話 百萬両の壷』で丹下左膳を演じているのである。 山中貞雄は『丹下左膳』を撮るにあたって、かつて河部五郎と大河内伝次郎が演じた「弥次郎兵衛と喜多八」コンビを、「茂十と当八」に写さなかったであろうか? 私は次のような「でこぼこコンビ」の系譜を想像しているのである。 「弥次郎兵衛と喜多八」→「茂十と当八」→「太平と又七」→「R2−D2とC−3PO」 もとより漫才芸における「でこぼこコンビ」の存在を充分考慮のうえであるし、日本で「底抜けコンビ」と名付けた「マーティン アンド ルイス」、すなわち1946年から1956年まで活躍したディーン・マーティンとジェリー・ルイスの名コンビ「Martin and Lewis」をも思い出している。 しかし、ジョージ・ルーカス監督が「R2−D2とC−3PO」を、自国の「マーティン アンド ルイス」からではなく、黒澤明監督の「太平と又七」を引用したという話は、なかなか興味深い。そこで私は日本映画史のなかに「でこぼこコンビ」の系譜を探ってみたのである。キャラクターの名前が似ているのは、たんなる偶然だろうか---?【註】 池田富保監督の三部作『弥次㐂多』のタイトルは、異字体「㐂」をもちいている。【ちょっと牽強付会・我田引水お遊び推理】 弥次(八+二=十)→ 茂十 喜多八(北八)→ 当八(東八) 茂十 → 太平(この2字を分解して再構成すると、茂十) 当八(当は当舗の意あり、すなわちシチ)→ 又七(又はソノウエニの意で、七の上すなわち八) ↓ 当八 = 七八 又七 = 八七アッハハハ、いかがです?
Jun 14, 2018
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昨夜観た『晩春』があまりにも面白かったので、今夜は同じく小津安二郎で『麦秋』を観た。これも何度も観ているけれど、やっぱり面白いなー。 小津作品はどれも言うなればホーム・ドラマなのだが、じつにすばらしい。 英語に「a line of low-rent tragedies」という言い方がある。低俗なつまらない悲劇の連なり、という意味で、たいていは家庭内のゴタゴタを指す。私がTVドラマというやつを観ないのは、ほとんどがそのような類いで、ドラマとは言えない---ここはdramaと書いた方が適切---と思っているからだ。 『麦秋』はたしかにホーム・ドラマだ。一つ家に4世代が集い、やがて離散していく。1951年(昭和26年)の作品である。それから半世紀以上経た現在の日本のほとんどの「家」の形ではない。昭和30年以前にすでに「離散」して以後の「家」の形が、現在の日本の家庭の姿と言えるだろう。したがって『麦秋』であつかっている一家の物語は、いまから見れば時代の境界を写していると言えよう。それだけにホーム・ドラマとはいえ、「a line of low-rent tragedies」と打ち捨てることができない家庭の姿がある。 そして小津作品は、深刻といえば言える家庭問題に、喜劇性を付与する---明白な喜劇場面としてつくっている。『麦秋』は、『晩春』より一層喜劇的なシーンをつくっている。それによって一層、この世から消えて行く人生の儚さ、諦念、受容がきわだってくる。みごとな作劇術。 会話のなかにあからさまな「エロ」が飛び出すのも、小津映画の油断がならないところだ。下品になるスレスレのところでうまく抑えている。いわゆるオトナのエロ話。私はすでに2015年12月9日に、『秋日和』については指摘した。 ---『麦秋』ではこんな具合だ。原節子演じる未婚の紀子。その親友のやはり未婚のアヤ(淡島千景)が、紀子の勤め先の上司である佐野周二演じる専務を訪ねる。専務は紀子に縁談をもちかけているのだが、紀子の態度はあいまいで専務には確信するものがない。専務はアヤにさぐりを入れる。そして--- 専務がアヤを誘って言う。 「どうだい、鮨でも食おう」 「ええ」 「何が好きだい」 「トロよ」 「ハマグリはどうだい」 「好きよ」 「稲荷はどうだい」 「嫌いよ」 「ハハハ、きみも変態だ」 おわかりですね? うん、そういうこと。まったく油断も隙もない。「うー」とか「ああ」とか繰り返している小津映画のセリフだが、ときに聞き捨てならないことを言っている。私は大笑いしながら、『麦秋』もまた堪能した次第。 追記として『秋刀魚の味』のエロ話についても--- この1962年の映画は小津安二郎監督の最後の作品。私はあまり良いできだとは思わない。エロ話といってもここでは『麦秋』のような喩え話ではない。笠智衆と中村伸郎の旧友である北竜二演じる男が最近若い後妻をもらった。それでふたりは、まだオトコが大丈夫なのかと、精力剤を飲むジェスチャーをしながら冷やかす。その場面が繰り返し、たしか3回ある。老境にさしかかる男の悲哀を性的な面から直裁に表現しているのであるが、小津監督いささかやリ過ぎ、いささか下品だ。 まあ、現実の世話においては同様のシーンはいやというほど遭遇するものだ。かく言う私も20代後半に、よんどころなく出席しなければならなかった年輩の方々のパーティーで、『秋刀魚の味』とまったく同じシーンを何度も目撃したものだ。老境が目前にせまり、まだ「諦める」には早いと思っている男というものは、特に同窓会のように旧友が顔をあわせると、出る話はどうやら必ず「それ」だ。 つまり、『秋刀魚の味』は、その「実体」をよくとらえているのではあるが、表現としてはつまらない。一度ならまだしも映画館の座席で笑って観ていられるが、三度も繰り返されると下品に傾く。私は鼻白んだ。 ただ、急いで付け加える。 娘路子(岩下志麻)の結婚式後、旧友河合(中村伸郎)の家に立ち寄ってから帰宅した父周平(笠智衆)を迎えてから、長男幸一夫婦(佐田啓二・岡田茉莉子)がそろそろ帰ると言う。「なんだ、もう帰るのか」という父。 ---そのときの父の表情がすばらしい。みごとな笠智衆。すごい俳優だねー。なんにも芝居をしない芝居、文学(ことば)が決して表現できないごく日常の刹那の表情。『秋刀魚の味』で小津が言いたかったことが、この1秒にも充たない文字どおり一瞬の父親の顔に表現されてしまっている。映画がそこに在った。私はもうびっくりした。
Jun 12, 2018
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終日の雨。気温も低く少し寒かった。 夕食後ひとやすみしながら、久しぶりにDVDで小津安二郎監督の『晩春』を観た。何度観ても、溜め息がでるほど良い。原節子、笠智衆、すばらしい。複雑な感情や口に出せない思いを幾層にも重ねてあらわす顔、身体。そのさざ波のような揺れ、----見入ってしまう。目が離せない。すごい俳優たちだ。映像表現の真髄! いままで記憶していなかったカットが一つあることに気がついた。紀子(原節子)が家をとびだして友人アヤ(月丘夢路)の家に行く。東郷青児の絵が飾られている客間でケーキを食べ始める。が、二人は軽く意見が衝突し、紀子は突然、帰ると言って部屋を出て行く。泊まっていくんじゃなかったの、と後を追うアヤ。---その後である。 無人の画面。白いダイニングチェアの座面に本が数冊積み重ねられている。一番上にページを開いてのせられてあった大判の写真雑誌が床に滑り落ちる。画面変わる。 わずか1秒ほどのカットである。----このカット、私の記憶から抜け落ちていた。 もう一カ所、あっ? と思ったこと。 最後のシークエンス。紀子を嫁に出し、その結婚式から帰宅した父(笠智衆)が、ひとりぽつねんと座り、テーブルの上の林檎に目をとめ、手にとり、皮を剥き始める。長く垂れ下がった林檎の皮は途中で切れて落ちる。うつむく父。 ----この林檎の皮を剥くシーン、どこかで観た! そう、ジャンヌ・モローの舞台、『ゼルリンヌの物語』だ。彼女は林檎の皮を剥きながら彼女の物語りを始めた! たまたま林檎の皮を剥くのが似ているだけだろうか? もしかして、ジャンヌ・モローの演技は、小津の『晩春』を引用したのではないだろうか? もちろん私の勝手な推測である。 林檎の皮剥きが重要なシーンのポイントとなっている映画作品が、他にあるだろうか? 私の記憶の頭陀袋をひっかきまわしても見つからない。林檎、林檎----、『サウンド・オブ・ミュージック』---いやいやそうじゃない。『菩提樹』だ。しかし、皮剥きが問題ではなかった。あれは、アメリカに亡命したトラップ一家が満足な食事ができず、林檎を食べてしのいでいたのだ。ほかには、『ゾラ』か。少年時代、ゾラがセザンヌに籠の林檎を贈ったエピソード。----林檎、林檎----皮剥き、皮剥き----、やっぱり記憶にないなー。 まあ、今日のところは、笠智衆とジャンヌ・モローで頭にとどめておこう。 ついでにもうひとつ。 能楽堂のシーン。笠智衆と原節子の父娘、そして離れた斜向かいに三宅邦子演ずる後家さん。娘は、この観能が秘かに仕組まれた父と後家の見合いだったのではないかと、内心に如何ともしがたく怨情と嫉妬がうずまく。 ----ところでその能である。梅若万三郎の舞姿を観られるのも嬉しいが、演目は『杜若(かきつばた)』。晩春(初夏)にふさわしい能である。シテは杜若の精であり、且つ在原業平の化身。普通このシテの装束は、紫の長絹であるが、映画『晩春』においては白の長絹をもちいている。おやっ?と思うけれども、小津監督、白黒映画における映像効果を考えたのであろう。本来の紫では、画面が沈んでしまう。長いシークエンスである。いかに名人梅若万三郎でもフィルムに輝きを与えることは難しかろう。白の長絹が美しく画面をつくっている。 さらに申せば、この能場面の出演者は、ツレも地謡も囃子方も錚々たる顔ぶれだ。能『杜若』として一見の価値がある。 『晩春』---堪能した。
Jun 11, 2018
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「8時だヨ!全員集合」展が東京・杉並区の区立郷土博物館で開催されている(12月10日まで。月曜休館)。 これを伝える朝日新聞デジタル版が、「情報提供求む!!切実な理由」とタイトルにしているので、何事かと思い読んでみた。そして、ちょっと驚いた。 1969年10月4日の第一回放送から16年間、長寿・高視聴率のおばけ番組といわれ、803回放送されたそうだ。いわゆるライブ・パフォーマンスの公開収録が注目された。まだヴィデオが一般的でなかった時代で、おそらくTV局においてもヴィデオ・テープは高価なものだったのではあるまいか。収録は文京公会堂においてだったと記憶している。ところが1970年8月8日の分は、唯一、旧杉並公会堂からの公開収録だったという。私が驚いたのは、そのことだ。というのも、私はその旧杉並公会堂の公開収録を会場に居て観ていたからである。 当時、私は公会堂の近所に住んでいた。すでに大学は卒業していたが、アルバイトをしながらイラストレーターになろうと絵の勉強を始めていた。ある日、つまり8月8日、通りを歩いていると「8時だヨ!全員集合 公開収録」のポスターが目に入った。ポスターを見た途端に、私の好奇心がムクムクと頭をもたげた。公開収録とはどんなふうに行われるのか見てみよう! 子供たちが賑やかに列して会場に入る後ろに、私は恥ずかしげもなく並び、公会堂の座席に座ったのだった。拍手の練習やら、ドリフターズ(志村けんさんは、まだメンバーではなかった)のリハーサル等が進み、本番。 朝日新聞デジタル版の「情報提供求む!!切実な理由」という意味は、やはりヴィデオ・テープが高価で使い回しをしていたので、この旧杉並公会堂の公開収録に関してほとんど資料が存在しない。展覧会の企画者は、もし、この公開収録を観ていた人は、コントの内容等の思い出を知らせてほしい、というのである。 さーて。私はたしかに観客の一人だった。 私のこのブログの先月26日の日記に、民生委員合唱団「かしの木」の今後のスケジュールについて書き、そこに来年3月に杉並公会堂に出演することを書いた。50年ぶりに訪ねることになり、懐かしい、と。----じつは、その懐かしさとは、「8時だヨ!全員集合」のたまたま遭遇しての公開収録現場を見たことをさしていた。 しかし、記憶力には自信がある私だが、名にしおう「8時だヨ!全員集合」も、その場で子供たちと一緒に大笑いして、25歳の男の記憶の頭陀袋に入れるのを忘れてしまったらしい。階段状になった客席の後方に座り、そこからの眺めは視覚的記憶として思い出すのだが、コントの内容を説明するとなると----ああ、まったくダメだなー。覚えていれば、情報提供するにやぶさかではないけれど---- まあ、しかし、803回のうちの唯一の会場となった公開収録を見たのだったか! と、驚きながら初めて知ったのだった。47前のことだ。
Nov 30, 2017
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ときどき雨が降ったり止んだり。外出をやめて午後から仕事場にこもって制作。 ところで、昨夜、TVで映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (The Curious Case of Benjamin Button)』( 2008年 アメリカ映画)を観た。すでに観ていたが、良くできた作品なので何度観てもおもしろい。 監督デヴィッド・フィッシャー、主演ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット。原作は1922年に書かれたF・スコット・フィッツジェラルドの短編小説。 80歳の老人の姿で生まれた赤ん坊ベンジャミンが、年を重ねるにしたがって若い姿となり、ついに赤ん坊の姿をした老人として死ぬという物語。それだけではおとぎ話だが、そこはさすがにと言うべきか、見応えある一種の哲学的な作品になっている。監督の力量と俳優陣の着地処を心得た堅実な演技が、登場人物一人一人の人生に確かな肉付けをしている。おとぎ話に見えないところがすばらしい。 80歳の少年ベンジャミンを演じるブラッド・ピットのメーキャップがみごとだ。彼が年をとるにつれて姿形は若くなってゆくが、彼の周囲の人物たちは、当然、次第に若さを失い老いの姿をさらすようになる。ある時点で、ちょうどXのように、ベンジャミンとケイト・ブランシェット演じる幼なじみの恋人が、両者の実年齢と外形が一致する。-----こういうプロットが実におもしろいのだが、二人はデートを重ねるうちに彼女は妊娠する。もちろん彼女は結婚を望むけれど、ベンジャミンは言うのだ。僕はだんだん子供になってゆく。君は一度に二人の子供を育てることになり、やがて年老いた君の腕の中で僕は赤ん坊になってしまう。そんな人生に耐えられるか、と。 おもしろいねー。人間の世代交替-----生物の生殖と世代交替-----その社会的な問題が永遠の「謎」のように出てきている。原作者フィッツジェラルド、たんなるおとぎ話(ファンタジー)を書いたわけじゃないってことだ。 というわけで、映画を観たあとで、私は自分の記憶に映像として鮮やかに残っている4,5歳ころからのこと、そして同じ時期のポカリと抜け落ちて記憶として定着しなかったことなどをいろいろ考え、眠りについたのは午前3時半だった。ベッドに入ってから、ここ数日読みつづけている英語の小説本を手にとったが、明日(つまり今日)に差しつかえると思い直して眠りについたのだった。
Apr 9, 2017
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右足首のねん挫も、どうやら痛みは引けた。階段の降りの困難も、さほどではなくなった。しかし用心に越したことはないので、壁や柱につかまりながら一段毎に両足そろえてゆっくりゆっくり下りている。さきほど21時過ぎに今日2度目の湿布薬を貼り換えた。 夕食後、茶を呑みながら、昨日録画しておいたNHK・Eテレの「クラシック音楽館」を観た。「20世紀日本の知の巨人柴田南雄の音楽」と題されていたが、昨年1月7日にサントリー・ホールで開催された「作曲家柴田南雄生誕100年・没後20年記念コンサート」の録画である。 指揮は山田和樹氏、演奏は日本フィルハーモニー交響楽団、東京混声合唱団、武蔵野音楽大学合唱団。 プログラムは、「ディアフォニア」(1979年作)、混声合唱曲「追分節考」(1973年作)、交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」(1975年作)。 すばらしい演奏だった。ライブで聴かなかったのがまことに残念。 このTV録画、後日、また視聴することにする。
Feb 13, 2017
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きのう一日休養し、きょうも午前中まであまり調子が良くなかったが、午後になってどうやら持ち直した。制作期日に追われて、そうそうゆっくり休んでもいられなかった。気をとりなおして筆を執り、後々ほとんど影響が出て来ない部分の下塗りをした。 さて、さきほど23時までちょっと前に録画しておいたNHKBSの番組『新日本風土記 奥会津檜枝岐』を観ていた。 檜枝岐(ひのえまた)は、昔私が住んでいた八総鉱山からさらに山奥に入った地である。私たち一家がこの地を離れてずっと後に、我家のあったまさにその場所から入ってゆく国道352号線が開鑿された。それはどうやら私が植物や蝶を探し求めて分け入っていた獣道のような山道が基礎となっているらしかった。 檜枝岐は尾瀬国立公園への入口として知られてもいる。しかし、私がその地に懐かしい響きを感じるのは、八総鉱山小学校が開校した昭和30年、4年生の私の担任だった生亀(いき)先生が、翌々年に転任されたのが檜枝岐だったからだ。 生亀先生は柔道家だった。課外活動で私に柔道を教えてくださった。6年生を差し置いて同級生の木村君を主将に、私を副主将にして。また、ピアノ演奏の手ほどきもしてくださった。たしか先生は音楽大学の出身だったと記憶する。 家庭訪問で我家に御出でのとき、父の古いSPレコードのなかに、フリッツ・クライスラーが演奏するファリャ作曲『七つのスペイン民謡』からの『ホタ』を見つけられて、それが非常にめずらしいクライスラーの記念的なレコードなので大切にするようにと言われた。 じつはそのレコードは度重なる引っ越しの間に失われてしまい、私は演奏者も作曲者も、無論曲名さへも忘れていたのだが、後年、私が30歳くらいの頃、忙しく出版社と自宅のあいだをタクシーで駆け回っていると、カー・ラジオから流れてきた曲に一瞬鼓動が高鳴った。まぎれもなく、生亀先生が大切にしろと言ってらしたレコードの「あの音」だったからだ。そのラジオの解説によって、「フリッツ・クライスラー」「ファリャ」「ホタ」がつながった。そして、私は子供の頃に親しんだ「ホタ」を、クライスラーのヴァイオリンに合せて、タクシーの中で、小声で口ずさんだのだった。 檜枝岐に転任になった生亀先生は、その後、一度だけ八総鉱山の我家に遊びに来てくださった。父が先生と私の写真を撮った。その写真が私のアルバムにある。 TVのドキュメンタリー番組を観ながら、私は生亀先生の面影に重なる檜枝岐とのかすかな縁を感じていた。【後記】 Google地図で檜枝岐を検索すると、国道352号線の檜枝岐の手前に「八総」という地名がみつかる。おそらく江戸時代にはすでに存在していた古地名で、八総集落である。この八総は、「八総鉱山」の名称の由来となった地ではあるが、八総鉱山とはちがう。 南会津は、会津藩が幕府から預かって管理していた南山御蔵入領であった。いわゆる天領である。したがって会津若松と江戸とを結ぶ要路が開けていた。会津若松と今市を結ぶ下野街道は、今市で日光街道に入る。 下野街道には多くの準街道が開かれていて、糸沢ー羽塩ー滝原ー(中山峠)ー内川ー古町ー山口ー(駒止峠)ー針生ー藤生ー関本へと戻る道は、現在も奥会津の重要な道路である。 昔は内川から左に道をとると檜枝岐に至り、滝原から中山峠を越えてしばらく行ったところに八総集落があった。そして滝原(滝ノ原)の一部として一里ばかり入ったところに八総鉱山はあった(現在は無い)。 江戸時代の物資運搬資料には「八総(集落)」から鉱石を運んだという記録はない。大正時代には田島から会津若松へ砥石を運んだという記録がある。八総鉱山は古地名八総(集落)に由来はするけれど、銅鉱山としては現代の発見と言ってよかろう。 亡父が昭和28年に八総鉱山に赴任した時点で、まだ探鉱の最中であった。しかし、後に赤倉口と称される地点から山腹を貫くように900メートル掘れば「ヒ」に当たることが予想された。「ヒ」というのは鉱床の心臓部のいうならば扉口である(金ヘンに通と書く)。すぐに本坑「赤倉通洞」の掘削が開始され、予想は的中し、昭和29年に大鉱床にぶつかった。 赤倉通洞は完全に山腹を貫いてい、一方を赤倉口、もう一方は館岩口と称し、奥会津館岩方面に開けていた。【注記】私がこの日記を書いた当初、いわばオリジナル原稿では、ヴァイオリン演奏者をヤッシャ・ハイフェッツと書いていた。これはフリッツ・クライスラーの間違いである。ファリャ作曲『ホタ』をヴァイオリンとピアノの為の曲にアレンジしたのはクライスラーである。(2020.12.24記)
Feb 4, 2017
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昨年のことだが、大変人気があるという若い女性グループが歌うCDを頂戴した。TVの歌番組、特にアイドルと自称他称する若者たちの歌う番組を、私はほとんど観ない。別に嫌いなわけではない。私にはあまり好き嫌いがない。で、もらったCDのアイドルグループだが、私は知らなかった。 それはともかく、歌を聴いた途端に、メインで歌っている女性の日本語の発音が非常に汚らしいので、あきれてしまった。鼻濁音ができないのである。つまり、「ガ・ギ・グ・ゲ・ゴ」を鼻に抜いて発音できない。 文字で書きにくいけれど、「ンガ・ンギ・ング・ンゲ・ンゴ」と発音すると日本語がきれいに聞こえるのである。「日本語」は「にほん・ゴ」ではなく、「にほんンゴ」と発音するという具合だ。「外国語」は「ガいこくンゴ」である。 こんなことを書き始めたのは、じつは今夜、たまたまTVで「カラオケバトル」という番組を観ていたのだが、この番組で栄冠を獲得して来たという女性オペラ歌手が、やはり鼻濁音ができていなかったのだ。番組の主旨は、カラオケ機械の数字にあらわれる「歌唱力」を争うものだから、鼻濁音ができようができまいが関係はない。しかし、アイドル歌手とちがい、オペラ歌手が、しかもソプラノ歌手が鼻濁音ができないでは、これはだめでしょう。たしかに、鼻濁音になると声の張りが弱くなるかもしれない。が、もしも日本語でオペラのアリアを歌っている最中に、ことばの端々に「ガ・ギ・グ・ゲ・ゴ」とやっていては音が汚くなる。音楽的にはそれは「雑音」と言ってよかろう。 ずっと昔、名前を書くのは憚られるが、さる方が御結婚前に鼻濁音を習得される努力をされたと聞き及ぶ。美しい日本語で話さなければならない立場におられたからである。 ------大勢の前で表現しなければならないアイドルとかTVタレントが、鼻濁音ができないことに気がつかない、また周囲も気がつかないらしい現状を、どう考えれば良いのだろう。鼻濁音ばかりではない、いわゆるJ-Pops歌手たちの非常に多くが、女性も男性も、日本語の発音が汚い。気取りだろうか? そんなことを「格好いい」と思っているのだろうか? ことばの発音が汚いのは歌唱力とは別であろうが、歌手ともあろう者が、音に鈍感では、お話になるまい。それは「人気」とは別問題である。【後記】 上述の文章を音読した場合、たくさんの鼻濁音の箇所がある。 「昨年のことだンガ」 「人気ンガ」 「グループンガ」------挙げたらきりがない。要するに主格をつくる助詞「が」は、すべて鼻濁音で発音される。たいていの人は、無意識に正しく発音しているのである。
Jan 18, 2017
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終日の雨降り。今後3日ほどつづく予報。外出もせず、制作をつづける。 さきほどTVで、ピアニスト碇山典子さんが演奏するリスト作曲の『ラ・カンパネラ』の初版を初めて聴いた。 『ラ・カンパネラ』はあまりにも有名な曲だが、これには初版から第4版まであり、現行曲は4版なのだそうだ。第4版で曲の出だしの3小節が、初版では5ページに及ぶ長さだという。しかも演奏が非常に困難なため、世界中で演奏できるのは10人程にすぎないのだと番組では言っていた。エンターテインメントTV番組の言うことはとかく大げさなので、10人という数字をそのまま信じることはできないが、しかし、初版『ラ・カンパネラ』がコンサートで演奏されたという話は,私は寡聞にして知らない。碇山典子さんはその難演奏のレコーディングに成功したおひとりなのだそうだ。 聴いた私の感想は、たしかに技巧的な曲で演奏者泣かせではあろうが、曲そのものはたいしたことはないと思った。初版を刈り込んで、現行のかたちのほうが余程美しい。音楽は、曲芸を聴かされても、少なくとも私は何の感動もしない。 リストから話しが離れるが、TV番組が、それが音楽的な番組であっても、とかくエキセントリックなことがらに目をそそぎがちなのは、大衆向け娯楽なので当然といえば当然だ。しかし天才少年だとかなんとか冠をかぶせて、曲芸まがいのギターの早弾きだとかピアノの早弾きをもてはやしているのを見たことがある。ちっとも音楽的ではないのだ。それらの演奏は、テクニックの見せ物だ。 きょうのTV番組で司会をしていたのはヴァイオリニストの葉加瀬太郎氏。 私は以前、つつましい演奏会で若いヴァイオリニストが曲弾き(楽曲を演奏するという意味ではない。曲芸弾きということ。念のために)するのを聴いた。彼がヴァイオリン演奏を志したのは子供の頃に葉加瀬太郎氏の演奏会を聴いたことによると、自分で言っていた。ところが、彼がいま人前で演奏するようになって、私が感じたのは彼の勘違いだ。葉加瀬氏は音楽の正しい高等教育を受けていられる。そしてその優れた演奏テクニックは、豊かな音楽を表現する。けっして曲芸を披露しているわけではない。しかし、くだんの若いヴァイオリニストは、楽曲にこめられた「音楽」を聴き取ることをおろそかにしている-------と、私は感じた。数曲演奏したなかで、私がこれはまあ聴けると思ったのは唱歌『浜辺の歌』の演奏だけだった。もともと言葉を表現する曲なので、意地悪い言い方だが、彼にも理解するとっかかりがあったのだろうと、私は思ったものだ。 私は演奏会にはしばしば足を運ぶけれども、楽器は何一つ演奏できない。交響曲のスコア(総譜)を読み取れたらどんなに良かろうと思う。モーツァルトの交響曲の楽譜をながめて溜め息つき、ベートヴェンの楽譜をながめてまた溜め息をつく。朝比奈隆・東条硯夫共著『朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る』を読んでは溜め息をつく。-------この交響曲のスコアをドストエーフスキーやバルザックの小説を読むのと同じように私に読めたなら! 芸術表現はそれが音楽にしろ美術にしろ文学にしろ、テクニックがなければお話にならない。テクニックがあることが大前提で、テクニックがあるか無いかなど語る必要はないのだ。表現とはその先にあるのである。
Sep 13, 2016
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午後2時39分作品制作を擱筆、完成した。今後数日間寝かせて、署名を入れることにする。予定より1週間は早くできあがった。その分の日時を少し休憩とすることにしよう。 きのう、いつものように午後6時に仕事を止めたのだが、9時になって、もう少しやっておこうと思い、結局、11時半過ぎまで執筆していた。それが良かった。きょうの仕事に拍車をかけることができた。 さて、もう頭を切り替えよう。 昨夜ベッドに入って、眠くなるまで読書をしていた。ここ数日読みつづけている論文集なのだが、その記述のわずかな語彙に触発されて、突然アメリカ映画『フロウズン・グラウンド(The Frozen Ground : 2013)』を思い出した。スコット・ウォーカー監督の長編第1作。主演はニコラス・ケージとジョン・キューザック。実際にアラスカ州アンカレッジで起きた猟奇殺人事件をモデルにしている(脚本もスコット・ウォーカー)。 ストーリー説明は遠慮しておくが、私の言いたいことのために、ニコラス・ケージは事件担当の刑事部長ジャック・ハルコムを演っているとだけ述べておく。 ジャックは近日中に警察署を退職して石油会社に転職しようとしている。妻も望んでいることで、すでに転居のための家財の整理はほとんど終わっていた。そこへ連続殺人の疑いがある変死体が出てきて、ジャックは内心困惑しながらこの事件の担当をしなければならなくなる。当然、いつ解決するかもわからない事件のために、転職も転居もおあずけである。 さて、私が注目したのはここからの妻の態度である。じつは妻が登場するシーンは最初と最後の2カ所だけだ。このわずか2シーンだけで、この妻がどのような家庭婦人であるかを言い尽くしているのだが、従来のアメリカ映画の妻であり主婦である女性像とおおきくちがうのであった。そこに私は「オヤ!」と、注目した。 従来、このような状況におかれた妻であり主婦である女性像がどのように描かれてきたかといえば、仕事に打ち込む夫に疎外されていると悩み、彼女が思い描く結婚生活は破綻したと鬱状態になっていくか、逆にヒステリックに喚いて夫婦間の溝を深めてゆく女。いずれにしろ、このような女性像が観客に受け入れられてきたのは、背景に女性の社会的自立のための思想や運動があったからであろう。現在もその社会思潮はかわらない。大統領選最中のヒラリー・クリントン候補が、「ガラスの天井にこれまで一番大きなヒビを入れた」と発言していることにも表われている。 それでは『フロウズン・グラウンド』のジャック・ハルコム刑事の妻はどうか?彼女も思いがけない状況に不満ではある。しかし、彼女はヒステリックに喚かない。夫を自分の論理で追いつめはしない。夫が社会のなかでどんな困難な仕事に誠心誠意務めているかを理解し、しかもその仕事が、残虐な殺され方をした女性たちの、結局は味方となって、女性を守ろうとしているのだということを理解しているのである。それゆえに彼女は、主婦として夫不在の家庭と子ども達を守るという「任務」に着いたのである。最後の短いシーンが、彼女の包容力をあますことなく観客に伝えていた。 私は、この妻の造形は、アメリカ映画の新しさではないかと思う。見かけは古いが、その見かけとは全然ちがう女性像だと!
Sep 4, 2016
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朝、食事をしながら昨夜録画しておいたNHKBS1のドキュメンタリー「もうひとつのショパンコンクール 〜 日本人調律師たちの闘い」を観た。 2015年に開催された5年に1度のショパンコンクールの裏舞台。コンクールはまずエントリーしたピアニストたち(2015年は78人)が、ステージにならべられた4社4台のピアノから自分に適したピアノを選ぶことから始まるという。そのピアノ製造会社4社(スタインウェイ&サンズ、ヤマハ、ファツィオリ、シゲル・カワイ)の調律師たちの競争を、ファツィオリの調律師・越智晃氏とヤマハの花岡昌範氏を中心に据えてコンクールの約1ヶ月間を追ったものだ。 まず、とにかくまったく見たことがない世界だった。余計なことに目移りせずに、また、バカげたナレーションを入れずに、各社各人が社運をかけている微妙な側面を真摯に撮っていた。好感がもてたばかりでなく、たいへん優れたドキュメンタリーだった。 ピアニストに自社のピアノが選ばれるか否か。そして選ばれたなら、そのピアニストが優勝するかどうか。優勝してもらうために技術の限りをつくして調律する。その耳! ファツィオリ社社長が越智氏について「百万に一人の耳」と評していた! 音楽的に鋭い聴覚といえば、ついでながら、剣豪小説家だった五味康祐氏を思い出す。氏の耳は、音盤ターンテーブルのごくかすかなかすかな水平傾斜度の歪みを聴き取るほどだったという。 耳の構造というのは、おおざっぱに言えば目に見えないような微細な弦がハープのように張っていて、その弦がどこまで等間隔であるかが、いわゆる音感のよしあしに関わっている。その間隔は生後数ヶ月(6ヶ月以内ともいわれている)で決定する。したがって赤ん坊が生後数ヶ月間にどのような環境で育つかが問題で、大音響の環境では弦の間隔が乱れてしまう理屈だ。 五味康祐氏がどのような生後環境だったのか。そして世界にその名を知られている調律師・越智晃氏や花岡昌範氏のそれは? さて、各社のピアノにはそれぞれに特徴があることは、私も生のコンサートで実感していた。ピアニストとピアノの相性もさることながら、じつは聴き手の耳にも相性がある。ある国際コンクールで注目されたピアニストの来日演奏会は、私はただただ疲労困憊するばかりだった。ピアノの音が固いのだった。しかし、天才ピアニストといわれたフランス人のN氏は、包み込むような柔らかな音だった。リサイタルにはいつも招待してくださった故山岡優子さんは、上述の二人と同じ某社のピアノだったが、私のバイオロジーの波長と一致するのか、私の身体は内部からポカポカと温かくなったものだ。-------この御3人のピアニストの陰に、それぞれの感性をひきだす縁の下の力持ちとしての調律師がいたわけだ! TVを観ながら、私は山岡さんやN氏を懐かしく思い出していた。 N氏は、我家にもディナーに来てくれ、私の手料理を食べてくれた。私の書棚をながめて、ジョルジュ・バタイユの全集が揃っているのをみつけて驚いていた。私の作品『彼方へ(奉奠)』(1984年)を観ながら、「desire」について語っていたことを思い出す。山岡さんがN氏の指について、柔らかくグニャグニャしていながら非常に強い、と言っておられたことも思い出す。ディナーの最後のスイーツが気に入られて、もっと食べたそうだったので、私がさしあげようとすると、「ノン、ノン」と笑った。ちょっと肥り気味だったからな〜、ははは。
Aug 30, 2016
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さきほどまでNHKBSで映画『ゴジラ』のディジタル修正版を観ていた。本田猪四郎監督、円谷英二特撮監督の最初のゴジラ映画(1954年)である。出演は宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬,他。 この作品、私はリアルタイムで観ている。9歳か10歳だった。八総鉱山小学校の講堂兼体育館でだ。この講堂は本格的な銀幕(スクリーン)と映写室を備えていた。土曜日の夜には社員の娯楽のための無料の映画館に変わるように初めから設計されていた。 『ゴジラ』は、公開年度から推測して、小学校開校のかなり早い時期に上映された一本だったと思う。60年以上経って思い出してみると、講堂のどのあたりに席をとって観たかまで思い出すのだが,肝腎の映画のシーンはところどころしか憶えていない。じつは今夜TVを観たのは、どのシーンを憶えているかを確認しようと思ったからだった。 鮮明に記憶していたのは、ゴジラが東京湾から上陸して、列車を破壊し口に銜えるところ。そして平田昭彦扮する化学者が発明した”オキシゲンデストロイヤー”でゴジラを死に追いやる最後のシーン。あるいは街中を市民がパニックになって逃げるシーン。 意外だったのはゴジラの顔が丸っこかったことだ。もうすこし尖っていたようなきがしていたのだが、あるいは私の記憶が、その後、実際の白亜紀の恐竜のイメージによって変形したのだろうか。それとも、第2作目の『ゴジラとアンギラス』以降、シリーズとして制作されていくうちにスクリーン上で次第に変わっていったのだろうか。 私は東宝作品の円谷英二特撮ものは、たとえば「ラドン」や「マタンゴ」や「モスラ」なども観ているが、その種の映画は弟と彼の同級生の二人につきそって「モスラ」を観たのが最後だ。先日亡くなられたザ・ピーナッツのお二人がインファンランド島(そんな名前だった気がする。つまり小人島という意)の妖精になって出演していた。「モスラ~や、モスラ~。ドンガ、ガッター、モスラ~」(?)と歌っていたのを思い出す。 まあ、そんなわけで懐かしい『ゴジラ』が、ディジタル修復されたきれいな映像で楽しめたのだった。戦後9年目の1954年のいまだ物資のとぼしい時代の映画作品を、現代の目で批評しても意味はない。海外で出版されているいわゆる怪奇映画・B級映画史の書物には、日本映画の『ゴジラ』は燦然として栄光に輝いているのである。
Jul 19, 2016
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36℃の猛暑。終日仕事場で制作。 真夏の油彩画制作は、媒剤の溶き油の乾燥が早く、それが利点でもあるが、筆運びが鈍くなる欠点もある。気温によって調合を変えるのだが、夏盛りの仕事終いには油壺の残りをすべて拭き取っておく。それを怠ると翌日にはドロドロになっている。 まあ、ほかにも冷暖房が使えない技法や、気温の変化が予測不可能な事態を引き起こしかねない特殊技法を、私は油彩画に併用しているのである。冬には冬の悩み、夏には夏の悩みありだ。そうしたことを統御するのも絵を描くということなのである。 話は変わる。 昨日録画しておいたのだが、NHKTVのタモリさんの番組『ぶらタモリ 会津』を観た。観光名所めぐりかと想ったら、そうではなかった。御定まりの会津案内からちょっとハズレていた。それが良かった。タモリさんがお好きらしい地形学・地勢学、あるいは地政学の観点から、「会津人はアイデアマン!?」をキーワードに、会津若松城下を探索検証するというもの。 昔住んでいた私でも入ったことがなく、まして観光客は決して知らないであろう場所や事柄を、さすがにNHKの御威光、タモリさんとともに入り込み、潜り込み、登って、面白く撮っていた。タモリさんは節度があり、適度に知的な番組になっていた。もうすこし時間をかけて丁寧に見てまわってもよかったような気がするが、しかし番組の意図は「ぶらぶら歩き」の発展形だ。これはタモリさんの独壇場だろう。
Jul 3, 2016
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美術講話の企画書を制作、午後、クリニックに届ける。 日差しは温かかったが風が強く、山際を通ると木々の細枝がたくさん折れ落ちていた。 BSジャパンで、バッハの作品とされている曲が、後妻になったアンナ・マグダレーナの作曲ではないかという説を検証するドキュメンタリーを見た。女性が芸術的才能を抑圧されていた時代に、アンナ・マグダレーナは優れた作曲をしたにもかかわらず、バッハの曲として後世に伝わったのではないか、というのである。 その検証過程をここに述べるつもりはない。が、大変興味深い番組だった。しかし、『トッカータとフーガ、ニ短調』を弟子の作曲とし、『無伴奏チェロ組曲』がアンナの作曲だと陳説していたが、私はバッハに肩入れするつもりではなく、はたして曲想までバッハの多くの真性の曲となんら違和感ないほど似て来るものだろうかと疑問に思った。 つまり私が言いたいことはこうだ。 優れた作曲者にはそれぞれ他と区別できる明らかな曲想の違いがある。バッハとヘンデル、あるいはハイドンやモーツァルトの曲とを聞き分けられない人はいないだろう。それらは言語で説明することは難しくても、あきらかに心象ないし、あえて言えば思想が異なるのである。とくにバッハの場合は、なんと言ったらよいだろう-----センチメンタルに汚染されていず、あきれるほど原理的な音列でありながら、その純粋音列がそっくりそのまま高度な音楽性・宗教性を帯びてくる。バッハは、たぶん、モーツァルトやベートーベンやショパンや、いわんやチャイコフスキーのような感情表現に意をそそぐなどということは、ほとんど無かったのではあるまいか。 そのようにバッハの曲を感じるとき、『トッカータとフーガ、ニ短調』や『無伴奏チェロ組曲』がバッハの曲ではないと言い切ることに、私は疑問があるのだ。くだんのドキュメンタリーが諸々の証拠なることを提示したにもかかわらず、私は、それらの曲とバッハのいわば真性の曲とに一貫した曲想を感じる。その曲想の一貫性をどう説明するのか? この新たな説は、応えていない。
Apr 29, 2016
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居間のTVがつけっぱなしになっていて、普段見たことがないマツコ・デラックスさんの番組が映しだされていた。私はコーヒーを飲もうかと自分のチェアに腰をおろしたのだが、番組はちょうど純喫茶めぐりのようなことをやっていた。 純喫茶という言葉は、私のような年輩には青年時代の懐かしい響きがする。しかし今やその数は減少しつつあるのだとか。その理由を解説しなかったけれども、おいしいコーヒーを出す純喫茶をマニアックに探訪するという二人、石井正則さんとOLだという難波さんが、マツコさんに紹介するという主旨。ただし今日はコーヒーよりも純喫茶のサイドメニューというべきか、トーストとかスパゲティのような軽食、あるいはスイーツを紹介し、マツコさんに実際に食べてもらうというもの。 と、じつはこれは私の前置きで、これを書いてみたくなったのは、最後に紹介された喫茶店にびっくりしたからだ。 西荻窪の「それいゆ」がその店。えっ!まだ存在していたのか!と。 今から45年以上前、学生時代の私はその喫茶店からほんの30mばかりのところに住んでいた。私が行きつけの「それいゆ」は二人の美人姉妹がやっていて、西荻窪の名店レストラン・洋菓子店「こけしや」の裏手にあった。小さな喫茶店だった。 番組で紹介された「それいゆ」を、私は店名が同じだけだと思った。しかも若い男性スタッフを含めて11人、昔は従業員などいなかったので、ずっと規模が大きい。が、あの姉妹が登場して、まさに45年前のあの喫茶店だと驚いたのである。姉妹は、私同様に、年齢を重ねられていたけれど----- 場所が昔と同じかどうかまでは分からなかった。西荻窪駅周辺は昔とは随分様変わりしたようだから。 私はこの45年間、一度も訪ねたことがなかったので、番組を観ながらタイムスリップというより地滑りして昔の住居に戻されたような感じがしたのだった。 ちなみに、石井正則さんと難波さんが推奨する「それいゆ」の サイドメニューは、パンプキン・パイだそうである。 ついでに思い出した。 当時、私が行きつけの喫茶店(ここは番組に倣って純喫茶と言おう)に、荻窪の「邪宗門」がある。普通の民家のような建物の中の左脇の狭い階段をのぼった二階にあった。そのころは、気が利いた喫茶店ではサービスにマッチをくれたものだが、「邪宗門」のマッチ箱のデザインは、表裏に木版刷りのような古拙なトランプが印刷されていた。たしか入口の鴨居の上に、さまざまなデザインのマッチ箱のコレクションが、ずらりと並べられていたのを憶えている。 「邪宗門」は、------今はもうないだろうなー。【後記】荻窪の「邪宗門」は、ありました。一昨年(2017年)、杉並公会堂での合唱コンサート出演のため荻窪に行った。駅周辺は45年前の面影はさらさら残ってはいなかったが、なんと「邪宗門」は昔の場所に! 一階部分正面は様変わりしていたが、昔通りその二階に存在していた。びっくり! おいしいコーヒー(ここは「珈琲」と書きたいところ)が、今も客を引きつけているのだ。
Mar 15, 2016
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テレビの中での日本語の乱れについて言及するのは、馬鹿馬鹿しくなるほどで、自分の意識のどこかに、「奴らとは住んでいる社会が違う」と差別感覚が生まれるのが、我ながら恐ろしい。 「役不足」という言い方がある。以前から気がついていたが、その時にはその個人の無知からきた誤用と思っていた。その人は、事の重大さに対処する自分の力量が到底及ばない、という意味に使用していたのだ。真意とはまったく逆の使用である。 つまり、「役不足」と言うときに、本来的には、言う当人にいささかの尊大さなり、自意識過剰な心理がはたらいており、自分の実力に比べて対処すべき事が小さ過ぎると不平をもらしているのである。もっと分かり易い例えをすれば、「主役を張れるのに台詞も無い役を振られた、これじゃあ役不足だ」という具合に使う言葉だ。「役不足」という言葉は、へりくだった言葉ではない。謙譲語ではないということ。まったく反対の言葉だ。したがって、この言葉を、俳優などが自分自身のこととしてあまり口にすることはない。他人がその俳優を持ち上げて、「今度の芝居のあの役は、Aさんにしては役不足だねー」などと使うのが一般的。 しかし、どうやら個人的な誤用とも言い切れないようだと気づいた。 先日もテレビで、番組も内容も忘れてしまったが、出演者が何か指示されたことができなかったら、「役不足だー!」と叫び、あろうことかテロップまで「役不足だー!」と補足していた。そういうときは、「力不足だー!」と言うもの。 この一件は、出演者の無知のみならず、ディレクターを含めた番組制作サイドが無知だということを示したことになる。表現者が言葉に鈍感になって久しい。あきれたものだ。
Mar 6, 2016
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昨日深夜に放映されたルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ 神々の黄昏』を録画で観た。1972年の作品だから、私がオン・タイムで観てから40数年も経ったのかと、あらためて時の経つ速さに愕然とした。 完全復元版とうたわれていたが、たしかに昔公開されたフィルムは随分切られていたと分かった。どうやら1時間近く付け加えられているようだ。完全復元版のほうがより深みがある。 そして、あらためてヴィスコンティ監督の美術には驚き、安心させられもした。ルートヴィッヒを演じたヘルムート・バーガーも良い。エリザベートを演じたロミー・シュナイダーも良い。 実は、同じテレビ局が、ヴィスコンティ作品放映の直前に、マリー・ノエル、ピーター・ゼアー共同監督作品『ルートヴィヒ』(2012年、ドイツ)を放映した。私はこれも観たのだが、ヴィスコンティ作品とは比べ物にならなかった。その安っぽさは気の毒なほど。ルートヴィヒ役の俳優の容貌は、言うもなさけないが、まるで男娼だ。エリザベートの女優は田舎娘。そしてこの作品は、何も捉まえてはいないことが、最大の欠陥だ。 こんな駄作を観たあとなので、尚のこと、ヴィスコンティ監督の鋭さに脱帽する。 エリザベートがルートヴィヒが次々に建設する城を訪ねるシーン、ヘルンキムーゼ城を訪ねて、太陽王ルイ14世のヴェルサイユ宮殿を真似た鏡の間で爆笑する場面にはほとほと感心してしまう。 つまり由緒正しいバイエルン国王ルートヴィヒが、ルイ14世の真似などする必要はまったくないのだ。それでも王の中の王たらんとして、ルイを崇敬する子どものようなルートヴィヒの心、王たることの不安と、その裏返しとして国庫破綻を顧みる事無く次々に城をつくりつづける従弟に、エリザベートは思わず爆笑してしまったのだ。 このシーン、鏡の間の彼方に黒い小さなシルエットのエリザベートと侍女。セリフは無い。笑い声だけが高くこだます。-----なんと映画的で、ルートヴィヒの心理とエリザベートの心理----すなわち形の違うふたりの絶望的な孤独----とをあからさまに表現してしまうすぐれたシーンだろう! 観客は彼らから遠く隔てられ、彼らをクロース・アップで見ることはできない。 あるいは、寵愛する俳優ヨーゼフ・カインツを召して、休息を与えずに芝居の名セリフを朗誦させる場面。へとへとになったカインツ。ルートヴィヒが小卓のシャンパンをグラスに注ぐ。カインツは自分にも飲ませてまらえる、というようなかすかな表情をする。しかし王は、下々の心を斟酌などしない。シャンパン・グラスは王の口へ。王が庶民や廷臣と飲食をともにする事などありえない宮廷マナーを、俳優カインツはまったく知らないのである。 あるいはまた、ルートヴィヒ2世は晩年(といっても死んだのは41歳だ)歯痛に苦しんだ。ヴィスコンティ作品はその事実を、美青年王の容貌が真っ黒な歯をして見る影もなくなっていることで示し、それ以外に何の説明もしない。洞察力のある観客はそれだけで、美食家で甘い菓子を好んでいた王の日常を見抜くことができる。 が、一方で上述の駄作映画では、侍者が捧げ持つ銀器の食物を、侍従が、「王は甘いものしか召し上がらない」と言って下げさせるカットがある。私に言わせれば説明的な不要なカットだ。 同様なシーンがミロス・フォアマン監督『アマデウス』にもあった。サリエリが宮廷でモーツァルトを初めて見る直前、パーティ用の菓子類を次々に運び込む侍者の捧げ持つ器から、サリエリはヒョイとチョコレート・ケーキを一つ摘む。そしてこのシーンは、後にモーツァルトの妻コンスタンツェが、夫に内緒で楽譜を持参してサリエリに後援を懇願する場面で、サリエリが下心をもってコンスタンツェに乳房の形に似た菓子を勧める場面につながる。いや、実はこれらのシーンは、冒頭に癲狂院に収容されている晩年のサリエリに看護人が甘いものを持ってくるシーンがあって、サリエリの食癖をいわば後註しているのである。ミロス・フォアマン監督はセリフで説明することなく、これらのシーンでストーリーの裏側にあるサリエリの人物像を見事に表現しているのである。 映画という映像表現の、その映像の凄みというのはこのようなシーンに発揮され、それはやはり映画作家の力量によるのだ。ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ 神々の黄昏』では、何気ないカットに、曰く言いがたいすべてが映像として表現される。そして、演じる俳優達は実に見事に監督の要求に応えている。 4時間の長尺映画だが、しばらくぶりに堪能した。
Mar 1, 2016
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さきほどまでNHK BSプレミアムで2012年のアメリカ映画、サーシャ・ガヴァシ監督作品『ヒッチコック;Hitchcock』を観ていた。主演・アンソニー・ホプキンズ、ヘレン・ミレン、スカーレット・ヨハンソン。ヒッチコックの最高傑作『サイコ』制作の舞台裏をヒッチコック夫妻の関係を味付けにして描く。主演俳優が名優だけに、単なるバックステージものにおわらない、大変おもしろい映画だった。 私は、来週月曜日(8日)に美術講義をすることになっていて、すでに準備はおわっているのだが、今日はほぼ終日その内容を検討していた。じつは、『サイコ』とまったく無縁ともいえない問題を講義するので、私の気分作りにも、この映画を観たことはちょうどよかったのだ。荒俣宏氏の著書『脳内異界美術誌 幻想と真相のはざま(仮題)』も2月半ば過ぎに刊行されるが、この本に収録されている私との対談で語り合ったのも、サイキックの問題だった。 というわけで、これらを美術講義のためのセレンディピティー(引き寄せ)と考えることにしよう。ハハハ。
Feb 1, 2016
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夕食後一休みして、9時から就寝するまで仕事場に籠ろうと思っていたのだが、ちょうどつけっぱなしだったテレヴィが、「芸能界特技王決定戦」(フジテレビ)を始めた。競技形式でピアノ演奏のNo.1を決定するという。 クラシック音楽の曲芸的な演奏を、私は好まないが、-----それはあまり「音楽的」には聴こえないからだが----、最後まで観ることにした。課題曲が数曲あげられていた。 モーツァルト『トルコ行進曲』(ピアノ・ソナタ第11番第3楽章より) ベートーヴェン『トルコ行進曲』(劇付随音楽『アテネの廃墟』より) ショパン『子犬のワルツ』(ワルツ6番) ヘルマン・ネッケ『クシコス・ポスト』 ムソルグスキー『プロムナード』(『展覧会の絵』より) どれもクラシックとしてはポピュラーなもので、演奏時間は3分程度のものだ。とはいえ、どの曲も演奏が同じように難しい箇所が含まれていて、並べられると、うまい選曲をしたものだと感心した。 ところで、私がこのテレヴィ番組のことを書いているのは、競技がどうのこうのという事ではない。出場者のひとり「音楽芸人 こまつ」さんのお名前を憶えておこうと思ったからだ。 男性である。そして今回の優勝者(番組ではTEPPENと、なんだか音楽的でないタイトルだったが)である。 私が驚いたのは、こまつさんが、絶対音感の持ち主だったことだ。彼は独学でピアノ演奏を習得したそうで、楽譜が読めないのだという。つまり、彼は曲を耳で憶え、即座にピアノ演奏できるらしい。 歌謡曲やポップスのようにある程度定型的なコード進行に則った曲ならいざしらず、クラシックを正確に耳でとらえてしまうのだから驚嘆に値しよう。複雑な音の構成も、テンポや強弱等の曲想も、楽譜を見ない。読めないのだから見てもしょうがないということだろう。 絶対音感については、私はそれについて書かれた本も読んでいるし噂に聞いたこともある。だが、テレヴィとは云え、そういう人が実際に演奏するのを初めて見た。聴いた。音楽性も優れてい、驚いた。
Jan 15, 2016
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しばらくぶりにテレヴィを長時間見ていた。 ひとつはリオ五輪出場権をかけたサッカー男子U-23アジア最終予選、日本vs北朝鮮を録画で。 結果は1-0で日本の勝利。私のさしたる感想はない。後半戦、北朝鮮が猛攻をかけてきた。日本は良く守備したと思うが、相手チームが前半戦の作戦を変えてきた時、それに対応する攻撃型のアイデアがないのはどうしてだろう? アディショナル・タイム3分においても北朝鮮の猛攻は衰えることなく、よもやかつてW杯での試合終了間際数十秒のところで起ったあの「ドーハの悲劇」の二の舞にはなるまいなと、所も同じカタールはドーハ、ハラハラしたが、どうやら1点を死守した。近年、日本国中あらゆる局面で子どものように「諦めない」という言葉が呪文のように言われている。勝ったという安心感や慢心も、大きな落とし穴となろう。 もうひとつの番組は、明日の大島渚監督の命日を前に、BS朝日が3時間の特別番組を放送した。制作者は私にとって好感のもてる立ち位置で、大島渚という日本社会に鋭敏明晰な視線を向け、言論を張った、日本の映画作家として唯一無二の人物像をとらえていた。先日、デビッド・ボウイ氏を追悼しながら、氏が出演した『戦場のメリークリスマス』を私は回顧したばかりだ。 テレヴィ番組ばかり見ていたわけではない。昨日にひきつづき講義用の原稿を執筆。
Jan 14, 2016
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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督)が公開されて、世界中で大きな反響をよんでいるようだ。 ところで、既作品6作を同時に1画面として映写したらどうなるかという、奇天烈な試みが実際You Tubeで流されている。 約2時間25分におよぶカオス的映像と音声を見聞きしていると、頭も感覚もオカシクなってしまうこと請け合いだ。私は20分になる前に頭痛がしてきた。 しかし-----しかし、現代美術的な要素もなきにしもあらずで、ソラリゼーション効果に似た映像の氾濫と、コラージュ的な「引用」の概念を爆破してしまう効果もあり、良く言えば、------良く言えばだが------映画としてはともかくも、現代美術に一石投じる試みではあるかもしれない。あるいは、現代の日常的に氾濫する映像情報は、我々の脳において斯くのごとくカオスとして処理されているのかもしれない。そんなふうな思いにとらわれもする。それが何を意味するかと自問すれば、何も思考することのない状況の創出ではないのか?と。 まあ、まだご覧になっていない方は、とにかく観てみてください。 Star Wars Wars: All 6 Films At Once (360p) - YouTube
Jan 5, 2016
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録画しておいた小津安二郎監督「秋日和」デジタル修復版を観た(NHK・BSプレミアム)。 作品自体はこれまでに何度も観ていた。あらためて観ると、この作品が、原節子演じる寡婦になった三輪夫人をめぐっての、夫人の亡夫の旧友三人(佐分利信、中村伸郎、北竜二)のエロティックな暗喩の台詞にいささか驚いた。物語の内実はこうであったかと得心したのは、私自身が歳を重ねたせいだろう。青年時代には気がつかなかった。 もうひとつ。原節子さんの裸足の踵(かかと)からアキレス腱にかけてが、意外なほどガッシリしていたこと。私はブリジット・バルドーのアキレス腱が好きなのだが、原節子さんのアキレス腱は注目に値するな----と。
Dec 9, 2015
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ミステリー作家・折原一氏から、連作短編集『模倣密室』の中の一編をテレビ・ドラマ化した、陣内孝則さん主演「黒星警部の密室捜査」が、明日17日、東京テレビ系列「水曜ミステリー9」で放映される、と案内があった。 出演は他に荻野目慶子さん、須藤理彩さん、山崎樹範さん、水崎綾女さん、大島蓉子さん、斉藤暁さん、笹野高史さん、中村玉緒さん。 折原一氏が生み出したミステリー界の異彩キャラクター、白岡警察署の「黒星光(ひかる)警部」を、陣内孝則さんがどのように演じてくれるのか。明日夜9時---みなさん、是非お楽しみに! ところで、原作単行本の装丁画は、私が描かせてもらった。 私としては凝った遊び心の仕掛けをほどこした絵だったのだが、一般読者に伝わったかどうか。 12年前のものなので、解説してしまうが----実は、「密室」を描くことは画家にとって不可能命題なのだ。ひらめきの早いみなさんは、すでに何故だかお分かりになっただろう。密室というのは内部からの施錠ないしは密閉で、その状態は外部からはまったく判断できない。つまり外部をどのように描こうと、観客にそれが密室であることを分からせることができないのだ。では施錠された内部を描くとどうか? 私たちは日常の営為として自宅に内部施錠をするが、その施錠は鍵で外部から開けることをあらかじめ想定しているはずだ。つまり、内部の施錠を描いても、密室を表現できないのである。そこが言葉によって密室を創りだせる小説と、現実として見えることが表現の要である絵との大きな違いである。絵で表現するためには外部空間と内部空間とを同時に表現して、かつ内部空間が外部からは開ける事ができない内部に施された密閉仕掛けを表現しなければならない。 私はこのような画家にとっての不可能命題を「チェシャー猫命題」と言っている。「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルが、その插絵を描いたテニエルに、樹の上にいる「チェシャー猫」が次第に空中に消えてゆくところを描いてくれ、と言った。流れている「時間」を画家が表現できるか、という意地悪な挑戦だった。テニエルがどのようにこの命題を処理したかは、原作本をご覧ください。 さて、私は折原一氏から「チェシャー猫命題」を仕掛けられた(と、勝手に)思って、描くための起爆力にした。胸はワクワク、腕はムズムズ。私は難しい問題を解くのが大好きな性分。遊び心が刺激されてしまったのだ。 私の解は、戸口を鉄板でガチガチに固め、鎖で扉の開閉を遮り、それが内部であることを示すために扉に鉄格子の嵌った小窓を穿って青空を覗かせた。---いかがであろう。画像をご覧ください。
Jun 16, 2015
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夜の制作を早々に仕舞いにして、NHK・BSで、まだ一度も観ていなかった高倉健さん主演の映画「ホタル」(降旗康男監督、2001年)を観た。すばらしい作品。かつての神風特攻隊を、本作のように扱った映画を私は知らない。いまは何も語るまい。重く深い感動のために、私の血圧は149にまで上がってしまった(普段は116〜120)。後日、落ち着いたらまたじっくり考えてみよう。 そうそう、この映画を観ながら島尾敏雄の小説「出発は遂に訪れず」(初出、1962年雑誌「群像」。単行本、1964年新潮社)を思い出した。島尾氏は特攻隊隊長で、「ホタル」の特攻隊と同じく知覧から出撃するはずだった。---50年前の本だが、意外にもすぐにみつかったので書影を掲載しておく。
Nov 25, 2014
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