全185件 (185件中 1-50件目)
約3週間の日本滞在を経て、6月27日にオーストラリア・メルボルンに無事到着いたしました。こちらは南半球ですから現在冬。雪は降っていませんが、雨が降ったりやんだり、気温は10度前後です。これからのブログはページを一新してこちらから報告したいと思います。名前は何だかいまさら変える気がしなかったので『AMADORA』から、『あまどら』としました。まだAMADORAに私たちの家があり、あそこが帰る場所のひとつですから忘れたくありませんしね。またこのページは削除せずにこのままにしておきます。これから新しいページでもどうぞよろしくお願いします >>> あ ま ど ら の メ ル ボ ル ン 日 記 >>>
2007.07.04
コメント(5)
今日から6月・・・・。5月30日、夫のディーがポルトガルを出発し、シンガポール経由でオーストラリアへと向かっています。私はというと、6月5日早朝にポルトガルを出発し、日本経由でオーストラリアへと向かいます。我が家は昨日から電気が切れ、今日は水道が止まり、私は一人で夫の両親宅で最後のひと時を過ごしているところです。一見、語学留学のホームステイみたいですが昨日、お義母さんと一緒にディーを空港まで見送りするのは本当に本当に辛かったです。お義母さんは空港で相当泣きました。特に別れた後。 空港で、激しくすすり泣くポルトガル人女性の肩を抱くアジア人女性、二人組み。他人がどう見てるか、そういう時そんな事は一切考えられませんでしたが、辛かったです。 どう言葉をかけて良いか分からない、両親にこんなに辛い思いをさせるって、私たちの決断は良かったんだろうか。そんなこともゴチャゴチャと頭の中を駆け巡りました。 それからお義父さん。見送りにはこれませんでしたが、最近感情的になっていて、昔の話をしたり将来のことを話したりすると涙を抑えられなくなっています。出かける前の晩、ディーと最後にハグをして『言って来いよ、元気でな!』という息子との会話、お義父さんはぐちゃぐちゃに泣いていました。私が『きっと直ぐにポルトガルに来ますから!』というともっと泣いてしまうのです。思い出すのは2005年の冬、こちらに着いたばかりで住む家が無かった私たちは、両親の実家に居候していました。最初から最後まで出張続きだったエンジニアの夫はポルトガルにいるよりも仕事で外にいる。そして、妻の私は、渡葡していきなり夫なしの両親との同居生活が始まったのでした。現代の結婚事情、よく知りませんが、●新婚で夫の両親の家で同居。(←多分、これは結構あるかも。)●嫁が外国人で言葉を知らない。(←世の中、躊躇するご両親は少なからずいるはず。)●夫=息子がいない。(←う~ん、あんまりなさそう…)我が家のように、この3拍子そろった条件はあまり無いパターンのはず。にも関わらず、夫のいないほぼ半年間、最始めは言葉も全然知らなかった私に、色々世話をやいてくれたり良くしてくれたり、学校からでた宿題を手伝ってくれたり。当初、一人歩きは絶対危険!と言ってお義母さんは通学の時に車で送ってくれたり、全くの箱入り嫁でした。文字上では"義理の娘"ですが、実際に"子どもに戻ってしまった!?"と感じるくらいに生活のすべてをやってもらって全く甘やかされた嫁です。息子がいない間に何かあったらどうしよう、遠くから嫁いできた嫁に何かあったらどうしよう、そんな風に毎日心配してくれた夫の両親…、色んな事を一つ一つ思い出す度に、やはりここを去るのがとてもさびしく感じられます。そしてまた感謝をしたい人達は、なんと言ってもポルトガルで出来た友達のみなさん。私は、ポルトガルに来て半月位たってからブログを始めました。目的は日本にいる家族・友達に近況報告をするため。でもその目的とは別に、新たに人と出会うという予想外の展開がありました。共通の思いや悩み・お互いの生活の知恵を共有したり、楽しい時間や、おいしい食事をともにしたり、気が滅入っているときに助けてもらったり。ブログを始めたそもそものきっかけとは違う、こんな価値があったなんて!たとえば、国際結婚。たとえばポルトガルに住む日本人が思うこと。たとえばポルトガル人旦那とその家族との付き合い方。たとえば日本食。そんなことがトピックになったりします。逆に日本にいたときには、人も多い代わりに、このような共有する思い、しかも強いつながりを感じる人と出会うのは可能性として低いと思うのです。 ところが、ポルトガルで出会った友達の多くは、バックグラウンドも違えば年齢も違う、今までの職業も全然共通点がありません。 それにも関わらず、会えばいつも、話に花が咲いてしまい、きりが無くしゃべり続けられるのです。不思議ですが、これが私が感じた率直な印象です。 人間同士ってどこでどんな出会いが待ちうけているのか全く未知です。たとえばブログをきっかけとして人と出会うなんて意外性があり、強烈なインパクトとして心に残ったりします。外国で生活しているわけで、『日本人である』ということしか共通点が無いのにそれだけでお互い知り合いになったりします。また大げさですが、ひょんな出会いが、時に自分の人生に影響を与えさえするもの。だからこそ出会いって面白いなといつも思うのです。また新たな出会いがこれから待っているのかも!と思うとワクワクもあります。お別れがあるということは、また新たな出会いがその後待っているということ。これから新しい土地で元気でがんばって、稼いだらちゃんとポルトガルにも戻ってきます!ポルトガルの家族のみんな、そしてポルトガルで出会ったみなさん、次回会えるのを楽しみにしています!
2007.06.01
コメント(24)
私達がもう直ぐオーストラリアに引越してしまうために、ディーの弟の家で『日本食ディナー』をやりました。 ポルトガルで日本食材を手に入れておいしい日本食を作る、と言うのは至難の業です。特にお寿司!ポルトガルでも寿司ブームに乗って、中国人経営の寿司まがいを出す日本食レストランがあったりします。スーパーには冷凍おすしが売っていたり・・・。でも何かがとっても違う!全然違う!『おすしが食べたい!日本食が食べたい!』と、私に言ってくれた家族の気持ちがとても嬉しかったので、どうせならおいしくてきれいなおすしを食べてもらいたい!!!そこで jasmimさんのケイタリングサービスを今回お願いしました。 巻き寿司、チキン照り焼き、そして大好評だった春巻き。自宅で食べることが出来たので、二人の子どもがいる家庭でしたがのんびりしながら優雅なディナータイムを過ごすことが出来ました。JASUMIMさん、本当にありがとうございました!おいしかったですよ自分でもそこまでマスターできたらどんなにいいだろう~
2007.05.31
コメント(2)
ずいぶん前の話ですがポルトガル語のRとLの発音が出来ない、と愚痴ったことがありました。1年以上前の話です。語学自体はそんなに上達してませんが、RとLの違いは耳がキャッチしてくれるようになりました。のどにからまったタンを吐くみたいなRの音を出すのは最初躊躇しましたけど、分かってしまうと音は明らかに違うもんです。 それにしてもRの音って耳障りです。美しくない。最近の耳障りなポルトガルコマーシャルをご覧下さい。女性が電話のリンリンって音を口で表現してるんですけど…。これがR音です!私はどうも・・・・・・・でも、男性は大好きかも、このCM。
2007.05.20
コメント(12)
このゴールデンウィークに姉夫婦がポルトガルに遊びに来てくれました。日本で会社員をやっている義理の兄は有給休暇をとるのがどれだけ難しかっただろう、心苦しかっただろう、と想像すると申し訳ないのとともに我々夫婦はとても喜んだのでした。夫のディーは、英語を話せる義理の兄にポルトガル料理を色々食べさせるんだ、と、ずいぶん前からかなり張り切っていました。 滞在中の一日、姉の強い強い希望で、Azeitão(アゼイタォン)にあるアズレージョ工房に行くことにしました。姉の旦那さんはその間にどぉーしてもエヴォラに行きたい!というので我々姉妹がアゼイタォンの工房で車をおり、男性二人はそのままディーの運転でエヴォラに行ったのでした。二人が別々の場所に行きたいといってそれを決行する姉夫婦を何だかうらやましく思いました私ならこういうときに相手に合わせて自分が諦めてしまうタイプだから。旅にきたら行きたいと思ったところには行くべきですね、せっかくですから。アゼイタォンはテージョ川を渡ったセテゥーバル近くの町です。 さて、タイル工房では、可愛いお姉さんが"アズレージョのできるまで"を、想像以上に事細かに説明をしてくれて、予約なしで行ったのに体験までさせてもらいました。 これはお客さんに売るためのアズレージョ。店舗には鮮やかなタイルがいっぱいです。ポルトガルでは、家の前の番地や郵便受けをアズレージョで飾っている家庭が少なくありません。上の2枚の写真は工房の中です。 オーダーを受けて作成した、名前の入った表札・・・家の壁を飾ると思われる、大量幾何学模様のタイル・・・よくみると一枚一枚が違って味があります。ものすごく職人技でため息が出るものから、ヘタなのかうまいのかが微妙なもの、動物だと本当に不細工だったり、微妙な具合でとってもかわいかったり。 職人技ですね~お題は春。素敵なタイル。これは結構大きな作品でした。 工房で12ユーロ+ポルトガル国内の郵送費を5ユーロ支払い、姉は絵付け体験させてもらいました。出来上がったものは裏側にコルクが着いて置物として結構立派な状態で出来上がります。自分でタイルのデザインを考えたいというときは、前持った予約が必要だそうです。白いタイルに、カーボンで前もって下書きがしてあります。よくみると黒い小さな点で模様が描かれているもの。 それに、4~5種類の濃度の違う液体で描いていきます。この段階の液体の色はうっすらピンク色をしています。これが本当に青く変色すると言うのだから不思議です! 翌日には出来上がると言われていたタイルですが、10日後くらいに我が家に届きました。 アゼイタォン他の見所!この日は5月1日メイデーで残念ながらしまっていたのですが、ワイン工場があります。 ポルトガル最大ののワインメーカーの一つと呼ばれるほどの Jose Maria de Fonseca。試飲もさせてもらえるらしい。いつか絶対に行ってみたい工場です。 それからなんといってもアゼイタォン名物であり、私の大好物のTortas de Azeitão!スーパーでたまに見かけると買わずにはいられない、ポルトガルのスウィーツの中でも私のお気に入りの一品。 食べたり飲んだり大忙しのAzeitão ポルトガル語ですがこんなサイトもあります。Tortas de Azeitãoのレシピも見つけました!今度作ってみようかな。。 こんな風にして、夫達がエヴォラに行っている間に アゼイタォンを一日満喫したのでした。
2007.05.18
コメント(12)
この週末は、家族でお義父さんの実家に出かけてきました。お義父さんの生まれ育った土地は、リスボンから車で4時間ほど北に進んだ、スペインとの国境に近いQuintas da Torreというとても小さな村。最寄の村まで20キロ。スペインまで10キロ。ラジオはポルトガル語よりむしろスペイン放送が聴けます。 お義父さんは、今の住まいであるAMADORAの自宅とは別に、家族とともに休暇を過ごすためと、退職後の余暇なども考え、この家を改築したようです。去年のパシュコアの時期にも一家そろって出かけました。そのときの家の状態の記憶が鮮明に残っていたので、これだけ家がしっかり出来上がっていることに私はかなり感動しました。それでも両親の話によれば、相当の遅れが出た模様・・・(汗)台所の水が出ないとか、家の作りのいい加減さが気になっていたようですが、私はその苦労をあまり知らないので、一人でかなり感動していました。家の周りはオリーブ畑、オレンジの木々、りんごの林、ワインのブドウ畑に囲まれた、とてものどかな村。 なんと最寄スーパーマーケットまで50キロという場所で、この村には子供が一人もいません。当然学校も閉鎖し、若者も大きな街に仕事を求めて出て行ってしまうために過疎がどんどん進んでいるようです。それでも、たまに訪れるにはとてもステキなところだと私は思っています。夜は降ってきそうなほどの星が見れます。昨日は流れ星を3つも見てしまいましたお義父さんの家で気に入ったのは、家の外観だけではなくインテリアも。 なんともカントリーな雰囲気でいっぱいでした。半分くらいは、結婚当初に買った家具だそうです。昔の家具ってしっかり作られてて、長持ちするものなんですね。 ↓ テレビ台として使っている小テーブル。アンティーク調なので、電化製品とはあまりしっくりこないのですが、雰囲気がありますよね・・・。 足が渦巻いています。 ↑ お姫様ベッド。私がかってに付けた名前ですが。ベッドの上に薄い布をたらすことが出来るベッドです。小さいころ、こんなベッドに寝てみたかったな~。今は大量生産で安く家具が購入でき、おしゃれでカワイイ家具が沢山そろう IKEAなどが大人気ですが、昔は皆こういう家具を結婚のときなどに買ったものよ~とお義母さんがしみじみ話してました。この家は思い出深い家具がいっぱいのようです。 これは、大昔からお義父さんの家が代々使っていたと言う豚さんのえさ入れ。今は家畜はいませんけど、今までの歴史上で、一体何匹の豚さんがこれで食事をしていたんだろう?と思うと不思議な気分に。。。 日曜の早朝から働いている隣のおじちゃん。トラクターをあまりにかっこよく乗りこなしていたのでカメラでパシャっ。満面の笑みを向けてくれました。トラックの積荷はヤギのえさだそうです。今日は日曜。日曜だと言うのに、近所の道端で暴走するトラクターを何台も発見しました。一台はタコのような真っ赤な顔をした酔っ払い。友達と飲んだ帰りでしょう。 一台は若いお兄ちゃん。ぶい~ん、と、一人レースをしているみたいでした。ひっくり返るってば・・。もう一台は、スーツを着た、教会帰りのおじいちゃん。村人がトラクターを日常の足として使っている姿にカルチャーショック。というか爆笑しました。 隣のおじちゃんがくれたもぎたてオレンジ。早速ジュースにしよう! 庭にはオリーブやりんごがすくすく育っています。家から20キロほど行くと、ようやく人気(ひとけ)のある村に到着。Penamacorという名前の村です。石造りの家が立ち並ぶ、ポルトガルの雰囲気に包まれたエリアでした。 近くで見ると、こんなごつごつした石で、よくこんな壁を作ったものだと感心してしまいます。この村のドアがユニークだったので何枚か写真を取りました。 熱い夏、ドアを開け放しても虫が入ってこないように、網戸式(?)の のれん。 ダイナミックな石の壁にカラフルなドアが目立っています。色んなタイプのドアがあるもんだな~とマジマジ観察してしまいました。すると別のことに気が付きました。 入り口の隣の壁に張り付いたこの四角い石。何だか分かりますか?椅子です、椅子。この村をお散歩しているときに気づきましたが、お年寄りがこの椅子に座って、近所の人とずーーーーっとしゃべっているんです。しゃべっていなかったら昼寝。よくポルトガルの写真で、入り口のドアの横にちょこんと座るお年寄りの写真なんかを見ますが、こういう石の椅子もあるんだってことに、これまで気づきませんでした。しかも家を建てたときからの備え付け。 村のてっぺんからの眺め。派手ではないのですが、何だか心がスッとする眺めです。 私たちが現在住んでいる市、AMADORAは大都会とはかけ離れた生活です。でも、この村に来ると、どれだけ便利で、何でも直ぐに手に入る生活をしているのかを思い知ります。このお義父さんの家に来ると、時間を忘れた生活に戻ってしまいます。テレビも見ないし、鳥の声で目が覚めたり、星を飽きるまで眺めたり、花に群がる蜂を観察したり、そんなことをして心が浄化されてAMADORAに帰ってきます。AMADORAに戻って、『あぁ~なんて都会なんだろう』と思っている自分東京からAMADORAに来て、プリプリしていた当時が不思議な感じで思い出されます
2007.04.23
コメント(18)
今日は、姪と甥がPascoa(イースター)休暇で学校が無かったために、一日面倒を見ることになった。たった一日だというのに、おやつやランチを作ったり、公園で遊んだり、抱っこして持ち上げたり、お風呂に入れてあげたりして、帰宅したとたんに体中が筋肉痛。これが本当に痛い世のお父さん、お母さん、幼稚園の先生すべてを心底尊敬した一日でした。 一体どんなことをして、どんな筋肉を使ったのか知らないが、山登りをした後のような疲労感。ポルトガルではあすはお仕事が休みの会社もあるようで、明日はディーの弟(姪・甥のお父さん)の会社がお休みだからお世話係は必要ないそうだ。ホッ!私たちは、『この休暇はあそこに行こう!』などという予定は全く無いのだが、今日は早めに寝よう。
2007.04.05
コメント(4)
こんにちは。久しぶりのブログ更新です。4月に入り、予定ではあと1週間位で引越しのよていでしたが、案の定、ビザがまだ取得できていません。よって、"4月前半にオーストラリアで仕事始め”、という予定は大きく狂いましたまあ、いいや。 ポルトガルでは、気温もだんだん温かくなってきており、雨ふりの日も少なくなり、ベストシーズンの到来! オーストラリアに行ったらまた冬を過ごすことになるわけですから、今のうちに初夏を堪能できるかな、と前向きに考えるようにしています。ポルトガルの4月、5月は夏に比べてとても過ごしやすいので大好きな季節です。 これからどうなることやら・・・今月は荷物を詰めて送ったり、家具や家電を移動させたりラストスパートの月になりそうです。(まだやっていなかったって、私たちやることが遅いですよね)
2007.04.03
コメント(6)
皆様、ご無沙汰をしております。オーストラリアへの引越しの手続き、なかなか思うように進んでいませんでしたが、日程が4月前半で確定しそうです。引越しに伴い、私たちの住む家を賃貸したいと思っています。一年前に必死で改装した我が家・・・愛着が沸いてきてさよならするのは辛いですが、ここに新たにどなたかが住んでくれたらわたしたちも嬉しいです。全部買い揃えた家具や家電、オーストラリアに持っていくことも出来ず、家を売るにはすべて運び出さざるを得ないし・・・。我が家の賃貸にご興味のある方はここからメール下さい。お名前と現在の状況やポルトガルの滞在期間など明記していただけると助かります。ご希望の方には返信メールで、家賃などの詳細をお伝えいたします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━家族であれば親子で3~4人。部屋を他人同士でシェアするようであれば2~3人で住むことが可能です。 家具、電化製品すべてそろってます。交渉しだいですが、一年以上住んでいただける方を希望します。 ・広さ 120m2・リビングルーム ・部屋×3(現在はベッドルーム、客用ベッドルーム、オフィスとして使用中)・シャワー、バスタブ、トイレ×1・客用トイレ・キッチン・ベランダ◎日当たり良好。◎電気・水道・ガス代込み。 ◎生活に必要な家具すべてそろっています◎大型スーパー、IKEA、コロンボなどに車で直ぐ◎8階建てアパートの8階(日本では9階)■立地最寄り駅 REBOLEIRA(CP) 徒歩15分 車 3分AMADORA(CP) 徒歩20分REBOLEIRAよりリスボン主要駅まで電車で10~15分…………………………………………………………………REBOLEIRAからCPのシントラ線のリスボン行きに乗り、リスボン(SETE RIOS駅・ENTRECAMPOS駅)までは10分ほどで到着します。 ………………………………………………………………… 徒歩5分圏内に小さいカフェや八百屋、タバコ屋などもあります。 自宅直ぐ近くのバス停より、リスボンBELEM、ALGESまで直行便のバスあり。最寄スーパー コンティネンテ 車 2分 徒歩10分ジュンボ 車 10分ピンゴドス 車 2分 徒歩10分IKEA 車 10分コロンボ 車 15分リスボンまで 車 15~20分シントラまで 車 20~30分オエイラスまで 車 15~20分 引渡し可能時期:2007年4月前半~ ご興味のある方はメール下さい。家賃、その他詳細などは、その後にお知らせいたします。ここからメール下さい。
2007.03.19
コメント(26)
ビザというのは、どこの国に住むにもややこしいものです。ついこの間、苦労して取得したポルトガルの滞在許可証を横目にみながから、そろそろオーストラリアの滞在ビザの手続きを進めなければなりません。昨日 大使館にいって、二人ともの指紋を取って無犯罪経歴書の取得手続きを完了させました。ディー曰く、犯罪経歴書というのは、過去10年を振り返り3ヶ月以上住んでいたことのある場所で犯罪を犯していないかということらしいので、私の場合は英国の無犯罪経歴書も必要となる、とディーが言うのだ。7年も前の話。(正式な情報ではない可能性もあるので、もしちゃんとした情報を知りたい方はご自身でしっかりと調べてくださいね。)あえて言わなきゃ私がどこにいたなんて誰もわからないのではないか、と変な気をおこしたけれど、パスポートがあるんだから入出国は記録されている。だから無理、とあっさり却下でした。当たり前ですねしかし、私の取得すべきビザのタイプが、ディーと同じものとは思えないので、いろいろ調べてみる必要がありそうです。 面倒なことが多いけど、これから頑張ります。。。
2007.03.03
コメント(14)
先日、ポルトガルに住む友達とランチをしていたときになぜかてんとう虫の話題で盛り上がり、話の結果、それについて宿題が出された(ような気がします)。てんとう虫って名前は『お天道様に向かってとぶからだ』と、自らが発してしまったから仕方ない・・・。まあ、そういうのも面白いからいいや。でも宿題の具体的な内容をさっぱり覚えていない。 天道虫は飛び立つときに枝などに必ず上ってから飛び立つから、太陽に向かって飛んでいくから、天への道を教えてくれるといいそれが名前として定着したそうです。天道(てんとう)を示すからてんとうむし。なんとも神聖な名前ですよね。虫嫌いの女の子からさえもそこまで嫌われていないから不思議でもあります。一方、『苦虫をかみつぶす』っていう表現がありますが、苦虫という虫はいないそうで、てんとう虫がそのモデルの一つ。鳥が食べてもまずくて直ぐに吐き出すし、足から出す黄色い液が苦いのだそうです。あんなに派手な体をしているのは『あたしはマズイわよ、苦いわよ』というシグナル。物理的なショックを受けると死んだふりをして足から黄色い苦い液を出すとあります。そう聞くと、かわいいわりに派手なことをする小さな虫です。 英語ではladybird(聖母の鳥)っていうのは知っていたけど、何でそんな名前がついたのでしょう?ladyはマリア様のことで、7つの星は、マリア様の7つの悲しみを表現しているそうですが・・・謎。だって、星の数が3つや7つ以上のものもありますもの。星の少ないてんとう虫は悲しみが少ないのかしら。 ポルトガル語ではjoaninha(joana) って女の子の名前がついている。これまた不思議です。夫のディーに聞いたら『何でか知らないけど、そう呼ぶんだ。』といわれました。(ちっ!それだけか。) 私が一番興味を持ったのは、じょあにーにゃという名前の由来です。ポルトガル語で検索しても見当たりません。ご存知の方がいたら情報教えてください
2007.03.01
コメント(6)
先日、私の姉からメールでこんな写真が送られてきました。日光東照宮に旅行に行ったのだそうだ。学生時代の自分を思い出しても、日本史ってすごく嫌いな教科の一つでしたので、ポルトガルにでも居なければそんなに興味を示さなかったでしょう。 日光東照宮にある灯篭です。伊達政宗がポルトガルから多額の費用をかけて鉄を輸入して作らせた灯篭だそうです。伊達政宗は支倉常長をヨーロッパに派遣した本人、ヨーロッパに思い入れがあったのでしょうね。 その時代に鉄を輸入して灯篭をつくろうなんてすごい! 伊達政宗といえば・・・・、ポルトガルのロールケーキでTorta de Laranjaというのがあるのですが、それが伊達巻ににているんです。カフェとかでよく見ます。日本のロールケーキよりもっとオレンジがかっていますが。調べてみたら、なんとロールケーキもカステラと一緒で、ポルトガルから伝わったものだと言われているそうです。で もって、 伊達巻はロールケーキが進化して長崎で『カステラかまぼこ』と呼ばれたものが江戸に伝わり、『ダテ(かっこいい)巻き物』という風に定着したという説と、伊達政宗の仙台伊達藩がゆかりであるという説があるそうですよ。ふ~ん、いまさらですがちょっと歴史に興味を持ち始めた自分がいます。。これが高校時代だったらちょっと将来変っていたかな? 参考:http://www.tv-sdt.co.jp/imadoki/special/vol12/index.html
2007.03.01
コメント(13)
週末、弟のキーケッシュとその彼女アンドレア、ディーと私の4人でアルガルヴェに小旅行に行ってきました。アルガルヴェは、ポルトガルの中でも海外からの旅行者に大人気の観光地で、リスボンから自動車で飛ばすと4時間くらいで着きます。私が始めてポルトガルを訪れてからもう直ぐ3年たちますが、その時にも家族そろってアルガルヴェにやってきました。そんなこともあり、思い出のある土地として、私にとって少し特別な存在のアルガルヴェ―――。 案の定、沢山の観光客に出会いました。スペイン、イタリア、イギリス、アメリカ、から来ている中年カップルや退職後らしき老夫婦、親子連れなどで大賑わいでした。しかも、セーターを来ているのはリスボンからきた私たちだけ・・・海辺のレストランでランチを取ったのですが、海ではもう泳ぐ人の姿がちらほら・・・そして隣に座った白人老夫婦はすでに真っ赤(ほぼ火傷状態っ!)に 日焼けしています。そこここからポルトガル語以外の外国語が聞こえてきますし、『ここはどこ?今、何月?』という不思議な感覚にとらわれました。 さて、私たちが滞在したのはアルブフェイラというリゾート地。目の前はスイミングプールで今すぐにでも泳ぎに行きたい気分でしたが、何しろ今はまだ2月。4人の中で、誰一人として海水浴の道具を持ってきたものはいませんでした。 借りていた部屋にはキッチン、バスルーム、ベッドルーム、リビングルームとバルコニーがありました。今回アルガルヴェを訪れたもう一つの目的は、ディーがまたしばらく会うことが出来ないアルガルヴェに住む友人と再会を果たすこと。8時に始まった彼らとのディナーも、終わって家に着いたのは夜中の2時も近かっただろうか。 若者達が大勢集まり、お酒の入った時の会話には私は全くついていけない。最初の1時間くらい、ディーは私のために会話をちょっと訳したり説明してくれていましたが、数秒ごとにころころと話が変るのでそれも諦めました。彼らの使う言葉は超ハイスピードな上に、辞書には無いような言葉も使うし、冗談やらスラングやらで最初の2時間くらいで、私の集中力はすっかり消耗しきって、大変疲れました脳みそが溶けているのでは?と感じるほど(笑。こういうことがあるたびに、私のポルトガル力はまだまだだと反省するばかり。国際結婚したり海外生活をしている、留学をされたことがある方は誰しも感じたことはあるでしょうけれど、海外で自分だけが外国人であるという環境にポンとはいると、孤独を感じたければそんな要因は、どこにでもごろごろ転がっている。私だけわからない。私だけしゃべらない。もっと勉強しなさいよ、もっとテレビを見なさいよ、とか言われると、『ポルトガル人のアナタにポルトガル語の難しさがわかるの!?』などと反抗的な気分になったこともあります。でもそういう時にそれだけポジティブに考えられるか、気持ちを切り替えられるかという、自分を試されているような場面は、何かすごく貴重な気がしてなりませんでした。大勢のポルトガル人ばかりの環境に行く時、私の耳についているシャッターが自動的に "ガー" と下がって、マイワールドに入れるのですが、今回は、引越しをしたらしばらく会えないかもしれない、という思いで頑張ってみんなの輪に入ろうと努力をしてみました、、、いやはや 笑。そうはいっても、友達とおいしいものを食べて飲んでしゃべって…楽しい夕べでした。 他にもディーにお別れを言う人(犬)が一人(一匹)。赤ちゃんの時から知っているフレッドです。何年たってもディーのにおいを覚えているようで興奮が尋常ではありません。別れ際にディーを見つめるさびしそうなフレッドの目…。これからディーと私がオーストラリアに行くって、わかったのかな? 『いってらっしゃ~い!また遊びに来てね~』 翌日はパンケーキを作って、さんさんと太陽の降り注ぐバルコニーで遅い朝ごはんを食べました。部屋の両隣はイギリスからやってきたとみられる老夫婦達。ブリティッシュなまりの英語が両方から聞こえてくる。ここはポルトガルなのだろうか?という錯覚が再び。 ↓朝ごはんを狙ってバルコニーにやってきた猫。野良のわりにとてもかわいい。 バルコニーで太陽を浴びながら雑誌を読んだりおしゃべりしたり、特別なことはしませんでしたがのんびりとした日曜を過ごして、AMADORAへと帰ってきました。 まだ出発の時期は分かりませんが、ポルトガルとのしばしのお別れ、友達と離れてしまうことを改めて考え、少ししんみりとしてしまった週末でした。次にアルガルヴェにこれるのはいつだろう??
2007.02.27
コメント(10)
昨日2月21日は夫ディーの誕生日でした。その前までは、お父さんがまだ万全じゃないので二人で外食でも行くかな?なんて想像していたのですが・・・。当日の午後になって、ディーが急に思い立ったように、弟とその彼女、友達に電話をかけ始めたのです。ディーの誕生日ですから、ディーの好きなようにさせてあげるのが一番。ま、初めてのことじゃない。さあ、ど~んと来い!今日は何人だ?そうです。昨日は10名用の席と、料理、デザートを用意しました。我が家で大人数が来ていつも困るのに買い足していないのは、皿と椅子。最大6名まではおそろいの皿が用意できるのですがそれ以上は・・・。昨日のメインメニューは、チキンときのこのクリームソースパスタ、で、手作りアイスクリームをバニラとチョコフレーバーで作りました。回数をこなせば慣れる!と自分に言い聞かせても、やはり当日午後になってからいきなり10名さまの食事と飲み物を用意するのは大変なエネルギーを要します(笑)すべてが全部そろうまではアタフタ…アタフタ…それでも、どの料理も残りがなくなるほど好評で、苦労した甲斐がありました。 これはディーのおかあさんが買ってきてくれた、誕生日ケーキ。典型的な甘過ぎるポルトガルのケーキとは違って、さっぱりおいしいケーキでした。 ディーが大好きな人、兄弟や家族、甥・姪と友達に囲まれ、おいしく楽しく食事を食べ、ワインを飲みながら楽しそうにすごい勢いでしゃべりまくっている姿を見れたので、それも嬉しくなりました。今晩は大変でもよかったな、って。平日の夜にも関わらず、時間を気にせず話がはずみ、皆を夜中の2時過ぎまでお引止めしたことをちょっと申し訳なく思います・・・。昨日、来てくれた弟達やお友達、本当にありがとう~! 何を隠そう、私はプレゼントというものを 用意していませんでした。ビックリプレゼントで(私が自分一人で選んで購入したプレゼント、)喜ばれたためしがないから、何がほしいかを直接本人に聞くか、一緒に買いにいくかしないと難しいの何の…。今回の誕生日も一ヶ月ほど前から聞いていました。 誕生日、何がほしい? 決まって返ってくる彼の答えが ちゃんとした仕事。 うむ、今の状況は分かるけど、それは 私が用意できるものじゃない。そういうのは神様にお願いするような次元の話かもしれない。 と、そんな会話を何回か交わしたあとの出来事、なんとディーに新しい仕事が決まりました (誕生日よりも数日早かったのですが) 行き先はオーストラリアです。時期はまだはっきりしていませんが、恐らく一ヶ月先くらいに二人で引越しという予定です。プロジェクト単位の契約ではなく、正社員の話なので、拠点を移すことになるのです。私をよくご存知の方、『またか!』、とお思いでしょうけれど(笑)、『また』引越しです。こちらの家族や友達を思うととても寂しくなります。また新たな生活を始めることを思うとドキドキします。何はともあれ、このポルトガル・DIARIOは名前を変えて継続していきたいと思っています。ポルトガルからあと何回日記を更新できるかは分かりませんが、皆様、引き続きどうぞよろしくお願いします。
2007.02.22
コメント(18)
私はコーヒーが好きです。と、言っても、豆がどうとか豆のひきかたがどうとか、そんなことは全く知りません。こちらポルトガルに住み始めて1年がたち、日本にないもの、ポルトガルで好きになったものがだんだん見えてきました。日本は何でもそろう便利な国とは言えども、やはり中々手に入らないものや、ポルトガルでお得でも日本では超高級品になってしまうものもあります。そんな数々を思い返し、ディー(夫)は、よくもまあ、これなしに日本で生活していたものだ、と感心させられるものがあります。(あくまでも今になって、です。日本にいるときは気付きませんでしたが)その一つが、コーヒー。(私が今までコーヒーと思っていた、アメリカンコーヒーやブレンドコーヒーはディーに言わせれば邪道だそうです。)ポルトガル人全員とは言わないまでも、コーヒー=エスプレッソ好きのポルトガル人はとても多いように思います。コーヒー一杯が大体0.50~0.55センティモ。日本円では大体80円くらいでしょうか。ちなみに、日本で二人のいきつけだったカフェ、セガフレードのエスプレッソは270円、ドトールコーヒーが230円です。といっても、ディーは日本のカフェに行ってもそれほどエスプレッソを飲みません。何でかというのはポルトガルのカフェに慣れてみないと分からないものだと最近実感しています。説明できませんが、煎りかたか、入れ方か、根本的に豆が違うのか、…何かが違うんですね。 まあ、ポルトガルのカフェに行けばよく見られますが、それにドバっと大量の砂糖を入れてグビっと飲むのです。時に、おしゃべりが目的の大柄なおばさん集団もいるのですが、アドサンテ(甘味料)をウェイターさんにお願いし、コーヒーのサイズの何倍もありそうなビッグなケーキを食べている人もいます。実に面白い、ちょっと皮肉な光景です。タバコもあわせ、それを仕事の合間のブレイクとしている人も多いようですが、 カフェインは朝の目覚め、仕事の休憩、食後に欠かせないようです。ポルトガル人にとってのコーヒーを飲む行為は、生活の一部。それに加えて、私の印象ですが、カフェ(パステラリア)に行くという行為=友達と会話する場であったり、近況報告の場であったりコミュニケーションの場のような気もします。ちなみに、これが我が家のコーヒーメーカー。エスプレッソをよく作ります。スチーム機能がついているので、ミルクをあわ立てることも出来るのが気に入ってます。 …今日もこれから、夫とお義母さんとカフェで待ち合わせ…。
2007.02.14
コメント(20)
夫の父が手術をしてから一週間がたちました。前回のブログで、皆さんからご心配を頂き、暖かいメッセージを頂いてありがとうございました。私の勘違いでお義父さんは一日入院と思っていたのですが、そんなに直ぐに退院できるはずもなく、緊急手術の後は入院。お義母さんは泊り込みで看病していました。 何度か病院にお見舞いに行った後、私はどうやら病院から風邪かウィルスをもらってきたらしく、しばらく寝込んでいました。熱、鼻水、くしゃみが止まらない。風邪をうつしてはならないので、週末はお見舞いに行きませんでした。そうこうするうち、今日はいよいよ退院の日。 私も早く風邪を治さなければいけません そういえば、今日ポルトガルで地震があったそうです。私は気づかなかったけどディーは気づいていたそうです。地震が少ない国(というかほとんどない)ところで生活するポルトガル人にとっては、地震は相当怖いでしょうね。
2007.02.12
コメント(12)
夫の父が、昨日一日だけ入院し、緊急手術をしました。遡ること昨年の11月、新築の家にテーブルを運び込もうと、夫の母親と作業中に、その重たいテーブルを足の上に落としてしまったらしいのです。その時点では普通の痛みだったのに、3ヶ月かけて悪化し、筋肉の中で内出血、膿が発生し、とうとう昨日緊急手術をしました。あまりの痛さで仕事も休み、ベッドで寝たきり。すっかり弱ってしまっているお義父さんが家族皆で心配だったので、無事手術が終わってホっと安心しています。"うちみ"って、バカに出来ないですね。以外に重大事になることがあるものだ、と驚きでした。早く復活して、お得意の料理を家族に振舞う日が近いことを願ってます・・・。
2007.02.06
コメント(18)
ここ数日、ポルトガルのテレビでは中絶の話題が持ちきりです。近いうちに国民投票で妊娠10週目までの中絶を合法化するかどうかを決めるのだそうです。リスボンの街で中絶反対運動をする多くの女性達の様子や政治家の討論などをテレビで放映しています。タイトルのDIZ QUE NÃOというのは『ノーと言って!』という意味で、中絶反対運動グループがスローガンのように使っていて、ワッペンやらTシャツやらに掲げられている様子を見たところから取ったものです。ポルトガルではカトリックの影響も強いし、子供の中絶にはとても厳しいようです。中絶を認めるのはレイプで妊娠した場合と、子供が奇形と分かったときのみなのです。それ以外の理由でポルトガル国内においての中絶は出来ないのですが、なんと年間4000人もの女性がお隣のスペインに行って中絶をしているのだという記事を読みました容認されてもされなくても、どちらにしても社会問題になる重大事です。このニュースでも持ちきりだった昨日、夫の元同僚だった女性の話を聞きました。彼女の妊娠が発覚した後、胎児の背骨が割れているという奇形 がわかり、すぐにでも中絶の手術をしなければならないと分かったのです。しかし、一切の手続きや許可などに手間がかかり長期にわたって待たされ、(全く、ポルトガル特有ですが)中絶が可能な時期をもうすぐ超えるところまで来てしまったのです。そして彼女は自分の身体も危うくなると判断し、即スペインにいって中絶をしてきたそうです。 中絶が違法なら違法、それならそれで、システムがしっかりしていて滞りなく判断、決断、処置ができないと言うのは許されないと思うのです。子供と母親の命がかかっているのですから。 全く腹の立つ話です。その元同僚である彼女の置かれた状況、一通りを見ていた夫のディーは、『中絶にとにかく反対!!』という女性運動家達をテレビで見て疑問を持っているようでした。他にも、未成年の妊娠、未成年といっても13歳や14歳の女の子の場合もあるわけです。学校に行っている少女ですよ。しかし、そういった場合の中絶でも、レイプでの妊娠や子供の奇形、母体に危険がある以外の中絶は違法行為となり、最大で3年の懲役刑で公開裁判にまでなるのだそうです。日本ではとても考えられませんね。 もしも日本で中絶が出来なかったらどうなるでしょう。そういう国で今まで生きてきたので想像つきませんが、きっと少子化といわれる日本ですら、子供が増えるでしょうね。未成年の母親やシングルマザーももっと沢山になることでしょう。日本の厚生労働省のちょっと古い数字を見ましたが、(平成16年)出生の数が1 107 000件、中絶の数が301 673件ですって。ポルトガルの中絶ニュースに関するものでしたが、将来の色んな問題が関わってくるようで、ちょっと考えさせられました。さて、国民投票の結果はどうなることか。
2007.01.30
コメント(14)
ご無沙汰をしております。今日は、昨年末に書いたカルチャーショックネタの第2弾です。テーマは、『私は潔癖性??』(ちなみに私は、O型で細かいことを色々気にするのを面倒くさがるタイプであることを先に伝えておきます。)その1 土足の境界線わたし達二人暮しの我が家は、わたしの最大の我侭を聞いてもらって 土足禁止の家です。海外暮らしの日本人夫婦の場合と違って、彼はポルトガル人でわたしは日本人なので、結構異例なのかもしれません。引越し前に話し合い、ディーの3年の日本生活の末、土足禁止の生活にOKを出してくれたのでした。今でも感謝していますおぶりが~ださて、今までのブログでも書いた気がしますが、ポルトガルの道端はいつ踏んでも分からないくらい犬のう●こでいっぱいだし、そんな靴で家に上がりたくない、というのは初めてポルトガルを訪れた時から心のどこかで思っていました。それでも、こちらは土足が普通だし、郷に入れば郷に従えです。もちろんディーの両親宅も弟達の自宅も土足です。ですからこの2年半で思ったのは、そんなの気にする必要はない、ってこと。それでも、何となく躊躇してしまうことが、靴でソファーにあがること、靴で食卓などのいすにあがること、靴で風呂場の足拭きマットにあがること、室内用のスリッパで外に出ること、外に出たそのスリッパでベッドにあがること、 何か書いていったら、そんな風に感じる自分が神経質すぎるのではないか!?と思い始めました。彼らには無意識の行動ですから、もう見ても目をそらして忘れます。我が家では訪れた人にスリッパを出しますが、スリッパではいすでもソファでも足ふきマットでも、どこでも関係なくあがります。ま、いいや。それも見てみぬふり。むしろ、我が家の土足禁止を受け入れてくれてありがとう! その2手洗いの習慣 よく家族そろってレストランに行きます。子供がいるときもいないときも、大体食前に手を洗ってこようというのは私とディーのみです。私には何となく習慣で、トイレと手洗いがセットの時もあります。日本じゃ、お絞りやお手拭が出るってのが当たり前になりすぎて、何となく手をきれいにしたいという習慣がまだ頭から離れません。 家族のほかのメンバーは、あまり手を洗いません。昔どこかで聞きましたが、ある程度のバイキン(雑菌)が抵抗力を高めるとか何とか。そう思えば、ま、いっか。死にやしない、と思おう。(←いつもこれが私の結論です。)食前に出ているパンも、家族内でシェア。パンを手で半分にちぎって、ほら、食べなよ、おいしいよ。といわれると、何か躊躇する自分がいます。ダメだ、ダメだ、死にやしない、と思う自分が一年たってもそこにいます。これも習慣や感覚の違いですね。手洗いといえば、今日姪っ子の子守をしていて、『おしっこがしたい』というのでトイレに連れて行きました。ドアを閉めてほしくないらしく、ドアの目の前で用を足すのを待っていました。シシ(おしっこ)が終わると、ココ(うんち)もしたい、と言い出したので、それも終わるのを待っていた。さて、終わってキレイにしてあげて、『さあ、手を洗いなさい』と私が彼女に言うと、『必要ない』というのです。『いいから洗いなさい!』大であれ、小であれ、手を洗うのだ、というけれど彼女は頑なに手を洗わない、というのです。かなりの衝撃でした。私はここで日本の文化を押し付けているのだろうか?と、笑い話じゃなくまじめに悩みました。これはポルトガルの文化なのか!?トイレの後は手を洗わないものなのか!? 後で聞いてみたらやはり洗うものだ、とお母さんとディーに言われました。(ホッ)天然ボケだといわれるでしょうが、私は真剣にビックリしたのでした。同時に、子供には、トイレの後はきちんと手を洗いなさいとしつけが出来る親になりたいと心底思いました。それまで散々彼女に手を洗え、とうるさく言ってもダメだったので諦めたところ、私がテーブルセットをしているのを見て、そのおててで、夕ご飯のナイフやフォークを並べるお手伝いをしてくれました。そんな彼女を見て、『うぅ、これだけでは死にやしない、気にするな...。』と、また見ないふりをしている自分がいたのでした。 お手伝いありがとうね~。 小ネタディーが日本に住んでいたときの体験談。日本の男性の半分以上が(職場でも公共の場でも)トイレの後に手を洗わないのだそうです。(男性の皆さん、ホントですか??)それを見て、ディーは『この人たちとは握手したくない』と心底思ったそうです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルトガル情報のウェブをOPENしました。http://www.amadora.co.uk/━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2007.01.23
コメント(18)
今日はポルトガルとは全く関係のないブログです。このブログを読んでくださる方にもいつかは報告をしなくては、と思っていたので、途中報告をさせてもらいます。2007年も明け、前回書いたように『よしっ!今年はこんな年にしよう!!』と、意気込んでいる時期。私たちの結婚生活も16ヶ月目に入りました。去年から、彼とはほぼ別居生活、彼の仕事の待遇、などなど私たちは辛い時期を送ってきました。彼はストレスの絶頂に達し、年末には急性胃潰瘍になり、お医者さんに短期間通っていました。結婚生活は、結婚する前に考えていたのとはいい意味でも悪い意味でも全くの未知の世界。全くの他人同士が結婚して生活を共にすると言うのはこんなに面白い発見があるのか―、こんなに大変なことなのか―、こんなにヒトは成長させられるものなのか―、こんなにすばらしいことがあるのか―、他人と暮らすってこんなに意見の相違があるのか―、国際結婚って毎回違う発見(ぶつかり合い 笑)があるのか―。。。などなど。私は、この年末年始、ここポルトガルでの結婚生活のおかげで、自分がいっぱい成長させてもらったな、と振り返りました。さて、こちらのブログには全く書いてはいませんでしたが、実は夫のディー、去年の9月から無職。自分の意志で前の会社を辞め、もちろん私も仕事をしていないので、家で二人の生活。なかなか仕事が決まらない・・・。朝から晩まで一緒に過ごす数ヶ月ははじめての経験でした。振り返れば去年の初夏辺り・・・ディーは前の会社でさまざまな問題が勃発し、仕事を続けることが限りなく不可能になったのです。ここの部分は、ディーも家族も友人も、誰もが『その会社、絶対に許せない!訴えてやる!!』と口をそろえて言うほど、ヒドイ待遇を受けていました。社長が会社のお金を個人的なことに使い、社員へのお給料と経費の未払いが数か月続き、自費でも出張が続けられなくなっていたのです。(この反省点は、将来のわれわれの選択に、必ず役立つと信じて前向きにいきますが。)彼も、そして私も抱えているストレスで、よく喧嘩もしたし、言い合いも沢山してきました。人は、機嫌のいいときや絶好調の時に、周囲の人にやさしく対応できるのは当たり前ですよね。でも、辛いときにどれだけ相手を思いやれるか、辛いときに、どれだけ相手を理解しようと出来るかを、何だか試されているような4ヶ月間でした。あんなにヒドイ夫婦喧嘩も今となっては良い経験でした仕事のオファーがくるも、最終的な連絡が来なくて、私たちはいつ、どこへ行くのかが分からない状態が続いていたのです。(今でも、状況は変わりませんが…)ここポルトガルでは、ディーが専門的に経験をつんできたエリアでのお仕事がなかなかありません。ほとんどのお客さんがポルトガル以外の国の会社。以前の会社も、100%の確率でクライアントがオランダやUKやその他ヨーロッパ諸国。だから、ポルトガル国内の会社に所属しても、彼が何かのプロジェクトに携わって働く限り、私たちの家がポルトガルにあるわけですから、離れて暮らし、私がたまに短期でも彼の元を訪れるかという選択肢しかありません。私はそれでも、こちらには友人もできて楽しい生活を送っていたし、通おうと思えばポルトガル語の講座に通って語学を磨くとか、そういう選択肢はあります。そして、今年に入ってから現在、次々とディーに仕事のオファーが入ってきています。半年単位の契約の形で仕事をお願いしたい、そして社員として雇いたいという話、さまざまです。私たちの将来を考えた場合、やはり正社員としてのオファーを優先、そして彼のキャリアアップとして考えられる、私もその地で仕事を出来る、これを条件として色々検討しています。私は『ディーを必要としている会社は絶対あるから!』と励ますものの、仕事のオファーが入ってこないときは意気消沈し、自信を失ったディーを励ますのは本当に大変だった・・・。現在の状況は、二人とも他の国(ヨーロッパ内)に引っ越すという可能性が出てきたということです。もしもポルトガル以外の国ですむことになった場合でも、このブログは継続していきたいと思っています。○○ダイアリーとして生まれ変わるか、はたまたポルトガル・DIARIOとして続いていくか…。何かはっきりしたことが分かった際にはブログで報告したいと思います。ディーに良い仕事が早く見つかりますように・・・━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ポルトガル情報のウェブをOPENしました。http://www.amadora.co.uk/━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2007.01.13
コメント(22)
みなさま、あけましておめでとうございますとうとう2007年!今日でブログをはじめてからちょうど一年が経ちました。3日坊主の私がまだこのブログを続けていることが驚きで、今日は何となく記念日のような気がしています。今年もどうぞよろしくお願いします。 私はこのブログの他に、5年日記というのを2006年1月1日からつけ始めていました。2006年から2010年までつけられるという日記です。生まれて初めて、日記を1年以上続けることができました~。 去年の今日、自分の日記に「今年一年何をしたいかリスト」をつけていました。と言っても、その存在をすっかり忘れていたのですが、、、そういう目標と言うやつは、日々目に付くところに張っておかなければあまり意味が無いとは思うのですけれどね(笑)そのうちの半分は達成してました。逆に、半分しか達成していないともいえるのですが、達成しなかったことの一つ、車の運転をする、これは今年こそ恐怖克服したいと思います。もう一つ、達成できなかったこと、運動をする。去年一年、よく食べましたけど、運動はしなかった~。今年はもっと体健康のことを考えよう。今年の目標、とするとちょっと堅苦しいですが、自分が今年中にやりたいこと、と思うと案外思いつくものです。今年もやりたいことリストを作ろうかと考え中
2007.01.01
コメント(28)
2006年クリスマス、あっという間に過ぎ去っていきました。24日のクリスマスイブ・・・ 家族で食事と思っていたのですが途中でひどく具合が悪くなりそれほど長居することなく両親宅から帰宅しました。すると熱が上がり、嘔吐、寒気、腹痛に見舞われ、26日まで見事寝込みました。今も少し就寝時に微熱がある感じ。でもずいぶん良くなりました。ポルトガルのクリスマス料理の子豚の丸焼きやローストチキンなどはお腹に入らず、クリスマススウィーツはまったく食べずじまいでした(シクシク) さて、具合が悪くてたまっていたお洗濯物を(具合が悪くなくてもよくためるんですが 笑)一気に終わらせたり、しばらくしていなかった床掃除をして、年末の大掃除かな?などと一人で勝手に意気込んでいました。一人で勝手にと言ったのは、決して私が立派な主婦だからでもなんでもなく、こちらポルトガルで年末大掃除などと言う概念が多分ないだろうと言うことからです。多分。 こちらポルトガルに越してきて、半年近くは夫の両親宅に同居していたので、一般的なポルトガル人はこういう生活をするというのがホームステイ形式で手に取るように見ることができました。今の家に引っ越して二人で暮らしていますが、家事をしていて一年を振り返り、いろんな自分の変化に気づきました。 一年前に目が飛び出るほどにカルチャーショックだったこと。日々ちょっとずつ慣れてきたこと。今はすっかり慣れて当たり前になったこと。今でも結構許せないこと。 頭で考えながら家事をしていたら面白くなってきたので、今日は家事ねたでブログを書こう!と思い立ったのです。 ポルトガルのアイロンがけポルトガルのアイロン事情。私にはかなりカルチャーショックでした。だって、何でもかんでもアイロンかけるんです。いわゆるYシャツのようなものは分かります。カッチリとしたフォーマルなパンツなどにかけるのも分かります。オフィスで着たりしますからね。でも、微妙だと思うもの。ベッドシーツ。ベッドのブランケットカバーや枕カバー。ジーンズ。Tシャツ。誰も見ないじゃないか。そんなのかけなくても・・・と言うのが私の持論。トレーナー。ジャージ。うーん、それってどうなんでしょうか。ポロシャツ。これも微妙であまりかけたくない。。 とにかく、アイロンをかけないものはないと言うほど、洗ったあとの洗濯物はアイロンがけします。ポロシャツの襟に、購入時には無かったしわが、アイロンをかける回数をこなすたびにしっかり刻みつけられています。たまにプリントされたトレーナーなどは熱で焦げてしまったり。かけることに意味がないと思うがこちらの人がかけているもの。下着、靴下、パジャマ。パジャマですよ、パジャマ。すごく意味が無い気がするんですけど。それでも、こんな怠け者の私でも、下着と靴下以外の大体すべてにアイロンをかけるようになりました。(夫のもののみ。自分の物はシャツ以外ほとんどかけません。)と言うのもきっかけがあって、そもそもアイロンなんてあんまり意味無いじゃん!と突っぱねて考えていたんですが、弟夫婦とアイロン談で話が盛り上がったときに、「日本じゃ、Tシャツやジーンズにはアイロンかけないよ。ベッドシーツもかけない人のほうは多いと思う。」といったら、目が飛び出るほど驚かれ、「テ、、ティーシャツにアイロンをかけないのかい?なぜかけないの?ジーンズも?じゃ、いったい日本人は何にアイロンをかけるの?」と聞かれたので、「スーツの下に着るやつとか、きちっとしたシャツにはかけると思うけど・・・。」とあいまいに答えておいたのです。そして、奥さんのアナが、「私はこのサービスを使っているのよ」と言って、アイロンがけビジネスを私に紹介してくれました。「一週間に一回。一ヶ月に4回。洗濯をし終わった服やシーツをこの袋に突っ込んでお願いすると、こ~やってきれいにアイロン掛けして家に届けてくれるの。便利でしょ?あまどらもどう?」って。「え、いや~、いいよ。うちは。私、一応専業主婦だし。」と濁しておいた。全く別のときに、夫のおかあさんと話してるとき「私、アイロンがけ嫌いだわ~…」と、こぼしてしまったことがあったのです。とたんに、うちのお手伝いさん、アイロンがけ上手なのよ、うちの○○さんに行ってもらおうか?一週間に一度行ってもらえば結構楽じゃなあい?アイロンがけだけでもねえ?」と、何度も言われました。 (ちなみに、ポルトガルではお手伝いさんに家事をお願いするということは、上位のリッチ層のみのサービスと考える日本のそれとちょっと違います。共働きの家や一人暮らしのちゃんと仕事を持った人の家では以外にお手伝いさんに家事をお願いしている人が多い様子。)そこまで言われてしまうと、アイロンがけしない私がまるでとても怠け者になってしまったような気にさせられたのですよ。それからちょっと改心してアイロン癖をつけました。私は頑固で自分を曲げない!と言い張っている部分があるのは承知の上ですが、海外暮らしにはある程度「郷に入れば郷に従え」も大事ですね。 また気が向いたときに、家事ねた、カルチャーショックのブログを更新したいと思います。 ・小ネタ・日本にいるときに、ディーが「これはナンだ?」と言ったもの。日本のアイロン台は確かに正座ようですよね。でも、こんなんで、洗濯物全部アイロンかけろと言われたら、まずは正座の修行が必要です ポルトガルのアイロン台はこういうタイプが一般的です。欧米は共通でしょうね。
2006.12.30
コメント(15)
今日は12月23日。明日はクリスマスイブ。 ポルトガルではクリスマスは家族そろって、大晦日は恋人や友達と過ごすのが定番のようです。今年の我が家のクリスマスは、静かなクリスマスになる予定です。なぜならば、末っ子の弟と彼女は彼女の実家のフランスへ、真ん中の弟と子供たちは奥さんの実家で過ごすことになったからです。そんな理由から、私たち二人は両親の家でクリスマスを過ごすのですがたったの4人・・・。いつもの夕ご飯メンバーです きっとたらふく食べて飲んでのんびりするクリスマスになることと思います。 さて、振り返ってみると私たちがポルトガルに引っ越してきてから、もう一年が経ちました。一年前は言葉もポルトガルという国に関しても何もわからない状態で宇宙人になったような気分で年越しを過ごした記憶がありますが、今は家族とも何とか打ち解け、ディーの友達とも仲良くしてもらったり、なんと言っても自分の友達がポルトガルの地で見つけることができたことが一年の大きな実りだった気がします。人に恵まれるということは幸せなことです、ホント。 結局われわれは家族にクリスマスプレゼントを選んだものの、お互い(ディー ⇔ 私)のプレゼントは買っていません。お互い「何が良いかわからないょ~」と、数週間言い続け、もうクリスマス当日になってしまいました ま、プレゼントなくっても良いんじゃない?と、二人ともちょっと投げやりな気分。。こんなんでいいんでしょうか(笑) みなさん、どうぞ素敵なクリスマスと年越しをお過ごしください。FELIZ NATAL!
2006.12.24
コメント(10)
私は昔からマリービスケットというのが大好きでした。クッキーと違って乾いていて、しっとりしているわけではないのだけど、甘すぎず結構癖になるマリービスケット。今まで考えたことがなかったですが、つい最近まで「マリー」は森永のネーミングだとばかり思っていました。。。日本でマリーっていうビスケットはこのパッケージしか見たことがなかったから・・・そしたら、違うんですね!ポルトガルのスーパーに行ったら、その名もマリアというビスケットがいろんなメーカーから出ていました。じゃ、マリーって世界中のお菓子なんだ、ポルトガルでも手に入る、とうれしくなったのです。ポルトガル・マリーアビスケット6箱セット (海外お土産・おみやげ)↑ナント、ポルトガルのマリアが楽天で買えます♪なぜマリアと呼ばれているのかが不思議でたまりませんでした。ポルトガルでも超ありきたりな女性の名前、マリア。 日本で言ったら何だろう、昔の日本だったら花子とかいうネーミングになったりするかな。いやいや、私の予想は大外れで、調べてみたら、ナント、フランス王妃、マリー・アントワネットがビスケットが大好きで、宮廷でビスケット作りをさせていたとか。その名残で彼女の名前がついてしまったのですね。周りの模様は、マリー・アントワネットの家紋だそうです。世界中のマリーにはこの模様がついているなんて!彼女も天国か地獄かどこかでオーッホホホホと言っているに違いないちなみに、ポルトガルの友人から最近借りた“ベルサイユのばら”をちょうど読み終えたころの発見だったので、妙な気分にしばらく浸っていました。 一方、日本に初めて入ってきたビスケットって、ポルトガル人の手によるものだったそうです。.................................... 1543年、種子島に漂着したポルトガル人は、鉄砲とともに、カステラやビスケット、ボーロといったいろいろな南蛮菓子を日本に伝えました。これらの南蛮菓子は、徳川将軍も大のお気に入りだったとか。ところが、日本に上陸した当時のビスケットは、ちょっと異質な味だったので、あまり人気がなかったそうです。また、面白いことに、16世紀末から17世紀初めにかけて、日本で作られたビスケットがルソン(フィリピン)に輸出されていたということです。このように16世紀の日本に入ってきた「びすかうと」、明治の初めには、直訳なのか、ビスケットに「重焼麺麭」という漢字を当てていました。 以上、ビスケットのお話を引用しました。 http://tinymce.moxiecode.cp/mce_temp_url もしや多くの人に知られる有名な話だったのかも知れませんが、私にとってはいまさら知ったトリビア。
2006.12.08
コメント(16)
PCが復活しました。データはなくなりましたが前と変わらず、同じダイナブックを使えます。またブログも復活しようと思っています。とりあえず、よかった~。ディー、ありがとう~
2006.12.07
コメント(5)
昨日、いつものようpcを使っていたら、ボンっという音と共に私の大事なパソコンが壊れてしまいました。泣いても泣ききれない。。。ここでは日本語キーボードを買うなんて無理に等しいし、、、。あきらめるにもあきらめきれない!入っていたソフトの数々。。。しばらくは呆然としてしまうばかり。いま、ディーがお医者さんで、私のダイナブックは解剖されてます。どうやら壊れたのは致命的なハード。心臓もとまり記憶もなくなりました。さようなら~。。。別のハードディスクを入れ、壊れていたDVD&CDリーダーも交換し、壊れていたファンまで修理し、新しく生まれ変わるかもしれない 私のダイナブックちゃん。いまはディーのパソコンをちょっと拝借してブログを書いています。分かっていながらも、パソコンがないとこんなに不便かと思い知る2日間でした。
2006.12.04
コメント(7)
私が近所のスーパーに買い物に行くと、2回に一度、いや毎回と言っていいほど遭遇する光景があります。それは小さい子供がじーーーーー・・・( ´ー`)っと私を見つめるのです。たまに、にこっ( ´∀`)とする子や ( ´∀`)/三 手を振る子もいます。今日はスーパーで、私の目の前まで戻ってきて手を満面の笑みで手を振る子がいました。きぐるみをきた気分になりました。。。でもアノ子、かわいかったな~♪ 私に反応をしてほしいのでしょう。子供達は純粋に、私が他の人と違うと思ってそういう行動をするのだと思って微笑ましいな、と思います。そう思うようにしています。ほぼ毎回、親が全然見ていない瞬間だったりするので微笑み返したり、手を振ったりします。 大人の場合でも、ちょっと失礼だと思いますが、ジロジロ私を見る人は結構います。自宅から最寄の駅までの20分くらいの徒歩圏内だけでも人にジロジロ見られて、「私はここじゃ、ガイジンなんだなー」 と始めは衝撃でしたが、だんだん慣れてきました。こちらから相当強く睨み返すと、人というのは自分が無意識に見つめていたことに気がつかされ、ハッと我に返るようです。実験済みです。 ここAMADORAは、それほどド田舎ではありませんが、リスボンと違ってそれほどアジア圏からきた人々を見ることが多くないように思います。それよりは、どちらかというとアフリカ系の移民、黒人の方が多いです。 そんな私の感じていること、体験した話をディーにしたところ、日本でガイジン体験をした彼と話が盛り上がりました。 ポルトガル人の同僚と同じマンションに住んでいたとき、「コンニチハ!」と挨拶しても同ビルの住人でずっと無視し続ける人が数人いたそうです。私も一緒に住んでいた時期があるので知っているのですが、確かにひどく無愛想な人が何人かいました。日本人同士でもです。そのポルトガル人の同僚とディーが、二人でエレベータに乗った瞬間に別の住人がきたので開けるボタンを押して待っていたそうです。そしたら乗るのを拒絶したので、ディーが「ドウゾ」と日本語で話しかけたらその男性は乗り込んだそうです。 もう一人の同僚ポルトガル人、ウゴがエレベーターの中で、「コンニチハ!」と彼に向かっていったら、その男性は明らかに無視したそうです。ディーが証人。で、ウゴ、そこで辞めればいいのに、「コンニチハ~ pa!」と繰り返しました。ディーはウゴをにらんだけど、まだ辞めず。結局彼は挨拶をせずにエレベーターを降りていってしまいました。彼が降りてからディーは「辞めろってば!」と彼の後ろ頭をひっぱたいたそうです自分一人だけ日本人、そしてそこは日本。それで、ガイジンだけ乗ったエレベーターに乗るのは躊躇するのも当然です。それも分からないでもありません。でも同じビルの住人でそこまであからさまに無視しなくても・・・とも思います。そこから引越ししたさきの近所の人も、ディーの挨拶を無視したり、一時停車の車を見てディーの目の前で「くそッッ!」と暴言を吐く人、タクシーの運ちゃんに「バカガイジン!」と暴言を吐かれたことなどなど、思い返せばガイジンということで日本では嫌な思いを沢山してきました。彼も私もです。それに比べれば、幸い、私はこちらでそれほど嫌な思いをした事はありません。ジロジロ物色されているように見られてちょっと嫌だな、とか中国人と間違われたりとか、なぜ犬を食べるのかと聞かれたりとか、細かいことは色々ありますが、まぁあまり気にしないようにしているし、ポルトガル語の細かい所まで把握できていないからそれほど傷ついていないだけかも知れません。ともかく、結婚する前、結婚した後と、二人ともガイジン体験を味わったことがあるのはよかったような気がします。お互いが“母国での自分の素顔”と“相手の母国でガイジンとしての顔”を見せ合い、同じ人間なのにどこかに不自由を感じているときの弱さや寂しさを抱えて、そんな体験できたというのはとても貴重だと思えるからです。 最後に、我々は良い意味がないと知っていてあえてガイジンという言葉を使っています。私はいまガイジンだし、彼も日本で3年間ガイジン体験をしました。wikipediaには外人という言葉を差別的感情や劣等コンプレックスなどのニュアンスが込められる場合もある。このため、差別用語として忌避されることがある。と紹介しています。まったくその通り。でも、それが現実なんです。ディーがあえて自分のことを「ガイジン」と3年間呼び続けていた意味が今身に染みて分かる気がします。
2006.12.01
コメント(16)
しばらく続いていた好天も今週辺りからかなり崩れ始めています。天気がよくて晴れている春夏にはまったく問題になっていなかったことが、いきなり明るみに出るのが冬。この家に住むことになったのには結構長いいきさつがあるのですが、とにかく私達が住んでいるこのおんぼろマンションに二人とも悲鳴を上げています。自分達で直せるところは直すにしても、ビル自体の不具合はどうにもこうにもできないからです。 まず、壁から洩れている雨で、寝室の窓際の壁からカビが生えてきました。 それから、強風で部屋にスースー風が入ってきます。これはポルトガルによくある窓シャッターを閉めても解決しません。ポルトガルの窓シャッターは暑さ(多分寒さも)をしのぐのに、大事な役割を果たしているようです。シャッターはこんな感じで、木の収納ボックスみたいなのが窓の上にくっついています。 シャッターの開け閉めはこんなロープでやります。上から下に引けがシャッターが開き、下から上にロープを戻してやるとシャッターが閉まります。 まあ、そんな仕組みはどうでも良いのですが、この木箱から風がヒューヒュー入ってくるみたい。一度箱を開けて釘を打ち直してみる。 そうしたらビックリ。ポルトガルの他の家もそうなのでしょうか?我が家のシャッターボックスの板を剥いでみたら、そこは、雨風が余裕で入ってくる“半ば外と同じ状態”でした。泥だらけでカビだらけ。ここはしっかり雨風しのげるつくりになっているべきはずのところ。ヒエー。掃除するにしてもこれじゃ無理。ビルの外壁よりもたちが悪い。 雨も入ってくれば風も入ってくるので、古い板切れ一枚でヒューヒュー風が家の中に入ってくるのは当然です。建築の問題でしょうからこれは我々にはどうにも出来ないこと・・・。なんとか解決策を見つけたい。 もうひとつ、先日の日記にも書いたのですが、夫が雨音で寝られない、という件ですが、どうやら問題は違うところにあったみたいです。最初はビルのてっぺんを打ち付ける雨の音がうるさいのだと思っていたら、そうではなくてビルから外に出る通行口の鉄製のドアが壊れているか鍵が壊れているか、ちゃんとしまっていないようなのです。鉄製です。鉄。とても重いドアです。 朝から晩まで風が吹く日はかなりの重量のあるドラム缶とか、大きい鉄の塊が階段のてっぺんから勢いよく落っこちていくような音がするのです。継続的に。 ドン ドン ドン ドン ドン ドン と。しかも、天気の悪いときは24時間です。今度は私までが眠りにつくのが難しくなってきました。気が狂いそうです。寒ければ服を着れば良い。雨が入ってきたら掃除すれば良いだけの事。 でも、騒音は・・・・。被害をこうむっているのは我が家だけではないはず。きっと近所中から既にクレームになっていると思うのですが・・・? ディーが昨晩ねむりにつく前の一言。『こんなに問題があると知ってたら、こんなボロ家買わなかったヨ… 。』だって。
2006.11.24
コメント(16)
ポルトガルで過ごすクリスマスは今回で2回目になります。毎年この時期になると、毎年毎年、一年を振り返ります。あっという間だったな~と。 私達も安いツリーを買いました。隣の暖炉をつけたら、プラスチックが焼けて危険かも!スーパーで売っていた180センチのツリーです。そんなに見た目は悪くありません 今は町もクリスマス一色↓これは家の近所のイルミネーションです。ライトアップが始まってからは一気に華やかになりました。 これから一ヶ月近くは、プレゼントに悩まされる時期。家族だけで合計10個のプレゼントを用意するのは大変・・・。そろそろ、週末はどこのショッピングモールも大勢の人でにぎわい始めます。
2006.11.20
コメント(14)
昨日は、キーケッシュとその彼女と、4人で午後4時過ぎにカフェでお茶を飲んでいる時の会話の末、いきなり我が家で夕ごはんを食べることになりました。まあ、こういった突然のことも、初めてではないのでそれ程驚きはしなかったのですが・・・・。それにキーケッシュとアンドレアはあまり好き嫌いのないカップルなので、ディーの嫌いなものさえクリアすれば何でもOKだ!そんな風に考えていたのです。 ところがその後、仲良し3兄弟は、突然次男の携帯に電話を掛け、次男一家も我が家に招待したのです。ええい!こうなりゃあ、4人も8人も一緒だ~ぃ。 因みに、一応ディーの兄弟構成を再度おさらいすると、ディー長男、ピン次男、キーケッシュ三男です。(全員ここではあだ名です)次男ピンには2人の子供がいます。三男キーケッシュは、新築の家を建てている段階で、フィアンセと一緒に我々の近所に住んでます。 うっっ・・・・・家を掃除してないじゃないか! 子供は何を食べるんだろう? 嫌いなものは? 何を作ったら良い・・・・・・・・? おいおい、ちょっと待ってよ!全員で8人かぁ。 食器もグラスもナイフフォークもたりないんじゃない!? 一瞬頭の中が焦りでヒンヤリしましたがまあ、みんな家族だし、そんなことは気にせず、とりあえず何か適当にみんなが好きそうなものを作ろう!気を取り直して、三男キーケッシュとその彼女と4人でスーパーで買い物をしました。 結構ポルトガル人には定番の、オーブンに入れるだけなつまみみたいなのと、フライするだけの簡単な前菜、小さいコロッケとかチキンパイ、ソーセージのパイ包みなど子供も大人も喜んでくれそうなものを手分けして大量に作りました。メインは簡単でお得意のミートソースパスタ。デザートは弟の彼女アンドレアお得意のチョコレートムースと、お土産に持ってきてもらったパイナップル。すると、途中で電話が入り、甥姪のいとこがやってくることになったのです。姪のカタリーナと、そのいとこのマルガリータは、まるで本当の姉妹みたいで仲良しさんです。彼女が家に入ってくるやいなや興奮が高まるあまり、ギャー!! キャー!! カタリーナー!!マルガリーター!!と、まるで何年ぶりの再会かのような喜びよう。って言うか昨日とか会ってるんじゃないの?あんた達。そんな二人を冷たい目で見つめるお兄ちゃん。彼はPSPに夢中です。我が家は即動物園と化しました。 お~ぉぉぉ・・・・・・子供が一人増えるのか?椅子は足りるか? 準備はものすごくバタバタバタバタしていましたが、みんな食事をとても喜んでくれました。 食事も終え、コーヒーとデザートが終わると子供達が、ポルトガルで大人気のfloribellaというドラマがスタートし、それを見て女の子2人は大興奮!一生懸命ドラマの内容や登場人物を説明をしてくれましたが。。。私には、あの人気の秘密や面白さがよさがよく分かりません。最近のこのドラマの人気ぶりはキャラクターグッズやお菓子にまで発展するほど。 家族が集まってみんなで食卓を囲み、話し声や笑い声の飛び交う食卓はいつもに増して楽しかったのでした。みんなが(10人もの夕食はさすがに毎日はきついけど・・・)みんなが帰ったのは夜中も1時を過ぎた頃でした。おおわらわでしたが、甲斐あって楽しい夜だったね~、とディーと話し、ぐったりしながら眠りに付いたのでした。 こういう突然の来客でもあわてずに、みんなに喜んでもらえる美味しい料理のレパートリーを、もっと増やさないとなぁと実感した日 でした。
2006.11.05
コメント(20)
リスボンから西へ30キロほど行ったところにある、観光地の定番シントラ。こちらに住む前から、ポルトガルへは旅行にも来たことがあったのですが、今回初めてのシントラ観光。リスボンからは電車で40~45分程。日帰り観光にもってこいです。 シントラ駅の窓口。駅に降り立った瞬間、壁一面に張り巡らされたタイルの装飾に圧倒! 王様や貴族達の避暑地だったという事--確かに納得です。山のてっぺんの宮殿までの道のりは長い長い。一日バス券購入をお勧めします。私は、途中のバス停までも、既にハァハァ行っておりました。運動不足です。シントラの市庁舎。おもちゃのお城のように見える。 シントラ駅から王宮までの道のりで見える景色です。丘の上にだんだんに建っている建物が特徴的です。 道のりで見つけたのがムーアの泉。水が出ている。後で調べてみたら美味しい水だと・・・この水を汲みに来る人も多いのだそうです。何も知らなかったら通りずぎるよな~。 上の写真の上方に見える建物が王宮です。これ、ポルトガルで最古の王宮だそうです。2本細長い三角屋根のように見えるのは、台所から伸びる33メートルもある煙突。それぞれの部屋にストーリーがあるのですが、中で写真が取れなかったのは残念。王様、鳥が相当好きだったのでしょう。白鳥の間やカササギの間というのがあって、天井いっぱいに鳥が描かれているのが印象的。 これ、ポルトガル(ヨーロッパ)特有の石畳。当たり前の常識でしょうけれど、ヨーロッパ旅行にはヒールのある靴はお勧めしません。 シントラ駅と各観光スポットを循環するのが434番のバス。くねくね曲がった狭い道を、バスの運転手さんは素晴らしいハンドルさばきで進んでいきます。対向車、急な坂道、路上駐車なんのその。 そしてペーナ宮殿に到着してからまたミニバスに乗って移動します。 ヒヤァ~!かなりの移動距離です。更にはきつい登り道だし。そんな我々の横では、遠足の子供達が颯爽とテクテク山道を歩いています。若いってすごいな。 よーし、やっとついたぞ ペナ宮殿! 奇妙なお城・・・。色んな様式を組み合わせたカラフルなお城です。中はともかく、統一感の無い外見は落ち着かない感じです。これが魅力なのだとガイドブックには書いてありましたが・・・。 私が何より気に入ったのはお城からのリスボンの眺めでしょうか。 昨日はうっすらと霧がかかっていましたが、綺麗だったリスボンの眺め。 そして別の方角の眺めは・・・山の頂上に見えるのは、ムーア人の城跡です。もうちょっと天気がよければなあ。 その後、リスボンへ戻りお茶をすることにしました。坂道の多いリスボンの景色 しばらくそんな町並みを超えて、大好きなカステラ屋さん パウロのカステラ屋さんでティータイム。私はカステラ&アイスのセット。Yさんご夫婦の旦那さんはパン・デ・ロー、奥さんはプリンを食べました。そして一緒に頂いたのは玄米茶。たくさん歩いた後の甘いものは美味しかった~。ご馳走様でした その後、パウロのカステラ屋さんから歩いて直ぐのカテドラルに。もう既に閉まっていた時間だったので中を見ることはできませんでしたが、「カテドラルを彩るバラ窓」というのは外側から見てきました。きっと昼間の太陽の光が建物の中を照らしたバラ窓はもっと綺麗なんだろうな~、と思いながら。 その後、ディーと待ち合わせをして4人でファドレストランでディナーを頂きました。 この日は2人の歌を聴きました。若々しい少女とかなり年配のおじいちゃん。美味しい夕ごはん、どうもご馳走様でした。 Yさんご夫妻はこの日がリスボン最後の夜。美味しい料理に音楽に、リスボンを満喫してくれた事を願ってます。
2006.11.01
コメント(18)
何度訪れてもいいな~と思う“ロカ岬”。 ここはユーラシア大陸最西端。「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」大西洋に日が沈む瞬間の空のグラデーションがとてもきれいです。 あっという間に日が沈むと、今度は夕日に染まった雲の色が楽しめます。 リスボンを一望できるサンジョルジェ城。初めて訪れた夜のサンジョルジェ城からの夜景はこんな風でした。派手なネオンや宣伝がない町並みは暖かい風景。お城から下る時に見かけたなんでもないリスボンの風景。 そして猫。。あなた、写真に撮られるまで知らなかったけど青い眼だったのね。 先日より知り合いのご夫婦がポルトガルを訪れており、彼らと共に名所めぐりをしていた際の一場面でした。
2006.10.31
コメント(17)
私達の住んでいる部屋はマンションの8階です。(日本で言う9階です)一軒家で庭があればガーデニングを楽しむこともできますが、今のところは室内の鉢植え植物のみ。引越してきてから直ぐにIKEAで購入したユッカちゃんがすごい勢いで育っています。恐らくリビングの日当たりが良いからでしょう。 つい先日、ディーと二人でIKEAに行ったのですが面白いと言って、衝動買いした植物があります。それはなんとココナッツ。今までに食べ物としてではなく、植物として間近で見たことがなかったのでちょっとタジタジ・・・こんなにツンツンした葉っぱで背丈も以外にあって、実からダイレクトに生えた幹がなんとも衝撃的でした。かなり背丈のあるココナッツを半ば無理やり車に詰め込んで、帰宅後に早速リビングに飾りました。ドンドン大きくなって実がなるほどに成長したらどうしよう~ と、いらぬ心配を始めたのでした。これからの成長が楽しみです。
2006.10.30
コメント(16)
ポルトガルに越して来てからもう直ぐ一年になりそうです。このブログをはじめたのは今年の年始でした。はじめの頃は、何もかもが目新しいので、ブログに書くネタが尽きなかったのですが、徐々に生活慣れると共に、生活の場面で起こる物事が日常になってきました。そんな中でも、まだまだポルトガルにはフシギがいっぱい。今回は電車(地下鉄)のフシギを紹介します。フシギ第一弾、切符を買う自販機私は一人でリスボンに出かけるときは必ず電車と地下鉄を乗り換えます。大学にポルトガル語講座を受けに行っていたときも、友達と会うときも、車で送って貰わない限りはそれが普段の交通手段です。その際チケットを購入するのは、駅にある自動販売機。初めて使ったときから、今までずっと納得できないことがあります。あまりに小さくてどうでもいいバカらしいことなのですが・・・。それは、こちらの自販機のお釣りの出し方。もしこれが人間なら頭が悪過ぎです。例えば、日本で505円の買い物で1000円札+5円玉出したら、500円コインか100円コイン5枚返ってきますよね。100円5枚だと、ちょっとやだなって印象。705円の買い物したら1205円出して、500円返って来させたりして、コインを減らそうと工夫したりします。それは、私の場合店舗でも自販機でも同じ行動していました。こちらの駅の自販機、切符を買うたんびに小銭を減らすチャレンジをしてるのですが、それがうまく行ったためしが一度もないのです!私が今までにチャレンジした回数から行くと、偶々自販機に小銭が足りていないという理由でもなさそうなのです。自宅から電車で、地下鉄乗換駅まで1.05ユーロ。小銭のないときにいつもチャレンジするのは、5セントを先に入れて、2ユーロコインを出したり、5セントを先に入れて5ユーロ札を入れたりするのですが、一番先に出てくるお釣りは決まって5セントのコイン!!!ちっこいくせに財布の中で邪魔になるヤツ。まるで嫌がらせかのように、ジャックポットみたいに出てくるわ出てくるわ。全部1ユーロのコインならばまぁ許してやろうというのに、20セントやら10セントでわざわざ細かくして出てくるわけです。自動販売機の仕組みは分かりませんが、自販機メーカーの方がいたら教えてください。日本の自販機との違いは、一体なんなんでしょう。日本の自動販売機はとても賢いのでは?と、こちらに来てから実感したのです。フシギ第二弾、電車の物乞いさんポルトガルに来て公共交通機関に乗ったことがある人はきっと一度は目にしたことがあるでしょう、電車の中の物乞い。こちらの皆さんはとてもバラエティーに富んでいます。エンターテーメントを繰り広げてお金をもらおうとする人、直接話しかけて同情を誘う人、障害者であることを訴えてお金をもらおうとする人(その中にはまれに“ふり”の人もまぎれています。)などなど。私は音楽だろうが障害者であろうがお金を出したことはありません。お金があると思われてその後で襲われたり、すりに会うのも怖いからです。それでも、やはりそういう人にお金を払う人は結構いるんですね。音楽を演奏する人にもレベルは様々。これならどこか専属で演奏すればいいのになどと思うほど上手なグループもいれば、乗客に白い目でにらまれ、「耳障り、どっか行けっ!」と言わんばかりの下手くそグループもいます。とにかく日本人の私にとっては、しゃべり好きのポルトガル人の話し声だけでも(時には携帯電話の向こうにいる相手からの声も聞こえるほど・・・)うるさいと思うのに、音楽をガンガン演奏されたらちょっと静かにしてほしい・・・なんて思います。あと、私の脳裏に焼きついて忘れることのできない男性がいます。腰の高さよりちょっと高いくらいのスティックを持って電車の床とお金を入れる木箱を コンッコ コンッコン コンッコ コンッコンと絶妙なリズムを奏でてお金をもらうのです。彼は私が乗る電車の線によくいます。そこだけではなく別の線で見かけることもあります。口では何かを唱えているのですが、あんまり理解ができません。ある日、足が不自由でお金をもらっていたおじさんと同じ駅で降りて、駅構内にあるカフェで出くわしたことがありました。おじさんは集めたお金でビールを何杯か飲んでいました。集めたお金をどう使おうが、彼の勝手ですが、何となく納得できない光景を見てしまった気がしました。そういうお金はお酒やドラッグになるという話もよく聞きます。色んな人がいるもんだ、ということで話は片付くのですが、私の乗る電車の線は危険だと言うことで有名。(リスボンとシントラを結ぶシントラ線。)すりやグループに襲われたという話も聞きます。そんな事件にあってしまってからでは「色んな人がいる」どころの話ではないです。ご旅行などでポルトガルにこられる皆さん、気をつけてくださいね。
2006.10.27
コメント(22)
この家に引越してきたのが今年の5月。これから、この家で初めての冬を迎えることになる。 先週からずっと降り続いている雨で、実は家のあちこちが悲鳴を上げている。 それは雨漏り。そして、この家が最上階であるために雨と強風がビルのてっぺんを打ち付ける音で、ディーが眠れないらしいのです。一方私は眠りに落ちるまで1分とかからないので、後者の問題はよく分かりませんが。 現在、リビングの窓と窓の間、窓枠から雨が入り込んで、床はびしょ濡れ。二つあるベッドルームのうちの一つ(幸いお客さん用ベッドルーム)の天井から雨もり。キッチンも同じく窓から雨漏り。 夏非常に乾燥して雨がまったく降らないために、気にも留めなかったけれど、これからやってくる冬にはずいぶんと悩まされそうな気配です。
2006.10.23
コメント(18)
先日、ディーと訪れた京都で神泉苑に足を運んだ。とても風情のある赤い橋と、水辺には鳥さんや鯉さんたちがたくさんいて、しばらくそこでは写真の撮影会が開かれました。と、言っても私とディーしかいませんでしたけど。ここは義経と静御前が恋に落ちた場所らしく、恋愛成就の神様として知られているそうです。 そこで見つけたのがおみくじの箱。何の気なしにひいてみるとそれは恋みくじではないですか!女の子の着物が一体一体違うのです。恐ろしいのはこのおみくじ。後でネットをみてみると、よくあたると言われているではありませんか!! 何の気なしにそこにあったみくじを二人でひいてみたところ、次のような結果が・・・以下、赤:私 青:ディー です。 愛情運小吉 愛し愛され結ばれる運命なのですが、この幸せは長くは続かないでしょう。心を込めて仏様にお祈りしなさい。浮気心は必ず二人の愛の巣を破ります。一時の恋に酔うと破滅します。大吉 朝日が昇るような大運勢です。この愛はきっと結ばれます。高鳴る胸の思いを抱いて愛の心を告白しましょう。幾度も相い会う間に恋は深まり 心楽しい日が来ます 家庭を大切にしましょう。 えー!いいな、ディーばっかり大吉。浮気するなというのは、他のおみくじや占いでも何故かよく出る結果。怖い怖い。 星座獅子座が理想的。魚座、おとめ座でも良い。 ディー、魚座だ!牡羊座が理想的。双子座か蟹座でも良い。 私、牡羊座。。 血液型O型が最も良い。A型は避けなさい。 ぉお~ディーO型!!A型かO型が良い。B型は避けなさい。 ぉお~私 O型!! 年齢差 5歳以上離れるとうまく行かない。3歳までなら良い。 ディーと私、8歳も離れてるんだけど! 差があまり無いほうが良い。 そろいに揃って気持悪い~!私達はまずいのか? 干支丑年、辰年は大変良い。酉年は避けなさい。 どれにも当てはまらず。酉年であれば最良。午か戌でもよい。 私は午だ!午でもよいそうだ! 方角は、ディーは東方の人が良いらしく(おー、それって東洋=日本のことか?)、私は西の方の人(そうだ、ポルトガルはヨーロッパの最果てじゃないか!)が良いそうです。そうそう、思い込みは大事です。 結婚運 まだ早い。焦って結婚すると後悔する。 ん!?だから最近白髪が増えてる?仏様に感謝したいほど幸せな結婚ができます。 仏様に感謝しなきゃだめです、ディー!! そんなわけで、面白いような怖いような占い結果を見て、「普段は占いなんて・・・」とちょっとバカにしてるディーも面白がっていた。子供みたいにはしゃぎながら鳥の写真を一生懸命撮っているディーを横目に、精神は私より年下なんじゃないか?なんて思ったのでした。 神泉苑 〒604-8306 京都市中京区御池通神泉苑町東入る門前町166http://www.shinsenen.com/
2006.10.21
コメント(18)
今回、許可証なしに日本に帰国することを少しだけ心配していましたが、何事もなく、無事に日本に帰国しポルトガルにも戻ってこれました。というか、誰か、私のパスポート見なくてもいい訳?なんといい加減な・・・ 一方、待ちに待っていた私の滞在許可証はどうなったのかというと・・・おとといの出来事。日本滞在中にポルトガルの我が家に配達された手紙を片手にserviço de estrangeiros e fronteirasに行ってきました。私の滞在許可証ができたということだったのです。何といっても驚いたのは、役所内がすごく整備されていたという事です。混雑なし。行列が短い。待ち時間が短い。空調が良い。(臭くない、酸素が吸える)多分天井の電気が明るくなった要するに、犯罪者のような気分にならなくなったということです。 待合室に用意された大画面のTVに映し出された整理番号とカウンターの番号でかなりの混雑を防いでいる様子。しかもアナウンスはポルトガルと英語。 一体どうしちゃったというのでしょう。すばらしい進歩だね!とディーと驚きを隠せませんでした。 アポイントを取っていても、2~3時間の待ち時間はいつも覚悟をしていたSEFで、今回はアポイント時間の30分前にカウンターで話すことができました。 すべての問題が、そう単純に解決するわけではないとは思いますが、そこへ行かなければならない外国人達のストレスを軽減しているのは明らかでした。 次にSEFに行かなければならないときには、どんな風に変わっていることでしょう。やればできるじゃないか!ポルトガル!
2006.10.20
コメント(10)
今回の日本滞在は、奈良、京都を観光した後、実家の新潟へ。新潟は私の故郷ですが、大学進学と共に新潟を離れてから、今回ほど長期滞在をしたことが無かったことに気付き・・・ずいぶんのんびりしすぎて、最後は風邪をひき熱を出してしまいました。ディーさん、長期間の日本家屋での生活、お疲れ様でした。 都会にお住まいの皆さんは想像が出来ないくらい、私の実家は山に囲まれた村で(現在は合併して市になりましたが)、車がないとどこに行くにも不便して身動きが取れないくらいです。最寄の駅まで車で15分、つい最近、コンビニが初登場した程 のんびりしたいなかです。まあ、ポルトガルでも車のない生活は不便と言うけど、うちはそれにはかなわないくらい。 姉の車を借りて二人でたまにドライブや買い物に行きましたが、家の近くで、「ここで曲がって」とか「そこで左に」などとナビをするのですが、どう考えても田んぼの真ん中で道なんかなさそうなところを曲がらされることにディーはかなりの恐怖を感じているらしく、その様子がおかしくて仕方ありませんでした。確かに街灯も曲がり道のサインも無いようなところですから。夜はものすごく静かで、蛙や虫の声しか聞こえないとこで、ディーは一人でぼんやり考え事をするのが好きだったようです。 稲刈りの終わった近所の様子はこんな。大雨の過ぎ去った後の雲と合間から見える青空。見慣れすぎた光景も、ディーには面白く写ったのでしょう。 新潟に来ると必ず訪れるのが日本海。さすがポルトガル人、海好きだなあ。今回は夕日を撮りに、夕暮れ時を狙って行きました。左の写真は釣り人が二人、ぽつんと写ってます。 前回も少し書きましたが、ディーの人生初の温泉も体験したのは家の近所。なんと1000坪の大庭園風呂とネーミングされている長生館(ちょうせいかん)という温泉です。大きな露天風呂の真ん中には、石で出来たデカイ亀がいて、その後ろ姿はかなり風情があるというか何というか・・・。一緒に温泉に入った友人の子供達は亀の甲羅に乗って竜宮城に行って玉手箱を持って帰ってきました。(勿論彼らの作り話ですが)久々の温泉に私は大満足でしたが、男風呂でディーはのぼせてないだろうか?、ちゃんと入れたんだろうか?などと余計な心配をしてましたが、心配ご無用だったみたいです。ディーと一緒に温泉に入ってくれた姉の旦那さんは、かなりの温泉つうで、英語も流暢に使いこなすのでディーも安心して暖まってきた様子。今では温泉に入ったことが家族や友人に武勇伝のように語り継がれています。 さて、今回の日本滞在のそもそものきっかけは、友人の結婚式でした。本当に素敵な結婚式でした。私の姉が今回の結婚式のピアノ演奏を担当したり、私たち友人でサプライズの歌を用意したり、特別印象に残る結婚式でした。式の前だったけど、お二人はイタリア・ポルトガルにハネムーンに行き、ポルトガルでは私にも会いに来てくれたという、特別な友達。この日は、ディーも招待してもらっていたんですが、なんと体調不良で遅刻・・・。お二人は勿論のこと、ご家族や親戚の皆様、旦那さんの会社の同僚や上司の皆様、この場を借りて申し訳ございませんでした。正真正銘、ラテンです。特別な場に同席できて良かったよ。Aちゃん、Bさんずーっとお幸せに 今度日本に来るのは友達の誰かが結婚するときかな?みんなー早くいい人見つけてね~。
2006.10.19
コメント(10)
一ヶ月近くのんびり出来た今回の日本滞在は、日本に観光目的でやってきた旅行者が使える「ジャパンレールパス」を活用して、格安JR乗り放題のチケットを購入しました。小町さん、情報ありがとうございました! 結果から言うと、キツキツの計画であちこち動きまわるのが苦手なディーは、“もっと寝たい、朝起きるのが辛い、とか、時差ぼけが抜けない、”という理由から、当初の予定を大幅にずらして京都3泊、奈良3泊で実家の新潟に移動しました。 たくさんの場所を見て周りたい、日本縦断をしたいなどという ことであれば、奮発して2週間、3週間用を選ぶといいと思います。我々は1週間で色々な場所を見て周りたいという欲張りな希望があったんですが、欲張りと怠け者は共存できません。 そのうち2日は私一人で行動もしましたこらぁ~!なまけものめ~!と思ったけれど、彼は何ヶ月もほぼ休みなく働き尽くめだったんだから、久々の休みゆっくりしてくれ・・・と思いなおし、ホテルで寝かせておきました。そんな状況ではありましたが、ディーと二人で京都、奈良を観光した場所、お気に入り写真を少し紹介したいと思います。 これから紹介する日本旅行の写真はディーの撮影したものです。さすが、日本人の私が観て面白いと思うものとは視点がちょっと違うような・・・もしや、歴史的建造物よりも、その辺の動物が多いんじゃ・・・!? 銀閣寺近くの手相占いのお店にいた狸たち。クルクルの目に見つめられて思わずシャッターを京都、奈良、どこの池に行っても必ずいる鯉。格別光る黄金の鯉が目を引きました。奈良公園の鹿。足を踏み入れた瞬間の「カワイイーッ!!」という新鮮さと、帰り際の「もう鹿は見なくてもいい」というあのギャップはなんだろう。とにかくすごい数の鹿 鹿 鹿・・・ 食べ物をねだる手法が怖い。 この亀の山を見て面白いと思ったディーは、亀を取った写真も相当の数です。春日大社の美しい風景!うまいぞ、ディー!春日大社の鹿たちは大人しく、ひっそりとたたずんでいるものが多かったです。この日、一緒におちゃをして奈良を案内してくださったどらまきんさんが教えてくださいました。春日大社の鹿達は神様のお使いさん達だそうな。へ~!確かに、人にせんべいをたかったりせずに春日大社の鹿さんたちは仕事してるって感じだった(!?)興福寺、五重塔。これを夜の風景で撮ったものもは、、この時期、ちょうど奈良では夜景とライトアップを楽しむプロムナードというのをやっていました。ディーはかなりエキサイティング!そんな隣で、私はいつもレンズ交換のアシスタントとしてせっせと働いておりました。 つづく
2006.10.17
コメント(13)
ディーと私の日本滞在も、今日と明日あと残すところ一日半となりました。 以外に長い期間日本に滞在することが出来、私は大満足でしたが、ディーは時々ポルトガルの我が家が恋しくなってます 私たちの結婚一周年はここ日本で向かえることになりました。 あれから一年・・・一年前、二人でポルトガルに引越すことを決めて、結婚後27歳、生まれて初めて車の免許を取るために合宿に通いました。 そして新婚で直ぐにはなればなれの生活が始まった。その後、ポルトガルに引越した後も、彼の両親との同居を経て、ディーの出張生活が始まり、平日=一人暮らしがスタートした。 よくよく考えると、我が家での二人暮しって経験がない!?今回の日本滞在で、人に会うたびに「結婚して一年、まだまだ新婚さんだね。」 などと言われるたびに思うのでした。「えー・・・・っと。そういえば、それらしい新婚生活はあまり経験ないなぁ」と。 それを思い返すと、ディーといつも一緒に、私の故郷の日本で、私の大事な人と過ごせた約一ヶ月、とてもいい時間になりました。 さて、今回の日本滞在では、友人の結婚式に参加、京都、奈良を観光し、その後実家の新潟へ移動しました。新潟に滞在中は両親と福島旅行へも出かけることが出来て、のんびりリラックス&盛りだくさんの滞在となりました。 3年間日本に住んでいたディーは、今回ようやく京都&奈良を訪れました。彼は温泉も初体験出来ました。英語を話せるディーの友達、義理の兄のお陰。 ディーはどこに行くにもでっかいカメラを持って、パシャパシャ思う存分に観光客をやってきました。私は彼のその姿を見てる時間のほうが多かったかもしれません そして、私はその横で、被写体の距離や形によって、いくつもあるレンズを交換するアシスタント役。 今回の滞在で、既に数百枚に上る数々の写真・・・整理が出来たら、ブログでも紹介したいと思っています。 明日の出発に向けて、これから荷造りをして成田へ向かいます。
2006.10.14
コメント(16)
こんにちは!日本に到着して2週間以上、ブログをお休みしていました。無事に帰国し、京都・奈良を二人で観光し、現在実家の新潟でのんびりしています。 前回の日記に書いたのですが、なんと!!!役所からカードが届いたという不在票がポストに入っているとディーのお母さんから電話がありました。 要するに、これで日本に帰国しても違法(?)にはならない状態になったのです。現在手元にカードは無いけれど、ポルトガルに住むことに許可が下りたわけです。 これで、ホッとして日本に滞在できることが、ただただ嬉しい
2006.10.06
コメント(18)
とうとう日本に到着しました!久々の東京に刺激を受けてます。人が多い~!女性が細い~!みんなおしゃれ~!それにしても、電車のつり革広告の情報ってあんなにたくさんあるって今までにかんがえたこともありませんでした。これから数週間、また日本からの報告します。 大きい声で言えませんが・・・告白します。私は、ポルトガルのお役所の人に許可証が出るまで帰るとマズイといわれながら、滞在許可証なしに日本に帰国してしまいました。同じ状況でビザ待ちでポルトガルに住んでいる方もいらっしゃるわけですから、どんな状況で日本~ポルトガルに戻ったかは必見です。乞うご期待!(多分何もおこらないと思いますが)
2006.09.21
コメント(26)
旅の醍醐味と言えば、私の場合頭をガツンとやられたくらいのカルチャーショックを受けること。良いものも、そしてもちろん悪いものも。今回のベルギーの旅でも、ちょっとしたカルチャーショックをいくつか受けました。 一番最初のカルチャーショックは、ホテルに到着して直ぐ受けました。 私たちが滞在していたホテルの付近にはSEXショップのようなアダルト系のお店がワンサカ。DVDショップや映画館など店構えがあまりに堂々としていて、日本でいうコンビニくらいの感覚で出入りできそうです。真昼間の2時3時に独りでここを歩いていたら、中年のおじさんにウィンクをされて後をつけられたことがありました。ギョッとしました。え?何か勘違いさせた?場所によってはそういう危険な場所があるから気をつけるようにとは言われていても、ホテルがここじゃ、どうしようもありません。電車に乗ってアントワープに行ったときの一場面。(本当は写真は撮ってはいけないらしいです)こんな風な、建てに長細いショーウィンドウが並ぶ地区がありました。よくよく見ると、おお~!!マネキンが動いている~!! おねえちゃんたちが、客引きをしながら携帯をいじってます。一階の店舗の上はお部屋になっているようでした。しかも、この光景は朝11時前です。以外に早い時間に店を開けてますけど、お客さんいるのかなあ? 驚いたことのもう一つは物乞いの人々。ベルギーの物乞いの皆さんは凄く積極的です。あの積極性があってもお仕事は見つからないのかなあ。もしかしたら失業者でいることをあえて選択しているのかも? ポルトガルでも目の見えない人(のふり)とか、同情を買うようなストーリーで電車賃を巻き上げようとか、子供を連れて苦労してますと告白している人など色々な人がいます。 ブリュッセルの町には、座って缶からなどを目の前において赤ん坊を抱っこしている女性をよく見ました。しかも歩道のど真ん中にいるではないか!何と・・・。かなり存在感、大です。座っている目線から歩く人に声をかけています。更に、本当の子供がいない人は赤ちゃんの人形を抱っこしている人もいました。それから、私が一日で3回も見かけた一家は、 子供がいる夫婦で別々の場所を分担して、お昼に集まったお金を出し合って、なにやら真剣に話し合いをしています。これが彼らの仕事なんだろうな。 カフェなどの軽く食事を取れるようなところにいくと、それぞれのテーブルに子供を抱っこして周って歩きます。そして「困ってます。子供がいて大変なんです。」そんなことを言ってきます。親には逆らえないまだ小さな子供たちを見ていると、何だか複雑な気持になりました。 ミュージアムに独りで行ったとき、近くである若い女性軍団にあいました。彼女曰く、「困った子供ために署名をくれ」とのこと。もの凄く強引です。「いいえ、結構です。」と、冷たく言うと、「署名だけだからしてくれ!」と目の前にボードを突きつけてきます。それを見ると5人くらいぐちゃぐちゃな字で名前が書いてあります。 署名だけならと思い名前を書くと「お金を払ってください。」と言うではないか!「お金ありませんから!」というと、私に対して何か暴言らしき言葉を大声で吐いて去っていきました。ひどく気分が悪くなりました。その後彼女はお金持ちそうな老夫婦に近寄っていき同じ手法でお金をもらっていました。それを見ると「私は何か悪い事したのか」と思わされたのですが・・・。 私だって仕事してないし、金持ちなんかじゃないんだから!!と思うも、世の中もっと大変な人もいるという同情の気持もちょっとあって、変な葛藤をした。 小銭をこういう人たちにあげたくないな・・・という、理由のひとつ。 それはトイレが有料だから。トイレがあるところにいくと、雑誌なんかを読んで椅子にちょこんとすわっているおばちゃんがいます。掃除をしてお金を取るためにそこにいるんです。 トイレが近い女性などはホント、嫌になるくらいトイレにお金がかかります。一般のレストラン、カフェ、駅、マクドナルドでさえ、平均30セントくらいかかります。トイレに行くたびに小銭を使い、お札を崩すこともしばしばありました。そのうち「たったこれだけのために~!?」と、無駄に紙を多く使ってみたり化粧直しの為に長く居座ってみるものの気持は治まりません(当たり前 笑)ベルギー在住の方のお話では、ベルギーは昔から水が高く、トイレで流す水でさえ貴重だったのだそうです。ヨーロッパのほかの国でもそのようですが、幸いポルトガルのトイレは有料のところはとても少ないように思います。 10日間ブリュッセルに滞在したわけですが、以外に色んな面を見ることが出来て刺激的でした。 今日で夫はベルギーの仕事が終了!!いよいよ来週からは、二人で日本に帰国です
2006.09.16
コメント(20)
ベルギー滞在中、私の母の知り合いご夫婦がベルギーにお住まいということを知り、母から連絡先を教えてもらって、現地でお会いすることが出来ました。そして、何と初対面だったのに色々と観光地を案内していただいたのです! まず、有名なブリュージュへ・・・ 水の都といわれるブルージュ。町の中に流れる運河にたくさんの橋が架かっていました。これは橋からの眺め。ここでは観光客向けに運河めぐりができるようです。 これは世界遺産!になっている「Begijnhof~ベギン会修道院~」現在も修道女達が暮らしているのだそうです。世界遺産になっているというだけで何となくすごいな、と思って写真を撮ってしまう単純な私・・・。 ひっそりとした林の中に立ち並ぶ、白い趣のある建物を見てると「今は何世紀だっけ?」と思わされる。。時が止まっているようです。 これはブルージュの町並み。建物の感じが本当にお人形のうちみたいでかわいらしい雰囲気。日本家屋で生まれ育ったわけだから、それとの違いを感じるのは当然だけど、同じヨーロッパ内のポルトガルと比べても、まったく違った印象をもつ建物のつくり。陸続きでありながら、地域や国によってこんなに違う顔を持つヨーロッパって、奥が深いな~。 ここがブリュージュの中心、マルクト広場。「ヨーロッパで5本の指に入る美しい広場」とガイドブックには書いてあったけど、あと4つってどこだろぅ?この広場を眺めながら食べたランチ&ビールは最高!Yさん、ご馳走様でした! そしてアントワープへも・・・・ここまで来ると、オランダの国境まであと30キロ!!ここはベルギーの北部にあたります。出発前に、仕事で一緒に来れなかったディーのコメントは、「お願いだから高いダイヤモンドを勝手に買わないでよ」。そういう衝動買いをしない私を知っていながらの彼なりのジョーク?まあともかく、アントワープはダイヤモンドの町と呼ばれる「世界のダイヤモンド取引の中心地」らしい。そういえば、私の誕生石もダイヤモンドだったけど、それほどきらびやかな装飾品に興味がない私は結局ダイヤモンドは買いませんでした。 左は手の中で写真を撮ってる私。アントワープって「手を投げた」という意味だそうです。それにちなんでかデカイ手が町の中にドッカーン。右側の写真は市庁舎です。16世紀に建てられたルネッサン建築。残念ながらよく写ってないけれど、市庁舎の目の前に像があります。悪者の巨人の手を切って投げている像。そんな伝説があったんだそうです。なんか不思議。 滞在中は、ブリュッセルの中心グランプラスという広場で3日間ビール祭りが開催されていました。音楽と人ごみで、明らかに「こりゃ、お祭りだ!」という匂いをかぎつけた私・・・。音楽のなるほうへいってみるとやっぱりこんな楽しいパレードをやってました。ディーが具合が悪くて寝込んでしまったために、今回は私は残念ながらのんべえにはなれませんでした。それでも写真だけはパシャ その他にも、私のリクエストでYさんにはこんなところに連れて行ってもらいました。これはアトミウム。なんと50年も前の万博の時に作られたものだそうです。半世紀も前にこんなでかいものを作ったベルギー人に拍手!!この写真ではサイズが想像できないでしょうけれど、なんと最上階の展望レストランは102メートル。上でコーヒーを飲みながらの眺めは最高です。今年の夏に改築工事が終了し、キンキラキンに輝く美しい姿になって再登場。 今回ディーが仕事してるお客さんは、このカテドラルの目の前です。重々しく静かな館内は、さわやかで落ち着いた気分になれます。仕事場の近くにこんなカテドラルがあったら昼休みに気分転換に来てしまいそう。教会はそういう目的ではないのだから敬虔な信者さんには悪いですけれどね。 こんな風にしてベルギー滞在2週目は過ぎて行きました。初めての訪問だったのにYさんご夫妻のお陰でとても楽しい滞在になりました。ありがとうございました。また機会があったら、今度はディーとダイアモンドを買いに(!?)観光にいってみたいものです。つづく・・・
2006.09.12
コメント(10)
お久しぶりです。先ほど無事に、ベルギーからポルトガルの自宅に戻り、日本語キーボードのパソコンを立ち上げたところです。インターネットを使えるだけでも便利だけれど、更に日本語が打てることに感謝です。さて、合計11日間滞在したベルギー。ディーは平日ずっと働きっぱなしで、唯一の週末は彼は何と体調を崩してホテルで寝たきりでした。かわいそうに・・・熱が出てせきが止まらなくなるという症状が続き月曜は欠勤。私はその分といっては何ですが、私は平日彼が仕事中に存分に観光をさせてもらいました。今回から何度かに分けてベルギーの旅を紹介したいと思っています。新しい出会いや発見、カルチャーショックなどが新鮮な今回の旅。 まずはブリュッセルの中心といわれているグラン・プラス。観光客が集まるため、レストランやカフェ、みやげ物屋、ワッフルのお店などがひしめき合っていてとてもにぎやかな場所。グラン・プラスの中心は広場でその四方を取り囲む建物が、これまた今までに見たことがないような建築様式で思わずため息が・・・上の写真は市庁舎。 上はブラバン公爵の館こんなすごいの、どうやってつくったんだろー・・・?などと素人な疑問が。 ちょっと歩いていくと定番のこれ。銀座でマネケンワッフルもよく買ったなーなどと思い出す。ベルギーのシンボル 小便小僧 ベルギー滞在中は、この広場の近くに滞在していたこともありしょっちゅうここを通ったのですが、毎日の日課はというと・・・・客引きの激しいレストランのおじさんお兄さん達がゆーあー ふろむ ちゃいなー!?ちゃいにーず!!ちゃいにーず!!にーはお!!などと、声をかけられること。本当に私が中国人でもそんな誘われ方をしたレストランには絶対入りたくないと思うのだが。 しまいには前を歩く見知らぬ女の子(多分日本人)と私が二人連れの旅行客と勘違いされて、「フリービール2杯つけたっ!!寄って行って~!」と、強引にレストランに連れ込まれそうになった。私の事も知らない上にそんな客引き、彼女もビックリしただろうに。歴史もあってこんな美しい国のまさに中心に、残念だけど品のなさを感じてしまった。 まあ、観光客の集まるところでは大概どこでもありますけれどね。つづく
2006.09.09
コメント(18)
During the day time, I am alone and go and I plan myself where I visit and what I see, (some musiums or cathedrals etc.) BUT I forgot about that I have no sense of direction so I got lost my way so often,,, even with the map and CHIKYU NO ARUKIKATA, so it is a kind of a DIET in good way...In Brussels, there are many sweets, good beers and wonderful food. It means that the diet does not work,,, nevermindI took some pitures here in the city, many of them look so yummyyou can see many chocolate shops here.Old but beautiful buildings. people are having good time with their friends and beerwhat is thisI hope I will be able to use my computer soon.Actually..... I have no idea how to use french keyboard and do not know how to type, and also the letters in the keyboard are different order. I was shocked. SORE DEHA KYO HA KONO HEN DE
2006.09.01
コメント(18)
Hello It is AMADORA from brussels.I came here because D is working here in brussels.I brought my own computer but the hotel we are staying does not have an internet connection,,,, Then at lastI found out a internet cafe here, near our hotel.About Brussels,,,, I did not have any image about this country before we arrived here. Actually it is very very beautiful city. Even if it is in same europe, it is completely different countryWe are staying in the central city, so during D works, I can visit and see many places and museums.Any image about Belgem? yeah right. chocolates and wafflesDo not worry i will eat a lot of them We are going to stay here until 9th of September. If I can find other place to use wireless connection, i will report from Belgem with some pictures.sorry for my bad english.... ......................................................AMADORA DESU. KAYOU BI NI Belgem NI TOUCHAKU SIMASITA.D NO OKASAN IWAKU...... PORTUGAL HA KION 40°C NANNTO MA-....... KOCHIRA Belgem HA AME MO FURI KUMORI MO TUDUKI KEKKOU SAMUI DESU. SASSOKU PORTUGAL NO AOZORA TO ATUI TENKI GA KOISHII DESUMATA COMPUTER GA TUKAERU KANKYO GA AREBA BLOG NI UP SIMASU.SOREDEHA.COMMENT YA MAIL NADO Belgem NIHONGO KAKEMASEN....DEMO JAPANBelgem NIHONGO HA YOMEMASU
2006.08.31
コメント(6)
一年前に結婚してから、私にはいきなり姪っ子と甥っ子が出来ました。それ以来、ポルトガルに来てからは特に、彼らには時たま遊んでもらっています。彼らもちょっとずつ言葉の分からなかった私に慣れてくれて。何が良いかって、3歳と7歳との会話が出来ること。いつも勉強させてもらってます。お兄ちゃんは私のポルトガル語、直してくれるしありがとうよ。私たちがまだ日本に住んでいたとき、ポルトガルへの里帰りや、クリスマスの度に一番悩まされるのはこどもへのプレゼントでした。現在私には小さな子供も居ないし、姪も甥も居ない。だから一体何が欲しいのか、何が喜ぶのか全く検討がつかないからです。日本に住んでいたとき、いつだったか私たちは、仕事帰りに有楽町のビックカメラに何日も通って子供のプレゼント選びに悪戦苦闘してたことがありました。男の子担当は夫、女の子担当は私・・・。でも何を選んで良いかよく分からない。もうゲッソリして、「何でも良いから選ぼうよ・・・」と投げやりの状態の私の目に入ったのが・・・・・・ぽぽちゃん。か・・・かわいい・・・・これでいいや。と、いくつか着せ替えようの服も買ってつけてあげました。まあ、ポルトガルにもきっと似たような人形なんてたくさんあるだろう、と思ってはいたのですが・・・・・・。ところが、このぽぽちゃんがポルトガルの姪の手に渡ったときの喜びようは凄まじかったのです。ぽぽちゃんをご存知の方もいるかと思いますが、肌がフワフワ、顔は可愛い、おめめもクリッとしてお洋服もおしゃれなんです。因みにおしりは本当の赤ちゃんみたいに青い。 その彼女の喜びようを想像しやすいようにポルトガルの人形をご紹介。 ギョッッッホラー映画?黒人男の子の人形。着てる服がひざまであるダボダボのタンクトップ。どうもみすぼらしい感じがする。ちょっと失礼っと服の中身を見てみると胸の辺りの脂肪のたるみ具合とか裸の状態が凄くリアルでちょっと気持悪い。その割押してもキューピーさんみたいに凹みもしないし腕も足も動かないからお座りも出来ない。これでこども達、どうやって遊ぶんだろう。 こんな感じのプラスチックのカターイ人形しかもっていなかったカタリーナは、ぽぽちゃんのかわいさとフワフワの肌が、大好き。どこに行くにも連れて行ってます。そんな彼女、ぽぽちゃんが日本人顔というのは分かるらしく、日本人の女の子の名前をつけたがった様子。結局つけた名前はカオリ。唯一知っている日本人の名前は私の名前だったから 。一緒に遊ぶときは私をかなり混乱させますが、まあいいでしょう。 そのプレゼントから1年半後・・・・既に彼女の家には3体のカオリが居ます。 あまりにお気に入りでその後2体もゲットしてしまったのです。 カタリーナのカオリその後、姪のカタリーナのいとこや近所のお母さんの間でぽぽちゃん発注が飛び交っていたのは言うまでもありません。
2006.08.26
コメント(26)
金曜日に帰ってきたディーと弟カップルの計4人で、土曜日はちょこっとピクニックを味わいにNEGRAISというところまで行ってきました。NEGRAISというところはリスボンからそう離れたところではないのですが、まだまだ昔ながらのポルトガルの雰囲気が十分残る田舎です。人が動く速度はリスボンの1.5倍~2倍スローにした感じ。なぜここに行ったのかというと、弟カップルがここに新築の家を建てる予定だからです。建設予定地はもちろん既に二人のもの。だから、お休みの日となると、彼らはよくここに訪れて新築の家の夢を膨らませているようです。このハッキリ言えばボロ屋敷↓↓↓↓ これを取り壊し新築を建てるのだそうです。ここはポルトガル。当然のことながら、色々な場面で書類とかが滞り予定はドンドン遅れています。右側の写真は、私達のランチの様子。背景の石造りの壁に素朴な木のドアが、なんとも趣があります。家の中には牛舎らしき跡地もあり、何かの博物館に来てしまったと思うほど・・・。昨日は家の裏でこんなものを発見しました。昔、まだ電化製品が一般家庭に登場する前に使われていたという洗濯機。石造り。ビックリ!彼女のアンドレアはこの洗濯機が相当お気に入りの様子。おばあちゃんがこれでいつも洗濯をしていたのを見て育っているので、これはどうしても残しておきたいらしいのです。もっとビックリしたのはこの景色にまつわるエピソード。ここは標高も少し高く、雲が近い分天気が変わりやすい地域です。天気のいい日は遠くまで景色が見渡すことが出来て、海が見えるのだそうです。昨日もうっすらと海が見えていました。あくまでも天気のいい日は!!です。ポルトガルの税金の仕組みは、何と家から海の景色が見えると、その分の税金を取られるそうです。きゃー!!!そんなー!!!ポルトガル人の価値観を垣間見たようなお話。日本もそうなのかしら?私が知らないだけ!?ともかく、私達のランチはこの建設予定地のお庭でピクニック。私達が食べたものは子豚ちゃんと焼きたてパン、そして白のスパークリングワイン。この近くに、すごく美味しいレイタオン屋さんがある。ここで私達はランチを購入しました!私のつたないポルトガル語で「写真とってもいいですか?」とお店のお兄ちゃんに聞いたら、「いいよ、いいよ~!!中まで入って撮ってきていいよ!」だって。企業秘密とか無いらしい。店内はこんな風です。清潔に保たれているこのお店は、入った瞬間「きっとここは売れているな!」という匂いがしました。壁に額に入れられたニューヨークタイムズの新聞記事を発見。右側の写真が工場のオーブンと焼きたて子豚ちゃんの大群。彼らも、ちょっと前まで牧場で走り回っていたのかなあ。デリバリーもしますよ 車のイラストの子豚ちゃんは楽しそうに笑っていますがちょっとかわいそうな気もします。tel 289328078こんな風に箱詰めにして売っています。4人分でこの一箱は食べ切れませんでしたこのお店の近くにある家でパンを売ってました。あくまでフツーの家に見えるけどオーブンから取り出したばかりの焼き立てで熱々のパンを売っているんです。パンを見せているのはアンドレア。美味しいランチに、キレイな空気と景色が楽しめて充実した土曜でした。彼らはここに家を建ててから結婚予定。だから、私も心のそこから「早く家が建ちますように・・・」と願っています。
2006.08.20
コメント(20)
昨日はブログ仲間のSonさんと初めてお会いしました。こちら、ポルトガルに来てから、日本に居る家族や友人に近況報告をと思って立ち上げたこのブログのお陰で、様々な人と知り合うきっかけが出来てとても嬉しいブログをはじめとしたインターネットの文明の利器はすごいです。世界中どこに居ても場所を問わずにつながれる。新しい友達もいとも簡単に出来る。便利だけど使いようによっては怖い・・・インターネット。さて、Sonさんとは色々と共通点があり、楽しくお話しているうちに時間の過ぎるのもすっかり忘れて話し込んでしまいました。そんな私達が行ったレストランはこちら!地球の歩き方 ポルトガルにはリスボンのセレブが集う店と紹介されている、彩。よく名前を聞くこのレストラン、ここに行くのは私は初めてでした。「うなぎが食べたいねー」「家では作れないものを頼もう!」「これは美味しそうだ」あーだこーだとSonさんと散々悩んだ挙句に私が頼んだのは、てんぷらうどん定食。あぁぁぁ、やっぱりね、素朴でありきたりのメニュー、普通の何てことが無い日本の食事が、のどから手が出る程食べたくなるんですね。リスボンに出れば満足できる日本食が食べれる、そんな環境は恵まれているなと実感したおうどん。あ、失礼しました。私の定番ランチビールが堂々と写っているではないですか。キレイでパリッと上がっているてんぷらはこちら。そういえば、てんぷらはポルトガルから来ている料理の一つ。安土桃山時代に伝わった南蛮料理の一つだとも言われているようです。確かに、ディーの実家でてんぷらみたいなのを食べたことがあった!でもここ彩や日本で食べるようなパリッとした食感ではなかったけれど・・・・最後の仕上げはSonさんも私も抹茶アイス、ごちそうさま。レストランを去ったあと、レストランの近くですごい名前のブティック発見!日本料理やさんの近くにこれですか!?その名もおならどうやらポルトガルのアパレルブランドみたいです。ただいま夏物セール中!ランチの後、ゆっくりcafeを楽しみ、その後Sonさんとお別れしました。私は折角だからちょっと探検しよう、とお散歩しました。ずいぶん前からリスボンに大繁殖しているこの動物達。昨日は3匹出逢いました。うわー、まぶしいッ!ピンク色の紙袋からドロドロとした液体が流れ出している様子。意味は不明だけど思いっきり派手なこの牛。子供が乗って写真を撮っていました。アズレージョっぽいこの牛は、配色がポルトガルっぽい。夏の日差しに照らされギラギラしているこの牛達には、ROMA駅に行くと会うことが出来ます。かなり存在感大です。その他、駅や広場やショッピングモール内などあらゆるところに牛がたむろしているのでそれを見るだけでもちょっと楽しい気分になれます。以上、昨日のお出かけでした。
2006.08.18
コメント(12)
全185件 (185件中 1-50件目)