東方見雲録

東方見雲録

2023.05.27
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カテゴリ: 文化
2006.05.27の日記 こちら

5月27日にあった出来事
日本の連合艦隊がバルチック艦隊を撃破






日露戦争中の1905(明治38)年5月27日、連合艦隊司令官・東郷とうごう平八郎へいはちろう氏率いる日本海軍と、ロシアのバルチック艦隊が激突。
東郷ターン
と呼ばれる丁字戦法により、敵の進路をふさぎ集中砲火を浴びせたことで、見事バルチック艦隊の撃墜に成功

ちょっとおさらい:
下関条約
イギリスと条約を結び、ロシアの動きを抑えることに成功した日本。
朝鮮内では甲午農民戦争が勃発し、その鎮圧のために朝鮮政府は清に援軍を要請します。
同じころ、日本も朝鮮半島に進出し、日本と清が武力衝突しました。
日清戦争の開戦です。


戦争は戦勝国有利に講和の条件を決めれらます。

日清戦争後の講和条約である下関条約は、日本にとって有利な内容でした。

1 清は朝鮮の独立を認めること
2 遼東(りょうとう)半島、台湾、澎湖(ほうこ)諸島を日本に譲り渡す
3 賠償金3憶1000万円を日本に譲り渡すこと

当時の日本の国家予算が約1億円でしたから、約3年分の国家予算を賠償金で得ることが出来ました。
清にとってはいかに壊滅的な内容であったかがわかります。

三国干渉(さんごくかんしょう)
下関条約締結直後、ロシアはドイツとフランスとともに、日本が獲得した遼東半島を清に返すように勧告してきました。

この三国干渉を機に中国の弱体化が進みました。
古くからアジアの中心として栄えた中国。
しかし欧米諸国や日本により中国の分割占領が始まります。


中国の満州へ進出を狙うロシアにとっては、この地は非常に重要な港湾でした。

他にはドイツが山東省の膠州湾(こうしゅうわん)、イギリスが九竜半島と威海衛(いかいえい)、フランスが広州湾を租借しました。



この三国干渉とロシアの旅順・大連租借に対して、日本国内ではロシアへの対抗心が高まります。
それがきっかけで先ほどの軍備拡張につながっていくのです。

こうした中、清国内では外国の勢力を国内から排除しようとする動きが高まります。

これを義和団事件(ぎわだんじけん)と言います。

清は宣戦布告しますが、欧米列強と日本は連合軍を結成し、義和団を鎮圧します。
問題は、この後のロシアの態度です。
義和団を鎮圧し、解散したはずの連合軍ですが、ロシアは軍隊を引き揚げず満州を占領してしまったのです。
日本が危険視していたロシア。
そのロシアが満州まで勢力を広めてきたことは、日本にとって脅威でした。

当時ロシアの陸軍は日本の10倍、海軍は2倍、軍艦の保有数なども全く違います。

勝てるわけ・・・ありませんよね。

日本が取ったのは巧みな外交法でした。
周到な準備をし、日露戦争の開戦に臨んだのです。

引用サイト:中学生のためのよくわかる歴史  こちら



「必勝しゃもじ」は日露戦争由来 こちら





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Last updated  2023.05.27 06:04:34
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