東方見雲録

東方見雲録

2023.12.17
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カテゴリ: 建築



藤村:《すばる保育園》(2018)はこれまで取り組んできた「『ちのかたち』(2018年に開催された東京・ギャラリー間での個展名)としての建築」を代表する作品として位置づけています。英訳では「Form of Knowledge」と言っているんですが、他にもEarth、Bloodという「地」や「血」を含んだ「ち」でもあって、単純な知識というよりも身体的な経験、暗黙知も含んだ「ち」をフォーマライズするためのツールとして建築を捉えています。

例えばクライアントの要求をもとに構造の最適化のスタディを行って決まってきたこのホールの形状が背後の花立山と結果的に重なっているのですが、構造を担当してくださった満田衛資さんは「どっちも重力に対する自然な反応ですよ」と仰っていてなるほどと思いました。そしてその空間が自分が知らない空間、知識の外に生まれてきた空間であるという点が重要だと思っています。ホールの空間に入った時に、普段であれば力の流れが想像できるのですが、ここでは想像できなかった。これは計算によって得られる知識が生み出した空間で、そういう計算がもたらす新しい外部性に可能性を感じました。これまで合意形成の場面でいろいろな人と関わる中で自分が考えていなかったことを入力される面白さが駆動力になっていたんですが、ここでまた計算という新しい他者に出会った感覚があります。

これまで「超線形プロセス」と呼んでいた設計の方法論は、私はアブダクションだと思っていたのですが、どちらかというと帰納ではないかということを最近考えています。機能主義が演繹的に行き詰まっていることをアブダクション的な個人の発想で乗り越えていくのだということが70年代、80年代に提唱されたわけですが、演繹かアブダクションか、という二項対立の限界もあるのではないか、もう少しそのコレクティブなデザインだとか計算、機械言語との関わりを取り込んでいくための手法として、帰納的飛躍を生み出す手法としての超線形プロセスをやってきたのではないかと再定義されました。




門脇:この小委員会は、具体の建築物の「作品」としての意義を問うものだと伺っていますが、藤村さんの作品の重要性は、「参加」の方法論を追求した結果としての建築作品であることに尽きると思います。そうした了解に基づけば、藤村さんが最初におっしゃっていた「自分の設計は、アブダクションではなく帰納なのだ」という言い方は、とても秀逸に聞こえてきます。アブダクションはどちらかというと、個人の天才的なひらめきを説明するような推論モデルで、だからクリエイティビティの発揮のされ方を科学的によく説明しているとされる。しかし個人のひらめき、つまり思考の上での飛躍は、必ずしも広く共有できるものではないので、集団での思考を考える場合には、この飛躍こそが参加のハードルになりかねない。したがって、集団での思考の積み重ね方は帰納的であるべきだと藤村さんが言っているのだとすると、それはとても納得がいくし、藤村さんの作品を語る上で大事な言説だと思います。

その上で、改めてこの作品について語るのだとすると、大きな特徴としてまず指摘できるのは、能作さんも言っていたように、「かたち」への強い執着が具現化している点です。とはいえ、建築における「かたち」にもいろいろあって、ディテールに見られるような即物的で機構的な「かたち」もあるし、記号のように意味をまとった「かたち」もあるし、図式のように抽象的でスケールを持たないトポロジカルな「かたち」もある。しかし《すばる保育園》で強く現れている「かたち」は、このいずれとも違うように思います。強いて言うなら、模型であれば1/200くらいのスケールでもっとも表現しやすいというか、初等幾何学にも通じるような素朴なかたちで、それは平面にもっともよく表れているのですが、しかし自由曲面シェルを使っているせいか、初等幾何学的な強さは絶妙に脱臼されてもいる。

ここでもう一度「参加」の問題に立ち返ってみると、藤村さんが言う「参加」は、統合を志向していることもポイントだろうと思います。たとえば、みんなが建築物に好き勝手に絵を描いて「参加」と言うこともできますが、藤村さんが目指しているのはそういうことではない。かといって、熟議を経て強いシンボルを導くような意味での統合とも違う。どちらかと言えば、みんながバラバラに参加した結果、何となくひとつのものが生成していくというイメージに近いのではないか。《すばる保育園》のなんとも言えないかたちは、そういうところから読み解けるのではないかと思いました。

引用サイト:medium.com   こちら

関連サイト:[201811 特集:建築批評 藤村龍至 / RFA《すばる保育園》]返答文 こちら

参考サイト:超線形設計プロセス論(批判的工学主義) こちら
日本の建築家・藤村龍至(1976-)が提唱する設計方法論。さまざまな制度が複雑にからみ合う都市環境のなかで、まず単純な形態を想定するところから始め、「ジャンプしない」「枝分かれしない」「後戻りしない」というルールのもと、細かな設計条件の一つひとつに個別に応えるかたちで案を修正し続け、最終的にあらゆる条件に見合った建築を抽出することが目指される。東京の集合住宅《BUILDING K》(2008)など、藤村はこの方法論を自作に適用している。その設計プロセスの各段階では、同一スケールの建築模型がつくられ、どこをどのように修正したのかが逐一保存される。設計プロセスの明快な序列化、および模型による修正点の記録は、通常、建築家の頭という「ブラックボックス」のなかで誕生する建築アイディアを、クライアントなどの他者にもわかりやすく共有可能なものとするうえで有効となる。また、この超線形設計プロセス論は、2007年に社会学者の南後由和(1979-)、建築家の柄沢祐輔(1976-)と藤村によって提唱された「批判的工学主義」の建築を実現するための手立てとしてある。1995年以後、建築が法規やコストによってなかば自動的に建設される「工学」的存在になるなか、都市における大規模プロジェクトはゼネコン/組織設計事務所が担う一方で、アートピースのように一品生産にこだわる反工学主義的な建築家は、そうした舞台に参加できない。批判的工学主義は、現代の都市環境において断絶したこの二組の設計主体を架橋するための、第三の態度である。
参考サイト:藤村龍至作品紹介 こちら

関連日記:2023.12.18の日記  アブダクション   こちら





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Last updated  2026.01.04 22:52:09
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