東方見雲録

東方見雲録

2024.03.19
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カテゴリ: 私見
中野木



みんなで校歌を歌ってみようプロジェクト(令和2年5月25日) 
中野木小学校 ホームページ  こちら

高根木戸

高根町明神社 神楽
「高根町神明社の神楽」は、明治6年に地元の若者達が創始した、あるいは明治4年に風早村塚崎(沼南町)の神明社より伝わったという。現在では地元高根の人達で構成される神明社神楽連によって演じられ、現在14座が伝えられています。船橋市の無形民俗文化財に指定。
地元船橋市立高根小学校では体験学習にこの神楽が取り入れられています。
引用サイト: こちら

高根の歴史 郷土資料館  こちら

・・・・260417
地名由来
こちら

木戸そのものは通り口に横棒を2本渡した簡易なものであったが、集落や耕作地を野馬の被害から守ったり、野馬を追い込む「込(こめ)」にも使われた。しかし、いずれも村人の生活や旅人の通行には大切な要衝であった。

 従って、この木戸を中心に木戸口・木戸前・木戸内・木戸場・木戸脇などの地名が名付けられた。現在は住居表示の実施でこうした地名は消えたが、高根台地区に「高根木戸」が新京成電鉄の駅名や近隣公園の名前に、「木戸脇」が幼稚園名として残っているくらいである。
引用サイト: こちら

船橋市周辺には「高根木戸きど」など、「木戸」と名のつく地名が多くあります。これは牧を
通る道の出入り口に設置された木のゲートがあった場所です。野馬が牧の外に出ないよう
に設置されました。
引用サイト:船橋市   こちら


引用サイト: こちら





滝不動
御瀧不動尊



枯れることなく流れ出る竜頭の滝が御瀧不動尊の名の由来で「水行」の場となりました。創建以来600年余り、関東各地から霊験功徳を求め参拝客が絶えません。
この『清水』は今も湧き続け、船橋市内を流れる唯一の川『海老川』の源流として、また、飲み水として、清酒やパン、菓子等、商品にもなって多くの人々に称されています。


こちら
海老川は千葉県船橋市の北部金杉にある御瀧山金蔵寺の行者滝(不動滝)を源とし、市内を貫いて東京湾にそそぐ二級河川です。江戸名所図会や長寿の橋に置かれた案内板などによると、日本武尊東征の時、この川には橋がなかったので、舟を連ねて橋としたことによりこの地の名が船橋となったという伝説が伝わっているそうです。

下野牧二和野馬土手 引用サイト: こちら

野馬土手とは、江戸時代に幕府が設置した放牧場から馬が逃げ出さないよう作られたものです。千葉県北部に広がる下総台地上には、小金牧(5つの牧場の総称)、佐倉牧(7つの牧場の総称)があり、船橋市内には小金牧の一つである「下野牧」がありました。馬の放牧場と言っても、現在の千葉市花見川団地付近から船橋市咲が丘まで、ちょうど船橋市中央部を縦断するように続く、広大なものでした。寛政期(1789~1800年)には、野馬除(のまよけ)土手(※1)は、総延長19,488間(約35.4km)、勢子(せこ)土手(※2)は4,020間(約7.3km)ありました。
 現在、市内に14ヶ所の野馬土手が残っているなかで、勢子土手であった下野牧二和野馬土手は最も保存状態が良好な土手です。安政5年(1858)に刊行された『成田参詣記』(なりたさんけいき)には、下野牧二和野馬土手と考えられる土手に馬を追い込む様子などが描かれており、江戸時代の景観を今なお残す数少ない貴重な史跡となっています。
・・・・

「寺に残されている社伝では、金蔵寺は江戸時代以前は現在の位置にありましたが、江戸時代になると社寺の敷地が江戸幕府直轄の小金牧の範囲になったため住職の居住を村内に移し、明治時代になって、牧馬がなくなったことから元の敷地に戻ったとされています。また、居住を移していた間は、8月のみ入山を許され大祭を続けていたと伝わっています」
とある。


今日のネット散策 原作は「新京成沿線健康ハイキング」





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Last updated  2026.04.17 06:46:01
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