東方見雲録

東方見雲録

2025.01.16
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カテゴリ: 政経
戦後80年 人口減少下の雇用 働き手の力生かす社会に こちら
「現場の仕事」に革新を
 労働問題に詳しい山田久・法政大教授は「AIやロボットへの投資を増やすなどして生産性を高めるとともに、賃金を底上げすべきだ」と訴える。

 既に介護者の負担を軽減するロボットや、重機の遠隔操作といった技術開発は進んでいる。NTTのような情報通信事業者が農業に参入し、気候や生育状況などのデータを分析する技術で作業効率を高める試みも見られる。

 こうした取り組みには、新しい技術を使いこなすスキルを備えた労働者が必要だ。「アドバンスト(高度な)エッセンシャルワーカー」と位置付け、仕事のイメージを刷新して待遇も改善する。効率が上がれば、少ない人数でもサービスの質を維持できる。それが山田教授の提案だ。

 「現場の仕事」を重点分野と位置付け、人材を集める戦略が欠かせない。産業界はそのための技術開発やビジネスモデルの転換を進めるべきだ。公的な職業訓練においては、技術の進化をカリキュラムに反映し、実践的な内容にする取り組みが急がれる。

 長期に及ぶ賃金抑制が消費を低迷させ、人材育成や効率化への投資を怠ったことで競争力が低下した。「人への投資」のあり方を見直し、難局を打開する時だ。

引用サイト: こちら

<社説>戦後80年に考える 民主主義の未来予想図


◆権威主義への傾斜続く
 世界を見回してみると、どこの国も民主主義は試練にさらされています。近年では民主主義国から権威主義国への傾斜が続き、人口では権威主義国に住む人の方が多いのが現実です。

 歴史を振り返れば、日本では大正デモクラシーの後に軍部独裁が台頭しましたし、ドイツでは最も民主的と言われたワイマール憲法の手続きを経てヒトラーのナチス独裁に至りました。

 米国のトランプ次期政権の振る舞いは、民主主義が安泰でないことを予感させます。民主主義と権威主義、独裁は紙一重なのです。

 ナチスと戦った英国の首相チャーチルはこう語っています。

 「これまでも多くの政治形態が試みられてきたし、これからも過ちと悲哀にみちたこの世界で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にもできない。実際、民主主義は最悪の政治形態と言われてきた。その時々に試みられたあらゆる政治形態を除いて、だが」

 民主主義は決して完全ではありません。今を生きる私たちには、100年後の子孫たちに指弾されないよう、少しでも改善し続ける責任があります。民主主義の未来予想図を描く構想力と、実行する決意が問われているのです。

引用サイト:東京新聞   こちら

「失敗の物語」語る経験者がいるうちに
宮崎市に立つ「平和の塔」。皇紀2600年に沸く1940年、「皇軍発祥の地」に「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」として建てられた
 明治新政府が植民地化の危機を乗り切るために作り上げた神話の虚構(ネタ)を国民は積極的に受け入れ、日本は近代化に成功し、列強の仲間入りをした。ところが、昭和になると、虚構は国是を左右するようなベタな存在となり、指導者を縛るようになる。神話物語は敗戦という破滅で終わったから、結末だけ見れば物語は失敗だった。

 しかし、辻田さんは、「欧米の植民地化の危機を免れたという点では、戦前の神話物語には及第点をつけられる。いま必要なのは物語の否定ではなく、失敗を踏まえた新たな物語ではないか」と考えている。



 失敗の物語を語ってくれる経験者がいなくなる前に、新たな物語を上書きできるか。8月15日は過去の戦争だけでなく、未来の平和について考える日でもある。
引用サイト:読売新聞 丸山 淳一   こちら

今年は戦後80年。1945年の「あの日に何があったか」カレンダー的にザックリ概観

 作家の半藤一利氏が唱えた「40年周期」という面白い仮説があります。開国を認めた安政の5カ国条約勅許(1865年)から40年後の日露戦争勝利(1905年)までは上り坂で敗戦までの40年が下り坂。45年から85年あたりまでが高度経済成長を含む再度の上り坂で、バブル経済の発生と崩壊から「失われた○○年」と呼ばれる今日の停滞も今年で40年目です。半藤説にのっとれば今年あたりから「戦後」「現代」を過去とする新たな局面が立ち現れて来るかもしれません。
・・・・
忘れてはならない4つの日


・6月23日 沖縄戦の事実上の終結

 現在の日本国領土で激しい地上戦が行われたのが沖縄と硫黄島です。なかでも沖縄戦は4月1日に米軍が本当へ上陸して以降、壮絶な戦いが展開されて日米軍(軍属を含む)だけで約10万人が戦死し、ほぼ同数の沖縄県民も命を落としました。沖縄県が「慰霊の日」と定めている日でもあるのです。

・8月6日 広島への原爆投下

・8月9日 長崎への原爆投下

 広島は推定約16万人前後、長崎で7万人以上が命を落としました。「ヒバクシャ」は21年発効の核兵器禁止条約前文に「もたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と明記され、その全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が昨年のノーベル平和賞を受賞したのは記憶に新しいところ。

・8月15日 終戦の日

 前日の14日に降伏を求めるポツダム宣言を昭和天皇の決断で受諾し、その旨を記した「終戦詔書」を天皇自身が朗読した録音をラジオなどで国民へ伝えた日です。詳しくは「ポツダム宣言受諾を日本国民が広く知った日」となります。毎年、武道館で「全国戦没者追悼式」が天皇皇后両陛下臨席のもとで開かれています。

 今年はおそらく15日か前日に閣議決定された「戦後80年談話」が、その時点での首相によって語られて文言が注目されそうです。また閣僚などが靖国神社に参拝したら例年以上のニュース価値を帯びましょう。

 国際法上の休戦ないしは停戦の確定は9月2日の降伏文書調印が一般的で連合国側の対日戦勝記念日は同日か翌日です。植民地支配されていた韓国と北朝鮮は8月15日を光復節 (韓国)などと呼ぶ祝日としています。

東京大空襲と硫黄島の戦い、ソ連参戦
・3月10日 東京大空襲

 「焼き尽くす」を目的とした焼夷弾の猛攻を受けて2時間弱の空爆で10万人以上の死者・行方不明者を出した悲劇的な出来事でした。

・3月26日 硫黄島の戦い終結

 2月18日の米軍上陸から守備隊が頑強に抵抗し、日本軍の戦死者2万余。米兵も約7000人が戦死する激闘。

・8月9日 ソ連の対日参戦

 日ソは中立条約を結んでいて日本の指導部の一部にはソ連の仲介による和平を模索する動きさえあったのです。ただソ連は2月のヤルタ会談で条約破棄≒対日参戦を米英首脳と密約していました。

 同日、ソ連は国境を接する日本のかいらい政権「満州国」へと侵攻して当地を席巻。千島列島にも18日以降に攻め寄せて現在の北方領土を占領したのです。多くの日本人がシベリアに抑留されたり、引揚げの混乱から多数の中国残留孤児を生みました。

影響を及ぼした主な国際情勢
・2月4日 ヤルタ会談開催

 日本において特に重要なのは前述の通り、この会談でソ連の対日参戦が密約された件となります。

・4月12日 フランクリン・ルーズベルト米大統領死去

 1933年から異例の4期目を務めていたアメリカの最高指導者。日米開戦時の大統領で原爆を開発したマンハッタン計画を進めた人物でもあります。

 彼の病気と死去は連合国を構成する主要国のバランスに微妙な影響を与えたようです。先の「ヤルタの密約」は退勢覆いがたい日本にソ連をわざわざ引き込むもので背景に大統領の体調不良があったとみる学者もいます。

 死後トルーマン副大統領が昇格するも準備不足は否めず、ポツダム会議や原爆投下決定にどの程度関与し得たのか今でも重要な研究テーマです。

・5月8日 ドイツ降伏

 4月30日にアドルフ・ヒトラー独総統が自殺。後継政府によって降伏文書が調印されました。実質的に日本の唯一の味方(日独同盟)が去って連合国軍の標的はほぼ日本のみへと集中するようになるのです。

・7月26日 ポツダム宣言発表

 日本の降伏を要求する内容で上記のように、これを受諾して日本は終戦します。連合国軍による占領や戦争犯罪人の処罰なども規定され、実行されたのです。

列島をくまなく包んだ「空襲」の日々
 ここでは東京大空襲以降、大きな損害(推定死者1000人以上)を受けた空襲を記しておきます。実際には列島をくまなく包んでおり、おおよそ2・3日に1日「空から爆弾が降ってくる」日々でした。

 まず複数の被害を受けた大都市。東京は大空襲以降も4月13日、5月25日。大阪は3月13日、6月1日と7日および7月10日、神戸も3月17日、5月11日、6月5日。他に名古屋が3月24日と6月9日に大きな被害をこうむりました。

 他の都市における推定死者1000人以上の空襲は時系列で以下の通り。

5月29日 横浜・川崎

6月17日 鹿児島

  18日 浜松(静岡)

  19日 静岡

  29日 岡山・佐世保(長崎)

7月1日 呉(広島)

  4日 高松

  6日 甲府

  7日 千葉

  9日 和歌山

  10日 堺(大阪)・仙台

  19日 福井

  24日 津(三重)

8月1日 長岡(新潟)

  2日 富山

  7日 豊川(愛知)

  8日 八幡(福岡)

8月15日以降
 終戦の日以降の主な出来事は次の通りです。

・8月30日 ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官(SCAP)が神奈川県厚木飛行場に到着。

・9月2日 降伏文書に調印

・  27日 昭和天皇がマッカーサー司令官を訪問し1回目の会見を行う

29日に各新聞が、この時の両者の写真を掲載して話題となったのは有名な話です。

・10月11日 「リンゴの唄」が評判に

 戦後企画映画第1作「そよ風」が封切られました。主演の並木路子が歌った主題歌の「リンゴの唄」が評判となって翌46年1月にレコードが発売されると大流行したのです。

・12月17日 女性参政権付与

衆議院議員選挙法が改正されて女性参政権が初めて認められました。これまでの「男性25歳以上」から選挙権が「男女20歳以上」へと変わります。翌18日に衆議院が解散され、翌46年4月10日が投票日でした。

引用サイト:坂東太郎   こちら

【戦後80年】日本はなぜ戦争に? 引き返せなかった理由に「情報戦」「空気」「メディア」 いまを、戦前にさせないために  日テレ   こちら

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Last updated  2025.01.19 22:47:01コメント(0) | コメントを書く


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