東方見雲録

東方見雲録

2025.01.28
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カテゴリ: ものづくり
2004.01.28の日記  ​ こちら

ネット散策:東京うど

引用サイト: こちら
日本原産の野菜
うどはウコギ科(朝鮮人参やたらの芽と同じ仲間)の植物で、数少ない日本原産(やまいも、セリ、にら、ふき、わらび、みずな、じゅんさい、みつば、つるな、ゆり、はまぼうふう)の野菜で、ビタミンB1、B2、アスパラギン酸、アミノ酸等を含む、低カロリーで繊維質が多く、昔から痛風に効くとされ、利尿作用や血行促進、便秘改善等の薬としても用いられています。

歴史
うど栽培の発祥は京都付近と推定され、平安京の貴族たちに珍重されたといわれています。その後愛知から三重方面に広がりました。「東京うど」は江戸時代(1600年代)以降から栽培が始まり、初ガツオなどのように初物を楽しむ江戸っ子の粋な楽しみの一つでした。

立川でうどの生産が始まったのは、養蚕が衰退した昭和20年代からで、本格的に生産が始まったのは昭和30年代に入ってからです。収益性が高く、冬場の農閑期の貴重な収入源として栽培が盛んになりました。武蔵野、小平、国分寺を経て立川に栽培技術が伝わりました。武蔵野で行われていた室(むろ)での栽培は、立川の地質(崩れにくい関東ローム層や温度、湿度保持)が適していたため、立川が一番盛んになりました。

昭和40年代から栃木などの高原に根株の栽培を委託し、連作障害が出やすいうどの優良根株の確保と早出し生産に努めるようになりました。



ウドは数少ないわが国原産の野菜の一つで、古代から自生のものが利用されていました。

 五日市街道に面していたので、江戸との交流も多く、野菜や薪の供給地でもありました。(吉祥寺ウド)
 また、井草八幡宮を中心とする地域は、武州多摩郡遅野井村として古くより開けました。この地で栽培されたのは江戸時代後期で、記録によれば文政年間(1818〜30)旧武州多摩郡上井草村寺分(現在の杉並区西荻北)の古谷岩右衛門が尾張(現愛知県)で栽培法を習い、試した結果、立派なウドができたので付近一帯に広まっていきました。
 江戸時代に入ってからは、青梅街道を通じて野菜の生産や薪で生計をたてる農村として発展しました。(井萩ウド)
 昭和23年(1948)から、高橋米太郎氏が横穴を掘って穴蔵でのうど軟化法の研究に本腰を入れて取り組みました。昭和26年(1951)の1月になって、軟化うど560キログラムをいままでより一ヶ月も早く市場に出荷しました。高橋氏の出荷した軟化うどは全く土がついておらずまっすぐに育っていて、そのできばえの良さに卸売りの業者たちは高い評価を与えたといいます。
 高橋の考案したうど軟化法は北多摩地域に広まり、昭和30年(1955)に実用新案を申請し、昭和35年(1960)に「軟白野菜促成穴蔵」として認可を受けました。
 この軟化法は他の産地にない独特のもので、軟化うどは日本料理向けの高級食材として受け入れられました。
 なお、武蔵野市境の玉川上水には昭和40年(1965)に"うど橋"がかかり、橋の南側たもとには、うど記念碑が建てられています。

引用サイト: こちら





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Last updated  2025.01.29 13:42:07コメント(0) | コメントを書く


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