東方見雲録

東方見雲録

2025.05.28
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カテゴリ: ものづくり
ちょっと寄り道:鳥取藩も六尾反射炉を1857年に完成  こちら

六尾の反射炉は従来鋳造されていた青銅砲の材料が不足したために、鋳鉄製の大砲を造る目的で建設された。反射炉とは、高炉やたたらで造られた銑鉄を再溶解するための溶解炉である。 郷士を任ぜられた瀬戸部落の大庄屋、武信佐五右衛門は息子の久二郎に武信潤太郎を伴わせて諸国を歴遊させ砲術を学ばせ、1857年(安政4)4月着工し、同年9月には2基が完成し稼動を始めた。ここで生産された砲は、1857年9月から1861年(文久元)までに藩内で32門、他藩からの注文を併せて45門から50門あったと推定される。 六尾反射炉は数々の名砲を生み、当時の日本国土警備のために計り知れない活躍をしたが、攘夷思潮の退潮現象と共にその短い役割を終えた。 現在は、反射炉北側の土塁が残るのみである。
引用サイト: こちら

六尾反射炉跡-むつおはんしゃろあと-
所在地 : 北栄町六尾
(JR山陰本線「ゆら」駅から南東へ徒歩15分) 
 六尾反射炉は安政4年(1857年)に建設されました。当時、鳥取藩は財政に窮乏していたため、資金面は武信佐五右衛門が、技術面は武信潤太郎が支えるという形で築造されました。
 50門以上製造された大砲のうち、由良台場には4門が配備されましたが実戦に使われることなく、明治3年(1870年)以降に取り壊されました。その際、反射炉作業場用材の一部が移築され『浜本家住宅(北栄町弓原)』の柱、梁などに姿を変えて現在も生き続けています。
 また『青山剛昌ふるさと館(旧:大栄歴史文化学習館)』外観のモチーフに、その面影も偲ぶこともできます。
引用サイト: こちら


引用サイト: こちら

関連日記:2025.05.26の日記 こちら





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Last updated  2025.05.28 07:00:14コメント(0) | コメントを書く


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