東方見雲録

東方見雲録

2025.12.12
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1949年5月1日
意匠図案説明  重文・旧加賀屋敷御守殿門(東京大学赤門)、イチョウの葉を描く
開設場所    〒113-8799 東京都文京区本郷6-1-15
引用サイト: こちら




重文・旧加賀屋敷御守殿門(東京大学赤門)
加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた際に建立された御守殿門。現在は、本郷通りに面した東京大学の本郷キャンパスの門として保存されています。









江戸時代、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える場合、その娘、さらに居住する奥御殿を「御守殿」(ごしゅでん)、または御住居(おすまい)と称し、表門が黒門であるのに対し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んでいました。

加賀藩前田家上屋敷の御守殿門は各藩の藩邸があった東京に現存する唯一の門で、赤門と通称されています。
東京大学の本郷キャンパスの地は、もともと加賀藩江戸上屋敷で、3代将軍・徳川家光、そして隠居した大御所・徳川秀忠の御成(訪問)に備えて加賀藩が築いた御成御殿と庭園「育徳園」がありましたが、「育徳園」の心字池が、現存する三四郎池(夏目漱石の名作『三四郎』の舞台)です。
引用サイト:東京とりっぷ   こちら


赤門加賀藩屋敷旧建築、赤門(旧加賀藩屋敷御守殿門)
文政10(1827)年建立

赤門の呼名で広く一般に知られているこの門は、元加賀藩上屋敷の御住居表御門であった。明治36年現在の位置へ移されたが、元は15メートルほどキャンパス寄りに位置していた。明治30年頃から始まる医科大学の建設のためであったという。文政10(1827)徳川第11代将軍家斉の第21女溶姫は、加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れした。赤門はこの時溶姫を迎えるため建てられたものである。江戸時代における諸侯邸宅門の非常に優れた遺例として、昭和6年国宝に指定されている(現在は重要文化財)。中央は中心の柱から屋根が少しずれる薬医門の型式で、切妻造、本瓦葺となっている。その左右に唐破風造本瓦葺の番所を置いている。このような例はあまり多くない。さらに海鼠塀本瓦葦の繋塀が、左右に配されて、加賀百万石にいかにもふさわしい豪華な構造と構成を誇っている。しかも、赤門の名が象徴するように、鮮麗な朱漆が若く華やかな溶姫のイメージを見るものに呼び起こすのである。

(東京大学総合研究資料館 東京大学本郷キャンパスの百年)より
引用サイト:東京大学   こちら

関連サイト:東京大学の宝物 こちら

ちょっと道草:強力 植木屋さん

二代広重『東都三十六景 本郷通り』
引用サイト: こちら



染井之植木屋(そめいのうえきや)  東京誌料 820-C1
 豊島区の巣鴨から駒込あたりにあった染井村は、植木屋が多く住んでいた土地です。「染井吉野」という桜は染井村で生まれたことから名前がつけられたといわれています。
引用サイト: こちら

こちら





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Last updated  2025.12.21 22:03:33
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