東方見雲録

東方見雲録

2026.01.21
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カテゴリ: 政経
「あぁ、障害者の人びともがんばって生きているね」と目に見えることが重要である。このとき、非生産貢献者である障害者と生産貢献者である一般の人びとは別の価値次元で生きているということを当然と認めなければならない。商売ベースで一定の質のサービスを提供しているとは言えないけれど、楽しそうにやっている、よい人生を歩んでいるということをよしとする鷹揚さである。生産性という同じ次元で競争しないからこそ、異質な存在であることが当然であるからこそ、相手を認めることができる。

しかし、生産性の次元で競争を強いられ、疲弊した人びとが多ければ、鷹揚な心などあり得ない。実際には、生産貢献者の一員であるが、競争社会のなかで傷ついている人びとがたくさんいる。賃金や労働環境面での待遇がよくない非正規労働者、就職や職場で差別される女性、ノルマや過重労働に押しつぶされそうなサラリーマン、等々。彼らの「必要」こそ、その存在を明らかにし、社会が応じなければならない。彼らにそこそこの充実があること、すなわち不当な待遇、不当な差別、不当な権力的押しつけは少なく、働いてそれをフェアに評価されているという実感が得られることが重要である。そのうえではじめて、非生産貢献者の生を、競争社会とは別次元に生きる人間として、尊重できるようになる。
・・・・
われわれは、GDPが大きいという意味では豊かな社会に生きているはずである。にもかかわらず、幸福で充実しているとは言えない。それは多くの人が「必要」を抱えながら、それが満たされず、表明することすらなく生きなければならないからではないか。

貧しい人や非生産貢献者たちは「生産=価値」基準で下位に位置づけられ、最低限の衣食住のために生産貢献者たちに「お願い」しなければならない。最低限の物資をもらうだけで精一杯であり、自由・対等でありたい、尊重される立場でありたいなどと言いだすこともできない。

一方、生産貢献者たちは「生産=価値」基準で激しい競争にさらされ、劣等者ではないと言うために努力をする。ほんとうは雇用・所得の安定、リスクに対する保障、公正な評価が欲しい。だがその「必要」が満たされるような社会の仕組みをめざそうとするよりも、周りに劣等者を見つけて自分が劣等者でないことを証明することに躍起になる。貧しい人を、非生産貢献者を、劣等者としてけなし続ける。ほんとうの「必要」など、言いだす余地もない。

なぜこうなってしまったのか?それは、「生産=価値」にどっぷり浸かり、さまざまな問題も経済が成長すれば解決できると安易に考え、人びとが抱える「必要」に正面から向き合って来なかったからだろう。経済成長を目標とするのも、「必要」に向き合わないのも、経済学的な思考法の特徴である。本書は、経済学が避けてきた「必要」概念を正面に据え、その切実な声を聴くことを通じて、真に豊かな社会をめざす。
引用サイト:経済学がずっと避けてきた「大問題」   こちら


引用サイト:なぜ〝鷹〟なのか?   こちら





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Last updated  2026.01.21 08:00:06
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