東方見雲録

東方見雲録

2026.01.23
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カテゴリ: ランドスケープ



意匠図案説明   入谷鬼子母神、アサガオを描く
開設場所     〒110-0013 東京都台東区入谷1-17-2
引用サイト: こちら

入谷鬼子母神



法華経の守護神であり、安産と子育ての神様でもある鬼子母神も祀っています。

そのご利益(ご神徳)は、安産・子授け・子育て・病気平癒などです。

入谷鬼子母神では、子育ての善神になった事から「鬼」の字の1画目の点を外したツノのない文字を使っています。
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ちなみに、鬼子母神を祀る法華経のお寺のなかでも、入谷の真源寺・中山の正中山法華経寺(千葉県)・雑司ケ谷鬼子母神堂(東京・豊島区)は江戸三大鬼子母神と言われています。

俗に「恐れ入谷の鬼子母神」と言われていますが、その由来は医者にも見放された腫れものに困っていた女中によるもの。

腫れものをどうにかしてほしい一心でお参り(願掛け)をおこなったところ、帰り道につまずき、腫れ物の口が破れて膿が出て完治。

その出来事を江戸の中期に活躍した狂歌師・太田蜀山人が聞き、そのご利益に恐れ入ったとして「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉(地名の入谷と鬼子母神をかけた)で言ったのが始まりです。
引用サイト: こちら

ちょっと道草:鬼子母神 こちら
鬼子母神は夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下である八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であった。これら大勢の子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていたことから、多くの人間から恐れられていた。

それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(Piṅgala,氷竭羅天、嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。

そこで釈迦は「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き、悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか」と諭し、鬼子母神が教えを請うと「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい。そうすれば、すぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。

そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護ともされる。
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また、法華経において鬼子母神は十羅刹女と共に法華信仰者の擁護と、法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、2者に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。

ちょっと道草:狂歌師・太田蜀山人



大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日〈1749年4月19日〉- 文政6年4月6日〈1823年5月16日〉は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。
勘定所に勤務し支配勘定に昇進した幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を得た。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる。南畝を中心にした狂歌師グループは、山手連(四方側)と称された。

関連日記:2025.02.08の日記  鬼子母神堂   こちら

アサガオ 朝顔市

引用サイト: こちら





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Last updated  2026.01.23 00:00:10
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