東方見雲録

東方見雲録

2026.01.27
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カテゴリ: 郷土
「物申す石破茂」が帰ってきた。昨年10月に約1年の首相在任を終えた直後から各種メディアに出演。縦横無尽に持論をぶつ姿は首相就任前と変わらない。共同通信のインタビューでも、高市政権の政策に「間違っている」「あっていいと思わない」と注文を付けた。自民党内には「おとなしくしていればいいのに」と眉をひそめる人もいる。退任直後の元最高権力者は、後継政権に不満があっても「黙して語らず」が永田町の見識とされているからだ。

 なぜ石破は批判されても、嫌われても「黙らない」のか。「あの戦争を二度と繰り返さない」。政治家人生を貫く、このぶれない信念が背景にありそうだ。(敬称略、共同通信=渡辺学)
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戦後80年に合わせ「内閣総理大臣所感」を発表する石破首相(当時)=2025年10月10日、首相官邸(47NEWS)

時代が平成から令和に流れる中で容赦なく世代交代は進み、田中の言う「あの戦争に行ったやつ」は政治の中枢から遠ざかった。石破は「平成という時代は何だったのか」というテーマで講演すると「世の中心から多くの戦前生まれの方がリタイアした。戦後が終わった」と総括する。戦争の記憶と体験の継承は、永田町の課題でもある。

▽「反軍演説」の教訓

 議会、メディアが軍部に物申さず、戦争に突入した過ちを繰り返してはならない。石破のその思いの強さは、戦後80年に当たり、首相退任直前に発表した「内閣総理大臣所感」の、いわゆる「反軍演説」の引用に色濃くにじんだ。1940年2月の帝国議会で斎藤隆夫衆院議員が日中戦争を「聖戦の美名に隠れて国民的犠牲を閑却(なおざりに)し…」と糾弾した演説だ。

 当時の軍部は「聖戦の目的を冒涜するものだ」と激しく反発。小山松寿衆院議長が職権で議事録の大部分を削除した。結局、斎藤は賛成296票、反対7票で衆院を除名される。太平洋戦争前夜、当時の議会は軍部への統制を失っていた。削除された議事録は今も復元されていない。

長年、演説の議事録復活を求めている立民の長妻昭は「斎藤は決してリベラル派だったわけではない。リアリストだった」と指摘する。問題は地に足着けた批判さえ許さないという、当時の空気だろう。



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 「もし1941年12月8日に世論調査があったら、日米開戦を支持する世論は95%には届いただろう。米国との戦争はやめろ、と言うのは非国民だった」。独り言のようにつぶやくと、そのまま虚空を見つめた。

 自民にいながら野党のように振る舞い、時の政権に物申してきた。高市政権への直言もこの流れに沿うものだ。一時は離党をも経験した石破は「永田町のはぐれ者」と言っていいかもしれない。よく耳にする人物評は「後ろから鉄砲を撃つ」「裏切り者」だ。

 昨年12月のCS番組でこの点を問われた石破は「そういうのが嫌だからみんな黙っちゃう。そうすると、何も意見を言わない政党っていうのは一体何なのかね。『これ、おかしいよね』ということをおかしいと言わないままだと、本当に恐ろしい世の中になる」と返した。自身の内に根付く普遍的な考えが垣間見えた瞬間だった。

引用サイト: こちら

関連日記:2025.10.10の日記 戦後80年メッセージ   こちら
関連日記:2025.10.03の日記 日中戦争巡る「反軍演説」   こちら





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Last updated  2026.01.27 07:00:07
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