東方見雲録

東方見雲録

2026.02.03
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日 1990年4月28日
意匠図案説明 斉藤茂吉の歌碑を描く
開設場所 〒111-0041 東京都台東区元浅草1-5-2
引用サイト: こちら

斉藤茂吉の歌碑
 「浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光の如や 茂吉」



(説明板)
「斎藤茂吉の歌碑  台東区三筋二丁目十六番四号
  浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの
          如や過ぎゆく光の如や 茂吉

 山形県に生れ、明治二十九年、十五歳のときに上京、浅草区東三筋町五十四番地、養父斉藤紀一方に寄寓し、開成中学・一高・東京大学医学部を経て、長崎医学専門学校教授となり、更に文部省在外研究員として欧州に研鑚し、その後、青山脳病院長となり、作歌の傍ら、研究・評論・随筆など独自の業績をあげ、その著「柿本人麿」にて学士院賞を、次いで昭和二十六年文化勲章を授与され、昭和二十八年二月二十五日、七十年九か月の生涯を終えた。
 因みにこの三筋町は、茂吉が、第二の故郷として、夢多き少年時代を過し、生涯懐しんだところで、短歌は、長崎在住のときに当時を回想し、詠んだものである。
  平成三十年三月  台東区教育委員会」

関連サイト:斎藤茂吉 歌碑|一覧 こちら

関連サイト:齋藤茂吉鴨山記念館 こちら



三筋
地名の由来
古くは鳥越神社の境内で、江戸期から付近の御徒町などに似た同心の組屋敷が密集して立ち並び、書院番組屋敷と大番徒組屋敷が置かれていた。屋敷の間に3条の道が縫うように通っていたことから、当時から「3本」の「筋(道)」ということで「浅草三筋組屋敷」と呼ばれる俗称があった。
・・・・
歌人斎藤茂吉の義父である斎藤紀一の病院(浅草医院)と住居が東三筋町五十四番地(現在の三筋1丁目付近)にあり、茂吉自身も養子に入ってから22歳で青山脳病院に勤務するまでの学生時代を三筋の地で暮らし、後に「三筋町界隈」と題したエッセイを記した。また、三筋2丁目にある台東区立三筋保育園庭に茂吉の歌碑が残る。
引用サイト:Wikipedia情報   こちら

鴨山
かの万葉の歌人、柿本人麻呂終焉の地といわれる鴨山がある美郷町。それを断言した齋藤茂吉博士の研究の成果を讃えるべく、鴨山の麓、湯抱に記念館が建てられました。研究資料やたくさんの和歌が所蔵されています。

万葉の歌人、柿本人麻呂はその残した句から「鴨山」という場所で亡くなったと言われています。
自身も歌人で精神学博士の齋藤茂吉はそういった手がかりから鴨山がどこかを探し歩きました。その結果ここ美郷町の湯抱地域にある「鴨山」がまさにその終焉の地ではないかと研究結果を遺しました。
それを記念して建てられたのがこの齋藤茂吉鴨山記念館です。記念館の奥には鴨山公園もあり、そこから実際の鴨山の姿も望めます。付近には11もの歌碑が建立されました。
引用サイト: こちら

柿本人麻呂終焉の地について こちら











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Last updated  2026.02.03 00:00:11
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