東方見雲録

東方見雲録

2026.04.05
XML
カテゴリ: 文化
「世間師」の役割

宮本常一の民俗学で特徴的な言葉に「世間」がある。

世間は一般的に、「世間様」「世間の風」というように共同体の外側にある社会、あるいは人びとの行動を制約する無形の規範のこととしても理解される。人が生活し、構成する「人の世」、人びととの交わり、「世の中」、「世界」を指す言葉になった。そこから「世間」は「世間体」という言葉で表わされる「しがらみ」のもととなる境域として使われることが一般的になる。

しかし、宮本が「世間」という言葉を使う場合、そのような意味とは異なり、独自の意味をこめる。
共同体の共同性のしがらみといった否定的、消極的な意味だけではなく、「世間」を肯定的、積極的に用いている。

「世間師」は共同体の外側にあり、多様な価値で成立している「世間」を渡り歩く存在だ。共同体の外側にある価値、文化や産業や生活といったものを見て歩き、そうした価値を自らの共同体に刺激として持ち帰る。共同体の漸進的な発展は、世間師によってもたらされてきたのである。
・・・・
『忘れられた日本人』の「世間師(二)」で描かれる河内国高向村滝畑(現・大阪府河内長野市滝畑)に住んでいた左近熊太翁は、そんな世間師のひとりだった。

翁が住む滝畑は地租改正のとき野山が官有林になっていた。翁は字をならい、そのため法律がわかり、官有林の払い下げの際に役立った。翁は村外からのさまざまな新しい刺激に対し、その渉外方を引きうけた。



しかし世間を見てきた知識は、共同体がそれを最も必要とするころには、翁は老いて村人の第一線に立てなくなっていた。「わしも一生何をしたことやらわかりまへん」。また翁が財をなさなかったように村もまた富みはしなかった。

熊太翁の一生を顧みると、時代に対する敏感なものをもち、世の動きに対応して生きようと努力した。それとともにこのような時代対応や努力は翁だけでなく、村人にも見られた。それにもかかわらず、その努力の大半が埋没しているのである。

宮本によると、明治時代から大正、昭和の前半にいたるまで、どの村にもこのような世間師が少なからずいた。そして、政府や学校の指導によってではなく、世間師が村を新しくしていくためのささやかな方向づけをした。つまり世間師の営為によって、村は世の中の動きについていけたともいえる。
・・・・
宮本が描き出す世間師像から見えてくるのは、「世間」が複数性をおびた領域だということである。「世間師」が映し出すのは、共同体を出て見聞を広め、「世間」の知識を共同体にもたらすこと、「公共性」への道を開くことだった。

いっぽうで「世間師」は共同体にただちに発展、進歩をもたらすとはかぎらない。宮本民俗学、また日本の民俗社会における共同体から公共性への架橋については、最も重要な問題のひとつなのである。



引用サイト: ​こちら

関連サイト:出雲弁 こちら
【しょけん】
共通語  世間
用例    しょけんの口ねは戸がたたん

採取者  奥野[平田]

関連サイト:「世間師」を育てる  連合   こちら

関連サイト:「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー こちら

関連日記:2023.12.14の日記 まちづくり  
こちら
関連日記:2026.01.18の日記 流域文化交流活動   こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.04.05 08:00:06
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: