東方見雲録

東方見雲録

2026.04.17
XML
カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日  2010年10月1日
意匠図案説明
更改前の風景印には「東京」が含まれていなかったため、劣化による更改に併せて、「東京」を冠した風景印を新たに配備します。
開設場所   〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町10-10
引用サイト: こちら

関連日記:2026.04.10の日記 大伝馬町 小伝馬町   こちら

日本橋小伝馬町
奥州街道の表通りの商業地として栄えた日本橋大伝馬町に対して、江戸の中心地でありながら複数の社寺や牢屋が設置された裏通り特有の街並みを形成したのが日本橋小伝馬町である。現代のような発展を見せたのは、奥州街道のバイパス道路にあたる江戸通り(旧本町通り)の開通や地下鉄日比谷線の開業によりもたらされた。
・・・・
江戸時代には旅人宿の多い賑わった町で、繊維問屋や金物問屋も多く連なっていた。かつては江戸幕府が設置した牢屋敷、伝馬町牢屋敷があった所として知られる。

名主・宮辺又四郎が伝馬役を司ったことに由来する。
引用サイト: こちら


十思スクエア(じっしスクエア)は、東京都中央区日本橋小伝馬町にある、中央区の公共複合施設(地元還元施設)である。1928年(昭和3年)に竣工した旧中央区立十思小学校の校舎を再利用している。東京都選定歴史的建造物の一つ。
・・・・
小学校の体育館を取り壊した跡地には「十思スクエア別館」が、校舎のデザインと符合するように新たに建てられ、銭湯「十思湯」や伝馬町牢屋敷展示館などが入っている。

当地は江戸時代に牢獄「伝馬町牢屋敷」があり、幕末には吉田松陰が処刑されたところで、隣接する十思公園には、その由来を記す石碑が立っている。
引用サイト: こちら

関連日記:2025.06.24の日記 モダン・ムーブメントの建築   こちら
関連日記:2026.04.11の日記 吉田松陰終焉の地碑   こちら



伝馬

図版:広重『東海道五十三次之内 庄野 人馬宿継之図』

「宿駅」とはもともと街道沿いの集落で、旅人を泊めたり、荷物を運ぶための人や馬を集めておいた宿場のことです。また「伝馬」とは、幕府の公用をこなすために宿駅で馬を乗り継ぐ、その馬のことをいいます。

伝馬制は古代律令制や戦国大名などによっても採用されていましたが、徳川家康によって本格的に整備されたものです。徳川家康は関ヶ原の戦い(1600年)に勝つと、全国の街道の整備を始めますが、その皮切りとして慶長6年(1601)に東海道に宿駅伝馬制度をしいています。
これにより、各宿場では、伝馬朱印状を持つ公用の書状や荷物を次の宿場まで届けるために必要な人馬を用意しておかなければなりませんでした。伝馬は当初36疋と定められていましたが、その後交通量が増えるとともに100疋に増えています。
こうした人馬を負担するのは宿場の役目でしたが、その代わりに、宿場の人々は屋敷地に課税される年貢が免除されたり、旅人の宿泊や荷物を運んで収入を得ることができるという特典がありました。
引用サイト: こちら


関連サイト:伝馬役と助郷役の違い こちら

馬込勘解由 こちら
馬込勘解由(まごめかげゆ)は、日本橋大伝馬町二丁目で代々伝馬役・名主役を務めた馬込家当主が代々名乗った名前。草創名主の中でも筆頭的存在であった。

駒込
関連日記:2025.12.15の日記 本駒込   こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.04.17 00:00:08
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: