東方見雲録

東方見雲録

2026.04.23
XML
カテゴリ: 土木


西ヶ原一里塚は、江戸時代に将軍が日光東照宮に往来する際の専用街道「日光御成道」の2番目の一里塚として築かれました。

 大正時代、東京市電(現在の都電)の延長工事にともない、いったんは撤去されることになったものの、当時の東京市長、滝野川町長、さらに近隣の飛鳥山に居を構えていた実業家 渋沢栄一らの尽力により、一里塚を避けた軌道が採用されました。現在も、道路のど真ん中の一里塚を避けるように上下線が分かれる線形です。
・・・・
史跡保護で「歩道を曲げた」

 志村一里塚は中山道で本郷森川宿、板橋平尾宿に続く3番目の一里塚で、中山道を挟むように対になって設置されました。

 明治期には多くの一里塚が消滅していきますが、志村一里塚は1923年から行われた中山道の拡幅工事の際、土砂の流出から一里塚を守るため、周囲に石積みによる補強工事が行われています。

 またその後、中山道が対になった一里塚の間ギリギリまで、上下5車線へと拡幅された際も、上り線側の歩道を一里塚の裏側へ迂回するように付け替え、一里塚本体を守っています。
・・・・


 この発見は関連学会だけでなく、沖縄県民の間で広く話題となり、保存を求める声が高まりました。こうした県民の要望を受け、沖縄県および沖縄開発庁(当時)は遺跡保存のため、ルートを海側に大きく迂回するルートへと変更しました。
・・・・
静岡県沼津市では1978年、沼津駅の北約2kmの市街地から東日本最古級の大規模前方後円墳「高尾山古墳」が発見されました。

 この場所は発見以前に都市計画道路予定地として指定されており、沼津駅から国道1号、同246号、そして東名・新東名・伊豆縦貫道を結ぶ線上にあることから、沼津市は2015年に道路建設を優先し、古墳を取り壊す方針を決定しました。

 しかし川勝平太静岡県知事(当時)が道路建設と古墳保存の両立を求め、市は方針を転換。遺跡の保存と道路整備の両立が模索され、最終的に、トンネルと橋で古墳を避ける線形に変更されました。同古墳はその後の2024年10月、国史跡に指定されています。

 この沼津南一色線は、15年の歳月を経て2025年7月に着工、まず橋を暫定2車線で開通させ、その後にトンネルを供用して4車線化する計画です。

画像引用: こちら


画像引用: こちら
・・・・
埼玉県北本市では、2023年の市長選挙において、土地区画整理事業地内で発見された「デーノタメ遺跡」の保存のあり方が大きな争点となりました。

 立候補した現職は「都市計画道路を迂回させて遺跡を保存し、国指定史跡化を図る」と表明。新人候補はこれに対し区画整理を急ぐよう主張しましたが、現職がダブルスコアでの圧勝となりました。



そしてデーノタメ遺跡もまた2024年10月に国史跡へ指定され、それに伴い2025年8月に都市計画変更がなされました。

画像引用: こちら

動画:国指定史跡 デーノタメ遺跡   こちら


引用サイト: こちら

関連日記:2022.02.05の日記 造園家・折下吉延   こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.04.23 07:00:08
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: