東方見雲録

東方見雲録

2026.04.30
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カテゴリ: 郷土


近代化に寄与
 たたら製鉄に不可欠な二大材料は砂鉄と木炭だ。木炭となる豊かな森林が広がり、良質な砂鉄が取れた奥日野では江戸~大正期まで操業が続き、国内で重要な一大鉄産地に。とりわけ鉄の需要が増した明治期には日本の近代化に寄与した。

 砂鉄は一度の操業に約15トンが必要とされ、花こう岩の山肌などを崩して土砂を水路に流し、比重の差で選鉱する「かんな流し」と呼ばれる方法で採取。わずかな割合しか含まれていない砂鉄を得るため、長年にわたり、かんな流しで膨大な量の土砂を日野川へ流し続けた。

 やがて下流に堆積していった土砂が弓浜半島や米子平野の形成に大きく影響したことから、奥日野のたたら操業がいかに大規模であったかがうかがい知れる。

繰り返し移動
 木炭も砂鉄とほぼ同量を要し、たたら場付近の樹木を伐採して原料とした。周辺を伐採し尽くした場合、遠方(約12キロ以上)から調達すると輸送費で採算が合わないため、たたら場ごと転々と移動を繰り返していたのが奥日野の特徴だった。元の山林は約30年で樹木が再生するため、かつてのたたら場に戻っての循環型操業も可能だった。

 たたらの生産や販売を一貫して手がけたのは「鉄山師(てつざんし)」と呼ばれた経営者たち。奥出雲では、松江藩の方針で田部家、絲原家、櫻井家に代表される“御三家”など特定の鉄山師のみを保護して新規参入を認めなかった。

 それに対して奥日野は自由に開業が可能だったため、ピーク時には約30もの鉄山師が競合し、手腕を発揮した。このため、特定の地で長期操業していた奥出雲と比較してたたら場の遺構が多く、日野郡内ではこれまでに500カ所以上が確認されている。
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Last updated  2026.04.30 15:55:59
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