東方見雲録

東方見雲録

2026.05.03
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日    1982年1月14日
意匠図案説明   区立鍋島公園、松濤美術館を描く
開設場所     〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-29-24
引用サイト: こちら

区立鍋島公園

幕末まで紀州藩徳川家下屋敷は存続しましたが、明治維新で大転換が。
その土地に目をつけたのは新政府側の佐賀藩です。

佐賀藩第11代(最後の)藩主・鍋島直大(なべしまなおひろ)は、進取の気性に富んだ佐賀藩の藩主らしく、藩の殖産としてパリ万博(1867年)に有田焼を出展するなど、殖産興業にも務めていました。

幕末の戊辰戦争では政府軍として活躍。明治新政府の誕生後は軍制改革と海軍創設の急務を説き、明治4年に岩倉使節団としてアメリカに留学。明治6年にはイギリスに留学しています。

失業した武士の救済策として茶園経営が始まったのは、鍋島直大イギリス留学中のこと。


茶の苗は、故郷の佐賀県からではなく、狭山茶を移植しています。
富ヶ谷の三田用水から水を引いて茶畑を造成。
松濤園で生産された茶は、『松濤』と名づけられ、明治の東京市民に愛飲されていました。

茶の湯の釜がたぎる音を、松風と潮騒に例えた優雅な呼び名。
明治22年、東海道線が全通(現在の御殿場線回り)すると、東京にはやはり武士が開拓した牧之原台地などの静岡茶が流入。
これで、鍋島家の茶園は幕を閉じ、茶畑は畑果樹園種蓄牧場 「鍋島農場」へと変わります。
(明治20年代にはすでに大塚など東京近辺に牛乳などを生産する牧場が数多く誕生しています)

現在の鍋島松濤公園は、明治時代に家族となった鍋島候爵が池の周囲に周回道をつけ、岸の斜面に芝を植えて公園としたもの。
引用サイト: こちら


松濤美術館

JR渋谷駅から徒歩15分。東京屈指の閑静な住宅街、松濤地区にある渋谷区立松濤美術館(以下、松濤美術館)は、内側に湾曲した石造りの外観が特徴的なミュージアムです。東京23区の公立美術館の中でも、板橋区立美術館に次いで2番目に古い歴史をもつ同館は、1981(昭和56)年に開館しました。設計したのは、ドイツで哲学を学びながらも独学で建築家となった白井晟一(1905-1983)。木や石など自然素材を多用した重厚な建築を手掛けた建築家として知られています。
引用サイト: こちら

ちょっと道草:渋谷区立松濤美術館の「白井晟一 入門」 こちら



ちょっと道草:ノアビル ー 孤高の建築家白井晟一の手による飯倉のランドマーク こちら







ちょっと寄り道:元秋ノ宮村役場  湯沢市ジオパーク推進協議会   こちら









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Last updated  2026.05.03 06:30:15
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