東方見雲録

東方見雲録

2026.05.14
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1986年10月23日
意匠図案説明  雀のお宿緑地公園の竹林、スズメとたわむれる少女像を描く
開設場所    〒152-0003 東京都目黒区碑文谷4-16-2
引用サイト: こちら

碑文谷 地名
碑文谷(ひもんや)
碑文谷(ひもんや)。この珍しい地名の起源についてはいろいろな推測がなされているが現在までひとつの説を確定するには至っていない。ただ、応永32年(1425年)の「日運記」の中に碑文谷(ひもんや)という地名が著されている。

碑文を書いた石のある里
現在、通説となっている「碑文石(ひもんせき)」説は、碑文谷八幡宮に保存されている「碑文石(ひもんせき)」にまつわるものである。この石は高さ75センチメートル、幅45センチメートルくらいで、中央に「大日」、左右に「勢至」「観音」の梵字(ぼんじ)が刻まれている。

「碑文石」説は、村内の鎌倉街道の傍らに梵字(ぼんじ)を刻んだ碑があったが、たたりのため土中に埋めたと「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」「帝国地名辞典」に記されていることなどからいわれるようになった。



碑文谷とは
これとは別に、円融寺(えんゆうじ)にまつわるものとする説もある。

円融寺(えんゆうじ)は天台宗の寺として仁寿3年(853年)に開基されたといわれ、弘安6年(1283年)には日源上人によって、日蓮宗妙光山吉祥院法華寺と改められた。その後、天台宗に復し、現在の円融寺(えんゆうじ)となった。

円融寺(えんゆうじ)には、天正13年(1585年)、法界塚付近の土地が同寺へ寄進されたときの書状があるが、その1行目では碑文谷法華(花)寺と記しながら、終わりの方では、武蔵国ひものや郷中と書いてある。また「江戸図屏風」には、桧物屋法華寺と桧物屋御鞭打(袋竹刀を振って打ち合う騎馬戦)が描かれている。天正19年(1591年)の「寺領寄進状」のように、武蔵国荏原郡桧物屋之内と記されている例もある。

しかしながら、「ひものや」「桧物屋(ひものや)」と書かれた文書は数が非常に少なく、今までに残っている古文書の中では「碑文谷」という文字が一番多く使われている。これは、人々が「ひものや」あるいは「ひもんや」と発していた言葉を表記する際、「碑文谷」「ひものや」「桧物屋(ひものや)」という文字があてられたと考えることができる。従ってこの3つの文字が意味するところは全く同じものを指し、その中から一番使用される数が多かった「碑文谷」が地名として残ったのではないだろうか。
引用サイト: こちら

雀のお宿緑地公園
今からおよそ200年前、江戸時代安永年間に始まったという目黒の筍栽培は、大正中頃に最盛期となり、有数な竹林だったこの地では良質の筍が収穫されたと言われています。
また昭和のはじめ頃、この竹林は付近一帯のスズメのねぐらになっていました。数千羽というスズメが朝どこへともなく飛び立ち、夕方には数百羽が一団となって帰り、空が薄暗くなるほどだったそうです。そのためこの場所は「スズメのお宿」と呼ばれるようになりました。
今でも竹林やシイ・ケヤキの大木が残り、野鳥が多く生息しています。なお北側の一角に栗山家の母屋(目黒区指定有形文化財)が復元されています。






引用サイト:目黒区   こちら






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Last updated  2026.05.14 00:00:08
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