東方見雲録

東方見雲録

2026.05.15
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1986年10月23日
意匠図案説明  自由が丘駅前広場の自由の女神像、目黒ばやしを描く
開設場所    〒152-0035 東京都目黒区自由が丘2-11-19
引用サイト: こちら

目黒の地名 自由が丘
現代感覚にあふれるしゃれたショッピング街と山の手らしい閑静な住宅街が共存するまち「自由が丘」。今日のそんな町並みにいかにもふさわしい斬新な地名だが、その由来は、東横線・大井町線が相次いで開通した昭和初期にさかのぼる。

現在の緑が丘地域とともに、江戸時代以来の字名「谷畑(やばた)」の名で呼ばれていたこの地に東横線が開通したのは、昭和2年8月のこと。開業した駅は、現在は隣り駅の名、「九品仏駅」と名付けられたが、それまで畑と水田と林に覆われた田園地帯であったこの辺りには、以後、にわかに商店や住宅が建ち始め、同年11月には「谷畑(やばた)」の大根畑の丘の上に、私立の学園も建設された。これが、「自由が丘」の地名の発端として知られる「自由ヶ丘学園」で、自由教育を旗印に手塚岸衛氏が創立したもの。

さて、その二年後の昭和4年、大井町線が大岡山から二子玉川まで延長されるに際して、「九品仏駅(くほんぶつ)」が同線上の実際の寺の表参道口に設けられることになり、先の駅名を改称する必要が起こってきた。そこで、新駅名採用に当たって熱心な要望活動を行ったのが、舞踊家石井漠氏をはじめとする先駆移住の文化人。電鉄側では既に新駅名を「衾(ふすま)駅」と内定していたが、結局、大井町線開通の直前、「自由ヶ丘」を駅名として採用することとなった。

以後、駅周辺に移住してきた人たちは郵便物に「自由ヶ丘駅前O番地」と書くようになるなど、「自由ヶ丘」は次第に地名化し、昭和7年6月、耕地整理組合の努力もあり、これが町名として正式に認可。同年10月の区制施行による町名整備を待たず、「碑衾町大字自由ヶ丘」として新地名がスタートすることとなった。

自由が丘夜景(昭和40年ごろ)の写真


引用サイト: こちら

関連サイト:自由が丘  Wikipedia情報   こちら

九品仏川緑道





関連サイト:自由が丘ガイド こちら







自由ヶ丘学園
手塚岸衛が自由主義教育を掲げ、1930年(昭和5年)に創立(同校によると1930年(昭和5年)創立とともに1927年(昭和2年)創立という記述もある[1])。同時に町名及び駅名が自由ヶ丘(現自由が丘)と改称される。当初、学園は幼稚園、小学校(旧制)、中学校(旧制)から構成されていたが、手塚が死去したために経営難に陥る。1936年(昭和11年)に中学校部門は藤田喜作に引き取られて再出発し、「質実剛健の野草的教育」を目標に、青少年の教育に専念することを打ち出した。

幼稚園と小学校は小林宗作が継承してトモエ学園としたが、戦災で小学校が、次いで小林の死去で幼稚園も廃止されたため、現在は同高校のみが当初から続く自由ヶ丘学園の系譜を守っていることになる。
・・・・
特徴
校舎の設備は充実しており、全館冷暖房完備。芸術科目関連の教室や視聴覚教室、LL教室など施設は整っている。
全校舎及びグラウンドにまでWi-Fi環境を整え、ノートパソコン、タブレット、スマートフォンなど様々な端末を活用した「学びたいときに学ぶ」を実現。
全教室にプロジェクター型電子黒板を設置し、ICT環境を整備。

TED×Tokyoの創始者、パトリック・ニュウエル氏がアドバイザーに就任。
レスリング部は東京都を代表する名門校。毎年、全国大会で上位進出者を輩出している。監督を務めているのは、元日本チャンピオンでバルセロナオリンピックに出場した奥山恵二氏である。
引用サイト:Wikipedia情報   こちら

自由の女神像

タイトル あをそら
作者 澤田政廣

製作年 1961
説明板が添えられている。

自由が丘駅前広場の生い立ち
昭和の初め、この地には田畑がのどかに広がっていました。
昭和2年、当時の衾西部耕地整理組合長の栗山久次郎氏が街の発展のためにと五島慶太氏と交渉を重ね、この地に駅を誘致することに成功しました。当時は「九品仏」という駅でしたが、昭和4年には大井町線も通り、駅の名称も「自由ケ丘」と改名し場所も現在の位置に移されました。
その後、自由が丘の街は商店街、住宅地とも発展を遂げ、駅前には建物が建ち並んでいましたが、戦争が激しくなるとともに建物は強制疎開で取り壊しとなり、残存していた建物も昭和20年の空襲で焼失し、自由が丘の街は焼け野原になってしまいました。
戦後、駅前の復興について話し合いが行われましたが、元のような商店街を望む人と駅前広場をつくったほうが良いという人との間で大論争があったといいます。結果とし駅前広場をつくることに決まりましたが、当時から先進的な考えを持っていた自由が丘の人々の気質が垣間見られます。
昭和22年に駅前広場が誕生しましたが、しばらくの間はわずかな植え込みにロータリーがあるだけで、決して立派なものではありませんでした。やがて駅前も商店街としての街並みが整うにつれて、街のシンボルとして外国の広場のように彫像を設けたらどうかという話になり、当時の商店街連合組合の事業として実施することになりました。
彫像の制作は彫刻家の澤田政廣氏に依頼し、完成したのが自由の女神像「あをそら」です。昭和36年のことでした。以来、自由の女神像は街のシンボルとして、自由が丘の街を見守り続けています。
このたびの自由が丘駅前広場整備は、自由が丘住民代表と目黒区が2年余にわたる検討を経て完成したものです。これまでの車優先のロータリーから安心して歩けるように歩道を拡幅し、女神広場も設けました。進取の気性に富んだ先人の努力に感謝しつつ、人に優しい自由が丘駅前広場をいつまでも美しく保ち、楽しく活用したいものです。

平成23年4月目黒区
引用サイト: こちら



目黒ばやし

引用サイト:目黒ばやし 区指定無形民俗文化財(民俗芸能) こちら






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Last updated  2026.05.15 00:00:09
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